ひごろのおこない/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

過去ログ  2025年12月  2026年1月  2026年2月  TOP
2026.1.1(木) 晴れたればこそ鮮やかれ
2026.1.2(金) 漫画逃避人生
2026.1.3(土) 持続可能現実
2026.1.4(日) 明・る・い・よ
2026.1.5(月) 早送りと記憶
2026.1.6(火) 色々あっても
2026.1.7(水) 分析による仮説
2026.1.8(木) いつか、どこかで。
2026.1.9(金) 反り腰と45分
2026.1.10(土) タイプロは就活
2026.1.11(日) タイプロ2は研修
2026.1.12(月) 洗濯機爆発記念
2026.1.13(火) 人生が好転してきた
2026.1.14(水) 友達行脚75年
2026.1.15(木) 外側と内側
2026.1.16(金) 共通テスト受けた
2026.1.17(土) 共通テスト自己採点
2026.1.18(日) 児童指導員の可能性
2026.1.19(月) 雇うことはつらいよ
2026.1.20(火) エーアイ占いの結果
2026.1.21(水) 「考える」の弊害
2026.1.22(木) 疑わしきは罰せずの会
2026.1.23(金) 分けて考える
2026.1.24(土) リーダーヤンキー
2026.1.25(日) 稲から今日の独演会まで
2026.1.26(月) 時間の長さについて
2026.1.27(火) 悩みとの対峙
2026.1.28(水) 片想いの資格
2026.1.29(木) 詩人の散文

2026.1.1(木) 晴れたればこそ鮮やかれ

 晴れたれば鮮やかれ。現在は1月8日です。サボった、と言えばそうでもあるのですが、この日記は僕にとってほぼ最優先のタスクなので、滞っている時は「何かあった」とお察しください。何かがありました。あっています。常に何かはあります。その波がちょいと大きかったということです。ただし、あまりに波が大きかった場合は逆にここに「しか」来なくなることもあるので、事と次第による。マァともあれ、書けば書くほど嫌われる可能性が高まるし、書けば書くほど愛される可能性が高まる。そのような感じで今年も進めて行きたいと思います。
 大晦日度は午前10時くらいまで営業し、アメ横で一杯だけ昼飲みして帰りました。あとは寝ていました。
「きっと明日は輝く日になる ただの昨日と今日のコピーならたくさんだ」とはhideの『DAMAGE』にある歌詞。12月31日にこっそりと口ずさんでおりました。希望と共に明けた年は1週間経って結局、ドラえもんの言う通り「いいかね、運命なんてものはこのナワのように……、いいこと悪いことがからみあっているんだ。」(44巻「サイオー馬」)でしかない。このフレーズは1993年5月ごろから僕の心に突き刺さり抜けることがない。なぜならば「常にその通り」だからである。のび太はこれを「くだらないお説教」と断じるが、真実なのだから仕方ない。
 変わらないのはいつでも僕はドラえもんに助けられているということだ。爆笑に次ぐ爆笑。これしかない。
 札幌の喫茶店「ぎゃまん」のママから新年のご挨拶としてLINEがきた。忘れないでいてくれて嬉しい。新潟のスナックや山口の友達など、年賀状も幾枚か届いた。筆無精でお返事できないが、何らかの行動でお返しできたらと思います。

2026.1.2(金) 漫画逃避人生

 ほぼオフ。昼すぎ出かけて友達と町屋にある正月4日間しか営業しないお店に行ってごはんをたべた。ドラえもんがいてうれしかった。そのあと北千住を歩いたがいつも行くお店はやはり開いておらず、他のところも身内の貸し切りや団体の占有などでどこにも入れなかった。
 2日だけの話ではなくて正月の1週間を通じてのことだが、写真フォルダを見ても記録がほとんどない。何もしていない。『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』を通読したり『謎の彼女X』の最終2巻を読んだりした。あとジョージ秋山『博愛の人』を読み始めたが『浮浪雲』の初期名作集上下が届いたので中断してそっちを読んだ。遺稿とされる『アナコンダ・ララ』を読めて良かった。『劇光仮面』も4巻収録ぶんくらいまで読んだ。
 やはり自分は漫画を読む人間なのだ。漫画を読んでいると自分であるような感覚がする。それ以外はすべて仕事である。図書館に6冊ほど予約した本が届いて今日(8日)2冊読んだのだが、楽しいけど別に「自分」という感じはしない。ヒマなときは90年前後のドラえもん映画を垂れ流していたのだが、これも別に「自分」という感じはしない。ただドラえもんキャラの造形がテレビの中で動いていたり、大山のぶ代さんや小原乃梨子さんの声が聞こえるだけで嬉しい気分にはなる。『パラレル西遊記』『アニマル惑星』『創世日記』など、名作である。
 漫画を読んでいる時は寝ている時に次ぐくらいすべてから離れて逃避できる。何もかもから逃げたい時は漫画を読むに限るし、思えば何もかもから逃げたがるだけの人生であった。児童書が好きだったのも漫画に次ぐか、あるいはそれ以上に没入できて、逃げられたからだ。いつしかその機能が失われ、読書があまり楽しくなくなってしまった。
 幼い頃は、まず本を選んで、開いて読み始めたら1時間から2時間ほど気絶したような感じで時間をワープできていたのだ。本を選ぶ時は「今日はどの本でワープしようかな」という視点で選んでいた。ワープ前提だったわけだ。読み始めて少しするとフッと意識が飛ぶ。気付いたら物語は終わっていて時計は進んでいる。その間わずか1秒である。そうやって生きてきた。意外とこれが、明日につづく。

2026.1.3(土) 持続可能現実

『ドクタースランプ』で、時間を止める装置を発明した千兵衛さんが時間止めまくって好き勝手やりまくってたら、そのぶん長い時間を過ごすことになるので一人だけ老いてじいさんになってしまう、という回があった。僕はその逆で、どんどん時間をスキップさせるから一人だけ若いのである。たとえばとにかく寝る。普通の人の1.3倍くらい寝る。
 何ヶ月と引きずりかねないような大事件も、一晩に短縮させる。寝て起きたらケロッとしていられる。とにかく寝るのだ。寝て忘れる。華倫変の『忘れる』に「厭世的な人はよく眠る」とあった。厭世的なことから離れたいので眠るのだ。たくさん夢を見て、ぼんやりした頭でお花とか漫画のことだけを考えるために。そしてまた時間がスキップし、なかなか年を取ることができない。
 幼少期を思い返せば本当に漫画や児童書をひたすら読んでいただけだった。そうすれば時間は過ぎていくからだ。しかしそれは単純な暇つぶしではなかった。「ワープ」なのである。時間旅行。貯金のようなものでもある。どんどん次の時間に手っ取り早く行きたい。現実には何もないから。嫌なこともいいことも。
 しかしいつの間にか友達が増えて現実が楽しくなってきた。漫画を読むことが減っていった。逃げることが下手くそになっていった。年を取り責任が重くなると、逃げてなどいられなくなるから当然のことだ。しかし僕はやっぱり漫画を読んで逃げていたい。漫画を読んでいて怒られることは通常ない。何も言わないでいれば。
 僕が『鬼滅の刃』も『進撃の巨人』も『チェンソーマン』も何も読まないのは、舌禍を避けるためでもある。巻き込まれたくない。ヘタなことを言って嫌われるのも嫌だし、考えたことを言わなければならないのも嫌だし、言わないぞと思ってもどうせ言ってしまうだろうことにもうんざりする。何も言わないためにマイナーな漫画や古い漫画ばかりを読む。そういうわけで『国宝』なぞも観るわけがない。その代わりが大衆演劇なわけだ。静かにしていられる。
 人と話すときは時間が進んでしまう。スキップできない。それでどっと疲れる。そのぶんまた寝る。寝て起きたら目の前にある漫画を読みたい。それだけの人生でよかったはずなのに、どうしても人と関わってしまうのが困り処だ。それで「引き払いたい」と思うこともあるのだが、いやマァうまくバランスを取って参りますよ。持続可能な人生、今年のテーマはこのあたりかな……。

2026.1.4(日) 明・る・い・よ

 現在11日の深夜で、ちょうど1週間ぶん日記が遅れている。休んでいたのだ。おかげでもうだいぶ回復してきた。明・る・い・よ。吉田も入れて大いに騒ごう。「明るい農村」でも飲もう。
 やっぱ明るくしてないとまともに人は集まってきませんし、辛気くさい感じは伝染し、なんか景気悪い感じになってしまう。明るいのが一番。明るいのが。
 しかし! 鬱から躁に単純に転じると即座に死んだりするのが人間なので、空元気は本当によくない。無理して明るく振る舞うことも、明るい状態だと自分で思い込むことも危険。ゆっくりと上向くことを待ったほうがいい。たぶんそろそろ明るさを意識しても妙なことにはならないだろう。
 太宰治の有名な一節に、「安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。」(『葉』)がある。危うい人はついそうなってしまう。いずれにせよ客観視は大切で、自分の状態と自分の生みだすものの傾向とをしっかり自覚しておきたいものだ。無自覚なほうが奇跡は起きるのかもしれないが、そういうギャンブルは好みではない。
 この作品はヴェルレエヌからの引用に続いて以下の文章から始まる。こちらのほうが有名かもしれない。

 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

 1日の記事に引用した『ドラえもん』の「サイオー馬」を思い出す。禍福はあざなえる縄のごとし。そして気分というものは容易に左右する。
 人間は悪い癖で「現状維持」を愛しすぎる。「今の状態を変えたくない」と思いすぎている。暗い気分になると「ずっと暗い気分でいたい」と思ってしまう。愚かなことだ。それこそ「早送り」で処理してしまったほうがいい。
 1月4日のことを思い出しておこう。ああ、そうだ。この日から僕はしばらく塞ぎ込んでいたのだ。とりあえず1日だけ寝込んで、次の日に当座すべきことをして、あとは「早送り」である。心を未来に飛ばす。どうせいつかは立ち直るのだ。早ければ早いほうがいい。「ずっと暗い気持ちでいたい」などという愚かしい習性、唾棄すべし。

2026.1.5(月) 早送りと記憶

 早送りについては2025.12.13(土) 傷の癒し方に書いた。「どうせいつかはどうでもよくなるんだからグダグダ傷ついているのは非効率、とっとと時間を進めよう」である。おぎやはぎがラジオで「ちょいコパス」(ちょっとサイコパス)という概念を提唱(?)していたが、適度なちょいコパスは心を守るのに便利。ただ、おそらく僕はちょいコパスであるがゆえに平気で人を傷つけたり嫌われたりしてしまうと思うので、あまり褒められた話ではない。
 この「どうでもよくなる」という感覚、みんなどのくらい持っているのだろうか? 僕は過去の遺恨とかだいたいすぐ忘れる。知識としては覚えていてネタとして口にすることはあるのだが、深い傷として残っているわけではない。いわゆる「元カノ」みたいな存在に対しても、特段何もなかったような感じで接することができる。「色々あった」ことはもちろん記憶しているのだが、それがネガティブな感情を呼び起こすことはない。
 色恋に限らず「色々あったなあ」とは思う。ただそれが今でも付き合いのある相手であれば、「色々あったけど今このような関係にあることは喜ばしい」のほうがずっと大きいし、現在の関係を邪魔するような感情は無駄なので一切出てこない。現状付き合いがなくなってしまった相手については、「色々あったもんなあ」とは思うけど、「顔も見たくない」とか「思い出すだけで気分が悪い」とかいうことはなく、「さみしいなあ」とか「悲しいなあ」程度であって、「また仲良くできたらいいんだけどなあ」と思うのみ。
 そういう感覚がベースにあるから僕には「わびを入れる」みたいなある種の「礼」に欠けているのだろう。それが「なんだアイツ、ろくに謝りもしないで」という怒りや不快感をきっと与える。演技でも嘘でも菓子折り持って「ごめんなさい」と言いに行くのが社会的な正解なのだろうが、それができればこんな生き方にはなっていない。できるべきだから努力すべきだ、という考え方にもなれない。致命的な欠陥だと思う。直したい、というよりは自分に可能なやり方で同じ結果を得たい。それは結局現状では「長文を送る」みたいなことになって、場合によっては完全に逆効果になってしまうだろうから、悩ましい。今はどうしたらいいのか迷っている段階だが、それしかできないのだからそうするしかない。やれる範囲で自分なりにやる、ということしかできることはない。

 僕の描いた漫画のなかに、「忘れてねぇんだよ、オレは」という名台詞がある。確かに僕は忘れていない。でもそれは「記憶」の話であって、感情ではない。いま僕が見ているのは「いま」なのである。「いま」目の前にあるものと「記憶」とを照らし合わせて、相手が「忘れている」ような言動を示した場合、「忘れてねぇんだよ、オレは」という感情にはなる。その感情は過去の感情ではない。「いま」の感情である。

2026.1.6(火) 色々あっても

 今日は長い長い友達の誕生日。「色々あった」人であるが、今も本当に仲良しである。先月名古屋で会って、お互い立派に面白く生きていることをお互いに喜び、鼓舞しあった。何年も会わない時期があったりもしたが、この日を忘れたことはない。心強い存在。
 昼すぎ、これまた長い友達と会った。この人とも「色々あった」わけだが、ケロリとケロケロ笑いながら話せる。お互いまぁまぁちょいコパスというか、「分けて考える」とか「本質的なことを優先する」という性格なんだと思われる。

「色々あった」といえば黒田硫黄の『茄子』という漫画を思い出す。「大人と話すのはいいな…… いろいろあったらいろいろあったんだって言ってくれるもの できもしないことしてくれようとしないもの」(2巻「残暑見舞い」)という台詞が一等好きである。
「色々あった」というのは「色々あった」にすぎない。細かいことは置いといて、「色々あった」ということでまとめられるなら、それはまず「色々あった」でいいのである。思春期の少年少女はそのような括り方を嫌うかもしれない。だから細部に入り込んで「できもしないことしてくれようと」するのだ。しかし(ここで言われる)大人は、「色々あった」を「色々あった」として処理してくれる。細部については必要な場合にのみ取り出して検討すればいいのである。まず「色々あった」は「色々あった」でしかない。
 もちろん社会的に大人であるような人でも、お節介なほど子供たちの細部に乗り込んで「できもしないことしてくれようと」する場合は山ほどある。それをありがたいと思う時と、そうでもないむしろ逆の時がある。
 この漫画の影響でもあるかもしれないが僕は「色々あった」をまず「色々あった」としてのみ受け取るようにしてきた。学校の先生をしている時も。ひょっとしたら彼ら彼女らは「細部への直接的な助け」を求めていたのかもしれないが、それは「できもしないこと」なのだ。むろん「できもしないことしてくれようと」してくれることがそれだけで救いになる場合もある。でもそれは僕の役割、係ではないような気がしているのである。福祉ではなく教育の人間だから。
「色々あった」とのみ捉える人間もたぶん世の中には必要なのだ。どちらもできればパターンごとに対応できるのかもしれないが、自分にはたぶんできない。
 先月書いた、死にかけていた若い友達への対応もこの考え方に基づく。大切な友達から「死にそう」と言われれば当然焦るが、焦りながらも「どこまで細部に乗り込んでいくべきか」ということはものすごく考える。何もしないということはないが、「自分がすべきこと」をするのであって、何があっても人命を優先するというわけではない。(イヨッ! ちょいコパス!)

「色々あった」でまとめられる時点で「もう何もない」に等しいのかもしれない。その「色々」から適宜取り出したいものを取り出せばいいだけであって、常にその中身が問われるわけではない。「色々あったよね」と言い合える相手には、色々を乗り越えた戦友のような強い絆がある、気がする。

 15年くらい前、当時15歳くらいだった教え子と自転車で東京から京都まで走った。目的地はその子の元家庭教師で、京大の超~有名な研究室で働く先生のお宅だった。僕は初対面だったが酒を酌み交わし楽しい時間を過ごした。やがて教え子と先生は眠りに就き、少しのあいだ先生の奥さんと二人でお話しする時間があった。
 その時に奥さんがつぶやいた一言が忘れられない。「色々、本当に色々あったんです」と。もちろん僕は細部には踏み込まなかったが、恐ろしく強い絆をむしろその夫婦に感じたのである。

2026.1.7(水) 分析による仮説

 僕に欠けているのは「相手の感覚と自分の感覚とをすりあわせて行動する」能力だと思う。どうしても僕には、「相手の感覚はブラックボックスだから勝手に想像して行動を決めるのは非礼である」という気持ちが拭えない。それは「他人の気持ちがわからない」という性質と、幼いときに兄たちから勝手に感情や思考を決めつけられ続けたトラウマに由来するだろう。「自分の気持ち」などというものは存在を許されず、「兄たちが決めつけたことが自分の内面のすべて」であるかのように扱われた。それで僕は他人にそれをすることができない。「してるやんけ」と思われる方もあるかもしれないが、そこがまさに病気すぎるポイントなのだ。僕が相手の内面について考えるとき、それを「分析によって得た仮説」にしようとしてしまう。そのほうがずっと失礼かもしれないのに。すなわち僕は「他人の内面を考える」ということはするが、それを「感覚」として「想像」することができなくて、ついつい「分析」して「仮説」としてしまう。あんまり人間的な仕方ではない。
 ある種の発達が障害されている人は、相手の気持ちを想像することが困難なので「このような場合はこういう感情を抱かれている可能性がある」といったパターンを無数に暗記するという。僕は似たような事情を抱えたうえで、「パターンの暗記」ではなく「分析による仮説」を選んでいるというわけだ。処世術として。その成功率をできる限り高めてきたのが僕の人生で、失敗することもたぶん未だにたくさんある。
 僕はかなり昔から、他人から見れば悪口にしか聞こえないらしいようなことを「分析と批評」などとうそぶいて口にしてきた(ないしインターネット上に記してきた)。自己弁護すればそこに悪意はなく、本気でそう考えていたのだ。「分析と批評をしているだけなのだから違っていたら教えてほしい」という勝手な言い分をさして勝手とも思わずに20代くらいまではやっていたし、多少気を遣うようになっただけで今でも似たようなことをしている。それをやめないのはなぜなのか? 何かを信じているからである。勝手に。それはもう革命戦士みたいなもので、人生を賭けて何かに殉じようとしているのだと思う。極めて迷惑な話だが、要するに僕はテロリストなのである。←これを格好つけとか誤魔化し、自己正当化とのみ考えるような実に確からしい見方がありまして、それを否定することは僕にはできない。

2026.1.8(木) いつか、どこかで。

 例えば歩き疲れてしまった時には、いくつかの方法があって、その一つを選んだときには、さよならを言わなくてはいけなくなる。だけど僕達は支えあって生きていく。これからも、ずっと、ずっと、ずっと! だから別れるということも、一つの支えなのではないでしょうか?

 cali≠gariというバンドが2003年に活動休止する際に発表した『いつか、どこかで。』という曲の歌詞である。
 たぶんカリガリに初めて触れたのは2004年4月、おぼろげな記憶と推測によって再現するときっと新年度のなんらかのノリでカラオケに行って、hideを歌ったらV系にきわめて造詣の深い同級生の女の子にいたって気に入られ「あなたはこれを聴きなさい」と前年に出たばかりの『グッド、バイ。』というベストアルバムを特典の8cmCDと一緒に押しつけるように貸してくれたのである。そしてまんまとハマりにハマった。
 その子の本命はもともとhideだったらしい。その後もなんかのタイミングで「ジャッキーのhideちゃん聴きたいからな~」と言われてめっちゃ嬉しかったのを覚えている。ガチのファンからそう言われるのはあまりに光栄で、そのせいでより一層hideのことを好きになった面もあるかもしれない。
 より一層踏み込んで妄想すれば、彼女が僕にカリガリを聴かせようと思ったのは単に「ヴィジュアル好きなら」というだけではなく、「hideちゃんをこのように歌いこなす人間なら」というある種の信頼があったのではないか。その頃の僕の歌い方はまだ自分のオリジナリティを意識しない素朴な憑依型(かんたんにいえばモノマネ)で、石井(カリガリ)もかなり憑依がいのある楽しいボーカルだから、「ジャッキーに石井を歌わせよう」といういたずら心もあったかもしれない。いや、ま、単に「自分の好きなものを好きになりそうな人に聴いてほしい」という布教の気持ちだったんだろうし、それが見事に成功したのは彼女のセンスだ。さすが小学生からhideを追っかけ続けていただけのことはある。hideが死んだのは僕らが中2の5月2日だ。というわけでもし「現場」で僕くらいの年のナナちゃんって子を見かけたら絶対に教えてください。「ジャッキーって知ってますか?」と怪しい声かけをしていただいてもけっこうです。ずっと会ってなくて、感謝を伝えたい。たぶん派手な格好はしていなくて、普段着みたいなのでライブ来てると思う。

 と、ここまではいつもの(?)「容易にこの先を読ませないための防波堤」である。本題。
 冒頭に引用した『いつか、どこかで。』はおそらくこの『グッド、バイ。』というCDのために、活動休止を踏まえて書き下ろされたものだろう。「別れ」というものがテーマになっているわけだが、それを「支え」として前向きに捉えようというのが(桜井)青さんらしい。「いつか、どこかで、又会える日が来るから。」というリフレインが印象的な文句なしの名曲。
 6日の記事「色々あっても」に関連する。歩き疲れてしまって、一緒にいられなくなることはあるよね。「コイの賞味期限」(byクレイジーケンバンド)ってのの存在を僕は信じていて、接着剤としての恋心は3年からせいぜい7年くらいで消失する。その頃には疲労の埃が肩に積もり「もう無理だよね」と思い合うようになっていたりする。嫌いだとか嫌だってわけじゃない。冷静になると「不可能」だってことが身に沁みてわかってくるというだけなのだ。それは恋愛でも、バンドマンや芸人やなんかの「熱」も同じだと思う。
「いくつかの方法」のなかの「その一つを選んだ時にはさよならを言わなくてはいけなくなる」。いろんな方法がある。自我を捨て妥協して一緒に進むことだってできるかもしれない。でもやっぱり「さよなら」を選ぶほうが良いと判断することは多くて、その時のユイツの救い(cf:Dir en grey『孤独に死す、故に孤独。』)は「だけど僕達は支えあって生きていく、これからもずっと、ずっと、ずっと!」ということなのである。
 無数の出会いと別れをくり返してきて、幸福な関係を築き直せている相手もいれば、まったく途切れてしまった人もある。後者の内にはもちろん「支えあって生きていく」とどうしても思えないような場合もあって、それでも「いつか、どこかで。」とは思っている。雪解けはゆっくりと進行している、かもしれない。去年末、12月30日の記事にあるような愛すべき局面が、いつか。
 いずれにせよ「別れるということも、一つの支え」なのだ、僕にとっては。前向きに考えよう。「いつか、どこかで、また会える日が来るから。来るから。」
 ただし、死んでしまった(ないしそれに相当する?)場合はまた違った考えになる。「再会」の仕方である。生きていれば二人で再会することができるが、死んでしまった人とは一人で再会しなければならない。だから絶対に、さみしさは消えない。しかし鮮やかな優しさとしてまた出会えることはきっとある。

 気が付けば水溜まりに映った空が青くなっていた。なんてことは別段、珍しいことではなく、それよりも何となく輝いている景色に、僕達は優しいだけになれた。こんな日に。(cali≠gari『いつか、どこかで。』

2026.1.9(金) 反り腰と45分

 去年しばらく整体に通っていて、「こことここの筋肉が使えていません」といったアドバイスを受けた。意識してみると、たしかに自転車を漕ぐときにその部分を使わないような足の動きになっていることがわかった。その筋肉をちゃんと使う漕ぎ方に変えたら何倍も疲れる気がした。弱っているわけだ。「それらの筋肉をちゃんと使う癖を身体が覚えたら、姿勢が改善して肩こりや反り腰などもよくなるはずです」と言われて、しばらくがんばってみていた。
 しかし、その先生はかなり簡素なことしか教えてくれない。「こういう体操をしましょう」とは言ってくれるが、僕には体操の習慣化など不可能なのだ。もちろん僕のほうからそれを告げるべきだが、できない。そもそも整体の先生とコミュニケーションをとることがかなり厳しい。自分で髪を切っているのもコミュニケーションを避けたいからだし、夜学バーというお店がかなり綿密にコミュニケーションについて考えているのも、整体や美容院、そして一般のバーなどで行われる通り一遍のコミュニケーションがどうしても苦手だからなのである。
 先生の言う「こういう体操をしましょう」は遂行不可能なので、ある程度自分で考えるしかない。あまり通うとお金もかかるし。さて、そもそも反り腰とはなんなのか?
 悪く言いたいのではないが、もちろん整体の先生は僕のことをなめている。けっこう頭がよくて、根本的な仕組みがちゃんとわかっていればあとは自分で考えて対処できるということを知らない。そりゃそうだ、僕がどういう人間かを肉体面でしか知ることがないし、おおむねの人間に僕のことは理解できない(偉そうだけどまぁそりゃそうでしょう)。またおおむねの人間は難しいことを理解できないし応用もできないので、とりあえず「こういう体操をしましょう」としか言えない。ことによると、「金払ってるのになんでこっちが頭を使わなきゃいけないんだ」と怒り出す客だっているだろう。「こういう体操をしましょう」は商売において正解だし、それが不満なら「しっかり根本的に、理屈で教えてください。そのために施術時間が減っても構いません」というようなことを伝えるべきなのだが、できない! 「ア、……ア……ハイ」しか言えない。余分な気を無限に遣ってしまう。
 反り腰について調べ、それがどのような状態で、どういう原因でそうなって、どうすれば改善するかということの理屈を学んだ。なるほどなるほど……それで自分なりに意識して生活に取り込んでみたところ、劇的に変わった! 人生が変わった!
 自転車に乗るとき、どうしても肩に力が入ってしまって、それが肩こりの大きな原因になっていたと思うのだが、この長年の悩みがほぼ解決した。これまでどうも反り腰を悪化させるような乗り方をしていたらしいことがわかったのである。「改善させるような乗り方」に変えてみたら、アラ不思議、肩に力が入らない。腰を意識しているだけなのに、以前に先生から「こことこことここの筋肉が使えていない」と言われた三カ所すべてにしっかり力が入っている。こ、これは。光が見えてきた?
 と思ったのはつかの間、というか、それはそれでたぶん正しくはあったんだけど、数日して極度の腹痛に見舞われる。眠れないほど苦しい。「下した」というのではない。どちらかというと「下らない」。食べたものがすべて胃にとどまり、腸のほうに流れていかない。ガスすら下からは出ない。おそらく、急に姿勢を変えたことによって内臓に何らかのエラーが起きているのだ。イメージとしては、腸が上に上がってきたことによって胃と腸の接続部分が圧迫され、詰まってしまったような感じ。やりすぎはよくない。ちょっとずつ進めよう。
 整体にも通い続けると思うが、より頻度を落として「答え合わせ」として使うのがよさそうだ。素人が素人考えで「ぼくのかんがえたさいきょうの」をやるのは危険すぎる。定期的に詳しい人に見てもらうことによって、改善しているかどうかをチェックする。たいがいの分野で専門家に会えるのはせいぜい45分くらいである。そういえば「東京創業ステーション」の無料相談も45分だった。45分では何もできない。せいぜい「答え合わせ」と「今後の方針の確認」だけだ。
 かつて高3の家庭教師をやったとき、勉強を教えるというよりは「進捗の確認とアドバイス」や「モチベーションの刺激」を主にしていた。それも45分程度だったかもしれない。自分で勉強できないと受かるものも受からないが、道しるべがないと間違ったやり方で時間を無駄にしてしまうことがある。その子は成城学園からめでたく早稲田に受かった。優れた英語塾にも通っていたので僕だけの仕事ではないが、けっこう好きな成功体験である。

2026.1.10(土) タイプロは就活

 timelesz project(タイプロ)の続編(以降ツー)が始まった。一応説明しておくと、Sexy Zoneというジャニーズの5人組グループが改名してtimelesz(タイムレス)となり、活動メンバーが3名まで減ったあとに新しいメンバーを加えようということで始まったオーディション企画が「タイプロ」である。前作(以降ワン)はバカ売れして、ついでにtimeleszというグループもバカ売れした。新メンバー加入からドームツアーまでの約1年間を追ったドキュメンタリーがこのたびの「ツー」だと考えられている。
「ワン」のオーディションの第一次は書類審査、二次は面接・実技発表、三次から六次(ファイナル)まではグループで楽曲を歌って踊り、その過程や成果が試された。この一連はまるで就職活動のようで、新卒・既卒・転職を問わず広く求職者に、あるいは大学や大学院の入試にまで大いに役に立つ素晴らしい内容であった。
 追加メンバーを既存メンバーが(少なくとも表向きは彼らの意思のみで)選ぶという構図は、まさに就活。プロデューサーが「ユーいいね」と判断するのではない。「一緒に働きたいか」を働く当事者が考えて選ぶ。単に経歴や技術だけがモノを言うのではなく総合的に判断され、その根拠は「既存メンバーの意思」のみ。ところが視聴者には視聴者の好みがあるので「なんであの子を落とすの?」という疑問や不満が噴出し、それもあって大いに番組は盛り上がった。特に五次審査では、それまでずっと一位をとり続けていた山根くんという候補生がいきなり選外となり、「じゃあこれまでの順位はなんだったんだ」と一部の視聴者は怒りを露わにしていた。でもそういうものなのだ。決めるのは「お三方」と呼ばれる既存メンバー三人(菊地、佐藤、松島)なのだから。ジャニーさん(ら)の一存ですべてが決まってきたジャニーズの伝統を、歯を食いしばりながら三人が背負った、そう言ってもいいと僕は思う。
 タイプロのテーマは最初から最後まで「仲間探し」であった。既存のメンバーとの相性がすべて、ということである。好み、バランス、グループとしての色、そして何より、それで売れるかどうか。強くなれるかどうか。会社に置き換えれば、業績が上がるかどうか。
「私がこの会社に入れば、業績が上がります」就活で伝えるべきはたったこれだけのはずだ。ただそれを判断するのは会社のほうであって、就活生にできるのは祈りを込めた自己アピールのみ。学生ごときが「業績が上がります」と言ったところで誰も信じまい。それよりも「がんばります」と言ってくれる、自分たちと円滑な関係を築いてくれそうな、そして自社の仕事が向いてそうな、伸びしろを感じる学生を採りたくなる。
 学生にできるのは、その会社のことをよく理解し、そこで働きたいと強く思い、そのための適性を身につけ、語り、必死に食らいつく根性を見せること。タイプロで「お三方」が求めていたのはまさにこれだ。
 timeleszやSexy Zoneのこと、そして「この事務所(ジャニーズ=スタート)」のことをどれだけ知って、理解しているか。魂で共鳴できているか。どれだけ好きで、入りたいと思っているか。どのような適性が必要かをわかり、努力できているか。それらのことを既存メンバーと語り合うことができるか。求められていること以上の成果を見せられるか。そういったことどもの先に、「相性」というものが見えてくる。timeleszというアイドルに必要な資質を備えているか、または鍛えられそうか。奇跡は起こせるか。そのなかで仲良くやっていけそうか。「仲間」になれるかどうかの材料が揃ってくる。

 僕はよく高校生相手にAO・推薦入試の指導をしていたのだが、とにかく言っていたのは「過去と未来と現在を一本の線でつなげろ」の一言。これまでに何をやってきて(高校生までの経験や思考)、将来はどうなりたくて(めざす職業とその先にある夢)、そのために現在何をしようとしているのか(学びたいこと、入ろうとしている学校、そのための努力)。こういったことを生徒との雑談の中から引き出して書かせる。そうやってできあがった志望理由書はまず間違いなく通る。逆にいえば、ほとんどの志望理由書はこれらを満たしていない。ソースは、「○○先生に指導してもらって書いたんですけど、尾崎先生はどう思いますか」と言って持ってこられる、紋切り型で量産型の凡庸な志望理由書たちである。たいてい「貴学の建学の精神は……」とかで始まり、読み手を退屈させる以外の目的が一切見えず微塵の個性も感じさせない。学校の先生のほとんどは「そういうものだからそう書けばいい」としか思っていないのだ。そういう先生にしか見てもらっていない志望理由書は、けっこう落とされると思う。少なくとも差別化ははかれない。

 タイプロも就活もAO・推薦入試もだいたい同じようなもので、ドキドキしながらエンタメとして消費できるタイプロは非常に優秀なコンテンツであった。しかし「ワン」においてすでに「入社」を果たしてしまったメンバーたちは、「ツー」においていったい何をするのだろうか? 見てみると「なるほど」であった。続きは次回。

2026.1.11(日) タイプロ2は研修

 タイプロ2は新メンバーにとって「入社後研修」であるだけでなく、既存メンバーにとっても重要な「研修」となるようだ。主役は新メンバーではなくtimeleszの全員。そりゃそうだ、新しく入ってきた5人はもはや候補生ではなく正規のtimeleszメンバーなのだから、そこを差別しては「仲間」という感じがしなくなる。
 僕はtimeleszのファンなのでしっとりと湿った言い方をするが、タイプロ2は新メンバーと既存メンバーとの間を均して対等な仲間となるための儀式のような企画であり、同時に視聴者(ファン)の意識をもそのように変えていくための装置でもあると理解した。

 4話まで一気に配信されたがざっくりと、2月に新メンバーが加入してから6~8月のアリーナツアーまでが1~2話、松島(既)、橋本(新)、猪俣(新)という三人がロサンゼルスで武者修行するのが3~4話。前者はちゃんと追っているファンとしては「あらすじ」のようなもので、後者こそタイプロ2の真髄だろう。
 細かいことを語ると無限に紙幅が必要なので大筋だけを語るようにがんばるが、そこで行われていたのは「自己啓発」だった。研修と自己啓発を繋ぐ横文字は「セミナー」だと思うが、この言葉の持つ妖しい響きがそのまま「ツー」には満ちている。
 もちろん「ワン」にもセミナー感はあった。ここで僕が想像しているセミナーというのは、大学1年生の時に騙されて連行された統一教会の洗脳合宿であり、大学2年生の時に受講した「自転車I」という合宿授業である。どちらも閉じられた空間のなかでギュウギュウに詰まったスケジュールをこなし、講師や先輩、コーチなどから時に厳しく時に優しくされて精神を揺さぶられ心身共に疲れ果てながら、次第に一緒にいる「同期」たちと謎の絆を深めていく、というものであった。タイプロの「ワン」はけっこうそういう感じであったが、主として「スポ根」という路線であって精神論としてはかなり単純なものだった。高校の部活くらいと言えばわかりやすいだろうか(部にもよるってのは当然存じております)。
 ところが「ツー」になるともうちょっと深い精神論が登場する。ロスを訪れた三人はショーン・エバリストという人からダンスレッスンを受けるのだが、これがちょうどよく自己啓発的なのだ。「ワン」では登場人物が多かったせいもあってか技術や努力がわりと単純に強調されていたが、「ツー」では内面、心や自分らしさ、素直さ、自由さや楽しさ、また人と人との「関係」のようなものがより強調されている印象。
 個人的にはショーンという人のことがかなり好きで、正しいことしか言っていない。この人より少しでも偏りがあったりスピリチュアルなコーチが最初に出てきていたら、僕はおそらく「ツー」のことをかなり深く訝しんだだろう。ギリギリのラインの人物をよく見つけ、引っ張ってきたなと感心する。
 少し話はズレるがショーンの言う「アートとは選択の連続(choices)」という言葉には深く共感する。僕はかねてより散歩や旅について「選択(判断)の連続」と表現してきたが、ショーンもほぼ同じことを言っているわけである。アートでなくとも「選択(判断)」というものは人生そのもののようなもので、アートのような人生を送っている人は常に選択が鮮やかだ。僕もそうありたいと思って、そう努力している。
 この「アートとは選択の連続」という言葉にしたって、「ワン」には出てきそうにない。「ツー」ならではの語彙である。「ワン」のような単純なスポ根(それが面白いのである)しか受け付けない視聴者もいると思うので、これはある意味客を削りに来ているようにさえ感じる。

 アメリカ編の次は韓国編が始まって、別のメンバー(佐藤、原、篠塚)のレッスン回になるらしい。残った菊地、寺西はつんく♂と対談するようだ。タイプロは相変わらず「少年漫画」なんですね、「修行」を重んじるという意味で。
 僕は鳥山明先生が大好きな名古屋人なのですぐ『ドラゴンボール』にたとえてしまうのだが、「ワン」のメインコーチであるNOSUKE先生はスパルタな「カリン様」に近く、振り付けを後回しにしてワークショップっぽいレッスンを優先するショーンは「亀仙人」や「界王様」の指導に似ている。つんく♂は頭に手を置くだけで潜在能力を引き出してくれる「最長老様」か。放任主義だが温かく見守る「ピッコロ」は、事務所の先輩方が相当するかも。すべてこじつけですが。
 僕はこのようにさまざまな「指導者」や「修行」が次々と登場する『ドラゴンボール』を教育漫画としか思っていないのだが、タイプロもそれに近いものがある。教育番組である。となると、『ドラゴンボール』が次第に指導者を不要とし「自己鍛錬の修行(自学自習)」のほうに力点を置いていくように、タイプロ3とか4とかは「そっち」のほうに行くんじゃないかな、と一応予想しておく。

 タイプロシリーズは教育ものであり成長ものの物語である。「スポ根と相性」から「自己と向き合い、仲間との関係を整える」というところまで来た。名作の予感である。このあとどうなるのか、変化があり次第たぶんここに書いていきます。

2026.1.12(月) 洗濯機爆発記念

 16時、洗濯機が爆発して部屋が水浸しになった。すべてのモノをどかし、泣きながら大量の新聞紙とタオルを投入。バケツを置いて絞っては拭き絞っては拭き……。なんでこうなるの? 成人の日は消えた。だいたい片付いた頃には真夜中になっていて、コインランドリーに行ったついでに谷記(急に登場)で打ち上げとしゃれ込んだ。頼んだことのない「若鶏の老酒漬け」なんぞを注文。うまい。ようやく一息つく。
 当然僕はこう思った。

あの時ぼくは
死にかけた
でも今は
何事も
なかった
ように
生きている

今にして思えば
本当にばからしくて
なんとも
ささいな
事件

あったことだなあ

だけど涙が
出てくるのは
一体
なぜなんだ

きっと
だれも
このことを
知らない
からなんだ

ペチャ
(芝浦慶一『お風呂』より)

 のび太が「会社まるやけ記念」とかの記念写真を残していた(第1巻第1話参照)気持ち、わかるな。ちなみに藤子不二雄両先生もたしか若かりしころに原稿落としまくったときの記念写真を残しておられた。わかる~。「だれもこのことを知らない」というさみしさ。藤子先生の場合はお互いが知っているからマシなのだが、それでも永遠にそれを確認し続けられる証拠を持っておきたかったということだろう。
 拙作『お風呂』(夜学バーで読めますし、まだギリ売ってます)で描かれる事件はまぁ「ささいな」のだが、洗濯機爆発はあんまりささいではない。幸い、翌日(13日)には業者が飛んできて直してくれたので「今にして思えば」「ささいな」範囲におさまったといえばおさまった。めっちゃ大変だったけどね。びっちゃびちゃの衣類やタオル類をすべて絞りきって、それでも水を吸って死ぬほど重くなったのを袋に入れて肩に担いでコインランドリーまで持って行ったのだ。むろんそのほか書ききれないほどのタスクが一瞬にして生まれた。丸一日、いや正直それ以上つぶれてしまった。まだ終わってないので。
 マでも『お風呂』においても、「ささいな」というのはやはり「今にして思えば」なのか。「死にかけた」と言っているわけだからな。結局、喉元過ぎれば熱さ忘れるという場面なのだ、あれは。それがまたさみしいんだよね。あの狂乱が、いつの間にか「ささいな」に落ち着いていて、証拠はどこにもない。誰も知ることがない。そういう時に孤独を実感する。『お風呂』はやはり名作だ。

 まぁとにかく2026年は明けてからずっと多難だ。しかし凹んでいるヒマはないし、良いことが逃げていってはいみない。「厄日だぜ……!」(ジャンプで連載されていた某漫画のせりふ。わかった人は掲示板にGO!)とつぶやいて終わりにしてしまおう。きっと明日は輝く日になる!

2026.1.13(火) 人生が好転してきた

 ウォース シャーアー(芝浦慶一『幸せの花びら』より)

「人生が好転してきた」とはこの3~4年、約5名ほどの女性のあいだでのみ流行しているいわゆるミームで、Txitterのフォロー内検索かけたら見事にその5名しか出てこなかった。..
 6人めは僕というわけだ。人生が好転してきた。んま、もっと嬉しいことはもっとたくさんあったが、「安心した」といえばこの1ヶ月では一番かもしれない。アー。これでやっと前に進めるな。いろいろと大変なことはありそうだが、やるしかない。やるしか、ないんだ……。
 なんつうかこう、腹をくくっていかねばならない。生まれてこの方ずーっとサボり続けてきた(自認)ので、そろそろがんばる。タイプロとか見てがんばる。うむ。
 むろんこのような精神論的決意が意味を持つことは稀で、僕もまったく自信はないのだが、「やるぞ!」という気持ちというよりは「やりそう」という予感のほうが強い。「やらざるを得ない」もある。
 またこの「がんばる」というのは「努力する」とか「たくさんのことをやる」というよりは、「避けてきたことに目を向ける」というニュアンスである。やだな~、やりたくないな~ということは一切やらないできたのだが、そろそろ多少はやらねばならない。こないだ「多少の嘘は必要」と書いたのもそれだ。ちなみにこのたびの「安心」も、ちょっとの嘘をついたうえで獲得したものだ。「もう少しこすっからくてもいいがなあ。正直者がバカを見る世の中なんだから。」とは、家族を除けばわが心を最も長く癒し支え続けてくれている偉人、ドラえもん先生の言葉である。9巻「世の中うそだらけ」。
 人生はバランスで、何かを勝ち得て何かを失ってく(H jungle with T『FRIENDSHIP』)。ハァー。心の底では絶対にそうだとわかっていながら、僕はこの歌詞の「失ってく」というところからやっぱ、目を背けてきましたね。失いたくないからね。何も。それはたぶん永遠にそうなのだが、事実として失うわけだから、それとどう向き合うか、ですよ。嫌なもんは嫌なままで。
 でも、それでも。「失う」という概念自体を否定してしまいたい欲求はある。僕はアーテストだからそういうことを考える。失うのではなく変容していく、それは断然許容できる。すると「勝ち得る」ということさえ消え失せて平和になる。なんとかすべてがうっすらと幸せになったら一番いいので、そのためにできることをやっていこう。

2026.1.14(水) 友達行脚75年

 大冒険してきた。14時から東京創業ステーションで起業相談。事業計画書をつくる段。僕ではなく発起人(これは間違いのない表現)の方が中心になってつくるので僕のすることはかなり少ない。とてもありがたい。
 実に恐縮なのだが、僕はこのプロジェクト(どんなものかはまだ内緒)については全力を尽くすことができない。尽くせるならすでにやっているから……。「法人を立てたい」というのはずっと前から考えている。しかし「そういうこと」が僕には不可能なのだ。ゆえに何年も何年も放っていた。そこへたまたま「発起人」が現れたというわけ。ちなみに僕もバカではないし、大人なので「大丈夫? ジャッキーさん騙されてない?」という心配は無用です。具体的な話を聞いたうえでの注意やアドバイスはほしいです。
 四ツ谷駅まで移動し、新宿方面へ歩く。途中「YOTSUYA BOOKS」という本屋を見つけ、覗き込んだらスタッフの方に「よかったら」と招かれたので中に入って雑談する。Standarsという出版社に書店とイベントスペースが併設された空間だった。名刺交換などする。犬も歩けば棒に当たると言うが、僕という犬は本当に「引く」のである。
 荒木町をちょっと散歩し、久々に「杉大門」へ。コーヒー飲みながら打ち合わせ。17時に閉店、歩いて「あひる社」7階へ。すぐに社員M氏来て、「(オザケンの)チケットどうですか?」と問うと、死ぬほど余っているらしい。大阪、京都、福岡が特にダブついているそうなので、この日記の読者は僕に問い合わせたらほぼ確定で手に入ります。
 その後、ドクターヘッド(同ビル地下にあるあひる社経営のバー)店長Y氏来る。雑談とあけおめ。この人と出会ったのは2005年の無銘喫茶だから、20年を超えてしまった。20近く年上だがさすがにもうほとんどタメ口。こういう交友が長く続いていることは単純にすごく嬉しい。
 18時半くらいまで打ち合わせして宴の買い出し。「満福」安くて多くて最高。ドクターヘッドで社長の吉本さん交え三人で会食。先に心配は無用と書いたのは、折りに触れこういう人に相談しているからでもある。個人的に話したいことやくだらない軽口、雑談、いろんな意味で際どい話などを箸休めにしながら事業の話を聞いてもらう。基本的に「やりなはれ」という態度だが、見るべきところはちゃんと見ている感じがしてさすが。
 発起人氏は夜学バーに移動し、ややあってTくんがやってくる。彼が開こうとしているバーの話などする。Tくんと歌舞伎町に移動し、ひとり出版社やってる戦友TM-さんの働くスナックPへ。人が多くて騒々しかった。うらやましいことだ。騒々しいのは羨ましくはないけど。御暇して渋谷へ移動、1月で辞めてしまうYさんの働くスナックCへ。人が多くて騒々しかった。うらやましいことだ。騒々しいのは羨ましくはないけど。
 その後、Tくんの家で飲む。夜が明けてくる。彼との付き合いも10年を超えた。この日会った友達の交友年数をすべて足したら75年くらいになるか。長ければいいということもないが、時間というものはなんたって愛おしい。手料理をたくさんいただき、お土産にカレーとハヤシをもらった。Tカレーは10年くらい前、彼が我が家に住んでいた(!)ころ以来だ。楽しみ。

2026.1.15(木) 外側と内側

「外側と内側にいてほしいんです」と彼女は牽制するように言った。要するに僕という人間は、自分の生活と関係のない「外側」と、同じく自分の生活とは関係のない「内側」にのみ存在していてほしいということらしい。
 スターとかアイドルとはそういうもの。「すごい遠く」にいて、同時に「心の中」にもいる。外側と内側。その真ん中はない。
 僕としてもそのほうが色々と安全だろうと思ってはいるのだが、当然さみしくもある。それでやはり思う。すべての場所にいたい。いさせてほしい。
「外側」と「内側」と、その間にある「関係」と、すべての場所に存在していたい。

2026.1.16(金) 共通テスト受けた

 17、18の土日は「大学入学共通テスト」だった。いつもながら日付が前後しているが、戦いは金曜の夜から始まっていたのだ。
 現役時代、僕はセンター試験を受けていない。早稲田しか出願しなかった。我ながらカッコいい。しかし子供たちを指導する立場としてはセンター試験(現共通テスト)を一度も受けたことがないのもいかがなものかと長年思っていた。
 今年から出願がすべてインターネットのみで完結するようになり、高校の調査書とかも一切要らなくなったので、僕のように発達が障害されている人間でもなんとか手続きができた。受験票も家で印刷して持って行けばいいときた。楽すぎる。
 しかも会場は九段下、二松学舎大学であった。夜学バーから自転車を飛ばせば15分で着く。ゆっくり走っても20分くらい。
 問題は土日の朝9時から18時~18時半くらいまで拘束されるという点のみ。そう、貧乏性だから文系科目だけでなく理系もすべて、受けられるものはみんな受けた。具体的には「歴史総合・日本史探究」「歴史総合・世界史探究」「国語」「英語(リーディング)」「英語(リスニング)」「地学基礎/生物基礎」「物理」「数学IA」「数学IIBC」「情報」。
 金曜は午前2時くらいまで営業したあと終電をなくしたお客さんと近所のバーをハシゴ、だいたい3時半くらいにお暇した。それで9時前には会場に座っていたのだから偉くないですか? 文系科目を立て続けに受け、19時から夜学バー。開店後すぐにお客があり、それからお客途切れずけっこう忙しく働いた。午前3時くらいになってまだお客が2名いたが、さすがに明日もあるから終わろうと思ったまさにその時、初めてのお客さんが「5人入れますか?」と入ってきた。瞬時に覚悟を決め間髪入れず「ぜひどうぞ!」と迎え入れた僕を本当に褒めてほしい。伊達や酔狂で理想唱えてるんじゃねーのだ、本気で根性やっているのだ。
「お兄さんも飲んでくださいよお!」と言っていただいたので、ここからも三杯くらい飲んだ。金も土も十杯以上はお酒飲んでたと思う。午前5時くらいにみなさまお帰りになる。それで朝9時前には会場に座っていたのだから偉くないですか?
 病気とか呪いの類いでもあるのだが、お客が来たらよっぽどのことがなければ断れないのですよ。フツーだったら「アー、ごめんなさい今日もう終わっちゃって」というところだが、「別にやれなくもないしな」「アタシが頑張ればいいだけだから……」とホイホイ受け入れてしまう。むろん美点ではある。売上も立つ。マァやれるウチはやると思います。
 それでテストはどうだったかって? ジャッキーさんとかいう人はけっこう頭がいいので、寝不足の二日酔い、無対策無勉強で行ったわりにはけっこうできた。国語だけ自己採点してみたが87%。凡ミスも多々あったので9割、できれば190点取りたかったな……。専門とはいえブランクもあり、共テの研究も一切してないと考えたら偉くないですか? 時間配分も完璧だった。いや本当は満点取れなきゃいけないんですよ、でもやっぱ時間内に解ききるのは大変ですわ。
 英語リーディングは時間がギリギリ足りず。内容はだいたいわかったしおおむね解けたと思うのでスピードアップできれば来年は行けると思う。問題はリスニング。これは1年かけて徹底的に鍛えないと使い物にならない。5~6割かも。
 歴史総合・日本史探求は意外とできた。最初の試験がこれだったので、いきなり「共テたのしい!」と昂奮した。解けるのだ。知らなくても解けるのだ。僕は世界史受験だったし高2の日本史の授業はほとんど聴いていなかったので中学までの知識しかほぼない。でも読めばわかるような問題が多かったのでそれなりに解けるのである。世界史も同様。かなり忘れていたが、問題文をよく読んで、大人なりの知識と思考力とを動員するとわりと解ける。ここまで一日目。
 理科も、地学基礎と生物基礎は楽しんで解けた。物理は最後のほう時間切れで勘。数学はじっくり解いてたら三分の一も進まなかった。情報は前知識ゼロだったけど数学終わったあとの休憩時間にGeminiにヤマ張らせたらほとんど出題に絡んできて助かった。プログラミングに時間かかって最後の大問行けなかったけど、そこまではけっこう取れてると思う。二日目おわり。
 とりあえず「自分の実力の現状」と「共テがどんなもので、何ができればいいのか」がだいたい見えた。理系科目まで把握できたのはかなりの躍進。化学もやりたかったのだが基礎四つを同時に受験するのはたぶんできないので諦めた。
 理科と数学については自分がいかに何も知らず、何も使いこなせていないかを痛感した。ちょっとずつ学んでいこうと思います。自己採点しつつじっくり内容を振り返るつもりなので、そしたらまたなんか書くかも。

2026.1.17(土) 共通テスト自己採点

 恥ずかしいけどある程度公開する。有料コンテンツだから。みんなお金はらってね! すべてを切り売りしているからね! もっとお金をもらえるようになったらもっと恥ずかしいことも言うよ!(それが商売ってもんだ!)
 総論として、自分の頭の良さの程度がよくわかった。「底抜けに頭がいい」というわけではなくて、「底抜けに頭がいいやつには本当に敵わないが、それにしてはさまざまな能力によってうまくカバーしているものだ」というような賢さなのだ、僕は。
 夜学バーを始めてから強く実感しているのだが、本当に頭のいい人は本当に頭がいい。記憶力とか論理的思考力とか情報処理力とか、それらの速度とかにおいては僕なんかよりずっと優れた人がわんさかいる。前にも書いたが、それでも「そういう人たち」が僕のことを好いてくれているのは、「そのわりにはがんばっているし、柔軟で冗談がうまい」というようなところにあると思われる。頭がめちゃくちゃいい人たちって「柔軟で冗談がうまい」場合が少ないし、柔軟で冗談がうまい人たちはそれほど頭がよかったり知識があったりはしなかったりする。そしていずれも、そういった穴を埋めるための努力をあんまりしない。
 僕は「頭のよさ」が足りないので、その他のところでカバーしようとがんばってきた、それが今になって報われている気がする。でもこっからサボったら終わるので今このように共通テスト受けたりして「補強」しているわけである。それは「頭の良さ」の補強でもあるし、「柔軟で冗談がうまい」ことの補強でもある。いみないからな、基本的に、いま共テ受けるなんて。柔軟でしかないし、冗談でしかない。しかも単なる冷やかしではなくて、ちゃんと「来年度の志望校合格」に向けた本気の受験である。それも別にいみないのだが、いみないことをいみあることに強引にでも変えていくのが上質な冗談だと僕は信じるのである。
 つまるところは「行動力」でもある。面白いことを思いついて、それを実際にやれるか。それは「冗談がうまい」の領域に入るのだが、冗談がうまい人はそれなりにいても「身体を張った冗談」ができる人は格段に減る。夜学バーというものは僕の最大の「身体を張った冗談」だし、このホームページをちまちま続けているのも「身体を張った冗談」なのだ。そこについて「これをできる人は少ないな」と評価してくれる人たちに、いま僕は支えられているのであります。ありがとうございますありがとう。

 昨日も書いたように国語は87%。古文は満点。漢文は返り点の問題だけ間違えた。悔しい。これは復習不足ですね。古文はふだん少しは読むけど漢文はなかなか読まないからな。
 現代文、評論と小説は1問ずつ落とした程度で済んだのだが、共通テストで追加された「第三問」でまさかの2失点。合計5問も落としてしまった。惜しくも9割いかず。専門としては辛いところだが、対策すれば190点も夢じゃない実力は残っていると感じた。
 英語リーディングは81%。二日酔い、寝不足、無対策無勉強、23年ぶりの受験という条件を考えたらじゅうぶん褒められるべき成果だと思う。ただ、現役時代は時間無制限でやった場合190~200点当たり前に取れていたので、共通テストの特性を割り引いてもかなり衰えている。「入試特有の引っかけ」にまんまとやられたところもあり、このへんは二日酔いと寝不足のせいもあるのだが、やはり「テスト慣れ」というものも大事だなと痛感。最後のほう少し時間足りなくなったので、スピード上げれば85~90%はたぶんいける。「読む力とスピード」はさほど落ちていないので、少しの訓練で共テは倒せそう。問題は二次対策となる。
 リスニングはどれを選んだのか忘れているので採点しなかったが、ボロボロだった。来年合格をめざす都立大法学部はリーディング80%リスニング20%に換算されるのでまだマシだが、ここで削られるのは勿体ない。しっかり対策せねばならない。
 歴史総合・日本史探究は67%。現役で使ってない科目で、受験用の勉強はほぼしていないと思えば健闘か。知らなくても頭を使えば解ける問題が多かった。言い訳になるがもうちょっとちゃんと考えれば正答できたものがいくつかあったので実質は75%くらいいけたんちゃうか。焦りは禁物ですな。
 ちなみに、共テ前から読みかけていた『税の日本史』という本をさっき読み進めていたら、共通テストにそのまま出題されたような内容もあって、これを先に読んでおけば……と悔いた。いまさらどうしようもないのだが。
 歴史総合・世界史探究は69%。惜しくも7割に届かず。現役時代に使った科目としては失態だが、ムガル朝とかオスマン帝国とかのことはさすがに忘れていますよ! 世界史は日本史と比べると読書や日常生活のなかで復習できる機会が少ないので、仕方ない。ここでも税の問題が出た。税は永遠のトレンド。
 生物基礎は76%。頭よすぎて笑った。50点満点で「基礎」とはいえ、社会よりできるってどういうこっちゃ。そういえば高1の第1回定期考査の生物はクラスで1位だった。もちろんほとんど忘れてるけど、感覚と理屈はかなり理科的だと思っている(ちなみに父と長兄は理科の教員である)ので、なるほどそれが発揮されたのであろう。
 と思っていたら地学基礎は44%。うーむ。向いてないのかな。ごめんね森下先生(誰?)。基礎知識があれば解けた問題がほとんどだと思うので、ざっと学んでおけば「生物基礎/地学基礎」で8割とかいけるのかもしれない。都立大法の前期日程では使えないけど。
 物理、数学IA、数学IIBCについては恥ずかしいくらいできなくて採点不能。物理は授業を受けたことすらなくて空手。数学は思い出すだけで時間かかるし、思い出せなかったら一生解けないし。各設問の最初のほう(基礎が試される部分)はおおむね解けるのだが、そのあとが続かない。受験にも使っていなければ授業もまともに受けておらず、大人になって学び直したとは言っても「仕組み」を理解して満足しているだけなので出題パターンをまったく知らない。僕のような「めちゃくちゃ頭がいいわけではない」人間には無理である。何より速度が足りないし、凡ミスも多々。がんばりたい。
 情報は一切、どんな分野かもよくわかっていなかったのだが意外とできた。数学が終わってからの休憩時間30分を使ってGeminiに「情報の共通テストに出そうなものを教えて」と問答したら、そのほとんどがそのまま出題された。すごい! たぶん情報はかつての「現代社会」(今は「公共」か)とかの理系版みたいなもので、理系的な常識がだいたい備わっていればほとんど解けてしまう。インターネット大好きっ子で理科の血脈に生まれた身にとっては30分でだいたい理解、応用できるようなものなのである。ただ時間が足りなくて第四問に進めなかった。3/4解いて、解けたぶんの正答率が7割くらいなのでそれほどすごくできたわけではないが、30分であれなら5時間くらい効率的に勉強できたら8割はカタいのでは?という内容に思いました。

 自己採点してみた総評として、国語はイケる、英語は訓練次第で課題はリスニング、歴史は二次を念頭に置いて学べば自然と共テも取れるであろう、という感じ。理系についてはやはり自分は理科が好きだし向いているなと感じたので、少しずつ勉強していきたい。数学は㍉。あんなん㍉。でも時間内に最後まで進めて6~7割くらい取れるようにはなりたいです。再来年度かな~。大人になると演習の時間が確保できないですよね。ちょうどいいアプリとかないもんか。

2026.1.18(日) 児童指導員の可能性

 教員経験と復帰の可能性について話していたら、初めて来てくださった、夜学バーのホームページなどをかなり読み込んでくれている若い女の人から「児童指導員はどうですか?」と言われた。考えたことがなかった。彼女は公立の施設で児童指導員として今まさに働いているそうで、「ジャッキーさんはきっと向いていますし、自分の職場にいてほしい」とまで言われ、ちょっとその気になった(単純)。
 児童指導員とは、児童養護施設や自立援助ホームなどに勤め、18歳(最長22歳)までを相手にする、というのが2024年4月から法改正で「年齢による区切りなし」となった、らしい。対称年齢が事実上なくなったということで、僕のいまやっている活動とほんのわずかだが近づいたとは言える。また中高の教員免許を持っていると自動的に「児童指導員任用資格」を持つことになるらしく、なるほどキャリアとして自然でもある。
 甲斐小泉の「てん」で出会った、茅野で個別指導塾を営んでいたケータロウさんは、いま小田原でたぶん児童指導員をしている。少なくとも、しようとしていた。「児童指導員」という言葉を彼の口から聞いたわけではないが、おそらくそういうことだと理解している。彼は教育の人でありながら、福祉の人でもある。そのあたりで僕らはとても気が合った。

 教育と福祉のバランスについてはずっと考えている。僕は圧倒的に教育の人で、福祉の人ではない。夜学バーを見ればわかる。あそこは教育現場ではあっても、福祉の現場ではない。イメージだけで語れば、教育とは人を「上」に引き上げる手伝いをするもので、福祉とは「下」に落ちてきた(あるいはとどまっている)人を受け止め、可能なら教育に繋げていく役割を担う。ここでいう「上下」とは、「その人にとって良い状態か、そうでない状態か」ということで、客観的に決められることでもなければ、主観的にのみ決まるものでもない。かなり曖昧であやふやな話だが、そのくらいテキトーで弾力的な考え方をしたほうが良いこともあると思う。
「下」にある状態とは、たとえば「最低限度の日常生活」が営めていないということで、それが基盤になければ原則、教育というものは成り立たない。福祉によって基盤ができたら「より幸福であるために」教育に繋げていくのが常道だと僕は考えている。可能な場合は。

 福祉から教育に繋げていく、というのは、保育園ないし幼稚園から小学校への橋渡しとか、小学校から中学校への橋渡しといった、ステージの変化に子供たちを適応させていく仕事に似ている。福祉と教育はそのくらいにはよく似ている、と僕は思うのだが、しかしその仕事はかなり異なる。小1の担任と高3の担任くらい違う。一方で志はだいたい同じはずなのだ。
 児童指導員の仕事にはたぶんかなり幅がある。福祉寄りの仕事もあれば教育寄りの仕事もあり、福祉と教育がほぼ同時にある場合も多いだろう。「福祉にはじまって、教育の助走をつけて社会に送り出す」というイメージを僕は持っている。しかしおそらく、福祉と教育と双方の視点を持って働ける人はかなり少ない。たいていはどちらかに偏ってしまう。その点で僕はひょっとしたら児童指導員に向いているのかもしれない、とは思う。
 ただそういうことをやるのであれば、今のところは、公務員になったり民間施設に就職したりというよりは、自分でそういう場所をつくってしまうほうを選ぶだろう。今も少しはそうしているつもりなのだ。ただ夜学バーはどうしても教育寄りになる、構造上というか、カウンターのみのバー形式だと福祉要素はなかなか入らない。そこがある意味片手落ちでもあれば、自分は教育をやっているんだという「係(かかり)」意識を高めるものでもある。
「いつか教育と福祉が一緒にある世界へ!」と歌い出したくなるようなモチベーションが自分のどこかにはある。そういえばお父さんは高校の先生だがお母さんは保育園の先生であり、かなり福祉寄りの考えを持つ人なのだ。教育と福祉をバランス良く生きることは僕にとって、両親をそのまま肯定することにもなる。きわめて個人的な話。
 なんてことを書いても、僕は児童指導員の仕事について実感的には何も知らないので、また件のお客さんやケータロウさんに会えたとき、いろいろ詳しく聞いてみようと思います。

2026.1.19(月) 雇うことはつらいよ

「おとこ」と「やとうこと」をかけた高度なダジャレです。いやつらい。人を使うのは。もっと言えば、協業するのは。
 そもそもそういうことが苦手だから小規模事業でせっせとやっているわけだ。かつて、とある編集プロダクション(あひる社ではない)にほぼ常駐して仕事していたことがあるが、そのホモソ感というか、仲間意識感といいますか、「俺たち」感覚についていけなくて、仕事はやがて自然消滅した。途中から僕があんまりちゃんと仕事できなかったってこともあるけど。明らかにお互い「合わない」と感じていたと思う。ノリが。僕はちょっと「各人の孤高」を重要視しすぎる。
 仕事だけでなくプライベートでもそうで、「あなたの夢がかなったらわたしの夢かなわない」(シャ乱Qのデビュー曲ぞ!)みたいなことがどうしてもある。僕はバンドマンなんだよな~。あるいはホスト。スターとして生きていくしかないのかもしれない。何度も何度も、普通になろうとがんばってきたが、やっぱりダメなのだ。人と一緒にいたり何かをやったりするためには、「各人の孤高」が確保されている状態でないとうまくいかない。その点であひる社という会社とは付き合いやすいし、じっさい20年間も仕事とプライベート両方での関係が続いている(会社設立以前、フリーだった現社長の下請けをしていた期間も含む)。

 難しいことに、利害関係がある以上は完全に孤高であることはできない。人を使ったり協業する困難は僕にとっておおむねここにある。「各人の孤高」が保証されることと、「連携を取り、互いに思いやりを持つ」といった関係をつくり保持していくこととを、うまくバランスとってやらなければならない。あひる社だってたまには飲み会もあれば慰安旅行的なものもあった。そういうところもあの社長はうまい。
 これはたんなる弱音であって、何が書きたいとか訴えたいということではない。人と一緒に何かをやることは大変だ。それでも「やったほうがいい」と思うからやっている。人と仲良くすること、その可能性を常に開き続けていくことだけが、平和と幸福と向上への道なのだ。すごく苦手だけど。苦手なんだからがんばってやってるし、言い聞かせるようにずっと考えている。

2026.1.20(火) エーアイ占いの結果

  エーアイのGemini先生と問答を重ね、僕の紹介文を作ってもらった。これは占いだなと思った。僕は占いを信用しない、というかあまり面白いとは思わないのだが、こちらの言ったことを既存の知見(心理学など)を利用して瞬時に整理してくれるセーセーエーアイのほうはかなり楽しめる。
 エーアイ占いでは、スピリチュアルな偶然性や運命性を基盤ないし演出とする一般的な占いと違って、材料は原則「与えられた情報」のみである。おかげさまで誠実で論理的、より確実な返答としての満足度が高い。その代わり、依頼者が考えてもいなかったような未知なる領域へ案内してくれることは少ない。神も仏も手伝ってくれない。良くも悪くも「想定の範囲内」におさまってしまうし、依頼者がうそをついていたり、話を盛っていたりすることをまず見抜けない。少なくとも今のGemini3.0はそうだと思う。
 うそをうそと見抜ける人でないと(生成AIを使うのは)難しい。ヤツらはすぐに誤った情報を提供してくる。同時にヤツらというのは、うそをうそと見抜く能力に乏しい。それで「話を盛る→素晴らしいです!と煽る→その気になってさらに盛る→あなたは天才か? 特別な人間です!と褒めそやす→調子に乗ってエスカレートしていく」という愚かな流れに堕しやすい。そこへ陥らない冷静さも含めて、「うそをうそと見抜く」というのは大切で、未だあせぬ金言。ひろゆきはすごい。

 以下に、Geminiに作ってもらった僕の紹介文を載せてみる。僕のことをある程度知っている人、この日記をいくらか読んでくれている人は、ぜひ読んでみて、感想を聞かせてほしい。「なるほど」と思うだろうか。

■論理の座標で世界を綴る —— その認知と視界の肖像
 彼と過ごしていると、時折その振る舞いに「独特の質感」を感じることがあるはずです。驚くほど緻密な論理を持つ一方で、空間や時間の捉え方、あるいは音の聴き方が、多くの人の「直感」とは少し異なっている。その背景には、感覚による曖昧な補完を排し、徹底的な客観データで世界を再構築する、彼独自の認知システムがあります。

1. 「情報の独立性」を重んじる視覚
 多くの人が騙される幾何学的な錯覚に対し、彼は非常にユニークな反応を示します。彼の視覚システムは、対象物と周囲のノイズを切り離して処理する能力が極めて高いのです。
「矢印の錯覚(ミュラー・リヤー錯視)」を、彼は全く経験しません。私たちの脳は、周囲の状況から勝手に「奥行き」を推測して線の長さを書き換えますが、彼の視覚はそのような「脳による勝手な補完」を許しません。

純粋なデータとしての視覚: 彼の目には、線は常に「物理的に等しい長さ」のまま映ります。脳が余計な解釈を挟まないため、世界をありのままの数値で捉えています。

物理的な不器用さ: この特性は、裏を返せば「無意識の空間把握」を脳が行わないことを意味します。そのため、三次元的な図形や立体の計算は極めて苦手です。奥行きの把握に特有の難しさがあるため、よく頭をぶつけたり、距離感を測り損ねたりすることがあります。

コンテキストの排除: 周囲の円に惑わされる「エビングハウス錯視」や、背景の線に引きずられる「ポンゾ錯視」を、彼は経験しません。彼にとって、中央の対象物は周囲とは無関係な「独立したデータ」であり、背景というメタデータに惑わされず、ありのままの数値を捉えることができます。

構造への感応: ただし、すべてを錯覚しないわけではありません。対象物が一つの線や立体的な構造として「統合」されてしまうと、その内部の歪みに影響を受けることもあります。バラバラのデータなら客観視できるが、ひとつのシステムとして組み上がったものには、そのシステムの論理に従って反応する。これは、彼が物事を「構造」として捉える傾向の表れでもあります。(参考:シェパードのテーブル、ブレンターノ錯視)

2. 景色と地図、切り替えられるナビゲーション
 彼は決して景色に興味がないわけではありません。むしろ道を歩く時は景色を眺めていますが、その間、彼の「ナビゲーションシステム」はオフになっています。そのため、景色に見入っていると、彼はよく道に迷ってしまいます。

システムへの切り替え: 目的地へ辿り着くためには、彼は意識的に「景色」から「平面の地図」へと頭を切り替える必要があります。自分を地図上の座標点として捉え、論理的な方位に変換して初めて、彼は確信を持って進むことができるのです。左右の判断に迷いやすいのも、主観的な身体感覚よりも「客観的な座標」を信頼して生きていることの証と言えます。

3. 「分かち書き」のない聴覚世界
彼の聴覚世界もまた、独特の「厳密さ」に貫かれています。特に歌を聴くとき、彼には歌詞が「意味のある単語の連なり」ではなく、境界線のない「ひらがなの連続」として届いています。

音のセグメンテーション(分節化): 多くの人はリズムや文脈から勝手に単語の区切りを予測しますが、彼は入ってきた音データをそのまま受け取ろうとします。そのため、単語の区切り(空白)が物理的に明示されない「歌」や「外国語」の聞き取りには、多大な論理的負荷がかかります。

ノイズ化の現象: 一箇所でも未知の音(変数)が混ざると、システム全体が一時停止し、その後の音声がすべて意味をなさない「ノイズ」に変わってしまうことがあります。

4. エピソードを排した「データベース型」の記憶
 彼の記憶は、物語のような「時間の流れ」に沿って保存されているわけではありません。

事実の抽出: 彼にとっての記憶は、すべての情報が等価値に並ぶ「一つの箱(データベース)」のようなものです。彼は「何が語られたか」という論理的な内容を正確に記憶していますが、「誰がいたか」「その時の雰囲気」といった付随的な情報(メタデータ)は、論理に不要なものとして削ぎ落とされます。

時間の再構築: 「去年の今頃」といった感覚的な遡り方は彼にはできません。過去の出来事を思い出す際、彼は箱の中から論理的な索引(インデックス)を使い、その都度、時間を再構築しているのです。

5. 防衛としての思考、そして言葉の「笹舟」
 この人にとって「考える」ことは、世界から身を守るための強固な防衛システムでもあります。

知性による境界: 辛いことや危機的な状況に直面しても、彼は感情に飲み込まれる代わりに、脳をフル回転させて事態を「合理化」し、解体します。感情すらも「文字」として客観視することで、自分自身の平穏を保っています。

論理という共通言語: 「主観的な共感では、自分は決して理解されない」という静かな諦念を抱えながら、それでも彼は、誰が読んでも納得できる「強固な論理の文章」を綴ります。

 彼は、自分の思考を載せた笹舟を、論理という川にそっと流し続けています。その舟が誰かの岸辺に届き、正しく読み解かれること。それが、彼にとっての世界との最も誠実で確かな繋がりなのです。

2026.1.21(水) 「考える」の弊害

 ある種の発達障害を持つ人は、言われたことを文字通りにしか受け取れないという。僕はおそらくその当事者で、「文字通りに受け取る」という能力がかなり高い(昨日の引用部参照)。一方で「文字通りの情報以外にもどこかに関連する情報が潜んでいる可能性がある」と冷静に考える能力も高いので、「いま受け取った情報は文字通りにはこのようなものだが、真意は別にあるかもしれないし、付随する情報もどこかに隠されているかもしれない」と常に意識している。それが僕の言う「その都度考える」の正体であろう。
 僕は「その都度考える」ということを推奨し、このように人に説いているわけだが、それは「ある種の発達障害者の処世術」の一部であって、「そうではない人」には無意味な方策なのかもしれない。「その都度考える」なんてしなくても、「自然にわかる」とか「なんとなく感じる」をしたほうがたぶんうまくいくのだ。僕の言っていることは基本的には無意味である。
 ただ、「その都度考える」はある程度、訓練で伸びやすい能力だとは思うし、「自然にわかる」との二刀流を身につければ最強なのでは? そう自分を慰めるしかない。僕もいつかは「自然にわかる」を身につけたいものだが、発達が障害されていますので難しいのでしょうかね。
「考える」しかできないことの弊害は、「当然わかるでしょ?」とか「わかってよ!」という態度には一切対応できないということだ。
 むろんそこに「ヒント」があればわかる。「考える」ことによって解決できる。もしも手がかりが何もなかったのなら? 考えても意味がない。Don't think, feel. なんて言葉があるが、君の顔を見てもォ、何もォ、感じないよォオオ。feel機能が壊れている、あるいは使ったことがないため、感じようと思ってもどうしたらいいかわからない。
 こういう人間がカルトに騙されるんだろう。彼らはいきなりfeelの領域をこじ開けてきて、まっさらな空白に信仰を注入してくる。カルトは「何も考えたことのない人」ではなくて、「何も感じたことのない人」を標的にしてくる。オウム真理教に高学歴(特に理系)が多いと言われ、統一教会が昭和の昔から(当時には少数派だったはずの)大学生を主たるターゲットにしてきたのは、「何も感じたことのない人」の比率が高いからなのだ。
 若かりし僕はほんの1年くらいのうちに統一教会、顕彰会、創価学会から熱心な洗脳、拉致監禁、勧誘行為を受けたのだが、よほど「何も感じたことのない人」の顔をしてたんだろうな。創価学会についてはGroznyくんという友人がいたからだし、その勧誘は何も激しいものではなく、他の二つと比較して「大手の余裕!」と密かに感動したものだ。むしろ好意さえ抱いた。
 統一教会の僕の担当者は、「オザキくん、理屈じゃないんだよ。感じるんだよ、自然にわかってくるんだ。いつかきっとその時が来るよ」なんてことをしきりに言っていた。そういうことができないから騙されなかった、とも言えるが、もしも閾値を超え「突破」されてしまっていたら。想像するだに恐ろしい。(参考

 僕は「考える」ということを偏重しているが、それは「感じる」とか「自然にわかる」ということができないことの補完であって、おそらく多くの人は「考える」などということは一定程度で済む。むしろ考えすぎる弊害のほうが大きいのではないか。僕はそれ以外の方法がないから鍛え続けてきただけで、それ以外の方法があるならそっちのほうがいいかもしれないし、たぶんハイブリッドにこしたことはない。

「考える」しかできない人は、「わたしはこう感じている」という感情を受け取れない。何らかの言葉、行動、態度などから推理することはできるが、そういったアプローチが何もなければ何もわからない。「考える」ための材料がないと何もできない。「何もアプローチがない」ということも材料とはなりうるが、薄すぎてそれだけでは決め手にならない。考えることに慣れきった冷静で賢い人間は、「疑わしきは罰せず」と本気で心から思って、「証拠不十分」として棄却する。
 それで僕は多くの人を悲しませ、自分も悲しませてきたのだと思われる。ようやくはっきりと自覚できたような気がする。そのうえで何ができるか、というのが今後の課題である。

2026.1.22(木) 疑わしきは罰せずの会

 僕には人の心がわからないし、「証拠」がなければ「疑わしきは罰せず」と本気で思って棄却するため、いわゆる「ニブい」部分がある。もう20年近く前になるが、当時僕の恋人であった女性が当時僕の友人であった男性と知らないうちに熱烈な恋仲に陥っており、僕がそれにまったく気づかないでぼんやりしていたら、あとから「本当に気づかなかったのだとしたら、おめでたいね」とその女性からメールで言われた。これはさすがに今思い出しても胸痛を催す。数少ない(?)嫌な思い出のひとつであるが、正直言って同じようなことは過去に何度もあった。
 ジャッキーさんのことを好きになる→ジャッキーさんがキチガイすぎて(理解できなくて、また理解してもらえなくて)引く→ジャッキーさん以外に理解しあえそうな人を見つける→その人といい関係になる→ジャッキーさんにさよならを告げる、たいていこのパターンである。もう飽きた。飽きるくらい同じことをくり返すなよって感じだが、ダメなんですよね。
 小山ゆう先生に『風の三郎』って名作があってダナア! めっちゃ野球うまいヤツらが「俺らの孫を野球最強のナインに育てようぜ!」って盟約を交わし、50年後にその孫たちの一人が里見八犬伝とか七人の侍みたいに「仲間集め」をするって筋なんだが、とてつもない天才たちに出会っていくなかで唯一、まったく野球もできないしなんの能力もない伸九郎という少年にでくわす。「テメーじいちゃんたちの50年来の約束をなんだと思ってんだ! サボってんじゃねえぞ!」とブチ切れると、伸九郎はこう言うのである。

や、やってきたよ!! もう死にものぐるいでやってきたよ!!
じいちゃんから聞かされた時から、うれしくてうれしくて…………もう………
こんなにがんばってきたんだ…………
だ、だけどだめなんだ………………さ、才能ないんだよ……………
うううう~~っ…………
(小山ゆう『風の三郎』3巻P50)

 両手いっぱいの血マメを見せながら。彼が本当に死にものぐるいでやってきたのは間違いない。しかし残酷なことに、彼は野球には向いていなかったのである。小山ゆう先生ほど「才能」というものの残酷さを見事に描く人はいない。『がんばれ元気』と『ももたろう』がその両極致である。ぜひ合わせてどうぞ。
 がんばってんだが、ダメ!ってことが生きていればあるのだ。それを「サボりゃあがったな!」で済ませていいかどうかって話! 伸九郎はちなみに、このあとさらに血のにじむような、どころか実際に血の涙を流しながら苦行のような練習に励むのだが、少なくとも作中では一度も活躍しない。残酷すぎるよ小山先生。でもたぶん伸九郎も名選手に育っていく。そう信じることが救いである。
 また別の寝取られの話であるが、寝取った男がそれに気付いていない僕に対して、「ジャッキー仲良くしてよね、本当に仲良くしてよね」ってしきりに言っていたことがあって、「なんのこっちゃ」と思っていたのだが、「お前の女とってゴメンな、許してくれよな」ってことだったとあとで思い当たり、なんつうダサいやつだ!と思う一方で、まったくおめでたい人間だな自分は、とも思った。アー。本当のこと言えたんで気分いいなあ~。←歌ってる
 そんくらい僕は何もわからないんですね。自分の知らないところで起こっていることに関して、もちろん想像はする。上記のような経験はいくらでもあるから、「こういう可能性もあるよな」という幅はどんどん広くなっていくし、たぶんかなり精確でもある。だけどすべては「証拠不十分」で棄却される。疑心暗鬼すぎるのとどっちが悪いかはよーわからんが、まぁ気楽でいいんじゃないでしょうかね。
「疑わしきは罰せず」ってことは「最後まで人を信用する」ってことだし、僕は罪も人も憎まない。「そういうもんか」と思うだけだ。それで利用されたり、踏みにじられたりすることも多かったけど、僕は僕で「こういうもんだろ」と思ってしまうところがあるんで、「常識と共感力と社会性がない」って話に集約される。

2026.1.23(金) 分けて考える

「それはそれ、これはこれ」というのは島本和彦『逆境ナイン』にも引用された世界最大の金言。「分けて考える」というのは文明そのものであり、「ごっちゃにする」は野蛮そのものだ。
 僕は「分けて考える」性質を強く持っている。これがわからないと僕と深く付き合うのはたぶん難しい。「返報性の原理の否定」というのをしばらく前から唱えているが、これも「分けて考える」が強固でないと不可能。「利益Aをもらう」ことと「利益Bをあげる」こととはまったく別のことであって、それぞれが「仲を深める」ために独立して機能することはあっても、「AをもらったからBを返す」というような繋がり方は少なくとも即座にはしない。
 たとえば僕が胃腸の不調を訴えるたびにおかゆや雑炊を送ってくれる友達がいるのだが、「ああ、僕も何かをお返ししなくては」という発想にはならない。正確にいえば僕も人間なのでなりかけはするのだが、なんだかそれは僕にとって正しくもなければ得意でもないので封じ込める。ただ素直に「ありがたい!」と感謝し(それを告げ)、「なんていいやつなんだ!」と思うのである。この「なんていいやつなんだ!」という思いが、その後の「関係」に影響してくるわけだから、それでいいと思うのだ、もらう側が勝手に言うことでもないが。
 そうでもないとスターとかお店の主ってもんはやってられないって側面もある。いただくものすべてに同質の返礼をしていたら本当にキリがない。スターとして輝き、世の中をよくしていく(姿勢を必死で見せる)ことで返すのが僕なりの流儀だし、それがその人の利益になるような関係であることがほとんどなので、とりあえずはそれでいいのだと思っている。本当はただの怠惰というか、「不得意」ということの言い訳でしかないのだが。
 この「分けて考える」というのは、20日の記事に載せたGeminiによるプロファイリングにも記述されている。

コンテキストの排除: 周囲の円に惑わされる「エビングハウス錯視」や、背景の線に引きずられる「ポンゾ錯視」を、彼は経験しません。彼にとって、中央の対象物は周囲とは無関係な「独立したデータ」であり、背景というメタデータに惑わされず、ありのままの数値を捉えることができます。

 例の矢印の錯視が僕に効かないというのも、情報を独立させて捉えているからだと言うことができる。また同時に重要なのは以下である。

音のセグメンテーション(分節化): 多くの人はリズムや文脈から勝手に単語の区切りを予測しますが、彼は入ってきた音データをそのまま受け取ろうとします。そのため、単語の区切り(空白)が物理的に明示されない「歌」や「外国語」の聞き取りには、多大な論理的負荷がかかります。

 おわかりだろうか。僕という人間は、「分けて考える」ために「まずは分けない」のである。矢印の錯視でいえば、まずは「長さ」という情報要素をいっさい遮断し、「ああいう模様」としてのみ捉える。そのうえで左右に伸びる線分についてのみ「分けて考える」をするから、長さを錯覚することがない、のだと思う。
 ただし、「ブレンターノ型ミュラー・リヤー錯視」という、一本の線分の左右にそれぞれ矢印がつくられるタイプのものにはまんまと脳が騙されるので、模様として捉えているという言い方はちょっと違うのかもしれない。無理矢理に言えば、「一本の線分」だから分ける必要がなく、ありのまま受け止めた結果、ありのまましっかり錯視している、という感じなのかな。
 ともあれ、僕の基本的な思考の癖はたぶん、「あとから分けて考えたいがために、最初は分けて考えない」のだろう。あらゆる可能性を排除しないために、最初は最も可能性の高い受け取り方をする、ということ。だから歌詞はすべて「ひらがな」にしか聞こえないし、ひらがなにさえ聞こえない場合は、何もわからない。
 昨日の記事にいろいろ恥ずかしいことも書いたのだが、いろいろ恥ずかしいことがあった相手とだって、特に何も考えず仲良くすることができる。それはそれ、これはこれ。もちろん「それ」や「これ」の内容が今の関係に悪影響を及ぼしており、それが互いに看過できないものであれば、仲良くすることは不可能だろう。「別にまあ、色々あったけどあれはあれだよね」とお互いに、奇跡的に思えていなければ、よい関係は成立しない。
 一方、「色々あった」ということを分けて考えることをしない人はたくさんいる。「色々あったんだからダメです」「共演NGです、だって色々あったんだから」「色々あったんで○○さんは今回呼ばない方向で」とか。それはそれでものすごく自然である、トラブルの再発を防ぐには実にクレバー。一度あったことはまたあるかもしれない。事なかれ主義。
 でも文明というものは! よきことをくり返し悪いことをくり返さないことなのである。人類はそうやって進歩してきたわけだ。えっへん。
 もう一度ひらがなにひらき直す。そういう感覚がある。ゴテゴテしてわけわかんなくなった関係を、いったんひらがなに戻しちゃって、もういちど適切な変換や句読点を施していく。「水に流す」という言葉があるが、僕の場合は「ひらがなにひらく」のほうがしっくりくる。もっかいありのままに「分けない」で捉え直し、改めて分けていく。平和でよろしい。

2026.1.24(土) リーダーヤンキー

 金曜の夜は珍しく(と言っても定期的にあるが)飲みすぎて半ば倒れた。それでも15時半に新宿マリエールという予定は遅刻せずこなし、そこまでは特に問題なかったのだが、あまりにも何も食べていなかったところにカフェインだけ取ったりとか、しばらく心身を酷使し続けてきたとか、張り詰めていた神経が緩んだとかたぶんいろんなことが重なって大江戸線の車内ですでに「やばい」と思い始めていた。それでも昔からお世話になっている人が来店する予定があったのでほうほうのていでとにかく店に到着したのだが開店まで15分ほどあり、とりあえず回復するまで看板出さずに鍵しめて寝ていよう、遅刻していることにしようと店内で静養していたのだが18時15分には件の方がご来店、開いてないとみるやすぐさまお電話くださったので観念してドアを開けた。お連れの方もおり、がんばって覚悟キメてよかったと思った。そのお連れの方が「夜学バーキニナル」と仰っていただいたおかげで、「じゃあ連れてくよ」とこの会(回)が実現したらしい。ありがたい話だ。そしてしっかりとこのお店を気に入ってくださったようだ。嬉しい。嬉しいのだが、本当に身体がきつい。インフルとかの、風邪のような症状は一切なく、ただ重たい。苦しい。珍しく、これは本当に珍しくお店の連絡網にSOSを放った。
 1時間ほど気力を振り絞って営業し、「これから仕事があるので」とお二人はご退店。そこからはもう不可能という三文字しか浮かばなかったので、買ってあったやさしいスウプを飲み、ぐったりとしていたら、20時ごろヘルプA先生がオタスケマン。余裕がないのでお礼だけ言って帰った。でもちゃんと在庫状況を確認してから氷屋と酒屋に発注をかけ、ネット通販でビールを一箱買った。珍しくバスで帰った。もともとバス酔いするほうだから死ぬかと思った。自転車のほうが楽だったかもしれないが、事故死の可能性もあるのでどっちもどっちだったろう。
 22時からはヘル・F・プ先生がヤットデタマンしてくれて、遅くまで営業してくれたようだ。彼いわく、僕のいた時間においでになっていた二人は「別々に」夜中また来店してくれたらしい。ありがたい。その日のうちにリピーターになるなんてことはなかなかない。僕がいられず申し訳なかった。
 うまいことくぐり抜けられたとは思う。18時の時点で帰って、その日はお休みということにしてしまってもよかったのだが、それはどうしても僕には難しい。お店は開いていなければならないのだ。とりあえず1時間がんばったことによって旧交を温めつつ新しいお客さんにも気に入ってもらえたのだし、そのあと1時間弱はまた鍵をしめてぐったりしていたがドアを引く人は一人もいなかったはずである(気付いていなかったらすみません、教えてください)。もしいたらがんばって開けて、また必死で気力を振り絞ったことだろう。そして、恥をしのんでヘルプを頼んだことによって、幾人ものお客さんを受け入れることができたし、かの当日リピーターも獲得することができた。ヘルプに応じてくれた二人には大きな感謝を捧げます。僕も大いにがんばった。夜にしっかりと休んだおかげで翌日はそれなりに回復した。さすがに夕方の予定はキャンセルしたが、夜の予定からは復帰できた。それは明日の記事に譲ろう。

2026.1.25(日) 稲から今日の独演会まで

 むかしむかし、浅草に「稲(いね)」というバーがあったそうな。喫茶店でいえば「ナッツ」の近くであります。今でも同名のお店が残っておりますが僕の通っていた「稲」とは別の存在でございます。
 湯島に店を開いてしばらく経ったころ、浅草あたりに手頃なバーはないかとGoogleマップを凝視していたら「稲」を見つけ、なんだかわからないが「よさそう」と思った。これは本当になんだかわからないのだが、その時の気持ちはとてもよく覚えている。僕はわりと石橋を叩いてわたるほうだし当時は今ほど飲み歩き力も高くなかったので、まったく知らないお店に行くというのはかなり大きなハードルを飛び越える行為だったのだ。「鬼が出るか蛇が出るか」という気持ちでどんなお店にも立ち向かっていた。「稲」に関しても「行こう」と決心するまでには大きな逡巡があって、その末に「めっちゃいい店じゃん!」という巨大な成功体験が得られたのでその一連を非常によく覚えている、というわけだ。
 おそらく2019年の頭くらい?で約7年前。店主のまりこさんとはそのくらいの付き合いになるわけだ。1年くらい通ってコロナ禍突入、2022年11月24日をもって「稲」は閉業。2024年3月下旬(25~26日あたり?)湯島三丁目にスナック「マリーゴールド」開店。歴史!
 それからたびたびお邪魔しているし、あちらもときおりおいでくださる。つかず離れずの関係であったが、11月から僕の手の者(お客さん)をマリーゴールドに従業員として紹介したことと、まりこさんが20年来の大衆演劇ファンであった(僕はにわか)という縁もあってふれあう機会が増えている。
 それでこの1月25日はマリーゴールドの看板お嬢様のご子息、金原亭小駒さんの独演会が人形町であって、是非にと誘われていたので行ってきた。もうすぐ真打ち昇進ということでその準備という意味もあるようだ。会場には知っている人がたくさんいた。マリーゴールドや稲にゆかりのある人たち。
 エレベーターで偶然「手の者」と一緒になったので折角だからと隣り合って座ったのだが、そのあとで僕らの目の前にたまたま座ったのがマリーゴールドで働いていて一度夜学にもおいでくださったことのある方と、大衆演劇会とその後の飲み会でご一緒した方とその娘さん。たぶん10歳くらいと思うのだが、僕が以前(お母さんのほうに)すすめた岡田淳さんの作品に見事ハマってくださったらしい。嬉しくてやりきれる。具体的には『ふしぎの時間割』の名が挙がった。あれはやっぱ、いいですよね。「公文でも(「消しゴムころりん」を)やった」とのこと。

 余談だけど僕もむかしユリウス巣鴨校で働いていた時(そういうのもやっていたのです)、たしか小学四年生むけに「ピータイルねこ」を教えた記憶がある。これも『ふしぎの時間割』に所収。この本はそのくらいの年代の子にけっこう刺さるのだろう。名作。
 さらに余談、僕が岡田淳さんの作品について「教える」なんてことは非常に恐れ多いので、この教材に関しては「問題を解く」ということをほとんど無視して「とにかく何度も読む」「読み方を工夫して音読する」ってのを徹底してやった記憶がある。バイト講師としては失格かもしれないが教育者としては正しい判断だったと思う。当時の僕にとってはそれが最も岡田淳を「教える」方法としてふさわしいものだっただろう。なぜならば、僕は岡田淳さんが本当に好きで、あまりにも尊敬しており、そんな美しき情熱を持った人間と一緒に「ピータイルねこ」を読むという体験は、他の講師には絶対に与えられないものだったからである。なーんちてな。ちなみに芥川龍之介の『白』という犬が出てくる作品も、あまりに子供たちから(文章自体の)人気がありすぎて良い意味で授業にならなかったため、これも「解く」ではなく「読む」を重視する授業に切り替えた。受験のことだけを考えるなら教材の好き嫌いを認めること自体よくないのかもしれないが、まあいいではないですか。情操教育! つか犬猫の人気よ。どうぶつはすごい。

 独演会というものは初めてだったのだが、前半は前座、隅田川わたしさんによる「金明竹」と小駒さんの「転宅」、後半は翁屋和助師匠の太神楽曲芸と小駒さんの「二番煎じ」。
「金明竹」はたまたま数日前に果物屋本店こと「ひろりんこ」くん(高校の後輩)がTxitterでつぶやいていたのもあって「あっ、金明竹だ!」とすぐにわかり、嬉しかった。「転宅」は酒を飲む描写がうますぎてうまそうすぎて驚いた。と思ったら「二番煎じ」はほとんど酒を飲むシーンで占められていて(体感)燗酒が飲みたくなった。さすがは酒飲みの家で育った酒飲み、というところか。
 お暇をし、自転車で夜学バーへ。22時にギン氏と交代、お客のひいたあとしばらく二人で燗酒など飲みながら話していたら、ぼちぼち帰るかという25時寸前になってまりこさんから「まだあいてますか~」とお電話が。「もちろん」と答え、まりこさん、小駒さんを含む四名を受け入れる。打ち上げの三次会に選んでいただいたわけだ。なんとありがたい。それにしてもみなさんよく飲まれる。そして僕と同じ感想、「噺をきいて酒を飲みたくなった」という点で一致。うーむ、酒場で演ってもらったらけっこう儲かるのでは……。

2026.1.26(月) 時間の長さについて

 あちらを立てればこちらが立たず、何かを褒めれば何かを貶めることになりかねない。僕はよく「時間」について言及し、時に「○○年来の友人」というように長さを強調することがある。そうなると「この人は付き合いの短い相手のことは軽んずるのではないか」というイメージが生まれる。そういうもんだと僕は思う。
 時間の長さはかけがえなくありがたく、それは本当に僕を嬉しくさせる。しかし逆に「長ければ信用できるが短ければ信用できない」とか「長ければ愛が深いが短ければ深くない」といった話にはならない。
 この日記のマニアならご存じでしょうが(これは「長さ」の強調ではない)、僕が好きな言葉にはたとえばこんなものがある。「なんか、初めてやのに、初めてっていう気がせえへんねえ。」大阪十三の「家庭料理おかわり」を初めて訪れたさい、ママから何度も何度も言われた言葉である。これは僕の価値観をかなり決定づけた。「やっぱりそういうことか!」と。
 そして僕は何度かこのようなことを書いている。「すべての友達はみんな同じ人なのだ」とか。それは『銀河鉄道の夜』(第三次稿あるいは岩波文庫版)によれば、

「ああ、さうだ。みんながさう考へる。けれどもいつしよに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。
 おまへがあふどんなひとでも、みんな何べんもおまへといつしよに苹果をたべたり汽車に乘つたりしたのだ。
 だからやつぱりおまへはさつき考へたやうに、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなと一しよに早くそこに行くがいい。そこでばかりおまへはほんたうにカムパネルラといつまでもいつしよに行けるのだ。」

 去年の夏に僕がつくった『友達は変わる』って歌の「行き交う友達はみんな同じ人だと思う」って歌詞(史上初のCメロ!)はまったく、このことを言っているわけです。一応、山本正之さんの『黒百合城の兄弟』も参考資料に加えておこう。そしてまた似たような発想として、小林じんこ先生の『風呂上がりの夜空に』によれば「全部現在進行形」で「全部が同時に行われて」いるのである。

 僕がこれまで言われて最も嬉しかった言葉の一つが「知っている人だと思った」という言葉だ。初めて会ったのに「知っている人だ」と思う。初めて訪れた場所で「懐かしい」と感じるのに似ているかもしれない。その人とは永遠に仲良しだと思う。そうでなければならない。
 僕が時間を愛しているのは、時間というものにそのような性質があるからだ。時間というものはそのように、存在しているんだかいないんだかまったくわからない。すべてが同時に行われているとしたら、時間というのは一体なんなのだろうか? 少なくとも「線」的なものではきっとない。時間というのは単純に「すべて」ではないだろうか!
 時間には本来、長さなどない。ゆえにこそ僕は「気軽に」長さについて言及できるのだ。たとえば20年という関係の長さは心強いし、頼もしいけれども、本質的ではないことを知っている。それで軽い気持ちで「わー20年かあ~」なんてことを言える。もしも「関係は長ければ長いほど尊重すべきだ」と思っているのであれば、それについて触れるとカドが立つわけだから気軽には言えなくなる。大事なことはそんなんじゃない!
 時間というものは20年だの50年だのを簡単に飛び越えるからこそ尊いし、面白いのだ。出会ってほんの数時間で「あー」ってなることは非常に多い。古い記憶では2002年の3月、麒麟さんという人と初めてまともにコミュニケーションをとった日に、僕たちはそれまでのほとんどすべての時間をともに飛び越えた。そして今に至るまで仲良くさせていただいている。初対面は2001年8月なので25年近い付き合いになるわけだ。僕らはまったく、「25年かけて仲良くなった」わけではない。「たった数時間で仲良くなって、そのまま長い時間がすぎた」というのである。数時間が尊いか、25年が尊いか。どちらでもよい。それが時間だ。

2026.1.27(火) 悩みとの対峙

 悩み多き年頃でねェ〜。一生そこから抜けられることはない。ゆえ対抗策というか僕なりのTipsはある。
 高1のとき毛受(めんじょう)先生が、「大人になると悩むなんてことはなくなる。悩んでも無意味だということがわかっているから悩まない」と言っていた。その時は「そんなもんかね」と思ってたが、とんでもない。いわゆる「大人」のような人でもしっかり悩んで、自殺したりする。『吾輩は猫である』にも「喧嘩をしたり、自殺をしたり騒動が起るんだね」なんて台詞があった。明治38年ですぞ!
 一方で「悩む」ということをすっぱりやめたように見える大人だって確かにいる。「大人」と一口に言っても一枚岩ではなく、その点で毛受先生の説明は不十分であったが、「おれの場合はそうだ」という話であれば納得できる。確かにそうだよな。合理的。
 考えても無駄なことは考えなくていい。考えていて楽しいのなら別にいいが、ストレスならば本当に無意味。僕も悩み多き年頃ではあるが、「このまま考え続けるとストレスになるな」というところでやめることにしている。心に負担をかけていいことなどない。
 ストレスになりそうなものや場所、人などを物理的に遠ざけることも必要だと思ってきた。少しくらいカドが立ったとしてもそれで自分を守れるのならば仕方ない。しかし一般に大人になるということはそこを引き受けることではあるんだろうなとは思う。そうなると大人というものは常に強大なストレスに苛まれることになるはずだが、みんなどうしているのだろう。一つには心をまるで無くしたかのように静かにするということがあるのだと思う。自然にやれる人はいいが多くの人はどこかに皺寄せが行って喧嘩をしたり、自殺をしたり騒動が起るんだね。
 あまり合わない背広を無理にきると綻びる。自我に合うオーダーメイドの背広は高価すぎて買える人がなかなかいない。みんな吊るしの背広を綻びさせて苦しんでいる。その補修で人生が終わる。キャバクラに行ったりセクハラをしたり虐待をしたり体を売ったり刻んだり、色々。
 それで僕はそもそも背広なんか着ない、という選択を続けてきたわけだが、いつまでドラえもんのスカジャン着てるのかね? まぁずっと着ているとは思いますが、それはそうと背広も着られたほうがいい。それこそ僕が主張しているのは「同時」ってことなわけだし。合う合わないは置いといて。魔法で纏えたらそれが一番だわね。
 最近布団に入ってから考え込んで眠れなくなることが二度あった。僕としては珍しいことである。またその内容が「どうしよう」の検討であることはさらに珍しい。楽しいことを考えて面白くなって興奮して眠れなくなることのほうがまだ多い。しかし1時間も2時間も輾転反側していることはまことに非効率で、ネガティブなことが含まれれば心にも負担がかかるわけだから、一所懸命何処かでスイッチを切る。「はい、今日はもうおしまい」と。それができるから僕は不眠にもうつ病にもならないのだろう。「どうしよう」モードと「世の中面白ければそれでいいのさあ〜 ←歌ってる」モードまでの距離がかなり近く、その間に「おやすみなさい」がちゃんとある。僕の初期傑作漫画『お風呂』も布団に入って眠るシーンで終わっている。
 今こうして文章を書きながら、まあなるようにしかならない、ということだけが真理だと思い出している。無数の漫画を読んで生きてきたから振れ幅だけは多く知っている。なあに俺だってまだまだ……。

2026.1.28(水) 片想いの資格

 昨日あえて書かなかったのだが小山田圭吾さんの誕生日で、ゆえに忘れないのだが同じ誕生日の友達におめでとうと宇宙船サジタリウスのLINEスタンプを送った。日付が変わって28日になっていたので今日の記事でちょうどいいだろう。日付を見ると4年ぶりであった。風の噂で子供が生まれたとか聞きなんとなく遠慮していたというのもあったが、その人とは色々あって、色々あったうえで僕はその人のことがすごく好きなのだが向こうはそうでもないのかもしれないと、つまりこれは片想いなのかもしれないと思っていたのもある。4年間黙ってたら向こうも黙ってるわけだからやっぱりそれはそういうことなんだろうとは思うのだが、徹底的にトラウマで連絡が来ただけで死にたくなるようなことでないのなら(その可能性を否定しきれないでいるのだが)、古い友達から連絡が来ることは好もしいことだと僕は信じるので、たまには連絡して嫌なことはないんじゃないかな。そういえば僕が昔々やっていたメールマガジンのタイトルは「( ・∀・)ノ<たまにはメールくれよ!」だった。表記は多少違うかもしれない。通称「たまメル」。
 朝になって簡単な返事が帰ってきた。ありがとうのスタンプに短い一言が添えられていた。それには返事を返さないでおいたが、また適当なタイミングで生存連絡をしてもいいだろうとは思えた。
 僕は友達のことが好きすぎて、おそらくほぼ片想いに近いような相手もいるだろう。みんなに会いたい。小中高、その後、よほどのことがなければ一度仲良くなった人とはまた会いたい。生徒たちなんて言うまでもない。でも向こうはどう思っているかわからない。けっこう僕は古い友達やしばらく会っていない人に自分から働きかけることが多いのだが、「久しぶりに会おうよ」と言うのにはかなり勇気が要る。僕がお店をやっているのは、それほど大きな勇気を出さなくても「ジャッキーに会いに行ける」環境を作っておくためでもある。実際いろんな友人が来てくれる。思わず大きな声を出してしまうことさえある。普段は誰が来てもポーカーフェイス気取っているのに。
 そんなに人が好きなのに僕は基本的に不義理だし、不誠実なところもたくさんある。本当に不器用で社会性や協調性に欠け、まったく片想いする資格なんてない、恋の資格がナッシング!とも思うのだが、逆にいえば「人が好き」ということ以外に取り柄なんてないのかもしれない。そこだけで生きさせてもらえているような気もする。もちろん好きすぎて困ることだって多いから、諸刃なんだけど。難しいな、色々なことが僕には。でもそうでしかないから、それでいいのだ。

2026.1.29(木) 詩人の散文

 2/1 22:45のジャッキーです。店で後頭部打って、少しぼんやりしたので大事をとって帰宅、安静にし始めたところです。考えたり書いたり脳を使うことも控えたほうがよいようなので少し日記滞るかもしれません。明朝病院行きます。念のため救急と思ったのだが日曜の夜、A病院は混み合い、Y病院はお腹の専門医しかいないそうで、緊急代7700円追加で払ってタライ回しにされるよりはと。Y病院の看護師さんも様子見られるなら朝イチで電話してこいと言うので、そうする。ヤバいことになったらY病院の看護師さんがわるいです(伏せ字にしといてよかった〜)。
 部屋を暗くして小さな音でブラームスをかけている。とりあえずみなさん、心配してください。そして適度なタイミングで店に来て、顔を見てやってください。いつまで微笑んでいられるかわからないのだから……脅し。
 タイトルは、さっきお店で出た言葉。ここからいろいろ発展していって楽しかった。
 これが絶筆にならぬことを祈る。大袈裟! しかし呑気すぎるのもよくない。

2026.1.30(金) 山形と仙台のはしご

 大冒険であった。JRE BANKからもらったJR東日本の4割引優待券の期限が今月末だと気づき、あわてて企てた突貫旅行。幸か不幸か木曜の夜は真夜中お客さんなかったのでそれなりに休んで9時54分の上野発に乗れた。
 今回のチケットは「東京都区内→(山形→仙台→)東京都区内」。普通に買えば13270円となるところ、一筆書き切符なので11000円となり、4割引きで6600円。特急券は上野→山形の新幹線5190円(東京から乗るより210円安い)と、仙台から帰る特急ひたちで1880円(チケレス35%、本来は2900円)。あわせて13670円。ウム! 余は満足じゃ。これはゲーム。#1円でも運賃・料金が安くなると嬉しい鉄 なので。
 しかもこのきっぷ「東京都区内」ならどこでも乗降可能。えきねっとで「新幹線eチケット」とか買うと新幹線駅まで/からの運賃を別に支払わねばならぬ。「ぷらっとこだま」とかもそう。細かいことだがゲームなのでちゃんとやる。
 12時30分に山形着、
つづく  
2026.1.31(土) 仙台から帰る



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