少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

 過去ログ  2011年3月  2011年4月  2011年5月  TOP
2011/04/30 部活カーストの考察

 演劇が低く見られている現状を早急にどうにかしなければならない。中高生は演劇部を蔑視している。「そんなことないよ」と言う人はほぼ全員、女子校出身者である。あるいは男子校でも差別意識は随分低いだろう。しかし世の中にある中学・高校の大部分である共学校においての演劇部の差別されっぷりは半端なものではない。だから共学の演劇部、ことに誇れる実績のない部はほとんど常に人手不足である。差別というのは、「演劇部の人」が差別されているという意味ではない。ひどいところではそれもあるが、基本的にはそうではなく、「演劇部」という部活に人が集まらない、誰も入りたがらないという意味だ。
 中高生は映画だってドラマだって好きで、それらはいずれも広い意味での演劇に含まれるはずなのに、彼らはそういう考え方をしない。また、文化祭で劇をやろうということになればさして文句も出ないのに、なぜか部活は人気がない。
 なぜ演劇部は人気がないのか、その理由を改めて考えてみたい。

●目立つのが嫌、人前に出るのが苦手
 役者として舞台に立つには、ある程度目立ちたがり屋であったほうが向いている。恥ずかしがり屋には向かない。もちろん、そんなもんは慣れれば問題にはならないことだし、演劇には「裏方」という仕事だってあるのだが、一般には知られていない。
●スクールカースト(クラス内の階級)で上位にランクされない
 カースト上位者は運動部でなければならない。文化部はその時点で人間扱いされないが、合唱を除く音楽系など一部例外はある。逆に合唱部は演劇部以上に差別される可能性がある。
●演劇がどういうものかよくわからない、知らない
 演劇の楽しさや効用など、魅力を知らないのである。何をするのかもよくわからない。「ロミオとジュリエットとかやるの?」なんてことは未だに聞かれたりするんだろうか。これはほとんどマンガのせいである。マンガ作品で演劇=ロミジュリ(的な雰囲気のもの)というのがくり返し描かれるから、「演劇部は金髪のヅラをかぶるものである」という偏ったイメージが定着している(これは僕の思いこみ?)。『ガラスの仮面』も立派な戦犯で、あれも「演劇は格調高いもの」という印象を助長している気がする。以前なら知らず、今『たけくらべ』などをやる学校はまずないし、練習方法や演劇理論(?)もやや常軌を逸していて、あまり現実的ではない。あれはスポ根マンガだ。(だから売れた。)

 すぐに思いつく主なものは上記三点だろうか。これだけでほとんど説明できるような気がするが、もう一つ僕らしい見解を挙げておくと、「演劇は意味を含みすぎている」というものだ。
 意味というのは、すなわち物語ということ。言葉と言ってもいい。もっと言えば「理屈」だ。部活動は、理屈の単純なものほど好まれる。言語的でないものほど人気がある。だから、おそらく合唱部→軽音楽部→吹奏楽部という順番で差別される。目立つという意味では吹奏楽部も舞台に立つ点では同じなのに、言語(声)を使わないため、また単独で音を出す機会が少ないため、「恥ずかしい」という気分はあまりないらしい。J-POPを主に演奏するような軽音楽部は、ある程度以上のルックスならば差別されない(むしろモテる)が、そうでなければ他の文化部とあまり扱いは変わらないと思う。
 人気が集まるのは、本能的に処理できる運動や音楽、ダンスなどである。そしてそういう人ほどクラス内での発言力は強い。学校というのは野蛮な空間で、理屈などは一切意味を持たないからである。

 すなわち、中学・高校では文化的、言語的、論理的なものほど嫌われるのだ。なので文芸部は最も嫌われる。演劇部、放送部、合唱部も嫌われる。科学部、コンピュータ部も理屈を問題にするからダメである。美術部については若干難しい。「絵画」は非言語ながらも強い意味を持っているし、創造性(文化とはすなわちこれである)も要求されるため好かれはしないのだろうが、しかし「絵画」それ自体にアレルギーを持つ者も少ない。ただ、美術部が絵画や造形だけでなく、アニメやマンガなどの言語的な要素を採り入れた途端、差別度は極端に上がるだろう。部活紹介冊子などにデフォルメされたイラストを載せてしまったらもう完全にアウトである。美術部とマンガ研究会だったら確実に後者のほうが嫌われるのだ。写真部は、「写真を芸術にするためには意味を持たせなければならない」から、好かれない。絵画や写真は、鑑賞にも制作にも文化的なセンスが必要なのである。
 そう考えると、吹奏楽部は異常だ。部活動レベルの音楽だと、「とりあえず譜面通りにやれば良い」というのがあって、センスや創造性をあまり要求されないからだろうか。そうなるとほとんど運動部と変わらない。ダンス部も部活動では「とりあえず振り付け通り踊れれば良い」というのがあって芸術性は低い……もちろんこだわってやっている部員や先生もいるのだろうけど。

 何はともあれ、頭の使わない部活ほど好かれる傾向にあるのは確かだと思う。この肉体偏重主義はなんなのだろうか。肉体と精神とのバランスが最も良い部活って演劇部だと思うのだが、そういうことはどうでもいいらしい。何も考えなくて良いようなものほど人気が高い。脊髄礼讃である。

 あ、わかった。なんで美術部や写真部が「言語」を用いないのに嫌われるのかが。それは「声」を出さないからだ。やや逆説的なようであるが、部活動では「言語」は嫌われるものの、「叫び声」は好かれる傾向にある。「オー」とか「セー」とか「ワー」とか「ハイ」とかは、むしろあったほうがいいらしい。そのほうがグッと野蛮になる。くり返すが、学校では野蛮こそが正義である。
 美術部や写真部は叫ぶことがないため、野蛮さが足りず、ともすれば洗練されたイメージさえ持つことがある。茶道部なんかもそうだ。叫ばない部活は差別されるのだ。
 いやまて、そう考えるとやっぱり吹奏楽部はすごい。叫ばないし一見文化的なのにあまり差別されなさそうである。あ、わかった。吹奏楽はハイソサエティの香りがするからだ。ハイソサエティとはすなわち支配階級であって、被支配階級はもちろん「叫んでる野蛮なやつら」だ。(叫ばない文化部は人間ではないので被支配階級にすら含まれない)。

 叫ぶと言えば演劇部の発声練習は雄叫び以外のなんでもないが、あれは「言語を操るための土台としての叫び」なので、雄叫びが自己目的化している運動部とは訳が違う、非常に文化的な行為なのである。演劇部は筋トレもするが、それも同様に文化の下敷きとなるものである。

 まだまだ研究・考察の余地がありそうだが、現時点での結論は以下である。
「学校空間では野蛮なものほど強い権力を持つため、文化的、言語的、論理的な部活動は嫌われる。ただし吹奏楽部は野蛮なものを統べる支配階級の部なので、例外的に差別されない」

2011/04/27 第五章記念に生涯学習団体を作ります

 僕のこれまでの人生について、まとめ

  第一章 0~10歳 王宮の戦士たち
  第二章 10~17歳 おてんば姫の冒険
  第三章 17~23歳 武器屋トルネコ
  第四章 23~26歳 モンバーバラの姉妹
  第五章 26歳~ 導かれし者たち

 第一章は、生まれてから小四の秋ごろに人格改造を施すまでの暗くじめじめした期間。第二章は、小・中・高と調子に乗って生き続け、HPを始めたり演劇をやったりしていた頃も含む僕の全盛期。第三章は、論理と詩情とを同時に獲得し、よく本を読み、また年上の友達が増えるなどして目覚ましく成長していった時期。第四章は、ずっと尊敬していた人と邂逅し、教員として教え子を得たりしながら、半生を総括し整頓していた時期。
 そして第五章は、昨日から始まった。
 もういい加減、自分の意志で新章を始められる時期に来たのではないかと思うのである。これまでのように、流れのまま章を改め、改まった後に「あ、改まったな」と気づくようなのはもういい。ドラクエ4だって第五章になって急に自由度が上がるのだ。
 第四章までの僕は、ほとんど流れのままに生きてきた。しかしこれからは自分で流れを作るのである。それが第五章。船を手に入れたらもうどこへ行ったっていい。気球を手に入れたらもう、行けないところなどどこにもないのだ。

 4月25日を境に僕は第五章に突入した。ツーになったと言ってもいい。
 これからは何だって自分の意志でするのである。もう無意識なんかには頼らない。僕の無意識は本当に優秀で、それでこれまでは上手くやってきた。しかしもう、無意識に甘えてばかりはいられないと思うのである。
 ここ最近は、理想の人間の在り方とはどういうものかとか、本当の大人ってどういうものなのかと問われたら、こう返している。「自分の言動・行動・思考と、その根拠をすべて、誰にでもわかるように説明できること」だと。そのためには無意識は可能な限り排除していかなければならない。もちろん、これからだって無意識に助けられることはたくさんあるだろう。でも、甘えてはいけない。頼ってはいけない。僕は真の主体性を手にするために、自らを支配しようというのである。要するに起きたい時間にちゃんと起きるとか、かゆいところをかかないで我慢するとか、そういうことなんだけどね。僕みたいなダメ人間にとっては、これほど難しいことはない。すぐにそういったことができるようになるわけはないが、つまり第五章はそういった無意識との戦いの時代になる。

 といって、カタい人になろうというんでもない。流れに身を任せる時はちゃんと身を任せる。ただし、自覚的に。まあそのへんのところは今いろいろ決めるよりはその都度考えていったほうがいいだろう。たぶん第五章はそれなりに長く続く予定なので……。


 そういった決意に関係があるのかどうかわからないが、さっき練馬区立総合体育館に行ってきた。我が家から数百メートルという距離にあるのだが、一度も行ったことがなかった。僕も第五章に突入したのだから、もうちょっと練馬区民らしい活動をしようと思ったのだ。
 体育館に行ったのはいろんな思惑があるのだが、体育館に限らず「区の施設を使いたい」と思ったのである。税金の有効利用というやつだ。公民館の会議室を借りたりしたいなー。そんで友達呼んで自分の講演会とかを開きたいなーとか、本気で思ってたりするわけである。区民館なら歩いて二分だし。
 会議室等を借りるには団体登録が必要で、条件は「10名以上で、過半数が練馬区在住・在学・在勤」とのこと。

 そういうわけで僕は練馬区で生涯学習団体を作ります。文化的な活動をします。「遊戯文化研究会」みたいなものにすれば何をしたっていいはずだ。メンバー募集。とくに練馬にゆかりのある人。活動内容はなんだっていい。会議室借りて喋ってるだけでもいいし、遊んでもいいし。卓球だってなんだってできる。税金ってのは本当にすごくって、弓道とかローラースケートもできる。相撲もできる。自転車の練馬区民大会なんてのも西武園でやるらしい。これは出たいな。

 それから、練馬区の小中学校とかで公開講座があったり、体育館を開放していたりするから、そういうのに遊びに行ったりもしたいです。これは登録いらず、無料らしい。その他にも練馬区は本当にいろいろやってる。他の自治体でも同じようなことをやってると思うので、調べてみるのも一興かと。
 ノンポリ大学の学生の皆さまはもちろん参加していただけますよねー。

2011/04/26 26ばんめの4月25日

 尾崎豊が26歳で死んだのは1992年の4月25日だった。
 彼も僕も11月生まれで、苗字は同じ。名前も、三文字のうち二文字を共有している。残る一字も行が同じだ。おまけにカラオケで尾崎豊の真似をして歌うと異様に上手い。それでどうも尾崎豊のことは他人ごとでなく、僕は昨日で死ぬのかもしれないと思っていた。
 ところが僕は生きている。ジェームスディーンにはなれなかったけれど、生き続けることができてよかった。いや、今のまま死んだのではジェームスディーンにもなれないわけで、ただの単なる国家的損失である。
 この26年間というのは尾崎豊に呪縛された26年間であり、ようやくそれが終わった。尾崎豊と違って僕は何一つ事を為してはいないようでもあるが、それは僕が尾崎豊ではなかったからであって、尾崎豊ではない僕はこれから、何らかの事をじっくりと為すのである。
 26で死ぬような人間はろくなもんじゃないのだ。

 ジョージ秋山の『ばらの坂道』をさっき読んだ。主人公の土門健は、きちがいの母親を持って生まれ、世にも苦しく厳しい少年時代を送るが、あることで金を得て、それをもとに大事を成し遂げようとしかけたところで、死んだ。土門はきちがいの血に悩み、苦しみ、性と愛との狭間にもがきながら死んだ。
 土門は立派な人間だった。きちがいの母を愛し、きちがいの母によってかたわにされた少女・直を幸福にしようと努めた。広大な土地を安価で分配し、そこに「理想の村」を作ろうとした。そこで自ら百姓仕事をし、城を建てるための石を毎日毎日、ひたすら運び続けた。まるで二宮尊徳のようだった。
 そんな彼が、死後、「敗北者」と呼ばれ、最も彼を理解していたであろう学校の先生からは、「土門のことはよくしっている 土門の悲しい心はよくわかる…… でも…やっぱり人間として奴は 一番だめな奴になっちまった」と言われた。若くして死ぬというのはそういうことだ。僕も最近知った。

 25日に男の子と、22日に女の子と話をして、どちらにも共通して言われたのが「こんな話をするのは初めて(もしくは超久しぶり)だ」ということだった。
 彼らにとって僕は「自分の属している世間の外にいる人」だからというのが一番だとは思うが、初対面だったり、ほとんど初めて話すような状況でそう言ってもらえるのは、僕にも「聞く力」がついてきたということなんだろうか。
 別の男の子からは、「話を聞く力はあなたの一番の武器なのではないか」と言われた。ふとした時に「なんでこんな喋ってんだ?」と思って怖くなるという。あんまり意識していなかったが、どうやら人の話を聞くのが得意になってきたらしい。昔はそんなことなかったと思うんだけど、やっぱりもう26だからな。

 無駄じゃなかった、ということだ。これからもっと僕は、話すことも、聞くことも、読むことも、書くことも上手になっていくだろう。それが楽しみですらある。どこかで頭打ちになって、停滞し、衰退することもあるかもしれないが、僕に限ってはそういうことはないだろうと妙な自信もある。偉大な学者や作家や漫画家が、晩年ボケたという話は聞かない。偉大でありたいものだ。

『ばらの坂道』にはすごい台詞がいっぱいある。
 とくに、「偉大」をめぐる関口との問答は凄い。一読をお勧めします。
 以下の引用はまた別のシーン。
「ふつうならそういうことになりますが ぼくはほかの人間とはちがいます なんの夢のない人びとがぼくの夢を実現することに協力するのは その人も 夢をもつことになります ぼくはぼく自身を愛してます だからぼくは自分のために生きます ぼくが自分のために城をつくっても 城ができればたくさんの人がすくわれます 偉大な人間は自分を愛することを許されます!」

 偉大な人間は自分を愛することを許される。逆に言うと、偉大でなければ自分を愛することは許されないのである。僕は自分を愛していたいので、偉大でありたいと思います。

2011/04/25 セシウム

 24日から25日にかけて断続的に20時間以上寝てしまったので恒例の「今日からやる気出す」宣言を行いたいと思います。とりあえず今夜(25日)はファミレスにでも篭もってセシウムバーでも飲むか。
 新刊のネタ出しを四月中に終えられなければたぶん出せないのだが、それに関してはまあ、ぼちぼちやっていこう。

 新宿でちょっと教え子と会ってきます。
 彼とは現役時代、ほとんど一言も話したようなことがないのだが、仲の良かった教え子から最近頻繁に彼の話を聞くので、会ってみようかと思ったのだった。
 僕は、僕の守備範囲外の人が相手だと、まだ完璧に話すことができないが、まあ完璧である必要もあるまい。
 面白がってくれたらいいんだが、僕を面白がれるというのは相性の問題でもあるから、難しいのである。

2011/04/23 中庸

 日本には――元を辿れば日本ではないのだが――「中庸」という優れた言葉がある。「考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま。古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた。中道。」だそうだ。

「経済を回せ」「復興には経済活動が必要だ」「みんなもっと金を使おう」という言葉が震災後、たくさん聞かれて、今でもその声は絶えない。これは一面的にはとても正しいのだけれども、言い方が余りにも極端だ。「金を使えばなんだっていい。その内容は問わない」というのでは、あまりにも「経済の仕組み」ということにだけ偏りすぎている。「どういうことに金を使うか」ということを考えたほうが結果的には効率的な復興に繋がるはずなのだが、スローガンは単純なものが好まれるから、どうしても「金を使おう」という短絡的な言葉にしかならない。
「金を使って、経済を活性化させなければ復興できない」というのが真実なら、次に問題になるのは「どのように金を使うか」ということになるはずなのだが、その部分はたいてい割愛される。「とにかく金を使えばいいんだな」となれば、その内訳によっては電力や資源を大量に浪費してしまうことにもなりかねない。「一時的にはそれでいいんだ」という考え方もあるだろうが、それならそれで、そのことを示してくれなければ主張として不完全だろう。

 原発に関して、ネット(主に2ちゃんねる)で「安全厨」「危険厨」という言葉が生まれ、流行った。「福島原発は安全だと思っている(主張している)人」「福島原発は危険だと思っている(主張している)人」という意味である。
 少し横道に逸れるが、僕はこの言葉を現実で使う人間ははっきり言って嫌いである。ネット上で使う人間も好ましいとは思わないが、生まれたてのネットスラングを公共の場で使えば、ネットに精通していない人は置いてけぼりを食うことになる。どうして平気な顔して他人を疎外することができるのだろう。「~厨」という表現は一般的な日本語ではないもので、わからない人にはわからない。それをあたかも一般的な言葉のように使うのは思慮に欠けている。「誰得(だれとく)」という言葉もここ一年くらいとみに使われるようになっているが、これも知らない人には意味がわからない。僕は最初にこの言葉を現実で聞いたとき、その意味がよくわからなかった。「誰が得するんだ(誰も得しない)」という意味らしいが、「誰もが得する」というふうにも取れる略し方なので、知らなければわけがわからない。僕はそもそも「ダレトク」を漢字変換することができなくて、完全にはてなの状態になった。人口に膾炙していない言葉を説明抜きで使うものではない。
「安全厨」「危険厨」という言葉が流行るのは、人々が「安全か、危険か」という二元論でしかものを考えないから。そういうふうに考えたほうが楽だから。あんまり細かいことを考えたくない怠け者ほど、二つにスパッと分けたがる。大切なのは「福島原発がどういう状態にあり、どういう結果を引き起こす可能性があるか、それを受けて、誰がどう行動すべきか」ということであるはずだが、人々は「安全か、危険か」ということにしか関心がない。単純に100%安全であることも、100%危険であることもなく、「30%は安全、70%は危険」という言い方もあまり意味を持たないはずなのだが。

 単細胞な人間はあんまり、具体的にものを考えたがらない。二つに分けて、どちらかを選ぶことしかできない。「AかBか」という二元論は、ことごとく疑っていったほうがいい。「じゃああなたは、○○には反対だと言うんですね?」とか、したり顔で言う学者や政治家は絶対に二流だ。恋愛でも、「あたしのこと好きなの? 嫌いなの?」とか「付き合ってくれるのか? くれないのか?」といった迫り方をする人間とは付き合わないほうがいいだろう。人間の心や関係の在り方がどれほど複雑なものかを知らない人と恋愛をしたって、まともな展開は望めない。

2011/04/22 何も考えずに何かを考えることができる

 子供の定義を考えていたら、「何も考えずに何かを考えることができる」というフレーズが浮かんだ。

 幼いころは、物語を読みはじめると熱中して意識を失い、気がつけば一時間も二時間も経っているということがよくあった。うたた寝に一瞬の長い夢を見るような心地よい時間、僕はそれを「時間をワープする」というふうに表現していた。少なくとも中学一年生くらいのときまでにはワープの時間がかなり短くなっていて、今では一切、物語の中に入り込むことができなくなっている。
 たぶん、そういう経験は、幼いころによく本を読んでいた人ならば必ずあったことだと思う。時間を忘れるどころか、我を忘れて本を読む。後にも先にも、あれほどに気持ちの良い体験はなかったかもしれない。

 弟子が、こんなことを書いていた。
 名文なので全文転載してやる。嬉し恥ずかし喜びなさい。

3月14日 あの夏

 昼過ぎ目覚め、私は晴れてる空を見ていた。なんだか秋のような感じがした。タオルケットの上に組んだ指を、ほどいたり組んだりして、どくどく迫っては引いて行く気持ち悪い感じに困惑していた。寒くて脱ぎ捨ててあったバスローブを引っ張って羽織った。
 彼女について思い出していたいと思う。
 宣言してしまいたい。無理だけど。
 あの子は、夏にはいつも私のそばにいるのだ。私と双子のように生き、私の分身のように指先で絡め取るように、会話はまるで孤独を知らないように、こんな肌の寒さを感じさせるようなことは、絶対にしないことだ。

 死にたいとか言わないよ。あの夏か。あの夏は苦しかったんだよ。孤独を超える速さで例の人の存在が近づいてきた。それはそれは臓器も何もかも捨ててしまってもすべて取り込んでしまう覚悟だったのだ。言葉を持って生きていける最期の可能性だったと思う。苦しかったんだよ。山を見ても道路を見ても、何一つ悲しいとか嬉しいとか思う暇もなかった。
 便所があんなに怖いと感じたのはあの夏きりだった。
 これまでの面影が涼しい影になって背中をなでるようで、見るたび込み上げた。
 脳みそが左に寄ったみたいに、いつも首をまげて左へ傾けて左の歯を全部噛みしめていないと全部空気が漏れて全然歩けなくなりそうだった。
 表情というものを求められても困ったな。背骨がみっつ足りなかった。
 悲しいことは、もうなんでもかんでもある。悲しい間に良いことがあるような事は、あの夏まで無かった。
 苦いものを自分に取り込んでからは、なんとか進化して、行き詰っていた成長を再び始めた。なにもかもの繊細な関係を、前よりは見えるようになったつもりだ。悲しい事と良い事は表裏一体とまでは分からないが、よく見ればそれは、悲しくも、嬉しくもない、ただの風だったという場合、見極められるようになった。
 そろそろそんなことはどうでもよくなっているくらいだ。力を入れずともそんなものを見ることは易しい。
 むせかえるような気持ちを忘れた。妄想に溶け込めなくなった。肉体のむせかえる甘い匂いを作りだせるその心を忘れた。それだけは自分のものにできると言う、冷静になってしまえば何の足しにもならぬ指先の技を忘れた。寂しい。
 私はそろそろ全部なにもかも、生きていける形に収まろうとしているけれど、だめなくらい寂しい。腕の白さ、前髪の肩に触れる感触を覚えている。秋のような気がする。
 地震の後直売所のある神社の石垣に沿った通りを歩いていると、石垣の上から寒い風が吹き下ろしてきて、見上げると松があり、息を吸うと、彼女に会う。夏の匂いがする。あれほどの苦しみと一緒に忘れたものを、今どんな激痛を味わったら取り戻せる。
 彼女に愛されているという、綺麗な映画みたいな、と嫌な奴は言うでしょうが、夜中黄色い電球の下に、その白い足で踏みこんでくる息使いが、冬のような夏のような、割り切った匂いで、やってきて、私は立ちあがって水を二人分コップに入れて、ひとつをテーブルに置く。でも、今年の冬はひとりだったよ。
 言葉を殺さず生きてることには満足するよ。でも冬、ひとりだった。苦しいねえ。君と会いたかったよ。
 もうだめだから、愛されないなりの強い光を、この手に持つことにする。

 このような力のある文章を書ける人間が自分の弟子であるということをうれしく思う。すでにある面では僕よりもずっとうまい文章を書けているので、弟子とか言って何だよってのはある。が、彼女が僕を師匠と呼ぶ以上はそうなのだから仕方がない。引き受けよう。将来的には養ってもらおう。モヤシとピーマンを毎日食べさせてくれるという話はもう取り付けてある。恋愛とか結婚とか肉体関係とかいうところには一生行かないが愛している。その点では育という名の姉に近い。そういえば弟子は最近、妹としての地位も虎視眈々と狙ってきているようだ。欲張りな娘だ。
 と、たまにそのようなノロケをすると、「ジャッキーさんはお弟子さんと付き合っておられるのですか、犯罪者ですね」とかいうトンチンカンなことを言う恥ずかしい人たちがいるのだけれども、あり得ない。人間関係というのは複雑なのだ。まあ何かを想像することは勝手なので咎めませんが。

 なぜこんな長い文をわざわざ引用したのかというと、「妄想に溶け込めなくなった。」という、たった一文のためである。

 まともな人間は、いつか「何も考えずに何かを考える」ができなくなってしまうのである。僕が「ワープ」をできなくなった理由は明白で、「何かを考えながら何かを考える」ということを身につけてしまったからだ。すなわち、物語を読みながら、「その物語について考える」ということをするようになってしまったのだ。

 一月に僕はこんな日記を書いている。

「最近、怒らなくなった」と彼女は言った。
「どうして?」と訊ねたら、
「自分がどうして怒るのかを、考えるようになった」と言う。
「そうしたら、自分が怒るポイントがわかったの。私って、自分で決めた“自分ルール”を他人が守ってくれない時に怒ってたんだ。だけどさ、自分のルールと、他人のルールって、違うんだよね」
 と、26歳の女の子が言うのである。
「これまで、そんなこと考えたことなかった。とにかくスイッチが入ったみたいに、ただ怒ってた。でも考えるようになってから、本当に怒ることが減ったんだ」と。
 僕は大いに感動した。
 26歳の女の子が、こんなに目覚ましい成長をしたっていうことに。
 人間って、何歳の時に成長するかわからんもんなんだな。

「感情的に怒る」というのは、「何も考えずに何かを考える」である。
「何かを考えながら何かを考える」が身につくと、「怒りながら考える」ができるようになるから、「あ、私はいま、こういう理由で怒ってるんだな」という冷静な判断が下せて、「これって、怒るべきことだったのかなー」という検討もできる。それをくり返していくと、そのうちに「怒る前に立ち止まって考える」が可能になって、怒ることがどんどん減っていく。すなわち、柔軟性というものを獲得できる。詳しくは全文(2011/01/17)。

 その時は思春期で来るのかも知れないし、26歳で来るのかもしれないし、一生来ないかもしれない。僕はたぶん、来たほうがいいと思う。
 ほかにもたくさん、特に若い子が、「何も考えずに何かを考える」を失ってしまった場面をたくさん見てきた。それは「天使が朝来て撃ち殺す」ような光景に似ている(『ディスコミュニケーション』11巻ね)。天使に撃ち殺された子供たちは、その瞬間から大人になるのだ。

 何も考えずに何かを考えることができる人は、子供である。僕が思う大人というものは、何かを考えながら何かを考えることができる人のことだ。理想的には、自分のあらゆる行動・言動の根拠をすべて、言葉によってわかりやすく説明できるような人間が、本当に立派な大人であると思う。何かを考えながら何かを考えることを突き詰めていけば、必ずそういう人間になれるはずだ。

2011/04/20 自分が何者であるかを知っている子たち

 思春期の少年少女は、自分が何者であるかを知らない。
 もちろん、18日の日記でもちょっと触れたように、自分は自分でしかないもので、自分とは「何か」なんてことを考えるのは愚かである。ここでは、「自分とはどういう人間であるか」というくらいの意味で捉えていただきたい。
 多くの思春期の少年少女は、僕と極めて仲の良い子たちも含めて、将来自分が何をやっているのかを知らないし、自分が何をやりたいのかも知らない。みんな自分がわからない。わからないまま、漠然と、漫然と生きている。あるいは、わけもわからず、ただ焦っている(僕の回りにはこっちのタイプが多い)。かく言う僕も、自分というものがわかりはじめたのは23歳くらいだった。

 今日は二人の男子高校生(一年と二年)と会ったが、なんと二人とも、十五歳だか十六歳という若さで、「自分」を知っていた。
 片方は、「物心つく前から好きで、得意な芸事があり、いつの間にか“自分は一生これで食っていくんだ”と思っていたと言うし、もう一方は、伝統芸術の家元の長男に生まれ、「継げと言われたことは一度もないが、自分は家元になるのだとずっと思っていた」と言う。前者の彼(高二)は実際、すでにその道で一人前に活躍しているし、後者の彼(高一)も自他共に認める次期家元として、その道を歩んでいる。
 こういう、容易に「特定」されてしまいそうな情報を書きこむのは今はあまり好きではないのだが、公共の利益のため、お許し願いたい。

 彼らは去年の三月、偶然に顔を合わせて仲良くなった。その場に僕もいた。僕は二人の共通の知り合い(先生)だった。どちらも教えたことはないが、それも含めて必然的な出会いだったと思う。高二の子はたぶん、クラスの友達などから僕の話を聞いて興味を持ったのだろう。高一の子との出会いは、「彼が中一の時に、学園の風紀を憂えた(?)内容の手紙を文語体で僕に送ってきた」というへんてこりんなものだった。彼は今日、「初めて先生とお会いした時に、若者らしからぬ人だと思いました。老成している部分があるというか」とかなんとか言っていて、人間を一瞬で見抜く目を持っているらしい。オーストラリアにいる“弟”のことが頭に浮かんだ。
 高一の子いわく、彼が高二の子の書いた作文を評して「釈然としない終わり方ですね」と言ったのに対し、僕は「だからいいんだよ」と言ったらしい。「あれが僕たちの交わした短い論評でしたね」と彼は言ったが、僕はそのやり取りを、言われるまで忘れていた。よく覚えているなあと感心したが、思い返せば短いながらもなかなか優れた論評だったと思う。テーマが「心の闇」といった感じのものだったのもあり、釈然としない終わり方が、その時点での完成形として成り立っていたのだ。
 その作文の象徴するように、高二の子は「闇」と言えそうなものを持っていると思うが、高一のほうはほとんど持っておらず、彼自身が「不動の自我」と表現したような確固たるものを持っている。高二の子が、「僕らは人格としては正反対」と言ったが、まさしくそうだろう。高二のほうは、おそらくまだ「不動の自我」なんて呼べるものは持っていないと思われる。
 しかし共通するのは、「自分の目の前にある大きな道が見えている」ということだ。普通の子には、これが見えない。高一の子は、それを京都の朱雀大路に喩えた。曰く、「たとえばだだっ広い朱雀大路を歩くとき、その道をどういうルート(軌跡)で歩むか、またどういう手段で進むか……歩くか、牛車に乗るか、馬に乗るか……ということは自分で決めています。」と。細部、違ったら申し訳ない。
 二人は芸術とか美というものをわかり、尊重する人たちで、それが大きな道の、たとえば先にある。先じゃないかもしれないけど、どこかにあるのだろう。で、その道を歩く。自分なりの歩き方を模索しながら。
 そういうものを持っている子は強い。進むべき大きな道があるのだから、寄り道がちゃんと「寄り道」になる。思春期の少年少女のほとんどは、それが「寄り道」なのかどうかもわからない。「息抜き」なのか、「修練の一部」なのか、そういうこともわからない。

「不動の自我」を得てしまった彼は、探究心にあふれ、自分の興味があることを徹底的に調べ、考えてはレポート用紙にまとめていた。思想も一本筋が通っている。基本的に「自然」というものに常に根拠を置いていて、その点でブレがない。南方熊楠と荒俣宏と中島敦と水木しげるの話を楽しそうに語ってくれた。宮台や中沢や橘や上野といった学者のような顔をしている人たちの悪口を言い合った。なんという鋭い感覚だろうか。彼の嫌いな学者は僕も嫌いだった。
 高二の彼は、今のところ僕には「まとめて語る」ということができない。これからが楽しみだ。核にはちゃんと何かがあるし、頭も回るし、自分の思っていることをちゃんと言葉にできるので、これからいくらでも伸びていく。芸だって磨かれていくだろう。

 新宿の喫茶店で五時間くらい話していたが、あらゆる話題が「オモテとウラ」という問題(そのうち書けたら書きたい)に収斂していって、とりとめのないようでいて、最高級にまとまりのある会談だった。思いきって彼らを呼び出してみて本当に良かった。男子三日会わざればと言うが、二人の今後はまさにそのようなものになりそうだ……と最後にプレッシャーを投げておこう。

 彼らのことを語っているときりがないので、何か形として残したいと考え、ずっと宙に浮いていた「文集」の計画を再燃させている。二人は乗り気である。僕の息のかかった子たちに声をかけて、夏くらいには一冊出したいものだ。というわけで原稿を募集します。

2011/04/18 カテゴリ雑伎団

 メールを一通返信するのに二時間くらいかけてしまって、こっちに何も書けなくなってしまっている。
 また、『今日から俺は!!』を読むのに二日間潰してしまった。

 四月中はとにかく、初めての人や、久しぶりに会う人に会う予定。差し支えのない程度に、ここにも何か書いていきたいです。もうしばらくお待ち下さい。ちょっと脳みそが停止寸前。


 人間をカテゴリで分けて考えるというのは愚かすぎる。教え子の一人が、「自分は○○だから~、という言い方に腹が立つ」と言っていた。まったくそうだ。自分が“何”であるか、ということよりも、“どう”であるかのほうが重要だ。“何”であるかというのは、そのことの結果でしかない。
 後輩が先日、アスペルガーと診断されたらしい。気をつけなければいけないのは、順序である。「僕はアスペルガーだからこうなんだ」ではなくて、「僕はこうだからアスペルガーだと診断されたのだ」と考えなければならないと思う。「アスペルガー」というものには個人では対抗できない。「こうである」ということには、対抗できる。直そうと努力することもできるし、直せなければ何らかの対策を考えることもできる。
“何”というのは本当に、だいたい意味を持たない。僕はドラえもんが好きだが、「ドラえもんが好きだ」と言う人を無条件で歓迎はしない。“どう”好きなのかが問題である。女の子に関しても、その子が美人であるかとか、芸能人だと誰に似ているのかとかは、まったく問題にしない。見るとすれば、その子がどういう顔をしているか、を見る。

 結果を見るほうが手っ取り早くて楽なんだけれども、結果というのは常に二次情報でしかないということを頭に入れておかねばならない。“何”は二次情報で、“どう”は一次情報である。そういうふうに考えたほうが、きっとうまくいく。

「濃い」とか「深い」とかいう言葉を使う人間は信用しないでよい。

2011/04/16 飲んだくれ

 メイド焼きそばFF6、葉桜。ピーターパン、石神井公園。
 小学生男子に「会いたい」と懇願されたので行って
 サイゼリヤでワインをたくさん飲みながら彼の“計画”に加担。
 だいたい決まり切ったところでゴールデン街に赴き、
 TSC2、それからSTGへ。
 若い彼は、それはもうちやほやされていた。
 そうやって少しずつ、人を見る目を磨いていくといい。
 明白すぎることだが大人には素敵な人もあればろくでもないのもいて、
 取るに足らない、毒にも薬にもならぬ、平凡で標本のようなものもいる。
 浅野いにおをよく言う人とは流石に友達になれぬ
 そういう人はやっぱりどうにもよくなかったりする、全体的にも。
 大人はだいたい「もっと勉強しておけばよかった」と子供に言うが
 勉強してこなかった人でも素敵な人ならだいたいそんなことは言わない。
 たいていは「俺だって、ちゃんと勉強さえしていたらもうちょっと違ったんだ」という、言い訳とあきらめとコンプレックスの表れだったりする、大部分。
 それにしてもずいぶん飲んだ。
 お金もたくさん出て行った。
 比較的お金がないがゆえ、それでなんとか飲み歩く時間が減っていて助かっている。これ以上にお金を持っていたら僕は毎晩でも飲んでいるかもしれない。
 資本主義的生産様式が支配的な諸社会の富は、商品の巨大な集積として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、我々の研究は商品の分析から始まる。

2011/04/13 楽園(祈り 希い)

 部屋を片づけようと思ったら西森博之先生の『今日から俺は!!』を読みふけってしまった。地震で崩れた本の山はいまだ復旧の見通しが立たない。

 裁きの光、瓦礫の塔。世界崩壊。

 関係があるのかないのか、ファイナルファンタジー6がやりたくてたまらない。やはり僕はどうも、絶望を前提とした物語が好きなようだ。絶望から這い上がる、希望を掴もうとする話が。

「あんまり現実がヤスいから―――こんなクソカタイ本が欲しくなるのかもな」(武富健治『掃除当番』より「シャイ子と本の虫」)

 現実が僕にとって絶望でしかなくて、あたりを見回しても希望らしきものはどこにもない。だから本を読むのだろうな。希望は本の中にしかない。ずっとそう思っていた。ゲームも同じで、ファイナルファンタジー6に僕は、現実には存在しない(と僕が思い込んでいた)希望を見出していたのかも知れない。
 FF6にも、ほとんど希望らしきものなんてない。少しだけある。多くはない。だからこそ、現実感があって、“本当は非現実でしかないはずの希望というもの”も、少しだけ現実的に見えたのであろう。

 僕が愛するものは希望だけであって、しかし希望はどこにもなかった。
 それでも最近は諦めることだけが真の絶望であると思うようにしている。

「希」という文字の成り立ちは、「まじわる」と「布」でできているそうだ。糸を紡いで、布を織る。希望というものはそのように地道で地味なものらしい。焦らず行きます。止まない雨はなく、季節は必ず巡り行く。たどり着く場所がわからなくても、ただ進む。生き溺れても、また春に会いましょう。

2011/04/12 愛と感謝

 僕は彼女に「正しいことは何か」と説き続けている。
 彼女はそれを感謝して「本当にありがとう」と涙を流す。
 僕はそれにより遂に孤独と絶望の世界にひと筋の光を見つけ
 ようやく友達や、知らない人のことを考えられたのである。

2011/04/11 号

 書くべき大切なことがあった気がするのだが、この日に何があったのかを完全に忘れた。何もしていなかったのだろうと思う。
 昨日の花見で、数日前に書いた斉藤和義に関する記事に、強い共感を示してくださる方が何人かいた。BBSに書いてくださったり、メールフォームから感想をくださった方も。折角なのでメアドを送っていただけると嬉しいです。

 色んな人の期待に応えたいものだなあ。

2011/04/10 花見

 八日と十日、お花見をした。
 八日は上野公園で。死んだ西原の悪口を言う会だった。
 かつてを思い出した。
 悲しくもないし、それほど寂しくもない、惜しい人を亡くしたとも思わない。ただ、酒の場にキチガイピエロがいないというのは、つまらない。
 彼の死を一言で表すならば、「つまらない」のほかはない。
 彼が生きてこの場にいたならば、五十倍は盛り上がったであろう。
 僕は酒によってさらに狂い蛮行に及ぶ彼をまたグーで殴ったであろう。
 日中、激しく何度も運動し、自転車で上野まで走り、酒をたらふく飲んだ後、また走ったために、久々に翌日、使い物にならないほどの二日酔いに見舞われた。

 九日はそうしてだいたい寝ていた。

 十日は新宿中央公園で、皿屋敷さんを中心としたお花見。
 午前十時過ぎから、零時過ぎまで、十四時間ほど酒を飲み続けた。
 二十人くらいの人が来た。
 こんなに楽しいことは年に一度で、それが寂しいから何度もやろうと思っても、残念ながら桜が咲かない。桜ほど無条件に人を集めるものは日本にはないから、なかなか難しい。二十人という人は集まらない。

2011/04/06 教育とドラゴンボール

 五日夕方から、RinQという妙なあだ名の、高校時代に英語を教えてくださった先生と会ってきた。小牧空港の国際線を改造したショッピングモールに行った。それからしゃぶしゃぶを食べた。
 彼は僕のことを「不埒くん」と呼ぶ。高校時代からそう言っていたが、まさか本当にこの呼ばれ方が定着するとは思わなかった。彼は嬉しいことに、「不埒くんのことをおれはライバルだと思ってるからね」と言ってくれた。そして彼は僕が何か、事を為すことを望んでいる。そうかと、気合いが入る。
 正確な年齢は知らないが、二回りも、三回りも違う。やはり年齢などあまり関係がないのだ。僕も最近は、十歳くらい離れた自分の教え子たちをライバルのように考えている。負けてたまるかと思っている。と同時に、僕ごときに勝ってくれないようでは困る、とも思う。あえてわかりづらいたとえを使うと、第二十二回天下一武道会(天津飯が優勝した回)に出場した時のジャッキー・チュン(=亀仙人)の気分はこんな感じだろう。
 勝つ、負ける、というのは、点数とか、どちらが優れているかということではない。早く一目置かせてくれ、というところかな。

 RinQは僕について、「一年生の時に図書室で出会って、三年生では英語がやたらできて……」というふうに言った。一年生の時のことは僕も覚えている。彼は辞書を引っぱってきて、「かまびすしい」という言葉を僕に教えてくれた。お互いによく覚えているものだ。たぶんこの時点でもう、感じるところがあったのだろうな。
 三年生の時に、英語がやたらできた、というのは、合っているようで、若干間違っているような気がする。僕は三年生になるまで英語はまったくできなかった。三年で彼の授業を受け、「ああなるほど、英語というのはそういうものなのね」と、イチから理解を始めたのだ。もう何度も書いているが、僕はこの年の英語と世界史の授業で、論理というものを学んだ。だから、「三年生でやたら英語ができるようになった」と言ってほしい(そんな事情を彼が知ろうよしもないが)。伸び率でいえば、僕ほど一年間で英語の力を伸ばした生徒は珍しいのではないかと思う。二年生まではbe動詞のこともよくわかっていなかったが、英語には仕組みがあるということがわかった瞬間に、楽しくなって、できるようになった。RinQは仕組みのことばかり言っていたから、自然とそれが身についたのだろう。

 いや違う、そういうことを言いたいのではないんだ。
 関係について僕は言いたかったんだ。
 僕はライバルのような関係の人たちとずっとダンスしていたいわけだ。
 そうだからこそ教育は何よりも大切だと思う。

 僕が『ドラゴンボール』好きなのは、あのラストシーンなのかもしんないな。悟空が、ウーブっていう、潜在能力は高いのにまだ戦い方を知らない少年を、教育する決意をして、あの物語は終わる。最後は教育なんだよね、実は。あんまり注目されないけど。
 亀仙人が悟空とクリリンを修行させるシーンも、まさに教育。戦いには何よりも基礎が大事、足腰を鍛え、勉強もするっていう。そう考えると、ドラゴンボールには「修行」という名の教育シーンがたくさんある。悟飯がビーデルに飛び方を教えるのも教育。ピッコロの悟飯に対するスパルタな仕打ちも教育。あれはもしかしたら教育マンガなのかもしれんですよ。
 教育にはいろんな目的がある。「強い戦士を育てるため」というのがドラゴンボールにおける教育の基本だが、これは「健全な国民を育てるため」っていうのと重なる。だけど、悟空がウーブにする教育ってのはちょっと違う。悟空は自分のためにウーブを教育するのね。そりゃ、強い奴が一人でも多ければ地球を救うのにも役立つってのはあるだろうけど、悟空は純粋だから、自分が強い奴=ウーブと戦うために教育をするのが一番の目的。
 僕はその悟空の気持ちがわかるなあ。僕は、僕と楽しく喋ってくれる人がほしくて、色んな人に色んなことを偉そうに言ってしまうのだし、先生になろうっていう気にもなったし、「教育は大事だ」って叫ぶし。
 RinQだってもしかしたらそうなのかもしれない。彼は「いつ不埒くんと色んな話ができるようになるか、楽しみにしてたよ」と言ってくれた。相手が未熟じゃ、話にならん。現代の仕組みだと、一人の教員が教え子に関わるのって質量共に限界があるから、待たなきゃいけない部分もある。種撒いて待とうぜ、っていう感じ。そういうところが実はあったのかもしれないな、と、思う。

 可愛い教え子は目に入れても痛くない、という気持ちが僕ももう、わかってしまった。

2011/04/09 自分の身は、自分で守るの。

 芝浦慶一先生(僕)が『たたかえっ!憲法9条ちゃん』で、ヒロインの知恵院左右に言わせたせりふ。「自分の身は、自分で守るの。」
 誰も守ってなんかくれない、ということを、すべての女の子に伝えたい。恋人が、家族が、必ずしも守ってくれるわけではない。「恋人が、家族が、自分を守ってくれているのか」を常に、確認していなければならないのだよ。恋人も、家族も、守ってくれていない部分は、自分で守る。
 死ぬまでそうだよ。さぼんなよ。

2011/04/08 忘れっぽい鬼

 神田うのが、阪神・淡路大震災の時に、死者数を賭けていた、という噂を、本人がブログで否定した。ところがネット上には、「死者数を賭けていた」ということを裏付ける資料(彼女が対談の中で、そのことを告白している内容を掲載した雑誌の一部)がアップされている。関西ローカルのテレビでも同様の(あるいは、それよりも酷い)発言をしていた、という証言もある。
 雑誌の画像は、高度な技術を駆使して捏造されたものかもしれないし、雑誌は本物でも対談を文字に起こした記者が発言を歪曲したのかもしれない。また、証言だけでは証拠にならない。だから、神田うのの言う通り「事実無根」であるという可能性は否定できない。もちろん九割以上、クロだけど。

「神田うのが、死者数を賭けており、そのことをかつて自らメディアで発言したことは事実である」という前提で考えると、僕が気になるのは「神田うのはそのことを覚えているのか?」というところだ。
 もし神田うのが、自らの行為(賭けそのもの)を忘れてしまっているのならば、彼女は心の底から悲しんでいるだろう。事実無根の悪い噂を流されてしまっていることを。
 その場合、彼女は「過去を隠そうとしている」わけではない。彼女は「自分の都合の良いように記憶を書き換えてしまっている」だけである。
 ブログによると、彼女は16年前の震災で50万円を寄付したらしい。これもひょっとしたら、忘れてしまっているだけで、本当は5万円だったのかもしれないし、500万円だったのかもしれないし、そもそも寄付していなかったのかもしれない。ちなみに今回の震災では1000万円を寄付しているようで、これは最近のことなのでたぶん記憶違いではないだろう。

 人間は容易に忘れる生き物であり、容易に記憶を書き換える生き物である。特に女性はその傾向が強いと思う。その辺も考えに入れて、物事を考える癖をつけなければならないのかもしれない。
 記憶の書き換えは、多かれ少なかれ誰もがしてしまうもので、ほとんどの場合は無意識に行われている。ゆえに、悪気もない。神田うのは、もしかしたら本気で憤り、悲しんでいるのかもしれないのである。
 そう考えてみるだけで、ものの見方というのはほんの少しでも変わってくる。神田うのが悪いとか悪くないとかいうことは、ひとまずよくわからないのだから置いておくとしても、「彼女はすべてを忘れているのかもしれない」という可能性を考えてみることは、真実を見極めるためには必要な作業だと思う。

2011/04/07 藤波心と斉藤和義

 斉藤和義が『ずっとウソだった』という歌を発表した。当初は「Youtubeへの意図せぬ流出」ということだったが、その後(8日)USTREAMで堂々と歌ったらしいので、これは「斉藤和義の作品」というふうに考えて良いだろう。

 この歌が「プライベートなお遊びで作った歌」だというのであれば、別に良いとも悪いとも思わないが、「斉藤和義の作品」として、堂々と発表されたものだとすれば、これほど下らない曲はない。僕は大嫌いである。
 歌の内容を簡単に書くと、「政府も電力会社も、原発は安全です、と言っていたが、事故が起きた。騙された。ずっとウソだったんだ。ずっとクソだったんだ」という感じ。
 要するに、「政府と電力会社に騙された」ということである。「悪いのは政府と電力会社、俺たちは被害者だ」ということである。

 こういうメッセージには、バカが群がる。「そうだ! 俺たちは悪くない! 悪いのは政府と電力会社だ!」と言うことができるからだ。
 実際、ネット上を見ると、この曲の内容に対する批判はほとんどない。本人に対する批判はあっても、内容については批判されない。なぜかというと、「政府や電力会社は“原発は安全です”と言っていたが、事故が起きた」というのは、どう考えても事実だからだ。だから、内容については批判のしようがない。政府や電力会社が悪いというのは、誰の目にも真実であり、国民の共通認識である。
 そこをあえて批判するならば、「騙された」という表現か。これは少々被害者意識だけが強すぎる。「騙されてしまった人は加害者でもある」という考え方もあるだろう。明らかなウソに騙されるような腐った頭してるほうが悪いだろう、という気が、僕はする。「騙されちゃったね、反省しよう」というニュアンスが一切ないのは、大人として無責任じゃないかね。

 斉藤和義本人に対する批判も、それほど多くは聞かれなくて、肯定的な捉え方が多いようだ。かっこいいとか、よく言ったとか。

『ずっとウソだった』の歌詞は、余りにも幼稚で、遊びがない。クソ真面目で、ケーダブさん(K DUB SHINE)の歌詞みたいだ。
 当たり前のことしか言ってないから、反論の余地はない。単純すぎて、突っ込むところも特にない。
 参考:ケーダブさん『セイブザチルドレン

 歌詞の内容は、当たり前のことでしかない。問題は、その当たり前のことを、声高に叫ぶことにどのような意味があるか、ということだ。
 僕は、今さら「政府が悪い、電力会社が悪い」ということを叫んだところで、何の意味もないだろう、と思う。もっと本質的なところを問題にすべきだろうと思う。ところが、誰も本質的なことなんか、考えたくないんだよね。誰か悪いやつがいて、そいつを叩くってのは、楽だし、何も考えなくていいし、自分には関係のないことだと逃げられるからね。自分は悪くないって思えるもんね。そのほうが気分がいいし、面倒なこともないから、みんな飛びつくんだよね。ほんと、斉藤和義の『ずっとウソだった』を好きだと思える人は、全員、単細胞だと僕は決めつけている。少なくとも、不真面目だ。まともに考えようという気がない。

 14歳の藤波心ちゃんは、3月23日にとても本質的なことを言った。悪者を設定して、それを叩くのではなくて、「こういうふうに考えましょう」「こういうふうにしていきませんか」と提案した。だから、大いに叩かれた。
 みんな、「俺の生活に口出しするな」とでも思ったのだろうか。藤波心へのネガティブな反応は、あまりに過剰で、異常だった。今でも新しいエントリがあれば、何件も心ないコメントが寄せられる。

 斉藤和義は、幼稚な歌詞を歌った。
 藤波心は、かなり知的な書き方をした。
 藤波心の文章が知的であるというのは、「比喩の巧さ」からして明らかだ。物事を抽象化して考えることができているということだ。構成も見事で、論理的にも破綻はない。「異論」はいくらでもあるかもしれないが、一つの意見として完結していて、過不足がないと僕は思う。
 そういう知的な文章って、バカは読解できないから、一面的な批判が殺到するんだよね。「節電しろって言うけど、お前はパソコン使ってんじゃねえか」とかね。そういうふうにズレた批判ばっかり。あるいは、「知識が足りない。もっと勉強しなさい」とかね。あんたの言う「知識」ってのは、「あんたの主張を正当化するために必要な情報」のことで、「勉強」ってのは、そういう情報を収集することでしかないのでしょ。

 藤波心ちゃんは、「原発をなくし、それに伴って社会全体のシステムを変えればいい」と言った。これが核であり、これ以外のことはすべて枝葉だと思う。ここで問題になるのは「どう変えるか」「それは可能か」ということだけだ。藤波心ちゃんは具体的なことは何も言っていないが、彼女は子供だから、具体的なことなんか考えられなくても仕方がない。「どう変えるか」を考えて、「それは可能か」を検証し、実践していくのは大人の役割だ。
 彼女へ反論するなら、「原発をなくす必要はない」と言うか、「社会全体のシステムを変える必要はない(変えなくても原発はなくせる)」と言うか、のどちらかしかないと思うのだが、それ以外の批判がたくさん出て来ているというのは、僕にはよくわからない。
 ただ、今23日の日記のコメントを見たら、新しいコメントにはほとんど批判がない。肯定的なものばかり。なんというか、みんなが批判してたら批判して、みんなが褒めてたら褒めるっていう、こう、「空気」を読んでるようにも見える。うーん。くだんねーな。

「君は、電車も乗らず、電気自動車にも乗らず、デパートにも行かず、テレビもラジオも映画にも出ず、などなど。最低限の「灯り」「電気」で生活してください。あと、二酸化炭素を大量に排出する火力発電は可愛いもんって、地球温暖化を容認するんですね!」
 というコメントを、割と最近のところで発見。
 こういう類のこと言う人、多いよね。頭悪いなあ。藤波心一人がそういう生活をしたって実効性はないでしょ。それに、彼女はそういう生活をしようなんて言ってない。「経済」と「生活水準」についてちょっと触れただけで、具体的なことは書いていない。どうして「書いてないこと」を批判できるのだろう。
 また、藤波心は原子力発電と比較した上で、火力・水力はまだマシだと言っただけで、はっきりと「火力・水力のデメリット」と表現している。つまり火力・水力にデメリットがあるということはわかっているので、「火力発電ならいくらでもやってかまいません!」と考えているわけではないだろう。

 このコメントに代表されるように、文章がちょっと長くなって、複雑になると、「書いてないこと」を批判するやつがたくさん出てくる。バカには文章が読めないのだ。
『ずっとウソだった』くらい単純なら、誰でもわかるから、乗りやすいよね。藤波心ちゃんみたいに知的な文章は、バカにはわかんないんだな。邪悪なバカって迷惑だわ。

 藤波心みたいな、提案型の(または、そう見えるような)文章は、ホント嫌われる。みんな「自分ごと」にしたくないんだ。ずっと「他人ごと」にしていたいんだ。だから「政府と電力会社が悪い」みたいな、他人ごとの主張には簡単に乗って、「自分たちの生活を見直そう」というような呼びかけには応じない。みんな、「おいおい、俺たちを巻き込まないでくれよ」って思ってる。ずっと被害者でいたいんだ。
 寄付もそう。寄付さえしておけば、「金を出したんだからあとはもう関係ない」にできる。「金を出した俺たちは、もちろん当事者ではない」と思うこともできる。寄付をするなということではなくて、そういう面もあるだろうと思う。「経済を回す」もそう。「経済を回せば今の生活を維持できるんだから、そうすべきだ」っていう発想。誰も根本的に何かを変えたいなんて思ってない。変えるべきだとも思わない。できることなら何も変えないでいたいと思っている。そのためにすべて他人ごとにしたがる。
 世の中がいびつであることはみんななんとなく知ってる。でも、それをただすために自分の生活に変化が起きるのは嫌だ。だったら、いびつなままでもいい。みんなギャンブラーだな。「どうせ自分が死ぬまでは大した問題は起こらないだろう」と踏んでるんだろう。誰も未来なんか考えていない。

 なんて書くと絶望的すぎるから、「未来を考えている人は極端に少ない」という書き方にしておこう。
 死にたくなってくるな。

 そういえば告知を忘れていた。
 花見があるようなのでヒマな人は来てください。
 4月10日のお昼ごろから、新宿中央公園にて。

 花見沢俊彦

2011/04/05-2 アイラブユー

 昔は「何が何でも、毎日更新」と思って、夜のうちには日記を書いていたものだが、大人になると夜中に出歩くことも多くて、なかなかそうもいかなくなってしまいますな。そんな九日の夜。明日は花見だ。

 アイラブユー

 去年の四月に、たっぷり桜を見たあとに書いた詩。
 川本真琴さんが『音楽の世界へようこそ』を出した直後だと思う。

 つぼみに
 花が咲き
 散って
 いつしか葉桜
 緑が広がる
 忘れてしまうよ

2011/04/05 ママ4、金8

 あたし、水木なつみ。小学4年生。嵐の夜に突然現れた赤ちゃんは、なんと、十五年後の未来からタイムスリップしてきた私の赤ちゃん、みらいちゃんだったの。パパとママはロンドンに行っちゃって留守だし、居候のいづみおばさんは赤ちゃんが大っきらい。あたし一人でもう大変。でも、決めたんだ。みらいちゃんが無事に未来に帰れる日まで、あたしが育てる。だって、あたしがみらいちゃんの、ママだもん!


 実家には百本以上に及ぶVHSテープがあり、そのほとんどは僕が中学~高校時代に録りためたものである。このたびその蔵テープを漁ってみたところ、『3年B組金八先生』第4~6シリーズ(おそらく全話)や、『ママは小学4年生』などが見つかった。
 金八に関しては説明の必要はなかろうが、『ママ4』は知らない人が多かろう。1992年、サンライズ製作のアニメである。監督は井内秀治、『魔神英雄伝ワタル(1988)』『魔動王グランゾート(1989)』『魔神英雄伝ワタル2(1990)』に続く四本目の監督作品である(すべて名作!)。僕はこの作品が好きすぎて、冒頭に引用したセリフは今でも丸暗記しているのであった。我ながら気持ち悪い。
 それ故、このHPでも定期的にママ4の話を書いているので、「またか……」と思う方もいるだろう、申し訳ない。

 冒頭のセリフですべてが説明されてしまっているのであえてあらすじを書く必要はないと思うが、要するに小学4年生の水木なつみちゃんが「みらいちゃん」という赤ちゃんの面倒を見る話なのである。もちろんなつみ一人ではどうにもできず、いづみおばさん(マンガ家志望、二十歳なのにおばさん呼ばわり)や、同級生の山口大介(実はみらいちゃんのパパ)、やがてはクラス全体を巻き込んで、みんなでみらいちゃんの世話をしていく。
 ここまで書いていて気づいたが、これって僕の大好きな岡田淳先生のデビュー作『ムンジャクンジュは毛虫じゃない』と似てるなあ。ムンジャクンジュという生き物を、はじめは一人の女の子が見つけて、そして団地の子供たち(三人)でしばらく育てていくのだが、やがてクラス全体を巻き込んでいくのだ(面白いのでぜひ読んでね)。
「みんなで育てる」というのは、たぶん現代人の発想の中にはない。僕はそういう発想はあるべきだと思うので、これらの作品がたぶん好きなのだろう。

 さっき、16話~17話を見た。なつみのママが、なつみをロンドンに連れて行くために一時帰国してくる話だ。いろいろあってなつみは、みらいちゃんを置いて(おばあちゃんちに預けて)ロンドンに行くことを決心する。
 大介はみらいちゃんを連れて、なつみを空港まで追いかけた。なつみもそのことに気づくが、ゲートに向かって走り去ってしまう。
 そして大介が言うのは、こんなセリフだ。
「バカだよ。自分の子供を置いてくなんて、バカヤローだ」
 もちろん、なつみは最後の最後で引き返し、みらいちゃんと大介の元に戻ってくるのだった。

 こういう感覚って、人間としちゃ当たり前のものだと思うが、実に僕は幼い頃にこの作品を見ていてよかったなと思う。もし見ていなければ、こういう感覚がわからなかったのかもしれないし、わかったとしても、「この感覚は正しい」とか「この感覚は死んでも守り通すべきものである」という確信は得られなかったかもしれない。情操教育という点で、このように本当に優れたアニメの力は大きい、と僕は信じる。
 でも今こういうアニメってないし、あっても売れないんだろうね。少子化だからって、ちょっとひどい。オタクは正しさなんか問題にしないから、オタクは嫌いだし、オタク向けのアニメは嫌いだし、オタクが好きなアニメは嫌いだ。オタクはもう子供じゃなくて、子供じゃないくせに「自分が気持ちいい」という観点でしか評価しない。
 初代プリキュアみたいな名作は、僕が知らないだけで、毎年のように生み出されているのだろうか。もしそうだとしたら、オタクのみなさんはそういったものたちをもうちょっと話題にしてほしいものだ。「子供向け作品のすばらしさを大人に伝える」ということが、ひょっとしたらオタクの役割だったのかもしれないのに。子供はすばらしさなんかわかんないし、わかっても伝えられずに、ただ吸収してしまうだけだから。

 ところで、ママ4の次回予告では「赤ちゃんって、かっわいい~」と最後に言うのが定番であるが、これが「赤ちゃんって、た~いへん」になるバージョンもある。こういうところも非常に正しい。なんというか、子育てが難しく、大変なものであるという真実もちゃんと伝えようとしているところに真摯さが見える。

2011/04/04 寄付について

 僕らが1000円寄付するよりも、その1000円でハガキを20枚買ってきて、イチローさんとか、孫正義さんとか、秋元康さんとか、とにかくお金持っていそうな人に宛てて、「東日本大震災に(もっと)寄付をしてください、お願いです」と書いたほうが、効率が良いのではないだろうか。
 おそらく理屈としては、そっちのほうが結果的にたくさんお金が集まるだろう。ただし、その運動がブームになりすぎて、孫正義さんのところにハガキが100万枚届いたりしたら、かなりの迷惑になってしまう。まあそれで、孫さんがもう1億円くらい寄付してくれたら、プラス5000万円だから、無駄だったとは言わない。ハガキ100万枚ぶん、孫さんが国民から頼られているということだから、喜んでいいことのような気もする。経済も回るじゃないですか!

 しかし、百億も寄付してくれた方に対して、「もう一億くらい出せんだろ! ケチってねーで出せやコラ!」などと言うのは、いくらなんでも心苦しい。イチローさんの一億だって、どういう事情があって出てきたものかはわからない。「もう一千万円くらい無理でしょうか」と言われりゃ、出すかもしれないが、ふつうの神経してたら「俺はもう一億も出してんだ! これでも多少は無理してんだよ! お前らも出せや!」と怒るだろう。

 それに、日本人というのは「元気玉」が大好きだ。塵も積もれば山となるという。そういうのを大切にしている。なんと美しいことではないか。こういう国民性はわりと好きである。ドラゴンボールでも、結局最後は元気玉で勝つのだ。

 有名人だって、金持ちだって同じ人間なのだから、「ふむふむ庶民もなけなしの金をはたいて募金しているのか。それならば私も少しくらい金を出してみようかな」と、多数派の動きにつられることもあるだろう。そういう意味では、募金することと「募金してください」というハガキを出すことは、結果的には同じ効果をもたらすのかもしれない。

 そういうわけで被災した人たちのために何かしたいのならば、募金をして、「募金したぜ!」とふれ回るのが良いと思う。もちろん、ふれ回らなくてもいいし、ふれ回るだけでもいい。お金がある人は、できれば募金をして、ふれ回りましょう。お金がない人は、募金しなくてもいいから、「募金したぜ!」とふれ回りましょう。嘘も方便、これは正義です。ちなみに僕は日本赤十字に十万円ほど募金しました。募金する際には、ちゃんとそのお金の行き先を調べ、自分の納得のいく使い道になるとわかってからしましょう。

2011/04/03 花見

 地元のたかゆきくんと花見に。
 午後二時ごろ、我が家に来ていただいた。
 とりあえず家に入ってもらって、花見の用意。

J「何が要るかな?」
た「なんだろうな」
J「とりあえずシートを用意したよ」
た「シートか。俺は要ると思うよ。俺はね。お前がどう思うかはわからんけど」
J「いや、俺も要ると思ったから用意したんだよ!」
た「飲み物は要るな」
J「あとで買いにいこう」
た「ほかは?」
J「遊び道具だ。ボールとか」
た「ボールあるのか」
J「ない。ヨーヨーならある」
た「おお」

 しばし、ヨーヨーで遊ぶ。

J「これは違うな」
た「違うな」
J「遊び道具は現地調達だ」
た「うむ」

 ひとまず、たかゆきくんのバイクで(叫びながら)彼の実家へ。
 それから歩いてメッツ大曽根のヤマナカに行って買い出し。

J「まずは酒だ。桜っぽいものを探そう」
た「うむ……ないな」
J「ないな」
た「おっ。このチューハイ、桜っぽいぞ」
J「本当だ。パッケージに桜が」
た「パッケージにな」
J「えっ」
た「八缶セットだが、桜味のチューハイは入っていない」
J「さくらんぼ味もか」
た「ああ」
J「じゃあだめだ。まやかしだ」
た「妙案を思いついた」
J「なんだね」
た「焼酎でも買って、さくらんぼ味のジュースで割ればいい」
J「それだ! 天才だなおまえ」
た「探してみよう」
J「ああ」
た「……ないな」
J「考えてみれば、さくらんぼ味のジュースなんて見たことないな」
た「だめだな」
J「あっ。これは!」
た「これだ!」
J「これだな!」

 三色だんごを見つけた。二パックをかごへ。

た「これだな」
J「ああ、これだ」
た「これでとりあえず大丈夫だな」
J「うん、大丈夫だ」

 そしてだんごの勢いで、奇跡的に「越後桜」という日本酒を発見。それとビールを一本ずつ。おつまみとして、アジフライとかイカとかエビとか枝豆の入った詰め合わせと、ハムカツと、唐揚げ棒などを買った。会計を済ませた。

た「しまった」
J「どうした」
た「箸がない」
J「どうしよう」
餃「ギョウザの試食、どうですかー」
た「いただきます」
J「いただきます」
た「ごちそうさま」
J「ごちそうさま」
た「よし、これで勝てる!」
J「なにがだ?」
た「このつまようじで食えばいい」
J「なるほど! って、もう捨てちゃったよ」
た「なぜ捨てた!」
J「すみません」
た「考えろ!」
J「本当にすみません」
た「あっ」
J「えっ、なに? ……あっ!」
た「だんご!」
J「だんご!」
た「余裕だな」
J「余裕すぎるな」

 というわけで川沿いにある山のような公園へ。

J「せっかくだから山のほうへのぼろうぜ!」
た「子供たちがたくさん遊んでいるな」
J「上のほういこうぜ!」
た「……」
J「山いこうぜ山!」
た「さっきからそればっかだな! おれはべつにその意見に対して反対しとらんのだけどな」
J「すみません」

 山の頂上、川の対岸が見晴らせるようなところにシートを敷き、酒盛りを開始。まずはビールで乾杯。いわしの缶詰を開けるも、つまようじ一本ではうまく食べられない。だんごの串を使おうと思っていたのだが、串にだんごの残骸がこびりついており、味が混ざってしまうという問題が生じたのである。
 そこで、僕に名案がひらめいた!
 プルタブである。
 ビールのプルタブをスプーン代わりにして食べてみたのである!……が、プルタブは小さいので、指にいわしの汁がついてしまう。
 僕が苦い顔をしていると、たかゆき氏は無言で自分のプルタブを取り外し、つまようじとドッキングさせたのである!
 天才! 即席スプーン完成!

J「おまえすごいな! 天才だな!」
た「いわしうまい」
J「おれにも使わせてくれよ」
た「あんまり強く刺すなよ、デリケートだから」
J「うん。……あっ」
た「おい!」
J「ごめんなさい」

 たかゆきくんが直そうと奮闘したが、再起不能であった。
 結局だんごの串を箸にして食べた。

 酒を飲むだけ飲んで、ちょっと寒くなってきた。僕は何枚も厚着をしてぬくぬくとしていたが、たかゆき氏は比較的薄着であった。それで彼はこともあろうに僕の上着を取り上げ、暖を取ったのである。僕は急に寒くなったため、身体を動かしたくなった。とりあえず木に登ってみた。たかゆき氏も登った。
 ある木の枝が地面とほぼ平行に伸びていた。高さは、僕が手をあげた時にちょうど握れるくらいであった。ので、逆上がりをして遊んでみた。たかゆき氏は逆上がりができなかった!
 たかゆき氏は「おまえは助走をつけているからできるんだ。おれは助走をつけていない」と言った。僕は助走をつけずにやってみた。そしたらできなかった。「でも、おれは助走をつければできるんだ。おまえよりすごい」と僕は言った。すると彼は「いや、おまえは助走をつけないとできない。だからおまえはすごくない」と言った。このやりとりを六回くらい繰り返して、逆上がり大会は終わった。

 シートを片づけ、ゴミをまとめて、山をおりた。
 なんと説明したらわかりやすいのかわからないが、この公園にはでっかいすべりだいがある。なんか富士山みたいなやつ。なんというのか、富士山みたいなやつが、砂場を見おろすようにそびえている。末広がりの斜面で、頂上は二メートルくらい、一番下は五~六メートルくらいになっている。小さいころは、この斜面を走って登れないやつはひ弱なやつとされていた。大人でも運動不足だったりすると、たぶん登れない。
 で、二人でこの斜面を三十回ずつくらい登った。登っては相手を引きずりおろし、相手が登ってくるところにすべり降りて妨害したり、くつを脱いで投げたり、砂を投げたり、疲れ切って頂上で寝ている相手を押して落としたり、落とされるときに相手の足をつかんで道連れにしたり。相当疲れた。
 昔はこんなことを毎日のようにやっていたのだが、毎日のようにやっていたからこそ、毎日のようにやれたのだろう、というような意味のことを、言っていた気がする。

 鉄棒。逆上がり。空中逆上がり。「足だけでぶら下がった状態から足だけで一回転して足を離して着地」というのを、久々にやってみた。問題なくできた。たかゆき氏は逆上がりができなくなっていたらしいが、勢いよくやったらできた。
 たかゆき氏は、「両腕で反動をつけて鉄棒を飛び越える」という技をやった。僕はできなかった。
 と思ったら、何度か練習したらできた。練習すればできるのである!
 が、「片腕で反動をつけて鉄棒を飛び越える」のはできなかった。練習しようっと。
 たかゆき氏は、かつては野生児のような人間で、僕は到底太刀打ちができなかったのだが、近年は喫煙と、運動不足と、それに伴う体重の増加などによって、それなりに体力が落ちているようである。が、それでも僕にできないことが断然できてしまったりするので、正直言ってちょっと悔しい。精進しよう。

 ペットボトルサッカー。そろそろ書くほうも疲れてきた。書くのは、遊ぶよりも手間がかかる。書いてる暇があったら遊んでいたほうがいい。ペットボトルサッカーはいつやっても楽しいものだ。ちょっと水が入っているとより楽しい。

 それから吊られたタイヤでぐるぐる回った。と、だいぶ説明も適当になってきた。こうやって書いていても、遊んだ内容の一割も伝えられないし、遊んだ楽しさの一%も伝えられない。なんというのか、いろいろと考えさせられる。

 帰り際。

J「また、帰ってきたときは遊んでくれよ」
た「おまえ全然帰ってこんからな」
J「だから、帰ってきたときくらいは、遊んでくれ」
た「遊んどるがん!」
J「そうだった。これから遊べなくなるのかなと思ったので」
た「遊ぶわ」
J「ありがとう。おめでとう」
た「おう」

2011/04/02 名古屋行ってくる

 RinQ(高校時代の英語の先生)とアポが取れたので火曜くらいまで名古屋に行ってきます。前回よりはゆったりと、自宅で過ごしていると思いますので、日記もたぶん書けるかと思います。
 僕には「会いたい」と思える人がたくさんいて幸せだ。
 同じように僕も思われたいものです。


 考えよ、と思う。考えろ。怖がらず、想像する覚悟を持つこと。

2011/04/01 (99は)もうこれ以上面白くなることはありません

岡村さん「今日は『サモ・ハン・キンポースペシャル』と題しまして、二時間ぶち抜きでお送りいたしましたけれども。あえてね、ごくごく通常の放送に近い形でやらさせていただきましたけれども。」

矢部さん「そうですねえ。」

岡村さん「本当にね、こう、被災者の方が聴けているかどうかも、ちょっとわからない中の放送でございましたですけれども。本当に我々、一応お笑いのプロとしてですね、皆さんにまた、笑っていただけるようにがんばりたいと思いますけども。えー……、これ以上面白くなることは残念ながらありません。」

矢部さん「ははは。あ、我々のことですね。まあまあ、まあそうですね。」

岡村さん「我々に関して、特にナインテナインに関して言いますと、これ以上面白くなることはもうないでしょう。残念なお知らせですけども。」

矢部さん「(笑)びっくり、これもうびっくりするほど、面白くならないです。変わらないですよ。」

岡村さん「そうなんですよ。もう、我々はこういう人間ですし、こういうお笑いですから、もう残念ですけど、もう、もう伸びません。」

矢部さん「それねえ、わざわざ発表することじゃないと思うんすよ。」

岡村さん「なんで、これで笑ってくれる方がね、いてくれたらいいなと、いうふうには思います。」

矢部さん「そうですね。」

岡村さん「かといって、すぐに面白くなくなることはないとは思いますけれども。残念ながら、本当に。ま、こんなこと言わなくてよかったですけども。言うてしまいましたけども。」

矢部さん「いや言わなくていいですよ、そんな弱点。致命傷ですよ。我々、お笑いのプロでって言うといて。」

岡村さん「そうなんですよ、お笑いのプロなんですけど、これ以上伸びない。」

矢部さん「これ以上期待するなっていうことでしょ? これ以上のことは。」

岡村さん「そうです。これ以上、期待するな。」
矢部さん「期待するなって(笑)。」

岡村さん「もちろん、嘘みたいにスベる時もあるし。それがナインティナインだ。しょうがない。これに関して言うと。」

矢部さん「まあまあまあ。そうですね。」

岡村さん「呆気にとられるだろう。呆気にとられることもあるだろう。ナインティナインのテレビを見て、ラジオを聴いて、呆気にとられることもあるだろう。」

矢部さん「すげーカミングアウトやなあ。そんなん言ったお笑いさんいないでしょうね。」

岡村さん「いないでしょうね。」

矢部さん「僕らこれ以上、面白くなることありません。」

岡村さん「そうですね。あのー、若かりし頃はね、わかってくれる人だけが笑ってくれたらいいみたいな、ねえ。僕ら面白いですよ、とかね。僕らの笑いわからないんですか、みたいなことを。」

矢部さん「尖ってね。」

岡村さん「ええ、尖って言うてた時期、あったかもわかんないですけども。我々は、もう、これ以上、面白くなることは、皆無です!」

矢部さん「(爆笑)」

岡村さん「あとは僕が、ダイエットやめて、ぶくぶく太って、見た目で、チビやわデブやわハゲやわってなって、ちょっと……」

矢部さん「それは、武器ですねえ。」

岡村さん「ちょっと、変わるくらいです。」

矢部さん「だから、そんな、大げさに考えなくてね。なんかいいなあ、って思ってくれたらいいですよね。ナイナイなんかいいなあ。それでいいじゃないですか、そんなん。」

岡村さん「そうですね。ええ、ええ、ええ。でも、その、そういう覚悟でね。これからも僕たちと付き合っていってほしいなと。」

矢部さん「(リスナーを)巻き込んだ。ちん毛みたいに巻き込んだ!」
 ※この日、“もしも仮面ライダーがベルトを逆向きにつけて変身したら、ちん毛が巻き込まれて大変なことになる”、というネタが二人のツボにはまっていた

岡村さん「いうふうに、ね。笑いのオクトパス現象ということで。みんなもこうやってね、ラジオ聴いてくれて。キョトンとしてくれたら嬉しいなと。」

矢部さん「そうですね。」

岡村さん「嬉しくはないけどね、笑ってはほしいけど。残念だけども。」

矢部さん「自分から言うとんねん。」

岡村さん「四十歳にしてもう……四十歳やからね。四十歳やからもう、ダメだよ。そう。いっぱい期待されても、もう無駄だ。」

矢部さん「がんばっていきましょう、みんなで。」

岡村さん「がんばっていくけど、もちろんがんばっていくけれども、そんなに期待されても、もうダメだぞと。」

矢部さん「もう終わるで、今週は。あんまりそれ以上言ってたら。」

岡村さん「期待するなよ。」

矢部さん「わあわあ言うとります。」

岡村さん「お時間です。」

二人「さようなら。」

(『ナインティナインのオールナイトニッポン』2011年3月17日放送)

 ナインティナインのオールナイトニッポンを聴き始めてもう十四年くらいになる。毎週欠かさず聴いている。中学の頃、一時的に名古屋での放送がなくなり、ベランダに出てニッポン放送の電波を拾って聴いた。真冬でも毛布にくるまって、星を見ながら聴いた。高校に上がると、二時間の放送を録音するために専用のデッキまで買った。それまでは120分テープをひっくり返して録音していた。手動で反転させるため、どんなに眠くても、どんなに大切な用事があっても午前二時までは起きていて、テープをひっくり返してから寝た。録音できるようになっても可能な限りは起きて聴いていた。
 無銘喫茶が木曜日なのでリアルタイムで聴けることは少なくなったが、今でもちゃんと録音したものを欠かさず聴いている。この番組が終わったら困る。生活の一部である。僕のことを好きな女の子はナイナイのことを、岡村さんのことをもっと知るといい。彼と僕とが似ているというわけでもないが、僕は岡村さんのことが大好きである。

 ナインティナインは、芸人として、単独ではそんなに面白くはない。運や、周囲の人々に助けられて売れている。また「面白い」というよりは「魅力的」であるということによって人気を維持しているのだと思う。
 ナイナイが秀でているのは、「面白い」ということではなくて、「面白いことがわかる」という能力においてだと、僕は何年も前からこの日記にも書いている。

 ナインティナインのオールナイトニッポンが相変わらず面白いのは、情報やネタが時勢に合わせて流動的に変化していくからだ。そしてその変化に、ナイナイもリスナー(ハガキ職人)もついていくことができているからだ。従って、ナイナイのオールナイトはもはや長寿番組と呼ばれて久しいが、いつも新鮮さを保ち続けている。だから長時間間隔を空けて聴いても、さほどノスタルジーを感じさせないはずだ。
 ナインティナインは、自ら笑いを創り出す能力では他の芸人と比べて特に秀でているというわけではない。彼らのすばらしいところは他にある。(略)そのパーソナリティに魅力があるということはもちろんだ。が、何よりも、「魅力的なものを捉える能力」に彼らはずば抜けて長けている。いわゆる「めちゃイケ効果」(めちゃイケに出演した芸能人がその後やたらに売れ出す現象)もそうだが、何よりもオールナイトニッポンを聴いていればそれはよくわかる。(印象的だったのは『だんご三兄弟』が流行り出す何ヶ月も前からそれをジングルに使用していたこと。すげぇ…)(2004年10月24日)

 僕が『だんご三兄弟』を初めて聴いたのは、もちろんナイナイのオールナイトが最初である。上記の「何ヶ月も前から」というのは詳しく検証していないが、少なくともCD発売よりも以前にジングルに使われていたことは確か。
 ナイナイは、「面白い」ということに敏感だ。だからこそ、他人の「面白さ」を引き出すこともうまい。めちゃイケからブレイクした芸人やタレントが数え切れないほど多いのは、その証拠だと思う。もちろんスタッフや他の出演者の力もあるが、ナイナイの力も大きいはずだ。
「面白さがわかる」ということは、「自分たちがどのくらい面白いか」ということもわかってしまうということで、ラジオでは時折、自分たちの笑いの能力に対してネガティブなことも言ってきたと思う。今年3月17日の放送終了間際に言ったこと(冒頭に引用)は、現時点での彼らの結論であり、完全な本音である。これほど潔い宣言はない。

 岡村さんは「もう伸びません」と宣言した。僕がナイナイのことをいつまでも好きなのは、こういうところにあるだろうと思った。無駄な向上心がない。変な上昇志向を持っていない。だからこそブログもやらないし、本も出さない。ただし、仕事として「やれ」と言われたら、期間限定のブログや番組本は出す。彼らは自分たちの立つべき位置と姿勢をわかっているのだ。自分を殺すのも上手い。一歩仕事の外に出ると、いっさいの自己顕示欲がなくなるかのようだ。
 当然、政治家にもならない。CDも出さない。映画も撮らない。しかしお笑い番組の企画となれば、それが「笑い」に繋がるのであれば、なんだってやる。東大受験だってやる。フルマラソンだってやる。そういうところが「お笑いのプロ」だと言うのである。
 オファーがあれば映画にもドラマにも出るのだが、面白いことに、去年岡村さんが体調を崩した原因というのが「出演した映画のプロモーションで働きすぎた」ことにあるというところだ。本業のお笑いでではなく、映画出演によって体調を崩すというのは、岡村さんがどこまでも「お笑いのプロ」であることの証左なのではなかろうか。

 とても冷静で、「分」というものをわきまえているナイナイは、「もう成長しない」という事実を受け入れた。これは「慣れないこと=映画で頑張りすぎたがために、身体を壊した」ことを受けて、というのもあるのかもしれない。改めて「自分の分」というものを考え、受け入れたのではないだろうか。
 愚かな大人は、こういうことを受け入れられずに「もっと成長したい」と思うのだ。思って無茶なことをして、取り返しのつかないところまで行ってしまう。日本はいま、確実に良くない方向へ、急速に向かっている。それは社会全体が、「もう成長しない」という事実を受け入れずに、無理矢理「もっと成長したい」と思ってしまったが故なのではないかと思う。みんながナイナイのように冷静であって、「分」をわきまえていればよかったのに。
 だからこそ、地震後最初(六日後)のラジオで「もう成長しない」を宣言したナイナイは、凄いというのだ。何事も、自分自身の分を越えてしまってはならない。行きすぎた成長は破綻しか生まない。だからどこかで、「もう成長しない」という地点を見極めなくてはならないのだ。


 僕も26年間生きてきて、だいたいの自分の「分」というものがわかった。「もう成長しない」とは言わないが、自分がどのくらいまで行けるもんなのかというのはわかってしまった。どれだけ足掻いたって無駄である。まだまだ行けるが、行けるところまでしか行けないだろう。予想を超えるような変化は、もうない。と思う。
 ところが僕の教え子たちは違う。まだ若い。どんなふうにも変わっていける。だからこそ僕はもう、彼らがどこまでも伸びていけるように、できるところまではサポートしていきたいのである。亀仙人のようなものだ。亀仙人がどれだけ修行しても、悟空やクリリンほど強くなることはできない。しかし亀仙人がいなければ、悟空もクリリンも、栽培マンにすら勝てないようなところで終わってしまっていたかもしれない。僕は亀仙人になって、悟空とまでは言わない、クリリンを育てて、老後は孤島でエッチな本を読みながら暮らすのである。ウリゴメと一緒に。たまにクリリン一家が娘連れて遊びに来るのを心密かに楽しみとしながら。なんかあったら魔封波使って死ぬくらいの覚悟をもって。
 これってたぶん、退職したあとの金八先生なんだよね。家族はみんないなくなって、仕事もなくって。だけど時折、教え子が訪ねてくるという。

 過去ログ  2011年3月  2011年4月  2011年5月  TOP