少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
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突然ですが本日10/31(金)22:00~25:00くらいまで、「ウーチャカ大放送 最終回スペシャル」をお送りいたします。懐かしいですね~。内容は未定。Twitterのハッシュタグは「#ウーチャカ」、僕のアカウントは@ozakit_Jackyです。フォローできる方はこの機会によろしくです。24時に30歳になりますので、お祝いメッセージお待ちしております~。
アドレスはたぶん
http://std1.ladio.net:8010/jacky
なのですが、ポートなどの関係で変わるかもしれません。見つからない場合はTwitterを見るか、ねとらじで「ウーチャカ」と検索してもらえればと思います。
ウーチャカ大放送は2005年か2006年くらいから断続的にやっているネットラジオで、一時期は毎週火曜日の22時~25時と時間を決めてやっておりました。友達とぐだぐだしゃべったりドラえもん落語やったりレタスと野球拳したり懐かしいです。今回最終回としましたが、その理由とかについては放送で。よろしくお願いいたします。
30歳ってことなので半生を振り返ったり質問に答えたり昔の作文を読み上げたりすると思います。あの恥ずかしい主題歌もかけたいですね。
リニューアルは1日のうちにどうにか間に合えばいいなって思ってます……。
鍋は夕方17時半から! 夜は適当に帰ります。たくさんあるのでたくさん作ります。
11/1(土)、30歳を迎えるのでこのHPはリニューアルするつもりです。まだ何も作っていませんが少しずつやっていきます。つきましてはひっそりとお誕生日会を開催したいと思います。スガキヤ鍋食べます。ここ以外で告知はしませんので最低2名(副管理人とサシ)で催行されるかもしれませんが読者さまにおかれましてはよろしくお願いいたします。昼過ぎに緩やかに集まって、少しずつ鍋を食べ続ける予定です。
10/30(木) 30歳まであと2日(僕の学びの遍歴)
何のために学ぶのか、という問題は常々僕を悩ませてきました。僕は「やりたくないことはやらない」でずっとやってきたのですが、ある時点から学校の勉強が「やりたいこと」になってしまったので、「何のために学ぶのか」ということを考える必要がなくなりました。それは幸福なことではありますが、「何のために学ぶのか」で悩んでいる人の気持ちがわからない、という、「教える」側としては致命的な状況に陥ったともいえます。
小学校低学年の時はまったく勉強しないで、お母さんまで呼び出されてお説教をくらったりしていました。「なんでこんなことしなきゃいけないの?」はここでピークに達します。宿題をちっともやってこない、ということで怒られたのをよく覚えているのですが、その宿題というのは「ひらがなの書き取り」でした。このとき、ひらがなの書き取りをまじめにやらなかったせいで、僕はいまだに字を書くのが下手なんだと思います。(字が下手だから書き取りの宿題をやる気にならなかった、という順序もあるでしょうが、それではやはり上達しません……。)そのことは後悔しています。ところが小学三年生のとき、僕が算数でかなりいい点(と言っても93点くらい)をとって、おそらく文章題の解き方が鮮やかだったのでしょう、「この答案を参考にするように」と、先生が教室に僕の答案を張り出しました。このことが僕の心に象徴として強く残り、「自分は賢いのではないか」という意識を芽生えさせました。(小学三年生といえば僕は授業で『山そう村の大事けん』という大作を書いて、「自分は作文が得意なのではないか」という意識も芽生えさせており、個人的にかなり重要な年だったといえます。)
それから小学生のうちはいわゆる「特にがんばらなくてもいい点が取れる」生徒でした。でもそれはそういうもんだと思っていたので、とりわけ「自分はできる」という気持ちはありません。(できないという意識ももちろんありませんが。)兄が「テストなんて授業でやったことしか出ないんだから100点とれて当たり前」などと言うので、そうなのかと思っていたのもあります。この理屈は今でも、なるほど確かに、と思います。確かに(基本的には)授業でやったことしかテストには出ません。それでも99%くらいの人が100点を取れないというのは、「一度聞けばわかるだろう!」といった叱責が実にナンセンスだということを物語ります。なんでも一度言ってわかるもんならみんなが100点とれないといけません。
中学生になると「テスト勉強」という概念が入り込んできます。美味しんぼサイズの歴史の教科書に一所懸命線を引っ張っていたことを覚えています。それで決して悪くはない順位をとります。よくもないですが、「意外とできるんだね」と言われる程度の、中の上とか上の下といった風情です。
でもやっぱり、基本的にはまだ勉強なんてやりたくないものですから、授業はちっとも聞いていないし、テスト前も一夜漬けです。当時の「相対評価」の上では授業態度やひごろのおこないが重要視されたので、不真面目な僕なんかはたとえテストでそこそこの点をとっても5段階評価で2か3あたりにされていました。それで別段いやでもなかったし両親もそんなもんかと思っていたと思います。3年生になって「高校受験というものがあり、そこでは通知表の成績が重視されるらしい」ことを知ると、僕はとたんに先生の話を聞く(態度を見せる)ようになり、そのぶん成績も上がって、1回目の公民のテストでは100点を取ったような気がします。そのへんからテスト順位も学年一桁くらいになったりもして「自分は賢いのではないか」という意識が再び表面化してきます。少々天狗です。ところがそれは所詮学校の定期テストでのことで、短期的な丸暗記のたまものであり、1・2年生で学んだ内容がほとんど頭に入っていないし、3年生でやったことも一瞬で忘れていくわけなので、年が明けて2月に受けた私立高校の試験はズタボロでした。こんなことがあるのかというくらい解けませんでした。
この辺はちょっと自分の中で伝説化されていてどこまで事実と符合しているのかはもうわかりません。とにかく僕はそこで大ショックを受け、このままでは中卒で浪人……というところまで想像しまして、心機一転、学校で配られていたベネッセの「学習と完成」という教材を5教科ぶん丸暗記しました。やっぱり暗記なのですが暗記は得意だったのでこれは苦もなくできました。そして見事、3月の公立受験では時間切れで解けなかった数学を除き4教科を満点で志望校に合格! というのが僕の伝説的ストーリーでいつも喜助的条理(『高瀬舟』より)のもと展開される話なのですが、実際3年生の一年間はよく勉強しました。家で何かをした記憶は一切ありませんが帰り道に友達と問題(歴史の年号のみ)を出し合ったりしていたのは覚えています。そいつのメアドは未だに「375german」とかそういう感じです。いい友達をもちました。それとさすがに年が明けてからは家でも何かやっていたと思います。たぶん「学習と完成」を読んだりしていたのかなとは。あまり覚えていません。それは作業としては楽しかったかもしれませんが、知的な刺激はほとんど感じておりませんでした。それで高校に入ります。
高校に入っても僕はよだれを垂らしながら生活をしていました。部活に出て、漫画を読んで、アニメの再放送を見ていました。(その頃にはもう新番組はほとんどチェックしておらず、BSアニメ劇場で『宇宙船サジタリウス』とかを見ていたものです。)勉強が楽しいの、楽しくないのということはほとんど考えない、幸福な人間でした。やりたくなければやりませんでした。数学でふざけた解答を書いて0点を取って呼び出されて激怒されてそれを茶化して日記に書いたら職員室中でその文章が回覧されて大騒動になり再び呼び出されて怒られたりとかしました。余談ですがそのとき「ホームページを閉鎖しろ」と言われ、僕はかたくなに「それだけはいやだしそんな権限はどこにもない。インターネットを一般に開放しておいてそれに関する法整備がまったくなされていない現状が悪い、そういう法律や校則があるなら僕はやめます。やめるべきと思うなら根拠を示してルールを作ってください」と主張したのを覚えています。高校2年生の時ですがよく言ったもんです、この考えは今もほとんど変わっておりません。ただまあ、先生を傷つけたというのならそれは反省すべきことなので、その記事くらいは削除すべきだったと思いますがしませんでしたね……申し訳ないことですが少年は意固地になって自分の主張を通したがったのでしょう。教員ならばそういう少年をこそ、言葉を尽くして説得するか、それができなければどこかで「納得」せねばなりませんよね。山本先生、あなたは手を抜いた!(と、今でも思っています。)
そんな僕が勉強を楽しいと思うようになるのは3年生になってすぐです。それは数名のすばらしい先生のおかげなのですがそれについてはすでに何度も書いたしこれからも書くでしょうから略します。とにかく僕はそこで「勉強」というものを、「学ぶ」という言葉に言い換えても差し支えのないような、豊かなものに感じ始めたのです。これまでは「暗記」が中心の勉強法しか知りませんでしたが、理屈をほどいていけば「すべてがつながっている」とわかったのです。(これは
シオン
も言っていましたね。彼と同じ気づきをしたのかもしれないし彼のおかげで僕はそういうふうに思えたのかもしれません。)
僕が「学ぶ」ということに感じた魅力は、「つながっているとわかること」です。「なるほど!」とわかる瞬間の心地よさです。でも、そういう説明では普遍的・一般的な「学ぶ理由」にはなりません。個人的な快感でしかないです。だから「何のために学ぶのか」を問われると、悩んでしまうのです。「だって楽しいもん」になりかねません。
実は、気持ちいいというのは結果であって、僕が気持ちいいと思う理由は、ちゃんとした説明ができると思うのです。なぜ僕は「わかる」と気持ちがいいのか。「わかる」とはどういうことなのか。……それが「知るコトを知る」ということなんだと、今の僕は理解しています。そのために、また学びを重ねる。
僕が「わかる」を気持ちいいと感じるのは、きっと壮大な、普遍な、大切な理由や意味があるはずです。そう信じます。だからこそ、「それはいったい何なのだ?」を考えながら、その「何か」のありそうな方向のにおいをかぎ取って、学びを積み重ねます。
「なるほど!」と思った瞬間、僕が獲得している「何か」。それにはきっと大きな意味があって、しかも他のどんな人たちにも共通して大切なこと。そんな予感があります。それを考えてみることが、僕の散歩の意味だった、のではないかと。
たとえば「文学を学ぶ意味」「古典を学ぶ意味」……こういったことの答えは簡単に出せるものではありませんが、もうちょっとで一段落つくような気もしているのです。
10/28(火) 30歳まであと4日
「お前は 知るコトを知るために学んでいるのだな」(
出典
)
この人
がアドビス国の王子シオンに言ったせりふであります。この百科事典はなかなかアツい、「できてナイ 知ると思うコト 知る入口」「本当は知らない でも望む」(カイ訳:「理解できるわけではない でも知りたいと望むコトが 理解への第一歩」)など『刻の大地』のせりふもカバーしている。
「炎に対し水で消すほかに、風で回避したり、土嚢で防御したりできる。このまま剣の道のみ信じ続けると、カイ、お前の一番大切にしているものを忘れてしまう」
この台詞は『寄生獣』でミギーが言う「例えばお互いの戦力を「強さ」や「大きさ」だけで比較するのではなく「形」や「色」や「におい」でも比べてみる……どうだ?」というのなんかも連想させる。
30になるから昔のことをよく思い返す……いや、年がら年中僕は過去のことばかりを思い出しているわけですが、今はとりわけそのことを意識してしまいますね。小学校高学年(忘れた)の時に僕は『いろんなやりかた』って作文(現存)を書いた。それは『ドラえもん』の第一話「未来の国からはるばると」に登場するセワシ理論(東京から大阪に行くにはいろんな方法があるけど、どの手段を選ぼうが結局は大阪に着くよね、というアレ)を敷衍したというかヒントにしたもので、「やりたいことがあったとして、それを実現させる方法は一つではない。いろんなやりかたがあって、自分のできるもの、自分に合ったものをすればいい」というような内容だった(はず)。現存してるのであとで探してみよう。
僕の考え方の基礎にはずっとこれがある。『ドラえもん』を愛する僕は延々とセワシ理論を信奉し続けている。ザード理論もすべて同じように僕の中に息づいている。
「知るコトを知るために学んでいるのだな」というせりふの出てくるシーンについては、以前にも詳しく書いた(
これ
。最近読み返して泣いてしまった)が、このせりふについては特に深く突っ込まなかったので、今回改めて何か書いてみる。
こないだ書いた「生きるために死にたいと思う」……「死のうと思うことで生きることを確認する」というのもわかりにくい逆説だったけど、「知るコトを知るために学ぶ」ってのもよく、わからない。
たぶんシオンががむしゃらに学んでいたのは、はじめは「わからない」からだったんだろうと思う。彼はとにかく「知りたい」と思った。自分が何者なのかわからない、本当にアドビスの王子であるのか、本当に父親の子なのか、なぜ自分は王家の血筋でありながら僧侶(クレリック)ではなく魔法使い(ウィザード)として生まれてきてしまったのか。それがだんだん、「知る・学ぶ」ということそのものの魔力に、とてつもない壮大さにかぶれ、ついに、知ろうとすればするほどわからなくなる、という状態になってしまった。(このあたりからはもう、シオンというよりは僕の話になっていく。)
わかろうとすればするほどわからなくなる。「わかる」ということがあまりにも壮大だからだ。真理らしきものに、近づけば近づくほど、それがあまりに巨大で、人智を超えていて、それゆえに、そこへ行こうとすることが馬鹿馬鹿しくすら思えてくる。学べば学ぶほどに、賢くなり、もっと単純で普遍的な答えへの道が予感できてしまう。自分の限界もわかってしまう。それなのに「知りたい」という欲求がなくなることはない。自分が本当は何をしたいのか、まったくわからない。「知る・学ぶ」ことによって見える、近づくと信じていた真理から、まったく遠いところに新たな問いが発生してしまった、解決すると信じてきた「わからない」よりも、もっと大きくて恐ろしい「わからない」がそこにあることを知ってしまった。
出自やら、理由やら、そういった「事実」や「論理」によって解答可能な問いなど、たとえ解決したところで、もっと深淵にある「自分がわからない」という問題はいっさい動かない。「自分とは何か」を考え詰めた人間は、「自分などというものはない」とか「自分というものがわかることなどない」という利口な答えにきっと行き着く。その後に、「では、わかるというのはどういうことなのだ?」「わかる、ということ以外に、知ったり学んだりすることによって得られるこの、よくわからない“もの”はいったいなんなんだ?」という、複雑で単純でなぞなぞめいたぐちゃぐちゃの問いにより取り囲まれる。
「わからない」ことの答えを知れば、その「わからない」はなくなる。しかし、どうやら「わかる」というのは、戦闘機のゲームで敵を撃ち落とすような、そういう類いのものではないらしい。もしそうだとしたらそのゲームは永遠に終わることがない。では「わからない」とか「わかる」といったことはいったい何なのであろうか? 単なる「クエスチョン」と「アンサー」ではないとしたら、いったい?
そして、そのようであるならば、知らないことを知ること、知るために学ぶことには、何の意味があるのだろう。
そのことは僕は、シオンの言葉をあえて借りるなら「今ごろなんとなくわかったよーな気がする」。
むちゃくちゃな書きぶりになった(暇な人は五百回くらい読んでください)。もうちょっと具体的な話はまた明日にでも?
99年頃からネット上で追っかけていた人にようやく会うことができた。思いの丈を伝えると、「自分のしてきたことが成仏するような気がします」と言ってくれた。それは僕のほうも同じだった。15年間ずっと、彼の書くものや、彼の人格そのものを好きだと想い続けてきた、その気持ちがついに報われて、僕は本当に嬉しかったのです。
そういうことの繰り返し、出逢ったり、何度も出逢ったりすることが、「人間は信じられる、人生は生きるに値する」(岡田淳さんの言葉)というような、未来を好きだと思えるような力になる。これまでと今とこれからのすべてが祝福されているような気になる。良かった。
あの娘のことが好きなのは
赤いタンバリンを上手に撃つから
流れ星一個盗んで
目の前に差し出した時の顔が見たい Oh
愛という言葉に
火をつけて燃え上がらす
いくらか未来が好きになる
BLANKEY JET CITY 赤いタンバリン
川本真琴
10分後にはキスしてるかもしんない 今生まれたの
10分前
手をつないで次に何をするの? 未来はいつも難しい
ひまわり
1秒後占う方が ずっと難しいことだって気づかない
キャラメル
スターライト 歩いていこう 悲しみがあとで来ても
月の缶
盆には帰るよ
クローゼット
川本真琴さんの『音楽の世界へようこそ』というアルバムの歌詞カードを眺めていたら、ものすごく良くて、詩として読めると思うとともに、詩として成立しすぎていて歌われた時に意味として心に入ってきていなかったことに気がついた。とても重要なことを歌っていて、でもそれは詩として音の中に溶け込んでいるから、意味としてではなく、空気として、シーンとして、漠然とした優しさとして、受け取っていたような気がする。
「仏のムスケル」という言葉で検索してこのサイトにたどり着いたという人がいる。その人は僕の高校時代の日記について「天才!」と言ってくれた。僕もそう思う。高校生の僕は天才だったのかもしれない。石川啄木が「雲は天才である」と言ったような意味でそうだと思う。当時の僕はがむしゃらだったから、それ以外ではありえないほどに自然だったから、まるで雲のように天才だったと思う。
そこはとても残酷で
吐き出せば吐き出すほど
もがけばもがくほど光放つ
SOPHIA 夢
吐き出せば吐き出すほど、もがけばもがくほど光放つ。たとえば太宰治はそういう作家だという見方もある。高校生の僕は吐けるだけ吐いていた。同じように吐き続けられる人は輝き続けられるのかもしれない。しかし大抵の人は主として社会的な事情からそれができなくなる。それでも続けていると破滅して死ぬ。幾人かの有名人や知人友人の顔が浮かぶ。
とりとめなく、自由な……いや、自由になろうと必死にもがいていた高校生は実に伸びやかに狭く苦しんでいた。
だいたいちょうど一年前に僕は非常に苦しんでいた。今でも一日に五回くらいは思い出す。苦しくはならない。「ああ、あんなこともあったな」と思い出す。一日に五回くらい一瞬のフラッシュバックに襲われる。襲われると言ってもちょっとした連想で目の前にパッと何かの映像や意味が浮かぶくらいのことで、それで苦しいということはない。嫌だなと思う程度だ。それは耳の近くを蚊が飛び過ぎるのとそうは変わらない。ゴキブリと出逢うよりはマシである。そんなことはたぶん誰にでも多かれ少なかれあるだろうし僕もきっと誰かにそういう呪いのような一瞬をたくさん与えてしまってきたと思う。またその相手が自分の本当に大切な人である場合も少なくはないと思う。でも僕や彼らはそのことを踏まえた上で愛し合い仲良く生きている。あるいはそういうことを踏まえた上で、二度と会わないとか、会ったら殺すとか、もうどうでもいいとか色々に思いながら生きている。あまり爽やかな話ではないがこれも雲のようだ。
一年間かけて少しずつ平癒してきてだいたい何にも気にならず日常生活を送れているので今さら何かを言うのもそれほど意味がないのだがそれにしても面白い。一年前に僕は「一年だな」と思っていたのである。一年経っても消えるということはないだろうがほとんど気にならなくはなっているし誰かに迷惑をかけるということもほぼなくなっているだろうと予想していたのがだいたい当たった。もう別に何も気にならない。一日に五匹虫が飛ぶ。その程度である。その傷よりも重く大きく幸せな日常が今ここにあるのだから。そして考えてみればやっぱり悪いのは僕でもあるのだから。苦しみという観点から見れば以上のような感じだがそれ以外の観点で見れば僕はずいぶん反省したし素直になったしそれなりに人間らしい生活を生き始められていると思う。だからドラえもんは安心して未来に帰ってほしいし一休さんは旅に出てもらって構いません。
そう僕は幸せなのである。結城恭介先生の初期の小説で『たぶんしあわせ……』という名作がある。新潮文庫の『美琴姫様騒動始末』に入っていて、20ページ弱の短編。僕の人生を確実に変えてしまった一冊なので、是非ともほかの作品も合わせて読んでみてください。懐かしいのでこの作品をこれから読み返し、続きを書くことにする。
……読んだ。高校生のころ初めて読んだ時は「なんかよくわからない」というような感想だった気がする。面白いのかどうかもわからなかった。正直そんなに面白くなかったのかもしれない。結城恭介先生の作品なんだし面白いはずだと思って読んでいたと思う。でもとても印象に残った。正直に言ってしまえばあんまり面白くなかったはずだけど何か印象に残った。そういうものってある。そういうものが何年もして口を開けるような時も。
これも「結果論」(作中に出てくる言葉だ)なのかもしれないが、僕は『たぶんしあわせ……』を読んで、「なんだって幸せなんじゃねーか」ということを学んだと思う。あるいは、それを学ぶための一材料にはなっただろう。生きている限りは、これが「多分幸せ」である、そういう可能性がある。そう信じて歯を食いしばって生きていくのが、未来を知れぬ人間にとって最善のことだ。若い友達が死んで、死んだら何にもならんなと痛感して、それでようやく実感できたんだけど、死んだら幸せもくそもない。
僕はけっこう今でも毎日のように死を想うけど、昔と違うのは今は明らかに生きることをより確実にするために死を想っているというところだ。高校生の頃に友達が「生きるために死にたいと思う」って言ってて、それはその時はあんまりピンとこなかったけど、なんだか印象に残って、ずっと覚えている。『たぶんしあわせ……』と同じような感じだ。昔の僕だってもちろん本当に死のうとか思っていたわけではないのだが、たぶん素直じゃなかったんだろう。生きるために死を想うなんて、かっこ悪いとでもどっかで思っていたのかも。
理想主義的な僕も、理想は理想として、現状も良しとするよ。良しというのは最高ではない。最高ではなくても良しである。良し、という程度のしあわせの、どれほど素晴らしいことか。こういうのはたぶん、人にもよるんだろうけど、年を取らないとわからないことだ。
年か。年を言い訳にしたくなんてない。でも僕の場合は年を取らないとわからないことはあった。ただ、僕が年を取ってようやくわかったようなことを、十代の女の子がとっくに知っていたりする。それは本当に尊重すべきだ。でも、それを知っていたからといって、僕の知っているすべてをその人も知っているわけではないから、注意したほうがいいとは思う。若いときはとにかく視野が狭くて、そのくせ鋭敏だから、わかんないのにわかっちゃうんだよね。狭い中ですべてを知ってしまう。でもそれはもちろん弾丸のように強い。高校生の頃の僕の天才はそういうものでもあるだろう。
若い人は本当に自分が正しいと思いがちだ。そしてそういう態度は、かつて若かった(今もある程度若い)僕が思うに、とても正しい。若くても、若くなくても、やっぱり人間はそうであるべきだ。誰も自分を間違っていると思って生きたくなどない。ただ説教じみたことを言えば、正しいという言葉を使ってしまうなら、「常にもっと正しく」を心がければいい。「僕は概ね正しいんだけど、もっと正しくなれるから、人の言葉には耳を傾けよう」とか。そういう感じがいいと思う。「あー! そうかー! 僕は正しいっちゃ正しいわけなんだけど、○○さんの意見を採り入れると、もっと正しくなるなー! 調整しよう!」というような柔軟な態度を徹底していくべきなのである。ずっとやってるとやわらか人間になれると思うよ。
「これで良し」と思うことの大切さ。「多分幸せ」と思えることの強さ。それだけは知っていたい。常に「これで良し」と思えるのなら、どんなに状況が変わろうとも、「これで良し」と思い続けることができる。それはきわめて健康だ。「もっと良し」を目指していさえすれば。それがなければ、「これで良し、これで良し、これで良し……」をくり返していくうちに引き返せないような堕落が訪れたりもする。すなわち死に続く一本道である。そういうことは冗談でなく本当にある。「もっと良し」を求めながら、「これで良し」を押し通していこう。だめなことがあったって、「これで良し」だ。「これで良し」とつぶやいて気合い入れて、「もっと良し」のために磨こうではないですか。なんだか自己啓発じみてしまった。
意味や論理や整合性を超えたところにこの文章があればいいなと思いつつ書いています。つまり詩のような絵のような、漠然とした優しさのような。
Moo.念平先生という漫画家を心から尊敬している。彼は最近はちきんガールズという高知のご当地……なんだろう。公式サイトには「高知県観光特使 エコアイドル」とあるので、そういうものなのでしょう。に、はまっておられて、同人誌まで何冊も出しているので、僕も聴いてみています。Moo.先生ははちきんについて、たとえばこんな感じに言うんですね~。「かっこいい」「空手の演武を見ているようですよね」などなど。たしかに僕も生でライブを見た感想はやっぱり「カッコイイ!」でした。またMoo.先生は言います。「自分が漫画の中で理想としてきた女の子が現れたかのよう」と……(細かいところは違うかもしれませんが、そういう感じの意味のことを言っていました)。つまり、Moo.先生が「これはかっこいい」と思って描いた女の子(たとえば『あまいぞ!男吾』のお姫とか操とか?)と、はちきんガールズは一致(?)するということで、そんなこと言われたらMoo.先生の漫画のファンである僕は好きにならないわけがない、というわけです。「おれの漫画が好きなら、いいから一度はちきんを見ろ!」くらいのことをMoo.先生は言います(もちろん半ば冗談だと思います)。そしてその通り、だと思います。Moo.先生が好きならたぶんはちきんも好きでしょう……。
またMoo.先生は、自分の作品の女の子、特にお姫(奥田姫子)について、「さらわれて助けられる係みたいなヒロインじゃなくて、主人公の男の子と対等に渡り合えるヒロインを描きたかった」と言います。なるほど、対等……! これがまさにはちきんガールズの魅力なんでしょう。強さ。誰も彼女たちを「守ってあげたい」なんて思わない。どっちかというと「よーし! 自分もがんばるぞ!」くらいに思う(のが健康だと僕は思う)。そもそも「はちきん」というのはじゃじゃ馬とかおてんばとかそういう感じの意味らしく、やはり強いのですね。竜馬のお姉ちゃん、乙女さんみたいなイメージ? お姫も操もそういえば強い女の子で、だからこそ本当の可愛さが隠されずに見えてくる。可愛さの上に可愛さを塗ってしまったら隠れてしまうけど。
男の子と対等であるような強さを持った女の子、っていうのがMoo.キャラの魅力の秘密の一つであって、はちきんガールズのいいところなんだろうなー、と思ったところで、僕はもちろん『ふたりはプリキュア』という名作のことを思い出します。
言うまでもなく、初代のプリキュア(なぎさとほのか)って、そういう女の子たちでしたね。あ、だから僕はなぎほのが好きだったんだなと、合点がいった。そうか、なぎさとほのかって、お姫みたいなもんだったのか……(この辺がわからない人は『あまいぞ!男吾』と『ふたりはプリキュア』を鑑賞しましょう。)
初代プリキュアの曲で『プリキュア登場!』っていう超名曲があるんだけど、その歌詞にはこうあるんですね。「激しくね かっこよくね」「楽しくね 美しくね」……あーもうここですべて言い尽くされてる感がある! 激しく、かっこよく、楽しく、美しいことが、プリキュアの魅力であって、よく考えたら『あまいぞ!男吾』もそうだし、僕が好きなものはなんだってそうだ。そういえばはちきんガールズもしゃべりだすともうなんか常に収集つかない感じになる。わちゃわちゃしてるっていうか、もう秩序なんてなくて、とにかく「楽しい」感じだけが伝わってくる。あーなるほど、なるほど。プリキュアって、「プリキュアの美しき魂が!」とは言うけど、「可愛い」っていう言葉を使うことはない(当たり前だけど)。
プリキュアは美しいのであって、可愛いとかってことじゃない(もちろん誰かがそう感じるのは勝手なんだけど)。男が可愛いって言うのは原則として対等じゃない時だ。完全に対等ならば「楽しい」だし、プリキュアみたいにあこがれのヒロインに対してだったら(男目線からすると)「かっこいい」「美しい」。女の子やそういう感性の人は「かわいい」もあこがれになるんだろうけど、男性的な感性から出てくる「可愛い」は常に上から目線なんだ。僕ははちきんガールズを見て可愛いって思わない。うわー、かっこいいって思う。Moo.先生はネギマンというヒーローを見て子供みたいに「かっこいいですねー!」って言ってたけど、それはたぶんはちきんガールズに対して感じるかっこよさとそんなには変わらないのではないか? もちろんはちきんに対しては「かわいい」もあるはずなんだけど。
『ふたりはプリキュア』『ふたりはプリキュアMax Heart』の、変身、必殺技、戦闘シーンを見てみてくださいよ。見つからないならOP映像でもいい。特にMax Heart期のふたりは、ほかのどのヒーローよりもかっこいいと僕はいつも感じる。その時、僕はふたりを「かわいい」なんて一切思わない。変身していない時に、なんかなぎさがマヌケなことでもやれば、「かわいいなあ」って、そりゃ思う。マヌケなんだから、上から目線になっちゃうってことで。
Moo.先生がはちきんを見て「かっこいい!」と思うココロと、僕がなぎほのを見て「カッコイイ」と思うココロは、もしかしたら似通っているのかもしれない。僕とMoo.先生とは違う人間なのだからズレはもちろんあるだろうけど、二人とも「男吾」みたいな奴とか「お姫」みたいな子が好きだってのは一緒だから、きっとどっかつながってるんだなと思う。いろいろと気持ち悪いと思うけどめっちゃ嬉しい。
あの娘のことが好きなのは
赤いタンバリンを上手に撃つから
流れ星一個盗んで
目の前に差し出した時の顔が見たい Oh
愛という言葉に
火をつけて燃え上がらす
いくらか未来が好きになる
みんなが好きだった『赤いタンバリン』、例のごとく僕にはずっとピンとこなかった。でも今はよくわかる。「いくらか未来が好きになる」……未来はいつも難しいけれども、
「赤いタンバリンを上手に撃つ」というのはたとえばの話で、それが何だっていい。赤い鳴子でも、デュアルオーロラウェーブでも、ミシンの針でも、サッカーボールでも。もしくは相槌のタイミングでもいいし、ウィンクでも、微笑みでも、一緒に過ごすかけがえのない時間でも、散歩の時に偶然合ってる歩調でも、なんでもいい。とにかく未来を愛せるほどの何か、赤いタンバリンのような。
なぎさとほのかは言う。「絶対負けない!」その理由は、「いろんなことがあったんだもん」。それでいい。負けないチカラ。
一秒先でも、一年先でもいい。未来を愛せるような。そんな過去があったらいい。過去のどこかで鳴らされた赤いタンバリン。
過去に何があったって、今は「これで良し」。そして「もっと良し」を求めて、「絶対負けない!」を叫ぶよ。未来をもっともっといくらでも愛せるように。現在過去未来すべて同じ場所にあるんだと信じられれば、その一瞬は神のような次元に行く。
天才を失って凡人になるということは、神を信じる資格を得るということだ。
恋人たちも 仲間たちも ささやくことも 抱きあうことも
嘘つくのも 奪いあうのも 誓ったことも
生まれることも 無くなることも 覚えたことも 忘れたことも
立ち止まるのも ふり返るのも 祈ったことも
ドーナッツのリング ドーナッツのリング
きっと 今ここにいるためにつながってる
きっと 今ここにいるためにつながってる
(川本真琴/ドーナッツのリング)
何も考えていないというわけではないのです。僕なりに事情を抱えてようやく三十になろうとする時に「こう」なのです。そういう人間なのです。その「事情」とは僕の人格であったり性格であったりそれらが引き起こした様々な事です。反省はありますし後悔がないかといえばあります。この両手に余る反省と後悔を獲得するまでに僕は三十までかかりこれからようやくそれらに向き合おうというのです。おそらくこれは言い訳であり「だからなんだ」ということでもあるでしょう。ただしこれは僕の三十年の説明でもあるのです。それはこれを読む人にとっては他人の三十年だから一言で言われてもわかるはずのないことで、だから文字数をかけなくてはならない気がしているというわけです。
まず僕の歩みは遅いのです。自分が何をすべきか、何をしたいか、何ができるか、まったくわからないまま生きていました。今は多少わかります。「多少」程度わかるために三十までかかったというのは僕の劣っているところだと思います。はたから見ればただぷらぷらしているだけのように見えるでしょうし実際ぷらぷらしているのでしょう。そういう面で僕はもうダメな人間です。「ダメだ」と言われたら心から傷つくほどにそれは真実です。三十までぷらぷらしています。もっとも東京で自活できるくらいには働いていますし貯蓄も僅かですがあります。(引っ越しで大方なくなるかと思ったら郵貯とサブ銀行に思ったよりたくさん入っていたので大丈夫でした。)それでも三十と言ったらかなり稼いでいても良い頃です。特に裕福な家庭に生まれ育った方からしてみればそういうイメージだと思います。そのイメージとはかけ離れて今の僕はそこまで裕福ではないです。大学を出てから七年半同じ職業をきちんと続けていた人と比べれば違いは出てきてしまいます。
でも僕は七年半、というより三十年間、何もしなかったわけではありません。何をしていたかといえば、まともな人間になるための準備をしていたんでしょうね。今思えば。僕は幼少期からまともではありませんでした。学習して、少しずつまともさを知ってきました。サイコパスなんて言葉が最近やや流行気味ですがそれに近いような存在でした。格好つけて言っているのではなく「人の痛みがわからない」とかそういう欠陥をさしています。今でもその傾向はあります。僕はそもそもいいやつではなかったと思うので、今多少でもいいやつのように見えるのだとしたら学習です。僕が三十年間やってきたことは僕なりの人格の陶冶です。遠回りをしたような気が自分でもしているし他人の目にはさらにそう見えるでしょうが僕はひたすら人格をよくしたいと願って生きてきました。元来それほど好きでもない読書を焦りながら積み重ねてきたのはひとえに学習したかったからです。臆病な僕はそれからでなければ事を始められないと思っていたのです。だからぷらぷらしていたのだと思います。しかし人格など完成するものではないようで、三十になっても道半ばです。多少はマシだというくらいです。
ただ多少はマシというふうに自分で思えるのはかなり救いです。多少はマシなのだからあとは努力次第かなというところまできました。僕は努力するつもりになっています。そして振り返ればこれまでも僕は努力してきたように思います。人はそれを努力とは認めてくれないかもしれませんが他人がすることはなかなか難しいことをやってきた自負はあります。他人の目にはそれはただ楽しんでいるように見えたかもしれませんが実はけっこう努力していました。すでに書きましたが僕は読書は好きではないのです。ごくまれに、50冊読んだら1冊か2冊、心底震え上がるような本に出逢いますが、そうでない場合は少なくとも楽しくはありません。ほとんど義務感で読みます。コンプレックスを埋めるために必死なのです。それが正しいのか知りませんがそれ以外にすべを知りません。いろんな事を経験したかったりいろんなものを見たかったりいろんなところに行きたかったりたくさんの人と知り合いたかったりするのも、同じコンプレックスに起因すると思います。「自分には何もない」「自分は劣っている」という誰もがぶち当たるアレです。これへの対処法は人それぞれなのでしょうが僕はそういうふうに本を読んだりどこかに行ったり何かをしたり誰かと会ったりすることによって藻掻いていたようです。
そういうふうにいろんなものを自分の中に貯め込んでいくといろんな人と仲良くなりやすくなって孤独が癒されます。僕は少年時代とても孤独だったのでそのせいもありそうです。僕は孤独でいるのが嫌だったし孤独であるということは自分に価値がないということだと思っていた気がします。「お母さん、ひま」が口癖だった幼少期を苦々しく思い出します。はじめは何気なく「ひま」と口にしていましたが、いつからか「ひま」ということに罪悪感とか恥ずかしさみたいなものを感じるようになって、それがコンプレックスの萌芽だったかもしれません。「ひま」が口癖の息子をお母さんはどのように見ていたか、それを想像すると涙が出てきます。そんなに悲しいことはないようにさえ僕には思えます。母親に毎日のようにそれを言うのはとても残酷でした。友達がいなくてひまですることがない、かといってお母さんにひまひまと言うのもつらい感じになる。だからしかたなく漫画や本やテレビを飽きるほど浴びて結果こんなオタクになったと考えるととても自然です。
(兄弟が複数いて何が孤独だというご意見もあるかもしれませんし僕もそう思うのですが人生には事情というものがあるし孤独を感じるのは感じた側の勝手なので今更言ってもしかたありません。言ってしまうならそう感じてしまった僕がすべて悪いのです。)
そういうふうに生きてきて自分の中に膨大なものを蓄えました。小学二年生の時にはすでに膨大でした。それからひたすら膨大になっていきました。ある時点から量的膨大よりも質的膨大を意識するようになりましたがひたすら膨大の方向へ向かっています。最近名古屋、大阪、神戸、清水、鎌倉と様々な土地を回りましたがそれも膨大の一環です。レジャーと言えばそりゃレジャーですが大義名分として常に僕には膨大があるのです。膨大膨大とわけがわからないので整理を試みますと僕はとにかくこう……悪く言えば武装したいのでしょう。コンプレックスをごまかすために。
そもそもの話、このようにコンプレックスを埋める活動をひたすらしていることが良いことなのかどうか、僕はここのところけっこう悩んでいました。それでは結局自分のために生きることにしかならないわけです。三十になるからにはもうそれは卒業すべきなのだと結論づけてそれでサイトも改装しようと思っている次第です。
他人とともに生き、他人のために尽くすことが人間の基本だと思うので、それを基準にきちんと働きたいと思ったとき、やはり自分には教職しかないのです。自分にできて、自分がしたくて、自分がすべき、ということで考えると。いや、ほかにもあるとは思います。もしこの職業が何らかの理由でできなくなったならば、スッとほかの仕事をする覚悟もあります。(実際この四年間くらいはそうしています。)しかしこの僕の「膨大」を仕事として朗らかに活かすには、いわゆる「表現者」になるか、教える人になるかしか思いつかないです。表現者と言えば僕の場合は文章ということになるわけですがそれは今のところ難しいと判断しています。
では教職ならばできるのかと問われれば実際わかりません。僕は変な人だから。実は今やっている、教育系の広報の仕事のほうが天職なのかもしれません。しかし、その仕事には恐らくまた戻ることができると思うので、いちど現場に戻ってみようと思っています。4月からそうなる予定で、うまくやるぞと今からけっこう予習しています。あんまり力みすぎないようにとかとも自制しつつ。
教職と格好つけて言っていますがつまり学校の先生ですね。何で僕がこれにこだわるかといえば学校が好きだからってことに始まる自分本位の理由がまずありますがそれに加えてやはり月並みだけど子どもたちは未来だもの。僕は若い人と関わっているとワクワクしますよ。彼らは成長するのだもの。これは僕は本気で言っています。はずかしいけど世の中を少しでも楽しくしたいし学校を少しでも楽しくしたい。そんな尊大なってのはありますがいつだって大義名分はあっていい。人のために子供のためになんてことはあまりにも単純で言いたくないけどそういうこと。僕は自分の関わった年下の教え子や友達の、何%かに何らかの良い(と、後に本人が思うような)影響を与えてきた自負はありますので、そういうことを仕事でできたらそれはすばらしいことだと思うのです。
ただ……僕は変な人だし学習によって少しでも立派になろうとし続ける性悪な人でもあるから、もしかしたら何%かには良くない影響を与えているのかもしれません……。それを思うと自信がなくなってきますが、それを考えはじめてしまったら何もできないので、「僕には僕の担当がある」と思うことにしています。僕を好きな人は僕と仲良くしてくれたらいいし、そうでない人はそうでなくていいわけです、当たり前だけど。そうでない人は別の誰かと仲良くしながら立派になっていってくれることを願います。他力本願っぽいけど、僕には「数%」くらいの力しかないです。
(もちろん、誰にも良くないだけの影響は与えないように精一杯がんばるつもりです。)
真面目な話をしてしまいました。こういうことを書くと僕が嫌だなあと思うような感想を抱かれてしまったりするのではないかと物凄く怖いのですが書いてみました。もちろんここに書いたことがすべてではありません。しかしこれは僕の少なくとも一面的な本心です。2014年10月10日朝
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