少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2020.7.29(水) 告白
2020.7.27(月) 「もうひといきじゃ 心を鬼に
2020.7.26(日) エルツー
2020.7.25(土) 石川たかや
2020.7.24(金) たあボー家の人々
2020.7.16(木) かわいいぼく
2020.7.15(水) 積み増える
2020.7.10(金) オフ会やります
2020.7.9(木) 風読みリボン
2020.7.7(火) 七夕の夜、君に会いたい
2020.7.6(月) 僕たちの目は見えすぎて
2020.7.5(日) 時間がかかる
2020.7.4(土) スプーン
2020.7.3(金) 孤独のしくみ

2020.7.29(水) 告白

 とても好きな近所の喫茶店が数週間前から開いているところを見なくて案じていたらInstagramで「6/30閉店」と書かれた記事を今日見つけた。27日に投稿されていた。これをそのまま信じるべきでもないかもしれないが「そうかもしれない」とは思う。今はたださみしい。そこから歩いてほどないところにとても大好きな食堂があったのだが半年ほど前に閉店してしまった。どちらもかなり高齢の方が経営していて、仕方ないと言ってしまえば本当にただそれまでである。
 悔いがあるとしたら、僕は彼らに「告白」ができなかったということだ。

 今日の昼間、これまた大好きな喫茶店に行った。そこはもう昼食のメニューは表向きやっていないことになっているのだが、その以前より通っていた人には(要するに知っている人には)出してくれる。帰り際、申し出るより先に領収書を手渡してくれた。書いておいてくれたのだ。そしてまた、ちらっと話しかけてもくれた。めずらしい、というか、引っ越してきてこのかた2年くらい通っているけれども数えるほどしかないことだ。
 仲良くなるということはそういうことでいいと思う。馴染み、記憶し、語りあう。ただ、僕はなぜか遠慮してしまって、このお店ではあまり声を出せない。なんでなんだろう、恋する少年のようなのだ。
 だけどさっき書いたあの喫茶店や食堂のことを思うと、このまま「告白」をしないでいることへの焦りが募る。僕はたいていどんなものに対しても、こうやってじっくりとしてしまう。仲良くなるための道すじについて正しく考えようとしすぎるゆえか、遅すぎるほどスロウになる。
 もうちょっと思いきったっていいんだろう、きっと。行くたびにもう一言、二言、何かを付け加えるだけでいい。お店というのは、永遠にそこにあるわけではない。
 数日前、かつて訪れたことのある名古屋の居酒屋が全焼したと聞いた。マスターも亡くなったらしい。そのお店を教えてくれたのは仙台の「くも」という飲み屋の店主で、ああ、そこにだってもう一年以上は行けていない。


 ここんとこ、確かに告白ということについて考えている。恋愛とかいう関係のスタートを切るための「告白」については、くだんねーなとしかあえて言いませんが。もうちょっと広い意味での。
 僕の意見はだいたい定まっていて、告白というのは最終手段である。どうしても時間がない、という時にだけ、「すっ飛ばす」という形でそれを行う。本来はもっと正当に時間をかけた関係の育み方というのがあるのだが、そんなことやっているいとまはない、という場合、告白というものが急に意義を持って立ち上がってくる。
 告白とは「すっ飛ばす」ものなのだ。「先取りする」ということでもある。だからテキトーにやると失敗する。しっかりと見極めて、ひょっとすりゃ何十年もかかったかもしれない「時間」をすっ飛ばす。先取りしてしまう。

 高校時代に知り合った一つ年上の親友がいる。その時分の「一個上」というのは果てしなく差があって、初めはお互いに相当な距離を置いていた。彼は浪人のすえ地元で進学し僕は東京に出て、お互い大学一年生になった頃に久々に会った。その時も初めはやはり距離はあったのだが、以下のような短い会話でそれは完璧にすっ飛ばされるのである。

僕「あれ、そしたらいまは大学一年ってことですよね」
彼「そうだよ」
僕「え、じゃあ、タメじゃん!」

 対等になるために「タメじゃん!」という口実が必要だった当時の僕(ら)の未熟さはともあれ、この伝説の一言より以後、僕らの間には寸分の不純物も存在しなくなった。まったく大親友と成り果てたわけである。いや、未熟ながら賢しい。これが「すっ飛ばす」ということなのだ。おかげで蜜月は何年早まったろうか。ともすれば永遠にその日は来なかった可能性さえある。

 この「タメじゃん!」ったら、まさしく告白。その時の気分はけっこう覚えている。「え、じゃあ仲良くしてもいいんじゃん!」と昂って、けっこう勢いよく発話した。だから互いに印象深くていまだに話題にのぼる(というか、第三者に対してよく語る)のであろう。

 ここんとこ、俄かに告白っぽい言葉を受け取る機会が多くなっている。もちろん恋愛のそれではない。「タメじゃん!」とは種類が違っても、昂りや潤いを秘めた爽やかな質感の言葉を、あるいはムードを、ことの流れを伴った告白に対しては総毛立つような激しい快さがあった。
 告白が快くなるためには、必ずそこに共犯関係がなくてはならない。どちらかがどちらかに「言わせる」ことが肝要である。これは恋愛でも同じだろう。「すっ飛ばす」とは言っても、その着地点をお互いが見えていなければ、自分だけすっ飛んで終わってしまうわけだ。だから僕は「いい告白を受けたな」と思うとき、たいていは「うまいこと言わせたな」と同時に思っているし、「告白しちまったな」と思うとき、「うまく言わせやがって」と思ってもいる。それは呼吸ってもの。でなければ、告白はただ戸惑いを生むだけだもの。

 この種の告白については「見極め」がとても大切だ。できれば互いに見極められているといい。そしたらダンスともうほぼ同じで、どっちが先にステップを踏むか、というだけの違いしかない。しかもそれは適当に入れ替わればいい。まあ要するに仲良しがいいよねってことでしかなくて。僕の結論は毎回だいたい同じようなところへ旋回する。


 僕にだってすっ飛ばしたいものはある。だけどそれは少しずつリズムに乗っていつの間にか踊り出している、というようなものでなければいけない。まずはリズムを合わせよう。あとは楽しく揺れるだけ。たくさんの手遅れを糧に

2020.7.27(月) 「もうひといきじゃ 心を鬼に

 どうも自分は目の前の人に優しくしすぎる。この話は前にも二回くらい書いてるなあ。「その場」とか「その都度」とか「対等」とかを重んじるとそういう副作用があるのかもしれない。副作用と言うくらいだから主作用のほうが大事で、だからそれでしかたないといえばそうなんだけど、結果的に時間の使い方がすこぶるヘタッピになる。今は良くても十年後や二十年後の優しさやカッコよさに響くんだろうから、できるだけ副作用を削ぎ落としていく方には考えていきたい。
 心を鬼にするということは、他人に対してある程度厳しく、ひょっとしたら冷たくなるということでありつつ、同時に自分に対しても、厳しくまた冷たくなることでもあろう。自分は自分に甘いので、それをそのままスライドさせて他人にも甘くしてしまっていることがあるんじゃないかという気がする。
 とはいえ、もちろん、自分に厳しくしているから他人にも厳しくする、という発想は野蛮である。目には目を、の世界。そんなんでなしに、自分にも他人にも、うまく甘さと厳しさ、温かさと冷たさを采配できるようになるべきだというくらいの話。たぶん。
 また自分は、長い目で見過ぎだとも思う。他人に対して、今はこうだけど将来はこうなるかもしれんから、というふうに思いがち。そしてまた自分に対しても、長い目で見ているのだと思う。それは「甘い」ということと非常によく似ている。
 互いに甘さを授け合うことを、共犯という。共犯ほど楽しいことはない。だって互いが甘やかし合うのだ。でも時にはそれを解消して自分の犯罪のほうに一所懸命打ち込むということも必要なのである。それがまた共犯の質を高めていくんだし。

2020.7.26(日) エルツー

 2020年。これからいろんなことが20周年を迎える。今月11日はホームページ開設20周年だったが、本日26日は僕のステージデビュー20周年である。学芸会とかを別にすれば。
 守山文化小劇場で、『L^2(エルツー)』という作品。作・演出はわに先輩。僕はきゅうすけという男の子の役で、わと先輩演じるてんという女の子とシンメでニコイチ(これらの言葉当時は知らなかった)。衣装は半ズボンにチョッキみたいなので探せばどっかに画像くらいあるけど、半年後にこの先輩方にノリノリで女装させられたことを考えると「やっぱ半ズボンっしょ」というノリがどこかにあったことは想像に難くない。当時はなにも考えなかったが。今ならわかる、共感という意味で。僕だってかわいい男の子の役には半ズボンをはかせるよ。
 エルツーとは高架鉄道のことらしい。抽象的な世界観のなかで少女二人の内面を描いた深みのある作品だったと思う。台本はもちろん残しているがすぐには出てこない。自分で書いたものはすべて持ってきてるけど、これは実家。
 ビデオもたぶんMSPことまこと先輩が録ってると思うから、なんとかすれば見られると思う。まこと先輩はたぶんあの伝説の『なにしてる!』も録ってくれていた。その節はたぶん驚かせたと思います、すみません。
 人前というものに初めて立ち、本番というものを初めて味わった。幕が上がる直前の感覚は今でも覚えている。守山文化小劇場というのは何百席もある大きな劇場で、カラッとした鉄の匂いさえおそらく完璧に思い出せている。ほとんど人生の幕開けでもあったと思えるくらい、その幕が降りたという記憶はない。大会では友達もたくさんできた。僕は動き出し、加速というのをし始める。今年のどっかに、また続く。

2020.7.25(土) 石川たかや

 プロ野球選手に対して、高校までいちおう野球部だったくらいの人が、「もっと身体を柔らかくさせたほうがいいスイングができるんじゃないでしょうか」とアドバイスしたとする。
 そこでプロ野球選手はこう言ったとする。「あなたは僕よりもいいスイングができるんですか? 僕よりもいいスイングができない人にそんなことを言われても受け入れる気にはなりません」

 そういうようなことを言われたので、高校までいちおう野球部だったくらいの僕は、それに関する話を一切打ち切って、やめた。
 何を言っているか、ではなく、誰が(+誰に)言っているか、のほうを重要とされるような局面は、金輪際避けたい。
 僕は単純に、身体を柔らかくさせたほうがいいスイングができるのではないかと(自分なりの根拠に基づいて)思ったから、そのように言っただけなのだ。
 それに対してプロ野球選手は、「あなたには私にそれを言う資格はありません」と言ったわけである。
 その資格というのは、「自分よりもいいスイングができること」。

 結婚をしたことのない人間は結婚について語る資格がなく、子育てをしたことのない人間は子育てについて語る資格がない。
 んなことあるか。(グレチキ)
 こないだ「武田鉄矢は教育の問題について語ることをやめろ」という旨を含むツイートがバズっていた。金八先生を演じただけなのに、まるで語る資格があるようなツラをしていると。
 何かを語ることに資格などあるのかね。いいことを言っていればいいと判断し、よくないことを言っていればよくないと判断するだけじゃん。
 これも「誰が言っているか」を優先する例。
 たとえば、「武田鉄矢が言っていることを何でもかんでも良いとする風潮はよくない」というのであればわかる。そういう風潮があるとすれば。
 そういうところ、丁寧にやってほしいもんだ。なかなかみんな、言葉については考えない。

2020.7.24(金) たあボー家の人々

 僕は下の名前が「た」で始まることもあってサンリオの「みんなのたあ坊」がけっこう好きなのですが、このキャラクターのデビュー年が僕の誕生年と同じだということをいま知りました。こういうのうれしいな。
 それはそうと多忙。絶望の灯はだいぶ弱まった。
 お店の話なんですけど(お店をやってるんですけど)3月はともかく4月から7月の頭くらいまでずいぶん大変で。儲からないとかそういうのはまあなんとかなるからいいんですが、タボーだったのです。お店を休めば少忙になったのでしょうけど、そうするわけにはいかない美意識みたいなものが僕の唯一の商材であり「わら一筋の自負」なのです。
 4、5月は時短営業にしていたし、今も開店をちょっと遅めにしているので、労働(お店に立っている)時間自体は短くなっているんだけど、頭のCPU稼働率というか、考えてる時間と量と質、みたいなものは以前よりもずっと度が増している。未来人にはわからないでしょうが、この年なんとかウィルスが猛威をふるって世界は大変なことになっていたのですね。(こういう、未来の読者を見据えた書き方はまるでASKAさんの「本」みたいだ。←これもすでにわかんないと思いますが。ギフハブ。)

 あまり僕は「ストレス」というものを意識したことがなかった。だいたい泣いて寝ればリセットできていたし頭で考えて処理すればそれで消化(ないし昇華)できてしまっていた。「ストレス」という蓄積性のものというよりは、「こういう問題がある、どうしよう」とか「このことについてとても不安だ、おそろしい」といった眼前型(?)の困り方をしていたわけですね。それと、まあストレスを散らすのがもともと上手だというのもあったんでしょうな。それこそこういうふうに文章を書いたりとか。
 今回はほとんど人生で初めて、「あーこれがストレスかー」ということを感じた気がする。
 2017年の4月から7月にかけては、お店をやりながら学校の先生もやっていて、かつライター(文章)の仕事も毎週締め切りがあって、これは死んでしまうなーというくらいに忙しかったんだけど、それはストレスという感じではなかった。学校で生徒と会ってると本当に癒されますし、お店も楽しいですものね。
 それと今回とどう違うのかというと「さみしい」ということに尽きますわね。
 孤独感。別に僕は天涯孤独ではなく頼れる家族がいるし心通じ合う仲良しの人もいる。友達は本当にいっぱいだ。お金に困るということも今のところはない。そういった点において僕は非常に幸せなのだが、それとは「別腹」と言わんばかり、孤独というものはフュっと忍び込んで増幅するものらしい。

 わら一筋の自負、とさっき書いた、僕の唯一の商材たる「美意識」について、僕は例の数ヶ月、ずっとこう思っていたのである。「これを美しいと思うのは僕だけなのではないか?」と。カッコつけていえばそういう孤独だった。
「そんなことない、と言ってくれ!」って幾度かサインを送ってみた。その象徴が「存在への対価」なるヘンテコリンなおねだり行為で、これには想像以上に反応があった。3月から4月にかけて、まだ国や都の補償が定まっていなかった頃の僕の精神を支えてくださったのは間違いなくこれだった。あれはお店の存在について対価をもらっただけなので、僕個人がそれについてあんまり大仰な感謝はしないようにしているけど、個人的に心の支えとさせていただけたことはまた別だということにして思いきりここで感謝します。ありがとうございます。
 誤解のないように強調しておくと、夜学バーというお店を良いものだと思ってくださる方々、具体的にはお客さんに代表される人たちにはもう本当に感謝しかなく、当たり前だけどみなさまがおらんくばたぶんとっくに辞めております。そしてくだんの「美意識」なるもの(毎度ほんとに抽象的な表現でもうしわけないです)を、おおきく深く理解し愛してくださっているということは、実際ものすごく届き、響き、浸透しております。いやー、よかったよかった幸福だ。これまでがんばってきた甲斐があった……涙……と本気の本気で思っておりますよ。
 じゃあいったい僕がなんで孤独を感じるのかというと、主に「似たような世界に生きていると思っていたような人たち」に対してですね。これは自分でも意外なほどダメージが大きかった。
 えー、みんなそんな感じなの? って、すごく簡単にいえばずっと思っているのです。

 4月から7月頭までというのは、うちのお店にも本当に働き手がいなくて、僕ともう一人の若い男の子と二人だけでずーっと、無休でやってた。僕は週5か週6でお店に入ってた。その孤独感を理解してくれる人、どのくらいいるんだろうか。ものすごくつらかった。忙しいからではなくて、さみしいなーとずっと思っていたのだ。
 同業者ということでいえば、何軒か心強いお店もあったけど、知ってるお店の9割方に対しては「えー、そんな感じなの?」という個人の感想を僕は持った。
 さみしかったなー本当に。
 応援してくれる人はいくらでもいるんだけど、一緒にがんばる仲間はいない、といえば超わかりやすいと思う。「応援ありがとう、ぼく、がんばります!!」と言うための元気は無限に湧いてくるんだけど、「よーし、いっちょがんばりましょーかね!!」と拳をそろえる相手はいない。いや、いたけど。こんなに少ないもんなのか? と。
 それはなんでかというと、普段から徒党を組まないでいるからですね。どのジャンルにも属さず、馴れ合いもしない、ということを徹底していると、こういうことになるわけです。なんでも自分で決める、誰にも流されない! というふうな信念でいると、「あれ、みんなそんな感じなの?」になって、「なんか孤立してるような……」で、「さみしいよー!」になる、というのは、要するにワガママなわけですよ。僕の。
 バカじゃないので、そんなことは織り込み済みというか、覚悟の上でやっているんだから、「あー、やっぱりさみしいもんなんだなー」ではあるんだけど、「まさかここまで孤独だとは思わなかったぞ」ということで、そこは僕の計算ミスっていうか、浅はかだったところ。修行が足りない。
 すごく正直なことを言えば、お店としては孤立していてもいいんですよ。美意識だなんだと言いたいんだったら独力でなんとかするしかないんだから。しかし、……いやあ、ここから先は言葉にしないでおこう。まだまだ修行が足りないし、準備も足りてなかったな、ということに尽きる。もっとうまくやれる可能性だってあったはず。
 一つだけ言っておくと、「そういう孤独を引き受けるということを引き受ける」ような人が、実際もっといてもいいと思うし、もっといるかと思ってた。甘かったなあ。
 友達がほしいね。いるけど。もっと。数じゃなくて。きっと質でもなく。

《ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。》


 来月(8月)は、以前から手伝ってくれていた人が複数名復帰してくれる予定だし、新人が二人ないしひょっとしたらそれ以上加わりますので、ハー、ようやく僕は孤独じゃなくなった、と最近は毎日嬉し泣きみたいな状態でいます。実際その新人二人の目処がつくまで僕の心は荒廃寸前でした。6月は危なかった。4月、5月にいわゆる「ステイホーム」していたのであろう人たちが6月になってちょこちょこと来てくださるようになって、そのおかげで逆に「ステイホーム」が可視化されたような感じがあって、それも地味にじわじわ、きていたのでありました。
 いやだというよりは、そうか自分はそういう役割なんだなと今更ながらわかったというか。いよいよ覚悟を決めさせられたというか。「そういうことでもあるんだな」というか。古い友達がずいぶん前に、「自分は普通に会社員として働いて結婚して家庭をつくり、普通に普通に生きているけれども、ジャッキーみたいな友達がいてくれると、代わりにいろいろ楽しいことをやってくれてて、しかもたまにその楽しさを直接味わうこともできるから、ありがたいのだ」みたいなことを言ってくれた。だいぶ美化してしまったかもしれないが。僕はそういう係なんだな、ということが痛いくらいわかって、そしてその係を進んでやろうという人は、あんまりいない。それがさみしいってことなのでありました。
 でもそうと決まればもう、本当にみんなのおかげで今はつらくない。手伝いたい、支えてやろうという人がいるんだもんね。勇気を出して歩きます。

2020.7.16(木) かわいいぼく

 最近明らかに僕がかわいい。昔の写真以上にかわいい。どんどんかわいくなっている。理由はちゃんとたぶんある。
 3年前まだ僕が女子校の先生をやっていた時の卒業式の写真なんか本当にかわいい。これも理由は明白で撮っているのが生徒だから。卒業する生徒からレンズを向けられてかわいくならない道理がない。
 2015年4月から2017年7月にかけて2年4ヶ月その学校にいたのだがこの間僕は少しずつかわいくなっていった。かわいくなくては授業がうまくいかないということがだんだんわかっていったのだ。というか、かわいければかわいいほどうまくいくのだ。最近確信できたことにどうやらかわいいことが僕の本質であって、つまりかわいくあることは自分の本質を晒す行為である。
 本質(正体)を見せない教員を生徒たちは警戒し、自らも本質を隠す。彼女たちの本質も無論「かわいい」なので、こちらがかわいくあれば向こうもかわいくあってくれる。それが本質を見せ合うということでもある。本質を見せ合えるということは信頼関係に直結し、授業も日常も仲良くやれる。
 1年めと2年め、僕はちょっと本質を隠していてしまったので、ややうまくいかないところがあった。それでも1年めの2年生とか2年めの1年生はかなりうまくやれたと思う。その時の実感で「これは素直にかわいく振る舞ったほうがうまくいくのではないか」とわかり、3年めは何も隠さずに教壇に立った。最初の授業では「初恋」の話をしたのだが、それは友達にだってほとんど語ったことのないエピソードだった。あんなに素直にすべてを話せたのはみんながかわいい子供だったからだと思う。僕もその時は(というか授業の時は毎回)かわいい子供になっていたはずだ。
 その年のテーマはとにかく「嘘をつかない」で、それだけは貫き通せた。だからこそ、嘘をつかなくてはいけないような状況になる前に辞めた。今学期で辞めるよってことも6月の頭くらいにいち早く授業で話していた。先生たちには秘密だよって言ったら本当に終業式の日まで誰にも知られていなくて感動した。このへんのことは当時もいっぱい書いたけど、まあ総集編ということで。
 話すと長くなるから割愛するけども僕は19歳の夏から「他人に心を開く」ための練習をし始めた。ずっと経ってようやく最近それができはじめて、だからけっこうかわいくなってきたんだと思う。昔はもっと隠そう隠そうとしていた。閉じよう閉じようと尖っていた。
 それを開いてくれたのは生徒たちや、仲良しのかわいい人。本当に、かわいい人といると自分もかわいくなれる。もちろん見た目とかじゃなくて感性の話。みんなも好き合ってる人と一緒だとニャーンとかワンワンとか言うでしょ。夏休みの空き教室なんかで気の抜けた生徒たちとダラーっと過ごして、「先生うめぼし食べる?」なんて言われてもぐもぐしてると、その数秒がニャンだワンだの500回ぶんくらいに相当する。あるいは仲良しこよしのお友達とわけのわからない言語で掛け合っているような時、完璧にまったく新しい鮮やかなフレーズはニャンだワンだの6000回ぶんくらいに相当したり、するよね。
 そうやってふにゃやかに柔軟性を獲得していって、いまとりあえず5歳以降で一番かわいい時期になっている。この1週間で2軒のパン屋さんに計3回行って、どちらもおばあさんのお店なんだけど、もれなくサービスしてもらっている。今日もサンドイッチ二個買ったら一個余計にもらえてしまった。そりゃ行く時間やタイミングの問題で、ちょうど余ってたんだろうけど、「かわいいぼくだからな〜」と無理やりこじつけて考えるくらいには「かわいいぼく」だと自分で思っている。ちなみに「かわいいぼく」とは何かというと、たぶんちょうど一年くらい前だとおもうけど徳島のブラジリアという素晴らしい喫茶店に入ったらお客さんのおばあさんに「かわいいぼくがきたよ」と言われたのが語源。かわいいぼく。そうか僕はかわいいぼくだったのか! と驚いた。たぶん半ズボン履いてたからだろうな。
 10年くらい前にmixiで知り合ったけっこう年上の男の人が、「自分はかわいくなくっちゃいけないから、かわいくしてるんだ」と言ってて、その意味がようやくわかってきている。僕もかわいくなくっちゃいけない、それが自分の本質だから。
 冗談や惚気ではなくて、顔つきがかわいくなっているのは間違いないと思う。もうあんまり怯えていないし恨んでもいない。絶望や不安はいまだにあるけど勇気や覚悟はそれ以上に身についている。今日2017年の生徒二人と会えて、なんかいろいろ思い出した。咲いたまま落ちたキキョウを自分の髪の毛に添えてみたら「かわいい」と言われて、この子たちと出会う前だったらそんなことはしていなかったかもしれないし、今ほどお花が似合わなかったかもしれないな、とか。ちょっといい話さ。

2020.7.15(水) 積み増える

 高校生のころとかは書くこと特に思い浮かばなくてもなんとかひねり出していてそのせいでわけわからん日記が多いのです。
 今日はお店が非番であった。めっちゃ寝て起きて少しのことをして散歩がてらおこわとどら焼きを買い素晴らしい食堂で満腹になり帰りに喫茶店に寄って帰って寝て23時くらいになっていたので少しのことをやったりおこわとどら焼きを食べたり古いiPadを調整したりWindows10のメンテナンスをやったら朝になってしまった。お風呂に入って今に至る。
 暮らしはちょっとずつよくなっている。やらねばならぬと思っていることは積み増える。
 古いiPadのメモに詩のようなものが入っていたのでUPしようと思ったがそのままの形では今の気分に合わなさすぎるのでリペア(?)して載せた。過去の気持ちをそのままにしておいたほうがいいような気もしたが、どういう気持ちでメモに留めておいたのかがわからない。たぶん仕上がりがあんまり好みじゃなくって放置したのだろう。当時の僕には完成させられなかったものなのだ。だからちょっとだけ変えてみた。
 昔の詩を読み返すと、何割かは出来がよくない。せっかく書いたので公開しましたという程度のものさえある。詩はすべてアドリブで推敲なぞほとんどしないので口演がそのまま文字になってしまうようなもの。だから神回もあれば駄作も多い。好きなのだけ集めて本にしたいとずっと思っていたが面倒くさいから実現していない。先日やりますよ私という奇特な人が現れたのでその人次第では本になるかもしれません。みんな買ってね。

【オフ会終了】
 ↓のあとすぐにもう1名いらっしゃったので、オフ会参加者は総勢(僕含め)4名でした。2010年のオフ会には(僕含め)15名きていたようなのに。どうも、いろいろなことを感じますね。今回は頑なに「HP以外では宣伝しない」と心に決めて、実際に本当にどこでも(自分のお店でさえ!)口に出さなかった(読んでくれているとわかっている人しかいない場では別)ので、その差なのかも。「行けなくなりました、10年後かならず!」とわざわざ連絡くださった方もいたし、BBSやメールフォーム等からお祝いしていただいたり、もちろん19時以降お店に来てくださった方もたくさんいて、気持ちは幸せでしかなかったのですが、それにしても、3人か! とは思いましたね……。副管理人(今やすっかり僕が勝手に言ってるだけみたいな感じになっている)の添え木もこなかったし……。(彼だけは直接声をかけてよびました。)
 夜学バーには20人ものお客さんがきてくださって、年に一度あるかないかの大繁盛。そのうちの何割かはここの読者だったと思います。たぶん7〜9人(うち3人はオフ会参加者)くらい。
 もちろん今回は流行病の影響もあって、それがなければまた違ったはず。ちょっと残念ですね。オリンピックみたいに来年に延期すればよかったのかな? でもまあ、それも含めて10年に一度の重みってものです。
 まだ僕に会ったことのない人がもしいたら、ぜひ勇気か何か出していつかお店に来てみてください。あるいは「お茶しませんか」でもいいです。再会のために再会しましょう。
 今回のためにサイトを開く直前(14〜15歳)の文章をあれこれ読み返していたのですが、恐ろしく拙く、そして鋭い。20年という時間をこういう形で実感できるというのは本当に面白いです。ちなみに2000年3月22日の僕の文章を読んだのははじめにきた2名だけで、ドラえもんとのび太みたいに同じ文書を一緒に覗き込んで読んでくれていて、本当に嬉しかった。裏Ezは印刷して持っていきましたが黙っていたら気を遣ってか何も言われなかったので誰にも見せずに封印しました。また10年後に。
 次回開催は2030年7月11日(木)です。
 ところで、僕が男の人だからなのかもしれないけど、こうして可視化される読者像はやはり女の人が圧倒的に多い(もちろん男の人もいる)。たぶん単純に、男の人は読んでるとしても黙って読んでるんじゃないかな。あと反応をくれるのはやっぱり若い人が多い。15年くらいずっと見ていてくださっている方ももちろんいるけど。若い人たちの中には「自分と同い年(あるいは年下)のときのジャッキーさんは何を考え、書いているのか?」といった味わいを楽しんでいる人もいるらしい。あるいは「適当な単語でサイト内検索して出てきたのを読んでいる」という人も実際いた。積もり積もった20年の過去ログが何か教材のような機能をいつのまにか果たせているのだとしたら教育家(!)として望外の喜び。みなさんありがとう。むかしのぼくも本当にありがとう。
 どんな読み方をしているどんな人も本当にありがとうございます。できたら途中でたくさん、感動できたらなおさらいいぜ。

18:29
 あと30分でお店(夜学バー)に移動して通常営業しますが現在総勢(僕含め)3名です! 3年くらい前から告知してたのに! 10周年には15人(僕含め)くらいきたのに……。2030年7月11日はどうぞよろしくお願いしますね。(何人かはお店のほうにいらっしゃるのだとは思いますが。) ちなみに添え木きてません。

17:43
 陽が隠れた(そしてたぶん二度と出ない)のでベンチに戻りました。まだひとりしかきません。あと1時間ちょい……。

17:01
 1時間経ちました。だれもきません。ひとりでぼんやりしています。陽が出て暑くなってきたので日陰(野外ステージの裏門があるところ)に移動。水音が聞こえます。さっき突然強風に見舞われ、次いでお天気雨がサァーっときて神秘的で感動しておりました。と、書いたところでひとりめが。やったー!

 お店にしろ、ランタンZoneにしろ、10年に一度のオフ会にしろ、「誰か来るかもしれないし誰も来ないからもしれないし誰が来るかもわからない」という状況はたまらない。楽しいばかりではないがきっと好きなんだろう。その原点は幼少期の「公園ジプシー」だろうし、ずっと窓の外を眺めていた中学3年生から高校1年生にかけてのあの時期もきっと同じような気分だった。いつのまにか「待つ」ということの中毒になっている。だから僕は辛抱強く、サイボーグのようにめげずに動き続けるし滅多に怒ることもない。ただ「待つ」ということの苦しさ、切なさ、心細さというものが常にともにある。そこがまあ味噌なのだとは思うけど。
 笹舟だ瓶だ風船だと言っているのは、あるいは祈りというものは、そういうことなんですよね。

16:11
 不忍池のほとり(南側、野外ステージ裏)のベンチにおります。人を待ちます。誰か来るだろうか。思ったより暑くないが、やはりまだ陽は高いです。まあ気長に。

14:50
 プレEz日記をほんの少しだけ公開。

 1998年11月22日
 本文にもあるように、これが僕の「日記」の最初と言っていいと思う。「せめて一冊分」と言って22年続いているわけです。さくらももこ先生って本当にすごいんですね。で、やっぱ『ちびまる子ちゃん』って6巻くらいまで?がとにかくいいよね。

 2000年4月29日
 開設直前の文章。5〜6月は公開できない内容ばかりだったので。真理ちゃん元気かな。ジョセフは添え木です。

 ほかは10年ごとに(興が乗ってきたら)おみせするかも。主にオフ会(本当に10年に一度しかやりません!)で。あとせいぜい5〜6回しか機会がないと思うのでぜひ。

2020/07/11 13:04
 お店で待機中です。雨降らないようなので16時になったらでっかいドラえもん持って野外ステージの裏あたりに行きます。よろしくお願いいたします。ここでしか読めない文章、ここでしか見られない写真、などあります。添え木(副管理人)も呼びました。来るかな。
 現在フォームからのメールが一通、掲示板の書き込み一件、届いております。ありがとうございます!

 このホームページを開いて7月11日で20年経ちました。お祝いのメッセージくざさい。メールフォームも掲示板もございますので。

【オフ会のお知らせ】
 20周年を記念して10年ぶり2度目のオフ会を開催します。
 7月11日(土)16時〜19時 上野公園不忍池南側のベンチ周辺、「上野恩賜公園野外ステージ」の真裏あたり。暑いとやなので夕方にしました。持ち物、参加費、とくになし。飲食物など自分に必要なものを。
 目印は大きなドラえもんです。
 雨天時は夜学バーで。また、13時くらいからお店(徒歩1分)で待機している予定なので、昼しか来られないという方はそちらにどうぞ。0次会ですね。
 19時からはお店を営業しています。(きてね)
 行けない、って方は電報よろしくです。

 10周年のときはわざわざ遠くから来てくれた人(高校の同級生とか)もあり面白かった。10年に一度しか開帳されない(かもしれない)秘蔵の何かを見繕ってもっていきます。裏Ez(!)とか探せばどっかにあるはず。写真とかもいいかもしれない。こんなやつが書いてたんや、っていうの。

 追記。裏Ezを発見し読んでおりますがこれは無理です。手書き日記と同じくらい無理。16-19時のあいだにはいちおう持っていきますが30周年に持ち越す可能性さえあります。「2000年3月22日」のはギリいけるかな……。黒塗りくらいはするかも。

2020.7.10(金) オフ会やります

 裏Ez(!)らしきフォルダと、2000年3月22日(中3の終わり)のできごとを記述した古文書などが出てきました。中2から高1の夏までにかけての日記はノートに書いていてHPと関係ないやんけ、という感じなのですが3月22日のは初めてパソコンで書いた日記で、ある意味これの原点のようなものなのです。顔火だけど、これらとそのほか見つけたらものを持っていきます。詳しくは↑。

2020.7.9(木) 風読みリボン

 夕方家を出て台東区の旅。Kという土地を最近気に入った。今日はLという喫茶店に初めて行ってみた。おじ(い)さんが入り口に立っていて、僕が自転車を停めると中に入った。入店すると「いらっしゃい」とその人に言われ、おしぼりと水を渡されたので「ホットコーヒーくざさい!」と申し出たところ「もうすぐママさん戻ってくるからね」と言われた。よく見るとその人は店の奥でJINROを飲んでいるようだ。お客さんなのだろうか。待っている間によかったらと3ヶ月くらい前のヤンマガとスピリッツを目の前に置かれた。優しい。
 ちょっと前の週刊文春もあったのでせっかくだからと渡部氏の記事を読んでいるとママさん戻ってきてホットコーヒーをいただく。400円也。いいお店。
 前に行ってサイコーだと思った喫茶店Sに行ってみる。「通院のため午後5時ごろ戻ります」との貼り紙。時刻は16時50分くらい。あと10分待てば戻るんだろうけど雨だしなと、合羽着て再び自転車で走り出す。
 通ったことのない道を通る。見たことのなかった居酒屋を見る。そこを通り過ぎたあとで、視界の端に何かが映った。このように「何か」を感じとる習性や、感じたものについて面倒くさがらずにちゃんと戻って確かめる癖が、いつの間にか鍛えられている。雨のなか自転車で方向転換することさえやや億劫なのだが、その「何か」がとんでもない「何か」かもしれないのだから仕方ない。
 この時点では本当に「何か」と言うほかないようなシンプルな直観でしかなかった。定まらぬ全方向の予感。それが建物であることだけはわかっていたし「お店」であるという可能性もよぎってはいたが、確信はおろか予想さえ追いつかない、そのくらいのスピード感でまずは「何か」だけがやってきていた。
 と大袈裟に書いてみたがほんの一秒後には「何か」なるものは具体性を帯びる。風呂場でメガネが曇るくらいの速度。それはまず単に家である。目立つ看板や装飾はなにもない。扉が開いていて内部が少し見えた。テーブルが見えて飲食店の予感があった。とするとあのほんのり電気がついているエリアはカウンターか。よくよく見ると開いている扉のガラスに薄い茶の字で「コーヒーの店 R」と簡単な飾り付きで記されていた。わ、喫茶店やんけ。ぼく、喫茶店を見るなら、ほんとうにすきだ。(こういう断りのない引用を僕は未だによくする。ちと改変してます。)
 しげしげと眺めていたら中にいた方が気づいてくれたので、営業時間と定休日をうかがった。平日の7−12時くらいとのこと。「よかったら今度寄って」と。嬉しい。
 あとでそのお店をインターネットで調べてみたのだが、Googleマップ、食べログ、Rettyはおろか、ブログや個人サイトに至るまでグーグル検索で見つかる情報は何もなかった。TwitterとInstagramでも調べてみたが何もなし。すごい。狐のお店を見つけてしまったのだ。
 途切れのない喫茶店ブームにより23区内でインターネットに捕捉されていない喫茶店などほとんどないと思っていたが、ほとんどないだけで僅かにはあるようだ。散歩の成果。足で稼ぐとはこのこと。幸福な気分のまま日本堤の商店街にあるリサイクルショップでずっと欲しかったカビンを買った。800円。
 そういえば吉原の真ん中に小さな喫茶店があったなとソープ街に潜り込んでKというお店でコーヒーを飲む。350円。ここもじつに素晴らしかった。
 お腹がすいたのでTという食堂でカツカレーを食べる。サラダにブロッコリーが入っていて好物ゆえ昂った。食後に「よかったら」とすいかが供される。いいことづくめ。
 そこから上野に向かう途中で知らなかったお店を二つばかり見つけたので心にメモった。
 19時から1時すぎくらいまでお店にいて、1時40分くらいにT町のBというパン屋の前を通りかかると、果たして開いていた。吸い寄せられるように入店。おばあさんに「朝食べる?」と聞かれたので「朝も、今からも」と答えると玄米のサンドイッチをすすめられた。すでに100円引きになっていたカツサンドをもう50円引いてくれるとも行ってくれた。もう一つ甘いのを買おうと思ったらチーズのおいしそうなやつがあったので手を伸ばそうとするとおばあさんも同時に手を伸ばして「これおいしいよ」と言いかけたところで僕がすでにそのパンに手を伸ばしてることに気付いて「あっ」と小さな声をおあげになった。(これは太宰治の『斜陽』冒頭を意識しております。髪の毛?)
 そしてあらためて「これおいしいんだよ」とつぶやいたものである。
 お金を払おうとしたところ一万円札しかなかったのでコンビニに走って116円の納豆を買った。戻ってお会計をしたらサンドイッチ180円→120円、カツサンド300円→150円、チーズのやつ180円→0円ということになった。合計270円。早起きは三文の得である。
 大好きなKという居酒屋のような食堂へ。営業時間は「1:30〜12:00、14:00〜16:00」と、見事に食堂と居酒屋のゴールデンタイムを外した営業時間。早めの時間(午前2時とか)に行くとだいたいお客は僕くらいなんだけど今日は先客があって座敷で寝袋に入って横たわってるキャップかぶった男性がいた。終始ほぼ無言だった。牛乳ハイとカレールー頼む。770円。ちなみにカレーライスは300円でルーのみだと400円。
 朝10時までやっている大黒湯へ。久々なので間違えてタオルセットの券を買ってしまった。520円。小さいのだけなら30円安いのだ。お酒をちょっと飲んだからなあ軽めに浸かって出た。
 3時半ごろ帰宅して5時ごろ眠る。10時ごろ起きる。件の喫茶Rに行くのだ。ぽつぽつと降るなか行った。2席のテーブルが3つ、4席のテーブルが1つ。合計10席の小さなお店。「小さくてびっくりしたでしょ?」と言われる。たぶん昨日のことは覚えていた。500円の豪華なモーニング。トースト、茹で卵、お味噌汁、サラダとお肉のお皿(この部分は日替わりらしい)に飲み物は「ホットかアイスか」のみ聞かれたので基本はコーヒーなのだろう。
 僕が来たあとも2名の来店があり、僕をのぞいてお客は5名。みなお年を召した女性。新潟県上越市の「秋」という名喫茶を思い出す。女性店主で女性ばかりの集まるお店には独特の雰囲気があって好きだ。
 ひと段落したママさんが僕の向かいの席に腰をおろしぎこちなくスマホを使う。メールしているようだ。それが終わると僕にいろいろ写真を見せながらお話をしてくれた。46歳で開店、78歳で油絵を始めていくつかの賞を取り、現在82歳とのこと。
 お店を出ると口々に「まご?」「マゴ?」「孫?」とささやきあう声がきこえた。噂話。女子。
 Sの前を通ると老齢のマスターがいつもの場所に座っていた。ここもコーヒーしかないので今日は遠慮した。朝から何杯も飲むのはちとこたえる。
 といってM駅前の喫茶M(ここも地図にない)ではついミルクコーヒーを頼んでしまった。ここはコーヒー350円でミルク350円だがミルクコーヒーは450円。わかるようなわからないような値付けだ。コーヒーは作り置きのはずだから原価でいえばミルクがいちばん高いのでは。ここでこの文章を書き始めたが、13時くらいに閉まってしまうらしい餃子屋に行くため途中で切り上げた。
 J商店街にあるそのお店はシャッターが降りていた。定休日ではないはずだ。休んでいるのか、すでに閉めたのか。しかたなく商店街をとぼとぼ歩いていたらすばらしい(と思う)出会いがあった。「なにかし堂」という謎の私設図書館ができており、入って話を聞いてみると思った以上に志のある場所だった。十代の若者にフォーカスした「居場所」的なものを志向しているようなのだが、あまりダイレクトにそういう表現をしたがらないところに好感が持てる。教育らしからぬ教育、という方向性が見てとれて、共感。たまに顔を出そう。思わず『小バー』を寄贈してしまった。こういうところから若者を夜学バーに誘致したいものだ。
 別のお店で餃子を買い(16個660円)、また違うところで紅生姜天ふたつとチーズのなにか(370円)を買い、この文章を仕上げるためOという喫茶店に入った。メロンミルク450円。これからいったん家に帰るが、Hというお店に寄ってみるか、考え中。
 M島のHにきた。(リアルタイム追記。)ミルクセーキ450円。液体ばかり飲んでいる。いったい自分はなぜ液体をこんなに飲みに行くのか。僕にとっては本を読むのと同じである。ここにいながら本を読んだり作業をしたり、テレビを見たりすることは一石二鳥。
 夜です。お店にいます。少しだけ。ミルクセーキを飲んでお手洗いに立ち帰ってくると店主さんから 話しかけられ、夫妻のお話を写真を交えて小30分ほどうかがった。そこから家のほうへ数十メートル行ったところに魚屋さんがあって、何度も素通りしてしまっていて今回も一度は通り過ぎたのだが透明なガラスケースの内側にパンが置いてあったのが面白くて引き返しまじまじと見た。パンのほか空っぽでお魚はなかった。それからもういちど出立したのだがケースの貼り紙が気になって10メートルほど走ってからまた戻った。すると「魚は冷蔵庫にあります」というような意味のことがむずかしい文字で書いてあった。意を決して奥にいるおじいさんに話しかけてみるととっても丁寧な対応をしていただけて鮭を二切れ、サバを二切れ、煮豆と紅生姜をひとパックずつ買った。ちょうど1000円。帰宅。

2020.7.7(火) 七夕の夜、君に会いたい

 日記タイトルは歌詞(または曲名)に限りますな。
 十代の頃とかの僕の日記を読むと引用だらけで、鉤括弧も出典もなかったりするからどこまでが僕の言葉なのか他人にはぜんぜんわかんなかったと思う。引用の理由は当時から「文体を盗むため」。好きな言葉を散りばめて違和感がなければその言葉はもう僕のものだと勝手に思っていた。
 読むほうはシラけてたかもしれないけど僕は本気で、未熟ゆえ言葉にできない感情や思考を、借り物でもとにかく吐き出したかったのだろう。それが栄養になっていくような実感も確かにあった。いつか自分の言葉で書けるようになるために、という気分は持っていたんじゃないかしら。
「七夕の夜、君に会いたい」は名作コピーのようなフレーズで、響く。毎年七夕で思い出すのは弟子()の誕生日とこの曲だ。作詞は松本隆さんだけど、曲名もなのかな。作曲は細野晴臣さん。あわせたらタカオミですな。笛が足りない。

2020.7.6(月) 僕たちの目は見えすぎて

「遠くまで見える目には流れ出す 5月の涙を僕らは誇りに思う」(フリッパーズ・ギター『偶然のナイフ・エッジ・カレス』)

 歌手のAmikaさんがこんな記事を書いていた。サブスクリプションサービスでアルバム2枚聴けるのでぜひ。とりあえず1stの『世界』『住宅』『ふたつのこころ』(デビュー曲)あたりをじっくり聴けばどれほどすごい人かはすぐわかるでしょう。あとはYouTubeにあるPV等をなめるようにご覧ください。サブスクにないものについてはご相談ください。僕は2005年発表の現時点での最新スタジオ録音オリジナル曲(のはず)『日々を繋ぐ』が本当に好きだなー。
 公式HPはAmika.jp。こちらはご本人が自力で作っているようです。そういうところもすばらしい。自力ですよ自力、これからは。

 Amikaさんは「極度の遠視で、調整すると視力が軽く2.0以上にな」るということにどうやら最近気づいた(なんなら近視だと思っていた?)ようで、こう続けます。有料部分ですがほんの少し引用。

遠視は、普段から強過ぎるレンズ(眼)でいろんな物が見えて情報量が多過ぎてしまうということ。 だから逆に「映っているのに見ていない」ということが多く起きているそうで。

「周りが全く見えてない」というのはメタファーでも何でもなく身体的特徴からだったのかと知り、腑に落ちました。
自動的な情報の取捨選択?

 このあと、「食事中に飛んでる蚊を箸でつかんだことがあ」るとか、「無意識に視界の端に飛んでた蚊を裏手で払いながら3匹一気に捕まえることもある」とか、「交通事故に遭った時にギリギリのタイミングで自転車から飛び降りて無傷だった」とか、すごいエピソードが続出します。
 歌を聴いていると視点の鋭さに驚かされっぱなしなのですが、この「身体的特徴」の結果でもあるのかも。

この「普段は全く見てないけど実は見えていた」というのは遠視が関わってたんですね。
見えてたけど見ていなくて、
見ていないのに見えていた、と。

 僕は遠視というわけではないと思うけど両眼とも1.5くらいあって、ちょっとだけわかるような気がします。自転車で事故ったことは何度もあります(!)が、それで怪我をしたことは一度もありません。すべて無傷。蚊を箸で捕まえたことはないけど。
 一方で毎日のように頭を打ちます。当たり判定がバグっております。でも自転車の操縦はとても上手だと思ってます。見えるはずのものが見えてなくて、え、それ見えてたの? というものが見えていたりする、という感覚はなんとなくあるわけです。

 遠近感ってもんがないのかもな、とも思います。近いか遠いかの判断があまりできていないのではないか。そもそも立体的なものを把握するのが苦手で、絵筆を持っても郵便ポストすら満足に描けません。数学でも立体図形の問題になると途端に正答率が下がってしまいます。
 自転車に乗っている時も歩いている時も、実のところ頭の中は縦スクロールのシューティングゲーム(ゼビウスやツインビーみたいなの)をやっているようなイメージ。平面の上で敵機や弾を避けながら自機を進めていくような感じです。遠近を直観的に捉えているのではなくて、平面に移し替えた時にどのくらいの距離になるか、というように変換している感覚さえあります。
 それはひょっとして目の特性で、近いものも遠いものも等しく見えている、ということなのかも。「縦シュー」をやる人はわかると思いますが、近くの敵と遠くの敵とを「同時に」見て、位置や動きや弾の方向を常に「同時に」確認しながら自機をコントロールする、というのが基本なのです。ちなみに僕はそれなりに縦シュー上手です。
 誰かと街を歩いていて、我とかれとで見ているものが全然違うことに驚くこともけっこうあります。大阪の十三で「家庭料理おかわり」というお店を見つけた時も、百メートル以上向こうの看板を指差し「あそこ行こう」と友達に言った覚えが。

 近いものと遠いものとを同じ感覚で見ている、ような気がする。そうだとすると、この「身体的特徴」は僕の基本的な考え方と直結しているのでは。すべてフラットに見ようとすること。

 宮城県の松島に行った時の感動を僕はこう記述しております。(2018年1月22日の日記、1月10日の項)

 たくさんのものが、いろんな距離にあると、脳はいそがしい。松島の海では、どの島がどのくらいの距離にあるのか、それぞれの座標を瞬時に把握しなければならない。それも、完全に同時に。
 そのことを諦めたり、やめたりして、すべてを平等に感じるような美しさ、壮大さもあると思うし、そのまま見続けて、慣れていくことにもある種のトランスがあるのかもしれない。

 たぶん、僕が一瞬で松島の虜になってしまったのは、近景と遠景のグラデーションがすべて同時に脳内に入ってきて、そのいずれもが美しかったせい。膨大な上質の情報で幸福にパンクした、というような。あんなに無数の要素があるのに、まるで一枚の抽象画のようにダイレクトに迫る。
 それが「すべてを平等に感じるような美しさ」であって、それは2005年に書いた有名な詩「全てが美しい」にすでにあらわれております。

川に降りる
声を聴く
生命を感じる
草むらの中にキラリと光る
さっき投げたビー玉
橋の下に住む老人達の寝息
風のざわめき
川のせせらぎ
発狂寸前のこの心
土の混じった爪の垢
全てが美しい
全てが美しい

 当時これを褒めてくれた(なんなら未だに褒めてくれる)のは僕の友達の中でもけっこうな埒外人間である雷帝ことGroznyくん。高校の頃の日記にたまに出てくる、急に金髪で登校してきた子(2002年11月13日)。さもありなん、ありがたいです。

 僕のテッテした平等主義(過去ログのページから「平等」という言葉で日記内検索していただけると捗ります)の象徴が松島であって、夜の川原であって、散歩で目に映る風景なんだと思います。
 夜、奈良の平城宮跡に行った時の感動もたぶん同じで、「悠久の前にすべては平等!」という気分だったのかも。まだ工事が進んでなくて、真っ暗でだだっ広い野原の真ん中に遺る紫宸殿跡の上で冷たい空気を吸い込んでいた。1300年という壮大な時効の上に立って、「はあああ」とあらゆるしがらみからの解放を感じたのでしょう。「これだ、これが時間なのだ」とか叫びながら。(「平城宮跡のように」という詩もありました。)

 すべてが見えていつつ、何も見えていない。まったく意味がわからないような書き方ですが、本当にそれしか言いようのない見え方があるように思います。情報量が多すぎて、そのせいで捨てているものが多くなる。広すぎるはずの視野を、無意識に自分で狭めている。
 生きているだけでめちゃくちゃ疲れるのはものごとをいちいち考えすぎるからかなと思っていたのですが、見えすぎるとか聞こえすぎるみたいなことのほうが問題なのかも。
 聴力についても同じようなことを思っていて、どうも音を音としか認識しないらしい。それが言葉であるかどうかとか、どういう意味を持つのかといったことはその都度判断しなければならないようなのです。声をかけられても聞こえていない時がよくあります。すべての音が聞こえているんだけど、何も聞こえていないというか。聞こえすぎているはずなのに、すべてを聞いてしまうわけにはいかないから、聞いているもの以外は聞こえないように自分で狭めている、のかも。
 狭めるから、その狭い部分に集中する。それを過集中とか言うんでしょうなあ。
 集中しているものに対しては恐ろしく集中するけれども、それ以外のものには散漫になる。普段はすべてを散漫に感じている。そんなふうかしら。
 この場合、散漫とは平等であって、集中とは贔屓、ないし差別です。
 僕の行動とか考えることというのは、たいがいこれで説明できそう。

 本当はすべてを散漫に、平等に、松島を眺めるみたいに捉えていたいんだろうなあ、と思います。それだと生きていくことが難しいから、どうしても集中しなければならない。ミクロにもマクロにも、そういうふうになっている。はあ、いくつになってもわかることが毎日多い。自分をわかっていくことは魅惑的で楽しいのですが、これほど疲れることもまたほかにないです。


 ところで仏教の悟りというのは「すべてのものが平等に感じられる」境地のことを言うのだと聞いたことがあります。自分の親とそのへんの石ころを等価に思えるような。さすがにそこまでは難しいよなと思いますが、究極には理想ってそういうレベルのもんだろなとは考えます。

2020.7.5(日) 時間がかかる

 当たり前のことだけど時間はかかるし、時間がかかるまではつらい。
 つらい中で時間をかけなきゃいけないからとても大変である。
 死ぬまでに時間がかかりきらないかもしれないこともたくさんある。
 それでも優しさを手抜きしないということが時間をかけるということなのだろう。

2020.7.4(土) スプーン

 昨夜は家に帰ってドラえもんを読み、心もちを静かに落ち着かせて、ドラえもんとモンガーと一緒に布団に入ってみたらとめどなく涙があふれた。もうほぼ限界である。
 今のところ僕にはどんな時でも味方になっていてくれる人がちゃんといるので転んでしまうことはないと思う。夜中に友人からの依頼(文章に関するもの)をうなりつつこなし、4時間くらい寝たら目がさめてしまったので好きな喫茶店に来た。いまコーヒーを飲んでいる。
 平日は朝8時から13時10分まで、土日祝は8時から11時まで。不定休。近所でなければなかなか通いにくい。ここらに住んでいて本当に良かった。実家のそばに「つねかわ」があるように、好きなお店が存在していてくれるのは心強い。ただしもちろん永遠ではなく、たぶん僕が死ぬよりはずっと早くなくなってしまう。そんなことにさえいちいちセンチメンタルになる。
 なぜそんなに傷心であるのか。昨日も書いたけど、それをわかってくれる人が一人でも多くいてほしいよ。全然質は違うんだろうけど、黙々と家事をこなすお母さんの気持ちがわかる気がする。
「当たり前じゃねえからな」ってめちゃイケの、久々に山本圭壱さんが出演した回で加藤浩次さんが言ってましたね。当たり前じゃないんだ何もかも。みんなそれぞれ大変なのだ。
 最近バズってたWebマンガで、カレーを食べようとした夫が「ママ スプーンがないよ」ってつぶやくシーンがあった。いつだって目の前にスプーンがあるの、当たり前じゃねえからな。ってことだと思う。
 あす都知事選なので都内はわりかしその話題。この喫茶店でもゆらり聞こえてくる。当たり前じゃねえからな。みんな何だって「当たり前」と思ってるんだろうか。
 準備されてるんだ。スプーンと同じ。みんな何気なくそのスプーンで食べてる。スプーンがどこから来てどこへ行くのか想像さえしない。
 僕が怒りたいのは、「スプーンさん来てくれてありがとう」とか「スプーンを大切に使わなければ」とかいった人たち。じゃなくって、スプーンとは結局なんなのか、そもそもスプーンを使う必要があるのか、とかいったところから考えてみてくれよ、いっぺん、っていうようなこと。
 例の漫画では、「これ手で食べるタイプ?」というセリフがつづく。手で食べりゃいいじゃん。手で食べるタイプだと思ったら手で食べればいい。でもみんな、「手で食べるタイプ?」と聞くだけだ。そんでスプーンを待つ。
 この漫画に対する感想として正解は「夫よ、スプーンくらい自分で用意したまえ」だと思うのだが、それとは別に思うのは、「手で食べるタイプ?」というところまで到達したなら、あと一歩なのだぞ、ということ。手で食べろよ、マジデ。あるいは犬みたいに。
 何を怖がっているんだ。
「スプーンがいつだって目の前にあること」を当たり前だと思ってはいけない。同時に、「カレーはスプーンで食べる」ということを当たり前だと思う必要はない。
 ところがほとんどの人は「手で食べるタイプ?」と口にするにとどまる。そういうことに僕はいちいち傷ついている。(意味がわからないとは思いますが。)
 僕の友達には良い子が多いので、「スプーンを自分で用意する」ことくらいできるだろう。しかし、「どうすればいいかを自分で考えて実行する」ということをどのくらいできるかといえば、かなり疑問である。
 その場にいるみんながスプーンを使っているなかで、自分だけ手で食べたり犬のように顔を出して食べるのは孤独だし、顰蹙さえかうかもしれない。
 人を不快にはさせたくないから、たとえば隠れて手で食べるよね。
 傷つけられたくもないし。
 そいで泣きながらあとで手を洗う。こっそりと。
 僕の住む街にとてもおいしいバングラデシュのカレー屋さんがあって、最初のうちは僕もスプーンで食べてたんだけど、「おいしい」と伝えると「手で食べたらもっとオイシイヨー」と返されるので、いつからか手で食べるようになった。そしたら確かに、めっちゃおいしい。よく混ざって、そのせいか胃もたれもしない。手触りでわかるから、口の中で骨をより分ける必要もなくなる。ものすごく合理的な食べ方なのだ。
 選挙があるから選挙の話をして、投票に行って、ってのは結構なんだけど、それをやりながらでもなんでも、それが所詮はスプーンの一本でしかないということを考えてみてほしいのですよ。
 バングラデシュのカレー屋さんたちはたぶん参政権がない。投票できない。カレーは手で食べる。彼らは彼らなり考えてる。地球はいつでも回ってる。195カ国の夢を乗せながら。
 結局、自分ってことなんですから、与えられたものにイエスノー言ってるばっかじゃなくて、オリジナルのことをなんでもいいからやってみって。
 そういう、つまり「返事じゃない言葉」みたいなのを、僕はもっと聞きたい。そういう人たちが集まる場所を確保するのが僕の目あてで、そのために孤独を引き受けているつもりなのだ。
 そうやってがんばっている最中、蜘蛛の子散らすように「孤独」から脱けて、「みんな」になって安心な顔してる、みたいな人たちが見えてしまう。疲れているからだな。
 まあ、そろそろ休みます。覚悟を捨てるほど腐りはしません。このうらみ、忘れないので。

2020.7.3(金) 孤独のしくみ

 さみしい。孤独である。なぜといえば、みんなが「みんな」だからである。すなわちみんなが孤独でないからだ。
 孤独な人間が共感するのは孤独な人間。孤独というのはたった一人ということなんだけど、たった一人を選び取ろうという人があまりにも少ないように見えて、僕はさみしい。
 とりわけ、この数ヶ月で見せつけられた。ほとんどのみんなは「みんな」という行動規範を選ぶ。「たった一人」であるような自分の行動をとることをしなかった。それを見て僕は「ああ、そうか自分はそこまで孤独なのか」と思わなくてはならなかった。孤独な人間ってのはそんなにも少ないのかと。
 僕は孤独にしている。とてもさみしい。だから「こんなに孤独な人間がここにいるよ」という発信を常にしている。孤独な人間に共感する孤独な人間は、きっとそれを見て会いにきてくれるだろう、「わかるよ、孤独だよね」と声をかけあえるだろう。そう信じてきたふしがある。
 吐きそうになりながら瓶や笹舟を流し、風船を飛ばす。どこかの孤独にたどり着くように。それによって自分の孤独がいつか癒されるために。
 実りがないとはいわない。十分にある。しかしなにか違う。いったいこの満たされなさはなんなのだ? と思ったとき、やっぱり「いざという時にあえて孤独になろうという人なんていない」という予想が浮かんだ。
 孤独でない人間は孤独でない人間を癒すことができる。あるいは、孤独な人間を「孤独でないほう」へいざなうことができる。しかし孤独な人間を孤独なまま愛せるのは、孤独な人間だけなのだ。
 その孤独な人たちのために、あえて孤独でいようという人が、もっといてくれたら、僕の孤独はもうちょっと救われるはずなんだけどな、と今さっき思い当たった。
 みんなは「みんな」になろうとする。自分であることをいったん捨てる、あるいは忘れる。「みんな」になるため孤独を捨てる。そしてことが終われば、また孤独を気取る。
 ずっと孤独でいることは本当に孤独だ。好きな時に孤独になって、好きな時に「みんな」になっていいのなら、どれだけ楽だろう。
 もちろん世の中には選ぼうと思っても「みんな」になれない人もいる。そういう人はもっとつらいと思う。僕は選ぼうと思えば選べるのかもしれない。だから孤独でいることの責任は自分で負うのが筋である。嫌ならやめればいいんだから。
 文句を言うつもりはない、自分が勝手にそうしているだけだから。と、ここが最大の孤独ポイントなのですね。
「やりたくてやってるだけ」なんだから、いやならやめればいい。それがわかっているから、誰にも何もいえないのだ。
 孤独がいやならこっちにくればいいじゃない、あなたも「みんな」になればいいじゃない。という声は当然、ここにも聞こえてくる。それを選ばないのは僕の勝手だ。そういうへそまがりは、そっぽ向かれたって仕方ない。
 それでも孤独を決め込むのは、それがカッコいいと思っているからだし、それによって癒される孤独があるということを知っているから。
 その「癒される孤独」ってのは、「孤独な人の孤独」だけでなくて、「孤独じゃない人の心にたまに浮かぶ孤独」でもある。だから、重宝はされる。
 見返りもある。得はする。だけど孤独が癒されるってことは別にない。
「さみしいね」と言い合える相手がもうちょっとだけほしい。(いるにはいるのです。いつもありがとう沢山の友達。)

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