2002年10月講演会の行い(Jacky)
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↓実はこのあと、敬愛する「スティーブ」という英語教員からメールが来て、それは本当に本当に感動的な内容だったのだが、ここには書かれていない。もう力尽きていたのだろう。内容はぜんぜん覚えていないが、かなり僕に対して好意的でありながら、中立的な立場を保っていた。さすがスティーブ。僕はそのメールを読んで、「ああ、僕のしたことが間違っていたかどうかはわからないが、あの発言をしたことは、自分にとってはよかった」と思ったのであった。
なんか内輪っぽい話が続くが
こういう内輪ネタってすっごい面白いと思う。僕ならそう思う。
たぶん大量虐殺のテレビにかじりつくみたいに。
推理力が要る。
perspective5 もはや自分への、望まれてもいぬ義務感
返信していいのか迷うけど、
とにかくメエルありがとうございます。
えーと。
人を傷つけた?
っていうのはどうかわかんない。
傷つけたのかな?
確実なのは僕は彼を傷つけるつもりはなく、間違った事を言ったつもりもない。
けれど言葉遣いは横柄だった、らしい(笑)し、
喋った内容も《あの場においては》とても反社会的なものだった。
(そういう社会は肌に合わないが、存在している以上は受け入れる)
そこは反省。(でも反社会的がなんぼのもんじゃいと強く思っているのでまた繰り返すだろう)
でも、貴女のように、色んな人が僕に意見をぶつけてくれたし、
尾崎にとっても、
尾崎周辺者にとっても、
反尾崎派にとっても、
ただの馬鹿にとっても、
良い機会であったろうと思う。
尾崎は色々なことがわかったし(それは一言では表現できない)、
尾崎周辺者も色々なことを考えたろうし、(たくさんメエルとか来た)
反尾崎派は自分の意見を持って(たぶん僕の嫌いな意見ばっかりだけど)
尾崎を批判なり罵倒なりできたことだと思う。(それもneatな論理と感情でもって!)
単なるおばかさんにとっては
単なるおばかさん度が露呈するナイスなチャンスだったかもしれないし(笑)
でも向陽にはすくなくともノン・ポリ(何の考えもないひとね)
というのはあんまり存在しないと思う。
ただ、僕と折り合わない人材がけっこういるんだってことだけで。
とある女の子はあれを、「起爆剤」と表現したけど、どうかな?
《それ自体が》悪いことにしろ、なんにしろ、
結局はクスリとして成立したんじゃないかってこと。
普段何にも考えてないように見えてる連中が表立って感情と意見を露にしてるで
しょ。
面白い。
人間は共通の敵を前にして…なんて。(イヤなイヤなイヤな奴的に)
鈴…なんとかさん(講演した人)は気を悪くしたかもしれないけど、
まあ実際僕はおもしろくないとおもったし、
講演の技術も持ち合わせてないのにこんな場に引きずり出されて
可哀想だなあとも少し思った。
裏付けるものとして、みんな眠ったり、喋ったり、うなだれてたりして、
実際に耳と脳味噌で聞いていたかどうかは別にしても、
「講演を聴くもの」という立場としての態度は本当に最ッ低だったと僕は評する。
めげずに最後まで《淡々と》喋りきった某氏に脱帽。(お、うまい)
真面目に聴かずに無条件に肯定するものと
真面目に聴いた上で吟味し咀嚼してあえて否定するものとの間には
いったい何があると思う?
(まあ、僕はお世辞にも真面目には聴いてなかったから、
偉そうなことはいえないんだけどね、本当は。てへ。)
そしてああいうことを発言すること自体を僕は悪いこととは思わない。
批判することが悪いことならば、
悪いと思うことを悪いと主張することが悪いことだというのなら、
何物に対しても向上は望めない。
屁理屈のようだけどね。
僕のしたことは、全てがマイナスなのかな?
たぶん最も焦点とされるのは
「失礼だった」とか
「善意で来てくれた人を傷つけた」とかだと思うんだけど、
僕からしてみりゃ、くっだらない、って思うんだね。
たぶん価値観が《普通の》人々とはだいぶ違うんだろうけど。
演説する側は、人様の前で何かを発表する側としては、
批判されてなんぼ、
傷ついてなんぼだと思うの。
ちょっと僕は過激すぎるかもしれないけど、そんな奴だって居るよ。
温泉で育って来た人間には無い概念かもしんない。
けど、何かをしたら反動が来るのは当たり前で、
それは天使だったり悪魔だったりする。
こういう論理が、たぶん向陽高校のみんなには通用しない。
貴女も含めて。
でもそれは別に憎むべきところじゃなくて、
むしろ僕にとっては感謝すべき事なのかもしれない。
僕は自分がみんなと違っていれば違っているほど、楽しい。これが本音。
男は家を出れば七人の敵が居るんだから、
どうせいるなら敵は多いほうが楽しいし、
それに、味方はいつでも頼もしいものです。
僕に同調してくれる数は少ないけど勇敢な友人達は
本当に僕の支えだと思う。
と、いうようなところで。
思いのたけはそれなりに伝えたつもり。
いつ読んでくれるかわかんないけどいつか読んでくれるものと信じて。
これから向陽高校を出ていく人たちって、
(ごく少数の愛すべき悪?人たちを除いて)
たいていこれからの子どもには嫌われる(比喩)んだと思うよ。
ちょっと考えりゃわかることなんだけど。
じゃきー。
perspective4 なんか僕の友達って、選民思想家ばっかだなあの巻(または言ってみりゃ偏ってんなあの巻)
日記読んだ。日記、じゃないのかな。布団の中で打ってるから寝ない様にしたいけど。
2の発言、好き。
子供臭い表現でごめんね。でも3人分読んで2番目の恐らく308だろう、って人の意見が気にいった。
ぶっちゃけね、私も感想文で少し喧嘩売った。別にあんたらに同調したい気取りじゃないけど。
眠ったにしちゃ過ぎた口叩いたかもしんない。
でもさ、教員なんて関係ないと思うの。確かに機会を設けたのは教員たちに過ぎないけど考えたり、意見持つのは個の自由。
室長は必ず教員に順応せねばならないなんて決まりないし。
そうゆう意味では[
松岡直樹]なんて言う、教員の中で巻かれ、でも生徒の前では「俺は今の制度には従わないぞ」調アピールの教員の目なんて気にする必要ないし、恐らく感想文読んでも表面しか汲み取ってくれない。
扱いも××××××××(本人の希望により、ふせ。)…
そういう意味で、感想文読んでもらって期待するなら(ドリカム大好き?)先生や(ダウンタウン大好き!)先生だろうね。
生徒も。低能じゃない?わざわざ講師に謝りに行って「私たちは同じじゃありません」を強調するなんて。
逆に「私たちは校長先生や貴方の話を聞いて感銘を受けました、だから更に頑張ります」って言った方が喜ぶよ。
幼さ露見してるんじゃないかなぁ…とも思う。
死を物差しにするのは嫌だけど、きっと彼女たちは「彼女の分まで頑張ろう」と思うだろうし、死を知って泣ける人間だと思うの。
そして2日後の体育で、選択制で、組が同じだったのも知らずに友達相手に笑顔で「絶対負けないからねー」と叫んでる。
現にその日、泣きはしなかったけど、ずっとその悲しさ背負って沈んでる友人に、気分転換の仕方を聞かれてるから、つくづく表に出す感情が正しいとは限らないって思った。
でもこの学校は面白いと思う。
尾崎の様な意見を全面に出してる人
尾崎の様な意見だけと隠してる人
尾崎に同調してる様な感じで本当は自分の意見すらない人
何も感じない人
反尾崎
他、様々だもんね。
反尾崎がダメとは言わない。嫌いとも言わない。
唯、時折思うのは、言われた通り勉強して成績良くて平々凡々な平坦な人生で、いい本や考えの書かれた物読まずに育ってきてるな、こいつら。って事。
道端に猫が死んでいたら「かわいそー」で終わるんだろうな、って事。
こいつらがそこそこの理論に囲まれて、それを言葉として振りかざした時、本気で潰したくなるんだろうな、って事。
向陽は面白い場だよ。
馬鹿観察するにも、何にしても。
尾崎と同じ代で良かったと思うし。
これまで出してない考え、そろそろ担任も調査書作成し終えるだろうから(笑)好きなもん出して行きたい。
死者によって屈折した観点の意見じゃない、ナチ的観点のヤツとかね。
うまく言えないし、このままダラダラ書いてても結べそうにないけど…
今回の尾崎の講演者への罵倒(助言)はいい起爆剤になったと思う。
何で起爆剤なんてゆう表現思いついたかわかんないけど、「いいぞ尾崎」って思う人にとっても2番目の文書いた人みたいに感想文で自分を出したり、ここで初めて「こいつすげぇ!」って思って共感(?)して文書いたり、『隠しじゃない文』書けた人たちにはいい起爆剤だったんじゃないかなぁ…と。
そんな感じ。
面白い、だけじゃなかったと思う。
妥当な表現見つからなくてムズ痒いけど。
3通にもなっちまったい…すまねぇ。
うーん。
愈、おもしれぇぞぉ~。
死ぬぜェ…
俺の姿を見た奴ぁ、み~んな死んじまうぞォ…。
perspective3 ~ジャッキーさんへ~
昨日の日記を見ました。おまけに向陽生に詳細を聞かされました。とりあえず、その
話を聞いた時、スカッとしましたよ。やるじゃん、みたいな。(笑)
私は似たようなことをいろいろやってクラスで孤立したとき、自分が否定されたのが
悲しくて結局周りの価値観とあわせて生活することにしました。
それはそれでとても楽です。でもやっぱり毎日自分を殺してるような、殺されてるよ
うな。
でも楽です。
微妙な自己表現を拒絶されたぐらいで己を捨てた私も私ですが。
ジャッキーさんはそれでも自分を表現し続けているようで、私には尊敬です。(かな
りへこんでいるみたいですが。)ジャッキーさんがどこまで自分を表現し続けられる
か、見てみたいです。別に頑張らなくてもいいですが自分と言うものを強く持ってる
人(ついでに周りに見られたい人)が自己表現を止めることは死ぬことと同じですか
ら。
そう言う意味では、まだ死なれるには惜しい人です。
少なくとも、ジャッキーさんを理解できるような良心的な消費者になれるよう日々努
力したいです。(まあ、てめえらみたいなバカに理解される程、俺は単純ぢゃねえ、
と言われたらおしまいですが。)
でわまた。お元気で。さようなら。
perspective2 ~幻滅。~
一夜経って落ち着いてきたのでメールします。
昨日はあなたと同じく鬱状態でもないのに初めて本気で死にたいと思ったさ。
やっぱ尊敬するよ。
あの後
▲と■と話したけど、(相手が悪いのかもしれんけど)
あなたのことを理解してたし、尊敬してた。
向陽みたいないい子ちゃんばっかりの学校じゃ仕方ないのかもね。
一回地獄を見てきたような人間じゃないときっと理解できないのよ、俺らみたいな考
えは。
だから、RinQが理解してくれたのは非常にありがたいですな。
まだ捨てたもんじゃないと思った。
うちのクラスの人間は比較的自分の意見を持っていてそれを発言できる子がたくさん
いるので、
「やり方が汚い」とか「みんながそんなこと考えてないのに」とかばっかり言ってま
した。
某ゾネちゃんファンさんも、例外でなく、
小守氏の講座の時に
「自分の意見は感想文に書けばいい。あんな場で発表するのは筋違いだし、自己中
だ。」
みたいなことを言ってました。悪いけど、あなたもちょと頭悪いんでないですかい?
もし、ああいった公の場で意見を言わないで、講演者をそのままにしておいたら、
もし、ああいった公の場で意見を言わないで、個人的に講演者に意見を言っていた
ら、
どうなってたんでしょう。
あなたの行為よりも、後者の方が間違いなくタチが悪いと思うのだが。(RinQ調)
それに、日記にもあったけど、罵倒こそあれ、忠告には間違いないと思う。
俺らは“聞かせてもらう人間”であると同時に“聞いてあげる人間”なのだから、
講演者のレベルを要求するのは権利だと思う。
今回の件は、東大出のエリートに初めての挫折を味わわせた形になったのではないで
しょうか(笑)
▲と■と話してたときに言ったんだけど、
俺らのような“流れに逆行する人間”は“流れている人間”には決して理解されない
ものだと。
理解されるとしたら“流れの中で止まっている人間”だと。
うちの高校…というよりむしろ日本人は流れている人間ばかりだからどうしようもな
いのだ、
と本気で諦めました。
日記読んで少し気が慰められた気がします。
俺の感想文は振り返ってみると酷かった。とても誰にも見せられないくらいに。
松岡直樹がこの後、俺に対してどういう態度で接してくるのか非常に期待はしてます
が(笑)
やっぱみんな俺よりも偏差値高くても頭悪いんじゃ仕方ないわ。
教頭の“驕りは良くない”の発言だってそうだし、拍手だってそう。
どういう意味で拍手したのだろう。そして自分は驕っていないのか、と問いたい。
月曜からどうやって生きていこうか。いよいよいつも通り猫かぶってもいられなく
なったぞ。
俺の意見を理解できない人に対してまともな会話ができるか、
人間のできてない俺には不安で仕方ないです。
PS ××氏は講演前に勉強のことについて彼女の分まで頑張りましょうと言っており
ました。
そこ間違ってますよ(笑)でも彼女は俺らが頑張ってるのがプレッシャーになったの
ではないだろうか。
だから、俺らが頑張ることを願っているとは到底思えないのですが。
perspectve values
ジャッキーは講演者に
対して、あなたはこの講演がおもしろかったと思いますか?あなたの話はバラバラで
要点がわからない。あなたは話すのが下手だ。話し方が稚拙だ。などいろいろ批判し
まくった。まとめると、講演するならもっと上手になってからやれ!という感じだっ
た。一部の人をのぞいて、みんなジャッキーに対して怒りまくっていた。同じ向陽生
として講演者に対して申し訳なく、恥ずかしかった。別に批判することは悪くないが、
善意で来てくれた講演者に対して失礼だし、批判の仕方も悪い。文句言うなら友達と
言い合っていろっつうに。かんなり腹立たしかった。
2002.10.25(金) 屋率阿保気
いい友達をもったなあ、と。
切に思う。
また軽い【事件】をまき起こしてしまった
嵐嵐for dream
以下、その顛末を語る。心せ。
お昼から講演会があった。
面白くなかった。
僕は隣の、現行のクラス内では近しいと感じてゐる輩と、色々と話をしていた。
ところで講演会が始まる前に先生が
先日お亡くなりになられになられた(ってかなんで同い年に敬語?って思うよね。死人は目上らしい)女の子の話を出して
「彼女の分まで頑張って聞きましょう!」とかほざいていて
フウム
彼女はそこまでこの講演会に命をかけていたのだろうか。
甲子園夢見る球児らのように。
「みんなー和也のぶんまでがんばるんだー」みたいな。
この先生の頭の中は、おかしな話だと思った。
で、隣の男と話をしていた。
はじめはドラゴンボールのレアキャラ古今東西で
スノとかイコーセとか子ガメラとかカルゴとかアプールとか不死鳥(食中毒でご逝去)とか
言い合って爆笑しつつも耳はしっかりと講演内容を捉えていたのは我ながらショート・クタイシックな点である。
講演会、つってもなんかよくわからん我らが名古屋市立向陽高校から東大入って今は大学で働いてるってだけの単なる一般人。
校長がブッキングしたらしいが他の人を呼ぶのがめんどくさかったのだろう、実は校長の《身内》である。
そして至って普通の人であった。
話してる内容は至って素晴らしかったが如何せんめちゃくちゃ喋りが下手糞で
生徒の3分の1は眠り3分の1は喋り3分の1は無関心であった。比喩。
話してる内容は至って素晴らしかったが如何せん僕には魅力的に映らず得るものは無かった。
僕が思うのは、たぶんこの人はこれでお金をもらうのだろう、ということだった。
僕が思うのは、この無意味な時間の間に、ドラゴンボールが何冊読めるだろう、ということだった。
僕が思うのは、目立ちたがり屋の僕だって、あの壇上に立って話をしてみたいのに、どうして自分にはできなくて、彼のような何の魅力もない話しかできない人間が、あんなに偉そうに雄弁ぶっているのだろう、ということであった。
なんで?
なんで、弁当隠して食べるの?
なんで、弁当隠して食べるの?
なんで、姉ちゃん隠すの?
なんで、姉ちゃん隠すの?
つまり、《講演をする》のであったら、それなりの内容は提供して欲しい、ということである。
そして何故僕らにはこの講演を拒否する権利が有されていないのか。謎だ。
せめて一分一秒も時間の惜しい受験生の貴重な時間を割いて聞くだけの価値を、話の中に見出したかった。
でもそれは無理な話だった。いかんせん、つまらなかった。
ごくごく真面目で、僕とごくごくごくごくものすごく親しい友人でさえ、居眠りをしていた。
違う友人は、「何だきゃつはつまらんじゃないか」と数回、講演中に僕に告げた。
隣の席の男も、「むかつくむかつく」と文句ばかり垂れている。
周りをねめ回せば、どうやら真面目に聞いている人間はひとりたりとも目に付かない(いたとは思うけどね)。
ああ、やっぱこの人はつまんないんだ、と認識した。
凡そ僕と感性の合う人間はたぶん皆「つまらなかった」と言うだろう。
それ以外の感性は、理解しがたい。(例外は、もちろんあると思うけど)
やがて、後ろの席の男の子が「お前ら、五月蝿い」と数度文句を言ったので、
その言葉に半ば切れている情緒不安定の隣の男を笑顔で見守りつつ、今度こそ真剣に耳を傾けた。
ところでこの隣の男というのがおかしな奴で、小説とか詩も嗜むようだ。このHPにも幾つか載せている。
元読書家であることも判明して、芥川や太宰やカフカやウェルズやボームなどの話で盛り上がった。
これらの単語が通じる相手も、珍しい。でも変な奴である。やたらと情緒、不安定。
真面目に講演を聞いて見ると、もう「無魅力」という先入観が混じっているせいか、本当に面白くなかった。
僕はたくさん妄想をした。小学校の時からこれはよくやる。
例えば、今自分が走って壇上に上がってマイクを奪って、「面白くないです」と言い放ったらどうなるか。
割と本気でそんなことを考えているのである。何か心にきっかけがあれば、確実に僕はそれをする。
やっとこさ講演が終わった。
ホッとした。
やけに時間が余ったなと思ったら質問コーナー。
…こういうのに、僕は弱いんだ。
僕を知っている人間は、みんな僕に期待をするんだ。僕がおかしな奴だから。
こういう時って絶対質問なんて出ないじゃない、ましてや講演自体が面白くないんだし。
そんな空気。
うちの学校には、義理と礼儀から心にもないお世辞を献上するような、そんな奴ぁいない。そういう空気。
で、みんなの眼が僕に向く。声に出したり、出さなかったりで、みんなが「いけ、いけ!」と急かすんだ。
そりゃあ僕だって応えないわけにはいかないでしょう?
全く予定もしていなかったし、片手間に聞いていて意見なんかあるわけもないのに、
挙手しちゃったよ、僕の悪い癖。
しかもトゥ・メイク・ザ・マター・ワース。
マイクを握ると
調子に乗っちゃうんだ、わかってるんだ、そんなこと。
罵倒。罵倒。罵倒。罵倒。罵倒。
(ご自由にご想像ください。)
あーあ。
やっちゃったよ。
まるでオナニーした後の矢部浩之、
えっちし終わってコンドーム処理してる時の岡村隆史だよ。
これわかる人相当の通だよ。
罵倒しちったよ。
僕にしてみれば丁寧な言葉で、敬語にも気を使い、柔らかく思いのたけを伝えたつもりだった。
でも実際は全然そんなことないのね、どうやら失礼だったらしい。
つまんないものをつまんないと言ったのだ。(確かに「質問」という趣旨とは途中からずれてしまったけど)
講演するんならそれなりの「話」を聞かせてくださいよと言ったのだ。
長々と喋り捲ったのだ。休みなく。傍らでおろおろする教師が「やめなさい」と言うための間髪を洩らさずに。
ロジカルに喋った。インテリゲンチアっぽく。
「次にどこかで講演するとしたら、もっと修辞や抑揚を磨いといてくださいね。」と言ったのだ。
「根本的な思想と人間性に魅力がない限りは、どんなに素晴らしいことを言ったって人の心には響きませんよ」と。
どうだ。
これがジャッキーだ。でも本当はこういう時って、結構内心ではドキドキだし足もがくがくしてるんです。
役者として舞台に上がって台詞を吐くよりずっとか緊張するんですわ。
まあとりあえず毒を吐きまくる。馬鹿には到底理解もできないアゼルバイジャニックな単語を織り交ぜながら。
僕が何か言うたびに大衆は少しずつしかし確実に何度も笑っていた。笑っている人間は、少なくとも敵でない。
そして毒舌はマイクを置く。
みんなびっくりしていた。ある意味では、勝った。
(予想していなかったのはその後に、僕のクラスの女の子が【普通の】質問をぶつけたことと、
質問コーナーの後に先生が僕の発言についてコメントして盛大な拍手を受けたことだ。少し嬉しい。)
さて、その後が問題である。
「あーまたやっちまった」って感情が僕の中にはある。もちろん一種の達成感のようなものは存在するし、
400人が一斉に僕の方を見て、気持ちよかったし、これでもううちの学年で僕を知らないものは完全にいなくなった。
(その前にも文化祭だの修学旅行だのなんだのかんだの色々やっててとうにウルトラ有名人ではあったのだが)
とってもザマアミヤガレな気分だ。
しかし光あらばまた闇もあり。人気者にはアンチがつきもの。
だいたい理系で、体育会系の人間たちは他人が目立つのが嫌いである。偏見。
たぶん小さな頃からサッカーとかやらせりゃ中心に立つし、がき大将や不良のタイプが多いもんだから、
許せないんだろうね、僕みたいなのが目立っているのは。
そういう奴等を僕は好きくない。
「身障じゃねー」とか
「変態だな」とか
「あいつありえん」とか
まー色々に言ってたわ。目の前で。
頭わる。
まあけんかしたら僕が勝つけどね。
なんかその後も馬鹿や普通の人々の、冷たく痛々しい視線が突き刺さった。
理解ある友人達はガッツサイン、笑ってくれたり、普通に駄目だししてくれたり(言葉遣いの微妙さは咎められた、反省)。
けど多くの心無い人々には単に異端扱い。
遂には「あいつヤクやってるから」とまで言われる始末だ。
うーむ。微妙にブルーだ。別にいいんだけど。
教室に帰って、感想文を誰よりも速く早く書き上げて、(専用の原稿用紙、一字もマスを余らす事なく)
また別に、思いのたけを書き認めた。
《世界の廻り方がもうそれだけで僕とは違う。僕はこれから、こいつに身体をならしていかきゃいけない。大変な労力だと思う。僕を身傷だとか変態だとか有り得んだとか言う人が多い。ごく親しい友人にだって、似たようなことを思われているだろう。僕はこんなところに居たくはない。異端視されることは、他の全ての日本人たちと同じように、けれどもほんの少しだけ積極的な形で、大好きなはずなんだけれど、本当に、不安だ。みんなが僕をおかしな人間だと思って、それだけじゃなくて、蔑みの眼を向けているのだとしたら?僕は社会から大きくはみだしてしまっている。世間目に不良のように見えている連中は、実は社会の隅っこの方で、綺麗にワクの一環をなしている。完璧にはみでてしまった人間はどうしたら良いのだろう。本当は、僕は僕としての存在を保ち固体としての形態を維持している。社会に合わせてこれを変えろというのなら、それは僕を変えるということだ。そんなの《社会の身勝手》だ。少しだけ大袈裟な視野で見ればこれは僕のエゴだ。これは確実。でも僕の中で僕は全てであり、世界は僕のものなのだ。そしてそれは僕の生きている世界では認められていない。【自分勝手に人権は無い】んだ。どうする?妥協し調和して行くか、我慢して受け入れるのか?のらりくらりとかわして生きるか?…それしかないんだ。そうでなければ、死ぬしかないでしょ。僕はそんな気、あんまりない。ただ、菓子折でも持って僕のところにそいつがやって来てでもくれるのならば、そんなら僕は、死に甘んじたいとは思っている。けど実際にそううまくいくとは限らない。どこまでいっても僕は、如何にはみだしたとて僕は人間だ、と思う。ロボットじゃ無い から。でもさ。なんつうか、僕って勝手なやつ。わかりきってんだほんなこつ。いない方がいいと思う。明日からの飯をどうしよう。》
と、このようにめちゃめちゃ凹んでいたわけです。馬鹿ですな我ながら。
鐘が鳴ると同時に居たたまれない僕は速攻帰宅。
去年同じクラスだったゾネちゃん(ジャッキーの異名)ファンの女の子に
「なんであんなこと言ったの?」といわれた。「ん。なんとなく」と答えておいた。《あんなこと》だってさ。僕はまた凹む。
家に帰って、ご飯を食べ、ビデオを見て、さて勉強だと思う頃、メールが来た。(注:全ての動作は凹みながら行われた)
僕について飛び交う様々な情報を横流ししてくれたので、その恩恵に預かり一部記す。
「アレだな、タカヤは面白い奴だな」と校内一有名で人気のある超有能な言語学者が言っていたらしい。
「良い質問をしたと思うぞ」だそうだが、自分では余りそうは思わない(笑)。
全体的に彼は僕を褒めてくれていたようだ。これはかなり嬉しい。
我が校の教員の中では最も畏敬に値する人物だからだ。
情報を横流してくれた僕の大好きな女の子も「面白かった」と言ってくれた。
僕は、ありがたい事だと思った。大袈裟な言いかたをすれば、これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの報酬も考えていない。僕は多くの友人達を、美しいと思った。すっげぇ思った。何回も思った。
とある違った知り合いの女の子は、
「あの下手な講演よりは、尾崎くん(ジャキー本名)の方がよっぽど聞きがいあると思うの」
と言ってくれたみたい。まじ泣くしそんなん。
先の女の子ほど、親しくはないぶん、なんか余計に嬉しい。友達の義理とかじゃなくって、そう言ってもらえるのが、まじで嬉しい。
ところで面白い話
なんか教師に謝りに行った愚者がいたらしい。
いよっ大統領(なんか気に入った)
隣のクラスの女の子数名だったらしいが、その“謝罪”内容たるや、爆笑である。
「向陽生皆が尾崎くんみたいな考えじゃありません。傷つかないで下さい。」と、
要は私たちを尾崎くんと同じに見なさないで下さい系らしい。ぶふー。
まあ僕は彼にとって良いことをしたと思ってるけどね。
《罵倒》とさっき表現したけど、《助言と忠告》を与えたんだと思ってる、あとは売名行為に利用させてもらった。
悪いね。
しかしちょっと毒舌ったくらいでこうも事が大きくなるというのは平和で真面目な馬鹿学校特有の話で、面白い。
しかし彼女はどっからこういった情報を仕入れてくるのだろうか、謎だ。
とかとか、なんか色々の話を聞いているうち、なんだか捨てたもんじゃない気がしてきた。
僕は家に帰ってきた頃くらいまで、もう学校なんか行くもんかとかそのくらいの気分だったし、
たぶん死にたかった。
(しかし過去の日記などを見るとこの「死にたい」という言葉への考察の変遷が著しいな僕は)
(最近は軽い気持ちで、呼吸のようにこれを使っている。昔は違った。毛嫌いしていた。)
(あと、「死ねって思う」とかね)
(万物は流転する。当然僕も流転する。そういうことかな。ヘラクレイトス万歳。)
どうも友達ってのはすばらしいね。そういえば先日
おととしのクラスメイトとナイトロングでカラオケに行ったとき
すっごいなんか幸せで
今夜はブギー・バックな気分になったことを覚えている。半ば泣きそうであった。
ことの顛末はこんなもんで終わりだ。
なんつうか、幸福と敵を再認識した。
僕を嫌う連中は僕基準では最下層だって事もはっきりしてきた。
理系体育の差別はやめよう。
別に僕は友情を論じたいわけじゃない。ただ、
僕のしたことも無駄じゃなかったかもしれない、と強調したい。
例の隣の男は「なんか俺の言いたいことを代弁してくれた感じ」と言ってくれた。
違う友達も、同じことを言っていた。
きっとあんまり知らない人でも、「よく言った!」って思ってくれてる人はいるだろうし、
そういえば事後、心なしかとある女の子が瞳で僕に激しくハートマークを飛ばしてきた気がする。
まあ妄想だが、たぶん受け入れてくれた人もいただろう。
そうしてそれはきっと、感性が僕に近くって、素敵な人だ。かもしれない。
んな風に考えると、捨てたもんじゃない。ぼくは単なる、馬鹿じゃない気がしてきて、
来年また、ここで月見草を見ようと、思えるようにまでなった。うむ
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