北海道旅行記
「巡北線路」  ~関川頁也旅行記1~


2000年
7月23日
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7月27日
7月28日
7月29日
7月30日
7月31日
8月1日


7月23日


 今晩出発します。行程表を書いて、家の人に渡した。夕方から仮眠を取ろうとしたが、目が冴えている。羊が1匹、羊が2匹と数えて、数えるのが面倒になった頃、少し寝られた。
 22時ごろ起きた。車に乗せてもらって、駅(刈谷駅)まで送ってもらう。ずっと黙っていた。何か悪いことをしたみたいだった。確かに大金を使うことにはなるだろうが、無駄遣いをするわけじゃないと心を締めてかかる。
 着いた。ここまで40分、ずいぶん長く感じた。クリスマスみたいなイルミネーションがある。階段を上がって、跨線橋を渡る。他に誰もいないのに、ストリートミュージシャンがギターを抱えて歌っている。まだ列車はやってこないので、少しの間、両親と三人で、ベンチに座っていた。
 23時30分。いてもたってもいられなくなって、改札を抜けることにした。両親は車のそばに移って、フェンス越しにこっちを見ている。心配しているんだ、行くのやめようかな。いやいや、2年越しの計画なんだ、二人とも背中を押してくれたじゃないか。そう思っていると、アナウンスが流れた。「まもなく到着いたします列車は、夜行快速ムーンライトながら東京行きです。この列車は、指定席券がないとご乗車になれません。なお、この先の停車駅は、安城、岡崎、豊橋、浜松、静岡、沼津………………」ホームに人影はほとんど無い。闇夜はいつまでもいつまでも静かだった。やがて、近くの踏切が鳴り、光が迫ってきた。銀色の車体、ムーンライトながらがホームに滑り込んだ。両親が何も言ってくれないので、「行ってきます」と小学生みたいに叫んで、列車に飛び乗った。すぐに扉が閉まって、ゆっくりと走り出した。もう日付の変わる23時59分。刈谷駅を出発した。




7月24日


 手持ちのきっぷは、青春18きっぷだ。日付の変わる、安城から有効になるので、安城までは、乗車券(190円)を買ってある。とくに眠たくないが、明日(というか今日)のために寝たい。眠いのではなく寝たい。しかしながら、やや感傷的になって、寝ることが出来ない。トランプに興じたり、ぺちゃくちゃ喋ったりしている奴がいて、寝られるものではない。チューリップ帽を深くかぶって、次の駅までには寝よう、次の駅までには寝ようと、どんどん目標を変えていく。通路側の席なので、横にもたれることが出来ない。同席しているのは、旅行なれしたらしいおじさんで、アイマスクをしているのがうらやましい。車内は明るく、寝られないので、もう少し照明を落としてもらいたい。
 3時間たって、30分ほどしか寝られないまま、熱海に着いた。ここからこの車両は自由席車になり、何人かが、まだ3時過ぎなのに乗り込んできた。こんな時間まで何をしていたのだろうと思った。しばらく寝て、都内に入ると、白白と夜が明けて、太陽がビルの上に昇っていく。トイレにいったら席を取られた。自由席だからしょうがないが、オーラを出すと、すぐにどいてくれた。
 4時42分東京着。結局、合計しても2時間ぐらいしか寝ていない。座席はなれないのか、デッキに横になっている人もいたが、同席のおじさんが呼び起こしていた。そのおじさんと一緒に3・4番ホームへ走る。階下の東京駅は物静かで、まだ活気づいていない。
444東京(山手線)上野451
 おじさんが、「ロシア旅行へ行った人がリュックを切られて財布を取られた」という話をしてくれた。心を引き締める。早朝の駅には、からすがいるが、風情が無い。
510上野(東北本線521M)黒磯747
 発車までの時間に、持って来たパンをかじった。朝食はこれだけである。ずいぶん待った気がして、ようやく発車した。今日は一日がかりで青森まで行くのだと思うと途方も無い感じだが、まだ出発して6時間もたっていない。目が冴えていて眠れない。
 新設された、さいたま新都心駅を過ぎる。三つの町が一つになって、さいたま市になるとここが玄関になるが、まだ街は出来上がっていないようだ。朝日が反射してまぶしい。それより印象的で気に入ったのは、蒲須坂駅からの一面の田んぼの景色だ。日本一広い関東平野を代表してくれた。
750黒磯(2127M)福島1008
 3分の乗換え。乗客が少なく、ボックスシートを一人占めして、足を伸ばして座った。途中、郡山で20分以上停車。乗客も多くなってきた。
1036福島(577M)仙台1153
 少し居眠りをした。やはり眠かったのだ。
 仙台では、名物の駅弁を買おうと決め、「熱々味噌仕込み牛タンせいろ」を選んだ。器の下についているひもを引っ張ると、石灰石が化学反応を起こして、ご飯が熱くなる。面白いのだが、900円は高いと思う。仕掛けのせいでご飯が少ない。
1240仙台(535M)一ノ関1423
 仙台近くでは混雑した。ロングシートは、片方の景色しか見えず、疲れる。一ノ関では、駅弁売りにつかまった。暑いですねと言って、さりげなく逃げた。
1500一ノ関(1543M)盛岡1631
 突然、スコールに見舞われ、徐行を始めた。さっきの「暑いですね」が嘘のようだ。ダイヤが乱れては、乗り継ぎが不安である。車内で、ムーンライトながらで一緒だったおじさんを見つけた。外国人とへたくそな英語で無理に会話をしている。話を盗むと、エアーズロックとか言っていたから、オ-ストラリア人だろうと思う(もちろん、おじさんの方ではない)。
1650一ノ関(581M)青森2037
 八戸で30分近く停車した。ゆっくり車外に出て、のんびりする。日が暮れてからは、もってきた本の読書に励んだ。
 3時間46分でやっと着いた。疲れた。まずは、みどりの窓口に赴いて、これから旅の友となる北海道フリーきっぷ(普通車:一人用:23750円)を購入。7日間有効で、特急の指定席車に乗ることが出来る。北海道内でしか使えない。急行「はまなす」に乗るので、函館までの急行券を買った。青森~道内は乗車券を買うことになるが、「はまなす」で北海道入りをする場合、中小国(フリー区間の入り口)から翌日(2時ごろ)の函館までで1日分を使うことになり、少しもったいない気もするが、函館までの乗車券を買うよりも、1日分を使ったほうが割安なので、中小国までの乗車券を買った。都合、北海道フリーきっぷは、6日間分を使うのと同然である。
 夕食は、ホームの自販機で買った、焼きおにぎり。待合室でおとなしく座っていた。目が自然と閉じるのが分かった。
2308青森(急行はまなす)札幌618
22時40分ごろ、ホームに列車が入線。車両はドラえもんのキャラクターが描かれたものだ。二人分の並んだ席に横たわった。ジャイアンが外にいるので安心して、すぐに眠った。




7月25日


 ふと目が覚めて、窓の外を見てみる。真っ黒な海が、本当にすぐ目の前に見えた。まだ夜は明けていない。ここはどこだろう。もう北海道に入ったことは間違いない。時計の針は、2時を指していた。それを見ると眠たくなった。
 再び目を覚ました。ちょうど苫小牧に到着したところだ。札幌到着まで、あと1時間ほどなので、起きていることにした。窓の外には、丸められた乾し草が、いくつもころがっている。北の大地についにやって来たと実感が湧いた。意気揚揚とトイレに駆け込む。手洗いの水が止まらなくてあせった。時間がたつと勝手に止まる仕組みだったのだが、何度も蛇口をいじって、1分くらい格闘してしまった。止まらないので逃げると、ようやく収まった。
 外気は寒く、窓には露がついている。ビルが立ち並び始めた。6時18分、札幌に着いた。まだ朝早く、人もそれほど多くない。一応、途中下車の日課として、改札を出て、時刻表をもらった。改札外でコーヒー牛乳とサンドイッチを買ってから、5番線への階段を駆け上った。待っていたのは、またしてもドラえもん達だった。ジャイアンのそばに座る。
642札幌(札沼線531D)石狩当別726
札幌近郊の住宅地を抜ける。どの家の屋根にも煙突(?) がある。街はいかにも「作られた」感じで、同じ大きさの家が並び、一定の間隔で公園に出くわす。それも札幌らしさなのかなと、納得しながら、サンドイッチをほおばる。石狩川を渡ると、途端に家が無くなり、広々とした石狩平野の中を進む。札沼線は、学園都市線とも呼ばれ、終点近くには、学校が多い。終点、石狩当別で前1両が切り離され、新十津川行きとなる。駅には高校生が多い。
750石狩当別(札沼線5423D)新十津川929
 時刻表を貰って、自動改札にきっぷを通したら、磁気異常を起こして通らなくなってしまったので、きっぷを見せるだけにした。ここから先は、運行本数はどんどん減って、札幌から石狩当別までが1日28本(平日)だが、浦臼までは1日7本、新十津川には1日3本しかやってこない。その3本のうちの一つに乗車する。車内に旅行者が多いのも、本数が少ないからだろう。雨で視界が遮られる。風景は、さらにローカルになるが、雨は止まず、激しくなる一方。途中で降りた男子高校生が、きゃあきゃあと言うほどだった。景色が単調で飽きてきた頃、終点に着く。雨は小降りになったので、100円の雨ガッパ(持参品)をリュックごと着込み、颯爽とホームに降り立った。
 駅員は当然いないが、めったに来られない(二度と来ないかもしれない)ので、写真を撮って、記念としておく。さてここからどうするかといえば、他の旅行者と同じく、バスか徒歩で石狩川の対岸の滝川駅へ行く。滝川には特急が走っていて、たった50分で札幌までいける。かたや、1日3本の普通列車で2時間半もかけて、同じ道を戻る人はいない。バス停まで7分ほど、雨の中を一列で歩く。時間が少しあったので、コンビニでサラダを買った。
 サラダをかき込んでいると、バスがやってきた。手持ちのきっぷでJRバスにも乗れるのだが、他社バスである。他の旅行者は、みんな乗り込み、車内から、どうして乗らないの、と言わんばかりにこっちを見る。サラダを食べているからじゃないぞ、と言う顔をしてみる。このバスは、時刻設定上、JRバスの1分前にくることになっている。そうやって、客を奪っている。僕は一人残され、雨の滴るバス停の下で、サラダを食べ終え、ゴミをコンビニまで走って捨てに行き、戻ってくるとバスがきた。地元の人もJRバスを選んで乗ったようだ。
 バスは石狩川を渡って、滝川駅に着く。
 駅が騒がしい。どうやら、この雨で運休した区間があるらしい。午後に乗る予定の区間だが、変更のきく所だったので一安心。しかし、富良野行き臨時特急ラベンダーエクスプレス1号(クリスタルエクスプレス車両)は、滝川で打ち切りとなり、観光客が大挙して、どやどやと降りてきた。外国人なんか、駅員にわめき散らして、はしたないなと思いつつも、かわいそうである。バスで代替輸送をするようだ。JR側も客側も、大変なことになっている。僕も雨の犠牲にならないよう祈りたい。
1025滝川(特急ライラック3号)深川1040 
 5分遅れでやってきた。雨の影響はここでも出ているようだ。10分遅れで発車しても25km/hで走る。のろい。日本一遅いのが売りの釧路湿原ノロッコ号(後述:29日)より遅い。広い石狩平野を堪能したが、それよりも次の乗り継ぎが心配になってきた。乗り換えられなかったらどうしようかと、時刻表とにらめっこをして考える。さっきから同じ景色しか見えていない。滝川でバター飴を買ったが、願懸けの意味もこめて、食べる気になれなかった。バター飴は、何年か前に近所の人に、北海道みやげに、買ってきてもらって以来、とりこになっていたので、どうしても食べたかった一品だった。
 途中から125km/h(通常の速さ)に戻った。結局、20分遅れで深川に着いた。とうに、乗り換える列車の発車時刻は過ぎている。半ばあきらめていたが、とりあえず下車しようと心に決め、ホームを見ると向かい側には、2両編成が、まだ発車せずに停車していた。良かった。どうにか乗り継げたのだ。接続(=乗り換えられるようにダイヤが組まれている)していたようだ。急いで駆け込む。
 車内に入ると声がかかった。「おや、ずっと一緒だね。」見ると、札沼線からずっと同じ行程で来た人のうちの一人だ。尋ねるとラベンダーエクスプレスに乗る予定だったらしい。ご愁傷さま。
1057深川(留萌本線 4925D)留萌1202
 結局、後続の特急とも接続をとって、11時15分ごろに、ようやく出発した。景色は閑散としている。NHKのドラマのロケ地になって以来、おばさんが群がってしまった恵比島を過ぎ、峠越えのトンネルを抜けると、留萌。ここで、2両のうち前1両は先へ進み、後ろは深川へ戻る。駅では、SLの煙の缶詰めが、売られていたが、荷物になりそうなので、買わず、その代わりに、増毛(ましけ)駅の入場券を買った。(僕の知り合いには、禿げた人は一人もいないが。) 駅には、意外に人が多く、すずらん (NHK) 効果ではないかと思う。
1211留萌(留萌本線5921D)増毛1235
 海沿いを走る走る。やっぱり海は良いなあと思う。北海道だが、このあたりには海水浴場がある。最寄りだった臨時駅は、今は草に埋もれていた。増毛駅は、禿げにご利益がありそうだが、その手の人はおらず、高校生の下校時刻に重なった。高校生たちを横目に、エンドレールと単行を写真に収めた。
1243増毛(留萌本線4928D)深川1431
 来た道を戻って、留萌で30分ほど停車する。その間にSLすずらん号(ロケで使われた物)がやってくるので、同行の彼と共に、跨線橋を渡って、カメラを構えた。やがて、轟音と共に、黒い巨体がやってきた。ホームに着くと、おばさんやおじさんが、ぞろぞろと吐き出されている。SLに満足げである。おばさんというのは、こういうのに弱い。
 一方、こちらの車両は、発車した。森林と青空の中、窓をぐーっと開けて、いかにも一人旅しているという感じで首を出してみた。午前中の雨がうそのようで、気分が良い。恵比島には相変わらず人がいるなと確認して、深川に戻ってきた。予定では、深川-滝川-富良野-新得という行程だったが、まだ滝川-富良野間が運休中かも知れないので、ルートを変更する。
1440深川(特急ライラック11号)旭川1500
 すぐに降りるので、指定席券は取らず、自由席に落ち着いた。一方の彼は、タバコを吸うらしく、喫煙車へ行ったようで、姿は見えなかった。
 旭川で、駅弁でも買おうかと思ったが、ホームの売店ではちょうど目の前で売り切れになってしまい、やむなく割子そばを買う。その最後の一つを買ったのが、喫煙車から降りてきたあの彼だった。旭川で昼食を取るといったから、僕もご一緒したのに、ちょっと振り回された感じだ。とぼとぼと彼の後を追い、長い地下通路を走った。
1513旭川(快速ホリデー旭川)新得1721
 臨時快速だが運転日数は多く、また、通過駅が多い。しかし、地元の人に定着していないらしく、通過する駅で降りたかったおばさんが、まごまごしている。途中、行き違いで、運転停車(=ドアを開けず、客を扱わない停車)した駅で、頼んでおろしてもらっていた。
風景は広々としていて、観光雑誌(一冊持参していた)に紹介されていた美瑛の丘が一瞬見えた。富良野では、一面のラベンダー畑を期待したが、ぜんぜん色がよくない。富良野には、ノロッコがいたが小雨が降り出しては、誰も乗らない。山の中に入って、左手に大きな湖が続く。幾寅駅は、今度は、「鉄道員」のロケ地だが、雨のため、人っ子一人いない。長いトンネルを抜けて、新得に着いた。
 すぐ札幌に戻るという彼とここで別れた。一日ありがとう。一方の僕は、少し歩いた所にある温泉旅館で一風呂浴びる計画。雨ガッパを着て、小雨の中を歩き出した。
駅前から離れると、誰もいなくなった。だだっ広い国道を渡り、川を渡って、雨の中サッカーをしている子(ナイター照明付きのサッカー場がある)を見ながら、どんどん山奥へ入ってゆく。道を間違えたかな、と思ったら、ようやく着いた。25分ほど歩いた。ところが、旅館のドアが開かない。そこにいた犬に聞いたが返事がない。途方に暮れて、隣にある建物を見つけ、訪ねると、「フロント」という看板がある。カーテンを開けると、……あれ、台所だ。おかしいなと思ったが、調理中の女の人に訊いた。「すいません、温泉に入りたいんですけど。」「温泉なら隣よ。ここは違うけど。」「ドアが開かないんですよ。」「変ね、電話してあげるわ。」するとここは温泉とは無関係らしい。電話の答えによると、今日は宿泊客がいないので、閉館したらしい。ああそうですか、と言って立ち去った。よくよく考えてみると、あの建物(温泉旅館じゃない方)は、ラブホテルだった。
 がっかりした。30分近く雨の中歩いて、温泉に入れず戻ってくるなんて。日が暮れて、山は静かになり、サッカー小僧もみな帰宅したらしく、もういない。とぼとぼ歩いて、駅まで戻ると、駅近くに、公衆浴場があったので入った。実は、温泉に行く前から気付いていたが、こっちのほうが、よっぽどラブホテルみたいで(お城みたいだったので)、入る気になれなかったのだ。でも今は、汗と雨とでびしょ濡れになった体を温めたかった。お湯は、新得の北の秘境、トムラウシ温泉のものだそうで、それなら新得温泉なんかよりずっといい。それより、ここで特筆すべきは、一緒に入っていた地元の人のおちんちんが大きかったこと。まるで馬のものようで(見たことは無いが)、見比べたら、2回り以上大きい。あんぐり。
 駅へ戻ると、雨で運休している区間がまたあるらしく、札幌からの特急がやってこない。これから札幌に戻るので困る。
1949新得(特急とかち12号)札幌2204
 こちらは定刻通りに発車。この先が、運休区間になるが、自分の力ではどうしようもないので、祈るだけだった。車内でサンドイッチ(610円)を買った。空腹だったからおいしかったが、空腹じゃなかったら、と思うような味だった。列車は途中で10数分停車しただけで、事なきを得た。どうにか札幌に戻れると安心していたら眠り込んでしまった。札幌に、何時ごろ着いたのか覚えてない。車掌に起こされて、気付くと到着していた。帰宅客の多いホームに寝ぼけて降り立った。
2300札幌(特急利尻)稚内600
明日は最北の町、稚内。わくわく、どきどき、はらはら。




7月26日


 昨日と同じように2席を独占して、横になって寝ていたが、また早起きしてしまった。まだ5時前。トイレへ行った後、目を開けたまま寝ていると、着いた。日本最北端の駅、稚内。何だか分からないうちに連れて来られた感じがする。とりあえず着いた。眠気があるのか、気分は晴れない。
 改札を抜けて、北のほうへ歩く。途中、旅館のおじさんに、「今日は利尻(島)へ渡られるんですか。今晩よろしかったらどうぞ。」などと誘われたが、1時間半後に帰ってしまう身にとっては心苦しい。どうにかごまかして歩を進める。北岸の防波提ドームを眺め(工事中だったが)横の階段を駆け上がると、展望台みたいになっていて、オホーツク海が一望できた。風が少し冷たい。漁船が数隻いる。歩いてきた老夫婦に頼まれ、写真を撮ってあげた後、階段を降りた。東へ歩くと稚内港。ぼおーーと汽笛を鳴らして大きな旅客船が出港していった。待合室で乗船名簿を数枚拝借した。「船名:  丸」のところに武蔵丸と書いて一人でくすりと笑った。
駅に戻ってうどんをすすった。待合室のベンチに座って発車時刻を待つ。
737稚内(特急スーパー宗谷2号)岩見沢1208 
 3月に新造された車両で、きれいで快適だが、まだ新車のにおいがする。
列車は丘を駆け上がると、一面緑の丘の中を走る。曇り空だけれども緑が萌え映える。稜線沿いに牛が何頭もいる。人家は見えない。ただ曇り空と緑の丘と数頭の牛がいるのみだった。その丘を越えると、両側を柵に挟まれ、柵の向こうには、また牛が飼われている。広々とした牧草地には、乾し草がいくつも丸められている。北海道らしいとでも言おうか、その景色は僕が数年間見たかった景色そのものだった。ため息をついて見とれた。
今朝は、車内で購入した わっかない弁当(駅弁:1000円)を食べた。カニとイクラが乗っていて見た目に豪華。味もなかなか。ついでに景色も味わって満腹だ。今日はいい調子でいけそうだと思った。
しかし、列車が天塩川に沿って走っている頃、突然、睡魔に襲われてしまった。今朝、寝足りなかったのか、昨日と今朝に、歩いて疲れてしまったからか、理由はわからないものの、まぶたはしだいに重くなり、体は、横になろうとした。寝てはいけない、寝てはいけない。しまった、コーヒー飲んでおけばよかったと思ったときには遅かった。不覚だった。………………………
目を開けると、もう宗谷本線は走り終え、石狩平野に戻っていた。残念だがしょうがない。また、次に来た時のお楽しみに、と。すぐに岩見沢に到着した。
駅に着くとすぐにコーヒーを買った。少し寝ぼけ眼でくたびれていた。まだ、頭が働かない。朦朧としながら、待合室でどっかりと座って待つ。散策する元気は出なかった。
1251岩見沢(室蘭本線1468D)苫小牧1418 
 一両編成(単行)なので、車内は混雑していた。岩見沢では、良く晴れていたので、天気の心配は無いと思っていたが、突然、大雨に襲われた。しだいに乗客は減っていったが、蒸し暑くなった。扇風機を回しても、空気をかき混ぜるだけだからだめだ、と向かいに座ったおじいさんに言われたが、とりあえずスイッチを入れた。事態は変わらない。にわか雨だと思ったがなかなか止まない。昨日の運休が頭をよぎる。
 苫小牧に着いた。雨の滴が屋根から滴り落ちるホームでまた、コーヒーを買った。向かい側に乗り換える列車がいる。乗り換え時間はたった3分。
1421苫小牧(日高本線2235D)様似1758
 荒涼とした所から、海沿いに出た。絶壁の上や海岸の横の一本道を走る。雨は止まず、海も荒れている。海から少し離れると、両側は牧場になり、晴れていれば、馬が何頭もいるのだろうに、この天気だから、数えるほどもいない。がっかり。そんな景色をみていると、目の前に蛾がいることに気付いた。逃がしてやろうとしたが、窓が開かない。駅に着いた時に、つまんで扉から逃がした。いつ紛れ込んだのだろう。列車で知らない町へ来て放たれても、死んでしまうに違いない。ましてやこの雨。助けたつもりが、いけないことをしてしまったようで、とたんに悲しくなってしまった。
 3時間半でようやく着いた。わずかの客がホームに降り立つ。雨も延々と続く。駅前には店が無く、夕食にはありつけなかった。風が強くなり、台風中継のように折り畳み傘が曲がる。店を探しに歩く気になれず、駅の待合室で過ごした。
1834様似(日高本線2242D)苫小牧2134
列車に乗り込むとアナウンスがかかった。「現在、雨のため、この先の静内-鵡川間が運休となっています。苫小牧方面へお越しの方は、車両前よりの運転手の所までおいで下さい。」とうとう雨にやられてしまった。苫小牧まで帰らないと、明日以降の予定が台無しになってしまう。他の交通機関は無く、困る。数えるほどの乗客の中で、困るのは僕一人だった。不安を残して、とりあえず列車は出発した。浦河で駅員が乗り込んできて、さっきと同じ確認をしたが、やっぱり僕一人だった。途中の本桐というところで、さらに事態は悪化した。「対向列車が代替バスの接続のため40分ほど遅れています。行き違いのため当駅で40分ほど停車いたします。」40分………途方に暮れてしまった。あたりに民家は無いらしく真っ暗だ。運転手が携帯電話を持ってきた。電話の主は、JRの偉い人らしい。相談するようだ。「これからどうされますか。この雨ですと今日中には復旧できませんし、旅行を中断していただくしか………」「困ります。静内から先はどうなるんですか。」「代替バスがでます。苫小牧から先は、どこへ行かれますか。」「おおぞら13号で釧路へ行くつもりですけど。」「そうですか。バスですから1時間以上遅れますので、苫小牧から南千歳までの列車が無いのですが。」「タクシーがあるでしょう。」「1時間以上遅れて、苫小牧からタクシーかハイヤーに乗っても間に合うかどうか分かりません。ここは旅行を中断していただくしかございませんが。」「いや、とりあえずいける所まで行きます。」「では、静内でバスが待っているのでお乗り換え下さい。」「わかりました…………。」旅行を中断するってなんだ。訳が分からなくなった。もう滅入ってしまった。どうしようもないので、少しの菓子と読書で過ごすしかなかった。やがて本を読み終えてしまい、とうとうすることが無くなった。
 やがて、対向列車が暗闇の中、入線してきて、こちらも発車した。トイレに行こうと後ろの車両へ行ったが、誰も乗っていなかったので少し怖かった。ようやく静内に到着。
 誘導されて改札を出ると、バスが止まっている。JRバスではなく、地元の観光バスのようだ。数人の客が乗り込んで発車を待っている。列車の運転手が列車を車庫へ入れて、20分ほど待たされた。運転手も一緒に乗り込んで、1時間遅れで出発した。バスは真っ暗な一本道の国道を雨の中走った。途中、駅が国道から離れていても、いちいち集落へ入って駅前までバスが行く。駅に着くと待合室に人がいないか走って確認しに行く。こんなことを毎駅やっていては、かなり遅れるだろうと思った。もうすでに1時間以上遅れているから、タクシー案も危うくなった。それなら苫小牧で野宿することになる。事態は深刻だった。とりあえず携帯で家に状況を報告した。その20分後、電話がかかった。「今どのあたり?」「厚賀を過ぎたところ。」「近くにユース(=ユースホステル:会員制の宿泊施設。全国に約350カ所ある。僕は、今回の旅行のために入会していた。) があるから電話するね。」「いいよ。そうして。」もう(おおぞら13号)はあきらめた。何も無理することは無い。疲れているし、泊まれるならそっちの方がいい。すぐに電話がかかってきた。「泊まれることになったから、豊郷で降りなさい。ユースの人が待っているから。」「分かった。豊郷だね。」どうにかなった。ユースホステルは飛び込み客禁止だと思っていたが違った。事態が事態だけにといったところか。いくら夏とはいえ、北海道の雨夜は寒い。命が助かった。
 ほどなく豊郷に着いた。あと10分、電話が遅かったら降りられなかった。運転手にお礼を言って、バスを降りると、一台の乗用車がいた。そうして10分ほどでログハウス風のユースホステルに運ばれた。
 先客は5人ほどだった。まだ夕食を食べていないといったら、朝ご飯みたいなご飯を作ってくれた(無料で!)。居間で団欒をしながらニュースステーションを見て、日本酒を嘗めさせてもらい、入浴したあと、寝た。ああ、疲れた。
 こうして長い一日が終わった。




7月27日


 起こされた。家から電話がかかってきたらしい。心配されているが、一晩寝れば、余裕が出てくる。今日の予定変更は未定だ。もう7時過ぎ。朝食(昨日、飛び込みで素泊りでは申し訳ないと思って、頼んでおいた。) をいただいた。他のみんなより食べるのが遅くて、最下位だったのは、長旅で胃が小さくなったからだろうか。窓の外は緑の丘で、馬が駆けていった。訊くと、このあたりは、有名な馬(実名が出ていたが、忘れてしまった。) の産地らしい。聞いたことのある名前ばかりだった。新聞に目を通すと、コンコルドが墜落したとある。そういえば昨日の夜、久米宏がそんなことを言っていたが、嘘っぽかった。
 時刻表にちょうどいい時間の列車を見つけたので、シーツをたたんで、すぐに出発した。玄関を出る時、ユースの人たちが、言ってくれたのは、「さようなら」ではなく、「行ってらっしゃい」だった。それが心に残って、もう一度来たいと思った。また、車に乗せられて、牧場の柵に挟まれた一本道。今日は良く晴れていて、海も穏やか。まだ柔らかい日差しが心地いい。
 昨日の豊郷ではなく、人の多いほうが安心でしょと言われて、隣の日高門別駅まで送ってもらった。お礼を言って、車を降りた。野宿だったかもしれないのに、本当に助かったものだ。駅に駅員はいなかったが、売店があった。このあたりは、馬のメッカらしく、見に来る人がいる。
902日高門別(ホリデー日高)苫小牧956
 休・夏臨の列車で、今夏は昨日から運転期に入っている。今日は晴れているので、昨日は数えるほどだった馬がたくさん見える。この旅では、もう見られないと思っていたので、本当に良かった。
955苫小牧(特急スーパー北斗1号)南千歳1010
向こうのホームに特急が見えた。時刻上、乗り継げないが、特急がやや遅れているらしく、走ってホームに着くと、もう扉は閉まっていたが、また開けてくれた。車内は満席で、座れなかった。今日は、予定の段階で乗るのをやめていた夕張支線(石勝線)に乗ることにした。そして、明日午前に予定していた札幌市内観光を今日の午後にして、明日の午前は今日乗れなくなった区間を乗るのが最良案だとした。とりあえず来た列車に乗って、行ける所へ行こうと決めた。
南千歳に着いた。乗り換え先の特急は反対側のホームに着くので、当然、階段を上がって橋を渡っていくことになるのだが、ここで妙案がひらめいた。もう一つの乗っていない区間である、南千歳-新千歳空港間を往復すれば、階段を上り下りすることなく、向こう側のホームにいける。これはいい。早速、すぐやってきた列車に乗り込んだ。
1022南千歳(快速エアポート96号) 新千歳空港1026
地下に入り、4分で到着。この車両が、そのまま折り返すのでホームにも降りず車内で待つ。
1033新千歳空港(快速エアポート105号) 南千歳1036
 列車は見事、反対のホームに到着。階段より楽に乗り継げた(と思う)。
1040南千歳(特急とかち3号)新夕張1119
 山間の信号所で行き違いをして、山を分け入っていく。太い川が蛇行して、竜仙峡のあたりは水量が多く、水はコーヒー色をしていた。このあたりが、一昨日(25日)の運休現場だ。新夕張は、山間の小集落で、高台の駅から一望できる。
1123新夕張(石勝線夕張支線2631D)夕張1150
 2両のディーゼル車がとことこと沢を登っていく。清水沢から先、一閉塞(線路が一本分しかなく一編成しか入れないこと)になって、運転手がタブレット(通行票)を受け取った。ローカル色たっぷりだ。駅構内は、石炭産業の跡地で、だだっ広く、この空き地に貨車がたくさん止まっていた頃を想像させた。
 終点、夕張。スキー場に隣接したリゾートホテルがあるが、夏なので当然誰もおらず、その他建物は何も無い。町や観光施設から離れていて、駅が役割を果たしていない。駅前のバス停名も、「駅前」ではなく、リゾートホテルの名前だった。何のための線路なのだろうかと思うと、物寂しくなる。
1213夕張(2632D) 新夕張1239
 同じ車両で帰る。乗客が少なく、さみしい。面白かったのは、車内の掲示物。

1301新夕張(特急とかち6号)新札幌1355
 もと来た道を戻るのはつまらないが、行きとは反対側を見て我慢。やうやう、都会に入り、札幌の一つ手前、新札幌で降りた。降りるとき、切符を無くしたと思って、ひやひやした。駅員がとかち6号に電話をして、車内を点検している時に、自分のかばんのいつもとは違う所から出てきた。迷惑をかけて申し訳ない。それ以来、財布ときっぷは、乗る前と降りる前にいちいちチェックするよう心がけた。
パンを一つ買って、ここからは地下鉄に乗ってみる。市内中心部のテレビ塔の下で、レンタサイクルをやっているそうなので、利用しようと思う。最寄りの大通までではなく、一つ手前のバスセンター前までのきっぷを買う。30円お得。階段を降りてホームへ。いつも乗っている地下鉄と何か違うと思って、すぐ思い出した。札幌の地下鉄には走行用のレールが無い。列車はコンクリートの上をゴムのタイヤで走る。なるほど、走行音は静かで、揺れない。発車のベルは、遊園地のジェットコースターの発車ベルみたいで、車内の壁には絵が描かれている。普段乗っている地下鉄とはやはり違う。少しカルチャーショックを感じた。
駅に着いて、急いで階段を上がって地上に出た。テレビ塔は程ない。買ったパンは、おいしくなかったので、ハトにやった。歩いて数分、テレビ塔の下で、500円(2時間)を払って、自転車にまたがった。大通公園は何とかフェスティバルで賑わっている。大通公園は、名古屋の白川公園のようで、どちらにもテレビ塔がある。自転車は札幌のオフィス街を右へ左へ曲がり、時計台や旧道庁舎などの観光名所にも運良くたどり着けた。
 札幌駅に近いユースホステルに荷物を預け、さらに軽快になって走る。
 まずはサッポロビール博物館へ。長い見学コースを小走りで見学して、作り方や歴史などをざっと学んだ。みやげにホップの実を一つ拝借した。次に、雪印乳業史料館へ行ったが、残念なことに、雪印問題のさなかで、案の定閉館していた。翌日には、工場で操業が再開されたので、明日来ていたら、入れたかもしれない。そのあとは、なんとなく豊平川沿いのサイクリングロードを通って、再び大通公園に戻ってきた。号外を貰った(札幌南高校63年ぶり甲子園出場)。自転車を返却して、公園を少し歩いた。西4丁目から市電に乗り込む。札幌市街の南西部を、ぐるりと一周。終点すすきのまで40分かかったが、西4丁目からは、300mほどしか離れていない。
 すすきの。呼び込みのお兄ちゃんに声をかけられ、ひやひやした。ラーメン横丁に入って、一番手前の、繁盛している店の向かいにある、客のいない店に入った。ドラえもん42巻でスネ夫に自慢されて以来、ずっと食べたかったバターラーメンを注文した。食べてみると、やはりおいしい。
 地下鉄と歩きで、ユースホステルに戻る。夕食を注文していなかったので、コンビニのパンをかじった。風呂上がりに地下のコインランドリーで洗濯をした。実は、前日のわっかない弁当のいくらが服にこぼれて匂っていたので、洗いたかった。時間がかかって、テレビを見られなくなって残念。部屋に戻る。畳に布団を敷いて、男性5・6人。その中の一人は、自分と同じく、東郷町(愛知県)から来たと言うから驚き。




7月28日


 みんなが朝食を取っている間に、布団をたたんで出発した。駅まで徒歩7分なのでとても便利だ。
802札幌(特急ふらの)富良野1000
 車両は、3日前に見たクリスタルエクスプレスを期待していたが、一般車だったので残念。2分前に先行する、スーパーホワイトアロー(北海道最速)にも乗ってみたかったが、乗換えが面倒なのでやめた。天気は今日も晴れ。快調に走る。乗客は富良野へ行くグループ客が多い。滝川から、3日前の運休区間に入り、ほぼ2時間で富良野。持ち時間が1時間以上あるので、3日前に乗った富良野線に再び乗ってみることにする。
1008富良野(富良野線728D)西中1021
10分で折り返し列車が来る、都合のいい駅に降りた。板張りホームがあるだけの、何も無い無人駅だ。ラベンダー畑駅(臨)に近いが、紫色の丘は見えない。入道雲が出ていよいよ夏らしくなった。カメラを持った旅行者が、一緒に降りた。次に来る列車が「ぽっぽや号」だよと教えてくれた。
1031西中(富良野線727D) 富良野1044
 「鉄道員」の撮影用に改修した(古めかしくした)車両で、車内には出演者のサインが飾られ、テレビが備え付けてあった。富良野から先は、ぽっぽや号として運転される。
富良野と言ったらラベンダーだと思っていたら間違いだった。富良野市は北海道の中心。今日は、「北海道へそ祭り」が開催されていた。市街地のアーケード街は歩行者天国になって、パレードが通るらしく、へそのパレードなら見てみたいものだが、時間が無い。道の一角にはへそ美人コンテストなるものの会場があって、写真がずらりと並んでいる。目もくれず、道に迷いながら、観光物産会館へ行き、みやげを買った。駅前に戻り、色とにおいだけのものと分かっていながら、ラベンダーアイスを買った。
1140富良野(快速狩勝)滝川1235
 行きと同じ道のりなので、車内に置き捨ててあった週刊誌(芸能もの)を読んで過ごした。
 最初の停車駅は芦別。北の京として観光地化が図られ、巨大な像が駅からでも見られるが、行きの特急でも下車した人はいなかった。ホームに出てきた駅員さんが、さみしそうにしていたのを覚えている。次が赤平。炭鉱の町として栄え、駅の横にも鉱山らしきトンネルがあるが、今は全て閉山。旧炭鉱町は、どこも寂れている。
1303滝川(特急ライラック12号)札幌1400
 特になし。くどいようだが、行きと同じ景色は本当につまらない。広々としていて、とてもいいのだけれど。何気なく見る。札幌から先、旭川から来た特急ライラックは、快速エアポートとして、新千歳空港へ行く。また、それとは別に小樽と新千歳空港を往復する快速エアポートもある。したがって、エアポートからエアポートへの乗換えをすることになる。
 通算4度目の札幌。札幌で駅弁を買う最後のチャンスなので、いくらが食べたいと注文して薦められた、石狩鮭めし(900円)を買う。
1411札幌(快速エアポート135号)小樽1444
 車内で駅弁をほおばりながら、景色も見る。市街を抜けると、海沿いを快走して、海水浴場の真横を通る所は景色が良かった。小樽では、4分乗換え。
1448小樽(函館本線2944D)長万部1822
 列車は山の中を走り、駅間距離が長い。小樽で満員だった車内が、数えるほどの人数になった所で、増結をした。人家が少なくなり、下校途中の高校生が歌い出すほどののどかさ。川を渡って、トンネルを抜けて、夕日が見えたら終点。3時間半。持ってきた菓子はほとんど食べてしまった。
時間があるので、駅から数分の所にある公衆浴場へ。北へ少し歩いて、矢印に従って、跨線橋を渡った所にある。新得に続いて2湯目。いつのまにか、温泉好きになっている。番頭のおばあさんから丸見えの脱衣場で服を脱いで、狭い浴槽に入る。パイプに穴を開けただけの打たせ湯もあった。数人の先客がいる。風呂から上がって、ぶらぶら駅まで歩くと、日も暮れ始め、どこかからは演歌が聞こえ、空にはからすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。跨線橋の上から、函館行きの特急が見えた。夕闇にライトが光ってきれいだった。
1938長万部(特急北斗19号) 札幌2150
 指定席が満席で座れずがっかりしたが、自由席の最前席は前面展望(「かぶりつき」という)が楽しめるので、もう真っ暗だったが、興じた。ずっと起きているつもりだったが、しだいに眠くなってきて、気付いた時には札幌到着のアナウンスが聞こえていた。
2209札幌(特急オホーツク9号)網走615
 この旅最後の夜行列車である。となりに帰宅客が座って、横になれなかったが、途中で降りてくれたので、いつものポーズで寝ることができた。




7月29日


 目が覚めると、すぐ北見についた。大幅な予定変更で、乗らずじまいの区間が多くなったが、後にもう一度来る時に都合のいい乗り残しを作ろうと、北見から先、無理に外を見て過ごそうとしたが、1駅過ぎた所でおちてしまって、再び目覚めた時には、すでに右手に網走湖が控えていた。無理はよくない。気分を入れ替えて、網走のホームに降りた。寒い。息が心なしか白く見える。待合室で気象情報(=NHK)を見ると気温は17.4℃である。指定券を駅員に回収されてしまい少しがっかりしていたので、朝食は買わず、ガムを1枚かじって形式的に朝食としておく。
 予定表どおりならば、今日は、北海道ちほく高原鉄道という鉄道に乗るのだが、出来るだけJRにこだわって、2日前に乗る予定だった、釧網本線に乗る。
642網走(釧網本線4725D)塘路929
 オホーツク海沿いに走り、原生花園を見ながら進む。向きを変えて海から離れると、ビート畑が広がり、その後山に入った。山間の駅で、行き違いをして、下って、平原に入ると、一面の湿原が待ち構えていた。釧路湿原観光の拠点、塘路に降り立つ。
雑誌によると、マウンテンバイクを借りられるそうだが、見当たらないので集落を歩くと、小さな女の子が、お母さんと、「お兄ちゃんはどこ行ったの。」「アレキナイの方だよ。」と会話をしていて、アイヌ語の地名が耳に残った。マウンテンバイクが無くて、困って駅まで戻ると、駅前で郵便局員がなにやら売っている横に、マウンテンバイクが数台並べてあった。
 駅舎内の喫茶店のような所のマスターに声をかけると、ここで借りられるらしい。早速1260円(2時間分)を払うと、ボルヴィック140mlのペットボトル1本と双眼鏡がもらえた。双眼鏡はレンタルだ。またがってみると、本格的で、サドルが細いのが気になる。走り出す。国道から折れて、湿原に挟まれた1本道を行く。途中から砂利道になって、凸凹のわだちが尻に響く。痛い。とりあえずタンチョウヅルの姿には目もくれず、快走する。ときどきやって来る車が砂ほこりを立てていく時は、怖いので、道の隅によけた。
 コッタロ湿原は釧路湿原の中でも奥まった所にあり、最古の湿原と言われている。急いだので30分ほどでコッタロ第一展望台についた。自転車を木につないで、階段を上がって振り返ると、見えた。うまくいえないが、素直な感動がある。眼下に広大な湿地が一面に広がり、双眼鏡をのぞいて自然愛好家になってみても、タンチョウの姿は確認できないが、満足である。来て良かった。
 1本道を更に先へ進んだが、一向に変化が無いので引き返し、今度はゆっくり戻る。空気がおいしい。途中、ツルの鳴く声を聞けたが、姿は見えず。時間があるので、サルボ展望台へ。ここは山を登ったところにあり、四方が見渡せる。ふもとに自転車を止め、ハイキングコースを登る。ここも絶景だ。塘路湖畔には、キャンプ場が見える。小さな沼がいくつもあって、見ていて飽きない。
 こうして2時間弱、大自然を肌で感じ、駅に戻った。双眼鏡を返して、余ったボルヴィックを飲みながら、置いてあった資料を読んで過ごした。駅にはしだいに、人が増え、観光バスもやってきた。お目当てが、ノロッコであることに間違いない。マスターから、また違う季節にきてくださいと言われ、そうしたいものだと思った。
1207塘路(釧路湿原ノロッコ3号) 釧路湿原1229
 時速30kmほどで、のろのろ走るのが売りの観光列車だ。満席になって、ゆっくり発車した。車窓の湿原をじっくり見せてくれる。乗車記念のしおりを貰い、ガイドが始まって、いっそう観光列車っぽくなる。ことことと気動車に引かれたトロッコは、風を受けて進む。20分ほどで、釧路湿原駅に到着。釧路湿原で最も有名な、細岡展望台(大観望)へ登る。やはり堂々としていて、ここの景色が一番だと思う。観光客が多いが、小さい子供は、ただのピクニックぐらいにしか、受け止めていないようだ。
1258釧路湿原(快速しれとこ) 釧路1316
 釧路湿原ともお別れ。ノロッコに比べると速さが実感できる。町に入ると釧路。釧路では、かにめし(駅弁:810円)を買った。それほど有名ではないが、カニの煮汁で炊いたご飯がおいしかった。発車までに食べ尽くした。
1358釧路(花咲線5635D)根室1609
 一山越えて、別寒辺牛湿原を横切る。釧路湿原に比べこの湿原が知られていないのは、釧路市からの距離の差が原因だと思う。俯瞰しないと比べられないが、負けず劣らずのはずである。ムツゴロウがいる浜中町を過ぎて、サイロが点在し始めると、道東らしくなる。ちょっと居眠りをして、終点の根室には2時間ほどでついた。最東端は一つ手前の東根室なのでとりわけ感慨は無いものの車止めを見ると、「やって来た」感じがしていい。わずか8分で戻るのが惜しい。記念入場券を買った。
1617根室(5640D) 釧路1831
 東根室で運転手に一言言って、列車を止めてもらい、写真をとった。コーヒー牛乳を飲んで、居眠りした区間の景色もしっかり見てぬかりなし。エゾシカに遭うのを期待したが、あえなかった。終盤は退屈したが、どうにか釧路に戻ってきた。ハンバーガー(自販)とドーナツを夕飯として、YHまで歩きながら食べた。そろそろ財布の中身の心配が必要になった。若干の危機感がある。
 駅の北東にある星の牧場YHに泊まる。同室したのは、九州からフェリーを二つ乗り継いできた四人組。風呂上がりに、ロビーにあった知恵の輪と格闘したが、負けた。




7月30日


 今日で北海道フリーきっぷの期限が切れる。もう、一週間以上旅をしているが、ホームシックにはならなかった。いろいろな事があった。いろいろなものを見た、食べた、そして買った。で、買いすぎて財布はかなり軽い。しかたなく、靴の中に忍ばせておいた5000円札を使うことにした。このお金は、母親が内緒で入れてくれたもので、新得温泉の悲劇のときに、タクシーで帰りなさいと電話で言われて知ったものだった(タクシーには乗らなかった)。結局のところ、26日の宿泊が予定外で金欠になって、とうとう非常用に手を伸ばしてしまったのだった。
 駅まで20分弱歩いて、駅で朝食を買って、列車に乗り込む。
739釧路(特急スーパーおおぞら2号)南千歳1101
 約3時間半の行程なので、コーヒーを飲んで、居眠りしないよう備えておいた。列車はカーブを走る時に車体を6°傾ける振り子式なので、カーブでも減速なしで突っ走る。海が見えたり、ジャガイモ畑を見たり。速すぎて分からない景色もある。口寂しくなったが、菓子は昨日食べてしまったので、大地鳥ジャッキー× 大地鳥ジャーキー〇 を買ってみた。JR北海道オリジナルだそうで、大地鳥とはダチョウのこと。新得を過ぎ、新夕張からは既乗車区間に入る。竜仙峡の水量もずいぶん減った。
 南千歳は千歳空港の最寄り駅として開業したが、さらに近い新千歳空港駅が出来たために、今はただの乗換駅でしかない。駅の周りには何もなく、誰もいない、空港へと続く広く長い通路があるだけ。サーモン寿し(駅弁)を買った。金欠のくせに食には豪華に使う。
1126南千歳(特急スーパー北斗10号)東室蘭1214
海と牧場に挟まれて、一直線のレールを走る。東室蘭は町外れで、市街へは、ひげ線が伸びている。
1224東室蘭(室蘭支線4452D) 室蘭1238
 車の多い幹線道路に沿って、半島の先へ行く。室蘭駅はきれいで、駅改修のためにひげ路線の先端を短くした所など、夕張駅に似ている。
1252室蘭(4453D) 東室蘭1306
 すぐに戻る。車内で、サーモン寿しを食べた。
1342東室蘭(特急スーパー北斗12号)大沼公園1515
 まだ噴煙を上げている有珠山が見える。線路は6月に復旧したが、閉鎖されている道路があるらしい。この特急は、特急停車駅である、長万部、八雲、森をも通過する超特急。5°傾く振り子式で、とにかく速い。左手に海が迫ってきた。どこかで見た景色だなと思ったら、上陸初日の早朝に寝ぼけ眼で見た海だった。あの日はもう5日前なのだと思うとすごい。駒ケ岳の西側を通って、大沼公園に着く。
1521大沼公園(特急スーパー北斗13号)森1537
 大沼公園は観光地で、人が多い。橋から見た大沼は、向こうの駒ケ岳と並んできれいだ。特急で1区間戻る。自覚は無かったが、これが北海道最後の特急となった。
森では有名な駅弁「いかめし」を買った。何年か前に、3匹入りで360円と紹介されていたが、470円でしかも2匹しか入っていなかった。今や、デパートの駅弁大会のほうが売れるのではないだろうか。なんとなく駅前の坂を登り、丘に上がってみた。駅の真横が海なので、高台からだと遠くまで見渡せられる。
駅に戻って、車内で待っていると、向かいのホームに北斗14号が入線してきた。何の気なしに見ていると、来た。上陸初日に留萌から新得まで一緒だった彼が、いかめしを買った後、笑顔でこっちに来た。感動の(?) 再会である。新得で別れた後、彼の乗った札幌行きの特急は、雨で2時間以上遅れ、結局、僕の乗った特急と10分ほどの差だったらしく、苦労したようだ。一方の僕も、無駄骨ハイキングをしてしまったが。また、今年のラベンダーは雨が多いせいで、色が悪く、本当はもっときれいだと教えてくれた。しばし、話は尽きなかった。
1616森(砂原回り5884D)函館1743
 今度は、駒ケ岳の東側をぐるりと周る。雑木林の中に入ると霧が出てきて、視界にやや支障をきたした。大沼の東側から、夕日が反射する湖面が見える。山をぐうっと下って、函館平野の向こうに函館山が小さく見える。彼は、七飯でJR北海道全線完乗を果たした。口には出さなかったが、心の中で、おめでとうを言った。僕もいつかは、この味を味わいたいものだ。
 本来なら、(七飯1727-1747大沼公園1810-1831函館)という行程で、この付近の8の字になっている路線を全て乗る予定だったが、そのまま函館まで乗り通してしまった。いつのまにか、完乗に固執することがなくなっていた。これは大きな転機だと思う。
 函館に着くと、彼は、ナイトクルーズ漁火号(快速)に乗るようだ。一度全ての路線に乗ると、次には、いろいろな車両に乗ること、たくさんの駅に降りることに目を向ける余裕が出てくる。それが、本当の楽しみのような気がする。時刻表に取り付かれている様では、まだまだなのだ。僕は、改札を抜けて、市電にでも乗ろうかと思う。もう二度と、彼には会えないだろう。
 函館は3年ぶりになる。この旅の発端ともなった、3年前のあの日、「はまなす」で北海道入りを果たし、函館で下車(深夜1時半ごろ)。そのままホームの待合室で、一晩を明かしたが、朝になっても「はまなす」はそのままだった。大雨で、線路が水没した区間があって、「はまなす」は身動きが取れなくなっていたのだ。今考えると、運休したのは海に近い森駅のあたりだったと思う。結局、北へ進めなくなり、あえなく本州へ引き返した。要するに、今回の旅は北海道へのリベンジだった。勝負に勝ったかどうか自信は無いが、満足している(それより、最大の敵は雨である。)。駅前の様子は3年前と変わらなかった。あのときは朝だった。今はもう日が傾いている。懐かしい。昨日のことのように思い出された。
 バスターミナルの案内所で、回数券(1000円:1080円分)を買った。夕方なのに、旅行者には一日乗車券を売ろうとするから困るものだ。駅前から路面電車に乗る。繁華街を抜けて、同社のバスと競争しながら、東へ針路を取る。終点、湯の川は温泉街で近くには高級ホテルがいくつもある。薄暗い100円ショップの前にあった50円の自販機のお茶を飲んで、一区間歩いて戻る。湯の川温泉電停から谷地頭行きに乗って戻る。函館駅前から南へ進み、函館山のふもとで終点。ここにも温泉があるらしい。上のほうに、函館山のロープウェイが見える。もう真っ暗で、今ごろは俯瞰した夜景がきれいなのだろうと想像したが、お金が無いのでロープウェイには乗ることができない。二区間歩いて、函館YGHに着いた。YGH(ユースゲストハウス)は、YH(ユースホステル)よりもグレードが高く、部屋もきれいで、宿泊費が高いのが特徴。今日の朝に靴から出てきた5000円を出したら、たった275円しか返ってこなかった。
 道の向かいにあるスーパーで惣菜を買って食べたら、おいしくなかった。コンビニを探せばよかったと後悔した。ぶらぶら歩いて、海のほうへ出てみると、沖合にイカつり漁船の漁火が光って、夜空を明るく照らしていた。近くに倉庫街があって、怖いお兄ちゃんたちが集まり出したので、声をかけられないうちにそそくさと退場した。
 YGHに戻ると、アイスクリームの無料サービスが受けられるそうで、何種類かあるうちから、とうもろこしアイスを選んだ。珍しいと思ったが、よく考えれば、コーンポタージュを凍らせたようなものだ。他の宿泊客の話を聞きながら、おいしくいただいた。部屋に戻って、同室の二人とテレビを見ているうちに眠たくなった。部屋の電気を消す面倒が無いので、こういうとき、相部屋というものは良い。




7月31日


 7時に部屋を出て、北のほうへ数分歩く。十字街から、市電の乗り残した区間を乗る。よく紹介されているきれいな坂道がいくつも見えた。終点の函館どっぐ前は、造船所の前。近くを歩いてみると、漁村のような雰囲気が残っていた。
 函館駅前まで戻る。昨日から合わせて、910円分使ったことになる。駅で家へのみやげを買って、ホームに向かう。ドラえもん目当ての子供たちが多いが、歩くのが遅いので、すいすいと追い越す。
804函館(快速海峡[ドラえもん海峡列車]2号)青森1043
 車体にはキャラクターが描かれ、通路や吊りかけ広告まで、ドラえもんだらけ。編成の中間には、ドラえもんカーが連結され、ここでは靴を脱いでテレビを見たり(もちろんドラえもん)、関連グッズを販売したりしている。列車は海沿いの集落を通る。青函トンネルに入ると景色はどうでも良いので、ドラえもんカーへ行ってみた。車両の連結部は、トンネルの轟音で耳が痛いほどうるさい。ようやく着いてみると、ドラえもんがいたので、たたいてやった。車両の一角がカーテンで仕切られ、そこに入っていくドラえもんは滑稽だった。
 50km以上の世界一長いトンネルを出て、数日振りに本州に戻ってきた。温度変化で窓ガラスに露が付く。景色はやはり北海道とは違っていて、新鮮だ。
1125青森(東北本線1530D)三沢1325
 ホームでうどんをすすって、発車までの時間は車内で過ごす。乗客が多い。
 発車すると、疲れていたらしく、窓にもたれて寝てしまった。目が覚めると、腕にびっしょり汗をかいている。窓を開けて、夏の風が吹き込むと心地いい。
1331三沢(特急スーパーはつかり16号)八戸1343
 今日は函館から青春18きっぷを使用しているが、乗り継ぎの関係で、特急に乗る必要がある。乗車券と特急券を車内で買った。黙っていればただでも乗れそうだ。指定席者は満席だが、自由席の客は数えるほどである。特急慣れをしてしまって、特急に乗るのに抵抗が無いのが怖い。ほんの数分だった。やっぱり速くて良い。
1348八戸(572M)盛岡1535
5分の乗換えで、すぐ発車した。
こうして東北本線を乗り継いでいると、時間が無為に過ぎていく気がする。東北本線は景色に変化はなく、僕にとっては、北海道へのアプローチに過ぎない。早く次の駅に着け、などと、悲しいことを考え始めてしまった。決してホームシックではない。無責任にも、飽きてしまったのだった。正直、どうでもよかった。北海道旅行は、すでに終わっていた。
1557盛岡(1546M)一ノ関1736
 ホームでハトを追いかけた。かわいいのでついつい追いかけたくなる。
1801一ノ関(544M)仙台1933
一ノ関のホームの弁当屋さんは、今日も声を上げていたが、みんな足早に階段を上がっていく。見ていると買ってあげたくなるが、1012円しか持っていないので、そういうわけにもいかない。
すっかり日が暮れて、仙台に着いた。帰宅ラッシュだ。僕はもうくたびれた。ゆっくり歩いて時間をつぶす。
仙台(仙石線)あおば通
 今日のラストは地下区間の新路線。何分発の列車か定かではない。1分もたたないうちに到着。駅を出ると、目の前が仙台駅なのだからおかしなものだ。
 名古屋まで夜行バスで帰る。切符は出発前にあらかじめ持っていた。乗り場は、24日に駅弁を買ったついでに、案内所で訊いておいた。歩いて行っても時間が余る。ラーメンとギョーザが、税込み273円だったので喜んで食べた。宮城交通バスセンターのテレビを見て待った。テレビなら昨日も見たが、久しぶりに見た感じがする。
 21時過ぎに、バスセンターの前にバスが到着。腹にリュックを入れて、21時30分発車。




8月1日


よく眠れずに、早起きした。夜行バスは本来、独立したシート(レガートシートという)なのだが、僕の座っている最後尾だけは隣とくっついていて、普通のバスと変わらない。ほとんど横になれるほど背もたれを傾けられるレガートに比べて、傾けられない。独立シートで無いので狭い。ひどいものだ。階下のトイレに入ってみた。窮屈でしにくい。バスが止まった。中央自動車道の内津峠PA(パーキングエリア)だ。もう愛知県内である。外の空気は、早朝の山だけあって、すがすがしい。
車内にコーヒーがあったので、眠気覚ましのつもりで、作って飲んでみた。しかししだいに気分が悪くなって、車の振動で酔い始めた。我慢していたものの、市内に入って、名古屋駅が見えたところで、戻してしまった。7時20分、やや早着で名鉄バスセンターに着くと、ビニール袋をゴミ箱にぶち込んだ。不愉快だ。他に頭の中にあったいろいろな鬱積をも、ゴミ箱に投げ込んでしまいたくなった。
父さんが会社に行く途中なので、来てくれた。ただいまをいった。地下鉄とバスを乗り継いで、家に着いたのは9時前。やけに晴れた日だった。僕はこの地方の蒸し暑さにうんざりした。毎年味わっているものなのだが、体が北海道の夏に慣れてしまったので、今年の夏は苦労しそうだ。


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