少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2012/03/31 土 辛卯 ひとみくもりなく

 大人は子供のことをバカだと思っている。
「そんなに難しいことを考えるわけがない」と、最初から決めつけている。
 特に男性には、そういう傾向が強くあると思う。
 子供に対してだけではなく、部下とか後輩とか、「年下」「目下」の人間に対して、男性は常に「こいつは自分よりも下なのだから、たいしたことは考えていないはずだ」と思いこんでいる。
 こういう思いこみを持っている人は本当に多い。
 一度や二度話しただけでその人のことがわかるわけはないし、年上の人の前では最初は緊張してうまく喋れないものだ。だけど年上の人はちょっと話しただけで「こいつはだめだ」と決めつける。決めつけて安心する。「どうやら自分の地位を脅かす存在ではないらしい」「自分は優位でいられる」と。
 男性は、相手より優位に立つことによって安心を得る生き物だ。少なくとも日本人はそうだと思う。だから優位であることに固執する。
 藤子・F・不二雄先生の『やすらぎの館』では、その反動としての「男性の幼児退行」が描かれているが、幼児退行でもしなければ「劣位に立つことによる安心」は得られないということだろうか。

 男性にはそういった習性があって、僕にもそういう傾向はあるかもしれない。だから、気をつけるようにしている。教育をしようという時に、「こいつはバカだ」から始めようとするのは愚かしい。僕はずっと、そういう先生たちを憎んできた。中学生の頃に読んだ、懐かしい山田詠美の『眠れる分度器』は、そのあたりの事情を描いていた気がする。
 僕は必ず、年下の人間と接する時には、「この人はどういう人なのだろうか」と注意深く考える。第一印象では「つまんねーやつだな」と思うことも多いが、すぐに「いや、いや待て」と思い直すようにしている。もう少し話してみると、少しずつ独特の輪郭が見えてきて、「今は何も言えないでいるが、数年後はわからないな」というふうに思えてきたりする。それでしばらく後に再会してみたら、驚くほどの進化を遂げていることもある。
 時期っていうのは本当に大切で、僕は最近よくそんなことを考える。教え子の顔を思い浮かべると、「今こそ会う時だ」と思う子もいれば、「大学を出る頃に会いたいな」と思う子もいるし、「十年後に会うとおもしろいかも」という子もいる。

「最初は何にも考えてないんだろうなって思った」と、ある年上の人が僕に言った。だけど今は、会えてよかったと思っていると、うれしいことを言ってくれる。七年くらい前に出会って、ようやくそうなった。縁というのは本当に不思議なものだ。どこかで切れてしまっていてもおかしくなかった関係だったのに。
 とは言うものの、実は切れなかった理由ははっきりしている。それは日本的な「世間」の力だ。改めて、世間ってすごいなと思わずにはいられない。若き名古屋の夢呼ぶ風に、開く希望よ心の花よ。

2012/03/30 金 庚寅 セコい

 目標を達成するためには、信念を曲げたほうがうまくいくことが多い。だけど、信念を曲げてしまうと、目標も最初とは違うものになってしまう。
 信念を曲げずに、最初の目標を達成しようと努める姿勢を、「セコい」と表現した人がいる。「おれはセコいんだ」と自嘲的に。なんて真面目な人なのだろうか。
 考えてみれば、僕もセコいし、僕はきっとセコい人が好きなんだと思う。
 何も曲げずに、行きたいところへ行くためには、どうしたらいいか。どういう工夫をしたらいいのか。難しいけど、忘れてはならない。

2012/03/29 木 己丑 座り方

 若い人には、座り方がわからない。学校や塾での座り方に慣れすぎていて、それ以外の場ではどう座っていいかわからない。その訓練はいったいどこでなされるものなのだろうか? 大人はいつの間にか座り方を身につけている。もちろん、身につけていない人もいる。座り方のわからない若者は、ひょっとしたら座り方のわからない大人になる。そうならないためには、どうしたらいいのか?
 そんなことは若者個人の問題なんだけど、お節介な僕は何かを考えたい。

2012/03/28 水 戊子 撤回

 なんてことを書きましたが状況が変わりまして、ノンフィクションは発売延期になりました。申し訳ないことでございます。

2012/03/27 火 丁亥 宣言

 しばらく新作中心の生活を送ります。5月5日発売に向けてノンフィクション小説を書きます。4月末までモデルの方がご存命であれば出ると思います。

2012/03/26 月 丙戌 21st century boy

 懐かしい友人からメールが来て、小沢健二さんのコンサート『東京の街が奏でる』のチケットが一枚余っているのだが引き取り手の当てはないかとのことだった。
 取りたいと思ってもなかなか取れないチケットだ。話によれば、10件も20件も応募して1件しか当たらなかった人もいたという。僕は二つ返事で、引き取ることにした。当てはなかったが、誰か行きたがる人はいるだろうと思った。いなければ自分で行けばいい。
 僕は別の日程で行く予定がすでにあったのだが、正直に言えば、行けるものならば何度でも行きたい。だから、「自分が行きたい」と思う気持ちより、「この人に行ってほしい」と思う気持ちのほうが上回らなければ、譲る気にはなれない。僕は実際、けっこう行きたかったので、二人にだけ声をかけた。一人はすでに行ったとのことで、もう一人はスケジュールが合わなかった。
 それで、どうやら自分が行くことになりそうだったのだが、なんだかすっきりしなかった。僕が二度行けば、それはそれで何かあるだろう。たとえばここに書く文章に何か影響があるかもしれない。
 でも、100を101にするよりも、10を50にするほうがいい。というようなことを、たぶん思っていた。そんな折、最近小沢健二を聴き始めたという高校生の子が「ぜひ行きたい」と言っていると聞いたので、その子に譲ることにした。いくら本人の希望とはいえ、9000円というバカ高いチケットを十代の子供に押しつけるなんていうのは考えてみれば狂気の沙汰だが、騙すつもりでそう決めた。
 博打のようなものだ。それで響けば、10を50どころか、100にも10000にも……いや、数字で表すなんてのは本当にナンセンスだが、たとえばそのような意味を持つ。一方、もし彼が「9000円をどぶに捨てた」と思ったら、僕がしたことはほとんどカツアゲみたいなものである。
 しかし僕は、信じることにした。そこにある音と言葉を。あるいはそこにいる人たちを。
「気にするな。ノアがはこ船をつくったときもわらわれたんだ」とか言いながら、のこぎりやとんかちを一所懸命ふるって舟を作っている、ドラえもんとのび太の姿を思い出すよ。てんコミ4巻。僕がしてるのはそういうことなのかもしれない。徒労という意味ではなくて。

 教職から離れて、かえって未来というものを強く意識しているような気がする。16日から始まった『我ら、時』という小沢健二さんの展覧会では、未来についても語られていたけれども、奇しくもその前日、15日に子どもたちに配ったプリントで同じようなことを書いていたね。

 人間は常に、未来について考えなければならない、と僕は思う。未来を考えるためには、過去を知ることが不可欠である。現在と過去と、二つの点があれば、それらをつないだ直線が未来への道になる。もちろん、過去のすべて、現在のすべてを肯定することはできないから、過去はあくまで点を打つ際の、線を引く際の参考ということにしかならないんだけど、手ぶらでがむしゃらに未来へ走るよりは、ずっと安全だと言える。

 もちろんこれは本題ではなくて、「古典(や歴史)を勉強することの意義」について書いていたら、いつの間にかこうなっていた。このページにも何度か書いたようなこと。『我ら、時』で言われていたことと重なると思う。
 しかし、こんなことはまともな人ならみんな考えていることだろう。小沢さんがひと味違うのは、それを「みんなに向かってちゃんと言う」という一点だ。何よりそれが大事。ちなみに橋本治さんも『ぼくたちの近代史』で似たようなことを言っている。

 で、何に対してやめられないのかっていうと、十七の自分に対してやめられないのね。「やだ。僕はやだ。こっちじゃなくちゃ、やだ」って言うから、「分かってるよ、そんなこと。分かってるよ、うるさいな、こっちだろ」ってことやってるから。ある意味で自分の中に定点が二つあるから、直線はいくらでも引けるんだよね。一つだけだったらだめだけど、「僕が幸福であるっていうことは、そういうことではない」っていうこと出していけば、「これはそうだ、でもこれは違う」って風に、十七の自分は言うのね。でも、三十の自分なら、「あなたはこれを嫌うかもしれないけど、こういうルート通ってかないとだめだよ、それやらないかぎりあなたはただのわがままで終わるよ」とかって思うんだよね。(文庫198-199)

 わけわかんないと思うけど、実はそういうことを言っている。全然違うようにも見えるんだけど、僕は絶対にこの文章を踏まえてさっきの文章を書いたのだし、『我ら、時』を見て「三つともおんなじだな」と思った。だから僕はすごいのだってんじゃなくって、どれだけ僕がこの二人に影響されてきたのかという話で、つまりオリジナリティがないってだけのこと。もちろん、オリジナリティはほかのところにいくらでもあるし、この点でオリジナリティがなかったところで、誇り以外の何も残らない。

 若者は9000円も払ってコンサートに行って、いったいどんな点を打ったのだろう。あるいはそれは、どんな軌跡を後に描くのだろう。彼がどこかへ行くための、何らかのしるべになればと願う。

2012/03/25 日 乙酉 キャンサーのミツコ

 楽しい時間はあっという間に過ぎます。
 それが堕落であれ、何もしないというのは本当に楽しい。
 友達に、インターネットが楽しくて気づけば6年間引きこもっていた、というやつがいる。今は人付き合いもよくする(上手とまでは言わないが)し、大学にちゃんと通って、バイトもしている。けっこうまともなやつなのだ。そんなやつでも6年間引きこもるってので、何もしないということ、堕落するということのあまりの楽しさが証明されているような気がします。
 楽しい堕落といかに付き合うか。

2012/03/24 土 甲申 変化について

 核を中心として、球体を大きくしていくつもりならば、あらゆる方向に肉付けをしなければならない。梅のおにぎりを丸くにぎって、どんどん大きくしていくような感じだ。あるいはスキーで転んで、巨大な雪だるまになって転がっていくような。
 核があるなら、それが変わることはない。だけど球体であろうとする限り、少しでも大きくなれば、あっという間に核は見えなくなる。少しでも大きくなったら、もう以前の姿ではない。以前表面だったところが、もう埋もれている。
 それについて人は、「変わった」とか「わからない」とか言う。
 球体であろうとする人は、常に表面を変化させている。

 一日中三波春夫ばかり聴いていた。図書館で借りてきたCDをあらかた聴き終えたので、ネット上で動画を探した。やはりこの人はすごい。特に素晴らしいと思ったのは、やはり1999年の紅白歌合戦で披露した『元禄名槍譜 俵星玄蕃』だ。当時76歳、亡くなる1年4ヶ月前の、「最後の紅白」となるこの演奏は、何れにも増して鬼気迫り、感動的だ。
 この曲はほかにも、これとかこれとか、素晴らしい動画がたくさんある。若い頃のものも、99年の演奏とはまた違った、圧倒的な魅力を持っている。76歳の渋みに満足できなかった人はそちらで。また紅白版はおそらく時間の関係でかなり短めにアレンジされているので、フルバージョンもぜひ、じっくりお楽しみください。「先生!」「蕎麦屋かぁあああーー!」が本当に大好き。どのバージョンもそれぞれ違って、みんないい。

 息抜きに聖飢魔IIの動画を見たりもした。「オール悪魔総進撃」のときの『JACK THE RIPPER』は実によい。

「誰が好きだって、いいじゃないかァ……」って、『鈴木先生』という漫画で小川という美少女は泣いたけれども、何が好きだってもちろんいい。だけど僕だって、何が好きであるかによって人を判断してしまうことはよくある。せめてできるだけ、「何が」というだけではなくて、「どう」とか「どうして」とかを考えて、そこからその人の「核」を透視しようとはしている。

 僕はたぶん、これまで三波春夫が好きだと言ったことはほとんどない。実際、好きと言えるほど僕は三波春夫のことがわからなかったのだ。ただ漠然とした好意だけがあった。歳を重ねて、たぶんようやく「そういうことか……」となったのだ。
 誰しも、ある日突然、何かを好きになったり、好きだということに気づいたりすることがある。我ながら「遅かった」と思うこともあれば、「誰よりも早い」と思うようなこともある。

 わからなかったことが、突然わかることがある。
 それは本当に重要なことだったりもする。どうして、こんなことがわからなくって、これまで生きて来られたんだろうか? と思うほどだったりもする。
 そういう瞬間が誰にも訪れると僕は信じたい。
 そうでなければ生きていけない。

 愚かな人がいる。愚かな人を悪く言うのは簡単だ。愚かと言えばいい。
 誰かが愚かであることを、わかることは簡単だ。愚かなのだから。
 だけどそれも、結局は手抜きに過ぎない。思考停止でしかない。
 本当はもっとやることがある。
 本当はもっと考えることがある。

 でも、疲れるから。面倒くさいから。
 そんなことに時間をかけてはいられないから。
 僕たちはつい「愚かだ」と口にする。
 あるいは、辛いから。あまりにも辛いから。
「愚かだ」と言ってしまう。

「変わった」とか、「わからない」も、だいたい同じような事情によって出てくることが多いだろう。

 2007年くらいに、僕は「変わった」と言われた。
 それは僕にしてみれば、ピノコが畸形膿腫から人の形になったような変化で、中身は何も変わっていないんだけれども、あるべき位置にあるべき器官が配置されて、人間としての生活を送れるようになったという感じだった。
 それ以前の僕はばらばらだった頃のピノコみたいに、混沌としていた。秩序がなかった。必要なものはすべて入っていたというのに、それを正常に働かせることができなかった。
 もちろん、今だって完全に正常とはいえない。ピノコがまだ人間としては幼児同然であるように。それでも人間として生活はできるようになったし、ピノコがブラック・ジャックを愛するように、僕も人を愛することができるようになったかもしれない。
 その変化を喜ばしく思う人もいれば、思わない人もいる。その変化によって今まで見えていなかった「核」が見えやすくなるのであれば、「ああ、本当はこういう人だったのか、さよなら」となるのかもしれないし、表面だけを見て「変わっちゃったんだね、さよなら」にもなるのかもしれない。
「おめでとう」と言ってくれる人もいるかもしれないし、「おかえりなさい」と言ってくれる人もいるかもしれないし、「ふーん」で済ませてくれるような人もいるかもしれない。
「あー、やっぱり」と言う人もいるかもしれない。

 僕が本当に三波春夫ばっかり聴くようになったらみんなどう思うんだろうか。勘のいい人は、「そういうことにはならないだろう」と言うだろう。「それはおにぎりのお米か、雪だるまの雪でしかないから」とか。
 そうであるかはわからないけれども、そうかもしれない。

2012/03/23 金 癸未 天気

 何ヶ月か前から、天候にしか気分が左右されなくなっている。
 明日の予定も、ちゃんとこなせるか不安だ。
 差別する気もないけれども、今は晴れていなければ困る。
 こんな状態で梅雨を迎えたらどうなってしまうのだろう。
 夏は当然暑いけれども大丈夫だろうか。

 きっとあっという間に秋が来て冬になる。
 抽象的なことしか言えない自分に絶望する。

2012/03/22 木 壬午 淫乱

 僕らが「遠い」とだけつぶやくとき、「何が」「どこから」遠いのか、ということは問題にならない。中村一義が「もうだって、狭いもんなぁ」と歌うとき、「何が」「何に対して」狭いのか、ということは、問題にならない。
 問題にならない、というのは、どうでもいい、ということではなくて、べつに特定する必要はないということだ。何かが遠く、何かが狭い。でもその「何か」を特定する必要はない。とにかく遠く、とにかく狭いのだ。
 ああ、さらば。さよなら。
 さらば。さよなら。またあした。

 乱れている。滞っている。
 大きい。
 割れている。漏れ出している。
 進んでいってしまう。
 回っている。
 ぐるぐる。寒い。
 メリーゴーラウンドでかごめかごめしているようだ。

2012/03/21 水 辛巳 駄文にパチンの意

 ライブハウスで知り合った少年と話をした。
 非常によい時間を過ごした。
 風船は弾けても何も残らないが、実の詰まった果実は皮が溶けるほどに熟す頃がもっとも美味しい。
 楊枝では食べられないほどになった頃。

 風船は時間が経ったら萎むか破れてしまうだけだ。
 成熟するためには実が詰まっていなければ。
 そんなことはわかっている、だけどその実というものはどこに転がっているんだ?
 と旅に出て、しかし途方に暮れている、
 というのが思春期の事情なのかもしれない。

2012/03/20 火 庚辰 ほたる

 君と出会ってもう何ヶ月が経ったでしょう。お元気ですか。とくに誰ということもありませんが、今そんなことを思っています。
 たぶんあの頃のままなんでしょう。
 いろいろなことを参考にして生きているのだと思いますが、もしあの頃に君がそんなにもたくさんの資料を持っていたなら、きっともっと適切な選択ができていたはずだと思います。
 僕たちは別れていないから、僕たちの歴史を終わりから数えることはできません。出逢ったあのときから数えて、だいたい今は何ヶ月めくらいでしょうか。
 もちろん五感はすべてを覚えています。眠っているものもありますが。
 素敵なものは変わらず素敵で、そうでないものも相変わらずです。
 それにしても本当に愛というものは色あせないで、
 誰ということもなく。何ということもなく。
 すべてに思います。

 幼いころに自転車を飛ばして回った守山区のあの道路沿いにある数々の古本屋、折り返し地点には、当時はまだ珍しかったブックオフがありました。
 図書館では繰り返し繰り返し、好きな本を借りました。

 お母さんは紙芝居も読んでくれました。
 鶴舞図書館が充実しているんだと言って、電車に乗って行くこともありました。

 さて、手元にいま素敵な、玉手箱のようなものがあります。
 百年分の幸福を数秒で体験できるものかと思います。
 僕はそれを開こうと思います。
 それでどうなるかは実際わからないのですが、なぜだか悪い予感がしないのです。
 不思議ですが。

 空を飛べるのなら今日のような日でしょうが、
 何があったということもありませんし
 誰を思うということもありません。
 さまざまなことがあったのです。
 幸福な百年間なんて、一瞬で払ったってお釣りが来るような、取るに足らないモノなのだろうと思うことだって、やっぱりあるのです。それはどんな一瞬でも構わないでしょう。幸福だろうと、不幸であろうと、関係なく、切り取って、支払って、それで何か細かなお釣りがシャラシャラと返ってくるんだろうと今は予測しています。
 それで手に入れた幸福な百年間は、誰が両替してくれるのでしょうか。結局は床の間か玄関に飾られるだけのような気もします。

 それで僕と君との何ヶ月間かは、どういうふうに思えばいいんでしょう。
 僕はときおり本当に嬉しい気持ちになることがありますよ。

2012/03/19 月 己卯 全国こども電話相談室リアル

 日曜日の朝9時からやっているラジオ番組『全国こども電話相談室リアル』。毎週聴いているけど、これは恐ろしい番組だ。「リアル」という名に恥じず、全国のこどもたちからの生々しい声がそのまま放送されている。これを聴くだけで現在のこども(主に中学生くらい)たちがどういう考え方をして、どういう話し方をするのかがなんとなくわかる。
 今週は中三(来月から高一)の女の子が「勉強ができない」という相談を寄せていた。その子は確かにあまりにもバカ……いや、決してバカではないんだけど、ものを知らなくて、ものを考えたことがほとんどなくて、視野が狭くて、即物的で、思いこみに凝り固まっていた。中学で教えていた経験と照らし合わせると、だいたい平均的な中学生ってのは、本当にそんな程度だ。でもこの子は、パーソナリティであるレモンさんの導きによって、たぶん初めてさまざまなことを考え、「なるほど!」とか「そっか!」といった言葉を連発し、最後には「ちょっと工夫してみようと思います」という素晴らしい言葉をひねり出した。
 蒙を啓くなんて言葉があるが、人間の頭にはフタのようなものがあって、それが閉じられている限りは、ものを考えたり、判断したりするということがまともにできない。今週のレモンさんはまさに、彼女の頭のフタを開けてあげるということをしていた。「それは思いこみだよ」と教えてあげて、「こういう考え方をしてみたら?」と提案をする。そして最終的には、本人が「自分の意見」を出せるところまで持っていく。素直にすごいと思った。
 僕がしたいのは、レモンさんのようなことなんだろう。人の頭にはフタが載っかっている。大人になればなるほど、そのフタはガチガチに錆びきって固まって、開くことは難しくなる。子供のうちに「開き癖」をつけておかないと、死ぬまで閉じたままかもしれない。

 小沢健二さんの『うさぎ!』を、最近読み始めたという人と話した、やっぱりみんな一様に同じことを言うのね。判を押したみたいに。「そう思え」「そう感じろ」「そう考えろ」と言われているかのように、みんなだいたい似たようなことを言う。それはたぶん「イメージ」のせいだ。頭のフタが閉じたままだと、イメージは更新されることなく、凝り固まってしまう。それをもとにして何かを考えようとすると、大切なこと、本質を見失ってしまう。もっと素直に捉えてもいいのに。
 それで僕は久しぶりに熱弁をふるってしまったわけだが、それがその人にどのように響いたか、届いたかはわからない。でもなんだか途中から、その人の言うことが変わっていったように思う。「あ、そうか。別にこういう言い方をしなくてもよかったんだ」と気づいたかのように。たぶん、もともとその人だって、自分なりにいろんなことを考えていたんだろうけど、それを言葉としてまとめることが上手じゃないから、つい当たり障りのない、どこかで聞いたような言葉を発してしまったんだろう。そしてそれがいつの間にか、自分の考えのような顔をして居着いてしまった。
 たまたま思いついたことがそのまま「自分の意見」になってしまうということは、ある。でもたいてい、本当はそうじゃない。「自分の意見」というのは本当は別のところにあって、あるはずで、でもそれを表現することができないから、「たまたま思いついた言葉」をまるで「自分の意見」であるかのように思ってしまう。本当にそういうことはある。それもフタのせいかなと思う。フタの陰になって暗くて、よく見えないんだろうね。

2012/03/18 日 戊寅 おなじ耳

『日本の耳』という本を読んで以来、自分と日本語についてのことばかり考えている。日本語環境の中で育つと、脳は虫の声を「音」としてではなく「言語」として処理するようになるらしい。欧米人は虫の声をノイズとしてしか感じないが、日本人はそれを心地よく感じるというのは、それぞれの言語の持っている特質によるというわけだ。
 西洋の音楽と日本の音楽との違いは、もしかしたら脳の、もしくは言語のこういった特質から来ているのかもしれない。日本語という言語に特化しすぎた僕の脳は、いつでも音よりも言語を求めるのかもしれない。僕の耳はたぶん、どうしようもないほど「日本の耳」である。僕が洋楽をそれほど好まず、また日本語であっても、旋律と言葉とが乖離した曲にほとんど魅力を感じない理由は、その点にあるのではないか。
 童謡の『ふるさと』と、『うれしいひな祭り』とを比べてみると、「うさぎおいしかのやま こぶなつりしかのかわ」がほとんど日本語(標準語)の発音(アクセント)の動きと一致しているのに比べて、「あかりをつけましょぼんぼりに おはなをあげましょもものはな ごにんばやしのふえたいこ」はずいぶん遠い(もとは方言なのだろうか?)。僕の耳は『ふるさと』を圧倒的に心地よく思う。山田耕筰の『からたちの花』や滝廉太郎の『花』もすこぶる好きだが、これらもそういった理由なのだろう。
 ちなみに最近では、ヨーロッパの音楽理論が入ってくる前(明治より前)の日本の音楽に興味を持って、図書館なんかで雅楽や箏曲、民謡、音頭など伝統音楽のCDをよく聴いている。日本の耳にはやたらと心地よい。

 なんて話を、ある人と、お茶を飲みながらずっと語って、意気投合した。こういう時間を過ごせる相手が、本当に僕にとって心地いい。
 やはり、同じ耳を持っていないとしんどいところがあるのだ。『イッツ・ア・スモール・ワールド』という曲があって、『ちいさなせかい』として日本語詞がつけられている。「せかいじゅうどこだって わらいありなみだあり みんなそれぞれたすけあう ちいさなせかい」というやつだ。こっちはなぜだか、僕はあんまり好きじゃない。同じ曲の別の日本語詞で『こどものせかい』というのがあって、こっちは僕の大好物だ。「おとぎばなしのような すてきなこのせかいは にじのはしをわたっていく こどものせかい」というやつ。
 この歌詞を作った人は天才、ということをその人が言って、僕は本当に感動してしまった。幼稚園の頃から僕が思っていたことを、代わりに言ってくれたような気がした。そしてその人は「ちいさなせかいは好きじゃない」とも言った。なぜ、そうなるんだろうか。「みんな それぞ れたす けあう」なんて切り方をするのを、日本の耳は受け付けない、ということなのかもしれない。

 ちなみに方言に関して、「関西の耳」についての素晴らしい研究がこちらのHPで行われているので、興味のある方はぜひ御覧ください。
「名古屋の耳」については、『大名古屋音頭』でも聴けばわかるんだろうか?

2012/03/17 土 丁丑 ポンちゃん

 木曜日のナインティナインのオールナイトニッポンに野菜王子こと土肥ポン太さんが出ていた。僕はこの人が好きである。ネタも、文章も、野菜に対する姿勢も、顔も何もかもが好きである。
 ポンちゃんはこの度、東京に進出したそうなので、売れてくれるといいな。オールナイトではもこみちのオリーブオイル料理に対して「野菜が泣いてますよ」と言っていた。
 野菜は旬の野菜を食べるとよいらしい。「野菜は人間に寄せてくれてるんです」とポンちゃんは言う。夏の野菜は身体を冷やしてくれたり、水分を補給させてくれる。秋の野菜は冬に向けてエネルギーを蓄えさせてくれる。冬の野菜は少ない量でたくさんの栄養をくれる。春の野菜は人間を冬眠から覚ますため、アクの強いものが多くなっている。
 そういったことも、もこみちは教えてくれない。

2012/03/16 金 丙子 遊ぶ

 午前中、小沢健二さんの『我ら、時』という展覧会を見に行った。本当に芸術家だなと思った。初日の開店直後だったので、三分の一くらいが自分と縁のある人だったような気がする。この世間の狭さは尋常ではない。
 それから急いで某中学校の演劇部卒業公演に向かったが、本当に最後のほうしか見られなかった。残念だ。来年は部員が正味一名になるかもしれないらしい。演劇ってのはどこへ行っても風前の灯火だ。その反面、灘高校や日比谷高校、千種高校などでは演劇が事実上必修(全員が文化祭等で演劇をやる)である。演劇をやったほうが偏差値だって上がるんじゃないかと僕は思うんだが、偉い人には、いや「本当に偉い人にしか」、それがわからんらしい。
 小学校なら「学芸会」という形でたいていは劇をやるもんなんだが、中学校以上になるとやらなくなるってのは、貧しいもんだ。

 その後、八百屋で干し柿を買って、弟子と弟子の後輩と三人で祖師ヶ谷のパスタ屋に行った。眠かったのでカルディでコーヒーを試飲した。ハチミツとチーズを買った。
 神社に行って、チーズと干し柿を食べて遊んだ。三人で遊ぶのは楽しい。以前も芝生やなんかでわいわい遊んだもんだ。
 遊ぶってのは文字通り遊ぶんだ。もうこんな年になってこんな遊び方をしている人もおるまいが、遊んだ。
 僕の遊び方はたぶんもう二十年くらい変わっていない。あ、でも、本当の遊び方を知ったのはもしかしたら中学に入って、たかゆきくんと出会ってからかもしれない。彼と遊ぶのは本当に楽しい。今でも楽しい。最近じゃ弟子らと遊ぶのも楽しい。
 遊ぶっていうのは、躍動であって、その躍動の方向に暫定的なルールを設定して、その中で遊ぶ。遊んでいるうちにルールは広がったり破れたりして、また新たな方向へ躍動が飛んでいく。そしてまたルールみたいな、暗黙の約束ができて、その中で遊ぶ。ルールっていうのは「約束」であったり「お約束」であったりする。弟子は何度も僕を泥の中に放り投げようとした。その度に僕は弟子を道連れにした。僕も弟子も何度も何度も泥の中に突っ込んだ。靴も靴の中も湿った腐葉土でべたべたになったが、躍動の結果に文句を言うほど、遊べる子どもは愚かではない。
 拝殿の脇に三段くらいの階段があって、そこをぴょこぴょこと跳ねて一人で遊んだ。「けがするよー」なんて言われながら。段差があったら跳ぶものだ。それだけで楽しいものだ。それが遊ぶということだ。
 地面に足でマルを描いて、「けんけんぱ」みたいな遊びをした。みたいなというのは、ちょっと違うからだ。描かれたマルの上を、つま先だけで渡り歩くという遊びで、どんどんマルの数を増やしていく。最後のマルでピタッと止まれればクリアー。
 新しい宗教も作った。「あささがし教団 あいさつ」という名前で、教団遊戯は「あさゲーム」と「あいさつゲーム」。即興で作った遊びで、なかなか楽しい。誰が仕切るということもなく、誰が決定するということもなく、面白そうな方向にテキトーに動いていって、いちばん面白いところで一瞬止まる。そこであれこれして笑う。とても遊んだ。「さてみなさん、朝はどこにあるでしょう」
 暗くなるのが惜しい、っていう感覚は、大人になったら消えてしまうものだけれど、遊ぶ限りは、なくなることはない。

 また夜も、ちがう四人で遊んだ。かえるバランスとかして。疲れそうなものだが、遊ぶ限り、疲れるということはない。疲れるというのは、遊ばない人間のすることだ。
 僕が幸福を感じるのは遊んでいるときで、一緒に遊んでくれる人たちのことを何よりも大切に思う。いつもありがとうございます。

2012/03/15 木 乙亥 こども木木上西横工須大新石

 8時半のラジオ体操で起きて文章を書いて、昼前に社へ行って確定申告書類を作って郵便局に出した。それから無銘でこども会をとりおこなった。

 高校一年から三年生までの十人が遊びに来てくれた。僕はこういう集まりを定期的に催しているのだが、今回は僕が出しゃばって仕切りを入れなくてもちゃんと場として成立しているような時間が多かった。みんな慣れてきたということだろうか。初めてこういう場に来たような子はさすがに、どうしていいかわからなかっただろうと思うけど。そういう人に対して適切な関わり方をするというのは、大人でもなかなかできないことだ。それはカウンターの中にいるととてもよくわかる。教壇に立って生徒たちを眺めているときの感覚と、少し似ている。
 途中から大人も何人か入ってきて、賑やかになった。夜になって、ほとんどの子が一斉に帰っていったが、一人だけ残った。「こういうのは、ここからが楽しいんですよ」と言って、わかってんなと思った。

 ところで僕はときおり少し怖いらしい。それはそれで嬉しいことなのだが、状況に応じて上手に使い分けるようにしなくては。被害に遭った方とは破竹の勢いで仲直り(もともと壊れてもいないと思うが)したので大丈夫です。あとは僕が越えちゃいけないラインを見抜けるようになるだけだ。
 僕と、210さんと、6くんという「末っ子三兄弟」は、たぶん「越えちゃいけないライン」の設定が随分高いんだと思う。「こんなもんは越えても大丈夫だろう、だって僕は越えられても平気だし」という形で、どんどん踏み越えてしまう。それは僕らが末っ子だということが関係しているのかもしれないし、長女が我慢することに慣れすぎていて「嫌だ」となかなか言えない傾向を持つということとも無関係ではないのかもしれない。
 ちなみに「越えちゃいけないラインが高い」のと、「踏んじゃいけない地点が比較的低い位置にある」ということとは矛盾しないので、僕たちは「何をされても怒らない」というわけではないということは一応言っておこう。

 宴は朝まで続き、こどもはもちろん早く帰ったけれども、二十代半ばの若者が三人残った。楽しい話をした。こういう場を維持するのは、実は簡単なことではない。よい場がよい場としてそこにあるためには、誰かのたゆまぬ努力が必ず要る。そのことは残念ながら、ほとんど意識されることがなく、その「誰か」がいなくなると、とたんにそういう場は力を失うか、腐敗する。教祖が死ねば宗教はだいたい変容してしまうようだが、それが道理だというのは、誰も「教祖のたゆまぬ努力によってこの宗教は維持されている」ということを意識しないからだ。優れた後継者というのがいれば話は早いが、しかし後継者なんていなくても、あるいはどんな人間が後継者になったとしても、維持できるということが本当は理想なのである。たゆまぬ努力をする「誰か」とは、何も一人や二人でなくてもいい。みんなが「誰か」であれば、それより良いことはないのである。
 かつて二人いたオーナーのうち一人がすでに脱け、もう一人も近く脱けることになる。僕も店長としては実は二代目(考えようによっては三代目)である。また、僕だっていつまで続けられるかわからない。新体制になってもし賃料が上がりでもすれば、それだけで今の状態を維持することは極めて難しくなる。
 僕の努力がたゆんでも、変わらずそのまま続いていくような、そういう力強い場になればいい。そういうことになるまでは、僕がたゆんでしまうわけにはいかないのであるよ。保ちたいうちは。

2012/03/14 水 甲戌 なぜか高千穂大学に詳しい

 午前中で確定申告の書類を作った。要領を得たので、来年は2時間くらいで終わるんじゃないかと思った。午後、文章を書いて、意味もなく高千穂大学を見学して、会議をした。ホワイトデーだったので特にお世話になった家庭へ練馬大根もなかを贈った。

2012/03/13 火 癸酉 一日

 6時半に起きてラジオ体操をして、ご飯を食べてから洗濯をして、掃除をしてからゴボウを干して、9時過ぎに家を出て図書館と光が丘のブックオフに行って、帰り道に水を買って帰った。それから人と会って、麦ふうせんでデニッシュ食パンを買って、確定申告が面倒だったので早めに寝た。

2012/03/12 月 壬申 休日

 最近、毎朝ラジオ体操をしている。6時半に起きてラジオをつけ、10分間身体を動かす。前日に夜更かしをした日は、8時40分からNHK第2放送でやっている再放送に照準を合わせて、少し遅く起きる。今日は6時半に起きた。
 朝ご飯を食べて、7時から開いている駅前の喫茶店に行く。自転車の置き場所に困り、パチンコ屋の駐輪場にとめた。
 午前中いっぱい180円のコーヒーを飲みながら本を読んで、昼過ぎに喫茶店の隣にある本屋を眺めて、自転車を取りに行ったら撤去されていた。そこは自転車放置禁止区域ではなかったので、パチンコ屋の人が移動させたのだろう。うーん、僕が自転車をとめた時にはすでに店の前で並んでいる人たちがいたので、その人たちのものであるという解釈をしてもらえると思ったが、そうは問屋がおろさなかった。てくてく歩いて自転車を探した。駅のまわりをぐるっと一周して、有料自転車置き場の入口の横で見つけた。これからは徒歩か、キックボードで行くことにしよう。自転車もクルマと同じく、場所代(駐車代)を取られることが当たり前になってきている。自転車がどんどん不便になっていく。
 家に帰って昼食を作って食べた。野菜だらけ。
 別の駅のほうへ行き、本屋と100均と文房具屋と古本屋で買い物をした。ドトールコーヒーで200円払って本を読んだ。
 19時過ぎて、電話がかかってきたので店を出て、夕食を作りながら話した。ご飯を食べて30分くらい休憩してから、風呂に水をためて入った。
 お風呂にはだいたい、30分から1時間くらい入る。湯船の中では本を読む。湿気にまみれても構わないと思える、軽い本をだいたい選ぶ。
 髪の毛をかわかして、20時から24時くらいを目標に寝る。
 仕事のない日はだいたいこんな感じに過ごしている。

2012/03/11 日 辛未 審査員

 何もない日。
 届いたメールを読み返すと、「本当に十ぐらい偏差値あがっててわろた。ありがとー。」

 ちゃんと書くので安心してください><
 勝手に春休みしてまして、すみません。
 戻ってきたら子ども向けの文章を三つばかりアップする予定。

2012/03/10 土 庚午 光圀

 ひとたび邪推を始めれば、すぐにでも何も信じられなくなる。

 少しずつ人は離れていく。
 なぜ少しずつなのかというと、人間は最近、肉体だけでは生きていないからだ。
 付随する情報、アイディー、複層的なグループ……
 ゆっくりとさみしい。

2012/03/09 金 己巳 きょうだい

 おいで坊や ママの膝に乗りなさいよ
 ここは今 ぼくの指定席
 だけど聞いて もうすぐに きょうだいが生まれるよ
 ママは赤ちゃんをこの膝に乗せるわ
 わりきれないかもしれないけれど
 我慢して 小さな 泣くことしかできない
 きょうだいのために

 おいで坊や 顔を胸にうずめなさい
 大好きな ぼくのふところで
 だけど聞いて ふるさとはきょうだいと一つなの
 ママは赤ちゃんをこの胸に抱くのよ
 やるせないかもしれないけれど
 譲るのよ 羽根のない天使のような
 きょうだいのために

  聞いて 坊や
  やがて大人になるのよ
  パパもママも いなくなる日が来るでしょう
  そのとき きょうだいのこころに火を
  ともして歩いて
  お兄ちゃんだもの

 おいで坊や ほほとほほをくっつけよう
 熱いのは ぼくの涙でしょう
 だけど聞いて 楽しさを きょうだいは連れてくる
 ママは赤ちゃんにほおずりをするでしょう
 つまらないかもしれないけれど
 キスをしてあげて 血をわけたいのちの
 きょうだいのために

 ママは赤ちゃんをこの膝に乗せるわ
 わりきれないかもしれないけれど
 我慢して 小さな 泣くことしかできない
 きょうだいのために

 (益田宏美『今はふたり』(アルバム『きょうだい』より))


 お父さんもお母さんもそのうち死ぬんだと思ったとき、兄弟のことを考えた。僕には兄が三人いる。
 身内の個人的なことはあまり書きたくないし、書くべきでもない。四人がどんな兄弟で、それぞれどんな関係であるかというのは割愛するけど、とにかく普段は顔を合わせることがまずない。去年のおじいちゃんのお葬式では久しぶりに全員が揃ったけど、「十年ぶり」どころでは済まない。しかもそれも、ほんの一瞬だけだった。
 次に集まるのは、再び誰かに不幸があったときかなと思っていた。もしかしたら、それはお父さんかお母さんなのかもしれない。そんなことを考えると、それだけで僕の視界は涙でにじむ。これから先、僕はたぶん何度も泣くけれど、幼い頃から涙腺がゆるいので、どうか勘弁してください。
 あんまり書くべきじゃないし、書きたいわけでもないんだけど、書いたほうがいいようにも思うから、少しだけ書く。
 何ヶ月か前に、新宿で兄の一人と会った。「お父さんがこんど還暦だから、みんなで集まらないか」と兄は言った。僕は還暦のことも意識していなかったし、集まろうという発想もなかった。だから僕はやっぱり、この人のことは一生尊敬し続けるのだろうと思う(幼いころ、そのように洗脳されたのです)。
「そういう感じで、進めといてよ」と兄は言った。確かに、兄弟たちに呼びかけるなら、末っ子である僕が適任というか、それができるのはもしかしたら僕しかいない。僕が兄たちを愛しているよりも以上に、兄たちが僕に向けてくれている愛は大きくて、たぶん僕には到底実感できないくらいであるはずだと、今となってはわかる。
 それは僕が、「きょうだい」というものがどういうものであるかを、今さらながらわかりかけてきているからだと思う。

 冒頭に挙げた曲は、益田宏美(岩崎宏美)さんが二人目のお子さんを産んだころに発表した『きょうだい』というアルバムから。このアルバムのはじめには『愛を+(プラス)ワン』が、おしまいには『この愛を未来へ』が収録されている。それぞれサンライズのオリジナルアニメ『ママは小学4年生』のオープニング、エンディング曲。オープニングの絵コンテは富野由悠季氏が手がけており、個人的には彼のベストワークだと思う。お時間のある方はぜひ、どっかで探して御覧ください。
 僕ら兄弟の生まれ育った東海地方では、92年に『ママは小学4年生』の本放送が、93年に再放送が放映された。どちらも、僕らは見ていたはずだ。
 内容もさることながら、お母さんが岩崎宏美を好きだったので、一家みんなで見ていたと思う。たぶん、そのはずだ。本放送が92年1月~92年12月、再放送が93年9月~93年12月。この間の、92年の10月から93年2月のあいだには『宇宙船サジタリウス』の再放送がやっていて、これも確実に見ていた。
 92年1月に、僕が小学1年生で、長兄が中学1年生。『ママ4』と『サジタリウス』は、たぶん四人揃って見ていたんじゃないかな。『ママ4』再放送の次に始まったのが『銀河漂流バイファム』の再放送で、これもみんなで見ていたと思う。平日の夕食どきは、基本的にはこの「まんがのくに」というテレビ愛知の再放送枠をつけていたのだ。
 これら三作品は特に思い出深くって、今でもみんなで(それが「四人」だったかというのは記憶に薄いけれど……)見て、盛り上がっていたのを覚えている。「まんがのくに」で再放送されるアニメは子ども心をくすぐる名作ばかりだったのだ。まだアニメが「子どものもの」だった頃の……。リストを見ると、91年末から96年までの再放送アニメはほぼすべて覚えている。でもやっぱり、兄弟で見ていたのは、94年1月末に終わった『バイファム』か、せいぜいその次の『超伝動ロボ 鉄人28号FX』までだと思う。4月から三番目の兄が中学に上がったからだ。次兄は93年、『サジタリウス』の再放送が終わった直後に中学に上がっている。とすると、やっぱり四人で見ていたとすれば本放送の『ママ4』と再放送の『サジタリウス』までなのかな、と思う。長兄は僕と同じく中学に上がって以降もアニメが好きだったので、たぶん全部見ているはずだ。

 長々とアニメの話を書いてしまったが、『ママは小学4年生』の本放送・再放送の時期あたりを境に、僕たち兄弟はたぶん「みんなで同じことをする」ということがなくなっていってしまったんだろうな、と思う。それ以前にすでにそういう兆候はもちろんあったんだけど、今思い出すのは、「そういえばママ4はみんなで見ていたよな」ということばかりで、だからなんだか僕はそのことに、いろんなことを象徴させてしまいそうなのだ。思い返すと、ママ4の再放送が始まった時、兄のうちの誰かが「ママ4なら見なきゃ」というような意味のことを言っていたような気がする。あくまで「気がする」なんだけど。もしそうだとするなら、その頃には「アニメならとりあえずなんでも見る」という感じではなくなっていたということだろう。当たり前だ、もう小学校高学年なんだから。
 僕が今もなお、執拗に『ママ4』と『サジタリウス』にこだわり続けているのは、たぶんこうした個人的な想い出のせいもあるんだろう。それは「みんなで見ていたから」という真に個人的な理由だけでなく、「みんなで見ることを可能にさせた“名作”ゆえの力」が、あると思うから。つまり、「ママ4なら見なきゃ」と言わせるくらいの力が、あの作品にはあったと、僕は信じるから。そういう作品って、本当に素晴らしいと思う。心から思うね。
 それがもう、だいたい20年近く前の話。
 それから色々なことがあった。兄弟のことで苦しんだこともあった(十代の僕の苦悩のほとんどはこれだ)し、僕自身も「マジ親に迷惑かけた本当に」的なこともたくさんしてしまった。兄にも、気づかないところで負担をかけていたかもしれない。しかしとにかく僕が思うのは、「自分はこの家に生まれてよかった」ということと、「何があってもこの五人の家族だけは愛し続ける」ということだ。苦しんだことも、憎んだこともあったけど、それは「若さ」でもあるし、兄が、もしくは僕がどんなことをしようとも、両親が変わらず僕らを愛していて、今ではみんながみんなを愛することができるようならば、過去のことなんてすべてどうでもいいのだ。と書いてこれはさすがに泣く。
 お父さんもお母さんも僕たちみんなのことが大好きで、僕は今では誰のことも憎んでいなくて、みんなもきっとみんなを許して、愛しているのだと思うので、多少ぎこちないことがあったとしたって、かけがえのない一つの家族として、あの「家」が未だに存在できるのなら、それはただ単に幸福と言う以外の何物でもないのだ。
 今日、兄弟みんなとお母さんに電話をかけて、ようやくみんなが集まる日を決めた。決めたといっても、お父さんの誕生日を確かめて、「その日でいい?」と聞いて、「いいよ」と言われただけのことだ。「うーん、まだわからないなあ……あとで連絡するよ」なんて言った人は誰もいない。みんな、「お父さんの還暦を」と言えば、迷わず即座に「いつでもいいよ」と言ったのだ。平日だってのに。それだけで僕はもう、すべてわかった気がした。長兄は優しい声だったし、三番目の兄はほとんど猫なで声だ。僕は思い出す。三人の兄に、猫のように可愛がられ、いじめられていた日々を。本当に幸せだったと今は思うし、「弟」というものは、あれほど愛されるものなのだということを、今さらながら噛みしめている。そうだ、きょうだいっていうのはそういうものなんだと、ようやくわかった。
 今日まで電話をかけられなかったのは、本当にいろんな気持ちがあったからだ。三月に入ってから、「今日は電話しなきゃ」と毎日思って、できなかった。怖かったんだ。本当に怖かった。何が怖かったのか今となってはよくわからないけど、逆算して考えたらもしかして、「うーん、まだわからないなあ……あとで連絡するよ」が怖かったのかもしれない。実際は、そんなようなことではなかった。お母さんの声も明るかった。お父さんに直接電話していたら、いったいどんな声を出していただろう。おどけただろうね。きっとね。
 還暦なんつう、口実がなければ僕たちは集まらないし、集まれないし、集まったところで、どうなることかわからない。でも僕たちは兄弟で、時に恐ろしい呪いになるほどの固い鎖で繋がれた存在だ。そして何より、みんなもう大人になっている。そこには絶対に愛しかないはずだ。そうでなければ困る。僕は常々、愛というものは状況であって、一つの局面であり、場面であり、「シーン」であるのだと、言い続けているけれども、ようやくそのことが証明されそうな気がする。親のもとに兄弟が集まれば、その状況は愛でしかない。それをもし愛だと言ってしまえば、愛っていうもんは、本当に稀少なもので、だからこそ尊いのだよなと、思える。
 もし、親のもとに兄弟が集まって、それが愛でなければ、呪いだ。
 僕が怖かったのは、この「呪い」だ。
 呪いであるか愛であるのか、その答え合わせに、びくびくしていたのだ。ばからしい。信じればいいのに。今となっては笑えるほどだ。思い出せばいいのに。思い出したら、もう何を思いだしたところで、涙しか出ない。
 小さい頃の想い出の中には、当たり前だけど、必ず兄弟がいて、良いも悪いも、無限の、膨大な質量になる。あふれ出してきて、本当に困る。辛いことだっていくらでもあったけれども、今にして思えば巨大な愛の表面に誤ってついた小さなキズのようなものにしか思えない。……もちろん、そう思えるようになるには、家族から離れて東京に出て、十年近くの歳月が必要だったわけだけど。十年前ならそんなこと、かけらほども思えなかっただろう。

「生まれた家族」を愛せない人間に、「生む家族」を愛することができるのか、ということをたびたび考えていた。あえて言えば僕は、できないと思う。悲しいことだけど。それは「どんな家族でも愛すべきだ」という意味ではなくて、「愛せないような家族を持ってしまったことより不幸なことは絶対にない」というような意味だ。僕は幸いに、愛することができた。ようやく。
 このことに対して何か文句を言われたら、僕は怒る。僕には僕なりの事情があるのだから。他人の事情とは、別のことなのだから。

 この勢いで愛する人たち全員のことを書いてしまいそうだが、やめておこう。Amikaさんは『住宅』で、「この血より濃いものを探しに行く」と歌ったが、僕もようやっと、それがちゃんとできるようになったんだな。これからもどうぞよろしく。

2012/03/08 木 戊辰 ポテチ帝国日本

 このままでは近い将来、日本はポテチまみれになる。
「おいしい」ということばかりを追い求めた結果だ。
 幼少の頃にポテチを食べて、美味しいと思った人が大人になって、ポテチ会社に入り、あるいはポテチ工場で働き、あるいはポテチの広告を作る会社に入る。テレビ局に入って、ポテチの宣伝を流す人もいるだろう。
 そしてまた子供たちがポテチを食べるのである。
 このいましめ、万事にわたるべし。

2012/03/07 水 丁卯 唄

 最近、少し変わった、というか意識して変えたことがある。
 変えたというより、どちらもできるようにした。したい。
 それは自分らしく歌うということだ。
 あまりにも遅すぎるが、学ぶことの始まりはまねぶことだという。
 ようやく次の段階に移れたということだろう。
 優れた画家のほとんどは、模写から始めたはずなので。

2012/03/06 火 丙寅 日本の耳

 黄色い岩波新書の7冊目、小倉朗さんの『日本の耳』という
 本が面白い。
 よい文章を読むのは、気持ちがいいことだ。

 本日をもちましてけっこう暇になる。
 気合い入れて暇をもてあまそう。

2012/03/05 月 乙丑 取らぬ狸の皮算用メモ

【家計基準】
2.学部学生(留学生を除く)で「総所得金額(*2)」が「218万円以下(給与収入のみの場合は400万円(税込)以下、下記①給与所得(計算例*3)参照)」と認められる場合は、原則として全額免除が許可されます。

【学力基準】
 以下の基準に該当する者が適格者となります。
(学部)
 ア.第1年次に在籍する者(新入学者)
  新入学者は入学試験の合格をもって適格とみなします。
 イ.第2年次に在籍する者
  成績が「優の単位数+良の単位数≧可の単位数+10」の者
 ウ.第3年次に在籍する者
  前期課程の修得すべき科目(基礎科目、総合科目及び主題科目)を修得した者で、その成績が「優の科目数+良の科目数≧可の科目数+5」の者
 エ.第4年次以上に在籍する者
  各学部で定められた成績基準により判定し、優秀と認められる者


 上記は、東京大学において「授業料全額免除」が適用されるための基準を示したものである。【家計基準】はかなりゆるい。【学力基準】も、1年目は入学をもって適格となるため問題なし。
 2年生の基準もあまり厳しくはない。要するに、「“可”を一つも取らないで、“優”か“良”のみで10単位」修得すればいい。ここでは「不合格(不可)」単位数は問われていないので、落としてしまうぶんには問題ないはず。10単位ということは、1年間で5コマ、半期につき2コマか3コマ取ればいいわけだ。極端な話、週に一日出席するだけで基準を満たせるということになる。(あくまでも最低ラインの話)
 問題は3年生の基準。教養学部の前期課程を修了しなければならないので、必修をすべて取りつつ、70単位以上修得しなければならない。70単位を4期で割れば17~18単位。約9コマということだが、必修科目の曜日はおそらく選ぶことができないので、3年生に上がるためには週に4~5日、少なくとも3日くらいは東大に通う生活を2年間続けなければならない。工夫すればいくらかは軽減できるだろうが、働きながらこなすのはどのみち大変だ。頑張れば不可能ではないが、頑張る価値があるのかどうかというところ。ちなみに入学金は282000円。これの免除基準はもっと厳しい。

2012/03/04 日 甲子 堂本剛さん

 僕は思春期のある一時期、堂本剛さんのことをあまり快く思っていませんでした。それは実に不当な態度でした。お詫び申し上げます。本当にごめんなさい。
 今はといえば、僕は堂本剛さんのことが大好きです。『ファンタスティポ』あたりからは一転して、ほとんどファンのようなものです。そして、おそらくこれからもっとずっと、好きになっていくのだろうという確信があります。
 今日、とあるお店でテレビを見ていましたら、中居正広のブラックバラエティという番組に、堂本剛さんが出演されているのを見ました。僕は他のお客さんが隣でとても面白そうな話(アムウェイの話など)をしているのにも関わらず、テレビに釘付けになってしまいました。
 番組中で堂本剛さんが語っていたことは、みんな僕にとって肯けることばかりでした。中でも、特に印象深く心に残った言葉がありました。
 詳しくはこのページでまとめられていましたので、そこからコピーします。(読みやすいように改行など若干変えていますので、気になる方はリンク先へどうぞ。)

剛「結婚願望はあるんですけど、ちょっと真面目な話になっちゃいますけど、今日本に住んでるじゃないですか。犯罪とかすごく増えましたよね? この状況で子どもを作って育てて行くというのは相当大変だと思うんです。自分もこういうお仕事してますし、それを守りきるだけの自分の仕事の環境づくりもしていかなきゃいけないと思うんです。僕の理想は結婚して子どもができたら一回仕事辞めたいんです」
中「KinKi Kidsのファンの子はどうするの?」
剛「は、あのメールとか…」
中「光一は?光一は??光一は???」
剛「は、あのちょいちょい手紙送ったりして」
中「いやぁ~でもそれは淋しいよぉ!俺が淋しいよぉ~!!」
(本文中略)
剛「僕、近藤真彦さんにちょっと考え方変えた方がいいって言われたことがあって、お前は真面目すぎるって言われたんですよ。だから芸能界も趣味だと思えば良いんだよ、だからお前のやりたい事をやればいいし、芸能界は芸能界で、皆様のお役に立てれるように自分なりに頑張ればいいんだよ、っていう一言を頂いてから本当に考えが変わっちゃったんですよね」

 細かいところはちょっと違ったような気もしますが、だいたい以上のようなやりとりでした。少なくとも僕のあやふやな記憶よりは確かでしょう。
 番組本編では、上記の内容に加えて、「仕事をやめたら奈良に帰る」ということも言っていました。
 僕も、結婚して子供ができたら名古屋に帰るかもしれません。そういえば数日前の日記で、「ジャッキーは結婚したら変わりそう」と言われたことを書きました。名古屋に帰ったら、やっぱり「変わった」と言われちゃうんでしょう。
 ただ、現実はそんなにうまくいかないですね。仕事の関係もありますし。帰りたいと言って帰れるような感じだったらいいんですけども。そうは問屋が。
 リニアができて、名古屋から東京まで一時間以内で行けるようになって、その運賃を気楽に払えるくらいの経済的・精神的余裕があったとしたら、僕が東京に住んでる意味ってほとんどないです。
 総合的に、僕は名古屋が好きなのですよ。気がつけば人生の三分の一を東京で過ごしていることになりますが、三分の二は名古屋にいたわけです。名古屋の風土が僕は好きです。東京の風土の何十倍も。
 と言ったところで、十年後自分がどこにいるのかはわからないです。だらだらと東京にいそうな気もするし、名古屋でゆったり暮らしているような気もしないではない。そういうふうに、いい年してゆらゆらとした考え方をしているのは、あんまりよくない気もするんですけどね。
 昨日も今日も僕は本を読みましたし、人にも会いましたけれども、何のためにそれをするのかって言ったら、十年後自分がどこにいるのかを考えるため、ですね。本当に、ゆったりとしたもんですよ。僕の生き方は。

2012/03/03 土 癸亥 そうよ三月生まれは

 泰葉さん 1月17日生まれ
 Coccoさん 1月19日生まれ
 堤さやかさん 2月3日生まれ
 石原真理子さん 2月4日生まれ
 加護亜依さん 2月7日生まれ
 酒井法子さん 2月14日生まれ
 海老名美どりさん 2月14日生まれ
 中村うさぎさん 2月27日生まれ
 藤谷美和子さん 3月10日生まれ
 鳥居みゆきさん 3月18日生まれ
 紗倉まなさん 3月23日生まれ
 戸川純さん 3月31日生まれ

『漫画版 ひとりずもう』読み終えた。文句なしに最高傑作。この作品の感覚がわからない人とは結婚しないです。まともな人ならわかってくれるもん公会議。
 大切なことっていうのは、難しいわけがないんだよな。
 当たり前で大切なことを、誰もが当たり前に大切にして生きていくだけで、だいたいのことはうまくいくはずだと、信じたい。
「当たり前で大切なことを、当たり前に大切にする」ということを、教えるために、親がいて、大人がいて、この『ひとりずもう』のような作品がある。
 世の中にはこういう作品ばかりが満ちあふれていてほしいものだ。
 完結から4年も経つのに、今日まで僕はこの作品の存在すら知らなかった。
 本当に嫌だ。自分も嫌だし、世の中も疑問だ。

 たまたま、古本屋でピカって輝いてたから見つけた。
 こういう感覚だけは絶対に失わないように生きていきたい。
 小学生のころに、図書館で、さとうまきこさんの『ぼくらのミステリークラブ』という本の背表紙がやけに輝いて見えたことがあった。借りてみて読んだら、はまった。
 あとから思えば、たぶん、それより以前に一番上の兄がその本を先に借りて読んでいて、その記憶がどこかに残っていたのだろう。でも、そのうっすらとした記憶が、すなわち兄への信頼が、その本を輝かせたのだから、それは実は、単なる奇跡なんかよりもずっと大切な出来事だったんだと思う。
 意識の中で何かを輝かせるのは、それまでの人生における、あらゆる経験による。直観というのは、人生のなかみそのものだ。
 こういう感覚だけは絶対に失わないように生きていきたい。

 さくらももこ先生の『漫画版 ひとりずもう』が名作すぎて、心が洗われた。「ももこ」が小学校5年生のときから、短大に入って漫画家デビューするまでが描かれた作品。古本屋で偶然見かけて、手にとってぱらぱらめくっただけで「これは名作に違いない」とすぐにわかった。女の子はぜひ、読んでみてください。僕は100ページくらいまで読んで、ももことお姉ちゃんとのやりとりを見て、つい泣いてしまった。二人姉妹って、やっぱなんだかぐっとくる。
 やっぱこの人僕好きだ。小学生のころから。

2012/03/02 金 壬戌 精神的ガリガリ亡者

 ガツガツした人間は嫌い。
 美意識を失っている。
 何を話していても、少しでも自分をより良く見せようとがんばる。無駄な自慢や、言い訳を連発する。そのことが自らの美しさを損なわせているということがわからない。美醜の判断がつかない。
 そういう障害を持っている人は、どうしたらいいのだろう。
 僕はそういう人に対して、何をしたらいいのだろうか。

「自分にとってほんのわずかでもトクであるか」だけで自分の行動をすべて決めてしまうような人がいる。知り合いの女の子で、三人くらい思い浮かぶ。「ちょっとでも自分をよく見せたい」「ちょっとでも(チョコレート一個でも)トクがしたい」というふうにばっかり考えることが、完全に日常化していて、それでよいと思っている。そういう態度が全体的にはどのような結果をもたらすのか、他人にどのような印象を与えるのか。そういうところをまったく考えない。
 そういう人ってけっこういると思うんだけど、それは、「人の気持ちがわからない」という障害だ。
 多かれ少なかれ、やっぱみんな障害持ってるんだよなって思う。
 僕もそうだ。よくものをなくすし。
 問題はその程度と種類でしかないんだなと。
 そういうふうに考えれば、障害も個性だという言い方には納得ができる。
 が、個性ならばイコール、肯定していいというものでもない。
 矯正すべきで、それが可能な個性もある。
 しかし、そういう方法論はまだ確立していないように思える。
 僕も、そういう人に出会うと、未だに困る。
 結局は、「関わり合いたくないなあ」にしかならない。
 どうしたらいいんだろうな。
 僕も自分がものをなくさないように、ちょっとは努力しているつもりだが、1年や2年でどうにかなるとは思えない。最低でも10年くらいかけるつもりでやっている。
 10年単位の更正メニューが、もっと意識されてもいいだろうに。

2012/03/01 木 辛酉 天使は昼間にも来る

 先日、40代の友人と、「35歳を過ぎたあたりで、考え方が凝り固まってしまう人が多い」という話をした。どうしてなんだろうか、ということをお互いに考えてみようということで、いったん別れた。
「35」という数字を出したのは僕ではなく、友人のほうだ。こんな数字には意味がないような気もするが、平均を取ればそんなもんかもしれないな、とは思う。

 変わってしまう人ってのは、いるもんだ。
『ディスコミュニケーション』という漫画の11巻に「天使が朝来る」という話がある。僕はある時期、仲良くなった女の子にひたすらこの話を読ませるようしていた。その中の一人が、「これは全国の中学校で配ったほうがいい」と言ってくれた。
 子供が大人になる瞬間、天使がやってきて、その子を撃ち殺す。“その子”はそれで死ぬ。しかし次の瞬間から、何事もなかったように生活が動き出す。ただ、その時からその人の頭上には「リンガ」や「ヨニ」と呼ばれる石が輝くようになる。リンガとヨニはそれぞれ男性器と女性器を象ったものだ。
 言葉で説明してもわかりにくいかもしれないが、大人が子供になる瞬間というのは、確かにあって、その時を境に、その子は死んで、以降は性の象徴を頭上に浮かばせた「大人」として生きていくことになる。というようなイメージ。を、とある女の子は抱いている、というような感じの、話。が、『天使が朝来る』。
 ある一瞬間に、死ぬ。しかし人は、子供の自分が殺されてしまったことも知らないで、生きていく。

 そういう瞬間は、思春期にだけではなくて、「35歳」の前後でもういちど、訪れるのかもしれない。
 思春期の時は、「死んだ」ということには気づきもしないものだけど、このときは、ひょっとしたらある程度、意識できるのかもしれない。
 ただ、上手に死ねる人はあまり多くない。

 どうしたら上手に死ねるのか。いや、そもそも死んだほうがいいのか、死なないほうがいいのか。そういったことをそろそろ僕も考えていかなければ。
 ちょうど、「ジャッキーさんは結婚したらどうなるんだろうねー」と女子たちに言われた。
「すっごい変わっちゃうんだろうなー」みたいな意味のことを、言われた。

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