2003年5月後半の行い(Jacky)

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2003.5.31(土) 藪からうまい棒

知らないことだらけの扉が開いてしまった



覗きこめばたちまち
吸い込まれてしまう
ああ
胸がざわめく
見えない予感膨らむ
この不思議な気持ちキッスに込めて
溢れる想いは
ねえ本当なのマジック・オブ・ラブ



誕生日を迎えるたびに何を祝うのかがずっと謎だった
見えなくなってしまったものは二度と帰らないと知ったとき
年をとることに後悔と一日が過ぎていく恐怖を感じた


世界中の
大好き
を集めても
君に届けたい
想いに
足りない
身体中の
愛が
飛び出しそうさ
僕らの
鼓動は
すべての
はじまりだよ ハレルヤ




鳥が鳴き 目が覚めて 突き刺さる白い光
爽やかな風の音
過ぎ去っていく







ライフ


通り過ぎる人たちが振り返り僕を見る
気付かない 自分がしてること



やってきたルナティックモンスター
満月を食べるリュウ
市場の人たちは
おおあわて
店を
閉めた

2003.5.30(金) イワン バカン

僕は自転車が好きです。乗るのも好きだし眺めるのも好きです。
自転車で山登ったりするのが結構好きです
傾斜の厳しい長い長い坂を登りきった時の爽快感といったらないですね。いや、あります。爽快感がかなり。
長距離とかも。名古屋と京都を往復したり東京から名古屋へ走ったりした程度。
いや高校の頃はいろいろなところに行ったものです。自転車通学だったこともあって。
授業をさぼってふらりと。名古屋を飛び出して岐阜や三重にはよく行ったし、
愛知県の東のほうの山々にもお世話になりました。僕の高校生活は自転車に始まり自転車に終わったようなもの。
今も自転車通学なので往復20キロがんばってます。

でね。

なんでこんなプチ自慢話から入ったのかというと
我が早稲田大学には
夏休みに岩手まで行って六日間自転車に乗りまくるだけで単位が貰える授業があることが発覚しました。






人呼んで《自転車 I 》






ちょっとお金がかかるけど青春18きっぷ使えるし。自転車で岩手まで行くのもありだし。ある種それも伝説だし。
どうして今年選択しなかったのかもう謎。
実は教職免許を取得するためには体育の授業をとらなくてはいけないらしかったんだけど
4月の段階で僕はそんなこと全く知らなかったんですわ。


数学 I
自転車 I
のら犬 イチ


いやはやしかも僕ロードレーサーって乗ったことないんで興味ありありっす。
それにこう
六日間も合宿してればその間にたぶん
ゲレンデで恋も芽生えるだろうし
夏だけど人生の春、みたいな
いや待て
こんな授業に
女の子は
来るのか


あーでもいま僕ヒザに爆弾抱えてるしなー
H2じみている。


行きたいなーゲレンデ。






早大生のくせに早慶戦行きません。っていうか、チケットが要るなんて知らなかった。ははは
行きたいなあ
キャプテン翼が欲しい
捉えたミヤコ蝶々の命乞い聞かず君は空を睨む
傷つけたのは憎いからじゃない
僕には羽根がなく
あの空が
高過ぎたから




東京スカパラダイスオーケストラをカラオケって略す奴
見たことねえ

見たい 見たい 見たい 見たい
yeah yeah yeah yeah yeah yeah yeah yeah yeah yeah yeah yeah yeah yeah yeah yeah






見てないようで見てる

2003.5.29(木) 太田干刈あがた森魚

大学の生協で

「すいません白いダース入荷してください」

と藪から棒に言ったら


「あれは冬季限定なので来年まで待ちなさい


と返された

なさいて。




大学の生協に

「お菓子全品10%オフ」

と張り紙がしてあったので

喜び勇んでうまい棒を大量購入

ちゃっかり1本10円で計算された

おかしな話だ

「すいませんあそこにお菓子10%オフって書いてあるんですけど
 うまい棒ってお菓子じゃないんですか

と内心憤慨しつつ笑顔でたずねたら


「あればっかりは卸売業者から10円で売ってくださいって言われてるんですよ」


とぶっきら棒に言われた

待望のうまい棒をほおばりながら

おれは泣いた


待棒のうまい望を


つーわけで近所のスーパーへ。そこはダースが1個85円で売ってる。破格だ。
白いダースを買い占めようって寸法さ
けど白いダースがふた箱しかなくてね
沈鬱




福岡弁かわいい!まじかわいい!
がっこのラウンジで福岡弁ばりばりの子と話してて
ばりばりすぎて
かわいい
だっちゃねー
とか
どげんしょーねー
とか
よかよか
とか
耳が
カタルシス



依頼者さんと某家庭教師派遣会社が喧嘩して
僕のバイトはご破算だ
けどほとぼりが冷めたらその人と個人契約するんだ
流れ的に
そうなるといいなってことだけどね



ていうか家庭教師とか塾講師とか責任が重過ぎて
あああ勉強しなきゃ勉強しなきゃ勉強しなきゃ
うん僕ってなんて真面目だ
これはなんて青春

明日はドイツ語のプチテストなんだけど午前3時の熱く焼けたアスファルトを目の当たりにしてもう勉強する気ないっす




ナインティナインがどうやら「~的な」という言い回しにはまっているようだが
そういえば中学生のころ僕も、某猫サイト管理人と「~的な」を連発してたような気がする。
いや
今でも僕ら連発してるわ


ウィリー的なことができるようになった、とか
隠れ家的な場所を見つけた、とか
ライフガードのラムネ的なものを買った、とか
ライフガードのガム的なものを買った、とか
この場合「ライフガードのガム的なものを買った、ガム的っていうかガムなんだけど」とかって言い直したりもする


誰かが訪ねて来るとかって予定が立たないと部屋の掃除ってしないんだな。
だから今度クラスの子に来てもらうんだー
ほんとに来てくれるかなー
口約束は自然消滅するのが常なんちゃうのー


そうやって少しでも疑うと結局掃除なんてしないんだよね、無意味だ
君にいっつも

2003.5.28(水) ダンスフロアーに華やかな干刈あがた

んちゃんちゃ あたし力石徹




どうも。東京スカパラダイスオーケストラのジャッキーです。




どうも。チャゲ&飛鳥のジャッキーです。




厭離・ユー




ライブハウス武道館へようこそ




ここは東京だぜ




気を取りなおしてどうも、チャゲ&飛鳥のジャッキーです。
どうもねー。なんかねー。最近ねー。


いやさ、そのね、君の言う、なんだ。「ビート」っていうの、それはなんかね、なんとなくだけどさ、うん。わかる気がするんだよね。けどよくわかんないのはさ、あれ、ほら。「うねり」。そうそう、どうもさあ掴めないっていうか。これはたぶんきっとそれを手に入れた人じゃないとわかんない感覚っていうか、逆上がりのやり方を他人に教えることが難しいっていうか、そんなところで、説明なんかできないんじゃないかと思うけどさ。


読む側に立っていたいってことなのかな。翻訳をすることで。


対人が億劫になってきた。五月二十八日病。
常に緊張感を持って臨む会話というのはよほど面白くまた緻密でなければいけない
それこそまさに
「全ての隙間に狙い合わせて ミクロな視点を研ぎ澄まし話す」
っていうことかもしれない

それが希薄。
どうもね、緊張感だけが満ち満ちていて
面白くない
誰もうまいこと言えてない
うまいこと言っても
それをうまいと認識するセンスがないのか知らんが
突っ込みも賞賛のサインもなく
無意味に自信もなくなるような(ひょっとしたら今僕はちっともうまいこといえてなかったのか?と)
そのような会話は避けたいところだと常々感じるのだが


なんか…
真夜中にターンテーブル回しながら耳でFANTASMAを捉えつつブラックニッカの三ツ矢サイダー割りをうまい棒頬張りながらひっかけるってのは
寂しい

コンポタ味があって良かった
もしもこれがメンタイ味とかとんかつソース味とかだったらもっと寂しかったに相違ない

ブラックニッカしか購入できぬ貧乏さ加減が憎い
そんな僕に朗報、家庭教師の依頼があったので明後日面接に行ってきます

時給2000円ですか、まあそんなもんです。というか、お金貰えるってだけでもうそれだけでナイス

あああ;コンポタ味あと一本

ウィスキーもあと数デシリットルを残すのみになった。非常に寂しい。
僕は普段酒など飲まぬのだがなんか成り行きに近い形で購入してしまったので飲む飲む
銀の雪降る降る

「当店では未成年者への酒類の販売はしておりません」
って、張り紙とか店内放送とかで言ってるけど
別にさあ
「当店では」って言うけどさあ
日本中どこへ行っても未成年者への酒類の販売は非合法なわけであって
いちいち宣言することでもないはずなんだがなあ

芸術について僕が思うのは

お昼にお弁当を食べてる人が幾人かいてとても羨ましく思った。
僕もお弁当が食べたい。
弁当ヲ 弁当ヲ ドウカ ドナタカ
一日50円までなら出します

水ヲクダサイ
アア 水ヲクダサイ

愛ヲクダサイ 
ヲウヲウ 愛ヲクダサイ zoo

夜ガクル 夜ガクル
干カラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ

水ヲクダサイ
コノ孤独ナ夜ニ潤イヲクダサイ
干カラビタ眼二生命ヲ
タダレタ唇二ミズミズシサヲ
アア 愛ヲクダサイ
弁当ヲ 弁当ヲ ドウカ ドナタカ
ドタナカ
ドクタータナカ

「いかにも、わたしがドクター・タナカである」

あああ
酔えないし

明日学校あるし
家庭もあるし
暇だし
カーテンもあるし
花を入れる花瓶もあるし
嫌だし
かっこつくし

話す言葉はとってもネガティブ
思う脳味噌ほんとはポジティブ

勿体無くて
あと数デシリットルが飲めない
この貧乏性をなんとか

ああ

また虫が大量発生
いざ台所

2003.5.27(火) ㌧足

あの頃、心、若く、ダメでした。


えー最近ね、なんか調子に乗って他人の家でご飯食べたんですわ
ほら自分の家ですとまだラマダンで、ほとんど食べ物ってないんで
ひとんちでバクバクバクバク食ってまして
したら当然の成り行きで
自分ちの台所っていうのに注意行かなくなるやんね
洗いものとかっていっぺん機会逃すと面倒くさくなるやんね
うん
人んちでゴーストスイーパー美神読んで人んちで飯食って人んちで寝て
人んちで起きて人んちから登校して人んちに帰って人んちでゴーストスイーパー美神読む
なんて生活をここ2、3日繰り返してたんですわ、したらね
したら
当然の成り行きで


台所に虫が沸きました

台所に蟲が沸きました












いやね。
もう殲滅ですわ。殲滅。
極楽へね、行かせてやるぞと。ね。これ、ね。


普段の僕は虫も殺せぬ心優しい青年であってナイスガイであって(嵐を呼ぶのであって)
蚊とか兵器で殺す、いや平気で、ぷちん、とかってぶっ殺してるの見るとうわあって思って
しかもその殺生行為に対し何らの自責の念も負わず
「おっしゃー!仕留めた!!やーぁりぃーーー」とか叫んでるような若者どもを見るにつけ
もう憤怒ですわ。形相的にも憤怒。
ふざけんなと。
おまえらもっぺん少年時代に戻って手塚治虫の火の鳥を読めと。特に鳳凰編を読めと。
絶対軽軽しく虫とか殺せなくなるからって
思うんだけど
今回ばっかりはまあ、殲滅しました。


ごめん、ごめんよ、ホントはこんなことしたくないんだ、けど、けど、
元はと言えばおまえらが法を犯したのが悪い、
そうだ、他人様の家に住居不法発生なぞ言語道断ではないか、
万死に価する。


と、殲滅儀式が一通り終了して、我思うに。
うん、僕は旧約聖書を信じるぞ。
ダーウィニズムなんか糞食らえだ。人間が猿から進化したなどと信じるとは愚の中の愚、愚の骨頂だ。いただきだ。
全宇宙の愚の頂点に君臨するね。

アダムとイブやその他の生物たちは、間違いない、自然発生したのだ。
恐らくは神様の台所で。


ヤーウェの野郎、一人暮しの癖に愛人の家に入り浸って自分ちの台所にまで気が廻らなかったと見える。
要するにこの宇宙というのは台所なわけで。地球は流しなわけで。だから水と有機物とに富んでいるわけであって。
太陽は電子レンジなわけで。
僕ら生物は流しに巣食う虫なわけで。



そんなことを考えつつ
独り流しの掃除。
もういかん、無駄な殺生はしたくない。
すっげぇ罪悪感。
だってさあ、おいらたちって、
肉とか食うじゃんね、豚とか牛とか鶏とかね、動物愛護してるくせに動物殺して食うじゃんね
けど
そこには「食うために」殺すっていう確固たる目的があるんだよね、そのおかげで矛盾しつつも開き直れるんだけど
虫って食わないじゃんね、あんま。
食わないのに殺すって、どうなのよ。
うーん。




(虫たちの死骸を見つめる僕)




食うしかないよね。
2003.5.26(月) 仮面ライダー変死ポーズ

偶然、去年教育実習に来ていた早稲田大学教育学部数学科の方に出会った。
実習の時既に4年生だったからもう会えないかなと思っていたら、会えた。
まさかごねんせ…とか思って、そのことを訊ねるべきか否か迷っていると、聞く前に

「俺もう院生だよ」

と仰られた
それから夏みかんゼリーを頂きつつ外の広場で少しお話をした。
偶然同じお芝居を見ていたことがわかった。

「ああ、もしかしてラストにちんこが地面からせりあがってくる芝居ですか!?」
「そうそうそう!」

楽しかった。
大学は別に授業でなくても単位貰えるからとにかく遊んどけと言われた。
あっしは馬鹿でやんす。
何でもうのみ。
というわけで1ヶ月ほど学校を休んでタイランドかこめにでも飛ぼうかと思います。
イギリスはちゃんと準備して行きたいからまだとっといて。

とか言っといて夏休みに北海道が関の山だろうなあ

けどこめ食べたい

2003.5.25(日) 永井豪なびかせて悩ましげなボディ

お友達の家でゴーストスーパー美神極楽大作戦を20巻まで読んで
朝はコーンフロスティを振舞ってもらってから帰って登校。
今夜も行って読まなきゃ。あと20冊くらい。

バイバイサッドネスアンドファインドアウト
いきばのないあなただから
バイバイサッドネスアンドファインドアウト
わたしがいまみつけだして

ファインドアウト
みつけだして

アイハブネバーシーン
みたこともない

わたしの
まい


グラジエイション




僕は僕なりに「僕語」ってのを持っているつもりであって
それは口調であり文体であり単語の使い方であったりするんだけど
別に著作権を主張するわけでもないし(またそれが可能なわけでもない)
何かに波及しているとすれば喜ばしいことでもある
更に言えば僕はパクリという行為が大好きだ
正当化している
けど
なんか大事な友達を横取りされたみたいな感覚
ごめんなさい僕にパクられた皆様方




お試し期間ということでヤホーBBを導入したはいいが
BBフォンが繋がらないではないか。金返せ。一銭も払ってないけど。




その昔二つ下の後輩にねえ
「ジャッキー先輩に恋心を抱く女の子って信じられない」
と言われて少なからずショックを受けたことを思い出した。
それはとっても良い意味でのことだったんだけども。

罠だって、罠だってわかっているのに
ああっでも目の前の餌は美味しそうだっ



僕は横島クンなのではないかと思えてきた。
ところでGS美神という漫画の中で
おもちゃ売り場のシーン

子ども「あれ買ってー」
父さん「同じの持ってるじゃないか」
子ども「違うよ、あれは17号、こっちは18号だよー」

とかいうやり取りがあって
おやっ と思ってそのコマをじっくり眺めてたら
なんと
右端のほう切れてて最初のほうの文字しかわかんないんだけど
《DRAGO》
って書いてあって
やっぱりって思った。



横島クンって物の怪の類に好かれるんだよね
異様にモテるんだよね。
僕も変な人にばっか好かれる。
一般の人は僕を好いてはくれぬ。
要するに僕の周りは変人だらけということで。
楽し過ぎるなあとね。

さっきもメールボックスを覗いたらサ
高校の友達(乗り物研究同好会二代目会長)からメールが来ててサ
題名もついてなくてサ
なんだろうと思ってあけてみたらサ
たった二文字


福谷


あんたそれ卑怯やって。

2003.5.24(土) 猫の毛さえも刈りたいくらい

対岸を軽く一太刀がすんなり
TALK高く足音を告げていく
突っ切っていく奴を払い飛ばす鮫が
来るまでの身近過ぎる循環



僕の周りは雄太くんだらけ
嬉しいね



犬は増えるがキャラバンは減る



ライス



醜態を曝す正日



Electric



電気メーター読み



暗がりから手を伸ばして強姦



本屋はブギー・ポップ



排し排されて生きるのさ



ダブリン



カロゴンズにのって



強い気持ち・弱い気持ち



ジョーをノックアウトするのは力石だ



B専上のボーイズ・ラブ



さよならなんて言い得ないよ



通貨リラ



僕ラガービール大好き



大人になれれば



久米が久米なら



Buddha



一色紗英も



光あれ



春をして君を思わしむ






死んじゃいそう
蜘蛛が散らばってる
それに
誰か話した朝鮮語富んでいくよ



簡便にならん、何もかも。
ホントに。
フワフワ生きていくためにはどうしたらいいか。
現状維持のまま
フワフワと生きていく方法は
果たしてあるのか。
フワフワとfuzzyに
綿毛の様にさ


昂き哉 の発言 :
いるかもしれない
昂き哉 の発言 :
待っていて欲しくないってことなんだろうね
昂き哉 の発言 :
僕はそのイチへ「向かっていく」わけであって
昂き哉 の発言 :
そこへ辿りつくのは紛れも無い僕でなくちゃいけないんだけど
昂き哉 の発言 :
けどどこかの地点で用意された自分がいて今の自分はその地点に収束されていくというようなイメージ
昂き哉 の発言 :
それが怖いんだと思う
2003.5.23(金) アメリカナイズ化

不意に心を奪った瞬間の

不意に心を奪った瞬間の

不意に心を奪った瞬間の



カラオケに
ユリマリの
スーパースター☆ハムスターが入ってなくて
こないだどっさりショックを受けたんだけど
なんで?


ハイパー女医のくせに生意気な


好き好き好き好き大好き
男の子のこと大好き
女の子は
女の子は
スーパースター

中学の頃、なんかのラジオ番組を毎週聴いてて、
もしかしたら岩永哲哉の電波マガジン→ルナシー真也のディーパーストリートの流れだったかもしらんが
なんかの番組となんかの番組とのあいだに
DJコー(TRF)の帯番組がやっててさ。10分くらいの。
一時期毎日毎日毎日毎日ユリマリが出てて
スーパースター☆ハムスターが毎日毎日毎日毎日流れてたんだよね
それから数年して
敬愛する鳥山明氏の作品を原作とするドクタースランプというアニメで
崇拝する太田光氏の作詞によるオープニングテーマを歌っていたような気がする。

それでさっきからずっとスーパースター☆ハムスターのCDを探してるんだけど
どうやら実家に置いてきたらしく見当たらない
キー!
まあ
別に好きでもなんでもないんだけどな、ユリマリごとき。YURIMARIごとき。
幾らサンプラザ中野作詞パッパラー河合作曲だったとて。

それにしてもそれだけならばどうしてこんなにユリマリのために行を費やすのだろうか

不意に心を奪った瞬間の
不意に心を奪った瞬間の
不意に心を奪った瞬間の

別にGLAYって好きじゃなくても
ふと気付くと口ずさんでいる、口、ずさんである、口、荒んでゐる。

きっとユリマリには何か僕の心を捉えて離さない何かがあるに違いない。

ああスーパースター☆ハムスターが聴きたい
ああスーパースター☆ハムスターが聴きたい
ああスーパースター☆ハムスターが聴きたい
カラオケで歌いたい
カラオケで歌いたい
カラオケで歌いたい
女の子は
女の子は
スーパースター
誰か僕のためにスーパースター☆ハムスターを歌って





僕らは離ればなれ
たまに会っても
話題はない
感じたいことがある





アメリカへの往復航空券が15000円?
例の伝染病(DARS)の影響で航空運賃が暴落。
一方では観光客の減ったタイ王国で二大キャンペーンを実施。

①DARSに罹ったら無料で治療が受けられます
②DARSで死んだら見舞金あげます(約1000万円)


byタイ政府

これを耳にした中国文学演習の教授(34)が
今年の夏は中国への研修旅行がDARSのせいでポシャッたというので
タイに飛ぶそうです
僕も行って彼と
現地で飲み会を開きたい。
1000万円は他のDARS患者の治療費にあててください。


いやしかし一日一箱DARSをいただかないと落ち着かないというのは立派なDARS罹病者。
ダースリ・ビョーシャ、
なんかインド史に出てきそうな。



僕を待っている人がいるのは嫌です
特養老の畳に広告のアート紙ひろげて
爪を切ってもらっているような人

将来を予見するということはとてもこわいことだと思う。
特に自分に関することでは
もっと即物的に
もっと刹那的に
今この瞬間を感じていたいんだけども
自分を確かに待ちうけてるのは
確実にやってくる未来と
不確実な将来
それでもどこかに具体性を帯びて迫ってくる

例示は星の数ほどある。
ソクラテスは年老いた
ピタゴラスも年老いた
ストイコビッチも引退をした
故に
なんてのは馬鹿らしいけど。

僕を待っている人がいるのは嫌です
普通科高校の教壇に立って熱弁を振るい
小さなコミュニティでちやほやされているような人





谷川俊太郎。高校に入るまではほとんど、
『どきん』という詩集と
鉄腕アトムの主題歌
中学の教科書に載っていた「朝のリレー」
その程度しかわかんなかったのかも知らん
(たまにぱらぱら読んでたりはしてたが)
けど邂逅っていう言葉はホント有り難い語彙であって
フォレスト・ガンプなんて言葉じゃあらわしきれないよ
どうも。





箱の中で最寄のダース同士がくっついている
しかしこれって逆説的だ
ダースは12個だからダースなんだよ けど
ダースは1個だけでもやっぱりダースなんだよ
人間は人間だから人間なんだ。
人間によって人間としてカテゴライズされるからこそ人間なのであって
もし世の中に田中裕二さんだけしか存在していなかったとしたら
それは人間じゃなくて
田中裕二さんでしかないはずなんだけど
ていうかタナカユウジっていう絶滅寸前の種として定義づけることも可能だろうし
けどやっぱりタナカユウジさんは人間なのであって
ダースは1個でもダースなのであって
おかしな話だ。


ビビるが解散してもビビる大木はビビる大木なわけで。
死ぬまでこんばんみこんばんみと叫びつづけなきゃならんわけで
ちょっと哀れにもなる。


って前にも言ったか。


もう、なんだろうね。デニマム欲しい






性描写って現代芸術の上でもう欠かせないっていうか
みんなが大好きな村上春樹とかも頑張って性描写してるでしょう
けど演劇でそれをやるとどうしても嫌らしくなってしまったり
品性下劣だとしか思われなかったりとかするけど
今日見たのはもう性描写に関してはぴか一ですね。ぴか一。ぴかー。
いや性描写という言葉は似つかわしくない。ちんこ描写。
もう、ちんこ描写とオナニー描写。或いはちんことオナニーその他の表象。
素晴らし過ぎて涙が出た。
あと伏線。タモリをあそこで持ってくるのはある程度予想できるにしろ鮮やかとしか言いようがない。
いやこれほど褒めるのってあんまりないんだけど
それはたぶん、「完璧過ぎなかった」からじゃないかな。好感。


たぶんね、青汁を呑むことと一緒なんだよ。
息をとめて、ぐっと《読み干す》。
栄養があるって。そんな気がするでしょう?

2003.5.22(木) アル中・ル・乱暴

僕は活字中毒なんかじゃない。決して。断言するけど。
別に本なんか読まなくても生きていけるし、
活字を追っていれば幸せだってわけでもない。
読んでて楽しいのは活字なんかよりも漫画。数十倍に。
夏目漱石よりも手塚治虫を読んでいたほうが幸せを感じられるかもしれないし
谷崎潤一郎を10時間読み続けるのは大変だがドラゴンボールならいける。
映画よりも漫画だね。演劇よりも漫画だ。何よりも漫画。
僕の人格形成の何割かは確実に、手塚と藤子だからね。

奥井亜紀さんを聴いている
死ぬかもしれない これは

じゃあなんでそんなに本を読むのかと問われるかもしれないが
僕は確かに本をたくさん持っているけれども
然程読書はしていない
と思う
見栄えの良いとこだけ拾って、見掛け倒しに武装してるだけ。


いうことがおぼろげであれわかっているから
非常に焦る

2003.5.21(ミズ) 夢でティッシュ ティッシュ ティッシュ ティッシュティッシュティッシュ

大学の
生協で
ダースを買ったの
白いダース
94円で
104円出したの
おつり
10円ね
「おたしかめください」
って
ゆわれた





小説書くのって難しいよね、友達に何人か小説書いてるのがいるんだけど、
その中の一人の作品を読んでみた。
もう原稿用紙にして100枚とか200枚とか
そのくらいの分量の中編とかどしどし書いてて
真似できないなとは思うんだけど
それを読んでいろいろ思うには、



僕が本格的な小説を書いていたのは中学校の頃だけだった気がする。
いや、「書いていた」ちゅうか「書こうとしてた」ちゅうか。
高校に上がってから書いたものの中で、お世辞にも「小説」と言えそうな文章はひとつもない。
それは《書いたらWebで公開する》、っていう前提があるから
かもしれないけど
恥ずかしくって言えないよね(書いてあるけどね、《活字芸術》には。小説って)

中学の頃は、なんというか、馬鹿だから、自分がモノカキになったような気でもしてたのか知らんが
なんか「自分、小説を書いてる」っていう意識があったんだと思う。
今の僕から見ると非常に卑しい意識なんだけどね。
当時はまだ漠然とした夢があったのかもしらん。
漠然とした夢が持てるのは本当に若いうちだけで、
誕生日を迎える度に、だんだんと具体性を帯びていくというか。
具体的に考えれば考えるほど、遠ざかって行きがちなものなんだけど
それでも夢を追いつづける人っているよね
けど

夢を追うことに意味を持たせすぎてるんじゃないかと時々思う
演劇サークルの飲み会なんかに行くと
先輩たちはみんな、野心とか、夢とか、漠然なものと見せかけてその実かなり具体性を帯びた、
欲望のようなものを持ってる。ように見えた。
彼らはもしかしたら、恋に恋するお年頃、なんじゃないかって少し思う。
夢を追うことが何よりも素晴らしいことなんだと思ってるから
本当の目標は夢の内容ではなく夢そのものになっている。
そんな雰囲気が、アマチュア演劇の世界には漠然と流れつづけている。漠然とね。その実かなりの具体性を帯びて。
なんとなくだけどそんな気がする。

背伸びしてるような感じかな。けど、背伸びしなくちゃ台所の戸棚は開けられない。
昨日お邪魔させてもらった女の子が笑いながら語ってた。
「あたし、あの扉開けたことないのよ」
いやいや、関係ないんだけど思い出したから。背伸びしたって開けられない人だっているんだよなあとね。

背伸びしなくちゃ何も始まらないのにそういう姿勢を冷ややかに見つめちゃう、僕みたいな立場はさ
要するに自分が同じ高さで留まってるからそういうことを感じるんだろうね。

けど僕は、自分が背伸びをしているかどうかなんてわからない。たぶんしていないんじゃないかな。意識的に。
よくありがちな話なんだけど、
ほら、徒競走で本気を出さないのは本気を出して負けた時に笑われるのが怖いからって。
「今回は本気じゃなかったから」っていう言い訳を、クラスのみんなや、好きな女の子や、自分自身のために用意する。
それと同じで
背伸びしてみて、例えば自分が、本気で《小説》を書いてみて、だめだったら、もう絶望的だ、とかね。

そういうわけで、高校の頃に書いた文章を全て《小説》とは言いたくないわけだ。きっと。
同じ《小説》という土俵で比べられるのが怖いからね。それに、
僕は本気を出してない。

なんて、図々しい言い訳続けてさ。
あははは、あは、ああ。

話が逸れたなあ。要するに小説を書くのに必要なのはセンス。単語力がイコール語彙力には繋がらないし、読書量がイコール構成力にはつながらない、執筆量が表現力と比例するなんて話を僕は信じない。そんなことを思った。
感覚だね。ごく大部分は、生来の。
文章力はどこで培われていくかというと、その人が読んでいる活字とか漫画とか、音楽とか、映画とか演劇とかテレビとかね。そういうので大部分は決まると思うんだけど。けど例えば赤川次郎が大好きで、赤川次郎の作品ばかり読んでいて、それで小説を書いてみたら、赤川次郎よりも出来が良かった、なんていう話は、ありえないんじゃないかと思うしね。
目標にする、っていうことはその対象が現段階の自分よりもLV.が高くなければ成立しえない。普通は。
だから、極端な話、もちろん例外は小惑星の数くらいあるんだろうけど、

ケロッグコーンフロスティを目標にしてコーンフレークを作ったら、ケロッグコーンフロスティよりもおいしいコーンフレークはできないし、ポルノグラフィティを目指してバンドをやったら、ポルノグラフィティ以上のバンドにはなれないし、キングコングを目指してお笑いはじめる奴は、デビューすらできなかろうと思う。要するにセンスの問題でしょ。そいつのお笑いセンスがキングコングでストライクなんだったら、そいつのネタだってたかが知れてるってことになる。センスがキングコングと同調するレベルだったらキングコング以上の芸人になることは難しい。

ルックスが良ければ別かもね。

だから、だいたいまず最初に、世界で一番素晴らしいと思う芸術家の名前をたずねたら、
もしかしたらその人の

2003.5.20(火) ティッシュは目にして

良い日だった。日本文学史の授業でレポートを提出せねばならなかったのは先週のこと。僕はその前日、月曜日の四限目を利用して『小野篁と菅原道真の現代性についての考察』という論文を書き上げた。道真を褒め、篁を貶した。米国とそれに追従する日本を徹底的にこき下ろした。能力主義を批判した。「コノテーション」という学術用語を使用した。「小山田圭吾」という固有人名も登場させた。理由もなく。

実に不可思議なことだがそのレポートが教授的にヒットだったらしく(恐らく教授はコーネリアスのファンなのだ)講義中に何度か僕の御名(みな)を口にした。自敬表現。「おざきこうやくんのレポートが…」と仰られていたが、僕はそのような御名ではない。自敬表現。

ちょっとばかし突飛なことを書いても認めてくれるのが大学という場所なのか。と、「あらぬ」実感。

また、
別にこの空間でも
僕は暮らしていけるようだなあ

認識して
ほっとしたような
物足りないような




夜中に我が家から2キロ半ほど離れた小娘の家に
ガス代の請求書を届けに行って
1時間ほど迷って
ゴールでは焼き蕎麦が待っていた

それから三時間くらい
お約束だけど

ミスター・ミスター・スクウェア(ミスター四角氏)というのがお父さんで
ミズ・ピロー・スクウェア(ミズ四角枕)はその奥さん
ふたりの息子が
トヨタロウマル・スクウェア(豊太郎丸四角)、愛称は《とよまる》。
とよまるの友達がふたりいて、
エリスと、相沢。

なんて設定で
おままごと
男のくせに
やあ
やあ

むやみやたら浴びるほどに楽しかった。
バッキバキのカチンカチン楽しかった。

それから
そのまま

むんむん むぬんぷ むぬんぷ むぬん
ぬんぬん ぬぬんぷ ぬぬんぷ ぬぬん

ぷすぅ
と一声

ガイルが
2003.5.69(月) 宝 put ポッ 神龍 ぷ ピリッと パロ

過去の景色がフラッシュバックディスコする

2003.5.39(月) 山椒魚は小粒でぴりりと辛い

痩せたい痩せたいと叫び続ける太った女性たちを巷でよく目にする。自分の欲望にはできるだけ正直に生きたほうが良いと僕は思う。痩せたいのならば早く痩せればよいのに、どうして彼女らはそうしないのであろうか。自分が痩せることで他人に迷惑がかかるのではないかなどとあらぬ懸念を抱いているのだとすれば明らかに自意識過剰である。心配いらないから、君は自分の欲するところそのままに、痩せたいだけ痩せていいんだよ。無理に自分を戒めることはないさ、ナンセンスさ。何よりも自分のしたいように生きていくのが一番。ほら、痩せてごらんよ。遠慮はいらないよ。ねぇ痩せたいのでしょう、気兼ねなんかしないで、さあ早く。今すぐに。

2003.5.19(月) 勝手にしにやがれ

たまにいるんだ、これが。特に女の子とかでさ。自分の写真をWebに載っけちゃうの。悪いことじゃないんだけどね。僕だって現にほら。けどさ。浅ましいっていうかさ。汚らしい部分が見えたらそれはもうNGだよね。知り合いの女の子のWebサイトを見てたら写真が貼り付けてあった。妙に写りが良かったとする。ちょっと汚らしいというか汚らわしいというか、ちょっぴりダーキーな気分に浸れません?たまたま綺麗に写ってるもんだからさ。それをナルシズムの範疇で留めておけないで、見栄を張るために公開しちゃうってのはさ。どうなのよとね。僕はその人を全ての角度から見て知っているもんだから、本当はどの程度のルックスでしかないかとか知ってるんだよね。知ってるからこそその写真がどれだけ卑しい心情のもとに公開されたものなのかわかってしまう。恐ろしい。写真を載せようと思って、何枚かあるうちから一番写りの良いものを選ぶってのは当たり前だと思う。けど、たまたま奇跡的に綺麗に写ってる写真があって、それを他人に見せびらかせたくて、要するに見栄が張りたいがために、それを公開するというのは、余りにも心が卑しい。順序が逆だ。順序が逆。そうだインターネットでは顔が見えないからそういう詐欺まがいの行為も平気でまかり通るのだ。というわけで僕も、特別に写りの良い写真をここに公開することにする。







【削除。本来はもの凄い写真が貼ってあった】
2003.5.18(日) 東京不倫

あー。芝居を観に行ってきた。ってなんだよこれ。信じらんないよね、日本人のくせに英語とか。
アメリカは嫌いです。けど別にアメリカの全てが嫌いってわけじゃない。好きなところもたくさんある。
英語はUKのものではなくUSAのものになっている。僕がオックスフォードの英英辞典を使っているのは、見出し語にcentreが載っているから。おっと、英米論争というのはヒロシマナガサキ論争に通ずるものがある、ような気がするのでもうやめておく。
上智大学のとあるサークル
まあ個人的にはなかなか楽しめたんですけど下手でした。全てが。
パンフレットに演出の挨拶とかが書いてあると真っ先に読むんですが、だいたいそれだけでアタリがつけられる
特に演出と脚本が同一人物の場合は。
大抵のお芝居って、よしあしが脚本家の文才ひとつに懸かってくることが多いと思います。
脚本家の文才と、演出家のセンス。あとは魅力ある役者かな。これだけ揃えれば失敗はまず有り得ません。
《原始的な》芝居である限りは、の話ね。

僕の友達に言わせれば脚本なんてのは芝居を構成するためのほんの一要素にしか過ぎないらしくて、
それに重点を置きすぎている現代演劇へ彼は箴言を投げかけていたものだった。

まあでも東京に来て何本かお芝居を見たけど
どこも一緒。始めに台本ありきだよ。
仕方ない。
けど文才ないとやばい。
ここでいう文才っていうのは物語を作り上げる能力というよりも単純に「文章力」の話。
聞いてて心地よいリズムを創り上げられないのなら、せりふのない芝居を考えたほうがよっぽど良いね。
汚い言葉は聞きたくない。

地元の、後輩のかわいい女の子に、
「聞けば、コーンフレークばっかり食べてるそうですけど、だめですよ」と叱られた。
しずちゃんに嫌われるのは、また今度にしようと思った。

呼び出されて友人の家へ行ってさ、とある大学の人と幾らか話しをする機会があったんだ。
自分と体臭の違う人間と一緒にいると疲れるね、
ほら自分の身体の匂いとかって恋人に言われて初めて認識できるってくらいに普段はなかなか気にならないじゃないか

なんで文系はひ弱なのに理系はマスクルなんだ?
これは単なるイメージか?
統計をとれ
統計を

いや待て違うな
文系がひ弱なのではなく
ひ弱な奴って、自動的に文系の烙印を押されちゃうんじゃないか

不良がウド鈴木なのではない
ウド鈴木が不良なのだ
ウドの兄ぃ…

嗚呼極山裕さんおれあんたのことが好きだったよ
何度かメールも交わしましたよね

読書しながらバスケットボールをする奴と
硫酸で亜鉛を溶かしながらバスケットボールをする奴と
どちらがイレギュラーかといったら
一目瞭然だ。

じゃあね
あとで寄るよ

2003.5.17(土) moeyo doragon ash

 I merely remember, but never forget. Anyway WE first met in A small place you read an exotic book (or looked at a mysterious picture). What did I do then? Oh, I don’t remember at all. But as you recalled yesterday, roughly speaking, I certainly sat at the desk in the centre of the room and you certainly sat at the desk in the corner of the room. We had a distance. But I aimed my eyes at yours, and you should have aimed your eyes at mine because then I felt I could see my eyes in your eyes. Both of us thought our COUNTERPART to be an eccentric.
 I was fifteen. It was March. And it was the beginning of the end. Then the end of youth had begun, certainly.
 Maybe you don’t know it. I saw you more, than you saw me. Though several days passed from the day on, I never forget you. In fact, to say the truth, I was searching my second-chosen school for you and easily, I found you soon. I came to believe the words ‘destiny’.
 We had the same road in common. I used to go to the school by bicycle. You too. On our way to school we often recognised each other with no words. One day I saw you who as a recommender addressed in the gym. Since your address was very surrealistically, my interest in you gradually swelled, like a balloon. The more days I have, the more the balloon swells... Now the balloon is about to burst!
 Later. One day, we exchanged the first words. It is a detail. I don’t remember what happened at that time. Still I’m sure that you asked me my name and I answer. I say, ‘They usually call me “Jacky”’. You are thinking for a while, or just a moment. ‘Well, then I call you “----”’.
 The name you pronounced is strange. But I didn’t feel uncomfortable. I accepted your propose that you call me the strange name. I have hardly known one of my friends who call me the name except you. Virtually the name is yours. And also Mr. THE NAME is yours. How happy it is! I can’t stop saying three cheers for it. Ha-ha-ha. (Do you remember that you said about three years ago WO/MAN is as many as s/he’s name.)
 Anyway, anyway. We FIRST met somewhere sometime and someWAY. Yet it is a detail. We met anyway and we are bestfriends now (at least I believe). That’s destiny! Where? When? How? Which words? With any feelings? Non, non, non, it’s only a detail! A cliche! A Nonsense! We’ve met. Only a thing.
 I revenge myself on you by this essay. Do you understand I mean to say? A-ha-ha.
 Because. I am a shyboy.
 Well, I love you.
 And I love her. (of cource she is you)
 You know, I miss you.
 Do you miss me?



 Oh, I remember. It was April. I handed you a paper in the library.
 The paper said, ‘ozakit2000@hotmail.com’
 What an active I was...A-ha-ha-ha-ha-ha!



僕の心は
衛星のように
ぐるぐる ぐるぐる
ぐるぐると廻る
あなたを廻る

何も変わりはしない
何も変わりはしない

僕の心は
衛星のように
ぐるぐる ぐるぐる
ぐるぐると廻る
あなたを廻る

何も変わりはしない
何も変わりはしない

何も変わりはしない
何も変わりはしない

何も変わりはしない
何も変わりはしない

2003.5.16(金) グレーチ と金 パワーズ

ああだからさあ
ああだからさあ
ああだからさあ
ああだからさあ
ああだからさあ

Groovetubeを



ズイゾだのゾルバだの




がっことねっとのぎゃっぷについて
つっこまれてみた

夜中のコーヒーのようにblackだからと




もしも世界に天井があるなら
いつか瓦解するね
頭上に落下して
そして僕は死ぬんだね





僕はあの娘に恋をして
くちびるに枷を填められた


絶望も
希望も
もう歌えない


ずたぼろの
僕のさえずりは
甘ったるくて


僕はもう芸術を知らない
僕はもう宝物を失ってしまった
すべての心は歌われて
くだけちる





痛い痛い痛い痛い痛い痛い
念のため言っとくけど
今の瞬間
僕はただ
化けてただけだからね
佐藤春夫に



 魔女め
 魔法で
 俺の詩形を
 歪めやがった




もしも世界に天丼があるなら
いつか堕胎するね
股下に落下して
そしてあなたは生まれない



心底揺るがされる
ぐらつくわ
不確かなものが多すぎる
シャンデリア


ちなみにね、ドラえもんを研究するのにドラえもんの知識があれば良いかというと、そうじゃない。


将来の見とおしが全く立たぬ


常套的な批判を無批判に受け入れることほどタチの悪いものは無かろうと思う。

ドラえもんを馬鹿にする輩がいる。無根拠に否定する輩がいる。僕としては許せない。
念のため「単行本ちゃんと読んだことあるか」と問うたら「読む気にならない」と答えおおせた
彼の曰く「のび太のとことん受動的な様が許せない」だそうであるが
僕にはその「受動的」という言葉の意味するところがわからない。

要するに彼は常套的な批判を無批判に受け入れているだけなのだ。彼としては自分で考えて弾き出した結論のつもりなのかもしれないが、彼の批判は常套的なのである。余りにも有名過ぎる。もう何十年も昔から繰り返されてきた論議である。「ドラえもんは非教育的漫画である」と。

彼は有名な批判を無批判に受け入れあたかも自説の様にして悪口を展開するのだが所詮は元々他人の学説、彼の中には根拠も存せねば又論証も出来ぬ。だから「受動的」などという意味不明でかつ常套的な「どっかで聞いたことある言葉」しか使えないのである。意味もわからず「コノテーションが…」とか格好つけて言っちゃうアホ高校生と変わるところがない。

もちろん、ドラえもんの教育性について、言い尽くされてきた議論をここで詳細に再燃させる積もりは毛頭ない、ドラえもんはすばらしい作品である。それだけだ。だがドラえもんを「是」として支持するための正当な議論を我々ドラえもんファンが確実な説得力を持って展開できるのかと言ったらそうではないのである。ことファンだと言ったらなおさらで、どうしても感情に走ってしまいがちだ。「面白いもんは面白いんだからいいじゃないか」などと言い放ち、挙句の果てには「読みたくねえ奴は読まなきゃいいんだよ」と投槍な姿勢を示しファン共同体の殻の中のみに閉じこもらんとするような者も多くある。こういった態度は建設的でない。

一体何が問題なのかと言ったら、「ドラえもん」という学問が未だ確立されていないということである。ドラえもんを真剣に研究している専門機関は世界中捜しても富山大学のドラえもん学コロキアムだけであり、彼らの研究も著しい成果を挙げているとは言えない。目下データベース製作の段階に踏みとどまっている。これは全ての研究の基本になるところであって、これが完成せぬ限りは如何なる種類の研究も説得力を持ち得ないのだ。

のび太の受動性を弁護するに次のように説明することは簡単である。
まず、漫画『ドラえもん』の中で、のび太が自らの欲した《ひみつ道具》を意のままに掌握し、自身の欲望を満たすためだけにこれを使用する、などといった単純な話は、現在刊行中のどの単行本のページをめくってもまず発見されないのであって、一般的に認知されている典型パターンである[のび太が泣く→ドラえもんが道具を出す→問題が解決して、めでたしめでたし]というサイクルを有している話は、恐らく全体の1%にも満たないのであって、また、これまた典型とされる[のび太が泣く→ドラえもんが道具を出し渋る→無理矢理出させて悪用→痛い目を見る]といったパターンの話も、これまた少ないのであって、てんとう虫コミックスだけを取っても全巻を通読してみれば一話一話の話の複雑さに読者は驚かされるであろう。一つとして似たような話がないのである。その多様な物語の中でのび太が何を考え、どう感じ、どのように行動して行ったか、ということを想起していただければ、ドラえもんが非教育的などという言葉は出てこよう由もないのだと、我々ドラエモニアンは考えるわけだ。

が。

いったい誰がそれを感情的にではなく「論理的に」説明し得るであろうか。ファンがどれだけ声高に叫んでもそれはテマエミソであり、はなからドラえもんについて懐疑的な視点を持つ批判者らには焼け石に水であり年寄りの冷や水でありお水の花道である。「あなたたちはそう《感じる》かもしれないが」との旨をお互いに交換しあってこれにて議論は浜に打ち揚げられたトビウオである。これでは意味が無い。もっと学問的に、論理的にドラえもんという漫画を論じる術を我々は有していなければならず、そのためには熱心な研究が不可欠なのである。

感情的に面白い!と叫ぶだけではそこらへんのポルノグラフィティファンと同じ。

だから僕はドラえもんの研究に真剣に取り組んでいこうかと思っています。ドラえもんの面白さ、素晴らしさ、歴史的有意義さを説き、完璧な論理と確実な説得力を以って世界中の馬鹿どもを理屈で捻じ伏せてやりたいと思うわけであります。好きなものを否定されたときに、言い返せないのはとても悔しいし、多種多様の見地からドラえもんを検証し、永遠に漫画史に残るであろう論文を書いてやろう、と私は思うわけで。

そのためにとりあえず富山大学に行ってもう一度横山教授に会うしか有るまいな。うふっ。

昔は評論のみで飯を食っていくのは不可能だと言われていた。しかし小林秀雄の出現によってその定説は打ち砕かれたと言って良い。僕はドラえもん学における小林秀雄になれるであろうか。
しかし本当に評論のみで生計を立てられたのは吉本隆明をはじめとするごくごく少数の天才だけであろ。
ああ。
無理くせぇ。しかもテーマがドラえもん。アホか言うねん。

で、本題なんだけど、僕は研究のために就職せずに一生ドラえもんを読んで暮らしたいと思います。いやもちろん研究のためなんですよ。研究のため。別に働くのがめんどいとか億劫とかじゃなくて研究のため。なので僕の研究を手伝ってくれるパトロンの女の子を募集します。一生養ってください。惜しみなく愛は奪います。関係無いけどね。

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