少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2011/10/29 成長について

 わずか二年間ながら学校の先生をやっていろいろ変わった。
 女の子から、「先生をやってから説教臭くなった」という意味のことを言われたことがある。それが原因の一つとなったかはわからないけど、その子は僕から完璧に離れていった。どうやら僕らの本質は相容れなかったようだった。
「ジャッキーさんが説教するようになったのは先生になってから」と、友達が言っていたらしいと先日聞いた。伝聞だから実際はどういう表現だったのかはわからないけど。
 言われてみれば本当にそうかもしれない。
 先生をやりながら書いた小説は、説教くさいものになった。もちろん、説教くさくならないように全力を尽くし、きちがいエンターテインメントとして完成させたが、見る人が見ればちゃんと説教くさいはずだ。僕が小説を書けるようになったのは、「説教」という方針を見出したからかもしれない。
 説教、と言うと聞こえが悪いが、要するに「自分が正しいと思うことを人に伝える」だ。説教というのは言いかえるとそうだ。件の小説は、僕が「正しい」と思うことを詰め込んだものだ。もちろん、ギャグも含めて。「こういうギャグがこういう形で提示されるのは正しい」という確信と信念のもとで、僕はあれを書いた。「こういう悪ふざけは、絶対に正しい」と思いながら、僕は何冊かの同人誌を作り続けてきた。
 僕の表現というのは、つまりすべてが説教なのであり、先生をやることによって、そのことが確立されたような気がする。また、先生をやりながら、ひたすらものを考え続けることによって、自分を、あるいは人間を、また社会を、より理解するようになったと思う。
 在職中、僕はいくつかの「説教プリント(ほとんど冊子)」を作ったが、今読み返すとそれは僕なりの人生論であり、世界観そのものだとわかる。
「教える」という立場に立って、ようやく陶冶されたのだ。

 先生になった僕は、「成長」ということに目を向けた。
 僕はこの言葉が嫌いだった。可能な限り使わないように努めてさえいた。
「成長」の定義がわからなかったからだ。
 社会へ適応していくことを「成長」と呼ぶのなら、違うと思った。
 その人が「成長した」と思ったら、それが成長だというのも、乱暴だと思っていた。
 諦めることが「成長」であるわけはないし、単に数字が伸びていくことを「成長」と呼ぶのは、無機質すぎるという思いがあった。
 未だに僕は、きれいな言葉で、すっきりと「成長」を定義することはできないでいる。
 しかし先生になったら、嫌でも「成長」ということに向き合わなくてはならなくなった。
 子供を成長させる、あるいは、子供が成長しているかどうかを確認するのが、先生の仕事である。とする。
 そうでなければ、お役所仕事と同じになってしまう。
 僕は、せっかく先生をやるのであれば、少しでも子供たちを、健やかな方向へ導いてあげたいと願った。つまり「成長」の手助けをしたいと思った。
「成長」ということがわかるには、「どの方向に伸びていくのが成長なのか」という定義づけをしなければならない。
 そこで僕は価値観を固めたのだと思う。
 その一環として小説を書いたのだろう。
 材料はいくらでもあった。そのために僕は本を読んで、マンガを読んで、人と話して、ものを考えて生きてきたのだとわかった。
 特に、小沢健二さん、橋本治さん、岡田淳さん、藤子不二雄先生にはどれだけ感謝をしても足りない。(思えば『貧乏は正しい!』はこの頃に読んだ。)
 僕は「理想」について考えた。思いつくあらゆるパターンで考えた。
「理想」の方向へ伸びていくのが「成長」であると思ったからだ。
 では「理想」とは何か?
 そればかり徹底的に考えたような気がする。
 もちろん「理想」とは、少ない言葉で端的に語れるものではない。
「理想」というのは、おいしい空気のようだ。
 どんな空気を「おいしい」と呼ぶのか、説明できる人はいない。
 しかしそれは確かにある。
 だけど、作り方はわからない。
 生きていて、空気を「おいしい」と思う瞬間は少なくて、自分が今すっている空気がおいしいのか否か、ということも、あまり意識はされない。
 高い山の上に登ればおいしい空気はふんだんにあって、確かに「おいしい」と感じる。しかし、それを地上に持って帰ることはできないし、再現することもできない。
 そもそも空気の味とは、空気そのものの味ではないかもしれない。
 おいしい空気について考えるのは難しいが、「まずい空気」のほうは難しくはない。僕は排気ガスの混じった空気を「まずい」と思う。だから基本的に、五千円くらいする排気ガス対策マスクをつけて自転車に乗っている。
 東京から自転車で軽井沢に向かう時、碓氷峠というのを登る。景色がよい。空気も悪くない。しかし……五分間にせいぜい一台くらいだが、車が通ると空気が濁る。一瞬でまずくなり、それがしばらく続く。
 碓氷峠でさえ、僕はマスクをしなくては登れない。
 理想とはおいしい空気と同じくらいに希有なものだ。
『絶対安全! 原子力はつでん部』という小説を六月に出したが、その最後の一行は、小富士見コロナという女の子のセリフで、「おいしい!」だ。
 この「おいしい!」には、そういうニュアンスがあるのである。もちろん今思いついたんだけど、そういう後付けの解釈もできてしまうところが芝浦作品の文学たるゆえんよのう、とかわりと本気で思う。今日の日記を読んでいる人がもしもこの作品の読者だったらば、今後もう、そういう意味でしかこの一行を読めないだろう。あらかじめそういう意味で書かれているのだから、仕方ない。作者は意識していなかったとしても。賢明な読者は必ず、そういうニュアンスをすでに掴んでしまっていたはずだ。
 などと。もっと評価されたいからもっと面白いの書かなきゃな。
 面白さで装飾しなければ、本質などいくら書いたって評価などされないのだ。本質を知っている人はたくさんいても、面白いものを作れる人は少ない。そこに滑り込まなければ、せっかくの本質が腐ってしまいかねない。
 溜息が出るぜ。

 さて。教員になった僕は、「成長」ということを考えるようになった。
「成長」とは、「理想」の方向へ伸びていくことだと思うことに決めた。
「理想」ということについては、だいたい知っていた。
 あとは簡単だった。
 僕は「成長」という言葉をたぶん自分のものにした。
 そうしたら、世の中にある「成長」が、目に見えるようになった。
 そして僕はたくさんの感動をした。
 さっき高校の後輩の書いた文章を見て、「成長してるな」と思えた。
 文章の成長とは、文章の技術のことだけを意味しない。
 それは「おいしい空気」が、空気の味だけを問題にしないのと同じだ。
 だからこそ、僕には「成長してるな」と言えるし、僕らは空気を「おいしい」と言えるのだ。

 たくさんのよき教え子に恵まれて、たくさんの成長をこの目にしてきた。
 ただ、あの「弟子」だけは、何をもって彼女の成長と言うべきか、わからない。彼女は僕の考える「成長」とか「理想」とかいう、便宜的な言葉にすんなりと 当てはまってくれない。
 僕は、本来の哲学に舞い戻って、彼女を球体と考えるようにした。
 そうだ、「理想」ということを抜かして考えれば、人間は球体でしかない。
 地球のようなものだ。
 そうでありたい。
 だが思うに、地球になれるような人は少ない。
 人間は流れ星のように生きようとする傾向がある。
 一直線に、どこかへ向かって走りたがる。
 その先が各人の理想なのだろう。そして燃え尽きる。
 あるいは月のように、生命のないまま、生きている球体の周りをぐるぐると回りつづける。衛星のような人。
 地球はそれ自体閉じた一つの生態系であるけれども、太陽からエネルギーを得なくては細胞を維持させることができない。
 それならば僕は太陽になって、彼女の公転を見届けてやるか。
 とか思う。
 僕は彼女をどこかへ引っぱっていくようなことはしない。
 彼女も僕にこれ以上近づくことはないだろう。
 しかし僕の存在なくして彼女が細胞を維持させることはできない。
 いつか離れる時が来たら、それは彼女が衛星となる時だ。

 矢印の先にはない理想。
 円の中に秘められた理想。
 それが本当の理想なのだろう。
「成長」などというものは、本当は考えなくてもいい。
 やっぱり僕はこの言葉を、未だに愛することはできない。

「理想」の方向に伸びて、いつかその円の中に飛びこんでいけたら。
 それだけを僕は望みつづけるのである。

2011/10/28 正座

 正座をする文化の人たちと、正座をしない文化の人たちについて考えてた。

2011/10/27 話され上手

 この人と一緒にいると、あれこれたくさん喋ってしまう、ということがある。
 どうでもいいようなことが、あふれ出てくる。
 反面、その人はあんまり喋らない。
 聞き上手という言葉があるけど少し違う。
 その人は「巧みに話を引き出す」という類のことをしない。
 インタビュアーとは違う。
 話され上手とでも言うべきか。
 しかしその人がいつでも話され上手なのかというと、それは知らない。
 少なくとも僕とその人の関係の中では、話され上手なのだろう。
 とにかく僕はひたすら喋ってしまう。主にどうでもよいようなことを。
 それは本当に止まらない秒針のようだ。
 カチカチとではなく、なめらかに動く秒針。
 時間が過ぎていく。

2011/10/26 案日馬連津

 baby baby baby いっつもオール4か5で
 せっかく法学部に受かっても
 東京に家など建てれない バカ高い
 そんならジャングル・ランド

 って、岡村靖幸さんが『ターザン・ボーイ』で歌ってましたが


「こんな気持ちじゃ歌えない!」って橘いずみさんが
 ライブで叫んでいましたが。


 詩を書くということと
 両立しない何かを
 しなければならない人もいるんだと昨日知った。

「詩を書くということと両立しない何か」ってのは
 人によってまちまちかもしれないが
 いろいろあるだろうなとは思う。
 それをすると、詩が書けなくなる、というような何か。

 詩でなくていい。小説でも日記でも、
 サーフィンでも、野球でもカードゲームでも、散歩でも
 大切なことと両立しない何かを、しなければならないという状況。

 僕は受験ということと、マンガを読んだり遊んだり
 日記や詩を書いたりすることを、すべて両立させようと
 頑張っていたような気がするが
 それは僕の事情である。
 僕にはその程度の事情しかなかった、というだけだ。
 東大を目指したなら僕にはまた別の事情があっただろう。

 生きていくのは事情との戦いだ。
 自分の事情と、誰かの事情と。

 僕には、たぶん両立できないものなどない。ないというか、「大切な何かと両立しそうにないものをしなければならない」ような事情があれば、なんとか両立するように持っていくだろう。それは僕の性格だ。いや、そのためになら性格だってねじ曲げる。すでに本質だ。
 そういう人ばかりではない。

 誤解なきよう、こういうことを僕が言うのは、誰かそういうモデルがあってのことではない。ヒントはあった。そのヒントを聞いたときに、僕は本当に泣きそうになってしまった。上記のようなことが、生じる可能性があるんだよなあ、と。そのヒントをくれた人が、実際どうなんかは、詳しく聞いてないからわからないけど。

 事情。それのために、何かが変わる。
 生きていくのは事情との戦いである。
 負けてしまうことだってあるかもしれない。
 それで何かがすっかり変わってしまうことも。
 それで誰かが僕なんかのことを
 すっかり忘れてしまうことも
 あるかもしれないということだ。
 事情とはときに残酷なもの。

 事情に勝つのは難しい。
 僕にはろくな事情なんかなかった。
 いや、事情なんか全部、無視してきたというだけなのかもしれない。
 優しい人はあらゆる事情を背負おうとする。
 それで死んだやつだっている。西原がそうかもしれない。
 彼は僕が事情を背負おうとしないことを、おそらく軽蔑していただろう。
 それで事情を背負ったまま死んだ。

 事情から逃げるために文学は、芸術はあるのかもしれない
 と、ふと思う。

 事情を捨てることは難しいが、不可能ではない。
 事情のほとんどは思いこみである。
 洗脳が解けるように、肩の荷が下りるようなこともある。
 しかし、その思いこみをこそ、至上の価値としてしまう人もいる。
 それを悪いとは思わない。
 ただ、その事情に負けて、僕を寂しくさせてしまうような人がいたら、
 悲しいというだけだ。
 事情から開放されるには、
 思いこみを捨てるか、
 事情に勝つしかない。
 捨てないなら戦って勝て、と
 僕は願うが

 そのようなことで何か変わるようなものは
 事情としては軽度のものである。

2011/10/25 こしゅう

 いつの間にか時間が経っていた。先週くらいから繁忙期に入ったです。
 僕は働くのがあまり好きではないのですが、今やっている仕事はかなりやりやすいです。
 今年はなぜか個室が割り当てられているため、やりたい放題。自分の部屋が増えたような感じ。遊びに来てください。
 家賃30000円台のボロアパートに部屋を3つ借りて、一つは事務所、一つは僕の仕事場、もう一つが倉庫になっている。好待遇なのか、ハブられているのかよくわからないが、誰もいないほうが僕の仕事の能率は数倍に上がるのである。めきめき仕事が終わっていっている。
 去年やったこととだいたい同じなのだが、去年よりもいろいろと改善できている。

 といって、僕は仕事中毒にだけはなりたくない。
 仕事中毒ってのは、僕が高三の頃に心から憎んでいた、勉強中毒というものに似ている。おんなじものだ。
 勉強中毒になりたくなくて、今の時期でも余裕で夏目漱石とか(カッコつけて)読んでたし、遊べるだけ遊んだなー。それは本当によかったと思う。

 という内容を次回につなげて、仕事の話は終わり。

2011/10/22 第171話 忘れる

「受験勉強を始めたのは、高二の二月くらいです。トイレとごはんのとき以外はまるできちがいのようにずっと勉強していました。その結果、慶応大学の法学部に入りました」
「それだけ勉強して慶応法どまりですか」
「それだけ勉強して慶応法どまりの頭でしかないのに、それだけ勉強するというのは、すごいではありませんか」
「本当だ、すごいです」
「私は努力をしか自慢していません」
「勉強は楽しかったですか」
「楽しくありませんでした。私は受験勉強は大嫌いです」
「トイレとごはんのとき以外はきちがいのように勉強をしていて、それで勉強が好きにならないというのは、よほどつまらない勉強の仕方をしていたというか、ほとんど機械的な作業をしていたようだということでしょうか」
「それに近いです。しかし考えてもみてください。私は死ぬほど勉強をしても勉強が好きにならないくらい、知的好奇心というものが弱いのです。それなのにそれだけ勉強するというのはすごいでしょう」
「すごいです」
「当時、大学に入ることを直近の目標としていたので、手段を選びはしなかったのです」
「そういう生き方はつまらないのではないですか」
「人生を、面白いとかつまらないとか、そういう尺度を私は用いません」
「では、どういう尺度を?」
「満足して死ねるか、ということだけです」

「受験勉強をしていた一年間を、無駄だったと思いますか?」
「はい。しかし、学んだ内容と、努力だけは、有益でした」
「それなのに、一年間は無駄だったのですか?」
「憎んですらいます」
「なぜですか?」
「機械のようだったからだと思います。受かりたい、ということだけをしか考えていなかったからです。本当に勉強以外に何もしませんでした」
「なぜ慶応に?」
「私の限界がそこにあると思ったからです。それに、希望の職種に就くには、そこで充分でした。東大などに行く必要はありません」
「希望の職種とは?」
「○○○○○○です」
「それならば、むしろ慶応でなくても良いのでは? もう少しレベルを落としても」
「いえ、早慶がダントツです」
「それだけ努力できるのならば、どの大学からでも入れるでしょう」
「私は、大学に落ちるのが怖いがため狂ったように勉強するくらい、不安を抱え込みやすいたちなのです。少しでも可能性の高いほうへ進みたかった」
「そのために無駄な一年間を?」
「そうです。無駄でしたが、しかし楽でした」
「楽?」
「何も考えなくていいからです」
「わかりました、あなたには夢があったんですね」
「そうです」
「夢というのは、思考停止のための道具です」
「知っています」
「夢の向こうには何がありましたか?」
「わかりません」
「今、そこには何がありますか?」
「信念があります。私の」
「夢は、固まると信念になるんです」
「そうだと思います」
「あなたは一生、その信念と寄り添っていくおつもりですか?」
「そのほかに何ができるというのですか」
「祈りなさい」
「忘れてしまいました」
「何をですか?」
「祈りかたをです」

2011/10/21 内縁の妻

 僕の場合、能力はゆっくりと花開いていく。
 結果もゆっくりとついてくる。
 そのことと反比例するように、僕の身体は衰えていく。
 老いて消えそうになる。
 高校生みたいだよーって若い子に言われたけれども
 僕が少年のようでいればいるほど
 咲けば咲くほど

 それで僕は日本史とか
 古文とか和歌とか
 そういった方面に最近、興味を持っているのかもしれないな。
 僕はどうやら「そもそも」ということをあまり考えずに来たらしい。
 意外なことに。
 重い腰が今さら上がった。

 子供というのは時間についてとても無知だから
 僕が子供のようであれば、時間から一旦、遠く離れる。
 そして
 そういう人には2種類がある。
 逃げて、逃げて、死ぬまで時間に追いつかれない人と
 どこかで時間に追いつかれてしまう人だ。
 そういうことを僕はたぶん最近考えている。
 僕は逃げたいのだろうか。
 それとも、どこかで立ち止まって、待っていたいのだろうか。

2011/10/20 かんわ

 さっそく『花もて語れ』読んでくれた友達がいる。有り難いことじゃ。非常に感動しておられた。沙羅双樹。そりゃそうじゃ。
 本日から労働が漸進的に激化してくるので軽く憂鬱ですが、いいこともたくさんあるので頑張っていきます。

2011/10/17 『花もて語れ』

 おかしい。いつの間にか17日になっている。
 時間の進み方があまりに妙だ。

 片山ユキヲ先生の『花もて語れ』という漫画、おすすめです。
『ラブロマ』『FLIP-FLAP』『友達100人できるかな』といった、僕の心より愛する、1000年先まで遺るべき名作の作者であるとよ田みのる先生が熱くおすすめされていたので、大人買い(と言っても三巻までしか出ていないが)してみた。

 現代は享楽主義の時代である。ゆえに、小説でもマンガでもアニメでも「面白い」ということが最重視される。作品の感想を求めると、まず返ってくるのは「面白かったかどうか」についての言葉である。
 しかし、「面白い」などという側面だけが、作品の価値や意義を決めるのではない。面白いだけでは、楽しいだけでは、気持ちいいだけでは、本当の「名作」とは呼べないのだ。
 とよ田みのる先生はさすが、その点をわかっていらっしゃって、『花もて語れ』二巻の帯に寄せられた200字ほどの推薦文の中で、「面白い」という言葉を一度も使っていない。代わりに、「愛おしい」「大切」という言葉でもって、表現されている。
『花もて語れ』は、確かに非常に面白いマンガだが、しかしこの作品を評するのに「面白い」という言葉では、あまりにも不十分である。というか、一読すれば「面白い」なんてことはどうでもよくなってしまう。「面白い」なんかよりも、もっと大切な気持ちを、感情を、感覚を、この作品は伝えてくれるからだ。

「言葉」とはどういうものかということ。
「伝える」とはどういうことかということ。
 人と人との間にはいつも必ず、「言葉」や「伝える」があるということ。

 あまりに大切すぎることが、いくらでも書き込まれている。


 愛するべきは言葉である。
 そして言葉というものは、決して「音」や「字」だけで構成されているので はない。
 言葉には、必ず「それを伝える人」がいる。
 その人たちにまつわるすべてを含めて、言葉は言葉である。
 森羅万象、すべてが言葉の一部である。

 人間と人間の間にあるものはすべてが言葉である。
 だとすれば言葉とは愛すべきものである。
 それは必ずしも音や字でない。
(べつにこういったことが『花もて語れ』に書いてあるわけではない)


 片山ユキヲ先生の『花もて語れ』は、「朗読」をテーマにした作品だ。
 そこからさらに広く深く、言葉や人間に関する、様々なことを読み取ったり、感じたり、考えたりすることができる。
 僕は日ごろから、音読、朗読、暗誦といった類のことが好きで、時に他人に押しつけたりさえする。
 声に出すことは、本当に大切なのだ。
 教育に関わる時は、常にそのことに留意してやってきた。
 その思想的根拠になりうるのが、この作品である。
 僕が、生きていく中で、人と関わっていく上で、大切だと思うことのほとんどが、「実は」この作品には書き込まれている。そうは見えないかもしれないけど、僕が読めば「ああ、書いてある」と思える。

 人間にとって最も大切なのは、「伝える」ということである。
 言葉とは、「伝える」ために生まれた。
「愛する人の名を呼ぶために、言葉は生まれたのかもしれない」
 というのは奥井亜紀さんの歌詞だが、そうだとすれば、言葉はつまり「愛」を伝えるために生まれたのである。

 小学館ビッグスピリッツコミックススペシャル、1冊590円で3巻まで。たった1770円で、たぶんそういったようなことを「感じる」ことができます。「わかる」かどうかはわかりません。しかし、伝わるところには、伝わるべきものは伝わります。そのように信じて、心より皆さまにお勧めいたします。

2011/10/13 勉強

 教え子がそろそろ本腰入れて受験に取り組み出しそうなので、参考書や、勉強の仕方についてなど、なんとなくまとめてみる。
 と言っても「こういうふうにすればいいよ」ではなくて、「僕はこういうふうにするよ」を書くので、参考にはならないかもしれない。紹介する科目は僕が東大文三を受けるとしたら使うであろうもの。
 ちなみに、以下を書くにあたっては僕なんかよりもはるかに参考書大好きっ子である友達のニートさんの意見やお勧めをとっても参考にしたよ。


【国語】
●現代文
 初学者は貝田桃子先生の『現代文読解ドリル』をまずやること。ちゃんとやれば基礎は完璧に身につくはず。詳しい読解に関しては、何でもいいからわかりやすそうな解説書を選ぶ。迷ったらとりあえず『出口の現代文実況中継』あたりをやっておけばいい。我こそはと思う骨のある人間はちくま学芸文庫で復刻された『新釈現代文』を読みましょう。余裕のある人には、『教養としての大学受験国語』を推す。これが気に入ったら『大学受験のための小説講義』を読んでもいい。
 あとは漢字や語彙を補充する。これについては、あんまり適切なものが思い浮かばない。あるにはあるが、どうもやる気になれそうなものがない。うーん。募集。
 今の僕は現代文なんか他人(参考書)に教わるよりも自分で解法を考えたほうが楽しそうなので、あんまり研究していないのであります。
●古文
 初学者は『望月光の超基礎がため古文教室』。これをある程度までやったら(あるいは終わったら)『大学受験らくらくブック 古文』がおすすめ。マンガで古典文法を説明してくれるのだが、キャラやストーリーがしっかりしていて、ギャグもきいている。マンガ参考書としては出色の出来。望月さんのやつは冒頭が素晴らしいので、最初のほう(動詞とか形容詞とかの詳しい説明に入る前)まで読んだらマンガと並行して読むか、マンガのほうでわかりづらいところを補強するために使うのも良いと思う。文法の詳しい部分は、学校で使うような文法書を一冊用意して、上記二冊に載っていなかったものをしらみつぶしに確認すればいいと思う。
 単語は『愛の青春ドラマで覚える ミラクル古文単語396』が最強。ケータイ小説じみた物語の中になぜか古文がところどころ挿入されているという画期的な単語帳で、面白いからどんどん読み進めてしまう。文章を読みながら単語を覚えるという趣旨の単語帳はたくさんあるが、いずれも例文が古文なので通読が難しく、「長い作品の一部を引用してくる」という作りになっているので面白くもないしすぐ飽きる。『ミラクル~』はほとんど現代語なのですらすらと読め、一冊で一つのストーリーになっているので続きが気になって挫折しにくい。テーマはバンドと青春と恋愛が絡まりあって実にキャッチー、笑える上にフツーにいい話。単語に関する解説も、短いながらかなり上質。色物の参考書の中では抜群に出来がいい。
 が、単語帳としての質は『わかる・読める・解ける Key & Point 古文単語330』のほうがやや優れているように思う。単語の本質や注意すべき点が「key」として簡潔に示されていて、この部分が素晴らしい。この本の価値はほとんどそこである。古文単語を覚えるのが大変な理由は、「一つの日本語(古語)に対して複数の日本語(現代語)が訳としてあてられる」というところに尽きるので、この本のように「一つの古語の本質を一つの現代語で捉える」ということをまずして、その後に「本質から複数の訳語を演繹する」という順序を踏んだほうがいいように僕は思うのである。決して「たくさんある訳語のうち、重要なほうを覚える」ではない。「まずは単語の本質を掴む」のである(ただし、「key」は必ずしも「単語の本質」を書いてあるわけではなく、本来のねらいは「イメージを喚起して記憶を助ける」ためのものであるらしい)。「訳語」「point」の項と照らし合わせながら「key」の部分を見ていくだけで、単語の理解はぐっと深まる。例文は必要だと思ったら見ればいい。
 以上二冊を組み合わせれば単語はほとんどバッチリだと思う。
 古文常識を知らないと話にならないので、『速読古文常識』を読む。これは類い希なる名著。類書はことごとく足許にも及ばない。生真面目にすべて読む必要はなく、最初は「そういうのがあるのか」と、見出しと意味と漢字の読み方だけを確認して、気が向いたら本文や解説を読むというので十分。主に学習中に参照したり、試験前の確認として活用すべし。
 それから和歌を極めるため、『特講マドンナ古文 和歌の修辞法』をやろう。完成度の高い参考書ではないような気もするが、和歌の参考書はたぶんこれしかないので仕方ない。「和歌で一冊作ってしまおう」という志だけでも十二分に評価できる素晴らしい本。
 文学史は、貧乏人に優しい日栄社の『Q&A国文学史』(330円+税)をやって、くり返し確認するのが最強だと思うが、単調なので不真面目な人間には難しいかもしれない。なんかいい手はないもんかね。
 日栄社といえば、同じく330円+税の『古文冒頭文20』は、僕のような暗誦大好きっ子には垂涎の名品。代表的な古典作品の冒頭文が20収められ、それぞれに演習問題がついている。巻末には「主要末尾文集」なる非常にマニアックな参考資料が載っていてなのめならず萌える。この本に収められた冒頭文の一番はじめ、網掛けになっている部分くらいはすべて覚えておいたほうがいいと、暗誦至上主義の僕は思いますよ。
 古文の力を上げるのに最も大切なのは、音読と暗誦。これに尽きる。初めのうちはとにかく声に出して読みまくる。文法・語法や単語がある程度身についたら、好きな文章を覚えて諳んじる。教養も付き、文学史もついでに覚えられ、文法や単語の知識も定着する。いいことばかりである。古文暗誦は正義。とにかく古文を口と頭に馴染ませることが肝要なのであるよ。
 源氏物語について知りたければ、『まろ、ん?』がやっぱりすごい。四コママンガを一冊読むだけで源氏物語がなんとなくわかってしまうという優れもの。恐ろしい。現役の頃は食わず嫌いだったけど認めざるを得ない質。
 文学史を学びがてら、読み物として古文を読むなら、『おいしい古文』がとてもおすすめです。
●漢文
『早覚え速答法』さえやっておけば、センスのある人ならたいていの漢文テストで満点近く取れる、と思う。あれ以上のことを求めてくる大学はまずない。あとはある程度演習を積んで、漢文のクセやパターンを覚えるのみ。と現役の時から言い続けているため、漢文の参考書はほとんど知らない。いいのあったら教えてください。漢文は音読というよりは、白文を見て書き下し文を言う練習を積み重ねるべし。暗誦もいいと思うけど、僕はなぜかほとんどしない。
 論語や漢詩についてはある程度読んで知識をつけておくと、教養も深まるので良いと思う。

【英語】
 さて、専門の国語が終わったので気を抜いて適当になろう。
 僕はRinQという素晴らしい先生に習っていたので、実はあんまり参考書は使ってないし、よくは知らない。
 文法は『ビジュアル英文解釈』でいい。単語・熟語は『速読英単語』シリーズを何冊か何回かやった後、『ターゲット1900』でしらみつぶしに確認。CD付きの単語帳(もちろん速単でもいい)を使って発音やアクセントを抑えることもちゃんとしておきたい。リスニング対策はよくわからないのだが、『英語の頭に変わる本』という本についてくるCDが面白い。笑えるという意味で。軽快な音楽に乗せて「ダッダ、ダダダァー!」とかって愉快に叫んでくれる(英語のリズムを身につけるという目的らしい)んだけど、ものすごくツボにはまって五分くらい聴いてるとラリってくる。でも確かに英語の聞き取り能力は向上しそう。それに加えて、センターのリスニングの過去問とか、何でもいいから会話文や朗読などを暗記するまで聴きまくってればどうにかなるんじゃないかな。
 とにかく大切なのは、『ビジュアル英文解釈』に書いてあるようなことに留意しながら、論理的に、常に文構造や修飾関係などを把握しながら読んでいくことだと思う。何よりも、決して英語を後ろから読んだりせず、前にある単語から順々に理解していけるようになること。
 個人的には、語源についてある程度知るべきだと思う。これに関してはこれだと思える参考書を僕は知らないので、現役の時は自分で「語源表」を作って活用してた。あとは「単語どうしの相性を意識する」とか、いろいろあるんだけど、それに特化した参考書はたぶん存在しないと思う。とにかく読めばいいさ。読み物としてなら『多読英語長文』が僕は好き。英文に対して「ぱぱお」と数人の生徒たちがああだこうだ言うんだけど、これが面白い。英文に対して客観的な視点からの意見を取り込み、英文を相対化するというのは、とても大事なこと。いつかは「ぱぱお」たちの役割を、自分自身が演じられるようになるのが目標である。

【数学】
 僕はまともに勉強したことがないのでわからないんだけど、『センター試験のツボ』シリーズの数IA、数IIBが文系には読みやすい。これを通読した後、演習問題をくり返し確認してみようかと思う。問題数が極めて少ないからあまり苦ではないはず。それとΣベストの『これでわかる』を参照しつつ、受ける試験の過去問もしくは対策問題集的なものを解く……かな。数IIICは知らん。

【日本史】
『美少女が教える日本史』しかない。なんせ9月に出たばかりのこの本(CD?)にいたく感動して僕はこの文を書き始めたのである。どれほど素晴らしいかはそのうち語るかもしれない。
 近世まではYoutube等で『まんが日本史』というアニメを、資料集などを見つつメモでも取りつつ見ていると大筋はだいぶ頭に入る。何より面白い。
 どんな科目でもそうだろうけど、まずは骨組みをしっかりさせて、すなわち基礎基本を身につけたのち、細部や発展的内容を肉付けしていくのがよかろうと思うので、上記のもので基本的な流れを完璧にした後、細部を覚えたり、論述対策をする。暗記だけなら『日本史用語集一問一答』は優秀だと思う。

【世界史】
 僕には高校時代のN先生、Y先生の授業をほぼ完璧に記録した自家製ノートがあるのでそれをやればいいのだが、初学者はまあ無難に『青木世界史講義の実況中継』でいいんじゃないですか。思想的に若干偏りが見られないでもないことに留意しつつ。今は『トークで攻略!』シリーズで青木講義の音声24時間ぶんがたったの3000円で買えるので、それやりゃいいんじゃねーの。ただ、僕は『美少女が教える世界史』を学研さんが出してくれると信じているので買わない。早く出してください。お願いします。
 どの科目もそうだけど、自分が受ける試験のレベルや傾向に応じて参考書を買い足すのよ。

【地学I】
 知らん。とりあえず『センター試験 地学Iの点数が面白いほどとれる本』を買った。センター地学の実況中継も100円だったからとりあえず買った。


 国語に関してはそれなりに参考になると思うよ。
 あと『美少女が教える日本史』は本当に素晴らしい。

2011/10/12 ラブコメとラブ+コメと

 サンデーでやってる『はじめてのあく』を最新巻まで読んだ。非常に良い意味でサンデーらしい、ラブコメの王道をひた走る佳作。11巻以降はたぶんバトル要素が多くなるのだと思うが、このテコ入れが凶と出ぬ事を祈る。
 80年代以降、サンデーラブコメの基本はたぶん、一言で言えば「いびつな両想い」である。たとえば、「仲は良いけど本人たちは恋愛関係を否定している」「いつも喧嘩ばかり」「諸事情があって真っ向からつき合えない(双子の弟が死んだとか)」「片方は愛情を顕わにしているが、もう片方が冷たい(またはツンデレだったり、恋愛に無頓着だったりする)」など。あたるとラム、乱馬とあかね、新一と蘭、達也と南、横島クンと美神さん、三橋と理子チャンなどが代表的だろう。売れるラブコメというのは、「恋愛がなかなかうまくいかない」がゆえに、売れるのである。
 ちょっと違った形だと『うしおととら』がある。うしおととらの関係を恋愛に置き換えると、「サンデーラブコメの方程式」にガッチリとはまる。とらはうしおに「いつかお前を食ってやる」と言いながら、ちっとも食べようとはしない。ツンデレである。それどころかラスト近くでは「もう……食ったさ」という名台詞まで吐き、晴れて「恋愛」は成就となるのである。(このセリフの奥深さは全巻読めばわかる。)
『はじめてのあく』は、恋愛に疎いジローと、ジローへの気持ちをまだ認めていないキョーコとの恋愛である。ジローはキョーコに対して、「いつかお前を改造してやる」と言いながら、本気でそう考えているようには見えない。関係としてはまったく『うしおととら』と同じである。最終回付近で「もう……改造したさ」とか言いだしそうだ。(ジローと出会ってからキョーコちゃんが妄想ノートをやめたり、性格が明るくなったりしたのが伏線になっている。)
 サンデーに限らず、売れるラブコメはとにかく「うまくいかない」のである。あの『めぞん一刻』だってそうだ。明らかに両想いなのに、うまくいかないから、読者はやきもきするのである。どーせハチクロとかだってそーなんだろ。姫ちゃんと大地とか。

 ところが僕は、いわゆる売れるラブコメが好きなわけではないのである。僕が好きなのはかつてチャンピオンで五年間も連載され、24巻を数える『おまかせ!ピース電器店』のような設定である。これも少し、『はじめてのあく』に似ている。『はじあく』のジローも、『ピース』のピース健太郎(ケンタロー、ケンちゃん)も、十代半ばにして超一流の科学者であり、妙なアイテムをたくさん作る。要するにキテレツみたいなキャラなのである。で、みよちゃん的ポジションの、恋のお相手もいる。
 ジローのお相手、キョーコは「ジローのことが好きだということは自分でも気付いていながら、まだそれを積極的に認めようとはしていない」状態だ。「なんであたし……あんなやつのコト、意識しちゃってんのカナ……」である。これはまさしく売れる(=王道)ラブコメのヒロインだ。
 ところが、ケンタローのお相手、お隣の青果店の娘であるモモ子は、ケンタローにぞっこんなのである。ケンタローもモモ子にぞっこんなのである。
 僕は『ピース』を読んでいると本当に幸せな、ピースな気分になる。ピース家はみんな仲良しで微笑ましく、本当に素敵な作品だ。ドラえもん・キテレツラインの日常SF要素も好み。が、『ピース』は僕の好きなラブコメではない。なぜならばたぶん、『ピース』はラブコメではないからである(!)。
 たぶん、ラブコメというのは障害がなければ成り立たない。『ピース』ははじめっから両想いのため、二人の間にはドラマ性がほとんどなく、ずーっと「ラブラブ」なのである。だから単に「ラブ要素のあるギャグ漫画=コメディ」でしかなく、言ってみれば「ラブ+コメ」なのだ。ラブとコメディが一体となった「ラブコメ」ではない。
『はじめてのあく』は、ジローとキョーコの気持ちのすれ違い(本当はちっともすれ違ってなどいないのだが)が、コメディタッチに描かれるがゆえ、ラブコメと呼べるのである。
 そういう意味では僕の大好きな『タッコク!』もラブコメではなくて、「ラブ +コメ」であろう。ガクとカコちゃんは最初っからずーっとラブラブなのだ。それを卓球告白法という法律が邪魔をしている。これも「うまくいかない」ではあるけれども、気持ちの問題ではない。恋愛物語では「気持ち」しか問題にされないのである。
 漫画やドラマでは、「ラブラブ」状態のみを描き続けるのは、「恋愛」を描いたことにはならない。「ラブでない」状態を巧みに織り交ぜてこそ、「恋愛もの」とか「ラブコメ」というジャンルが成立するのであって、そうでなければ「ラブ+コメ」とか「ラブ+ストーリー」といった形で、「ラブ」のみが独立してしまうのである。
 僕が世界一の恋愛漫画と太鼓判を押す『ラブロマ』は、「ラブでない」状態から次第に「ラブラブ」になっていく様をコメディタッチで丁寧に描きあげた、まさしく「ラブコメ」の頂点に君臨する作品だ。これぞ王道。『はじめてのあく』も、「ラブでない」から「ラブラブ」へと少しずつ移行しつつある。
 しかし『ラブロマ』が「まったくラブでない」から「とてもラブラブ」へと、ほぼ一直線に、比例グラフのように進んでいくのと違って、『はじあく』はもっとジグザグである。一進一退、近づいたかと思えばまた離れる。『めぞん一刻』と同じである。「売れるラブコメはジグザグする」のである。だから『ラブロマ』は名作さに比してそれほど売れなかったのである。ちくしょー!
 ジグザグすりゃいいってもんじゃないんだよ!
 そりゃ、面白いけどさ!
 だからって、僕が今定義した、いわゆる「売れるラブコメ」以外のジャンルが、本当に売れないってのは、悲しいもんだよなあ。
『ピース』なんか、もう古本屋でしか手に入らないだろう。アマゾンに画像すら載ってない……。

2011/10/11 横顔

 四月に話を戻します。僕は調子に乗っていました。高校デビューのようなものです。キャラクターを変えたということではありません。中学のノリのまま高校に上がってきてしまったというだけのことです。僕は終始、ふざけていましたし、目立てるだけ目立とうと思っていました。
 まず、クラスの「自己紹介カード」みたいなのにアホみたいなことをアホみたいにたくさん書きました。好きな音楽とか漫画とかの固有名詞を書き連ねただけだったような気もしますが、その圧倒的な書き込みの量は異様でした。口頭で自己紹介をする機会もありましたが、「大曽根から来ました○○××です、おうちの電気はパルックです」と言いました。一言一句違わず、こう言ったと思います。みんなポカーンとしていました。当たり前です。後に仲良しになる関川くんは、「趣味はしりとりです」と言いました。ギャグなのかそうでないのか一瞬わからず、クラス中がおののきました。たぶん。
 それから、お昼の時間にかかる放送がJ-POPであることに憤慨し、「お昼にみんなのうたを流そう署名運動」を展開しました。署名の前に放送部に正式な手続き(リクエストカードを書く)をしたのかどうか、忘れてしまいましたが、ともあれ異常な行動と言わざるを得ません。よそのクラスにも乱入して署名を求め、三十人ぶんくらい集まったかと思います。もちろん放送部からは黙殺されました。どうやら放送部の先輩たちからは非常にうざがられ、そのせいで同じクラスで放送部だった人には多大なる迷惑をかけたかと思います。そうでなくとも演劇部の二つ年上のS先輩が、放送部にアニソンとかばっかり持ち込んで来ていたらしいので、放送部の演劇部に対する負のイメージは、当時の先輩たちが引退するまで引き摺られるのでした。(その後は、演劇部と放送部はとても仲良しになります。)
 授業中も、ずっと野次ばかり飛ばしていました。人の迷惑というものを考えたことがなかったのです。そうして僕はクラスの中で「ヘンなやつ」としてイメージが定着し、後に仲良くなった人から口々に「お前とだけは仲良くならないと思ってた」と言われます。当時はどこへ行っても第一印象が最悪だったようですが、だからこそ友達が増えたのかもしれないなと今は思わないでもないです。第一印象が最悪なら、あとはイメージが良くなるばかり、というのは本当です。不良がたまにいいことすると、途端に「本当はイイヤツなのでは」と思われるのと同じでしょう。
「現代社会ロ(なぜかうちのクラスだけ、現社がイとロに分かれていた)」という授業の担当は、M先生というこわもての、とても厳しい先生でしたが、僕は構わず茶々を入れまくっていました。そうしたらM先生は怒って、「お前はいつまでガキでいるつもりだ!」と、五分も十分も、ひょっとしたらそれ以上、僕を怒鳴りつけました。たぶん二度目か三度目の授業だったのではと思います。そのときは僕はM先生の言っていることがよくわかりませんでしたが、後に理解できるようになりました。M先生の言っていた「内容」はほとんどすべて忘れてしまっておりましたが、なぜだかその「本質」だけは理解できるようになっていたのです。不思議なものですが、教師の言葉というのはそういうものであるべきなのかもしれません。この事件以来、ほんの少し僕は冷静になったかと思います。
 クラスでは特に「グループ」のようなものに属さず、ぶらぶらしていました。毎日喋る相手が違いました。その中でも鉄道好きの関川くんやバスケ部のもっつくんと話すのが非常に面白くて、席が近くなると中毒のように一日中話し続けるような日もありました。当時は一対一で話すのが楽しくて、三人以上で話していた記憶はあんまりありません。
 文化祭ではミュージカル劇をやることになって、僕は張り切って脚本を書きましたが、生来の怠け癖と、例の女の子のせいで精神崩壊状態がまだ続いていたこと、演劇部との同時進行などが原因で、脚本の第一稿だけを書いてほうり出してしまいました。結局、脚本はクラスのみんなが知恵を出し合って完成させてくれました。練習もあんまり参加できませんでしたが、今思えば、公立高校一年生のクラス劇としては相当良い出来になったんじゃないかと思います。それもこれも僕が途中で脚本・演出を投げ出したからだと思います。いや、本当に申し訳ないと今でも思っているのですが、結果オーライというか、僕がいなかったからこそあれほど素晴らしいものに仕上がったんではないのか? とも思うわけです。僕がいると、僕の劇になってしまう。そのことは二年生の文化祭で実感し、それもあって三年生の文化祭はボイコットしました。(詳細は後述)
 ひどい言い訳ですが、わりと本気で思っているのも確かです。あのお芝居は、みんながそれぞれの役割をきちんとこなし、わりかし一丸となって作ったものでした。評価もそれなりによかったと思います。
 文化祭は九月中旬でしたが、七月に僕は演劇部で初舞台を踏みます。『L^2』という、先輩が脚本・演出をしたお芝居でした。当時はどういう話かよく理解していませんでしたが、今ではかなり理解できます。どういうストーリーだったのかはほとんど忘れていますが、本質だけは残っているのです。不思議なものですが、優れた芝居とはそういうものなのかもしれません。僕は「ひのえ(かのえだったかも?)きょうすけ」という少年の役でした。半ズボンでした。大会会場の感想ボードでは「きょうすけの動きがいい!」とか書いてあったりして嬉しかったのですが、後に思うところではそれは「動きにクセがあって目立つ」ということでしかありませんでした。「セリフを読むこと」自体は下手ではなかったとは思いますが、演技はまだまだ下手くそでした。非常に。
 大会後の反省会で、先輩たちは泣いていました。我が校の演劇部は三年の五月で引退なので、七月の大会で上にあがれないと、もうチャンスはないのです。僕は当時、正直言って「なんでそんなことくらいで泣くんだろう?」と思っていました。今は先輩たちの気持ちがわかります。精神的に、あまりにも僕は未熟だったということです。ただ、大会で上にあがれなかったからといって泣くのは、やっぱり今でもみっともないと思います。でも、先輩たちはたぶん、それだけのために泣いていたのではないのです。だからみっともないとは思いません。
 九月の文化祭では愛するW先輩の脚本・演出による『店長百万円入ります。』という名作を上演しました。僕は神宮寺というきちがいボンボンの役でした。大好きな脚本であるだけに、演技には悔いが残ります。「もっと思いきって演技していいんだよ」と何度も先輩に言われましたが、その時はよくわかりませんでした。今ではよくわかります。きちがいの役なんだから、もっときちがってもよかったのです。
 忘れられないのは練習風景です。尊敬するW先輩は「とにかく楽しく練習して、とにかく楽しく上演しよう」ということを目標にしていたらしく、練習は毎日が楽しかったです。演劇の演出というのは、劇の質のためには厳しくならなければならないこともあります。演出だけでなく、全部員が「もっと良い芝居」をめざして神経を研ぎすませ、すり減らすので、殺伐とすることは日常茶飯事です。お葬式のような練習になることもありました。それでは「良い芝居」はできても、「楽しい芝居」にすることはなかなか難しいわけです。
『百入り』は、楽しい脚本です。だから、楽しい芝居にする必要があります。さらに、八月下旬には合宿があります。楽しい合宿にしたほうがいいのは明白でした。W先輩の名演出により、楽しい練習、楽しい合宿、楽しい本番になりました。「楽しさ」という面でいえば、演劇をやっていて最も楽しかったのはあの時期だと思いますし、僕がいま演劇を心から「好きだ」と思えるのは、あの芝居があったからだと思います。
 ただし、合宿でみんなでワンピースのアニメを見たり、大富豪をやったりしたのは、素敵な想い出にはなりましたが、必ずしも楽しくはありませんでした。僕はワンピースを見ても読んでもいなかったので、よくわからなかったのです。『百入り』に出てきた「海賊王に、俺はなる!(脚本では「俺は海賊王になる!」だった)」というセリフも、僕にだけピンと来ていなかったようです。別にそれで疎外感を感じることもなかったのですが、わからない自分が悔しかったような気はします。今思い出すと、部員全員で、合宿所のロビーでまだ主題歌が『ウィーアー!』だったころのワンピースを見るというのは、本当に素敵な想い出だったと思います。あの画は今でも忘れられません。ワンピースに関する良い想い出ってそのくらいかも。
 大富豪に関しては、うーん、時効だと思って少し書きますと、プレイマナーのあまりよくない方がいたのですよ。それだけです。その先輩は、めちゃくちゃいい人なのですが、おそらく無意識のうちに、「自分が最も気持ちよくなる方向にすべての物事を運んでいこうとする」という行動・言動を常にしていて、そのことには部員全員が気づいているのですが、みんな優しいし、波風を立てたくもないし、その先輩は非常に「強い」方だったから、誰も何も言わなかったのです。僕はそのことがとてもイヤでした。その先輩の振る舞いもイヤだったし、それに関してニコニコ笑っているみんなもイヤだったのです。
 合宿で楽しかったことを挙げるとキリがないですが、青少年の森口くんに挨拶をしたり、早朝の散歩の途中で「人間彫刻」みたいなことをして記念写真を撮ったり、『漂流教室』を回し読みしたり、真夜中に同じく合宿に来ていた三重県の中学校のバレー部の女子とずーっと喋っててケータイのアドレスを交換したりしたことが記憶に強く残っています。あの子いま何してんだろう。つくづく、一期一会を大切にすべきだったと思いますよ。
 九月の文化祭だけでなく、それから約一週間後の「今池祭」でも『百入り』は上演されました。大会以外で、一般の劇場らしい劇場に立ったのはあれが最初で最後だったかも。ラストシーンが文化祭版とは違っていて、マニア向けでした。


 わずか半年でこのボリューム……まだまだ書き漏らしていることはたくさんあるはずなので、完結するのはいつの日だろうか。当時を知っている人、僕の記憶違いがあったら恥ずかしいけど指摘してね。明らかにねつ造・改竄とわかる部分は、どうぞそっとしておいてください。

2011/10/10 自分史

 少年から自分史を書け、と言われ続けて三千里なので日記に連載という形で書いてみるかな。
 実はすでに↑の「はじめに」のところで高校生編の途中までは書いているのですが、書き始めておいて何で書かないのかって、「面倒くさい」と「恥ずかしい」の二点に尽きます。
「自分史を書け」と僕に言ってくる少年は、HPを作ろうとしてもう長い間(一年以上)ぼんやりとしていて、ちっとも公開される様子がない。おそらくその理由は「面倒くさい」と「恥ずかしい」であろう、たぶん。
 わかる。彼が何かを書き始めれば、彼や僕の周りの大人は皆読むだろう。それがいかほどのプレッシャーになることか。まずいことは書けない。「やっぱり若いな」とか「頭悪いな」とか思われたら、僕だったら激しく落ちこむ。
「恥ずかしい」というのは、人に見せる文章を書く時には必ず生じる気持ちだ。生じなければまずい。高校一年生で日記を書き始めた、あんなに幼く青臭かった僕でさえ、「恥ずかしくて書けないこと」は明確にあった。
 今自分史を書こうと思うと、どうしても書かなければいけないことは、「当時隠蔽していたこと」である。これを書かなければ首尾一貫した「歴史」にはならない。そうでなくても「今隠蔽せざるを得ないこと」は少なくないのだ。「当時は隠蔽していたが、今は隠蔽しなければいけないこともない、ただし書くと恥ずかしい」というところをちゃんと書いておかなくては、さすがにまとまりがなくなりすぎる。
 僕の日記に、特に昔のものに、まとまりがないのは、散文詩のようでさえあるのは、それだけ隠蔽していた部分が多かったからだ。歴史ではなく歴詩になるのは、今の僕の本意ではない。ホーイ。
 それに、この僕が「恥ずかしいから」と書かないでいたのでは、件の少年に示しがつかないのである。……というわけで、どうにか少しずつ、他人のプライバシー的な意味で問題のない程度に、書いていこうかなと思います。
 ただし高校生編以降になると、まだ「時効」が過ぎていないものも多いので、歯に物が挟まったような書き方が多くなり、また簡略化して記すことも多くなるかと思います。

2011/10/09 血股でうわさの布ナプキン

 何かと何かの間、ということをちょっと考えていた。
 ピーターこと池畑慎之介さんのデビュー曲で『夜と朝のあいだに』というのがある。夜と朝のあいだには何があるのだろう。何もないわけではない。名前のつかない何かがある。
 川本真琴さんの『ドーナッツのリング』という曲では、「春と夏の間の名前のない季節が終わるの」「あたしと君の間の名前のない気持ちが終わるの」と歌われている。何かと何かの間には、言葉で言えない何かがある。
 詩的なことだ。言ってしまえば、ある言葉とある言葉の間にあるものというのは、常に詩的なのだろうと思う。
 夜と朝の間には夜明けがあって、昼と夜の間には夕暮れがある。どちらも詩的だ。それでは朝と昼の間には何があるのか? さらに詩的である。というかそもそも、「昼」という言葉自体がとても詩的だ。きっと最初は「朝」と「夜」しかなかったに違いない。朝と夜の間の、名前のない時間を指して誰かが「昼」と言ったのだろう。詩人だったに違いない。
 稲とごはんの間、というのは、詩的というと違和感があるかもしれないが、そこには圧倒的な情報量とエネルギーが秘められている。稲が刈り取られ、脱穀、精米されて炊かれてごはんになるまでの過程、その時間、関わった人々、移動した距離……無限のような広がりだ。
 何でもいい。「タオルと本の間」ということを想ってみる。誰の部屋の中にだって、きっとタオルはある。ほとんどの人の部屋には、本もあるだろう。しかし、その間に何があるのかというのは、百人いたら百人ともに違うのだ。
 世界と日本のあいだ。太陽と海のあいだ。火と水のあいだ。ビニール袋とカキフライのあいだ。すべて詩である。
 お茶と水の間、というのも考えた。お茶は水からつくられるが、いったいどこからが水で、どこからがお茶なのか。お茶だか水だかわからないような液体は、どっちつかずで、おいしいと言い切れそうもない。だから「お茶と水のあいだのような時間を過ごした」という表現が意味を持ちうる。お茶と水のあいだのような時間、といわれて、ウキウキとした楽しい時間を想像する人はいないだろう。詩の喚起させる想像力というのはそういうところだ。
 何かと何かの間には、必ず詩がある。言葉と言葉の間には、と言ってもいい。詩というのはおそらく、言葉では表現できない何かを表すものだ。大根というものを言葉で伝えたいのだとしたら、ただ「大根」と言えばいい。しかし、大根と人参の間にあるものをどうにかして伝えたいのだとしたら、それは難しい。大根と人参の間にあるものには名前がないからだ。すでにある言葉を組み合わせて伝えなければならない。
 それにはどうしたらいいか。もちろん、「大根と人参の間」と言うだけでいい。それがたぶん詩の根本原理である。

2011/10/04 詩のすすめ

 自分の詩を読み返していて眠れなくなった。現在午前四時過ぎ。なみちゃん誕生日おめでとう。
 だいたい半年に一度くらい、自分の詩を読んで「スゲー」「ムヒョー」とか自画自賛の狂喜乱舞をしているのです。
 今日は最新のから遡って、2009年の年末に書いたぶんくらいまで読んでしまった。特にいいなと思ったのは『』という詩。僕が書いたにしてはかなり散文的だけど。
 というのは、僕にとって詩というのはここに書いたようなものであるから。忙しい人は下のほうにある、佐藤春夫先生の『新体詩小史』から引用した部分だけでもぜひ読んでくださいませ。
 と言いながら、こっちにも一部引用してしまおう。

 散文がその言葉の持つ意味に従って言葉を極くすなおに社会的に使っているのに反して詩は同じ言葉を使いながらもその意味を重んずるよりも言葉の持っている別の要素を意味以上に珍重して使っている。言葉の意味よりも音の美しさを、言葉の色合いを、言葉の匂いを、言葉の光沢を、言葉の目方を。――とこう云い出したならば人々は言葉には意味の外にそんなさまざまなものがあるかと疑い怪しむかも知れない。しかし言葉には意味以外に色、におい、ひびき、光度、重量その他、などさまざまな神性をまた魔力を皆それぞれの一語一語が持ち合わしている。意味というのは言葉のそういう性格のうちの功利的なほんの一面にしか過ぎないものである。言葉をこの功利的な一面に即して使うのが我々の社会的な約束である。だから日常の会話や実用の文章などはこの約束に従って使い慣れている。言葉の芸術の場合も散文が言葉の意義を重んじているのに反して、韻文は寧ろ言葉の意義を二の次として言葉をどの面からでもその最も美的効果の多い方面から使っている。だから言葉の意味ばかりを辿って読んで行くと詩の場合には往々に理解出来ない事も生じて読者をまごつかせるわけである。それでも穏健な詩の場合はまだ意味と美的作用との両立を考え工夫しながら言葉を使っているが、時として言葉に意味がある事などは全く無視して言葉の他の性格のみを利用して意味以外のさまざまな関聨にのみよって成る詩さえも無いでは無い。

 で、僕が書いているのは、わりと佐藤先生のいう「言葉に意味がある事などは全く無視して言葉の他の性格のみを利用して意味以外のさまざまな関聨にのみよって成る詩」に近い。意味なんてもんは度外視していたし、今もその傾向がわりと強い。さっき貼った『娘』という詩は、かなり意味の方面に偏っているので、あんまり僕っぽくないなと書いたのでした。僕にしては意味がわかりやすいというか、意味の塊のような詩なので、とっつきやすいと思います。気に入ったらほかのも読んでみてください。年代ごとに読んでもいいし、検索ボックスに適当な文字を入れてみるのも楽しいですよ。(たとえば、「静」という漢字が含まれている詩だけを絞り込んで読むとか)

 つって、まあ、詩ってのはわかりにくいもんだし、何が優れているかとか、どういうもんがいい詩なのかっていうのは、難しいところだから、あんまりこう、「読んでください」とか言いづらいものなんだよね。僕はすばらしいなーと思うんだけど、たぶん普通の人は、というか地球上に生きるほとんどの人は、僕の詩をすばらしいと思ってはくれないんじゃないかと思ってしまうんですよ。それでも「いい」と言ってくれる人が、少数ながら(自分も含め)いるので、「あなたももしかしたらいいと思ってくれるかもしれない」なんて祈りを込めて、たまには言ってみるのです。たまには詩なんか、読んでみてはどうですかねって。

 自分の詩を読んでいると、本当に僕は言葉を愛しているんだなって思うのです。言葉に対して、本当にマジメだよなとか。一つ一つ、ちゃんと自分なりに考えて言葉を選んでいて、適当にやっていながらも、本当にテキトーなところが一箇所もないというか。計算しているわけではないけれど、常にきちんと直観をフル回転させながら詩をつくっている。散文を書くときなんかよりも、何倍も気を遣っている。あ、でも小説を書くときは同じくらいかな。漫画を描くときもそうだけど。要するにちゃんと真剣だってことです。
 で、読むだけじゃなくって、書いてみるのもいかがですかって思ってます。僕はここ数年で他人の詩に感銘を受けたのは工藤ってやつのだけなんだけど、彼女には本当に詩を書くことをやめてほしくないなと思うし、僕や彼女のような形でなくても、多くの人に詩を書いてほしいなと思う。詩を書くということは、言葉を愛するということそのものだと僕は思うので。言葉を愛することができる人は、素敵だし、言葉に対しての責任を常に忘れないだろうと思うから。
 言葉に対して、無責任でいたくはない、無自覚でいたくはない、っていう思いが、もしかしたら僕に詩を書かせているのかもしれない。言葉には魔法がかかっている。辞書に載っている意味よりも、もっと大きくて深いものが宿っている。そのことを忘れてしまったら、知らないうちにとんでもないふうに言葉を使ってしまっても、気がつかないことがあるかもしれない。それはできるだけ避けたいなと、思うのです。

2011/10/03 うつ病患者対応マニュアル

 華倫変という、十年近く前に若くして亡くなった漫画家のホームページ(今はもう「ウェブアーカイブ」でしか閲覧できない)を久々に見た。日記ページからリンクされている「全ての人へ」とか「自殺差別論者さんへ」と題されたページを読んで、いろいろと思うところがあった。
 こないだ死んだ西原という男は、たぶんいわゆる自殺ではないんだろうけれども、鬱病を長く患っていた。もともと喘息持ちだったところへ不摂生を重ね、酒と薬と栄養ドリンクと野菜ジュースばっか飲んでいた。で、ころっと死んだ。僕に言わせれば、十代終わりからの彼の人生は、ずっと緩やかに自殺していたようなものだ。
 華倫変先生は言う。「あのね、まずね自殺する人のほとんどは「うつ病」という病気にかかってるんだよ。」うつ病が「心のかぜ」として世間に認知され始めていたころだと思う。華倫変先生が亡くなったのは2003年の3月だ。奇しくも、僕と西原が出会ったのは2003年の4月だった。ほどなくして西原は精神科だか神経科だかに通院するようになる。
 正確な時期は忘れたが、僕が二十歳前後で、人生のうちで何番目かに精神を痛めていた時、「お前も専門家にかかれよ。楽になるぞ」といった類のことを言われた記憶がある。早稲田大学の構内だった。珍しく二人で大隈講堂のあたりを歩いていたような気がするが、本当はそうではなくて、たぶん彼が大隈講堂の方面にある学生相談室(カウンセリングのようなことをやってくれていたようだ)の話をその時にしてくれていたからだろうと思う。記憶っておかしくて、その時の状況と会話内容とがごっちゃになることもある。とにかく僕は、当時仲の良かった西原に「カウンセリングでも受けたらどうだ」と勧められて、「うーん、そうだな。正直言って辛いしな。気が向いたら行ってみるよ。ありがとう」という感じで答えたように思う。結局相談室にも病院にも行かなかったのだが、ぎりぎりのところにいたと言える。当時の日記を読むとどれだけ病的で異常な精神状態にあったかがわかるというものだが、たぶん一番やばいころの日記はここには置いていない。ちなみになぜ頭がおかしくなっていたかというと、当時大好きだった女の子と遠距離恋愛していて、まあとにかくいろいろあったからだという、非常にくだらない、されど若者にとっては最も巨大な問題のせいである。西原の苦悩の原因も、一つは常に創作に関することであったが、もう一つは常に異性や性に関することだった。
 華倫変先生はこうも言う。「でね、この病気そんな珍しい病気じゃないの。皆なる可能性のある病気なんだよ。でもね、この病気、九割がた半年もしないうちに治るの。」うつ病はかなり多くの人がかかる病気だ。だが、ほとんどはすぐに治る。すぐに治った人は、なかなか治らない人に対して、「弱い」とか「早く治せよ」みたいな、無責任なことを言いがちだ。思えば僕も西原に、そのようなことを言ってしまったのだろう。自分はひょっとしたら、うつ病にかかっていながらも、一瞬のうちに治ってしまったというだけの、同じ病に悩まされていた同志だったかもしれないのに。
「落ちこみやすい状態がある程度続く=うつ病」という定義をするなら、そういうことになる。僕は単に、西原と違って、うつ病がすでに治った、あるいは、うつ病が治りやすい体質である、というだけの話で、同じ病に冒されていたのだ。ところが、僕には「うつ病にかかった」という認識はない。
 一番やばかったころに病院に行ったらきっと「うつ病だ」と診断されただろうとは思う。が、もし通院していたら、治らなかったかもしれないとも思う。治ったとして、「自分はうつ病であった」という自覚が強ければ、再発(再び通院するという意味でしかないのかもしれないが)の芽もあっただろう。人間は病名に溺れてしまう生き物なのだ。だから僕は基本的には「できるだけ病院には行くべきでない」「自分と周囲でなんとかすべき」という考えを崩しはしない。
 僕がうつ病であったとして、しかしそれは専門家にかかるほどの重さではなかった。ゆえに、それは病気とは言えないようなものだ。あるウィルスが体内に侵入したが、身体が抵抗してすぐにそれを追い出した。だから病院にも行っていない。普通はそれを「感染した」とか「罹患した」とは言わない。そのくらいの程度で、僕はうつ病なるものに襲われた。武器を持った暴漢が襲ってきた。しかし上手な身のこなしで逃げ、軽い打撲や擦り傷程度で済んだ。もちろんその傷は今や跡形もない。そのくらいだ。
 しかしうつ病ウィルス(そんなもんはないはずだが)を追い出すための抵抗力が運悪く備わっていない人間は、西原のように、長期間にわたって苦しめられることになる。そして死に至る。
 華倫変先生は最後に言う。

そんで、この人達の伝記読めばわかるけど、ほとんど未遂にいたるのは、ちょっとした衝動で、でもほんのちょっとしたことで、思いとどまったり、生き残ったりしたのがわかるの。
だからね、自分のまわりやネットでそういう病気と闘ってる人みたら、変なこと言うのやめて
「治るよ」って
「今は苦しくても、絶対治る。」
と、それだけでいいから、言ってあげればいいの
本当それだけでもいいんだよ。
私は自殺という行為を否定も肯定もしないの。
本人はすごく苦しかったんだしね。
うつは病気のなかで一番苦しいと言われるぐらいだからね。
でも、そういうニュース聞くたびに、残念でならないの。
あと、ほんの少し、生きながらえたら病気も改善したかもしれないからね。
だから、残念だってしか言えない。
ここを、見てくれた方、どうか、どうか、そういうちゃんとした知識もって、いろんな事に対応してください。
そして、病気で苦しんでるかた、あとほんの少しで治るかもしれません。
治ったら人生意外と、バカに過ごせるもんだし、うつ病ほど苦しいことなんてもうこの先ほとんどないですよ。
だから、どうか耐えてください。
治ります。

 僕が西原に言うべきだったことは、「治せ」ではなくて、「治るよ」の一言だけだったのかもしれない。そんなことは「うつ病患者対応マニュアル」の一ページめにきっと書いてあることだったはずだが、僕は彼に対してそれが言えなかった。それは僕が彼と親しい友人であるという甘えとか馴れ合いの心がそうさせたのだろう。僕は彼をどうしても、最後まで、「うつ病患者」として接することができなかった。僕は勝手にも、彼をあくまでも、「ただの友達」として接したかったのかもしれない。そしてこの一種の身勝手さが、彼の逆鱗に触れて、結果交遊を断たれてしまったということなのか。
「そのうち治るだろ」という楽観的な態度でもって、ラーメン食って酒飲んで、マンガの話でもしてりゃ、よかったのかもしれない。
 が、それはしかし、やっぱり、当時の僕と彼との関係の中では不可能だっただろうな。
 僕はうつ病、投薬、自殺、そういったものを毛嫌いしていたし、今もしている。同族嫌悪のようなものだったとしても、間違いなく僕はそれらのものを憎んでいる。それはもう僕の信念みたいなもんだから、なかなか曲がらない。疎遠になった理由は、そこの軸が完全に二人ずれてしまったからだ。だから、仕方ないといえば仕方がない。
 といって、しかし、単純に、「あと少し生きながらえていれば」という思いだけは強く残っている。本当に、ただそれだけなのだがな。お互い大人になれば、また違ったつき合い方があっただろうに。

 それにしても。華倫変先生も言っていて、西原も強い語気で僕に言い放った、あの言葉。「正しい知識を持て」。これがいつまでも心に引っかかる。
 正しい知識ってなんなんだ?
 そんなもんはない。
 そんなもんはないのに、あるのだと思ってしまうくらい、頭を蝕まれてしまうのが、うつ病だということだと、僕は勝手に判断している。
 個々の状況に対応していくだけの体力がないから、「正しい」という言葉に頼る。「正しい」という言葉を使うことはよいことだと思うが、自分の中に存在しないものを「正しい」と位置づけ、それを他人に押しつけるのは、手抜きでしかない。手抜きしかできなくなってしまうから、うつ病は怖い。
 華倫変先生はうつ病のサイトへのリンクを貼ったし、西原は僕に「ググればいくらでも正しい知識が得られるこの時代に、お前は――」というような言い方をした。
 向き合う気がない、気力がないのだ。
 それがうつ病の本質であろうと気づくのに僕は数年かかったことになる。
 彼らは疲れているのだ。辛いから。
 だから理屈も、対峙も、本当の友情も、あまり意味を持たない。
 それはとても悲しいことだけれども、そういうことでしかない。
 今はそう認識している。

 だから、僕たち、今はたまたま心の平静を保っていられる人間は、ただ「治るよ」と、「大丈夫だよ」と言って、笑顔を浮かべるしかない。
 晩年、西原の周りにはもちろん、僕のように彼を説教する者はいなかったはずだ。後輩には妙な形で慕われていたようではあったが、一様に皆、彼には優しかった、だろう、と思う。

2011/10/02 グラビアアイドル

 同じ顔してるグラビアアイドルを見る。
 顔の似ている複数のグラビアアイドルというのではなく、
 いつも同じ表情しかしないグラビアアイドル。

 グラビアアイドルは表情が命だというのに
 いつも同じ表情しかしないグラビアアイドルがいる。

 いい顔といい身体に育って
 いい表情を育んで来られなかったのだろうか。
 いい仕事に従事することができなかったのだろうか。
 たぶん「いい子」と呼ばれてるんだろう。

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