2002年6月後半の行い(Jacky)

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2002.6.30(日) 右とん平

トカトントン

トカトントン

僕にとって
君の言葉は

トカトントン

君達みんな
吐き気がするよ

ボクを置いてけぼり
情熱的な僕に

トカトントン

トカトントン

君達みんな
調子付いてる

馬鹿野郎だよ
下らない

勘違い野郎

2002.6.30(日) ザ・ぼらんち

わかりませんか。ある日突然……核戦争が始まって一瞬にして小市民の生活が消滅したという結末です。





ぼらんち。


守備的なミッドフィルダー。



ぼらんち。


守備的なミッドフィルダー。

ぼらんち。




守備的なミッドフィルダー。

守備的なミッドフィルダー。

守備的なミッ






気持ち悪い、誰よりもお前が、世界で一番、お前だけ、俺に吐き気を、起こさせる、
これ以上、もうそれ以上、世の中を汚すな、世界を汚すな、唯一愛する、この世界、
下らない、本当に下らない、そんな言葉で、こんな感情で、俺を汚すな、死ね、
死ね。

守備的なミッドフィルダー

好きな人が居ます。
会いたくて会いたくて仕方ありません。
でもあの音が聞こえると
嘔吐物が胸に込み上げてきます
変貌するのです。

Is Japan unique?

文章の中でさりげな~く、
自分の感受性の高さなり、能力なり、思想の貴さでありね。
とにかく《特異》であることを主張する。
余りに日本人的。嫌気がさすね。
それに気付いたのはもう何年も前になるが、
未だに僕の良く使っている方法だ。
そうでもしないと「僕」が伝わらないのではないかと、
そんな不安がある。
僕の拙い文章程度で全てが伝わるわけは無いのだから、
必死に真実を伝えようとして、
ついついわざわざ言わなくてもいいような「自慢」までしてしまう。無知の知ですか。
それが無ければリピーターにとっての「ジャッキー像」というのは、
とてもあやふやなものになるのだと思う。
だが僕は、
そのような方法を執っている他人を見ると吐き気がする。勝手なもんだ。
という事は、僕のような他の人間が僕の日記を見れば、
恐らくは吐き気を催すのだろうという事だが、
そして恐らくそうしているのだろうという人間が僕の頭には数人浮かぶ。
「お見通し」の人間がね。
それがわかっちゃう人っていうのは、やっぱり僕が末永くお付き合いを続けていきたい人間。
で、まあ。
「さりげなき自慢」を行っている言葉やら文章やらって、
僕はすっごい嫌いです。
例えば、最もわかりやすい
「エッ、何で僕しか知らないノー」的な発言ですわ。
これには呆れる。もう相手もしたくない。
そしてちょっと賢くなるとこれが
「エッ、ちょっと待ってコレって誰でも知ってるよネ?」といった婉曲的な表現に変わる。
それこそがもう僕の最も嫌いな手段。
純粋な「汚らわしさ」ではなくて
「人間的な汚さ」が露呈している。
婉曲表現というのは、とかくそういったものを含みやすいのだ。
ちょっと前に、CMで
「私はちょっとした木々のざわめきや小川の流れに感動して…」
とかいう素人のモノローグが延々と15秒間、
単に自分の感受性の高さを自慢しているだけのようなのがあって、
気持ち悪さを通り越して逆にある意味気持ちよかった記憶がある。
もちろんそれでも気持ち悪さは拭い切れず、
油ぎった焼きうどん腹いっぱい食った後にホワイトチョコレート流し込まれて
その上全身に
冷水を浴びせ掛けられたような
そんな、口直しにもならない口直しみたいに
どうにも微妙な状態になったのですが。
まあ、とにかくそのCMに出てたのが他人でよかったものだ。
というのも、最近僕は顔を知らない人間のWebサイトを覗く事が少なくなった。
そして僕は僕の興味ある人間の文章しか基本的に読まない。
必然的に僕の好きな人物の文章に対して吐き気を催す結果になり、
その事実がまた嘔吐物をして無限繁殖させるのだ。
ちょっぴり辛い。勝手な話である。
本来なら例文を拝借して指摘したいところだが、
そんなことしたら、
嫌われそうなので
怖いので
やめる。
最近明らかに批判精神が太宰治と兼好法師に影響を受けているようで。
2002.6.29(土) Masturbate 燃え尽きそう 火照る身体から…

Si Se Puede!





アルカイーダ

略して





おーおー

おおお

おっおっおっ

おおおおー

おお

おーおおーおお

おーおおっ

おーおおっ

おーおおおー





アイーダ









自分で面白いと思ったからといって
「面白いでしょ?」と発してしまったが最後
興醒めだ。

しかし例外もあって

「どうしよう、ぼく面白いこと思いついちゃった」

と、あまりにもあからさまに、ネタだとわかり、
それでいて興味をそそる、
その後にどんな言葉が来ても、爆笑してしまうような
そういう言い方をできるのは、才能である。
羨ましい。



もしも僕がここに何か自分で面白いと思ったネタを書いて
次の朝、友達に
「昨日の僕の日記見た?ほら、云々。云々!」
としたり顔で伝えたらば。
さらに「いや、見てない」と答えられたとして
「いや、絶対面白いから、見てよ。」
と返したら
家に帰ってこの日記を読んだその人は絶対に笑ってくれない。賭けてもいい。
僕にはそれほどの力量は無いし、
喩えプロの芸人でも、
「今から面白いことを言います」
と言って、
ちょっとしたネタを披露したとして
誰もが笑ってくれるだろうか。
それはもう、
その芸人のキャラクターに頼るしかないって話になるのだけれど。
況やいち高校生の不条理日記に於いてをや。



それは何故かというと
悔しいからなんだ
みんな悔しがり屋さんなんだ。
相手を認めたくないってことよ。
「自分は面白い」と思い込みいい気になってひけらかしてるような奴の
笑いを肯定するという事は
なんとも癪には障りませんか。
そういう奴って
自覚してないから
嫌われる。



何故僕がそう断言できるのかというと
その事に気付く事ができるのかというと
そういう発想が僕の頭の中に存在するからであり
その昔、自分もそのような行動を取った事があるからだ。
そして学習している。

かな?



さあ若人よ気付け。
ひとたび気付くと
自分より先に気付いてた奴に対して
悔しくて悔しくて仕方がなくなる。
そして恥ずかしい。
幾度も経験したことだ。
まあ
中には一生かかっても気付こうともしない馬鹿野郎も居るかと思うが。
自分はどうだろう。
僕はたまに毒舌だと言われるが
それは自分にも当て嵌まるところがあるから指摘できるわけで
文章を書くときはいつも
自分への警告。




今日は恵那峡ランドで世界最速のジェットコースター《パンツァードラグーン》に乗って思いっきり寿命を縮めたあと行き付けの喫茶店でミックスジュースを注文して小一時間ほどマスターと話し込み宮川で国道172号線に乗り替えるとかえって遠回りになることを知りゆっくりと新ルートを検討してから自転車に跨り疾走すること20余里、名古屋市内に入る。
それから、U町へ行って、S高校のOとえっちなことしました。
2002.6.28(金) Penesの商人

the male copulating organ.



penis

と書いて

「ピーニス」

と発音するのが一般的なようです。

英米人相手に「ぺにす!」とか言っても伝わりゃしないので
ここはイチバン正しい発音を心がけましょうね。
「ピ」にアクセントです、「ピ」に。


ちなみに複数形


penes(ピーニーズ)



どんな状況で使うねん。




この驚愕の事実と疑問を
英語の得意な友達に尋ねてみたら

「明らかに3P以上か一般的に述べるときだね」

と返ってきて、
例文まで披露してくれた。



Penes are becoming shorter and shorter.

《(一般的に)ペニスはだんだんみじかくなってきている。》



ちなみにfellatioは「フェレイショウ」と発音します。
これなら女の子でも言えるね。
また、日本語訳では「吸茎」とも言うらしいので

「よっしゃ、じゃーそろそろきゅうけいしよっか、きゅうけい。」

なんともナチュラル。
Cunnilinctus

フェレイショウ。
イギリスでは俗に
「French」とも言います。
フランス人はこれを知って
どう思うんでしょうか。
ちょうど日本で
ソープランドのことを「トルコ風呂」と呼ぶので
トルコ人が大激怒しているといったような
そんな感じがあるね。

2002.6.27(木) スペースシャトルバス

「ジャッキー先輩東京行ってしまわれるんですよね~」

ほわほわとしたブロードキャスティンゲイショナルな女の子が言った。
笑顔が素敵な良い子です。
日ごろから懇意にさせていただいておりますが…

「ん~、そうそう。もしそうなったら、まあいつか遊びにおいでよ。」

「そうですねぇ、じゃあ、
    もし東京行ったら、是非泊めてくださいねっ☆



いや、いいけど

おふとんひとつしかないから。







いでや、
女の子はそういうこと軽軽しく口にしないように。
おぢさん勘違いしちゃうから。
しかし相手が僕で良かったものです。
なんて…どうかしらね、イヤハヤ。






長らく会いたかった人に会えて
あー
感無量。
とか思うんだけど
どーなんかね。
人間が人間を独占するということは
ありえません。
僕のものであるところの人は誰もいないから
虚しいもんだ。
だから
誰かが誰かのものになってしまうと
僕は悲しくて
許せない。
それがまた
侵されざるべき正当性を帯びたもので
あればあるほど。




今日はダメだ
昼間からそうだった。
全く頭の中に文章が浮かんでこない。
僕はだいたいいつも
ここに書いているような文章をふとした瞬間に
頭の中に書いていて
考えてる事がみんなこういう文章として、
改行も句読点も全て完成させられたものとして
自然と浮かび上がってくるものなんだけど
それはつまり
1日で100日分くらいの日記を頭の中に書いてることになるんだけど
今日はどうだろう。
実際にこうしてここに打っているほうがずっと長い気がする。
気のせいか今日の文章は自分でもちっとも好きになれない。
惰性と
麻薬性のみで書き進めているんだけど
今日はなんだか
気持ちよくない。
2002.6.26(水) ポッキーうまい棒味

崩れ
落ちる


詩の中に白いワンピースが出てきたとしたら
「白」や「ワンピース」は、必ず何かしら意味を持っていなくてはいけない。
というわけではないだろう。
だが読者である僕らはその「白」や「ワンピース」の中に何かしら意味を見出さなくてはならない。
というわけでもないのだと思う。
しかしながら
もしその「白」や「ワンピース」がその詩の中から欠落してしまったら
その詩の価値が完全に失われるような
瞬間に芸術性が無に帰されるような
そうでなくてはいけない。
詩というのは、絶対にそういうもんだと思う。



『さようなら』という《あの》詩から
何か一文字でもが欠落したら
なんてことを考えると、…恐ろしくなりませんか。



さて、これが裏番組的要素なのだと僕は解釈している。
だが筆者が言いたいのはそれとは違うかもしれない。
それこそが詩なのだ、とは僕は言わない。
詩とは決して、読者が勝手に解釈してはいけないのだと思っている。
その形としてそれが存在してしまっている限りは、
「意味」は単一である。
千変万化に富んだりなど
しない。
つまりばかげたことだと言っているわけだよ、
完成形の無いパズルのピースの無作為な組み合わせに
その形状的な定義を与えることなんざ。






しかし文章を書くのは楽しい。
たまに
「いったい私は~~だ。」
という文章を目にします。
現在、口語では普通「いったい~だろうか」という《係り結び》があって
それしかない。
「いったい私は~~だ。」という文章における「いったい」というのは
この連のはじめの言葉「しかし」と同じような意味を持つのだ。
いや
同じように意味など持っていないのだ
しかしなくてはならぬ。
高校生が英文や古典を訳すときに
恐ろしく下らない文章をこの世に生み出してしまう事のように
意味だけの「意味」というのは無価値だ。
「しかし」「いったい」「さて」「そもそも」
これらの意味のない言葉が持つ「意味」というのは、
我々日本人にとっては、計り知れない。
外国人はこれらを見て
どのような単語に訳すのであろうか
或いは全く
訳されぬかも知れぬ。
つまり
日本の高校生と同じように世界各地において
「意味」を失った下らな過ぎる文章は無数に吐き出され消費されていく。
しかし日本語というのは難しい。
あ、ちょっと意味が出てきたね。
文脈上の理解って奴か。うん、言語学ってな難しい。
未だに僕は【Well,】の意味を知らない。
2002.6.25(火) カワイジュク→トウダイ  ツダジュク→スンダイ

英語の先生が
こんなことを言っていた。

ボクは人の多い映画館はあんまり好みじゃないんだ。
だからいつも
座席数も客も少ない
ミニシアターのような所へ行くんだが
ボク一人しか客が居ないときがあってね
あの時は気持ちがよかった。
もっとも、
本当はボクも居ないほうがいいんだけど

僕はこの言葉が気に入った。
でも1秒くらいたってからみんなが笑ったので、
多少悔しかった、のと、
あなどれんなとも思ったりして
でもそりゃ
当たり前だなあと
思い直したりもして。

またこうも言っていた。

スティーブン・スピルバーグのE.Tという映画。
あれはボクをモデルにした映画だな。

最初はイニシャルか何かかと思ったが
違った。
うまい。

ココロは英語教師。

小学校の時に
教室で暴れていて
戯れだったが
喧嘩としか見えなかったらしく
先生に怒られた

学級会で
お茶目をしていた仲間がみんな立たされて
追求された
先生は問う

「何をしていたのか」

これは、答えられない。
ふざけて遊んでいたのだ。
だが
こういう状況の場合
何を言ってもどのみち叱られるものである
先生は語気を強める

「何をしてたんだ」

僕らは黙って立っていた
教室の中に
きまずい
だけど張り詰めて
爪楊枝一本で破裂してしまいそうな
なんとも言えぬ
例えば修学旅行で
「もう寝よう」と言い交わし
布団に入った後の
やけに昂揚した気持ち
誰も眠る気など無いのだと言う事の
わかりきっている
そんな空気
何かがそれを破るのを
誰もが待ち望んでいる空気だ
生徒達はみな
それを待っている
知らず、
先生は更に語感を奮わせる

「答えろ」

僕らの中の一人が
最も臆病でそれでいて
正直で真面目な少年だったが
彼が口を開いたのだ
重い重い沈黙を
彼は破ろうとしている
その言葉が何であろうが
それがやってくるのは明らかであった。
何をしていたのか
その質問に
彼は答えた。
先生のエモイワレヌ圧力に涙ぐみ彼は
こう答えたのだった

「たたかってました」



2002.6.24(月) 浪人業の館’99 (聖鬼魔II)

勘の良いあなたはお気づきのことと思いますが昨日の文章は『鳥山明のボツ作劇場』とでも言えばわかりやすいでしょうか。こう…ポンとひとつテーマが与えられると書く。授業中にも何か思いついてしまってでもそれは200枚くらいの構想であって、受験勉強もくそも無い。だがしかしその「ポン」がないとこのようにキーボードを持て余してしまってただカタカタと無価値な文章を打ち続けます。卜部兼好はこのようなときたぶん何もしなかったんでしょう。僕も彼のようにものを書きたいものだと思うがいかんせん力量が


勘の良いあなたはお気づきのことと思いますが
昨日の文章は
『鳥山明のボツ作劇場』とでも言えば
わかりやすいでしょうか。


こう…ポンとひとつテーマが与えられると
書く。
授業中にも
何か思いついてしまって
でもそれは200枚くらいの構想であって、
受験勉強もくそも無い。


だがしかしその「ポン」がないと
このようにキーボードを持て余してしまって
ただカタカタと
無価値な文章を打ち続けます。


卜部兼好はこのようなとき
たぶん何もしなかったんでしょう。
僕も彼のように
ものを書きたいものだと思うがいかんせん
力量が。
2002.6.23(日) おかむらはヤベちゃんガッツポーツのじゅもんをとなえた!谷啓はぜんめつした…

・東海コラム
・音、明。
・たこ
・表紙
・あらすじ
・台本
・文集フリーページ
・文集アンケート
・音づくり音拾い


いいネタがあるんだけど
文章で表現する自信が無くてもどかしい。


14日
18:00部活終了18:10ミーティング19:20会議(デニーズ)23:30語り1:30愛の育み2:30帰宅2:40ネット・日記執筆他5:30就寝7:30起床7:40コラム執筆8:10台本執筆8:40クラス雑務8:50出発9:20衣装合わせ14:00昼食14:30買出し16:30ゲスト出演依頼16:50練習18:30衣装合わせ20:30会議(デニーズ)23:00プチ会議(路上)15日0:00東海高校着6:00帰宅6:30就寝8:00起床8:10朝飯8:20日記執筆9:00台本執筆
疫病神
四方を壁に囲まれたカラオケボックス。
四人の女子高生に囲まれたジャッキー。
間違った組み合わせ=
爆発のキケンだ。大変だ。

ドモドモ、釣りバカ日誌風の挨拶で登場のストイッカー尾崎です。
禁欲生活を送って暫く経ちます。
明日辺り解禁になろうかというところです。
地区出るかも

僕はときどきわざと、半ば実験的に
「僕の人生に挫折という二文字はないからね。」とか
「僕は生まれてから挫折というものを味わった事はないよ」とか
口走ってみます。
すると、大半の人は、ああそうだろうねと。
あんたが羨ましいよと。
「おれ、悩みなんてなーんもないもんね~テーマは適当!」と言えば
ああいいねえ、あんたは何も考えてなくて。
あんたが羨ましいよと。

どうなんだろうねぇ。
昔、とある女の子に
「アンタは今までに挫折を味わった事、無いだろ」と、
言われたんだけど、たぶんその後に、
「だから向上が無いんだよ」とでも言われそうであって、少し恐ろしかった覚えがある。
挫折ってなんでしょう。
例えば僕は受験に落ちたことが一度も無い。(そりゃそうだ高校受験しかしてない)
確かそういう話から、「アンタは―」と言わしめることと結果したと思うが、
どやねんと。
挫折というのはイメージからすると、
「うまくいっていたのがポキリと折れる」感じがするんだけど、
そう考えると確かに僕の人生で挫折というのは少ない。
僕が勝手にそう感じているだけとは思うが。
うまくいかないことは大体最初からうまくいかないし、

母さん、俺をジャッキーと呼ぶな
あんた自分がかわいいと思ってるでしょ!?byなつき

バイオ前線
くだらない、Y.M.C.A.
本性をあらわしてしまった昨日のHR。

いったい僕は爆笑問題が好きだ。
中学校1年生の頃だっただろうか、時期は定かでないのだが、僕は初めてテレビで彼らを見た。
感動した。こんなに面白い人が(「人たち」ではないのがポイント)世の中に居たのかという程の衝撃を受け、
その日のうちに閉店間際のブック・オフに駆け込み『日本言論』と『天下御免の向こう見ず』を買った。
それ以来僕は彼らの虜であり、
中2の時などは名古屋パルコへライブを観に行き警察に捕まった輝かしくも苦い思い出がある。
漫画家のおおひなたごうも出演していて、チャンピオンの「おやつ」を知ったのはその頃だったろうか。
いたく感動した覚えがある。
並べられた爆笑問題関連の蔵書約20冊を見ると、驚くべき事に全てが帯付である。
ブック・オフで買った二冊は運良く帯が付いていたわけだがそれは置いといて、
つまり古本派の僕が爆笑問題の本だけはほぼ新品で購入していると言う事。
更に本棚を見ると特集雑誌や種種のコピー、新聞の切抜きなどが幾つかあった。
ビデオはもっと凄い。流石にレギュラー番組までは気が回らなかったが、
1999~2001辺りの単発出演番組はほぼ全て録画してある。凄まじい事だ。
ちなみにレギュラーは号外!爆笑大問題だけは毎週ちゃんと録画。ファンの鑑のような少年であった。
「太田コラム」というコーナーはMDで編集してベスト版を作ったりもしたものである。


さて退屈なミーハー語りを終えて、
思うことをさらりと述べる。
僕はかつて、太田光に傾倒していた。そうそれはまさに「傾倒」であった。
彼の全てに憧れた。彼を模倣しようと言う気すらあった。
今だから笑える話だが、「太田光は高校時代ひとりも友達が居なかった」と聞きつけた少年は
高校入学時、「よし僕も高校では友達をつくらないでおこう!」と決意したとかしないとか。
まあそんな決意も入学式2秒後に「あっさりとまあ」崩れ落ちることとなるのだがそれはまあ別の話。
しかしなんとまあ馬鹿な事だろう、恥ずかしくて仕方がない。
そんな事で太田光の才能が手に入るのなら、

おかむらはヤベちゃんガッツポーツのじゅもんをとなえた!谷啓はぜんめつした…
あと僕的デメリットとして、知られてるとそれだけ行動が制限されますよ。
ぶっちゃけた話アヴァンチュウルに勤しめませんよ。最近は余り勤しまない方向ですが。(思想的にね)
あと、我的キャラクタァではそれはもともと有り得ない気がしませんか。
「ジャッキーさんに彼女が!」っていうのは
天地逆転唱法の如く、意外じゃないでしょうか。
がらがらと崩れ落ちるのです。
我的土台が。
そして新しい土台が形成される。
それはたぶん魅力的な底辺にも成り得るんだろうけど
臆病な僕は、なんだかそれが恐ろしかったりします。

えーと何を言おうとしたんかな。

2002.6.22(土) 「Kanda River」 by Minami Kintetsu

子どもは可愛い。そりゃあもう無条件にかわいい。
かわいい大学生よりもかわいい高校生のほうが多いし、かわいい高校生よりもかわいい中学生のほうがよく見られる。そしてかわいい中学生よりもかわいい小学生のほうが圧倒的に巷には溢れているのだ。

理由は簡単、「かわいい小学生」のうち9割が「かわいくない中学生」になり、そのうちの9割が「不細工な高校生」になり、その中の更に9割が「身の毛もよだつ大学生」になるからである。
生まれたばかりの赤ん坊を見て「気持ち悪い」と拒否してしまう輩などはたまにいるかもしれないが、
2~3歳の子どもを見てこれっぽっちもかわいいと思えない人間というのは人を殺す。

というわけで、「かわいい大人」というのはまず存在しない。
それは言葉の問題などでは決してなく、
「きれいな大人」、「うつくしい大人」といったような物体も、なかなか存在し得ないのだ。
そんなことはない、と否定する人は、目が腐っているのでアイボンで洗い流してください。

だが、大部分の人々が結婚をし、それはたいてい大人になってからの話である。
このことを僕は単に「妥協」という一言で片付けるつもりはない。
みんな錯覚して、そうだと思い込んで惚れ、結婚するのだ。
ではなぜそう、「きれい」「うつくしい」などと錯覚するのかといえば、やはり妥協なのであるが、少し違う。
それは、それまでの数十年間で形成されてきた一般に「好み」と呼ばれるものの存在である。
現実を知り、理想が妥協を重ね、そして己を知るようになる。
様々な人間と接し、観察して、現実的な理想が定まってくる。更に、
自分がどの程度の人間であるのか―どの程度の価値があるのか―を知ることによって、
需要曲線と供給曲線がちょうど重なった「好み」という抽象的概念が形作られていくのである。

誰の目にみても完璧な人間なんて居ないのだから、
人間という賢い個体は生きているうちに「自分なりの完璧」を創り上げるのだ。
この世に「完璧」が存在しないのなら、存在しているものを見て「完璧」と定義づけてやればいい。
つまり、実は完璧じゃないけど単にそう思い込んでいる、言ってみりゃ自己満足だ。

そいつが恋愛の正体であったりする。
誰もが恋愛をしたい。だが完璧を求めていたのでは一生かかっても子どもが創れない。
種の保存の危機。絶滅の懸念である。そこで、ブスを見て美人だと言ってみる。
と、これが意外と、「三日で慣れて」しまえるものだったのであった。

理想のグレードを落としすぎてしまった人間はそれに気付かず不細工な異性を連れ大手を振って街を闊歩する。
ところがどっこい、それで彼は思いっきり幸せなのである。
それはそれでいいじゃないかと思うのだが、
やはり男女の釣り合いが取れてないとむかつくことがある。
それこそが以前に僕の友達が言っていた、
「レベルの高い女の子と付き合わないと品位が下がるよ」という言葉である。

さて、僕はどうだろう。グレードを下げすぎてやいないかと、ふと不安になる。
だがそれで僕が幸せならよいのだろうし、
相手が安いということは僕の方が程度が上だという事なので、
少なくとも妬まれるとしたら僕ではなく、その女の子のほうなのである。
ただ、それによって哀れみの眼を向けられるのは耐えがたい。ので、
できることならすてきな人と付き合いたい。
人間が他の動物を差し置いて進化しまくってしまったのは
「手」が自由になったからだと言われています。
「ミロのヴィーナス」の美しさはその失われた手に秘められた無限の広がりの魅力であると言われているように、
人類にとって「手」とは欠くことのできない重要な身体の部位だということです。
それは「選手」という言葉が存在し、「選足」ではないという点で顕著。


「述語を覚えるとき、語源から調べない奴は馬鹿だ」
と森鴎外が言うので、少しだけ嗜んでみた。


manufacture

という英単語があります。
歴史では「工場制手工業」という語句でおなじみですが。

factは「作る」、ureは「動作・過程・存在」を表す名詞語尾、

そしてmanuは「手」を意味します。

manuはもともとmanという表記。

そういえば、「人間」を表す言葉で、

同じ【man】という語がありますね。


「手」とは、人間だけについているものなのです。

2002.6.21(金) 奇術師記述中

誤解があったかもしれないが、昨日の日記にある「ひっそりと結婚したい」というのは、
決して「結婚式はささやかにしたい」という意味では全くない。

はっきり言って僕は結婚なんてしたくないのだ。
そんな、めんどくさい。
親御さんに「ぼく、結婚します」なんて言うの恥ずかしいし。
いやー考えただけで顔から地獄の業火が噴出するね。

制度に従うのは癪に障る上に結婚したらなんか「結婚してなきゃいけない」みたいな気がしませんかね。
例えば僕は女の子と付き合うとして(付き合わないけど)それを人に知られるのはとても嫌です。
なんか「付き合ってなきゃいけない」みたいな気がしませんかね。
プレッシャーじゃないですか義務ですよ強制だそこには自分の意志がない。
「付き合う」という行為に執着して好きになる子好きになる子に告白しちゃうような人もいるが
まあ、それも人生。しかし僕は「付き合ってください」という言葉を吐かれた時点で恐らくその人を除外する。
それだけでわかるのは考え方が僕とは合わないということ。

ちなみに「付き合う」よりも「婚約」したいと思うのは
そっちのがより面白いから。

「ひっそりと結婚したい」のは
ひっそりと離婚して
ギネスブックに載りたいから。


「100回結婚した男」


日本の法律では
一度離婚した相手とでもまた結婚できるそうですから。
2002.6.20(木) 未成年の初潮

我がクラスでは文化祭で「音楽」をやるか「筋肉」をやるかということで長らくもめていたが、
遂に「音楽」に決まってしまった。ちぇっ。なんて普通な奴等だ。

僕が女友達に「僕はひっそりと結婚したいんだ」などと自分の密やかな理想を何ともなしに告げると、
「そんなん絶対にヤダ」と拒絶されるのである。
これぞ感性の相違、価値観等の違いであろうかと思う。

概して、普通の人々の中には普通の人が多い。
表面的にはどの者にもその者としての個性があるように見えるが、
事実そうなのであっても、根本的な、もとに根付いたような思想の上には無個性的、没個性的な匂いを感じずを得ない。
つまり、やや極限じみた状況を得れば、誰もが同じ行動を執るということだ。
やはりもとを辿れば誰もが同一であって、しかもその「同一」というのが、僕から見れば余り面白くも無い。
だから僕が好きになるような人間というのは、
「ごめん僕には婚約者が居るから」と言っても涙の後に
「いや、もう愛人でいいから」なせりふを余裕で吐ける人なのである。
あまり関係の無いような気がするが、さりとて、そのようでもなかろう。
少なくともあながちありがちでもなく、しかもその中に女々しさを微塵とも感じさせないのが良いのだ。

機知のある会話のできる人が好きだ。
それは含蓄のある言葉を吐ける、というだけで十分な価値のあるものである。
どうも先程口にした「普通の人々の中でその大部分を占める普通の人」というのは
そのようなことすらもできない個体の集合体であるようなのだ。
脳味噌の皺が余りにも規則的な直線を描き縦横を走っている、そんな印象を受ける。
「個体」などと高尚な言葉を用うよりも、「固体」とか言ってしまったほうが良い。
人間の身体の70%は水ですが、そのような人たちに僕は「水」を感じたことがないような気がする。
なんだか乾ききっているのだ。
ウィットに富んだ人間はみずみずしい。魅力ある人間には必ずどこかに若さがある。
「水」を感じられないということは、逆算すると、機知とチャームを持ち合わせていないことになる。
意外でもないがこのような予想には、外れる機会が少ない。

αを表すときにαとしか言えないというのはメタファシミリな能力に欠ける。
みんなが数学をやりすぎたからだ。
何の条件も与えられなければαは当然の如く定数のような顔をして、αはαでしかない。
こういった広がりの無さというものが、僕の中等及び高等数学を頑なに遮蔽したる要因である。
数学は元来面白いものである。と僕は思いたいのだ。
言わずもがな単純な言い訳。

明智小五郎の趣味は「難しい数学の問題を解くこと」であった。
高尚過ぎる趣味で結構。
ところで僕は長ったらしい公式を使わなければ解けないような問題が好きではない。
だからたぶん僕は、世界一簡単な数学よりも宇宙一難しい算数の方を解きたいと思う。
公式を与えられるというのは先人から僕たちへ贈られる最強のヒントで、
それによって僕らは実に機械的に問題を解決しているのである。まずはそれに気付かないといけない。
しかも公式は大きな武器である。
知っていると知っていないのとでは大きな違いだし、
知っている人は知らなくてそれを解こうとしている人に対して非常の失礼をば為しているようにも思える。
数学をやるにあたってアルキメデスやピタゴラスの手を借りるという事は、
学生ラグビーの試合に山下真司を呼び寄せるようなものである。
銀河系で最もわかりやすい喩え話を繰り広げるなら、ものぐさなダルシムだ。
大きな部屋のど真ん中に位置して鼻をほじっている彼を想像しよう。
彼は一歩も動かずにテーブルの上のティッシュを取るだろうし、
同じようにして100発100中でごみボックスにイントゥサムシングである。
寒くなったら火を吐ける(だから彼はいつも裸だ)し、しかも遠くまで飛ぶ。なんでもできるではないか。
トイレに行くときは、ヨガ・テレポート。
その姿勢のまま用を足すのでしょう。
恐らくどんな姿勢でもお尻に手は届くことだ。
ダルシムのそれも、「不浄の左手」であったろうか。

長々と語ってきたが、要するに
僕は別に「つまらん奴が嫌い」だとかそんな事を言うつもりは毛頭ない。
彼等には手ごろな空き地で徒党を組んで遠吠えしていて頂ければ異存ない。
単に僕は、面白い子は大好きだと、そういう事なのである。



マカマカ不思議。
おいなりといったらまるい。
まるいといったらいくら。
いくらといったらつぶす。
つぶすといったらばくふ。
ばくふといったらウェディングドレス。
ウェディングドレスといったら結婚。
結婚といったら「サムシング・ブルー」。
「サムシング・ブルー」といったら「何か・青」。
「何か・青」といったらなにか。
なにかといったら山本先生。



閉鎖的な、あまりに閉鎖的な。
限定的な、あまりに限定的な。
日本人は「限定」に弱いが、
それとはつまり、無関係かもしれないが、
ただ日本人は自明の真理として、
内輪話で盛り上がるのが大好きである。
それが日本人だけの特権であるかどうかは知らんが。

2002.6.19(水) トルシエ涼子

同じクラスで同じ図書委員の女の子が僕に言う。

「ゾネ君のHPってなんか凄いんだよね?」

僕は現在のクラスでページの話題をしたことがない。
何故この子はそんなことを知っているのか?

「前田さん(写真屋さん)が言ってた」

前田写真館、そうそれは我が校お抱えの写真屋さんであり
前田さんとは何か行事があれば必ずその姿を表す桑田佳祐似のナイスなおっちゃんである。

その後の事情聴取に寄れば卒業アルバムの個人写真を撮らんとして
他の生徒よりも少し遅れて前田写真館の敷居を跨いだとき、

前田「きみ、307? 尾崎って奴居るでしょ?面白いだろ~、あいつ。」

開口一番そう言われた、などと供述している。
そこから何故かページの話にも発展したという。
そう言えば彼(前田氏)は僕が卒業アルバム個人写真撮影へ
てんとう虫コミックス『ドラえもん』を片手に臨戦したとき、
めちゃめちゃ大爆笑していた覚えがある。

そういえば他にも、何故か後輩のお母さんがこれを見ていたり、
廊下や劇場で見知らぬ人に「ジャッキー」と声をかけられたりと、
微妙なチメイドを誇るこのEntertainment Zoneですが、
その繁栄の裏側には幾つもの恥ずかし話…0点とか停学とか…が存在した事を、
僕たちは忘れてはならないのだ。





さて、恋の力はGreatである。
「偉大」ではなく、「凄まじい」のである。
奴等は何を考えて生きているのか、
まるで恋をするために生きているかのようだ。
時にそこには、独占欲だとか性欲だとかがほぼ無関係にそれが存在し、
僕をあさましがらせる。
僕はそんな物は存在しないと大見得切っていた一人であるから、
戸惑いを隠せず、
またグローバルな幸せを感じずには居られない。


人間的、余りに人間的。


しかし森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』に寄ると
人間の全ての行動が性欲からなるものだと言う哲学者も居るのである。
ところで太田光の『カラス』に
「鴎外だって6歳の頃にオナニーみたいなことをしていたのだと『ヰタ・セクスアリス』にちゃんと書いてある」
といった言葉が見られるが、嘘っぱちである、そんなことは書いていない。
『カラス』というのはその帯に「嘘(ボケ)だらけ」とあるように、
嘘で塗り固められたような書物である。が、
その中に「太田光」という個人的な真実を見出す事ができる貴重な書物でもあり、僕は評価している。


古典の授業で、先生は「もののあわれ」と言わせたかったらしいが、
当てられた生徒は答えられなかった。

「ひらがな六文字です。」

ヒントを与えたが、わからない。

「もしかして、頭文字が《ま》で始まりますか」

「う~ん、《ま》じゃないけど…」

そのときだ。

そこで、誰かが「ますだおかだ」と言った。


笑いをこらえることが、できなかった。


誰もが僕を奇異な目で見ていたようだ。
ちなみに僕はますだおかだが嫌いではないが、全く評価をしていない。
と、ますだおかだファンの女の子に言ったら、物凄い凹んでいたという話は前にしたかな。
やはり僕は女の子を泣かせるのがライフワークのようでございます。
最近は自分が本当にサディストなのではないかと疑い始めるほど。
いや、気持ちいいではないですか、

男、17にして性の目覚め。

2002.6.18(火) 緑の中を走り抜けてく真っ赤なトルシエ

明日からワールドカップの視聴率は鰻昇りに下がり続けることでしょう。
目が醒めたかなー?
みんなはサッカーに恋をしていたのかもしれない。
盲目的な突進と、突然の失恋。
それが自分に見合わない相手だって事くらい、わかりきっていたのに。
僕達の夏は終わった。
一夏の夢は、文字通りトルシエがトルコのトリコになって終わった。
中田(こ)が敵にパスしちゃったのが悪い。
お前なんか田中だ、田中。おい田中。
こら田中。
サントスが国民の期待を受けてヨントスまでパワーアップしたのはいいが
所詮レベル4程度の男だった。
だから外国人選手枠にはゴメス(Lv.5)を入れるべきだと言ったんだ。
ああ、岡野がコスタリカに帰化していなければ今ごろは…いや、過ぎたかおるだ、やめよう。
やはり日本イレブンはもっとスパイク(反則)しまくるべきだったのだ。
そう、わかりきってる。人のもの欲しがる悪い癖だね。
それでも僕は純粋で淫らな思いを腹に溜めてる。
何故だかサッカー熱を否定する輩はものすごく素敵な事が多い。
いやそうではなくて、素敵な人が否定するからそれなりに最もだと思うわけで。
パープーが「サッカーなんて…」とか言ってたらボコボコですが
人徳によりて「あの人は面白いね」とか「素敵だね」とかいう言葉に変わるわけで。
というわけで僕は逆に今日からサッカー熱を前面に押し出します。
来週トルシエの母校で行われる日本代表×コスタリカ審判団の因縁試合は
2-0で引き分けに終わる事でしょう。
チケットは再来週の土曜日から発売開始だそうなので
学校サボって電話かけまくりたいと思ってます。


裏切られても、放っとかれても、嘘吐かれても、
呑む・打つ・買うでも、仕事しなくても、道で寝てても、
電話はないし、手紙も来ないし、住所わからない、仕方がないわね、
まあいいか。
私の恋人。
いじわる抜きで優しく出ようが物で釣ろうが
「素敵だね」、ナンテお世辞を言っても、隣で寝ても、
キスしてくれても、可愛い目しても、抱いてくれても、
騙されないわよ、ねえちょっと。




こんばんわ、コス田リカですv

2002.6.17(月) いさく もこんう のとひ ないれき なんど

学校で使っている《国語便覧》の、川端康成の欄の、『伊豆の踊子』の説明文を読んだ。
ご丁寧なことだ。ラストシーンまでの粗筋を綺麗にまとめてあった。
文学作品というものは、「あらすじ」を知っていても何の意味もないのだという事がよくわかる。



手塚治虫が教科書に載ってないのはおかしいと思う。
チャップリンも載っていない。
でもビートルズを載せている世界史の教科書は存在するようだ。
いつか受験生達に
「手塚治虫、鉄腕アトム、手塚治虫、鉄腕アトム、…」
と参考書片手にブツブツ繰り返されるような日が来るのだろうか。
それはそれでなんだか、寂しい気もするのだけれど、非常に面白いのでよい。



やっぱベテランの授業は違いますな。
と、老教諭の講義を堪能していると、
なんだか教室の中がおかしな臭いで充満していた。
「教室サリン事件」か
「向陽カレー事件」か



どうも僕は
不必要な人間らしいという事が
明るみに出た
どうやら僕は
数学が出来ないという事が
泥濘の域に達してしまった



朝、登校してくると、
教育指導の厳しい先生が
拡声器でこう怒鳴った


おい尾崎

こないだの教生の授業で

キョウドがどうとか洒落た事いっとったな

あれなかなか良かったぞ


公衆の面前で
拡声器使って
何恥ずかしい事叫ぶアルか

そういえば
僕が停学くらったときに
非常に良い意味で僕を泣かせてくれた彼の優しさを
忘れる事ができない。
でも

公衆の面前で
拡声器使って
何恥ずかしい事叫ぶアルか

あ、なんか詩みたいになった

残酷と優しさはどう違うのだろう
僕のした事は単に
人を傷つけてしまったという
ただそれだけのことで
死ぬのをほんの少しだけ
早くしてしまったというだけのことで
それならば仮初めの幸せを
僕の心にも正直に
与えてあげても良かったんじゃないか
ねえ僕の友達
素敵なアドバイスをありがとう
だけどこいつが君の言う
「紳士」とかいう奴なのかい
「男らしさ」てな奴なのかい
背中で泣かせる風来坊か
人を泣かせるヒーローなんて
んなもん尊敬できますか
だけど確かに
気持ち良いんだと思うよ
最もサッパリとして
それで良いんだと思うよ
泣いてる僕の背中も
格好良い紳士なんだろうな
君にとっちゃね。
ねえ僕の友達
素敵なアドバイスをありがとう
彼女を泣かせたのは僕であり
「僕たち」かもしれないね。

2002.6.16(日) 水戸黄門ドリア

「英語の文章というのはですね、
 まず最初に《結論》があって、その理由を延々と説明した後に、もういっぺん《結論’》が来るんです。」

と、先生が言うので、

「へえ、それじゃあ、英語ってのはつまり、『ソナタ形式』なんだね」

と、隣に座っていた友達に呟いたが、
どうも理解されなかったようだ。




どうも僕は昨日あたりから「6月病」に伏していて
何ともだらだらっとしていたわけであります。
昨夜遅く、ある人から意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れてからというもの、
まさに僕は抜け殻であった。思春期にありがちなことであるが、
僕は悩んでいたのだ。
そう、「自分が何者かわからない」、という例のアレである。
ありがちにもありがち過ぎて、どうもくすぐったい感じがするのだが、
事実なのだから仕方がない。結局僕もいっぱしの苦学生であったのだ。


こういう時、やはり「誰かに打ち明ける」という行為が効果的である。と誰しもが言う。
そこで僕には頭に思い浮かぶ人が居た。
『頼りたくなる先輩』なんてのくらい、君らにも居る通り、僕にも居るのである。
けれども僕はそれを「最終兵器」としてとっておくことにした。
その人が居る、死にそうなら泣きつけばいい、などと思うと、
自然と力が湧いてくるというものである。
そこで何かといったら、
サザンオールスターズと爆笑問題が僕を救ってくれたのだ!


『いなせなロコモーション』だ『希望の轍』だ
取り戻してしまったのだった




なんと気持ち良いことだったろうか。
今日のようにサザンオールスターズを聴きながら爆笑問題を読んで
更に自転車で美瑛を走りながらシャトー・ブリアンを片手に愛する人を抱くとは。
幸せを感じずには居られない。


そう、僕はこの人を尊敬している。


太田光


だが現時点で、僕はこの人に勝てる要素を持ち合わせていない。
6年も前に出会って居ながら、僕はいったい何をやっていたのだろう。
中学の頃、「この人を超えるんだ」と躍起になっていた僕は何処に姿を眩ませていたのか。
藤子・F・不二雄と太田光と岡田淳は僕の人生に措ける指針のうちほぼ8割を創ったと言って良い。
あとの2割は兄たちだろうか。
とにかく太田光はでかい存在である。
今日も僕を「やるぞ」という気にさせた。


話を聞いてもらいたかった結果は
お互いを貪るだけに終始したように思う。
太田光代の『爆笑!夫婦問題』を読んでいて思ったが
これは将来への希望と不安だ。
はっきり言って、女性関係の面でも僕は太田光に勝っていない。
こう思う時点で、僕のそのような面は充実していない事がわかる。
充実しているなら、「この面では完全勝利!」と豪語できるはずだからである。

追記

「川原」と「太宰治」と「爆笑問題」と「サザンオールスターズ」が同居する空間なんてお前それ
俺んちに居ましたって言ってるよーなもんじゃねーか。
折角書いた日記消すような真似、したくねー。しねーし。今後もよろしく、ご近所さん。
ったく。これも爆笑問題効果だろうか?
原由子っていいよね。
というわけで本日のナンバーは




「そんなヒロシに騙されて」
  ~Otona ni Nareba Mix~

お前が好きだと
耳元で言った
そんなヒロシに騙され
渚にたたずむ

踊りが上手で
ウブなふりをした
そんなヒロシが得意な
エイトビートのダンス

泣いたりしたら
いけないかもね
ディスコティークは
夜通し熱い

だから一言ください
恋の行方は
誰かのこと思うと
すっかりメランコリー
だからお前は素敵さ
愛が消えてく横須賀に

小粋なリードで
私を誘った
あんな男が
今更許せるでしょうか

二人の仲は
永遠だもの
ジュークボックス
なり続けてる

だから彼氏に伝えて
口付けだけを待っている
胸の鼓動がはげしい
サイケな夏を横須賀で

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