2003年11月ハイパー(Jacky)

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 君たちは「世界」について考えたことがあるか?「世界」について考えることが高尚なことだと考えたことがあるか?
 僕はある。
 しかしそれは過去の話だ。
 少し前の日記に「正しい」という言葉を使ったら「世の中には絶対的に正しいものなんてない」と指摘された。
 「世の中には絶対的に正しいものなんてない」だなんて当たり前のことで、ああこりゃずっと昔に考えていたことだなあという感触しかない。
 しかしそれは危険なことなのかもしれない。物事を何でも「当たり前」にしてしまうことは。
 当たり前だと思っている限りは、そこから新しいものが生まれることはなさそうだ。

 僕は「世界」について考えたことがある。そうすることが格好いいのだと思っていた時期もある。
 しかし今はそうではない。
 「世界」についてなんてもう飽きるほど考えたからだ。当たり前すぎて格好いいなんて思うはずがない。ただ「古いなあ」と感じるだけだ。
 逆に「俗」っぽい。
 それだから他人のWeb日記なんかを見ていて、
 「あ、こいつ古い。」とか「俗い考えだな。」とか「そっから抜け出せなきゃ駄目だ。」とか勝手なことを思うわけなんだ。
 ちょっと前に自分が考えていたことなのに、それを「越えた」と思い込んじゃった瞬間、手のひら返したように「古い」とかって優越感に浸るわけ。

 まあしかし、これほど危険なことはないんじゃないか、というのが《最新の》考えで。
 僕はここ何年か意識的に「死刑」や「偽善」について考えることを避けてきた。
 答えなんて出ないことがわかりきっていたからだ。
 でも、考えることを放棄してはいけない。
 いつも思いっきり意識していて、わからないものは考え続け、わかってしまったものでもずんずん更新しなおしていったほうがいい。

 考えることを放棄すること。「死刑」や「偽善」という言葉から逃げること。
 この過程はつまり、「大人になると悩みなんて忘れてしまう方程式」に似ている気がする。
 人はでっかくなると考えることを放棄するのだ。
 高校一年生の時、ある社会科教師は言った。
 「大人になると悩んだって仕方がないということがわかるから、絶対に悩まないんだ」と。
 真剣十代しゃべり場に鈴木光司がやってきて結果論的な弁舌を振り翳した。
 曰く、「今のボクは悩むことなんて何にもないさ、腹を割って話せる友達がたくさんいるんだから。君たちも今は辛いかもしれないけどそのうちに絶対楽になる日が来るんだから。絶対そのうちに、自分は一人じゃないってことに気づくんだからさ。」
 これは宗教の勧誘に似ている。
 宗教の勧誘をする人は結果論的に自分が幸福になっているのだから、なんにも考えずにただ言う。
 「信じればかならず幸せになれるから。」
 そっくりだ。
 つまり鈴木光司はこう言っているのである。
 「なに悩んでんの?どうせ大人になれば楽になるんだから安心して、難しいこと考えないで楽しく生きなよ。」
 宗教家はこう言う。
 「なに悩んでんの?ほらうちの宗教に入れば楽になるんだから安心して…。」
 大人になるということは洗礼を受けるということで、つまり「大人教」に入信することではあるまいか。

 でも思春期の少年少女にとったらそんな悟りきった視座が開けるわけないじゃない?刹那的なんだから。今しか見えていないんだから。
 でっかくなった人たちは、過去のことだから気楽に語ることができるんだ、結果論的立場から。
 こないだ僕を連れ去ったえせ宗教団体の人々も結果論振り翳して、とにかく僕を洗脳しようと躍起になっていた。彼らは論理なんて使ってこない。洗脳してしまえばこっちのもんだと思って、必死に感情で口説き落とそうとしてくる。恐ろしいものがある。彼らは「結果」を持っているから強いんだ。結果的に、彼らは幸せなんだから最強だ。
 大人だってそのようなもんだ。
 大人になると「規則」には従わなければならないということがわかってくる。実は僕にも最近だんだんわかってきた。規則を守ることこそが最も合理的でセーフティであるということが。つまらないと思っていた慣習や儀式も、思っていたより合理的で楽ちんで意味のある、「妥当な」ものだったということが。
 英語の授業での「読む→訳す→先生がしゃべる」というやり方も僕は好きじゃなかったが、でもそれ以外にやりようがない。そうでなくては、少なくとも受験に対応できるような授業を効率的に行うことができない。英語の授業を変革しようと思ったら、もっと社会の根幹を為す、最も抜本的なところから再構築していかねばならない。世の中というのはめちゃくちゃ微妙なバランスの上に成り立っているから、何かひとつだけを変革しようなんて無理な話だ。例えば「ゆとり教育」を導入したらどこかにガタが来るなんてのは当たり前のことで、そのガタピシをなくすにはもっと社会の根幹を為す、最も抜本的なところから再構築して行かねばならないのである。
 子ども達にとって、大人は不条理な存在に見える。頭が悪くて、何にもわかっていないようにも見えるかもしれない。しかしその実、大人はみんな悟りきっていて、「楽しく生きるにはどうしたらいいか」ということがわかりきっている。結果論を武器に持っているから最強で、だから理由もなく規則を守らせるし、理由もなく叱りつけるし、理由もなく慣習に従う。だがしかし、そこに「思想」がないわけではないのだ。彼らは悟りきっている。子どもらに比べたら、誰よりも苦しみを知っているのが大人だ。人生を乗り切るためにはどうしたらいいか知っている。自分の味わったような苦しみを味わわせたくないから、無理にでも子どもを型にはめようとするのかもしれない。それが「刹那的な」子どもにとっては受け容れ難いというだけの話。
 こういう大人の悲しさ(?)を踏まえつつ、もっぺん昔の脚本を書き直すのも楽しいかもしれないな。
 毎年小ネタを全部変えられるというちょう画期的な劇。2004年版とかいいな。

 でもそういうのも悲しいんだな、「思春期」の僕にとっては。
 そういうのって、いわゆる「大人の悲しさ(?)」を受け容れることが。
 じゃあどうやっていこうかなあってまたちょっとずつ考えていきますけどもね。
 この考えっていうのは、「大人は大人になると子どもだった頃のことをすっかり忘れてしまう」という「当たり前」のことをいじくりなおしてみた結果と言えるのかもね。

 決めつけはいかん。固定観念は敵だ。先入観を駆逐せよ。ステレオタイプもモノラルに。
 ピタパーンJとしてはまあ永遠のテーマだな。
 というわけで、「世界」について考えることとしよう。
 世界は一本の棒らしいぞ。



 ボストンバッグをカバンに詰め込み、夜漏にまみれた扉を開いて、真夜中に僕は出征していく。晦冥の太虚を仰ぐと、身躯に浴びせられる煌めく星斗と光芒の夜春が前途遮って眩暈。見えぬまま累進する、周囲を街路が錯綜し、正気付くと貧民窟に佇立していた。縁辺には馳走し服飾を解く痴漢達、振り切って逃遁。迷走。
 ボストンバッグをカバンから取り出し、
 ボストンバッグにカバンを詰め込む。
 蓋しcreatureはそんなもの
 蓋しcreatureはそんなものさ



継ぎ接ぎだらけの暮らし もう辟易
センセーショナルなやる気よ やって来い
僭越ながらもカリスマ囓って
ミドルクラス
心配要らない 心配要らない
将来だけは約束してある



星屑の海の中 漂う夢求め 時を越えて遙か 人の世で見失い 今ではもう遠い 夢を探す人よ もしも何処かで見つけたなら 欠片だけでも持って帰れよ ああ夢見る喜び再び ああ夢見る幸せ再び 夢光年



タモリ倶楽部からの流れでロンドンハーツを見ていると
花屋敷を楽しむ金髪の女性が登場
「ナターシャ」という名だった



苦労するの?
遊んじゃUNO?
昔アリとキリギ栗鼠
どうせならばその真ん中僕らはアリギリスSEED
1+1が2にならないROOT
そう近頃はなんか割り切れなSTOMACH
世界で一番ブラブラさせHAND
なんとかなるってををを
ををを
みんな
がんばるけれどかっこもつける全然平気…やるときはやるからッ
世界で一番ブラブラさせて
全然平気
ANTギCHESTNUT RAT TORTOISE RABBIT



 僕は何て言えばいいんだろう。
 2003年11月26日夜、高田馬場駅にて
 「早稲田事件のことを言うとなぐられるんです。」と一人の男性からこの紙片を手渡された。
 いったいこれを見て
 僕は何を思えばいいんだろう。
 僕は何て言えばいいんだろう。
 この文章を見て何も感じないというのはひどい話かもしれないが
 この文章から何かを感じなさいというのは数段過酷な話です。
 ただどんよりとするばかり。
 みなさま何か意見を。
 読解を。
 注釈を。



 タフな野郎が大好きで
 反復横飛びもキマッてる
 マクンバかました女の子なんて
 どこにだっていない。

 ああ、なんだこの夢は。
 どういう意味だ。
 潜在意識の現れなんだろう。
 ユング風に解釈するならば

 精神外傷。
 情動。
 我思う、故に我あり。

 そんなこと言ってる暇など
 侍にはない。



「どんなに男が偉くても、女の乳房にゃかなわない。」
どうにもならない恋なのさ。酔ったはずみで抱いたときにうっかり好きだと囁いて目覚めた朝に青ざめた。
真っ赤なウソを重ねながら純愛不倫を繰り返す、男と女はそんなもの。所詮ひとりじゃいられない。
さりげなくサヨナラ言えたらこんなに気まずくないものを、クールな男になりきれず思わず本音を口走る。
真っ赤なウソと知りながら微笑み交わして「アイラブユー」。男と女の下心、知らない素振りで抱き合った。



頬~をさぁすぅー。

 長野の祖父母がりんごを送ってきてくれました。
 ダンボール箱にいっぱい。柿も入ってた。

柿×20
りんご×40


 ちょっとありえない量です。
 一人暮らしでこんなに消費できるわけがない、
 というわけでおすそ分けだ!
 ぶつぶつ交換だ!
 おらのゴールデンデリーシャスと!
 とか思いつつバイト(家庭教師)に行ったら

 「先生、りんごお好きですか?
 長野から送られてきたもので是非おすそ分けをと思いまして」

りんご+10

 そんなわけで自転車のカゴいっぱいにりんごを受け取って帰る。
 これはもう名刺代わりに活用していくしかないか…




2003.11.26(水) ひろさちやが聞く乱交

ちょうノスタルジック。
日記は確かにこの形態に限る。
今日ってホントは25日なんだけど出席票に26日って書いちゃってね。
日にちの感覚がむちゃくちゃだからちょっと
どうにかせなならんかなあとか思ったので
そういう意味でちょうノスタルジック
心を解き放っておいでv




 この日記を書き始めて以来ずーっと被り続けてきたヘルニアがある。
 そろそろこのヘルニアを取ってしまおうかとも思っている。
 しかしヘルニアを被らずに「そういうもの」を晒しに晒している文章というのはとても見苦しい。
 僕は今までにいくつものそういった「赤裸々な」Web日記を見てきた。
 そのたびに顔を赤らめる。
 僕なんかとは違って、彼/女らはヘルニアを被ろうともしない。
 実は羨ましかったりもしたんだ。
 僕の被っているヘルニア…
 それは「恋心」を覆い隠すヘルニアのことである。
 確かに、ヘルニアを被らなくても、赤裸々ながらもすてきな文章を書く人だっている。
 だが僕には自信がない。ヘルニアを取り去ってしまったら、ぜーったいフニャフニャな文章になりますて。
 だからなるべく、適当にあることないこと書きまくって「そういうこと」をはぐらかすようにしてきた。
 誰にも僕の素顔が見えないようにしてきたつもりだ。
 でもそんなこともう別にどーでもよくなってきた。
 だんだんと読者を意識しなくなってきているようだし。
 オフでの人間関係にどう影響しようか構うものか。
 というわけでそろそろ、
 このヘルニアを僕は…
 このいまいましいヘルニアを…
 ヘルニ…あ、
 ごめんペルソナだ。



 チャンピオンコミックス版『ブラック・ジャック』10巻のはじめに載ってる「侵略者(インベーダー)」という話は確実にドイツ表現主義の映画、ことに『カリガリ博士』の影響が強いと見たね。手法がそっくりだ。手塚の研究者たちは気付いてるかー?気付いたとてなんということもないが。



 僕の友達の女の子が売春やっとったんですよ。やってられませんな。
 50000円からやて。
 許せん。
 いや男のほうがね。
 くやしいというかうらやましいというか
 女の子と××するには相応の資格が必要なわけだ。

  1 プロ意識を持ったプロの売春婦に相応の料金を支払う場合
  2 男がその女の子からよっぽど愛されている場合

 このどっちかだ。
 このどっちかしかいけん。
 もてない男にせっくすする資格なんてない
 腹立つ。

 肉体的なセクハラとか痴漢も最悪だな、
 女の子のからだに触れるってことはそう簡単にしちゃいけないぞ
 女の子から愛されて初めてその権利が成立するわけでさ
 三ヶ月かけてやっと口説き落とした彼女
 ついに手を繋いで歩けた。しあわせ…
 でその彼女に初対面のおやじがべたべたにやにや触りまくってたら腹立つだろ?
 (うーん僕って唯物的だ。)

 とにかく、女の子のからだというのはそんくらい崇高なものなの。
 愛されない奴は魅力がないんだから我慢しろ。君は凡人なのだ。女の子とからむ資格なぞない。
 金で愛を買うなんてのは最底辺だぞ。自分には誇れるものが金しかないといってるのと一緒だぞ?
 僕だって金さえあったら援助交際したいわ!めちゃくちゃしたいわ!ボケ!
 要するに結論:
 「わしゃあ自分以外の男がいい思いすることがどうしてもたえられんのじゃ!
 世界中の女の子はみんな僕のもんであるべきじゃて!援助交際も、やっていいの僕だけ!」


 僕の友達の女の子が売春やっとったんですよ。やってられませんな。
 50000円からやて。
 許せん。
 いや男のほうがね。
 くやしいというかうらやましいというか
 女の子と××するには相応の資格が必要なわけだ。

  1 プロ意識を持ったプロの売春婦に相応の料金を支払う場合
  2 男がその女の子によっぽどの高額を支払う場合

 このどっちかだ。
 このどっちかしかいけん。
 50000円しか払えない男にせっくすする資格なんてない
 腹立つ。

 愛とか恋とか、もう最悪だな、
 女の子のからだに触れるってことはそう簡単にしちゃいけないぞ
 相応の料金を支払って初めてその権利が成立するわけでさ
 三千万円も積んでやっと口説き落とした彼女
 ついにホテルへ。しあわせ…
 でその彼女に「愛だ恋だ」などといってプーな若者がべたべたにやにや触りまくってたら腹立つだろ?
 (うーん僕って唯物的だ。)

 とにかく、女の子のからだというのはそんくらい高級なものなの。
 金が稼げない奴は才能がないんだから我慢しろ。君は凡人なのだ。女の子とからむ資格なぞない。
 愛をもって愛を得るなんてのは最底辺だぞ。自分は金も才能もないただの馬鹿ですと言ってるのと一緒だぞ?
 僕だってもう少しモテさえしてれば恋愛もしたいわ!めちゃくちゃしたいわ!ボケ!
 要するに結論:
 「わしゃあ自分以外の男がいい思いすることがどうしてもたえられんのじゃ!
 世界中の女の子はみんな僕のもんであるべきじゃて!恋愛とかも、やっていいの僕だけ!」



絶対無敵ライジンオーのDVDが出るんですよ、
アニメイトで予約するとなんと新作ドラマCDがついてくるんですよ、
55000円+代引き手数料とかいろいろかかっちゃうと思うんですけど
欲しいんですよ!
特典のCDなんざお友達(高校の友達はすでに予約している)にダビってもらえばいいかもしれな
いやダメだぁああ
やっぱCDは聴くだけじゃなくて眺めなきゃ!
55000…
55000か…

リクーム並みぢやないですか。

あと飛べ!イサミとど根性ガエルのDVDも欲しいんだよなあ…
宇宙船サジタリウスももし出たら欲しいなあ…
奥さん奥さん。
僕の奥さん。どうしましょう。
買ってもいいですか?
とりあえずライジンオー。
大丈夫君にあげる指輪がリクームの戦闘力ぶん安くなるだけだから…

うちの奥さん、頭はおかしいしちんちくりんです。
たまにわりと現実的です。
でもライジンオーDVDとか最初は反対しててもビデオとかで見せたらはまっちゃって「許す。」とか言いかねない人
そんな奥さんが欲しい、なんのこっちゃね。

そうなんだよLD持ってるのにDVD買うのってなんのこっちゃね。
特典にもプレミアつくかもしんないけどリクーム以上ってこたないだろ。
でも書き下ろしセル画とかありそうだし…
ライナーノーツも気になるし…
眺めたいし…
もし今ライジンオー観ちゃったら終わりだ。絶対買う。助けて。

でねえその高校時代の友達っていうのがすごいんだよ。
ドラゴンボックス(ドラゴンボールのDVDボックス)は買うし
魔神英雄伝ワタルのDVDボックスも買うし
魔動王グランゾートのDVDボックスも買うし
魔神英雄伝ワタル2のDVDボックスも買うし
その上なんだ、絶対無敵ライジンオーまで買うってか!
いやべつに、奴が特別に裕福ってわけじゃないんだ。
むしろイーブックオフで(DVD代稼ぐために)一所懸命働いてるナイスなガイなのさ。
情熱がすごいよね、情熱が、もう。
超激闘編だよね、もう。
しかもそいつまじで爽やか好青年だし名古屋で一番かっちょいい(?)大学行ってるし。
高校のころ必ず10時に寝てたし。
いいやつなんだよ。
ああ。
羨ましい。鷲も戸惑いなくDVD買いまくれるようになりたい。
裕福って「裕」+「福」だなあ。なんか思い出すなあ…。



ジャッキーさんの中学生時代を象徴する幻の代表作『急性魚屋日記2』の続編がいよいよ登場!
   『魚屋さん ~急性魚屋日記3~』

魚屋さんはピンク色の魚を売っています
緑色のご主人がそれを買っていきます
そうして魚屋さんはにやりと笑うのですが
反対に緑色のご主人は青ざめます
今日の魚屋さんは群青色の魚を売っています
お昼過ぎごろに青色のご主人がやってきて
「昨日ピンク色の魚を買っていった緑色のものだが」
と言って苦情を言いはじめました
魚屋さんは怪訝な顔をします
だってそのご主人はどうみても青色のご主人なのです
青色のご主人はがっかりして帰っていきます
魚屋さんはほっと胸をなでおろします

   『急性魚屋日記2』

 チチチ… 鳥の声。鳥が空を飛んでいて、車が道路を走っているよ。ストリーキングも歩ける道。それがこの国の良いところだと思う。かくいう私も、昔は日本のストリーキングだった。日本でのストリーキングの位置付けは…やめよう。こんなことを考えていても悲しくなるだけだろう。それに今現在の私はこの国のいち魚屋だ。そんなことは忘れたほうがいい。
午前四時。出勤の時間だ。魚屋の朝は早い。今日も市場に仕入れに行く。わずかばかりの金と、彼女の陰毛を握り締め、私は市場へと出掛けていった。

市場はいつも通りの賑わいを見せていた。見た顔、見ない顔、色んな顔が魚を売っていた。そいつらに共通していえることは、全員元ストキンらしいってことだ。
ストキンの男たちは魚が好き。そのことはどの国でもいえることらしい。しかし、けじめはつける。昼は魚、夜はストキンで全裸。
私は彼等が大好きだ。
彼等も私のことを気に入ってくれている。楽しい (中2、メモ帳の切れ端より復元)



 やっぱり「ほんとに」女の子にもてたいと思うなら奥さんがいるならいると、いや別にいなくてもいると公言してしまうことだ。それでもついてくる女の子はもうどうしようもない病気なわけだから世話してあげなければいけん。恋愛にはそんくらいの心意気がなくてはいけん。
 いいすぎか。でも
 フリーの男なんてちょっと理想のグレードを落とせば女の子の1人や2人すぐ捕まえられるものである。況や僕くらい顔と頭が優良になってくるとカツオ一本釣りの達人にでもなった気分にさえ。けどそんなもて方は邪道でありラベルが低いのであって。そんなもんある程度の顔と頭と嘘の技術さえあったら誰にでもできることなのであってさ。
 また、「決まった人がいる」なんつー理由で諦められるようなら男の魅力もたかがしれている。つまり、「恋人/配偶者がいる、でも、好きなのよネエー」くらい言わせてこそ本当の男である。でなければ「もてる」なんて言えるものか馬鹿者。
 というわけで公言しておく。鷲には婚約者がいるので近づくときには相応の覚悟を。場合によってはその婚約者さんにも泣いてもらうことになるがそれで婚約破棄になるようならその程度のものである。したら僕はいったんへこみながらも、もっともっと男を磨いて再チャレンジの所存。それか廃人になる。あう。
 その線濃厚。
 こんなことを言うと不倫志願者(いればの話)に期待を持たせてしまうが基本的に僕は奥さんを傷つけたくはないので注意。
 でも奥さんのすねる顔とか見たいかもしれない。
 いっぺん怒らせてみたいかもしれない。
 泣かして涙を飲みたいかもしれない。
 けどまあ、喪黒さんが現れるまでは待つことにしよう。

 気を付けなくてはいけないのは不倫相手にではなくて「不倫」そのものに恋してる女の子。そうなってくると本物の病気なのだから使い捨てようと思っても「逃げ切れぬ愛」がどこまでも追っかけてくるわけで。まあ、そんな状況に直面したこともないので適当に言ってるんだけど。
 半ば故意に恐ろしい言葉を多用していますがほとんど本心です。
 「あたしを一番に愛して欲しい」「あたしだけに愛を」などと仰られる女の子はですね、結局は自分本位なわけですよ。(もちろん僕のほうが自分本位であるのは言うを待たぬ)。自分のことしか考えていないから傷つくわけです。かといって寛容すぎるのもどうかってとこで。「あーむかつく!浮気しやがって最低なヤローだ!でも好き!」くらいでいいや。泣かれるのは嫌だけど怒られるのは良い。罵倒されるのもよし。僕は平謝りに謝るぞ。そしてどうにかしようと思うだけは思う。これぞダザイズム。みんな僕を叱ってくれよ。できるだけソフトに。できるだけハードに。中庸はイヤだ、よけいへこむ。
 まあ、そんなきったねえ男の理想論。ご都合主義。
 言い訳主義。

 言いたいこと:
 「奥さんがいるのにもてる男はかっこいい。それでもついてくる女の子もかっこいい。それを突き放す男はもっとかっこいい。それでも食らいつく女の子はかなりかっこいい。そこでちょっぴり情が動いてしまう男はしょうがない。雨の日はしょうがない。それで奥さんがどう動くのか、見もの見もの。なんつってわくわくしながら楽しんでいる男は、最低である。」



今読んでる本にこんな一節ー。
「きちんと食事を管理できるかどうかで10年は老化の速度も違ってくるし 20年は寿命も違って来るぞ
 家族の生死が主婦のプロ根性にかかっているのだ!」
ほんとかよー。おいおい。でもだとしたらがんばれうちの奥さん。僕には無理だ。お互い長らく一緒に生きていたいのなら、すてきなごはんをめざそうぜ。
とりあえずこれでも見て勉強しよう。



高校の先輩のサイトを見ていて「こんなことではいかーん」と思い立つ。
よしそうか僕の日記は文字がでかいからいけないんだなっそうだっとか責任転嫁。



 もう結婚が内定しておるのですよ。
 だから女の子は、僕に誘惑されるような行為は慎むように。
 にしても
 不倫は文化だよなあ…。



 空き缶を捨てようと午前2時20分、家を出る。
 全力疾走。
 本当は空き缶なんて口実に過ぎない。
 真夜中に僕は、どういうわけだか走り出したくなってしまったのである。
 理由なんてない。
 蹉跌を踏みしめた傷口から青春の外気が侵入して僕を内側から突き動かしているのだ!
 なんてことでは全然なくて、
 実は腰痛がひどくて仕方がないので、気を紛らわしたかっただけなのだ。
 で、何気なく空を見上げてみると満天の星。
 おいおいここは東京だぜ。
 この星空は我がふるさと、名古屋市北区にそっくりだ。
 わたくしはここに練馬区をして“名古屋市北区東京都支部”と認定させていただく。
 東京に星がない、というのは星を独占したいがためのウソか?
 あるいは、「都会人が空を見上げない」だけなのか?

 「都会人が星を見上げない」
 なんてことはだいたい行楽地へ排気ガスまき散らしに行ってるような奴らが言うんだ。



 世界は広いです。
 本を読めば色々な言葉がわかる。
 たくさんの言葉がある。
 僕は本を読む。大学生だから、難しそうな本を読む。
 それで新しい、難しそうな言葉をいくらか知っていくことになる。
 そういった言葉たちは一様に、何かを説明しようとして躍起になっているように見えた。
 時には空回りもしながら、色々なことが起こっている。
 でも、僕の友達のほとんどは、そんなこと知らない。
 僕は、なんて虚しいことをしてるんだろうかと思う。
 自分はそういった小難しい本を読んでしまうことによって
 眼前の将来に広がっている“無限だった”世界を
 少しずつ限定していっているんじゃないか。
 言葉を知っていくことによって、世界はどんどん限定されていってしまう。
 言葉が無限に広がっていけば、世界はどんどん限定されていってしまうんだ。
 混沌とした虹がだんだん分断されていってちっぽけな“色”になる。
 それで黄色になったとしたら、黄色い共同体で、黄色いお友達を捜す。黄色いことをして遊ぶ。



 僕はチョコレートが好きです。
 こんなことは本来、2月くらいになってから強調すべきことがらなのかもしれないけどね。
 うん、この「好き」ということばもそうなんだけど
 人それぞれ捉えかたの違うことばってある。
 ほら宮澤賢治ってことばの使いかたが独特だ。
 すこし極端だけど、あんなふうに。

 それが誤解を産み出してしまうこともある。
 誰もが辞書どおりにことばを使っているわけじゃないし。

 “ことばの暴力”ということばがあるでしょう。
 あれ、おかしいな。ことばは暴力をふるわないよ。
 だけどだいたいの人はこれは正しいことばだと思っている。
 “暴力”という言葉をやわらかくとらえた結果だ。
 辞書にもきっと書いている。
 それでももしかしたら
 通じない人だっているんだ。

 「それでももしかしたら通じない人だっているんだ。」
 ふつうは、“もしかしたら”に“いるんだ”は呼応しない。
 “かもしれない”じゃないといけない。
 だけど書いちゃう。

 宮澤賢治なんて
 「山がうるうるもりあがって」なんてへいきで書くんだぞ。

 「僕はチョコレートが好きです。」ということばを聞いて
 僕がチョコレートに恋をしていると思っちゃう人だっているんだ。
 そのせいでその人は、自殺をするかもしれない。
 たいへんだ。
 そこんとこをどう調整して生きていくかが
 とってもむずかしい。



センチメンタル・ジャッキー♪
読み捨てられる、雑誌のように。



 今のせつない気分を、たとえ話というか、比喩で語りましょう。

 僕はちうが大好きだとします。
 そして僕には大好きな女の子がいるとします。
 その女の子もまた僕のことが好きらしいのですが
 どうやらちうが大嫌いなのです。
 けれども僕はちうがしたくてちうがしたくてたまらない。

 ああ大変だ、どうしよう。
 このような仕組みは他の事柄についても起こりうるのです。
 「僕と彼女」という関係の中だけで考えても、

 彼女とマリオカートやりたいけど彼女はマリオカートが嫌い。
 『ドラえもん』が観たいけれども彼女は『ドラえもん』を「非教育的」だと蔑む。
 僕は赤みそが好きなんだけど彼女は白みそ派だ。
 僕は子どもが10人くらいほしいが彼女は1人もほしくないという。

 でも彼女は僕のことが好きだから

 時折はマリオカートだってやってくれるかもしれないし
 『ドラえもん』だって観てくれるかもしれないし
 たまには赤みそを食べてみようかななんて気にもなるかもしれないし
 もしかしたら1人か2人くらいは我が家にも子どもが産まれるかもしれない

 それに彼女は僕のことが好きだから
 そういうことも割と喜んでくれるし、楽しんでくれるんだろう。
 割と。

 そんなことを考えて少しせつない。
 別に「僕と彼女」という関係だけに留まらず、
 こういう図式は他の関係についても当てはまるかもしれない。

 僕はAくんともBくんとも友達だが、
 AくんとBくんとはお互いに憎しみあっている

 とか。
 なんてせつない世界なんだ。



 最近たくさん寝ます。
 寝なくてもいいのに寝つづけるものだから
 おそらくはレム睡眠が多くなるのでしょう。
 浅い眠り。
 するとたくさん夢を見るのです。
 夢の内容なんて起きた後には忘れてしまうものですが、
 全く消えるわけではないし、
 実は頭の中のどっかの引き出しにはしまい込まれているのかも知れません。

 そうなると見た夢に関する情報量もなかなか膨大なものになります。
 あんまり夢の記憶が増えすぎると、
 それが果たして夢だったのか現実だったのか解らなくなってまいります。
 今朝なんかは起きてから10分間くらいは本気で現実の出来事だと思ってて
 ああ、どうしよう大変だ、なんて。

 日常生活の中でも、ふと思い出したことがあって
 「ああ、そういえばあんなこともあったなあ、いつのことだったかな」
 ってちょっと考えてから、
 「あ、夢だっけ」
 とか。そんなことも多くなってきた。
 そのうちに入れ替わるんじゃないか。



性ってなんでしょうか。



 ここにたくさんの人から愛されている人がいます。
 たくさんの人から愛されている人は
 自分を愛してくれているたくさんの人を愛しました。
 たくさんの人から愛されている人をふくむたくさんの人たちは
 みんな幸せにくらしています。


 ここにたくさんの女の人から愛されている男の人がいます。
 たくさんの女の人から愛されている男の人は
 自分を愛してくれているたくさんの女の人を愛しました。
 するとたくさんの人から愛されている男の人は
 もちろん愛される権利を剥奪されます。

 するとたくさんの人から愛されている男の人を愛していたたくさんの女の人たちは
 もう誰を愛していいのだかわかりません。
 みんな不幸せになりました。

 でも

 ここにたくさんの人から愛されている人がいます。
 たくさんの人から愛されている人は
 自分を愛してくれているたくさんの人を愛しました。
 たくさんの人から愛されている人をふくむたくさんの人たちは
 みんな幸せにくらしています。



蓋しそういうものだと思うのです。



 今日覚えていることといったらこんな一幕くらいなものです。

 教室で。友人が、「部屋でキャッシュカードが堆積物(本など)の下に埋没している。」という趣のことを言っとらして、僕は「ハハハハ。君、僕の部屋などを見給え。君の部屋はさながらポンペイ見た様だが、僕の部屋は整然としているよ。」という趣のことを言う。(あくまで「趣」ね。)
 で、友人(彼は僕の部屋に来たこともあるのだから、その整然とした様子を知っている)は、僕の隣に座っていた乙女(僕と仲良し)に向かって言う、「そうそう、○○さん、ジャッキーの部屋いっぺん行ってみて…」と、彼はここで一旦言葉に詰まる。ここまで言いかけておいて、それから、あろうことか「ジャッキーの部屋行ったことある?」と言葉を換えて問い直したのだ。
 これは非常に面白い現象である。
 彼は「ジャッキーの部屋に行ってみて御覧」と言おうとして、やめて。「ジャッキーの部屋に行ったことがあるか」と質問を変更したのである。つまり、この時彼は「○○さんという乙女がジャッキーの部屋に行ったことのある可能性」を考えたということだ。
 だって「ジャッキーの部屋に行ってみて御覧」と乙女に問うて、「いや、行ったことあるナリよ」などと答えられたとしたらさぞやショックだ。自尊心クライシスだ。彼の咄嗟の機転は聡明なる保身的判断であったと言わざるを得ない。
 「行ってみて御覧」と訊ねて「行ったことあるナリ」と答えられた時の心的ダメージと「行ってみたことある?」と訊ねて「行ったことあるナリ」と答えられた時の心的ダメージとでは雲と泥くらいの違いがある。後者のほうがよりやんわりとしているのはおわかりになられるだろうか。「行ってみたことある?」と問うことは、「行ったことあるナリ」という答えの返される可能性がすでにその中に内包された訊き方だからである。
 そのことで彼はこの質問に自尊心擁立のためのある種の意味を持たせることができる。乙女が仮に「行ったことあるナリ」と答えた場合、「へへん」と思うことができるのだ。「へへん、俺様はお前らがそのくらいまで進んでいるということはご存じだったんだぜ」というアッピール。
 幸い乙女は「行ったことないよ」と答えたわけで、我が愛すべき友人の自尊心は無事保たれたのであるが、せっかくだから僕はクライシスの種を投げかけてみることにした…。
 その時実際に交わされた会話は以下の通りである。

友人「ジャッキーの部屋行ったことある?」

乙女「行ったことないよ」

ぼく「うん、まだ行ったことないよね。」



「今日は物語をしよう。僕は君たちに、ひとつの物語をしよう。」

 少女が踏切の中で遊んでいます。
 少女は夢中です。
 カンカンカン。でも少女は夢中です。気のつくよしもありません。
 ああ、列車が迫ってまいりました。あやうし少女。
 この光景を目撃していたのは、マミちゃんです。マミちゃんはエスパーです。
 「あぶないわ。あれはお向かいのエリちゃんじゃないの。」
 マミちゃんは持ち前の正義感から少女を助けようとしました。
 マミちゃんは手をかざし叫びます、
 「てけれっつのぱあ。」
 ガタゴトと迫りくる列車はマミちゃんのちょう能力によって脱線、横転をしました。
 もちろん、少女は無事なのです。
 「エリちゃん。」
 「マミおねえちゃん。」
 二人は抱擁をしました。めでたし、めでたし。

「ああ、とてもいいお話だ。とてもいいお話だったろう。みんなも、マミちゃんをみならおう。」



『クズ共。寓話だ。寓話を聞かせてやる。お前らにとって最も重要な寓話だ。』





 「今日は物語をしよう。僕は君たちに、ひとつの物語をしよう。」

  少女が踏切の中で遊んでいます。
  少女は夢中です。
  カンカンカン。でも少女は夢中です。気のつくよしもありません。
  ああ、列車が迫ってまいりました。あやうし少女。
  この光景を目撃していたのは、マミちゃんです。マミちゃんはエスパーです。
  「あぶないわ。あれはお向かいのエリちゃんじゃないの。」
  マミちゃんは持ち前の正義感から少女を助けようとしました。
  マミちゃんは手をかざし叫びます、
  「てけれっつのぱあ。」
  ガタゴトと迫りくる列車はマミちゃんのちょう能力によって脱線、横転をしました。
  もちろん、少女は無事なのです。
  「エリちゃん。」
  「マミおねえちゃん。」
  二人は抱擁をしました。めでたし、めでたし。

 「ああ、とてもいいお話だ。とてもいいお話だったろう。みんなも、マミちゃんをみならおう。」





『いいか。これは寓話だ。この寓話の意味すらわからないのなら本当にクズだ、すぐに死ね。』



幼少の頃
貧乏だった我が家には
サンタクロースが来なかった
一人っ子の僕は
毎年毎年 泣いていた


それはある年の
あるクリスマスの夜だった
堅く閉じていた瞼の その裏側に
あのサンタクロースがやってきたのだった
噂に聞いたサンタクロース
僕は初めてその姿を目にしたのだ


それからというもの
僕はサンタクロースのあの時の姿を
いつでも心に思い描いた
そうして生きていた
テレビやマンガで見るサンタクロースは
本当のサンタクロースじゃない
友達が楽しそうに語る
黒板に描かれるサンタクロースの姿は
本当のサンタクロースの 姿じゃないのだった


サンタクロースには ハネが生えていた
サンタクロースには しっぽがあった
サンタクロースは 黒かった
サンタクロースには ウデがたくさんあって
その額には神秘的な
第三の目がひらかれてあるのであった


そしてある年の
あるクリスマスの夜だった
堅く閉じていた瞼の その向こう側で
小さな囁きが僕の鼓膜をノックするのだった
「こんばんわ 私はアイアム サンタクロース」
あのサンタクロースが
本当にやってきたのだった
僕は目を開けて その姿を見たいと思った
いつも思い描いていた
あのサンタクロースの姿を
今度こそ本物の この瞳の中に焼き付けてしまいたいと願ったのだ
しかしサンタクロースは
けして目を開けてはならないと僕を戒めた
僕は従った なぜならサンタクロースは絶対なのだ
そしてサンタクロースは僕にプレゼントをあげるよと言った
だがしかし
サンタクロースはプレゼントを忘れてきてしまったといった
「すまないけどソーリー 遠くの島まで取りに帰らなければいけない」
サンタクロースはそのとき
寂しく笑ったにちがいなかった
「いつ戻ってくるの」
そう僕はたずねた
「そうだね」
サンタクロースは答えた
「20年後くらいになるだろう」
サンタクロースはそのとき
さっきよりももっと
もっともっと寂しく 静かに笑ったにちがいなかった


それ以来サンタクロースは現れなかった
瞼の中にも
瞼の外にも
僕の脳裏のその中にだけ
サンタクロースは生き続けていたのであった


サンタクロースには ハネが生えていた
サンタクロースには しっぽがあった
サンタクロースは 黒かった
サンタクロースには ウデがたくさんあって
その額には
その額には神秘的な
第三の目がひらかれてあるのであった


そればかりか

サンタクロースには 漆黒のツバサもあった
サンタクロースの髪の毛は ひとつ残らずヘビだった
サンタクロースは常に 地獄の業火に取り巻かれていた
サンタクロースは 何者をも凍り付かせてしまう
サンタクロースは
サンタクロースは
サンタクロースは
なによりもサンタクロースとは 絶対普遍の超越的存在なのだ


そして僕は20年間待った
そして僕は20年間待ち続けた
そして僕は20年間も待った
そして僕は20年間も待ち続けたのだ
待ち続けたのだ


その20年間の間に
僕は宗教団体を立ち上げ
本物のサンタクロースを世に知らしめようとした
どうしても
どうしても
どうしても僕は本当のサンタクロースを知ってもらいたかったのだ
しかし世の中は冷たかった
僕は牢獄に入れられた
毎晩毎晩祈っていた


そしてある年の いや
あれから20年目の クリスマスの日だった
堅く閉じられた瞼の内側に
大衆的な深紅の衣裳を纏ったあのサンタクロースの姿が
浮かんできたのだ
そしてサンタクロースは言う
「すまかった、今まで本当にすまなかった」


裁判で父親は全てを告白した
そして僕は 本当はそれを知っていた
僕は全てを知っていた
しかし 確かにあの夜
父親は僕の部屋で
「私はサンタクロースだ」と告白したのだ
僕はそれを信じた なぜなら父親は絶対なのだ
なぜなら父親は絶対なのだ


僕は何よりもその言葉を信じていた
なぜならば父親は絶対なのだ
絶対普遍の超越的存在なのであった
僕は極刑に処せられた
「父よ どうしてあなたは僕を見捨てられた」
その声は虚しく
足元の奈落に響き渡った






僕の愛するせんぱいはCoccoが大好きなのであった!
そして十三年の刑期を終えて、僕の仔猫ちゃんもCoccoが大好きなのであった!
彼女は言った、「わたしはあなたを愛してはいるわ。だけど罪は罪だと思うの。」と
僕のベイベェ達の中にもCocco好きが多いのであった!
非常にキビシー そりゃないぜセニョール
この統計の中からわかることは、日本国民の中にはCocco好きが多いということである
これでいいのだ
つらくともこれでいいのだ
テレビの中の男が言う「我々はテロの暴力には屈せずイラクに“軍隊”を派遣する これでいいのだ」
そうだ これでいいのだ!
だが しかし……
だが ……しかし
これでいいのか
これでいいのだ
だが しかし



井筒さんかっこええわあ。
気持ちええわあ。
言ってる内容は二の次としてー。
わー石坂啓がでてる 赤ちゃんが来た 名古屋市立向陽高校卒 せんぱーい。(レベッカ)



 ていうか世も末だよー。タレントイメージ調査

   1 明石家さんま
   2 いかりや長介
   3 爆笑問題

 トップ3が芸人!
 ていうか爆笑問題て
 めちゃめちゃ素行悪いのに。
 よもすえだよー。

 なぜこのような結果になったのか検証してみる。
 たぶんこれは暗号だ。
 実は一位は違う人物だと見た。

   1 かしやさんま
   2 かりやちょうすけ
   3 くしょうもんだい

 なるほど。一位はジャニッズの相葉雅紀か。
 テンペストの。
 巻き起こせ、ゲームセンター。ゲームセンター。



 THE YELLOW MONKEYのJAMはPERCY SLEDGEのWHEN A MAN LOVES A WOMANにINSPIREされているんだ。
 間違いねえな。



 今TBSラジオの『60歳のラブレター』っていう番組に大山のぶ代さんが出てて、
 まあおきまりのドラえもん
 「こんにちは、ぼくドラえもんです。今日は大山さんの付き添いできました。どうぞよろしく。」
 なんて
 ちょうときめく。
 これ生できいたらもっとときめくよ。
 僕きいたことあるよ。
 いいだろ。

 僕は大山さんの大ファンだけど別にドラえもんの声だからってだけでなく
 すてきなんだよ、大山さん。



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↓ハード






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