少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2012/08/31 金 甲子 教育者としての亀仙人

 僕は亀仙人になりたいんですよ。
 亀仙人ってのは『ドラゴンボール』の悟空の師匠。僕は『ドラゴンボール』は教育漫画だと思っていて、特に亀仙人っていうのはその観点からこの作品を語るには欠かせない存在です。
 亀仙人は、12歳当時ほとんど野生児だった悟空を「教育」します。ごく初期(単行本でいうと3巻)、週刊連載で十話にも満たない短期間でしたが、非常に充実した内容で、確実に悟空(とクリリン)のその後の人生の基礎を作っています。
 亀仙人は悟空たちに「修行」をつけてやるわけですが、実戦の練習はなし。重い甲羅を背負って牛乳配達をしたり、畑を耕したり、土木工事をしたり。あるいは国語や算数などの「お勉強」もします。……これって、ある種「理想の教育」ってやつじゃないの! とか思います。
 初登場時、悟空は「じっちゃん(孫悟飯)の言いつけを守る」だけの、単純な子供でした。自分の年齢を2歳勘違いして数えているほど、学がなかった。それが初めて人間らしい生活をし、人間らしい教育を受けたのが、この亀仙人のもとでの修行だったのです。
『ドラゴンボール』は、「ただ格闘しているだけ」の漫画だと捉えられがちですが、ごく初期に悟空は、しっかりとした「教育」を受けているのです。「悟空はニート」みたいなことが冗談で言われますけれども、実はこの時期にすでに「教育」も「労働」もしているのです(まあ、かなり長い期間ニート同然であったことは確かだと思いますが……)。さらに、悟空はちゃんと子供たち(悟飯、悟天&トランクス)を教育しているし、何より最終回にはウーブという少年に対する教育者になることを宣言して物語に幕を下ろすのです。『ドラゴンボール』は実は教育漫画なのです!

 亀仙人の話に戻ります。彼が偉いのは、悟空とクリリンが天下一武道会(格闘の大会)に出場する段になって、いきなり優勝とかすると調子に乗るからといって、自らも変装して出場し、見事に悟空を打ち負かすことです。その次の大会でも同様に出場しますが、天津飯という強敵を前にして「新たな若者の時代」を予感し、「わしの弟子にはこの大会に優勝したくらいでダメになってしまうようなおろか者はおらぬ」と悟って自ら舞台を降ります。すばらしいのは、この大会のために亀仙人はちゃんと特訓してきているということ。師匠という「無条件に偉い立場」でありながら、自らの鍛錬をも怠らない。その姿勢が亀仙人の偉いところです。「今回はぎりぎりのところで勝てた。次回はきっと負けるからもう出場しない」ではなく、「負けないようにこっそり修行する」というのが、じつにいいですね。世界中の「師匠」とか「先生」とか呼ばれる人たちが、見習うべきところです。
 亀仙人にとって悟空はまさに「出藍の誉れ」ですが、鍛錬を怠らないからこそ、この言葉も強い説得力を持ちます。彼がもしカメハウスでエッチな本を読んでるだけのエロじじいで、「いやー、悟空はまさに出藍の誉れじゃわい」とか言ってるだけだったら、どうでしょう。過去の業績にあぐらをかいているだけのダメなじーさんです。しかし彼は違いました。「新しい時代」が来る、そのぎりぎりのところまで、弟子に負けないように努力を続けたのです。しかもその後、実力では圧倒的に悟空や天津飯には敵わないという段になってさえ、ピッコロ大魔王という強敵に果敢にも立ち向かい、死んでいきました(このあと生き返って後はほぼ隠居)。これほどカッコイイ「師匠」は、どの漫画を探してもそうはいません。だからこそ『ドラゴンボール』は名作なわけで、決してその魅力は「戦闘力の果てしないインフレ」や「必殺技の多様さ」などにあるわけではないのです!(一部の××××どもがそういうところばっかり拡大して語るからダメなんです!)

 ところで、悟空が亀仙人による修行で得たものは、「教育」や「労働」という言葉によって語れるものばかりではありません、たとえば「かけがえのない仲間」です。つまり、クリリンという同窓生です。
 悟空が本気で怒ったのって、全42巻通して二回しかないと思うんですが、両方ともクリリンが死んだ時です。ドラゴンボールGTの最終回でも、クリリンとの別れのシーンはひときわ感動的に演出されていました。
 クリリンだけが悟空の仲間ではありません。最終的に好敵手となるのはなんといってもベジータで、彼との間に芽生える絆も非常にすばらしいものではあるのですが、しかし同門で同じ釜の飯を食った「少年時代からの親友」クリリンとの絆は、明らかにそれ以上のものです。
「教育」の副産物として、「かけがえのない仲間」というものがあるという、当たり前で本当にすばらしいことを、ちゃんと描いているのです。

 さて、僕は一応、先生だったこともある人間で、自称「教育家」でもあります。そうである以上、僕は亀仙人のように生きていきたいと思うわけです。先日お会いした僕の高校の恩師も、亀仙人のような人です。「センター試験で満点取れなかったら教職を辞する」と豪語しており、実際に毎年満点を取っていたようです。まさに「亀仙人」だと思います。そして、僕のような出来の悪い教え子に向かって「出藍の誉れ」などという言葉を使うところも、「新たな若者の時代」と言った亀仙人に重なるところがあります。もちろん、彼はまだ舞台を降りる気などないようですが……。

2012/08/30 木 癸亥 出藍の誉れ

 青は藍より出でて藍より青し。
 と、言えるような教え子に僕は巡り会えるだろうか。
 教え子と言えるような相手もそれほどいないので、わからんが。
 これからだ。

 高校時代の恩師(英語)が江戸にやってくるというので、急遽子供たちを招集して、無銘喫茶で授業のようなことをしていただいた。三年生が三人、二年生が一人(それと僕と同い年の青年も一人)やってきた。二年生の子はほんの数十分ほどしか居られなかったが、三年生は師の授業に対して三者三様にすばらしい反応を見せてくれて、僕も胸を張れた。ありがとみんな。
 いろいろ思うことはあるのだが、「この人と出会えてよかった」とか「この人と仲良くできてよかった」とか、「この人と……」っていう想いを抱くことほど、よろこばしいことは人生にはないかもしれない。
 両手じゃ足りないどころか、三桁に届くくらい、僕にはそういう人がいる、かもしれない。そう思えるほど豊かな人生ってのは、なかなかない。本人にとっちゃね。

 次回に続く。

2012/08/29 水 壬戌 ブサメン男子

 先日、とあるオタク向けのマンガ屋さんに行ったらば、『ブサメン男子』という腐れおなご向けのマンガが平積みになっていた。ちょっと立ち読みしてみた。二人のイケメンが一人のブサメンに言い寄ってエッチなことをする、といったような風情だった。内容についてはとりあえず何も言わないでおくが、驚いたのはキャラクター・デザイン。ブサメンが全然ブサメンじゃないのである。
 二人のイケメンは確かに美男子だが、言い寄られる側のブサメン男子は、不細工でもなんでもなく、どちらかといえば「かわいい」系の男子だった。このかわいい男子が、腐れおなごの世界では「ブサメン」ということになるのか、と興味深く思った。僕なりにまとめてみると、彼女らの世界ではイケメンとブサメンの造形的特徴は以下のようであるらしい。

 イケメン……顎が尖っている、鼻が尖っている、目が細い、前髪が長い、髪に色がついている
 ブサメン……顎が丸い、鼻が丸い、目が丸い、前髪が短い、黒髪である

 といったようなことがどうやら記号的な「イケメン」「ブサメン」の定義であり、ブサメンが結果的にかわいいデザインになったところで、顎が丸ければそれだけでブサメンなのである。(『ブサメン男子』のブサメンも若干顎は尖っているが、イケメンに比べればずっと丸い。完全に丸くすると、たぶん読者がついてこないのだろう。)
 基本的に、顎が丸ければ幼く、顎が尖っていれば大人っぽく見える。それは男性キャラクターでも女性キャラクターでも同じだ。「大人=カッコイイ」とすれば、顎が尖っていればカッコイイのは当たり前であり、ショタコンでない腐女子が尖った顎を好むのも道理だと言える。

 最近はマンガを見てもアニメを見ても「尖った顎」ばかりである。「丸い顎」はあんまり見られない。二次元世界から「幼さ」が消えたということかもしれない。つまり、子供がいなくなってきた。
 大人と子供を分けて考えることが、近代という時代の一つの特徴であるならば、それはそろそろ終わりに近づいているのかもしれない。
 子供がいなくなるということは、幼いもの、未熟なものがすべて「大人」の範疇に取り込まれてしまうわけで、そうすると「子供だから仕方ないよね」っていうことがなくなる。「子供だからこう教える、こう躾ける」っていう発想がなくなってしまったら、教育というものは死ぬんだろう。アニメから丸顎が消えるというのは、僕に言わせれば教育の崩壊である。子供には子供なりのわかり方ってもんがあるってのに、子供に大人のわかり方を強制するっていうのが、ひょっとしたら今のアニメとかマンガの在り方なのかもしれない。それはもちろん、大人のくせに子供みたいなわかり方をしたがる、っていう問題が一方にあるからなんだけどね、きっと。だから僕はいつまでもジャンプ読んでる大人ってのが嫌いだし、プリキュアとか見ておもしれーとか言ってる大人も好きじゃない。
 そりゃ、僕だって初代プリキュアは大好きだけども、大好きだからこそ、あんまり大きな声出しちゃいけないって気がするし、自分が教育者として心から愛していた「プリキュアの美しき魂」がシリーズを重ねるごとに失われてしまって、失われれば失われるほど大人ファンの声が大きくなるような現状を見ていると、ひたすら悲しくもなる。
 プリキュアはそもそも、子供が子供なりのわかり方をするための物語であって、大人が子供のようなわかり方をするためのものではないし、子供が大人のようなわかり方を学ぶためのものでもない。プリキュアを見て大人がすべきのは、「うん、このわかり方は子供のものだ」とか「これは子供のものではない」とか責任を持って判断することであって、よだれ垂らしながら「おもしれー」とか言うべきようなもんではない、と、僕は思うのですよ。
 もっとも、僕は初代プリキュアとはいえ、そのすべてを肯定するような立場ではない。僕が初代プリキュアを高く高く評価する最大の理由は、「売れた」という一点にある。「子どもたちが夢中になって見た」というところにある。正しくても、売れなければ仕方がない。売れていても、正しくなければ意味がない。ここんところのバランスを、非常にうまく取った希有な作品が初代プリキュアだと思う。シリーズが長く続けば続くほど、このバランスが「売れる」のほうへ偏っていって、あまり正しくなくなってしまったような気がする。どこかで見切りをつけるのもアリだと思うんだけど。

2012/08/28 火 辛酉 中村一義

「“なぜ?”が僕の道標のようでもあるな」。友人笑う。
 楽しいな。楽しいな。考えんのは。うれしいな。うれしいな。本当に。
(『謎』)

 そう…。皆、そう。同じようなもんかねぇ。
 犬や猫のようにね。
(『犬と猫』)

2012/08/27 月 庚申 映画やアニメ

 映画やアニメは、「見る(見た)」ということが価値になっている。さらに、こういったものは「画面の前に一定時間座っていれば『見た』ことになる」っていう状況があるから、「映画好き」や「アニメ好き」になるのはけっこうたやすい。
 映画やアニメの話をする人は、「○○見た?」「見た見た」っていう会話に最も重きを置いている。それから「いいよねー」とか「いまいちなんだよなー」とか、ほとんどマルバツをしか口にしない。偏見と思い込みが多分に含まれてるとは思えど、そういう状況は確かにあると僕は信じている。
 そりゃー漫画だろうが活字だろうがなんだって似たような状況にあるんだろうけど、本と映像とではやはり事情が違う。「画面の前に座っていれば『見た』ことになって、そのことが価値を持つ」というのは、映像ならではだ。「去年は映画100本以上見たよ」なんてことを言う人はけっこう多い。アニメだと「今期は○本見てる」とかって言い方になる。

 映画やアニメは時間がはっきり区切られている。本はそうではない。いつでも読める。少しでも時間が空いたら見られる。映画やアニメは、原則的に2時間とか30分という時間の決まりがある。
 だから、本を読むよりも映画やアニメが好きな人は、暇な時間が多い。2時間以下、30分以下の時間は映像を見ることができないから、空き時間になるのである。その間にあいつらはTwitterをするのである。だからTwitterには映画やアニメが好きなやつが多い。
 僕は本(特に漫画)を読むのが好きだから、マメにTwitterなんかやってる余裕はない。「なう」とか言ってる暇があったら漫画が10ページくらい読める。漫画が好きな僕はTwitterと漫画を天秤にかければ、当然漫画を取る。漫画を読みながらTwitterに書き込むことはできない。ところが、映画やアニメを見ながら「実況」みたいなことをしている人はけっこう多い。映像という「人間が受動的に関われるメディア」ならではのことだ。ここまで「映画やアニメ」と言ってきたが、当然「テレビ」というのも同じカテゴリに含まれる。
 テレビも「○○見た?」っていう言い方がよくされる。「ジャンプ読んだ?」ってのもあったが、僕に言わせればジャンプってのはかなり「映画やアニメ」に近いメディアですよ。アニメ好きの人が「今期は面白いのが少ない」って言ってる姿は、「最近は面白いのが少ない」って言いながらしっかり毎週ジャンプ読んでる大人たちの姿に近しいものを感じる。

 映像という、受動的に関われるメディアを趣味にしている人たちは、なんだかTwitterが好きだ、というのが僕の印象。これは勝手な偏見であり、例外のとても多いことも承知しているが、何か大きな傾向として、そういうのはあると思う。
 なんでそうなるのか、っていうと、映画やアニメを見ていない時間、彼らはとても暇だから。そして、「ただ座ってるだけで『見た』ことになってしまう」から、頭を動かすことが習慣から抜け落ちてしまって、Twitterみたいな単細胞ツールに飲み込まれる。(ひどい言いよう)
 正直な話、映画好きの人ってあんまり良い印象ないんですよ。仲の良い友達、尊敬する友人に映画をよく見ている人はたっくさんいますが、それはそれとして、総括的に言えば、映画好きって言ってるやつにろくなのはいない、です。アニメも同じ。
 そう言う僕も映画やアニメを見ますし、好きか嫌いかといえば……。「映画」や「アニメ」そのものが好きなわけじゃなさそうだ。好きになったものがたまたまアニメとか、そういうもんです。漫画はメディアとして大好きと言えますが、映画やアニメはそこまでは言えません。でも、そういったものが好きと言う人の気持ちもわかります。ここは趣味の問題。
 ただ、何十年も前に当時の偉いおっさんとかが言っていたらしいように、映像ってのは人から考えることを奪うことがある。その副作用からうまく逃げて、上手に映像を愛せる人は、本当に魅力的な人になっていると思いますが、副作用に溺れる人もかなり多い。これは漫画でもなんでも同じですね。なんにしたって、副作用に溺れちゃいかんのです。ただ、映像の副作用は、相当でかいってのは確かだと思う。

2012/08/26 日 己未 通

「通」とは、考えてみれば「自分の外側に価値観の基準がある人」だ。
「通」になるためには、他人の価値観に身を委ねなければならない。
 好きな映画は何ですか? と問われて、本当に好きな映画を素直に答えたら、「通」とは認定してもらえない。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『インディ・ジョーンズ』を挙げると、あんまり通っぽくない。(一周まわって、ってのがあるのかどうか知らないが。)
 自分特有の価値観や、こだわりを持っている人は、実は「通」にはなれない。
 自分を殺してこそ、「通」になれる。

 ま、「通」って言葉は最近なかなか使われなくって、「わかってる」とか「詳しい」とか「~好き」とかって表現になってるんだろうけど。
 とりあえず通という言葉でいきます。
「通」と呼ばれるには、「センスがいい」ってことと、「詳しい」ってことの両方、もしくはどちらかが必要とされる。
「センス」を決定するのは自分ではないし、「詳しい」っていうことは自分の内面とはほとんど関係がない。

 他人に褒められたり、認められたりするような知識は、結局「自分」とはほとんど関係がない。
 知識というのはけっこうそういうもんだ。
 だから、オタクやマニア、そして「通」は、どんどん自分をなくしていく。
 自分がなくなると、「通」だけが残って、やがて「通」という概念に服従する奴隷のように、「通」でない人たち(の価値観)を排斥するような、嫌な奴になってしまう場合もある。
 やなもんだなー。
 昔、「わたしの友達、みんなシネフィル(映画通)だから」と言い放ち、好きな映画の話になってある人が『ニューシネマ・パラダイス』を挙げたら、嘲るように「ああ、それわたしの一番嫌いな映画」と言った人がいた。
 自分をなくして、何かの奴隷になるという、よい例なんじゃないかと思う。
 こういう人の目には何が見えているのだろう?

2012/08/25 土 戊午 久々ジャッキー

 人間界の頂点に君臨する人を見てきた帰りに、ラーメンを食べた。カラオケスナックとラーメン屋が融合したような店で、ママが一人でやっている。初めて来たのは7~8年前で、それからずっと愛しているのだが、このたびようやくデビューした。
 店に入ると、酔っぱらいサラリーマンがノリノリで『硝子の少年』なんかを歌っているわけである。ちょうどstay with me ガラくらいのところだった。
 そんでそのあとも入れ替わりに、30代~60代くらいの常連の方々(合計10人くらい)が、ビリーバンバンとか松田聖子とかH2Oとか中森明菜とか小椋桂とか森山良子とか小坂明子とかを歌うわけです。
 僕はこういうとき、ちゃんと「もし歌えと言われたら何を歌うか」を考えておく。そうでないと、もしものときに困る。この選曲かー。だったら何を歌えば「安全」かなー、と。「無難」ではなく「安全」。「無難」はなんだか、逃げ腰で嫌だ。かといって、「完璧」といえるほど自信は持てない。だから「安全」。
 ま、でもこういうときはとりあえず『勝手にしやがれ』でいいのだ。特に考えるまでもなく。
 ラーメン食いながらぼんやりと聴いてたら、本当にその時が来た。とりあえず断る姿勢を見せておいた。「いやーそんなそんなもう帰りますから」とか。それで「あ、そうですか」というくらいの温度になるのなら、歌わないほうがマシだ。そういう場合は向こうだって歌ってほしいと思ってはいないのだ。
 でも、「いいじゃないのー」的な温度だったので、「それじゃあ……デヘヘ」とか言いながら『勝手にしやがれ』を入れて、歌った。
 なんか、昔を思い出した。全力で「ジャッキー」やってた頃の自分。どうすればみんなが喜んでくれるのか、っていうことばっかり考えていた。もちろんその根っこには「チヤホヤされたい」ってのがあって、今だってそれはあるんだけど、もうちょっと視野は広くなった。なんというのか、決して自分は、もう主役になりたくはないのだ。たぶん、高校二年生の学校祭が終わった時点で僕はたぶん「主役」から卒業したんだと思う。だから高校三年生の学校祭には参加しなかった(今は反省しています)。大学一年生くらいで、いよいよ舞台からすら降りた。つもりだったんだけど、やっぱり舞台があると張り切ってしまう。主役にも脇役にもならないような位置で、幕間みたいなときに、好き勝手踊っているのが最も楽しい。それで誰かが喜んでくれるなら。
 去年、久しぶりに演劇をやって、練習をしながら「やっぱり主導権を握ってしまう自分」というのに気づいて、「この根は思っている以上に深いのだな」と痛感した。演出の方からも(後日)それとなくそのようなことを言われて、「やっぱり」と思った。でもそのあとで「自分でもわかってたでしょ?」と言われた。さすが長く演劇をやっている人は違う。「でも、本番はとても良かったよ」と言っていただけたので、救われた。あの舞台のおかげで、いい調整ができたと思う。
 それで、僕はもちろん『勝手にしやがれ』をノリノリで歌ったわけである。しらふながら、酔っぱらい顔負けのテンションで。「こういう感じで歌えば、みんな喜んでくれる!」って信じつつ、何よりも自分自身が楽しみながら。そしたらちゃんと、みんな優しいし、うまくいった。ジュリーってこの曲、両手あげながら歌うんだけど、みんなやってくれた。よっしゃー。
 ま、なんか、ズルいって言っちゃえばいろいろズルいんだけど、僕にとって「楽しい」ってのはけっこうこういうところにあるんだよね。「あのー、一緒に飲んでもいいですか?」っておずおず言いながら、控えめに接して、少しずつ地を出していくのもいいんだけど、それよりもこうやって、ドカーンって一気に近づいちゃうほうが楽しいし、話が早いんだもの。だってカラオケスナックなんだもんね。んで、みんなもうすでにノリノリなわけだから。
 で、ここでディルアングレイとか全力で歌っても、別にいいんですよ。「変な子がきたー」「なんかすごいー」とかって、それなりにチヤホヤされて、仲間に入れるだろうとは思うんですけど、『勝手にしやがれ』でみんなで楽しくなる感じとは、まったく話が違うもの。
 それに、「安全」じゃないよね。ひょっとしたら、「ただ引かれるだけ」っていうこともあるもんね。『勝手にしやがれ』を、ひたすらノリノリで、けっこう上手に、他のお客さんともじゃれ合いながら、楽しそうに歌う、っていうのが、やっぱりいいんだ。
 選曲がよかったな。年齢や見た目とのギャップってのもあるし、やっぱ、だってジュリーだもん。『勝手にしやがれ』だもん。楽しい歌だもん。(楽しい歌詞じゃないはずなのになあー)。
 で、なんだか、そのような振る舞いが許され、受け入れられ、愛でられるような優しい空間であることを僕は期待して、そういうことをしたんですよ。そしたらやっぱ、そういう空間だった。ずっと愛した店だものねえ。
 ちょっとあれこれうまいこと言って、帰ろうとしたら、ありがたいことに引き留められて、ちょうど『奇跡の地球』が次に入っていたので、ほかのお客さんとデュエットした。これも楽しかった。帰り際、「いやー、本当にすばらしかった。お名前は!?」と言われたので、一瞬迷ったけど、「ジャッキーです」と言った。そしたらやっぱ、ジャッキーコール。名前ってすごい。もう、ずっとこれでやってきたもんな。やったら懐かしいな。大学に入ったときもそんなだったな。それで、すぐ帰った。あんまり主役にならないように。
 昔とった杵柄でもあるし、今日まで育ててきた十字架でもある。一蓮托生、というくらいに付き合っていってもいいかもしれない。楽しいねジャッキー。

2012/08/22 火 乙卯 公園で飲む

 夜に近所の大人たちを誘って四人でお酒を飲んだ。
 公園の一角、草場に座りこみ、食べたり飲んだり、話したりした。
 ノルウェーみやげのビール、栓抜きがなかったので自転車のカゴで開けた。もはや恒例のようになっている。ナポレオンラベルのブランデー、初めて飲んだ。
 いい年の大人(それも、大人になってから知り合った、僕よりもずっと年上の方も含めて)が、公園で飲みながら「いいですねー」とか言ってるのはすばらしい。何がすばらしいって、その行為自体というよりは、その行為に何も抵抗を抱いていないらしいようなことが。
 最近、夏だから、公園やなんかで飲むことが多い。
 一対一だったり、何人かだったり。時には十人くらいだったり。
 大人になると「場所代」という言葉を聞くようになるが、思えば高校生まではそんなことは考えたこともなかった。喫茶店なんか行ったことがなかった。

 場所というのは、土地であって、空間であるが、それだけではない。
 場所というものの構成要素は、実はとてもたくさんあって、複雑だ。
 僕らは常にどこかの場所にいて、場所は何かの意味を持っている。
 条件によってお金が発生したり、しなかったりする。
 場所は抽象的で流動的なものでもある。

2012/08/21 月 甲寅 写真(一瞬の永遠、混沌の秩序)

 我々はただ被写体や被写体の密かに秘めていた可能性をこそ褒めればいいのであり、撮影者を褒める必要は特段ない。ごくろうさまとかありがとうとか、そういう一言をあげるのがいい。
 撮影者を褒めるべき時があるとすれば、それは撮影者が被写体に対して嘘をついた時である。そのとき、撮影者は賞賛のかわりに、時として被写体に謝罪しなければならないだろう。あるいは被写体や、被写体に関係する(と主張する)人物・団体から、感謝されることもあるかもしれない。それを目撃した我々は、できるだけ注意深くそれを観察し、その感謝の内実を見極めたほうが健康だろうと思う。
 感謝の内実は様々である。
 またもちろん、「褒める」と「感謝」は全く違う。

 嘘つきの撮影者を時に我々は褒めそやす。嘘が悪だとも限らなければ、嘘こそが芸術だという考え方もある。嘘が文化を創ったという事情だってあるかもしれない。だからこそ、我々は嘘に遭遇したとき、できるだけ注意深くそれを観察し、その内実を見極めたほうが健康であろう、と思う。

2012/08/20 日 癸丑 昨日の

 日記がなぜか恥ずかしい。一昨日のも。もう少し余裕のある生活をしないと。

2012/08/19 土 壬子 休日です。

 最寄り駅の「駅ナカ」が異様な充実を見せている。大きなスーパーをはじめ、カルディなどというオシャレな輸入食品店までできた。タリーズコーヒーがだいたい空いていて、椅子もよい(肘掛けがあるのが熱い)ので気に入った。コーヒーの味も、行きつけの180円のところところよりはずいぶん美味しい。300円かかるが、四~五時間居座るなら許容範囲か。もっとお金あったら近所のHIROっていう昔ながらの喫茶店を居城にしたいんだけども、経済的余裕と思想的行動規範との兼ね合いがこういうところでうまくいかない。HIROは禁煙じゃないし、読書で数時間居座る雰囲気でもないからっていうこともあるんだけど。コメダでもできないかな。
 タリーズの入っている駅に向かうには線路に沿って北西へ行けばいい。朝は南側を通り、昼過ぎよりあとは北側を通る。そうするとちょうど高架の日陰になって暑くないのだ。最近は数キロ以内であればもっぱらキックボードで移動するので、日陰かそうでないかは重要な問題なのである。キックボードでは日傘が差せないから。

 ただ、それだけの話です、今日は。東から太陽は昇り、南中して、西へ沈む。そのことを考えると、そういうルートになるというだけの話。だからなんだということは特にありません。
 ふだん本を読んだりするのに使っているのはとある公共施設で、使用料タダなのがよい。要するに税金ということですが。それが9時から21時過ぎまでしか開いていないので、早かったり遅かったりする時間のときは喫茶店にでも行くというわけです。あと、道すがら太陽を浴び続けなければならないのがちょっと辛い。家にもカフェを作ったので、そこでもいろいろ捗るわけですが、今のところは椅子がちょっとよくないからもう一つ。どうしても暑いし。

 自転車とキックボードを基本的な移動手段にしていると、夏はどうしても太陽の問題が生じてくる。時間に応じてルートを変えたりしてみると、少々は違う。こういったルートの工夫を方違(かたたが)えと呼ぶことにしよう。また、時間によって行き先そのものを変えたり、行き先によって時間を変えるというのもなかなかよい。人生は工夫であることよ。そういうふうにやっていくとどんなことでもだいたいは楽しくなる。

 楽しいといえば、hide with spread beaverのPVは楽しそうだ(『ever free』とか)。ライブ映像を見ても楽しそうだ。やはりこの「楽しい」とか「楽しそうだ」というところに、いわゆる「よいもの」とか「正しいもの」の中に潜む秘密があって、だからhideは未だに偉大と言われるのだろう。
 工夫の凝らされた仕事はすばらしい。

2012/08/18 金 辛亥 絶望の望を信じる

 書きたいエネルギーが足りないけどカウンタは回る。申し訳ないです。しばしお待ち下さい。
 なんでエネルギーが今は切れているのかというと、またもや絶望しているからなのかもしれません。なんべん言ったって通じやしない。
 ってこたぁ置いといて、僕は言うわけですが。

 実家で大量のズッコケ三人組を発掘し、とりあえずかねてより再読したかった 『うわさのズッコケ株式会社』を読みました。それがあまりにも面白く、懐かしかったので、ついに『ズッコケ中年三人組』を読み始めました。なんとも面白い。過去のシリーズへの思い入れによって楽しめるという要素ももちろんあるのですが、それとはまったく別に、一つの作品として非常に面白い。この「面白さ」はどこから来るんだろうなー、と思ったら、これはきっと文体でしょうね。
 最近は僕も大人になって、小説でも評論でも、ものすごい速さで読むことがあります。速読というやつ。『ズッコケ中年三人組』も、たぶん数十分くらいで読み終えてしまうだろうなと思っていたら、なかなかどうして、数時間かかりました。
 大人向けに書かれたものとはいえ、こんなにわかりやすく、簡潔な文章なのにどうして読むのに時間がかかるのか? それはやはり、文体の魅力。そしてキャラクターの魅力でしょう。速く、あるいはとばして読むと、そこの味わいが薄れる。そうしたら『ズッコケ』を読む意味がなくなってしまう。だからじっくり読んでしまいます。
 このシリーズが、どうして人気があるのかというと、とっつきやすさ、面白さはもちろんとして、やはり文体やキャラクターの魅力というのもあります。そしてもう一つは、「親切」だということです。読者の想像力に委ねるような場面がほとんどない。情景も心理も、きっちり描写する。時には作者が、キャラクターの内面に寄り添って語ることもある。だから、読書にあんまり慣れていない人にも、読みやすい。
 かといって、味気ない作品かというと、そうでもない。ちゃんと心に残るものはある。「わかりやすい」けれども、「浅い」わけではない。時にものすごく深いところに突っ込んでいくこともある。『占い大百科』でコックリさん的なものにはまって狂ってしまう桐生さんや、『山賊修行中』で山中にコミューンを作っている山賊たちの社会や思想などは忘れられない衝撃をもたらしてくれたし、『株式会社』は実は「働くこと」と「楽しむこと」についてのアイディアをくれた。
 と、いろいろズッコケについては書くことが多いので、またちょっと考えて書くことにします。特に『中年』シリーズについてなど。

2012/08/17 木 庚戌 18ヶ月

 シャ乱Qの1stシングル『18ヶ月』で、
「あなたの夢が叶ったら 私の夢叶わない」
 ってのがあるけど、これはもう
 別れるしかないよなあって思う。

2012/08/16 木 己酉 すばらしい

 すばらしいものを知っている。
 すばらしくなろう。

2012/08/12-15  

 帰ってきました。お盆休みをありがとうございます。


●12日

 高校時代の部活仲間の結婚式二次会。二次会と言っても入籍は去年末、挙式は二月だったようだ。同窓会のようなことをやる口実として、二次会という形式にしたらしい。これまで、式とか二次会には数えるほどしか出席したことがないが、その中でも最も肩肘の張らない、素敵な会だった。何よりドレスコードがないってのがいい。こういうのって、「ドレスコードはありませんよ」って言わないと暗黙のうちにドレスコードが成り立っちゃうもんだから、ちゃんと「なし」って言ってくれるのは本当にありがたい。僕は結婚式でも葬式でもできることならばスーツを着たくないのだ。(葬式の時は黒ければべつに何でも良いのではないかと本音では思うが、しかしいちおう慣習には従うことにしている。)
 会が終わったあと、会場の外で長々と立ち話をしていたら、やがて新郎新婦が出てきて、カラオケに行くことになった。ゴダイゴの『ハピネス』とか歌った。
 久々に(比較的)普通の人たちとカラオケになんか行ったから、いろいろと大変だった。いろいろ思い出した。
 家に帰ってお母さんのカレーを食べた。これこそが人生であり、生きてきた証だとかいうわけのわからないことを直観的に思った。


●13日

 演劇部のOB・OG会。高校近くの、びっくりするほど素敵なお店で。
 初めての参加だったので不安だったが、蓋を開けてみれば知っている先輩ばっかり。なんだかんだ、6学年上くらいまでの先輩は現役時代にお世話になっていたので、だいたい知っている。後輩も、教育実習の時にいた世代くらいまではけっこうわかるはずだから、来てくれたらな。今回は僕が最年少だった。
 とても楽しかった。緩いというか、自由というか。「演劇(部)」っていうつながりの安心感もある。力強いもんだな、本当に。引力というのは。そうだ、地球の重力ってのは、上から下に働くもんなんだからなあ。
 僕は先輩方、先生方、そしてKDCが大好きですよ。伝統を正しく継承し損ねてしまったのは本当に申し訳なかったのですが、僕より五年くらい下の子たちの芝居を見たらめちゃくちゃ面白かったので、それで僕はけっこう気が楽になりました(勝手に)。


●14日

 高校の英語の先生と会食。カチボー近くのぼてこ。彼に会うとやる気が出る。ありがたい存在です。
 彼は高校の教員を退いた後、とある大学で「英語科教育法」などを教えているらしい。話を聞いて、心から、自分も受けたいと思った。
 僕は彼を非常に尊敬しているのだが、一方で彼も僕をライバル視(!)していると言う。すなわちとても過大評価しているのである。いや、「過大評価している」というのは、実はちょっと正しくないと最近わかった。はっきり言って、現在の僕は本当に何者でもないので、何者かでありすぎるような彼にすこぶる褒められると、「そんなたいそうなもんでもないですぜ」と思いたくもなるのだが、しかし、師が弟子を評価する時、必ずしも師は弟子の「現在」のみを見ないのだ、ということをいまの僕は実感として知っている。表面のみが人間ではない。人間には中身がある。
 植物の種を思えばいい。種だけを見て、その花を想像することは難しい。しかし、豊富な経験と卓越した直観力を持つ人間にとっては、種を見て花を知ることは不可能なことではない。僕にだって、多少はそのような能力がついてきている、と思う。いわんや、僕などより何十倍も多く、長く「教え子」を見守り続けてきた人物をや、である。彼は僕の種を見てその花を評価しているのだ。決して、現状の僕をのみ問題にしているのではない。
 それは本当にありがたいことだし、彼のそのまなざしのおかげで、僕も彼のように誰かを見ることができる。つまり、人を種として見つめることができる。種はやがて芽生える。そして花を咲かすかもしれない。咲き乱れるかもしれない。美しいかもしれない。そんなことをさえ、僕は彼から教わったようだ。
 ま、勝手に言っているだけなんですけどね。ともあれそのまなざしに僕は応えなければならない。だから、やる気が出るんです。

 本当はこの夜に帰るはずだったのだが、電車を逸し、夜、猫とかねことかCatとかの管理人さんと会った。取りわけて書くこともないほどに、我々は我々であった。そんな彼にも子供が生まれるそうだ。古い読者さまは祝福を。名前を聞いたら、よい名前だった。さすが。


●15日

 今回の帰省はあわただしかった。会いたかった人に全員会えたわけでもない。しかしかなり充実していたことは確かだ。両親と一緒にいる時間ができるだけ多くほしかったので、夜中はあまり出かけないことにしてみた。とても懐かしい感じがした。僕がいるだけで両親は喜ぶので、ちゃんと生きなきゃなといつも思う。

 早朝に家を出た。東海道線は混むだろうと、中央本線で帰ることにした。せっかく18きっぷ(普通列車乗り放題)なので、途中下車してどこか観光しようと思った。かねてから興味のあった諏訪にした。諏訪大社は四つの宮があり、そのすべてを回ろうというのである。
 中津川、塩尻で乗り換え、下諏訪で下車(10:25)。キックボードを駆り、まずは春宮へ。駅北側の国道脇に大きな鳥居があり、そこを入ってしばらく走る。本殿から200メートルほど歩いたところに、岡本太郎が絶賛したという万治の石仏があった。
 国道まで戻り、ひたすら東へ。秋宮に着く。ここは駅に近いこともあり、ポピュラーな宮らしかった。人がたくさんいた。さらりと見てすぐに出た。
 南東に走ると、「長野県下諏訪 向陽高等学校」の看板が。母校と同じ名前だ。それに目を奪われて、道を間違えてしまった。諏訪湖のほとりを走るつもりだったのに、ひたすらアップ・ダウンが続いていき、いつの間にか遙か下界に諏訪湖を見下ろすような高台まで来てしまった。仕方なく走り続けていたら、うまいこと湖岸に出た。
 湖沿いに走っていると、屋台が出てきた。今日は諏訪湖の花火大会らしい。横目に見ながら上諏訪駅へ。足湯に入った。上諏訪駅の足湯は駅の構内にあり、きっぷを買わないと堪能できない。まだ全身入浴できる温泉だった頃(2001年以前)からの念願が果たせて、満足。ここまで7~8キロくらい走っていたので、存分に足を休ませた。
 上諏訪駅から南下し、高島城へ。思った以上に立派なお城(もちろん復元だが)で、城の周りは市民の憩いの場になっていた。散歩道や、休憩所や、児童公園や、神社などが同じ敷地内にあって、老若男女が集っている。ピースフル。
 諏訪はいい。何しろ、涼しい。この時点で12時前くらいだったが、ほとんど全力で走っているのに汗もほとんどかかなければ、水分もそれほど欲しくならない。家から持ってきた500MLのお茶が、まだまだなくならない。なんと住みやすい。少なくとも、夏は。(祖父母が松本市なので、長野の寒さはよく知っている。)
 少々道に迷いながらも、ガソリンスタンドのお兄さんに道を聞いたり、平林たい子記念館を目印にしたりしながら、小さな田舎の道をひた走る。この時、僕は例のあの素晴らしい感覚に見舞われた。
 持論であるが、旅の醍醐味は既視感だと思っている。ある程度国内を旅行している人間にとって、まったく未知の風景というのはほとんどない。むしろ、たいてい既視感がつきまとう。しかし、いっさいが既知というわけでももちろんない。この絶妙な感じが、僕は好きなのだ。自分が一瞬、どこにいるんだかわからなくなる。そののち、自分は確かに「この土地」にいるんだと心の中で確認し、「この土地」は確かに日本にあって、そして自分にとってとても大切な景色であるのだと実感する。くにを愛するとかいうのはまったく、ふだんはピンとこないもんだが、この瞬間にだけは強烈にわかる。自分はこの風景を愛していると。この風景につながるのならば、そのあらゆる景色を愛せるだろうと。
 ああ、僕はここを知っている。初めて見た風景で、初めて踏んだ土地だけれども、確かに僕はここに繋がる空間に生まれ、暮らし、旅をしてきた。たぶんそういう想いが、形という形をとらずに、心の中を支配する。その時に僕は気持ちよくなる。知っているという安心感。愛しているという充実感。
 普遍なのである。
 山に向かってひたすら走りながら、僕は富山県を自転車で走った時のことを思い出していた。その時の山を、道を、その風景に重ねていた。繋がっている。
 大熊湖南という交差点を左折し、ガタボコの道をしばらく走ると本宮に着いた。本宮というだけあって、先の二つの宮とは比べものにならない厳かさがあった。近くに駅などないためか、秋宮に比べて人もずっと少なく、静かだった。立派な木造の鳥居や、土俵、そして素晴らしい建築をめぐりながら、自分はつくづく寺よりも神社が好きだと思った。
 土産物屋で、ゆずのドリンクを振る舞ってもらった。感じのいいおばあちゃんだった。水がいいのか、本当においしい。勧められるまま、二杯飲んだ。三杯目は、こちらから是非とお願いした。
 自転車で来ている人は多かったが、キックボードの人はいなかった。当たり前だが。上諏訪駅から何キロ走ったか知れない、道に迷ったことを計算に入れると、ここまでで15キロはあったか。時間がないので、常に全速力。よって足はほとんどガタガタになって、膝が笑っていた。
 そこへきて追い打ち。本宮から前宮までの間に北斗神社というのがあって、そこは長い長い階段の上に鎮座している。北極星をまつっているというだけあって、天空に続くかと思えるほど、高い。こんな凄いもの、見つけたからには登らないわけにはいかない。諦めたように、数えながら登っていくと、全部で確か、二〇一段あった。ビルで言うと十数階まで上がるのと同じくらいだろう。さすがにこたえたが、そこからの風景にはかえられない。
 予想外の時間と体力を食ったので、急いで前宮へ。ここも長い坂道の上にあって、これまたくたびれた。他の三つと違って、観光客なんかいやしないし、土産物屋はおろか宮司さんも巫女さんもいない。しかし、ここも含めて諏訪大社なのだろうと思った。無理をしてでも来る価値はある。
 電車の時刻まで間もないので、急いで走った。茅野駅まではせいぜい2キロか3キロくらいなのだろうが、それが大変だった。何しろ、帰省帰りの荷物は重いのだ。本も十冊くらい入っている。
 滑り込み、なんとか13:26発の列車に乗り込んだ。濃い三時間だった。三時間。たった三時間か。キックボードで、山道含め20キロ弱走ったことになる。なんとかなるもんだな。キックボード旅行は16歳の時にもしていて、その時は90~100キロは走った。それを思えば軽いものだ。しかし、かなり急いだぶん心残りは多い。またいつか諏訪は巡らねばなるまい。
 あれほどガラガラだった車内も、東京が近づくと急に混み合った。高尾では特別快速がいっぱいになっていたので、快速(中野まで各停)でゆったりと。荻窪で下車。そこから10キロ以上走って、さすがに疲弊した。楽しいものである。

 ちょっと出かけてきますがいつ帰るかは未定です。

2012/08/11 土  自信と愛

 自信というのは自分を信用すること、信頼すること、すなわち、愛することだと思います。自信を持つということは、「自分はすごい」「自分はできる」と思いこむことではなくて、「自分は愛するに足る存在だ」と感じることです。
 ところが、そう簡単に人は自分を愛せはしません。自分が愛するに足るかということは、わかりません。だから人は誰かに愛されなければなりません。親が子供を愛するのは、「誰かに愛された」という実績を子供に与えてあげるためです。愛された実績が多ければ、「自分は愛するに足る」という認識も生まれます。が、あまり乱発しすぎると、つまり無根拠・無批判に愛を示しすぎると、「愛する」と「甘やかす」がわからなくなって、子供は自分を甘やかすようになってしまいます。この状態が「過信(過剰な自信)」というものです。そういう人は、自分の子供に対しても、きっと甘やかすことしかできないでしょう。あるいはその反対に、締め付けることしかできないでしょう。だから親は、慎重に丁寧に子供を育てます。
 それでも、人はなかなか自分を愛するなんてことはできません。だから誰かを愛することで、自分を愛する練習をするのです。

 とか言ってますが、そもそも愛ってのは局面でしかないって僕はずっと言ってます。愛するとか愛されるなどということは便宜上の言葉で、実際には「愛に満ちた場面や関係」のようなものがあるだけだと。
 しかし、そうだとしても、上に書いたようなことの意味は消えないと思います。愛という局面を知るのは、親との関係からだし、その練習は、一人ではできません。
 また、僕が片想いを嫌いだ、虚妄だと言うのは、愛を一人で作ることはできないからです。人間が生まれた時、そこには親の一方的な片想いしかないのでしょうか? そうでもないような気がします。
 場面次第です。

2012/08/10 金  忘れてもいいように

 忘れてもいいように、僕らは覚えていくのです。
 すべては忘れてしまうから、自分で作り出せるようにするのです。
 料理のようなものです。調べたレシピはすべて忘れてしまいますので、レシピなんてなくても作れるようになるのです。
 そのために一時、覚えます。あるいは、参照します。
 誰かに教えてもらいます。
 教えてもらったことは忘れてしまうから、自分なりのことをどこかに覚えていくのだと思います。

2012/08/09 木  襟足から木の枝

 唐沢商会の『ガラダマ天国』かなんかを小学生の時に読んで、そこに「他人の見た夢の話は絶対につまらない」と書いてあったので、それ以来夢について語るのも書くのもできるだけ避けて生きてきた。夢日記つけてると発狂するなんて話もあるので、自分の見た夢について考えることもできるだけ避けてきた。
 しかし最近どうも、「夢の比重」が増えてきたように思える。ずっと意識的に夢から離れようと生きていたせいか、僕の生活に「夢」はほとんど存在しなかった。ところが今はどうしても夢について考えてしまう。これは中学二年生の夏の朝、夢で出会った女の子に初恋を経験して以来のことかもしれない。

 つまらないのを覚悟して書くが、夢は本当に不思議だ。先日、襟足から木の枝がたくさん生えてくる夢を見たらしい。それで今朝、襟足から生えてきた木の枝を根っこから抜いて、根っこを徹底的に掃除する夢を見た。
 ここでわからなくなるのは、「僕は本当に、かつて襟足から木の枝がたくさん生えてくる夢を見たのか?」ということ。「かつてこういう夢を見た」という記憶も、夢によって植え付けられた捏造の記憶ではないのか? つまり夢は、僕の過去の記憶を捏造してしまったのでは?
 とか考えると、自分の経験や考えの中にはひょっとしたら夢の中で勝手に作り出されたものもあるんじゃないのかとか思えてくる。本当につまらない話だ……。
 現実と夢との境界がわからない。

2012/08/06 月 己亥 人にやさしく?

 また西原のことを考えた。西原は去年死んだ友達である。晩年は疎遠だった。なぜかといえば僕は彼に嫌われてしまったからだ。なぜかといえば僕が彼に意見をしたからだ、と思う。今思えば僕も青かったが、彼の病気(鬱)に対して自分の意見を率直に述べてしまったのだ。要するに僕は僕なりの正論を言ったわけだ。そうしたら彼は激昂して僕との縁を切った。死人に口なしではあるが、できるだけ客観的に言ってそんな事情である。
 本当はもっと優しくすればよかったのかもしれない。もっとも、どんな態度で臨んでも遅かれ早かれ同じようなことになっていたのかもしれない。だって、僕が彼に対して無条件に優しい態度をとったとしたら、僕らは一緒にいてちっとも楽しくなかっただろう。そういう関係だった。
 思えば彼が鬱になってしまった時点で、こうなることは決定していたようなものだったのかもしれない。僕と彼とは疎遠になり、そして彼は死んだのである。
 いやはや、いったいいつまで「西原死んだネタ」を続けるつもりなのか僕は。しかし、本当に重要なことだ。僕は彼をこのまま殺す気はない。

 僕はどうも、「こうだ」と思ったらそのことをストレートに言ってしまったり、やってしまったりする傾向にある。わざと「何もしない」ということを選択することも多い。できるだけ気を遣おうとは思っているが、無理はできない。本当に無理ができない。本当は無理しなきゃいけない局面だってあるのだが、どうもその域に達せない。
「正しい」と思うことに従順なのである。といえば聞こえがよいが、要するに我が儘というか、「こうすべきだ」「こうしたい」という思いに正直なのだ。それでもう数え切れないほど失敗を重ねてきた。結果的には失敗でなかったこともあるのかもしれないが、後味の悪いのに変わりはない。

 この件に関して、どう付き合っていくかというのが今後の課題だ。もっと上手に生きられたらいいんだが。こんな僕を見捨てないでいてくれる友達が本当にありがたい。

2012/08/05 日 戊戌 時速4kmの旅

 器用なつもりが器用でない。
 うまくいくこともあればいかないことも多い。

「べき」ということによって行動が引っ張られてしまうことが
 あまりにも多い。
 祈るしかないではないか。

2012/08/04 土 丁酉 丁々発止

 夢で何度も出会った人と
 再会するたび不思議な気分になる。
 どこかで会ったかな? と思ったその瞬間に
 その人との思い出があふれてくる。
 夢は記憶を捏造する。
 僕には夢でしか会ったことのない大切な人が
 きっとたくさんいるのだろう。
 夢を見ることで思い出は作られる。
 あったのか、なかったのか、
 その人と会ったのが本当に初めてなのか、
 久しぶりなのか、
 毎日のように会っているのか


 わけのわからないことを書いてしまったが
 夢を見て、知らない人が出てきて、
 でも考えてみるとその人のことは昔からよく知っていて
 起きている間は忘れているだけのことなんだ、と確信する
 ようなことってありませんか?
 夢の中では何度も会っていて
 目覚めるたびに忘れてしまって
 再会するたびに思い出すような
 そんな不思議な存在が何人かいるようです。
 今日はとくべつに少し覚えている。

 下の記事を書いてから掲示板に87年度組の方から書き込みがあり、「ポケモンはともかくエヴァ、ワンピ、FF7はもうちょっと上の世代の人たちが楽しんでいたものなのでは? 少なくとも僕の周りでは夢中になっている子は少なかったのでは?(大意)」とのことだった。
 確かにそうなので、少し本文を修正した上で、補足しておきます。

 僕はだいたい、95年を境に旧世界と新世界が線引きされていると思っていて、95年以降は「徐々に」四天王的価値観が支配的になっていく。しかしみんながすぐに四天王に飛びついたというわけではない。あるいは、その人個人が飛びついたかどうかもあまり問題ではない。この周辺での世代の差というのは「新しい価値観が支配的になったときの年齢が○歳ぶん早い/遅い」というようなことだ。いつ支配的になったか、何歳の時に支配的になったかというのは言えないが、「その萌芽がわかりやすく現れた95年という年に何歳だったのか」というのは一つの指標になるのではないかとは思う。
 FF7が当たり前にあった世代と、それがちっとも当たり前ではなかった世代とではやっぱり違って、それを「当たり前」と思う側の人が多くなり始めるのって、だいたい87年度生まれくらいからなのでは? それより数年あとになれば、もう「最初にやったRPGはFF7」という人さえ出てくる。
 たとえば僕は、「ファミコンがあるのは当たり前」「ドラクエがあるのは当たり前」の世代だが、「スーパーファミコンがあるのは当たり前」かどうかとなると、ちょっと微妙で、「プレステがあるのは当たり前」かというと、全力でクビを横に振る。
 87年度生まれだと、さすがに「スーパーファミコンがあるのは当たり前」だが、「プレステがあるのは当たり前」と言われると、微妙な顔をするようなくらいの世代であろう。ちなみにスーファミからプレステまでの間は、ちょうど4年ほど。87年度生まれの人にとっては、およそ3歳でスーファミ、7歳でプレステが出る。(もちろん「出る」であって「買う」ではない。プレステが出たあともスーファミソフトはしばらく発売され続ける。)
「プレステが当たり前」ということは、「プレステで実現される画質は当たり前」ということで、「ファイナルファンタジー7は当たり前」ということとかなり重なるんではないかと。プレステを当たり前と思っているような人は、ファイナルファンタジー7の画質や演出に驚かないはずだ。僕は驚いたし、嫌いだった。3DCGがとにかく好きじゃなかったし、今でもあまり好もしく思ってはいない。
 僕が無条件に「当たり前」と思えるのはファミコンであって、スーファミ以降には違和感がある。プレステはスパロボの第四次Sを除けば、ほとんど真面目にやっていない。プレステより後のハードに関しては、たぶん一本もクリアしたソフトはないだろう。サターンのスパロボFはなんとか終えたが、F完結編は挫折したので、「クリアした」とは言えないような気がする。

 エヴァに関してもワンピに関しても、それの存在が「当たり前」であるかどうか、というのがやはり世代によって違う。僕は丸顔の小学生が冒険したり悪を倒したり子育てしたりする話ばっかり見ていて、それが「当たり前」だった。ドラゴンボールがジャンプとテレビでやっているのが「当たり前」だった。87年度生まれの人は「自分にとってもそれが当たり前だ」と言うかもしれないが、「当たり前度」の平均を取れば、絶対に変わってくる。
 で、そういった世代の違いが何をもたらすのかというと……いろいろ考えてはいるのだが、邪推・妄想の域を出ず、まだ人に言えるレベルではない。そのうちまとまったら。

2012/08/03 金 丙申 してんのう

 1987年度生まれからが、いわゆる「ゆとり世代」の初めらしい。
 1987年度生まれの人は、
 小学二年生(95年度)でエヴァンゲリオン(10月)、ポケモン(2月)、
 小学三年生(96年度)でファイナルファンタジー7(1月)、
 小学四年生(97年度)でワンピース(8月)、
 が登場している。
 これら時代を変えた「四天王」が、何歳のときに出てきたか、というのは、かなり重要なことだ。

「ゆとり世代」よりも少し年上である僕にとって、エヴァはテレビ愛知の再放送枠をつぶした(と言われる)悪玉だったし、ポケモンは公園での遊び方に革命をもたらした反逆者だったし、ワンピースが始まった頃にはもうジャンプは読まなくなっていたし、ファイナルファンタジー7はそれ以前のシリーズに愛着のあった僕には「FFではないもの」としか感じられなかった。
 つまり、これらが始まった頃には僕はもう「素直な子供」ではなくなっていたのだ。 99年にはワンピースのアニメが始まるが、鳥山明先生の大ファンだった僕にとっては18年半の伝統を誇っていた水曜19時の『ドラゴンボール』や『ドクタースランプ』に取って代わった気にくわない新顔だった。それに、僕はもう中学三年生になっていた。ところが87年度生まれの彼らは、まだ小学生だった。

 小学五年生だったか六年生だったかのころ、近所の公園で頭を寄せ合ってゲームボーイでポケモンやってる下級生たちの姿を見て、何かが終わってしまったような気分になったことを、僕は鮮烈に覚えている。僕の学校では学年ごとにバッヂ(名札)の色が違ったのだが、彼らは赤いバッヂの、87年度生まれの子たちが中心だった。
 僕と彼らの間には明らかに世代的断絶がある。
 けれども当時、紺色のバッヂをつけた僕は赤色のバッヂをつけた彼らからずいぶん慕われていた。正確に言えば「なめられていた」というべきなのかもしれないが、歩いている僕を見かければ殴りかかってきた。僕も大げさに反応してみたりして、そうすると彼らはきゃっきゃと喜んだもんだ。

 四天王が登場して、すぐにすべてが変わったというわけではない。95年に彼らは小学二年生だったが、そういえば僕は小学二年生の時にはすでに手塚治虫に心酔していた。藤子不二雄もずいぶん読んでいた。素晴らしいアニメをたくさん見ていた。岡田淳さんを好きになりかけていた。小学二年生になるまでに吸収したものは、その後に出会ったものよりもずっと深く人格に根を張るはずだ。

 87年度生まれの人は、僕のように、新しい時代に絶望しなかったのだと思う。むしろ光として受け止めていたのかもしれない。四天王的価値観も柔らかく受け流せたのかもしれない。僕はダメだった。固く、拒否した。
 僕と彼らと、どちらが良いのだか、知らない。結局は個人それぞれがどう生きるか、なのだから、世代のせいにできるようなことは本当に少ない。
 ただ、なぜだか、最近自分のごく近くにいる友達を思い浮かべると、この世代の人たちがけっこう多い。見かけるたびに殴りかかってきた愛しい彼らのことを思い出す。
 87年度生まれよりもさらに下の世代になれば、四天王が本当の「原体験」であるという人も増えてくるだろう。87年度生まれは、ぎりぎりの世代だ。だからこそ柔軟に、エヴァ以前の世界も、エヴァ以後の世界も受け入れることができたのではないか? というのが、僕の直観的な仮説。

 僕は実に、四天王的価値観を邪悪だと思うのだが、自分より若い世代が必ずしもその価値観に溺れてしまったとは思わない。うまく折り合いをつけてきた人もたくさんいるだろう。そしてそういう人たちと僕は今、たぶんとても仲がよい。

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