豊橋~中部天竜
「飯田線」



 私は、飯田線に乗り換えるべく下車したが、7:49発新城行きには30分以上時間があったので、豊橋駅周辺を観光して回ることにした。豊橋駅は思ったよりも人が多い。東西口の連絡通路は、あふれんばかりのミシシッピだ。豊橋駅西口は、寂しい。どこがどうということはないが、どうしても東口の華やかさと比較してしまうのである。私は写真だけ撮って、西口を後にした。
 東口、ただ静かに夜が来るのを待っているイルミネーションツリー。飾られた空間、人々の憩いの場。自然な色彩で彩られた人口的なコンクリートで固められた広場。最近になって造られたものらしく、かつての面影はまったく残されていない。とは言ってもそれはテレビ画面や写真での知識であり、私自身も豊橋駅を生で見たのは初めてである。だから余計に失望した。私が見たかったのは、こんな豊橋駅ではない。東口は確かに華やかで、美しかった。しかし、私が憧れていた豊橋駅東口は、こんなものではない。こんなに飾られた空間を、私は求めてはいなかった。そんな沈みかけた私の気分を救ってくれたのは、広場の真下を走る路面電車だ。東口の広場は道路の上に造られており、豊橋駅の入り口からはやや高いところにある。その広場の真下の国道のド真中を、電車が走っていくのである。名古屋にも昔はあった、市電というやつだ。

 私は満足して、東口から駅に戻ろうとして、ふと傍らの案内用看板に目をやった。交番、と書かれている。そうだ、交番、交番は・・・?私は早足で階段を駆け降りた。そこには、テレビ画面で見たのと寸分も変わらぬ《豊橋駅前交番》があったのだ。私は割と満足をしていた。春風高校光画部が夜を明かしたあの公園は無かったけれど、変わり行く風景の中でかたくなに自分を誇示し続けるモノの姿を見たような気がして、嬉しかったのだ。もうやり残したことはない、私は豊橋を出た。
 いかに飯田線とはいえ、豊橋周辺では客が多い。私の乗った電車も、席はほぼ埋まっていた。もちろん空いている席もあったのだが、わざわざ先頭の、運転席と線路の見える場所を陣取った。こんなところは小さな頃から変わらない。船町、下地、小坂井、牛久保、豊川と過ぎ、三河一宮で一旦下車した。ここでは学生がたくさん降りる。多勢の女子高生たちが階段を登っていくのを眺めていた。ここでもやはり女子高生は女子高生である。格好だけを見れば、池袋をかっ閣歩している者等と大差は見られない。女子高生たちが行きすぎると、私も階段を登り、改札をくぐった。いつのまにか雪はほとんど止んでしまっている。三河一宮の駅舎は立派だ。私は周辺で2,3シャッターを切って、そこいらをぶらついた。だが別段何があると言うわけでもない。
 もう一度改札をくぐり、小さなホームのベンチに座り、母親の持たせてくれたおにぎりを食べた。梅と鮭と野沢菜。美味しかった。おにぎりは美味しかったのだが、そのせいで電車の中で少し気持ち悪くなってしまった。胃の中でぐちゃぐちゃになったおにぎりがのたのたと精一杯に暴れている感じである。電車に乗る前はごはんを食べるべきではない。雪が再び強くなり、ホームに少し人が増えたかと思うと、電車が来た。長山、江島、東上、野田城、新城、東新町、茶臼山、三河東郷、大海、鳥居、長篠城、本長篠、三河大野を過ぎたあたりから、あたりの山に真っ白な雪が積もっているのが見えた。電車が進むにつれてその量は多くなる。私は確実に雪国へと近づいているのだ。こんなとき、川端康成の『雪国』冒頭部分でも朗読できれば格好がいいのだが、あいにく忘れてしまった。湯谷温泉、三河槙原、柿平、三河川合、池場、東栄、出馬、上市場、浦川、早瀬、下川合、そしてやっと、中部天竜である。

 
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