じれったいお前の愛が 2004年10月前半

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2004.10.15(金) 劣化ウランちゃん(C)糸級

 金曜七限「生徒指導・進路指導論」の講義がとてもためになる。

 【A】
 先週配布された資料によると、
 「ベテラン教師が自信を失いかけている。」とある。

 つまり、典型的な熱血教師で、「問題を抱えた生徒を自宅に預か」ったりしていた、かつては「金八先生みたい」と言われていたような教員が、「生徒に話しかけても、反応が感じられない。内容が説教めくと、雰囲気がしらける。生徒のことがわからない。」という状態に陥っているというのだ。女子生徒の集団が校長室に駆け込み、その教員を辞めさせるよう訴えたこともあるという。
 そこで、その教諭が定年を間近に控え、「これで最後だ」という気持ちで何をしたかというと。
 「深く立ち入られるのを嫌う生徒には、うるさく悩みを聞くことをやめた。他の教師との関係が良好な生徒なら、思い切って任せてみた。班ノートに綴られた様々な悩みには、あえて自分の考えを示さずに、…」
 すると、どうだ。大成功。生徒達は次第に本音を見せるようになり、「先生のクラスで良かった」などと班ノートには綴られる。
 その教諭が言うには、「自分の理想の学級像を押しつけるような指導は、もう通じない」だそうである。

 時代が時代だ。「真面目で熱血」だけではもうやっていけない。理想的な思想を押しつけるイデオローグ的な教員は爪弾きにされて当然、という状況。熱血を以て生徒の深いところへ介入しようとすれば「ウザい」と言われるのは必至。
 そしてそれはどうも、教師-生徒間だけではなく、親-子どもの関係にも同じことが言えそうなのである。


 【B】
 今週配布された、女子高生の援助交際に関しての資料。

 “サワコ”と“ユミ”の会話から。
 サワコ「うちのお父さんとか、一年に何回くらいHしてるんだろうとか思って(笑)。そんぐらいしてないよ、きっと。私は浮気してほしいと思ってんの。それで、お母さんも浮気してほしいと思ってんの。それで楽しいんだったらいいじゃん、て。だって、今の両親とか見てると、楽しそうじゃないんだもん。」
 (中略)
 サワコ「親がかわいそう。私のことに手を焼いて、私のために泣いたりしてるから。もっと私のことはほっといて、自分たちは自分たちで楽しんでほしい」
 ユミ「『駅についたら電話しなさい。お母さんが何時になっても迎えに行くから』って。それがウザいんだよな。」
 サワコ「寝ててほしいよね。」
 ユミ「そう、イライラするよ、ホントに。待っててくれるのはありがたいんだけどって感じ。」


 ここにはもはや、教師-生徒間どころか、親-子どもの間にも“連帯”もしくは“共同”という意識はない。少なくとも生徒=子どもの側には。この意識が片側だけに存在してしまった時には関係にズレが生じ、なんらかの問題を呼ぶのかも知れない。
 教師だろうが親だろうが所詮は他人。違う「個」であるからにはそれぞれがそれぞれの生活を楽しむ権利があり、何も他人に束縛されるようなことはない。“サワコ”と“ユミ”はそれを理想としている。自分は自分。親は親。それぞれがそれぞれに楽しめばいい。どうせ無関係な違う「個」=“赤の他人”なんだから。いま、全ての個人が文字通り「個」として切り離されようとしており、それが望まれているようですらある。


 【C】
 なぜ【A】と【B】をここで紹介したのか。
 【A】では教師と生徒との“連帯”が崩壊していることが示され、
 【B】では親と子どもとの“共同”が崩壊していることが示された。
 教師と生徒、親と子どもとの関係は現代においてはいかなる文脈においても“結合”を意味することはない。
 無機的であり、それぞれが独立した単細胞生物であり好き勝手に動き回っている。
 人間関係が有機的であった時代は終わりを告げようとしているのだ。
 今やそれは、恋人同士の間にも波及しつつある。



 )例
 僕は非常に真面目な人間である。そして熱い。
 もしも教員になったら、典型的な「真面目で熱血」なイデオローグ的教員になるかもしれない。
 心当たりは、ある。僕とあのことの関係性の中に、いま僕はそれを見てる。

 おそらく僕は古い型にはまった人間で、「個」ではなく“連帯”を信奉する者の一人なのだろう。
 しかし、あのこは違う。彼女は「個」しか見ていない。人間自体をまるきり信用していないかのようにすら見え、“連帯”などというもの、おそらくは信じてはいまい。人と人とが引かれあい、触れ合うことによって、結びつき、あたかも一つの有機体であるかのように働く(そしてそこに至福はある)、なんてことはちゃんちゃら可笑しくて臍で茶を沸かすようなアイデアなのかもしれない。彼女にとっては。
 つまり僕と彼女とでは基本的な立ち位置が全く異なっている。S極とN極のようなものだと思いたいが。
 (いや、彼女の理想もおそらくは僕と同じところにあるはずなのだが、彼女は僕のように強くも器用でもないから、その理想を達成することの困難さに目を覆い、驚くほど強烈な諦観念によって自ずからその理想を封印し、無理にでも“現実”なるものを見つめようとしているのだろう。)

 心当たりというのは、【A】と【B】の資料を組み合わせて考えたところに見えた。僕はこの資料の中でいうと、完全に「金八先生のようなベテラン教師」や「子どもに干渉したがる心配性の親」の側にいる。あのこは、「教員による無遠慮な介入をきらう生徒」であり、「援助交際を個人の自由であると考える女子高生」の側だ。僕と彼女との関係は、【A】と【B】に見られるようなおとなと子どもの関係そのものなのである。

 彼女は僕に対して“冷淡”だ。それはたぶん好きとか嫌いとかの次元とは別の話で。彼女の認識では、僕も彼女も一つの独立した「個」であり、互いに交わることのないまま交渉(取引)を続けていくビジネスライクな関係だろう。にも関わらず僕は彼女と交わることを願い、“連帯”し“共同”し“結合”できるということを信じている。ひとつになれると信じて。そして僕はそれを実現するためにあらゆる手段を講じるが、どの過程においても彼女からの協力や助力は得られない。当たり前だ、彼女はそんなことは信じていないし、そもそも興味も関心もない(意識的にせよ無意識的にせよ、少なくともそう装っている)。だけどそうとわかっていながら、“ひとつになる”という理想に対して興味も関心も持たれないことに苛立つ。このことに関しては価値観がズレているのだから仕方ないというのに。彼女は、人間とは他と交わることのない「個」であると考えているのだから。それは教師にも親にも心を開くことがない思春期の少年少女に対して、おとなが憤りを覚えることに似ている。そういう少年少女は、たいていの場合同世代の友人や恋人などに“連帯”の意識を求めようとするものだが、では、あのこはどうなのだろう?“連帯”の意識を手に入れて安息したいとは思わないのだろうか。たぶん、思ってはいるんだろうが、たとえ望んでも、その結果については悲観的だろう。無理だと思っている。所詮他人は他人なのだから交わることなどあるはずはないと。それは彼女の性格や過去の経験がそうさせるのだろうし、最もそれを求めたいと思うであろう相手(そうじゃなかったら僕は首をくくる)が、物理的にも精神的にも遠いところにいるということもあると思われる。

 だから、僕とはできるだけ距離を保とうとするのかもしれない。近づきたいが、しかしそれは不可能で、徒労だという、この二律背反のジレンマの中で彼女はどうしたらいいかわからず揺れ動いている。近づいては離れ、離れてはまた近づく。おそらく彼女は、そのことで疲弊する。

 もちろん、彼女はこの価値観のズレと、お互いの目に見えない疲弊に気がついている。それは【B】に見られるような親と子の関係に似ている。娘は親に言う。「私のことなんて気にしないでほっといて、適当に浮気でもして、自分の人生は自分の自由なんだから、楽しんだらいいじゃん?」これとまったく同じせりふを、あのこは僕に吐く。僕は傷つく。しかし、傷つくのはお門違いというものなのかもしれない。彼女の価値観の中ではごく真っ当なアドバイスなのかもしれないから。
 しかし彼女にも独占欲がないわけではないから、ここにもジレンマはある。相手が自分のことを気にして自由に振る舞えず、心を痛めることすらある、という状況は回避したく、そのためには浮気も許容する。が、しかし束縛しておきたいという気持ちはある。このような二律背反のダンスを踊り続けて疲労の埃を肩に積もらせた彼女が到達する場所はひとつ。“無”という場所しかない。

 葛藤するのも面倒臭い。辛い。故に、思考停止。

 “無”。それは、対象(たとえば僕)に対する無関心であったり、死であったりする。あるいはもっと屈折した形で現れる。それはリストカットであったり、オーバードーズであったり、ゴスロリやコスプレへの志向であったり、ヴィジュアル系ロックバンドの曲を聴きまくることであったりする(いや、別にうちの子がそういう子ってわけじゃないよ。V系は否定せんけど)。無秩序な有の中に無を見出そうとする傾向もあるかもしれない。とにかく自分の精神の煩雑さを、さらに煩雑な日々の忙しさの中に埋没させて、安定を得ようとする傾向だ。しかしどれをとっても、根本的な解決にはならない。何も恒久的に彼女の心を癒すものはない。
 僕がそのようなものになれるかどうかはわからない。結局、離れている以上は不可能なのかも知れないとすら思えてくる。逃げているようでもあるが、実感としてそれは間違いなく、ある。あー。東京なんて来るんじゃなかったー!


 戦場のボーイズ・ライフ気分。
 つうわけでまた名古屋に帰りますよ。突破口探し。

2004.10.14(木) エクリチュール⇔パロールパロールパロール♪ in サイゼリヤ

 吐瀉日記(C)糸級



 自らを虐める事以外に為すべき事が無い。
 食わず、寝ず、働き通し、最愛ガールからの苛めにも耐え。

 どんだけどでかい“才能”の容れモノを用意しても
 待ってるだけじゃあ、中身は埋まらん。

 気付け。
 お前の持ってるのは結局、空っぽのハコだ。



 別に金が無いから食わん訳ではない。金はある。
 我慢することの他にする事が無いのだよ。ただ。

 何もかもが上手くいかない
 なんだか空回りばかりで
 君以外には大事なものも
 全然見つかりゃしないや





 「寝る間も惜しんで」何かをするより、
 「手淫する間も惜しんで」何かができるやつのほうが尊敬に値する。


 みんな、あまりに日々がつらいから。苛めが酷だから。精神的に僕もあの子も誰もかも死にかけているんで。
 それ以上の苦しみ、とくに、肉体的な苦しみを与えてあげないと、気も散らせない。
 苦しいものだ。
 マイナスになるのがつらいから、プラスも無かったことにする。そんな無意味なことを繰り返しているあなたと、同じことを僕は。

2004.10.13(水) イッセーの背っ

 早稲田大学に入学して良かった。

 嬉し恥ずかしoh my heart
 早稲田大学に入学して嬉しい僕の
 股間の一部がhot hot


 この日記は受験生の方もいくらか見ているだろうと思いますが
 早稲田大学はいいですよ。
 早稲田大学に入るとこんな特典がありますよ。




 ・浅羽通明先生の授業が受けられる

 ・星野智幸先生と談話ができる

 ・松本零士先生の講演が聴ける

 ・小林よしのり先生と酒が飲める




 サインまでもらった。(しかも小沢健二が解説書いてる東大一直線文庫版の9巻)
 しぎゃぴー。


 つうわけでもう、やめた。そんなもんは、ねぇ…僕の欲張りの一環だ。
 持ってるから捨てない。捨てない理由が、持ってるからってことだけ。そんな感じだ。
 そんな感じで無駄な玩具が増えてったりもする。した。
 持ってるから捨てない。勿体ないから捨てない。僕の欲張り、そのものだ!


2004.10.12(火) Dead or

 みらいにきぼうはない。
 なくなった。




 とてもひさびさにきょくろんのし。
 しちゅううしなってぶったおれるのず。

 おおむかしのあるくにのせかいかんではちきゅうはぞうがささえてたんだって。
 いまのぼくのせかいかんではちきゅうはあのこがささえているのさ。


 未来に希望は無い人生に希望は無い地球に希望は無い無く無った。
 とても久々に極論の死。死という極論。
 極論という死。


 いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ
 それだけがただ僕らを悩める時にも未来の世界へ連れてく

 そんな日々を過ごし続けたいですわね。
 生きる希望は恋愛のみみたいなふうにもとれますわね。
 まあ、実際そうなんだが。
 ほらーみんな犬とかライフとか球体とかエクレクティックとか刹那とか
 聴き込んでいこうよ!聴けるから!



 今Janne Da ArcのARCADIAが流れているんですよ。おへやで。
 このどうもルックスがパッとしない“元”ヴィジュアル系ロックバンドの曲を聴くと僕は
 自分がどうしてこんなことをしているのかわからなくなるんです。
 なんで僕はJanne Da Arcを聴いているんだろうかと。
 あの娘が好きだから。あの娘も好きだったから?友達も聴いてたから?友達の彼女が好きだから?
 みんなが好きだからか!
 要するに友達に合わせて無理してファッションに凝ろうとする男子中学生の如し。

 シュミのハバとかを広げよう。だってみんなもやってるし。

 どうも、こう。自分が自分でないような。
 僕はやっぱり黒夢とかcali≠gariとかBUCK-TICKとか聴いてるのが性に合うんだよなあ。
 狂気があってイイんよ。奴等、ねぇ…
 もうだって、ダサいもんなぁ?



 あと町田町蔵とかね。特にINUの曲は狂気がダンチ。
 筋肉少女帯もイイがあれは狂気が完璧すぎてちょっと。
 完璧な混沌ってもはや混沌の長所を失ってるんよね。

 ポリシックス的な狂気もイイでしょう。
 ガンズみたいな狙いすぎた狂気は好きじゃない。
 アレはもう狂気ではない。


 けどまあ狂気がありすぎても困るっていうのはあるなあ。
 黒夢cali≠gariBUCK-TICKくらいが丁度良い。
 もうメリーとかメトロノームとかムック中途半端だから。(嫌いじゃないんだけどな…こいつら)
 愛国行進曲だってなんだって
 どうせ鳥肌実には勝てないんだから狂気追究したって
 無駄。
 (エロさでは吉井和哉にかなわんし←思いこみか?)


 しかし僕は世の中で最も狂気に満ちあふれたアルバムは
 タモリの『ラジカル・ヒステリー・ツアー』だと信じている。
 この名盤がCDで復刻されることを祈って。



 『RADICAL HYSTERY TOUR』

 北から南へ旅する旅人 ラディカル・ヒステリー・ツアー
 右から左へ旅する旅人 ラディカル・ヒステリー・ツアー
 行くぞ 犬小屋踏みつけ ベロ出し 敷石砕き
 出刃振り回して正気を捨てて
 やるぞ 下駄の歯くわえて いななき はぎれをはだけ
 直腸引きずり 狂気に走る


 チョーチン ヒョーキン キョーキ チョーチン ヒョーキン

 北から南へ旅する旅人 ラディカル・ヒステリー・ツアー
 右から左へ旅する旅人 ラディカル・ヒステリー・ツアー


 (~犬の吠えているような叫び~)←ここがちょう狂気です。

 北から南へ旅する旅人 ラディカル・ヒステリー・ツアー
 右から左へ旅する旅人 ラディカル・ヒステリー・ツアー


 走れ 反対車線を ヒヒヒヒ メーター吹っ切り
 高速道路で正気を忘れ
 進め 火炎放射器 ニヒヒヒ 火柱立てて
 一億火の玉 狂気の火だるま


 チョーチン ヒョーキン キョーキ チョーチン ヒョーキン

 北から南へ旅する旅人 ラディカル・ヒステリー・ツアー
 右から左へ旅する旅人 ラディカル・ヒステリー・ツアー


 (~なんかハナモゲリカルな叫び~)←宇宙1の狂気がここで発揮されます。


 けどまあそういうモヤモヤ感とかタナトス的なものというのは
 ちょっとした音楽で払拭。ほんと。最高級サウンド。ヴォーダフォンビバ。

 その前にハッピーターンさんにお悩み相談したのが良かったのかも知れないです。
 あの粉があの粉がっ。(唐澤なをき風)


 ぼく、「説得」が、成功した試しない。



 熱弁をふるうこと。
 たくさん喋って良い結果なんて、得られたことない。
 黙ってたほうがいいのかなってくらい。
 けど口をついて出る。言葉は。
 フリッパーズ的。初期コーネリアス的。



 僕が好きなのはカリカリでいてそれでいてモチモチとした美味しい表面ではなくて
 ドロドロで混沌の濃い濃い中身なんだよ。


 笑顔ばかり求めている僕は馬鹿だ。
 ドロドロで混沌の濃い濃い中身を見抜かれたくない一心で。


 笑え笑えって言ったって意味ないのに言う。
 逆効果なのに言う。
 やっと気づいた。我はバカ。

 ドロドロで混沌の濃い濃い中身にこそ珍味は隠されている。
 で僕はそういうとこがたぶん気に入るんじゃないかという憶測
 でこれかなりの可能性な憶測。


 ドロドロで混沌の濃い濃い中身。秩序のないもの。
 それは絶対面白いし、美味い。から、一生楽しめる。
 だから覗き込みたいし、そこを喰いたい。
 カリカリでいてそれでいてモチモチとした美味しい表面、所詮は薄っぺらいもんさ。二秒で喰える。
 秩序は三日で飽き、
 混沌は三日で慣れる。



 無理に系統立てられた自分を演出しようとする、
 というか、
 そういう演出が普通になっちゃってるから、よくないんだと思うね。
 自分をさらけ出すつまり、
 ドロドロで混沌の濃い濃い中身を誰かに見えるような角度で晒すっていうのは、
 難しいっていうよりは、わかんないよね。意味がよく。
 誰にとっても。


 けど例えばWeb日記なんかにはその一端を記述するワケじゃない
 誰に対してもけして使わないような種類の文体で書くんでしょう
 それが、ドロドロで混沌の濃い濃い中身の、
 “たまたまそのとき表面に浮き上がってきている部分”
 なんでしょ。
 それを舐めたいペロリ。したいって言ってるんだけどね。
 陳列ケースに入れたまま?僕はアレ。
 トランペットを欲しがる少年。




 泥レスって知らんか?
 あれ。
2004.10.11(月) 「君は、一気飲みすることができるか。」

 ガキ共と触れ合う仕事がしたい。
 と、NHK教育の忍たま乱太郎&やさいレンジャーショーを見て思った。
 ガキって、なんであんなに可愛らしいのでしょうかね。もう、ホント。
 持論として、


 子どもは可愛い。そりゃあもう無条件にかわいい。
 かわいい大学生よりもかわいい高校生のほうが多いし、かわいい高校生よりもかわいい中学生のほうがよく見られる。そしてかわいい中学生よりもかわいい小学生のほうが圧倒的に巷には溢れているのだ。


 理由は簡単、「かわいい小学生」のうち9割が「かわいくない中学生」になり、そのうちの9割が「不細工な高校生」になり、その中の更に9割が「身の毛もよだつ大学生」になるからである。
 (2002.6.22の日記より)



 なんとまあ理知的な説明であることか。
 精緻さと整合性にみちみちた隙のない論理。
 つうわけで、まあ、ガキ共の相手をして金をもらえたらどれだけ幸せだろうかと思いながら僕は
 明日某飲食店のバイト面接に行ってくる。

 まさか自分が接客業をやろうとするなんて思いも寄りませんで。が、
 頭脳労働と肉体労働はやったんであとは接客かなと。事務は好かん。
 ザクのほうがいい。


 あ今ファースト見てるンですよ。中学ん時に再放送を全話録画したやつがあって。
 もうすぐ金八も始まるし、忙しくなるなあ。って、え!



 こうして少しずつ、人並みな人になっていこうとするのは、
 何かへの準備期間であって、
 「普通だった日は充電していただけ。」

 なんて、か?
 1年半くらい前も、似たようなことを言っていたような…。実感として…。



 完全は不完全があって初めて意味があり
 偽物があってこそ、本物が引き立つのだ。ならば。



 よくこんな質問をミスオアミスター思春期さんから投げかけられたもんだよ?
 今でもある。
 「フツーってなに?」
 ちゃんと答えることは、できなかったねぇ…そして、できない。そっから掴まないと、なぁ…
 そりゃね、自分勝手な解釈をもって、抽象的に観念的に言葉を並べることはできた。けど、
 具体的に“フツオくん”という人間像を描けてそれを説明できたわけではない。
 そして、できない。
 まさかイモ欽トリオの話は今してないわけだからさ。今ってか、当時とか、これからもか…。
 いつだってイモ欽トリオの話はしてないと思う。

 “100%肩代わり♪”



 異常や特殊を知るためには普通や普遍を知らないといけない。
 普通や普遍を知るためには異常や特殊を知らないといけない。
 するとノロイごっこ?
 なんか矛盾?
 じゃ、違うほうほうがあるのかな…。
 なんにせよ、僕は、たとえドラえもんが逆立ちしていても、後ろ向いていても、カガミに映った姿でも、
 きっとそれがドラえもんであると気づける。
 だからなんか、キッカケだな…そのぐるぐるの流れに、一度乗っかっちゃえば、あとは…
 そうだ!誰の説だったか……
 時間はラセン状に流れているというのがあった。
 だからどうにかしてとなりのラセンに乗り移ればそれがタイムトラベルだというんだ。



 神経衰弱なんていうのも楽しいなァ。

2004.10.10(日) ロミオとウォシュレット

 軋轢のエモーション。そんな状態だ。
 いつまで続くのか。
 雨が降る。
 水が漏れる。
 バケツを用意する。
 バケツがいっぱいになる。
 外に捨てる。
 またバケツを用意する。

 晴れる。

 一安心したところへ、
 その繰り返し。



 バケツを取り換える瞬間にともすれば水が畳にしみる。
 酷く神経を使う。


 バイト自慢。9:00-13:40の仕事で6500+高級そうな傘+アコースティック。ギター+工具箱と工具一式+懐古演


 *懐古演とは?*
 AM&FMラジオ+カセット×2+CD+アナログプレーヤーのセットでありますよ。
 タダでありますよ。
 うれしいなあ。これで暫く聴けなかったアナログ盤も聴きまくりダー。



 んまー要するに、ぼろアパート(まじボロい。家の中までツタが入り込んでるくらい)に住んでたおばあちゃんが亡くなったんで、その“後かたづけ”を息子さんから頼まれた形のお仕事。
 一緒に働いた(はげた)おっさんが曰く。




 「こういう仕事やってるとねえ、人間って何も遺さないんだなあって思いますよ」




 トラックに箪笥とかを積んでると、どうやら収まりきらないらしく、
 木製のモノは全て解体してしまうことに。

 「全部壊しちゃってください。仏壇以外」
 と雇い主の兄ちゃんは言う。続けて、
 「いやあ、ホントに、仏壇を足で蹴って動かそうとしたら、壊しちゃって、その翌日くらいに死んだっていう話も聞きますからね。丁重に」
 僕はおどろきすくみあがってしまった。
 ま、
 …まさに現代のフェラチオ!

 じゃない、現代のファラオ。



 呪いは怖いです。ノロイはイタチです。
 いつまで続くか我らの鼬ごっこ。



 (はげた)おっさんが曰く。
 「仏壇を壊しちゃったのが問題じゃないんですよね、仏壇を足で無碍に扱ったのがいけないんですよね。心構えの問題ですよ。」
 僕。
 「そうですよね、もし壊しちゃったとしても、心構え次第でしょうね。善意でのことなら仏様もゆるしてくれますよね」
 解体開始。
 ばきばき。ばきばき。

 30分後。
 ばきばき。
 僕。
 「(はげた)お、おじさん!そ、それ…ぶぶぶ仏壇ですよ?」
 ばきばき。
 「あー。はい。まあそうですけどねえ、まあ、大丈夫ですよ。黙っとけば


 誰に


 仏様は見てるんですよ(はげた)おっさん!
 ばきばきばき。
 しかもさっき言ってたこと踏まえると…
 「心構え」=「黙っとく」ってことですかッ!
 ばき。










 勉強になりました。刀牙刀牙。

2004.10.9(土) ウォシュレット(デンマーク王子)

 うー残業すると時給が1250円に跳ね上がる我らが某派遣会社。
 =残業しないと割に合わない。
 7000+1875(残業90分)-620(交通費)-200(インチキ費)=ぎりぎり8000円か…。



 今日の仕事は事務所移転。

 まず養生シート等を作業場に張り巡らせる。
 そのあと僕は、ひたすらエレベーター係。


 積み込む。

 下りる。

 降ろす。

 積み込む。

 上がる。

 降ろす。

 積み込む。

 下りる。

 降ろす。

 積み込む。

 上がる。

 降ろす。

 積み込む。

 下がる。

 降ろす。

 積み込む。


 …こんな単調な作業の中で、僕は初めての体験をした。

 たぶんこんなこと、普通の人はあんまり体験しない、いやできないでしょう!

 少なくとも僕は初体験でした!!





 エレベーター酔いなんて。



 あとから聞いたらこりゃあ職業病みたいなもんなんですってよ。誰でも酔うんですってよ。
 うえぇ。吐きそうだ。吐きそうだ。その後も、ひたすら、運ぶ。積む。降ろす。運ぶ。積む。降ろす。
 やがて梱包へ…。



 して、台風襲来。


 びしょ濡れになりながらも、トラックまで走って運ぶ、トラックまで走って積む、トラックまで走って降ろす。
 の繰り返し。

 まあ、楽しいからいいんですよ。体力つきそうやし。
 何より、兄貴が鳶職なんでね…。血筋ですわよ…?



 ああ明日は3時間で4000円つうぼろ儲け。
 しかも自転車で15分だ!ビバ荻窪!
 そして偶然明日は荻窪に住んでる友人がデートらしいんで邪魔しに行こうかしらんよ。




 ああ疲れたナリよ。今日は朝から夜までバイトじゃろ?明日は午前中と夜はバイトじゃろ?明後日は日勤+夜勤入れちゃったろ?
 ウッソーだ?

2004.10.8(金) ゲ、ゲ、ゲキガンガー♪

 虻 $ ダム らる 尾 無二 酢 飲む ニス ベル S 堀 幕

 丸24時間無視、ってのは…酷い仕打ち。
 毎晩のソレは、単なるルーチンワークでは無いのだよ?


 リセットミーしなかんよ。
 ~シュミのハバとかを広げよう編~

 「ボクが変わるとみんなも変わるから立ち止まらないよ一歩進もう」
 そうだ!
 そうなのだ自分が正直に誠実に率直に喋り出せばみんなもそうなる。

 「ボクが笑うとみんなも笑うから振り向いてここに帰ってこよう」
 そうだ!
 そうなのだ自分が笑顔ならみんなもつられて笑顔になるのだ。

 簡単なことだろ!

 止まってると錆びつく!それに
 ごめんよ、僕にはまだ、帰れる場所があるんだ。
 友達はいつでもいいもんだ。


 いやーん、だってさぁ。昔のこととか、


 過ぎ去ったことが寂しいのは当たり前のことで、
 思い出したくないこととか、忘れたいことばかりだってのも、そりゃわかる。
 後悔だってある。

 袋小路じゃん?
 どうしたらいいんだろう。
 いや僕自身は別にそんな悩みを抱えているわけではないのだが
 気にする人ってのはいるのよね。

 そういう人に「未来へ目を向けなさい」なんて言ったって仕方のないことだろうし
 マイッタなぁ。

 言葉は無力だ、いや、言葉のセイにするのは汚い。僕は無力だ。高校生みたいだ。

 けどいつまで高校生気分なんだよ、あんたもさぁ。
 僕のことじゃなくて
 あんたのことだぜょ。

2004.10.7(木) オホーツクかい

 ショパン弾きながら登校。両手離して自転車だから危ない。さながら大道芸人。










 訴えたいことが、ないんです。
 人生に満足し始めたら人間、終わりで。
 けど「それでいいや」って思えちゃうんだってさ。
 そんなもんかねえ。

 いや…、そうみたいなんだよね。



 意味のない文章を書くことに必然性がなくなってきた。
 つまり、本当の意味で何の意味もない文章に近づいているということ。
 oh yeah 危険
 だ。



 何のために生きてるんだろう。金のためだ。今。
 何のために金がいるんだろう。そりゃあ色々、使い道はある。


 まとめると、どういうことなんだ?何のために生きてるんだ?

 そう!
 「なんのために生きているか」ということには、たった一回の跳躍ではたどり着けないんだな。
 何のために生きてるんだろう。金のためだ。
 何のために金がいるんだろう。何のためだ。
 何のために何がいるんだろう。何のためだ…    ?




 ずっこけたね。ホップの段階で。いつまでたっても、ジャンプできやしない。
 少年サンデーをもじって少年ヨンデーってのは秀逸だね。
 天才だよ。




 何で死んだの。




 何のために生きてるんだろう。
 生きることに理由があるという前提からのスタート。
 すべてのことに意味があるという。
 そうなれば、因果の糸を辿って、そもそもの、“第一存在”というべきものを仮に規定できる。

 これを神と呼びます。

 なんて、僕は教わったよ。
 新興宗教の洗脳合宿で。



 僕の思考は一直線。
 よって完結はしないし、誰かに何かを訴える目的を持つものではない。
 けど花粉は飛ばす。

 捉え方次第で大抵のことは変わる。
 花粉症か、そうでないかで、花粉は変わる。

 つまり月は何の意志もなくグルグルと回るが
 赤の他人な僕らがいろいろと、付け加えて、ますな。

2004.10.6(水) せつこ!何舐めてるんや!これ…ペニスやろ!おはじきちゃうやんか!

 ネイビー、グレイ、ブラック、どれに
 するか悩んだスーツだけれども
 私のミリョクが沈みがち
 志望動機に社員数に今朝の新聞の経済欄も巷の話題もスクラップ
 大きなココロザシはないの
 普通に生きていきたいだけ
 内定一番あの娘には
 社長のパパがいる
 いいことばかりじゃなくたって私はうらんだりしないわ 神様!
 だけど世の中不公平
 電車の中吊り
 海外留学
 あぁ…いいかもしれない
 本当の氷河期やってこい
 電器会社の求人が増える!!
 私の頭はのぼせがち・・
 「夏バテですか?」
 優しそうに面接官は聞いてくれるけど落とす理由はひとつでいい
 姉の人生楽ばかり
 五年違いは大違い
 愛はバブルじゃなかったと
 寿退社した
 いいことばかりじゃなくたって私はうらんだりしないわ 神様!
 だけど世の中不公平
 まだまだ残酷な日々は続くよ
 あぁ・・歌いにいきたい!!
 いいことひとつもないじゃない
 こんな日本にだれがした?
 だけど
 私の名前は勝利の子
 恥じないように戦ってやる
 あぁ…私かっこいい


 あ、今テレビにざんぬが出ていた。
 ファーストガンダムの再放送を見ていたらチラリと。
 けど悔しいから、教えない。



 君は、生き延びることができるか。
 あー仕事どうしよう。

2004.10.5(火) なんで精子すぐ死んでしまうん?byせつこ

 殺せ!




 殺せよ!

2004.10.4(月) 100%肩代わり♪

 肉体労働してきました。ええ、派遣です。割に合わんですな。割と面白かったけど。
 んなわけでSOPHIAの『HARDWORKER』を垂れ流し。岡村靖幸プロデュースらしいよ!きゃー。


 6:30に出勤、7:00に「お前は今から川崎に行け、集合は8時だ!」「アホか!この雨ン中練馬から川崎まで1時間でいけというのか貴様は!」「いいから行け!」というやりとり。高田馬場まで自転車漕いで電車に飛び乗る。でも交通費は自宅から電車ってことで頂く。そもそもが割に合わんのだからそのくらい。8:00川崎駅東口交番前集合…って、この交番はッ!!!懐かしィ!!!(2001.3.28の日記で、「東京レポは後にして」と書いたっきり、口を閉ざしている僕ですが、実はそのとき、この東口交番に“お世話に”なったのですよ。当時社会問題になっていた渦中の神奈川県警に!んで、川崎警察署で一晩明かしたっていう話。詳しくは後日…って、書く気あるん?)
 仕事は、解体。とにかく解体。日がな一日解体でした。あたりいちめんがボルトの海。重たいモノを運んだり積み上げたり積み込んだり。非常に疲れました。
 んで帰ったのは20時くらい。アアンもう。

2004.10.3(日) あいつらの有事法制論は凍りついて、さぁ流れ変えてやれ。

 ネーミングセンスについて。田中父三。田中魔王。大麻ラリ太。得糞シス子…。ネーミングセンス。ホーミング洗剤。『スピード』『ツイスター』のトイレニ・セ・ボン監督が贈る最新作。きっと問題作。

2004.10.2(土) 精子画像

 もう書くまい、と思っていたことを、二日目にして断念しそうです。
 だって、なぜならば、それはスベテであって。
 かっこわりぃと思っていながらも、それはそうでしかないという現状。
 嘘は吐けないからァ。



 でも、まあ、我慢。しかし、本当のことはだんだんと減っていくんだなあ…。こうして。
 とりあえず、本とCDと電話代ばかりが増えていく日々~♪(ジュビリージュビリーおおジュビリー)です。
 そんなわけでバイトせねばならんわけですよ。かてきょーばっかりでは足らん。それでもまあ、結構稼げてるんだが…

 まとまった金が50万は欲しいわけで。
 自転車に15万、タイとかインドとかに20~30万とか。とてもアニメのDVD買ってる余裕はないなあ…。
 テレビも買わねばならんし、LDプレーヤーも壊れてるし。
 そして、ほんと、「ありがとう金返せ」と言う切実さがよくわかる。

 「お前に使う時間と金が勿体無い」
 名言!この言葉の魔術師が!
 ほんと、知的所有権というモノを完全に無視しておりますよ。受け売りです。

 週に3万稼ぐとすると、月に12万。
 たった12万!

 週に100万稼ぐとすると、月に400万!
 おお、400万!すばらしい!

 やる気でました。がんばります。

 ↑僕にも海外行きたがってた時期があったのだなあ。たかゆき君の影響なんだけど。懐かしいものです。2010/10/01

 衛藤ヒロユキの『がじぇっと』が、あんまり面白いものだから、BGMを中村一義からカジヒデキに変更。そん次はピチカート・ファイヴだー。小沢健二でも良いんだが、なんかちょっと違うんだなあ。

 『魔法陣グルグル』が何でダメだったかって、完全ギャグ路線でスタートしてしまったからなのだ。二葉亭四迷の『浮雲』のようなものだ。前半と後半が全く噛み合わないまんま中途半端な終わり方をしてしまった。途中から、1つの作品の中でギャグとメルヘンが水と油のように分離して、非常にアンバランスだった。むしろ後半では、(アンバランスになりすぎないように)前半とのバランスをとろうとして無理にギャグ(おやじ)を差し挟んでいたかのようだ。
 ギャグで始まったマンガがいつの間にかシリアスなストーリーを展開させてしまって、全体の世界観が崩壊してしまうというのは割とよくある話だ。特に少年誌だと。特にジャンプなんかだと。キン肉マンだってそうである。世紀末リーダー伝たけしとかもたぶんそうだろう(読んだことないけど)。
 とっても!ラッキーマンだって似たようなものだった。ドラゴンクエストダイの大冒険だって似たようなものだ。完全ギャグからスタートしたとは言わないし完全シリアスに終わったとは言わないが、それは漫画家が努力してバランスを保とうとしたからであって、一貫して同じ空気を貫き通せた作品は、そうはない。ジャンプ編集部は、ぜひ沢田ユキオの『スーパーマリオくん』などを見習って欲しいものだ。希有な例である。コロコロを開いて『スーパーマリオくん』が未だに連載され続けているのを確認するとホッとする。さらに、その作風が連載当初からほとんど変化していないことに感動を覚える。故・方倉陽二大先生などもあの芸風を死ぬまで通した尊敬すべき漫画家である。コロコロ黄金時代(具体的にいつ頃かはしらんが)に活躍した作家先生方はみんな(芸風が激しく変わらないという点で)すごい。河合じゅんじとかも、いつまでやるんだ?○○くんシリーズ。

 どうもストーリーが絡むとダメらしいナア…。

 ギャグ漫画は、ストーリーが破綻するという理由とはまったく別の面で破綻する場合が多い。ガンガンでやってた『突撃!パッパラ隊』なんか後半は悲惨だったぞ!昔は大好きだったのだが…。「ギャグ漫画家は五年で終わり」という言葉があるが、言い換えると、「五年以上面白いギャグ漫画を書き続けられる漫画家は偉大である」ということだ。衛藤ヒロユキがギャグ漫画家からメルヘン漫画家(?)に転身(?)したのは正解なのだ。衛藤ヒロユキは自分がギャグ漫画家としてさまで偉大ではないということを自覚していたのであろう!

 と、いうわけで。手塚先生レベルの天才でもなければ、漫画というのは3冊くらいで終わっておくのが一番良いのかもしれない。G戦場ヘブンズドア然り。レベルE然り。そうであってこそ、伝説になれる。

 島本和彦の最高傑作は、12冊続いた炎の転校生でもなければ無駄に引っぱり続けている吼えろペンでもなく、
 6巻で終わった逆境ナインであるということだ。(もっと短くてもいいと思うくらいだが)

 グルグルにしても、そもそも16冊も続けられるほど衛藤ヒロユキ自身に包容力がなかったということであろうよ。
 と。とりあえず『がじぇっと』一巻読みました。うん。面白い。グルグル16巻の86倍面白い。(別にグルグル16巻がダメってわけじゃないんだが)

2004.10.1(金) トイチ・ストーリー

 金曜日は90×6=540分も講義がありまし。学校に拘束される時間は登下校時間抜いて約11時間でせ。10時に出て10時に帰ってくるでま。語学が3つ+教職必須科目が3つで、一個も切れないでむ。

 アサバミチアキ氏から、僕の出したレポートにひとまずは好意的な感想が返ってきたので上機嫌です。
 評をくれるそうなんですが、怖いな。5時間で課題書読んで、2時間で一本目(約3000)書いて、1時間半で二本目(約10000)書きました。が、手は抜いてませんよ!本気ですよ!僕なぞ、
 時間かけてもかけなくても結果は同じか、むしろ時間かけたほうがヘボくなるような気もしないでもない。
 んで。

 時間かければかけただけ良いモノが書ける、
 そういうふうになりたいという想いはある。
 でもガツガツしてない。
 まずい傾向だな。



 ここまでは、なんていうか、将来の自分に対しての義務感から書いた文章です。ごめんなさい。
 要するにタイムカプセル。



 今の自分のために、あるいは、読んでくれる人のために書くようなことは、
 とりあえず今はないなあ。

 いま喋ってる本当のこともやがては嘘になるんです。
 それ、明日?今日?
 百万年後?そりゃあ、どうかなあ。
 僕が死んだ瞬間に明らかになるような嘘ばっかりを僕は吐き続けていたい。

 毎日、笑って暮らしていますよ?
 そりゃだけどさ、どっかでバランスとってんだから、時折は泣いたりもするだろうさ、
 そういうことも、ほんとはよくないことでもないのかもしれないよね。
 泣くことも。
 まあ、あんまり気持ちのいいもんじゃあないが。

 僕は、百万年後まで生きててやるッ!
 っていうことをさ、ずっと叫び続けてさ。
 数十年後のある日、僕は死ぬんだ。そんで全てが、明らかになる。
 「あいつさ、結局、100年も生きなかったぜ?」

 なぁなぁ、友人一同。
 泣きながら叫べよ?
 「嘘吐きィ!」

 お酒飲んでると、まあ。こういう文章なんだな。要するに、僕は。
 無駄な文章量産機として非常に名高いわけなんだからな。
 インド行って、世界の全てを理解したい。なんて脈絡のないことを言うよ。
 飾りとして。
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