少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
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2019.7.31(水) 実効性について/団結は分裂の母/教育と愛情の構造
2019.7.28(日) 幸福の原点と「わかる」の卒業
2019.7.25(木) 優しさにつけこまれて三千里
2019.7.21(日)
2019.7.17(水) 水色のタンブラー
2019.7.16(火) 現状を問いかける陥穽
2019.7.14(日) 発想の断片(予告篇)
2019.7.11(木) ナゴ・ジャニ・そら、∞
2019.7.3(水)?5(金) 札幌と酒場と喫茶店
2019.7.9(火) コドクコドクと音がした2
2019.7.2(火) コドクコドクと音がした
↓推敲ひと段落(2019/08/02 04:33)
2019.7.31(水) 実効性について/団結は分裂の母/教育と愛情の構造
「まあ?……、27時間ふりかえって、団結、団結といって、団結はしたんですけれども、そのぶん、国民からは離れたかもしれません。(間。周囲からざわめき、つっこむ声)大丈夫ですか。えー……、テレビを見ていてくれた方々、そして、見ない方にも、感謝を申し上げます。どうもありがとうございました!」
(2012年の「27時間テレビ」エンディング、タモリさんの言葉)
東日本大震災の翌年ということもあって、この年のテーマは「団結」。27時間生放送で、「団結」をスローガンに全国をつないだ。最後の企画はタレントたちが一丸となって跳ぶ長縄跳びで、44回の記録を出し大団円。その直後の言葉が、上記である。
当時見ていて、「なんちゅうこと言うの」と思った。たまげた。なかなか言えるものではない。このあとタモリさんは、27時間マラソンを走った草なぎ(なぎ略)くんに話を振ったのち、何事もなかったように「団結しました!」を繰り返した。そうしてとりあえず場を盛り上げたところで、「それではまた明日も見てくれるかな?」「いいともー!」と番組をしめくくる。すべて、さすが。
そうなのである。テレビの中で団結をすればするほど、「国民」からは遠ざかる。
「見(てい)る人と、「見(てい)ない人」にまず、テレビは「国民」を分断する。そしてさらに、「団結している人たち」と、「団結していない人たち」とに分ける。
自由に満ちた「場」が大好きなタモリさん(と僕は考えている)からしたら、そうやって人々を分けていくことが快いとは思えない。彼は「世間」や「内輪」からそうとう遠くにいる。(そのかわり「密室」とはともにある。内輪と密室とはまったく別のもの。幼稚園の入園は拒否するが、宴へは乱入するしゴールデン街への招待なら受けるのが、タモリさんなのだ。密室には侵入することができる。世間とは、帰属するものである。)
そうだからこそ、『ある光』を歌い「無色の混沌」や「文学のテクノロジー」を著した小沢健二という人の音楽を(とりわけ歌詞を)あんなにも褒めるのだろう。小沢さんも、「分ける」ということに対して非常に敏感で、繊細な人に違いない。(そう僕はさまざまな面から思っている。詳しくはおたずねください。)
あのときタモリさんは、番組の趣旨と矛盾しかねない、「自分の思想そのもの」でもあるような本音を、さらりと言ってのけたのだ。そのうえで、草なぎ(な略)くんや「いいともー!」の掛け声を利用して、番組のエンディングを成立させてしまった。なんたるバランス感覚。いや、感服。七年も前のことなのに、こうして折に触れ思い出す。役に立つ。
タモリさんは、吉本の騒動(宮迫さん詐欺集団とのチョクの営業でやめさせられ事変)にも、いっさい触れていない。もちろん選挙の話もしない。「意見」を言うことが極端に少ない。その種のコメントを求められそうな番組やメディアを持っていないからでもある。たぶん仕事を選んでるんだと思う。
いいともやMステやタモリ倶楽部では、「意見」を言う状況にはならない。ブラタモリでも、ヨルタモリでも、ジャングルTVでもならないだろう。今夜は最高!ならば場合によってはありえないでもないが、三十年も前に終わっている。コラムなどの連載もずっとしていないと思う。ラジオは長いあいだ出演を続けてきたが、2005年度を最後に(知る限り、調べる限り)レギュラーはない。これはブログやSNSがブームになる時期とほぼ一致している。「ブログ元年」と言われるのが2003年または2004年で、mixiサービス開始が2004年。ツイッターは2006年(日本語版は2008年)。拡散や炎上から見事に逃げ切っている。鮮やかに。
自分のメディアを持っている人たちは、「発信力」と「発言の自由度」があればあるほど、影響力を持つ。それが彼らの「力」になる。
吉本興業の件では、様々な人たちが、それぞれの力を行使した。会長、社長、松本人志、加藤浩次、明石家さんま、売れっ子の芸人や売れていない若手芸人、多くの人がどこかで何か「意見表明」をした。「力」の大きな人は大きな力を使い、小さな人は小さな力をせいいっぱいに行使している。
宮迫さんや田村亮さんもある程度「力」があったからこそ、AbemaTVも会見に協力してくれたし、多くの人が耳を傾けてくれた。彼らの「力」はちゃんと「力」として機能し、マスコミにもテレビを見ている人にも、ネット配信やSNSなどを見た人にも、それなりの効果を与えられたと思う。くまだまさしや2700だったら、こうはならない。
「力」というのはそういうものである。小さな力よりも、大きな力のほうが強い。当たり前なことに。
そして、島田紳助さんにいわせれば、宮迫さんレベルの芸人であっても「もっと偉なってから言えと。偉くなってもういっぺん喧嘩せいと」(週刊新潮)なのである。吉本興業や芸能界というものの大きさを感じさせる、重たい一言だ。
ナインティナインの岡村さんはラジオで、「みんな冷静になってください。社長や会長と対等に話のできる諸先輩方が、掛け合ってみると言っているのだから、とりあえず任せましょう。それでもだめなら、改めて考えましょうよ」(大意)というようなことを言っていた。なんともまともな意見である。まともすぎるせいか、ワイドショーやインターネットではあまり注目されていない。
現時点で「力」のない人たちは、コツコツやるしかない。コツコツやって、「力」を得て、使いたいなら使う。小さな「力」では、行使したところでほぼ効果はない。(ここで、僕はもちろん、吉本の件とはぜんぜん違うことも視野に入れている。「このいましめ、万事にわたるべし」である。)
「でも、その小さな力がたくさん集まれば」というのは祈りでしかない。実効性があるかは別の話である。「集める」には「集める」ための「力」が必要なのだが、その発想がなければ、そうそう集まりはしない。「それじゃお前らみたいなやつらしか集まんなくて、お前らみたいなやつらってせいぜいお前らくらいしかいないんだよ?」と、僕はいっつも思っている。
本当に力を集めたいのなら、一人一人が「力」を大きくしていって、それを「集める」ために使う、という手順を地道に繰り返さないといけないのに、そういう発想がない。なぜかって、そんなこと面倒臭いから。たくさんのことを、いろんな角度から考えて、実践しないといけないから。
政府がくれる「一票」とやらは、タダで手軽にもらえる。それを行使するだけなら楽ですよね。デモも署名もツイッターもYouTubeも、タダで手軽に与えられている。自分では何も考えなくたって、やるべきらしきことは目の前にすべてある。誰かがすでに言っていることに、ただ続くだけでいい。
みんな面倒なことをしたくないし、自分のお金をできるだけ多く確保したい、ということなんだ。だからみんな、二言目には「税金」と言うんだね。
ついでだから「お金」について思うことを。
よくこんな意見を耳にする。「〇〇万円の給料から、所得税、住民税、年金、保険料その他いろいろ引かれて、さらに消費税が10%もとられたら、10万円くらいしか残らないよ!」とか。(金額は適当です。)
もし、この意見に「本来は〇〇万円もらえるはずなのに!」というニュアンスが含まれているのだとしたら、非常にふしぎなことだ。「自分は本来〇〇万円もらえる仕事をしている」と錯覚していることになる。いったい何を根拠に、あなたの仕事の対価が「〇〇万円」であると思うのか。それは「あなたの給料は〇〇万円です」と雇用元から言われたから(明細に書いてあるから)だけではないのか。
あなたの仕事の対価はそもそも、10万円なのである。そこから逆算して、「〇〇万円」が導き出されるのである。本当の順序はこっちなのだ。
あなたは10万円がもらえるくらいの仕事をしている。10万円に、所得税や住民税や年金や保険料や、各種の間接税などが《加算》されて、「〇〇万円」という額面になっているのである。(この考え方が間違っているとしたら、ぜひ教えていただきたいです。)
注目するべきなのは「〇〇万円」という額面ではないのだ。実際にあなたが使える「10万円」なのだ。それが「現実」である。
さらに、その「10万円」がどのくらいの価値かというのは、市場(物価)が決める。
だからもっと詳しくいえば、あなたが気にするべきなのは「あなたが手にした価値」なのだ。
こんな言い方もよく見る。「消費税10%をあわせると税金的なものの割合が給料の30%を超えるので、一年に四ヶ月くらいはタダ働きしている計算になる」というもの。これも錯覚。数字の詐術。
あなたは働いた対価をちゃんと得ている。明細にはもうちょっと大きい数字が書いてあるというだけだ。複雑な事情があって、そうなっている。その「複雑な事情」をすべて無視して、ただ「ヤダ!」とだけ言うのなら、それは単なるわがままだろう。
あなたが「まず」考えるべきなのは、「あなたが手にする価値」についてである。それが十分であれば困らないし、十分でなくて困るのであれば、なんらかのアクションを起こしたほうがいい。
が、ここで「税金的なもののせいだ!」と思うのはたぶん早計である。
果たしてそれは「税金的なものの額」だけのせいなんだろうか?
当然そこには「複雑な事情」がある。
あなたが自分の手にした価値(かりに「10万円」)を「少ない」と思うのだったら、その原因として考えられる「複雑な事情」のすべてに目を向け、片っ端から分析し、是正できるところから是正していかなければならない。
「税金的なものの額」だけを考えていても、事態はよくならない。だって、よっぽど複雑な事情があってそうなっているのだ。「おれからとる税金をもっと減らしてくれ!」という単純な嘆願によってひっくり返ることは、まずないと見ていい。かりに税金が減ったとしても、「複雑な事情」はたぶん許してなどくれない。形をかえて、ふりかかる。
税金的なものたちは、ひとまずは「所与」なのである。ともあれそういうものが、今現在は(変更が決まっているぶんまで含めて)「ある」。道路や信号や横断歩道がすでに無数にあって、それを不満に思ってもなかなか変えられないというのと同じである。時間は巻き戻せないのだ。
税金的なものたちは、すでに存在している病院や警察や学校やさまざまなインフラや福祉や防衛費や外交費や国会議員の給料や宮内庁の予算などなど種々の複雑な事情によって設定されている。それに文句を言ったところで、すぐにはどうしようもない。
まず大切なのは「どのくらいの貨幣価値があなたの手元にきたか」なのだ。
「複雑な事情」という大きなものを変えていくことは、少なくともすぐにはできない。だから、ひとまずは「自分の生活を素敵にする」方法を、考えられるのなら考えたほうが、いいと思う。
たとえば、税金的なもののことだけでなく、もっとべつの視点からでも「あなたが手にする価値」を高めるやりかたを考える。あるいは、「その価値のままですてきに暮らしていくやりかた」を。
そういえば、若い人たちは消費税について「生まれたときからあったものだし、たったの数%上がるだけでそんなに騒ぐのがわからない」と思っているのではないか、という意見をどこかで読んだ。
まださほど勤労も納税も経験がないからピンと来ていないのだろう、とも思えるが、「生まれたときからあったものだし」という部分については、注目しておきたい。35歳以上の人たちは消費税がなかった時代を覚えている。50歳以上ならば、大人になってから消費税ができている。20歳の人は生まれた時には5%で、15歳くらいで8%になっている。
消費税があるのは当たり前で、上がっていくのも当たり前。8%も当たり前。
消費税以外のものをとっても、どの世代をとっても、何かそういうものはあるはずだ。いま生きているすべての世代が、「〇〇があって当たり前の世界に生きている」のだ。
平和(戦争のない状態)があって当たり前、とか。
世代間ギャップとはそこにある。そういうことを問題にする限り、「分裂」はおさまらない。
考えるならば、もっと普遍的なところに目を向けたほうがいい。
「いかにして(みんなが)すてきに暮らしていくか」。
キーワードは、僕なりにいえば「かしこさ」と「やさしさ」、あと「めんどくさがらない」こと。そのあたりを軸に、考えて、生きていく。
しかし、そういうことを考えられるような人は、考えたほうがいいと僕は思うが、「考えられない人」はどうしたらいいか。「少しでも考えられるようになる」のがいいだろうと思うが、そうも言っていられない事情はあるはず。
いま、僕が言えるのは、「考えられる人が一所懸命考えるしかない」である。面倒くさがらずに、考えられるなら、考えるほうがいい。「考えられない人」も含めたみんなが、少しでもよくなるように、一所懸命考える。それでうまくいけば、「考えられない人」にも考える余裕や気持ちが芽生えるかもしれない。
なんか、代議士制の本来、みたいな話をしているかのようだ。でもそれは今のところうまくいっているともいえないようだから、できるだけ多くの人が、できるだけいっぱい考えたほうが、いいんじゃないかしら。
それでちょっとずつでも、「力」をつけていったほうが。それがたぶん「実効性」への地道な道と思う。
巨大なる「複雑な事情」をほぐしていくものがあるとすれば、一人一人のかしこさと、やさしさ、そして面倒くさがらない気持ち。それらを「実効性」というテーマのもとに、うまく活用していく。
宮迫さんや加藤さんは、ある程度「力」があったから、ある程度「実効性」のある方法が取れた。会社や世間をある程度動かしたことは疑いがない。が、紳助さんにいわせれば「まだ早い」のだろう。ナインティナインの岡村さんや明石家さんまさんのように本当に賢い(と僕は思う)人は、焦らず、現状を冷静に把握し、虎視眈々と「実効性」をたくわえている。
「団結すればするほど、国民からは離れる」というタモリさんの箴言を思い出したい。「団結」による実効性など、その程度のものである。団結は分裂を強化するだけなのだ。タモリさんにはそれがよくわかっている。そして、それをたった一言だけでもテレビで言ってみることも、彼にとってのささやかな「実効性」なのかもしれない。
ここで「団結」というのを、「誰かの言っていることにただ乗っかる」まで広げて考えてみると、「ああ」と僕は思い当たる。
たくさんのことに、思い当たらないものですか。
ところで、どうしてみんな、そんなにも「トップダウン」が好きなんだろうか? トップに泣きついたり、脅したりすることばかりを考えるのだろう? あるいは、「おれたちの中からトップを出そう」とか「おれたちがトップを選ぼう」と考えるのだろうか。答えはたぶん、それ以外のことを考えるのは大変だからだ。能力がないし、面倒だからだ。学校や会社組織や、自分の育った家庭でやってきたことの延長でものを考えるほうが、自然なのである。
これが「愛情も教育も上から下に注ぐことが前提にある」ということの問題点。
ぜんぶつながっています。
(なぎは弓ヘンに旧字体の前に刀。)
2019.7.28(日) 幸福の原点と「わかる」の卒業
いろいろと思うことはたくさんあっても、自分の人生のなかで今ほどしあわせな時期はない。物心ついたときから、末っ子の僕の中には「わかってもらえない」が充満していた。3人の兄は僕の考えていることを「自分が考えている範囲」の中に収めようとしていた。まさか一番下の弟が、「自分が考えていない範囲」について思いを巡らせているなんて、想像もしなかっただろう。無理もない。きっとほとんどの場合はそれで正解だったから。でも、そうじゃなかったこともいっぱいあった。
学校に上がれば、先生や同級生もまたそうだった。こちらの考えていることを勝手に汲み取ったり、刈り込んだりした。中学生まではずっとそうで、高校に上がって知恵がつき言葉も育ってからは、「なんでわからないの?」という態度に変わった。そこから先はこのHPを参照のこと、である。
一方で両親は「わかる」とか「わからない」というアプローチをあまりしてこなかった。末っ子だったからでもあろうが、それにしたってこれは本当に偉大だと思う。「両親にわかってもらえなかった」という記憶がまったく思い浮かばない。「わかってもらえた」という記憶も、ほとんどない。だから僕たち親子は永遠にわかりあうことがなくていいし、そのままで最大に幸福なのだ。
高校生より先、「なんでわかんないの?」という傲慢な内心を持ち続けて、ひたすら「説明すること」に努めた。やりかたはけっこう雑ではあったと思うが、徐々に身を結びはしているはず。それでようやく、このあたりにいたって、まったくわかってくれますな、という人たちが何人かいるし、わかりかけている気がする、わかりたい、というふうに思ってもらえることも増えた。ありがたいことです。
そんな幸福のただ中にありながら、一週間くらい前は実のところ「なんでわかんないの?」が膨張して破裂寸前になっていた。今やっと、「そろそろつぎの段階ってことだな」と冷静に考えることができている。
「わかってもらえない」という悲痛な叫びから、「なんでわかんないの?」という傲慢な主張になり、さてその次はなんだろうか。
謙遜せずにいえば、もうとっくに、12年くらい前から、「つぎの段階」にいるはいる。「まずは僕がわかんないとな」である。自分がわからないくせに、他人に「わかれ」と願うのは、それこそ傲慢。「なんでわかんないの?」という声はとりあえず隠して、「まずは自分がわかろう」とたぶんここ12年くらいはやってきたつもりなのだ。
今、自分が「わかっている」状態にあるとはもちろん、思っていない。本当に、わからないことは果てしなくある。だからこそ、もう「わかろう」じゃない段階なのだろう。そして同時に、「なんでわかんないの?」も捨てるべきタイミングに来ている。
すなわち、「わかるとかわからないとかじゃない」という境地。それが具体的にどういう状態なのかはしらないが、たぶんもう、「わかる」という周辺にいることは休んだほうがいい。すぐにそうはできないが、すこしずつ軸足をうつしていきたい。
で、その前に「わかる」まわりのものごとを一つの文書にまとめておきたい。もうそろそろそれができそうな気がする。そういう形でけりをつけないと、「同じ種類のわかりかたを延々続けている人」になってしまうだろう。それはそれでかっこいいはずなのだが、僕はすでに飽きている。
いや、もうしばらく「わかる」のことを続けますよ。一年くらいで、なんとかしたい。
2019.7.25(木) 優しさにつけこまれて三千里
長文書いていますが完成しません。もう少々お待ちください。
ここんとこずっと考えているのは「甘え」ということ。この定義は前に決めた。
「甘え」とは、「他人に負荷を与えることがわかっていながら、あるいはその可能性がかなり高いことに気づいていながら、自分の負荷が軽くなることのほうを圧倒的に優先してしまう態度」のことである。
(2017.06.03(土) 甘えとは)
甘えている人は、「この人になら、負荷を与えてもいいや」と思っているのである。たいてい無根拠に。たとえば親などに。
自分は、そう思われがちな人間になってしまっているのかもしれない。「負荷を与えてもいいや」とまではいかなくとも、どうやら「ジャッキーさんにとっては、たいした負荷じゃないだろう」と、思われてしまっているフシがある。「お母さんにとっては、たいした負荷じゃないだろう」と、世の子たちみんなが思ってしまっているように。ちょっとでも楽になったほうがいいに決まってる、本当はそれがわかっていながら、「まあでも、お母さんにとってはたいした負荷じゃないだろう」と勝手に思うようにして、お皿を片付けなかったり、いやな態度をとったりしてしまうのが、世の子である。(「世の子」といっても、特定の宗教の話をしているのではありません。)
そうだとしたらある意味誇らしいことで、僕はそういうお母さんとかお父さんみたいに、強っちい人間だと思われてるってことだ。すごい。でも、いたわられたいね、たまには。いや、いつでもね。
「あの人は好きでやってるんだろう」とか「何も言わないから大丈夫だろう」というのを、勝手に思い込んで、自分に負荷が降りかからないようにするのが、「甘え」である。「かもしれない運転」を心がけましょうよ。
これ別に、ある特定の人に向かって書いているのではなくて、みんなそうなのである。向けているのだとしたら、「たくさんの特定の人」に向かって、書いている。
四方八方あらゆる人たちがそういうふうに見えて、たいへん今僕は負荷を感じているのだ。(被害妄想! と言うような人のことは、知らん。つかれてきているのは、確かである。)
おとうさんおかあさんいまさらながらごめんなさい、ありがとうございます。ばちがあたりました。でもそのくらいには、いいやつになったよ。
2019.7.21(日)
きびだんご持ってようね
から、始まる詩を書きましょう。
他人はあてにならないです。
2019.7.17(水) 水色のタンブラー
いちばん好きな喫茶店はどこか、と聞かれたら祖母のやっていた「駒」で揺るがないが、ほかでなら、本所三ツ目通りのあるお店。創業83年、何もかもが古いように見えて、よく見れば何もかもが「今」であるような、美しい空間である。つい最近、メニューが全面的に改められた。まだまだ続けるつもりなのだ。
こないだ祖父が亡くなって、葬式には「駒」の店内で夫婦ならんだ写真が飾られていた。それで当時使っていた「冷やタン」つまり、「お冷やのタンブラー」の種類がわかった。その水色のタンブラーは、おそらくアデリアというブランドのものと思われた。
この5月26日水曜日、「がまぐちや」という湯島の小さな喫茶店が43年の歴史に幕を下ろした。その際に食器などをまとめてお譲りいただいたのだが、その中にあった「冷やタン」もアデリアである。ただし色のない透明なもので、「駒」にあったのとは少し違う。
今日、三ツ目通りの件のお店でソーダ水を飲み、お会計しようと立ち上がる瞬間、カウンターの脇に下げられていた「冷やタン」に目が止まった。それはアデリアの水色のタンブラーだった。
何度となく通っているこのお店で、このタンブラーは初めて見た、気がする。いや、ひょっとしたら何度も目にしていて、「駒」と「がまぐちや」のおかげで、意識がようやくそっちに向くようになっただけなのか。
聞けば、その水色の冷やタンは「ずいぶん古いもの」で、「もうこの一つしか残っていない」という。
祖母は86で健在である。もしも道路拡張の話がなければ、「駒」はまだ営業を続けているのかもしれない。
二重写しになる。あの人たち、もしかしたら同い年くらいなんじゃないかなあ?
ほんとにただ、そんだけの話。
2019.7.16(火) 現状を問いかける陥穽
「よくなりたい」と思う人たちがいる。一方で、「悪くなりたくない」と思う人たちがいる。
「悪くなりたくない」と思う人たちの中には、「自分の現状に問題はない。だから、現状を維持したい」と考える人たちがいる。
美しい女性が、「私はいま十分に美しい。現状を維持したい」と思っているような、イメージである。
わたしはいま十分にかっこいいのだから、かっこ悪くなりたくない。
そういうふうに考える人たちの中には、「よくなりたい」という気持ちがあんまりない人たちがいる。
「悪くなりたくない」という考え方が強い人は、「悪いところをなくしたい」という気持ちになってしまいがちである。(ここは僕の決めつけである。)
「悪い」を起点に考える。
つまり、なるほどこの話は、「よい」を起点にものごとを考える人たちと、「悪い」を起点にものごとを考える人たちの話なのだ。
「悪い」を起点にものごとを考える人たちは、「現状」というものに注目している。「よい」を起点にものごとを考える人たちは、「未来」を見ている。
「悪い」について多く考える人と、「よい」について多く考える人、の違い。
「かっこよくなりたい」というのと、「かっこ悪くなりたくない」というのとの、違いである。
未来のかっこいい自分をイメージしているか、過去から現在までのかっこよかった自分をイメージしているか、という違いかもしれない。
前者は、「かっこいい」ということの検証が不可能であることを、踏まえている。
「現在」や「過去」がかっこよかったかどうかは、自分ではわからない。
だから、せめて未来だけは、と努める。
「かっこ悪くなりたくない」という人は、「かっこいい」ということの検証が可能だと思っているきらいがある。「悪くなりたくない」という人は、「よい」ということの検証が可能だと思っている、きらいがある。
検証はできない。だから「よくなりたい」しか存在できない。
せいぜいいって、「よくありたい」だ。
ところでいまいる居酒屋。「のみや」という名前(!)なのだが、マスターが超かっこいい。なんなんだろうな。てきぱき動いて。
かっこつけてないんだ。いつかは、この境地に。
ちなみに僕は、口ではたまに「かっこ悪くなりたくない!」と叫びます。そういう時は、「ああ、自分のことをかっこいいと思ってるんだな」と、ほほえんでいただけたら幸いです。
(そういう瞬間もある、ってことです。)
やっぱ、鶴瓶さんの「もっとおもろなりたい!」はすごい一言なのだ。
ところで、この記事のような論理(?)展開はちょっとそろそろ一区切りしたいので、こういうふうなものの考え方をまとめて小冊子でも書き下ろしたいです。(いつもの皮算用)
2019.7.14(日) 発想の断片(予告篇)
書きたいことの7分の1も書けていない。日記もだし、夜学日報はじめ夜学バーHPもだし、夜学マニュアルもだし、冊子もどんどん作りたいし。豆本のことだって忘れてないんだ!
あと、塾で長らく働いている友達に、塾をやるべしと背中押されたので、なんとか夜学バーか、あひる社か、ないしどっかしゃん(名古屋弁)使って、何かやれたらいいな。まずは国語の授業か、文章講座か。まあ、そのうち……。まずはもうちょっと時間的精神的余裕を作らないと。
今日はもう寝てしまう(現在午前5時、時間が二人を朝にする時刻)ので、予告めいたことを書き置く。エッセンスだけを手短に。
「言葉の一つ一つに気を遣わない人」についてずっと考えていて、ちょこちょこ書いているのだが、言葉だけでなく「目線(視線)」もあまり意識されていない。
その目線(視線)が、どういう意味を持つのか。それを向けられた相手や、その様子を見ている第三者をどう感じさせてしまうのか。そういうことに気を遣わない人についても、考え始めている。
目線(視線)というのは比喩としてではなく、そのもの。その目がどこをどう見ているか、というのは、みんなけっこう敏感に察知している。向けられた相手はもちろん、周囲にいる人たちも。目は口ほどにものを言う、というのは本当だ。
最近ずーっと書いている、「客観性」ということと、深く関連している。
「妖精やコロボックルがいないとは考えていない」という人で、信じられないほど賢い、という例を、僕はいくつか知っている。僕が狐に助けてもらったエピソード(この話は、頭がおかしいと思われるのが怖くて、そんなに頻繁には語っていない)を聞いて、「あると思います!」と思ってくれるような人たち。それはいわゆる「オカルト」や「スピリチュアル」みたいなものとはだいぶ違って、ただ単純に、「妖精やコロボックルがいないとは考えていない」くらいの温度で。つまりそれは「慎重で誠実な人たち」ってことでもあると思う。だから賢くなっていくんじゃないかしらね。
斉藤洋さんの『ひとりでいらっしゃい』について、まとめておきたい。あの本がめちゃくちゃ好きで、みんなに読んでもらいたい! という感じでもないけど、ある一面において、まったく完璧にすごいお話なので、そこだけは共有したいのである。
とくに子供のふれるお話において、「ある」かどうかは非常に重要だ。「(ありえ)ない」話は、ぞくぞくしない。「ある」話のほうがいい。僕は、『はてしない物語』は「ある」と「ない」のすれすれのあたりにあって、「ナルニア国」は、(生育環境も影響しているのかもしれないが)「ない」ような気がする。岡田淳さんの諸作品は「ある」ようなものがほとんどだ。
僕は意外と、「こそあどの森」にはまるのが遅かった。岡田淳さんの話のなかでは、一見「ない」ように見えるからである。でも、実はどの作品よりも「ある」のかもしれない、とわかってから、ずずずずずっと深くのめりこんでいった。
『星モグラ サンジの伝説』なんかは、究極に「ある」話だと思う。『竜退治の騎士になる方法』なんて、「ある」の極致。なにも不思議なことは起きていない、かもしれない。
斉藤さんの『ひとりでいらっしゃい』も、芸術的に「ある」話になっている。
ズッコケ三人組は、とりわけ初期のほうは、べらぼうに「ある」だった。中年シリーズは、もう「ある」でしかない。(子供は読まないだろうけど。)
ドラえもんは、机の中からやってくるところが、「ある」感じを帯びさせている。
「ある」ってのがなんのことかっていうのは、たぶん『注文の多い料理店』の
序に書いてあります。
で、この「ある」っていうのは、「あったらいいよね」じゃなくって、本当に「ある」なのだ。妖精やコロボックルが「いない」とは思っていない、というぐらいでいいから、本当に思えねばならない。
そこはけっこう基礎の基礎なんじゃないかと思う。何のって、愛のですよ!(本気で言っている。)
神様に関わることですからね。
ちょっと僕はなめられすぎなのではないか? という問題。「みなさんジャッキーさんを甘く見すぎでは?」と問題提起してくださったかたがいたので、ちょっくら真剣に考え、できるなら対策もしていこう。僕はもしかしたら「みなさん」が考えているよりずっと賢く、鋭く、かつ、デリケートでセンチメンタルな人間かもしれないのですよ! だいたいのことは、「みなさん」が自分で思っているより、見抜いているので、気をつけていただきたい……。
で、たぶん、「みなさん」が思っているよりも、僕は優しく、控えめで、意気地がない。だから直接は何も言ってこない。それほど恐ろしいことはない、ということを、もうちょっとわかっていただけたら幸いでございますけれどもな。
2019.7.11(木) ナゴ・ジャニ・そら、∞
19周年です。ありがとうございます。
何度も書いていますが20周年の来年、2020年7月11日(土)は、10年ぶり2度目のオフ会(!)をおこないます。会場は夜学バー、13?17時くらいを考えています。
せっかくなのでホームページのお客だけを呼びたく、今日をもってこのHP以外ではいっさい告知しないことにいたします。さて、どのくらいくるかなあ。土曜日なのでみなさん、予定を空けておいてください。今から。来られない人は、ぜひとも電報……というか
メールフォームからでいいのでコメントください。匿名でも送れるので。
かくれて読んでくださっている方々、10年にいちどの機会なので、よろしければ、何か。
2010年に、初めてオフ会と称した集まりをしたんですよ。ほぼジョークで。その時に「次回は10年後!」と言ってしまったので、やります。こればかりは。イベントみたいなのはあんまりやりたくないんだけど、これはもう仕方ない。
この日記のタイトルよくわかんないかと思いますが、名古屋市のマークは「八」なので、関ジャニ∞よりもナゴジャニ∞のほうが正当性があるぞ! という心の叫びです。名古屋ジャニーズどうなったんでしょうね。(一生言い続ける所存。)
東海地方で活動するジャニーズJr.が在籍するユニット、通称ナゴジュ。ジャニーズJr.黄金期に誕生した。関西ジャニーズJr.と違いTVレギュラーや単独コンサートをしないため、先輩のバックが主な仕事であった。そのため名古屋ジャニーズJr.が存在しているのかすら、あやふやな時期が長く続いた。しかし2012年のSexy Zoneコンサートで平野紫耀と岡本カウアンが名古屋ジャニーズJr.として紹介され、組織の存在が確認。
ただし彼らもジャニーズJr.もしくは関西ジャニーズJr.として活動した。
ちなみに名古屋jr.からCDデビューを果たしたのは千賀健永と平野紫耀のみとなる。
(https://dic.pixiv.net/a/名古屋ジャニーズJr.)
平野くんがナゴジュだとしたらナゴジュすごいジャン。
ただ「組織の存在が確認」とあるけど、これ本当なのかな。適当に名古屋の子たちだから名古屋って言っただけで、「組織」はべつにないのではないか……。研究が待たれる。
ナゴジャニがなぜか気になるくらい、僕は生粋の名古屋人なのです。このホームページを始めたときは、もちろん僕は名古屋にいました。15歳の高校一年生でした。
一度だけ兄に「ジャニーズ入る?(勝手に応募するぞ)」と言われたことがある。怪奇倶楽部とかやってたころかな。たぶん小学生。もし僕がジャニーズに入っていたら(入れるかどうかは知らないが)当たり前だけどぜんぜん違った人生だった。こんなホームページを公開するような人間なのだから、ヤバさだけでいえば堂本剛さんや渋谷すばるさんに匹敵する(もしくは超える)。たぶん、30人くらいのコア?なファンが熱狂的に応援してくれたんじゃないかな……。で、なんかどっかのタイミングで退所してるでしょう。かなり早めに。個人的には金八に出て風間くんルートに乗りたい。
それにしても。一度でも履歴書を送っていたら「ジャニーさんに選ばれた人間」もしくは「ジャニーさんに弾かれた人間」になれていたのか、と思うと、ぞくぞくしますな。すべての履歴書をジャニーさんが見ていたかどうかは、これも知らないけど。
男子たるもの、一度はジャニーズに履歴書を送るべきだったのかもしれない。まだ名古屋ジャニーズが元気だった時代(要出典)に……。
そんなことを夢想させるジャニーズおよびジャニーさんはやっぱりすごい。僕はべつにジャニーズが好きなわけではない。単純に考えても複雑に考えてもジャニーズを「良いもの」と評価することはできない。ただ、めちゃくちゃ面白いとは思う。そして、「存在してしまったからには必要であった」ものだとも思うし、「怪物的に芸術的なもの」だとも感じる。ジャニーズがこの世になくてもよかったけど、ジャニーズがこの世にあってしまったから、今こういう世の中になっているのかもしれない、とさえ考えることがある。そのくらいジャニーズは巨大である。ジャニーさんという人が怪物すぎて、「ジャニーズがなかったらなかったで、代わりのものが流行ってるでしょ」と単純に考えることができない。ジャニーズがなかったら、いったいどうなっていたのだろう? ひょっとしたら、ないほうがよかったかもしれないし、あったほうが圧倒的によかったのかもしれない。わからない。そういうところが、本当に面白い。
ここから適当なことを言うので識者は割り引いて読んでほしい。
ジャニーさんの感性はアメリカ的なものだと言われることがあると思うし実際ある程度そうなんだろうと思うんだけど、しかしジャニーズというものは実際ものすごく日本的なものだと思う。だから、意外と男性アイドルまわりにあるものは、さしてアメリカナイズされてこなかったのではなかろうか。ジャニーさんは実は、ジャニーズによって日本の文化的感性を守っていた人だったのではないかと。
近年ジャニーズの力が弱まっているとしたら、代わりに強くなってきたのはたとえば具体的にはLDHでありK-POPでありDA PUMPである。それらはすべて、むっちゃ乱暴にいえばアメリカなのである。(K-POPにはちょっと異論があるかもしれないが。)こういう価値観の流入を、たった一人で防いでいたのが、ジャニーさんだったんじゃないだろうか。
少なくとも源氏物語の頃から続き、文学や浮世絵、漫画、歌舞伎などの芸能へと受け継がれてきた日本の文化的感性を、「男の子」というパッケージ(!)に落とし込んで表現した演出家が、ジャニーさんであった、と言ったら、ちょっと無茶苦茶だろうか。まあ19周年だし言わせてくださいよ。
ジャニーズは日本の立派な伝統芸能であって、だからこそ「河原者」みたいな側面があった。貧乏の影があった。性的虐待と呼ばれるようなこともあったのだろう。裏社会とのつながりだってまったくないわけがない。そういうことは日本の芸能のこれまでの歴史を見ていけば、どこにだって当たり前にあったことだし、今でもあることだ。だから僕はジャニーズを「良いもの」とは言えず、しかし「面白い」と言えるのだ。芸能とはそういうものなのだ。差別を前提としているのだ。
吉本興業がアメリカ的でないのと同じくらいには、ジャニーズもアメリカ的でない。欧米式でない。西洋風でない。で、もしも吉本がなく、ジャニーズがなければ、芸能界はどうなっていたであろうか? というと、ひょっとしたら今のように日本的な雰囲気はなかったかもしれない。
そのことの是非はある。日本的なのはやめにして、アメリカ的にしようという声もある。具体的には、事務所制でなくエージェント制にしよう、とか。もしも吉本が崩れ、ジャニーズが崩れれば、そういう流れにもなるのだろうか。そろそろもう、事務所の看板がモノを言う時代ではなくなるという見方もある。ユーチューバーやオンラインサロンで稼げたり、商業よりも同人誌のほうが割りが良くなったり、手売りのインディーズミュージシャンがけっこうやっていけちゃったりするのなら。
ただ、そうなると、誰が価値観とか、美意識をリードするのだろう? それをやっていたのが、ジャニーさんのような人だったのだ。ジャニーさんは「こういうのがいいんだよ」と人々に教える、教育家の側面も持っていたはずだ。それはタレントに対してだけでなく、広く世間のみなさまに対して。「日本において、かっこいいとはこういうことだ」ということを、世に知らしめていたわけだ。で、最終的には「世界が平和であるってのはこういうことだ」と言いたかった人なのだ。たぶん。
これからの世の中は、もしかしたら、リーダーなんていなくなるのかもしれない。みんなが好きなようにやっていって、それでなんとなく成り立っていくのかもしれない。でも、それで「すてきな世界」になるためには、みんながもうちょっとずつかしこかったり優しかったりしなければならない。それが心配だから、教育家はついつい「教育」なんぞに身を焦がしてしまう。
教育とか愛情ってのがどういうものか、というのは
9日の日記に書いた。ジャニーさんは天才で怪物で、だからずいぶんうまくできたほうだとは思うけど、それでもやっぱり、教育とか愛情の限界だけは突破できなかったんじゃないかと思ってしまう。それは同時に人間の限界でもあるだろうから。教育も愛情も、上から下に注ぐものでしかないのだ。いくら敬語を禁止したって。いくら身体を使ったって。家族があんなにたくさんいたジャニーさんに、友達はどのくらいいたのだろうか。
7月11日(木)午前0時でサイト19周年。あと3時間半。店には客が一人のみ。そのうちみなさん、祝いに来てね。(言わずにね。)
2019.7.3(水)?5(金) 札幌と酒場と喫茶店
<3日 水>
新千歳空港から札幌へ。17時ごろ着き、地下をダッシュして「わらび」という喫茶店に向かったが、閉まっていた。ネットで調べたら18時までとあったが、17時半の時点でもう真っ暗。最近は早めに閉めるようにしているのかもしれない。
待ち合わせまではまだ1時間ほどあったので、そのまま「すすきの」周辺を歩き回った。言うまでもなく、北海道でいちばんの繁華街。すすきの交差点ではフジテレビの『ザ・ノンフィクション』で二度取り上げられたオルカという芸人を探したが、いなかった。現在はどこにいるのだろう。それから狸小路のあたりを入念に下見した。いくつか気になるお店があった。その一つが「mayu 繭」。あとで出てきます。
ぶらぶらしていると、「30分ほど遅れます」という連絡があった。30分あれば。「ポロクル」という貸し自転車で散策することにした。手続きなし、パスモをかざすだけで乗れてしまう。東京で登録したアカウントが全国共通で使えるようになったのだ。そして安い。60分で150円。
ぐるぐると走り回る。最初に街の雰囲気や構成などをできるかぎり把握しておくと、あとで効いてくるのだ。直観で川を渡ってみる。思った通り、良さげな小さな飲み屋が軒を連ねているエリアがあった。繁華街を外れると家賃が安くなるので、儲けよりも志を重んじるようなお店(ようするに、個性的な店)が増えてくるものなのだ。あとでまた来よう。
19時すぎ「未来カレーこりす」へ。友達がアルバイトしていたとのことで。とてもおいしかった。おすすめ。そこで人と合流。前に一度、僕のいる夜学バーに来てくださったことのある方。フリースクールを運営していて、そのお話を聞きたくてお誘いした。のちその同僚の某さん、「訪問と居場所 漂流教室」という名のこと(だいぶあとに詳述)をしているPさんもやってきた。
だれもドリンクやサイドメニューを頼まず、カレーとパンないしライスだけを注文。食後はごく自然に個別会計。やはり「自由を基盤とした学びないし福祉事業」的なもの(もちろん、ここには夜学バーも含まれる)に手を染めている人たちの集まりだ。そういうことなのだ。
東京の東陽町にある「古本と肴 マーブル」の店主から「小学校の同級生がやっている」と紹介された「小さな呑み屋さん ipeko.」へ。コーヒーウォッカを飲む。某所の料理長、インフラ系のえらいひととその部下らしき人などと肩を並べる。良い雰囲気。
2012年、狸小路七丁目にできた「たぬきスクエア」という飲屋街にそのお店はある。ここんとこ地方に行くと「美しく整備された人工的な飲屋街」みたいなものをよく見る。(都心にもある。)だいたいは風情に欠け、さして面白そうなお店も入っていないものだが、ここはちゃんと(?)迷路のようになっていて、歩いていたらいつのまにか隣の建物に迷い込んでいたりするし、狭くていい感じに汚くさえある。
odecoという立ち飲み屋をすすめられたので行ってみる。RPGのように、町の人から情報を聞いて行き先を決めるのは旅の楽しさのひとつ。黒ラベルを。札幌はやっぱりSAPPOROが多い。
猫の額のように小さなお店。最大8人入る、と店主は主張するが実際3?4人も入れば窮屈になる。8人入ったら楽しそうではある。出張で来ている人が二人もいた。東京からの方もいたので、お店の名刺を渡しておいた。このように僕は常に旅行と「営業」(宣伝)とを兼ねているので、旅費交通費飲み代などはすべて経費なわけである。(個人事業主としての経費にしているので、お店のお金に手をつけているわけではないです、念のため。)もちろん、作法というものの少しは心得ているつもりなので、だれかれ構わず名刺を渡すわけではない。「この人とここで別れて一生会えないのはもったいないな」とか「この人はぜひ夜学バーにきてみてほしい」と思ったときに、こっそり、小さな音で渡すようにしている。
Wというバーへ。ブランキージェットシティやイエローモンキーやギターウルフなどのポスターが貼ってある。入り口には清志郎も。価格もお客も店主も具合よく、札幌の定宿ならぬジョウミセになりそうだ。ジェムソンのロックとラムコーク。関東によく行くとか、東京から出張で来ている、という方もいた。
すすきの交差点に出る。やはりオルカはいない。グーグルマップで「おにぎり」と調べたら、朝までやっている「蜂屋」というお店を見つけたので行ってみる。これが名店だった。おばあちゃんがおばあちゃんにOJTしていた。水商売のおねえさんがおにぎりを食べていた。煮卵のおにぎり、梅のおにぎり、お味噌汁で、ちょうど500円。
東に歩き、町外れの小さな店が並んでいるほうへ。(いま調べたところ創成川イーストなどと呼ばれ、近年再開発されているエリアらしい。)いちばん目立つきらびやかな、トチ狂ったような店に入る。こういうお店にありがちな「よく(旅行で来て)この店を選んだね!」という褒め言葉が。このあたりでいちばん古い店、とのことだった。隣のお客さんと話す。「宿はどこ?」「決めてないんです」「えー! じゃあサウナのタダ券あげる!」ということで、ビールとハイボール1030円と深夜料金600円でお風呂と仮眠室をえた。
<4日 木>
宿(男性専用サウナ)に着いたのが午前3時くらい。6時半まで機械に充電しつつ仮眠をとり、起きてお風呂に入って7時半には札駅に。某駅までの往復券と特急券(なんと360円足すだけで乗れる!)を購入し列車に乗る。サングラスかけてちょっと寝る。
9時前に到着。とある喫茶店を訪ねるために来た。インターネット上にほとんど情報がないお店で、やってるのかどうかもわからない。店主がもう97歳くらいとのことで、開いていないのは覚悟のうえ。果たしてこの時間、閉まっていた。「営業中」の札はついたまま。ぐるっと町を散歩してから戻ると、なんとさっきは閉じていた窓が開いていた。しかし人の気配はない。少し待ってみようと近所のCという喫茶店に入る。
ボックス席側の電気がすべて消えていたので、カウンターに座った。他に客はなく、お店の方々に話しかけていただき、けっこう長いあいだお話しした。自動的におかわりのコーヒーが注がれた。和田義雄という人の『札幌喫茶界昭和史』(を収録した沼田元氣さんの本)をもっていたのでお見せしたら、「懐かしい」とマスターじっくりと読みふけり、昔の話をいろいろ伺うことができた。この喫茶Cは昭和43年開業とのことで、ちょうどこの本が出版された当時だったのだ。
「あそこの喫茶店は、今やってないんですか?」とマスターにたずねてみた。「ちょっと閉めてますね」というお答え。「たぶんもう、やめちゃうと思いますよ」とも。
10時半くらいにお店を出て、もう一度れいの喫茶に行ってみる。窓がもう一つ、さっきは開いていなかったところが開いている! 期待して扉を引くも、やはり開かない。もうちょっと粘ってみようと、またべつの喫茶Sに入った。
そこも素晴らしいお店だった。昭和48年開店、女性的な感性で彩られた、茶色くない曲線の喫茶店。妖精の描かれたステンドグラスがとくに可愛い。ほとんど連続した日付の刻まれたコーヒーチケットの束が壁から十数枚だけ垂れていた。(このニュアンスが伝わるでしょうか。)
お客さんもみなあたたかく、「(登別温泉まで)車でのせていってあげようか?」と言ってくださる方も。心苦しくもご遠慮した。もうちょっと時間があれば乗せていただいたのになあ。
350円のレモンスカッシュ飲んでもう一度、あの喫茶に戻る。変化なし。駅の逆側にまわって、海をみてまた戻る。変化なし。電車のぎりぎりまで粘ってみるも、動きはない。仕方ない、また来よう。
札幌に戻り、矢口高雄先生の特別講義を聴く。今回の最大の目的だから、外すわけにはいかない。矢口先生も今年で80歳。ゆっくり、ゆっくりお話ししていた。おそらくふつうの講演会であれば15分くらいで済ませるであろう内容を、丁寧に絵を描きながら、じっくりと1時間かけてお話しされていた。始終マイペース。お客の95パーセントは専門学校の学生(それも半数はマンガのコース)だったので、マンガ作法の基礎の基礎、もっとも根源的な部分をご説明されていた。一言でいえば「日本のマンガは右から読む」ということだけを、ほとんど、ひたすら。
終わったのは17時前。昨晩会食したPさんのやっている「居場所」を見に行くことにした。
Pさんはカレー屋で最初、あまり僕の存在には興味を示さないようなふうだった(つまり、ごく自然にそこにいた)が、あれこれ話すうちに、だんだんと(すなわち、自然に)交わす言葉が生まれ、増え、充実していって、さいごには「同じ種類の人間」というようなニュアンスのことまで言ってくれた。僕もそれは感じていたので、この人はどういうことをやっているんだろう、と気になったのだ。
廃校になった定時制高校の教室を一つ借りて、そこをフリースペースのようにしている。むかしは「フリースクール」と名乗っていたらしいが、今はそれをやめて「訪問と居場所」としたそうな。
「勉強する」とか「何かをやる」ということ自体、選択可能なことでなくてはならない。「スクール」という言葉を使ってしまうと、とにかく何かを「やる」ということだけは動かない雰囲気が出てしまう。だから「訪問と居場所」という、ただ「いる」ことだけを重視した名前に切り替えたのだろう、と僕は理解した。何もやらなくてもいい。いるだけでいい。そういうことをはっきりと意識し、宣言してやっている人は、あまり多くはない。
学校のような机や椅子はなく、カーペットとちゃぶ台のような低いテーブルが置いてある。マンガの詰まった本棚やテレビゲーム、ボードゲーム、けん玉など遊びに関わるものは無数にあった。もちろんまじめな本や資料もあって、勉強をしたければそれを邪魔する雰囲気もない。隅っこのデスクでPさんが作業をしていたほか、床に座り込んでいる二人の若者がいた。
僕はその部屋に入った瞬間、だいたいのことを理解したように思う。Pさんに軽い挨拶を済ませたのち、マンガの本棚に目を通す。すばらしいラインナップだった。「漂流教室」と名乗るくらいだから楳図かずお先生はもちろん、藤子不二雄ランドがほぼ全巻あったし、諸星大二郎先生、高野文子先生、こうの史代先生、つばな先生の『第七女子会彷徨』、とよ田みのる先生の『ラブロマ』、『デビルマン』や『大正野郎』もあった。情操教育として完璧である。
Pさんともほぼ話さず、二人の若者には挨拶さえせず、部屋の中を見て回った。「はあ」とか「ほん」とか言いながら。
3月に徳島の「おとなり3」という私設図書館に行って、森さんという人と知り合った。彼は子供の居場所にとってゲームがどれだけ重要であるか、ということをたびたび語っている。平たく言えば、ゲームがないと子供は来ないし、来ても楽しめない。ゲームからコミュニケーションが生まれることはいくらでもあるし、ゲームから何を学べるかというのも本人や周囲の意識次第だ、というようなことを。それで僕はポンとPさんに、「いいですねえ、ゲームなんかもいっぱいあって」と言ってみた。
すると若者の一人が「男子はみんなゲーム好きだから!」と唐突に叫んだ。彼らはゲームの機械がたくさん置いてあるエリアにいた。ちょっと経ってから、そっちのほうに行ってみた。ミニスーファミを見つけた。「あ、ミニスーファミだ!」と何の気なしに言った。「ああ、それは(自分が)最近持ってきた」(正確には覚えていないので、ちょっと違うかも)と若者のどちらかが言った。僕の頭の中には「ミニスーファミといえばファイナルファンタジー6」という流れができてしまっているので、「FF6やりました?」とほぼ反射的に彼らにたずねた。
「やってない」と言うので、FF6のこととか、FF7のリメイクのこととか、あれこれ話してみると、一人がとくに食いついて、メガテンだペルソナだと、ややレトロゲーム寄り(ですよね?)の話題を振ってきた。こちらもある年代までのゲームについてはそれなりに知っているので、メガドライブだとかMSXだとか、彼の出す固有名詞に合わせて合いの手を入れたり、自分の考えを述べたりしてみた。
彼はけっこう一方的に喋る人間なので、真正面から対応していると疲れてしまう。ワイファイのパスワードを聞いて、iPadでグーグルアースを立ち上げてぼんやりと眺めながら話すことにした。(なぜグーグルアースを見ていたかというのは、たぶんあとで書きます。)
肩の力を抜き、ちゃぶ台の前に座ってお菓子食べながら話していたら、時間が経った。居場所の開放は18時までだが、15分ほどオーバーしていた。Pさんが「ぼちぼち」と声をかけると、二人はスッと帰っていった。
ほんの少しではあったけど、彼らが規定の時間を過ぎてもしばらくそこにいてくれたことが、ちょっとうれしかった。もし僕が来て著しく居心地が悪くなったのであれば、たぶん18時になった時(あるいはそれより前)に帰ったであろうから。たぶん、自分は利用者の一人としてその場にいることができたのだ。もしもPさんと大人同士の話を延々していたり、若者たちに不自然に一方的に話しかけたりしていたら、ちょっと具合は違っていたのかもしれない。その日そこにいた彼らがそういうことを気にする人たちかどうかはわからないが、僕は僕なりに無難なやり方ができたと思う。重要なのは「いる」ことであって、「話す」とか「何かをする」では(必ずしも)ないのだ。不自然でないことが、一番いいはず。
その後、Pさんとしばらくお話をさせてもらった。毎週出している紙媒体(プリント)は881号を数え、単純計算でもう18年目ということになる。また、今月から利用料を無料にしたというのも聞いた。これまでは一回の利用につき1000円もらっていて、それは「フリースクールとしては」安いのだそうだが、「ただいるだけ」が重要だという考え方なのに毎回お金がかかるというのはどうなんだ? ということで、思い切ってすべて無料にすることになったらしい。
もちろん活動資金は必要で、なければ家賃も払えないので、「賛助会員を募る」という形で賄おうとしている。「200人いれば100万円になり、活動資金が全額出せる。それより増えればスタッフの給料が出る」ということなので、一口5000円ということだろう。
200人いれば賄える、という考え方は、どこかで聞いたことがある。そう、夜学バーである。詳しくは最近「
テキスト」のページに書いた文章をご覧あれ。
僕はこの「訪問と居場所 漂流教室」という場所の考え方に強く共感し、応援したいと思ったので、その足で郵便局のATMに向かい、5000円を振り込もう、と思ったのだが、あの緑の光る看板を見た瞬間、「まてよ」と思った。
この5000円はどこから出るのかと考えると、僕の給料は基本的に夜学バーから出る(その他の収入源もあるけど)ので、つまりその5000円はもとをただせば夜学バーからきたお金なのである。
僕は夜学バーと漂流教室は、だいたい同じ志のものだと思っているので、夜学バーのお金を漂流教室に移すということは、非常に大きな目で見れば、名義人の同じAの口座からBの口座にお金を移すのとあまり変わらない。夜学バーが十分に儲かっていてお金が余っている、ということであれば、漂流教室にお金を移すことはそれなりの意味を持つが、今のところそうでもない。ぜんぜん儲かっていない人たち同士が、お金を回し合うことは、ともすれば貧乏人の馴れ合いにしかならない。
ということは僕がすべきは、ひもじい懐から5000円払って仲間意識をアピールすることではなくて、たとえ効果は少なくてもこうして日記に書いたり、ほうぼうでお話ししたりして、「漂流教室」の存在を知らしめ、その志への賛同者を増やすことであろう。と、いうわけで、興味ある方は
こちらのページでも見てやってください。
お金を払うと、「この件はこれで終わり!」としてしまいかねない。「お金を払ったんだから、自分はこれを支援している」と完結できてしまう。基本的にはそれでいい。みんなそれぞれの生活があるのだから。でも夜学バーの場合は(あるいは未来食堂=サロン18禁とか、あひる社みたいなものは)、かなりこの漂流教室というものと近しい存在なので、お金じゃないところでなんとか、協力しあえないかと思ったのだ。以上、5000円をケチったことへの言い訳。お金「も」出せばいいじゃないか、と我ながら思うけど、座興で貧乏してるんじゃないんだ!
実際、僕はPさんから高岡の「ひとのま」という人たちについて教えてもらい、僕はPさんに「おとなり3」のことを教えた。それだけでもけっこう、出会った意味はある。もちろん、心強さを得られた、とか、札幌に知己と行く場所ができた、ということが、僕にとっての至福である。
お時間のない方は、
この文章だけでも。短くて、優れています。
「ポロクル」を借りて、昨日ipekoですすめられた古本とビールの店に行ってみたが、ライブ中とのことで遠慮した。そこはだいぶ西のほう(西19丁目)だったので、西10丁目までてくてく戻り、気になっていた「mayu 繭」というお店に。
まあ天国のようなお店。中央から狸小路を歩いてアーケードがなくなってもしばらくそのまま行くとあるのだが、やっぱりそういう、ちょっと外れたところに良い場所はあるのだ。むろん中心部にだってすてきな店は隠れているが、外にあるもののほうが探しやすい。
「何しに札幌へ?」と問われ、「矢口高雄先生の講義を聴きに。行きたい喫茶店もあったので。」と答えた。「喫茶店? たとえばどういうところ?」「わらびとか。」「わらび!? ……あーあ、なるほど。にしまったお店が好きなのね。」
にしまった? にしまったとはなんぞや。そしてしばらく、話題は「にしまる」という言葉に。「にしまるって言います?」「言いません。」「でも、わかるかも。」
結論を申せば、「にしまる」とは「煮染まる」と書き、煮物の一種に「おにしめ」という、あれと同じことらしい。じっくり煮こまれ染まり上がった、というようなニュアンス。そういう喫茶店が好きなのでしょう? と僕は言われたわけだ。
それが方言なのか、そうでもないのかわからないけど、とにかく「にしまる」という言葉を僕は気に入ってしまった。それだけでもこの店に入った甲斐があったというもの。そう、たとえば僕が行きたくて行けなかったれいの喫茶店はそうとう、これ以上ないというくらい「にしまって」いただろうし、Cというお店もにしまっていた。Sに関しては、にしまるとはまたちょっと違った言葉が必要な気がする。たしかに創業から46年が経ち、年季を感じさせるところはあったけど、煮込んだという感じではない。どちらかというと、酢漬けのほうが近い。(なんのこっちゃね。)
ところでこのお店は、「サッポロッピー」というオリジナル商品を作っていて、レモン味のホッピーみたいな瓶飲料を、焼酎はじめさまざまなお酒と割って飲む。これがおいしかった。思わず2本ほどその場で買い求め、使っている焼酎もチェックしておいた。サッポロ焼酎。こんなのあるのか。夜学で出そう。(すぐ買った。)
たまたまとなりに座った方が札幌のグルメライターさんとのことで、話は弾み、名刺もいただいた。僕も自分のお店の話をした。ほかのお客さんも素敵そうな感じのかたばかりだったので、もうちょっと居たかったけれども、まだもうちょっと散策してみよう。
人気のない通りに真っ白い光る看板があった。近づいてべつの手がかりを探すと「某」という店らしい。地下の店で、「23時を過ぎるとオートロックになります」とある。ネットで調べても何も出てこないので、えいやと勇気出して(どんな店に入る時も勇気を出しているのです)入ってみた。60歳くらいのマスターが大きいスピーカー据え付けて名曲喫茶のようなことをやっていた。マイヤーズを飲んだ。お客がほかに二人きた。音楽の音が大きく、マスターとほかのお客が話していても、その内容はよくわからない。わかったとしても、こちらが口をさしはさむのは、かなり難しい。大声を出さねばならなくなる。
「こういう」お店なのだ。というのは、文字にするのも野暮であるが、要するに、そういうお店である。えーっと。
酒があって、音楽があって、たまに「知り合い」がいる、というお店なのである。
わかりにくい書き方になってしまうが、たまに「知り合い」がいるだけ、ということは、「知らない人」は徹底的に「知らない」。「知らない相手として知る」ということはなく、「知らない人は、知らない」なのである。「人」ではあっても「相手」ではない、という店なのである。あらかじめ「知り合い」でない限り。
そこでは当然、僕はひとりの匿名者として存在が認められる。喫茶店のテーブル席に黙って座っているように。そして音楽に耳を傾けることができる。酒を飲みながら。
そういう価値観はそういう価値観であって、僕がそれを好きでないというわけでもないのだが、なんだろう、ちょっとした居心地の悪さは感じてしまう。
渋谷の「名曲喫茶ライオン」(撮影、私語、物音を立てることが事実上禁止)のように、「知り合い」という概念がハナっから抹消されているような店ならばいいが、「知り合い」という概念を大っぴらに前提としておきながら、一方で「知り合う」という方途は塞がれているとなると、宙ぶらりんな気分になってしまう。そこには「分け隔て」があり、「知り合い」という椅子と、「そうでない」という空中の分子たる自分がいる、というイメージ。
「カウンターを常連が占める喫茶店」みたいなものでは? というと、そうでもないのが僕の信じる喫茶店の素晴らしさなのだ。この朝に訪れた「S」という喫茶店も、この翌日に行く「菊」という喫茶店も、「分け隔て」がなかった。
どちらのお店も、僕は初めて入ったのであるが、Sではカウンターをすすめられ、常連(あの人たちは常連と言って差し支えないはず)のみなさんと緩やかに談笑した。過度に歓待を受けたり質問責めにあうでもなく、なんとなくぽつぽつ、そこにいた。世間話に耳をかたむけたり、どこから来てどこに行くのか、ということを尋ねられたりしただけだった。「菊」では、カウンターのすぐ後ろのテーブル席に座って、常連(あの人たちも常連と言って問題なさそう)のみなさんがあれこれ話すのをテレビみながらぼんやり聞いていた。どっから来たのとも何も聞かれず、ただカレーライスと豪華な副菜と、レモンスカッシュをいただいた。途中で「お酢たべられる?」と、酢の物を一品追加してくれた。お店の方がしげしげ見つめていたテレビの占いでは11月生まれが一位で、「僕、11月なんですよ。」ともしも口に出したらば、「ああ、そうなの!」とか「よかったねえ。」とか、たぶん言われたと思う。そういう雰囲気があった。勘違いでなければ。
そういうお店には、「知り合いかそうでないか」の区分はなく、「よく来るかそうでもないか」が、グラデーションとしてあるだけなんだと思う。(もちろん夜学バーはそのくらいの感じをめざしている。)
その差がどうやって生まれるのかは、僕にはまだわからない。だけどたぶん、空間についてのあらゆることが関わっている。
一つ言えるのは、その某というバーは、「マスターの好きなものを詰め込んだ店」であったこと。詰め込んだだけで、バランスをあまり考えていない。すなわち、美意識が働いていない。美意識というのは当然、他人からの見えかた(客観性)を優先する。(そうでないならば、それは一等優れた芸術でなければならない。)
他人の視線を前提とした空間は、その「他人」に、「自分はここにいてもいい」と思わせる。なぜならばその空間は、「第三者の視線の存在を許す場所」として作られている。
そこが肝心なのだ、きっと。
「自分の視線」しか存在しない場は、「他人の視線」の存在を許さない。他人がそこに存在するためには、「知り合い」である、という条件が必要になる。「マスターの好きなものを詰め込んだ店」には、「知り合い」以外の他人は存在できない。
すてきな喫茶店には、よき「場」には、かならず客観性が宿っている。そうでなければ「居心地の良さ」というものは、存在できない。存在するとしたら、「知り合いとの馴れ合い」によって生じる「居心地の良さ」なのである。あらかじめ客観性が織り込まれている場でなければ、「知り合いでもなんでもないけど居心地がよい」ということは、ない。
初日にも行ったWというバーに。今夜はここで飲み納めの予感があって、ゆっくりした。隣のお客と音楽の話をしたり、店主とあれこれ話したり。だいぶ仲良くなれたと思う。やっぱりなんというか、いろんなことに興味を持って、覚えておいてよかったと思う。いくら僕がそれなりにいいやつでも、まったく音楽について知らなかったら、もう少し時間がかかったかもしれない。文化の力を借りている。
今回は、2度目が翌日だった、というのも大きいか。
ツイッターを見たら北海道出身の友達が「けやきの味噌ラーメンたべたい」と言っていたので探して食べた。昨日行ったサウナのカプセルに泊まることにした。ちょっと高かった。
<5日 金>
7時くらいに起きてお風呂入って喫茶「わらび」へ。なるほどよく煮しまっている。コーヒーを注文。どうやら北海道にはあまりモーニングの文化がない。
数人のお客があったがいつのまにか僕だけになり、そのまま20分くらいママさんと二人きりの時間があった。喫茶研究家としてはここで彼女に話しかけ、あれこれお話をするのもよかったかもしれない。しかしたいていのばあい僕はそういうことをしない。そういえばそれはなぜなんだろう。
バーやスナックのようなところであれば、むしろ僕は話をするのを好むし、ほとんどの場合はあちらからものをたずねてくれる。喫茶店はそうではない。酒場は「非日常」を許容するが、喫茶店は「日常」から離れない。酒場では異分子が異分子として存在するが、喫茶店では異分子という概念がない。酒場では「異分子ですよね?」という確認が飛んできて、どのような異分子であるかが解明される手順があるが、喫茶店にそのような手続きはない。(そして僕の夜学バーというのは、できるだけその点喫茶店のようにありたいと願う妙なバーである。)
喫茶店には異分子という概念がないので、「異分子なんですけど」と申し出るのは、よほど事情がない限り不自然である。酒場には「一見さん」という概念があるが、喫茶店にはない。喫茶店は、おおむね客をフラットに取り扱う。喫茶店の人たちは、われわれ旅行者を「旅行者だな」とは思っても、「旅行者ですね」とは言ってこない。(もちろん、そんなもんは時と場合と喫茶店によるんだけど、なんとなくの傾向としてそういうことはあると思う。)
喫茶店には異分子という概念がないので、旅行者は旅行者であっても、異分子ではない。喫茶店という日常の中に、当たり前にいるひとつのふつうの存在である。
だからなのか僕は、初めて入るすてきな喫茶店では、「これからずっとここに通うんだ」と夢想しながら座っている。札幌の喫茶店に通えるはずはないのに、それでも「ずっと通う」ことを念頭において振舞っている。ずっと通うのだから、今日お店の人と仲良くなる必要はない。ずっと通っていれば、いつか顔を覚えられ、少しずつ話すようになって、ひょっとしたら今回のように二人きりの時間があれば、あれこれお話しできることもあるかもしれない。今日のところは、コーヒー一杯だけ飲んで、「ごちそうさまでした」とだけ言ってお店を出よう。と、そういうふうな気持ちでいる。喫茶店が「日常」から離れない、というのは、そういう意味だ。
喫茶店のすべての客は、潜在的に「ずっと通う」客であって、実際の通い度合いのグラデーションはあれど、「常連か否か」というパッキリとした分類はない。「よく見る」か「そうでもない」かしかない。コーヒーチケットが壁に貼られる式のお店では、その有無が多少なにかを分けることはあるかもしれないけど、よく来る客が必ずしもお店や他の客と仲良くなったり、コミュニティに入り込むか、というとそうでもない。毎日のようにくるお客でも誰ともコミュニケーションを取らずに終始黙って去っていくような人もたくさんいるのが喫茶店。酒場はもうちょっと、ウェットである。
ここで、酒場と喫茶店に分けているのは便宜上のことであって、本当は「S型かK型か」くらいのことを僕は言っているつもりである。営業のジャンルを問わず、お店はそういうふうに傾向が分かれているものであろうと。
「異分子を異分子として許容し、解明しようとする」型の店と、「異分子という概念がそもそもない」店と。僕が落ち着くのは後者である。いちばん落ち着かないのは、前者ではなくて、「異分子を異分子として認識する」だけで終わってしまうお店。この前の日に行った某という店はそうだった。で、お店ではないが「漂流教室」という場所は、当然「異分子という概念がそもそもない」。
「ポロクル」を借りて駅の北側にまわり、東区を周遊する。実は、一枚の写真だけを手掛かりに探している喫茶店があり、おそらくそれは東区だろうとあたりをつけていた。サウナのタダ券をくれた人にその写真を見せたら、「この、うしろにうつっているマンションはたぶん〇〇系列」と教えてくれた。そのマンションさえ探し出せれば、角度と距離から場所が割り出せる。とにかくそのマンションを見つけようと、走り回った。その途中に、「菊」という喫茶店に寄った。昨日フライングして書いたが、素晴らしいお店だった。そこで僕は異分子ではなかった。異分子という概念が存在しない店だった。
なんて書いたところで、「じゃあロリータファッションの若い女の子が入っていっても異分子扱いされないのか」という疑問がわいた。うん、いい店であればあるほど、されないだろうと思う。
その後、「風吹木」というお店に行った。飛行機まで時間がないので通り過ぎようとしたが、あまりにも気になって引き返してまで入った。開口一番「(今は)営業していない」と言われ、ひるんだ。閉業したわけではなく、最近は午前中はやっていない、しかも今日はお中元で忙しい、というお話だった。お店の中はものすごくごちゃごちゃしていて常軌を逸していたので、それについてちょっとコメントしたら、そのまましばらく話し込んでしまった。ここもまた、ぜひ来たい。
それからぐるぐる、喫茶店を中心に入り口だけ見て回り、くだんのマンションも探し続けたが、見つからなかった。11時50分の札幌発で空港へ。搭乗口前で充電しながらグーグルアースを眺める。そう、僕が「漂流教室」でグーグルアースを見ていたのは、喫茶店の写真にうつりこんでいるマンションを探すためだったのだ。果たして、なんとまあ、空港で僕は発見してしまった。グーグルアースというのは上空から地表を眺めた光景をオンライン上で見ることができるサービスなのだが、探していたマンションも、そのかたわらの喫茶店も、はっきりと視認できた。グーグルマップのストリートビューに切り替えたところ、店名まで確認できた。Gというお店。グーグルマップに登録はされていなかった。
近いうち、また札幌に来なければならない。オルカも探さなきゃ。といって、さあいつになるか。旅行するといつもその土地に「ずっと通う」つもりになってしまう。喫茶店と一緒である。
成田空港から京成上野まで電車に乗り、そのままお店に立った。6月は本当にお客が少なくて、7月頭もふるわなかったから、びくびくしていたけど、それなりに(そう、それなりに)お客さんがきてくれた。自分にとって、それほどうれしいことはない。
2019.7.9(火) コドクコドクと音がした2
うん、うまくいかない。
教育というものは常に上から下へと流れるものである。愛情と同じである。
教育と愛情は非常によく似た性質を持っている。
教育者は、教育(これはほぼ愛情と同一のものである)を他人にほどこす。その見返りはない。どれだけ親が子を愛しても、子はその愛情を甘受するだけで、お返しなどしない。何十年も経ってから「親孝行」という形で返済するようなことはある。まるで年金だ。
わたしは親に愛情の見返りをあげている、という子も中にはいるだろうが、子が勝手にそう思って、親も(愛情ゆえに)それで納得しているというだけのことだ。母の日のカーネーションみたいなもの。あるいは、「親から縛られてあげている」といった歪んだ愛情ならば、それなりに成立はするのかもしれないが。
それが教育である以上、見返りなど期待できない。それが愛情である以上、見返りなど期待できない。教育者は孤独なものだし、愛情を持つ者も孤独なのだ。「愛に縁がないという人に限っていつも愛が溢れる」というフレーズ(中村一義『いつか』)も、たぶんそういう話なんだろう。
見返りが欲しければ、教育をやめ、愛情をやめなければならない。
今の僕は、教育や愛情のような一方的な流れを好まない。むろん必要なタイミングもあって、大いに利用はしているが、そのせいで深まっているのは孤独である。
見返りが欲しい、という話ではない。(もらえるものならばもらいたいけど。)「うまくいかない」と冒頭に書いたのは、ここしばらくに類を見ない孤独感に苛まれていたからだ。
正確には現在(7月10日午前3時ごろ)ちょっと回復してきてはいる。これを書きはじめたのは7月9日の夕方で、それまではけっこうひどかった。(昼過ぎに「みどりや」っていう最高の喫茶店に行ったからずいぶん気持ちは楽だったんだけど。)
なんでそんな孤独な気持ちでいたのかというと、一言でいえば「報われない」である。(つまり、この文章は愚痴である。)そしてこの「報われない」の原因は突き詰めれば自分にあるのだから、誰をうらむでもなく、あ?さみしいなと思うほかすることはない。
結論は書くまでもなくて、「それでも粛々とやっていく」である。「報われることもある 優しさを手抜きしなけりゃ」って歌う曲を主題歌にしている以上。
「教育や愛情は真面目に取り組むほど孤独になる」という話。孤独でいたくなければ、教育や愛情に取り組まないほうがよいのである。僕はそのあたり不器用で、ついついそういうことに足を突っ込んでしまうから、孤独になって、吐きそうになり、泣きそうになり、土日タキソウになる。(ある時代に東海地方にいた人にしかわからないネタ。)
まったく、愛するほどコストパフォーマンスの悪いことはない。なぜそうなってしまうかというと、それが上から下へと流れる一方的なモノだからだ。愛なんてものは、原則として報われないのである。
だから、教育とか愛情とはまったく別のところに軸足を置かなくてはならない。それは「遊ぶこと」や「楽しむこと」であったり、「友情」であったり。
でも、それはもちろん教育や愛情の代わりにはならない。簡単に言えば、それらだけでは人は育たない。誰かが犠牲になって、教育や愛情という慈善事業に手を染めないと。
このことを考えると、また吐き気がぶり返してくる。孤独の鐘がなる。そうなのだ、誰かが教えなきゃ、将棋もトランプもやる相手がいないのだ。敵のいなくなった悟空は自分でウーブを育てるしかないのである。(このたとえはもちろん、わからなくてけっこうです。)
具体的な話を最後に。嫌だなあ、つまり僕は「あなたは想像力を働かせなければなりませんよ」とか「あなたは自分の利益よりももっと大きな利益について考えなければなりません」とか、言わなきゃいけないってことだ。そんな疲れるこったない。
だってそう言われた相手は「ふうん」と思うだけで、一緒に歩いてくれはしない。
僕がもっと、ひとが歩きやすいようにできたらいい。そしたら一緒に、遊びながら行ける。それだけの話なんだけど、それができないから、つらいのです。
さらに立派になりますね。
2019.7.2(火) コドクコドクと音がした
いつも立派なことばかり書いているのでそうでもないことを。
僕は本質的に協調性がなく、人と付き合うのが苦手で、気分としてコドクである。
本を読むのがそれほど好きではない。活字を追うのは疲れる。苦痛でさえある。おもしろいと思っている時だけおもしろく、おもしろいと思っていない時は、つらいだけ。したくもない勉強をさせられているのと大差ない。
実のところ漫画を読むのも似たようなもの。おもしろい時はおもしろいが、おもしろくない時はおもしろくない。
本も漫画も、読まずに生きていけるものならばそのほうがいい。これは本音。読んでいればたまに「おもしろい!」と思って、それで気持ちいいことはあるけど、気持ちいいことなんてほかにいくらでもある。
しかし、なんとも豊かならざる話だが、どうもこの世の中には、したくないことでもしなければならない場合があるようなのだ。
本当は本を読んだり漫画を読んだりなんか、したくないのだが、しないわけにはいかない。それをしないと、自分は立派に生きていけない気がしてしまう。というか、自分が立派に生きていくためには、そういう手段を使っていくのが効率的のようだし、性に合ってもいるらしいと自分で思うから。
僕にとって本(さまざまなジャンルのもの。小説や物語の類は、割合としては少ない)や漫画を読むというのは、自分が立派に生きていくためであって、それ自体が楽しいからではない。本当は、それ自体が楽しいのならばそれにこしたことはないのだが、そうやって生きていけるほどシンプルな人生ではない。たまに楽しいときがあるから、それで納得しているというだけのこと。
こうして文章を書くのもそう。書いたほうがいいと思うから、書くのであって、書くこと自体が楽しいわけではない。もちろん楽しい瞬間もあるし、書けばあとあと良いことがあるだろうと信じてもいる。
でも、べつに書きたくて書いているのでもない。書いたほうがいいから書く。
本当は、書くことが楽しくて仕方がない、と思って書くほうがいい。そういうときだってたまにはある。たまにしかない。
人と会うのも同じことで、べつに僕はたぶん、人と会いたいわけではないのだ。でも人と会ったほうがいいと思うから、いくらでも会うのだ。そういうやりかたが僕には合っている。
元来僕はまちがいなく人見知りで、人と友達になることが不得手。「誰とでも仲良くなれる」という性質はまったくなく、「できるだけいろんな人と仲良くなれるように努力している」のだ。
それは「できるだけ多くのことを学ぶように努力している」のと同じことだし、「できるだけ上手に文章を書くように努力している」のと同じ。
コドクな人間が、そのおかげもあって「コドクであっては生きられない」と幸い早めにわかって、「じゃあどうしよう?」と考えた結果、本を読んで、文章を書いて、人と会おう、ということになった。
と、いま実は日付とちがって7月3日の14時18分でして、空港にいて、搭乗手続きがうまくいかなくて泣きそうで吐きそうになっている。結局もちろんなんとかなったのだが、泣きそうで吐きそうである。
自分はどんなこともうまくいかない、という気分が強くある。昨夜なんかも複数のいろんなことが一挙にうまくいかなくて極度に落ち込んで、自転車もうまくこげなかった。さっきも歩くのがやっと。でも、それで泣いてるみたいな文章を書いてかわいいのはもう十代のころ散々やったので、今はまたべつの感じのかわいさをやらなければならない。むずかしいなあ。
自分はどんなこともうまくいかない、という気分が強いので、人に助けてもらわなければならない。そのために人に好かれる(要はモテる)ような立派な人にならんとして、本を読んだり(以下略)しているわけだ。
それさえもうまくいかない、という気分になったとき、このうえなき孤独感がやってくる。
僕は誤算していた。立派な人になればなるほど、誰も助けてくれないのである。小賢しい人は、「このようにして私を助けてください」という指示を他人に出して、利益を得て、生きていくことができる。僕にはどうもそれができない。かわりに「みんなで立派な人になりましょう」と僕は精一杯言っているのであるが、たぶんそれをうまく伝えることができていない。30人、本当に30人が限界なのだ。それでいいっちゃ、いいんだけども、それだけだと肝心の「生きていく」がままならない。
僕はお店をやっていて、それを成立させるには「30人」ではだめなのである。「200人」でなければならない。しかし当たり前だが、30人と200人の差は、とてつもない。
30人を200人にすることは、それ自体むずかしくはないかもしれない。でも、「30人のときの志を保持したまま200人にする」のは、僕にとって至難のわざなのだ。
昔から思っているのは、「30人に届く人が6人いれば180人になる」ということで、そこまでいけばあと一歩だ。しかし容易に6人に増やせるような人間ならば、コドクなど背負わない。
コドクだから困っている。ただコドクでなくなるつもりも今はない。
世界には同じようにコドクな人がたくさんいて、同様な苦しさを抱えている。
そのへんにもいる。たくさんいる。
そういう人たちと尊敬し合えるのならばそのほうがいい。もう、しょうがない。
そのためだけに今の孤独を受け入れるしかない。
たかくたかく、行けばいくほど、孤独が深まる。
誰にもわかってもらえなくなる。
だけど違う山のてっぺんからニコニコ見ている仙人みたいな人が一人いたらそれでいいのかもしれない。
でも本当はそういうニコニコした仙人みたいな友達が半径2メートル以内のところにいっぱい毎日いたら、それがいちばんいいわけで、なんとかその間のどこかで人生を終えたい。
友達たち、よろしく。
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