ひごろのおこない/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2025.10.1(水) ホームページが消えちゃった
2025.10.2(木) 卒業生が卒業生すぎる
2025.10.3(金) みんなに嫌われてるってこと?
2025.10.4(土) ザ・ファーストワルツ(喫茶みずのみば1st最終日)
2025.10.5(日) 仲間はずれ
2025.10.6(月) 片想い
2025.10.7(火) 夜学通信の可能性
2025.10.8(水) 10/3金 上越・高田
2025.10.9(木) 10/3金 新潟古町、紫竹山
2025.10.10(金) 友達ロンダリング
2025.10.11(土) お米を洗えるのはお米だけ
2025.10.12(日) 有料化から3年!
2025.10.13(月) みんなへの片想い
2025.10.14(火) シャバすぎ凡バー
2025.10.15(水) 琥珀へ 店との関係づくり
2025.10.16(木) 友達を喜ばせたい病
2025.10.17(金) 大衆演劇へ(劇団舞姫 葵翔太郎)
2025.10.18(土) 都市型の店は珍しい
2025.10.19(日) 量的と質的
2025.10.20(月) 未知と既知
2025.10.21(火) すべてが形容詞になる
2025.10.22(水) 選択と集中(ニセコ化)
2025.10.23(木) ニセコとヤガク
2025.10.24(金) キャッシュレスを導入した(必読)
2025.10.25(土) 文法の一本化
2025.10.26(日) 芋煮沢俊彦

2025.10.1(水) ホームページが消えちゃった

 僕の大好きなホームページ
 パパからもらったホームページ
 とっても大事にしてたのに
 表示されなくなっている
 どうしよう
 どうしようどうしよういみない


 10月1日からniftyがホームページの無料プランを廃止して有料プランのみにするというメールがしばらく前に来た。これまではプロバイダ料金にホームページが「サービス」でついてきた形だったのだ。そりゃーもうホームページやってるやつなんていないんだから無料でつける意味はもうないよな。続けるなら課金しろという話。年間7000円くらいだし構わんと手続きをしたのだが、10月1日になってみたらサッパリとホームページが消えていた。どういうこっちゃ?
 慌てて夜学バーのほうを見にいったらそっちは残っている。はて?
 すぐにハッとした。そうだ僕のホームページはそもそも「パパからもらった」ものだったのだ。話は25年前にさかのぼる……(壮大な話だ)。

 そのころの僕はパソコンもインターネットも持っていなかった。すべてお父さんの持ち物だったのだ。「ホームページがやりたい」と思ったとき僕の取る道は一つしかなかった。「おとうさ~ん、ホームページがやりたいよう」である。
 機械の大好きな(工業高校の理科の先生なのだ)優しいお父さんはすぐさま自身のniftyサーバを明け渡し好きに使わせてくれた。ほいで2000年7月11日、このホームページは公開された。
 ところでniftyには「子会員」という概念があり、家族のアカウントも低価格で作ることができた。それで確か2000年のうちには僕も自分のアカウントを手に入れたのだが、すでにお父さんのアカウントでホームページを公開していたので、僕は実質サーバを二つ持つことになったわけである。

 もうおわかりだろう!
「お父さんのサーバ」に置かれているのがこの「Ez」で、「自分のサーバ」に置かれているのが「夜学バーのホームページ」なのである!
 つまり! 僕が手続きをして守れるのは「夜学」のほうだけで、「Ez」を守りたければ「おとうさ~ん、プラン変更の手続きをしてえ」と(猫なで声で)お願いしなければならなかったのだ!

 つーわけでお父さんに電話して解決。実際にはパスワードを教えてもらって僕が手続きした。年間7000円の請求はお父さんに行く。すっかり甘えている! ちなみにいつかお父さんが亡くなったとき! もう一度この問題は再燃する可能性が高い! どうしよう! 早いうちniftyに相談しておいたほうがいいよね……。サーバって相続できるんかな。
 復活には「三営業日かかる」そうなんで、月曜か火曜くらいだろう。ただ今回は「父親のアカウントを息子が手続きした」ってことにはなる(連絡先は僕のほうのアカウントになっている)んで、もしかしたら多少遅れる可能性も。とりあえず避難所を作ったのはその場合を見越してのことでもある。

 それにしても間抜けな話。「手続きしたから大丈夫」とつい思い込んでしまった。僕の(管理する)ホームページは実のところお父さんの(所有する)ホームページだという事実。完全に抜け落ちていた。アカウントが違えばそりゃ手続きも二回必要になるよね。フー。お騒がせしております。
 ん? 誰か騒いでくれているのか? さ・わ・げ! 騒いでくださいよ! 誰からも「大丈夫?」とか「サイト消えてるんだけど……」みたいな連絡がない! いい加減にしてくれ! さみしいじゃないか! 孤独! 孤独と! 音がする!
 一人なんだ 一人なんだ
 だーれもいない…

 というわけでBBS設置しました。Ezのほうをいじるより新しいCGI置いたほうが早いと思ったけどけっこう骨が折れた。カウンタもつけた。連打できないようになっている(はず)。みなさん、こんな機会はなかなかないんで、ぜひ掲示板に書き込みなどしてですね、僕を勇気づけたりしてください……。避難所を見つけられなかった方すみません。いちおう夜学バーのホームページからもリンクしてあるんで、心配してくれた人は見つけられると思うので……。
 あれ……涙が。

 とかいう「売れない芸」はもういいですよね。売れてるので。本当は。楽しみましょう。今日は新しい歌をつくったよ。2日(作業時間3時間)くらいでできた。フォークシンガーは気楽で良い。ザ・ファーストワルツこと10月4日の新潟ライブでやります。新潟で会いましょう~♪←歌ってる

2025.10.2(木) 卒業生が卒業生すぎる

 武富健治先生の名作『鈴木先生』の名シーン。

《卒業生・白井》
 なぁ? オレの学年でよ
 鈴木先生鈴木先生って
 キャーキャーベタベタしてた
 優等生のヤツらで
 卒業してからここを
 訪ねてきたヤツってどれだけいる?
 ほとんどいねェんじゃねェか?

 落ちこぼれは
 受けた恩は<絶対/ゼッテェ>に忘れねェ!!
 いい子にして
 ひいきにされてよ…
 その場を上手に楽しんで
 次の場所に行っちまえば
 昔のことなんかすっかり
 忘れて―――――――
 出世だの安定だののために
 前ばっか向いてる
 薄情なヤツらとは
 違うんだ!

(略)

《2年A組・中村加奈》
 ――何を
 好き好んで
 バカさらし
 てんだよ…

 誰がひいき
 してて誰が
 ひいきして
 ないって?

 自分らに全力で
 あたってくれない人は
 みんな差別主義者の
 エコひいき野郎に
 なっちまうのかよ
 理屈で考えてすでに
 おかしいじゃねェか!

 いいか……? 鈴木先生んとこに
 卒業生が来ないのはなァ―――
 みんな今の現場で精一杯
 頑張って立ち向かっている
 からなんだよ!

 遊びに来ないから
 忘れてるとか情が薄いとか…
 勝手に決めつけて
 見下してんじゃねェよ……!

(2巻「昼休み」)

 ハァ~なんとも勇気づけられる言葉ですけどもね、中村(ナカ)さん、心強いですありがとうございますと言いたい気持ちは一方に甚大にありながら、「誰も訪ねてきてくれない孤独」という問題にも少しは目を向けてほしいなと思ってしまいもするんですよ。たまには過去を振り返ってほしいし、それによって前を向ける、前に進めるってことも絶対にあるし、やっぱ原点回帰ってのも必要じゃないですかァ……。

 僕はこの名やりとりを読んで、また折に触れて思い返して、本当に感動してきた。そうなのだ、卒業生たちはみなそれぞれの現場で頑張っていて「振り返っているヒマなどない」のである。(第二参考文献:島本和彦『逆境ナイン』)
 実際、僕の卒業生たちはあんまり僕を訪ねてきてくれない。学校じゃなくて店(しかも飲み屋)にいるからってのもあるし、べつに担任を持っていたわけでもない非常勤講師なら当然でもあろう。しかし「さみしくなることは誰にも止められない」。(参考歌献:Amika『How Can I Say』)
 もちろんずっと仲のいい生徒ってのは何人もいるし、わずか4~5年の教員生活としては異例なほど卒業生との付き合いは多く、深い。それについては嬉しいし、誇らしくもある。だが僕が心に浮かべる生徒たちの数に比すれば圧倒的に少なすぎるのも事実。死ぬまでに一回くらいは再会したいものだ。ンマ教員ってのはそのような寂しさが絶対につきまとうもので、特に文句はない。一つでも僕の言葉や振る舞いがみんなに良い影響を与えられていたら幸福なので、それを祈るしかない。
 ピーター・パンがいつも子供たちとだけ遊んで、大人になったウェンディとは遊ぶことができないという悲しさも、それが彼の役割だって割り切るしかないのだ。
 問題は、ですね、夜学バーのことですよ。従業員、全然会いに来てくれないネェ……。

 いや、わかっているのだ。すべては中村(ナカ)の言葉に尽きている。「みんな今の現場で精一杯頑張って立ち向かっているからなんだよ!」その通り! その通り!
 ただどうしても考えてしまうのは、「ということは、いまの彼らにとって夜学バーに通うことは不要である」ということだ。かつては働いておりながらも、「そこに通うことは自分にとって不要である」という状態が続いているというわけなのだ。
 当時働いていたことは「必要だった」可能性はあっても、今通うことは「不要である」。よしんば必要であるとしてもそれを選択しない限り検証はできない。少なくとも「必要」と思ってはいないのだと思われる。マアそのような店、空間、場ってことです。
 もちろん、「行きたいなあ」「会いたいなあ」と年がら年中思ってくれて、でもやっぱりいろんな事情で実現できない、という人だっているかもしれない、そういうことはあらかた想像していて、ここには極端なことをあえて書いているのだとご理解ください。みんなのこと大好きだからな。
 基本的には、いま書いていることは僕の「反省」です。
 後ろ向きに考えると、単純に僕が人格として「嫌われやすい」っていうことかもしれないわけだし。

 皮肉や愚痴を言っているように聞こえるかもしれないが割とちゃんと言いたいことはあって、「やっぱ夜学バーは学校だし僕は先生でしかないってことだな」って思ってるんですよ。
 学校との関係は、卒業した段階で切れる。それが嫌だから僕は「お店」っていう形でそれをやってきたつもりなんだが、やっぱ「切れる」ような性質を持つことしか僕にはできないのかもしれない。もちろん、僕が意外と「みんなに嫌われてるってこと」でもある(参考文献:神田沙也加さん晩年の音声)。案外、僕は人から嫌われるのだと思う。「嫌われる」ってのは表現がオーバーかもしれないけど、「敬遠される」と言いますか。「ちょっと違うな=ちょっとやだな」ってところまではけっこう行きやすい存在なんじゃないかねえ。
 前向きに(?)考えればそれは、「ジャッキーさんに会うとアテられてしまう」ってことではあるのかもしんない。僕があまりにも世間の常識とは離れたところにいるから、「そういう生き方、考え方もあるんだ」って思い過ぎちゃって、「よーしシゴヤメ(辞職)だ!」とか「ウー、わたしの生き方は間違っているのかもしれない!」とか極端なほうへ揺さぶられる可能性があるから、あんまり会いたくないなって人もいるんじゃないか。
 それは自分のことを大きく見積もりすぎですか? まぁ見積もりですから許してください。
 なんか、もうちょっと控えめにいえば「余計なことを考えてしまう」ってのはあると思うんですよ。ノイズになるというか。ジャッキーさんとかいう人は「知らないこと」や「新しいこと」を言ってくる可能性があって、頭や心に負担がかかる。「旧知のこと」への安住が乱れる。
 ジャッキーさんとかいう人は信念として「常に珍奇である」ということをめざしているんだが、人間の脳ってのは変化を嫌うんでそういうものを避けたくなる。恒常性保持機能(ホメオスタシス)! 体温を一定に保とうとするように、生活も心情も信条も一定に保ちたくなる。それが心地よくて、ずっとそのままでいたいと思うのが人間だ。泣いてる時に「泣き止みたい」と思う人なんか一人もいないんだ。だから想い出はいつも「そっと」しておかれてしまう。

 夜学バーってのはこの意味でいうと「ノイズ発生機構」で、揺さぶられるための場。日常生活のなかで凝り固まったものをほぐすために活用してほしいと願っている。だから「常連」を嫌うのだ。毎日同じ面子で同じ話をするような空間にはノイズが発生し得ない。いつでも新しい刺激が得られるように、「できるだけたくさんの人がときおり訪れる」という設計を心がけてきた。数ヶ月に一度とか年に一度くらい訪れるお客がいっぱいいるのは、その企てが大成功している証左なのだ。
 ゆえにこそ「必要」と思ってくれる人がいて、ゆえにこそ「不要」と思う人もいる。それはタイミングで、誰にだって必要なときと不要なときがある。安定している時はそれでいいのだ。何かがアンバランスになってきたとき、チューニングのために使える選択肢としてずっと存在していたい。さっき「従業員が訪ねてきてくれない」っていうことを言ったけど、まったく顔を見せないって人はほとんどいないし、頻度に差はあれど会ったり連絡したりはけっこうしている。それぞれにタイミングや時間感覚は違うし、不要というのは「今は次のステージにいる」ということでもあるんだから祝福すべきでもある。ただ僕はちょっとさみしいという素直な不満(かわいいと思ってほしいよ、シンプルに)。むろん不要なときに来る必要はない。必要になればいつでもどうぞ。この件について考えてくれて、いつかそれについて話せるならめちゃくちゃ嬉しい。

 今月はたぶんこのあたりのことを考えていくな。未知と既知、みたいなこと。いったん閉じて、どこかへつづく。
 一言だけ追補しておくと、現役生はできるだけ夜学バーに通ったほうがいい。でなければ、「働いているが通うことは不要」ということになる。自分が通う価値のないようなお店で働いているなら、別の店で働いてもあんま変わらない。自分の職場を自分から「都合のいい店」にしてはいけない。なぜ夜学バーでなければいけないのか。夜学バーとはなんなのか。なぜお客さんは夜学バーに来てくれるのか。なぜ自分は行きたいと思うのか(なぜ今はそう思わなくなってしまったのか?)。そういうことは慣れてくるとあんまり考えなくなってしまうのかもしれないが、むろん考えなければならない。僕は当然四六時中考えている。そのためには単純に「店にいる時間」が効いてくる。
 これは戒めでもあり、どうしても店主たる自分がいると場の空気が変わってしまうので、他の従業員のときは遠慮することもあるのだが、やっぱりお客として座っている時間がしっかりないと何かがわからなくなってしまう。変装でもしていけばいいのかな……。いや、店主としてそこに違和感なく座る訓練をしなければいけないのだろうな。がんばります。

2025.10.3(金) みんなに嫌われてるってこと?

 偉大なる「103の日」になんてタイトルだ。103とは高1のクラスで、15日に何人か集まれそうだ。嬉しい。それはそれとして昨日のつづき。

「みんなに嫌われてるってこと?」の元ネタはこういうことなのですが、亡くなった知らない人の亡くなる寸前の、真実かどうかも定かではない発言によるものであって悪趣味と言われても仕方ない。実際はそれなりに思うことや考えることがあって、割と意味があってこのやりとりをほぼ全文暗記している(狂?そ褒)のであるが、表に出したら悪趣味でしかなかろう。それを恐れずに(あるいは恐れながら)出してしまうのがジャッキーさんとかいう人であって、昨日の記事はまさにその類だ。あんなこと言わなくてもいいのに。いや、言わないほうがいい面も多々あるのに。
 僕は基本的には嫌われる側の人なのである。思いやりがないからだ。他者の「心情/信条」よりも優先するものが多すぎる。ある種の共産主義者が暴力革命をめざすように確信犯としてそれをやっている。もちろんそこにあるのは「普遍的で崇高な思想」ではない、「ぼくの考えたさいきょうの思想」であって、きわめて個人的なものだ。嫌われるのも当然。
 開き直りたいのではない。困ってはいる。その中でどうバランスを取っていこうかと常に迷いつづける中で失敗を繰り返し、人から嫌われることもそれなりにある。去年の8月から10月にかけてはかなり多くの人から嫌われた(敬遠されるようになった)ように思う。でもそれは僕の中では「がんばったが失敗した」ということでしかなく、「ごめんなさい」とは思うが、「でもどうしようもなかったんです」という言い訳をどうしても捨てきれないでいる。そうでなければ「暴力革命」の路線も捨てねばならない。捨てればいいだろ。なぜ捨てられないのか? 暴力が好きだからか? それもあろう。しかし一番は「ワガママ」ってことだ。「どうしても自分は自分としてここに存在していたい」と願うゆえだ。ここがまた嫌われる所以だ。協調性があまりにもない。尾崎豊もきっとそういうふうに願っていたのだと僕は信じるが、26歳で死んだのも頷ける。無理があるんだよね。

「自分には自分なりの筋の通った考えが一本ある。それは対話によっていくらでも修正する意思と可能性を持っているが、対話を拒絶されたらどうしようもない」というのが僕の事情である。「嫌い」と思った相手と対話しようとする奴なんていないから、大抵は沈黙ないし「対話を拒絶するような捨て台詞」によって終わる。僕の勝手な事情によってそうなってしまう。相手は相手で「傷つけた相手に頭を下げてこないような人間とは対話できない」と思っているのかもしれないが、こちらは「対話できない相手とは関係を結べない」と思っているのでほぼ平行線となり、また交わるとしても非常に長い時間がかかる。
 もちろん僕だって頭を下げる意義があると思えばそうする。でも関係はすでに「切れて」いる場合が多く、「再び繋げるべき理由」がない限りはむりにそれをする必要も生じない。どうしようかと思っているうちに時は過ぎていきすべては癒され、忘れられていく。良くも悪くも僕はTime is the best healerを信じ、利用している。
 そんな人間と長らく仲良くしてくれている友達は本当にありがたい。たとえば103の人たちとは出会って25年にもなるが、当時からずっとどうしようもない自分をよくもまあ受け入れ続けてくれているものだ。みんな同様に未熟だったからってのもあるが、ともあれ心より感謝。

 昨年10月に参加した演劇祭(的なもの)の主催者側の人たちとは没交渉になって1年が経とうとしている。詳しいことは省くがそこで僕は「失敗」したのである。参加予定だった別のイベントも一方的に反故となり、夜学バーの名は一覧から静かに消えていた。先方からのLINE一通に対し、一通の短いLINEを返してすべては終わった。ブロ解してきたアカウントも複数あるが、こちらは何も考えずたまに「いいね」とかしている。必要か動機があればリプライもすると思う。こちらはただ「特に明確な理由も提示されず一方的にイベント参加をキャンセルされた」のであって、「何が問題だったのか」という具体的な話は一切ない。抽象的な「たしなめ」は当日(覚えている限り)一言だけあったが。
 もちろん「自分は悪くない」と言っているわけではない。「何が悪かったのか」「何が問題で、どうすべきだったのか」といった話をしていないというだけだ。それは非常に日本的で僕はむしろ喜ばしく思う。そのように曖昧であったほうが時はすべてを癒しやすい。もちろん「何が問題だったのか」という話が必要とあらばいくらでも考えて応じる。しかし「そんな話をしても意味はない、とにかくこのような人間とは二度と関わりたくない」とおそらく先方は思っているので、ただとにかく時間と共に何かが癒されていくだけで、それ以外のことは起きないだろう。
 本当は僕は、たぶん、常識的には、すぐに平謝りのLINEを送り返し、思いつく限りの関係者の方々のもとへ後日菓子折りなどを持って参上し、「このようなことが問題であり、極めて反省しているので、どうかお許し願いたい」と申し出るべきだったのだ。それが当たり前なのだ。問題を起こしたとされている人間が動いて謝って回る、そうでなければしこりは消えない。しかし僕にはそれができなかった。なぜか?「自分は悪くない」とばかり思っているわけではさすがにない。「常識」というものを知らないのだ。知っていてもそれを踏まえて動く能力が備わっていない。結果、何もしない。あるいは、謝りに行ったとしてもきっと当時の日記に書いたような「この点は明らかな瑕疵であるが、この点については議論の余地があると思います、いかがでしょうか」みたいな理屈をこねかねない。「とにかく平謝り」ができない。子供なのだ。それは僕の明白な欠陥であり、嫌われる要因の一つはきっとここにある。
 友達だったら友達なりの言葉のかけ方ってものがあるし、友達としての「積み立て」もあるから「今回はひどかったぞ」とかちょっと説教していったんは終わりにもできる。友達でない場合には「常識」を発動させなければならない、普通は。それが僕にはたぶんできないのだ。いま「友達」という言葉で表しているようなある種の関係の中においてしか、僕は何もできない。フリーズして終わる。
 友達としての関係の中ではむしろ、「本当に悪かった」「この点については本当に謝るしかない、こうすべきだった」「こんなことで君との関係を悪くしたくない、どうか許してほしい。一応ここまではわかっているので、自分にわかっていない部分、気づいていない部分があるとしたら教えてほしい」と積極的に働きかけることができる。もちろん「そういう話題」になったらの話で、友達同士だと特に具体的な話を何もせずにケロッとしちゃうことも結構ある。自然と水に流される。それが良いのか悪いのかは歴史しか知らない。
 白状すれば、あまりに近しい関係の場合は僕はあんまり言葉を使えなくて、鳴き声だけになっちゃうので良くないと思っている。もうちょっと言葉をしっかり使えるべきところで使えるようになりたい。

 ダラダラと言い訳じみたことを書いてきたが、ともかく僕は関わる人が多いうえに我が強いので折に触れてトラブルを持ち、嫌われることがある。最近はなんか「某店の〇〇さんと〇〇ちゃんから明確に嫌われてるよ」と告げ口してくれる人なんかも出てきて、でもその理由はジャッキーさんにはどうしようもないところにあるから大丈夫みたいなフォロー(慰め)もされたりする。嫌ですね〜、なんにしても。嫌われたくないな。今年の目標は「嫌われないこと」とします。いつもニコニコ明るい笑顔。

 さてここから、この「嫌われる(または敬遠される)」ということから派生する「仲間はずれ」「片想い」ということについて考えていきたい。誤解するなかれ、僕はとっても元気である。
「安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。/春ちかきや?/どうせ死ぬのだ。ねむるようなよいロマンスを一篇だけ書いてみたい。」出典秘密。

2025.10.4(土) ザ・ファーストワルツ(喫茶みずのみば1st最終日)

 いったん昨日までの大テーマは置いて、3日(金)から6日(月)にかけて新潟県へ行ってきた。4日(土)のコンサート出演のためだ。対バンは黒井46億年とかなみ(喫茶みずのみば店主)with 森田花壇。
 ザ・ファーストワルツとは小沢健二さんのファーストライブを収録したVHSのタイトル。公式には初ライブだったのだ。曲目は以下。

 1. 大横川のうた
 2. お散歩遠く
 3. スタアグア
 4. 学校で
 5. 懐かしさに(抄)
 6. あしたのよいこ
 7. カリフラワー
 8. 夜学歌(第一番)
 9. 友達は変わる
 10. 静岡で会いましょう

「作った曲をすべて作った順に歌う」という岡林信康『狂い咲き』コンサート風の構成。ただし4〜6は組曲とした。
 このライブが決まったときにはまだ「喫茶みずのみば」がいったん閉まるということは決まっていなかった。お客数人でホンワカやる心づもりだったのだが運命的にこれが最終日となり、15人くらいお客さんが来てしまった。おかげで緊張しすぎて初めのうち指は動かず頭も真っ白で『お散歩遠く』は大失敗。一番いい曲(小沢さんで言えば『天気読み』)なのに。それで開き直ったのもあってそのあとはそれなりにうまく行った気がする。
 これにて僕の「シンガーソングライターごっこ」も一区切りついた。単独曲の初披露は2023年7月1日だったので2年3ヶ月か。黒井46億年氏とは実はその日にも対バンしているし、かなみさんもその場にいた。同窓会みたいなものでもあった。全員『まなびストレート!』の信者だし。東京から来てくれた人(遠征!)も少なくとも2名いて心強かった。
 黒井氏がついに十数年ぶりの新曲をつくり音源まで持ってきていたのも感動した。かなみさんも自分が作詞した曲を最後に歌っていた(夜学1st最終日後ライブで、僕とまちくたが隠れてコソコソ初のオリジナル曲を準備してきたことに刺激されて同じことをしたらしい)。ああ、これぞ限界芸術祭。ものを作るのに資格は要らない、技術も二の次。ただ「やってみよう」という気持ちからすべてが始まる。
 かつていろいろ書いたが黒井くんがいなければ僕はこのような限界音楽をやっていないかもしれない。

 黒井46億年は6年くらい音楽活動をしていないようだし、10年くらいは新曲も作ってない(正確な年月はわからない)。それで僕はだいぶ強めに「音楽をやれ! 曲をつくれ!」と突っついた。そんなもん本人の自由である、ということは百も承知だが、そういうこととはまったく別として、「おれの好きなおまえは昨日までの6年間のおまえではなく、今日ライブをやったお前なんだよ、君だってそうじゃないのか?」ということを問いかけたのだ。そしたらまんまと「9月に新音源を出す」という宣言をTwitterでしていた。実現するか、現段階ではわからない。僕は待っている。
 6年ぶりのライブ(ちなみに6年前も夜学バーだった)で、ギターも実家に送っていて練習できず、歌詞カードは新たに手書きして、現場で初めて手にしたアコギでの演奏は当然ミスだらけだった。しかし何人かはけっこう本気で感動していたし、僕も嬉しかった。それでいいのだ。
 普通なら「6年もライブやってないし、ギターも実家送っちゃったんで無理ッスよ。それも明日の深夜にだなんて」と断るもんだと思うが、彼はちゃんと来た。やりきった。僕が本気だったのがわかったからだと思う。それで無理してでも対等というステージに立ってくれたのだ。
 実際僕は全身全霊で9曲やって、うち1曲は書きおろしのオリジナルだった。そして「こうして下手でも曲作ってライブできてるのは黒井くんのおかげ」と高らかに言った。そのことが熱き感激屋の彼に影響しなかったわけがない。その熱を必ずや持続させていただきたい。
2023.6.30の日記より)

 結局、この「9月の音源」は実現しなかったが、それから約1年経ってとりあえず1曲、作ってくれた訳である。ニューアルバム楽しみにしている。
 なぜ「黒井くんのおかげ」なのかというと、彼がまったく紛れもなく「限界芸術」を全身で体現しているからである。限界芸術とは「素人がつくって素人が享受する芸術」であり、僕の理解ではお座敷芸とか一発芸とか隠し芸とかもそれにあたる。学芸会とか文化祭の演し物も無論そう。「下手くそな曲を下手くそな楽器と下手くそな歌で堂々とやる」ってのはまったくもって限界芸術そのものなのだ。黒井くんは技術とかクォリティという面ではたぶん16歳くらいからほぼ変わっていないのだと思うが、その頃の勢いや真っすぐさを失ってはいない。だからそれから20年経ってもまだ限界芸術をやれているのだ。GとEmだけで作ったオリジナル曲を高校の文化祭で演奏して以来。
 十数年前に初めて彼のパフォーマンスを見て僕は「自分にもできる」と思ったのである。「こんなのオレにだってできるよ」という見下した嘲笑ではなく、純粋な希望として。「自分なりの表現を自分なりにするのは難しいことではない、ただやる気とエネルギーさえあればいい」と彼はいつでも伝えてくれる。かなみさんがオリジナル曲を持ってきたのも、僕とまちくただけでなく当然黒井くんの影響も大きいはず。
 このホームページだって限界芸術である。ブログやSNSだってそうといえばそうだが、自由度や表現しやすさにはきっと差がある。みんな限界芸術やろうな、どんな形だっていいから。だって友達の限界芸術はたいてい面白く、素敵なものなのだから。

 旅行記については試してみたい形式があって、今回はそれでやってみるかもしれない。いったん執筆を保留するが、そのうち書かれる。

2025.10.5(日) 仲間はずれ

『季節はずれ』って曲あったよな、と思ったらゆずだった。岩沢先生だった。そうだった。井上陽水で似たのなかった?と思ったら『心もよう』か。全然違う。
 僕は「夜学バー」っていうお店をやっているんですけれども、このお店はあまりにも鵺的で、仲間がいない。どことも連携が取れずに仲間はずれになる。それは僕の性格、人格のせいだって可能性も当然考えている、2日と3日に書いたようなこと。
 お店の世界には「界隈」というものがある。たとえばいわゆる「夜職」「夜の街」という界隈、ここには「ご近所界隈」「本格バー界隈」「イベントバー界隈」「コンカフェ界隈」というのも含まれる。「本」の世界にも複数の界隈がある。古本屋界隈、本屋界隈、本と飲食を同時に扱っている(ブックバー、ブックカフェなど)界隈。「コーヒー界隈」とか「カフェ界隈」というのももちろんある。
 夜学バーは、それらのすべてにほんの少しずつ重なっているため、僕としてはすべてのお店と仲良くしたいのだが、ほとんどのお店と仲良くできていない。
 もちろん、夜学バーはそれらのお店と「ほんの少しずつ重なっている」に過ぎないのだから「濃密に付き合う」ということは難しいのかもしれない。「コラボしましょうよお〜!」とかにもあんまりならないし、稀にやってみてもイマイチ合わない感じがするのか、続かない。こちらから止めてしまうケースもあってそれは誠に申し訳ないのだが、向こうの都合でいつの間にか立ち消えになることのほうがたぶん多い。口約束なんてそんなもんだから仕方ないんだけど。
 ちょっと前も「〇〇出ますか?」「出ます」「じゃあ近くなったらご連絡しますね」というやりとりのあと、いつの間にかその〇〇は始まって、終わっていたこともあった。よくネタにすることだが「近所の個性的な(オタク寄りの)お店で湯呑み作ろう!」みたいなムーブメントにも一切誘われず、完成品をいろんなお店で見かけて知った。「夜学と同じビルにあるお店(けっこう親しい)まで参加しているのに……」とさみしくなった。以前似たような経緯でTシャツが作られたこともあって、その時に「えー、誘われてない」と冗談で言ったら「だってジャッキーさんどのみち断るじゃないですか」と言われ「確かに……」となった。ええ、これらはさすがにもう全部冗談で、「誘えよ! 断るけど」と言いたいのではない。つまりですね、夜学バーというお店は「そういうふうな属し、つるみ、馴れ合いがまったくできない」ということなのです。性質として。それは僕が選んだ道なので文句はないです。でも、「さみしくなることは誰にも止められない」ということも認めていただければ幸いなのです。勝手なことではありますが。
 どことも群れず、孤高として、ゆえにこそ「界隈」を無視していろんな人たちがバラバラにランダムに集まってくる、それが夜学バーのいいところで、特定の「界隈」に所属してしまったら終わり。どこにも偏らず宙ぶらりんでいることこそが夜学バーの良さではある。それでこそオアシス、逃げ場にもなる。一切のしがらみ、利害、噂話が存在しない空間を保つためには、孤独でいるほかはないのだ。しかし、それにしても、なんか、どう考えても、どことも仲良くできていない気がしてならない。
 いつでも仲間はずれにされている感覚がある。僕がそういう態度をとっているんだろうとは思うが、みんな勝手に「そういう態度」だと思い込んでいるだけだとしかこっちには思えない(被害妄想?)。おそらく一般常識における「仲良くする」ということと、僕の考えている「仲良くする」ということの間に決定的な齟齬があるんだと思う。世間でいう「仲良くする」というのは「属し、つるみ、馴れ合い、群れ」といった要素が必ず入る。そうであってこそ「お客を回しあう」とか「宣伝しあう」といった相乗効果も高まる。その点でたとえば「ヒットアンドアウェイでスポット的に仲良くする」みたいなことってたぶん非効率で、「その瞬間に面白い」という以外のメリットがあまり見込めない。僕はそういうことがかなり好きなのだが、世間ではどうなんだろう。
 僕は「仲良くするのにはいろんな形があって、お互いの性質や状況に応じて適した仲良しをするのが良い」と考えるわけだが、そんな面倒なことをいちいちやっていられるほど世間の人は暇ではない。経営上のメリットが明確に見えないのに余計なコストをかけて仲良くする必要などあるわけがない。僕は「仲良し」のためにお店をやったりお店に通ったりしているのだが、誰もがそうであるわけではないのだ。
 そういう認識を共有しているお店もある。件の「喫茶みずのみば」(新潟・内野)など典型だが、都内にもはるか遠くにも、「仲良し」だと思えるお店はいくつもある。それでもさみしがっている僕が贅沢なのだが、好きなものは多いほうがいいし、仲良しだって多いほうがいい。それこそが「世の中を良くする」の極意だと信じている。
 まさかとは思うのだが、みんなそんなに「ジャンル」でものごとを考えているのか?と訝しみたくなる。「お酒を出している古本屋」の店主2人に、「ジャッキーさんも古物商をとったら」と勧められたことがある。なるほど僕も古物商をとりたい、というか取る予定ではある。ケーサツに行くのが怖くて進めていないけど。夜学バーが古物商をとったら晴れて「お酒を出している古本屋」というジャンルに近づけて、そうしたらその2人とももっと仲良くできるのだろうか? ようやく「同業ですね」と言い合えるのか? むろん、それで近づいたって何も嬉しくはない。その人たちとはすでに仲がいいはずなんだから。いや、それもわたしの、ひとりよがりか?(参考文献:太宰治『走れメロス』)
 そして事態は「片想い」というほうへ向かっていく。待て次号。

2025.10.6(月) 片想い

 ここ数日僕はソワソワしている。批難が聞こえてくるからだ。自分の頭の隅から。日記にひたすら書いていることは愚痴か悪口にしかほぼ見えない。「そうじゃないんだ」と言い切れるほど愚痴でも悪口でもないわけでもない。愚痴でも悪口でもあるかもしれないけどそれ以上に意味のあることを書いているつもりなのだ。それがどこまで(程度の問題)、どこまで(範囲の問題)伝わるかが不安でならないわけだ。しかし続ける。

 最初に言い訳をしておきたい。これから書くことは「勝手な言い分」でしかない。「勝手な言い分」なら言わないでおいたほうがいいのに、どうしても言いたくなってしまうのが「嫌われる原因」なのだと今のところ自覚しているし、そもそもそんなことを考えるのも「性格が悪い」ってことだと思うので、それもまた嫌われる原因だと思う。そして片想いが両想いにならない原因でもある。そんな人間は不気味だし、怖いだろう。敬遠したくもなる。こんな文章を進んで(金出してまで)読んでくれているみなさま、本当にありがとうございます。

 恋愛と呼ばれるような文脈において片想いは邪悪を生み出しがちである。片想いは字の如く「一方的な気持ち」なので、それを表に出すのは基本的にはよくない。秘めておくほうがいい。あらゆる人間関係においてそれは基本だと思う。
 僕は気が多くて、片想いをたくさんしている。それは単に「好きな人やものや場所が多い」というだけである。しかし「好きです」とまっすぐ口にすることに意味なんてまずないので、言うことはない。「いいな」と思いながらただ接するだけである。
 このような片想いが報われるのは当然、「向こうもこちらのことが好きである」という確信を得たときだ。至福である。そのために片想いの僕は「いい子」「いいやつ」でいようと心がける。好きなお店では「いい客」であるようにする。
 でも、昨日書いたのと同じようにおそらく齟齬がある。お店にとって「いい客」とはまず常連であることが最低要件で、たまにしか来ない人間に価値はない(ないし低い)とさえ思っているお店もある。実感としてそう思う。やはり常識というものにおいては「属し、つるみ、馴れ合い、群れ」が心地よく安楽で、たまに現れて場をかき乱す「トリックスター」を求めてなどいない。
 ただし、地方のお店になるとやや事情が違う。とりわけ政令都市未満の地方都市や田舎の町であれば、見知らぬ来訪者は稀すぎてそれだけで「イベント」となり、1年ぶりに顔を見せてもまるで昨日のように「ああ、どうも」なんて軽く接してくれたりする。1年間特別なことがほぼ何も起こっておらず、僕の来訪がまさに1年ぶりのイベントだったりする。そういう場合は毎度けっこう歓迎してくれて、お互いにたぶん心地が良い。
 都会のお店は「ほどほどの刺激」が常にあるので、「それ以上の刺激」はノイズになる。ジャッキーさんとかいう人がたまに現れても調子狂うだけだったりする(被害妄想?)。「平和な場を壊しに来た」とさえ思われていかねない、とまで言ったらマジで被害妄想だな。まあ半分は冗談として。
 僕はけっこう頑張って、スケジュール的にも酒量的にも経済的にもそれなりに無理をして「片想い」のお店に行ける限り通っているのだが、それは先方にとって良いことなのだろうか? もし本当にまだ「片想い」なのであれば無論、特に良くもない可能性はある。「たまにしか来ないくせに自分の店の宣伝なんかして……」と思われていかねない。妄想、妄想、また妄想!
 続けるぞ。「あー、この人が来るといちいち常連さんに紹介とかしなきゃいけないし、内輪話で盛り上がると疎外感を与えちゃいそうだし、面倒だなあ」とか思われる可能性だってある。そういうネガティブな思いつきなら無限に出てくる。どう考えたって世間は「常連さんを大切にする」という信念にみちみちており、「年間に50万円使う人間と、せいぜい1万円しか使わない人間」であれば50倍の格差があって同じ一票を握れるわけがない。お金の問題だけではなく、「年に150回来る人間と3回しか来ない人間」と考えたっていい。お店をつくっているのは普通に考えて前者なのだ。後者はノイズであり、邪魔で、不要という考え方もあることはある。もし後者の人が前者の人を怒らせて、「もう二度と来ない!」と思わせたらいかほどの損失か? そういうリスクを背負ってまで「たまにしか来ないヤツ」を受け入れる必要があるのか?と。

 夜学バーの考え方は非常に特殊で「常連などない」だから、よく来る客だろうがたまにしか来ない客だろうが同じように接するのを原則とする。たぶん経営効率としては間違っている。しかしよく来てくれる人たちもそういうところが好きで来てくれているのだから、これはこれで成立していると思うしかない。「いつ来ても同じメンツ」ではなく「いつ来ても違う空気」というのを目指しているわけで、そういうお店がそんなに多くはないのだから、スキマ産業としてなんとか頑張って行けているわけだ。僕が霞食ってるからではあるけど。歯を食いしばって、満腹中枢を刺激して。

 よく「この人は〇〇さんって言ってね、上野でバーをやってる人なの」みたいな紹介を夜のお店で受けるのだが、これは「その場にいるほかの全員が常連」だからそういうことが必要なわけである。なんか知らんやつが来た、なんやこいつ、いえいえこの人は怪しい者ではなく、たまに来てくれる人で、ちゃんと素性もわかっているので安心してくださいね、簡単なプロフィールを教えますからうまいこと話を展開させて、仲間はずれにしないようにね、という優しい計らい。そうすると皆様気を遣ってくださって、「上野」という言葉について知っていることをすべて話していただける。ありがたやありがたや……。「常連ベース」のお店のコミュニケーションというのは大概がこういうもので、僕のような風来坊はそこに「入れてもらう」しかない。そうでない雰囲気のお店に巡りあえると本当にホッとする。

 こうやってあれこれと「こうかもしれない、ああかもしれない」と思い悩んで苦しんでいるのって、まさに「片想い」って感じしませんか? そういうことでしかないんですよね。バグってんでしょうね。僕は。「店」っていうもんが好きすぎて。あるいは人間のことが。
 好きな店や人、あるいは仲良くしたい店や人はたくさんあるんだけど、成就した気持ちになれることは少ない。「常識がない」だけでなく「相手との価値観の不一致」のせいでもありそうだ。
 最近は極めて徒労感を覚えている。片想いが義理で返ってくることだって当然たくさんあるし、その義理に義理を返さなければ「不義理」にもなる。しかし義理ってのは常識のお友達だから僕にはだいぶ苦手なのである。自分というものがいかに不完全で醜く奇妙な生き物か思い知らされる。
 もちろん、ゼロヒャクで考えてほしくはない。僕にだって「両想い」の相手はいる。いるはずだ。いなくてはならない。しかしこれまで僕はそれをめざして無理をしすぎていたのかもしれない。勝手にがんばって、ひとりよがりに空回りして、ただ先方に負担をかけていただけって場合も多かったのかもしれない。
 年も取ってきた。引き払ったほうがいい。

 と終われば暗い印象になってしまうが、いま僕は極めて快活で明朗である。これは反省であり、訣別でもある。「片想い、いみない」って改めてハッキリ言っておこうと思ったわけ。なんか一人でリアルインターネットしようとしてたけど、みんなそんなに現実でインターネットするの好きじゃないっていうか、そもそもインターネットをそんな好きじゃないんだな。

 インターネットの(そして「お店」というものの)素晴らしさは、「界隈」というものがなくてもそれこそ「ヒットアンドアウェイでスポット的に」つながることができることだったりする、と僕は信じてきた。そういう仲間、友達を探すために使ってきたのが「片想い」という手法だったのだと最近悟った。でも僕の片想いはそうそう成就しない。それを認めなければならない。

2025.10.7(火) 夜学通信の可能性

 仲良くしている(と僕は思っている)人から「〇月のウチの☓☓、ぜひジャッキーさんにお願いしたくて。今度詳細を送りますね~」と言われたきり、何も起こらず何も言われず、もう2年くらい経ったかな。もしこれ読んでたらBBSに書き込みでもください。口約束が朽ち果てるのはよくあることなので気にしておりません。しかしなぜ朽ち果てたのかといえば、ひょっとして僕が嫌われた可能性も大いにあり、「ハァ? どの口が言うんだよ!」ということでもあるのかも。そうだとしたらおそらくちゃんと謝ります。

 好きなお店から「ウチで冊子つくって、お客さんやいろいろな人に寄稿してもらうんですけど、ぜひジャッキーさんにも書いていただきたい」と言われたこともあった。応募しそびれた。これは僕のせいで、申し訳ない。ただこれも口約束のようなもので、その後DM等で「お願いします」と言われてはいない。Txitterで募集は見かけたので、たぶんそこに送ればよかったんだろうな。

「一緒になにかやる」が実現したことがほとんどない。取材が来てもほとんど使われないし。使われても反響はない。まぁそれは僕のせい。極めてわかりにくいことしかやっていないので、一緒に何かをやるということが難しい。コーヒーをこだわっていたら「コーヒーだけで出店」みたいなことができるんだけど、そういうわかりやすい商材があるわけじゃなくて、主役は空間でしかないから。出張夜学バーっていうか、いろんな店で僕が立つ、みたいなことをやってみたいんだけど、その需要も(僕が売れてないから)特になくて、まあこの場で静かに営業するしかないんでしょうな。

 ぐちぐち言っててもしょうがないんで多少前向きなことを考えると、「夜学通信」みたいな紙切れを封筒に入れて各所に送りつけまくりたい、ってのはずっと考えている。季刊くらいで。もう「一方的なコミュニケーション」に全振りしたほうがまだマシなんじゃないかと。ズルズル片想いするよりラブレター送っちゃえ。恋愛ならだいぶ邪悪だけど、お店からの迷惑郵便くらいならまだいいんじゃないでしょうか。
 郵便の最安値は110円、100箇所に送ったら11000円。スゲー出費だ。思い切ってやってみてもきっと手応えなく、「いみない」とか言って病むことが容易に想像できる。
 それも結局「片想い」に終わっちゃうってことなんだよね。勝手にあちこち送りつけるんだとしたら。両想いのところにだけ送るのはそれこそあんまり意味ないっておもっちゃう。もう両想いなんだから。でもそれによって「両想いである」という確認はとれるか。たとえば「送ってほしいお店募集!」みたいにやれば。それも悪くはない。
 ネットプリントだけじゃだめなんよね。同時にやるのはいいかもしれないけど。

 お客が来た。

2025.10.8(水) 10/3金 上越・高田

 10月3日の金曜日から6日の月曜日まで新潟県へ旅行に行ってきた。
少しずつ思い出を辿りながら旅行記を書いていこう。

<3日・上越編>
 今回は珍しくかなり のんびりとした出発。いつもは旅先で存分に遊びたいがために早朝出発、早めの観光が常だ。しかし、これだと前日の仕事で体力が持たず、朝早く起き、旅先で疲れて寝不足になるか、宿で寝潰すパターンに陥りがちだった。これはいけない、今回は思い切って遅めの出発に踏み切った(貧乏性なのでそういうことがなかなかできない)。家事などやるべきことを済ませ、家を出たのは昼過ぎだった。
 上野駅から新幹線に乗ったのが14時30分。上越妙高に着くのは16時過ぎになってしまう。だが、これが後に「怪我の功名」となって効いてくる。
 そこから目的地の高田駅へは電車でも行けるが、乗り換えで待たされること、翌日のライブのためのギターを背負い荷物も多かったことから、自転車を組み立てて走った方が楽だと判断した。また今回は新しい自転車用品(マイニューギアー)を試すのも目的の一つ。折りたたみの愛車「キャリーミー」はコンパクトだが荷台がない。普段はリュックだがギターを背負うため背負えない。そこで急遽、自転車専用バッグとその取り付けギア「バッグマン」を購入、試すことにしたのだ。
 2駅分をニューギアーと走る。道中、「プー横丁」は残っていたがお休みだった。高田で2番目に好きな喫茶店「秋」は建物ごと跡形もなくなくなっていた。更地、草が生い茂る。しばらく行かない間に閉店したようだ。ちなみに直江津の「なおえつ茶屋」も9月半ばで閉店とネットで見た。さみしい。
 しょげながらも「壱番館」でカレーを食べ17時ごろ、毎度の目的地「シティーライト」へ。看板の明かりを見るといつもワクワクする。螺旋階段を上がった2階。92歳のおばあちゃんが一人で店を営んでいる。本当に元気、あと5年10年続けてほしいと願うばかりだ。
 ママは依然受け答えがはっきりしており、好奇心旺盛で、ものづくりも続ける偉人。本当に素晴らしい方なのだ。みなさんもぜひ、無理にでも予定を作って足を運んでほしい。今回だって目的地は新潟市内なのだが、わざわざ特急で2時間かかる上越に寄り道している。たった一軒の喫茶店のために。そのくらいの価値はある。
 ちなみに今回はJRE Bankの優待割引券を利用し、乗車券+特急料金が4割引。途中下車も可能、なんとえちごトキめき鉄道の区間(まさに高田駅がそう)で乗り降りしても追加料金がかからないという優れものだ。
 1時間ほど話した。至福の時間。ママさんが好きな「山に庭を作った写真家の本」などを見せてもらう。年寄りがゆえのみでない、友人としての刺激を与えてくれる。知らない世界や、素敵な活動をしている人間のことを教えてくれるのだ。もちろん、年を重ねた人ならではの知恵や知識、記憶も豊かで、本当に心を打つ。
 最近は足が悪くなってきたため朝5時半に起きてから2時間かけて体を整えているそうだ。以前は10時ごろ開店だったが最近13時に変えたらしい。もし僕がいつもの貧乏性で早起きし10時や11時に来ていたら、「あれ、開いてないな」とそのまま直江津方面へ移動してしまっていたかもしれない。のんびり来たから会えたわけだ。これが「怪我の功名」の種明かし。

 ママは当然、僕や夜学バーのことをちゃんと覚えている。「若返ったんじゃない?」「いつまでも変わらなくてすごいわね」と言われたりしたが、「そりゃママのほうだよ!」と心の中でツッコミを入れつつ笑ってしまった。
 お暇。「スイミー」という本と日本酒と美味しいおつまみのあるお店に寄り道、太宰治の『美少女』という短編を読む。めっちゃキモくて笑った。おすすめ。帰り際、夜学バーの宣伝もしておいた。領収書作戦で。たぶんこの店に「あまいぞ!男吾」の手ぬぐいを忘れてきてしまった。

 ところで電車の話。本来は高田駅から特急「しらゆき」に乗って新潟駅まで行く予定だった。JREポイントを貯めむとえきねっとで事前予約しビューカードで決済していた。しかし上越妙高で発券し忘れてしまったのである。えちごトキめき鉄道の高田駅ではえきねっと予約が発券できない。上越妙高か直江津まで行かなくてはならない。
 戻るのはしんどい。調べたところ、高田からの特急料金は2190円、直江津からだと1860円で330円の差額が生じる。払い戻し手数料は220円だから差し引き110円。またえきねっとで予約してから発券すればJREポイントも貯まる。これだな。
 すなわち、特急券の差額と払い戻し手数料を瞬時に計算し、110円安くなる上にJREポイントまで貯まるという「工夫」をしたわけだ。普通の人なら高田駅で特急券を買い直すのだろうが、「一円でも運賃が安くなると嬉しい鉄」として許せない。常に考えているのは、何が自分にとって得になるのか、どうしたらよりお得になるのだろうか、という点だ。ケチというより「タダでは起きてやるものか」という感覚。
 お金の問題というより、ゲームなのだ。僕にとって、鉄道の旅をするのは。ゴールは節約ではなく、「よっしゃ安くできた、嬉しい!」という成功の快感。
 テレビゲームやスマホゲームはほとんどやらなくなった(依存するので)が、ゲームは本当に好きなのだ。生活をゲーミフィケーションすることが何より楽しい。地方都市を回り、お店を回ったり友達を作ったりすることは、まさにRPGのゲームの世界だと思ってやっている。めちゃくちゃ楽しい。
 自転車に乗るのも縦スクロールシューティングゲームだと思ってやっている。FPS(一人称視点)ではなく。思えば僕が好きなのはドラクエ、縦シュー、スパロボとかで、すべて俯瞰的な三人称視点。一人称モノは苦手かもしれない。普段の生活でもやたら頭を打ったり腕や足をぶつけたりする。ドラクエみたいに自分を動かせるようになったらそういうことも減るのかも知れない。

 直江津駅では特にやることはないのでそのまま特急に乗り新潟へ。新潟駅に着いたのは金曜の夜だ。普段はお店があるため金曜日に地方都市にいるのは非常に新鮮でウキウキした。宿は1700円のカプセルホテル。直前割で安くなっていた。寝るだけなら十分だし荷物(特にギター!)も置いていけるので助かる。チェックインをすませ新潟の繁華街、古町へ。金曜日なのでほとんどの店が営業している。嬉しい。
 続く。

2025.10.9(木) 10/3金 新潟古町、紫竹山

<3日・新潟編>
 以前大変よくしてもらいお歳暮までいただいたスナック「みどり」に行ってみることにした。ジエンド(閉業のこと)疑惑もあって不安だったが、近づいてみると煌々とした灯りと大音量のカラオケに感動、「やってるやんけ!」と喜びつつ、やたら盛り上がっているし店前で電話している人もいたため少し時間を置くことに。
「1173(いいなみ)」というお店へ。お茶と日向夏の生ビールをいただく。店主のお姉さんと世間話をする中で僕が老舗の喫茶店や飲み屋を回っていると話すと「そういうの好きなら」と近所の老舗スナックをいくつか教えてくれた。これもまたRPG的で楽しい。お会いするのは3~4度めでインスタでも繋がっているのだが、「ある条件を満たすと特定の情報が得られる」というゲームスイッチ的なものがまた新しく押された感じがした。いやもちろん、人間をゲームの登場人物として扱っているというのではなくて、後から振り返るとそういう解釈もできるなってこと。フツーに僕はあったかい人間です。

 再び「みどり」へ。時刻は23時ごろ。
 改めて解説しておこう。ここには以前も訪れたことがあり、店主は80歳ぐらいのおばあちゃん。「女性呼ぼか」と言われて来た女性が70歳ぐらいだった、という微笑ましいエピソードを書いた。その時はママさんに本当によくしてもらい、お歳暮までいただいた。ありがたいことで、また来なければと強く思っていたのだ。
 意を決して入ってみると、団体客でほとんど満席。一応ボックス席の方で、お客さんが気を使って僕が座る席を空けてくれたため、カウンターに座る。女性従業員(「女性呼ぼか」で呼ばれた方だった!)に「何飲まれますか?」と聞かれたその瞬間にママさんが登場、衝撃の一言。「今日はもうダメだから! 帰って!」
 しかしお歳暮までいただいた仲(?)、せめて挨拶だけでも。「アッ、あの以前その……」と説明しようとするも聞く耳持たず。「もうわかってるでしょ! 団体さんが入ってるんだから! とにかく出てって! お引き取りいただきます!」と僕のすべての言葉を遮り尽くす。
 最後には、想像を絶する凄まじい力(パワー)でママは僕の腕を引っ張り、物理的に外に追い出された。従業員の女性は「いいじゃないの、ご本人がいいって言ってくれてるんだから」とフォローしてくれたものの、ママは頑として厳しく「ダメ」の一点張り。僕は「またお邪魔します」と頭を下げつつ、心中は呆然とするしかなかった。
 普段なら100パーセント悲しくなり、完璧に塞ぎ込むような状況だが、あまりにも展開が面白すぎて、悲しみやつらさ半分、面白さ半分といった感覚。「お歳暮」から「腕を引っ張られて追い出される」という転落はあまりにも面白く、意外とへこまずに済んだ。ともあれ「みどり」滞在は一瞬に終わり、別の店へ。

「夜学♭待夢来燈」。この店名は僕の「夜学バー」から取られている(主張しときますよ!)。「時屋」というお店のママにショップカードを渡したら、それが息子さんに渡り、その方さんが「夜学♭」を立ち上げた。しかも「ブラット」(夜学バーの旧屋号)ではなく「フラット」て。アウトー! 完全にルートは特定できている。ちなみにお店の中身はまったく夜学バーっぽくはなく、特にリスペクトも感じない。名前だけ参考にしてくださったようである。
 この夏で1周年を迎え、キープボトルも増えてきている。安心した。せっかくだから長く続いてほしい。かつて古町にあった「森亜亭」のマスターも通ってきているらしく、思わずDMしてしまった。また会いたいものだ。新潟の世間はそれにしても狭い。

「四ツ目長屋」へ。古本屋も兼ねた新潟きっての文化的スポットだが常に下ネタが飛び交うアングラな空気。古町の文化的「闇」を一身に背負っている。
 お店も店主も僕は好きなのだが、このような「闇」の店が良く機能するには同レベルに教養や知性を備えた「光」の店も必要なはずだ。「オレンジストリートブックス」もバーと古本屋のハイブリッドでやっていて、こちらは「光」に寄っている。ただ飲食店としてのパワー(人々の熱量)は四ツ目に及ばず、もうちょっと「光」があったほうがたぶんいい。光と闇のバランスが取れてこそ街の文化は豊かになり、果てしなく伸びる。夜学バーがあれば一番いいんですけどね~。

 その「光」になり得るかもしれない(しれなかった?)お店が、新潟駅から南に遙か紫竹山なる「ぺがさす荘」。ここはきわめて文化度が高く、また比較的「光」である。しかしいろいろあって(いやー、実にいろいろあったようなのです)最近は週末のみの縮小営業。
 金曜だから行けるはず。時刻は深夜1時過ぎ、電話しても出ない。だが一か八か行ってみた。偉いよね。
 ぺがさす荘は店主の自宅を兼ねたフツーの一軒家。玄関の鍵は開いていた。恐る恐る侵入すると店主が現れ、「ごめんなさい、寝てました」と軽く応じてくれる。この「軽さ」がいい。ありがたい。
 1時間ほど話す。元気そうで安心した。メニューなども縮小していたが、ともかくぺがさす荘は「続けていく」つもりらしい。嬉しい。「四ツ目との差別化」もちゃんと意識しているようだ。「四ツ目」「オレンジ」「ぺが荘」と、「文化があって飲みながら話せる」ような空間が新潟市中心部にもいくつかはある。もうちょっとだけあるともっといいんだけどな。実際ほかにもあるにはあるんだが、光が強すぎて僕には眩しすぎたり、闇が浅くて物足りなかったりするのである。
 宿に戻り6時間ほど眠った。


 1日語るだけで結構時間もかかったし疲れてしまった。これは掃除や洗い物など家事をしながら喋った内容をAIにまとめてもらったものだ。これがうまくいくなら、僕の文章が好きな人にはどうかわからないが、ちょっとお試しとして口述筆記まとめをやってみようと思う。とりあえず1日目、リリースしてみる。では。


 さて「AIに手伝ってもらった旅行記」いかがだったでしょうか。53分しゃべって、文字起こしさせてデータ取り出してGeminiに突っ込んで体裁を整えさせるまでが30分くらい、それを原稿として完成させるためにあれこれ調整したり加筆したり直したりに結局2時間くらいはかかったかな。もうちょっと慣れたとしても全体で3時間はかかる。はじめから全部自分でやるのとどっちがいいんだろう。とりあえず面白いので今回の旅記はこのノリでやってみます。歩きながら喋るのとか試してみる(きちがいっぽい)。

2025.10.10(金) 友達ロンダリング

 美墨なぎささんお誕生日おめでとうございます。
 書きたいことが多すぎる~←歌ってる

 僕の実家の最寄り駅は大曽根駅で、中学の学区は上飯田というきわめて治安の悪いエリアを含む。大曽根中学校は誤解を恐れずに言ってスラム状態で、不良たちによる恐怖政治とそれを押さえつけるために凶暴化した教員たちによる恐怖政治とのコラボレーション地獄。兄が不良だったこともあり僕にも不良の友達が多かった。
 かの名門「向陽高校」への進学によりそこを抜け出し、演劇部の大会を通じて東海高校という中部地区ナンバーワン(多分)の進学校の名誉生徒となる。これはけっこう重要なロンダリングだったと思う。もし東海との付き合いがなかったら僕は早稲田ではなく愛(知)教(育)大(学)とかに行っていたかもしれない。仮にしっかり勉強できたとしてもおそらく名古屋大学(教育学部か文学部)を選んだだろう。まったく人生は変わっていた。
 演劇部に入ったのは中3のときにSaToshi先輩のホームページを読んでいたのが大きいので、インターネットがなければそういうことはなかった。ありがとうインターネット。
 東海勢との邂逅により「地元・公立志向」の環境に「土地問わず・高学歴志向」という発想が取り込まれ、「早稲田、そういうのもあるのか」とわりに容易く志望校が決まった。そして東京へ出ることになる。
 そこからしばらく「ロンダリング」という感覚は特になかったんだけど、夜学バーを始めてから立地&コンセプト上とみに「自分より圧倒的に頭のいい人間」に出会う機会が増えた。学歴でいえば東大であったり、超一流の中高一貫校出身であったり。もちろん夜学に通ってくれる人たちはみな一様に「いいやつ」であって、ありがたいことに僕に対するリスペクトも深い。上京してから夜学バーを開くまでの期間は、「自分より圧倒的に頭の良い人間からちゃんとリスペクトされるような人柄と能力と実績を身につける」ためにあったんだなとちょっと思う。
 本当に、なんでこんなに頭のいい人間たちが僕のことを見下すことなく、対等に、どころかむしろ尊重して接してくれるのか。いちいち口にすることはないがいつも感動し感謝している。
 いわゆる「いい学校」に行く人たちのほとんどはハッキリ言って生まれながらの知能がずば抜けており、僕にはそこまでの頭はない。平均よりは優れていると思うが、記憶力とか回転の速さとかは上には上がいて僕はそんなに上のほうではない。そういう人たちと僕のようなものが対等に話をするには「後天的に身につけられる頭のよさ」を磨いていくしかなくて、それをひたすらやっている自負はある。「俺たちみたいに素質も才能もないものはこうやるしか方法はないんだ」(ちばあきお『キャプテン』より、by谷口)
 そのことはひょっとしたらある種の人々にとっては希望かもしれない。もちろん僕だって生まれつきけっこう頭がよかったが、それだけでは夜学バーみたいなお店はできない。逆に、「生まれつきめちゃくちゃ頭がいい人」にも、夜学バーみたいなお店は難しいんじゃないかとも思う。
 念のため記しておくが夜学バー含む僕のまわりにいる「そのような頭のいい人たち」はごく少数だし、当たり前だけどふだんは「頭がいい」みたいなことを意識して暮らしてなどいない。僕はとにかくいろんな人と仲良くしていたい、それだけであって、一例としてたとえば自分より圧倒的に「頭がいい」ような人とも仲良くできているのが嬉しいなあ、というだけのことを言いたいのであって、「オレの友達頭いいヤツ多くてさぁ~」みたいなタワケた話ではございません。そんなことはどうでもよく本当に僕のまわりにいる人たちはみんな「いいやつ」で、そこはしっかりと誇らしく思っております。

2025.10.11(土) お米を洗えるのはお米だけ

 こないだここの熱心な熱心な読者の方がお店においでになり、たんと褒めていただいた。定期的に褒めてくださる。いつも帰り際「また溜まってきたら」的なことを言ってお帰りになる。ちなみにその日(10日)は銀座時事通信ホールのタイタンライブ帰りだったようで、チケットを自慢された。
 いろいろな記事に言及してもらったのだが「最近の自己分析ものもいいですよ」との一言は特に印象に残った。「自己分析もの」か。そうなのだこれは自己分析なのだ。「自己分析で遊びたいときだってたまにはあるだろう」(元歌:shame『ロールシャッハ』)てなもんだ。僕はいつでも遊んでいる気がするけど、ちゃんと参政党の分析(?)とかもしている。それも「さすが」と褒めてもらった。僕は褒めてもらうと単純に喜ぶし執筆等々活動の原動力にもなるんでみなさまぜひ折を見て褒めてください。特にこのホームページはライフワークでございますから。ライフワークバランスを整えていきたい。

「お米を洗えるのはお米だけ」という言葉がある。お米研ぎ研究家みたいな人が言ってた。お米を研ぐときは手で洗うんじゃなくて水流をつくることによってお米どうしが互いに洗い合うようにするといい、みたいな話だったと思う。
 そこから「人間を洗えるのも人間だけ」みたいな人間論?的なものになっていったんだったかな。なんだってそうなのかもしれない。髪の毛も手で洗うよりは髪の毛同士が洗い合うほうがいいのかもしれませんね、いや根拠は何もありませんので話半分で。
 自分を研ぎ澄ませるのは自分なのです。僕は米を研ぐようにこのホームページをやっているような気がしている。書き進めるほどに削ぎ落とされてだんだん純粋になっていく。特に「自己分析もの」はこの作業そのもの。自分はいったいどういう人間なのか。自我とは一体なんなのか。ずんずん精米されてゆく。日本酒にしたら澄んだ味わいになる。

 最近「仲間はずれ」ってことを書いた。これはけっこう長い間思っていることだった。夜学バーは飲み屋の界隈からも(古)本屋の界隈からも相手にされない。誰も僕と群れようとしてくれない。むろんその原因は僕の態度にもある。近寄りがたい雰囲気がある。また実際、夜学バーの言うことやることは曖昧かつ多岐にわたり、わかりやすい専門性に欠け、一緒に何かをやるヴィジョンは浮かびにくかろう。
 そこまではずっと思っていた。新しくピンときたのはその次に書いた「片想い」である。僕は気が多すぎるのだ。いろんなものを愛しすぎてしまう。端からは「頑迷で好みにうるさく、嫌いなものが多い」と見えるかもしれない、そういう面も確かにあるが、たぶん嫌いなものより好きなもののほうが何十倍も多いし、想いも深い。嫌いなものにエネルギーは注がないが、好きなものにならいくらでも注ぐ。だって僕は自称、とってもいいやつですから。
 パッと無関心になれてしまう、というのはある。プラスのエネルギーがマイナスに転じることはまずない。ゼロになるだけ。もう新しく人を恨むことなんてないと思う。高校生まででもう飽きた。
 片想い。他者に向けるプラスのエネルギー。これが僕は多すぎて、強すぎる。成就されない「それ」に「片想い」という名前を与えたら、あれもこれも「それ」に見えてきた。報われているか?という疑念が次に来る。報われる必要もないんだが徒労は御免被りたい。時間がないのだ。
 ものすごく楽になった。「ああ、これは片想いか」という決着の付け方に。「それもわたしの、ひとりよがりか?」である。走れメロスである。短期間に二度も同じ箇所を引用してすみません、しかし極めて重要なフレーズだ。物語全体の転換点でもある。あの瞬間、メロスは自他の境界を知り、自我を芽生えさせた。だからラストは「赤面した」で終わるのだ。他者の視線を獲得したから。そーゆー国語の授業みんな受けたいよね? 依頼してね。
 僕は夢を見ていたのかもしれない。「セリヌンティウスも自分のことを信じてくれているはずだ」と無条件に思い込んでいた。片想いに過ぎぬかもしらんのに。
 また少し米が削られていくわけだ。そうやってほとんど何もなくなるのが僕の老後。

2025.10.12(日) 有料化から3年!

「このホームページは有料! シェアウェア!」と強弁し始めてから3年が経過しました。みなさま思い思いの方法(現金や柿など)でご支援くださいまして誠にありがたく存じます。収支報告をしっかりやろうと思ってはいるのですが、もうちょっと僕がエーアイをサクサク使いこなせるようになるまでお待ちください。僕の希望はもうエーアイにしかありません。日記の書籍化もエーアイさんにお願いすればいつかなんとかなる気がしております。

 僕もそれなりに色々なことをしてお金を得てきましたが嫌なこと、ストレスフルなこと、気が進まないことは本当に苦手で、ふだん根性根性ど根性と言っているくせそこに関する堪え性は皆無。ンマ人並み以上に我慢はできますけれども「これは自分にとってもよくないし世の中もよくしない」と判断したら即刻辞める、その意味での辞めグセは確固たるもんです。
 続いているのは、お店と、取材原稿くらい。どちらも「行けばなんとかなる」点で共通しております。学校の先生も「行けばどうにかなる」ですね。ただ、もちろん楽なこと楽しいことだけではなくて、取材のあと原稿を書くのは億劫だし授業以外の事務仕事も好きではない。お店についてはおおむね苦ではないがそれでも在庫管理とか経理とか苦手な部分はかなり多い。
 ホームページ、ことにこの日記をつけることについては何の苦しみもございません。そりゃ好き勝手なことを書き散らしてるだけなんだから苦しいわけがない。しかし不思議なことにWeb日記が「続く」人というのはごく限られていて、たいていはいつか止まる。僕はなぜか書き続けている。向いているのだ。
 日記についても「行けばどうにかなる」はあります。日記ってのはわりとそういうもんだと思います。高校のころ、本当に毎日欠かさずその日のうちに更新していたような時期は「エディタを開いてから何を書くかを考える」のが常だった。何もないような日も一所懸命絞り出す。学校帰りの自転車の上で考えることも多かったけど、あれは至福の時間だったな。文章が次から次へと湧いてきては消え、「なぜここにPCがないんだ!」と憤ったものだ。
 しかし、ふつう日記は商売ではない。苦のないところにお金はやってこない。むしろお金は出ていくばかりの趣味である。Webの場合は特に。
 そこをひっくり返そうというのが「ホームページ有料化計画」なわけです。noteでやれば?と思われるかもしれませんが、あれは僕にとって「苦」なのでやりません。ブログが楽な人もいればそうじゃない人もいるのです。僕にはホームページのほうが圧倒的に楽。ゆえにホームページがマネタイズされなければならない。他の形式ではストレスが生じる。
 僕はストレスをとにかく避けたいし、避けて生きてきた。ホームページにはストレスがほとんどないので、これをこのまま商売にしなければ「真にストレスのない仕事」は僕に訪れない。「このまま」というのがポイントである。売れるために毛色を変えたり、お金をもらっているんだからと読者におもねったりしてはいみない。「このまま」のホームページを売らなければならない。それで「全人類に公開しつつ有料でもある」というシェアウェア方式、すなわち投げ銭型にしているわけだ。
 通常シェアウェアというのは無料だと機能が制限されたり一定期間をすぎると使えなくなったりするのだが、このホームページは今のところ「永年無料、機能制限なし」。課金勢にはなにかインセンティブをつけることも必要な気はしていて、考えてはいるのでしばらくお待ちください。裏日記(2000~2001年ごろ実在)にでも招待しますか?
 当たり前だが、「バズらない個人が好き勝手に書き散らしている不親切な日記」に需要は少なく、閲覧者も多くはないし課金する人もごく少ない。ホームページによる僕の収入は目に見えるものだけだとまだまだ低いが、目に見えない経済効果(お店に来てくれるとか、ごちそうしてくれるとか)もけっこうあるので現状かなり満足している。でも、もっと一所懸命更新して、できるのならば「お金を支払いやすい環境やインセンティブ」なんかも苦じゃない形で整備して、もう少しこの収入を増やしていきたいものだ。そうでなければ僕にとって「お金を稼ぐ」ということが「苦」になってしまう。そうでなくする革命を、少しずつ推進しているというわけ。みなさまどうかどうか。
 今のところは「おこづかい」ページにあるルートから定期的にお支払いくださる方もちょこちょこいて、お店などで手渡ししてくださる方もいらっしゃる。むろん帳簿にはちゃんとつけている。申告するからこそホームページにまつわる支出が経費にできるという論理である。ライター業いまあんまやってないもんで。依頼があれば何でもたいていお受けします。基本的に書く仕事は「苦度」が低いので。
 もちろん現物やごちそうや「一杯どうぞ」、また笑顔とか労働とか褒め言葉とか関係とか様々なものによって「支払い」にかえてくださっている方もたくさんいる。金銭だけがすべてではない。僕なのだからもちろんそう考える。だけど金銭もある程度は確保しなければ上記革命は実現しない。牛歩でがんばっていきます。

2025.10.13(月) みんなへの片想い

 とても嬉しいことがあった。今朝目を覚ました時に……じゃなくって(参考文献:ピチカート・ファイヴ『悲しい歌』)、最近。
 2019年、ある高校生が初めて夜学バーに来て「いいお店ですね」と言った。この一言を僕はずっと忘れない。一言っていうもんの力はすごい。すべてを覚えておくことはできないから、一言という凝縮された輝きを僕たちは覚えておく。
 その一言はきっと単純な感嘆であったのだろうが受け手からすれば励ましでもあり告白でもあった。彼女はその年のうちに自身の通う中高に僕を呼びワークショップをやらせてくれた。10月17日木曜日、かの「芸術幼稚園」における「お店やさんごっこ」である。詳しくはこのページを掘るか、夜学バーにて資料をご請求ください。
 後に作られた冊子には「参加生徒は10人程度でした」とある。衝撃である。何がって、そのうちの少なくとも7名とは今でも何らかのつながりがあるから。せいぜい2時間ほどのワークショップで、半分以上の人と「友達になれた」わけなのだ。すさまじい催しもあったもんだ。
 例の主催の女の子。ダチュラフェスティバルにも関わった女の子。高校時代によく来てくれていて、修士課程になって東京に用事が増えたからと再び顔を出してくれている男の子。「20歳になったからようやく来られました」とお正月の帰省に合わせて寄ってくれた男の子と女の子。夜学員のさく氏とも親交の深い女の子。書き漏らしがあったらごめんなさい、そこ出身だって忘れてるだけかもしれない。教えてね。そしてつい最近になってつながった女の子。この方の出現は本当に感動的だった。ちょうど6年前ですよ。おそらく当時は中1。よく覚えていてくれたものだ。芸術幼稚園の凄みはここにある。心に深く残る素晴らしい作品だった。

「芸術幼稚園」というワークショップのようなものを開催するにあたって学校側は「全校生徒にあまねく告知すること」と条件をつけたそうな。すなわち「ジャッキーさんという人が来てお店やさんごっこをするよ」というチラシが全員に配られるとのことで、それならといつものような長ったらしい文章を付してもらった。これが僕の性質、「みんなへの片想い」。
 全校生徒に片想いしたわけだ、そのとき僕は。「みんなのことが大好きだよ!」「この文章がもし気になったら芸術幼稚園に参加してね!」と叫んだ。マッチングアプリのプロフィールみたいなもんだ、「自分はこういう人間です、気に入ったらいいねしてください!」
 結果的として全校生徒1000名弱のうちやってきたのは「10人程度」、ただし「初めて芸術幼稚園に参加した」といういわゆる「新規」の人がけっこう多かったらしい。僕の「片想い」に反応し、「両想いになろう」という気持ちを持ってきてくれたのだ、きっと。
 そして「10人程度」の人たちに対しても僕はまた別の冊子を用意して配ったし、「お店やさんごっこ」のあいだも「自分はあなたたちのことが好きです!」という態度を徹底した。当たり前に。その結果としてその時の関係が続いたり、またつながったりしているのだと思う。
 最近の僕は「どうせ片想いなんだからもう会いになんて行かない!」「どうせ片想いに終わるんだから好きになっても仕方ない!」といった気分になることも多い。絶望したい年頃なのか。しかしそういう姿勢では当然「関係」なるものは生まれないし、せっかくあっても腐ってゆく。「みんなへの片想い」は結局、なんだかんだ大切にしていかなければいけないのだろう。

2025.10.14(火) シャバすぎ凡バー

 シャバすぎる凡バーにて凡テンダーさんと接してきた。
 シャバいというのは「凡庸である」ということで、凡庸は「ありふれている」こと。最近「シャバい」が否定的ニュアンスで流行っているが、「ありふれている」ことが嫌われているわけだ。その価値観に照らせば「凡テンダーしぐさ」はシャバくて、ダサい。はっきりと言える。いい時代だ……。
 詳しく書いても詳しい悪口になるだけだからあまり詳しくは書かないでおこう。
 凡テンダーのコミュニケーションには「攻め型」と「受け型」がある。
 攻め型は「お近くですか?」「お仕事帰りですか?」「どんなお仕事をされてるんですか?」「どのあたりでよく飲みますか?」「ふだんどんなお酒を召し上がりますか?」等々といったどーでもいい、凡庸な質問を矢継ぎ早に投げかけ、個人情報と「共通点」をできるだけ多く引き出そうとする。そして「常連になるのか、ならないのか」という判断を迫ってくる。
 受け型は質問されない限り何も言わない。ただ黙っている。ただし「常連」に対しては別であり、ケンちゃんが来れば「お~ケンちゃん」とか言う。「ユミちゃん昨日来てたよ」とか言う。「すでに成立した関係」の中にしか生きることができず、「知らない人と話すこと」は極めて不得手。「一見さん」は知らない人なのでアプローチしない。
 このたびは後者「受け型」の凡テンダーと出会ったのだが、彼はずっと僕に対して一切のアプローチをしてこなかった。しかし凡カクテルを飲み干した瞬間に「次、なにをお作りしましょう」とメニューを広げて差し出してきたので断わりました^_^
 ところが彼は、隣りに座っていた僕の友人とはいろいろ会話をしていた。なぜかというと「話しかけられたから」であり、かつその友人が浅草に地盤があって「共通の友人やお店が多く、数回見かけたことさえある」とわかったから。要するに「身内(候補)」としてカウントされたわけだ。
 凡テンダーは「身内」と目す友人とは熱心にあれこれ話していたが、隣で相槌を打っている(打っていたのだ!)僕には目線の一つもくれることがなかった。なぜか?「知らない人」だからだ。知らない人と話す義理も理由もないってわけだ。
 彼はグラスをカチャカチャ音たてて扱い、ぎこちなく単調なシェイクをし、味をごまかすかのように高い材料を使ったおいしくない高価なカクテルを提供してくれた(すごい悪口、外国人観光客が書いたGoogleマップの酷評を日本語訳したみたいだ)。
 バーテンダーとしての技術も、コミュニケーションの仕方も凡々で、内装もコンセプトも凡々。レコードバーと称しているが「とりあえず通り一遍揃えた」感じで、ビートルズの『リボルバー』もステレオだった(重要)。
 いちおう数点、これはなかなかと思うところもあった。で、あとから知ったがその人は店主ではなくて深夜担当の従業員、主として二人でお店を回しているようだった。良い点は店主によるものか。今度また早い時間にまんまと行ってみようと思う。

2025.10.15(水) 琥珀へ 店との関係づくり

 凡バーの対極、名バー「琥珀」へまた行ってきた。夜学バーから徒歩30秒。スパイシーなジントニック、生ざくろのギムレット、オールドの巨大(4.5リットル)ジョニ赤で会計はちょうど10000円。
 前回は3人で、計5杯飲んで18900円だったので「チャージ1000円、一杯3000円」くらいで考えると辻褄があう。そのくらいだと思っていけば怖くない。「人を見て値段を変えている」という噂もあるが、そうだとしても普通にしていれば問題ない。実は今回初めて一人で行った。もう怖くない!(怖かったのである。)
 怖い、というと語弊はあるかもしれない。緊張するというか、遠慮しちゃうというか。「自分なんかが行っていいのか」という誰もが抱くアレ。粗相をしたら何万円も請求されるのではという根拠のない恐れ。そういうのがほぼなくなった。もう気軽に行ける。「そういう関係になった」と言っちゃってもいい。
「顔を繋ぐ」という言葉がある。「認知が切れる」の逆である。あんまり好きな考え方ではない。一度しか会ってなくて、その後何十年会わずとも繋がる顔もあれば、何度か会っているのに切れる認知もあるかもしれない。回数や頻度では語れない。僕もお店をやっている側として、ありとあるすべての顔を繋いでおきたいと願っている。実際一度しか会っていない人の「顔」を何年も覚えておくのは僕には難しいが、「雰囲気」や「エピソード記憶」とともに自然と「人」は覚えているものだ。話しているうちに「○年くらい前にあんな話をした人だ」と思い出すことはよくある。
 ただし大切なのは「覚えあう」だけでなく「快く想いあう」こと。お店でいえば「いいお店だ」「いいお客だ」と思いあう。相思相愛。片想いでなく両想い。その確信がないと安心してお店の扉を開けられない。琥珀はなんとなくもう大丈夫という気がしている。
 前回お邪魔したさい、帰り際にチラシを一枚いただいた。上野公園のジャズフェスに「ホキ徳田」という92歳のジャズシンガーが出演するという。オススメされたので行ってきた。行ってきたのでご報告に行った。これは「ご機嫌取り」でもありつつ、「口実作り」でもあった。恋愛みたいなもんですよね、ほんとに、何もかも。だからこそ「恋愛などない、関係だけがある」と僕は言える。
「活躍する子供」と「活躍する年寄り」が大好きなので、当然ホキ徳田さんも単純に「これは行かねば」と思ったし、琥珀に立つお二人もかなり年配だからその意味で好きだというところもある。自然なマッチング。もし勧められたのがホキ徳田でなくただの「近所のジャズフェス」でしかなかったらたぶん行かなかった。
 ホキ徳田の感想を伝えると彼らはもちろん喜んで、隣接する分野の話をあれこれしてくださった。ジョニ赤のオールドも僕はたいそうおいしそうに飲んだと思うので、「古いのが好きなのだな」という印象を持っていただけたと思う。ちなみにそのジョニ赤に関しては「特別に3000円」とハッキリ仰っていた。
 安い店ではないので頻繁には難しいが、月に一度くらいは行こうと思っている。「金はあるけど度胸がない」「ジャッキーさんを接待したい」という方はぜひ連れてってください。
 18日につづく。


2025.10.16(木) 友達を喜ばせたい病

 滋賀に住んでるぺ~こくんが研修で東京に来るってんで千葉に住んでるogtyさんと3人で遊んだ。神奈川に住んでる浦野くんも誘ったのだが断られました^_^ いや来いよ。5月にあなたが名古屋でコーヒースタンド出店したとき、その時もぺ~こが滋賀から出てくるってんで僕も日帰りで駆けつけたんぞ。友達がいのないやつ……といえばそうなんだが、そこで断れるっていうのは逆にすごいよね。ふつうなら無理してでも来るシチュエーションだと思うんだが、無理はしない、ってのが浦野くんなんだよね。良くも悪くも相変わらずだ。
 103、高校の1年3組のお友達。世界の山ちゃんでごはん食べてから、コメダに行ったけど並んでたのでやめて、椿屋珈琲という世界一高級なカフェに行った。大人になったもんだよね。
 むかしの友達と会う頻度はどんどん低くなっていくが、たまに顔を合わせることは本当に大事。みんな素晴らしいヤツらなので古い話と新しい話とのバランスが良い、というか、どちらも同時に語るような感じがある。古い話や共通の友人の現況にばかり終始するような場にならないことが嬉しい。もちろんそういう話もするんだけど、ちょっとそこから発展するというか。いい友達を持ったと思う。

 別の日、従業員のさく氏の家に遊びに行った。ずっと「来てください」とは言われていたのだがタイミングを外すというか、予定のない日は疲れ切っているのでなかなか動けないでいた。今回はゆるく考えて、明確な約束はせず(「行くかも」くらいにして)、ゆっくり人と夕飯食べたりしてから焦らずテキトーな電車に乗って22時くらいに最寄り駅に着いた。
 彼の家の前で写真撮って送って(ストーカームーブ)、そこから徒歩1分のGoogleマップで見つけたお店に行ってみた。10月1日オープン、やや文化の香りあり。友達を待たせて別の店に行くというのも我ながらすごいが、その日は本当に肩の力を抜いていたのだ。
 30分で2杯飲み、1250円。安い。内装やマスターの人柄、ジャズバーとしての文化度などすべて含めてとてもいいお店で、後日訪れたさく氏も感激してくれた。ちなみにそのお店でショップカードを渡したら「ちょうど明日湯島に行くんですよ、縁を感じますね」と仰っていただいたので、来るかな?と思ったけど来なかった。マァ来ないわな……僕だったら無理してでも行くけどね。御徒町で飲んでいたようですし!(インスタストーキング)
「僕だったら無理してでも行くけどね」これに尽きる。僕の片想いは結局これだ。自分がパワープレイできちゃうから。好きすぎるんだよね人に会ったり、人を喜ばせることが。浦野くんに対しても「無理してでも来いよ」と思ってしまう。だって僕らは絶対に喜ぶんだから、なぜ人を喜ばせるためのことをしないの?って。でもそれを「人それぞれやでえ~」と理解する客観性も僕にはあるから、しょうがないよねと発散の行き先をなくして、なんか一人でさみしくなるだけになってしまう。誤解なきように言っておくが僕はそんな浦野くんも愛しいと思うし、そんな浦野くんが一所懸命生きていることを応援している。でもまあ、会いたかったよね。みんなで。それはそれ。
 この日にさく家に行ったのも無理をしたといえばしていて、終電が0時12分だからかなりの弾丸。彼の家で饗応を受けカクテル(サバンとか)作ってもらったりしてギリギリだった。
 車内で女子校の教え子からいきなり電話が来た。最近は気にせず出るようにしている。もう「マナー違反」って時代じゃないだろう。大声で電話する人も減ったよね。昔はほんとに騒音だった。
「湯島いるんだけど店いる~?」である。そのまま最寄り駅まで帰る予定だったのだがかわいい教え子から連絡があれば「無理をする」のほうへ舵を切るのは当たり前。「じゃあ行く~」と連絡し、結局朝方まで一緒に飲んだ。そしてそのオシェーゴとその友人たちから熱烈な勧誘を受け、翌日(当日)12時開演の大衆演劇を観に行くことになった。ほとんど寝れない。しかしもちろん僕は「無理をする」のだ……。

2025.10.17(金) 大衆演劇へ(劇団舞姫 葵翔太郎)

 前日の深夜にほとんど酔ったノリで教え子が「尾崎も行こうよ、大衆演劇」と誘ってくれたのでちゃんと行ってきた。本当に偉い。浅草木馬館、12時開演にすべり込む。2100円。安い。
 浅草へは自転車で10分ちょい。しかも木馬館周辺は「放置自転車指導整理区域」から外れている。停め放題なのだ。「浅草寺の私有地だから」とお客さんが言っていた。東洋館の前だと持っていかれる。
 ところでこの10月から台東区が撤去を強化するそうで、実際この日だけで二度紙を貼られた。即時撤去じゃないだけ優しいが、それもいつまでか。夜学バーの前に自転車置けなくなったらゆゆしき事態。もう走っていくしかない。夏場はとても困る。JR乗ってJREポイント貯めるしかないか~。
 オシェーゴはかなり昔から早乙女太一さんの追っかけをしていたので、その流れでこの「劇団舞姫」に出会ったのだろう。誰が推しかは聞いていなかったが、やがてわかった。圧倒的なスターがいた。総座長の葵翔太郎さんである。彼女が推すならこの人だろう。そのくらい他の演者とは差があった。もちろんそういう演出だからってのもあるだろうが、素人でも僕はわりあい勘がいい(それに一応お芝居はやっている)のでさすがにわかる。動きが違う。
 大衆演劇はだいたい「一部が芝居、二部が歌謡ショー(劇団舞姫は「舞踊ショー」だった)」みたいな構成になっている。演歌歌手の舞台とかもそうだと思うし、いまビッグコミックでやってる小山ゆう先生の『女神の標的』はまさにそういった舞台のスターが主役。
「先に芝居、後にショー」と決まってるのはなんか面白い。ふつうはメイン(芝居)が後に来る。でも逆にはできない。まず客が疲れちゃう。12時に開演して、終わったのが15時半よ。1時間か2時間は比較的マジメに芝居観て、残りはリラックスしてショーを楽しむ。演者が客席に降りてきたら、心付けを渡す。逆にするとそれもできない。いろいろ考えられている。
 大衆演劇は本当に大衆!って感じで、いろいろと雑な部分が多い。かしこまった感じがない。セットなど舞台づくりもあんまりちゃんとしていない。旅芸人だからってのもあるだろう、全国どこでも、どんな環境でも演じられるようにせねばならぬし、同じハコでも演目は毎日変わるし、作り込むよりもある程度のバッファを持たせたほうが効率がいいのだろう。また劇場側も、いろんな劇団が頻繁に出入りするのだから毎度キチッと整えるよりもある程度雑さを許容したほうがうまくいくということだと思う。それにしても換気扇の灯りで暗転が暗転にならないとか、マジで雑。しかしその雑さのおかげで観る側も大衆的な気持ちになるのか、本番中におしゃべりをしたりケータイを鳴らすのは当たり前だし、ふつうにスマホいじったりハンバーガー食べてる人もいた。もちろん飲酒もオーケー。それでいいんだよな。そこが何より気に入った。講談、落語、漫才あたりだと浅草でも今はそこまでラフじゃないような気がする。
 さすがに禁煙ではあるのだろうが(条例もあるし)、舞踊ショーの冒頭で翔太郎さんらがタバコ吸いながら踊ってたのはめっちゃ感動した。ほぼ最後列にいたのだがしっかり匂いがただよってきた。最高すぎる。そこで完璧に虜になりましたね。
 一部の演目は『曽根崎心中』で、映画『国宝』に出てくるやつ。幕間で翔太郎さん曰く、「歌舞伎だと難しいし、『国宝』の中では一部しか出てこない。古典をわかりやすく伝えるのは大衆演劇が得意とするところなので今回初めて上演した」と。素晴らしい、自分たちにしかできないこと、やるべきこと、使命をよくよくわかっていらっしゃる……。
 翔太郎さんは女形で「お初」を演じていた。僕は初めて観たし前情報も何もなかったのでそれが葵翔太郎だとわかるまでかなり時間がかかった。男なのか女なのかもわからなかった。オシェーゴに送った感想LINEでは「指先、目線、腰の落とし方」をすごく褒めたのだが、彼女は「葵翔太郎の神経への意識ってずば抜けていて、瞼の管理とか下半身の使い方が大好きなんだけど、尾崎にもそこに気付いてもらえてるのうれしすぎる」と返ってきた。えっへん。これが「勘のいい素人」や!
 演出も葵翔太郎で、「曽根崎心中は徳兵衛に焦点を当てることが多いが、今回は(自分が演じる)お初を中心とした作りにした」とのこと。座長が女形で主演するんだからそうするのは当たり前だが、その当たり前に持っているべき柔軟性やセンスを当たり前に持っているのは本当にすばらしい。僕、正直言うとこの人は40代くらいなんじゃないかと思っていた。あまりにも熟練しているから。実際は20歳で座長になって、まだ23歳ということだった。マジか! ウッ、ショタコンの魂が……。
 推します。たぶん29日の昼公演行くので、よかったら来ませんか読者の方。2100円です。浅草木馬館で11時開場、12時開演。お酒飲んだりモノ食べても問題ないようです。大衆演劇で昼飲み! 一応千秋楽なのでちょっとだけ早めに行くつもりではあります。もし僕が来なかったらBBSで呪詛を。

 上野や浅草には落語や講談、漫才などを観られるところがたくさんあって、いずれも安いし毎日いつでも気軽に入れる。しかしほとんど行かない。興味がないわけではないが、映画館と同じでなんとなく足が向かないのだ。しかし「芝居」となるとちょっと変わってくる。やっぱり自分は演劇の人なんだなと思う。
 しかもまた、ひょっとしたら大衆演劇が一番「昔の客席」の名残があるんじゃないか。非常に心地が良い。評論家みたいな顔したやつもいない気がするし。言葉を選ばずにいえば落語や講談よりも「民度」が低い。年齢層はほぼ変わらないか、講談よりはやや若いかもしれない。落語よりはたぶん若くない。ぜひあの雑さを維持させてほしい。維持させるため、次回はビールでも飲みながら観るかな~(誘ってる)。

2025.10.18(土) 都市型の店は珍しい

 もう好きなお店にしか行きたくない。湯島でいえば琥珀とかにばっかり行きたい。片想い、片想いと胸の中で唱えて、半端な店に寄ることを最近は抑えている。一時期は「とりあえず顔を出すか」とか「せっかくだしちょっとだけ」みたいな気持ちであちこち回っていたが疲れてしまった。あまりにも偏屈だから僕好みのお店ってのは本当に少ない。上野、いや台東区全体でも積極的に行きたいのは年寄りの店ばかり。「ここは!」という場所は60歳未満の立つ夜のお店にはほとんどない。だから僕は自分でやっているのだ。自分だけが自分好みの店をやれる、ってのは当たり前のことで、しかもその好みが狭いので余所にはなかなか見つからない。ようやくわかったのは僕って「みんなへの片想い」を当たり前にやっているお店が好きなんだよね。でも東京の夜のお店はだいたい「あんたがこっちのこと好きなら相手するけど?」みたいな態度をとる。東京は人口が多いから、客なんて「来て当たり前」だと思っている。
 あるお客さんが最近(21日のことで、この記事からすると未来)、夜学バーの近くの凡バーに迷い込んだらしくて、そこで以下のような対応を受けたそうだ。「どうしてこのお店に来たんですか? どなたかの紹介? え、通りすがり? そんなわけないでしょう、路面店でもないのに。どこかで聞いてきたのでは?」と。
 客なんてのは「来て当たり前」なのだが、それが極まると「友達の友達までで事足りる」にさえなる。そういうお店は「急に知らない人に来られても困る、こっちは客なんて足りてるんだから」とすら思っている。新規客を求めない店は先細っていくに決まっているのだが、それを避けるために「街ぐるみで助け合って界隈化」する。どこかで誰かが捕まえた客を「界隈全体の客=身内」にすることで界隈経済を回していく。
 件のお客さんはその「界隈経済」の外側にいる人で、そんな人は通常来るわけがない。想定すらされていない。だからバーテンダーは戸惑って、どんなコミュニケーションをとったらいいかわからなくなる。
 客なんて来て当たり前、という言葉にはいろんな含みがある。「店なんかたくさんあるんだから、わざわざウチに来るわけがない」という意味にもなる。「あなたのような流れ者に頼らなくてもウチには客が来るので問題がない、あなたにはあなたで行くべきところがあるでしょう?」でもある。贅沢な話だ。この不景気にそんな発想でいるから未来がない。
 地方に行くと客なんて「来ないのが当たり前」だから、新規客に対して優しい。日本全国いろんな街で遊んできたが大阪、名古屋、松本以外はほとんどそういう印象である。もちろん素性を探られることはあるが田舎には界隈が一つか二つしかないので顔を見たことがない時点で余所者か新参者。そういう人にはそういう人への対応というのがちゃんと考えられている。旅行者なら旅行者で優しくする、という発想がちゃんとある。東京ではただ「想定外」で、戸惑われて無視されるか、持て余される。
 そも東京には「旅行者」というカテゴリがないのである。東京には「来て当たり前」なので。カテゴリがないから対応が設定されておらず、店側が「どうしたらいいかわからない」で終わる。東京の人は冷たい、と言われることがあるのはそのせいではないかと思う。飲食店でもコンビニの客くらいの温度で扱われたりする。「ハイ、商品は出したんであとは好きなようにどうぞ。話しかけられれば答えますけどそういう系のサービスはウチやってないんで、もしなんか関係を求めるんなら常連になる手続きを踏んでくださいネ」。
 くだんの凡バーは「関心を持つべき相手かどうか=界隈の身内かどうか」を確かめてきたのだ。地方の場合は「どんなコミュニケーションをとるべき相手か」という質的な検討をするために素性をたずねるのだが、大都市では「コミュニケーションをとるべき相手か=身内かどうか」というゼロヒャクの確認をとる。東京は人口が多いから顔を見たことがなくても身内(○○さんの友達)である可能性があるから、「身内かどうか」「共通の知り合いはいるのか」を過剰に気にする。
 要するに、東京(大都市)でも地方でも、飲み屋ってのは基本的に「田舎型」になるってことだ。界隈。友達の友達。だれだれさんの連れ。共通の知り合い。身内かそうでないか。それを極力排除しようというのが夜学バーで、それが「都市型」っていうんだと思う。そういうお店に行きたいんだけど、そういうお店が本当に見当たらない。教えてほしい。

2025.10.19(日) 量的と質的

 まだまだ「片想い」の話をする。僕のような怪物は少女に花を渡せばキャーとか言われる。怪物は花に(そして少女に)質的な美しさを感じているが、少女は花を「×1」という量的な存在として位置付けるから「怪物×1=怪物」にしかならない。もちろんその怪物は「-100」という量で表されるので、「-100×1=-100」という計算式でもって少女の心に届く。ゆえキャーとなる。プラスの意味のキャーもあるけど置いといて。
 世間並みの人々は原則としてこのような考え方をする。《①その対象がまずプラスかマイナスか。②どのくらいのプラス、ないしマイナスなのか。③それに何が掛け算されるのか。》
 こじつけだが、下記のような法則も成立する時は成立するかもしれない。
「プラスかけるマイナスはマイナス」→存在としてプラスな人でもマイナスなことをしたらマイナスになる。「あんな人だとは思わなかった!」「恩を仇で返すような真似して!」の類。好意は裏返ると憎悪になる。
「マイナスかけるプラスはマイナス」→素行の悪い人間が善行をしても「だから何?」にしかならない。ひどい場合は「キモい」とさえ言われる。
「マイナスかけるマイナスはプラス」→素行の悪い人間が悪行をしても「あの人はああいう人だから」「許してあげて、悪い人じゃないのよ」くらいで済まされる。むしろ「おれたちにできない事を平然とやってのける!そこにシビれる!あこがれるゥ!」と礼讃すらされ得る。量的な飲み屋文化の悪いところであるが、「人間の業の肯定」みたいに考えれば、それはそれで悪いことではない。

 ともあれ、人はプラスとマイナスという量的なこと……言い換えれば「快か不快か」「損か得か」と単純化、数値化してものごとを考えがちである。質的なことはそれこそ「人それぞれ」すぎて取り扱いが難しい。お金が便利なのは数値ゆえ共通理解を得やすいからである。
 とある個性的な若手ナチュラルカジュアルカオスバーを思い浮かべる。そこにある価値観はやはり量的。先日たまたまそこに知人がいて一緒に飲んだのだが、かなりお店から気に入られているらしかった。その人はまさに量的を絵に描いたような人だと僕は目していて、なるほどと思った。量的な人を好む量的な人間が取り仕切る場で、僕もどこか量的であらざるを得ない。文化的だったり立場があったりするような人も来ているようだが、どうしてもその場では量に変換されてしまう。「あの人○○(特殊な職業)やってるんだよ」という言葉は質的ではなくて「なんかよくわかんないけど立派な人なんだよ」と、「プラスの職業である」ということだけを示すに過ぎない。
 質的な空間であれば、「○○の人がいる場ならではの話題」に近づいていくはずだ。もちろんそこには様々な人がいるわけだから必ずしもその人の専門の話には限られない。だが明らかに話題や場のあり方に影響を及ぼす。しかし量的な場ではそうはならない。
 では何が場を質的か量的かを分けるのか? 場の設計と、そこにいる人の性質や態度とによって決まる。質的な店と量的な店というのは作り方がまったく違う。
 量的な店に片想いをしても、僕は量的ではないので噛み合わないし、彼らに対して「プラス」を提供できる人間でもない。まーた片想いだなあ、と終わる。怪物が少女に恋をするようなものなのだ。

2025.10.20(月) 未知と既知

 こないだ高2と話していて「大人」という概念についての話になった。「大人ってのは、既知だけで生きている人」みたいな定義づけをその場でしてみた。大人になると「知っていること」だけでなんとかしようとする。自分のこれまでの人生経験の中ではじき出した「答え」を固定的で絶対的なものとしてその後の人生のすべてや家族(子供など)に適用させようとする。新しいことを何も考えず、受け入れずとも「貯金」だけですべてをまかなっていけると信じている。大人らしい大人とはそういうものだと思う。
 子供のころはすべてが未知であり、経験を積み学習を重ねることによって既知のものが増えていく。それを「ここまでだな」とケリをつけ、「これ以上の経験も学習も必要ない」と締め切る瞬間がある人にはあって、そういう状態に至った人間を未知まみれの若者は「つまらない大人」と切って捨てる。しかし未知を締め切った大人もかつては「すべての未知を既知としたい」と願った少年少女たちだったわけで、「自分にもそういう時期があった」と目を細める。それが若者にはまた腹が立って仕方ない。「そんな人間にはならないぞ!」と炎を燃やす。
 ところがやがてそのような少年少女たちも「自分はここまででいい」と見切りをつけるだろう。「これ以上未知を広げる必要はない、この見極めができるのが大人ってことなんだな」と清々しく若者を卒業していく。

 若いころに未知の領域(すなわち「視野」)を広げるだけ広げて、それらすべてを既知とできた人間は、「巨大な既知を持った大人」として成功する。そして組織や資産などの既得権を手にして安定していく。それが一般的なサクセス・ストーリー。しかし「常に未知を広げ続け、既知としてのまとまりに欠ける人間」は決定的な武器を持つことができず、世間的な成功を手にすることが難しい。
 たとえば小沢健二さんは上手にやっている。彼は常に新しい未知を求めては既知とし、さらに大きく遠く広がり続けているのだが、それでも「成功」しているように見えるのは一番売れた時代の曲(『LIFE』収録曲など)をしっかり大事にしているからだ。「いま注目している未知」だけを前面に出していても世間はシラケるだけ。それは2005年に始まる『うさぎ!』や2007年頃の『おばさんたちが案内する未来の世界』の時期が証明している。何も知らんくせにわかったような顔で批判するヤツばっかりだった。90年代までのリスナーがすでに「既知に凝り固まった大人」になっていたってことかもしれない。もう未知なんて要らない状態の人たち。「おれたちの知っている(既知たる)小沢健二じゃない! ふざけんな! 今さら知らないことをするな!」と。ちなみに僕はむしろこの頃が一番好きかもしれない。個人的な思い入れの問題でもあるけど。

「何がしたい?」とか聞くけれど
 話せばビックリするじゃん
 知らない事とか始めると
 超不安な顔するじゃん
(モーニング娘。『ここにいるぜぇ!』作詞:つんく)

 こういうことなんであってね。アーティストやアイドルとファンの関係でもそうだし、親子でも恋人同士でも、いろんな関係の中にこれがある。「既知だけの状態が心地よい」と思っている人のところに大切な人がいきなり「未知」を放り込んでくるのは恐るべき大事件。
 親は(少なくとも従来型の親は)子供に基本的に「自分の知っている生き方」をしてほしいと願う。まったく自分に想像もつかない進路希望を提示されると「本当に大丈夫なの?」と不安になる。当たり前である。そこでその「自分にとって未知である世界」に好奇心を持って踏み込んでいく人間と、「よくわからないから反対する」あるいは「よくわからないけど応援する」人間とがある。
 恋人なんかも非常にわかりやすい。ある種の歪んだ恋愛は(※これから悪口を言います)相手を束縛したがるが、それは支配欲というよりも「自分が理解できない世界(未知)に相手がいることが不安だから、自分が理解できる世界(既知)の中に閉じ込めておきたい」という恐怖由来の逃避行動であることのほうが多い。子供を「箱入り娘」にしておきたい親の願望と似ている。怖いのである、知らない未知の世界に大切な人が行ってしまうことが。離れていくことが。

 ところで今日は上皇后陛下はじめいろんな人のお誕生日。僕はお母さんのことを考える。単に未知を未知として、既知を既知として見つめることができることが一番大事なんだろうと思う。飛び込んでくる未知に戸惑うことなく、脅かされる既知に慌てることなく。

2025.10.21(火) すべてが形容詞になる

「多い」を「多いい」と発音する人が非常に増えてきた。「多い」という形容詞に「い」をつけることによってさらに形容詞であることを強調しているのだと思う。今のところは「多いい」が用例のほとんどで、「面白いい」とか「激しいい」とは聞いたことがない。
 また、「あるくない?」というように動詞を形容詞化する例も若い世代では当たり前になってきた。「わかるくない?」「できるくない?」などと、「わかりやすくない?」とか「面白くない?」といった形容詞の言い方を動詞にも適用しているわけだ。すべてが形容詞になる。
「多いい」は、すでに形容詞なのにさらに形容詞化したものだと僕は見ているのだが、なぜそのような現象が起こっているのかは謎である。「なんでも形容詞にしてしまえ」という大いなる意志が、形容詞まで形容詞化させようとしているのだとしか思えない。意味はわからないが。これが進めばそのうち「面白いい」もあり得るのではないか。
 僕はギャグとして、なんにでも「い」をつけて形容詞化させることはよくやる。「これは柿い」とか。形容詞はとにかく便利い。「い」をつけるだけですみ複雑な操作が必要ない。こうして言語はどんどん単純化されていくのだろう。「ヤバい」や「エモい」のような語彙の面ばかりでなく、文法の面からも。
 また「気持ちいい」を「きもちい」と言う(書く)人もわりといる。広末涼子さんも「きもちくしてくれて」と書いていた。「きもち+いい」ではなく「きもちい」という独立した形容詞が生まれている。形容詞の覇権が強まっている。恐ろしいい。
 それにしても「きもちいいい」ではなく「きもちい」になるのは面白い。やはり「い」は最大でも2個までらしい。むしろ減ることもあるらしいい。面白いい。
 そして「きもちい」が当たり前になると、「多いい」式に「きもちいい」に戻り、またいつか「きもちい」になるのかもしれないい。
「かわいい」も怪しいい。「かわい」になって、「かわくない?」とか言い始めたりする。実際すでに「カワ」という語感が独立して「めちゃカワ」みたいには言うようになっている。「ちいかわ」もその例。これに「い」がつけば「カワい」なので、ほぼそのルートは見えている。でもそのうち「かわいい」に戻る。

 では、なぜすべてが形容詞化しようとしているのだろうか? それは一つには「単純化」ではある。考えることが少ない、簡単な操作ですむ。もう一つは「柔らかさ」かもしれない。断定を避け、「なんとなくそういう性質」ということに重きを置く。「柿である」よりも「柿い=柿っぽい」という「雰囲気」を重視する。すなわちすべてが性質的、概念的に語られ、日本文化の曖昧さが言語的にも堅持されてゆく。
「あるくない?」は、「あるよね」というYes-Noではなく、「ある感じするよね?」「あるっぽいよね?」という曖昧さ、柔らかさを持つ。そういうしゃべり方が、どんどん堅苦しくなってくる世の中に対抗するように(あるいは適応するように)バリアを張って、「ふんわかやろうよ」という雰囲気を醸成させる。
 僕は古い言葉が好きだし流行の言語変化を基本的にはあんまり歓迎しないが、みんなの考えていること、危惧していることが言語のうえに現れ、ある種の抵抗となって戦っている(と僕は思うわけですよ)ことには感動を覚える。がんばれ形容詞。

2025.10.22(水) 選択と集中(ニセコ化)

 谷頭和希『ニセコ化するニッポン』いい本だった。「ニセコ化」を「選択と集中によるテーマパーク化」とシンプルに定義して具体例を列挙したのち、その背後にある「静かな排除」の問題を指摘し、そのことの自覚と解決への行動変容を促す良書でありました。
 よーするに、「なんでもある/できる」よりも「一芸に特化した」ほうが売れるよね、という話。SNSでも「こういうアカウントです」というのが一目でわかる、その話題しか絶対にしないほうがフォロワーが増える。僕のようなアッチコッチ話題が飛散する遠心的で散漫なアカウントは絶対に伸びない。可能性や余白を残すツイートよりも一意に定まる断言的なツイートが伸びる。僕が人気もなければ炎上もしないのはこの理由による。このホームページだって特定のテーマは存在していない。
 しかし「ニセコ化」は「そのニセコにはついていけない」「そのニセコは自分とは関係ない」と思う人を排除する。「自分はスタバに行くような人間ではない」とか「ディズニーランドはちょっと苦手」とか。
 夜学バーおよびジャッキーさんは良くも悪くも「ニセコ化」できていない。もちろん好き嫌いはあると思うが、わかりやすく「こういう店です」「こういう人です」と言っていないぶん、「これは自分に合うものか、合わないものか?」と考える余白がある。その余白にそもそも耐えきれない人はスルーするが、「なんか気になるな」と思ってくれる人はフォローしたり来店したりして、うち何割か(ここまで来たらかなり打率はいいと思う)気に入ってくれて、さらにその何割かが友達やお客さん、あるいはフォロワーや読者として定着してくれる。母数は小さいけれども間口は広い。
 ニセコ的なものは逆で、「母数は大きく、間口は狭く」なのだろう。まず知名度があったり、まずバズったりするから、そのうちのかなり小さな割合しか残らなくとも、結果として「上がり」はデカくなる。
「どなたでもどうぞ」より「選択と集中」に振り切ったほうが結果的には儲かる、というのが現代だというわけだ。なんでも食べられるガストよりハンバーグしかないびっくりドンキーのほうが業績が良い、みたいな話。この考え方をベースに、自己分析なり自店分析をしてみたい。
『ニセコ化するニッポン』によればニセコ化(=選択と集中)は「排除と分断」を招き、その解決策の一つは「できるだけ多種多様な選択と集中を世に満たし、取りこぼされる人をできるだけなくす」ことだろうという。最終的にはそこにも関連させて語る事になると思う。

2025.10.23(木) ニセコとヤガク

 ニセコ的なものは「選択と集中」だが、ヤガク的なものは「散漫と遠心」である。正反対ではないものの、かなり違う。この「散漫と遠心」は果たして「排除と分断」を呼ぶか?というのが今回のテーマ。

 まずニセコとヤガクに共通する一つは「定着率の高さ」だと思う。どちらも「よそにないもの」として好かれるので、ハマる人はハマる。代替がきかない。その代わり「嫌い」や「失望」にも転化しやすい、かもしれない。
 またもう一つは「静かな排除」である。これは僕にとって都合の悪いことでもあるが正直に言わねばならない。ヤガク的なものは特殊であるがゆえにヤガク的なものと「関係ない」人を生み、それは見方によれば「排除」とも言える。ってーか僕はハッキリとそういう(小池百合子サンが口にして選挙に大敗した、実に危険な)ワードを使うことさえある。
 僕の態度を端的に表せば「来るもの拒まず、やなもの拒む」か。うーむ。わかりにくいな。とにかく「みんな来てください! 誰でも!」と言いつつ、しかもそれは本心でもあるのだが、しっかりと「ただしうつけものテメーはダメだ」と断罪もする。そして偉そうなことに「ここはこのような場ですので、そのような振る舞いはやめてください」と諭し、それに応えようとしてくれる人を愛すが、そうでない人を愛さない。ニセコ的なものにはそういう「二段構え」がないので、少しは優しいのではと僕自身は思っているが、「こっちが受け入れたいものだけを受け入れる」という権力を手放さないことは否定しない。そんなの当たり前だと思われるかもしれないが、世の中には「流されるままお客に合わせて場のありかた自体を変容させていく」態度もけっこうよく見られる。
 僕のしていることは「排除」といえば排除である。合わない人は来なくなる。ただそこに「分断」があるのかといえば、わからない。「スタバに自分はお呼びでない」とか「渋谷はちょっと苦手」といったハッキリとした「無関係」感は、ヤガクにはたぶんあんまりない。そもそもバズってないから当然だが。ただ「選択と集中」をしていないぶん境界線がぼんやりとしているのも大きい。「散漫と遠心」とは「曖昧で柔軟」ということでもあり、「無関係」と言い切ることが難しいのだ。ゆえにそんなに悪口も言われない(と思う)。「合わない」とか「なんかヤだ」くらいはあるだろうし、シンプルに僕が「失敗」することもあるけど。
 そういうことも踏まえて、悪く言われるとしたら僕個人に対してだろう。しかし僕に明快な悪口を言うことはたぶんちょっと難しい。とらえどころがないからだ。なにも特徴がないからだ。一言で言い表す言葉がない。とにかくわかりにくい。僕に明快な悪口を言えるということは相当僕のことを知っていて理解しているということで、それは「愛のある悪口」か「かつて愛があったからこその悪口」になると思う。いや、もちろん、ただバズってないからなんだけど、「バズらないで維持する」とかいうめっちゃ大変なことをしている点については、ただひたすらに褒めてほしい。
 様々な要因から、夜学バーには「排除はあっても分断はない」と言えるかもしれない。「常連」もいなければ「派閥」とかもない(従業員も含めて)はずなので、すなわち「界隈」も存在しない。僕と気まずい仲の人間が生じても「ヤガク界隈の人とは会いづらい」にはなりにくい。「○○さんとジャッキーさんってなんかあったらしいな」と誰かが思っても、「どっちにつく」とかではなく「まあそれはそれでどっちとも付き合いを続けよう」となる人が多いんだと思う。実例もいくつか思いつく。そういうお客さんをそもそも「選んで」いることもあるだろう。「曖昧と柔軟」である。
 夜学バーも僕も、とにかく「界隈」や「派閥」について「入らない、作らない、作らせない」三原則を徹底してきた。そのせいで僕は常に孤独を感じて、「誰も仲間に入れてくれない!」と嘆くのだが、勝手なもんである。自分でそのスタンスを選んでいるのだから。孤独であるがゆえに、分断を生まない。ただ「個」として排除したり、排除されたりするだけなのだ。仲間がいないということは道連れもいないということである。

2025.10.24(金) キャッシュレスを導入した(必読)

 前回までに「排除と分断」について語った。これはさまざまな形をとる。『ニセコ化するニッポン』にも、キャッシュレスオンリーのお店が客を選び(選択と集中)、排除と分断を生んでいるとの指摘があった。
 夜学バーはずっとキャッシュオンリーであった。2017年の開業時、初期メンのsueさんが「手数料が高くてから(広島弁)、現金のみでいいと思います」と言ったのが主たる所以であり、特に信念があるわけではなかった。だんだんキャッシュレスが普及し、現金をほとんど使わないという人が増えてきたところで、「現金を使わざるを得ない環境には特別感があり、アナログな手応えの持続として大事だし、そういうお店があることによって他の現金オンリーのお店(古い居酒屋や喫茶店など)に行く機会も増えるだろうから意味ある」と思うようになった。しかしいよいよ現金を持ち歩かない人が増えてくると、キャッシュオンリーのお店がむしろキャッシュレス常用者との分断を生む状況になってきた。
 そこで夜学バーも、とあるお客さんの後押し(要請)もあって、キャッシュレス導入に踏み切ったた。クレカ、交通IC、PayPayをはじめとする各種QRなどほぼすべての決済方法に対応している。

 ただし! 問題は手数料である。先日あるお客さん(誰か忘れたけど30~40代くらいの男性だったと思う)に、「キャッシュレスの手数料ってどのくらいだと思います?」と訊ねたところ、「レーテン、レー何パーセントくらいですか?」と言われた。0.0X%? んなわけない。カップラーメンを400円と思う(麻生太郎)なんてカワイイもんだ。そんな感覚で気安くキャッシュレスを使われては困りますお客様。しかしそういうパブリックイメージを植え付けてしまうこの世界は本当にすごいな。洗脳です。ええ。
 Gemini先生によれば「小規模事業で3~7%、大規模事業で1~2.5%くらい」と回答があった。夜学バーの場合は以下(2025年10月現在)。

 申し込んだのが楽天のサービスなので楽天Payが最も安くて2.254%~。「~」は「楽天カード以外のJCBカード」にのみ適用される例外らしい。クレカはおおむね「2.48%」。交通ICは「2.95%」。PayPay、d払い、QUICPay、iDは「3.24%」。あとはだいたい「2.95%」と思ってもらえばよいです。
 つまりお店からすると、以下の順で「うれしい」わけです。

《現金→楽天Pay→クレカ→交通ICなど→PayPay、d払い、QUICPay、iD》

 ん? ひょっとして「セコい」とか「払ってもらえるんだからなんでもいいだろ」「消費者の自由」「3%なんて誤差じゃん」とかお思いでしょうか?
 よく考えてみてください。「世間のみなさま」は消費税が0→3%→5%→8%→10%と上がっていったことに対して、ちょっと、あるいはかなり嫌だったらしいじゃないですか。お店からすると「手数料が3%かかる」ということは「税金が3%増える」ということに等しいわけです。すなわち、僕の収入がすべてキャッシュレス決済によるものになったら、「所得税が3%増える」ということになるわけですよ。納税していない人にわかりやすくいえば「消費税が13%」という世界に生きることになるのです。税抜8800円のものが税込11440円になるんですけど、デャージョーブソ? 10%なら9680円なんですけど。3%って大きいよね?
 なぜかみんなそのことについては黙っている。税金については色々言うのに、「実質的な税金」である決済手数料のことは気にしていない。「キャッシュレスオンリー」にする人は「3%多く税金を払っている」ようなものだし、しかもそれは「直接国民には還元されず企業に入る」のに。さらにその「企業」が外資だったりする(円が海外に流出する)場合もあるのに。
 現金を取り扱う手間や危険を考えたら安いものだという考えはわかる。しかし「3%という実質的な税金」と「お金を使う手触りと手応え」を完全に失ってまでいま選ぶ道なのか?と僕は疑問なのだ。
 ゆえに、夜学バー利用者にはこのようにお伝えしたい。まずは「できる限り現金でお願いします」。そして「キャッシュレスをご利用の際は選択肢のなかでなるべく手数料の安いものをお選びください」。
 また、キャッシュレスを常用する人はたまには「ジャッキーさんも一杯飲んでください!」みたいなサービスもご検討いただけますと完全なるWin-Winです。断りませんので。よほどのことがなければ麦茶や水じゃなくてお酒を飲みます。キャバクラではないので。(夜学バーは従業員の人的魅力を売るヤガクラだという噂もあるところにはある。)

 前回の記事で、「「バズらないで維持する」とかいうめっちゃ大変なことをしている」と書いた。夜学バーは性質的にバズりようがないし実際一切バズらないので、維持することが難しい。なぜ維持できているのかというと、僕が金に細かい名古屋人であり、このような「3%」みたいなことに徹底的に敏感だからなのである。ここで何も考えず「キャッシュレス開放しました!」みたいにだけ言っていたら、来客や売上は多少増えるかもしれないが、じわじわと「税金」も増えていき、いつか自分の首を絞めることになりかねない。
 それにもうちょっと僕は現金を守りたい。「現金でなければ支払えない場」がある以上は、「みんながそれなりに現金を持ち歩いている」という状況はあったほうがいいと思っているのだ。そのほうが分断も少ない。

2025.10.25(土) 文法の一本化

 これを書いたあとに無印良品に行ったら高校生くらいの男子が「フツーにきたないくね?」と言っていた。「きたなくね?」で済むところあえて「い」を入れる。そういえば「多いくね?」も聞いたことがあるような気がする。やはり「形容詞の形容詞化」すら着実に進行しつつある。
「文法の一本化」が志向されているのだろうか。そりゃ文法なんてもんは言語体系がほとんどできあがったあとに「実はこういうふうに整理できます」と後付けで説明されてきたものなのだが、なんにせよ無意識下ではその法則を内面化しているのだ。文法という概念がなかった時代でも「言葉に関する暗黙のルール」は当然存在して、文法を学校で教えるようになってからはさらにそれが意識的になり、伴ってブレや変化も少なくなった、はずである。

「なんでも形容詞化する」のは既成の学校文法を破壊するもので、かなり革新的な気がする。もうちょっと具体的に見ていこう。
 動詞「違う」の連用形ないし名詞「違い」を形容詞に見立てて「ちがくない」「ちがくて」等に活用させるようになって久しく、たぶんもう誤用だとさえ思われていない。
 個人的には!「違くて」の成功体験に気を良くした「日本人の意識」(参考文献:楳図かずお『14歳』)が、「よーしこのノリでなんでも形容詞にしちゃうぞ~」と調子に乗った、って感じに思っている。形容詞マジ便利! 便利いよね? 便利くね?と。
 僕は鳥山明先生の短編で「リンゴは好きくない」という台詞を見たとき、変な言葉だな~と思ってすごい印象に残った。「好き」という形容動詞の形容詞化である。「好きい」という仮の形容詞が想定されている。それは80年代にはまだ「違和感のある言い方」だったはずだ。今はどうだろう?
 ちなみに「すごい印象に残った」とあえて書いた。本来は「すごく~残った」というふうに副詞→動詞というかかり方をするのが正式である。「すごい」は形容詞の終止形または連体形で、かかるんだったら名詞にかかる。しかし「すごい面白い」のように名詞以外のものにかかるのもフツーになってきた。これも「なんでも形容詞化」の一つだと思う。
 もーめっちゃただ乱暴にだけ言えば、みんなあほなんで、もう複雑な言語処理なんてしたくないんですわね。ぜんぶ形容詞にしちゃえば楽。困ったら形容詞を使えば意味が通るようにしとけばINんじゃない?ってふうになってるんだと思う。

「文法の一本化」でいえば、ある友達(10/20生)が、日本語はすべて「~~ある」だけに統一できるのではないか、みたいなことを言っていて笑いながら感心した覚えがある。
 むかし中国人のカタコト日本語として「~~アルよ」ってのがよく用いられていたが、たぶん中国語の文法との兼ね合いだろう。いまDuolingoでちょっとだけ中国語をやってみているので、詳しいことがわかったら書くアル。
 この「アル」はじつに便利で、「柿アル!」と言うことができる。本来は「柿がある」とすべきだが、助詞を無視できる。また「うさぎアル!」も言える。本来は「うさぎがいる」なのだ。「走るアル!」は、用言の活用を無視して終止形に繋げることで命令形を表す。「悲しいアル」は「アル」が助詞の「よ」のような役割を果たす。「悲しいよ」と。「好きアル」は「好きだよ」のニュアンスが出る。
 っていうか、ここまで書いて気付いたが「アル」ってのはそもそも付属語なのだ。「柿アル」「うさぎアル」は「柿だ」「ウサギだ」、「走るアル」は「走るのだ」に変換できる。しかしこれらにも「だ」「のだ」「よ」「だよ」など文法的な使い分けが必要で、それを「アル」に一本化できるのは便利というほかない。そもそも助詞や助動詞というものがめっちゃ便利で、その(今のところ文末につくものの)一本化をめざしているのが「アル」なのかもしれない。
 そういえば信州弁などの「~ダ」は、これと似たような便利さを持つ。「どうしたダ?」「おいしいダ?」「元気ダ?」「そんなことしたらいけないダ」。方言も利便性を求めるから、自然と単純化されていく。
「走るダ? 走らないダ?」「走るアル? 走らないアル?」と、肯定にも否定にもどちらにもくっつけられる。これがまた便利ポイントアル。
 しかし実際には「アル」やその類いの便利方言が全国的に広まることはなく、今のところ僕の見立てだと形容詞が覇権を握ろうとしている。名詞がなくなることはさすがになかろうが、将来的には名詞と形容詞だけでほとんどの意味が表せるようになるかもしれない(もうなっているのかもしれない)。そこに「アル」みたいな便利な語尾がつけば完璧、と思ってハッとしたのが、それって「フツーにきたなくね?」の「ね?」、「ちがくない?」の「ない?」の部分。すなわち「疑問形」になるのかもしれない。断定を嫌い曖昧さを好む日本人らしい傾向かもしれない。(←「かもしれない」も曖昧な言い方アルかもよね~。)

2025.10.26(日) 芋煮沢俊彦

 二人の友達が主催した芋煮会に参加した。とても良い時間だった。たぶん15人くらいいて、僕がもとから知っている人は5人。長く会っていなかった人と話せたり微笑みあえたりできてよかった。友達の親友とも仲良くなれた気がする。みんな素敵によく動き、たぶん多くは知らない同士だけど協力し合ってものごとをなし一つの場として美しく成り立っていた。素晴らしい。
 主催者の一人は
2025.10.27(月) 


2025.10.28(火) 


2025.10.29(水) ショウタロウ・コンプレックス


2025.10.30(木) 


2025.10.31(金) 


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