2003年1月後半の行い(Jacky)

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真剣十本しゃべり場。
見てると
おもろいのかおもんないのかわからんけども
わかることは
パッと見オーラの出ている奴と
全く出てない奴がいる。
前者はひとり、いるかいないかだけど。

テレビって普段顔に魅力のある人たちばっかり見るから
なんか新鮮。
絶対に民放に出てはいけない人とか(除お笑い番組)

ちなみに石村竜太(17)だけオーラでてる。
パッと見
平和について考える討論サークルを主宰

真剣十本しゃべり場。
または言ってみりゃここがヘンだよお前。

ていうか
出たい。

おお友達よ
勝手に応募してくれ
アイドルのように
ASAYANのオーディションに
出てた人たちのように
2003.1.31(金) しヴァリアース

時間というものが可視的なものではないということは誰でも知っていることだと思う。電流とは違う。電流は目には見えない。しかし電流は流れる。なんだか頭痛が痛いみたいになるんだけど、電流は流れる。ところが時間は流れない。俺はここで逆説的なアイロニーを呈示しようというわけではない、要するに【時間は人間が作り出した最大の発明】だということを強調したいだけ。


上手くいえないんだけど時間というのは前から後へ移動していくものではない気がするのだ、現在俺たちが知覚している時間らしきものは人間の定義でいえばたしかに【時間】なのだが、本質的には【時間らしきもの】でしかない。人間のいう時間などというものは存在していないのだ、【時間らしきもの】という俺なりの定義は、存在しないものに対して便宜的に用意した無味乾燥なラベルにすぎない。《クラインの壷》のようなものだと考えていただければよいのかもしれない。


俺の中のイメージでは、時間とは流動するものではなく回転するものだ。この言葉は正確ではないかもしれないが。とにかく時間はAからBへと移動していくようなものではなくて、地点などという概念をもたない場所でぐりゅぐりゅと運動しつづけているだけのものではなかろうかと思うのだ。


現在は肯定するけれども、過去や未来を俺は認めない。そして馬鹿馬鹿しくなってきたのでこの話はやめる。




事故を起こしてしまった。俺が自転車をしゃかしゃかと漕ぎ進んでいると原付と正面衝突した。自転車は浮き上がったが俺は持ち前のバランス感覚と野獣の勘でくるくると見事着地を決めたが、相手のほうはぶっ倒れていた。うつ伏せで倒れていた。すぐに走りよって

顔から血が出ていた。救急車を呼んでもらって、人が集まってきた。たくさん。俺は

パトカーがアイドリングするのはどうかと思って、注意したかったけど、できなかった。授業はとっくに始まっていた。自転車は乗るどころか、押していくことも引っ張っていくこともできない状態だ。それでも仕方なく俺は引き帰した。3キロか4キロ程度だと思ったが、担いで帰った。随分と疲れてしまった。疲弊だ。恐らくはこれを、日本語で疲弊というのだろう。



意味不明だ。すべてが意味不明だ。俺は。俺は。俺は。俺は。俺は。俺は。俺は。
こんなこといっていたら一生自我が確立しない。俺は誰なんだろう。
一人称に頼っていてはいけない。
実は自分のことを「トモちゃんは~」とか「篠原はですね~、」とか「ビビアン、」とか、「ごまっとうはね、」とか言ってる奴って
賢いのかも。
と僕はそう思う。

2003.1.30(木) チンギス・アハーン

夜静かに降り積もる雪
真夜中にゆっくりと降り出した雪



午前六時
僕は家を出る
奴も家を出る
同じ道を通り
互いの家に向かう
出会い頭
開戦

ゲリラ


ティトーのように



雪合戦をして
雪で「ちょんまげ」を作って
その横にちょこんと「まる」を置いて
ボスキャラを倒す感じ

それから学校に行って
雪が なくて
三十分間下駄箱の前に立ち尽くして
みんなに謝罪をして
だって
昨日の夜の段階で
「明日は雪合戦!」って
リレーメール送りまくって
後輩には
「先輩何してらっしゃるんですか」と奇異な目
笑って、言わなくてもいいような軽口

2003.1.65(山) ひがぁしぃ やまびこやまぁ にいしぃ やまもとやまぁ

メイド
メイド
メイド
メイド
メイドで
メイド
(メイド)
メイド
メイド
メイドで
メイド
メイド
メイドで
メイドあり
(メイド)

〔歌:とんねるず〕

2003.1.29(水) マキャベリージャム

細野晴臣と
高橋幸宏と
坂本龍一と
小山田圭吾が
セッションしてる
思ったよりずっといいな
スケッチ・ショウ。


教師という職業は強く意識してるんだけど
そうかな。


学校の図書室にあるパソコンに、MSNメッセンジャーが入ってるのどうしてだろう~。

コマーシャルに入るときに「ほら、迎えに来たよ」って言うやつどうしてだろう~。

この人最近阿倍仲麻呂に似てると言われて喜んでたけどだけどやっぱり奇面組の運動会

運動会若しくは電撃ドクターモアイくんやっぱり桜金造

パンダの目が意外とするどいのどうしてだろう~。



なんで踊ってんだスケッチ・ショウ



どうしてだろうどうしてだろうどうしてだどうしてだろう


救急車の音がしたら出汁がでないの何故であろう

昆布が海の中で飴玉持ってるの何故であろう


何故であろう何故であろう何故だ何故なのだ



誰だ!

俺にシールを貼った奴は誰だ!

ダリだ!
おなかが痛いのは

ダリだ!
目隠ししてるのは

ダリだ!
あせもが多いのは

ダリだ! ダリだ! ダリだ! ダリだ!

「ダリなんだー」



過去の景色がフラッシュバックディスコする
売買



スケッチ・ショウの曲にRYDEENがサンプリングされてるのどういういきさつだろう
何かと思ったらCUEなのはどういう風のふきまわしだろう


本気-マジ-
本気組→マジグミ


どういう理由(ワケ)だろうどういう理由(ワケ)だろうどういう理由(ワケ)だどういう理由(ワケ)だろう



テツandトモand間寛平

何故じゃろう 誰がじゃろう どうしてじゃろう
血吸うたろか


金八第6シリーズの成迫政則という子はコーネリアスそっくりだ。
兼末健次郎と組んでフリッパーズ・ギターを再結成していただきたい。




オマル=ハイヤームに弟子入りしてルバイヤートをマスターしたい
ジャラーリ暦で生活したい



「唾を吐くのもレディのすることじゃない!」

「あたしはレディなんかじゃない!レディなんかじゃない!」



生まれてこの方
富士山や鷹、なすびなどというものが夢に出てきたことは一度もない。
こんな僕は死ねばいいんじゃなかろうか。
みんなきっと毎日のように
なすびとか
見てるんじゃないか



語らいたくも恥ずかしい相手っているな。
今更!
だったり、
別の理由だったり。



生きる
死ぬ の二元論
それ以外の極限を知ることはないのか
似たようなものはどこにでも
転がっていそうな気がする

極限はどこにあるのか

死なんて
真夜中に背中のほうからだんだんと………
巨人になっていく恐怖に比べたら
どうってことないんだから


お前みたいにのっぴきならない奴は
この街から出ていけ
2003.1.28(火) 横綱夜赤蛇

昨日の身体障害者についての考察へ手痛い突っ込みが寄せられたのでソクラテスばりに弁明。


要するに僕の言う「一般の」とか「みんな」とかってのは全て僕のみに適用される範疇なのであって
僕の中に「身体障害者=××」という図式が出来上がっているからこそそういう話ができるわけで
他の人みんなに当て嵌まる論理ではないと。指摘されたんだけど
まあそういうことなんだろう
僕の中には確固たる図式「身体障害者=××」がある、
それは僕の育ってきた社会に於いて生成されてしまった半ば必然的な図式で
原罪のようなものかも知れぬい。

うちの中学は野蛮でした、うちの高校も一部は野蛮です。
だから「身体障害者」はよくネタにされていたし、
高校になった今でも頭の悪い理系のとある方々がその言葉をまことに《不謹慎な》形で使用していてびっくりしました。
彼らバーバリアンは僕らギリシャ人とは一味違った考えをするみたいで。

「身体障害者」を略して「しんしょう」と言います。主に蔑視的に使用されます。
ちょっと嫌いな人を見つけたり誰かを鬱陶しいと感じたときなど
「まじかん、しんしょうかてあいつ(本当に駄目だ、あの人は身体障害者ではなかろうか)」といった具合に。

僕がちょっと前に学校側の企画した講演会で講師の方に傍若無人な発言を吐露したときに
理系体育の方が僕を形容して仰った言葉
「あいつしんしょーじゃね?しんしょーだてまじあいつ(彼は身体障害者ではないのか?彼は本当に身体障害者である)

僕の育ってきた学校つー社会の中で「身体障害者」というのはマイナスイメージの固まりだったんです。
頭悪い奴のことを「しんしょう」と言うし、
顔の悪い奴のことも「しんしょう」と言う。
ちょっとでも気に障る行動を見ると「しんしょう」と言うんだ。
もちろんこんな発言をするのは主に馬鹿たちの集団の間だけです。
僕が中学時代在籍していた「ヤンキー」というグループの中で「しんしょう」は
日本語における「どうも」と同じくらい多義的な便宜性を備えもった万能語だったわけです。
↑(例;「どうもありがとう」「どうもすみません」「どうも気が付きませんでした」「どうも肩が凝る」等…)

けどあの不良どもは愛すべき不良であったし中学時代で楽しかった思い出というと
不良の中で馬鹿みたいに騒いではしゃいで遊んでいた記憶ばかりが浮かんでくるのであります。

それに山田花子の歌ってなんか聴いてて妙にホッとするんだよね。下手だけど

現在僕と仲の良い友達は誰も「身体障害者」を蔑視的な意味で引き合いに出しません。
ただ会話の中にあえてそういった《禁忌的な》(この基準も僕の生きてきた社会の中で培われた非常に狭い範疇での話なんだけど)単語を散りばめる事によってちょっとだけ知的に見えるのかもしれないと思って使う人は。

だから高校に入ってから「しんしょう」という言葉を殆ど耳にすることがなくなって
ああ流石にいいとこの学校なんだなここはと思ってたら
突然「あいつしんしょーじゃね?」と言われたので少なからずショック!
理系体育の彼は僕に今とは全く次元の違った懐かしい風景を回顧させてくれたのであった…奇しくも。

というわけでそういう懐かしくも愛すべき人々や卑下すべき理系体育の彼などを半ば蔑視的に見つめて
「一般の」とか「みんな」とかいう語を《軽率にも》使用してしまったわけなんだけど
まあ
いつだって僕が伝えたことなんてないのさ。

もともとは身体障害者なのにそれだけで頭悪いって思われるというちょっとした逆説的な話をしたかったんだけど
なんか感情に走ってしまった感じだ。
けど論理的に詰めていくと《多くの》身体障害者は《頭悪い》のかもしれない。
目や腕が不自由だったら学問をしたり読書をしたりといわゆる《教養》を身につけるために必要な行為に支障が出るし。
やはりいわゆるところの《健常者》とは確実な隔たりや不利な状況があるんだろうな。
ただそんなのは民衆の心理に直截関係しない。

《》はちょっとした含みを表します。
「いわゆる」とかね

って
こんなライナーノーツは全く、僕の好きな蛇足というやつにすぎない。
(頭良いといわれることの基準について言及されたらたまらないから)
それに関連して、

「ちゃんとお風呂入ってる?」って問われて
「入ってるよ!」と答えるのは
ひょっとしたらよろしくない。
実際入ってるか入ってないかはどうでもいいんだ。
そんなこと聞き手には関係ない。要は相手に与えるイメージ。
「ちゃんとお風呂入ってる?」
「それなりにちゃんと入ってると思うんだけどな」
と《譲歩》したほうがいい。
二つの極限があるとしてその片側のみを徹底して表現してしまうと
疑いをもたれる場合がある。
大好き!と大声で何万回も叫びつづけるよりも
タイミングを見て好きだなあと小さく呟いてみる
その方が相手に与えるイメージが強いかもしれない。
ドラえもん面白い!じゃなくて
ドラえもんね、あれ意外と結構ちゃんと読むと面白いよ。
とわざとクールに言ってみる
説得力がある。
感情が混じるとどうしてもうそ臭くなるんだ。
そして
石原慎太郎はいずれカラスに襲われるんだ
間違いない。
林家ペーは時おり、石像のような顔をするんだ!
パー子はそれを見て奇声をあげている…。
続けます。



鈴木紗里奈がね、
スタジオパークで
五木寛之と谷崎潤一郎をべた褒めしてたよ。



本日は色々とショックなことがありました。
主に二つあったんだけど
片方は忘れた。
あ、思い出した。
「もうちょっと他人の気持ち考えた方がいいよ」なんて
どこの家庭の本棚にでも様々の形で所収されているそんな言葉。


生徒会のつくる小冊子に自由投稿コーナーがあって小説を投稿してみた。
けどたぶん僕は教師陣に嫌われてるから職員会議で落とされるんじゃないかと
非常に「楽観的な」予見を持っていた。

まさか生徒側に弾圧されるとは思ってもみなかった。
【文化常任委員会】とやらの審議で落選

まじでか?

あの世そのイチというやつを改訂して出したんだけど
過激な表現は特にないかと思ってたんだけど
だめだったみたい。
自慢じゃないけど《需要》だけは高いと思うんだけどな…。

もし教師側に却下されたならカノッサの屈辱の神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世ばりに
雪の中三日間立ち尽くそうかとか本気で考えてたんだけど
生徒に嫌われたらもう絶望と失望と混沌と混乱と狂熱。
ぽかあんとしてしまった。
悲しいなあ。もう。

それでも《文化》常任委員かっちゅうねん。

膣という語を禁忌視したのか
人が簡単に死にまくるのを嫌ったのか
もし《木を見て森を見ず》という格言に当て嵌まるのなら
なおいっそう悲しい。

ってか載せてくれっ!
悔しいよ~。
泣き寝入ろ…。

眠れずに失望と戦いそう
面白くなかったのかな。
瞳が醒めていただけか。
だといいな。
自らのセンスをかなり
疑ってしまう。

僕が《アホ》なのか
彼らが《非常に真面目》なのか センスが《素晴らしい》のか
決めてくれる歴史すら
こんなちっぽけな問題には生まれてくれないんだろう
永久に迷宮、のまんま。

ああいうのを面白がってくれる学生ってのは僕の友達以外にはいないのかしらこの学び舎。

2016/01/07 先に「冊子」の話を。この冊子は、例年落選はなく、出せば載ると言われていた。それで落ちたから僕は狼狽しているのである。今思えば、僕の小説(?)が落選したのは、単純に長さの問題だったと思う。冊子に載せるには長い。面白いには面白いと思うんだけど、そういう冊子にふさわしい面白さではなかったし、面白さに比して、長い。もうちょっと面白いか、もうちょっと短ければ、ひょっとしたら載ったかもしれない。ただ、まあ、僕という人間がそれだけで問題視されていたから、自粛したというのもあったかもしれない。「なぜオザキの文章を載せたんだ!」なんて怒る先生も、いたかもしれない。本当に、そういう感じだったんだ……。
 そのように尖っていた僕だったから、障碍者についての話も臆面なくしている。今という時代は、ハッキリ言って、障碍者について発言しにくい時代である。誰もが「自粛」をしている時代である。それはそれこそが差別である、と思う。だから高校生の時の僕も、ハッキリとそういう話をしようと思ったのだろう。2003年に高校三年生だった男の子が、自分で考えて、自分の言葉で語っているものなので、特に削除や修正をせず、そのまま載せています。
 今は本当に、社会的弱者と言われる人について発言することに対して、怯えのような感覚が必ず伴う時代だと思う。それはたぶん健全ではない。もちろん差別に対して声を上げることは大切だが、その声の上げ方によっては、別の方面からの差別を助長することがある。その中で我々はどのように声を上げていくべきなのか? 読み返してそんなことを思いました。
 当時、僕を悪く思う人たちが、「しんしょう」という言葉で僕を傷つけようとしたことは、最低だ。あんなに良い高校に入ってきた彼らがどうしてそういう言葉を平気で使えてしまうのかというと、やはり彼らがあまりにも、障碍者について「知らない」からなのではないか、という気がする。単純に邪悪なだけかもしれないが。

2003.1.27(月) ゲームセンターあざらし

胃液が放出される
天空高く
そして溶かす
この世界を僕の胃液が
そして垂れる
ぶらあんと垂れ下がる



変わった
僕の中の醤油が
何らかのとてつもない意味を帯びた薄塩に



歌から音をなくして言葉だけで音楽になるんですか


《※ここは削除しておきます。詳細は翌日へ。》


「障害」ネタって禁忌なのか?
「ネタ」だといけないのか?
なんでだ?
あびせんな。
スポットライト
アヴィセンナ
ふざけんな。




倉庫がたまってきたから掃除してるわけです。

2003.1.26(日) コンドームって、美味しいの?

好き 嫌い 好き 嫌い
好き 嫌い 好き…

先輩
ああ愛し
愛しの大先輩
ああ
あああ
ああああ
先輩

先輩
先輩僕は
先輩僕はあなたにとって
ただの
単なる
単なる
じゅ
受験後の
受験後のごみ捨て場
でしかないのですか

ごみのように

ごみ収集車のように
僕は先輩ああああ

そんなんじゃない
そんなんじゃないんです
僕が
僕が僕が望んでいる
欲しいものは
ああああ
そんなものじゃないんです
先輩僕は
僕はあなたにとって
受験後の
ごみ捨て場のようなもの
あああああ
参考書に埋もれて





みかんさんラヴリー
みかんさんラヴリー
みかんさんラヴリー
みかんさんラヴリー
他の誰かじゃまるでダメなのさー
おーみかんさんラヴリーラヴリー
こんなすてきなみかんさん
たちばなみかんさん




遠くから見てタモリとさだまさしを見分けられるのかお前は
知ったかぶりめ




最近視力が落ちてきた
友達の顔がぼやけて見える
ユニーで視力を測定した
5m
右1.5
左1.5 以上
両目1.5
四択だったから
例の方法を駆使したの。
ていうか
前髪が長すぎてぼやけてみえたの。
だから髪を切るさ
バスルームで一人きり大暴れ
ピストルなら
いつでもポケットの中にあるから
あー
鏡のぞく僕の顔をハサミが切る
切り裂いてく


ユニーのイメージキャラクターがパッとしない
いっそユニーちゃんとかにしたほうがいいんじゃないかとかね
じゃか




いったん負けたかと思ったけど
どうやら持ち直したみたい
まだまだ
十人まであと


かわいいよなちゃんは本丸のこと
好きなんだよ
すきだけど
キスしたいほどは好きじゃないんだよ





軽蔑と憧れをごらん
ほら 崩れだす



混沌とした空間ではなかろうかと思う

みつばちが精神カウンセリングの類を受けたようなんだけど
自尊心をくすぐる熟練度に脱帽と失望。
首尾よくくすぐる。あたかも「うそつき鏡」のよう。
そんなもんか。と思う。
けどそれで元気になっちゃうのが我が麗しのみつばち。
悪い事じゃない、いいことだ。
ただ、僕が眉をしかめるのは
僕のようにひねくれた人間は同じことを言われたってどうにもならないってことだよ。
どうやって癒されたらいいのだろう?




混沌とした空間は乱雑とした電波を絶えず産み出しているのだろうか
腸と似た僕らの脳味噌。
整然とはしないもの?




自意識過剰からはじまるんだ、全て。









叩くな、痛い。
痛い。




ごめんなさいとしか
人をこばかにしている
ぼくは
だめだ

ごめん
けど
お前も謝れ



そ、自意識過剰からはじまるんだ。




理由なんていつでも後付け


2003.1.25(土) おセンチ料理

喋らない方がいいんだけどな
僕もあの人も。
そうだ僕は「黙ってたら女の子にもモテるのにねぇ」とたびたび言われるが
それはちがーう(ミモー風あえて)
僕が黙ってたら男の子も女の子も寄り付かなくなることはちょっと考えれば分かるであろうに。
暗いんじゃないか。



自分は何かを好きになるとすぐに自分と結び付けたがる
「(アルテイシアに)似ている…」と。
そして裏づけを見つけると小躍りそうして磨かれるこじつけの技術をホウボウに転用みたいな
そう転用して都合良く切り替えると僕は自分に似た人を好きになるのかもしれない
裏づけは僕が大好きな自分、ここにある。

中学の時は岡村隆史だったか
これも恥ずかしい話
太田光には明確な共通項が見出せずに憤っていたかな
それから太宰治
小山田圭吾
小沢健二に共通項はなくて
いや、少しあるかな。
ないと困る。
ところで
こうして著名人の名を列挙する日記っていうのは
ちょっとひくんだよね、僕は。
何故かというと
僕がその著名人をあんまり知らなかったり、それほど好きじゃなかったりする場合
知らない知識や感性を他人に摂取されてる悔しさと
ほんのちょっとした疎外感があって
あとは
調子に乗ってんじゃねーぞとか
盲目も程度を知れ吐き気がすんだよとか
お前だけだよそんなん好きなのはとか
自分の価値観他人に押し付けんなとか
自己満足の骨頂だろうが、とか
だから賢い人はWebに固有名詞を載せない
昔ちょっと
好きだった村上龍
奴の歴史なんか見て興奮して
笑ゥせえるすまん風に言うとアバンチュールを求めてね
そんなん嫌気がさす。
憧れは
なんかねぇ、不要だよ。
実用性がない。


ほんと、キャーって叫んでるの見るとはァ?って思う
《感情に走ってるから》っていう一言にほぼ凝縮。
何でもかんでも感情は邪魔になる。
感情だけじゃどうにもならない
どれだけ激しく泣いたって
涙、流れなきゃうざいだけでしょう?

心を動かすにはまず形が必要みたいで
涙は感情の結果ではありえるけれども感情そのものではないし
けどそれをいったら
表情は感情か?
感情とはそもそもなんだ?
という話になってしまうのかな。
まあ要するに直感のレベルだから
定義の必要ってないんじゃないか。


映画見て
面白かったからって
キャーキャー
言ってたら
僕はその映画見る気失せると思う


だからものごとは
なるべく批判的に捉えようかなって
恋人をべた褒めするより
けなしたほうが
見ていて面白いからね
大助花子、大助花子。



単にひねくれているだけなんだが。



小山田圭吾は藤子ファンなんだよっていうのが僕にとって
ブランド化する
小山田が?
藤子が?
いやだね、いやだ。

2016/01/07 「さん」をつけなさい、恥ずかしい。


脳味噌の中でフルーツバスケットをしていた
クラスメイトたちが円形に座って
おかしなことを言い合って
頭の中で空想する
様々の図形が交錯する
まるでビルディングの崩壊シーン
ガラス窓がめいめいに破壊されるかのよう
錯綜する
それぞれの破片が好き勝手飛び散って
円形は一度に崩れ
そして一度に完成する
円形は無数の虫たちのように
分解されて
また結合する


だからつまり千と千尋ってシンボルの寄せ集めみたいなもんだから腹が立ってくるのかもね。


でもさものごとは何にでも
批判的に対処したほうが
反感を買わなくてすむ

「キャー」って叫んでたら
ひくもんね。
これも防衛か。

千と千尋の眼隠しでトンネルをくぐった先にある街に入ったはじめのシーンで
眼科の看板が多数、目に付きました
つげ義春だ
すげぇ

ちくしょう眼医者ばかりではないか


トンネルの向こうは、不思議の町でした。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。


お薦め漫画
江川達也 BE FREE!!
植芝理一 ディスコミュニケーション
大友克洋 AKIRA



千と千尋の神隠し、おもしろいね
けど
CMの合間に読んでるつげ義春短編集のほうがずっと印象深かったりする。
さすが作品の数より作品に関する評論のほうが多い漫画家。


悔しさが支配しているよ
悔しい悔しい
何かを言った後に
何かを言われると
それが何であれ
せせら笑われているようであってからに


どいつもこいつもきちがいだ

きちがいだ

きちがいだ

兄妹揃ってお前らきちがいか

きちがいだ

きちがいだ

どいつもこいつもきちがいだ

きちがいだ

きちがいだ

連れてって
街に棲む音 メロディー

わかりにくいメッセージばかり送ってくるのは信頼されてる証拠なのかな。
以前友達に言われた言葉は、「深読みできる精神に乾杯」

じょ、う、ね、つの、あっかい~薔ー薇ー。

あたしち面白いね。

自意識過剰からすべては始まる、全部集まるのは僕の旗の下。


こんにちわ ありがとう さよなら また逢いましょう

うってつけの言葉はないけど
また春に会いましょう

仲直りの言葉は見つからないけど
金木犀を漢字で書きましょう

インドの人が売りに来てただけある。

だってインドからわざわざ来てくれたのよ
かわいそうでしょ、買ってあげなきゃ

わかりにくいメッセージばかり送るのは信頼してる証拠じゃないよ。
なんとなくだよ。
深層心理だけを読め。と

2003.1.24(金) 様々なキチガイキチガイ

グラナダの
狭い夜空を飛んでいく
スカッド
パトリオティックな国民達
ユーゴスラヴィアの旗の下
二度とは帰らぬ
ティトー
パルチザンの山々を背に
進軍
時代錯誤のアナクロニズム
今更になってローマに駐屯
パリが落ちた!




ごみ捨て場のように言葉を置き去り




復興を遂げる
韓国がしたように
つきぬける経済の限界
僕は奇蹟を見る



ルバイヤートに込められた予言をひとつひとつ確かめていくように

宇宙の果てから
見下ろしたなら
チョモランマもチチチョビレ
くよくよするなよ



コンテクストから判断するに「チチチョビレ」というのは
エベレストの対義語を意味するのだろう
そしてここでのエベレストは「偉大なもの」だとか「巨大なもの」「越えられないもの」を象徴しているはずだ
広辞苑に
載る日も近い。





1年生の時
野球部の丸坊主が
馴れ馴れしく声をかけてきたので
「ためぐち」で応対したところ

「なめんなよ俺、3年だぞ!」

と彼はお切れになられた。





権力とは何だ
権力とは





偏狭な心を持ち合わせ
かつ
「3年」であること以外に
《血統書》を持ち合わせていないのではないだろうか
そういえばあの人は
あまり顔もよくなかった
ごめんと思う
悪かったじょ




言葉に保険をかけることは必要だと思う、
「あたりまえのことなんだけど」
「特に何ってわけでもないんだけどさ」
「有名な話で」
陳腐なインシュランスでプライドを護れ
cheepなもんだ




読書って飽きるよね。
何百回も
同じ動作の繰り返し
腕立て伏せでページがめくれたら




したら文系は
理系に負けない
農民は貴族よりも
筋肉があったに相違なく
(だが栄養が足りない)





悪いけど
階層というrespectにおいて
誰よりも僕が一枚上手だ

頭の中がシスマ
混沌とシスマ

なにがなんだかわからない
やなせたかしも教えてくれない
手のひらにすかすための太陽が見えないこんな日に
僕は誰の恩恵に預かったらいいのか

結局はわからない
ソナタ形式よりも単純な腸に似た僕の脳味噌が
いったい何を考えて、どのように絡まっていくのか?

階層なんて意味をなさない言葉じゃないか
脳味噌の中でどっちが上かなんてのも
畢竟教科書任せなわけだし
でなければ
私たちアジアの黄色は
人間ではなくなるわけだし
ばい
鶴本直



信太宏文を見れば見るほど
自分に重なる
やばい
これはマスメディアの影響だ
みんながそう言うから
あああ




動物のように貪りたいものがある
それは丸虫だ

2003.1.23(木) 様々な機知が行き違い

だけどこんなプライド
切りつける





僕に聞えてくる大げさな言葉に
そっと沸き上がる、少し悪意のある疑問。
飛びすぎた話、元に戻してくような
まるで下らない事をする君と
ほんの少し傷つけあうために
あらゆる場所で正しげなこと口にする人々

きっと、曖昧すぎる物言いでも
ひどく浅はかに見られていく時だろう。

言葉を失い、
薄ら笑いさえぎこちないだけの皮肉屋たちが
間抜けな言葉で僕を取り囲む
得意げな薄ら笑いに腹が立つのさ。
冷やかしや皮肉、言えばいい
バカさ加減がわかるさ。



君の笑い声が僕の気に障る。
ただの我が儘さ、たぶん
きっと疑いすぎてる、
ただの僕の悪い癖。
おすすめ料理みたいな言葉を軽蔑して
トルパドゥールを唱えたって仕方のないこと。



嫌な返事ってのだけ狙ってるから
そんな言い訳を用意して
口をついて出る嘲りの言葉と
鳴らされる赤い僕の舌
切りつける言葉僕は吐くだろう

誰かの言葉に
舌を鳴らしてさ
唇噛んで仕方がなくて
軽蔑の言葉を探した。
も少し僕が優しいことを言や、
傷つくこともなかった?



何度も口に出そうとした黄金の言葉
どうして僕の舌はもつれるのかと思う。
この気持ちこれ以上何が言える? どう言えるだろう?
言葉など、もう無いだろう。
それで何か思っても、
もう伝えられないだけ。
僕が上手く伝えたことなんてないのさ。
いつだって、
僕が伝えたことなんてないのさ。
そんな自分が嫌だってこと。




よくあるサイケデリックな話にまるで飽きて
ありふれてる話をする。
クソタレな気分蹴とばしたくて
ずうずうしい言い訳続けてる
舌を出す、嘲笑う、
そんなありふれたスタイル。
投げやりな言葉と
無限の言い訳と完璧なイノセンス
蹴っとばすためのブーツ履いて話そう。
蹴とばすもの、
何にもありゃしないのにね



思いきり胃を蹴り上げたら君はどんな顔をするのかと思う



どうせ僕らはイカサマなカードで逃げまわる。
得意技のキザな言葉ですぐに逃げ出すのさ
いつもいつでも反語ばかりの
あやふやで
見栄ばかりはる
僕たちのドーナツ・トーク。
イカサマな新素材を
いくつでも並べて
くだらないことばっかみんな喋りあい
でたらめばかり並べてるうち、
からまった。
僕たちの目は見えすぎて
ただ激しい心をとらえる言葉をロックンロールの中に隠した。


そして僕は喋りすぎた、
いつでも僕の舌はいつも空回りして
言わなくていい事ばかりがほら溢れ出す。
嘘をついた、出まかせ並べた、やけくその引用句なんて
きっと滑稽に見える
僕の言い過ぎてた事。



意味が、意味、意味がはっきりしない…
ってことは分かってるけどね。
きっと意味なんてないさ
でも僕らはいつでも喋りだすのさ。
意味のない言葉を繰り返すだろう、
不完全さなんか何の意味もない。
同じことをただ繰り返す
喋る、笑う、恋をする
あらかじめ分かっているさ
意味なんてどこにも無いさ。
君がわかってくれたらいいのに、
いつか。
もっと素直に僕が喋れるなら




隠したカード、わかるような気がするよ。
恰好つけずにいようとちょっと思う
唾を吐き、
誓いたい。
それに見合う僕でありたい。
最終的に目指すさ、
いい男。





嘘なんかじゃないんだ
君のこと言ってんだ

意味なんてもう何も無い
なんて
僕がとばしすぎたジョークさ

2003.1.22(水) クンニ派シーア派

人の心の読めない人がいるらしい
僕も例外ではなく、ごめんなさい。
20022003.1.21(火) 洗濯機フライドチキン

センター試験終わったということで受験生が割と見てくれているようで
久々にある女の子も声をかけてくれたんですよ。


女の子「あのね、昨日ゾネ(僕のこと)のホームページ見たの、でね、日記見たの。」

ぼく「ほんと?ありがとっ」

女の子「で、気になることがひとつあんのね」

ぼく「なになにっ?」

女の子「今年、
        …2002年じゃないよ」



気づきませんでした。







なんか卜部兼好が如き批判精神に満ち溢れてきたんですけど
だいたいが自分に向けたものなので
害もないかなと思うんだけど是非
あ、自分のことかなって
思うことから



半分くらいで落ちの見えるネタっていけないよね。
それ自体はいいんだけど
落ちが見えてるのが誰の目にも明らかなのに
(しかもごく有り触れたどこにでもあるくだらない笑えもしないネタで)
どうだ!みたいに
言われてもね。
ちょっと落ちの部分だけ強調させて
どうだ!みたいにね。
いやいや
面白くないですよと
言ってあげたいけど
面と向かっては言えないよね。


つまらないネタでも事実なんだから日記に書いてもいいじゃないかと
そりゃ思う、日記なんて自分の記録だからね。
けど恥を知ってたら
つまんない話はさらりと書いちゃったらいいんじゃないかと思うんだけどね
つまんないのに面白いだろみたいに書かれても
ひくわ。


意外性のない《落ち》を引っ張ったってうざいだけなんだよな。




お店に行って定休日だったのは面白くもなんともないけど
学校に行ったら実は日曜だったとかさ
これは面白いよね。
意外性ありすぎ。
まさかそれはないだろうと誰しもが思おうぞ。


私:ひょっとして水曜と思わせて木曜ってのを狙ったのかなあ
(でもたった一日だし、まず水曜と推量する確実な機会が読み手に与えられていない)


いちばんおかしいなと思ったのは
ネタ(なのか?)のまんなかに落ちを完璧に暗示するキーワードが思いっきり書いてあるんだよね
わざとなのかな。
はじめに《ココまで》はバラして「わかってるぜ」と思わせ油断させといてラストに盛り込んだ《更にこうこうです》の付加的なエッセンスのみに意外性を持たせ他から際立たせるという…まあそこまで考えられるんだったら基本的な表現の技術を学んで欲しいと思うけどね。
《付加的なエッセンス》が小さすぎれば
どのみち面白くはないし。
それにどんだけ考えてたって、見えないものは存在しないんだ。


教室を見渡すと2,3人はいるんだよね、そういうわけのわからないネタを嘔吐してにへら笑いの輩。
だいたいそういう人々と僕は、仲良しでない傾向にある様。


お前は歌うな
お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな。
みんなもっと面白いことをいえ。
喋るなら。



別につまんない人がつまんないのはしょうがないけどさ。
たちが悪いのは
なまじ文人的な理想を持ち合わせている場合ね。
要するに僕のことなんだけど
(ってやらしい一行だね。
このやらしさに気づけてよかったと思うけど
いつ気づくのか、この三行の注釈がやらしさを三倍にもしている、という認識の更に外側に。)
つまり鶴瓶のように「もっとおもろなりたい!」と思ってはいるのに
鶴瓶と違ってそうはなれない。
これはかわいそうです。同情してくださいと。

好きなことがだめだと、希望をなくします。

見ていて痛々しい、もう。
その人が「それを目指している」とすると
その人の中に想定《されるべき器》が「それ」の分だけ大きくなるんです。
そして僕はその《されるべき器》をその人に期待してしまう。
その人は《されるべき器》をウィットとジョークとサイケデリックで満たしてくれると。
「イリュージョン」を魅せてくれるってネ。(談志ふうの語尾です)





ハミングがきこえるとコンチェルトは旋律が似ている。
小山田圭吾と小西康陽。
カヒミカリイと野宮真貴。
別に共通点ないや。
歌詞も似てるね
さくらももこと小西康陽。


きっとあるとき
ぱっとみつかる
ぐんとすてきな自分
ふりむけばこの世界の
ハミングがきこえるの

きっとそのとき
きっと音楽が
どこかできこえる
きっとふたりは
ずっといつまでも
愛し合うと誓うの

おしゃべりなあのこがほら
自転車でやってくる

2002.1.20(月) おじいさんといっしょに キム タク キム タク

ニカラグア。あなたがそう言うのなら、僕も行きたくなる。



かっこいい言葉をまずは捜して
パズルのように組み立てる
するとできあがるは

まるで受験勉強のようだな




身体全体が受験一色に染まるように
何を見てもノルマンディー公ウィリアムと結び付けてしまうような
そんな部屋。



ノイローゼになる
まるで受験戦争のように



色んなものが俗っぽく見えてくる。
たぶん「何もかも」と言うよりは
「色んなもの」と言ってしまった方が俗っぽさはない。

「何もかもが嫌になりました」は反感を買う(僕の)
「色んなことが嫌になってきた」はそうでもない。
けどこんな単純な嗜好は三日で変わる
明日には君は(僕は)僕に(君に)馬鹿にされる。



例えば奥井亜紀さんの日記の中にあるニカラグア。という文字を見ただけでサンディニスタ政権を頭に浮かべてしまうような弊害。
弊害?



志村けんは天才だと社会科教師は言った
僕も誠にそう思う
あれほどミニモニが
むかつかなかった日はないのだ。
そしてあれほどミニモニが
喰われていた状況も珍しい
天才だ
なによりネタの最中に笑わない
すました顔でヒゲダンス!
加藤茶は少し笑う
これ社会科教師のアナリシス。




現在四人目で
十人の女の子を同時に扱って全員一ヶ月持続させたら千円
という賭けをしている
後輩がいるんだけど
いいな
面白そう
ともあれ上には上がいるね、ギネスだね




ヒゲダンスをダンスだけだと思っている輩がいる
なんてうつろな人々だろう
ミスターボールドを
見たことがないのか




【米独立宣言における幸福追求の権利よりも自明】
この意味がわかるからといって偉いのだろうか。




もうカラオケは行きません。
ひっそりと歌いたい



3月のお芝居の会議に出席してきたよ。
なんだか愛の理想みたいだね。


どうしてこんなにつまらないんだろう
どうしてこんなにつまらないことがいえるんだろう
書けるんだろう
信じられない
(それは僕であり、あなただ)


日本に生まれてちょうどいい
この文化に
生れてすみません
これは恥だ!


何度いったらわかるんだ
何度いったらかわるんだ?
そしてどうして僕って奴は
お前なんかが好きなんだろう?

これは反語じゃないし
ましてや自分のために言ってるでもないんだゾ

ゾンダー許せない


《クダラナイ、最低の人を好きになってしまった
 そんな気持ち
 あなたが一番、わかっているはずじゃないの?》


空間湾曲!
ディバイディング・ドライバー


嵐を呼ぶナイスガイ、
旋風寺舞人!


風が空へむかうように
僕もいつか 飛び立つんだ
できるさ 信じてるよ
大人たちがなくしてる
力を今 とりもどそう
君にも できるはずさ
ねぇ 僕もひとりじゃそんなに
強いわけじゃないんだ
だけど 君がもし 今すぐに
力を貸してくれたら
we can fly この星は僕たちの大事な船さ
say ダ・ガーン 立ち上がれ 果てしない 未来の光へ


水金地火木土天冥海は
ジェイデッカーで覚えました
けど水金地火木土天海冥になってからは
間違えてると思われるのが怖くて
歌えなくなった


ゴルドランのオープニングはいいよ、なかなか。


進め銀河の果て 夢を旗印に
宇宙

あの、「どまんなか」だと思ってたんだけど、「のまんなか」なのかな。みたいだな。

2002.1.19(日) コ「勉三さんの彼女は、ぶ、ぶすナリか?」

少年Jの散歩



てくてくととぼとぼの混り合った感じで
歩いてみようと思っています
卒塔婆の近くなんかも通って
スライドもすべってみて


カオス理論の
うんとはじっこの方まで行ってみたいな


ギブ&テイクだなんて言って
僕は谷川俊太郎さんに
何も与えることが
できてない


僕を待っている人がいるのは嫌です
きちっとした身なりをして
きちっとした理論をふりかざしているような人


僕を待っている人がいるのは嫌です
それは僕じゃなくて


僕を待っている人がいるのは嫌です
もう身長なんか
ほとんど止まっているくせに


僕を待っている人がいるのは嫌です
その過程で僕は
何かを失ってしまいそうだ
そしてその人はきっと
僕の名を語る


誰も高速では書けないのだろうか
と言った人がいる


特に何ってことでもないよ
君に会いたいって
それだけ
(アメリカにいる人へ)

10
こんな言葉はみっともないんだ
だからみんな
詩を書くのだろう

11
ハゲても素敵になりたいな

12
僕は探しに行かなきゃいけない
ない傷口に貼る絆創膏と
新しいリップスティック
あんな女
好きじゃなかった

13
道路で寝ている
タクシーが轢く
ひらたくなって
ピッツァのような頭蓋骨

14
ああストイックソウル ストイックソウル
と口ずさんでいれば
僕はもうゼノン

15
昨日僕は圭子と寝た
と昨日僕は日記に書いた
それが嘘か本当かは
僕にだってよく分からないのです
そう書いてみることが
僕の散歩の意味だというだけ
それはつまり

14
本当に大切なことは何万年来不変です
そしてどうでもいいことは
もう言い尽くされていると思うんだけど

15
《麦藁帽子がもう
どんな夏のイメージも喚起しないことに
気づいていない大人が多すぎる》

16
僕にはどうしても触れられないものがある
それはこの散歩の中で
拾われていくものたち
つくりなおす自信なんてない

17
口をついて出る嘲りの言葉と
鳴らされる赤い僕の舌♪

18
僕の年齢だ

19
死んでいく人たちって
どこに行くんだろうって
考えたことある?
なんて
考えたことある人のほうが
恥ずかしいような気がしてきた

20
―――――
………
☆☆☆☆☆☆☆

21
そんな夢想ももうとっくに誰かが
していたような気がする

22
じゃあね
あとで寄るよ


僕が何かを 知っていたとして
時おりそれを こぼしたとして
誰かがそれをきいている
そうして誰かはそれを
既に知っている何かにしてしまう
それが悔しくて 悔しくて 悔しくて 悔しくて
焼き払いたいなんて
思うわけ。

知識や感性は
ギブ&テイクであるべきで
くれない奴には、やりたくない、けど
どんどん持ってかれてんだ、
思い上がりなの


今田「東野みたいなの来たら、上からツバ落とされますよ?」


知識や情報、芸術なんかに対しての独占欲ってのは、あります。
僕より先に、太宰治を読んでた人は殺してやりたい、
僕だけのためを残して、
世界中にある太宰治を焼き払いたい!
2002.1.18(土) どういう風邪の引きまわし?

ヘッド博士の世界塔から続いてく道、君は完全にはしゃいでるのさ?
人気のない片平なぎさ
僕らだけにひらなぎさ
「元気でいて」とギュッと抱き締めて
空港へ先を急ぐのさ




アレを持ってる人とつきあいたい。
アレを持ってる人とつきあいたい。
アレを持ってる人とつきあいたい。
その前に僕がアレを持たないといけない。
その前に僕はアレを見つけないといけない。
何よりもまず僕はアレを
知るところからはじめないといけない。
ねぇ君
もっと深く知り合おう
ついては週末のデートなど…
もじもじ問い掛けた瞬間に
夕陽が落ちてきた
ハイスクール・ララバイ
アレが
松本隆と細野晴臣によるはっぴぃえんどサウンドであることに
気づいている人は少なくて。




YMOが好きだと再認識したんだけど驚くべきことにそれは
音楽を聴いた瞬間ではなくて、どころかここ数ヶ月は聴いてない。
なんだか、あ、僕はYMOが好きなんだなってちょっと思ったね。

フリッパーズギターや小沢健二やコーネリアスにかぶれて
ピチカートファイヴも奥田民生も忘れてるくせに
いっぺん聴きだしたら「これしかない」って思うんだ、どうせ。
電気グルーヴも岡林信康も奥井亜紀も…は忘れてない、
奥井亜紀さんのWeb日記は「歌手」であるとか、芸術家であるという
「フィルター」(久々に使ったな)を介さずに見ても、
いや面白いと思う、と思うんだけどなあ。
ひい木かなあ。


人はすぐ「思い出す」よね、悪い事なのかしらないけど。
「忘れてた」ことに罪悪感はないよね、だって自分のことだもの。


3年ぶりにドラえもんを読んだら死ぬほど面白い!これに全人生をかけてもいい!
と思ったって
次に読むのは8年後だとか
仕方ないよね。



「好き」ってなんなんですか。
ドラえもんが好きとか
藤子不二雄のファンだとか
何がそれを証明してくれる?
知識か?
持ち物(コレクション)か?
声の大きさ?
うん、声の大きさなら、僕はなかなか負けない。(もちろん比喩的表現、《声》は何かを象徴している。それは白い)
藤子大好きで有名な小山田圭吾も声がでかい、かも。
とはいえ僕は
知識だね。
それと持ち物。
判断しちゃうんだな。
ついつい。鈴木あみ。
吉本多香美って事務所どこなんだろ。
つまり、うーん。藤子ファンなら「藤子・F・不二雄論」は買うだろうとか、
(買わないのなら藤子ファンというよりは藤子作品のファンであってニュアンスが違う、藤子は《アイドル》なのだ)
余りにも基本的な知識なら知ってるだろうってだいたい前提を持っているからね。
好きなら誕生日だって覚えてしまうのだ。
自分の奥さんの誕生日は忘れても藤子不二雄(とりわけF先生)の誕生日だけは忘れない自信がある。
けどそれだって個人差あるからな。
例の「最大公約数的」な話をついつい。鈴木あみ。してしまう。
「ついつい」って言いながらジャンプ、してしまう。
そしてこのようなネタはすぐ、風化する。もう風化している。
こどものおもちゃにふうかって出てきたような。
こないだ放送室でばびっと数え歌について語り合ったよ後輩と。
比叡山のえいの字はとわいちははめまたなんだよ。
要するに好きな人の誕生日を覚える人もいれば覚えない人もいるよね。
だのに僕はそういうとこ、心のどっかで基準にしちゃってるんだ。
命日とかさ。
だめだね、だめ、だめな風潮。つまりは僕って、ミーハーなんだわ。




藤子不二雄、いいなあ。いい。
昨日古本屋に行って、
僕が藤子不二雄ランド版ドラえもん1~25巻を予約した次の日にそのお店に来て悔しがった男の人がいておばちゃんと3人で語ったところ「藤子の道は険しいぞ」だそうだ。「若いのに藤子か…引き返すなら今だぞ」と言われました。「俺は15,6から始めて石川賢コンプリートするのに18年かかった」いや石川賢て微妙じゃないですか。好きだけど。けどゲッターロボくらいだなあ、読んだの。脳がのうって表記してあってすっごい笑ったなあ、ゲッターロボ。やっぱぐろいんだよね、ゲッターロボ。永井豪だもんね。ゲッターロボね。万能文化猫娘にゲターロボって出てきたよね。って知ってる前提で話を進められても知らないであろう皆さんは困惑の一途だよね。すみません。石川賢で18年かかった、況や藤子においてをや。藤子をコンプリートしてる人なんて居るのだろうか?と思うが、たぶん居るんだろうな。いいな。結婚して殺して遺産としてかすめとりたいな。しかし脳がのうって表記してあったのが本当に笑えたなあ。のう。のうて。のてう。盧泰愚。読める?
2016/01/07 のてう。いろいろ言いたいことがある。偉そうである。しかし「これが……若さか……」である。藤子まわりのことに関しても、石川賢先生を「微妙」と言い放つ傲慢さについても、ちょっとオイオイって感じなんだけど、いちいち修正はしないでおきます。↓直後の文章でそのバランスはとろうとしているようだし。今はもっと善良なおたくです、僕は。石川賢コンプリートがどれほど凄まじいことかという想像もできるし、「ファン」というものについての考えももっと深まっておるはずです。ちなみに「ついつい。」っていうのはハウス「プチッカー」のCMです(調べた)。

つまんない。あのね、思ったことを、そのまま書いたらいたいんだよ。わかんないかな。要するに、君の思ってること、それはそのままいたいってこと。いたいたしくて見たくもない。かっこつけようとしてるのが見えたら、もっといたい。いやになってくる。いたいんだよ、はずかしくない?そんなことを書いていて、見せていて。はずかしくないんなら、いたいよ。自覚してるなら、そのはずかしさにもだえなよ。いたいいたいって、自己嫌悪におちいらないと。おちこめよ。こんなもん、書いてたって意味ねえんだ、みんなに見られてる、はずかしい、って思えよ。それが思えないってことは、いたいんだよ。つまらないのに、気づかない。気づけないのは、いたいんだよ。だめだ。つまんない。こうしてこれを見て、なにも思わない、感じない、それがいちばんいたいんだよ。そんなきみ、ぼくは想像したくはないよ。だけどだめ。つまんない。つまんないんだもん。

かんがえなよ。やらしいことや、はずかしいこと、自慢びた話題や、いきすぎた自己顕示。なるべくなら排斥して。
うまいこといおうとして、いえてないよ。ぜんぜんおもしろくない。つまんない。

2002.1.17(金) ボイン矢のごとし

さて受験まであとちょうど一ヶ月となりました。
よく知られたブラック・ジョークとして、
多くの人はあと約1+365n日(nは自然数)でセンター試験を迎えるわけですが
僕は受けません、
中央なんか。

で、僕はあと1+12n月(nは整数,n<1)で受験なわけです。
やっと勉強する気が出てきました。
というわけで今の僕の頭の中は
二つのスローガン、すなわち
「扶清滅洋」「ヴ=ナロード」(人民の中へ)だけです。
これらの言葉を胸に隠して
《奇跡の一ヶ月》を乗り切ろうと想います。




藤子不二雄ランド版ドラえもん1~25巻(全部セル画付き)を9000円で買ったはいいが
家に帰ってみたら
18巻だけない。




古文の単語に《ひとりごつ》っていうのがあって、
「独りごとを言う」とかって意味なんですけど
《ひとりごつ》て。
ひとりごつ。ひとりごつ。ひとりごっつ。一人ごっつ。懐かしい。


駄目だ、僕はもっともっと本当に、
「アレ」を持ってる人としか、
つきあいたくない!
残酷だね。

僕の価値はどこにあるのだろう?
僕に似た人が出てきたら僕という存在は音もなく消えてしまいそうな


ただ確かなのは僕が天才だということだけで
本城裕二が言ってたけど世の中には二種類の人間がいる。アーティストと凡人。
凡人がどんだけ頑張ったって天才の僕にはかなわないっていうことで
それだけが僕の
わら一筋の自負
というか
というよりもそう思うことによって
なんとか心を繋いでるっていうのか。
友達の中にも何人か、そうしているように見える人がいる。
自分は特別なんだ!
って心に言い聞かせてないと
安心して生きていられない人たち。
素敵だと思う。(実際にそういうやつらは本当にだいたい素敵だし、きっと『天才』なんだ)
これが人間の、生き抜く努力というやつか、と思う。
いじめから逃げて、道化になるのと似てるかな。


髪を切ったでもなければ
誕生日でもない
そんな君に


逢いに行く理由なんてない!


好きなことがだめだと、希望をなくします。


中途半端なくせに物知り顔はいや。物知り顔なくせに、知らないことは知らないってすぐ観念してかっこつけてるのは、もっといや。
どうだ、あたしって、潔いだろう、みたいな。
ふざけんじゃないね。


かっこつけるのはかっこわるい。反論する人がいるかもしれないけど(実際僕はこの言葉に反対するだけの確実な論拠を有している)、かっこつけるのは、かっこわるいんです。けどみんなかっこつけてるんだ、俗な言い方をすれば、アダムが無花果の葉っぱでちんちんを隠して、武田久美子が貝殻でバミューダ・トライアングルを形成させたその時から。だから、どれだけばれずにかっこつけるか、とか、いかにいやみのないかっこつけかたをするか、っていうのがキーになってくるのかな。それに自慢。みんな自慢してるんだ。今日おれ8時に起きたんだよって、その一言で十分自慢なんだもんね。いやだ、いやだ。やらしさ、汚さ、そんなとこばっかり見えてくる。特に他人の、特に下手糞な文章を見ていると、吐き気を催すくらいに、ぐちゃぐちゃに見える。なんか、もつ煮みたいな色をした、立体視のガチャガチャした模様のような、よくわかんないそういうのが、見える。いやだ。やらしい。汚い。なんというか、人間の汚さ、自慢、どれだけ他人に、自分の優位性を主張するか。自分が素晴らしい人間だと主張するか。そのために生きているでもないくせに。汚い。そんなこと気にしなきゃいいんだけど、でも気にしちゃうのは僕が、自分の優位さを自分とか、それ以外のすべての方々に主張したいんだね。汚い。けど自分の汚さって、自分じゃなかなかわからない。怖い。僕も他人に、僕が他人を見るように、けいべつしたり、呆れたり、されてるんだろうなと思って、ああ。やらしいんだろうな。僕はやらしいんだろうな。とか。思う。


こうやって他人のこと勝手に解析して粋がってるのって、一番死ねばいい。

ずっと前からなんだけどとあるHPの日記に書かれていることと僕が以前ここに書いた内容や文章のクセがめでたいほど一致する。最近は特に顕著だから、該当する日記を引用して載せてみたりしたんだけど。つまり僕の考える事なんて本当は誰もが考えついてることだし、あたりまえのことだけど僕の文章だって特別なことはどこにもないただの言葉の羅列であって他の誰かと一致する事もありえるんだね。なんだけど、まあもともとその人と僕は似てなくもないところがあるのだろうし恐らくその人に僕は多からず影響を与えているのだろうとも思うから完全に偶然だとは言えないけど。けどなんかへこむんだよね。僕はもちろんフロイトよりも後に生まれているんだから、理性と同様に《無意識下の意識》を認める考え方が生まれたときから染みついているみたいで、要するになんか、色んな罪悪感と嫉妬心が入り混じる、というか。知的所有権に対する独占欲というか。昔の偉い学者の何人かは知識を独り占めにするために図書館を焼いたんだって。僕はいったい、何を焼いたらいいんだろうね。どうして苦労してつくった椅子に他人が座るのだろう?Poorアリストテレス!それにカント!


赤面。こういうのを読むと、恥ずかしくて、もう死にそうになってしまう(けどまあ、これも歴史だ。KOの気持ちがよくわかる、気がする)(2002.1.17)4時間くらいキスをしていました。嘘です。こういう言葉があった場合、果たしてどこからどこまでが《嘘》なのか。「嘘です」という言葉には、主語が無い。即ち「何が」の部分が欠落しているのだ。ちなみに僕が今日4時間もキスしていたなどという事実は無い。つまり、「嘘です」という言葉は嘘ではないと認識していただければ結構なのですが、ここにフェイクのカギが隠されている。さあ、果たして「4時間」が嘘なのか「キス」が嘘なのかはたまた文全体を否定しているのか…。例示しよう。「4時間」の部分のみが嘘であるとき。たとえば実際はキスをしていたのが「3時間59分」だった、という場合、この嘘は真実に限りなく近づいている。もうイコールを付けても問題はないというまでに、真実に近い。つまりこの場合、僕は嘘と偽りながら真実を語っていることになる。これが「真実を話しながらそれを嘘だと思わせる」技術のひとつ。嘘を吐くのは良心が許さない、という人におすすめ?…ちょっと無理あった。考えを180°転換してみる。よくある話で、「○○の方から来ました」というのがある。「警視庁の方から来ました」と言えば誰もが刑事だと思うだろうが、実は警視庁の方角から歩いて来たと、ただそれだけのことだったりするのだ。愛してる。「真実を吐きながら嘘を吐く」技術。実は、嘘と真実を同居させる方法がある。例えば「愛してる。」という言葉。これも主語の《2016/01/08 目的語です。まだ受験勉強前だから文法を知らないのであります。》欠落だ。誰を、何を、が明確に表されていない。「真実の嘘」が可能だ。愛していない女の子の瞳を見つめてこの言葉を吐けば、その娘は自分の事を言っているのだと勘違いするだろう。だけど実は、全く違う他の女の子に向かって吐いている言葉かもしれないのだ。フェイク、フェイク、フェイク。「愛してる。」と言ったように聞こえても、実は「I've seen a tail」とかかもしれない。好きです。…(札幌)。こういうのも可能です。「君は綺麗だね。かわいいよ。」ナンテ甘~い言葉を囁いてから、静かに「好きだよ」とつぶやく。でも実は、好きなのは札幌。嘘のつもりでも本当っぽく聞こえる。でも本当は嘘じゃない。札幌が好きなのは事実。だから嘘を吐いている事にはならない。良心の保護。最低の男。そして僕は、そんな男です…ナンテ、嘘ですよーだ。(2001.12.13)それが宇宙的な考えってやつ。確かに主観は人生の全てだってさらりと言えるだけの力を持っているかもしれない。でも例えば僕を好きだと言ってくれる人がいる。それが本当なのかどうか、本人にしか、いやもしかしたら本人にすらわからないことかもしれない。嘘かもしれない。だけどいいじゃない。その気持ちは確かにそのひとの心の中にある。そう信じていればいいのさ。その人の心の中に本当にその気持ちが存在しているのなら、信じられるはずだよ。矛盾してるか? 理屈なんかいるもんか。根拠なんかねぇよ!(2001.9.30)

every word is just a cliche!


2002.1.16(木) 世界のSONIN

別に現代の演劇って、客の人生を左翼化させるためにやってんじゃない、と思うし。
大部分は。
あ、比喩です、比喩。でもメタファじゃないです。たぶんsimile。気持ち的にも。


原作は
クリリンのことか――――――――っ!!!!!
くらい。
あ、比喩ね、比喩。


たいていこれからの子どもには嫌われる(比喩)んだと思うよ。
ちょっと考えりゃわかることなんだけど。


まあそうしたら、公園のゴミ箱は赤ちゃんでいっぱいになるんだろうけど。
あ、比喩ね。比喩。


人が死んでも三日(比喩的日数)経てば感情は記憶に変わるのだろう


J「比喩、だな」

添「ああ」

J「隠喩、か?」

添「直喩、さ。」


「比喩では無い」
それでも何か一言いうならば、これは単に自分の気分の悪さを描写しただけだったりします。
まあそういうのを、人は比喩って呼ぶんでしょうが、僕にとっては、死ぬほど深刻な問題なわけです。
だから、「比喩では無い」の。


携帯電話が、なくなった。
いつだったかの、学校に行かねばならない朝のことだった。
例日どおり制服を着込み、
右のポケットに財布、左には携帯電話を入れていた。
精子に悪影響があるらしいが
うちの子たちはそんなやわじゃない。
わやにはならない。
しかし事件は起こったのだ。電磁波で減りつづける精子とは全く無関係に。
家を出て、僕は友人にメールを打ちながら、ポケットの中に携帯がないことに気が付いた。
僕は焦った。
何故だ?なぜ左ポケットに入れておいたはずの携帯電話がなくなっているのだ?
僕はメールを中断し、ポケットの中に携帯をしまうと、もう一度家に戻った。
が、何処を捜しても携帯は見つからない。
途方に暮れ、絶望を感じはじめたころ、僕は気付いた。
左のポッケで寒さに震える、僕の大事な携帯に。


奇抜を目指している人々がみな一様に同じ奇抜さを表現しているというのは、いけない。


「山を甘く見ちゃ、いけない」


僕は恥ずかしくてならない。これだから、いけない。


なにかしらときた。なにかしら。いけない、いけない。けれど、なにがいけないのか、説明はできない。とにかく、いけない。なにかしら。なにとなく、赤面である。




ちょうど小沢健二が「本当のこと」や「神様」を使いたがったのと同じように、
僕にもそのような言葉のあるようです。
あなたにもあるでしょうし
川平慈英なら「いいんです」。
これ全部、過去の日記とかの抜粋なんですけど。



新疆ウイグル自治区に引越したい。




どなたか今年の映画ドラえもんを観に行くちゅー人は
前売りのおつかい引き受けますから
券についてくるおまけをください。


2016/01/08 「さん」をつけろ。

小山田圭吾子
著者近影


山里で紙敷を見たでぇたらぼっちは
海の人たちに海苔づくりを教えたんじゃと

ほーんと?

ううぇっふぇっひゅぇっふぇっへえへえへぇぇえへへ。

嘘じゃよ。
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