少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2015/01/30

 気合い入れてセンター試験のことを書いてみましたが、適当なこともまだ書いていきたいと思います。

 書きたいことは山ほどあるのですがそれが書くに相応しいことかというのはずいぶん考えてしまいます。
 よく「やりたいこと」と「やるべきこと」を分けて考えたほうがいい、なんて言われると思いますが、それかもしれません。


 まあ、それはそれとして。

 高知県観光特使で海洋堂イメージガールでNHK恋する地元キャンペーン恋ジモサポーターのはちきんガールズのかじはらひなこさん(高校1年生)がこんなことを言っていました。(ある程度ジョークで言っているところもあるのかもしれませんが……)

「勉強する方法、わかったんですつい最近。つい最近わかったがやけど、まず、赤いペンのところだけ覚えたらいかんがねね、ああいうの。手前の黒い文字も一緒に覚えないかんがねね。ずっと覚えんでいいと思って赤いところだけ全部覚えて、13点だったんですよ。赤いところ全部覚えたのに」

 もしかしたら「勉強できない」っていうことの大部分はここに問題があるんじゃないか、という気がします。かじはらひなこさんは「赤いペンのところだけ覚えてはいけない! 黒いところも覚えなくては!」と気づいて、最下位だった成績が下から3番目になったそうです。世界史では52点取ったそうです。涙が出るくらい嬉しくて、アウストラロピテクスという単語にはまり、世界史という科目自体も好きになったようです。いい話だなー。
 できない子は勉強の仕方を知らない。それは「理屈で覚える」だの「流れを理解する」だのといった高級な話ではなくって、「赤いペンのところ以外も意識しなければいけない」という、できる人にとっては当たり前すぎて考えたことさえないようなレベルの話なのです。
 そして感動的なのは、52点取ってめちゃくちゃ喜んでいる、ということです。これもできる人にとっては想像できないかもしれません。野比のび太氏も実力で65点をもぎ取ったことがあり、そのときは一家ぐるみで大喜びしていたものです。僕の中学時代からの親友T氏も、勉強がまったくと言っていいほどできなかったのですが、中学のあるとき数学をがんばってたしか60点くらい取って、みんなで驚愕した覚えがあります。彼はちゃんと公立の商業高校に行き、専門学校に進んで、プログラマだかSEだかそっち系の仕事に就きました。(名古屋市では、公立高校に進むということは、それだけである程度まともな人間だということを示します。たぶん。)
 できない子が50~60点くらい取ると、めちゃくちゃ喜んで、しばらくは勉強に対するモチベーションがとても上がります。彼ら彼女らはそれまでにそういう成功体験(実績)をほとんど積んできていないぶん、たいへん新鮮な気持ちよさを得るようなのです。それでうまくいけば少しずつ成績が上がっていきます。そういう姿はじつに感動的なものです。
 しかし、うまくいかない場合も多々あります。うまいこと誰かが「勉強の仕方」をイチから教えてくれればいいし、自分で気づければなお良いのですが、「黒いところも覚えたほうがいい」というところで止まってしまうと、どうしても伸び悩みます。もっといろいろ「仕方」のひみつはあるのです。
 たとえば、ノートとプリントだけでなく、教科書や資料集も見るようにすれば点数は上がりやすい(と思う)のですが、見方がわからないどころか、「テストに出るところは教科書にも載っている(場合が多い)」ということさえ意外と知らないのではないかと僕は思います。テストといえばノートとプリント! っていうふうに思い込んでいるような感じがあります。で、テスト勉強をする際に教科書を一切開かない、という子はめちゃくちゃ多いと思います。
 それは学校の先生という生き物が、こういうふうに生徒たちにすり込んでいる場合が多いからだと思います。「テストに出るのは先生がしゃべったり黒板に書いたことである。だから先生の話はちゃんと聞き、ノートもきちんと取りましょう。」意識的にも無意識的にも、多くの先生たちはそう思って授業をすると思います。口が裂けても「テストに出るところは、教科書にも載っていますし、参考書やネットで調べても出てきますので、先生の話は別に聞いていなくても問題ないです。」なんて言いません。
 だから、基本的に生徒たちは「教科書を読んで理解する」という能力がありません。先生が全部しゃべって、黒板にまとめてしまうので、そういう力は育ちません。で、教科書を読む能力がなければ、先生の話とノートで理解するしかないのです。
 ところが子どもは成長するもので、できなかった子でも、いつの間にか教科書を読む能力を身につけていたりします。そうするとめきめき伸びます。先日ちょうどそういう状況に出くわして、いったいどこで覚えたのかと不思議に思ったのですが、少しずつ、少しずつ、自分で試行錯誤を繰り返しながら、編み出していったのだと思います。すばらしいことです。その子はちょっと前まで「できない」方面の子(少なくとも本人はそう思っていた)だったと思うのですが、今や平気で70~80点くらいもぎ取っているようです。すげー。学年が上がると内容が難しくなるので、ちょっとでも気を抜けばいくらでも点数は落ちていくものなのですが、彼女の成長のスピードはそれを超えているというわけですね。
 そのスピードの後押しをしたのは、周りの大人たちや家族や友達だったんだろうと思います。大切なのは周囲の人間(先生も含む)だよなーと、改めて思った次第です。

 例のかじはらひなこさんも、そういう諸々の「勉強の仕方」をどんどんマスターしていけば、成績もがんがん上がっていくと思います。たぶん……。

 ちょっとセンター試験について書いてみます。僕の考え方が妥当かどうか、お暇な方はぜひとも考えてみてください。さらによい意見になるように、何か間違ってそうなところがあればご指摘をいただけたらありがたいです。
●平成27年度大学入試センター試験<国語>

 問題


 2015年1月17日に行われたセンター試験の国語の問題を解いてみた感想を、解法の流れに沿って書いてみます。


【第一問】評論

 本文を読む前に、文章末尾にあるタイトルを読みます。
 佐々木敦『未知との遭遇』。
 これがヒントになることもあれば、ならないこともあります。

 注も見ます。
<ツイッター><パクリ><ゼロ年代>という言葉から、「新しい感じの話なんだな(しかもサブカルとかオタクっぽさが漂っているな)」ということがわかります。()内がわからない人は「ゼロ年代」について調べてみてください。
 また、<リテラシー><閾値><クリシェ><ドラマツルギー><ホーリスティック>などの言葉から、「なんか、小難しい感じだな(うぜえな)」というのも感じられると思います。
 そもそも最初の書き出し<ネット上で>という文字が当然、すでに見えていると思うので、「新しい感じ」というのはわかりきっておりますが、「やはり」というくらいに思ったらいいと思います。

 そしたらなんとなく、設問を眺めます。
 問題文を見ると、<教えて君><教えてあげる君><メロディを書こうとする音楽家><「歴史」の崩壊><啓蒙>という言葉を目で拾いましょう。
 なぜ問題文の中から、これらの言葉を拾うのかというと、これが「本文の中に出てくる言葉の中で、キーワードになっていそうな特別な言葉」だと思われるからです。
 たとえば<場合によっては問題>とか<厳しい問題>とかは、あんまり特別な感じはしないので、拾いません。ただ、余裕があれば<問題>という言葉が二回出てくることについて注目するのもいいかもしれません。意味があるかは(この時点では少なくとも)わかりませんが……。
 拾ってどうするか、というと、どうもしません。「ふーん」と思うのみです。「なんかそういうことが出てくるのか」と、ぼんやり考えましょう。あんまり強く頭にインプットすると、パンクします。あとで混乱します。
 人間の脳はすばらしいもので、うっすら頭にとどめておくと、なんとなくそういうモードになるものなのです。つまり、<「歴史」の崩壊>とか<啓蒙>という言葉を、なんとなく、うっすら意識してみると、脳はそれらの言葉やそれにまつわる諸々を、意識の引き出しの取り出しやすいあたりに置き直してくれるのです。たぶんそういうものなのです。そうするとあとで本文を読んだ時に、それらの言葉がすっと入ってくるのです。足を使った運動をする前に足のストレッチをするような感じです。

 選択肢を読むかどうかは、……ものすごく頭のいい人はすればいいと思いますが、僕の頭には荷が重いのでほとんど読みません。ぱっと見る程度にしています。

 気にすべきは問6です。<この文章の表現に関する説明として適当でないものを、次の1~8のうちから二つ選べ。>とのこと。選択肢には、それぞれ<第1段落に出てくるように><第3段落の前半にある>といった感じで、どの段落について説明しているかを書いてあります。これがあることを知らなかったら大変なので、設問を読んでおいてよかったなあ~となります。
 余裕がある人は、問われている段落の頭(この場合は1,3,4,5,7,8,10,11)に印をつけたりしてもいいと思います。
 この問6をいつ解くか、というのは難しいです。読み進めながら段落ごとに考えていくか、最後に一気に解くか……。どっちでもいいですが時間のありそうな人は読みながらなんとなく確認しつつ、印でもつけながらやっていって、最後に総合的にみて検証するのがいいような気がします。

 さて本文を読み、傍線部にぶち当たり次第、問題を解いていきます。
 漢字の問題はとりあえず無視します。
 本文そのものの読解についてもひとまず割愛します。

 ちなみにこれは、センター試験の問題の「解き方」を指南するものではありません。センター試験の問題を読んだ僕の「感想」です。もっと言うと、センター試験の問題に対する批評と言ってもいいかもしれません。


≪問2≫

<傍線部A「『教えて君』よりも『教えてあげる君』の方が、場合によっては問題だと思います」とあるが、それはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の1~5のうちから一つ選べ。>

<それはなぜか>と聞かれていて、傍線部の直前に<だから僕は>がある、よってその前を読みましょう、というのが自然な流れです。<だから>の前には「理由」が書かれているものです。
 その前の文とは、こちら。

<ツイッターでも、ちょっとしたつぶやきに対して「これこれはご存知ですか?」というリプライを飛ばしてくる人がいますが、つぶやいた人は「教えてあげる君」に教えられるまでもなく、それは知っていて、その上でつぶやいたのかもしれない。>

 これが<なぜ>の答えになっているかというと、なんだかよくわかりません。そこで、<ツイッターでも、>の<も>に注目します。この<も>は、「ある事柄を挙げ、同様の事柄が他にある意を表す。」(デジタル大辞泉)ということだと理解してよさそうなので、「これはさらに前の文の補足説明なんだな、だからさらに前の文を読まなければならないんだな」という感じに理解して、さらに前の文を見ましょう。

<そして両者が一緒になって、川が下流に流れ落ちるように、よりものを知らない人へ知らない人へと向かってしまうという現象があり、これはナンセンスではないかと思います。>

 これ≪のみ≫を根拠として、正解の選択肢を探すと、3がよさそうだとわかり、実際に3が答えです。

<教えてあげる君」は自身の知識を増やそうとすることがなく、「教えて君」の知的好奇心を新たに引き出すこともないため、「教えて君」もまた「教えてあげる君」と同様の状況に陥り、社会全体の知的レベルが向上していかないことにもなるから。>

 3を正解とする根拠は、<同様の状況>と書いてあることです。<両者が一緒になって>と一致します。

 1…「教えて君」だけが低下してるので×。
 2…「教えて君」が困惑し、「教えてあげる君」が自らの教える行為を無意味にしており、両者が違った状況になっているので×。
 4…は「教えてあげる君」の知的レベルが向上しないことしか書いていませんが、がんばって解釈すれば<自分自身の知的レベルが向上していかないことにもなるから>の<も>に注目し、「当然、『教えて君』の知的レベルも向上していないのだろう」と推測できます。それをもって<両者が一緒になって>と解釈できなくもないので、△。
 5…<応答がむだに続いてしまう>ことを<両者が一緒になって>と解釈するのは苦しいが、不可能でもないので△。

 こんな感じです。
 さて、これはたまたま正解だったからいいのですが、本当に<そして両者が~>の一文≪のみ≫を根拠として、正解を割り出してよかったのでしょうか? △をつけた4と5は、もしも3に致命的欠陥(明らかに本文の矛盾している、など)があった場合に、答えになる可能性がないではなく、3と即決するのは危険ではないでしょうか?

 僕が思うに、もちろんそれは危険です。でも、センター試験で点を取れる人ってのは、ここで即決できる人だと思います。
 これ以上ややこしいことを考えていると、とても80分では足りません。
 なぜならば、考えれば考えるほど、3よりも良い選択肢があるように見えてしまうからです。
 本文をくまなく精読してみると、「これは解釈次第では根拠になるのでは?」と思えるところがじゃんじゃん出てきます。それによって、正解だとされているものを否定できてしまったり、不正解だとされているものを正当化できてしまったりするのです。

 たとえば、この問題の場合。
 傍線部をもう一度読みます。<場合によっては問題だと思います。>で傍線部は終わっていて、次の文に続きます。

<自分より知識や情報を持っていない方に向かうよりも、自分が知らないことを新たに知ることができる方向に向かっていった方がいいに決まっている。啓蒙するよりも啓蒙される側に回った方が、自分にとっては利があると思うのです。>

 これは、明らかに、「傍線部で提示した《問題》に対しての回答」だと思います。すなわち、「場合によっては問題だと思います。だって、自分より~と思うのです。」という繋がりだと見ることが、きわめて自然だということです。傍線部の直前も「理由」だとは思いますが、直後も同様に「理由」になっていると思うのです。<のです。>という文末表現も、その解釈を助けると思います。
 出典である『未知との遭遇』という本のテーマはもちろん「未知」でしょう。そして、この第一問の本文として引用された箇所の、最後のほうでも、この「未知」というテーマについて語られています。この筆者は、<啓蒙>よりも「未知との遭遇」を重んじたい人です。

<けれども、やはり僕自身は、できれば啓蒙は他の人に任せておきたいのです。啓蒙を得意とする、啓蒙という行為に何らかの責任の意識を持っている人たちがなさってくれればよくて、僕はそれとは異なる次元にある、未知なるものへの好奇心/関心/興味を刺激することの方をやはりしたい。>

 本文にはこうあります。設問でも問6で、ここの<なさって>という表現に注目し、<第11段落の第7文「啓蒙を得意とする、~したい。」の中の「なさって」という尊敬表現によって示される敬意には、その対象となる人たちに対して距離を置こうとする働きが含まれている。>という選択肢があり、これは本文に即して「適当」だとされているのです。筆者は<啓蒙>からできれば距離を置きたい人であり、それよりも<未知なるもの>のほうに興味を持っている人であることは明白です。

 例の傍線部の直後の文章をもう一度見ます。<啓蒙するよりも啓蒙される側に回った方が、自分にとっては利がある>と言っています。<教えてあげる>よりも<教えて>に重きを置いていることは、前半の文章からもよくわかります。
 ここを問2を解く手がかりとするならば、4が怪しいのです。

<教えてあげる君」は社会全体の知的レベルを向上させなければならないという義務感にとらわれており、「教えて君」の向学心に直接働きかけようとして教えているわけではないため、自分自身の知的レベルが向上していかないことにもなるから。>

<自分自身の知的レベルが向上していかない>というのは、筆者の問題意識に合致すると思います。筆者が気にしているのはここです。じっさい筆者は、<社会全体の知的レベル>なんて言葉は一度も使っていないのです。どちらかといえば<自分自身の知的レベル>について問題にしているように僕には思われます。そもそも本文には<知的>という言葉も<レベル>という言葉も、一回たりとも出てこないのです。

 では、4が正解にふさわしいのかというと、それも難しい話です。選択肢まんなかあたりの<「教えて君」の向学心に直接働きかけようとして教えているわけではない>というのは、ツイッターの例がまさにそうであるように、確かに向学心に直接働きかけてはいないようなので、問題はなさそうです。ただし、その前はどうでしょう。

<教えてあげる君」は社会全体の知的レベルを向上させなければならないという義務感にとらわれており、>

 たいていの人は、これを見て×をつけると思います。そんなこと書いてないよ! と。
 ただし似たような表現は、本文の第一文にあります。

<ネット上で教えを夕れる人たちは、特にある程度有名な方々は、他者に対して啓蒙的な態度を取るということに、一種の義務感を持ってやってらっしゃる場合もあるのだろうと思います。>

 これをいろいろ省略して単純な形に変換すると、「ネット上で教えを垂れる人たちは、一種の義務感を持ってやってらっしゃる場合もある」となります。
 この<一種の義務感>というのが、<社会全体の知的レベルを向上させなければならないという義務感>なのかどうか、ということと、<場合もあるのだろう>という曖昧な表現をどう見るか、ということが問題になります。
<一種の>というのがどういう義務感なのかは、書いてありませんし、僕には読み取れそうでもありません。おそらく、問6の選択肢7からそのまま言葉を借りれば、<何か特定の内容を示すためではなく、一文全体を姚曲な言い回しにするという働き>なのでしょう。
 しかし、書いてないということは、「明らかに矛盾している」というほどの致命的なことではありません。ほかの選択肢がダメであれば、充分に答えにはなりうる、と僕は思います。

 そこで選択肢3にふたたび戻ります。

<教えてあげる君」は自身の知識を増やそうとすることがなく、「教えて君」の知的好奇心を新たに引き出すこともない>

 ……「本文に書いてあるか」といえば、べつに書いてはいないと思います。特に後半。
 選択肢3のこの部分は、問題を作った人の「解釈」による結果で、本文中に明示されてはいない、と僕は考えます。
 もう一度、本文の第一段落を読んでいただきたいです。どこにもそんなことは書いていません。ただ、「筆者の言いたいことを忖度(推し量る)すれば、おそらくそういうことになる」というくらいのものです。はっきりと合致する箇所はないと思います。
 3と4の選択肢を整理してみます。


<教えてあげる君」は自身の知識を増やそうとすることがなく、>
 ……書いていないが忖度できなくもない
<「教えて君」の知的好奇心を新たに引き出すこともないため、>
 ……書いていないが忖度できなくもない
<「教えて君」もまた「教えてあげる君」と同様の状況に陥り、>
 ……書いてある(本文中の内容と言い換えができそう)
<社会全体の知的レベルが向上していかないことにもなるから。>
 ……書いていないが忖度できなくもない


<教えてあげる君」は社会全体の知的レベルを向上させなければならないという義務感にとらわれており、>
 ……書いていないが、ネット上で教えを垂れる人はある種の義務感を持っている場合もあるだろうとは書いており、それがここにあるような義務感だと考えられなくもない
<「教えて君」の向学心に直接働きかけようとして教えているわけではないため、>
 ……書いていないが忖度できなくもない
<自分自身の知的レベルが向上していかないことにもなるから。>
 ……書いてある(本文中の内容と言い換えができそう)

 どうでしょう。どっちが正解により近そうでしょうか。
 どっちでもいいんです。正解は決まってます。3です。
 センター試験は正解が公表されているので、間違いなく3です。

 なぜ、センター試験は胸を張って3を正解としているのでしょうか?

 僕の考えるに、おそらくそれは<だから>という接続詞の存在です。
<だから>があるほうに、正解の根拠としての比重を置いているのです。
(この場合は、傍線部の直前のほう、ということ)
 それがセンター試験というものなんだと思います。

 ゴチャゴチャ考えていたらセンター試験は解けません。
 機械的に、予備校の先生が教えるように、指示語や接続詞を追う。それがたぶん、センター試験で高得点を取る秘訣であって、間違っても正しく読解しようとか、文章の全体の意味を把握しようなどと思ってはいけません。
 全体の主張に寄り添ってしまうと、選択肢4に可能性を見てしまいます。そういう時は冷静になって、「これは大学受験であって、読書ではない」と思うようにしたほうがいいのかもしれません。



《問3》

<傍線部B「メロディを書こうとする音楽家にとっては、これはなかなか厳しい問題かもしれません」とあるが、それはなぜか。その説明として最も適当なものを、次の1~5のうちから一つ選べ。>

 問2のところで書いたことに則れば、センター試験は接続後や指示語など、「いかにも高校までにやってきた国語(現代文)らしい解き方」が向いていそうです。そういうわけで<これ>という指示語について考えます。
<これ>は、普通に考えたら直前の<新しいメロディが、なかなか出てこないということ>で、<誰かがふと思いついたメロディが過去に前例があるということは、確率論的にも起き易くなっていること>を一般的な言い方に置き換えたものだと思います。
 この文を頭に入れた上で選択肢を見ていくと、2です。
<前例>という言葉が入っているのはこれだけで、ほかの選択肢はいずれも、そういう意味合いの説明がありません。ものすごい単純ですがこれが正解でした。
 こんなに簡単に答えを出していいわけがない、ということで、さらに選択肢を吟味したくなるところですが、それはすべてが終わったあとの「見直し」の際にでもいいと思います。
 もちろん、<前例>という言葉があるから正解だ、というのではなくて、2の選択肢に本文との致命的な矛盾がないかどうかはちゃんと検証し、ほかの選択肢もまじめに読んでおくべきだというのはもちろんです。ただ、それほど深くは考えなくてもいいんじゃないか、とは思います。



《問4》

<傍線部C「『歴史』の崩壊」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の1~5のうちから一つ選べ。>

 傍線部の直前を含めて見ると<これはある意味では「『歴史』の崩壊」>とあるので、これまた<これ>がポイントになりそうです。というか、します。よってその直前の文を見ます。

<しかしネット以後、このような一種の系譜学的な知よりも、「歴史」全体を「塊」のように捉える、いわばホーリスティックな考え方がメインになってきたのではないかと思うのです。>

 すると<これ>とは、<ホーリスティックな考え方がメインになってきた>ことです。
 そしてホーリスティックとは<「歴史」全体を「塊」のように捉える>ということのようです。
 この考え方はネット以後のものであり、<このような一種の系譜学的な知>なるものを押しのけて出てきた新しい考え方のようです。
 次いで<このような>を追いかけてみると、なんだかすぐにわかる感じではないので、保留にしましょう。(べつに考えてもいいけど、時間がかかりそうだなと思ったらいったんやめてもいいと思います。)

 とりあえずここまでにして、選択肢を見ます。
 どうやら五つの選択肢はすべて

「インターネットによる情報収集の普及にともない、○○になったため、××てしまったということ。」

 という型にすべてはまっているようです。
 おそらく、<インターネットによる情報収集の普及にともない>は<ネット以後>に対応しており、そう考えると○○に入るのは、<ホーリスティックな考え方>といった意味のことで、××に入るのは、<「歴史」の崩壊>を意味するようなものだと考えられます。

「インターネットによる情報収集の普及にともない、ホーリスティックな考え方になったため、歴史が崩壊してしまったということ。」

 こんな感じになっていればいいというわけです。たぶん。
 さて探してみます。

 ……わかりません。

 これは難題ですね!! もうひとひねり必要なんですね。
 各選択肢の○○の部分を見ても、ホーリスティックっぽい感じのことが書いてありません。そこで、ホーリスティックについてもうちょっと考えてみましょう。
 ホーリスティックとは、
<「歴史」全体を「塊」のように捉える>
 ということでした。
 この文章を読解できている人なら、それは「時間から解き放たれている」ということだと、わかると思います。それに選択肢を一度ざっと読めば、「時間」が関係していることはなんとなく、わかりますよね。
 わからない場合は、一所懸命、ヒントになりそうなところを目で探します。<歴史>とか<塊>とか<全体>とか<捉える>とか書いてあるところに着目しつつ、少しずつ文章を戻っていきます。すると、8段落の末尾に、

<むしろ時間軸を抜きにして、それを一個の「塊=マッス」として、丸ごと捉えることが可能になった。そういう作業において、ネットは極めて有効なツールだと思います。>

 おお、<塊><捉える>があって、<丸ごと>=<全体>で、<それ>=<歴史>だ、完璧だー。というわけで、「なるほど、塊として捉えるっていうのは、時間軸を抜きにすることなんだー」とわかります。
(解法が雑ですみません、でもなんだかんだ言って結局は「目で探す」になりますよね……)

 というわけで、<ホーリスティック>=<「歴史」全体を「塊」のように捉える>=<時間軸を抜きにして>だということがわかりました。そうすると……。

<時間的な前後関係から離れて>が入っている4が正解です。この意味のものはほかにありません。(単純!)

 難しいことは考えてはいけません……。この問題は、多くを考えると、問2でやったような泥沼にはまります。たとえば2の<累積された過去に内在する多様性を尊重することが要求されるようになったため>ですが、これは7段落の<しかしそれを無視することはできないし、だったら知らなければいいということでもない。>によく見ると対応している(<それ>は<多様性>にきわめて近い内容をさしているので)ようです。僕も気づいたときにとても嬉しくて、思わず気持ちが2に傾きかけたのですが、選択肢全体をよく読むとやっぱり変です。そういう無駄な時間(本番においては無駄です)を過ごすよりは、サクッと単純に決めてしまったほうがいいと思います。



《問5》

<この文章全体を踏まえ、「啓蒙」という行為に対する筆者の考えをまとめたものとして最も適当なものを、次の1~5のうちから一つ選べ。>

 文章全体ということでここまでの技(単純作業)は使えなそうです。
 そういうわけで<啓蒙>という言葉のある場所を単純に抜き出しましょう(単純作業)。
 これは、最初に設問を見た段階で、読みながら<啓蒙>という文字に○をつける、という方針を決めといたほうがよかったかもしれませんね。

A<ネット上で教えを夕れる人たちは、特にある程度有名な方々は、他者に対して啓蒙的な態度を取るということに、一種の義務感を持ってやってらっしゃる場合もあるのだろうと思います。僕も啓蒙は必要だと思うのですが、どうも良くないと思うのは、ともするとネット上では、啓蒙のべクトルが、どんどん落ちていくことです。>
B<啓蒙するよりも啓蒙される側に回った方が、自分にとっては利があると思うのです。>
C<最低限のリテラシーを形成するための啓蒙の必要性が、とりわけゼロ年代になってからよく語られるようになってきました。たとえぱ芸術にかんしても、ある作家や作品に対する価値判断に一定の正当性を持たせるためには、どうしても啓蒙という作業が必要になってくるという意見があります。>
D<だから、ここまでくると、啓蒙も必要なのかもしれないという気持ちが、僕にも多少は芽生えてきました。けれども、やはり僕自身は、できれば啓蒙は他の人に任せておきたいのです。啓蒙を得意とする、啓蒙という行為に何らかの責任の意識を持っている人たちがなさってくれればよくて、僕はそれとは異なる次元にある、未知なるものへの好奇心/関心/興味を刺激することの方をやはりしたい。>

 これが<啓蒙>を含む文のすべてです。

 選択肢を見ます。どういう方針で見ていこうか、と途方に暮れますが、長い選択肢の場合はパーツごとに分けて検討しろ、というのが定説……だと思いますが、僕はわりと末尾から見ていきます。日本語はたいてい、大事なことが後ろのほうにあるので。

 3と4は、末尾を見るに、筆者を啓蒙側の人間として書いているので×です。(Dより)
 1も、やや啓蒙側っぽいので△です。(Dより)
 5は、啓蒙の意義を否定、と書いているので×です。ある程度は認めています。(Dより)

 はじめの問2のところで見たように、この筆者は<啓蒙>から距離を置いて、<未知>のほうに興味を持っています。それも考えると2しかないです。
 2以外に、<未知なるものへの好奇心/関心/興味を刺激する>という方向性を含んだ選択肢はありません。

 この設問から学べるのは、問題文に「啓蒙」と書いてあったらもう「啓蒙」のことだけ考えていれば問題は解ける、ということです。
 難しいことを考えてはいけません。
 難しいことを考え始めると、2の<啓蒙という行為の必要性は高まり続けている>に引っかかります。

 筆者が自分の考えとして言っているのは、Dの<ここまでくると、啓蒙も必要なのかもしれないという気持ちが、僕にも多少は芽生えてきました。>だけです。あとはCですが、<よく語られるようになってきました><という意見があります>という感じで、かなり「距離を置いている」感じの書き方です。
 選択肢2には<必要性は高まり続けている、と筆者は思っている。>と書いてありますが、そこまで言っていいものかどうか。正確には「必要性が高まっていると考える人が多くなってきている、と筆者は思っている」だと思います。
 でも、そんな絶妙な言葉の機微は、答えの決定には響きません。センター試験では答えが決まっており、その答えは2なのです。2には、ちゃんと<未知なるものへの好奇心/関心/興味を刺激する>の意味が含まれているので、それでいいのです。細かい検討は時間の無駄だといえます。

 センター試験で大切なのは、「どこがこの設問のコアなのか」を見抜くことだと思います。この問5ではもちろん<啓蒙>という言葉です。
 問2では<だから>、
 問3では<これ>、
 問4では<時間>と、型をうまく利用できるかどうか、だと思います。



《問6》

<この文章の表現に関する説明として適当でないものを、次の1~8のうちから二つ選べ。ただし、解答の順序は問わない。>

 1…解釈次第ではそうかもしれない
 2…解釈次第ではそうかもしれない
 3…たぶん違う(次の段落へのつながりには関係がない)
 4…言ってることがまったくわからない
 5…確かにそういう言い方もできる
 6…解釈次第ではそうかもしれない
 7…おそらくそのとおり
 8…解釈次第ではそうかもしれない

 以上が僕の判断ですが、「まあ、そう言えなくもないわなあ」って感じの選択肢が多くて、混乱します。ここで気をつけるべきことは「混乱しないこと」だと思います。
 5,7はおそらく適当だと判断できます。1,2,6,8は「よくわからないけどお前の中ではそうなんだろうな」って感じです。3は適当でない気がします。4はどういうことだかよくわかりませんが、本文を見るとべつに肯定から否定に転じているわけではなさそう。よって答えは3と4です。

 問2~5までがそうだったように、どうもセンター試験国語評論の問題は、「まあ、解釈次第ではそうも言えるかもしれないけどさあー」というような場合、その「解釈」は「アリ」とされるようです。疑わしきは罰せずというか。「そういう解釈の成り立つ可能性が少しでもあるならば、明らかな矛盾がない限り、『適当』とする」というのがセンター国語の基本姿勢なのではないか、という気がします。
 だから、どの設問でも気にするべきはまず「矛盾」。矛盾していれば不適当で、矛盾していなければ適当。矛盾さえしていなければ、正確性に欠けていても、読み過ぎの解釈が加わっていても、「適当」になる。だから、「これは本文に書いていないから×」という考え方は危険だと思います。本文にないことが書いてある選択肢だって平気で正解になるので。
 これを前提として知っていなければ、こんなもん解けやしないよ、と思います。

 この問6で4を正解とできるのは、そういう事情もあります。まず正しそうなのを除外したあと、疑わしきは罰せずなので、「解釈次第では……」のものを無罪(適当)とします。そうすると3と4が残るのです。

 4に関してですが、これ、どういうことを言ってるのか全然わかりませんでした。どういう感じの文章のことをさしているのか、ちっともピンとこないのです。本文と照らし合わせてもよくわかりません。でも少なくとも、第5段落で肯定の立場から否定の立場に転じているわけではなさそうなので、やっぱり不適当だなということにしました。
 4……僕は非常にこれを意味不明な選択肢だと思ったのですが、みなさんどうでしょうか。僕は4のことを考えると頭が痛くなります。
 国語のテストでは、「意味不明な選択肢はきわめて『適当』になりづらい」という傾向があると思うのですが、この4もそれかな……と。少なくともほかの選択肢に比べれば、わかりにくいし、本文と照らし合わせようとしても、どう照らし合わせていいんだかわからないので、「意味不明」と僕は思ってしまいます。



 ということで、僕のセンター試験の評論の感想は、
・指示語、接続詞、目の前にあるキーワードなどを生真面目に追えばよい
・不正確なことや本文にないことが含まれている選択肢も○になる
  →すなわち、「深く考えない」
 です。
 すべて仮説なのでほかの年度も改めてやってみます。

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