2002年6月前半の行い(Jacky)

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2002.6.15(土) 従軍ジャイアン婦

8歳くらいの頃だったろうか。
父にこんなことを尋ねたことがある。
「ホトケ様ってなぁに?」
父は少し考えてこう言った。
「ホトケ様というのはね、もとは人間だったんだよ。」
僕は更に問いを重ねる。
「どうやったらなれるの?」
「ホトケ様に教えてもらうのさ。」
父は何年も前から考えていたかのように喋ったのだが、
僕は間髪を与えず、問い詰めた。
「その教えてくれるホトケ様ってのは、じゃあ誰に教わったの?」
父は言葉に詰まったが、すぐに切り返す。
「同じ事だよ。それよりも古~い、年上のホトケ様から教えてもらうんだから。」
それでも僕の《?》は尽きない。
「じゃあ最初のホトケ様には誰が教えるのさ?」
と言うと、
父は大真面目な顔で、
「さあねえ。空から降ったか、地からわいたか。」
とか言って、少しだけにやりと笑った。

「いや、そんな風に問い詰められて、どうにも答えられなくなったんだよ。
 将来はまんが家にでもなれば、成功するかもしれないな。」

と、他人に僕を紹介するときなどの常套句となったわけだ。







部屋を片付けてしまった。
僕が部屋を片付けるときというのはだいたい
誰かが部屋に来るときなんだけど
今回はそんな予定もないのに
不必要に綺麗にしてしまった。
何故なのだと考えたときに
腹立たしくなって
もう何がなんやらわからんくなって
とりあえず寝た。五時間後くらいに起きて、
そしたら不機嫌なのもなくなっていた。





赤色の影法師が壁、窓、一帯を覆う、夕暮。独り。目を覚ます。
首を2,3度だけひねると、物憂げに洗面所へと進む。
洗濯物の山に唾を吐きかける、どうせこれから洗うのだ。
鏡に対峙し起き抜けの顔を見つめ。
眉を撫で付け、幾つか言霊を呟いてみるのだった。
どうにもならない、聞く者など居ない。
目に見えるもの全てが、
まるで僕の頭の中のようで、
乱雑としている。
浮かぶイメージは雷鳴。
耳よりも身体を劈いて欲しいと感じつつも、僕は洗面所に身を投げる。
柔らかな洗濯物に包まれて、朝までぐっすりと眠るわけなのだが、
自分の下着が涎まみれになっているのを見て、
なんとかその日も頑張ろうと思うことが出来たのだった。


そう、今日はジャイアンの誕生日なのだ――。
2002.6.14(金) ベッ・カム・トゥルー

今日はベッカムに始まりベッカムに終わった一日でした。






まず、朝のワイドショー。
めざましテレビを見ていたら…











第一ベッカム発見!


昔のベッカムはファッションセンスが悪かったらしい!















自転車で学校へ行く途中。
交差点で信号待ちをしていたら…











第二ベッカム発見!


やはりあの髪型は大流行中の模様である!















学校へ行き、休み時間。
何気なく廊下を闊歩す人の群れを眺めていたら…











第三ベッカム発見!


流行は我が校の生徒たちにも飛び火していたのだ!















教室にて、乗り物研究同好会所有の小型テレビをみんなで囲って
日本×チュニジアを見ていたら…











第四ベッカム発見!(戸田)


頑張れニッポンのベッカム!















そして家に帰り、
「久々にファミコンでもやるかー」と思い立ち、
ソフトの群れを眺めていたら…
















第五ベッカム発見!
2002.6.13(木) 若いうちは、やりたい子と、何でもできるのさ。

世知辛い世の中になってまいりました、こうなりますと様々のことにも敏感になって参ります…
今日はそんな感じのお話を紹介いたします。


世界史の授業で教育実習生さんががんばっていらっしゃいます。
それはそうとロンブーの田村亮はつっこみがヘタです。面白い要素一つもなし!うん。
で、今日は「研究授業」とか言って、実習生の授業を他の先生が見学にいらっしゃる授業です。
その中に我がクラスで大人気の社会科教師さんの姿も見られました。
授業の進度は遅いけれどもその内容たるや言葉で言い表せないほど魅力的なのです。
ちなみにその先生の口癖は「何かといったら~~(である)。」で、
授業中に多い時は数百回連発します。

「えーいいかな、このルイ14世というのは、何かと言ったらもう戦争が大好きでさぁ、何かと言ったらよーく戦争やっとったんだわ、で何かと言ったらこの事が何かと言ったら国民を苦しめます。それともう一つ何かと言ったら国民の不満を募らせたのが、何かと言ったらこれを《ナント勅令の廃止》と言います。そして何かと言ったら…」

この先生の授業進度が遅いのは授業で発せられる言葉の
約40%を占める「何かと言ったら」に起因すると思えてなりません。


さて、こんな愉快な先生を教室の後ろに配置させまして、
そうなると皆さんテンションが上がりましてですね、どうにも浮き足立ってしまって仕方がない。
更にプロフェッショナルの監視のもとに緊張しまくっている教壇初体験の若者とは裏腹に、
生徒たちは皆、実習生の授業を完璧になめくさっているので、
おのずから私語なども増えてくるし、授業内容への突っ込みも冴えてくると言うものです。

教育実習生A「えーそれでこの『万里の長城』というのは、北方民族である《匈奴(きょうど)》の侵入を防ぐための産物でしたが、現在のような形になったのは明の時代のことで、当時は簡単な土塁で作られていました…。」

Jacky「そりゃあ、キョウド的に心配ですね。」

教育実習生A「え…。」

Jacky「いや、なんでもないです。」

教育実習生A「(困)…。えと、…えーっと、でも土塁なんかでも騎馬民族である匈奴(きょうど)の侵入を防ぐには事足りたんですよ。さて、どうしてこんな簡単な土塁で済んだのでしょうか、えーと、じゃあ竹添くん(仮)はなぜだと思いますか。」

竹添(仮)「…キョウドが弱いから。」

Jacky「…うまい。」

教育実習生A「…いや、実はですね、馬が飛び越えられない程度のもので良かったからなんですよ(めちゃ普通)



さてその時です。
和気あいあい(?)と授業を繰り広げる僕らでしたが、
突然思いもよらぬ謎の事件(?)に遭遇します!







どごおおおおおおおおおぉぉん。







どこからともなく、
バズーカをぶっ放したかのようなどでかい破壊音が聞こえました。
これは我が市立向陽高校七不思議として語り継がれそうなほどの意味不明な事件ですが、
生徒たちはもうダイコンランなわけですよ、ドサクサ妖精も舞いを舞う程です。
謎が謎のままですと不安を呼びますから、
生徒たちはもう好き勝手に理由づけようとします。



「なんだ今の音は?」


銃声か!?」


「ゴルゴ14か!」


「13だろ」


なだれだーーーーーーー!!!」


「東海大地震がどっかその辺で起こったに違いない」



「なに言ってんだ、ただの鳥だって」




「飛行機だろ」





「いや匈奴が攻めてきたんだ!!」









「フーリガンだ、フーリガン!」




















「誰のだ!」









さてそんなこんなで研究授業もうやむやのままに終了し、
現代文の授業。
森鴎外の『舞姫』。

「主人公はここですっごい無気力になっちゃってるわけなんだけど、
 こんな気分になるのって例えばどんなときかな?じゃあ…○○さん。」


「えと…」


「どんなとき?」


「誰かが死んだとき」


…《フリ》のほう使っちゃったよ。
やるなこやつ。




「う~ん、それってつまり、悲しいときかだよね。」




先生あんたも結構やるな。
それはそうとロンブーの田村淳はそれなりにちょっと面白いからくやしい。

2002.6.12(水) 今日のうんこ~まきぐそちゃん オス 2さい~

先輩ってのはねえ
きっと
後輩に愚痴られたり
頼られたり
相談されたりするのが
一番嬉しいんだよ。


かといってそこで
「あー迷惑だから」と言って
ひいてしまうと
ストレス、たまっちゃいますからね!
今、ここにある尾崎を存分に利用しておかないと。
有名になりそうな友達からは
事前にサインを貰っておくのがセオリーだし
もうすぐ死にそうなじいちゃんには今のうちに一目会っておきたいと思うものだ。
孝行したいときに親は無しという言葉がしっくり来る。




思うに、
食べ物のすき・きらいのうち「きらい」というのは、
単純に「まずい」ってことじゃないのか。
まずいもんをまずいって言って何が悪いのか。
カレー嫌いとかラーメン嫌いとか
それはきっと「まずい」ってことはありえないと思うけど
そりゃあ単に趣味の問題だと思うけど
「ピーマン」ってなんなんだ。たとえば。
仮にピーマンがめちゃくちゃまずいとしよう。
何で喰うんだ。
栄養あるからか。
まずいのにか。
みんな我慢してるのか。
ペイシャンスか。
「一人トランプ」か。
辞書でpatienceを引いてみろってんだ。
栄養があれば黒でも白になるのか。
誰だ最初に食った奴
栄養あるかどうかなんて
知らなかっただろお前ら
つよがりやがって…。



僕の人生はどうやら
挫折が一度も無かったと考えられてるらしい。
そういう奴はとりあえず視野狭窄、思い込み甚だしく、恥知らずで、妬み深い。
それに関してはたぶん真実に最も近い事実を僕は知っているから、なんとでも言えるんだけど、
ばぁか。


カーン。
何度となくこんな下らない日記をつけるのをやめようかと思った。
でも怖くて怖くて
やめられない。
これはある種の依存症。
恐らくは
そんなに面白くない
文章が続くだろうに。
どうして僕は、カタカタカタカタ打ってんだろう。
問1 僕は何が「怖い」のか


とある事に費やす時間を削ったら、
それだけ分時間が余った。
当たり前だね。
2002.6.11(火) 雨天ノンストップうんこ

下ネタってさ。
誰が見ても不快なんだよね。
下ネタを笑いに繋げるためには
「共有」がなくてはならない。
ような気がする。




「わたしの○○はでかい」

こんなこと聞くのは不快である!
しかし聞き手がその実物を見たことがあるならば、
それは笑いに繋がる可能性を帯びている。




「天はニ物を与えず」
がしかし、
「天はイチモツを与える」
世の中はとかく不公平なものである。






実に、「日記」というのは普通(Webであれどうであれ)
筆者の精神状態を色濃く投影するものだ。
だから、この日記の背景が真っ白なのは、
僕の生活や精神を正確に投影するために四角く切り取られた映画のような《スクリーン》を意識しているのだ―
と、思いついた、今。本当はめんどくさかったからです。




思うのは、
僕って塾とか通ったら絶対、どうしようもないほど成績上がるんだろーなー。
と、学校の授業の最中に。
ただ、腐っても僕はジャッキーですから、「塾とか行かないで、東大」これがスローガン。



自分の在り方なんて自覚できるはずがない、
仲の良い女の子に、
「あんた普段、仮面かぶってるでしょ!」と言われた。
その時頭に浮かんだのは混沌だとかカオスだとかいう言葉で、
仮面と本性はメルティングポットの中だ…とかいう言葉がなんとなくしっくり来たので、
そう言い返してやったら、
「納得しちゃった、悔しい」とこう来る。
なかなかに、気持ちの悪くない会話だったと思うが、
彼女の曰く、
「毒吐いてる時のが、らしくていいよ」と。
嬉しいのだが、
その娘はますだおかだが好きで、

「ますだって、堂本剛に似てるよねー」

と口走ったら、
物凄い怒られた。怒られたので、更にますだおかだの欠点を指摘しまくってやったら、物凄いすねられた。
そういうのが「らしい」のだろうか。じゃあ今日はちょっと毒吐いてみよう。
いや僕は絶対あのリアクションと表情の使い方が堂本剛系だと思うのさ。
たぶん誰も同意してくれないだろうけど。
奴らの最大の欠点は外見的要素が強いと思うので、勿体無い
とはいってもネタは確かに「笑える」が個性と深みに欠けるという点で、僕は評価していません。
ますだおかだはキャリア長いのに今ごろ(といっても数年経つが)になって出てきたという事は、
「アイドルお笑い化現象」の証明になるのではないか。とかなり思う。
芸暦は無駄に長いくせに出てこなかったということは、見向きもされなかったということで、
何故最近出てきたのかというと、芸人にとってルックスというものの重要性が増したから。
これがますだおかだに本当に当てはまるのかどうかは知らんが、
全体的に、そういう傾向は間違いなくある。
爆笑オンエアバトルは審査員がどうかと思うので最近あんまり見なくなっちゃったけど、
あの番組に出てる人を例に挙げるならば、

ラーメンズ
パペットマペット
鉄拳
いつもここから
長井秀和
テツandトモ

らへんは僕は評価する。(たとえばね。他にも居るよそりゃあ)
面白い、面白くないは別として、
とりあえず個性だけはある。
この場合「個性」というのは「芸風」という見せ掛けだけのもので、
実際、「ネタ」自体に「個性」があるのかどうかはこれから露呈していくことと思うが、
姿勢としては嫌いじゃない。むしろ良い。

「普通」の漫才、「普通」のコント、上の下のルックス。そして実力は中の上。こんな若手が増えすぎている。
オタクの女を笑わせるだけなら、それで十分なのだが、
僕はあまり好きじゃない。
たぶん残ってもいかない。
はっきり言って大木こだま・ひびきなんてネタは面白いとこ一つもないけど、
こだまはんのキャラだけでおなかいっぱい笑える。ああいうのはいい。
「キャラクター」としての「個性」は最高峰に位置付けられると思うのだ、
なんでもいいから「そういうの」がないと、つまらん芸人は絶対にやっていけない。
本当に実力があればそんなもん要らないのかもしれないが…
例えばわかりやすすぎて例に出すのは癪だけど
ダウンタウンなんてのは「ダウンタウン」という「個性」を確立してしまっているでしょう。
ああいうのは素晴らしい、「実力」があればそれがイコール「個性」に繋がる。
結局、今の若手には実力が本当にない。
だから鉄拳が売れる。テツトモがもてはやされる。と僕はそう思う。
誰か居ないかな。遅咲きの若手と呼ばれた爆笑問題ももう若手じゃないような気がするし。
今となっては、「実力派の若手芸人」なんて死語になりつつある。生きた死語だよ。
どっかで使われてはいると思うけど、実際そういわれてる奴に本当に実力があるか、
そりゃあ客のみぞ知るところだけど、やっぱ僕は否定したいなあ。
期待はずっとしてる。長い間ずーっと。
だけど僕が注目するのは「特殊芸風」ばかりで、
本当にコレだ!と思えるのはない。
ある意味そう思えるのはラーメンズだけ(笑)
特殊芸風の中でも幅が広くて、「ラーメンズ」というジャンルでカテゴライズできそうな気がする。
だけど「今後の平成を担う大芸人」としては…
候補すら挙げられないのが現状であります。
憂鬱。
将来の僕の舌が腐りきっていないのなら、
僕は何を見て爆笑をすればいいのでしょうか?
2002.6.10(月) 世界の射精から。

今日はポーランド、リスボンからの射精を、お届けします。










しゃらくせい。メラゾーマ。

校内写生大会。
口内射精大会。




たたかう
にげる
しゃせい
どうぐ



もののふはしゃせいをした!

いくいなのHPがかいふくした!







精を射つと書いて、射精。
動物に例えるなら、

セイウチ。


猿がオナニーを覚えると
一日中そればっかして働かない。
さて。

セイウチ。


セイウチとかって
オナニーできるんかしらん。
できるよね。
だってセイウチだもん。
海象だもんね。




いや大丈夫!
免疫できてるはずだって、みんな。
だって「オナニーマシーン」っていうアーティスト、居るじゃん。
しかもモンパチの次くらいに売れてるじゃん。
怖がらなくてもいいさ。



何故こんなことを僕は。
早稲田から来た教育実習生が貸してくれたワセ本で
風俗の特集が組まれてて
さかさ(興味をそそら)れたから。
キスだらけの天使。
合格したら行かなくては。いや高いから行かない。
いくら学割がきくとはいえ。




アツアツに語るのだった、その教育実習生は。
「やべえよ、まじ狙い目だって。お前もう早稲田しか受けんな」

はーい。
その人は僕のことをなぜか
「ジャック」と読んでいた。
改名しようかしら。なんて、ヨタサブローじゃあるまいし。


いや色々とありがとうございます>教育実習生サマ


















、彼氏をして精を射たせしむ
使





2002.6.9(日) 受験生青ス

贅肉ばかりなんで
動きにくい。
空から肉が降ってきて
目の中に入ったり
出入り口を塞いだりして
厄介
そんな感じなので
もう、できることなら
僕を邪魔するもの
例えば僕に深く考えさせるようなものは
消えてなくなって欲しい
だから極力僕も贅肉を
殺ぎ落とす努力をしようかな。
2002.6.9(日) 必殺、ゴーバンクラプト!

もうごめんだ

嫉妬や

自信喪失や

忘れたいと思うこと

溺れてしまうこと

自己を見つめなおすこと

サヨナラ

もうごめんだ

妬むこと

嫉むこと

自信を失うこと

忘却や

溺死や

回顧や

憧れや

くちびるや

できごころや

恋人や

友達や

別れや

台風や

裏切りや

欲望や

言い逃れや

わいせつや

ぼろもうけの罠や

バリヤーと

半径1メートルに張り巡らされた

そこから中に入ってきた

どうなっても知らない

惚れようが 恨もうが 妬もうが

責任は

適当。フーリガンのせいにでもしてくれ。

2002.6.8(土) 唄京子

金銭的な理由から僕の東京進出計画に翳りが出てきました。
東京私大一人暮らしは金がかかる。


「ねえ、母さん。」


僕は目の前に置かれた一杯のコーヒー牛乳を見て、こう言う。


「僕が大学に進学するためには、こういうところから始めるべきだと思うんだな。」


僕はコップを逆さにして、コーヒー牛乳をぶちまけた。(牛乳パックの中に)


「あんた、」


母は言う。


「そんな事したって、生活の余裕は変わらないよ。」


「いや、結構こんなことの積み重ねだと思うんだよね。エピクロス派の哲学って知ってる?」


「知らない。」


「エピキュリアンっていう英語は、快楽主義者っていう意味になっちゃってるんだけどね、
 もともとは…」


僕は世界史の授業で仕入れた「エピクロスさん」の思想を100年前から知ってることのように披露した。


お母さんは笑っていた。


「だから例えば、一円玉を拾っただけで幸福を感じるべきなんだよ。」


「一円玉ったって、一枚足りないだけで、買い物ができない時だってあるんだよ。」


そう。だがしかし、十円玉を拾っていれば、お釣りが出る。
その時にただ満足するのか、
はたまた銅や銀の硬貨を想像するか、
或いは紙幣を思い浮かべるのか、ということにより、
それらは定まってくるのだ、と思う。
エピクロスは偉大だ。





酔っ払った父が珍しく学校の話をした。
うちの父ちゃんは高校教師(化学)である。
父と母と僕と、「同一労働・同一賃金制」の話題から「共産主義」の話に移行し、
僕が「つまらん教師とおもろい教師だったら同じ給料は反則だね」と口にしたところ、
父は「おれは面白い先生だもん。」と言う。
曰く、彼の授業はこんな感じらしい。



生徒「先生!」


父「ハイ!(片手をななめ上に挙げる)」←《宣誓》のつもりらしい


生徒「なにやってんの?」


父「じゃあ、両手だ!(両手を前にそろえて伸ばす)」←「じゃあ」ってなんだ。


生徒「キョンシーみたいだよ。」


父「キョーシだもん。」



「―こういうのを間髪入れずに切り返すと、相手が《負けた》って顔をする。…それがいいんだ」
と、父は語る。

「こないだなあ、『これを調べると…ちなみにパラグアイのキーパーはチラベルトだが、これを調べると…』って言ったけど、もう教室中シーンとして、でも一人だけニタァーっとしてるんだな…そういうのもいい。」
と言う。
そりゃタダの(まさに)親父ギャグじゃないっすか。親父だけに。


でもたぶんうちのお父さんはすっげぇ人気のある先生なんだろう。
「先生、年いくつ?」とか言われるらしい。
たぶん50近いおっさんが化学の授業で突然爆笑オンエアバトルの話をして、終いには
「もっとみんな、ラーメンズみたいなのを見て、笑いの感性を磨くべきだ」
とまで言ってしまう光景というのは、なかなか見られるものではないと思う。



彼は僕が物心ついた時からずーっと同じ、とある工業高校に勤務していて、
進学校でもなんでもないからたぶん結構肩の力を抜いた授業ができるんだろうな…
と思うと、多少羨ましくもある。
僕に似て(笑)、すっげぇ馬鹿だもんで、
きっと人気があるんだろう、あんな大人は、カッコイイと思う。





「高校生のための演劇教室」
久々に演劇部的活動だ。う~ん、楽しい。
高校生がMCをしていると、僕はたいてい苛立ちを覚える。
以前に高校生主体のとあるでっかいイベントに足を運んだとき、
ゾマホンを相手にした司会の男子高校生が下手糞で、ゾマホンが気の毒に見えたことがある。
ってかなんか、こっちがゾマホンに悪い気がした。下手なMCでごめん、ゾマホン。

今回も、「とある」有名な劇団(B級遊撃隊)の偉いさん方を相手にしたインタビュウで、
高校演劇部員が司会を担当していたが、
僕は不満であった。
「どーして僕を呼ばないのか!」
とまで言ったら、「あーまたジャッキーさん目立ちたい根性丸出しで」とか言われそうなのでやめるが
とりあえず別に司会の人が悪いわけじゃなくて
文句あるわけでもなくて
なんかこっちが劇団の方々に悪い気がするんだなー。
どーも居たたまれない気持ちになることもあって
あの雰囲気は好きじゃない。
トークスキルのある奴は居ないのかと。
普段、ボケと突っ込みを欠かさない演劇部員がMC下手なのは、
それはずばり、ふだん内輪だけで盛り上がるからだ。
一般受けする会話の方程式を知らない。
というより、ネタとオタクとやおい以外の会話を知らないのだ。(偏見)
言葉をうまく繋いでみるとか、会話のリズムをつくるとか、そういう事は一切無し。
何より客への配慮ができない!(これらは全て、僕にも当て嵌まる…だからこそそれに気付く)
そりゃ仕方ない風潮よ。「演劇部員は…」というより、「日本人は…」と言ったほうが良いかもしれないが、
僕は同い年でトークスキルに於いて尊敬できる友達を知っているし、
タモリも知っていれば、踊る!さんま御殿を見たことがあるのだ。

まあ、難しいもんだからね。喋るのって。
僕も苦手だ。アドリブで喋るのは嫌いじゃないけど、自分より高位(だと僕が思っている)な人の前では、
萎縮して、恥ずかしくって、何にもできない。
(それは悔しいかな一晩中彼のラジオを聞いていたあの夜に証明されてしまった)
たぶんもしも明日僕が「とある」佃典彦の前に出されたら、
ここまでの文章を削除しなければならないだろう。恥ずかしくて。

まあとにかく結論。
「がんばってね。」
会話は全ての基本です。
そして、
客を眠らせるような司会進行は、してはならない。
2002.6.8(土) Re:Re:Re:No:Re:

カリスマは恐ろしい。
カリスマ性ほど恐ろしいものはない。
カリスマの発する言葉はそれを崇拝するものにとって
絶対的な意味を帯びる。
カリスマは自己表現するべきではないのかもしれない。
小林よしのりなんかいい例で
彼が必ずしも正しいとは決められないのに
『ゴー宣』を読む被カリスマ要員たちの殆どは小林朝廷の忠実な信仰者になるわけだ。
それはともすれば使い古しの千円札で言うと「主体性がない」ということかもしれない。
僕も様々な文章を読んで
それらを信じ込み
自分に当て嵌めてみてドキッとする。
例えば受験生というのは危険なもので
有名予備校講師の参考書に書いてあることは全て真実、これやりゃ勝てると思い込む。
同じようなもので、人生の成功者(だと読み手が勝手に思っている人間)の言葉は全てが正しい、
「こうすりゃ勝てる」と思い込む、これが危険なとこなんだ。
僕も大好きで、すげぇと勝手に思ってる、
影響だって受けてきてる。
そんな人の言ったりやったりすることや文責から、
「やべえ」と思ったりすることは多い。
そういうことは偏った人間をつくるのだろうか?
「尊敬すべき人」を本当に正しく選ぶというのは無理なのに、
つまり誰が正しい、何が正しい…そもそも正しいものなど本人にしかないというのに、
そういう危険性があるということは、
どうも虚しさを感じずには居られない。

あるとき、ふとした瞬間に、「尊敬すべき人」だと勝手に思い込んでしまった、
或いは「凄い人だな」と信じ込んでしまった、そういう相手を
僕は信じ込んでついて行こうとしてしまう。
そしてその解釈が間違っていたと自覚することは自分の眼をへぼいと言うことなので
なかなかそうしようとはせず、半ば盲目的に「カリスマ」についていくことになるのだ。僕は。
すると僕の人生というのは、恐ろしい事にそのカリスマさんに左右されるという結果になりがちである。
えらい人の文章を読んで感銘を受けるとき、僕は時々「待てよ」と思う。…本当にいいのか?

尊敬する人の、例えば文章なんかだと、
自分は尊敬する人に嫌われたくない、
或いは尊敬する人の嫌うことは自分には不必要、むしろ排斥すべきものであるので、
尊敬する人の否定するようなことに自分が当て嵌まってしまっているのは、人生の失敗を意味する。
だから尊敬する人の文章を読むとき、否定するもの、肯定するものを常に自分に当て嵌めようとして、
そうして自信を失ったり、またつけていったりもするものだ。
これは危険だ。
1億人がビートたけしの崇拝者でビートたけしが「男が嫌い」と言ったらどうだろう。
男は死ぬか、性転換するしかないのだろうか?…恐らく、それをするものはそうは居まい。
実行できないのだ。
だから《主》に見放された崇拝者は、ただただへこむしかないのだ。自信喪失だ。
今の僕のような状態だ。

だがしかし、《主》の言わんとすることというのは
信者達が自分勝手に解釈しているという事がかなりあって、(これはキリスト教とまったく同じ)
実は《主》はそんなこと一言も言ってないのに、
信者たちが勝手にへこんだり、自殺したり、性転換したり、また一喜一憂したりするのである。
これは文学、特に詩なんかと一緒。ファンが勝手に解釈する。まあそれは趣があって良い。

「ってか自意識過剰なんだよ。誰もお前のことなんか言ってないっつーの。」
そんな《神》の声が僕にも聞こえてきそうで、顔を赤らめる。

だからまあ、それに気付けば悲観する事もなく、
自分勝手に解釈すればいいんだ、と開き直る事もできる。「へっ、別に俺のことじゃねーし」
自分勝手に解釈するなら、マイナス方面にもプラス方面にも受け取り方は自由自在。
ただ、それだと人間は堕落するってだけで、
全てプラスに変換したときの気持ち良さはえも知れないものだろう。
本当は、「カリスマ」を問い詰めて、意とする本当のところを聞き出すのが真実だろう。
だがしかし、自分の人生が一部の他の人間に左右されるという事実は、変わることがない。
何がいいのだろう。
いったいどうすることが、
「自分の信じた道を行く」ということになるのだろう。


「自分の信じた人についていく」ことであろうか?
(それは受動的ではないのだろうか、受動的ではいけないのだろうか)

「自分の信じた行動を誰の目も気にせず好き勝手に取る」ことであろうか?
(それは自分の本当の理想に反しているのではないだろうか)


どちらも当て嵌まるような気がする。真実はいつもひとつ。僕はいつまで悩みつづけるのでしょう?
現代文の先生ならば、こいつをどなもん処理するか!?
2002.6.7(金) はらたかしさんに3000点!

《世界で2番目に好きだと話そう》

とは野島伸司の筆ですが、
僕はこのフレーズを見てはじめに「なんて微妙な」と思ったんですが、
かーなり売れましたね、らいおんハート。
しかもかーなり詞の評価が高い。
これを「微妙だ」と思うということは、
つまり僕の中で「奥さん<子ども」の方程式が既に成り立ち、
将来は親バカになってしまうような可能性を大いに孕む、というわけさ。きっと。


関連して、
珍しく最新の時事ネタですが、
出生率が過去最低の1.33人ですって。
少子化ですねえ。
まあ確かに
子どもって
微妙だ。
めんどいじゃん。
若者の怠惰化が顕著なこのご時世。
そりゃ出生率も下がります。

岡林信康の曲で、子どもの数なんてのは
「決めるのは給料で二人じゃない」
なんてフレーズがありますが、
そう考えると、不況の煽りを少なからずも受けているのは
この1.33という数字なのではないかと思う。
「そう考えると」ね。
僕が「そう考えている」かどうかは別として。




数学の授業中に隣の隣の隣の隣の後ろの席くらいの女の子とメールしてました。
長い長~いやり取りの末、最終的に「負けました」と言わせたのは僕。
ふっ。
でも結構、なかなか偏差値の高い(?)会話ができる女友達というのは、貴重です。


「(○○くんが、)たかやはおれのだ、っていってるよ。」

「いやおれのだ、っていっといて。」

「いや私のだ。」

「いや竹添のだ。」

「じゃあ身をひきます!」

「いや竹添はきみにあげるよ…涙を呑んで。ついでに小山も。」

「どっちもいらんたい。わたしは仕事を選んで生きていくよ。涙を呑んで。」

「そんなんだったら尾崎をあげます。涙を吐いて。」

と、ここでテストが返ってくる。

「数学38てんでもぼくをみすてないでください」

「みすてませんよ。だからなかないの。」

「フエーン(泣き声)」

届いた瞬間、相手の女の子爆笑(この「間」が楽しい)

「めそめそ。めそめそ。」

「おーいおいおいおいおい」

「はーい。なにか?」

「きたろう。…最近見ないね。」

「げげげだからね。しょうがない。おとーさんコンタクトにしたらしいよ。」

「めがねだと思ってた!」
2002.6.6(木) 絵に描いたモチベーション

吐き気がするだろ。
みんな嫌いだろ。



テストで高得点を弾き出す事の快感。
思い出してきたよ。
中学の頃なんかは、80点台とかだと軽くへこんでましたわ。
70点台はこの世の終わりを意味していたし、
60点台のテストは恥ずかしくて他人に見せられません。まあ、ほとんど取らなかったけど。
ごめんなさい嘘です。
中2の時、確か英語で10点台とかマークしてました。
中3までBe動詞って何のことか知りませんでした。
数学は50~60点が常でした。
他の教科も全然勉強せえへんもんでぼろぼろでしたわー。
内申点もオール3以下だったり。
「興味・関心・態度」の欄が体育を除いて全てCだったり。
そんなアタシが
今ではそこそこの大学などを目指して勉学に励んでいるというのだから
驚きです。
頑張ってます。
それなりに
過去の栄光を取り戻しつつあるんで。
英社なら9割は余裕ですが国語がやばくて数学理科は眼中にない感じ(つまりよろしくない)。
まあしかしうちのクラスには
恐らくは「近いから」(徒歩圏)という理由で入学してきた
絶対に勝てない
どこの大学でも入れるだろー
ってかまじで
こんな高校くるなよー
とか思えるような
成績の非常によろしい女の子がいらっしゃるんですが、
その子のせい(?)で、
僕はそれなりに頑張ったというのに、
どうしても1番が取れません。
狙ってたわけでもないけど。
1点差とかだと微妙に悔しかったり。

…と、
ここまで軽い自慢話で引っ張ってきて本題は何かというと、
《頭のよろしい女の子はやけにかわいい》、ということ。

何故だろう。
いやなんかかわいい。
ただ、間違えちゃいけないのは、
頭のいい女の子には二種類あって、
かわいい子と、そうでない子がいる。

かわいい子はもう徹底的にかわいいんだけど、
そうでない子はもう徹底的にそうでないです。

どこで見分けるのかと言うと、
そりゃあかわいいかそうでないかくらい見た瞬間にわかりますわな。
けどたぶん「パッと見秀才に見えるか否か」でしょうか。
見るからに「こいつは鉛筆でご飯を食べている」とか「トイレットペーパーは数式で埋めてから使う」とか
自然に思えてしまうような子はだいたい後者であります。
そういう子は頭の中身もけっこう固かったりするんですね、不思議と。

で、かわいい子というのは、
「パッと見そこまで秀才に見えないが言われてみれば天才のオーラを発している」のである。
それは別に顔がどうとか言うわけじゃなくて
発しているオーラが天才型だから魅力的に映ってしまうのね、きっと。
つまり「かわいく《見える》」ってことなんだけど
何がそういうオーラなのかというと、
きっと余裕ですわ。
ゆったりとした物腰ですわ。
僕が吉永小百合大好きなのはそういう理由からかな。
同じ大学でも似たような職業でも、広末涼子とはどことなく、ってか全然違うもん。

成績良い→頭良いは当て嵌まらないけど
頭良い→頑張れば成績良いは確実に当て嵌まります。
前者の場合…つまり、成績だけは良いけど頭が悪い人の場合は、
だいたい魅力がないです。クダラナイ人が多いです。
後者の場合は、結構魅力的な人間が多い。当たり前だね。

また、成績悪いけど、どうしても魅力的で仕方のない人間ってのは僕の周りにはいる。
そういう奴はもう別格!成績とかそういうレベルじゃない、
「頭の良さ」とかじゃなくてもう、「頭のつくり」の種類が違って、それがまったく魅力的なんだな。
思考回路とでも言おうか。それが素晴らしいのさ。
勉強向けの頭じゃないってこと。それでいて素晴らしい、魅力的な頭ってこと。
そこへもってきて、
勉強向けの頭なのに、パッとしない、これこそ最も恥ずべき事じゃないかな、と思われる。
ちょっと吉田兼好みたいなやや毒舌な調子になって参りましたが(笑)
そんな感じのことを日々、思う。
一番言いたいのはココで、つまり
「頭の良さ」というのは「魅力的な脳味噌」のひとつの種類でしかなくて、
でもそれがいま、世の中の中枢を占めているということ。
そういう世の中に
ドロップキックしたい、っていうことよ。
2002.6.5(水) 来襲のサザエさん

詩を書く人、というのは、
きっと思考回路が「それ用」にできていて
物事を考えるときに常に「そういうふうに」構築していくのだと思っている。
たぶんそう。
僕はそんな感じの様子を想像することができる。
しかし僕は、「そんな感じに」考えることができない。
悔しいな。
僕の脳味噌は「それっぽく」できてないんだ。
だけど一時期、僕が、詩を書く、という行為にはまっていたときには、
少しだけ、頭の中身が「それらしく」なっていた、と、思うんだけど。
やっぱり世は無常、ってことはもちろん、頭の中も千変万化。
裏を返せば、いや、…逆に言うと、でもないな、
実際は、…うん、これだ。実際は、たぶん変化しているのは世の中ではなくて、
頭の中だけだと思うんだけど。
つまり僕の頭は、ってかみんなの頭は、
変えようとして変えられなくても、
変わることはできる、というか変わっていくものなのだろうし、
変えようとしてみること自体は、そんなもん人の勝手なんだろーなーと思う。
なんで、僕は今のスタイルを続けていく事にしよ。
このことを頭にとめておけば、何も怖いことはないし、
それにたぶん、こういう考え方もそのうちに消えてなくなるんでしょ。
なんちゅうか。




図書委員としてね。元図書委員長として
(…なんかこの肩書き、凄いようでへぼいような気がするのは気のせい?)
(「元」のせいかしらん?)
(ああ、でもこういう時は「前」って言うんだろうなあ。)
(総理大臣とかでもさ。)
本屋さんに行って、学校に入れる本を買い漁ってきました。
好きなだけ(15万円ぶんくらい)本を買っていいぞと。
そういう企画ってか毎年の恒例行事なんですよ。
「何でも好きな本を買っていい」…
なんて甘美な!なんて荘厳な!(響きであることか)
まず目を引いたのは、

『藤子不二雄論』

…。
30秒ほど手にとって見つめた後、
棚に戻しました。
おいらも大人になったもんだ。


というわけで、
まあスタンダードな本を選んできましたよ。
あ、別に僕ひとりじゃなくて、他の図書委員がひい、ふう、…まあ10名弱ですか。



筒井康隆の自選短編集とか、橋本治の徒然草とか、やや趣味に走っていた部分もありましたが、
ま、普通の本。

タイトルにひかれて買ってしまったのが、
村上龍の『タナトス』
アズユーノウ、
「DOLL」という曲の作曲者は《THANATOS》って言うんですね。


そういえば
世界史の先生が一緒に行ったんだけど

「あ、これ持ってないわ」

と言って、
手塚治虫の『ミッドナイト』を買っていました。
はい。
学校の金で。

まあ、『ミッドナイト』は面白いから許しましょう。


そしてその世界史の先生(今年で定年)はまたこうも言っていた…


「どうしてお前ら、『ヒカルの碁』には目もくれんのだ!」


と、語気を強めて。

ああ、
好きなんすかー
ってか読むんすかー
もう60歳ですのにー

ってかなんでちょっと怒ってるんすかー

だってそんな、図書館にひかごて。いやべつにいいけど、
だったら『藤子不二雄論』も入れますよ。

うん、ひかご。
ひかご…
連想ゲームの要領で
部活の先輩の顔が出てくるわけですわ!




おまわりさん、
あんたが真面目に
働けば
働いただけ



世の中悪くなる


どんどん悪くなる




…気がする。



あんたのやってることはまるで
汲み取り式の便所の仕組みをそのままにしておいて
出てくる蝿を一生懸命追い掛け回してるようなもの。
そりゃそうだろう。


甘い、甘~い、汁を吸うには、
世の中変わっちゃ都合が悪い。





お祭りに行ってきたよ。
色々なことを考えたよ。

「ゆかた最高!」とか


いやホント、ゆかたはいいですわ。
どんどん着てください、じゃんじゃん。
ゆかたはきものと同じだ!


下着着用不可。(基本だね)



いや別にそんなことばっかり考えてたわけじゃないさ。
僕がいっつも、…恐らくは生涯の命題として、考えているのは、
「馬鹿な奴は何を考えて生きているのか」ということ。

例えば僕はいっつも色々と、ごくごくクダラナイことを考えます。
そんな時、ふと我に返るといっつも思う。

はて。

世の中の人々は、
いったい何を考えて生きているんだろう。


花より団子、とはよく言ったものでさ。
「団子」ってぇのは「食いもん」ってことだけじゃなくて、
やっぱ例えば祭りなら、祭りとしての祭りであること、つまり「空気」というかな。雰囲気のようなもの。
それが「団子」に相当すると思うんだけど、つまり「祭りに来ている」と思うこと自体が「団子」であり、
だからみんなラムネやチョコバナナを高い金出して買うんだろうし、
金魚すくいは未だに露店として現れる。

そんなことを考えていたちょうどそんな時に、
…う~ん、人と歩いていても、やっぱりそーゆーごくごくクダラナーイことを考えているわけなんだけど、
花火を見たのさ。
少し観察してみたんだけど、
周りにいる人々が言う事はだいたいふたつ。

「すげー」
「きれー」

僕は思わず吹き出しそうになった。おいおいそんな、馬鹿の一つ覚えみたいに…
「それしか言えない」のか…

ばーん、ばーん、ばばばばばーん。
でも、すぐにこうも考えた。

「それしか言えない」

っつうと、それはもしかしたら、その人たちが陳腐だから「それしか言えない」わけでは決してなく、
花火が素晴らしすぎるから、「それしか言えない」んじゃないかと。
たぶんそれが、彼らの主張するところであろうし、一般的な認知でしょうなあ…
一般的な考えがまず出てこない僕は、そういう意味では特異なのか!と、
日本人にありがちな「ストレンジャー意識」ってやつで優越感を得るわけですな、僕も。
したら疑問だ、
んー。
「みんなは花火を見て何を思ってるの?」
ただ先入観から、「Beautiful!!」とか「wonderful!!」とか言ってんのか?
それとも実は物凄い僕なんかには想像もつかないような崇高な視点で花火を捉えて、
それでもそれを表現できない自分に苛立ちを感じつつもかつ
自分の「花火」に対する見解…それらを出来得る限りにまとめあげた結果、
ただただ「すっげー」と言うことだけが、自分の感情を表現できる最高の手段だと、
そんなことを考えて、「ワァオ」と叫んでいるのだろうか。

そうだとしたら、
みんなは、みんながみんな実はたぶんすっげー賢くて、
つまりは僕なんか全く賢くないってこと。

そしたら僕のわら一筋の自負はここに
すっかり倒れてしまうわけで
「僕の17年間を否定しないでくれ!」声高らかに叫びたい。


実際はホントにどうなんだろう。
みんなはいったい、普段ナニを考えて生活しているの?
花火トークの冒頭で、「馬鹿な奴は…」という表現を使ったけど、
つまりそこには、「馬鹿な奴は本当に馬鹿なのか?」という命題が包括されているのよ。
永遠の課題、そこから「俺は馬鹿なのか!?」とか「俺はあいつよりも馬鹿なのか!?」だなんて、
途方もない、しかもどうにも光の見えない、そんな疑問、疑問の嵐で。
僕の頭はすっかりこんがらがっしゃんとしてくるんだけど、
まー次の瞬間にはまた違った、クダラナイことを考えてるんですわ。


だけどその次にナニを考えたかって…
忘れた。
そんなもんやな。
花火の話、僕が覚えてたのは、うん、奇跡的。

ばーん、ばーん、ばばばばばーん。そばばばーん。


「CMネタはすぐに風化するぞ」byとさか先輩(ほら風化した…)

追記:つまり花火を見てもワァオと言えない僕は感受性の面で彼等より劣っている、のではないかということ。
でも誤解されたくないのは、僕は花火が好き。ホント大好き。だけど、花火の何が好きかっていうのは、
たぶんあなたとは違ってて、それは何かに劣ってるわけでもなく、或いは優っているわけでもないと思うんだけど、
とにかくそれは、僕に不安を与える要因の一つに数えられてしまうわけだ。
だからと言って、花火を見ることが精神的にマイナスかと言ったらもちろんエヌオー。花火は好きだー。

2002.6.4(火) 奥田民生で『おさらい』

少し時間がない。差し迫っている。
実はこの日記は、5日に書かれているのであるが、
このように何らかの理由で日記の更新が遅れてしまった場合、
時たま

「日記更新しろや」

というお叱りのメールやら何やらが送られてきたりして、
励みになるとともに感謝の念が絶えない。


それとか、
何か結構自分的に「こいつのことスキダー!」と叫べるような
そんな人から
こういう日記とかそういうのを誉められると、
どうしようもなく嬉しくて、
おーっしゃがんばらなかんなーと
思う。
思うんだけど、
時間がないと、
このようにだらだらな日記になってしまって、
チエばーちゃんの知恵袋に出てくる犬の名前は

だら

であって、…




「…」っていうのを僕は
携帯電話では「て」と入力して「…」と変換できるように登録してあるんだけど、
すると僕はパソコンの中でも「て」で一生懸命変換してしまって、
「ああ」
と、ちょっと顔を赤らめたり青らめたりするのでした。



こういうのはなんというのか、
非常に興味深いところではあるよね。


AくんとBちゃんがいたとして、
Bちゃんのおふとんの中でぐっすり眠っているAくんは、
「むにゃむにゃ…Cちゃん」とつぶやいてしまう。
そんな危険性を孕んでるんじゃないかな?

2002.6.3(月) Akaruwi,Miraini,shu-shokukivoudawa―uwouwouwo.

次男が東京から帰ってきたときに、
僕の部屋に入ってきて言った。


「ニック・ザット・ロージンに気をつけろ」


僕はなんだかおかしくて、笑ってしまった。

「なんだ、意味、わかるのか」

「いや、わかんない」

兄はニヤッと笑って、

「そのうち、わかるようになる」


教えてください。
ニックザットロージンってなんですか。
兄の発音から推測するに、

ニックザット老人

なんですけど


気になって

夜眠れなくて

昼寝しちゃいます。

2002.6.3(月) 子宮温暖化

たまにあるんだ。

とにかくたくさん、文章が書きたくなるとき

そんなときは思う。

僕の脳味噌は、


“日記”で、できてるんじゃないか、って。


2002.6.3(月) ペガサス昇竜拳

詩を読んでいて、
例えば谷川俊太郎の
その情景や言わんとする意味、
そんなものがふと
頭を過ぎってしまったとき

「しまった!」

と思う。





僕はもう二度と
その世界に戻る事はできない。


良い詩というのはそんなもんだと、
勝手に思って
いるのだが。










この人の脳味噌は詩で出来てるんじゃないか
そう思える人に出会います。
僕はまだ
二人 くらいかな。
尊敬してるんだ、
ダーウィン。

2002.6.2(日) ほもめかす

サーッと
ひいていく瞬間。

溺れそうな
この
柔らかな海が
心地よい潮騒の響きが

………。

サーッと


「なんだ、あさいのか」byのび太







もーそろそろ

“潮時”だな

2002.6.2(日) カメルーン浪人

まるで当てもなく彷徨える魂


塾とか行ってる奴は何をしても
「わ、すげぇ」と思えない。
どんな崇高な考えがあって
予備校に通うのか
そりゃ知らんが
僕はただ
「はっ!」と鼻で笑い

それが俺とお前等の最大の違いだ


必死に言い聞かせる。
自分に。

2002.6.2(日) お茶をnegotiation.

ちょっと

夢から
醒めてみた。







たくさんのことを考えた。
そうだ、日記にでも書こうとそう思った。
けどいざ書いてみると、う~ん。
「子どもと語彙との関係」についての小論文を
今なら書けるけど


ぃじめは何故起きるか。
という事も考えた。
なんつうかなあ。
弟をいじめてる少年を見て
考えたんだけど
どうかなあ。
僕の考えてる事は正しいのかしら。



なんだかね、色々なことに
自信がなくなってしまったんだ。

2002.6.1(土) 今すぐアフラ=マズダに乗りに行こう、オプション10万プレゼントゥ。

どうしてるの?
電話からはじけるポップコーンの声
あたためてくれるのね
離れてることは
問題じゃないよね
そうだったの? よかったね
バニラアイスクリームのにおい
海の上に広がる
分けあうひとときを
待っていたんだよ


わらってる
しゃべってる
淋しさの上にすわる
やさしいね
かわいいね
年をとってもおんなじのココロ
おとこたちは come and go ガールフレンズ いつまでも
きょうを生きることだけは だれにもゆずれない

どうしたの? やっぱりね
マシュマロのハートだから
炎であぶっているうち
とろとろとけだすよ
しょうがないよね
どうしようか? 出かけよう
花を買い シャンペンを買って
世界中のうたを
かたっぱしから うたう
声かれるまで


わかってる
だまってる
その悲しみだきしめる
ちょっと泣いて
また泣いて
笑いがこみあげてくるまで
おとこたちは come and go ガールフレンズ いつまでも
きょうを生きることだけは だれにもゆずれない

すてたもの
もらったもの
若さが邪魔していたもの
つらいこと
くやしいこと
でもそれが
わたしたちの笑顔をつくるもの
おとこたちは come and go ガールフレンズ いつまでも
きょうを生きることだけは だれにもゆずれない

結婚も離婚も赤ん坊よりも
大切なことがある
きょうを生きることだけは
だれにもゆずれない
「GIRLFRIENDS FOREVER」
作詞・作曲/矢野顕子

ワールドカップの開会式を見た。
ふうむ。
スバラシイとは決して言わないが、スサマジイものはあった。
ただ、なんか音楽がどうも。
バルセロナオリンピックでの坂本龍一の指揮が
あの光景には似合うような気がしないでもなく
というわけで何かYMOの曲か何かで
あったような気がするんだけどな、ワールドカップっぽいのが。


よし、そこで僕もシュリーマンの『古代への情熱』を読んで
考古学者を夢見よう。
そこで一緒に縄跳びをしよう。
そこで。


オッケーよ。


父が
そう、最近母の話題が多いので父の話もしようと思って。
コンビニへ行くけど何か欲しいものはないかと
あなたは言いましたよね父さん。
そして僕は考えた挙句に

「柿の種」

といいました。
何度も聞きなおしたあなたは何度目かに

「ああ、柿の種か」

と繰り返しました。
ええ確かに繰り返しましたともさ。

そしてコンビニから戻ってきたあなたは
誇らしげに見たこともないメーカーのポッキー(というべきか否か)を差し出しました。

なんですか
なんですかその
誇らしげな表情は。

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