2002年7月後半の行い(Jacky)

 過去ログ  前の日記  次の日記  TOP
2002.7.31(水) 試験に出る詠嘆語

ジャッキーの
2秒で覚える英単語講座。

instinct 本能

インスティンクト。
語呂合わせで覚えましょう
「本能で淫手ちんこ。」
細かい意味は考えずに
リズムで覚えましょう
淫手ちんこ。
淫手ちんこ。
もっと中まで入って。
本能。
気まぐれを許して。
ちんこ手淫。


Z会。
速読英熟語。
その28。






僕が14になる、ある誕生日の朝だった。
父は僕の肩を掴み、真っ直ぐに瞳を覗き込みながら言った。
「お前ももう14歳だ、父さんはお前に、この家族の秘密を教えなければならん、
 14歳になる日というのは、この家系の男の子にとっては、とっても悲しい日なんだよ。」
父は一杯のコーヒーを苦々しく味わいながら、窓のほうへ歩いていって、そして、静かに庭を眺めていた。
窓に背を向けて再びこちらに歩いて来たときには、
彼の顔はすっかり、蒼ざめていてまるで、これから何か、恐ろしい事でも口にしなければならないようにさえ見えた。
「座りなさい」父は言った。「もしもまだ、心の準備ができていないのなら、後にしてもいいんだぞ。」
「喩えどんなことでも、今聞きたい」僕は答える。
「…ああ。おじいちゃんが父さんにこれを告げたときのような勇気が、父さんにもあれば。」
「おじいちゃんが何て?」
父は僕の質問に答えないで、部屋の隅っこから、また話を続けた。
「我が家の男は14歳になって初めて、この恐ろしい事実を知る相応の年になるんだと、考えられていてね。」
僕は思った、そうか、ああ神様。僕はきっと、何か知らない病気にかかっているんだ、或いは、なんだろう、
ひょっとしたら実は、我が家は何か残酷な犯罪者の家系なのかもしれない…
「ねぇ教えて。」
僕は押し留めた声で尋ねた。
「ああ、この秘密を永遠に教えないで居られたらいいのに。」
「お願い!」
僕は頭がこんがらがって、遂に叫び声をあげてしまった。
長い、長い沈黙の間、父はずっと静かに待っていた。
そうしてついに、
その真実を僕に告げたのだ。、

“There is no Santa Claus!”



2002.7.30(火) ずっこけあすなろ三社員

あすなろ

サンシャイン

あすなろ

サンシャイン

あすなろ

三社員

あすなろ

サンシャイン

なろう なろう あすなろう

なろう なろう 明日なろう

明日はナロードニキになろう

翌檜三社員…
翌檜三社員…

翌檜…



補習を終えて科学部室になんとなく寄って、
パーソナルコンピュータが立ち上がっていたので発表する当てもない日記を書いていた。
ワードで。
いつになく駄文、いつになく。
科学部室には何故かMITSUYAサイダーとファンタグレープ(1.5L)が20本ばかりあった。
約30リットル。
MITSUYAサイダー&ファンタグレープで
お風呂が沸かせます。
「一度MITSUYAサイダーを一気飲みしてみたいな」
と口走ったのが運の尽きで
調子に乗っていると科学部長が
「どうぞ。」
後には引けなくなってしまった
「いや、部外者がそんな他部活のMITSUYAサイダーをラッパ飲みだなんてそんなこと」
「余っても困るんで、ぜひお願いします。」

さようなら、胃袋。フォーエヴァー。

I cannot help gepping forever.
(私は永久にゲップを止められません。)






あーなんだなんだ。
俺等はアレか、
あんたの思い通りに動いてるわけか。
手の上の孫悟空か。
籠の中の鳥か。
井の中の蛙か、目の上のたんこぶか、鬼にカネボー(無駄なことの喩え)か。

三つくらい、日記が連動しているのを見るにつけ、
つまりWebサイト保有者がある特別な時空間を共有した場合に起こり得る事なのですが
それは確かに多角的に一つの真実を垣間見られるという意味で
興味深いことなのかもしれません。
同じ事実について僕はこう思い、彼はこう描写し、彼女はこのように観察していたのだと。

しかし、三つくらい、日記が連動しているのを見るにつけ。
嬉しい反面、危機感をも感じる。
自分の裏側までもが暴露されてしまう気がして。
もしもその三つを第三者の立場から眺めたら
僕は僕の見せようとしていない僕を見られてしまうわけだ。
わくわくすること。しかし恐ろしい事。
隠したい事が、どうしても隠せない。そういう世界だ。
それを恐れていたのでは、この職業=Jackyは勤まらない。

だけど一番はやっぱり楽しい気がする。
何か、何だろう。「楽屋裏」のようなニオイがして、
マニアだけに或いは運の良い人間だけに許された楽しみがあって
全てを読破した人間にはきっと相応の充足があるのだろう。
僕と近しい人が書く日記というのはやはり
度々こちらと呼応していなくもない。
それが見ていてこちらとしても楽しいものだ。

名古屋市中央図書館の地下トイレが
喩えようもなく臭かった。

2002.7.29(月) legel=絶対値えげ

すげーわ。自分。
ついてないよういち君の気持ちはまだわかんないけど
何やってもへこむのはすごいわ。

えー。
毎度莫迦莫迦しいお笑いを一席。
夢、見ました。
昨日ね、本屋行ったんですよ。
最近多いじゃないですか、日本漫画のバイリンガル版。
単にせりふが英語と日本語と、両方で書いてあるってだけなんですけどね。
ドラえもんとか、カードキャプターさくらとか、
様々の名作が立ち並ぶ中に、
見つけたんですよ。
あの作品の英語版が。
そう、『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦)!

僕はどきどきしちゃいましたね。
例の名せりふが英語ではどうなっているのか気になるじゃないですか。
ちょっと立ち読み、ぱらぱらとめくっていると…
ありました。

例のアレが。




「Ora-Ora-Ora-Ora-Ora-Ora-Ora-Ora-Ora-Ora-Ora-Ora-Ora-Ora-Orah!!!」
(オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァ!!!)


「Useless-Useless-Useless-Useless-Useless-Useless-Useless-Useless-Useless-Useless-Useless-Useless-Useless-Useless-Useless!!!」
(無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!!)






…なんと間抜けに書き換えられていることでしょう!
コレではジョジョの本質的面白さが失われてしまわないだろうか?
しかし懸念はやはり懸念でした。
ちゃんと原作そのままの表現もあったのです。



「URYYYYYYYYYYYYYY」
(URYYYYYYYYYYYYYY)






僕は半ば満足して、その本を置きました。
表紙を見ると、英語版のタイトルが書いてあります。


[The Strange Adventure of Gradually]
(徐々の奇妙な冒険)


2002.7.28(日) 鉄道研究会マニア

へこみ道中膝栗毛、東京編です。
人影見当たらぬ終列車に独り飛び乗り
朝方には東京に着きました。朝4時半。
何故か三重県在住と思しき友達を偶然に見つけて(本当にかなりの偶然である)
どうやら早稲田と慶応のオープンキャンパスに行くっぽい。

そやつはとりあえず浅草に行くというので別れて
あちきは高田馬場へ。
早朝の吉野家で朝ご飯。
僕が東京で食べたもの一覧

牛丼(並) 吉野家 280円
おにぎり(おかか) きおすく 100円
かけ(そば) 品川駅 240円

以上。(食費=620円)
かなりのエンゲル係数です。

昨日の飲み会は、遅れて到着したために
合計でジョッキ三杯弱に留まり
消化不良を起こしていました。
僕はウワバミなため
中途半端な酒では
逆効果です。
でもしらふで男の子とディープキスしたことに関してはへこんでません。
相手が美形だから。

早稲田大学へ到着。
学生服を着た早大生が並んでいて
荘厳の様子。何のサークルにやあらむ、
体育会系だろうか、
先輩と思しき人物群が視界に入るごとに
若手らしき丸坊主の男子が約100mを走り、
目の前で「おつかれさまッス!」と叫んでカバンを奪ってまた元の位置に戻る。
これの延々たる繰り返し。
第三者から見ると、おもろい。
登場の挨拶に「お疲れ様」はないでしょうが。

まだまだオープンキャンパスの準備中でありましたが
大学の敷地内に勝手にずかずか入り込んで物色。
誰も居ない寂しさと
本物の早大生が僕を見る目が何故か怖くて
門を出て
歩いて
「もう、帰ろう」
と呟く。
僕は時刻表を開いていた。
今から帰れば夕方には家に着くな…
とか思っていた。
MITSUYAサイダーを買ったのが間違いだった。
120円だからといって、
500ml缶のMITSUYAサイダーを買ったのが。
ジンジャーエールを買うと
だいたい一口で満足してしまって
残りを飲むのが億劫になる。
この日は何故だろう、
相手はMITSUYAサイダーだというのに
僕は一口で満足してしまって
残りの470mlは苦痛以外の何でもなかった。
ペットボトルでもないから後で飲むことも許されない。
僕のテンションは徐々に下降していきました。
そして「もう帰ろう」であります。
僕の早稲田大学への思いは
MITSUYAサイダー一本で変えられてしまうような
そんな程度のものだったのです。
というよりは
それだけMITSUYAサイダーというものが僕に及ぼす影響というものが
計り知れない、普段ことあるごとに「MITSUYAサイダー飲みたい」と口走る僕にとって
MITSUYAサイダーというものは
言ってみればハーフマラソンの終着点に待つ恋人のようなもので
ヘビー・スモーカーにとっての煙草であって
酒みたいなもの。プラシーボだが、それは確かに酒だった。いつもは。
恋人に裏切られた僕は同時に酒にも裏切られ、途方に暮れたのです。
僕はマンションの下の、どぶ川沿いの公園で、じめじめ泣いて、あんな思いは、二度と繰り返したくない。

かろうじて大学に戻ると
先程までの閑静さはどこへやら
何千人何万人の人で埋め尽くされています。
こいつらがみんな早稲田を受験するのかと思うと
思っても、あまりその人たちが頭よいとは思えませんでした。
たぶん僕も、同じことをこの人たちに思われているんだろうと思うと、
今度こそむなしくなりました。
文学部の説明会が、だいぶ普通で、
教育学部の説明会も、国語国分学科の説明以外はとても眠くて
文学部製作のビデオが余りに面白くなくって
下手な演技に悪寒が走って
でも模擬講義で映画の話とファミコンと教育と時間との関係についての話を聞いて
少しテンションが上がった。だいぶ面白かった。
すっかり機嫌を良くして家路についた。
5時の列車で帰ろうと思っていたところ、
東京の友達から連絡が入って、会えそうで会えなかった。残念だ。
僕は品川でかけそばを食べていた。
七味とうがらしを調子に乗ってかけ過ぎた。
何故なら品川駅のかけそばは余りにも味が薄かったから。
辛くて喰えたもんじゃなかった。
ここらへんで翳りが見えてきた。

電車の中にいると電話が来た。
デッキで出た。
東海高校県大会進出おめでとう。
嬉しい。
でもそうか。やはり上に行くのはネームバリュー。
「もしかしたらこれは面白いんじゃないかな、東海だし」
とか
「これをつまらないと言ってしまったら自分の演劇を観る目が疑われるんじゃないか、東海だし」
とか思わせたら勝ち。
なんとなく「ああこれはレベル高そうな芝居だ」と。
それでOK。
ただ、才能は伝統にならないし、
ネームバリューは、ともすれば二年で消え失せる。
気をつけて。

続々と演劇の大会の結果が寄せられる。
県大会行けなくて悔しがるのは
面白い芝居創ってからにしなさい。
情けない。負け犬は、すっこんでなさい。
「なぜ○○高校なんかが…」と思うのはおかしくて
別に「○○」が面白かったからではなくて
あんたらが面白くなかったから「○○」になったんだということを自覚せねば
アホの塊や、あんたら。

など、凹んでいるうちに、山梨県あたりで、携帯の電池切れ。
駅でそうけんびちゃを買った瞬間にアクエリアスの方が良かった気がして、
そうけんびちゃを口にすると、やけに苦かった。泣きそうになった。

誰も居ない遠くで、携帯の電源が切れると、
高テンションの時は更にテンションが上がったりするのだが
そうでないときには、自分が天涯孤独、どこにも頼る人がいない、
どこか知らない街に置き去りにされたみたいに、
それだけ現代の若者が携帯に依存する率は高い。

デッキにうずくまって、ジャングルスマイルを口ずさみながら、耐えて、名古屋へ。

そのまま
平和に終わるかと思っていたら
そうけんびちゃと家にあった六条麦茶を混ぜてしまって
すると異様に不味かったので
ついに最後までへこみ続けることになった。
1から100まで凹んだ3日間は終焉を迎えた。

が、4日目の朝。
人と会う約束をしていたが、
自転車を駆り、大急ぎでその人の家まで行ったところで
すれ違い発覚。
「あ、もうあんたんちの近くよ」とか言われ
うちの近くに大急ぎで戻ると
「まだ△△にいます」と言われ
待ってればそのうち来るかなと思っていたら
来なくて
でも△△行ってまたすれ違うのも嫌だったので
途方に暮れた。
徒労。
完璧合理理想主義者である僕にとっては
一番の凹みどころ。

ここが僕の人生の、二度目の折り返し地点ではなかったろうか。
ということは、あと7~8年はどん底状態が続くということで、そろそろサイトも、潮時です(笑)。ナンテね。

2002.7.26~28(日) 

26日は初絡み(数十秒)から約1年を経て
とある方と「凹み」への闘争をしていました。
その夜へこみました。
理由は、その日のみに起因せず
単に今までの人生を思い返して
どれだけ自分が恥ずかしい存在であったのか
生まれてすみませんの一言で片付けられるほど
高尚なものではなかった事の自覚。
そう言えば第三母校である千種高校演劇部の打ち上げで
トランス状態に入った愛すべき16歳を目の当たりにし
そのアニメちっくなトリップぶりに
へこみを隠せず
酔っ払ったふりをして「あたし…酔っちゃったみたい」と身体を寄りかからせる
そんな羞恥まるだしの意図的な匂いを彼女の無意識の中に感じ取り
深く考え込んだのでした。
僕の膝をベッド代わりにする根性は
もし初対面とか
さして興味のない人物でしたらば
殴り倒したい衝動と種種の自己嫌悪とが交錯して
数億倍もへこんでいたことでしょうが
一年前にそうであったのとは全く違い
僕にも免疫というか
開き直りにも似た
そんなアゼルバイジャンな感情システムが生まれていたようです。

そのトランス娘を家まで送り返すのが僕の仕事でしたが
自転車に乗ったトランス娘はばらんすを崩して倒れる。
正気に戻ったトランス娘、ティナ。
トランス時の記憶がないらしい。
「ディープキス」の記憶も
飛んでいるようだった。
これは都合が良いのか悪いのか
少なくとも今後しばらく
その子をいじめる材料にはなりえるのでした。

2時間くらい路傍でへこんだのち帰りました。
何が追い討ちをかけたって
2時間も路傍で無用の時を過ごした自分に対して。

27日は星が悪かった。
高校演劇の地区大会をまた観に行った、これがまずかった。
自分の高校の芝居を見てへこんで
僕は油性マジックでホワイトボードに落書きすると
消えないということを知らなかった。
これが全ての始まりだ。
各校への感想を張り出しの掲示B紙に書く。
自分が書いている内容が恥ずかしくなる。
マジックペンを見ると
ホワイトボードを思い出して
すみませんすみませんと繰り返す。
怒ってください、叱ってください僕を。
迷惑をおかけしました。
その後、数校の演技を見る。
そして我が東海高校のお芝居。
見てへこむ。
「幕間討論会」で
近くに居た先生が
「今年はあんまり討論が活発じゃないから意見を発表してよ」
と僕に嘆願するので
感想を発表したら
自分の喋った内容があんまりにもあんまりだったので
へこんだ。
劇見て一番、テンションの落ちきってるときに
気の利いた言葉なんて言えるわけもない。
喩え自分の高校でも
お世辞なんかは言えないし。
「ジャッキーならもっと面白いこと言うと思った」
と後輩に言われて
へこみ最上級。
部のみんなとマクドナルドへ行って昼食。
OGの先輩がたがたくさんいらっしゃったし
近くには色々な高校の知り合いっぽい方も居たので
へこみを隠してがんばる。けどそんな自分がとても嫌になって
へこんでいるのを必死で隠そうとするのをやめる、すると
誰も僕を気にしてくれる様子すらなく
それどころか「なんだこいつテンション低いな最悪な奴め」と
心の声が響いて来るようで
焦って
面白い事の一つも言おうとして
そして言えてしまうのが
逆にへこむ。
そこまで小巧くなったかと。
で、また
「最近のジャッキーの日記つまらん」
と僕に言う奴がいる。
わかってんだよ。
とへこむ。
最近は日記を書くのがとても苦痛である。
そんな苦痛の中で良い文章が生まれるわけもない。
一時期の太宰治でも、もっと良いものを書いたのに。
だから不可能ではないのだろうけど
僕には無理ってこと。
太宰治との才能の違いをまざまざと確認させられる結果に終わって
へこみました。

東海高校の打ち上げと称した単なる飲み会に誘われた。
お酒が飲みたかったので
行くことにした。
少しテンションが上がった。
着替えて家を出るときに
るんるん気分で思い切ってジャンプしたら
玄関のドアの天井部分で頭を打った。
めちゃくちゃ痛くてその場に崩れた。
死ぬかと思った。
大きなこぶができていた。
29日の朝になっても
その名残は残っている。
頭は膨らんでいるけど
気分は最高にへこんでいた。
その時にメールが入った。
決してそんな文章ではなかったけど
「○○劇場まで来い」と僕には読めた。
その場所は遠かった。
「何分かかると思ってるんだ」
と思っていたら
「10~30分くらいかな」と言われて
これは挑発だと思った。10分なんて無理だ。
でも性格上、行かざるを得ない気がした。
飲み会に遅れてしまう。
僕は痛む頭を押さえたいけど自転車漕いでいるので放置プレイ。
痛い。
そして道に迷う。
気持ち良く長い長い下り坂を満喫していると
引き返さねばならぬことに気付き
へこむじゃないですか、それは。
目的地に着くと結局三十分経っていた。
僕の身体はぼろぼろだったがその場に居る人間は誰一人それを知らず
でもへこんでいる人がそこにも居たので
分かち合って
その時は気持ちよかったけど
その人が去ったときに
思いっきり今までのものが頭の上に降ってきた。
知り合いが通りかかって
僕は話し掛けたけど
その人は違う人と話し始めて僕を無視。
そしてへこんでいるとやっとこちらに来て
僕の髪の毛をひとなで。
「やっぱ駄目だわ」とぽつり。
「あのね、○○高校の○○さんの髪の毛がキレイで…」
そのまま僕のことは無視。
今思い出すだけでもこれは凹む。
僕は無言でその場を去った。

娘が僕を追いかけてきたけど
へこんでいる僕は話もできない。
自動販売機にお金を入れても
反応しない。
僕は無生物にまで嫌われる。

飲み会に行って酒を飲む。
けれど
酔う前に飲み会終了。
というか僕は酔っ払った事がない。
二年生の子(男)とディープキス。
火の付いた煙草を両側からくわえるゲーム、
僕はもっぱら熱いほう。
下の先をやけどした。
ミニストップで演劇について軽く語って
先輩の家に行って
11時過ぎにはおいとまして
電車に駆け込み訴へ、東京へ。
まさか東京へ行ってまでへこむとは思わなかった。

 尾崎のへこみ日記~東京編~へ続く
2002.7.27(土) 

へこんだ。
これから
(東海の)打ち上げに行って
東京行ってきます。

2002.7.26(金) 3776年 富士山独立宣言

人を見ていた瞳からあるフィルタが取り除かれると
グッとよく見えるようになる。
先入主というのは、敵。

居心地の良い空間に今日は居た。
けれどもそれは、作為的に作り出されたものであったろうか。
僕は誰やらの心のうちに全てを把握されながら
時を過ごしていたろうかな。

自分が必要とされるかされないか。
そこが大事なとこなんだ。
僕はどうあったろう。
自分の隣に座っていた人でさえ
取るに足らないものだと思っていたとしたら
ヤダねー。

ああ、人生は遠い。
いつもアゼルバイジャンな気持ちにさせられる。
世間一般で言われる「セツノーナル」な人間とは少し違うけれども。



ところで僕は誰かと話すとき、
処方箋を用意します。
こいつにはこの対処方法だというのを、
生まれてから今まで、かなりの量を蓄積しているから
だいたい新しい人に出会っても
これまでに使ってきたものか
その応用などで切り抜けられるので
最近では人と話すのに苦労することがなくなりました
特に最近は《小手先》の重要さと、イージーさを心得てしまって、
いけないと知りつつも、それに頼ってしまう観がある。
けれども全く処方箋の浮かばない相手、
どの処方箋の応用も利かないような人に出会ったとき
悪い方向に転べば、僕は嫌悪するかもしれないし、
良い方向ならば、困惑が生ずる。
そういう時に、僕は恋をしてしまうのかもしれない。
…病気だな。

処方箋を見つけ出すためには、相手への最小限の理解が必要だ。
それがゆえ、そのような興味のある人間は、
どうにかして理解してやりたい、と思う。
それが叶わない場合は、焦燥だし、疲労だし、
頭の中が混沌の状態になる。
自分が整理できない事は大嫌いだ、しかし。
それを楽しめるようになってしまった。
去年の夏くらいからね。

2002.7.26(金) 2003年センター試験外国語(選択) 英語 独語 中国語 落語

高校演劇の地方大会に行ってまいりました。
いつものように顔を売ってきました。
好きだねー自分も。
しかしこれを客観視して楽しめるようになった自分に乾杯。

自分が一目置いてる人間って話し掛けづらい。
めっちゃ緊張する。
最初はね。
でも蓋を開けてみたら
その人と喋ってるのが一番居心地いいもんで
どうも依存してしまった気がする。
逃避かもしれないなあ
あの雰囲気と、その中での自分のポジションに対する。

そして他校の打ち上げに参加してきました。
この一文に「何故か」を付けなくなった自分を見て
大人になってんなあ、と感慨。
でも「してきました」とか、
或いはその事実を書くこと自体にそのニュアンスが含まれてしまっているのは
まだまだ修行が足んねえや。

その打ち上げでも
先のとある先輩と僕と
気を使われたのかどうなのか
二人だけ隔離されて
アメリカンと深煎りを、最初はブラックで飲み
決してそれらほどに「濃く」はない、ただ深そうな会話をした。
「探り」の段階だということを
たぶんお互いに知っている。
初対面に近い。

話をしていて見えないものが見えてくるのは
いい。その人はそれを「ソウゾウリョクだよ、ソウゾウリョク」と言っていた。
果たしてお互いのソウゾウリョクがどこまで働いていたのかはわからないが
とにかくイメージなんだ、会話というものは。
けれどもそれだけでは、薄くなってしまう。
バリアを張るのが癖になってしまっているからかもしれない。

「イナメナイ」という語感から何を連想するか、それがイメージ。
会話はゲームだと思った。

2002.7.26(金) THE CICADAS(ザ・シケイダーズ)追加公演決定!

不安だ、不安だ。
僕は自信家である、しかし
それには何一つ確信などない。
片想いは嫌いだ。
相思相愛でありたい。
ある程度は、そうであると思う。
だが今ひとつ、やはり確信の抱けない相手と出会ったとき
ペースは崩れて
全てがかき乱される。
これはなんて盲目的なんだろう、と思わざるを得ない。
片想いは、辛い。
特に、可能性を捨てきれない場合には。

2002.7.26(金) 没原稿復興運動~極地的ルネサンス~

僕の瞳の
フィルターを通した
貴方の姿は
とっても優雅で
斬新で
尊厳に満ちていました

眼から鱗でも落ちたみたいに
カラーコンタクトが視界を邪魔するように
色を変えられていたらしい世界は
途端に現実性を失った
けれども
真実はこれだ
見える

全ての盲目的な
妄信的な世界観を排除して
運命の
悪戯ってやつも考慮して

要するにフィルターがなくなると
余計な先入観によるキメツケを防ぐ事ができるわけだね
つまりなんだい
適度過ぎる過度の疲労
これが証明するのは
なんか今日は自分のポジションを再確認した一日だった。
ってこと、良くも悪くも
過去の景色がフラッシュバックする、そんな感じ。

居心地の良い空間。
何かね、高校演劇の地方大会に顔を出して
二本くらいお芝居を見た。
片方は「良くも悪くも《若さ》のある芝居」であり
もう片方は太宰治が出てきたように思う。
二本しか見てないのでその二本を相対的に眺める事が容易なわけだが
二つしかないので僕の眼にはそれらが実に対照的であったように見えるんだな。
自覚しているかしていないかの、そんなちっぽけな違いかもしれないけど。
実に、自分が今までやってきた「高校演劇」というものを、
直接にも間接にも見せられた気がして
その時点で僕の心はかき乱されていたから
後にどんな状況になろうとも、「ある程度の予想はついていた」と言い聞かせる事ができる。

ああいう場に顔を出すと
自分の今まで築いてきた《ポジション》というのに感心せざるを得ない
そして無意識的に、当然のように、至って自然に、何の苦労も疑問符も無く
ポジションを演じきっている、そんな自分が
客観視できるようになったから
客観視してみたら
すごいと思った。
もちろん演じている自覚は僕にはない、それほど自然というか、それが僕なのだ。
もはやその事で悩む事はなくなった。
こうして人間は悩まなくなって行くんだなあと、最近そんな事を考える余裕までできてしまった。
そうなると、考える事が更に楽しくなる。
もはやそうなってしまった自分に思い悩む事すら少なくなった。
自分もその部分では大人になった気がする。

高校演劇の大会という「あの場」での
「ジャッキー」というのは
自分でも尊敬している、ある意味で。
はい、この文章没。自分うぜぇから。

2002.7.25(木) 朝鮮民主主義人民共和国まんじゅう

朝顔のような。
百合のような、菫のような貴女を見てたら
胸が締め付けられるんです。


priority.
primal.
この一年間は…といってもあと半年程度ですが、
僕にとって闘いの年になりそうです。
どれだけ自分の欲望を充足させつつ
一方でがり勉に励むかというね。

「受験戦争に徴兵された」という表現がとっても好きだ。



ところでしかし
一日ほぼ一食、睡眠時間は三時間。
果たして人間は性欲だけで生きていけるのだろうか。
食欲は内へのエネルギー、
性欲は外へのエネルギー、それらは物質的な流れを以て確実に証明される。
では睡眠欲はといえば、これほどあやふやで捉えどころのないものはないだろ。


僕は一時期、睡眠を全くとらずに食欲だけで生きていこうとした。三日も持たなかった。
考えでは、十分な栄養とエネルギーを取っていれば睡眠で得られるものを補えると思ったのである。
睡眠だけで生きていけないのは明白であるから、
今回は性欲なのだ。
百戦錬磨、かかってらっしゃい。僕は、味をしめるといけないような気がする。

2002.7.24(水) イロハ・ニホヘト逮捕

誰か、誰か、見てて、くれないか
誰か、誰か、聞いて、くれないか
声が、音が、 空に、浮かんで
届け、届け、響け、そう響け
雨と、風と、君の、歌だぜ
愛と、恋と、僕の、歌だぜ
アメリカ、ジャマイカ、インドネシア、エチオピア
山と、海と、飛び超え、鳴らせ
彼方へ、飛ばせ

届いてる?



なんか最近の僕の文章が面白くないらしい。
「真面目に書け」と言われたので
そうする。




…いかん、つまらん文章ってどんなもんだったか、
完璧に忘れた。
2002.7.23(火) アンクルおじさん

「あのね、理系にもいい人はいるし、文系にもよくない人はいるのよ」

と、諭されてしまった。
なんなのだろう、この人にはたぶん僕の言わんとすることが理解されていない。
責任は誰にあるのだろうか。
僕が考えている事を適切に表現できていないのだろうか。


《挿話=①》
僕の好きな歴史の先生は
お笑いが大好きで
授業中も様々な「ネタ」で生徒を楽しませているようです、曰く、
「たとえ全く受けなくても、自らのレベルを下げるような事はしない」
つまり生徒が自分の笑いのレベルについて来られなくても、
自分のセンスを客に合わせるようなことはしない、ということ。
松本人志に似ている、そういえば彼は昔からダウンタウンの大ファンで、
吉本のNSC(ニュースターカレッジ)に入ろうとしていたらしい。


さて、果たして僕の能力が追いついていないのか、
それとも読み手が僕に追いついていないのか、
ここで「追いつく」という言葉ほど不適切なものはない、なんとも偉そうな語感があるしね。
どっちが上とか下とかじゃなくて、
何度も言うよう、「合う」か「合わないか」これの組み合わせなのだ。
理解「された」か「されない」か、この場合は「されない」の方に当て嵌まるわけで、
僕に何ができるかといえば、「される」ようにするか、「されない」ままで貫くか、である。
後者を選びたいと思う。

そういえば僕の友人がたびたび「君の文章やら何やらは誤解されやすいから気をつけなよ」と言う。
そういうとき、だいたいその友人は僕の言わんとすることを適切に掴んでいないように見える。
「誤解」、僕のような抽象的・婉曲的な文章を好む者にとって、切り離せない。
だがしかし抽象と婉曲を文学の中から取り除いたら、世の中に文系は要らなくなる。
たぶんそうなれば、理系の書く文章の方がずっとずっと面白くなるのだ。
だから僕は【抽象】と【婉曲】を貫く。
わからない奴は知らない。
理解できないような人は、僕の中で「理系」のレッテルを貼られてしまうだけ。

しかし何だろう、僕自身がやっとの事で理解できている文章を、
他人にわかってもらうこと、
それ自体が奇妙だ。
おかしなロリポップが、君のところへまっしぐら。


しかし僕は貪欲だし、自分に自信が、ないけど、かなりあるし、
理解して欲しいと思っている。
どうして理解してもらえないんだろう?と思う。
それはたぶん
僕が自分から「理解されよう」としていないからだ。
わかって当然、みたいな感じ?


《挿話②》
電気グルーヴが、まだ歌詞をたくさん乗せていたころ、
どうしてこんなに叫んでいるのに、理解されないんだ?
というジレンマを感じていたらしい。
そのうちに歌詞が少なくなるにつれ
つまり電気グルーヴは確実に成長していったし、
客もまた然り、なんだろうなあと、思う。


伝えたいことが、そりゃ僕にだってあるんだ。
伝えたいことは、言葉にしたくはないんだ。
頭の中が、見せられるなら見せるんだ。
ただ笑ってるだけで済むのさ。

2002.7.22(月) えできず

これから僕の書こうとするようなことをほんの数日前にある人が似たような場で書いていて、悔しい。
けれど書く。
たぶんこれは僕の僕なりの考えだと思うし、別にその人のネタパクったわけでもなくて偶然の産物、
もしそうでなければその人は僕の尊敬する人物じゃないということになって、それは非常に困る。
理屈で説明つかないことは嫌いなんでね。





理系は文系よりも頭が悪い。

という文章と良く似た文章(真意は定かでないがそれはわかりやすく書き過ぎた弊害)を、
実は数日前にWeb上で見た。
一月ほど前だったか、理系≦文系を証明しているサイトを見てからというもの、
「二つの人間」について常々コンシダーしていた僕は俄然ショック。
でも
ここからは僕のオリジナル技。




はっきり言って僕は確信している。「理系」よりも「文系」の方が素晴らしい人間だということを。
こう言うと理系【科目】が得意な人が、人生を儚んで自殺したり、学校の冷水機に猛毒でも仕込んで僕を殺すかもしれない。
単純にそうとしか捉えられない人間は自分に自信がなさすぎだし、それこそ頭が悪いことの証明である。
真っ向からのみ受け止めて「しのう」とか「ハ?殺すぞ」とかしか思えない人間は、
これから僕の論ずる《理系》という概念の存在規定に余りにもピッタリ、当て嵌まる事になるのだ。
最も、全ては僕の主観であり決め付けなのだから、正しいことなど一つもない。
でも僕は僕の中でだけ確信している、理系人間よ、お前らこそが『絶対的』に人生をつまらなくさせ、
そして『相対的』には、全ての「文系」ライフを非常の楽しさで包み込んでくれている要因なのだと。

(わかりやすくドラゴンクエスト風に言えば、光あればまた闇もあって、逆もまた然り。
政治家がいるからこそ、芸人がいるってこともあるんだな。例えば新聞の【ひとこままんが!】)



ちなみに理系とは数学や理科なんかが得意な人で、
文系ってのはつまり国語や英語や社会なんかに秀でている人だね。
うん、まさにその通り。間違っているところはないと思われる。だから今回のテーマってのは論じづらいんだね。
だから僕の言う理系はこれから「理系」と表現したいと思うし、同じく「文系」と表記する。
理系は表面上の現象であり、「理系」は根本的でフェータルなどうしようもなく運命じみた性悪です。



例示するなら。
僕の通っているハイスクールの校長先生の頭にはお世辞にも髪の毛があるとは言い難くってね、
それになんだか、[勃起した10代のJohnson]みたいなんだよね、わかるかな?
さ、英和辞典でジョンソンを引いてみれば…いや、このくらいはコンテクスタルジャッジメントだね。ユーシュド。
だけど違うところは、さ、10代のちんちんだって萎えるときゃ萎える。そこだけなんだよね。
彼の頭についてる『かたくななるちんちん』は、なかなかこうべを垂れないんだってことさ。
それというのも、彼はもともと数学の教師なんだってね。


ううん、どうやらこの7行だけ見るとあれじゃないかな。
「理系」というものをずばり理系として判断している空気が見られるでしょう。
でもわかりやすい判断の仕方はそうなんだよね、
確かに中学時代僕を苦しめたエレクティドペニスってのは、
数学や理科の教師だったような気がするんだなあ、その殆どが。
だけど数学ができるからと言って「理系」だとは限らないんだ、ここが、難しい話。



でね、世の中には二種類の人間がいる。=「理系」と「文系」。
そして世の中には二種類の人間が存在するのさ、=理系と文系。
だけど必ずしもその集合はマッチしなくて、
「理系」=理系でもなければ、「理系」≠文系ってわけでもない。
さっきも言ったとおり、《僕語》においては【「」】が付くと根本的な人間の性質に早変わりするってこと。
「理系」は頭が固くって、つまらなくって、馬鹿で、愚かで。
僕はその人たちが地球上から一人も居なくなっても、倫理的には泣かないだろう。
うん。だけど、泣く。それは僕が年をとったからでもある。年を重ねれば、倫理以外のことだって、知るようになる。
そういうものだ。「倫理」なんて言葉を、覚えてしまった時点でね。
「文系」、ってのは、ところが一方で、素晴らしい人々なのさ。
柔軟な思考力を持ち、機知ある会話を理解でき、馬鹿であり、愚かであったとしても、そこに紛れもない魅力がある。
そういう人たちのこと。僕はそういう人だったら、
たとえ小指のさきっちょに小さなとげが刺さってしまっただけでも、一抹の憂いを覚えるんじゃないかな。


そういう人たち、僕の素敵な友達の中には、理系クラスに進学している人がたくさんいるし、
国語も数学も得意だって人もいる。
だけど、その人たちはみんな根本的に文系なんだよね。
まったく根拠がないから、大声じゃいえないんだけど、<font size=3></font>程度なら主張しちゃおうか。
やっぱり人間ってのはある時点で二種類に分けられるのさ。
それは《僕語》の中で「理系」と表される集団と、「文系」と表される集団。
めんどくさいからAとかBとかとでも呼ぼうかな。
資本主義&社会主義みたいな関係と同じでさ、相容れることがないんだね、
ちょうどそのせいで世界には紛争が絶えないのと同じように。
Aに分類される人間はBの集団とは考えが合わない。種類が違う。
実はそれ、二進法なんだよね、人間と人間との出会いってそういうもんじゃない、
たとえ何千億の人々が一つのダンス・ホールで全ての「出会い」を交わしたとしても。
結局はね、とある誰かさんと誰かさんが「合う」か「合わない」か、
このゼロかイチかの組み合わせだけなのさ。
それだけ。
だけどそれだけで戦争は起きるし、宗教は大袈裟にそれぞれのドラムを打ち鳴らすし、もう、エトセトラ!
人間関係だけじゃなくって、世界の現象は全てイエスかノーの組み合わせで判断がつく。
コンピュータってのはそういう人間社会の真理を知り尽くしてて、
だから宇宙でいちばんのチェス・チャンピオンの頭脳だって、たった一枚のICチップには敵わないのさ。

ん…しばらく妄想が尽きない。けれどね、忘れちゃいけない、「根拠」なんてないんだ。
僕が飛ばしすぎたジョークさ。
15歳のとある少女が、
「真実って、多面的なものなのよ」みたいなことを僕に教えてくれた。
それはさながら恋人が美味なる多面体であることと同じようで、いや実はよくわかんないんだけど、
真実は別の角度から見れば全く違う《事実》なんだってことで、
角度がもし、億くんでも兆くんでもはかれないような数なんだったら、
つまり真実ってのは球体によく似た形をしている。
ということはふだん僕やみんなが語っている真実じみたコトっていうのは、
まるで球体を捉えているように形の上では見えたとしても、
実は平らな、平面を見ている。二次元に住む、50年前のオードリー・ヘップバーンに恋をする、まさにこの僕のことだね。




雑談が過ぎたかな。
つまり僕にとって、「理系」というのは後付けであって、
本当に魅力のある人間は「理系」としては僕の中で定義されず、
どんなに国語が苦手でも、数学ができようと、またはできなかろうと、
とにかく僕の好きな人間はみんな、「文系」なのですよ。
落胆した?
さて、

【なんという偏見、なんという選民思想!】


ここにこそこの数千年来、人類文明の普遍性がうかがえるんですな。

うはは。

2002.7.20(土)~21(日) 超難関サライヘヨ大学

起床して自転車店へ行った。そして僕はミスタードーナツへ呼び出された。
着くと、僕はいよいよ悪玉の様子であった。
完全なる誤解であったが、僕は完全にそれを解こうとはしない。めんどくさい。
そして夕方、駅へ行ってリトル・グルメやウィリー・ウィリーを嗜んだ。
21:00くらいまでそうしていて、家に帰って、そうめんを食べて、家を出た。
とある駅まで自転車で行き、本を読んでいた。通行人が怖かった。
僕は自転車を置き、隣の駅まで走ることにした。そして走った。
目的地に到着した瞬間に自転車に六角が刺しっ放しだということに気付きUターン。
僕は元の駅まで戻らざるを得なかった。
そして僕は、その隣の隣の駅まで走ることにした。
そうしたら、ゴール間近というところで、人に出会った。
MIU500mlを求めて、DyDoの自販機を捜索し、遂に見つからなかった僕は、
ユニーの隣でコカ・コーラを買った。11時を過ぎている。
その人と別れてからも、僕はしばらくそこにいて、もちろんのことだが、

《零したコーラに群がるゴキブリたちを眺めながら他ならないザ・イエローモンキーの『パール』を熱唱していたのだ。》

そしておもむろに立ち上がる。女の子が四人ほど来て、怖かったからだ。
僕は新車を引っさげてやおらサイクリングに出た。
だが僕は、どうしてもザ・イエローモンキーの『BRILLIANT WORLD』が思い出せなかった。
何秒間、何秒間、何秒間…と、そしてただ呟いている。

零時は廻っていたようだ。

それは今となっては草木も笑う、噂の丑三つ時だった。
ちょうどまさにその時までの僕は、暗がりにしゃがみ込んで本を読んでいた。
しかし違うのだ、その時 【からは】
もしかしたら射精だったかもしれないし、更にこれは「不倫」であり、語るべき人生の表象である。

(ドレダケノ)

という時間が経過したらしい。
あたりには何も無かった。
雲と太陽と、コンクリート&ビルディング以外には。
草が生えていたし、蚊が飛んでいて、蟻が登って来た。
僕がそこに立っているとしたら、
僕はここには立っていられないのだと、
小さい頃に教えられた記憶がない。




『シラキューズ空港12番男子便所の落書き』

そうそう、…という詩があったんだっけ?僕は読んだことないんだけれどね、




10時を過ぎて、10時半になろうとしている。
遂に僕は彼を止めることはできなかった。
理由は単純だ。
決してキスをしても、子どもは生まれない  から。

しかし私服で部活へ出た。
そこには、僕が昨日と同じ服を着ている理由を知っている人は居なかったし、
練習していた全ての台詞も昨日と同じ、僕のTシャツなんて気にしないみたいに。
偉そうに後輩を眺めて、偉そうに口出しをした。
なんて偉そうなのだろうかと思った。

天才アミノ酸を飲んで、自分が「さっき」、後輩に対して言った言葉を恥じた。

富山大学でドラえもん学を講じている横山泰行の講演かな?
2巻にもた子という人物が出てくるのだと自身満々に言い放った。
それは恐らく「ぼた子」のことであり、
「もた子」というのはジャイ子の本名である。
ということを自信満々に言う奴が居て、死んで欲しいと思う。

どうやら、横山泰行さんはまあまあそれなりのコレクターであり、
毎日10時間もドラえもんの研究に費やしているらしい。
しかし、彼は「もた子」と言い放った。
DO-U-NA-NO。

今まで藤子ファンだと思い込んでいた人が
実はそうでなかった。
俄然ショック。

家に帰ってスイカを食べたのか。

2002.7.19(金) 国語ビンラ(ディ)ン

TOKIOとトミーズ雅がトークしているのを見て
一瞬でも「V6かな?」と思ってしまった自分に嫌悪。
もう死にたいです。




終業式。
校長先生のありがたい話に涙すらした僕は
その後のアナウンスに驚愕した。

「それではこれから、全国大会に出場する部活動のために、みんなで校歌を歌いましょう」

なかよし高校め…
でもいつもの通り、誰も歌わねえだろ~
と思っていたら、
大合唱であった!

 若き名古屋の~、夢呼ぶ風に~(しかもかなり上手)

すごい、この学校は僕の思っているよりもずっと、
愛校心と団結心とNot羞恥心と侮りがたき歌唱力に満ちていたのか!!
と思ったけど、耳をすませば、デモテープだった。
人を信じられなくなりました。




そしてカラオケへ…(DQ3)
僕は誰の曲を歌っても
基本は桑田佳佑か武田鉄矢です。
そんな勢いで
KOJI1200の『ナウロマンティック』を歌いました。

2002.7.18(木) UGO UGO RU-GA

これだ。
この自信だ。
根拠の見当たらない特別な自信だ。
これがこの僕から
『勉強』を遠ざけているゆえんなのだ。
受験生なのに
これはちっとばかし勉強しなさすぎだなぁ。
だから僕よりも勉強してない人はやる気ないんだと思うなぁ。
僕は勉強が大好きやけん。
せやけど…
届いちゃった…
新しい自転車が!
片山右京 UGO アルミWサスFD-MTB26E。
片山右京 UGO アルミWサスFD-MTB26E。
片山右京 UGO アルミWサスFD-MTB26E。
うご!
うご!
片山右京のうご!
ラクラク折りたたみうご!
前輪にクッションがついてうご!
ウィリーしてみたら10mくらい走れてうご!
ほんなことあんた素敵やわぁ…
おもいけど。
はやいし。
快適だし。
うごだし。
デザインすてきだし。
と思ったらそれはペイントじゃなくてただのシールだったし。
ちょっとへこんだし。
おもいし。

2002.7.17(水) 尾崎豊か?尾崎豊かか?

机に向かっていたり、誰かと話をしていたり、
そしてこうして文章を認めたりしていると、
やはり人は、悲しいくらい忘れていく生き物だということを思い出させられます。
あんなに素晴らしいネタが
あんなに素晴らしいフレーズが
きれいさっぱり、僕の頭の中から抜け落ちている。


もしも「さして重要でないこと」がより忘れ去られ、
「とても重要なこと」が強く人間の記憶に残るのだとしたら、
頭の良い人はすこぶる記憶力が良く、そうでない人は悪いのだ、という一般論。
これに頷けると思います。




ハゲている先生がいます。
別につるっぱげ(亀仙人型)ではありません。
中途半端ハゲ(鶴仙人型)でも、後退的なハゲ(そのまんま東型)でもありません。
地肌が甚だしく露出しているわけでもないけれど、でも彼はハゲなのです。
それは少ない髪の毛をできるだけ長く伸ばして、足りていない所を補っているからに他なりません。
彼なりの知恵です。
彼は実際、めちゃくちゃ気にしているらしいです。
彼の目の前でそういったことを口にすれば、地獄行き糞尿つかみ取りツアーは確定だそうです。
そんな彼の授業中、僕らは英語の勉強をしていました。
彼は英語教師ではないのですが、僕は彼の担当する教科が得意ではなく、
更に言えば僕は、彼の授業と人間性に(髪の毛以外からは)興味・関心をまったく見出せないのです。
というわけで、僕と周りの数人のお友達は、英語の勉強をしていました。
勉強、とはいえ、まさか参考書や問題集を広げるわけにもいかず、
口頭で「勉強」していたのです。
僕のとなりのとなりのうしろ(ちょっと遠い)に座っている男の子が、
例文をささやいてくれます。




He has no hair.
(彼は、ない髪の毛を持っている。)




僕は笑いが止まりませんでした。
もしも先生にばれたら、きっと大目玉をくらうでしょう。
しかし英語とは全く縁の無い世界に住んでいるらしい先生は、
きっと僕らの会話をバルバロイな雑音として認識するだけだと思われます。
わかりっりこないんだと安心して、僕も負けじと例文を返します。




There are no hair on his head.
(そこには、ない髪の毛が彼の頭の上にある。)




そして幾つかの文章がexchangeされます。




But long, long ago... He existed with some hairs.
(しかしむかし、むかし…彼はいくらかの髪の毛と共に存在していた。)


Unfortunately, The hairs was getting scarcer and scarcer.
(不幸なことに、その髪の毛はどんどん乏しくなっていった。)


To make matters worse, It is his stress caused by his usuge that was resulted in far more fatal permanent psilosis !(強調構文)
(さらに悪い事には、はるかにより致命的な永久脱毛症の原因となったのは、他ならない彼の薄毛により引き起こされた彼のストレスからなのだ!)


Hm... I really feel sympathy for “the poor-hair” like him.
(う~ん、彼のような『髪の毛の貧しい人々』には本当に同情を感じるよ。)


(Bomb)
(爆)




僕らは大いに盛り上がっていた。
もう先生が聞いていようがいまいが関係ない。
大笑いしていると、とある男子生徒が、
決して言ってはならないバルス的な言葉をついに口にしてしまったのである!




But, tomorrow belongs to us......
(でも、「明日はわが身」だよね…)

 過去ログ  前の日記  次の日記  TOP