2002年9月後半の行い(Jacky)
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2002.9.30(月) 保証はどこにもないけど(沙羅双樹)
勝ったよ、ぼく。
乙武さん絶対キスうまい。
バカルディの三村マサカズが誇らしげに
「その次の回に戻ってきてるんですよ、『さようならドラえもん』は漫画本で言うと6巻なんですけど、
ドラえもんは6巻と7巻の間がすごい空いてたんです」
とか言ってた
三村さんがどんなつもりで言ったのかは知らないけどとりあえず
奥付では
6巻は昭和50年1月1日初版発行、
7巻は昭和50年5月1日初版発行。
でも僕は
バカルディが大好き。
大竹のほうが面白いことも
知ってる。
ちょうだい。
ひとつのはなちょうだい。
しかしスーパーサイヤ人初変身のシーンは
アニメ版だと
原作の迫力がないね。
クリリンのことか。
ぐらいだね。
原作は
クリリンのことか――――――――っ
!!!!!
くらい。
あ、比喩ね、比喩。
アニメ版だと
「や、やめろフリーザ。」
「にっ。」
「悟空」
どーん
「くっくっく」
「ゆ、ゆ、ゆるさんぞ。よ、よくも、よくも」
ぷちん
ぞくっ
「ん?」
ずううん
「な、なに」
「お、お、おとう、さんv」
「ご、悟飯。ピッコロを連れてさっさと地球へ帰れ。まだかすかに生きている♪」
「あ、あ」
「オレの理性がちょっとでも残ってるうちにとっとと消えるんだ☆」
「は、はい(;^^)」
(イメージ)
2002.9.29(日) 爆笑問題の田中さんが突っ込んでました。「がっかりさせない期待に答えて素敵に楽しいいつものおいらを捨てるよ!」
数学というのは徒労が多い。
そして、本当はその徒労にこそ楽しさがあるのだ、と僕は思っている。
したくない徒労はしなければいいし、
楽しい徒労は進んでやりたい、人間とはそういうものだ。が、
しかして学校では、基本的に全ての徒労が強制されてしまうのだ!
そんなわけで僕は、現代の数学教育というのには反対である。
だいたい、数学なんて頑張ってやったって知識も増えないし、イライラするだけである。
もっと楽しく数学をやる方法があるはずだ。
例えばアラビア数字の代わりにギャグを使う。
1→脳味噌バーン
2→わかるかなあ…わかんねえだろうナ
3→ブルルーン、ボヨヨーン
4→ハイそれまでヨ
5→ガチョーン
6→アッと驚くタメゴロー
7→青春を噛み締めろ
8→ほな、お前の嫁はんか
9→お前は無い。あっても言うな
0→コマネチ
これを10進法に乗っ取って適用させると
52+86=138
という単純な糞面白くも無い足し算が
ガチョーンわかるかなあ…わかんねえだろうナ+ほな、お前の嫁はんかアッと驚くタメゴロー=脳味噌バーンブルルーン、ボヨヨーンほな、お前の嫁はんか
一転、素敵にはや変わりっv
加えて、記号が邪魔っけなので
+→ガッペンむかつく
=→ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、さんまちゃーん、はーい、ばかさんちゃん。
とおくと、
ガチョーンわかるかなあ…わかんねえだろうナガッペンむかつくほな、お前の嫁はんかアッと驚くタメゴローンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、さんまちゃーん、はーい、ばかさんちゃん。脳味噌バーンブルルーン、ボヨヨーンお前は無い。あっても言うな
更に言えばこの場合、特に10進法にこだわる必要はありません。
だから10よりも上の数字も勝手に定義づけてやればいいのです。
10→もみじまんじゅう
11→小野田さーん
12→同じ動きなのに、違うこと
13→パー
14→聞いてないよ!
15→あなたの髪きっと生えてくる
16→お邪魔しますかー
17→ちゃんらー!
18→今こそオーゥマイトゥーラゥ愛を受け止めてどんな時だって私はいつも傍にいるよ
19→酒飲め、サカモト!
20→両手を上にあげて、痙攣の運動
21→モチモチキック
22→一撃必殺!一発屋劇場(知ってる人居たら友達になりたい)
23→バレンタイン、バレンタイン
24→私のマイグラジエーション
25→南こうせつじゃないんだから
26→アタァアアアック、チャアアアンス!!
27→アニマル~!
28→顔面マヒナスターズ
29→菊次郎だよ!馬鹿野郎
30→吉田くん、前の文房具屋でB5十人買ってきて。
31→ブルマは中2が堪らないんだから
32→あたり前田のクラッカー
33→オー!モーレツ
34→はっぱふみふみ
n→∞
というように、永久に続くわけですが、更に…
∫→お呼びでない、コラまた失礼しました
(→今日は無礼講や
)→先輩も後輩もなしにして気楽にやろ
【→おいキー坊!
】→誰がキー坊やねん
d→俺はこの町でいちばん無責任と言われた男
x→金太マスカット切る、金太マスカット切る、金太マスカット切る
二乗→あ、トムソーヤ!死にそうや
から→朝食というのは朝にたべるごはんの事だろ。昼食は昼ごはん、夕食は夜ごはん。じゃあ、日食というのは1日中食べてるの。
※「から」は便宜的なもの
となると、こんな計算が可能です。
お呼びでない、コラまた失礼しましたコマネチ朝食というのは朝にたべるごはんの事だろ。昼食は昼ごはん、夕食は夜ごはん。じゃあ、日食というのは1日中食べてるの。わかるかなあ…わかんねえだろうナ今日は無礼講やアッと驚くタメゴロー金太マスカット切る、金太マスカット切る、金太マスカット切るガッペンむかつくお前は無い。あっても言うな先輩も後輩もなしにして気楽にやろ俺はこの町でいちばん無責任と言われた男金太マスカット切る、金太マスカット切る、金太マスカット切るンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、さんまちゃーん、はーい、ばかさんちゃん。おいキー坊!ブルルーン、ボヨヨーン金太マスカット切る、金太マスカット切る、金太マスカット切るあ、トムソーヤ!死にそうやガッペンむかつくお前は無い。あっても言うな金太マスカット切る、金太マスカット切る、金太マスカット切る誰がキー坊やねんコマネチ朝食というのは朝にたべるごはんの事だろ。昼食は昼ごはん、夕食は夜ごはん。じゃあ、日食というのは1日中食べてるの。わかるかなあ…わかんねえだろうナンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、さんまちゃーん、はーい、ばかさんちゃん。同じ動きなのに、違うことガッペンむかつく今こそオーゥマイトゥーラゥ愛を受け止めてどんな時だって私はいつも傍にいるよンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、ンパ、さんまちゃーん、はーい、ばかさんちゃん。吉田くん、前の文房具屋でB5十人買ってきて。
答え:吉田くん、前の文房具屋でB5十人買ってきて。
わかってるんだかねーんだか言ってる、おいらもおいらだ。
ムカつくあいつを嫌いになれねえ、
どうすりゃいいんだ。
金ならまだしも俺の妹に唾つけるなんて
許せねェ!
はずなんだけどしゃーねー
これが青春だ。
本当にわかって欲しい事は本当に誰にもわかってもらえない。
なんというか、別に僕は「自分が要らない人間だ」などと思っているわけではない。
はじめに断ってあるように、
《僕は僕として
僕への需要で満たされて》いるのだ。
それはなぜかとたずねたら
それは
《僕が僕として【既に】ここに存在しているから》。
溢れんばかりの僕への需要は、
溢れんばかりに溢れてる。
親も国家も友達も、
僕もアナタも運転手さんも。
ゼアラーたくさんの需要。
必要性。
スペース。余地。room。
不可算名詞。
だけどもそれは単純の既成事実でしかない。
2002.9.28(土) リキニウス・セックスティウス法
自由に空を飛べるけど、
カラスの勘三郎じゃないよ!
時速119キロも、
スピード違反じゃないよ!
赤いマントはしてるけど、
赤ずきんちゃんじゃないよ!
マスクで顔を隠しても、
ハットリくんじゃないよ!
大きな声じゃいえないが、明日からスーがスーっと消えた実は欠陥スーパーマン=パーマンが再放送するらしい。
僕のクラスの一番後ろはビリから二番です。
パ
パ
パ
パ
パーマンは、そこにいます。
またひとつ
知らなくてはいけなくて
知らなくてもいいような
くだらない材料が
増えた。
ていうかパーマン再放送はテレ朝だけで名古屋テレビではやらないっぽい。ちくしょう。
心の中の引っ掛かりなどをそのまま残せない僕にとって
それは
重々しく
スーパーマリオブラザーズ3に出てくる錨のように
繋ぎとめている。
僕はもっとストイックに何か
僕が僕としてここに存在しているから
僕は僕として
僕への需要で満たされて
僕がいなくても世界はマワル。
僕がいなければ僕を殴る奴は木村を殴るだろう
僕がいなければ僕に手紙を出す奴は田中に手紙を出すか、或いは手紙を出さないだろう。
僕がいなくても僕と結婚するであろう女の人は他の誰かと結婚するのだろうし、
僕がいなければ僕と結婚する女の人は加藤と結婚するだろう。
日本には他に、高橋とか、佐藤とか、島田とか、谷崎とか…
とにかくたくさんの人がいる。
佐藤がいなくても世界はマワル。
佐藤がいなければ僕は木村を殴るだろうし
佐藤がいなければ僕を殴るのは木村だろう。
そういうふうに、世界はマワーリー。
非アラブムスリム。
とっかえが利くってこと。
あたかも大阪から東京へ行くのに船で行っても飛行機で行っても新幹線で行っても結局は東京に着くように
のび太がどなたと結婚しようが、結果的にはセワシが生まれるかの如く。
僕がいなければ僕に恋をする女の子は木村に恋をしていただろうし
松本人志がいなければ浜田雅功とコンビを組むのは木村(祐一)
かもしれないが
そんなことはない。
僕じゃなくても全てが成立していく。
セツノーナルな夜はアゼルバイジャンに更けていく。
精神はトランスヨルダンな変貌を遂げ
アンビバレンツな春の午後を彩る。
そんなことがたまらないのだ、
静かな単語のように。
2002.9.27(金) ヤナーギブアップ
混沌としたスープ
具の中の一員
嫌いな奴の顔
大好物のカオス
具の中の一員
嫌いな奴の顔
心にいつも
混沌を
アルジャーノンに
混沌を
クリトリスにも
混沌を
頭を洗おう
コントニック・シャンプー
【自己中】とは何か?という問いも、死刑問答、偽善問答と同じくしてとかく堂々巡りになりがちである。だから僕は死刑や偽善について語ることをなるべく避けるようにしている。そろそろ飽きたし、疲れるからだ。だが今日は新参者の歓迎会を兼ねて彼自身について言及してみようと思う。【自己中】とは何か?人は皆言う、教師でさえもが言うだろう。「人は皆偽善者であり、自己中心的な生き物なんだ」五月蝿えボケナス○○人。言葉の定義まで遡る気は無い(特に【偽善】はその言葉の定義するところの意味があやふやなので実質問答は成立しない事が多い)が、割と定義の狭っちい【自己中】について考えると、単に「人は皆自己中だ、だから自分も自己中なんだ」って言ってそれがかっこいいと思い込んで意味もわからず叫び散らしている人が多い。赤面だ。自己中であると本当は思ってないし他人にもそう思われては居ないんだろうけど自分で自分のことを「あたしなんて本当は自己中なのよ」と言うことによって「まああの人たら自分をあんなに卑下して謙遜してあら控えめな方だわ奥床しいとはあの人のことなんだわきゃいきゃい自虐的はかっこいい自虐的は大好きキャー悲劇のヒロインかわいいウキー」とか思われるであろうことを思い悦に浸っている。「自己中という言葉をそんなに深いところで捉えて人間は皆自己中なんだナンテ素晴らしい悟りを開いているのねキャーすてきキャーうるわしあの人頭いいわー頭いいひと大好きワヒョー」とか思われるのが楽しくて堪らない気持ちよくて仕方が無い自己満足。挙句に「自己満足してる自分」を捕まえてああ自分はなんて自己中心的なんだろうこんなに自己満足しちゃってるよゲヘヘヘなどとほざき形式的な自己嫌悪と無限回廊的な論理を恃み永久の悦楽を愉しんでたりする。これら包括した矛盾問答について考察を重ねている自分を賢いなどと思ったり達観してるとか思ったり自虐的でナイーヴなんだと思い込んだりしてまた勝手に気持ち良くなってる。そんな人々ばかり。「人間は皆自己中なんだ」という台詞はもう余りにも有名になりすぎてなんの魅力もないどころか恥ずかしい。僕はそんな台詞大真面目で吐いている人がもしいたならひく。とりあえずああ、この人はそんなに頭よくないんだな、もしかしたら自分では自分頭いいと思い込んでるかも知らんけど恥ずかしい人だポクポクボージソワカーと認識。全く頭の悪い奴が多過ぎる。ちょっと難しげなこと考えてそれがまるで永劫不滅で深を突きまくった何か素敵な真理であるかのように振り翳してしたり顔はやめてくれ。吐き気がするなり。そんなこと誰でも知ってるのに。その話を興味深げに聞いてくれてる友達がいるのだとしたらその友達はよっぽど頭が悪いか或いはよっぽど優しいのだろうそして残酷だ。頭悪いくせにそうでないと思ってる奴にはドロップキックいっぺん気付かせてあげなきゃわからん。誤解して欲しくないのは決して色んなことを考えて咀嚼して反芻して取り入れてしかもそれが全て正しいとか、とにかく論理的にものごとを捉えられるとか、そういうことが頭いいと言ってるのではなく、つまり僕は頭の悪い連中については自信を持ってお前馬鹿だと言える、それは奴等が自分が馬鹿であるという自覚を本当には持っていないからだ。そういう人を僕は軽蔑するというだけ、楽しい考え方を楽しくできる人は頭がよいとか悪いとかの次元ではなく素敵な人だと思う。論理的思考なんてのをモノサシにして人間を測って何かを決定しようなんてのは浅はかな以外の何でもない。僕はそれらの次元を越えた素敵な人というのをたくさん知っている。ただ、論理的思考すらろくにできないくせに偉そうにその次元にクビを突っ込んでみてかっこつけて悦るような輩は嫌いだということだ。自覚せよ。
2002.9.27(金) インテグララないインテグラリます∫∫ときインテグラレばインテグラレモンテネグロ
自分に自信が無くなって文章を打つのが億劫です。他の人が書く文章は相変わらずそれほど素晴らしくないと思うのが殆どだけど。時期が悪い。時期が。とりあえずショックだった事は、あの人に昔恋人が居たとして、現在あの人の恋人は僕ではないということだ。「あの人」という言葉はEclecticからの引用なので深い意味は無いです。使ってみたかっただけ。僕はきっと何かを考える事を放棄している状態なのだろうと思っている。だから良くわからない文章しか書けない。
2002.9.26(木) 猿岩石で、『アレアレア(喜び)』
積分についての考察
テスト前日に2時間かけて書き上げた前人未到の大作が消えました。
死にたい。
2002.9.25(水) ポールマッカートニックシャンプー
重なり合う季節と同じはずだろう?
七ツの色を使い分けてホラ
もうすぐに見えるだろう、新しいパラダイムが
学校で授業を受けるよりも一日中図書館とかに篭って勉強してたほうが効率いいじゃん。
というようなことに気付いた。
そしてその後に
学校で授業を受けるということに何か目に見えない何かしら形而上的なものが
あるような
あってほしいような気がして
悩む。これからの、身の振り方。
カリカリ独りでやってんだったら
オンリー参考書。
ないないないない。
そりゃないないない。
男のプライド。
そいつぁ高校生活を無駄に過ごしていると言っても過言ではない。
けれども
学校でなんちゃらかんちゃら、プラスになってる気はしない。
ではどうすればいいのか?
簡単、学校が素晴らしくなれば、良い。
というわけでしばらく学校を休みたいと思います。
でも明日からテストなので
行きます。
単位落ちない程度に。
「たいと思う」には実行の可能性は未知。
けれども今日、その第一歩を踏み出してしまった。
帰り道に小学校の友達二人と夜中まで語りあってしまった。
懐かしいものである。
意外にもチェリー。
2002.9.24(火) 方法ジョセフ
怪奇ホラー『おしっこが止まらない
』 CCB・著
麒麟さんのジャッキーの日記を見てこんな言葉を思いつく。を見てこんな言葉を思いつく。
自己顕示をしたくない自己顕示。
既にもう承知済み、自覚後。
わかってる。
すると生ずる無限回廊。
自己顕示をしたくないと思っていることを自己顕示していることを自覚していることの自己顕示。
更に
自己顕示をしたくないと思っていることを自己顕示していることを自覚していることの自己顕示に対して開き直っていることの自己顕示という考え方を思いついたことの自己顕示をひけらかしていることへの…∞
nはリヴァイアスィックなインフィニティ。無限の言い訳と完璧なイノセンス。
語彙が枯れても、理論的な循環は脳味噌のなかでぐるぐる。
去年の今ごろはその渦潮にまんま巻き込まれて
発狂してたように思う。そうして書いたのがこの文章で
僕は待ってる。何を?知るか。教えない。わからない。電気グルーヴ。鬼だな酷いな今日は何をして明日は何をしてわからない。僕は今夜ずっと待ってる。知ってても片手間だからほっとかれる。気付いても知らないふり。あるいは、だからどうした。ぼく、しゃべりすぎ。何も考えたくない割に、たくさん考えて良く喋る。いやあねえ。今ねぇ、たぶん楽しいんだよ、すっごく。嘘だよ全然楽しくないよもう頼むよ待ってるよ。わかって欲しいけど高く見られたい。アホか。アホか。もうやめよ。
グロティウスが、神と自然から人間を逸脱させ
客観的考察を重ねたように
僕もいつしか、
無限回廊的ぐるぐるグルーヴ地獄変から
飛び出しているような。
ここに、そういった意味での、一年という月日。
けれどもそれはあたかも
孫悟空のようで
僕は結局、ペタリハンドの中で勘違高笑いを満喫しているだけかもしれない。
いつドラ釈迦が頭角をあらわすか。
2002.9.23(月) 片桐背理法
去年と同じ人間と会って
去年と同じ道を帰る
感情は
去年と趣向を変えたらしい。
2002.9.23(月) メッテルニヒリズム
言うまでもなく藤子・F・不二雄の命日なんですけどね。
若いドラえもんのファンって、――まあ、「ファン」と呼ばれる部類の人間はみんなそうなんだけど、
陶酔してるよ。
自分がそれを、大好きなんだってことに。
だから、藤本弘の死んだ日を、神聖化して、祈りをささげて、喜んでいる。
死を悼む事、顧みることで、自分は「ファン」なのだということ、他の、そうしていない者たちとは、一線を画したと思い込めるような愛情をもって、それに接しているのだ、と、不必要に強く確信し、そうして自分が、誰よりも優れた「ファン」であるということを想って、陶酔する。自分は彼が死んだとき、これほどの感情を抱いていたのだと。そして今でもその気持ちを、忘れてやいないのだと。そのように主張したい。誰かに聞いて欲しい。聞かせることで、その主張をパブリックなものとして勝手に認識し、巨大な自信に書き換えて、裸の王様的な優越感に浸る、といった次第。
これはいち具体例だけど、
兎に角そうやってアピって、自分最強!みたいに思い込むことって、
なくてはならないんだと思う。
これがなかったら、きっと気が狂う。
全くそうやって思えなかったら、自分は最低だと思うに違いない。
《わら一筋の自負》を精神の中でいかに数多く樹て、果たして保っていけるのか?
アイデンティファイって難しいよ、すっごく。
だから蔑視と、自信に頼る。
他人が下で、
自分が上。
そう思うだけで、自分の現在居る地位というものが少しでもわかってくるじゃない?
あいつよりは上。
こいつよりも上。
そこに不安要素はないよね。
自分の「感情」や「ささいな行動」ひとつひとつがそう思い込むための《根拠》になりえるんだから、
(例えば子犬をいじめるのを可哀想だと思うとか、お年寄りに席をゆずるとか…)
確実な論理が組み立てられる。
歴史のどこかでこの社会の道徳規範が作られてしまったらしい。
だいたいにおいて、この規範にくっきり当て嵌まる人が「上」に立てるらしい。
(思いやりがあって、人のために尽くすのは、たいがいレベルの高いこととみなされる)
つまり、誰もが「上」に登ろうとすれば、道徳は守られ、社会は向上する…はず。
個々による《アンデンティティトヤラ》の確保とともに、一石二鳥。
アピることってすてき!
どんどんアピれ!
でもただひとつ
ぼくはむかつく。
(自分がやるぶんにゃ、大歓迎なんだ!)
2002.9.22(日) フラッシュバック野球ディスコ
ソフボケに行ってきました。
最近流行りのソフボケに。
三連休を利用して、ソフボケ。
おじいちゃんもおばあちゃんも元気そうで何より。
おばあちゃんは「ヘチマ」という単語を3回くらい口にした。
新鮮なにおいがした。
そこには、
何故もヘチマも無かった。
逆説論理学。
暗い嵐の夜でした。雨がざあざあ降っていました。きれいな宮殿の中には王さまがいて、従者たちもたくさんいました。そしてそれはシャハラザードにとって、1001回目の夜のことだったのです。お話しずきの王さまは、物知りとひょうばんの美しいどれいの娘、シャハラザードに、毎夜きいたことのない新しい物語を求めました。かのじょはたくさんのお話をしっていました。かのじょは千夜やすまず王様に物語をしてきかせました。今宵は、シャハラザードがアラビアにつたわるハザール・アフサーナ(千物語)を語りつくてしまった、次の晩だったのです。この千と一度めの夜に、シャハラザードはなにを語ればよいのでしょうか? 王さまはシャハラザードをせかして、はやく話させようとしました。「王さま。」シャハラザードは言いました。「おやくそくなのですが――これから私が、お話を終わるまでのあいだ、なにもおっしゃらずに、しずかに聞いていてくださいませ。」王さまはもちろん、――シャハラザードのお話しが、もっとききたいものですから――うなずきました。そうしてシャハラザードは、新しい千と一つめのお話しを語り始めました。「暗い嵐の夜でした。雨がざあざあ降っていました。きれいな宮殿の中には王さまがいて、従者たちもたくさんいました。……」
珍しく流行に乗って、僕もやってみました。
男子高校生に100の質問
2002.9.21(土) テツandヒモ
おーいニッポン千人分をビデオに撮りたい。
ボブ佐久間とバッキー木場のりんごはやむき対決がみたい。
ばっぽん的にさあ、お前馬鹿なんだよ。
世界で一番汚い人間がばっぽん的に僕を殴った。
日本で二番目に汚らしい人間である僕はばっぽん的に自殺したいと思っている。
ばっぽん的に。
ばっぽん的に。
ばっぽん的に僕は!
もっとストイックに
もっとキュービズミックに
もっとばっぽん的に僕は。
2002.9.21(土) 味わいサンゲツ記 中島敦
1日のうち
うつみ宮土理を
二度も見た。
年に一度
あるかないかの
貴重な日。
トッポジージョ
トッポジーじょ
とっぼ
じーじょ ッドポ ジージォ
2002.9.20(金) 穴通る、腐乱す。(原題『処女と非処女の間にあるもの』)
時間かけて/バター塗るさ/もっと素直に/僕が喋れるなら!
クリトリスにバターを。
《2・4・5で川柳をつくってみる》
我を貫く頑固者
こんなのを思い出したの。
川柳研究所。
火曜UP's爆笑問題カウボーイ
名古屋市美術館で『リグリット展~後悔と混沌の間で~』が開かれています。
常設展は高校生200円。小・中学生はムリョウ。タダだった。捨てたもんじゃない。童顔も、悪くない。
谷崎潤一郎の『文章読本』を読んで、
自分の書いているものを見つめなおそうと思ったの
ですが
僕は急いでいた。横断歩道がある。信号は赤だ。だが僕は急いでいたのだ。赤信号を渡ろうとする僕、正面からお巡りさんが走ってきて、僕の頭を小突いた。
社会の矛盾を感じた瞬間だった。
女子トイレに人だかり。行楽地はいつもこう。息子を放って並ぶ母。ママー、おしっこしたい。少しくらい、我慢しなさい。
社会の矛盾は生きている。
2002.9.19(木) たべられません 勝つまでは
僕を性対象として見ている女の子が
僕を安心させるために
「あの人は性対象にはなり得ないから」と言った。
あーそう、あーそう。
恋愛=性らしい。
センスの良い人が
センスの悪い人にたずねた
「これって、ださいかしら?」
センスの悪い人はこたえる
「良いんじゃないかな。でも、センスの悪い人が見れば、センスが悪いと感じるんだと思うよ」
絵を描くときに、
パーツを陳列して全体を組み立てる人と
何がしかの漠然とした明確なイメージのみを手掛かりに筆を進める人
という違いが存在するならば、それは顕著に表れる、と思う。
僕は前者。
イメージは後からついてくる。
絵はパーツです。
芥川沙織とかいう人の絵を見て思った。
岡本太郎にもそれを感じた。
どれだけ材料を知っているか、ということで
抽象芸術の価値が決まります。
それは文章を書くときと同じだし
会話をする時や
サッカーをする時だって同じです。
全てのパターンを知り尽くすこと。
材料は、多ければ多いほど。
5限目から合同HRとかやいふわけのわからん企画で何をやるのかと思えば
進路について延々1時間聞かされるだけとのことだったので
美術館へ。
マリー・ローランサンの『サーカスにて』と
ヴァン・ドンゲンの『コルセットの女』に強く魅かれた。
思うに、《学校をサボって美術館に行く》という行為は、
これは何なのかというと、
とりあえず《学校をサボる》という部分は、
一種の単純な逸脱であると説明がきく。
或いはみんなが学校にいる間にゆったりとアミューズメントしちゃってる優越感。
これは家で勉強していては味わえない。
けどこんなのは、実際はそれほど意識する事はない。
自分が学校サボってきてるなんてこと、たいがい忘れてる。
では、《美術館に行く》という行為とは?
「自分は文化人である」とか「上質を知っている」とか「趣味が高尚だ」とか…
そういうことをアピりたいわけですよ、要は。
絵画を見て、メモを取っている他人。そのワイドスプレッドな魅力!
思ったこと。
芸術とは何か?
――爆発だ。
2002.9.18(水) 彼女と出会いたくない場所№1 ラブホテル
春の訪れを表した代表的な歌で、皆さんもよくご存知の「春が来た」という能天気な歌があります。
私はこの歌は二人のバカが会話してる歌にしか聞こえません。
一人が突然言います。
「はるがきた。はるがきた。」
するともう一人がこんな質問をします。
「どこに来た?」
こんなバカな質問はあるでしょうか。春というのは季節なんです。
その辺一帯に来たに決まってるわけなんですね。
ところが最初のバカはこの質問に対してこう答えます。
「山に来た、里に来た、野にも来た。」
それに対してあとのほうのバカは、
ノーリアクション。
そのまま二番に突入するんです。
そうすると最初のバカが言います。
「はながさく。はながさく。」
春なんだから花が咲くのは当たり前なのに、この大騒ぎ。
それに対してあとのほうのバカがまた同じ質問。
「どこに咲く?」
ちょっと考えりゃわかることなのに。これに対してまた答えは一緒。
「山に咲く、里に咲く、野にも咲く。」
そしてまた
ノーリアクション。
私はこの歌を聞くたびに、
この二人には本当に春が訪れてるんだなと思わずにはいられません。
以上、コラムでした。
太田コラムを活字起こしすると面白さが大半減。
こういうの丸暗記しとくとお座敷芸になるのかも。
少なくとも文化祭の司会でなら使えるらしい。
北朝鮮拉致関連のニュースが
大嫌いです。
キムジョンイルは顔が好きです。
うちの母さんは南こうせつ好きですが
キムジョンイルに興味はないようです。
そのような状況を見て
テレビに出てくる人や、それを見て涙する人を見て思うのは、
世の中にはいい人が溢れていて、
世の中ってのはいい社会なんだなあということ。
僕みたいに天才的な非人道的思考能力を持って生まれた人間としては
世知辛いのかもしれない。精神的には。
だって僕にはそれよりも
キムジョンイルやキムデジュンがIMEという腐れ変換システムで
一発で漢字に直るということのほうが驚きだし重大なことなのです。
僕は頭の悪い奴に言わせればちこっとばかり頭が良いかもしれないが
頭の良い奴に言わせればちこっとばかり頭が悪い。
僕に言わせれば
《みんなが頭悪すぎるんだ、だから僕は上流階級の最下層に位置してなけりゃあならないんだ。》
クリケットのうまい奴に言わせると僕は
めちゃくちゃクリケットが下手糞だ。
クリケットのうまい奴に言わせれば
《みんながクリケット下手すぎるんだ、だから僕は…》
ただ、僕はクリケットをやったことがないし、そもそもどういう仕組みなのかもわからない。
そして日本におけるクリケット人口が余りにも少ないということを考えて、
いや、そんなこと考えるのは僕の大好きな「逃避」というやつに他ならない。
才能ないんだ
しのう。
「死のう」なんて
「高尚」な考え、
僕には出来ない。
死のう高尚。
死のう高尚。
つまりクリケットをバスケットボールに置き換えても文章は成立するんだってこと。
それだけ僕の価値ってもんが自分の中で危ぶまれてきてる。
どことなく、なんとなく。
自分が実在する事を身体全体で感じたいと思う。
2002.9.17(火) モーニング娘、
七味とうがらし
七色とうがらし
虹色とうがらし
明日のこと
混沌と混乱と狂熱が俺と一緒に逝く。
全てのケイオティックな無意味が
僕の心に降り注ぐ
何もかもが
意味不明で要らなくて
そんな部屋。
僕は朝から日が傾くまではそこに居なければならない、らしい。
閉じ込められる。
45人の
死刑執行人たち
彼らとともに。
死んでも生きてるふりでもしながら
僕はそこに立っていなければならない。
横たわる時には
常に笑顔でなくてはならない。
そんな部屋?
明日。
全てのケイオティックな悪戯が
僕の頭をノックする
何もかもが
意味深長で拙くて
そんな部屋。
若さに満ち溢れ
生や死なんて言葉が許されない
忌み嫌われる
非日常的な言葉。
許されない言語、
僕のマザー・タン。
社交辞令のキスに
噛み砕かれる
僕の舌と
僕ら異端のマザー・タン。
それが明日。
【モーニング娘。ナプキン】について、友達と語っていた。
結論的に、
軽い日用→ミニモニ。
タンポン→タンポポ
という結果に落ち着きました。
2002.9.16(月) 森トンカツ、小泉ニンニク
新聞のスポーツ欄を見ていて、
「エンドラン」
と書いてあったのを、
「エルドラン」
と読み間違えてしまう。
そんな少年。
東京フレンドパーク2の《時価10万円相当》の金貨。
アレって金の相場が高騰or暴落したら
大きさや質は変わるんでしょうか。
携帯電話が、なくなった。
いつだったかの、学校に行かねばならない朝のことだった。
例日どおり制服を着込み、
右のポケットに財布、左には携帯電話を入れていた。
精子に悪影響があるらしいが
うちの子たちはそんなやわじゃない。
わやにはならない。
しかし事件は起こったのだ。電磁波で減りつづける精子とは全く無関係に。
家を出て、僕は友人にメールを打ちながら、ポケットの中に携帯がないことに気が付いた。
僕は焦った。
何故だ?なぜ左ポケットに入れておいたはずの携帯電話がなくなっているのだ?
僕はメールを中断し、ポケットの中に携帯をしまうと、もう一度家に戻った。
が、何処を捜しても携帯は見つからない。
途方に暮れ、絶望を感じはじめたころ、僕は気付いた。
左のポッケで寒さに震える、僕の大事な携帯に。
なんて単純で、馬鹿な“おれ”。
キムジョンイルって南こうせつに似てるよね。
だいたい体育館とか舞台とかで芝居を見ると
立ちたくなる。
スタジオ系だとそうはならない。
たぶん舞台にしか、立ったことがないから。
洋礼室とかやいふよくわからん部屋で
二人で台本を読んでいた。
それは意味不明だったけど
面白くは、なくもない話。
最悪ではない台本。
とりとめもない演技。
二人芝居やりたい
とみまつパクって。
(そんな技量はない)
みんな速い
はやい はやいぜ みんな速い
ぼく 全力疾走
お金ないから電車に乗れない
バスもダメだしタクシーなんて
特にだよ
のろのろ進むぼく
みんな速い
才能ないんだ
死のう
ぼくの声きっと聞こえない
みんな速いから
あいつら死んだとき
みんな聞こえていなかった
ぼくだけにしか
見えてなかった
うん
ぼくよりおそいやつ
みんな死んだ
でもぼく嫌だから
死なない
死ねない
死にたい
ぼくよりおそいやつもいる
いた
みんな死んだ
どうしても少しおそく
生まれてこなかったんだろう
どうしてぼく
死ねないんだろう
みんな速い
時速4kmの旅
君が2年でやることを 10年かかるぼく
とっても不器用だけど ただのんびりやるだけさ
大人は不思議というけれど カンケーないもんね
イヤな夢はやらないさ それがぼくの生き方さ
大きな海を見つけて ちょっとここらで小休止
ずっと浜辺で寝てたら 身体がヒリヒリ痛い
時速4kmの長い旅 ギターかかえてフラフラと
君ぼくの良さを知らない 知ろうともしないよ
言葉が足りないからね よく誤解もされるのさ
エリートだけが人じゃない お金は欲しいけど
人畜無害な人や 嘘つきにはなりたくない
神様ぼくは考えた バカな頭で考えた
知恵をしぼって考えた きっといいことがあるさ
時速4kmの長い旅 頭かかえてフラフラと
神様ぼくは考えた バカな頭で考えた
知恵をしぼって考えた きっといいことがあるさ
時速4kmの長い旅 お腹かかえてヘラヘラと
2002.9.15(日) 162円ハゲ
本日は、模試でした。
受験票を無くし、
会場も時間もわからないまま今朝を迎え
起きたのは9時45分。
友達から聞き出して全てを知る。
南山大学、10:30~
あと45分。
時間かけてバターなんか塗ってる余裕も無くて、梨を数個だけ掴み取り喰って出発。
自転車でゴーゴー。
着いた。
途端に始まった。
受験票の再発行を受けると、
それなりに時間は過ぎてしまっていた。
寝起きの頭は英文と相性が悪いことを発見。
勉強サボっていると勉強できなくなることを再認識。
やる気をなくす。
11:30、目に見えぬ葛藤の末、模試を脱出。
15分後に控えた千種高校演劇部の文化祭公演を観に、走る。
フレンチ フライッ!
行き先は何処でも良かったの。
けどとりあえずその場だけは脱出。
2,3分遅れたけど、劇を見て、撤去をほんの少しだけ手伝って、
演劇部や文芸部やクイ研らの溜まり場になっていると思しき混沌とした空き教室に入り浸り
校内を動き回ったりなどしてから
4時に外来者は追い出し。けど、6時過ぎまでカオスルームで演劇についてなど語ってみたりしていた。
それからプリンシェイクを貢がせ、帰路。
別に自分のものでもない人生、されどどうしても、自分に影響を及ぼしてしまう人生、について路上でおしゃべり。
自分とこの文化祭や、金払ってまで受けようとした模試をサボり、至って自分の好きなように振舞う。
喩え「何人か」に心配かけようと、それをして泣かない人がひとりでもいるのなら、あんま無駄じゃないような気もする。
帰宅は25時過ぎてた。
関連して、友達からダメ出しのメール。
僕だってそりゃ何も考えてないわけではない。
しかし、世間のみんなは僕のこと、《本当は頭のいい人間》だと思い込んでいるから、
「何か凄い事を本当は考えつつ、こういう行動を取るんだろう」と考えてしまう。馬鹿ばっかり。。
だけどその実、僕を動かすのは毎朝目を覚ます度に層構造を変えていくような薄っぺらい【本能】みたいなもので、
理屈は後からついてくる。もちろん、《言い訳》の為に。
つまり僕は単なる不良であって、アウトローであって、みんなみたいに真面目に生きちゃいない。
世の中の【はみ出し者】だとか、【落伍者】だとか言う人たちと基本的には殆ど同じことなんだけど、
ただほんのちょっとだけ要領が良くて、脳容量も赤裸々なだけ。
何かよくわからないもので人生を得しているだけなんだけどその実、全く素晴らしいものなんか持ち合わせちゃ居ないんだってことに、僕の愛すべきトモダチタチはとく気が付くべきだし。
単に、嫌なものから僕は逃げているだけだし、
自分の楽しい、気持ちいいと思ったことだけを選んでやっているつもり。
その結果として自分や他人に不利益や精神的ダメージが回ってきたとしても
ある程度は予想していた事で、それらと天秤にかけた状態で、
そして針はその「気持ちいいこと」の方に振れたんだというだけ。
だいたいにおいて僕は僕の基準で物事を考えるから、他人のことなんて基本的には知らない。
起こり得る物事にプラスやマイナスの得点をつけて、それらを総合的に見て
最もポイントの高いと思われる行動をする。どうして誰もが社会や他人の顔色を見て行動するのか。
それは僕らのためなのだ。
僕がやんちゃをするために。
そのためには社会秩序がある程度守られていなければならない、
混沌の状態では何をしてもそれは「やんちゃ」ではないからだ。
僕が《それ》から外れるために、社会の秩序は画される。
僕が目立つために。
そこまで御都合的に考えて僕は動いているのだから、
なかなかたちが悪いのです。
最悪なのです。
死ねば良い人物、今の所№1。
2002.9.14(土) 怪盗キッド、乱馬を断つ
文化祭あらし2日目。
昨日は愛知県立昭和高校へ行ったわけなんですが
今日は
名古屋市立菊里高校と
愛知県立千種高校と
名古屋市立向陽高校に
一般客として行ってきました。
※ジャッキーは名古屋市立向陽高校の生徒です。
しかし向陽高校などに潜入して
病気で寝込んでいるはずの僕が来ているのがバレてはまずい!
だから絶対に
僕だとバレないような格好で行くしかないのだッ!
よしっ、変装だッ
押入れをひっくり返し、
5年前の次兄の普段着を発見。
装着。
↓こんなん。
・ロンドンで買ったと思しきサングラス
・ロンドン土産の革靴(グレー)
・小山田圭吾を意識した角つきの帽子
・次兄自作の腕だけ皮製の髑髏シャツ
・タクヤエンジェルのパンツ(鶴)
これプラス紫の風呂敷を腰に巻き付けて異様の雰囲気です。
よしっ、これで誰が見ても僕だとわかるはこがない!
まずは向陽高校に出陣!
と思いきや一般公開は10時から。…まだ9時かよっ。
急遽予定を変更して菊里高校へ。
通常の三倍のスピードで走る自転車をゆっくりと駆り
街行く人々が皆僕の方を振り向く。
ふっ。しかし誰もこれがまさかあのジャッキーさんだとは思うまいて!
菊里着。
ぶらぶら歩く。
ふ。
ふ。
ふ。
ふはははははは。
お前等地味だなー。
外来者に負けてんじゃねえよ菊里生!!
はっはっはっは。
めっちゃじろじろ見られる。
「すげー」とか言われる。
なんとでも言え。
菊里の文化祭で誰よりも向陽生が目立っているという異例の状況。
ふははははは!
梃子摺っているようだな、菜っ葉よ!
知り合いの子に遭遇。
「お、尾崎さんっすか!」
「あ、わかった?」
「いや、一瞬全然わかりませんでしたよっでもなんか挙動不審だったから…」
…よしっやはりわからないんだッ!全然わからないんだッ!
これで向陽にも安心して侵入できるぜっ。
次は千種だ。
うむ。
ずかずか歩く。
あ、知り合いだ。
でも、それほど親密ってわけでもない知り合いだ。
よし、素通りしてみよう
どうせわかりっこないんだ!
「ジャッキーさん?」
あれ?
ああ、こんにちわ。なにしてるんですかそんなかっこで。いやいやちょっとね。たのしんでってくださいー。はーい。
…おかしいな。
バレるはずないのに。
まあいいさ、たまにはこういうこともあるさ。
「あ、ジャッキーさん?」
(second)あれ?
ああ、こんにちわ。なんすかそれー?いや、その…。やめてくださいよ
知り合いだと思われるじゃないですか!あ、ごめん…。
…。
…そうか。
そうか丸わかりなのか。
羞恥心が
急に
心の底から
込み上げて参りました。
でもすぐ開き直りました。
バミューダトライアングルに入り
のび太の海底奇岩城を思い出した後は
体育館でクラス演劇を見て
それがけっこう見られないものでもなくて
演劇部人口が多いだけのことはある。
千種高校は三年生になると必ず劇をやるらしい。羨ましいやら痛いやら。
生徒もそれほど怖くないし、一日中劇やってるし、知り合いはギターを引いているし、文芸部はあるし、
いい学校じゃないですか。
でもコスプレは少ないな。
忙しそうだったけど仲のよろしい女の子を捕まえて
角つき帽子をかぶせサングラスをかけさせ紫の風呂敷をスカーフにさせて
みごと
変態の道連れを作成。
僕一人を変態にはさせませんと。
二人で校舎内外を練り歩く。
まんざらでもない様子の女の子。
ああ、
なんだ本物の変態か。ちっ
お次は向陽高校。
受付でまさか「向陽 ジャッキー」とは書けないので
さっきコスプレさせた女の子の名前を書いておいた。
1年4組が白雪姫をやっていた。
呼び止められる。
「あ、ジャッキー先輩!」
バレた!
(しかもこの子、一回しか喋った事ないのに!)
「よ、よ、よくわかったね。」
そういえばさっき千種高校で、
発しているオーラで丸わかりだと言われた。
…そうか。
オーラのせいでどんなかっこしててもバレるんだな!
「なんていうか、
顔の輪郭でわかりました。」
俄然ショック!
…そうか。そうなのか。
実は見た目でバレバレなのか!
なんか、
なんか、
クワトロ=バジーナリティの
溢れる気分だぜッ!
私はシャアなどではない!
私はシャアなどではない!
私はシャアなどではない!
私はシャアなどではない!
私はシャアなどではない!
私はシャアなどではない!
私はシャアなどではない!
私はシャアなどではない…。
虚しい…
そんな気分のまんま(そんな格好のまんま)1年4組の『白雪姫』を見る。
内容は、「もーそこまでやってくれたら爆笑以上に感動するよ」って感じで、
僕みたいなひねくれものでもすっごい容易に受け入れちゃえるような「おしばい」でした。
しかし主役の子がかわいい!
図書委員でヨロシクさせてもらってる子なんだけど、
なんだこれは、立ってるだけで絵になるとは。
うちら(演劇部)としちゃ商売上がったりなんですけど…
ほわーっと見て、
気になっていた走れメロスを堪能。
クラス発表紹介の文章には一言、
「走ります。」
とだけ書いてあったのだが…
…。
ああ、ホントだ。
メロスが走ってる。
うん、
走ってるね。
うん。
走ってた。
おいらだけ。ひとりで。
よく走りました、
うん。
ナイス。
はい。
うん。
さーってと、つぎ、つぎ。
『THEお見合い』(たぶん『ぢ・おみあい』)にも顔を出し。
気付くのは、しかしコスプレが多い!なんだこのプチコミケ状態はッ!
うちの生徒と外来者を見分ける方法。
変な格好してたらそれは向陽生だッ!
間違いない。(僕を含めて)
しかも僕が歩いていても菊里・千種と違って誰も注目しない!
そうかこの学校は変態の集まりだったのか!(知ってたけど)
一通り顔を出して外へ出ると
同じクラスの女の子に一発でバレて、
テンションがドカっと下がって、
三ツ矢サイダーでをのどを潤わせ、心と瞳を潤ませ帰宅。
あ、ファイヤーストーム結局3年間一回も見てない。
というわけで今年の学校祭は幕を閉じましたとさ。てんてん。
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