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1月17日

2005(月) ゆかがぬめるぬめるぞ ゆかがぬめるぞ

 cali≠gariかっこよすぎるー。世界いちー。惚れるー。結婚するー。なにされてもいいー。
 なんていったら僕の銀河一大好きな人はなんと思うのか!好きとちゃうんですよ



 恐竜惑星について思い出す。


 まず、「萌え」の語源が『恐竜惑星』の「鷺沢萌」であるという通説があるようで。
 「燃え」→「萌え」の誤変換説と並んで信じられているようでございますわ。

 でも、結局ほんとうの語源は何なのかと思って
 いろいろ調べていたら、でるわでるわ。『恐竜惑星』についての情報が。
 そんなに人気あったのか、あれ…

 アッケラ缶大好き…。


 『恐竜惑星』の実写のほうに出てた山口美沙って僕と同い年なんですね!
 しかも今伊東家の食卓に出てるんですね!知らなかった…
 というわけで明日の19:00ごろどなたか僕にメールください。視なきゃ。


 しかし、当時小3だったわけだが、あの頃はみんな天才てれびくん視てたなあ。
 「6時までには帰らなきゃ」
 「なんで?」
 「天才てれびくんみる」
 なんて会話が極めて普通に行われていたような気がするよ…。

 んー。もう何年もあの番組視てないよ、懐かしいなあ…。



 あそうだみなさん、天才てれびくんのストーリー知ってる?
 ってか、天才てれびくんという番組自体にストーリーがあるってこと知ってますか?
 なんできゃつらがてれび「戦士」を名乗っているのか、
 いったいきゃつらは何と闘っているのか?
 意味不明だった人も…いないかな。
 オープニングで毎回やってたもんな。
 しかしぶっ飛びな設定でござったよ。いや、ある意味先見的とでも言おうか…?


 !!


 今天才てれびくんMAXの公式ページ行ってみたけど、
 どこにもストーリー(設定)が書かれていないぞ…?
 それどころか…

 なんか白いピカチュウにタケコプターつけたみたいなキャラクターが
 「天てれってなに?」という質問にこう答えている…



 “下は小学3年生から、上は中学2年生までの「てれび戦士」と呼ばれている子どもたちがプラズマ界と呼ばれる世界でレインボー・ガーディアンズ(R.G.)とアンダーワールド・ファミリー(U.W.F.)に分かれたがいに競いながらいろいろなコーナーに日がわりで挑戦しているッス”





 こら!


 この説明じゃあ、なぜてれび戦士がてれび戦士と呼ばれてるのかわからないじゃないか!!
 (ってかプラズマ界ってなんだよぅ。)

 しかも「たがいに競いながら」って、
 なんで子ども同士で闘ってるんだよ!
 仲間割れかよ!

 しまいには語尾に「ッス」をつけるだなんて…

 パクリじゃないか!

 謝れ!

 美紗さんに謝れ!


 萌えキャラでもないくせに
 偉そうに…。



 でも、いやー…ほんと、テレビ戦士が互いに闘ったらいけないと思うんだけどね…
 もともとは、ひとつの共通の敵に対して子どもたちが一致団結して立ち向かうっていうコンセプトだったはずなのにな…。




 93年ごろの天才てれびくんでは、オープニングでこういうナレーションが入っていたのですよ。




 時は21世紀…。人間リモコンのいいなりになっていたテレビがついに反乱を起こした!ブラウン管がかんかんに怒りが人々を襲う!そんなメディアの戦場に今、9人のてれび戦士が立ちむかおうとしていた…!







 と、(突っ込みどころは満載なわけでちゅが)このように、
 天才てれびくんという番組はそれ自体が壮大なSF小説の世界だったわけです。




 …んまあ、カラーバー光線とかは面白すぎるわけだが。ブラウン管がかんかんとか。管だけに。かんかん。宦官。


 でも、どーでしょう。この設定自体も非常に面白いものだと思いましぇんか。
 発達しすぎた「機械」が独り歩きしてやがては人間を脅かす存在となる。鉄腕アトムとかにあった「ロボットの反乱」みたいなものを思い出しますね。あるいはアシモフの小説とか。マンガとかでよくある、「都市のマザー・コンピュータが都市を乗っ取る」っていう発想にも近いモノがありますね。西川秀明の『ゼットマン』知ってたら挙手)なんかもそんな設定だった気がします。ザ・ドラえもんズの『ロボット学校七不思議』なんかもそんな匂いがありましたねー。あとドラえもんで言うと『のび太とブリキの迷宮』かな。ふふ。

 んでもって、さらにすごいのが、そういう終末的な、もうあとは人類は滅ぶしかないという状態において、世界を救おうと立ち上がるのが9人のてれび戦士たち…子どもたちであるということ。もうねー『絶対無敵ライジンオー』でもなんでも、「ちょっとまて、なんでそこで子どもたちなわけ?大人にやらせりゃいーじゃんエルドランさんよー」なんて突っ込みを入れたくなるわけですけど、やっぱりそこには意味があるんだよねー。『ドラゴンボール』で悟空が「若いやつになんとかしてもらいたかった」なんて言うよね。あれってかなり深い言葉だと思うんだけど。ドラゴンボールの場合は結局悟空(とサタン)がなんとかしちゃうわけだけどもね。


 要するに天才てれびくん的なストーリーは僕好みだということで。その設定が今はたち消えてしまっているとしたら、ちょっと悲しいなあと思うわけで、ね。仲間割れすんなよ、まじで。なんで初代てれび戦士が9人だったのかって、偶数+偶数に分かれないようにだろ!?(たぶん)

 いやーでもわからん。もしかしたら設定はまだ生きているのかもしれんからとりあえず次の放送を視てみる。


 しかしね…天才てれびくんのストーリーって、裏を返せば人間のエゴの肯定を積極的に子どもたちに「やらせている」と言うこともできるわけですよねぇ。下克上してきた被支配層(テレビ)を支配者(人間)がひねり潰す、その過程を無垢な子どもたちに担わせるっていうことだから。

 古来反乱というものは、スパルタクスの乱にしてもフランス革命にしてもスターウォーズにしても、だいたい反乱した側が正義ってことになってます。というより、反乱軍が負けた場合は大きな歴史として残ることがまずない(教科書で太字になりにくい)んで、勝てば官軍、勝利したほうが正義ってことになってます。当たり前だけど。
 もっと厳密な話をすると、戦争ってのはいつもそうなんだけど、たとえばガンダム。あれは、連邦が正義で、ジオンが悪だったとは必ずしも言えないわけで。そのことを示す作品として一年戦争を裏側から照射する『0080ポケットの中の戦争』があるわけでして…。

 そーいやー思い出すな。高校で停学(ホントは無期謹慎処分)になったとき、社会の先生がやってきて、「オレは小泉がキライだが、100年後にオレが正しいと言われているか小泉が正しいと言われているかはわからん。今回お前がしたことも同じだ」なんつうことを言われたよ。

 つまり、正義であるか悪であるかは歴史が決定する、あるいは決められないものです。権威の側にはもちろんその時点では正当性があるはずだが、反乱する側にも、それなりの正当性はある。歴史の宿命として勝ったほうが正義だということになるわけだが、ある程度は敗者の言い分も認めてやらなければならない。
 しかし天才てれびくんはというと…?

 どうだったかなあ。もう、忘れたわ内容とか。けど、姿勢としては「迎え撃ち」なんだよね。まあ、人類の側からしてみても、話し合いも抜きにいきなりカラーバー光線撃たれたりブラウン管にかんかんに怒られたりしたらたまったもんじゃないから、迎え撃ちはまったく正しい対応。

 こういうふうに、善と悪とがあらかじめ定まっていて、善の側が悪の側を懲らしめる、という仕組みを、たぶん勧善懲悪というのでしょう。天才てれびくんだけでなく、子供向きのヒーロー・ロボットアニメは思想性のない勧善懲悪ものであることが多い。勧善懲悪は戦争とは違う。だから子供向けのヒーロー・ロボットアニメは戦争を描かない。うまいことできている。
 戦争を勧善懲悪であるという価値観がもしあるのならば、それは帝国主義の理論だ。
 しかし、同じアニメでもガンダムで描いているのは、正義も悪もない「戦争」。この違いが、ガンダムの革新的なとこだったのかも。エヴァンゲリオンの場合は正義も悪もがすべて自分たちの側に内包されているっていうイメージがある。使徒はただやってきて暴れるだけだから。「侵略者を迎え撃つ」という伝統的なスタイルを形の上では踏襲しながらも、実はその枠組みから脱している。「敵」と「味方」に分けているんではなくて、「自己」と「脅威」。それも、外側からの脅威と内側からの脅威を同時に描く感じか。使徒は単なる「脅威」であって、何の意味も持たない存在だと僕は思う。内側の脅威を喚起する大きな不安の塊のようなもの…と言いきると陳腐かな。


 話逸れた。子どもが悪を倒すというスタイルがなぜ使われるのかというと、勧善懲悪というわかりやすい単純でしかも(権威にとって)道徳的な物語の枠組みをぜひとも利用したいからです。そしてその勧善懲悪というシステムを利用するためには、もはや悪を悪だと信じることのできる純真な子どもの存在が不可欠だから、というわけです。ひとたびそこに分別のある大人が登場してしまうと、「善」と「悪」との間に揺れ動き苦悩し二元論のダンスを踊らされる羽目に陥ります。大人の世界(戦争)では善も悪も決めることができない。思春期のアムロはそこで悩んだわけで。しかしアルフレッド・イズルハは無邪気にジオン(ていうかバーニィ?)こそ自分にとっての正義だと信じることができたと。
 そういうことを踏まえながらダブルゼータやVガンダムを考えると面白い。ダブルゼータの時代ではジュドーはまだ無邪気さを保っていられたが、Vガンダムの時代になってくるとウッソの年齢でもすでに戦争という大人の現実を見つめなくてはならなくなって、「カテジナぁーーーー!!」とか叫び出す。
 …このへんで「子どもと戦争」を描くのには限界が来たからGガンダムやウィングの世界に逃げたんかもしれんなあ。



 さて。話が逸れまくったが、で、その9人の初代てれび戦士のなかの一人が山口美沙だったわけで、まあ僕は美紗さんが好きなわけで、萌えるわけで、ひとりでできるもんのまいちゃんくらい萌えるわけで。でもその山口美沙は自分と同い年だったわけで…。まいちゃんに至ってはひとつ上なわけで…










 結論:

  年上でも もえる(意味不明

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