松本~新潟
「じいちゃん」



 懐かしい風景。
 長野県松本市は母方の実家で、以前は毎年のように来ていたが、ここ数年、めっきりと行かなくなった。かなり失礼な話なのだが、はっきり言って私はおじの家に行くのが嫌なのだ。あの家の雰囲気がとても嫌なのだ。おばさん、つまり母の兄の奥さんが、とにかく神経質な方で、色々なことを気にしすぎる気性らしい。言い方はまずいが、常に私達の機嫌を伺っている感じで、気を遣ってくれているのはわかるのだが、なんとなく私達家族のことを快く思ってはいないのだと思う。だから、私はそこへ行くのを避けていた。泊まりがけで行くのは特に嫌なのだ。日帰りならば軽く挨拶でもして帰れるのだが、泊まりがけとなると、色々と気を遣われる、こちらも気を遣う、ということで、ここへ来ることを避けていた節がある。もちろん祖父や祖母に会いたいという心はあるし、おじさんとも話がしたいとは思う。しかし、どうもあの空間にいることに苦痛を感じるのだ。今回ここに来たのは、祖父に会いたかったから。冗談を抜きにして、いつ会えなくなるかわからない。元気で元気で、バカみたいなじいちゃんだが、年も年だ。この機会に会っておかなければいけない。
 松本駅は、正面出口の東口から出ればさながら大都会で、高いビルが連なる。が、反対の西口から外に出ると、ノスタルジックな道と古い家並みが軒を連ねる。私はその懐かしい道のりを歩いた。全く変わっていない。一歩一歩踏みしめながら歩いた。
 おじちゃんの家とじいちゃんの家は少し離れている。同じ敷地内にあるのだが、奥のほうに新しい、おじちゃんの家が建っている。道路側に築70年の古い家があって、そこがじいちゃんの家だ。
 私は喫茶「駒」の中に入った。客は一人もいなかった。毎年この時期は年末休みを取っている。ドアを開けると、ママさんがいて、祖母は、「おばあちゃん」と呼ばれるのを嫌った。小さい頃から家族には「ママさん」と呼ばれている。呼び名のせいもあるのか、ママさんに年は感じられない。私が生まれた頃からずっと変わらない気がする。しばらくすると、じいちゃんが出てきた。元気そうだった。
 久しぶりに遊びに来た孫に、2人はとっても良くしてくれて、ごはんを作ってくれた。私はおにぎりを食べた後であんまりお腹が空いていなかったが、ありがたく頂いた。美味しかった。じいちゃんは何かともっと食え、もっと食え、と言って、懐かしい言葉を聞いた気がして、私は嬉しかった。そのうちにおじちゃんが現れて、色々と話してくれた。「こないだ駅の通りを歩いてたらさ、向こうから若いチーマーみたいな奴らが3人歩いて来るんだな、おれが右によけたら右に寄るし、左によけたら左に寄るもんだから、こりゃあ当てるなと思ってたら肩ぶつけてきてさ、『おいちょっとこっちこいよ』とか言うから、『すいません、すいません、すいません』って、3回謝ってさ、人気の無い路地裏に連れていかれたわけ。で、『おっさん金出しな』って言うからさ、『おい、おれさっき3回謝ったよな。4回目は謝らねえぞ』ものの10秒、いや5秒くらいかな。3人が道の真ん中で伸びちゃった。そしたらちょっとして警察が来てさ、誰かがおれ連れていかれるの見て通報してくれたと思うんだけど、警察の人、チーマー伸びちゃってるもんでびっくりしちゃってさ、『あの、ちょっと通報内容と状況が違うもんで、一応来ていただけますか』それで朝4時まで松本警察署で事情聴取。あいつらもちょっとは相手を選ぶべきだったな」おじちゃんは自慢げに話した。母は「おじちゃんの話は話半分、ハッタリだと思って聞きなよ」と言ったが、たとえそれが脚色まじり、いやひょっとしたら全くの嘘だったとしても、おじちゃんの話は聞いていてわくわくした。おじちゃんは格闘家並の体を持っていて、技術や知識もかなり、ある。だから説得力があった。おじちゃんはマニラでヤクザに襲われた話や、暴漢に遭ったときの対処法などを教えてくれた。私は少し護身術に詳しくなった。
 ご飯を食べると、新しいほうの、おじちゃんの家に強制送還された。じいちゃんの家は大きいが、2階が物置になっていて、ネズミも住み着いているというので、あまり広いスペースはない。じいちゃんとママさんが寝るだけの大きさしかない、というので、私はおじちゃんの新しい家で寝ることになった。嫌だった。喫茶店の椅子の上ででも寝ていたかったが、新しい家にしてみればそれも失礼な話なので、仕方なくそちらに泊まることにした。
 居間ではおじ家族が団欒していた。従姉妹とも久しぶりに会って、緊張した。TBSの「ガチンコ!」の特番を見ていた。真剣に見るのは初めてである。面白くなかったが、見た。しばらくして、おばさんが来て、布団の上に寝た。風邪をひいて熱があるらしく、全くまずい時に訪れたものだ。これでは迷惑そのものではないか。この家はやはり、気を遣う。
 私はTVを見終わると、さっさと寝た。明日は早い。それに、この家にはあまり長い間いたくはない。
 朝ご飯は、じいちゃんの家で食べた。ありがたかった。じいちゃんの家は、なんて落ち着く。色々な話をした。じいちゃんが最近、趣味で絵を描いているということ、じいちゃんが腕や足を痛めていて、とても、辛いということ。そして、ママさんはこんなことを言った。「今度この家が取りつぶされることになってね、前の道路が大きくなるんだってさ。昨日も役所の人が来てなんだか熱心に測量して行ったよ。ママさん達も年だからね、喫茶・駒もそろそろのれんを降ろす時さ」信じられなかった。駅の風景も、西口からの町並みも、ずっと変わらないのに、それなのに、生まれたときからそこにあって、生まれたときから何度もトーストを食べて、じいちゃんの特製ジュースを飲んだあの喫茶「駒」が、もうすぐ、なくなる。跡形もなくなって、道路になる。そして、誰も知らなくなる。
 じいちゃんは、駅までついてきてくれた。ここでいいよ、と私は言ったが、西口で入場券を買って、ホームまでついてきてくれた。電車は来ていて、私は乗らなかった。発車までにはまだ時間があったので、じいちゃんといたかった。3年ぶりに会ったじいちゃんは、少し小さく見えた。腕や足を痛めていて、少しだけ弱々しく見えた。パワフルじいちゃんが、ちょっとだけ元気さもなくなっていて、あんまりバカなことも言わなくなっていた。でも、優しくて、孫のことを強く思う気持ちは、全く変わっていなくて、私はじいちゃんといることが嬉しくて、もう一日松本にいて、そのまま名古屋へ帰ってしまおうとも考えたくらい。私が電車の来ているホームでくすぶっていると、じいちゃんは、乗れ、と言った。私はためらったが、電車に乗った。窓からじいちゃんが見えて、私は泣いた。突っ立っているじいちゃんの姿を見ると、自然と涙がこぼれて、どうしようもなくなって、私はじいちゃんから目をそらして、誰にも悟られないように、手袋で涙を拭いた。窓を見ると、じいちゃんがいない。道中、気をつけて行けよ。じいちゃんが車内に入ってきて、言った。私は涙を隠して、うん、うん、とうなずいた。じいちゃんはそれから2,3秒だけそこにいて、また外に出た。再び窓からじいちゃんの姿が見える。私はまた泣きそうになったが、ぐっとこらえた。電車が動き出す。ゆっくりと景色が移って行く中で、じいちゃんは消えなかった。じいちゃんは電車と同じスピードで歩いていた。手を振る。私も手を振る。やがてじいちゃんが完全に消えてしまうと、私は今度こそ泣いた。それでも電車は走って、田沢、明科、西条、坂北、聖高原、冠着、姨捨、稲荷山、篠ノ井、今井、川中島、安茂里、やがて長野に着いた。

96-01-02-001.jpg

長野駅

長野の地に降り立ったものの、何もすることはなかった。バスの写真を撮って、そこらへんを散歩して、MIDORIという駅ビルに入って、すぐに電車に乗った。ここまでくるともう風景は真っ白で、雪しか見えない。何度か電車もストップしたが、ほぼ定刻通りに電車は動いていた。
直江津と長岡で短い乗り換えをして、北長野、三才、豊野、牟礼、古間、黒姫、妙高高原、関山、二本木、新井、北新井、脇野田、南高田、高田、春日山、直江津、黒井、犀潟、土底浜、潟町、上下浜、柿崎、米山、笠島、青海川、鯨波、柏崎、茨目、安田、北条、越後広田、長鳥、塚山、越後岩塚、来迎寺、前川、宮内、長岡、北長岡、押切、見附、帯織、東光寺、三条、東三条、保内、加茂、羽生田、田上、矢代田、古津、新津、さつき野、荻川、亀田、越後石山、新潟に着いた。


 
BACK
TOP