少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2010/07/31 夏の魔球

 新宿中央公園に青姦を見に行ったら、レイプされたあとの女子高生みたいな格好で練馬まで帰る羽目になりました。早朝の青白い空の下、泣きながら自転車を漕ぎました。
 好きな人にレイプされたいです。

 僕はいったんアップしてから細かいところを修正するので、更新されてすぐは未完成な段階であることが多いです。多いというか絶対にそうです。申し訳ないです。
 下の記事に関して。メタ的に(笑)言うと、僕も世の母親や世の娘の在り方を自分サイズに刈り込んでいるわけですが、ここには刈り込まれて困るような相手ってのが存在しないから大丈夫ですよね。たぶんね。誰かと対話しているわけではないのだから。うん。おそらく。「対話」という段になったら、僕もかなり慎重になります。言っておかないと。

2010/07/30 他人の考えを自分の知能程度に合わせて刈り込まないこと

 
2007年12月19日の日記で僕は、宮崎哲弥『新世紀の美徳』のなかの一節である「他人の考えを自分の知能程度に合わせて刈り込まないこと。(P92)」という言葉に注目している。当時『たかじんのそこまで言って委員会』が大好きだった(今も見てはいるが)ので読んでみたら、最も印象に残ったのがこのフレーズだったというわけだ。

「他人の考えを自分の知能程度に合わせて刈り込」んでしまう。
 これは絶対にしてはならない。恥ずべき悪徳だ。
 年寄りというのは若者の言うことやることを、自分の理解の及ぶ程度まで小さく刈り込んで、すなわち「わからない部分を削り取って単純化して」把握しようとする。「年寄り」と言ってみているが、これは子供に対する大人、娘に対する母親などを思い浮かべるとちょうどいい。世代なんか無視しても、浅はかな人は他人の言うことの本質を捉えようとせず、自分の頭の中にある考えをそのまま他人に当てはめて「この人はこういうことを言いたいんだな」と決めつけてしまいがちだ。
 それは一つには、考えるのが面倒だから。頭の中がカチカチに固まってしまっているんで、「すでに自分の中にある考え」だけですべてを処理してしまいたくなってしまう。そのほうが楽なのだ。
 もう一つは、相手を見くびっているから。年寄りは若者を、大人は子供を、母親は娘を見くびっている。「どうせそんなに難しいことは考えていないだろう」「考えられないだろう」と見くびって、相手の言動の本質を考えない。
 あるいは、単純に思考力がないからと言ってしまってもいいかもしれない。対等かそれに近い立場でこういうことが起きるなら、原因はほぼこれだ。「相手はこういうことが言いたいんだな」を見抜く能力に乏しい。見抜くというのは、「相手はこう言いたいのかもしれないし、あるいはこう言いたいのかもしれない」という幾つかのパターンを想定した上で、その中で順位をつけてさらに未知の可能性にまで配慮する「おそらくこうだろう。でなかったらこうかもしれないし、まったく違うのかもしれない」というところまで持って行く、若干迂遠な手続きのことである。
 相当みんな、これができない。

 僕の周辺で例えばどういうことが起きてきたかというのは上のリンクから過去ログに飛んでみてください。さっきこっそり再アップした部分なので、読んでない人も多いと存じます。

 母親と娘、ってことを書いたけど、なんでこの組み合わせになるのかというと、「父親と息子」や「父親と娘」の間には理屈が介在しないし、「母親と息子」なら「うるせーよババア」という言葉で回避できてしまうから。女の子はなかなかこの「うるせーよババア」が言えなくて、それでいつまでも母親の奴隷みたいになってしまう。
 娘がある程度大きくなって、それなりに筋の通った独自の考えを持つようになってきたら、母親がすべきことは本当は「自分の信念や一般性・客観性をもとに娘の考えを修正する」ということであって、「ただ否定する」ということではない。それではせっかく育ちかけた自我の芽を摘んでしまうことにしかならない。まずは娘の話に耳を傾けて、「でもそれはね」と優しく教えてあげて、娘もその言葉をじっくり噛みしめて、なんていう手続きがとても大切なんだと僕は思う。娘の考えを自分のすっかり固くなった頭の程度に合わせて刈り込んで、「それは違う」なんて頭から否定してしまうのは悪徳でしかない。
 もちろん、十代の娘の言うことなんてだいたいが間違っているのである。それを何でも「いいんだよ」と言ってあげるのもどうかとは思う。放任とは放棄でしかないので。だがだからといって「そんなもんは間違ってる」と一蹴してしまうのも、娘の考えが涵養されない。人間はマルバツクイズで生きてるんじゃないんだから。重要なのは「何が間違ってるか」ではなく「なぜ間違っているか」であって、そのことは母親だってわかってるはずなのだ。なのになぜだか、そこが問題になりづらい。
 最大の問題というのは、娘のほうがまだまだ口べただということである。絶対権力者である母親の前で萎縮してしまうという事情もある。娘は母親に対して、「本当は思っていること」を半分も言えない。「言わせてもらえない」と思い込んでいて、結果、言わない。「言えばいいのに」と母親は思っている。娘が「言わない」から、「考えが足りない」と思われて、「まだ“なぜ”を問題にする段階じゃないな」と見積もられてしまうのである。
「言わせてもらえない」と「言えばいいのに」の間でせめぎ合っていて、何も前には進まない。ずっと同じことを繰り返す。娘を持つ家庭の多くで、実はこんなことが起こっているのではないかと僕は予想するのだが、その根本原因はおそらく「言葉足らず」である。母も娘も、言いたいことを言っているようで最も重要なことを何も言っていない。すなわち「あなたはどう思うの」と「わたしはこう思うの」である。この一言がない、もしくは互いにまっすぐ向き合っていないから、すれ違いが起きて、母がいつまでも絶対者として君臨してしまう。母親はため息をついて「まだ子供なんだから」と思い、娘は「もう子供じゃないのにな」と思う。これでお互いに歩み寄れるものかと、呆れてしまう。

 大切なことは「まだ子供のくせに」という決めつけや、「もう子供じゃない」という背伸びをすることではなくて、「そのことをいかに伝えるか」ということだ。「あなたの考えはここがこのように子供である」ということを母親は具体的に伝えなければならないし、「わたしはこのように考えているが至らないことがあれば教えてほしい」と、娘は母親にわかるように言わなければならない。言葉を尽くして。あるいは、じっくり耳を傾けて。
 なにがいけないって、急ぐからだよ。お互いが「わかって!」ってただ願うだけだからだ。何を照れてんだか知らないが、何を恐れてんだか知らないが、対話するんならするで、ちゃんと具体的に詳らかにやんなきゃ、意味ないに決まってる。しないんだったらしないで放棄しちゃえばいいんだよ。それだと不安だから介入したがるんでしょう、だったらもうちょっと、娘の考えを育てるってことに注力したほうがいい。身体のほうはもう、育ちきってしまっていてどうにもならないことなのだし。
「育てる」ためにはまず「現状を把握する」ことで、あなたの考えている「娘の現状」というのは、「あなたの頭の中にある娘像」の中で凝り固まってしまっていて、そこに新しい情報がなかなか取り込まれていかないから、娘と認識がすれ違う。それは母親のせいでもあるし、もちろん娘のせいでもある。うまく伝えていないから、うまく取り込まれないのは当たり前だ。娘はだいたい「わかってよ!」としか思わないものだから。
 その年頃の娘というのはまさに音速で進化する。取り巻くあらゆる言葉、あらゆる音によって成長している。その速度について行けなくなったときに「親離れ・子離れ」は起きるのであるから、ついて行けないんならそのことを認めるべきだし、ついて行けると思うのならばぴったり併走して見ていてあげなければ。壇上でメガフォン構える独裁者であってはいけない。

2010/07/29 裏磐梯

 福島県といえば裏磐梯なのだ。小学生の時から読んでいたさとうまきこさんの『ぼくの・ミステリーなあいつ』『ぼくらのミステリークラブ』に、合宿先として登場するから。「るり湖」というのが実在することを今日知った。僕にとってとても大切な作品だから、もし実在するのなら一度行ってみたいと思っていたら、元教え子がいまそのあたりで合宿をしているらしい。さとうまきこさんは『わたしの秘密の花園』という作品を読む限りたぶん僕の行っていた学校にゆかりのある方で、それもあってか彼女の作品にはよく小田急線が登場する。なんか、いろんなことが繋がっている。うれしい。
「小田急線」とか「経堂」とか「梅ヶ丘」とかって、さとうまきこさんの作品で知った単語だったなあ。僕は名古屋育ちだから東京のことは全然わかんなくってちっともピンとこなかったけど、今は「小田急線」という言葉の持っている意味がなんとなくわかる。小田急沿線が舞台だから、登場する子供たちはけっこう金持ちだったり、親が教育熱心だったりするのかなとか。
 それにしてもまさか自分がこんなに小田急線に親しむ生活を送るようになるとは考えても見なかった。乗ったことはたぶん二回くらいしかないんだけど、あのあたりには自転車でよく行っている。小田急と聞くたびにさとうまきこさんと、藤子不二雄先生を思い出す。オバQ。
 そういえば僕は子供向けの本が大好きです。でも絵本が好きってわけじゃなくて、童話が好きってわけでもなくて、指輪とかナルニアとかのファンタジーが好きってこともなくて、ふつうの子供たちが出てくる、すこしふしぎな話が好き。岡田淳さんとか、さとうまきこさんとか。藤子不二雄作品も基本的に「日常の中のSF」だから、同じようなものだと思う。僕はそういうのが好き。
 なので最終的には、というか、人生のどこかで僕はそっちのほうに行きたいんですよな。でも一度『9条ちゃん』みたいなのを書いてしまったら、無理かもしんない。はっは。世間は厳しいですからなあ。ホントに。

2010/07/28 

 母が東京に来ていたので予定をキャンセルして兄と三人で会食をした。いつもなら半ズボンを穿いていくところだがお洒落でカッコイイ兄と会うのにそれもなあと思って久々に長ズボンを穿いて出かけたのだが待ちあわせに現れた彼は僕がいつも穿いているよりもずっと短い半ズボン姿であった。ああ、さすが兄弟。血は争えない。なんとも優れている。やはりまともな脳みそを持った人間って暑い夏には半ズボンを穿くものなのである。仕事を抜けだしてやってきたという彼はつまりオフィスでも半ズボンなのだ。素晴らしい。物心ついてからずっと尊敬して(させられて)きたが、今日はまたさらに好きになってしまった。それにしても彼は最近ちょっとビッグになりすぎてきていて弟としては多大なるプレッシャーである。頑張らないと。

 すっかり夜になって帰り道、すこし気分が昂揚していたので下北沢で友達を呼び出し路上ビールの会を緊急に開いた。月が綺麗だった。不思議な気分になった。そのせいで気分が悪くなり、家に向かう途中、善福寺川のほとりで足が止まった。蝉の声を聞きながらベンチに寝っ転がって、詩を書いたりメールしたり、少しうとうとしたりした。
 十代のころ、何かあると裏の河原に出てぼんやりとしていたのを思い出す。善福寺川で二時間くらいそのような気分に浸っていた。あの頃はマンションの明かりが僕を照らしていた。今は街灯と月の光。なぜだろう、月はどこにいたんだろう。思春期すぎた。

 暗い暗い。コオロギのように。


 昨日の日記でなぜかミスフルとアイシールドを間違えていて吹いた。寝不足って怖いな。まったく意味がわからん。申し訳ありませんでした。訂正しといた。
 あと、魚住は割と努力型の選手だったということを思い出したが、彼は赤木よりデカいというだけで充分天才なのであえて修正はしないでおこう。努力なら登場人物全員してるしな。才能がそれ以上にありすぎるというだけで。

2010/07/27 スラムダンク有害論

 僕の欠点は心に棚を作りすぎること。自分のことは常に棚上げにする。幼いころから島本和彦作品(『炎の転校生』とか『逆境ナイン』とか)なんて読んでるとこうなりかねないから注意が必要です。名作だからといって、何でも読ませたらよいというものではないのだ。

 好例が『スラムダンク』。言うまでもなくあれは名作です。とても面白い。しかし僕はその評価とは別に「スラムダンク有害論」というものをずっと唱えていて、どれだけ名作であるからといってその意見を変えることはない。名作であればあるほどむしろその罪は深いのだから。
 僕は自分の子供に『スラムダンク』を読ませたいとは思わない。子供がマンガオタクになったなら教養として読むべきだとは思うが、好きになってほしいとは到底思わないので可能な限り遠ざけるだろう、教養というならほかにいくらでも読むべきものはある。それらをすべて片づけた後にでも読めばいい。(すると永遠に読めなかろうが。)
 世の中には「おいしいけど栄養がない」または「おいしいけど身体に悪い」食品というものがある。スナック菓子とか、マクドナルドのハンバーガーとか。『スラムダンク』というのはそういう作品だと僕は思っている。面白いけれども有害なのだ。僕はお菓子もハンバーガーも食べるし、ゆえに『スラムダンク』も読むけれども、そればかりではいかんと思っている。子供にお菓子やハンバーガーばかり食べさせようとは思わない。食の世界で生きていくつもりなら、一度くらいは食べてみるべきだとは言うかもしれないけど。

 江川達也氏あたりがたびたび指摘しているように、僕の大好きな『ドラえもん』にだって有害な側面はあるかもしれない。たとえばのび太はじめ藤子作品の主人公の多くが両親のことを「パパ・ママ」と呼んでいることが日本社会に与えた影響というのはかなり大きいと思う。今の中高生くらいの親っていうのはすでに幼いころドラえもんを読んで育ってきた世代だから、「パパ・ママ」という呼ばれ方に違和感があまりないのだろう。実際そう呼んでいる家庭はけっこう多い。男子はともかく女子には特に。
 なぜそのような西欧風の呼び方をするのだろうか? 藤子作品(特にF作品)のほとんどは幼年マンガでフキダシの文字が大きく、しかも基本的にひらがなかカタカナで表記されるから、「おとうさん」「おかあさん」と五文字ずつ使うのが空間的に勿体ないという理由があったと僕は推察する。もちろん、時代的に西欧風の呼び方に憧れというか、ちょっと上品なイメージがあったという事情もあるだろう。
「しずちゃん」「ジャイアン」「ドラえもん」も五文字ではないかというのはあるのだが、あれらは「パパ、ママ」というように続けて言われることがあんまりないから、といったところか。結果的にメインキャラになったし。源静香が「しずかちゃん」ではなく「しずちゃん」となっているのも、文字数の節約ではないだろうかと僕は見ている。アニメではそういう制約がないので「しずかちゃん」だ。合う! ツジツマが。(C)おおひなたごう『ドリル園児』

 現代の子供達が両親を「パパ・ママ」と呼ぶようになった背後には、少なからず藤子作品があるはずだ。他にも「パパ・ママ」と呼ぶマンガはたくさんあるだろうが、最大の影響力を持ったのが藤子不二雄であることは間違いない。それを「悪い」とまでは言えないが、両親に対しての、地域や家庭などによって異なる様々な呼称がすべて「パパ・ママ」に統一されてしまうのだとしたら、ちょっと問題がある。ただ「様々な呼称」という豊かさの一部に「パパ・ママ」が入ることを全面的に否定はしにくいので、善し悪しだという人もいるかもしれない。
 が、個人的には僕は「お父さん・お母さん」という言い方が好きだし、「オド・アバ」とか、そういう方言だって好きである。「パパ・ママ」というのは日本人にとってあまりに無機質だから、好まない。ゆえに僕は「どちらかといえばそれは有害であった」と言ってしまう。有害とは言えなくとも、社会に対して大きな影響を持ってしまったことは揺るぎなくて、そういう作品群の代表である『ドラえもん』が、「ダメ人間が他人に依存することを肯定し、子供に成長を促さない」などと言われれば、ちょっと考えこんでしまう。ファンとして言わせてもらえば「ドラえもんはそういう作品ではない」のだが、世間のイメージはそういうものであろうし、読めるものは全話精読し、アニメも日常的に見ていた身からして、言われてしまえばそういう側面がなかったとは言い切れない。ことにある時期のアニメ版は。

 こう考えると、ドラえもんは白米だと思う。白米は、実はあまり身体によくないと指摘されることが近年増えているが、とてつもなく美味いし、力が出るし、日本文化の根幹をなすものでもある。栄養だってもちろんある。いくら玄米のほうがより栄養価が高く身体に良いからといって、それで白米を排斥してよいのかといえば疑問が残る。『ドラえもん』というのはそういう作品なのではないか。
 ちなみに玄米と白米については
こんな検証がなされているようなのでご参考に。結論的には「玄米と白米のメリット・デメリットを考慮すると『白米を食べて副食物でその不足を補えば良い』ということになります。」だそうです。ドラえもんは主食、足りないぶんは副食物で補いましょう!

 で、『スラムダンク』ってのはジャンク・フードなんですよ。主食にもなれなければ、主食の不足を補えもしない。めちゃくちゃ美味しいんだけど。美味しいだけ。むしろ有害。美味しいからこそむしろ罪。

 篠房六郎先生がずっと『バクマン。』(大場つぐみ/小畑健)を批判していて、その心を僕なりに解釈すると「天才だからって理由だけでなんでも上手くいくような描き方をしたら、これから漫画家を目指そうとする少年少女たちが“そういうもんなんだ”って勘違いするでしょ。何らの努力をする姿も描かずに、漫画が才能だけで作れるものだと子供たちに思い込ませてしまったら、ジャンプは責任持ってくれるの?」といったようなものだと思う。そういう作品を鵜呑みにしたら、漫画家になりたい子供たちは「自分には才能がない」と落ちこんで諦めるか、「自分には才能がある」と慢心して努力しないか、どっちかになってしまうということだろう。篠房先生は絵に対しても物語に対しても並々ならない情熱を注いで作品のクォリティ向上に励んでいる(と僕は信じている)人なので、「漫画なんて所詮は才能だ」と言っている(ように見える)『バクマン。』が許せないのではなかろうか、と勝手ながら読みとっている。

 マジメにバスケットボールをやってきた人から『スラムダンク』に対してそういう批判が聞かれないのは僕にとっては意外だ。『バクマン。』も『スラムダンク』も題材は違えど同じことを描いているように見えないだろうか。ひょっとしたらジャンプは漫画を題材にして『スラムダンク』をやろうとしているのかもしれない、とさえ思えてくる。さすがに言い過ぎか? 
 批判が聞こえてこないのは、『スラムダンク』以前のバスケットボール人口というのがそれほど多くなかったからでもあるだろう。最近だと『アイシールド21』がアメフト人口を爆発的に増やしたらしいが、おそらくまったく『スラムダンク』の比ではない。「スラムダンクを読んでバスケ部に入った」という人間の、どれだけ多かったことよ。

『スラムダンク』も『バクマン。』と同じく、「天才の物語」である。桜木花道はもちろん、流川、ミッチー、ゴリ、リョーちん、全員天才である。湘北高校のメインキャラで天才でないのは木暮くんだけで、ゆえに僕は木暮くんがスリーポイントを決める回が最も好きである。あのシーンを読ませるためだけに『スラムダンク』という天才の物語が存在しているのなら、僕は全精力を注ぎ込んだ賞賛の拍手を送りたい。でも木暮くんはメインキャラといえるほどメインキャラではなかったし、結局みんな「バスケがしたいです……」という天才のつぶやきが好き(なんであのシーンって、あんなに人気があるのかね?)なんだから、きっと『スラムダンク』を「木暮という凡人の、三年間のたゆまぬ努力の物語」として読んだ人はそんなに多くはないんだろうな。僕は木暮くんがいなければ、もしかしたらはっきりと「スラムダンクは嫌い」と言っていたかもしれない。そのくらい木暮くんのシーンは感動的であり、そして最も重要だ。
 凡人の木暮が勝敗を決するスリーポイントシュートを決めたあと、相手チーム(陵南)の監督田岡は言う。「あいつも3年間がんばってきた男なんだ 侮ってはいけなかった」と。ほとんどこれだけが『スラムダンク』という天才の物語における「救い」であり、真のテーマであれば良いと僕が強く思っているシーンである。ちなみにくぼたまこと先生の『GOGO!ぷりん帝国』(超名作!)の最終回、ギャグキャラ代表になりはてていたセミ怪人とゲブロスが帝王を守るため刺客をなぎ倒していくシーンで、同僚の怪人が「忘れていたよ…… いつもふざけているがあいつらだって地球侵略に任命されたエリートだったじゃないか……」と感動に震えながらつぶやくシーンで僕はいつも号泣する。こういうシーンが、好きなのだなあ。
 湘北だけでなく、他のチームのキャラクターも天才ばかり揃っている。魚住とか仙道とか牧とか。んまあ、天才って格好いいもんなんだからしょうがないけど。でもちばあきお先生の『キャプテン』という野球漫画はまさに「凡人の努力の物語」で、ああいうものこそ少年スポーツ漫画として完璧に美しいと思う。

『スラムダンク』という「天才の物語」を読んだ子供たちは、何を思ったのか目をキラキラさせて「バスケがしたいです」とかなんとか言って中学や高校でバスケ部に入っていった。小学校でバスケ部が新設されたという話もよく聞く。今でも『スラムダンク』の影響でバスケを始める子はいくらだっているだろう。ひょっとしたら「木暮でも努力すればできたんだから、僕だって」とか思っているのかもしれなくて、そうであればまだ健全だと思うが、スラムダンクの魔力というのは「あまりにも面白く、美しい」ということと、「挫折が描かれない」というところにある。あるいは「挫折」に見えるような状況でさえも、ちゃんと美しい。だから誰もが「目をキラキラさせて」バスケを始めるのだ。何も考えずに。それは甲子園の美しさと似たようなものだ。
 最終回は別に「挫折」ではないと僕は考える。もしも花道たちが山王戦で負けていたら「挫折」とも言えるかもしれないが、凄まじい熱量で最後まで描ききった山王戦は勝利して、その次の試合であっさりと負けている。その理由は「山王戦で花道が負傷し、他のメンバーも力を使い切ってしまったから」と思われ、しかも負けている姿はほぼ描かれない。これは本質的な挫折とは言えないだろう。湘北メンバーにとってというより、読者にとって。
 青山剛昌先生の『YAIBA』では、ヤイバが積年のライバル鬼丸との最終決戦を前にして、何の前触れもなく現れた沖田総司という大天才に事実上の敗北(実際は沖田の試合放棄によって勝利)をする。ヤイバが負けた理由は「才能の違い」であって、「疲れていたから」ではない。ヤイバは天才だが、沖田はもっと天才だ、だから努力が必要なのだ、ということを明確にし、その上で鬼丸と戦って勝つ、そういうところで『YAIBA』は終わるので、あの作品は名作であって、僕は心から愛している。

 スポーツにおける挫折らしい挫折を微塵も(と僕は思う)描かず、ひたすら「スポーツとは、バスケとは美しいものだ」ということを徹底的に描ききった。それを読んだ子供がスポーツを、バスケを始めた。美しいという人もいるだろう。いるからこそ、『スラムダンク』はこんなにも“普通の人から”愛されている。でも、それでいいんかね? 「肯定する人が多くいる」というだけで、それは肯定すべきだというのは、おかしいよね。
『バクマン。』を読んで漫画家に憧れて、漫画描きながらフリーターにでもなって、そこで初めて挫折を知って、人生棒に振るようなことが、篠房先生の優しい懸念の中にはあったろうと思うけれども、スポーツに関してだって似たようなことは言えるし、僕はそもそも「スポーツという価値観」が嫌いなので、いたずらに少年少女をその世界の中に押しこんでいくような作品を、とても肯定などできはしない。
『スラムダンク』は「登場人物のほとんどが天才」ということを除けば徹底的なリアリズムに貫かれている作品で、だからこそ「これは現実に有り得る」と錯覚しやすい。魔球の登場する野球漫画なんかとは違って、読んだだけで「自分もこのスポーツという輝きの中に行くことが出来る」と思い込めてしまう。「スポーツとはどのようなものか」ということは、ほとんど考えやしない。それが普通なんだろうけどさ。

 僕がスポーツ(ここでは西洋発祥の近代スポーツを特にいう)嫌いな理由は本当に腐るほどあって枚挙に暇がないんだけど、たとえばすべてが「点数」や「勝敗」に収斂していくところ。子供たちが「体育」や「部活」でスポーツをやらされるのは、なんでも数字や○×でしか考えられない垂直思考の人間を創り上げるためだ。それが学校にとって、ひいては“ある種の社会”にとって都合がいいから。また、スポーツは実力主義だから、容易に「上下関係」というものができて、そこに生まれるピラミッド型の構造には「集団心理」というものがつきまとう。チームワークが必要とされる集団競技においては「みんなで歩調を合わせる」ことが肝要で、それで「右へ倣え」が奨励される。他人や先輩、コーチや監督の言うことなすことに注意を払って、言いなりになったり模倣したりしているうちに、すっかり「自分で考える」ってことを忘れてしまう。できなくなってしまう。なんだって鵜呑みにしかできない単細胞ができあがる。これも非常に、都合がいい。
 スポーツを研究しているとある学者の先生が、「スポーツというのは集団強姦などを発生させる土壌を形成しやすい」と言っているのを聞いたことがあって、やっぱりマジメに研究している人でもそういう結論になるんだなと非常に感動したことがある。

 僕に言わせりゃね、スポーツってのは、そういうクズみたいなバカを量産するものなんですよ。だから、大嫌い。スポーツが流行れば、ああいう価値観が主流になったら、そりゃバカばっか増えて支配する側はやりやすいわね。スポーツによって本当のクズが去勢されて大人しく飼い慣らされるっていう事情もあるから善し悪しではあるにせよ、「クズを去勢するのにそれしか手立てがないもんかね?」ってのは思う。スポーツスポーツ。そればっか。結局は力の論理。暴力で支配することとそれほど変わらないんじゃんね?

 で、『スラムダンク』は、子供たちに無批判にスポーツを肯定させてしまったの。礼讃させたの。んで、単細胞な人間を結果的にとても増やしたの。僕にはそうとしか思えない。かなり加速させたね、そういう動きを。だから僕は『スラムダンク』を「名作だ」とは思っても、「好きだ」とか言えないし、肯定もできない。
 僕はパンはおいしいと思うけど、パンが好きかって言われたら複雑なんだよね。米を圧迫してるからね。僕は米が好きだからね。おいしいことと好き嫌いは別だよね。栄養ってことが絡んでくると、さらに違ってくるね。米の消費量が減ることは、日本にとって良いことだと思えないんだもの。

 ああ、それにしても『スラムダンク』は面白い。だからこそ罪深い。パンだって、美味くなければ誰も食わないし、そうなりゃ批判だってされない。『バクマン。』もね、篠房先生があれほど怒るのはやっぱり「面白いから」だと思うんですよな。いかんです。
 浅野いにおもねえ。僕はあのような漫画は嫌い(珍しくはっきり嫌いと言える)だけれども、「面白い」と思う人間ががたくさんいるんでしょう? だから、よくないよね。もっと、誰にとってもつまんないようなものであれば、あんな思想ははびこらないんだけどね。僕も「つまんない」とは言わないよ、浅野いにお。面白くはないけど。でもねえ、有害ですよ。本当に。芯から。自分の弟子が浅野いにお読者だと思ったら死にたくなるので本当に勘弁してください。思想統制します、ここだけは。魚喃キリコもです。気をつけてください。「面白い」と「好き」と「有害」は別の話ですけど、かなり近いんで、心配なのだ。

『スラムダンク』は、「天才の物語」という心地よい麻薬で子供たちを騙し、スポーツ教に洗脳し、その歪んだ……というか異様に整然とし過ぎた思想を植えつけて、自分の考えを持たない右へならえの単細胞生物を量産した、罪深い漫画です。現象として、そう。名作だけどね。

 だから、自分が面白いとか好きと思うからといって、それを他人や、自分の子供に読ませるかどうかというのは、別の話なのです。浅野いにおなんか、僕に読ませないでください。僕がああいう人間になったら、いったい責任とってくれるんですか? それとも、ああなってほしかったんですか?

2010/07/26 ブラボージョニーは今夜もハッピーエンド

 書道展の審査を手伝う簡単なお仕事をしてきた。書を審査員の先生の前に持って行って評価を貰って、それを然るべき位置にまた戻すという単純作業。僕には書のたしなみというものがまるでないので、何が良くって何が悪いんだかぜんぜんわからない。
 それであまりにも退屈だから、せめて漢字の勉強でもしようと思って、書の作者の名前などをずっと眺めていた。全国から集められた、選りすぐりなんだかそうでもないんだか、それすらもわからないような、素人による書が数千枚から、ひょっとしたら万という単位で並んでいる。
 たぶんこういうのは、勝手なイメージながらだいたい年寄りが老後の趣味としてやってるもんなんだろう。これ出展するのにお金払ったりするのかなとか、いくらまでならこういう人たちは出すのだろうとか、そういう不埒なことばかり考えていた。いや、実際はよくわからないのですよ。数千人から数万人が全員、書の世界では有名な偉い先生なのかもしれないし(そんなわけないけど)、出展料は無料なのかもしれないし(なんせ読売新聞がスポンサーらしい)。
 それにしても、今日のバイトの人件費だけで二百万円を超えていて、社員の給料ということを考えたらもっと多い。それが二週間もの間続くわけだ。そういった諸々の経費を含めてすべてスポンサーが負担しているのかと思ったら恐ろしい。「会費」とかなんか、そういう形で徴収しているのかもしれない。よくわからないし、調べてみる気にもとりあえずはならないけど。

 中二病という言葉があって、まあその、「漆黒」とか「堕天使」とか「背徳」とか「三魔天」とか言っちゃう感じのそういう病気なわけですが、これって「中学二年生」に限ったことではなく、そればかりか別に若者に限ったものでさえないのでしょう、当たり前の話。それはもう、書道のペンネーム(?)を見るとわかる。なんでみんなこんな、「翠」とか「華」とか「煌」とか「碧」とかいった字を付けたがるのだろうか。河東碧梧桐みたいな。いちばん多かったのは「翠」という字で、「玉翠(ぎょくすい)」なんて名前は何人もいた。ヴィジュアル系ロックバンドか。
 まあそのなんですかね、人間は幾つになってもカッコつけたいし、カッコいい名前って好きなんですよな。まあ、しょうがないよね。僕は「芝浦慶一」なんていう、カッコいいのか悪いのかよくわかんない名前を使ってますけど、世の中には「黄泉(よみ)」とか「瑠樺(るか)」とか「柩(ひつぎ)」とか名乗りたがる人たちもいるわけで。あれはもう、ほとんどギャグだよな。自傷って曲のPVが僕は大好きです。

 書道というのは年寄りにとって、ヴィジュアル系ロックバンドみたいなもんではないのかと。無茶苦茶だけど。だって黒いし。字とか書体とか文そのものとか、「超カッコいい」と思って書いてるわけでしょ。おそらく陶酔しながらね。最初に書いたとおり僕は書のことは全然わかんないんだけれども、作品から滲み出てくる自意識みたいなものはすっごく感じるよ、見てるだけで。美意識よりも自意識のほうが強く出てる感じっていうか。
 ヴィジュアル系も美意識より自意識が前面に出がちなジャンルなんだけど、あくまでも「美意識」を忘れなかったのがマリスミゼルとかピエロとかグニュウツールとか、ああいう人たちだったのではないかと思う。いずれも素晴らしいバンドだ。マリスはあんまりよく知らないけど。カリガリの場合はもっと複雑かな?
 ま、ヴィジュアル系に限らずバンドってのは得てして自意識が先行しやすい。だからその発露たるライブっていうのは、あんまり好きじゃないんだな。バンドの自意識だけなら耐えられるけど、客の自意識が弾けんばかりに溢れている空間っていうのに、どうも居心地の悪さを感じる。
 中二病みたいなのはどんな世代や年齢層にもあって、今の若者はバンドを組むけれども、年寄りは書道をやったりするんじゃないか、なんてことをぼんやり考えながら、肉体労働に精を出していました。機械です、本当に。

 最近一緒に授業受けてる友達がもしも来てたら、「これは純粋芸術なのか限界芸術なのか」という話をしたかったんだけど、来なかったな。まあ明日だな。

2010/07/25 あんたが何歳だろうが

 知ったことではない。それであなたが有利になるようなら、下らないと思わなければならない。人類に最後に残された差別とは「年齢差別」である。年齢による差別はあってはならない。「尊重」だけがあっていい。
 あなたは年齢を売り物にしてはならない。若くても老いていてもどちらでもなくても。焦るのは自由だし、後悔するのも仕方がないが、あなたはその年齢の上にあぐらを掻いている場合ではない。

「青春」とは、そのさなかにそうであることを自覚できるようなものではない。あとになってから気づくものだ。年齢というのも、その年齢がどのような意味を持っているのかということを自ら意識してしまうと、その年齢が持っている本来の意味を失うことになりかねない。気をつけたほうがいい。
 あんたが何歳だろうが、そんなことは知ったことではないが。

2010/07/24 ひつまぶし

 ひつまぶしごっこをやった。うまかった。
「うなぎなんか滅多に食えーせんのだで、食い方凝ってみよまい」とか思って名古屋人はひつまぶしを発明したのだろう。家庭でも簡単にできる味。名古屋人のケチで見栄っ張りというか、無駄を嫌って華やかさを好む感じが、如実に表れている。すばらしくうまい。

2010/07/23 肉体労働 Oh Yeah

 かつて大学から斡旋されてやっていた、書道作品の展示や審査の手伝いなどをする肉体労働のバイトに数年ぶりに出てみた。五年くらい前とは雰囲気が違っていた。社員さんがピリピリしている。バイトの常連らしき人から理不尽に怒られた。きっと僕のほうが年上なのだが完全なる上から目線で。なんというかこう、学生の質っていうのがやっぱり、変わってきてるのかなあ。ふうむ。怖いなあ。そりゃあ五年前だってべつに牧歌的でもなく、常に殺伐とはしていた気はするが。

 肉体労働は好きなのだがあまりに単調でしかもちっとも終わりの見えない作業となると実際退屈だ。今回はもの凄く大規模な書道展で、二週間以上にわたり毎日100人くらいのバイトを使って準備する。素人や素人に毛が生えたような(失礼)「先生」たちの書がそれぞれ一枚ごと巨大なパネルに貼り付けられて、トラックに乗せられてくる。これがたぶん数千枚という単位であって、それらを僕たちが手作業で運んだり分類したり吊したりなんだりして設営するのだ。
 二週間かけるということは、一日じゃほとんど作業が進まない。こっちにあったパネルをあっちに運ぶだけで一日が終わる。「いったい自分は、なんのためにこのパネルを運んでいるんだ?」という気分にもなる。日雇いだから毎日行くわけでもなく、今自分が何のための作業をしているんだか皆目わからない。マルクス的にいえば「疎外」っちゅうやつであるよ。よく知らないけど。大学のころに左ががった先生がそういう話をしていたのは覚えているけど。
 なんちゅうかこう、自分が機械になったような気分になりますね、やっぱり。こういう単純作業をやっていると。最も「ああ、自分は機械だ」と思ってしまうのは、実は作業をしているときではなく、「待機」させられているときである。動いている機械よりも、スイッチを切られている時の機械のほうがずっと悲壮感がある。まったく、あの休憩でも作業でもない「待機」という状態は、辛いもんだ。一人じゃなかなか耐えられない。かといってそこで友達を作ろうという気にもなれない。機械だから、会話を禁じられているような気がしてしまうのである。

 ところで、「疎外」という概念を僕に教えてくれた先生は大杉栄の『
鎖工場(1913年)』という文章を紹介してくれた。非常に面白いので、ぜひ読んでみてください。今から100年も前に、すでにこんなことを言っている人がいたのですよ、日本に。
 大杉栄はアナーキストとして知られていて、アナーキストとは「無政府主義」と訳されるから、大杉栄は「あらゆる制度や組織を否定する」という思想であるかと僕は思っていたのだが、『鎖工場』を読む限り大杉栄というのは「今のような制度」が嫌いなだけで、何も「制度」ということそのものを否定しているのではないような気がする。「人間」なるものの本質に根ざした「制度」であれば、大杉栄は歓迎するのかもしれない。それがいったいどういうものなのかは知らないが。

 勘違いしてほしくないのは、わかると思うけど大杉栄は共産主義者じゃない。『鎖工場』にはちゃんと共産主義者みたいな連中が出てきて、こてんぱんに批判されている。ではどのような考えや在り方を大杉栄は良しとするのか、という、そのあたりがある程度正確に読み取れれば、かなり面白いと思います。興味ある方はぜひ。短いんで。

2010/07/22 夏の情景

 夏といえばこの曲。
 Jungle Smileで『
夏の情景

  ぎんぎらの太陽が 空に輝いてる
  空色のクレヨンで 君を描いた
  去年の冬に 君はいなくなったけど
  自転車二人乗りしたり おみくじ引いて
  虹の下で また遊ぼう
  そうさ 夏と一緒に君はここへ帰るよ
  膝を抱えて僕は待っているよ
  君を待っているよ

  深緑の公園で 二人で話したり
  道ばたに寝そべって 星を数えた
  去年の冬に 君はいなくなったけど
  忘れないでね そりゃ 忘れちゃ困る
  長いキスの あとは秘密
  そうさ そんな形で僕らは別れたけど
  もうすぐ君のあの笑顔に会える
  あの笑顔に会える

  去年の冬に 君はいなくなったけど
  自転車二人乗りしたり おみくじ引いて
  虹の下で また遊ぼう
  そうさ 夏と一緒に君はここへ帰るよ
  膝を抱えて僕は待っているよ
  君を待っているよ 僕は待っているよ
  それじゃ また会う日まで


 それからもう一曲。川本真琴で『ひまわり歌詞


 さっき植芝理一先生の『ディスコミュニケーション』12巻を読み返していたら、「夏のアイテムによって昇天する少年少女の霊」が登場する回があって、その中に「ひまわり」もあった。ほかに海パン、虫かご、風鈴、麦わら帽子、朝顔など、基本的に夏にしか存在しないアイテムばかりだった。
 考えてみれば『夏の情景』という曲は、「太陽」「自転車二人乗り」「おみくじ」「虹」「星」など、確かに夏にあっては特に美しいが、別に夏でなくても存在し、しかもちゃんと美しいようなものばかりである。ここにあるのは、ただ「夏という季節にいた君/二人」という想い出だけであって、ただ単に、それがたまたま夏という季節だった、というだけのこと。『夏の情景』と題されてはいるけれども、特に夏らしいことは歌われていない。
 それなのにどうしてこんなにも、この曲は「夏っぽい」のか。それが名曲たる所以であろうし、夏という季節の恐ろしい力だろう。夏の最大のアイテムは「夏」ということそのものにあって、夏らしきあらゆるものを排除してなお、夏は夏として力を持っている。だからこの曲は『君との想い出』ではなくて『夏の情景』というタイトルになる。主役は「夏」なのだ。夏ってすごいなあ。そんな季節を、これから僕もまた迎えるのである。谷川俊太郎氏の『ネロ』という詩を思い出す。

 ひるがえって『ひまわり』は、夏のアイテムをふんだんに詩の中に盛り込んだ名曲。ひまわり、浴衣、スイカ、お祭り、ヨーヨー、宿題、……とても具体的に夏である。もっと言えば「夏休み」である。こういう、幼いころから思春期にかけての、驚異的なまでに美しすぎる夏の情景を歌うことができるというのは、本当に素晴らしい。

 ところで、両曲とも似たようなことを歌っている。「夏にいた君」である。過去形である。それだけ夏という季節は刹那的なもんなんだろうか。夏に一緒にいた人は、すぐにいなくなってしまう。そういうものなのだろうか。わりかしそういうものである。夏は怖い。「一夏の想い出」とは、良くも悪くも美しすぎる。

 ところで僕は魔動王グランゾートが大好きです。(ドヤ!)

2010/07/21 ドヤ顔(したり顔)の文章を書いてみる


○月×日
 あまりに天気の良すぎた今朝は、ついつい目覚ましが鳴るよりも早く起きてしまって、、サンダルをつっかけて散歩に出かけた。すれ違ったおばあちゃんに軽く会釈をしてみたら、笑顔で返してくれた。こういうのって、とっても嬉しいですよね。挨拶って、すごく大切なものだと僕は思っているんですよ。自分も気持ちよくなれるし、相手にも気持ちよくなってもらえる。素敵だなあ、ナンテね。「愛と平和」って、こういうところから生まれるんじゃないかな。ちょっと臭すぎるかも。あはは、これも天気のせいにしちゃおうかな。あまりに空が美しすぎて、ちょっと特別な気分になってる。今日は久しぶりに絵でも描こう。空色のクレヨンがなくたって、きっと素敵な色を創れる。ボクは、そう思う。だって絵っていうのは、手や筆で描くんじゃなくって、心で描くものだと思うから。そう思いませんか? 思わない人なんて、いるわけないよね。(ドヤ!)

○月△日
 夢を見ました。ちょっとだけ(本当に、ちょっとだけですよ)気になってる女の子が出てきて、喫茶店でお茶をした。実はその子とはそれほど親しいわけではなくて、もちろんお茶をしたことなんて一度もないんだけど、でも、なんだかとてもリアルに感じられたんですよ。起きてから、それが夢だったのかどうかいまいち確信が持てなかったくらい。喫茶店の中の様子も、僕がいつも行ってるちょっと古いけど清潔で、ひげの生えた無口なおじさんが黙々とコーヒー淹れてるような、落ちついた雰囲気の素敵なお店で、それもなんだか、リアルだったんですよね。運命の赤い糸、なんて信じてるわけじゃないけど、だけど今日だけはちょっと、信じてみたい気分っていうか。いつもは見ないテレビの占いなんかも真剣に見ちゃったりして。行きつけの喫茶店に行けばその子に会えそうな気もして。って、これはもう、恋しちゃってるんですかね? そんなことないですよ。ほんとに、ちょっとだけ、ちょっとだけ気になってるだけなんですから。
 ちなみに昨日は課題があったので徹夜でした。あー眠い。(ドヤ!)

○月□日
 植物が好きです。だって、すごいと思いませんか? 水と光だけで育つんですよ。ボクが水と光だけで生きていこうと思ったら、一週間もしたら干からびたミイラになっちゃいます。そしたら、学校に行ってもみんなボクだってことがわからないだろうな。って、ミイラになったら動けないから学校にも行けないや。だけど動けたら植物じゃないから、それでいいのかも。知ってますか? 動物って、「動く」から動物なんですよ。ボクは動いてます。だから動物です。あなたは植物ですか、動物ですか? どちらであっても素敵ですよ。あなたはあなたなんですから。(ドヤ!)







 ……と、「ドヤ文学」というジャンルを考えてやってみたものの、思ったより難しかった。天然で書ける人を畏敬する。ドヤ文学は「書き手の客観性の欠如」だと思うので、そのような人に向いている。

 自らを客観的に見つめて、「これは面白いのか」「恥ずかしくないか」「痛々しくないか」「ドヤ感が出ていやしないか」といちいち考えて、慎重に文を作っていかないと、カッコつけたがりの人間はすぐに独自のドヤ文学を創り上げてしまうのだ。
 はっきり言って、「ドヤ感のある文章」というのは面白くない。それを芸風としたいなら、「ドヤ感」と同時に「つっこみ」になるような仕掛けを施さなくては芸にならないのであって、ただ「ドヤ感」だけがあるのではいけない。漫才でもボケがボケてるだけだったらキチガイにしか見えない。ボケのみで成立して、しかもちゃんと面白いようなボケだったらいいのだが、素人にそんなボケ(つまり素直に笑えるドヤ文学を書くこと)はなかなかできない。だから素人が跋扈するネット上には容易に無自覚な笑えないドヤ文学が溢れてしまう。
 この記事で僕はタイトルにちゃんと「これはドヤ文学ですよ」という意味のことを書いたり、「(ドヤ!)」を入れたり、○月×日といった日付にしてみたりして、「ああ、この絶妙なドヤ感は冗談なんだな」ということがわかるようにしたが、たとえこれがなくても、いつも読んでくれている人なら「今回はあえてドヤ感を出しているんだな」というのがわかる。それが「仕掛け」というもの。何らかの形で「つっこみ」になっている。
「つまらないことを芸風にする」というのは、バラエティに出ているときのふかわりょうさんとか、ますだおかだのおかださんあたりが代表的なのだが、あれはほかの出演者とかスタッフとか、相方のますださんが「つっこみ」の役割を果たしているから成立するのであって、それがなかったらただつまんないだけ。ドヤ文学というのは、ますださんのいない状態でおかださん一人が舞台上ではしゃいでいるという、そういう状況だ。恐ろしすぎる。
 個人サイトは基本的に「管理人」が一人で作っていくものなので、うっかりするとすぐに「ドヤ文学」になってしまう。やたら「漆黒」とか「血塗られた」とかの言葉を使いたがる、黒と赤を基調とした安っぽいホームページが十年くらい前にはたくさんあったが、あれみたいなものである。僕は「“背徳”の三魔天」という闇の組織の構成員なのだが、これをギャグでなく地で行ってしまうと相当なドヤ感が出る。ちなみに構成員になる条件は“刻印”を持っていることである……。こういうのをギャグにするためにはそれなりに緻密な計算が必要になるんだけど、そういうセンスがちょっとでも足りないと、ドヤ感が充満して自爆しかねない。

 文章を書く、あるいは何かを表現または発信していく際には、「ドヤ感」というものに気をつけねばならない。ドヤ感の、あるとなしでは大違い、である。それにはまず、客観性を身につけること。これしかない。自分の書いたもの作ったもの、そして自分自身から目を離さないで、それについて考え続けることしか、これを防ぐ手立てはない。そのために、いろんなものを見聞することももちろん必要で、名文はもちろん、ドヤ感のある文章を読むことも、あえて書いてみることも、だから大切なのではないかと思う。ドヤ文学の書き手さんたち、本当にどうもありがとうかと思う。


 なんか、僕のドヤ文学が全然ドヤドヤしていないのは、文章がわかりやすすぎるからだなとわかった。もっと独りよがりで、難解で、わけのわからないものでなければ、本当のドヤ文学にはならない。つまりもっと文章を下手くそにせねばならんわけだが、そうすると読み手にとって非常に不快なものになってしまうので、ちょっとやめておこう。うまくやる自信もない。
「下手くそなくせにドヤドヤしている」という客観性の欠如こそが、「ドヤ文学」の真髄なのだ。

2010/07/20 未来なんてない

 時間は球体のようなものだと考えたことがある。絶対に数直線なんかじゃないと思っていて、じゃあなんだといったら、浮かんだのは球体のイメージだった。時間とは地球のようなものだろうと。というか、きっと地球とは時間そのものなのだ。

 将来の夢、なんていうのは極度に胡散臭い言葉だ。大人は子供に、「未来から逆算して現在を作る」ということをさせる。まず最初にあるのは「未来」で、「そういう未来にしたいんだったら、現在はこうあるべきよね」と言う。そこに「無理」があるかどうかなんてことは、あまり考えない。子供には無限の可能性があるからと言って、子供なりにささやかに持っている「過去」を問題にもしないで、「現在はこういうふうにしなさい」と言う。子供も疑問を覚えない。
 頭の悪いやつがいる。「医者になりたい」と言う。たいていは親が医者だったりして、親からも「医者になればいいな」という願望を背負わされている。医者になるためには医学部に行くべきであって、そのためには勉強をたくさんしなければならない。だから勉強をする。わけもわからず「医学部志望者用の参考書」みたいなのを買ってきて解く。塾の「医学部進学コース」に入る。そういう、頭の悪いやつはたくさんいる。
「夢ばかり見ているといつか現実に足許をすくわれる」
 本当にけっこうそういうもんでね。

 結論から逆算した論理は、もっともらしいけれどもひどく杜撰だ。だから破綻する。でも、破綻が目に見えるほど大きくもないようなものであるのならば、そのような場合が比較的多いのだったら、とても楽だから、そのような仕組みはできあがって、怠惰な大人に、あるいは子供に支持される。
 子供に夢を見させるのは大人にとって非常に都合が良いんだもん。目標を持たせるとかね。そりゃ、放っておいたら人は「ぐうたらしたい」「ゲームしたい」「セックスしたい」「ギョヘヘー」になるんだもんね。仕方ないっちゃ、しかたないよね。だから、この仕組みってのはある程度仕方ない。うまくやればけっこう、うまくいく。もっと洗煉させるべきだとは思うけど。
 そういう仕組みはそういう仕組みでバカのためにしばらく据え置いてもいいが、気づける人は自分で気づいたほうがいい。それで来るべき抜本的見直しに備えて材料と技術を蓄える……。

 時間は地球みたいなもので、緩やかに変化していくものだ。回転したり、移動したりしながら。ぐるぐると回る。目的地なんてない。僕ら一人一人が地球だとしたら、地球上の生命を死に絶えさせないようにはしたいけど、あとは割と自由なんじゃないかって思うけどね。他の地球の邪魔をしない限りはね。それが理想ではあるよね。

 僕はねえ、もう、未来なんてもんは元々、ないんじゃないかと思うんだよねえ。過去を見て、現在を作る。それで「結果的に」未来ってのがついてくるんであって。まやかしですよ、未来が云々とか言うのは。過去を参考にして現在を素晴らしきものとしたら、素晴らしい未来だってついてくるでしょ。なんで最初っから、決まり切った「素晴らしい未来A」みたいなのを前提にしなければならんのかね。未来BとかCとかDとか、その他の無限大はどこに行っちゃうのかってね。そのために素晴らしくない現在を過去として積み上げるってのも、どうかなって思っちゃうけど。

 すばらしい過去とすばらしい現在に、すばらしい未来はついてくる。そういうもんだって考えたら、もっとも重要なのは「すばらしいってなんだ?」ってことになるでしょ。今の人たちは、「すばらしい」と「きもちいい」を混同しているもんだから、さっき言った妙な「仕組み」が必要になっちゃうんだよね。もっとね、何がすばらしくて、美しくて、正しくて、素敵であるのかということを、考えなくてはいけませんよ。
 地球について考えても同じことです。

2010/07/19 葉脈

 蛙が鳴いていた。ウシガエルだから帰る気にもならない。静かな真夜中に響く野太く低い音は少し背筋を凍らせて良い。夏の夜も東京じゃ涼しいがごはんを食べると暑くなる。ビールで体温を調整する。すぐに身体が火照ってくる。誰かが肩に寄りかかってきた。幽霊だったらひんやりするから、いっそ殺してしまおうか。死体の温度を僕は知らないが、この熱い血を抜けば必ず冷える。この池に捧げて更に黒く染めよう。海に灯油を流したみたいに、ぷかぷかと血は浮かぶだろうか。あるいはコーヒーに入れたミルクのように、美しく水底に沈んでいくのか。
 蝉の声さえしない。時折、蛙が鳴く。じわりと汗ばんではすぐ夜に吸われる。隣にいるのは、明日嫁に行く愛娘。転校してしまう友達。今夜が峠と告げられた恋人。忘れてしまう寸前の、これまで出会ったおぼろげな人々。霊のように本当に。

 いつか書かなきゃと思っていることがたくさんあるのだが、忘れる。好きな人に会ったら話そうとしていたことをすべて忘れる現象と同じようなものかもしれない。
 他人のことって、長く付き合っていかないとわからない。僕はまだまだそのような段階だ。「100点だ」と思ったら減点されていくだけで、上限を定めるということがまず間違っているのだろう。点? くだらない。理想なんてのがあるから不満だって生まれる。
「ありのまま」とか「自分らしく」とか、手垢にまみれた言葉が思い浮かんだら立ち止まって考えて見るべきだと思う。誰もが口にする愛というものが、本当に本当に素晴らしいものであるということを思い出して、常套句の根本的な本質について捉え直してみることは肝要だ。

 誰かのまねっこをするんじゃなくて。
 誰かの背中を追っかけるんじゃなくて。
 自分は自分の道を探していく。
 ということ。
 それが「自分らしさ」なるもので。
 他人の考えに支配されるんじゃなくて。
 そのことに気づきもしないんじゃダメで。
 自分で考えるってことを意識的にできるように。
 そのために材料と技術を蓄えていく。
 そのために君にとって僕はいる。
 僕にとっても君はいる。
 そのように考えて。
 自由を許し合う。
 愛や誠心で。

 目には見えなくてもきっとバッタが飛んでいる。花だってどこかで咲いている。真夜中にも太陽は輝いている。誰か死んでいる。今、誰かが生まれた。泣いた。笑った。僕らは暗闇の中で何もしてない。寝っ転がって星空の下に広がる葉っぱの葉脈をひとつひとつ、瞳で撫で回している。風が吹く。汗が奪われる。空に消える。いつか雪が降る。

2010/07/17 戸川、十七歳の誕生日おめでとう。

 めしを食うように人を摂りたい。
 水を飲むように呼吸をしたい。
 歩くように生きて、走るように死にたい。
 朗読をしたい。意味のあることを。
 子供を死ぬまで騙し続けられたら僕は大人になった意味がやっとあると思う。
 おそらく今際の際にはそのことを考えるだろう。

 静かに暮らしているだろうか。
 騒々しいのだろうか。
 弟子と緩やかに
 弟子の弟子を師と崇め
 ぐるぐると
 ぐるぐると

 一生分の付き合いをすでに終えた友達へ。
 永遠に愛してる
 これからも時々よろしくね。

 僕にはまだ最も難しいことだけがただ一つ残されている。

2010/07/16 工夫

 本を片づけている。二年分の漫画アクションを処分することにした。本を数百冊、ライブドアリサイクルあたりに送ることにした。本をまとまって売ったり捨てたりするのは、商売を除けば生涯で初めてだ。

 藤子・F・不二雄全集を空いた本棚に詰め込んでいたら、棚の底が抜けた。重すぎるってことか。板が割れて、ねじがむき出しになった。一瞬、途方に暮れたが、昔取った杵柄でインパクト・ドライバーと新しいねじを引っ張り出してきて修理した。ガガガガと。
 下手でも日用大工ができると便利。かつて半年くらい大工の仕事をわりと本気でしたことがあって、その時にほとんどの道具を揃えた(例の「腰袋」まである)から、だいたいのことはできる。と言っても元来不器用なので技術はちっともないから、「うちに来て棚を直してくれ」とか言われても無理なんだけど。自分のものしかできない。
 それで今年初めて、家にいて「暑くてたまらん」と思った。ずっと力仕事をしていたせいもあるが、今日は本格的に暑かった。半裸でやってた。とうとう夏だ。

 僕の好きな言葉は一つだけあって、それは「工夫」というものである。くふう。世の中、工夫すればだいたいなんでもできる。座右の銘を持つのは好きではないが、一つだけ持つとしたら「自分のことは自分でやる。できないことは友達に相談する。それでもだめならお金を使う。」だな。これは僕のオリジナルの言葉だけど、気に入った人は胸に刻み込んでくださって構いません。
「自分のことは自分でやる」というのは、要は「なんでも工夫してやってみましょう」ということだ。棚がぶっ壊れたら買う前に直そうぜということである。だけどまあ、自分ではできないこともあるから、そういうのが得意そうな友達に聞く。何かよいアドバイスをしてくれるかもしれないし、代わりにやってくれたりもするかもしれない。それでもだめなら、仕方ないからお金を使って業者に頼んだり、なにか便利な商品を買ったりする。生活っちゅうのはそういうふうに作っていくもんですよ、なんて、年寄りじみているけど。

 ひとり暮らしを始めてから七年間経つが、いまだにエアコンがない。もしもエアコンを買ってしまったら絶対に使ってしまうから、絶対に買わない。もらったら売って金にする。こんなもんはポリシーでもなんでもなくただの意地で、工夫を趣味とする僕の道楽だ。
 だから夏になると大変で、とにかく涼しくなりそうな工夫ならなんだってする。窓開けたり打ち水したり、氷水の入った霧吹きを部屋の中や窓なんかに吹きつけてみたり、パソコンの電源を切るだけでもずいぶん違う。あとは換気扇付けて扇風機回したらもう最強。家に一人でいる限りはそれでよい。どうしてもダメだったら、日中は家にいなければいいのである。図書館にでも行けばよいのだ。
 ところが来客があるとこれがもうけっこうダメで、はっきり言って真夏は僕の家になんか来ないほうがいい。まあ、夜ならわりと涼しいからどんどん遊びに来てほしいんだけど。酷暑の名古屋の、まったく風の通らない子供部屋で十八年間過ごしてきた身から言わせてもらえば、東京の暑さなんか暑いうちに入らないので、僕はべつに大丈夫だったりするんだけど、他の地方の人だと、わからない。
 いつかの夏休み、長野県松本市にある伯父の家に泊まった際、あまりに涼しいから布団をかぶって寝ていたら、「うへー、よくこのクソ暑いのにそんなものかぶって寝られるなあ。気持ち悪い」と伯父に言われたのをよく覚えている。寒暑の感覚というのは地方によって違うようなのだ。同じく長野の祖父が夏に名古屋にやってきて、「暑いから帰る」と言って数泊の予定を日帰りにしてしまったこともあった。泣いたなあ、あの時は。
 ぜんぜん関係ないけどそのじいちゃんってのが面白い人で、僕がその時「じいちゃん帰らないで」みたいな感じで泣いていたら、ばっと抱き上げて空を指さし、「あの星が見えるか。お前はあの星になるんだ」なんて星一徹みたいなことを真顔で言いだしたことがあった。今思い出しても意味がわからない。それで泣きやむとでも思ったのだろうか。わけがわからなすぎて泣きやんだけど。数年に一度しか会わないが、なんというか、この人に死なれたらかなり困る。

 工夫の話だった。まあ、だいたいのことは「工夫」と「知足」ということでなんとかなる。ある程度のところで満足しちゃえばいいんであるよ。ほんと、これが一番大事だと思うなあ。それなので僕の生活はかなり質素だ。本も、最近は買わなくなってきた。これからもっと、どんどん買わなくなっていきたい。

 昔は、自分にとって必要なものとは何かがわからなかったからとにかく買っていたんだけど、もう今はわかるからね。要らないものは要らないと言ってしまえる。それはもう若くないということでもあるけど、善し悪しで言えば悪くはないだろう。だって正しいんですものね。

2010/07/15 個人サイト・ルネッサンス

 10周年でノスタルジックになっているので懐かしいものどもを貼るぞ。

 
どらもの(I am a stargazer)
 はにまにver.3 はにまにver.2

 恥ずかしいとかそういう言い分は聞きません、消さないのが悪い!
 えー、これらは「放置された個人サイト」です。
 もう何年も更新がありませんが、「閉鎖」とも書かれていません。
 僕は定期的にこれらのページを回っては、「再開はまだか」とやきもきしています。
 ちなみに管理人はご両名とも先日の10周年記念会に来てくださったので、「この機会に再開してみては」と打診してみた。陽花さんは知らんけど、ひろりんこさんはmixiでやたら長い日記を書いているようなので、それならいっそHPで書いたらどうかね。

 ちなみにかつてこのサイトの一部だったそこはかとなし日記は、「閉鎖」とはっきり書かれていて潔い。これは「ブログ」だけど、実はサイドバーの「特別限定商品」からジオシティーズのテキストページに飛べる。「稲武旅行記」「稲武の最期を見る旅行」には僕も出て来ます。懐かしい。

 僕は更新もされてなければ閉鎖もしていない「放置された個人サイト」を見ると、非常にもやもやした気持ちになる。いや、もちろん閉鎖されるくらいなら放置しておいてもらいたいのだが、可能ならば続けていてほしいんである。そうでなければまさやん氏のように「ログを残して閉鎖します」がいちばんいい。
 なんでかといえば、個人サイトが消えてなくなるということは、その「個人」はもう、死んでしまったようなものだから。直接連絡が取れる関係だったらまだいいが、普通の読者が管理人と繋がることはもう一生できなくなるわけである。それは、なんとも淋しい。

 dolis partyというサイトが僕は好きだったんだけど、いつからか更新が途絶えがちになって、ほとんど閉鎖状態になった。だけど今でも年に一回とか、あるいはそれよりももっと緩やかな頻度で更新されている。こういう形でも、かつての読者としては本当に嬉しい。数年に一度くらいは、メルマガも届く。

 僕がHPを作るにあたって最も強く影響を受けたのはSaToshi's Homepageで、ここはまだそれなりに更新されている。僕と同じで、いやもしかしたらそれ以上に、SaToshiさんは自分のサイトに並々ならない思い入れがあるんだと思う。このHPについて詳しくは少年Aの散歩 混沌の「2008/12/26 SaToshi's HomePageに捧ぐ」というのを参照(これは本当に良い文章なので、HPを持っている人、これから作ろうと思っている人はぜひ読んでみてください)。いつかSaToshi先輩がこの文章を読んでくれたらいいな。
 ちなみにリンク先の日記に出てくるまこと先輩というのは向陽高校演劇部OB・OGのぺーじを作っていた人。このページがまだ存在しているってのも嬉しいなあ。タテシャク(タテバシャクヤクというお芝居)の写真がまだ見られるというのに、泣きそうなくらい驚いた。今は向陽高校演劇部「KDC」というサイトを現役の子たちが作っているみたい。リンクは「報告必須」と書いてあるけどリンク集に載っけるわけでもないし、いいよね……先輩(?)権限で……ごめんなさい。にしても、いまだに「KDC」という略称を使ってるってところに、グッときますなあ。

 さて、Satoshi's Homepageに影響を受けてEntertainment Zoneはできあがったわけですが、そのEntertainment Zoneに影響されたのかされていないのか、ぽつぽつ新しい個人サイトができあがりつつあるようです。すでにリンクしてある「鯨のびらびら」という、麻倉くんという子のサイトもだけど、それに加えて僕の元教え子の中高生たちが今、三人くらいサイトを作ってて、実はすでに公開されている。リンクは時期尚早だと思うから控えるけど、そのうちリンクページに載っけるつもり。

 14歳とか15歳とか17歳とかいう子たちが、慣れないhtml言語を駆使して、ゼロからホームページを作っている。「ホームページ」というのは「家」なんだ。ブログというのは賃貸だね。SNSは収容所みたいなもんで、Twitterはホームレス。
 土地を買うなり借りるなりして、大工みたいにタグを打ち込み、家を作る。だからこそ愛着が湧くものだし、その人の「生き方」がにじみ出るようなものができあがる。若い彼らには素敵な家を作ってほしい。そして無責任に放置してしまったりすることなく、丁寧にいつまでも愛してあげてほしい。ずっとそこに住めとは言わないが、役目を終えた家には鎮魂歌を捧げてあげてほしい。「ものを大事にする」という美徳は、別にインターネットにだってないわけじゃないんだ。
 多くの人が、個人サイトを立ち上げては、飽きたり忙しくなったりして、放置したり閉鎖したり、ひどいときにはほとんど忘れてしまったりしてきた。それをいけないと言うつもりもない。しかしこのEntertainment Zoneの魂を継承したようなサイトであったらば、せめて愛だけは忘れないでいてほしいと願う。中途半端な気持ちで建てるもんじゃないんだからね。ねえ。

 僕の考えている「個人サイト・ルネッサンス」っていうのは、賃貸だの、収容所だの、ホームレスだのっていうのはもうやめにして、どうせなら一人一人が「家」を持てるような世の中にしない? そのほうが健全じゃない、土地は広大にあるんだし。ってこと。一人一人がそれなりの技術を持って、自分で考えてサイトを作って、そこに自分の考えたことを書いていくっていう。そういう在り方をしていたほうが平和だと思うんだよね。誰だって自分で建てた家は大切にするし、他人の建てた家は尊重するもんだからさ。まともな神経持ってたらの話だけど。まともな神経っていうのは、「技術」や「思考」についてくるもんだと思うから、だからhtmlタグを大工みたいに打って、ちゃんと考えて気を遣ってものを書いて……ってことを僕は理想とするわけさ。軽薄短小なサービスに乗っかってるだけじゃ、人は不器用になって、ものを考えなくなるだけだ。もう手遅れなくらい、そうなんだ。だからさ。せめて「ネットに何かを書こう」なんて思っちゃうような人は、自分で家を建てることが肝要だと思うんだよね。本当に。

 果てしなく懐かしいものが出てきた。

 ラップ作ろうぜ
 NEWKURERAP
2010/07/14 スキンシップ

 教員やってて意識していたのは「女子生徒には指一本触れない」ということだった。むろん、そういうわけにもいかない場合だって多々ある(ハイタッチとか、遊んでるときとか)んだが、まあ必然性というものがなければ触らないようにしていた。唯一(かな?)とある女子だけは、あいつがあんまり殴ったり蹴ったりしてくるものだから、殴ったり蹴ったりし返していたけど。
 やっぱ女子生徒は「○○先生は身体を触ってくるからヤダ」なんてことを言うんだもんね。そんなふうに言われたくないから、必死でセクハラをしないように努力したね。普通にやってりゃ、触れることなんてないはずなんだけどもさ。僕はあんまり普通の距離で生徒と接してなかったもんでね。向こうから触れてくるようなことは幾らでもあったけど、こっちからは触れぬようにと思ってやってたら、とくに警戒されることなく、自然に仲良くできていたような気がするな、結果的に。
 女の子って、「自分から触るのはよくても、触られるのはヤダ」ってくらいに思ってんじゃないのかなあ。同じ相手でもね。「こっちが頭撫でるのはいいけど、撫でられるのは気持ち悪い」とかね。わかんないけど。実感としちゃ、そうとしか思えない。ここを勘違いすると、「向こうが触ってきたってことは、こっちも触ってもいいんだ」ってなって、べたべたして、結果嫌われるということも起きる。もし僕が、生徒にさわられていたぶん生徒をさわっていたら(なんというやらしい文章であることか)、僕の周りには誰も寄りつかなくなっていたであろうな。
 もちろん相手は子供なんだけど、「女は生まれたときから女」なんで、たとえ小学生でも、気にするには気にすると思うんだよね。ガキだからって、男と同じように扱うわけにはいかない。向こうが自分を「男として見ていない」ように見えるからって、こっちが相手に対して「女として見ない」をすると、困ったことになる。向こうはいっちょまえに、自分を女だと思ってたりするから。ガキを「女として見る」っていうと変態っぽいが、要は「女性として尊重する」ということね。ある程度ね。度が過ぎると勘違いさせちゃうからね。あと、女の子はたぶん相当ちっちゃい時から、男を「男として見てる」と思うしね。
 大人の男として大事なのは、「距離を見極める」ということだと思う。「この娘とは、どのような距離を保つべきか」という。先生と生徒だったら自ずと然るべき距離は見えてくるけど、そうじゃない場合は難しいね。男と女は。大人同士だったら「手相見てあげようか?」から始まって互いに身体をさわり合って、いつの間にか一緒に寝てるなんてこともあるわけ。身体をさわるってのはそういうことなんだから。スキンシップはセックスのはじまりなのですから。あんまり気軽にやってはいかんわけですよ。それは、子供に対してもあんまり変わらないと思うわけ。ガキのくせに女ってやつはそこに性的な何かを感じるんでしょ、だからセクハラオヤジに嫌悪するわけで。そうなんだから、男は気をつけなきゃいけないんだね。嫌われたり、惚れられたりしちゃうから。

 なんて書いておきながら、僕の理想は「スキンシップがあってもセックスの匂いがしない」というやつなのかもしれないけどね。兄弟ってわりとそんな感じだと思うし、僕にもそんな関係の女子がいないではない。上に書いた、殴ったり蹴ったりしあっていた女子ってのは、わりとそれに近かったのかもしれない。わかんないけど。
「男女の友情は成立するか」なんて問があるけれども、確かにこれは成立しづらいよね。でも「兄弟」だったら有り得るわけでしてね。それで「妹がほしい」になったわけなんだけど、そんなこと書いてたら2ちゃんねるで「気持ち悪い」とかなんとか言われていた。本当に、本質を見抜けないクズが多いな。そして誤解は広がっていくわけだ。君が僕を知ってる。

2010/07/13 革命的半ズボン主義宣言

 
ここの7月11日の記事参照。

 追記。自転車乗りは空気抵抗を減らすため毛ずねを剃るのですが、僕もいよいよそれをやってみる頃でしょうか。いろいろとしゃれにならんきもせんではないですが。

2010/07/12 話し方への批判

 10周年に際して昔の日記をちらちら読んでいたら、とっても面白いものが残っていたので、関係者には申し訳ないが再び晒す。僕は君たちを愛しているんだよ。

 
2002年10月25日

 奇しくもこれ、僕が停学(正確にいえば無期謹慎)を頂いたちょうど一年後なんですね。数日しかずれていない。だいたい問題を起こすのはこの時期だったんだなあ。はっはっは。
 後日談として、↑の記事をここまで公開したところで当時英語の先生だった「スティーブ」(RinQではない)からメールが来た。詳細は忘れたけど彼はこの件についてものすごーく好意的に見てくれていて、メールもすっごいあったかくって、勇気づけられて、僕はこのスティーブという天才(なんで教員なんかやってんの? っていつも思ってた)を本気で尊敬していたから、とにかくめっちゃくちゃ嬉しくて、それでもうこの件についてネット上で書くことに飽きたというか、どうでもよくなり、スティーブのメールについてはなにも書かなかった。8年の時を経て追記すると、当時スティーブからメールを受け取って思ったのは「僕は正しかったんだ!」ということ。むろん僕の行為は無条件ですべて肯定できるものではないだろうが、「僕という“存在”はやっぱり正しい」とその時僕は思ったのだった。だって、RinQやらスティーブやらに称賛されるような人間なんだから、自信だって持っちゃうよ。
 ↑のページに書かれていることは、今読むとかなり青臭く、不十分で、根拠のない自信と視野の狭い中傷に満ちており、「あちゃー」ってとこもかなりある。だけどこのエネルギーと僕という人間の存在感は本当に、異常なほど巨大なものだ。そりゃ十七歳つったらさらにもっと巨大であったってよさそうなもんだが、そこそこまでは僕もなかなかだったなと、今振り返って思うのであった。
 ちなみに「けんかしたら僕が勝つけどね」は、当時のRinQ(英語の先生)の「持ちネタ」……だよね?

 なんで急にこの文章を再掲載したのかというと、元教え子の十五歳の少女が「えらい人が来て非常に聴きとりづらいぼそぼそで早口な低い声で二時間もお話して下さいました。初めに書いたとおりわたしはとってもねむたかったので、記憶があまりありません。」(原文をちと改変)と書いていて、そのあと「面白く話すということは重要だ」ということをつらつら書き連ねていまして、それを読んで十七の時に自分がしたことを思い出したのだった。で、是非この子にはこれを読んでいろいろ考えて欲しいなと思ったのだ。

 僕が件の講演者に対して最も言いたかったのは、「面白い話ができないなら依頼を受けるな」ということだった。そりゃ、“身内”であり母校の校長でもあるような偉い人に頼まれたら首を横には振りづらいだろうが、「僕にはできません」と言うことが彼にはどうしてできなかったのか。よっぽどの事情があったのなら同情するけど。それにしてもあの程度の能力しかないのに400人の前で講演なんかしたら、「ああいうこと」になるのは予想できそうなもんなのに、どうして東大出てそういうことがわかんないかね? 未だに僕はこの件に関してはほとんど反省なんかしてない。
 けど、あの講演の意図っていうのは「生徒に話を聴かせる」ことにあるのではなくて、「この学校から東大に行く人もいるのだ、という事実を見せつける」ことにあったんだなと今では思う。内容なんかどうだってよくって、もうあれは「権威づけのための儀式」だったんだなと。だから僕が怒っていたのは、完全に筋違いだったわけだ。三三九度のお神酒飲んで「不味い」って怒るようなね。そういうばかばかしいことを僕はしたのかもしれない。

 8年前の自分の意見と、今の自分の意見とは、驚くべきことにほとんど一緒である。もし僕が教員をやっていて、ああいう講演があったとしたら、僕はそのあと生徒に言うだろう。「ああいう大人にはなるなよ」と。「つまんなかった」とか言うやつがいたら、「なんでそれを本人に言ってあげないの?」とでも言うかもしれない。「お前らが大人の話を無条件で聴いてあげちゃうから、大人が調子に乗る面もあるんだよ」とかね。例の彼女が書いていた「偉い人」も、「偉くない人」から「つまんない」って言われたことがないんじゃないかな。それでサボっちゃうんだろうね。大学の先生と同じだね。くだんねえ。


 10周年記念にお越し下さったみなさま、ありがとうございました。10年前から見てくれている人もちらほら来てくれて、とても楽しかったです。
 次はまた10年後にやりたいと思います。
 今回は、細かくは把握していないのですがだいたい50~200人程度の参加者がありました。次回は5000人規模でやりたいと思います。
 上の写真は、新宿御苑ですいか割りをしたあとにその液をすする管理人の姿です。楽しそうでしょう。
 10年前の自分が、未来にいるすべての自分との約束を果たせるよう、永劫ここで生き続けたいものです。

 10周年に先立ちまして 雨天時について加筆

 7月11日です。10周年オフ会です。参加者には漏れなく「2000年から2004年までの過去ログ」を無修正でお見せします。お待ちしております。

2010/07/08 米を食おう

 僕は米が好きである。米を好きでない人とは絶対に結婚しない。「パスタ」などという言葉を軽々しく使ったり、「パン」というものに妙にお洒落な幻想を抱いている人間を決して信用しない。パスタはイベント性の高い食べ物であり、パンは主食でなくおやつである……と、『パン』という同人誌を出している僕が言うのはちょっとどうかと思うのだが、勢いで言ってしまった。いえ、パンは好きです。うまいです。インドカレー屋に行けば必ずナンを注文します。麺類も愛しておりまして、特にラーメンは松本零士先生の表現を借りれば「人類の口の永遠の友」だし、世界の宝です。しかし日本の宝は米なのです。
 と、なんで突然こんなことを言うのかというと、そりゃ米がうまいからなんですけれども、先日図書館で借りてきた野坂昭如氏の『生キ残レ 少年少女。』という本に恥ずかしながら触発されてしまったのだ。
 まだ全然読んでいないんだけど、一冊まるまる米についてしか語ってないという異常な、いやむしろ正常すぎて異彩を放っている本。米はね、食わねばいかんですよ。

 実家は朝がパン食だった。うちは兄弟が四人もいて、父親を含めて男が五人。小学校には給食があるけれども、中学高校、そしてお父さんは弁当なので、多いときは三人ぶんとか四人ぶんのお弁当を毎朝お母さんは作っていた。そうなると朝食はどうしてもパンになってしまう。この上朝ごはんまで米食であれば手間もかかりすぎるし、米だって一度に何合炊けばいいのかわからない。
 そういう事情があったのだ、お手伝いの一つもしなかった僕としては「なぜ米食にしなかったのか」などとナンセンスな責め方をお母さんにする気は一切ない。しかし、名古屋市の給食というのはパンとごはんが半々の割合で出されるのであって、すると週に何日かは「三食のうち、二食がパン食」ということになる。だから思春期までの僕の身体の半分は小麦粉でできていたのだ。それほど僕はパンに親しんで生きてきた。僕は生まれた時から日本とアメリカの混血児だったのである。混血児!
 それで十八になって東京に出て来てからしばらくは食パンも買っていた。慣れているし、楽であるので。が、いつの頃からかほとんど買わなくなり、スパゲッティや焼きそば、ラーメンなども調理しなくなった。ラーメンはさすがに今でも非常食として蓄えてあるが、以前ほどではない。すると米、米である。炊くのが面倒ではあるが、炊いてしまえばこっちのものだ。三合も炊けば丸一日米が食い続けられる。逆に言えば一日で三合食べてしまう。それほど米はうまい。おかずが貧弱だからという説もあるが……何せ僕は肉の類をまったく買わないので。魚は買うけど。
 毎日……いや実際は米の食えない日もあるのだが、だいたい毎日米を食っている。どういうわけか知らないが、小さい頃から慣らされていたはずのパン食が、いつの間にか自分に合わなくなってきているのである。民族の血がそうさせるのか、あるいは無意識の理性が「やっぱり米を食うべきだろう」と判断しているのかわからないが、とにかく僕はもう米である。コーンフロスティだって好んで食べるが、あれはおやつである。パンも今や、おやつ。
 実家にいた頃も、夜ごはんは基本的にすべて米であった。当たり前のような気もするけど、スパゲティや焼きそばが夜ごはんに出されることはほとんどなかったように思う。そういうのは、だいたい土曜の昼とかである。多くの家庭でもそんな感じなんじゃないだろうか。日本の家庭はほとんど儀式のように夜ごはんには米を食う……それは単なる思い込みなのかもしれないけれども、少なくともうちではそうだった。
 お母さんがどう思っていたのかは知らないけれども、朝がパン、昼もパンの可能性があるような息子たちに、せめて夜くらいはちゃんとした米食を食わせてやらなくては……という想いがあったのではないかと推測する。「ちゃんとした食事とは米である」ということがだから、それで僕の中に植えつけられているのかもしれない。

 それにしても、なぜ「ちゃんとした食事とは米である」のだろうか。それが「日本の文化であり伝統だ」と言ってしまえばいいのだが、もうちょっと詳しく言うと、「日本で米が取れるから」だ。それだけのことだ。小麦の自給率は14%くらいで、そのうち北海道が全体の七割弱の小麦を生産している。話によるとパンの自給率は1%くらいらしい。「輸入に頼りすぎだ」なんて言うのはどうもありきたりな意見だけれども、実際外国に金払って小麦食べるより、日本人に金払って米食ったほうがよくない?
 なのにどうしてみんなが小麦的なものを好んで食べるのかといえば、そりゃもうお手軽だからですよね。「完成品で手に入る」、つまり家庭で炊かなくてもいいってのが大きいですよね。おにぎりよりパンのほうが腐りにくいしね。僕が実家で毎朝パンを食べていたり、名古屋市の給食が(全国的にそうだと思うんだけど)未だに半分パン食だっていうのも、この「手間」っていうのが大きい。「食べる現場で手間をかける」ことを惜しんで、「業者に金を払って手間を肩代わりして貰う」ってのが、小麦的なもののほうが、ずっとしやすい。僕は、「金を使うということは何かをサボることに等しい」と常々思っているんだけれども、いや、そういうことですよ。本当に。地方に行くと精米所ってのがあるけど、「近所から分けてもらった玄米を自分で精米して食べる」という状況だってあったりするわけです。
 米を買う、ということは「金を払って、稲を栽培したり脱穀したり精米したりする一連の作業をサボる」ということで、外食で米を食うというのは、「金を払って、稲を栽培したり脱穀したり精米したり洗ったり炊いたり盛りつけたり運んだりする一連の作業をサボる」ということなのだ。「サボる」と言っても、米の場合は代わりにしてくれるのが日本に住む日本人である場合がほとんどだが、小麦の場合は外国に住む外国人が主に肩代わりしてくれているのである。僕らから金を受け取って。しかし僕らにはその人たちの顔がまったく見えないし、彼らも僕らの顔が見えないだろう。米の場合は、ある程度お互いの顔が「見える」ではないか。そこが違う。
 自給率がどうのとか、文化だとか伝統だとか、そういうことはわかりやすく言葉を飾っているだけだ。問題は「見える」かどうかである。米を食べるときの定型句として「お百姓さんに感謝を」というのがあるが、パンを食べるときに同じことを言うか? 言わないのである。それはパンの、すなわち小麦の生産者の顔が我々にいっさい「見えない」からだ。どこか知らない外国で、なにかよくわからない方法で生産された小麦を作っている人の姿は、少なくとも僕の心には浮かばない。米なら、水田の風景というのは幾らでも見ているし、田んぼに入った経験もないではない。米ができるまでの過程というのは小学校で習った(僕は習ったんだけど、みなさんはどうでしょう?)。だから「見える」。見えるから、具体的な感謝を捧げられる。それで「いただきます」という言葉も出る。ちなみにキリスト教圏では「いただきます」的な言葉を捧げるのは「神」に対してである。日本の「いただきます」は、「その米に関わったあらゆるもの」に対してのものであって、もちろん神々を含む。
 見えないものにも感謝を捧げるのはもちろん大切なことだが、人間ってのはそこまで物わかりのよいもんじゃないので、(キリスト教的な意味での)「神」を持たない日本人にとっては、「作り手の姿が見えるものを食べる」ってのが、大事なんではないかと思うんですよ。ええ。
 米は大切。米がなくなると感謝が失われるから。食べものが「見えなく」なって、食べるということがどんどん散漫になっていくから。そうなると生きるってことがどういうことなのかもわからなくなるから。それでも別にいいじゃんって言うような人が僕は、大嫌いだから。

2010/07/07 フエラ胸

 七夕だから雪が降っています。
 精子のように美しく。
 雨のことを小さい頃は神様のおしっこだなんて言ってたけど、
 そうすると雪というのは神様が射精したというわけで。
 すると神様はうんちをしないのか。
 隕石とか流れ星とかいったものがそれなのか。
 雷ってのはなんだ。
 あれはおならか。
 おならが多くの場合おしっこと一緒に出るというのは
 神様も相当年を取っている。
 にしてもおならが可視であるというのは愉快。
 すかしっぺなるものはできないのか神様は。
 なんだか喩えに無理がある。
 矛盾が出てくる。
 そういうわけだからあんまり過信しなさんな。
 その程度のものですよ。


 今朝、眠りもせずに自転車に乗って15キロくらい走り、小平中央図書館に行ってタモリさんと松岡正剛氏が30年前に出した『愛の傾向と対策』という対談本を読んできた。最も近場でここの書庫にしかなかったのだ。
 そこで一貫して言われていたのは言葉への不信と、言葉を乗りこえようとする強い想いだった。
 僕もそういえば十代のある時期から言葉をあやしく思って、それで詩のようなものを書くようになったのだった。奇しくも、タモリさんや松岡氏が言葉を不信に思い始めたのと年齢としてかなり近い。十八歳になる直前だ。考えてみれば原点というのはそこにあった。2002年とか2003年の僕の詩を見るとそこに意味などほとんどない。ただ音と形が主にある。
「ほとんど」「主に」と言うように、僕が書いていたものにはやはりどこかに「意味」があった。そこがタモリさんの「ハナモゲラ語」とは全然違う。僕が取り去りたいと思ったのは実は「意味」そのものではなくて「文法」だったのだ。
 そういえばタモリさんは、「相撲中継」のネタなんかを聞くと、「カッチリとした文法の中に意味不明な言葉のあるおかしみ」というのやろうとしていたようだ。別にそればかりではないけど。

 もちろん僕は文法というのを一方では最重視するんだけど。
 文法のしっかりしてない文章というのは僕は詩とみなすもの。どんなものであれ。詩であるつもりがないのなら、文法はしっかりしなくてはならない。口語で、どれだけ崩れていても、そこに文法はある。なければ詩かわめき。

2010/07/06 時間を知るために

 昔のことを思い出すときりがないので書かないが、つくづく僕は過去というものが好きな人間だ。それは自分の過去というだけではなくて、あらゆる過去というものに愛着がある。と言っても、過去の中にも好きなものと嫌いなものとがあったりするんだけど、しかし過去は過去であるというだけで敬うべきものではある。年寄りを敬うことと同じだ。だから未来に対しては、子供たちに向かうように優しく、そして厳しくあらなければならない。

 生きれば生きるほど、時間というものがわかる。「十年」ということは、十歳では実感できないし、二十歳でもちょっと難しい。「十歳からギターを弾いている」とか、「十歳から漫画を描いている」とかいうのがあったら、二十歳のころには「十年」ということを具体的に把握することもできるんだろうが、そういうのの ないと、なかなか「十年」ということが掴めない。僕は「十五歳からサイトをやっている」というのがあってようやく、「ああ、十年とはそういうことなのか」というのが具体的に実感できた。あるいは、十五歳の時から友達であるような人たちのことを思って、「十年ってのは……」と思ったりもする。そうだ、例えば幼なじみがいて、四歳から仲良しだったとしたら、十四歳の時には「十年」がわかるかもしれない。これは人それぞれに何かがあるかもしれないし、何もない人だっているかもしれない。
 余計な話だけど、家族だとそういうのはあんまり感じないかも。「十年間も兄弟やってんのかあ……」なんて思わないもの。生まれて数年間はほとんど記憶なんて残ってないんだから、当たり前といえば当たり前か。

 二十五歳の僕は、まだ「十五年」ということがどういうことかわからない。あと十年も生きたら、「二十年」がわかるだろう。「五十年」がわかるためには、あとどれくらい生きるべきなのか。では、「百年」を知るためには?
 そのために過去がある。そのために歴史がある。過去を敬い、歴史を愛する心なくしては、「百年」も「千年」もわからない。「百億年」ということになったら、これはもう宇宙を知る以外にない。天文学とか宇宙のことをやっている人は、「歴史」なんていうもんじゃ満足できないくらい、途方もないほど「時間」というものに興味があるんだろうと思う。
 百年や千年という時を知るために、夏目漱石や源氏物語が伝えられているのだ。年を取って古典に傾倒する文化人が多いのは、「普通に暮らしていたら実感できるのはせいぜい数十年程度でしかない」ということに気づいて、「もっと時間というものを知りたい」という欲求が大きくなるからなんじゃないかな。

2010/07/05 ぼくらのミステリークラブ

 小学校四年生だか五年生だか、ひょっとしたら六年生だったかもしれないある時、僕は毎週近所の、と言っても当時は自転車で十五分くらいはかかった市立図書館に通っていて、漫画や児童書を読み漁っていた。部活もやっていないし、友達がいなくて、兄もあんまり遊んでくれなくなっていたので、暇で暇でそれで本ばかり読んでいて、やがて読む本も尽きてくるから、あちこちの古本屋や図書館を巡るのがその頃の僕のほとんど唯一の趣味だった。「ゲームは週に一日、一日一時間」だったしね、一応。その頃にはそんな決まりは形骸化というか、ほぼ機能していなかったんだけれども、それでもゲームっていうのは少し罪悪感があったんで、本ばかり読んでいたような気がする。
 毎週図書館に行くもんだから、そのうち何も読みたい本がなくなる。そこら中の本を片っ端から読むようなことはしていなくて、「知っている本」や、「知っている作者の本」ばかり読んでいたので、それらをあらかた読み終えると途方に暮れて、「面白そうな本」を求めて図書館内を彷徨うことになる。
 今でも覚えているんだけど、児童書コーナーのいちばん奥、向かって左のほうの本棚の下から三番目くらいのところに、『ぼくらのミステリークラブ』はあって、なんだか知らないけどまばゆい光を放っていて、僕の瞳と心を掴んだ。僕は「あの本がなんだか気になるなあ、でも知らない本だし、作者も知らないし、得体がしれないから、ぜんぜん面白くないかもしれない、危険だ。やっぱりズッコケ三人組でも借りて帰ろう」なんて思って、一度は背を向け、いや正確には、何度も何度も向き合っては背を向けて、借りるべきか否かを悩んでいた。結局「えい」とか言って借りたんだけど、これがもう、当時の僕にとっては震えるくらい面白かった。
 なんでその本が光り輝いていたのかというのを冷静に考えると、どうやら以前に兄が図書館から借りてきて読んでいたことがあったようなんだ。僕が『ミステリークラブ』を読んでいたら、「ああ、その本ね。面白いよね」といった意味のことを長兄が言ってきたのだ。これは我が家の「血」が為した業なのか、あるいは僕がそのタイトルや背表紙のデザインをなんとなく覚えていたのか。いずれにせよ何の根拠もない「超自然的な力」ではなかったのかもしれないが、『ミステリークラブ』は超能力の出てくる話だったので、その本が「光り輝いていた」ということは、作品の面白みをいっそう増させた。
『ぼくらのミステリークラブ』というのはさとうまきこさんの書いた本で、『ぼくのミステリー新聞』『ぼくらのミステリー学園』『ぼくの・ミステリーなぼく』『ぼくの・ミステリーなあいつ』と続くシリーズの完結編だった。いずれも裏表紙に「小学中級から」と書かれている。
 内容は、日常+SFのいわゆる「すこし・ふしぎ」なもので、『ミステリー新聞』『ミステリークラブ』の主人公はいじめられっ子で何の取り柄もなさそうな哲也くん。高校生になって「哲也」という名前をお芝居の中で使ったのはひょっとしたらこれが元ネタなのかもしれない。この哲也くんや『ミステリークラブ』の「れおん」とかに僕は激しく感情移入して、『ミステリーなぼく』『ミステリーなあいつ』『ミステリークラブ』に登場する「モロくん」を本当に格好いいと思って、しばらく、というか今でも、僕の「心の作品」として位置づけられ続けている。
 中身について詳しく書くとキリがないのでやめておくが、当時の僕の心はずいぶんと揺さぶられたものだ。もちろんその後、さとうまきこさんの本を読み漁って、どの作品にも強く感銘を受け続けたことは言うまでもない。
 でも、僕が当時はまっていたこの『ミステリーシリーズ』を今、大人が読んで面白いのかというと、不安だ。「本を貸してくれ」などと言われると何冊目かにこのシリーズが思い浮かぶのだが、面白いなんて思ってくれないんだろうなあと、踏みとどまる。
 なんか、昔の日記を読んでいるような気分になるんだ。
 二十年以上も昔の作品だから、古臭いし、子供向けだから、ガキっぽいノリのところもあるし、読んでいて気恥ずかしい面があるのも確かだけど、でも懐かしいし、純粋だし。
「昔の日記」を楽しめるような人であれば、この本はきっとぴったりだと思うんだけど、「日記なんか書いたこともない」あるいは「読み返したことがない」「読み返しても面白くない」ような人にとっては、苦痛を伴うかもしれないくらいに、ある面では幼稚なところがある。作品が幼稚であるわけでも、作者が幼稚であるわけでもなく、登場人物が幼稚だから。だって、小学生だから。(しかもこのシリーズの場合は、語り手がすべて小学生である!)

 児童書を大人が読むとき、子供として読むか、大人として読むか、という二つの読み方があると思う。子供として読むというのは、童心に返って素直に読むということだけど、これができる人は本当に少ないし、たぶんできなくてもいい。
 大人として読むというときには、「大人が読むに耐えるもの」を求めるのか、「子供が楽しんで読めるもの」を求めるのか、という、これまた二つの読み方がある。「大人が読むに耐えるもの」ばかりを求める人には、たぶん児童書を読む才能はない。昔はあったんだろうけど、枯渇してしまっている。大人が子供向けの本を読むときには、一種のノスタルジーを持って、「これは子供が読んだら途轍もなく面白いはずだ」というような読み方をするのが、真っ当なのではという気が、僕はする。「これは子供だましだよ」「ぜんぜん面白くなかったよ」なんていうのは、ナンセンスだ。てめーなんかのために、この本は書かれてねえんだよ! と言いたい。児童書は、「大人が読んで面白いか」じゃなくて、「子供が読んで面白いか」が、評価するためのほとんど唯一の指標なんだから。
 とはいえ、「大人が読んでも面白い」という本は、優れていると思うし、「大人になってから読んだらまた見方が変わる」という本も、すばらしいと思う。それは「親子で楽しめる」と言っているのと同じだから。しかしやっぱり、「子供のための本」だということを前提に置かなくては、おかしくなってしまうだろうとは思うな。

 ああ、これは僕なりの「アニメ批判」なのかもしれない。
2010/07/04 後輩が結婚

 する、っていう話はかつて愛して今も愛している別の後輩から聞かされていたのだが、ついに入籍したらしい。本人におめでとうは言っていない。ここに書いておこう。おめでとう。
 晩婚化の進む昨今、僕よりも若い人が結婚、と聞くと実感としては「早いな~」って気がするんだけど、それはたぶん僕が異常者であるのと、比較的「高学歴」なのと、東京に住んでいるからであって、地元に帰って中学の同級生あたりの話を聞いてみりゃきっとかなりの割合でもう結婚してんだろうと思う。ちなみに僕の同い年の友達で、すでに結婚している人は一人もいない。同い年の人間の結婚式には行ったこともなければ呼ばれたこともない。友達が少ないってこともないと思うけど、友達のほとんどが異常者だからかもしれない。

 件の後輩というのは高校時代の一つ年下の男で、今も名古屋に住んでいる。非常にいいやつなのだが、ちょっとピントがずれたところが(当時は)あったので心配していたが、良い人に巡り会えたようでとても安心している。末永く幸せに暮らしてほしい。彼の「いいところ」をちゃんと見てくれる人だったら、たぶん大丈夫だろう。彼の「いいところ」は、たぶん死ぬまで変わらないだろうと思うので。あ、ちょっと泣けてきた。
 彼は高校生一年生のとき(2002年1月)にこのサイトを間借り(?)してWeb日記をはじめ、のちに独立(?)して2007年5月まで続けていた。「閉鎖」ということではあるがログはネット上に残っている。
 と、いう歴史的事実からもわかるとおり、彼と僕との関係というのはけっこう深い。もしかしたら、深いなんてもんじゃないかもしれない。自慢じゃないが彼に自転車の楽しさを教えたのはたぶん僕である。いや、もともと「好き」だったのは間違いないが、僕のせいでいよいよ本気で狂ってしまったのだと、思うようにしている。一緒に稲武(愛知県の山奥)まで走ったりして、それでハートに火が付いてしまったのだと、僕は思い込むようにしているのである。だってそのほうがなんだかうれしいじゃないか! 僕が。勝手な思い込みなのでたとえ「違うよ」と本人から言われてもこれは曲げない。うんうん。で、その後彼は僕よりも数段レベルの高い自転車乗りになってしまって、ついにはその筋の会社に就職までしてしまった。
 そもそもは、部活が同じだったのである。小学校、中学校と帰宅部だった僕にとっては初めてできた「後輩」が彼で、高校時代を振り返ればさまざまな想い出がある。彼の家に泊まりに行ったこともあるし、銭湯で何時間もぬるめのお湯に浸かって話したり、ああ、学校の近くの本屋の前で延々と立ち話をしたっていうのが最古の想い出かな。保存樹アベマキとかシールとか、もう、尽きんね。だって、高校生だもんね。すべてが光り輝いていたのだからね。その頃を共に過ごしていたのだから、そりゃもう、いろいろありますよ。
 個人的な思い出話をしたって仕方ないのでちょっとだけ一般的な方向に持って行こう。実のところ、高校を卒業したら彼とはほとんど会わなくなった。とはいえ僕は彼のことを忘れることはなかったし、彼も同様にどこかで僕のことを考えたりしていただろう。彼が名古屋にいて、自転車とともに生きている限りは、僕という存在はきっと切り離せないはずだし。
 高校生のころっていうのは、時間が濃すぎるんで、僕と彼とはもう一生分の付き合いをしちゃったと思う。だからことさらに連絡を取り合ったり、会ったりっていうことはしなくてもいい。非常に良い意味で「する必要がない」ということなんだと思う。もちろん僕は彼とまたあの銭湯に行ってぼんやりとそしてマジメにこの七年分の話をしたいし、酒だって飲み交わしたいわけだが、そんなことは別に、本当に最高によい意味で、する必要はない。
 しかし、結婚すると聞けば素直に「おめでとう」と思うし、こんな文章も書いてしまう。本人に一言「おめでとう」と言ってすましてもよかったんだが、いろいろ思い出すと、なんだかこっちのほうにしたかった。
 去年くらいだったか、彼が突然(アポなしで!)僕が曜日店長をしている無銘喫茶という小さなバーにやってきたことがあった。驚いて、お互いに大事なところが何も変わっていないらしいことを確認して、とても素敵な時間を持つことができた。僕はこういうことで万事よいと思う。それは現在の自分を過去の自分に肯定してもらうことでもあるし、その逆でもある。「再会」というのは、そういうことでもあるんだな。これから何年生きるか知らないが、僕たちは恐らく何度も再会をして、確認しあって、願わくばまた新しいことを話したり作ったりしていくのだ。

 と、せっかく書いたのだが本人が見るかどうかは果たして不明である。彼を知っている読者がもしいたら、何かの際に「ジャッキーが何か書いていたよ」とこっそり耳打ちしていただければ面白いかも。それにしても銭湯に行きたいな。もう何年言ってるんだかわからんから、そろそろな。(2010/07/03 07:20)

2010/07/03 狭量 われかかれか

 Twitter(このサイトの「Twitter」のことではない)に「昔の彼女との想い出を、性体験の割と細やかなところまで正直に綴った」とおぼしき一連の書き込みがあって、その人は三十代だったので「さすがにこれはネタだろう」と思って「ネタですよね? もし事実だったら昔の彼女にとってはたまったもんじゃないと思うのですが(大意)」ということを伝えたら、縁を切られてしまった。んまあ、縁を切った本当の理由は実は別のところにあったのかもしれないんですけども。ちなみにその「縁」というのはTwitterなる「ゆるい繋がり」のみを指して言うんだけど。だから「別のところにある」可能性っていうのは、ほとんどゼロに近いと思うんだけど。
 三十過ぎて「他人にも関わるかなりプライベートなこと」をことさら具体的に語ってしまえる神経っていうのはよくわからない。柳美里の『石に泳ぐ魚』という、実在の女性をモデルにした小説は当事者からの訴えで裁判になった。小説とTwitterじゃずいぶん違うと考えるか、ほとんど同じ、むしろTwitterのほうが悪質と考えるか、人それぞれだと思うけど、あの一連の発言をした彼はどのように思うのだろう。
 昔の彼女、と書いたけど、彼は「前々カノ」と書いていたので、わかる人なら容易に特定が可能。彼はおそらくだが本人の写真をアイコンにしているし、特に匿名でやっているつもりもないようだから、ちょっと心配になって、苦言にも見える疑問文を提出してみたのだが、実際どうだったのであろうか。知るよしもないが、ともあれ、この件について考えることは無駄ではなかろうと思ったゆえ、記す。

2010/07/02 七夕ゲーム

A「おりひめー」
B「ひこぼしー」
二人「ひさしぶりー」
A「元気?」
B「元気元気ー」
二人「じゃ、また来年ー」


 っていう具合に、新しいゲームを考えるのにはまっています。
 こういうのを永遠に一緒に楽しめるような人と結婚したい。


 さて、人間が何かを完全に把握するってことはたぶんできないんですよね。ある事件について知りたくて、一所懸命調べたとしても、ことの真相ってのはふつう、わかりません。芥川龍之介の『
藪の中』なんかはまさにそういう話ですよね。
 ただ、「わかったような気になる」ことはできます。本当は不完全な情報しか持っていないのに、あるだけの手札を適当に組み合わせて、「まあこういったところだろう」というふうに結論づける。それがふつうってもんですね。たいていの人はそれをしますね。

 人間が人間を把握するときというのは、話したり聞いたり調べたりして、いろんな情報を得て、それらをつぎはぎして「こういう人なんだろう」と思って、その人の「人間像(イメージ)」ってのを自分の中に作り上げるってふうにするわけだと思うんですが、その「人間像(イメージ)」ってのは、決して完成しませんね。いつまでも流動的に、変わっていくものですよね。「正解」になんて、たどり着けないわけですから。人間は他人について「間違った人間像(イメージ)」を常に抱いていて、それを常に更新していくわけです。微調整をするんです。数学的に言えば極限ですかね、収束するわけですね。「正解」に向けて。永遠に近づいていくけれども、絶対にそこにはたどり着けない……。
 でも、そんな作業、面倒くさいんですよ。ふつうの人間だったら、一度にあんまりたくさんの人間をそういう対象として見ていると、疲れちゃいますからね。だから、切り捨てるんですよ。人間は人間を。「こいつはこういうやつだろう」って言って。それでもう、二度とその人についてのイメージを変えないんですね。非常に、楽ですよ。そうすると。
 いちど「あいつは嫌なやつだ」と思ったら、たいていはそのまんまです。だって、「嫌なやつ」に対して、「イメージを作り直す」なんて面倒な作業はしたくないでしょう。だから嫌なやつは、いつまでも嫌なやつのままです。たいてい。関心を持てない相手は、ずっと関心を持てないままです。概ね。
 んで、「あいつは嫌なやつだ」と思って、よほどその思いが強かった場合、人によっては、そのことを喧伝しますね、吹聴しますね、他人に。「あいつは嫌なやつなんだぞ」と。迷惑なもんですね。
「嫌なやつ」っていう抽象的な言い方はまだいいけれども、「あいつは人殺しだぞ」なんていう間違った事実を間違ったまま言いふらされた日には、たまったもんじゃないです。それを聞いた人は「そうなんだ。気をつけないと」と思ってしまうかもしれません。特に疑う理由がなければ。僕に言わせれば、理由なんかなくてもとりあえず一度疑ってみなければ何も信じられないって思いますけどね。「信じたいために疑い続ける」って岡林も歌ってますけどね。
 僕はまあいろんなところでいろんなこと言われますけど、別にもうなんでもいいですよ。「君が僕を知ってる」って清志郎も歌ってますけれども、そういうことですよ。ただまあ、「知っててほしい人が妙な風評に騙される」なんて悲しいこともあって、もう泣いちゃいそうな時もありますけど、それはもう、しょうがないですよ。僕とその人の間にちゃんとした関係がなかったってことなんだから。諦めるしかないです。片想いだったんですからね。だけどそういうのってたいていは「これから関係を作っていくはずだったのに」なんてときだったりするから、「この世でいちばん大切なものはやっぱりタイミングだと思うべな」ってゆうこりんが歌ってたのは本当だなあと思いますよ。

 もっとずっと単純な話でね、インターネットが発達しすぎたことが関係あるのか知らないけど、どうも最近僕とある人とを混同している向きが、あるんですよね。芝浦さんじゃないですよ。矢崎さんでもなくてね。ぜんぜん別の人と、僕とを、なんだかごっちゃにしてて、ごっちゃにしたまま何か邪悪なことをネット上に書いてたりするような人が、んまあ、ある程度昔から、若干いたりするわけです。その人は本当に「事実」を知らなくて、ネットから飛んでくる断片的な情報をつぎはぎしてその人なりの「真実」を捏造してるんですよね。面倒くさいことをするもんだなあと思いますけど。「直接僕に聞けばいいのにな。ちゃんと答えるんだけどな」って、もう三年くらい前から僕は言ってるんですが、どうもそういうことは苦手みたいですね、そういう人は。ってかまあ、自分が間違った事実を真実だと思い込んでいるということを、そういう人は気づかないんだから、僕がこんなところで小声で何を言っていても仕方ないのかもしれないんだけど。向こうにしてみれば「お前が俺に直接言えよ」なのかもしんないし。まあ、向こうが場所を用意してくれないんだから、ってのを僕は言い訳にしますけどもさ。
 んでなんか、僕のよくわかんない、勝手に彩色された妙なイメージが一部で流通していて、具体的に困ることは何一つないんだけど、「有名人の気分」みたいなのが疑似体験できて、非常に楽しい。ほんと、有名な人ってのは、大変だろうな。たいていの人はどっかで諦めちゃうんだろうけど。僕ですらもう諦めかけているんだけど。しかしこうして何かを書いてしまうんだけど。だって諦めたくないですもんね。僕はずーっと、「有名税なんて嫌い」って言ってるけど、その関連で。「有名税」ってのは、「邪悪なことを許してもらう免罪符」でしかないからね。「有名な人はある程度誤解されるのは仕方ない」というのならわかるんだけど、そうじゃなくて、「有名な人は何を言われたって仕方ない」になってるから、有名税ってのは嫌いなんです。だって、人の悪口って、あんまり大っぴらに言っちゃいけないものでしょう? 少なくとも本人や、その周辺にいる人々の耳目に入る可能性のあるところでは。「有名税」を振りかざせばそれをやってもいいってことになってるのは、どういうことなんだろうね?
 しかもそれが、最近じゃ有名人だけじゃなくて、誰にでも適用されるようになってきて、もはや「有名税」じゃなくて「人間税」みたいなものですよ。生きてるだけで、何でもかんでも言われてしまう。人類の歴史なんかずーっとそんなもんなのかもしれないけど、インターネットが関わってくる現代の状況っていうのはかなり特殊だと僕は思っているので、さんざん言いますよ。
 あのね。人間ってのはまだインターネットに追いついてないんですよ。これから先、追いつくかどうかもわからない。インターネットに踊らされないくらいに人間が進化(?)してりゃあいいんだけれども、みーんな騙されちゃうでしょう。そういう意味では人間はまだテレビにも、活字にさえ追いついてないんじゃないかと思います。「疑う慎重さ」ってのを、やっぱほとんどの人が持てていないわけで。みんな「疑う」ばっかしてて「慎重」がないよね。人間ってのはそんなもんなんだから仕方ないけど、仕方ないですますわけには、いかんですよね。そう思いますけど。

 僕に関して言えばほとんど誤解されるように生きているようなところもあるので、別に本当に何でもいいです。「何でもいいです」と言ってるからといって本当に何でもいいのかというのは、慎重に考えてみてほしいですが。

2010/07/01 七夕

 今日「TOKIOゲーム」というのを考えました。
 ジュリーの『TOKIO』のメロディで歌を作るのです。

 馬に乗る
 弓を射る
 鎧を脱ぎ捨て酒を飲む


 最近ゲームを作るのに凝っています。
 みなさんもオリジナルゲームを作って僕に教えてください。
 ここんとこはまってるゲーム(思い出せるだけ)

 ・キリスト教ゲーム
 ・右左ゲーム
 ・負けたでござるゲーム
 ・空き缶ゲーム
 ・一年間ゲーム
 ・天気を操るゲーム
 ・TOKIOゲーム
 ・蝉ゲーム
 ・非しりとり

 あと何があったっけ。

 
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