中部天竜~飯田
「鉄橋を渡る」



 「終点ですよ」車掌の声で目が覚めた。ほんの10分弱ではあるが、うたたねをしていたようだ。しかし不思議と、その間の記憶はなんとなく残っているのだからおかしなものだ。中部天竜を下車すると、「歓迎」と書かれた看板が私を迎えてくれた。私は駅舎で飯田線の名物であるスタンプを押し、観光名所である佐久間レールパークを横目で眺めつつ、駅舎を出た。さあ、ここから佐久間駅まで、歩くのだ。と意を決してはみたのだが、なんと方角がわからなくなってしまったのだ。自分がどこから来てどこへ行くべきなのか、まったくわからなくなったのだ。線路沿いに進んでいけば良いのに、その二つに一つの選択肢さえ絞れなくなっていたのだ。自身の方向音痴に自らがあきれ返ってしまった。もう一度駅の中に入ってみる。「どうかしましたか」駅員さんが尋ねた。佐久間駅はどちらでしょう、あっちです、ありがとうございました、そんな会話を交わして駅を出ようとすると、「歩いていくには、距離ありますよ」私はその言葉を自然と聞き流していた。中部天竜・佐久間間の距離などたかだか1kmそこそこだろう、なに、楽勝だよとたかをくくっていたのだ。確かに普通に、少し急ぎ足で行けば10:32分発の電車には間に合う。だが、私は忘れていた。私はここいらへんの地理はまったく知らないし、間にある鉄橋を渡らねばならないし、天津さえ写真撮影もせねばならぬのだ。こういったことなどをついぞ忘れ、佐久間レールパークを無駄に見学してしまった私は、本来31分ある移動時間を、20分まで縮めてしまっていたのである。それでも私は余裕に思い、早歩きで出発した。中学校を通り、ダムを通り、鉄橋だ。この鉄橋を、渡らねばならない。

天竜川鉄橋

天竜川の鉄橋

 私は勇気を出して、百数十メートルほどもある鉄橋を渡った。とは言っても、ずっと線路を歩いていたわけではない。はじめは最後まで線路を渡ろうかと思ったが、あまりに怖かった。線路の横に歩行者用の狭い通路があるのだが、それと線路との間が50cmほど開いていて、線路に乗るためには、そこを大股で渡るのだ。下には暴れの天竜川が流れており、落ちたらひとたまりも無い。できることならば渡りたくは無い。だが撮影のためにはなんとしても線路の上に乗らなくてはならないのだ。私は何度か線路の上から写真を撮った。電車は来ないことがわかっていてもこれは恐ろしいものだ。落ちたら死、落ちたら死だぞと何度も自分につぶやいてみる。するとやはり自分が自らをかえりみず危険を侵す何かのヒーローにでもなったような錯覚に陥り、いい気分になるのだ。こういった気分が発展しすぎると、どこぞの犯罪者のようになるのだろうか、犯罪者の気持ちは、わからないでもない。鉄橋を渡りきり、時計を見ると、電車が着くまであと6,7分という状態であった。さすがに焦って走り出すと,前方で道が二方に分かれている。私は多少躊躇したのち、右の道を選んだ。下っていく道だ。すこしでもスピードが出たほうが良い。息を切らせながら進むと、はるか上のほうに駅が見えた。上下で線路から遠ざかっていたのだ。迷わず堤防を草をかきわけ登って行く、信じられない、道が無いではないか。駅への入り口は反対側の線路にしかなく、こちらからは構内に入ることができないのだ。私は焦っていたので、そのまま線路の上を横切り、佐久間駅に駆けこんだ。「こんにちわ、どうしたんですか」地元の中学生がにやにや笑いながら私に問いかけた。私は返す言葉を知らなかった。どうしたといわれても、電車に乗りに来たに決まっている。「佐久間駅で電車に乗りたいと思って」と、皮肉の混じった口調で言ってやった。そのまま駅の中に入ると、ちょうど電車が入ってくるところだった。相月、城西、向市場、水窪、大嵐、小和田、中井侍、伊那小沢、鴬巣、平岡、為栗、温田、田本、門島、唐笠、金野、千代、天竜峡で乗り継ぎ、川路、 時又、駄科、毛賀、伊那八幡、下山村、鼎、 切石、飯田。


 
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