Two is the beginning of the end 第1話~第21話

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【第21話 腹ふりふり腹 「召し取ったり」  2004.2.29(日)】

 そこにあるのはリズムだけ、ビートだけ。ビートだけ。ビートだけ。ビートだけ。
 ビートだけ。
 ビートだけ。
 ソナチネ。
 ベネチア。
 打ち上げろ Ha-Na-Bi, Ha-Na-Bi... For Dream.
 KISS RETURN
 キッス・リターン
 世界の北野
 足立区のたけし

 そこにあるのは風『22才の別れ』、そしてキビト、SOPHIA『街』のお屠蘇、れだけで良かったのに。そこにあるのはリズムだけ。ビートだけ。ビートだけ。ビートだけ。ビートだけ。
 雲仙普賢だけ。鳥山明先生の作品が読めるのはジャンプだけ。

 ダンケ・シェン。シェン選手。シェン論。神龍。しんりゅう。オルテガを生き返らせる。
 タッカラプトポッポルンガプピリットパロ。
 リリパット。

 ももんじゃ。

 だから旅立つジャッキーの手はほんの少し震えてるけど、本日の夜行列車で故郷に帰ることにしたみたいだ。
 ジャッキーが旅に出ている間は作者も取材のためついて行かざるを得ないのでしばらく休載。
 代理で弟子の矢崎隆雄くんに日刊小説を書いてもらいます。

      青春とその瓦解のウォー~雲殺しの少年、月へ行きたいと思う~

【第20話 町(田+蔵)  2004.2.28(土)】

 僕は当て所もなく、運次第の、着の身着のままな毎日の中でいつでも喘いでいる。
 明日からのことなんて考えたくもないし、ましてや昨日のことなんて、遠い昔のそれまた昔。溜息混じりの煙を吐ききって、手にした煙草を投げ捨てたら、「くだらねえ」と呟いて、醒めたつらしてまた歩き出す。飛べない鳥のように。
 そんな自分をたまらなく愛おしく思った。


 とりあえず今日も無意味にタウリンを摂取する。鐘が鳴り出すと同時に、100ミリットルを一気のみ。
 「まったく。ミリリットルなんていう言い方は、言葉の無駄遣いなんだ。ミリットルでいいじゃないか。節約をしよう。節約を」
 いつでも僕はいつも悪態をつく。昼食はこれでお仕舞い。いつもの通り教室を出て、図書室に向かう。いつもと同じ席に座って、鞄から新書本を取り出して読む。
 しばらく読み耽っていると、二つ上級の先輩が入ってきた。よく頭が回って、知識も豊富で、ユーモアがあって、僕と同じように目立ちたがり屋で、じっさい目立っていて、人気もあるけど、その代わりに敵も多い。友達は少なくないはずなのに、時折彼の教室の前を通ると、たいていひとりで席に座ってぼうっとなにかを考えているような風をしている。なんだか不思議な感じ。
 ちょうど僕のように、彼も昼休みには毎日のようにここへやってくる。クラスに居づらい理由でもあるのかもしれない。ちょうど僕みたいに。かなり液腺鳥シティの高い人だから、人が寄りつかないのだろう。ちょうど僕みたいに。
 「やあ、ウェルズ」
 声をかけてきた。急いで読んでいる本を仕舞おうかと思ったけど、遅かった。
 「なに読んでるの」
 仕方ない、正直に白状するしか。
 「鈴木孝夫の『ことばと文化』です」
 先輩はにやあっとして、
 「僕も読んだよ。去年だったか、一昨年だったかに。うん、いいね。高校生が背伸びをして読むには、うってつけの本だ」
 自分だって高校生のくせに。僕はこの人を尊敬していた、しかし。嫌悪もしていた。アンビバレントな感情。
 「そうですか。おもしろいですよね」
 「うん。面白い。僕も鈴木孝夫は好きだな。何がって、顔が」
 鈴木孝夫の顔なんて僕は知らない。
 「へえ。どんな顔なんですか」
 「なかなかダンディだよ」
 坂野みたいな顔か。なるほど。
 「『日本語と外国語』は読んだ?」
 「読みました。これよりも前に」
 「『武器としてのことば』ってのは?」
 「読んでいません」
 「あ、そ。僕も読んでない。持ってるけど」
 持ってるからなんなんだ。こういうのは権威主義とかいったりしないのかな。
 「あ、『武器としての笑い』ってのは読んだよ、だいぶ前に」
 「鈴木孝夫ですか、それも」
 「ぜーんぜん。飯沢匡って、戯曲家の」
 「あ、そうですか」
 「なーんかこの鈴木孝夫って人は攻撃的だよねーなんだか。まあ、研究者ってのはそういうもんなのかもしんないけど」
 僕はそんな感想まったく持たなかったけど。この人は僕よりも頭がいいし、二年も長く生きているのだから、きっと僕なんかとは違った読み方ができるんだろうな。
 はは。
 くだらねえ。
 「そーいやロバートも言ってたよ。高校時代は背伸びして岩波新書とか読んでカッコつけてたって。時代は変わってもやってるこたあ一緒なんだよね。ホントに。」
 ロバートというのはこの学校の英語教師の名だ。京大を出てる。
 「で、大学に入ってみたら中公新書とかガンガン読んでる連中がざらにいて、自分の世界の小ささを知った、みたいなこと」
 所詮は新書なんじゃないか、人のこと言えないけど。目くそ鼻くそを笑うというのだ、そういうちっぽけな、醜い争い。
 「まあねえー。所詮は新書なんだけどね。レベルがどうこう言うつもりはないけど、まあどんぐりの背比べっていうか」
 僕はなんだか悔しく思った。
 「僕が思うにさ、この《どんぐりの背比べ》っていうことばは、《目くそ鼻くそを笑う》ってことばと同じじゃないような気がするんだよね。要するにさ、目くそ鼻くそってのは、どっちも汚いから罵りあったって意味ないみたいな、五十歩百歩的なことばでしょ。どんぐりの背比べってのは違って。つまり、どんぐりの背丈はどれも一緒だから比べても意味ない、とかってことじゃなくってさ。思うに、おもへらくね、どんぐりが背比べをすること自体がナンセンスだって言ってんだよね、きっと。」
 いちいち「おもへらく」とか言い直すな。教養主義者。
 「こーゆーのってディスコンストラクションとかいうのかねえ、いわねえか、さすがに。どう思う?」
 そんな用語を使われても僕は知らないし、「こーゆーの」ってどーゆーのだっけ。聞き漏らしてた。はは。
 「でねえ、こないだの文化祭が我が校にもたらしたのは何かっていうと、それはつまり山口昌男の言うところの…」
 カッコつけなんだ、全ては。この人の全ては。中身なんて何もない空疎なもんだ。僕にはあなたのそんな気持ちがよくわかる。なぜって、僕が目指してるのはきっとこういうことなんだ。僕の未来はこれなんだ、きっと。吐き気がする。嘔吐。嘔吐。桜桃。なに、後輩よりも、その先輩のほうが、優れていて、かつ、醜いのだ。醜い、本当に。
 そして将来の僕は、醜い。確実に。
 「そーゆー意味でカーニヴァル的な色彩が濃厚にあったわけですよ、ほら校長のあのバニーガール姿が象徴しているみたいにさ」
 くだらない。けどこの人は凄い。だけど彼は二年も先輩だ。卑怯だ。姑息だ。僕に、後輩にこんな話を聞かせるのは。
 「ま、ついでに話しておくと、プロメテウス・コンプレックスっていうのがあってね。《知ること》によって父親や師匠を乗り越えるっていう。フロイトのいう父親殺しっていうのとはちょっと違うんだけどね。あくまでも知性によって乗り越えるんだ。フロイトでいえば《知性化》に近いんじゃないかな。ある程度の理論的背景と、確実な論理的裏付けが必要なんだ。そういうものによって、自分はこの人を越えたんだって無理矢理認識するわけよ。相手の全てを知り尽くして、精神的に相手の優位に立つこと、まあ思いこみなんだけどね、それでその相手、父親だとか師匠だとか、あるいは先輩だとかね。そういったものを《殺す》。今、君が僕に対して必死になってやっている作業、そのものだよ。いや僕にも経験があるからね。是非とも早いとこ殺してくれ。ハハハ。とりあえず夏目漱石全集でも読破したらどうかな。谷崎潤一郎訳の源氏物語とか、ギリシャ悲喜劇とか。カフカ君みたいにね」
 絶句。
 「僕がこうやって『海辺のカフカ』を引き合いに出すだろう?そしてこき下ろす。このことはもちろん、例のプロメテウス・コンプレックスってやつと無関係じゃないんだよ。僕は村上春樹が割と好きで、言うなれば彼は僕の師匠だったんだな。それで『海辺のカフカ』もこの図書館で借りて読んだ。そしたらわかっちゃったんだな。色々なことが。それが正しいか正しくないか、真実かそうでないかは横に置いて、とにかく僕は知り尽くしてしまったわけだよ、その瞬間に。師匠の全てをね。これが僕の殺人の経緯。殺したその瞬間、のお話。村上龍なんかについても同様の作業をした。宗田理とかもそうかもしれないな。だいぶ昔の話になるけど。そうやってどんどん殺していって、感動をなくしていくんだね、人間は」
 やがて鐘が鳴り、先輩は満足げな顔(僕にはそう見えた)をして帰っていった。僕は司書さんに怒られるまでそこに座って、考えていた。何をって、先輩の喋った内容なんてもう忘れちゃった、っていうか、ほとんど聞いていなかったから知らないんだけど、いろいろと考えていたんだ。本当だよ。本当に色々考えてた。



 その日、ジャッキーは家に帰ると、かつて気紛れで購入した、ろくに開いてすらいなかった『日本語と外国語』という新書本を通読した。



 そうだ、僕はこんなことを考えていたんだ。「新書本、って言葉の無駄遣いじゃない?《新書》だけか、あるいは《新本》でいいんじゃない?怪談話って、言葉の無駄遣いだよね。《怪談》だけでいいでしょ?しゃべりすぎなんだ。全く、世の中、いらないものが多すぎる。本当に」
【第19話 ノース・モーキング・エリア  2004.2.27(金)】

 「あああ!吉永小百合と結婚がしたい!西田ひかる(ただし私の№1歌ってるとき限定)と結婚がしたい!小泉今日子(ただしやまとなでしこ七変化歌ってるとき限定)と結婚がしたい!広末涼子(ただしmajiでkoiする5秒前歌ってるとき限定)と結婚がしたい!釈由美子(ただし「おゆきなさい」って言ってるとき限定)と結婚がしたい!」
 それがジャッキーのささやかな夢。

 夢見るジャッキーは歌う。
 「今までひとつも、いいことなんてなくて。自分のこと誰も、わかってくれないし。何かをするたびに、うまくいかないし、不器用な自分が悲しくて泣いてた。でも、でも…あなたと初めてあってから、ただただ私の何かが変わった。」

 そして空想をする。



 あたしはずっと狭い部屋の中で育てられた。そこには何もなかった。たださみしさだけがあったらしい。でも、あたしは世の中に「世の中」というものがあることを知らなかったし、ましてやその中に、さみしさ以外のものが存在しているなんて、思ってもいなかった。さみしさっていう言葉を知ったのも、ほんとうにごく最近。
 そう。あたしはなんにも気づいてはいなかった。同じように、その部屋の中に扉や窓があったなんてことにも。
 あの人はいつもなんにも言わずに、“ああいう”ちいさな窓から忍びこんできた。あの人が帰ると、窓が消えた。その代わりに、あたしには扉が見えるようになった。部屋の小ささも知るようになった。あの人が部屋の中にいる間だけ、“あの”ちいさな窓から、外の世界が少しだけ見えた。
 窓から見えるのは、新鮮で見馴れないものばかりだったけど、ふと気がついて部屋の中を見渡すと、たいていのものはそこにあった。知らなかっただけなんだ。
 「お願い、でていかないで。ずっとここにいて。窓が消えちゃう」
 あの人はきまってこう言う。
 「何も消えやしないよ」
 やさしく微笑みかけて、あたしにとてもうれしいことをしてくれたあとに、やっぱり部屋を出ていくと、いつものとおり、窓は消えた。
 「どうして?」
 声はむなしく部屋の中にひびく。
 「どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?」
 胃袋からすべての声がでていって、とたんにおなかがすいてきた。
 あたしは思う。もしもこの世に、たべものがなかったら、あたしはきっと、一生おなかをすかせないでくらせるんだ。でもその代わり、おいしいものがなにもたべられない。いったいどっちがいいんだろう。あたしにとって。
 おなかが鳴る。なにかたべたかったけど、たべるものがない。そうだ。もともとこの部屋には、たべるものなんてなかったんだ。



 ある日ジャッキーは女の子とにゃんにゃんしながら考えた。
 「うーん。こりゃあ、いいもんだ。いいもんだ。非常に。快い。人生とは、巨大な空想と“にゃんにゃん”だ!」


 だんだん壊れてきたな。と、誰ともなく思った。

【第18話 烏論者  2004.2.26(木)】

 「鉛筆を転がして決めたらいいんだよ。どんなことだって」
 ジャッキーは淡々と言い放った。
 「ええ。そうね。確かに、あなたにとっては他人事だわ。でも、」彼女はため息をついて髪をかき上げた。「あたしにとっては、一生を左右する問題なの。」
 「知ってる」
 「鉛筆を転がして運命を決めるなんて、後悔するのはわかりきってるわ」
 「鉛筆で書かれた運命だったら、消しゴムで消せるよ」
 「側面で文字が書ける?転がして文字が」
 「冗談じゃないか」
 「恋人の死活問題に冗談を持ち込むなんて、あんまりハードね。ハードすぎるジョークだわ」
 「後悔するのはわかりきってるって言ったっけ」
 「ええ。そうじゃない?」
 「鉛筆だから?」
 「万年筆でも同じ」
 「転がらない万年筆もあるんじゃないかな、でっぱった部分とかがあってさ」
 「ふざけないで」
 「ふざけてるかな」
 「ハードなオフザケよ」
 「鉛筆は消せる。そして転がる。万年筆は消せない。そして転がらないこともある」
 「なにが言いたいの」
 「別になにも」
 「さっき言いかけたことは?」
 彼女は明らかに苛立っていた。まいったな、とジャッキーは思った。
 「鉛筆を転がして決めたら必ず後悔するって言ったね」
 「ええ」
 「それって、鉛筆を転がして決めたことをあとから言い訳に利用することを前提にした考え方だよね」
 「どういうこと?」
 「どうでもいいことだよ。ただの自己満足だ」



  ファッション・ホテルの一室。白くて大きなベッドの上で;
  「その先生はこう言ったの。『息を吐くだろ。そしたら、吸うだろ。だから生きてるんだな』って。」
  ジャッキーはあのときアン・ブロンテの語っていた言葉を思い出していた。
  (やっぱりそうだ。鉛筆を転がして決めたらいいんだよ、なにもかも)



 ちょっとした沈黙の中で、カップに残ったエスプレッソを飲み干すと、囁きかけるようにジャッキーは再び口を開いた、
 「それは本当に“人生を左右する問題”なのかな。ねえ、息を吐いてみて?」

【第17話 画伯が吐く蛾吐く画伯  2004.2.25(水)】

 コヂンマリとしたカラオケボックスに彼らはいた。
 慎重に、慎重に。選び抜かれた一曲一曲を着実に歌いこなす。盛り上がる。盛り上げる。
 そしてそれは義務。

 時折は失敗をする。無駄にはしない。次に活かす。
 できる限りみんなの知っている曲を。みんなが盛り上がる曲を。
 「最大公約数的な」選曲を。
 ちっぽけな密室の共同体で求められるルール。秩序。

 集合同士の重なり合う部分。
 それだけが許される。

 成員の「集合」を見極める。ポップに走る。趣味を切り捨てる。

 世界の重なり合った部分で。
 その中でだけコミュニケーションをする。だましだまし。

 暗黙の了解が支配する。仲間という名の限られた空間で。
 彼らは互いに顔色を窺って、洋楽と演歌を使い分けて。

 ジャッキーはふと思う。
 世界は巨大なカラオケボックスのようだと。

 「おっ。次誰だ?」
 「あ、おいらおいら。」
 「いよっジャッキーさま。」

 ジャッキーはマイクを握り、歌う。
 「名刺代わりにあなたがぁ~ くれたマッチ箱ぉ~」

 「次だれ?」
 「おいらおいら」
 「またジャッキーかよ。」

 ジャッキーはマイクを握り、歌う。
 「見えるだろうーこのまちだいすきー」

 「何億光年の彼方へも、突撃ラブハート!」

 「疾風のようにザブングルザブングル」

 「ガガガッ」

 「ロンリー誰も」

 「ジガジグアッ」

 「大好きッあっ」

 「余計な~物」

 「大~きなのっ」

 「バ~ラが咲」

 「majiでk」

【第16話 僕とともに聴こう ユズエン(ゆぞ新アルバム『ユズエン2』より)  2004.2.24(火)】

 赤くて高い(値段も、ヒールも)靴を履いた彼女はジャッキーの目の前でぷかあっと紫色の煙を吐き出しながら、言った。指先は蝋でできているみたいだった。
 「ほら。松屋に“豚めし”というのがあるじゃない?」
 辟易しながらジャッキーは答えた。「ああ、うん。そうみたいね。」
 「“イタめし”がイタリア料理なら、“ブタめし”はブタリア料理なのかしら?そこのところははっきりさせておいたほうがいいわね」
 「ごめん。トイレに行ってくる。」
 ジャッキーは店の奥にあるトイレットに行き、吐いた。何度も何度も、嘔吐した。
 どういうわけか、彼には彼女の口にする話題が全てあのような、松屋のブタめしが云々といった陳腐でチープでちっぽけなもののように聞こえたのだ。
 (気持ちワルい…もう、これ以上は。)
 ジャッキーは席に戻り、彼女のふかしている煙草に目を向けた。
 「それで、豚めしの話なんだけど」
 「もういいよ」ジャッキーはうんざりした。
 「どうしたの?」
 「松屋の豚めしの話はもういいじゃないか。何度も聞いた。疲れたよ」
 「松屋の豚めし?」
 「もうやめてくれないか。松屋の豚めしのことを話すのは」
 「ちょっと待ってちょうだい。誰が松屋の豚めしの話をしたっていうの?」
 「さっきからずっと、君がしてるじゃないか」
 彼女は明らかに気分を害したように見えた。
 「あたしが?」
 「そうだよ、君はさっきから、松屋の豚めしのことばかり…」
 「ばかなこと言わないで!」
 激昂していた。「どうしてあたしが、松屋の豚めしの話をしなくちゃならないの?」
 「だって、現に…」
 「もういや。あなたさっきからあたしの話に上の空だったと思ったら、本当に何も聞いていなかったのね」
 「え…」
 「さようなら」
 言い残して、彼女は店を出ていった。
 ジャッキーは、自分が本当に彼女を愛しているのかどうか、いぶかりはじめていた。

【第15話 阿福ヘアー  2004.2.23(月)】

 自分より若い者の粋がっている姿。見るたびにジャッキーは桜桃をつまみ、極めてまずそうに喰っては種を吐き喰っては種を吐き。
 なに、後輩より、その先輩のほうが弱いのだ。

 鏡を眺めてチョコレートを頬張っていると、もう何もかもが嫌になってくる。
 恋をしていることに気づいたりだなんて、こんな年になると、もうない。
 光る喜びも抱けない。
 セマンティックな意味を越えられやしない!

 もちろん、彼のいう「鏡」には二重の意味があった。いま目の前にある小さな鏡と、いま目の前にある、社会。共同体。人の海。人間。

 ジャッキーは鏡を見つめていた。
 「こんなままじゃ、出られやしないんだ。ここから。」

 だから彼女を、抱いてしまう必要があった。
 見えない線を越えてしまうこと。真実を映さない鏡を、手に入れてしまうこと。
 境界領域を曖昧にしてしまえばいい。でも

 忘れられない!離れやしない!
 彼女を抱いているときでさえ、彼は鏡を見ているような気分になるときがあった。
 いっそう力が入って、困らせてしまう。

 「愛してるんだ。」
 ごくごく自然な黄金の言葉。
 もっと絡まれ、もつれろ僕の舌。
 そして溢れろ僕の涙。
 僕の威厳のために。

 (なんで…生きてるんだ?僕は)

 ジャッキーは再び、ジェームス・ディーンのロゴとスチールの入った鏡を見つめる。
 眉を撫でつけては呟く。
 「自分の瞼すらも自由にならない。髪の毛は意に反して抜けていく。胃の中で何が起こってるか、僕は知らない。」

 それでジャッキーの感傷的な夜は更けていく。

【第14話 ベイ(サイド+ビー)  2004.2.22(日)】

 「知ってるか?くさりは久美沙織の略なんだぜ?」
 「ふうん。アホ猿はあかほりさとるの略だってのは知ってたけど。」
 「ほら、ドラクエにくさりかたびらっての出てくるじゃんか。」
 「ああだからドラクエの小説書いてるわけね。」
 「その通り。」
 「ところでさあ。」
 「なに?」
 「中に出していい?」
 「だめ。」
 「もう遅い。」
 「死ね。」
 「産め。」

【第13話 ねじジャッキ鳥クロニクル  2004.2.21(土)】

 ジャッキーは煩悶していた。遅く起きすぎた寝床の上で輾転反側、彼は悩んでいる。思春期だ。崩壊だ。コラプスだ。

 (僕はいったい誰なんだ。)

 (何のために生まれて…)

 (何をして生きるのか?)

 (答えられないなんて!)

 (そんなのは、嫌だ。)

 最初の分裂は高校に入学したときだった。少年は「ジャッキー」と名付けられ、次いで「ぞね」とも呼ばれるようになった。
 はじめての友達は彼のことを、「きーくん」と呼んだ。

 (おまえは、誰だ。)

 「…」

 (誰だ。)

 「…」

 (ああああう!)

 とても耐えられない!ジャッキーは押入を引っかき回して古びた辞書を発掘した。

 (これなら…?)


 じゃっき じやく― 【弱起】 旋律や楽曲が弱拍、すなわち小節内の第一拍目以外の拍から始まること。⇔強起
 じゃっき じやく― 【惹起】 (名)スル 事件や問題をひきおこすこと。「尽る期なき滑稽の葛藤を―せり/即興詩人(鴎外)」
 ジャッキ [jack] 人力で操作し、重量物を持ち上げる器具。ねじ・歯車・水圧・油圧などを利用する。押し上げ万力。扛重機(こうじゆうき)。

 ■機械製図 機械電気製図の知識をもとに、機械要素の手書き図面の制作や機械器具等の設計をした後、設計計算書や手書き(ドラフラー)よる部品図、組立図を作成します。 ・軸受の図面・歯車式ねじジャッキの設計・設計計算書の制作 ・歯車式ねじジャッキの部品図・歯車式ねじジャッキの組立図

 ねじジャッキの製作. パソコン応用, エアーシリンダ制御. 3年生になると卒業製作として「ねじジャッキ」を製作します。

 ジャッキ, ねじジャッキ; ジャッキで持ち上げる: 差動ねじジャッキ; ラック駆動ジャッキ; 油圧ジャッキ; 送りジャッキ; 三脚ジャッキ
  jack, screw jack, hoisting /lifting jack: jack up: differential screw jack; rack-and-pinion jack; hydraulic jack; sliding jack; tripod jack

 一発だけならOK!だけどそれ以上はNO THANK YOU
 何度抱き締めても愛に飢えた ねじジャッキ
 ハートもとろけるヴィーナス きっと出会えるからDON'T WORRY
 凍えそうなKISSを月に飛ばす ねじジャッキ


 (これだ…。これだよ。)

 (これが僕なんだ。)

 ジャッキーは幼い頃に好きだった漫画を思い出していた。

 (999だよ。鉄郎だ。星野鉄郎…)

 (メーテル、またひとつ、星が消えるよ。)

 (紅く、紅く燃えて…銀河を流れるように…)

 (銀河を流れるように…)

 静かに目を閉じて、母さんの面影を思い出す。涙がこぼれては、ずっと頬を伝う。
 ああ。蘇る、蘇る、蘇る、あの大きな心!
 手のひらのなかのちいさな記憶が!

 (ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。)

 (走るときはまるで鼠のようなくせに。)

 (ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリがばかなからだ。)

 [1ページ空白]

 「カムパネルラが川に沈んだのは、銀河鉄道に乗って、終着駅で機械の身体に…ねじにされて…それで重くなってしまって沈んだんだ。」

 (ちがう。しずんだのはザネリだ。)

 「カムパネルラさ…」

 (ちがう!)

 そういうわけでこのねじを締めるとジャッキーの左腕はしびれるようになったのです。

【第12話 バファリンの半数はやさしさでできています  2004.2.20(金】

 今日はメアリー・シェリーがいつもよりずっと素直で素敵で、ジャッキーは彼女をうい奴じゃうい奴じゃと思った。
 なにわ小吉の『くぴっと一杯』を読破した。

 久しぶりに『ディスコミュニケーション』を読んだ。

 ジャッキーは職場で、すっかり打ちのめされてしまった。
 彼の教え子はもうすぐ高校三年生。志望大学は早稲田・法政・中央ほか。センター試験まであと11ヶ月である。

 「『走れメロス』を書いたのは?」
 「宮澤賢治?」

 「“人間は考える葦である”と言ったのは?」
 「アル…なんとか」

 「イスラム教の聖典は?」
 「旧約聖書」

 「ゾロアスター教の聖典は?」
 「火!」

 「キリスト教の崇拝する神の名は?」
 「キリスト!」

 「…。」
 「ちがう、マリアだ!」

【第11話 ーョシトイレ  2004.2.19(木】

 人間の目というのは横に並んでついているのであって。決して縦向きには並んでいないのであって。もしも縦向きに並んでいるような人間がいたらそれはもう人間ではないのでつまり縦向きに並んでいるような人間はいないのである。

 ある縦書きの本の中に、「上記の内容を踏まえると」という表現があった。上記?縦書きなんだから「右記」じゃないのか。

 西欧文化の流入する以前、日本語の横書きは右から左へ読んだ。今とは逆である。この事実を知ったのは藤子不二雄の『少年時代』という漫画によってであるがこれは本文と関係ない。さて自分が生まれた頃には既に左から右へ読むようになっていたわけであるがその理由は日本の天気が西から東へ変わっていくからという至って単純な理由からではない。

 近代までの日本には「横書き」という文化がなかったわけで。「縦書き」しかなかったわけで。ふだん我々が「昔使われていた右から左へ読む横書き」と思い込んでいるものは「一文字で行の変わる縦書き」であるわけで。縦書きだけど一行に一文字しか入らないから結果的に横に書いているように錯覚を起こすわけで。

 つまり「部楽倶年少」という書き方は本来縦一行で書かれるべきものなのだが、スペースの関係上(雑誌の表紙を編集する関係上)どうしても一行につき一文字で処理せねばならなかった。本当は一行で書きたかったものを5行に分けて書いたということだ。折り畳まざるを得なかった。

 日本語というものは基本的に縦に書くものであると。だからふだん我々が縦書きの書物に対してぼんやりと抱いているだろうイメージ「まず縦に書いて一番下までいったら横(左)に移動する法則」というのは本当は正しくなくて「意識的には縦一行で書かれているのだがそのまま書物にすると途方もなく縦に長い書物が出来上がってしまうので仕方なく折り畳んで書いている法則」要するに妥協の法則が正しいわけである。

 で、この「日本語は意識的には縦一行で書かれている」という法則を裏付けるのが「上記の内容を踏まえると」という書き方なのだ(決してワープロでは横書きで打ってたけど出版されるときに縦書きになったからという平凡な理由ではないのだ!)。縦書きの本なのに、ではなく、むしろ縦書きの本だからこそ「上記の内容を踏まえると」という使い方ができるのである。縦書きの本は意識的には縦一行で書かれている。紙という限られた平面を効果的に利用するために便宜上折り畳んで横に進んでいく「ように見える」というだけのことだ。同じように横書きの本は意識的には横一行で書かれている。もともとは折り畳むべきモノではないのだ。これらのことはワープロで行ごとの文字数を容易に変えることができるという事実が説明してくれるだろう。それに、我々が実際に発話するときにはそのような意識(折り畳んで行を変えるという概念)は働いていない。ふつう一直線に発話する。

 この論に沿っていえば横書きの本で「上記のように」といった表現を使うのも本当は間違っているのだ。「左記のように」としなければならない。なぜならば、もしも一行に1000000000000字入る書物が存在するのなら、おそらく「上記のように」という書き方は意味をなさなくなるからである。

 こうしてみるとふだん何気なく行っている「改行」という作業はかなり妥協的な方法なのだとわかる。原始的なエクリチュールと「書物という文化」の制約(おもに空間的なもの)とが互いに妥協し合って産まれたのが「改行」という作業であろう。改行は縦書きに横書きの概念を持ち込み横書きに縦書きの概念を持ち込む。このような言い方をすればこれはあたかもドイツのメビウスという学者が二次元世界に三次元的な概念を持ち込んだことを想起させるような画期的な仕事に見えるが、所詮は妥協の産物であり、「改行」こそが我々をして縦書きの日本語を「横にすすんでいくもの」と錯覚させ、横書きの言語を「下に進んでいくもの」と錯覚させる。もしも「改行」という文化がなければこのような錯覚は生じなかったかもしれない。「改行」が日本語の書物に「右記のように」という記述を、ラテンやアングロサクソン系言語で著された書物には「上記のように」という表現をさせるのだ。

 さて随分話が逸れたが日本語は基本的に縦に書かれるモノであり、そして欧米にあるおそらくほとんど全てといってよい言語は原則として横に書かれるモノだ。この事実を確認した上で冒頭に書いたことを検証してみよう。

 人間は人種に関わらず目は横に並んでついているものである。斉藤洋の『なんじゃひなた丸』シリーズのどこかの巻に、「二つ目おばけ」というのが出てくる。なんだ普通の人間じゃないかと思われるかもしれないが、このおばけは目が縦に二つ並んでついているのである。だから「二つ目人間」というトートロジックな表現でなく「二つ目おばけ」というヨーカイックなネーミングになるわけだ。

 目が横に並んでついているということは、馬の視界を考えたらよくわかるが、そのパノラマが「横に」ワイドな広がりを持つということである。ということは何を意味するか。よーするに乱暴に言ってしまえば、縦に書かれた文字列は人間の目の並び方に適していないということだ。せっかく人間の視界に備わっている横にワイドな広がりを持つという機能を無駄にしてしまっているということだ。そういう意味でいえば横書きの言語は縦書きの言語よりも優れているということになる。

 しかし本当にそうか?

 決めつけてしまう前に、我々がいつも接している日本語という言語が本当に「縦書き」の言語なのか、ということを問題にすべきである。そもそも縦書き、横書きという言い方は、書くというプロセスに含まれる文化的な慣習から導き出された恣意的な定義にすぎない。現在日本では誰もが日本語の文字を縦向き(と我々は現在呼んでいる方向)に書くが、日本語だって練習すれば横向き(つまり90度回転させた形)に書けるはずである。簡単に言えば「一」という漢字を「|」と書けば縦書きは横書きになりうる。

 もっと砕いて言えば、我々が普段読んでいるいわゆる「縦書き」の書物も、90度回転させて読めば「横書き」の書物になるということだ(もし現在傍らに何か縦書きの書物があれば是非試してみて頂きたい)。「日本語は横書きの言語」だという考え方を受け容れることは多くの日本人にとってコペルニクス的転回のように聞こえるであろうが、このことは決して無意味じゃねえんだよベイビー。

 縦書きの本を90度回転させて横書きにして読む。これは英語やドイツ語などと同じ方向で読めるということで、言語に関する専門書の類や、あるいはミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』の邦訳のように度々横文字の並ぶ小説などを読む時に効果を発揮する。

 そして言うまでもなく人間の目の並び方を考えればこれはとても効率的な読み方であると言えるのだ。

 また、実際に試してみた方で同じ感想を持つ人も多いことと思うが、縦書きの日本語を90度回転させて読むと、一文字一文字の判定(この文字はなんという文字であるか)が縦に読むときよりも多少遅れてしまう。個人的な経験では、「いつものとおり」という文字列があると「い」「つ」「も」「の」「と」「お」「り」という各々の文字を判定するときは何かしら違和感がつきまとい判定が遅れてしまう。しかしある程度読書経験を積んだ日本人ならば、「いつものとおり」を「い」「つ」「も」「の」「と」「お」「り」と分けず、「いつものとおり」というひとつの塊として捉えることは容易だろう。音声ではなく、「いつものとおり」というひとつの「画像」として捉え、意味をとるのだ。これは識字能力がある水準にまで達している人であれば誰もがふだん普通に行っていることである。

 縦書きの日本語を横にして読むときにはこの「いつものとおり」を画像として捉える読み方をいつもよりも積極的に利用していることに気づく。なるほど確かに、たとえばドラえもんの顔をいくらか回転させて遠くから眺めると、輪郭があまり変わらないものだからそれが果たしてどの程度回転させられているのか判別がしづらくなるかもしれない。しかしドラえもんの全身を回転させたものであれば容易に掴めるだろう。それと同じことだ。

 文字列を一文字一文字音声的に捉えるか、意味の塊としてヴィジュアル的に捉えるかは、文章を読むスピードや脳味噌の使い方にまで関係してくるだろう。「右脳を使った速読」についての本を一冊でも読めばそのことについては口が酸っぱくなるほど言及されている。

 だからせめて一度くらいは縦書きの書物を横に90度回転させて読んでみることをすすめる。自分がどちらの手段を採用するかはそれから決めた方がいい。何かを採用する、絶対化するということは、その手段を含めたあらゆる手段を相対化した上で行わないと説得性を持たないし、勿体ない感じがしませんか?何でもかんでもやってみなけりゃわからない。島本和彦の『無謀キャプテン』という漫画で主人公の堀田墓穴がコーヒーに角砂糖を四つ入れるシーンがある。ハギワラ・リョウという教師は「おいおいそれは甘過ぎだろう」と突っ込みを入れるが、堀田墓穴はこう答える。「じゃあ先生はコーヒーに角砂糖を四つ入れたことがありますか?」「そ、それは」「ないんですねっ!!」

 コーヒーに入れる砂糖の量が法律で定められていないのと同じように、「日本語は縦に書いて縦に読む」なんてことが法律で決められているわけではないのだ。多くの人は単に「昔から」「みんなが」やっているから自分もやっているのだというだけのことで、「そう教育されたから」そうしているだけのことであって、つまり無意識的に保守的な立場をとってしまっているだけなのだ。

 文字は角度を変えても慣れれば読める。我々はどうも一度決められた「型」にはまるとそこから抜け出せなくなる、あるいは抜け出すことすら考えなくなってしまう傾向にあるようだ。まるで流れるプールのように。さて、そういう与えられた制度へ無条件にのんぽりと安住・従属する態度がどうしても気にくわない男がここにいる。ここに一人の、太宰治や坂口安吾や町田康の著作をこよなく愛する青年がいる…。

 我らがヒーロー、ジャッキーだ!

 ジャッキーは、「以左のような」考え方に基づき、書物を90度回転させて読んでみた。すると色んな人に凝視された。怪訝な目をされた。「アアアアアアア不快だ」
 自分の意志に反してでもマイノリティを貫こうとするジャッキーは憤りを露わにしている。
 「ああああマジョリティめマジョリティめマジョリティめマジョリティめマジョリティめマジョリティめ
 狩るぞお前ら
 ポスト・モダンはマジョ狩りの時代だぜ!?」
 今日も月に吠える、
 愛に飢えたラブ・ジャッキー。

【第10話 電電公社蝸牛  2004.2.18(水】

 ジャッキーは集英社で土下座していた。
 「後生なので打ち切りだけは」
 「ずっと最下位」
 「五月蝉い。死ね」

 有名な話で我々は道を歩くとき足の裏でなく靴で地面を感じるし杖をついて歩くときは杖の先の感触がそのまま脳に伝わるし車を運転しているときに何か障害物にぶつかりそうになると思わず身体を縮める。それは我々の身体が靴や杖や車にまで拡張しているということを意味する(と、ここまでは受け売り)。あるいはマリオカートをやるときについつい身体を傾けたりしてしまうのは自分の身体が画面の中のカートにまで拡張されるということ。アクションゲームやシューティングゲームの多くにはそれと同じ現象が起きている。マリオをやるときはマリオまで身体が拡張されているのだ。スト2をやる時はブランカまで拡張する。そもそもテレビゲームをやるという行為それ自体がテレビゲームへと身体を拡張することなのかもしれない。もっと卑近な例を挙げればテックトゥをするときにフレンチ・レターを装着するのであれば身体はフレンチ・レターにまで拡張されるというわけ。

 ジャッキーの行動を観察していると面白いことがわかる。彼はおちょこちょーいだ。極度の。ラーメン屋で割り箸立てを倒したり喫茶店で他人のカフェ・オレをぶちまけたりするし実家にいたころは二段ベッドの天井によく頭をぶつけた。足の小指を箪笥の角にぶつけるとかも日常茶飯事だったし最近ではファミレスで床に落ちたモノを拾おうとして机に頭をガツンと打ちつけたり服の袖でテーブルの上のモノを床に落としたりと枚挙に暇無し。

 ジャッキーが服の袖にモノを引っ掛けてそれを倒したり落としたりするのを見ていて私は思った。こいつもしかして「身体の拡張」が下手くそなんじゃないか?と。彼がモノを引っ掛けるのは、服の袖にまで身体を拡張することができていなかったからなのではないか。そうすると頭や小指をモノにぶつけてしまうのはどういうことだろう。「身体の拡張」ができないどころか「身体の縮小」が起きているわけである。もちろん彼の意識内でだが。頭や小指にまで意識が届いていない、つまり頭や小指を「身体」として意識し損ねているからそういうことが起きるのではないだろうか。

 ゲームで喩えよう。シューティングゲームに関連する用語で「当たり判定」ということばがある。その名の通り「当たったか、当たってないかの判定基準」である。当たり判定がでかければ敵の弾が当たりやすくなるし小さければ当たりにくくなる。その範囲は多くの場合ほぼ自機の大きさに等しく設定されているが、もし自機よりも当たり判定がでかければ(もしそんなソフトがあればクソゲーだが)画面上では弾が自機に触れてないのにダメージを受けることがあるし自機よりも当たり判定が小さければ画面上では弾が当たっているはずなのにダメージを受けなかったりするわけだ。これはゲームの難易度にかなり影響してくる要素である。

 「人間が意識する身体」を「機体サイズ」に、「実体としてある身体」を「当たり判定」に当てはめるなら、ジャッキーという機体はそのサイズが当たり判定よりも小さく設定されているということになる。つまりジャッキーの頭とか服の袖とかは、画面上(ジャッキーの意識内)では透明なのだがそこに弾が来るとなぜかヒットしてダメージが減らされてしまう。(ちなみにこの比喩がわかりにくいのはシューティングゲームにおける「自機」が「透明」ではなくむしろ「当たり判定」が「透明」だからである。逆になってる。この比喩はそれがわかりやすいから記述されたわけではなく単に筆者が言ってみたかっただけだということは容易にわかる。)

 こういうわけで「意識に対して当たり判定がでかい」ジャッキーは人生という実存的なゲームにおいてかなり高い難易度でのプレイを要求されているわけだ。だからたまにへましても許してあげてほしいですよ。本当に。

【第9話 口臭ちょこざいを頭から浴びてシャッフル  2004.2.17(火】

 その男は戸を開けて鼻歌混じりに入ってきて、案内を待たずに禁煙席の奥の方に座った。やがてテーブルの上でブザーが鳴らされると俺はうやうやしく注文を取りに赴く。
 「ん。ペペロンチーノとね、ミラノ風ドリアと、あとハンバーグステーキでしょ、で、ドリンクバー。」
 「以上で?」
 俺が問い返すと、男は笑いを乾かせて答えた。
 「これ以上喰えってかい。」
 ぎりぎり小声で。俺は腹も立てずにかしこまりましたと言って席を離れた。よくある嫌な客だ。ちらと時計を見ると、6時半。閉店まで居るんだろうな、と俺は思った。今日は一時で上がりだから、できるだけそれ以降に出ていって欲しいね、後片付けが大儀。このまま一時まで客来ないといいな。今いる客は、誰も帰らないでいて欲しいな。したら突っ立ってるだけで時給870円。そして深夜時給1020円。楽勝なのにな。注文も会計も面倒臭い。ああ嫌だ嫌だ。
 「しーんやれーすとらんにー」
 さっきの男が小声で歌っているのがささやかに聞こえる。うざったい。小声だから迂闊に注意もできない。さっきから喫煙席のほうで若者が騒いでるからな、ここであの男に注意を促せば「あっちの席でわめいている若者には注意しないのか」とか言われるかもしれない、というわけで無視。若者怖いし。
 「あのさーちょっと。」
 俺が空いたテーブルを台拭きで拭いていると男が声をかけてきた。なんだよいったい。
 「あのね、オレンジジュース。ハイシー80あるでしょ。」
 「は?」
 「だから、オレンジジュース。」
 俺は男の言っていることが理解できなかった。
 「ついできてよ。」
 理解した。
 「当店ドリンクバーのほうセルフサービスとなっておりまして…」
 俺ができる限り卑屈に対応すると男は態度を豹変させた。
 「いやいや、だってあんたのほうが近いじゃん、バーに。」
 「いえそれは…」
 「うちの母ちゃんが言ってたよ『立ってる者は親でも使え』って。ねえ。」
 ねえと言われても。
 「申し訳ございませんがそういう規則になっておりますので」
 「規則!」
 男は素っ頓狂な声を挙げた。
 「あーあーあーあーわかったわかったあんたボンボンだろ制度に安住する者だ。条件無しの敗北者だ。はーいはいはい理解理解。」
 何を言っているんだろうこの男は。頭大丈夫か。
 「ということでドリンクバーのほうあちらとなっておりますので」
 「いやわかってるよ。あんたね、規則規則って、規則だからってどんな規則にも従ってたら自分を見失うよ」
 「はあ」
 「だってほら、君さ。規則に人を殺せと書いてあったら人を殺すの?」
 「そのような規則はございません」
 「もしあったらの話をしてんだろうがよ」
 「すみません自分仕事のほうありますので」
 「公式の場では『私』っていうのが正しいと青春出版社の新書本に書いてあった。」
 「申し訳ございません」
 「あと『ほう』ってなに。どの方角。」
 申し訳ございません。
 「うっせえな。死ね。」
 「あ?」
 しまったー。本音と建て前が逆転したーなんつう古典的なベタネタ。まあわざとなんだけど。
 「いえ。申し訳ございません。」
 「死ねとか言ったなこの野郎表出ろ」
 「出ません」
 「てか死ね」
 「あなたが」
 「あ?」
 「あ」
 「殺す」
 「殺せ」
 「死ぬ」
 「死ね」
 「キャー殺されるー」
 男は身をよじってジタバタすると、「じょーだんじょーだん」と言ってオレンジジュースを汲みに行った。
 なんなんだ。もうやだ帰りたい。悪質だ。
 「ウーウーウー♪不快だ~♪」
 こっちが不快だ。
 俺はテーブルを拭き終わると控えに戻った。国分さんが入っている。
 「先輩、なんとかしてくださいよ。あの客。」
 「ああ、あのひと。」
 「知ってるんですか。」
 「前にも来てた。あたしのことじろじろ見んの。なんか視姦されまくり」
 俺は絶句した。ああ国分さんは視姦とか決して口にしない女の子だと勝手に思い込んでいた。思えば喋ったの二度目。しょうがないそっちがその気ならこっちだって考えがある。俺も視姦しよっと。帰ったら弄んじゃおっと。いや、あわよくば本物をムヒヒヒ。
 「ねーねーねーねーちょーいと」
 またあの男だ。ほかの客だっているのにはた迷惑な。つうかブザーを使えブザーを。
 気づくと国分さんは用もないのに喫煙席のほうへ行って無意味にタバスコの瓶を確かめたりなどしている。逃げたな。ちくしょうあとで視姦の刑。
 「柴田くん」
 名前で呼ぶなよ。
 「なんでございましょう」
 「まからない?」
 「は?」
 「1123円だけど、これ1000円札一枚じゃダメ?」
 「ダメですねえ。」
 「僕と柴田くんとの仲じゃない」
 「黙れ」
 「はい」
 やけにおとなしい。
 「僕ちんトイレ。どこ。」
 「あちらとなっております。」
 「あんがと。あ、ぼくジャッキーつうの。」
 知りたくもないって。
 「行ってまいりまちゅ☆」
 男はトイレに入った。5分。10分。15分。男はトイレから帰ってこない。ところでさっきからとても忙しい。思えばさっきから国分さんがいない。そして男は帰ってこない。まさか!耳を澄ませるとトイレのほうから国分さんの悲鳴いやあえぎ声が聞こえた。俺は自殺を決意した。

【第8話 吾輩は水子である  2004.2.16(月】

 吾輩は水子である。当然ながら名前は無い。
 どこで生れたか頓と見當がつかぬ。と言いたいところだが生まれてもおらぬうちに殺されたのだから言えようもない。もとより生命のない吾輩にもし「生まれた」とする瞬間があるのだとしたらそれは吾輩に自我の生じた瞬間に等しいと言う他はなく、恐らくあの時をさすのであろう。
 吾輩が存在を持ち始めた時、すなわち吾輩の実体の素となった逞しい精子が発射されたのは苦沙彌(くジャみ)先生中学生の頃であるが、幸いにして何億というライバル衆を押し退けて吾輩は着床した。子宮という温室の中でぬくぬくと生育していたはずであった。ところが苦沙彌先生、精一杯の親しみを込めてジャッキーと呼ばせて頂くが、ジャッキーは、温室たる子宮の所有者にして吾輩の母親にあたるところの女に向かって淡々とこう言い放ったのである。
 「あ?堕ろせよ。」
 吾輩に自我が芽生えたのはその瞬間である。女は泣き崩れジャッキーはその場を立ち去った。吾輩は母親たる女に付き添わんと欲したが、吾輩はもう温室の中にはいなかった。それ以来吾輩は、ジャッキーの背中にピタリと貼り付いていることになったのである。
 数年が経過し、吾輩は知恵を付け、仲間も増えた。年長者である吾輩は他の水子どもから兄貴分として慕われておるわけだが、なにぶんどの水子も名前を有しておらぬので紹介の場面は省かせて頂かざるを得ぬ。ともあれジャッキーの背中も今では水子6人の大所帯とこう相成っておるわけだ。
 ジャッキーは我ら水子の運命を字面通り一身に背負いながら供養の一つもしようとはせぬ。供養をせぬものだから水子も増える。それでもジャッキーは何の頓着も示さずアア最近やけに肩が凝りやがらあなどと言って首をカクカクとやっている。
 いったいジャッキーは我ら水子に冷酷であり非情である。水子といえど6人も揃えばフットサルを試みたりおそ松くんごっこに興じたりなど娯楽活動に暇がないわけであるが、そのフィールドとしてジャッキーの背中を選ばざるを得ないことは水子としての性格上致し方のないことであろう。それをジャッキーは目ざとく関知しては怒鳴り散らすのである。認知はせぬくせに。「やい、水子のくせに生意気だぞ。いやに背中なんかに貼り付いて、怪しからん奴らだ。」背中に貼り付いて怪しからなければ水子などは一人だって怪しかりようがない。
 我ら水子の姿は当人であるジャッキーを特例として人間の目に認められるべうもない存在であるからして、かくなる具合に水子に対し独り怒号を浴びせかけんとするジャッキーの姿は一般大衆の眼にさぞや滑稽、奇異に映ったことであろう。変質者としてまた変態として気違いとして軽蔑され外面的及び内面的の疎外処置を受けることしきりである。
 しかし我ら水子は曲がりなりにも人の子であるしジャッキーとて曲がりなりにも水子の親である。その間に何らかの同情的なエンパシイが生ずるのはこれ至極自明のことであって、水子にはジャッキーを憎めぬ水子なりの事情があり、ジャッキーには水子を憎めぬジャッキーなりの事情やら引け目やらがあるとおぼされるので我々の共生は割合に和をもって営まれているともいえる。少なくとも当人らは割合に巧くやっている積もりではある。
 ジャッキーは現実生活を傍目には謳歌しているかのように見える。現実生活を謳歌しておれば何かしらの責務責任が付きまとうのは当然のことであってなかなかまとまった余暇もできぬ。時折ジャッキーはそれを嘆いてはかく語る。「オイ水子らよ君たちは良いねえ毎日が気楽で。わしなんぞ云々かんぬん」だが我々に言わせれば余暇の有り余るという状況はゆゆしき切迫の事態である。フットサルもおそ松くんごっこも禁止された我ら6人の水子らはせんかたなくジャッキーの行動を見守っている外に娯楽はないのであって、時折はそれに茶々を入れ時折は感情を移入させともに笑い涙することもあるが、基本的には凡庸な生活を凡庸な仕方で眺めているだけに過ぎず、時間の浪費という以外にない。水子としてもこれは退屈という漢語の二字に尽きるのであるから、何度も供養を申し入れておるのだが聞き入れられぬ。自分らで勝手に成仏するがいいの一点張りである。仕様がないので本日もジャッキーの凡庸なる生活を覗き見ては茶化し笑い時に涙するといった次第である。
 ジャッキーは朝寝て昼過ぎに起床した。部屋の壁には大きな文字で「六時起床」と書かれた意思表示の紙が貼られているのだがジャッキーに対しては神棚以下の効果も持ち合わせておらぬらしい。アーアアーと大仰に欠伸と伸びをすると口をむにゃむにゃさせながらパーソナルコンピュータの電源をひねる。数時間それと戯れ落陽も程近くなって漸く重い腰を上げる。ジャッキー氏先だって携帯電話の充電器を破損させてよりヴォダホーンショップへ赴いて充電を遂行しているのである。実は昨夜の早い段階で既に寸分ほどの電気も残留しておらぬ状態にあったのだが行動を起こすのは半日と四半日以上の経過して後である。愛車「おざわ」にまたがって出立の格好をとる。なぜ自転車が「おざわ」という字を有しておるのかというとそのブリヂストンを購入した小売店舗を経営する中年男子の名が「おざわ」であったからにほかならず何らの創意工夫もないネーミングであるが当人至って満足げである。さて大声で小沢健二の曲などを熱唱しつつ光が丘のヴォダホーンショップに到着すると無料充電コーナーに携帯電話を安置しモールをうろつき始める。「コロッケ40円、ふむ安い。おや総菜はもう半額かね。」などと冷やかしの言葉を売り手に吐きかけつつ何も求めずマクドナルドに入る。一番安いセットを注文して席につくと真正面にいちゃつくカプールが一組いてジャッキーは奥歯をぎりぎりと鳴らす。どうしたら奴らが殺せるだろうかと思案を巡らすがいざ食事を始めるともう忘れてしまった体である。
 フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』という書物を読みながらフムフムナルホドやっぱり思った通りだなどとわざわざ声に出して自分の解釈の精密度を発表するので近隣から客が逃げる。ガラス越しにもその異様さは伝わるらしく入店を取り止める若人もしばしば見られその子たる水子としても肩身の狭い限りである。店内の放送で『なごり雪』がかかるとサビだけ大声で歌いそれ以外の部分では口をもごもととさせている。「すみませんがほかのお客様のご迷惑となりますので…」うつむき加減でジャッキーは店を出てヴォダホーンショップで充電も中途の携帯電話を引っかけるとファミリーレストランへ直行する。チラシから素手で切り取った縁の汚いクーポン券を財布からとりだししたり顔で注文を取りに来た店員に手渡す。280円のところ150円になった山盛りポテトフライが届く。ケチャップを一つ一つにべたりべたりたっぷりと付けて食するのでまだ半分も喰わぬうちにケチャップの皿が綺麗さっぱりとする。しばらくは強がって生のままつまんでいたがそのうちに苛立って「アア味が薄い味が薄い」と呟いては食卓塩をかけ続けにかけしかし最後には「しおからい、しおからい。なんだこのポテトはふざけている」などと言って辟易の表情を作る。自己中心的性格もここまで行くと芸術であり天晴れである。
 結局朝四時まで居座るうちに500ページほども読書をしていた。さすがに疲れてきたのかチョコムースケーキを追加で注文し食し終わると店を出る。わざわざミニディスクをゆぞの曲にして「おざわ」にまたがり夏色3カウント飛べない鳥朝もやけと声を涸らして歌ういや叫ぶ。もう何を言っておるのだか殆ど判別もできぬ有様で水子も目を覆いそれ以上に耳を覆った。吾輩は水子であるけれども人間存在の精神的維持に最低限要求されるところの美的感覚は持ち合わせておるのであって、その感覚からすればこの自称歌声はノイズであり叫ぶ苦悶の表情は皮膚でなく内臓を見ているかのよう。それでも羞恥心は完全に消えぬと見えて大通りを抜け小径に入ると急に声のトーンが下がる。それでも近所迷惑には変わりないのだからジャッキーには謝罪の責務がある。責務はあるのだけれども謝らん。ので我々水子が代理として謝罪の意を表したいと思う。本日はうちの者が様々な面で様々な方々にご迷惑をおかけいたして非常に済まぬ限りである。しかし最も迷惑を被っておるのは我々水子であるということも了解願いたい。かの酷い歌声を最も身近で聴くのは我々でありまた身内の恥は我々の恥でもあるのであるし、何より曲がりなりにも水子の父であるジャッキーがこのように人として最低である以上は水子としてもこれ、成仏できんわけであるから。

【第7話 アンドロイドは電気羊の夢を見るな!  2004.2.15(日】

 その夜、ジャッキーが見た夢はこのようなものだった。


 「アンドロイドだね。」
 「ああ、未来の家政婦さ。」

 「アンモナイトだね。」
 「ああ、古代の化石さ。」

 「ダイアモンドだね。」
 「ダイアモンド?」
 「成程ダイアモンド!」
 「まあ、ダイアモンドよ」
 「あれがダイアモンド?」
 「見給へ、ダイアモンド」
 「あら、まあダイアモンド!?」
 「可感(すばらし)いダイアモンド」
 「可恐(おそろし)い光るのね、ダイアモンド」
 「三百円のダイアモンド」


 いつのまにウトウトしてた。最近夢見ることもなくなった。見なくなっちゃったような気がする。

 と、ジャッキーは大声で歌う。新宿で。アア、そろそろジャずからも卒業しなければならない、と彼は決心する。ジャッキーのことをよく知らない誰かが、今の状態の彼を見たならば、ひょっとしたらその瞳に映ずるのはジャずというフィルターを通したジャッキーの姿かもしれない。
 「そういうのって、可恐いじゃないか。カゴワイじゃないか。加護愛じゃないか?」
 独り呟く。そしてまた歌を歌う。張り切りすぎて咳き込む。それでも彼は一人。
 ジャッキーは新宿という群衆の中で、パリノ・ユーウティックな孤独を噛み締めているのだ。
 自転車を漕ぎながら。歌いながら。

 「けれどこんなにもじゃらっぽになったのに僕は歩き出した…ウウウウー、不快だー。」

 なんだなんだ!売れてるJ-POPは歩きすぎなんだよ!走れよ!
 声にならない叫びだった。

 「まったく。歩けばいいと思って。歩き出しさえすればなんとかなると思って。前向きに、見えると思って。ア。ア。アアア、アアアアー、欺瞞だー。」

 誰もが振り返りクスクスと笑う。
 「ままー、あのひとどうしてきせいをはっしているの。こわいよう」
 「しっ。可哀想な人なのよ。…見ちゃいけません。」

 「アーアーアーアーーー欺瞞だーそれは欺瞞だッ矛盾しているウウウウウウ。ウウウ。ウウウ。ウウウウ…、風ウウウウ羽化アアアア阿ああアアああいいIIIIII委だ阿あぁぁぁぁあぁあああぁぁああああ。欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ」

 ジャッキーは子どもの髪の毛を全て引き抜くと母親の膣内にねじ込んだ。すぐに警官が駆けつけたがジャッキーはそのうちの一人をあっさりと殴り殺した。なおも暴れようとするジャッキーめがけて巡査は発砲、即死。「さようなら僕らのジャッキー。でもまた会おう。じゃ。シーユーアゲイン。じゃ、アゲイン。ジャゲイン!誰もがみんな一人ぼっちを抱き締めながら生きている、ジャゲイン!また笑って話せるその日まで僕は僕らしくいるからまた会おう!じゃ、元気で!じゃ、げんきで。じゃげん。ジャゲイン!人は誰も癒えない痛みを胸の奥に抱えてない!ジャゲイン!ひび割れてるグラスの中にも希望をそそぎ込もう!泥だらけの靴だって何度でも歩き出せるさ…ウウウウー、不快だー。」

 なんだなんだ!売れてるJ-POPは歩きすぎなんだよ!走れよ!
 声にならない叫びだった。

 「まったく。歩けばいいと思って。歩き出しさえすればなんとかなると思って。前向きに、見えると思って。ア。ア。アアア、アアアアー、欺瞞だー。」

 誰もが振り返りクスクスと笑う。
 「ままー、あのひとどうしてきせいをはっしているの。こわいよう」
 「しっ。可哀想な人なのよ。…見ちゃいけません。」

 「アーアーアーアーーー欺瞞だーそれは欺瞞だッ矛盾しているウウウウウウ。ウウウ。ウウウ。ウウウウ…、風ウウウウ羽化アアアア阿ああアアああいいIIIIII委だ阿あぁぁぁぁあぁあああぁぁああああ。欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だアマンダ」

 ジャッキーは子どもの髪の毛を全て引き抜くと母親の膣内にねじ込んだ。すぐに警官が駆けつけたがジャッキーはそのうちの一人をあっさりと殴り殺した。なおも暴れようとするジャッキーめがけて巡査は発砲、即死。「さようなら僕らのジャッキー。でもまた会おう。じゃ。シーユーアゲイン。じゃ、アゲイン。ジャゲイン!誰もがみんな一人ぼっちを抱き締めながら生きている、ジャゲイン!また笑って話せるその日まで僕は僕らしくいるからまた会おう!じゃ、元気で!じゃ、げんきで。じゃげん。ジャゲイン!人は誰も癒えない痛みを胸の奥に抱えてない!ジャゲイン!ひび割れてるグラスの中にも希望をそそぎ込もう!泥だらけの靴だって何度でも歩き出せるさ…ウウウウー、不快だー。」

 なんだなんだ!売れてるJ-POPは歩きすぎなんだよ!走れよ!
 声にならない叫びだった。

 「まったく。歩けばいいと思って。歩き出しさえすればなんとかなると思って。前向きに、見えると思って。ア。ア。アアア、アアアアー、欺瞞だー。」

 誰もが振り返りクスクスと笑う。
 「ままー、あのひとどうしてきせいをはっしているの。こわいよう」
 「しっ。可哀想な人なのよ。…見ちゃいけません。」

 「アーアーアーアーーー欺瞞だーそれは欺瞞だッ矛盾しているウウウウウウ。ウウウ。ウウウ。ウウウウ…、風ウウウウ羽化アアアア阿ああアアああいいIIIIII委だ阿あぁぁぁぁあぁあああぁぁああああ。欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だアマンダ」

 ジャッキーは子ども(アマンダ)の髪の毛を全て引き抜くと母親の膣内にねじ込んだ。すぐに警官が駆けつけたがジャッキーはそのうちの一人をあっさりと殴り殺した。なおも暴れようとするジャッキーめがけて巡査は発砲、即死。「さようなら僕らのジャッキー。でもまた会おう。じゃ。シーユーアゲイン。じゃ、アゲイン。ジャゲイン!誰もがみんな一人ぼっちを抱き締めながら生きている、ジャゲイン!また笑って話せるその日まで僕は僕らしくいるからまた会おう!じゃ、元気で!じゃ、げんきで。じゃげん。ジャゲイン!人は誰も癒えない痛みを胸の奥に抱えてない!ジャゲイン!ひび割れてるグラスの中にも希望をそそぎ込もう!泥だらけの靴だって何度でも歩き出せるさ…ウウウウー、不快だー。」

 なんだなんだ!売れてるJ-POPは歩きすぎなんだよ!走れよ!
 声にならない叫びだった。

 「まったく。歩けばいいと思って。歩き出しさえすればなんとかなると思って。前向きに、見えると思って。ア。ア。アアア、アアアアー、欺瞞だー。」

 誰もが振り返りクスクスと笑う。
 「ままー、あのひとどうしてきせいをはっしているの。こわいよう」
 「しっ。可哀想な人なのよ。…見ちゃいけません。」

 「アーアーアーアーーー欺瞞だーそれは欺瞞だッ矛盾しているウウウウウウ。ウウウ。ウウウ。ウウウウ…、風ウウウウ羽化アアアア阿ああアアああいいIIIIII委だ阿あぁぁぁぁあぁあああぁぁああああ。欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だ欺瞞だアマンダ」

 ジャッキーは子ども(アマンダ)の髪の毛を全て引き抜くと母親(オマンダ)の膣内にねじ込んだ。すぐに警官が駆けつけたがジャッキーはそのうちの一人をあっさりと殴り殺した。なおも暴れようとするジャッキーめがけて巡査は発砲、即死。「さようなら僕らのジャッキー。でもまた会おう。じゃ。シーユーアゲイン。じゃ、アゲイン。ジャゲイン!誰もがみんな一人ぼっちを抱き締めながら生きている、ジャゲイン!また笑って話せるその日まで僕は僕らしくいるからまた会おう!じゃ、元気で!じゃ、げんきで。じゃげん。ジャゲイン!人は誰も癒えない痛みを胸の奥に抱えてない!ジャゲイン!ひび割れてるグラスの中にも希望をそそぎ込もう!泥だらけの靴だって何度でも歩き出せるさ…ウウウウー、不快だー。」

 劇団インベーダーじじいの『飛び降りたらトランポリン』は、ざっとそのような芝居であった。

【第6話 さだめし並盛  2004.2.14(土】

 アントワープの教会にジャッキーはひざまずき、バン・アレン帯のお誕生日を祝福すると、立ち上がって言った。
 「どうして僕の周りには、精神を病んでいる人が多いのだろう?」
 ジャッキーは自己中心的な男だから、自分の周りに精神を病んでいる者が多いのだと思い込んでいる。しかし当然そうではない。単純に、精神を病む者の絶対数が増えている、ただそれだけのことなのだ。

 エッジワースも、アン・ブロンテも、ミュリエル・スパークも、マンスフィールドも、エリオットも、メアリー・シェリーも…病んでいる。ジャッキーは彼女たちを愛していた。しかし、それらの病をどうにかしてあげられるような術は持ち合わせにない。そしてまた途方に暮れる。いったい何をやってんだ!この僕にこれ以上何ができる?どう癒えるだろう?精神は煩悶する。しかし彼の場合は、実は葛藤する「ふり」をしているだけだ、本当はただ何もできずに、動き出せない「ふり」をしているだけ。それだけ。

 留年、レイプ、繰り返される命日、恋愛の崩壊、唯ぼんやりとした不安、成長への抗い。
 全ては必然だ。他人の口を出すことではない…。それでも決まって、ジャッキーの口元はむずむずとしてくる。そして言わなくていいことばかりがあふれ出し空回りする。
 お見事。

 そしてまたここへ帰ってきたわけさ風の音を聞きながらいつの間にウトウトしながら夢見ごこちで涎を垂らしてるwowいつもと同じ網戸越しの風の匂い
 静かに脳ずさんでみる。

 泣き疲れたエッジワースからのチヨ・コレイトは一日だけ早く届き、きりの無い電話は早朝に及んだ。たくさん話したがよく覚えていない。受話器を置くとジャッキーは部屋を掃除して、少しだけ眠る。二時間経ってむっくりと起き上がるとシャワーをひねり湯を浴びる。クリスティが、スーパー・ファミコンを持ちはせ参じる。歌を歌いながら駅から戻るとすぐさま接続しスーパー・マリオ・ワールドをプレイし始める。ジャッキーは勘の鈍りに焦燥した。何年もやっていないのだ、記憶も技術も当時のようには働いてくれない。昼を過ぎるとタクハ・イビニックなチャイム音が響き、エリオットからのヴァレリアヌス・ゴディバチヨ・コレイトが届く。ジャッキーは「もう狂喜乱舞!」と思わず歌い出している。携帯電話が使用できないのでお礼も言えない、というどうにもならない歯痒さを噛み締めながらそれでも狂喜し乱舞した。ひとしきり暴れると再びルイジの操作に精を出す。夕方にはプレイを一時中断し今後の人生の方針についての検討に精を出す。
 「あ、そうそう昨日僕バレンタイン・チョコもらったんだよ。誰からだと思う?」「…家庭教師先のお母さん?」「ご名答です。」
 クリスティはジャッキーに、バレバレはひっくり返ってアハハ晴れ晴れと笑わせてよねチヨ・コレイトを渡した。
 ジャッキーは丑三つ時までスーパー・マリオ・ワールドをプレイし続けた。

 ジャッキーのもとへ、アン・ブロンテからメールが届く。ヘッセからも届く。ホーソーンからも届く。いずれもバレンタイン系の話題。
 ミュリエル・スパークはそれどころではないのだろう。
 メアリー・シェリーはジャッキーのことなどもう忘れてしまっているのだろうか…。その可能性が限りなくゼロに近いということをジャッキーは知っていた。しかし彼はわざわざそんなことを考えるのだ。いったい何の慰みになるというのだろう?


 散文的だ、とジャッキーは外側を見て笑った。


 深夜、ジャッキーはマンスフィールドに電話をかけた。何もできないし、人の心は変わる。しかし、マンスフィールドの変わらない心にジャッキーは底の知れないエネルギーを感じる。絶対的なものを信じる力。永遠と呼んだっていい。神様と呼んだっていい。どのみちそれは圧倒的なものだ。

 世の中には相手を傷つけたくないがために故意に嫌われようと振る舞う馬鹿が往々にして多い。欺瞞という「概念」の本質的な部分を覗いてみようともしない彼らだって、いつかは気がつくことだろう。そしてそれを「優しさ」なんて呼んでいたことにも。自らの優しげな欺瞞に陶酔して惚れ惚れとする、クズ。

【第5話 つみれSeptember Love  2004.2.13(金】

 打ちのめされて、ジャッキーは思った。率直に。
 「書けない。」

 金原HIT ME!の『蛇にぴあマップ』は普通だと思った。まあ、普通に面白いと思った。芥川賞は伊達じゃないと思った。
 蹴りさの『綿矢りたい背中』は2ページ目からちょっと様相を変えていた。

 インタビューも合わせ読んで、ジャッキーは綿槍さに対して強い好感を持った。いたって普通の読書をして、至って普通の小説を書いているんだな、この人は。と思った。そしてなかなかに面白い。芥川賞は眼鏡じゃないと思った。

 1ページ目を読んだときに抱いていた感想は、2ページ目以降を読み進めた時にすっかり崩れた。しかしそうなることはわかっていた。だからこそジャッキーは1ページ目を読んだときにぴたりと本を閉じたのだ。次のページを開いたときには消えてしまうのだとわかっていたから。

 要するに1ページ目を読んだ段階でのジャッキーによる『蹴リタイア』に対しての分析は完全に間違っていたということだ。しかし、決して1ページ目を読んだ段階でのジャッキーによる『蹴イタリア』1ページ目に対しての分析は間違っていない。つまり1ページ目と2ページ目以降の間に整合性がなかったということだ。「っていうこのスタンス。」と書いた作家自身のスタンスが首尾一貫していなかった、ということだ。1ページ目に見られるような「技」は2ページ目以降殆ど出てこない。つまり1ページ目に書かれている文章はプディングを売っているお店のショーウィンドウに飾られたプディングであって、決してプディングを売っているお店の中に入って注文すると出てくるプディングではなかったと、そういうことで。あるいはロケットえんぴつの一番さきっぽだけに赤いしんが入っていて、あとは全部黒いしんが入っているというか。チョコのついた部分が異様に短いポッキーというか。竜頭蛇尾というか。そういう構造で、金太郎飴的な構造にはなっていなかったと、そういうことだろう。

 何がさてジャッキーは、率直に、書けない。と思ったのだった。1ページ目は書ける。2ページ目以降は書けないだろう。そういうこと。そういうこと。

 ジャッキーはもしかしたらここで棉矢りさを認めないと悔しがっていると思われる恐れがあるから無理して認めているのかもしれない。だとしても別にだからどうしたということはない。ひるがえすことが格好良いと思っているだけかもしれない。しかしだからといって、これといった何かがあるわけでもない。

 by the day you find something special to you, can i live up to your expectation?

【第4話 明日君がいたら困る  2004.2.12(木】

 ジャッキーはセレブン(セレブ)で文藝春秋を購入し、綿矢りさんの『蹴りたいセーニャ&カンパニー』に目を通し始めた。

 さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、その音がせめて周囲には聞こえないように、私はプリントを千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目に見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。

 ジャッキーは、書ける、と思った。というよりも、書いたことがある、と。
 火曜の夜、ジャッキーは毎週『爆笑問題カウボーイ』というラジオ番組を聴くことにしている。今週の放送で太田光が、りさんの『釣りたい魚』を読んだと話し、その感想を述べていた。わからない、と。それで重い腰を上げ、セレブ(セレブン)に走ったというわけだ。
 1ページ目だけを読んでジャッキーは早くも決断を下していた。それが如何に的外れであったとしても、ジャッキーはそう考えてしまったのだ。
 そして本を閉じた。

 (文章うまい。たぶん最もよく書けた時の僕くらいに。それに、たぶん、僕が気恥ずかしくて使うことができないような「技」を惜しげもなくふんだんに使用しているのが彼女なんだ。すごい。そしてこの人はきっと、僕よりも若い。これが若者の感性なのだとしたら、僕はもう通過してしまっているんじゃないか。なんて年をとったんだろう。)

 彼はこのように思考した。しかしこのことが、若さを懐古し、羨望することと同時に、自らの優性、そして可能性をも肯定しようという意図があったことに、彼は気づいていないのだ。比較し、相手を讃える「ふり」をして、自己を確認し、地位を確保する。そういう防衛を、彼は自然に行っている。プライドの為せる業。これだけが、彼の十九年間を通じて普遍的に存在した、おそらくは唯一の性質だと言っていい。

 「たぶん最も良く書けたときの僕くらいに。」という表現からは、幾通りかの解釈が可能だろう。一つ。僕だってこのくらいの文章は書けるよ、という自負誇示皮肉または自慢(要するに負け惜しみ)。一つ。自分が最もうまく書けた場合のクオリティを綿矢りさんは当たり前のように書きこなしている、という悔しさの交じった賞賛。一つ。綿矢りさんのレベルを自分と比較して位置づけることで、自らの現在の位置を定位づけようとする確認行為。等。

 彼の心持ちは複雑であった。確かに彼は、綿矢りさんにある種の親近感を抱いている。「っていうこのスタンス。」「だってもう高校生だし。」などに自分に近い「文法」を感じたのだろう。「耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、」という文章を産みだしたことに敬意を払うことも忘れていなかった。しかし、「あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)」「まっ、」「ハッ。」「ますよ、気怠く。」という表現には時代遅れを感じたし、もちろん「っていうこのスタンス。」「だってもう高校生だし。」という「技」に対してもアンビバレントな感情で接していた。古いんじゃない?気張りすぎじゃない?若いのはいいけど、若いだけじゃない?などという批判の言葉も無数、内に秘めている。若いことはいい。若いことは武器になる。しかし、年をとってしまったときに若かったことに対して自覚的に取り組めなければ年をとった自分は若かった自分と齟齬を起こすだろう。お節介にもジャッキーはそんなことまで考えていた。
 「葉緑体」「オオカナダモ」「微生物」といった、学校の中に当たり前のような顔をして「存在」している不可解な「存在」たち。それに異を唱えることがすなわち語り手を「はみ出し者」と定義させることになる。それはわかる。でも、そんな陳腐な表現で本当にいいのかよ?とジャッキーは思ってしまうのだ。わかりやすい。なんてわかりやすいんだ。ワカモノにワカルモノが若者の文学なんだ、そりゃ当たり前のことだ。じゃあ若者が知性をなくしたら若者の文学まで知性をなくすということになるんだな?ハッ。っていうこのスタンス。

 「ハッ。っていうこのスタンス。」この響きに心地よさを感じていることをジャッキーは自覚していた。自分の中にあった響きだよ。と彼は思う。だからこそ悔しいのだろう。しかし、この響きに共感するということは、自分が彼のいう「知性のない若者」とやらにカテゴライズされることを意味してはいまいか。彼はそんなところまで考えを巡らせてはいなかったが、どこかで感じ取るところはあったのだろう、その心地よき響きの中でジャッキーは、何となく落ち着かない気持ちでいた。

 アア、緻密な文章が書きたい。

 ジャッキーは自分の文章が緻密でないことを知りきっていたけれども、それを直す術を知らないし、直そうともしていない。面倒だからだ。と彼は言うだろう。しかし自分に関する全ての「非」を、面倒という言葉に封じ込めてしまうことは、つまり言い訳に過ぎない。彼は具体的な活動を起こそうとは決してしない、今日もレストランの一角で、「新しい人称の小説について」などというメモ書きを作成している。机上の空論。その世界でだけ彼は、本物の天才だ。

 そうして今日も自覚している「ふり」をする。この記述だって、自覚していることを自覚していることを誇示しているだけなのだし、自覚することの連続は永遠に続く。無限、しち面倒臭い。

【第3話 ノーザンリバー・フレンド+ロックサワー・コンストラクション=シトロン  2004.2.11(水】

 その部屋には、citronの名曲『Ah! Those Days Of The Blue Spring』が流れていた。
 「みんながお似合いだって長いこと付き合ってた2人にも別れが来て…」


 「人の心って、変わっちゃうものなんですか…?」
 あの時のマンスフィールドの言葉を、ジャッキーは反芻している。
 変わらないものなんてない。絶対に。でも、だからこそcitronは『Friends' Tune』や『Snowing Sleet』を歌うのだ。信じられるものなんて何もない。それは知ってる。でなきゃ、信じることに意味なんてないんだよ。信じるんだ。もしもこの世に、何か確実に信じられるものがあったとしたら…それは決められた行程で人生を歩んでいくことと等しい。あるいはページをめくってただ一言、「愛」とだけ書かれた、小説。
 「信じる」ってそういうもんじゃないだろう?

 マンスフィールドは、泣いていた。電話ごし、ジャッキーはつっかえつっかえに喋り続けた。もともとジャッキーは、女の子の涙を見ることがいちばんの「嫌い」だった。けど、見えない涙ほどじゃない。ジャッキーはただ喋り続けた。人生では、男の子と女の子がいたら、何言ったって裏返っていくしかない。裏切りしかない。それをジャッキーはよく知っていた。だけど彼はそんな馬鹿らしいことを信じてなどいなかった。彼は人間を信じている。
 「愛し続けるんだよ、マンスフィールド。それしかないんだ。」
 発すべき言葉はそれだけ。どんな状況においてでも、変わらない。

【第2話 星の王 爺さま  2004.2.10(火】

 冗談じゃないぜ?
 男は小さく呟いて、架空の煙草を投げ捨てた。
 彼の名はジャッキー。
 千冊はある。
 畳に積まれた文庫本を前にしてため息を漏らす。
 冗談じゃない。再度呟いた。
 英文学、米文学、仏文学、独文学、露文学、その他。
 終わりが見えない。

 出版社ごとに分類して並べるのはもう飽きたし、それに、新潮文庫の『緋色の研究』を買ったら、創元推理文庫版の同じ本を持っていた、なんてこともよくあった。
 ま、どのみちドイルは新潮で揃えるつもりだったけど。
 ジャッキーは二本目の煙草に火をつける。
 見えない煙を吐き出して、目を閉じた。
 それにしたっておかしいぜ?本棚には文庫本だけで千冊以上が並んでいたんだ、なのに、読んだ記憶がほとんどないってのは。
 肩をすくめ、やれやれ。
 やっぱり、引きこもるしかないんだな。どんなに頑張ったって、ここにある本を読破するのに十年はかかる。そしてその十倍の速さで本は増える。
 時間が止まれば、哲学も止まる。
 可笑しい。
 手持ち無沙汰だ。

 整理なんて始めなければ良かったんじゃないか?
 ジャッキーは週末にクラスメイトとスーパー・ファミコンで遊ぶ約束をしていた。ソフトはもちろんあの名作、「スーパー・マリオ・ワールド」だ。だがしかし会場は書物の海。それまでに片をつけなきゃあ…。アアッ、と欠伸をして首を振る。それにしても。
 明日も仕事、だ。
 密室の男は天井を見る。プカリ。プカリ。煙草はパイプに変わっていた。




 大雑把に言えば、そういった部屋だった。時計だってカチカチと鳴るようなアナログではないし、風の強い季節でもない。隣家だって寝静まっているんだろう、ただ言えることは、そこには何もなかったのではなくて、静けさとか、静寂とかいったものが「あった」、だとか。あるいは、空気が存在した、と言い換えても良いかもしれない。彼の五感は至極正常に働いていたのだろうし、明らかに呼吸をしていたのだから。蓋然性は皆無、単純明快、偶然の寂寥感だ。だけど今までに経験してきた色々な物語を思い出して欲しい。ほら、どんな場合だって、そういう空間をバリバリと破り捨てて登場する新参者って何だ?そう、電話の音。

 「私の心情をブレヒトが悟り、あなたに絶大な嫉妬をしています」
 だからどうしたって言うんだい、シャーロット?ジャッキーは半ば呆れ顔で答えた。ブレヒトなんかよりも僕のほうが、ずっといい男だっていうだけのことさ。
 「さあ。それは見方次第だよ」
 ねえ、誰が「始まり」と「終わり」を定義するんだい?恣意的なもんじゃないか。始まりは無数にある。終わりだって。シャーロット、君にだってそのことくらいはわかっているはずなんだよ。本がある。一冊にしておこう。本の始まりはどこだ?ページの始まりは?行の始まりは?文字の始まりは?ほら、答えられない。僕だってそうなんだよ。苦しいのさ!
 ジャッキーは震える手でボタンを押した。空虚なものだった。悲痛な表情だった。

 本当に訳の分からないことがあると、わかったふりをする奴もいれば、わからなくて泣き出す奴もいる。そうかと思えば、彼なりの解釈で乗り切ろうとする奴だっている。
 最後のやり方は、なかなか賢い。


 だけど、嗚呼。無視する奴もいるかもしれない。それが耐えられないから、語り手は「死」を選ぶんだろう?

【第1話 信長のやぼんぬ  2004.2.9(月】

 瞳を開けたら昼下がり、欠伸とともにゆっくりと起き出す。
 いつも通り、ジャッキーは特に何にも考えていない。ただ傍らにある、夕べから読みかけの本を読み耽る。300ページほどのヘビーな本だったが、彼はその残りを読み終えると、コート着て、出掛ける準備にいそしんだ。
 おもむろにMDヲークマン(ソニー製だ)を装着して、流れ出す音は

 「ジャゲイン!人は誰も癒えない痛みを胸の奥に抱えてない!」

 最近のお気に入りは専ら、うわさのフォーク・デュオ「ゆぞ」だ。
 さあ外はもう夕方。愛車「おざわ」を駆って繰り出すは中村橋のマクドナルド、ベーコンチーズダブルバーガーだかダブルチーズベーコンバーガーだかチーズベーコンダブルバーガーだかよくわからないバーガーと、塩のふられたフライドじゃがいもと、ホットココアを注文し、二階へ上がる。ここでようやく彼は「ゆぞ」のスウィッチを切る。そしてまた本を読む。これまた300ページ以上ある、NHKブックス。
 コートも脱がず、黙々とバーガーを頬張りながら、隣のテーブルに陣取っている中学生たちの会話を盗み聞きしていると、彼は何だか気分が悪くなってくるのを感じた。途方もなく頭が悪いのだ。顔も悪い。笑いのセンスもない。男が2人と、女が2人。アア、五月蝉い。五月蝉いんだよ。しかし彼の気分を害したのは、騒音としての中学生ではなかった。むしろ、表象としての中学生である。何を表象しているのか?アア、アア、それを考えるだけでも、ウウウ、ウウウウー、不快だー。彼は悶えた。
 もしここに「檸檬」でもあれば奴らのテーブルに投げ込んでその忌々しいピンク色の性器ごとごっそり爆破してやるのに。残念ながら爆弾としての「檸檬」はこの場にはない。持ち合わせの中に、『檸檬』はあるのだが、意味無い。
 そうやってじりじりとしていると、歯の出た女子中学生が苦悶を浮かべるジャッキーを一瞥し、隣に座った細工の良くない女子中学生に小声で囁いた。
 「アア。あの人、すごい髪のけ。」
 ウウウー不快ダー。フカイダー。ジャッキーは確かに髪を伸ばしていた。元には何も戻らないと知るために。どうせマクドナルドに行くだけだからと鏡も見ずにボケッと出てきた。しかしこの百戦錬磨のジャッキー様に向かって「すごい髪のけ」はないだろう!ジャッキーは憤激して歯ぎしりしあやうく八重歯を破壊してしまうところだった。…だが平静を取り戻してよく考えてみるとちょっと恥ずかしくなった。ウウもしかして自分はかっこよくないのか?自問自答する。答えはない。しかし今髪のけを触ったり手洗いに立ったりするのは敗北だ。ジャッキーは素知らぬ風を決めてNHKブックスを読み続けた。ややあって、実は女子中学生が言及していたのは自分についてではなかったということが知れてジャッキーはホッとしたが、それは幻聴だったのかも知れない。

 マクドナルドを出て、隣の隣の隣にある古本屋に出向いた。8冊ほど購入して「深夜レストランに深緑のコートの男、老眼鏡を外し」などと歌いながら自転車を漕ぎ適当なファミレスを探す。おっとガクトが見つかった。ジャッキーは「AM3:00まで営業」というファミレスにあるまじき表示を見て困惑したが渋々入店を決意した。よく考えたらファミリーレストランとはファミリーで来店すべきレストランなのだから24時間営業である必然性は皆無だ。橘皆無だ。子どもは10時になったら寝ろと嘉門達夫も言っているのだからファミリーレストランは午前まで引っ張って営業することはないのだ。だのに!ジャッキーは憤りを覚えつつガクトの暖簾をくぐった。パントマイムで。そして禁煙席に案内される。こんな深夜にファミリーが来るものか!と店員の背中を睨み付け、待てよこの人には何の罪もないんだ…。なんて自分は酷い人間なのか。もう死のう。
 入店は9時前、なんかよくわからんグリル料理の盛り合わせみたいなやつとライスとスープとドリンクバーを頼んでブルジョワ気分。頭の中でシューベルトを鳴らしてみる。さっき買ったポール・オースターの『幽霊たち』を読んで感銘を受け、うむ。三人称万歳。

 そのレストランはファミリー・レストランだった。もちろん客がいた。客の他に店員もいた。そして何よりも、店の奥の禁煙席の更に隅の方のテーブルには、ジャッキーが座っていたのだ。彼は日替わりスープをひらりひらりと口に運びながら、オースターを読んでいる。時おり何かを思いついたような顔をして、小さなメモ帳に書きものをすることがあるが、そうでなければ静かにぱらぱらとページを繰っている。あるとき、彼の目の前で携帯電話がぴかぴかと光った。それを手に取り、画面を見つめる。それはジャッキーの所有に相違なかった。
 携帯電話はメールを受信していた。送信者はクリスティ。サークルのスキー・合宿を楽しんでいる最中で、酒の入っている様子だ。甘い愛の言葉をジャッキーに囁く。彼もそれを相応の言葉で返す。意味のない労働。そうも呼べるかも知れない。だがしかし彼は、意味のないところにしか快適はひそまないことをよく知っていた。

 ふと時計を見ると24時20分。今日は月曜日。…月曜日?
 「アア。爆笑問題のススメに、唐澤俊一が出る日じゃないか!」
 ジャッキーはそう叫んで、領収書を掴むと、千円札をレジに投げ出し、店を飛び出した。
 「ツリハイラ・ネーゼ」
 5分後、全速力のジャッキーは自宅に到着し、大慌てでテレビをつけた。×-GUNが前説をしている。唐澤俊一の顔が映し出された。ああ。間に合った。
 それからまた30分経って、ジャッキーはパソコンの電源を入れる。
 「頼むぜ相棒」
 意味のない言葉が彼をいつだって勇気づける。そして彼のセンチメンタルな夜は更けていくのだった。

 彼はWebサイトの抜本的な改築に着手していた。ガクトで思いついた計画を順調に押し進めていると、メールが届いた。オースティンからだ。内容は?…途方もない大嘘だよ。だけどまあ、白い嘘だね。そう思って、ジャッキーは「4月まであとふた月近くあるんだぜ、オースティン?」と返信した。するとすぐに電話がかかってきた。どうやら本当らしかった。百戦錬磨のジャッキーは無責任なアドバイスをたくさん送る。「トゥモローのターミナルエンドはフレンチ・キッスだぜ!?」

 電話を切って、ジャッキーは一人で祝杯をあげたアミノサプリ。

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