ひごろのおこない/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
過去ログ
2025年11月
2025年12月
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2025.12.1(月) ヌンタン色々展 in 巻
2025.12.2(火) 店内の動線と、客席に身体を開くこと in 巻
2025.12.3(水) 狂い続ける義務のこと
2025.12.4(木) アステアと翔太郎
2025.12.5(金) 名古屋の人とは気が合わない
2025.12.6(土) 高校時代の知己たちと
2025.12.7(日) 本題(1) 普通の人間
2025.12.8(月) 本題(2) 失敗と失格
2025.12.9(火) 本題(3) 嫌われる元気
2025.12.10(水) 本題(4) 同時の世界
2025.12.11(木) 本題(5) 既知の欲望
2025.12.12(金) とり、
2025.12.13(土) 傷の癒し方
2025.12.14(日) 脱マージナル野郎ども
2025.12.15(月) みんなの新名祭(1)
2025.12.16(火) バウンダリー
2025.12.17(水) バウンダリー2
2025.12.18(木) 大蜘蛛ちゃんと練馬高野台
2025.12.19(金) 土浦行 序
2025.12.20(土) 土浦行2 城藤茶店とほんとこ
2025.12.21(日) 土浦行3 停車時間は5時間25分
2025.12.22(月) 終わりの季節
2025.12.23(火) 初老の狐はどう生きるか
2025.12.24(水) きつね三吉
2025.12.25(木) 老眼とメタ認知
2025.12.26(金) みんなの新名祭(2)
2025.12.27(土) 日常は未知の旅
2025.12.28(日) 吉祥寺プチ
2025.12.29(月) 物語性の暴力と「くさみ」
2025.12.30(火) 今日ですべてが報われる
2025.12.31(水) つまり、未知とは他人である
2025.12.1(月) ヌンタン色々展
まず一つ、マウスがないと何もできない。マウスがなくてもどうにかなるように卒マウスをしたほうがいいのかもしれない、マウスなしですこし頑張ってみる。
もう一つ、後に詳しく記すし、すでに何度か書いてきたのだがこれは意志として、もう余分な関わりは積極的に消していきたい。義理を絶つ。もともとそうしてきたのだ。たやすくできることでもない、くり返すが意志として。自分は自分の世界でやっていく。「あなたの世界とわたしの世界が隣り合いほほえみあえるのなら」(Amika『世界』)というのがすべてだ。「平行線の二本だが手を振るくらいは」(中村一義『永遠なるもの』)ってだけでいい。これが基本であった。忘れてはならない。
月初の記事なのでしっかり書いておきたい。さみしいけれども自分は自分の世界を守らなければならない。
また一つ、6日の記事に記すつもりだが「もっつ」に会ってきた。高1(103)の同級生である。詳細は省くが「生き馬の目を抜く世の中」において敵はいつ襲ってくるかわからない。問題の起こりそうなことは早めに摘んでおいたほうがよかろう。それで念のため先月末の記事に検閲をかけた。「忘れてた他人(ひと)の冷たさ 甘く見た自分の愚かさよ」(Guniw Tools『腐肉にとっての愛』)
「ヌンタン色々展」は今回の新潟行最大の、というか原初の目的である。せっかくだからスズメ先生のガタケに合わせた。ちなみに「新潟行」とは「にいがたこう」と読み、紀行文のもとになった旅のことをさす。
古町のバス停で母娘を見送り、大好きな「花」でコーヒーを飲む。白山駅から電車に乗って内野へ。「喫茶みずのみば」予定地を見学させてもらう。なんとかうまくやってほしい。
そして巻駅に移動し、ヌンタン色々展へ。ヌンタン大いに驚き、喜んでくださる。彼女とは10月4日に旧みずのみばで行われたライブ(僕と黒井46億年の対バン、店主と森田花壇さんも出演)で初めてお目にかかり「ただものではない」と感じ、ぜひとも個展にと思ったのだ。何しろ「ヌンタン色々展」という名前がいい。それだけでセンスを感じる。
色々展は本当に色々で、時代もジャンルも形式も幅広い。褒めればキリがないしご本人にはあれこれお伝えしたので割愛。
最古の作品は30年前。今年のもたくさんある。ヌンタンの人生、その時間が詰まっていた。このホームページや「平成のジャッキーさん展」(2021)に近しいものだ。僕は時間を愛しているので、なんともいえない幸せな気分になった。2025年の作品が、十代の頃のイラスト集やマンガと地続きにあるのをしっかり感じられた。作風や技術は変遷しても、絶対に同じ人が書いていると伝わってきた。「展」はこういうところが素晴らしい。
95年から97年(おそらく中2から高1)にかけて描いたとされる便せんに深く感銘を受けた。「これは同人活動のなかで制作したものですか」的なことを聞いたら、「いえ、どこにも発表しておらず、原画だけ残っていたのを今回初めて印刷しました」とのこと。友達のあいだでコピーくらいはしていたのかもしれないが、同人文化における「便せん」的なものではなかったと。しかしおそらくそのような文化に憧れたか、真似したくなって、ペンネームや「SUPERLOOSE」なる架空のサークル名までつくって、それっぽくやってみたらしいのだ。カードダス自作するみたいなもんか。すごく、わかるし、それをずっと大事に取っておいて、30年後に値段つけて売るってのが本当に、「時間を愛する(大切にする)」ってこういうことだと思う。30年間愛し続けた作者の気持ちが、作品のなかに蓄積して封じ込められている。パッと見ただけですぐにわかる。しかもそれが「初めて日の目を見る」だなんて、もう昂奮して昂奮して。
『光線』と題された絵(2025)やエコバッグ、ステッカー、くだんの便せん(全種)など買う。絵はひとまずお店に飾った。1年くらいは最低でも置いておくと思う。その後も何もなければずっとあるけど、なくなっていたらお家にあるのだと思ってください。
冒頭の話に無理矢理つなげよう。僕は僕の世界で生きていく。たとえばこのホームページには25年ぶんの僕の気持ちが悉く封じ込められている。それとともに行く、ひとまずはそれでいい。
孤独じゃないので、孤独でもいい。
2025.12.2(火) 店内の動線と、客席に身体を開くこと in 巻
ヌンタン色々展のあとは近くのカフェでかなみさん(みずのみば店主)と彼女の新店舗に関する会議。僕はいちおう店師として先輩であり師匠ゆえ偉そうにあれこれ思うことを伝えたのだが、短い時間では良くも悪くも原理原則しか語ることができない。むしろそれでよいはずだ。すべては彼女が考え、決め、背負う。「まねっこするんじゃなくて」(from『まなびストレート!』)、「本当のスタイルはオリジナルであること」(from 三浦大知『Free Style』)なのだから。
かなみさんという人はすでに常識の外側にいて、そこを僕は高く買っている。商売をなすにはあまりにも基礎が弱いのは間違いないが、そこを乗り越える胆力と伸びしろはある、というかつかみ取れると信じている。信じなければ何も始まらない。
今回僕が話したのは主として「動線」について。初めからそれを話そうと思っていたわけではなく、雑談のうちに出てきた。考えるべきは店主ないし従業員の動線だけではない。客の動線、そして物の動線。さらには手や足、首、視線の動線も重要となる。そういったものをすべて考えておかなければスムーズな店舗運営はできないし、魅力的な空間とはならない。
見落としがちなのは「物の動線」である。たとえば食器は店内をどのように循環するのか。ここにロスがあると一日中、一年中もたついてしまう。夜学バーのような狭い店でさえオペレーションがまったく変わってくる。
移転前(301)はその前に入っていたお店の構造を踏襲したため、次のようになっていた
カウンター カウンター
食 洗い場 干し場 カウ
器 店員 ウン
棚 ター
食器の循環は《食器棚→店員(=作業場)→カウンター→洗い場→干し場→食器棚》なのであるが、この場合「洗い場→干し場→食器棚」に致命的なロスがあるのがおわかりだろうか? 一度←に行って、→に行って、また←に移動するわけである。しかも僕は右利きなので右でスポンジを持ち、左で食器を持つのであるが、そうなると「左手で、右側の干し場に食器を置く」ということになる。また「左手で、右側の干し場から食器を取って右手の布巾で拭く」も同様。
現在(401)は以下のように変えた。当然である。
カウンター カウンター
食 干し場 洗い場 カウ
器 店員 ウン
棚 ター
劇的に変わった。「カウンター→洗い場→干し場→食器棚」が完全に一直線に繋がる。洗い物の際も、左手に持った食器をそのまま左手で干し場に置ける。干し場から食器棚も、左手で取って右手で拭いて、そのまま左に持っていけばいいのである。完璧!
これが「物の動線」と「手の動線」の重要さ。わずかなことだが「もたつき」がなくなり、速度も出るしストレスも減る。何より洗い物の際に「身体を閉じる」必要がなくなるのがかなり大きい。右手を左側に、または左手を右側に動かす瞬間、どうしても身体は「閉じて」しまうのだ。
一流のヤガクテンダーは、常にすべてのお客に対して身体を開いているものなのである。L字(ないし扇)型のカウンターに座るすべてのお客を、両肩の内側におさめていなければならない。言い換えればすべてのお客の視界に、場ーテンダーの胸が入っていなければならないのだ。洗い物の際にはシンクにまっすぐ向き合ってはならない、どんなに不自然な格好になろうとも常にすべてのお客に対して胸を開いている必要がある。ジャッキーさんの姿をよく観察してみてほしい。100%とは言わないまでも、ほとんどの瞬間、およそ何をしていても両肩をすべての客席に対して開いているはずだ。優秀な教員が決して生徒に背を向けないのと同じである。黒板に字を書くときでさえ、彼らはほとんど前を向きながら書いている。そうでなければ教室を「支配」することはできない。この「支配」はサッカーとかのスポーツにおける「支配力」みたいなニュアンスね。
ま、例外的に、あえて背を向けて印象的なフレーズをガガガッと音立てて書くようなのも迫力のパフォーマンスになるし、いろんなスタイルの優秀な先生がいるのも間違いはないですが、原則としてはそうだと僕は思います。
またこれはsoudaiくんという、一時ヤガクで働いてくれていた友達が話してくれたのだが、心理的にも身体は開かれていたほうが相手に安心感を与えるという。腕組みが悪印象を与えるのの裏返し。今度「もっつ」と話したエピソードを書くときにも記すかもしれないが、そういう基礎がしっかりできていないとお客(または生徒)とまず良い関係を築けない、関係ができないと営業(授業)はうまくいかない。手順だけを真似(コピー)しても無駄なのである。
かなみさんにはかなみさんの魅力があり、彼女なりの「識」(常識にとらわれない独自の考えや感覚)があるので、それを信じて良い店をつくってもらえたらいいなと思う。動線とか身体の使い方みたいなことはそれ以前の本質的なことだと僕は信じているので、そういうことだけは伝えておきたい。
2025.12.3(水) 狂い続ける義務のこと
まだ1日のエピソードが続く。巻(新潟の地名)を離れて越後線に乗り、かなみさんと内野で別れてそのまま新潟駅へ。ちょっと時間があったので1173というバーへ。以前から仲良くさせていただいており、例のかなみさんもお邪魔してお店づくりの相談に乗ってもらったようなのである。
店主はなかなかやり手の女性で、内装関係の造詣も深い。歯に衣着せぬ物言いで「みずのみば」の甘っちょろさを縷々指摘する(むろん優しさと愛と祈りを込めて)。まことにその通りのことしか言っておらず、完全に同意できた。ただ僕は思う、たぶんかなみさんという人はそのような「常識」の外側にもう行ってしまっているのだ。行く手は荒野であろうが、行くしかない。そのようなブチ切れ方を少なくとも今はしてしまっている。誰もあの娘をとめられない。baby, oh baby, い・け・な・い ルージュ・マジック! プリッキュア~!
みずのみばの甘っちょろさ、至らなさは僕ももちろん心配しておるのだが、もう動き出してしまったのだ。たぶんそのようなマイナスは「勢い」によってすべて相殺されてしまうだろう。開店後もさまざまな受難や低迷を経て、少しずつ反省とマイナーチェンジをくり返し、なんとかかんとか続けて行くのだと思う。ただそうできるかどうかは彼女にのみかかっている。根性と、「優しさを手抜きしなけりゃ」ってところに。
僕は願うのである、自分以外にもそういうことを成立させてしまう人間が育つことを。ここで大切なのは「育つ」というところだ。僕は彼女をごく若い時分から知っているわけだが、その頃と比べたらまるで赤ん坊と兵隊(参考文献:宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』)で、さらに戦車とか戦闘機くらいまで伸びなければ狂ったお店は維持できない。
誰だって最初から偉大だったわけではなく、育って育ってそこまで来た。その証拠を目撃したいのである。「モテたいのならモテるのは義務」という僕のつくった格言(名言!)があるが、チャレンジする者はチャレンジし続けることが義務であるし、狂うと決めたら狂い続けることが義務なのである。
待ち合わせがあり1173を出る。本来は長岡に向かう予定だったが新潟にいることにした。奏(上大川前通)、みどり、五月とハシゴ。逆だったら五月みどりを奏でられたのに。あ、かの「夜学♭待夢来人」にも寄ったのだった。奏のママとその話ができてよかった。何を話したかはナイショなのさ~♪←歌ってる
翌昼に長岡に寄り、禮ちゃんにご挨拶。50年くらいやってるスナック。お昼も開いてるのありがたい。おそろしい量の食べものを出してくれて、おそろしい口数でずっと喋っていた。「フレンド」買って帰る。そのまま夜学バーに出勤。
2025.12.4(木) アステアと翔太郎
30日から2日まで新潟県にいて、2日と3日に出勤して、4日の午前中には名古屋にいた。偉いもんですよなあ。喫茶店に二軒寄って連続モーニング(富士、ゆき、どちらも最高!)、パん買って、12時半から日比野の雷鳴座で劇団舞姫を観る。
舞踊ショー→『夏祭浪花鑑』、主演は澤村姫之介。めっちゃ良かった。夜の部はキャスト交代で葵翔太郎主演になるらしい。気になるので予定を変更してそっちも観ることにする。合間にヨシヅヤのスガキヤ行って特製ラーメンと五目ごはんとサラダのセット。960円。高くなったが仕方ない。アプリの100円クーポン使用して860円。バイトの男子高校生みたいなのがだいぶ横柄で良かった。ガラガラのフードコートで女子中学生みたいの二人がずっと勉強しててかなりよかった。
まだ少し時間あったので「ジャンプ」という喫茶店へ。こちらは二度め。ここで日記書き進めた気がする。
夜の部も舞踊ショー→『夏祭浪花鑑』、昼夜ともに役者の「送り出し」なし。水をザッパザッパかぶるお芝居だからだと思うが、だからってなぜ? 化粧や衣装の崩れのせいか、風邪ひくからか。
積極的に接触に行きたいわけでもないし、正直照れるので送り出しはなくてもいいっちゃいいのだが、だからといってさみしいよ翔太郎、って感じではあった。2月は古町演芸場(新潟)らしい、たぶん行く。1月は四日市の温泉、名古屋や関西に用事があれば寄るかも。遠征族ですね、立派な。
いちおう説明しておくと、この劇団は「大衆演劇」というジャンルに属しており、原則として「一つの劇団が一つの劇場を一月貸し切る」というスタイル。一ヶ月間ずっと同じ劇団が昼夜公演し、毎日、なんなら昼夜でも演目が違う。今回は同じ演目だったが「主演を入れ替える」という特別企画ゆえ。曲がりなりにも演劇をかじった身として、どれだけえげつないことかはよくわかる。すなわち月に50公演、別の演目をやるってことです。それだけのセリフや段取りをすべて覚えていなければならないってことだし、舞踊ショーの振り付けも考えたり覚えなければならない。常人のやる仕事ではない。
そのような大衆演劇という世界そのものが面白く、惹かれたというのもあるが、やはり劇団舞姫の総座長たる葵翔太郎サン(23)に惚れ込んだのが最も大きい。年とってショタコンの気が増してきた、なんてことを冗談がてら思うのだが、実際よく考えてみると僕はもともと「こういうもの」が好きだった。
キッカケは中学の時に観た映画『ザッツ・エンタテインメント』であろう。『オズの魔法使』とどっちを先に観たのか忘れたが、これらがとにかく僕を「歌と踊り」の世界に引きずり込んだ。とりわけフレッド・アステアとジーン・ケリーの芸に魅了された僕は、ゲオの安い日に通いまくってMGMミュージカルのVHSをあるだけ全部観た。有名なのだと『雨に唄えば』とか『バンド・ワゴン』みたいなやつね。タップダンスを中心に、さまざまなスタイルの歌と踊りがメインで、ストーリーはだいたい単純明快、ひねりはあんまりない。
大衆演劇も似たようなものだ。筋は単純、というか古典的な人情ものが多く、殺陣や喧嘩、追いかけっこなどの立ち回りに迫力がある。舞姫の舞踊ショーは日本舞踊から西洋風の激しいダンスまで幅広い。総じて「単純な筋と華麗な芸」を演じるものという理解でいいと思う。
最初に観たのは『曾根崎心中』だったが、そのときに翔太郎総座長はハッキリと言っていた。「歌舞伎だと(素人には理解が)難しいし、『国宝』でも一部しか演じられない。全体を誰にでもわかりやすく伝えるのは大衆演劇が最も得意とするところなので、今回初めて演目に加えた」と。大衆演劇の担い手として、「わかりやすさ」をその使命としている自覚があるのだ。
ジーンにアステア、そして翔太郎。僕の中で彼らは一本の線に繋がる。「単純な筋と華麗な芸」これに尽きるのだ。ジーンもアステアもこの世にはいないが、葵翔太郎はまだ若く、目の前で観ることができる。なんと幸福なことだろう。
昼の部は僕を含めてお客は8名、夜の部は6名であった。このような素晴らしいものはもっと人の目に触れるべきである。今月は名古屋、1月は四日市、2月は新潟だそうな。入場料はいずれも2000円台で、予約もよほど大きなイベントでもなければ不要(入れる)と思うので、気まぐれに行ってみてください。舞姫以外の劇団もたぶん同様に素晴らしいと思います。観たことないけど、そのうち翔太郎ゲストの回とかに行ってみると思います。
ちなみに葵翔太郎さんのことは
10月17日と
29日に書いた。よろしければご参照ください。
『夏祭浪花鑑』は主人公が悪徳な義父(親父どーん)を殺して、その血を水で洗い、最後は捕り方との立ち回りでそのまま幕となるのだが、一連の演出が素晴らしい。徳兵衛(主役)がブチ切れて親父どんを追っかけ回して何度も何度もぶっ刺して殺すところで、髷は解かれて落ち武者(わかりやすい表現)のようになり、なぜか義父により身ぐるみ剥がされて真っ赤な褌一丁になる。そのまま本物の水をかぶってバシャバシャ暴れるのも劇場ならではの迫力である。そこまではものすごく荒ぶった、鬼のような姿になっているのだが、いったん幕が引かれて捕り方が「ご用!」とか言ってるうちにまたちゃんとした着物を着て髷も結い(鬘を変え)、たぶん化粧も整えてから再び幕が開く。最後の最後は最も美しい姿で締めるわけである。なぜいったん裸になり、また服を着るのか。こまけえこたあいいんだよ! そのほうが美しいし、華麗だからなのだ。幕が引かれる前にあったセットもすべて撤去され、足もとは水だけになる。とにかく「主演の美しさ」のみを強調するために不要なものは退かすわけである。最後は捕り方の支えるハシゴにのぼり、にらみをきかせて幕となる。あいや、すばらし。
歌舞伎というものはカメラのない時代に「美しい一瞬」を目に焼き付かせるためにあるのだと以前書いたが、大衆演劇もその点はしっかり踏んでいる。とにかく美しい、印象的な場面を目に、心に焼き付かせるのが彼らの仕事なのだ。そのためには整合性とか、ちょっとした雑さとかはどうでもいい。「複雑な筋」すらそこでは邪魔になるのである。
2025.12.5(金) 名古屋の人とは気が合わない
大衆演劇昼夜鑑賞を終え、地下鉄名城線で大曽根へ。まずフィリピンバーRepublic。ここはいわゆる「フィリピンパブ」的なノリの女の子を売りとしたお店ではなく、フィリピン文化を日本に発信するために日本人が経営する個人店である。ところが扉を開けるとフィリピン人の女の子がいた。「えっ、方針転換?」と思ったが店主の奥さんであった。いい人だった。フィリピンビールと春巻、エビチップスと酢、カラマンシーのハイボール。ややあって店主帰って来る。「大曽根周遊スタンプラリー」を4つ押してもらう。10点で完了なので、がんばれば今日明日で埋まりそうだ。やめてほしい。やってしまうから。
タイトルを「名古屋の人とは気が合わない」としたが、このお店はかなり気が合うほう、というか、気が合うと思う。広げていこうとしているし、開いていこうとしているし、僕のような外部の人間にもすこぶる優しい。本当は僕が誰よりも地元なのだが、なんだか名古屋の人にはよそ者と扱われがちだ。生まれ育った土地よりも「おれたち」かそうでないかが重要らしい。当たり前だが。ところがこのRepublicでは店主も奥さんも僕を対等な、一人の人間としてちゃんと扱ってくれる。ほかのお客のいるときはまだ体験したことがないが、少なくともいまのところ。
次に、この日(4日)にプレオープンの昭和歌謡バーへ。時計屋さんの内装をまったくそのまま使っていて好感が持てるし、カラオケがないのでうるさくない。飲み放題60分2000円で15時から29時まで毎日やるそうだが、この日はそれがさらに半額。大盤振る舞い。
若い女の子が3人とオーナーらしき人がいて、お客もそれなりに入っていた。すでに伏見にある店の2号店、かつ大曽根にあるアニソンバーの系列店。もともと秋葉原に本店があるらしい。おそらくその系列のやり方を踏襲しているのだろう、ガールズバーよろしくキャストと客との「一対一対応」のコミュニケーションが主体で、複数の人間による「場」なり「ゾーン」を作り上げるタイプの店ではない。それはそれでいい。
後半はお客たちがYouTubeを見ながら昭和アイドルオタクトークで懐かしい懐かしいをしていた。僕はもちろん蚊帳の外である。1000円払って出た。名古屋の人、ってことでもなくてどの地方でも同じなのだろうが、率として、名古屋にはこうでない店に出会うのが難しい。「こう」というのは、「一対一」と「内輪」以外にコミュニケーションが存在しないことだ。開かれていない。
口直しのつもりでジャズとバーボンの名店「マイスタイル」へ。10年くらい前から断続的にではあるが何度も通ってインスタもフォローしあっているのだが、いわゆる「認知」が切れておりまったく忘れられていた。これはこれでいい。初めてのつもりでおすすめのライやバーボンの話を聞く。素性も知らぬ(とたぶん思っている)僕にサービスで一杯くださったりした。こういうことなのですよ。ほかにお客はいなかったが、少なくとも初見の客に対して存分に開かれている。そうでもない日もあるかもだけど。
そう遅くならないうちに帰宅。両親とも起きている。多少団らんして朝早いので眠る。
お父さんが用意してくれたごはん食べて徳川美術館へ。国宝「源氏物語絵巻」全点公開じっくり見る。感想は書くとしたらまた今度。
「つねかわ」で昼食食べる。意外の事実、打ち明けられて驚くも、とにかく死ぬまで働き続ける意志を強く持っているようで安心というか、応援するしかない。帰ると絶対に一度は顔を見せている。30年以上通ってますからね。ソースのメーカーを盗み、醤油の作り方を教わる。漬けてあったにんにくをもらう。
いったん帰って昼寝し、身支度をととのえる。夕方家を出る。気になっていた「KAZU COFFEE」に行ってみる。スタンプラリーの主催者であり、読書会や落語会などのイベントにも熱心で、町の活性化をちゃんと考えているらしいのだ。
結論、良いお店だったし大曽根を良い方向に導いてくれていることは疑いがない。本当にありがたい。欲を言えば、もっと僕と気が合えばいいのにな~、って感じ。決して悪い意味ではない。おそらく理想がやや異なるだろうというだけで、大いに本気で応援している。
その後「喫茶はじまり」へ。週末のスナック営業に合わせた。近年の大曽根文化はここを中心に発展していると言って過言ではない。本当にありがたい。この二店がたぶんしばらく引っ張っていってくれるだろう。ちゃんと人が集まり、ちゃんとつながり、ちゃんと形になっている。
欲を言えば、やはりもっと気が合えば嬉しい。誤解してほしくないのだが気が合う、というのは「好き嫌い」とは違う。いずれも僕は大好きである。ただどうしてもそれは「僕が好きな方向に大曽根を発展させる」ものではない。どんな形であれ大曽根が元気になれば僕は嬉しいのだが、結局は「ウチとソト」の「ウチ」を膨張させることが中心になる。それは仕方ないというか、多くの人、こと地元の人にとってはそのほうがいいのだと思う。僕が勝手に妙なことを望んでいるだけなのだ。よそ者や旅行者がさみしくない場づくりというのは、まちづくりにとってノイズにしかならないのだろう。
集う人たちはみないい人で、あったかく、店主の人柄がそれを決定づけている。そのコミュニティに入ってしまえばどれだけ幸せだろうか。ただ、そこに「入らずに関わる」ということはけっこう難しい。
今池に移動。待ち合わせの時間調整に「本と酒 安西コーブンドー」へ。こちらも非常に良い店である。7年ぶりに行ったが良い部分は良く続き、むしろ発展しており、破綻していない。立派なものだと思う。しかしこれも同じ問題で、「ウチとソトのウチを膨張させる」方向性のものだ。そりゃそうだろ、当たり前だろ、って感じではある。ただそれに加え名古屋や大阪に特有なこととして「お客は来て当たり前」と思いすぎているところがあるように思う。「ご希望あらばウチに入れますが、その意志をお客のほうから出さない限りこちらからは何も言いません」という態度が名古屋や大阪、あとなぜか松本とかに多いような気がする。別にそれはそれでいいのだが、さみしいんですよね。「一期一会」という感覚がない。もちろんそれは非常に機能的ではあるし、飲食店ってのは飲食を提供するのであってコミュニケーションはオプションですから、分けて考えるって感じなのかもしれない。もちろん批判とかではない。僕がいつも妙な気を起こしているだけなのだ。
2025.12.6(土) 高校時代の知己たちと
金曜21時すぎ、今池で友達と合流す。たまたまなのだが僕の家と彼女の家とのだいたい中間地点にこの街がある。昔からよくこの辺で遊んだものだ。「静岡で会いましょう」ってやつですね。東京と名古屋の間~♪←これ10月4日にヒローした新曲です
彼女と初めて会った日の記録は「2000.10.29(日) イモ欽トリオ大ブーム。団子屋はこぞって団子の数を三つにしたそうです。」に記されている。恐ろしい話だ。25年以上経つのか。僕は高1で彼女は中2であった。それにしても団子屋がこぞって団子の数を三つにしたの面白すぎる、何か元ネタがあるのだろうか。
その後僕らはどういう手段であったかメールアドレス(あちらは家族共有のものであった、家電的な懐かしさ!)を交換し、お互いPCでやり取りするメル友となった。「あの頃は本当に必死に文章を書いていて、考えたことを言葉にしたり伝えたりすることの基礎ができた」みたいなことを後に語ってくれた。まだ後輩のいたことのなかった僕としても、あれが生まれて初めての「教育」だったのだと思う。そんな意識はもちろん当時はなかったし、今だって「お互い様」としか思っていないようなものだが、客観的にはだいぶ教育でもあっただろう。
それから今に至る長い付き合いになるのだが、大阪は十三の「家庭料理おかわり」に一緒に行ったのも彼女とである。あのお店がなければ僕は今のような「店師」ではなかっただろう。個人的にかなり重大な局面に同席してくれていたことになる。そういえば「家庭料理 おかわり」って韻を踏んでますな。
このような想い出や思いを「友達列伝」と題してすべての友達について書きたいというのはたぶんもう高校時代から考えているのだが実現していない。プライバシーもあるからね。みんなが死んだらやります。
何より面白いのは、彼女がずっと教育産業に携わっているということだ。同じく二個下の「ひろりんこ」くんは公立小中の教員、この翌朝に会う同級生「もっつ」は私立高校の教員で、長く付き合いのある人のなかには教育系の友人が比較的多い。教員になってからは職場で友達なんて一人もできなかったのに。
なんだかんだ2時くらいまで飲んだ。何を話したかって他愛もない、昔話もあれば今の話もあり、最も盛り上がったのは「みんなつまんないよな」ってところ。年をとればとるほど、周囲からおもろい人間が減っていく。だからこそ我々のような友人関係は貴重ですよな、と互いに互いを褒めあい高めあいながら帰った。
翌朝、8時に名店ロアールでもっつと待ち合わせ。彼は初期の日記によく登場するのだが、先ほどと同じページなら「2000.10.17(火) KATSUO=GOROU」に出てくる。知的またはナンセンスなジョークを言い合うのが日常だった。ちなみに「固定観念」というオチは、当時のコンテンツ「活字芸術」に載せていた彼によるプリンの話にかぶせたギャグ。今となってはミッシングリンクですな。ギャグ注は必要。
高1(103)の蜜月が終わりクラスが分かれると皆多少「103ロス」があったようで、彼もわざわざ僕のところにジョークを言いに来ていたらしい。「これはジャッキーしか笑ってくれないだろう」というとっておきのネタを。そういう関係は高校を出てからも続き、今も似たようなものである。
103には僕と同じかそれ以上のセンスを持つギャガー(おもしろ人間)が3人はいて、さらに大衆的ムードメイカーもいた。それらを凌駕する爆発力を持った天然モノもいた。もっつ、関川くん、原ちゃん、山田くん、ボードバカ。某薬局の息子も笑いをつくるのがうまかった。そして僕。このあたりを中心にしのぎを削り、笑いの絶えない良いクラスだったと思う。■くんも実はかなり面白い発想をする人間だし、ogtyさんや浦野くんなど、クラスメイトはことごとく笑いのわかる人たちだった。積極的に笑いを取りにいくのは男子だったが女の子たちもめっちゃ面白かったし、何よりみんな仲が良かった。(僕から語られない人たちがいることは当然意識には入れている。『鈴木先生』外典の「戸塚」のように、僕が言うような雰囲気とは無縁だったり、合わなかったりした人もいたはずだ。)
この一年間は、もともとおもしろ人間だった僕をさらに鍛え上げてくれた。そこでの笑いはすべて上品であり、場に応じたわかりやすいものだった。一部にのみウケるネタは一部に対して行われ、全体に出すものは全体にわかるようなものにちゃんとなっていた。夜学バーでは下ネタや身内ノリなどは原則として排斥し、品のある笑いのみを良しとするのだが、ひょっとしたらこれは103の感覚がそのまま持ち込まれているのかもしれない。
その103の中で僕が最も面白いと思っていたのがこの「もっつ」で、数年に一度は必ず会って話す。コロナ禍下でも「そろそろ」と長電話したのを覚えている。妻子あり、教員としても忙しいはずなのにフットワーク軽く、誘えばなんとか時間を作って来てくれる。今回も「土曜のモーニングなら」ということで、午前8時から10時までの2時間だけ割いてくれたのだ。なんて友達がいのある人間なのか。
相変わらずもっつは面白かった。昨晩の彼女は「みんなつまらない」とこぼしていたが、世の中にはまだこんなに面白く、能力もある人間が存在するのである。しかし数は少ないしなかなか出会えるものではない、大切にすべき関係だと改めて思う。
今のもっつの面白さは「笑い」にだけでなく、かつてよりさらに「知性」に振っている。そのうえでユーモアを絶対に忘れない。ユーモアが根底にあるからこそ知性も伸びやかに振る舞えるのだ、たぶん。
近頃の彼には本当に色々あったようで、いずれもここには書くべきでない内容だが、ともあれ大変なのだ。それでも「どうにかしてここからユーモアを見いださないと」みたいなこと言っててマジで感動した。そういうヤツなのだよ。
盛り上がったトピックは「友達が(悪い意味で)変わっていってしまうこと」と、「40歳前後になると生じてくる問題」。前者については「悲しく寂しい」そして「おれたちはよくあれるようにがんばろう」ということだが、後者はけっこう深刻である。40歳くらいになると「裁量権」が大きくなってくる。動かすものが大きくなると、些細なことでも見過ごしてもらえなくなる。以前と同じことを同じノリでしていると、大きさだけが増していくので、アラも巨大と見なされる。
また単純には、収入や資産が増えれば「ターゲット」にもなりやすくなる。なんらかのトラブルがあったとき、貧乏人相手なら簡単な手打ちで済ませることでも、金持ち相手には「むしれるだけむしれ」という発想になる。40歳で、普通に正社員として働いていたらそれなりのお金を持っているだろうから、「じゃ法的措置取りますんでお金くだしあ」という流れにすぐなる。「持ってるんだから払えるだろう、面倒ごとを避けたいなら速やかに払え」と。
ハラスメントにしても、裁量権が大きくなるから発生、あるいは強度を増すものが多いはずだ。権力勾配が小さければ問題も小さいが、大きくなるとそのぶんバネになる。それが僕にはあまりにも恐ろしいし、自分が組織に属したくない理由もけっこうそこにある。
この二人の旧友は、どちらも順調に出世しており、そのぶん恐ろしいこと、厄介なことも増えていくのだろう。僕はいっさい出世とかないので今のところはいいのだが、加齢と共に何かが大きくなってきていることは確かである。そこを見誤らないようにしたい。
ところで、教え子やお客さんにも教育業界や隣接する分野の人が多いと思う。教員や塾講師などはもちろん文科省に入ったり進振りで教育学部に行ったり、教育経済学なんてのを研究していたり。類は友を呼ぶと言うが、じわりじわりとそうなっている感覚がある。人生は生きものだな。
2025.12.7(日) 本題(1) 普通の人間
アーいよいよ本題である。今月の本題。本年の総括。1日に高らかに宣言したように僕はもう、引き払うんだからね! 決めた!
ちょっと早いかもしれない。橋本治さんが「101匹あんちゃん大行進」最終回で「若者」と訣別したのは彼が47歳の時(ヤングサンデー1996年2月8日号)であった。その後橋本さんは本当に一切、そのような場に現れることはなくなったのだが、逆にちくまプリマー新書などで「子供」に向けた発信はするようになる。『勉強ができなくても恥ずかしくない』とか『いちばんさいしょの算数』とか。思春期以降は相手にしていません!みたいなことだったのかしら。
ンマ僕に関してはたぶん「決めた!」とか言っても決めただけで、結局ダラダラとしばらくは続けてしまうのであろう。50歳までにすべて引き払えたらいいかな~。長い目で見よう。とりあえず意志として僕は、もう「普通の人間」と関わるのはやめます。
こっからは長くなる気がする。断続的に語っていくことになると思う。
考えると暗くなってくるし、使ってるキーボードのスペースキーと「V」がくっついて使い物にならないので進まない。なぜこんなことに。ほぼ使ったことのない「変換」キーを駆使してみている。マウスも出てこないし僕はもうおしまいだ。
とりあえずスペースキーは応急処置で直した。JRE MALLで新しいの買おう……5のつく日にね……JREポイントが5倍になるから……。
さて「普通の人間」とはなんだろうか? 差別したいのではないし、自分は特別な人間!と喜びたいのでもない。いわゆる生きづらさの表明、であることは否定できない。まぁシンプルに自己分析である。許してつかあさい。
普通の人間とは「既知」に安住する人のこと。既知と未知については最近よく
書いているし『夜学バーのつくりかた。』(ヤガバのみにて発売中)でも大活躍しているが、僕にとってかなり重要な概念なのである。
「普通」ということについては14年前にこう
書いている。
僕は「普通」というものを先日、「周囲の意見を無批判に受け入れること」だと考えることにした。つまり「何も考えないこと」が「普通」の本質であると。
習慣というのは、「普通」という状態そのものだ。
何も考えないで何かをすることが習慣である。
ジョギングが習慣になっている人は、ジョギングをすることが「普通」である。単純にそういう意味で。
だから、それがかりに「悪習」だったとしても、なかなか気づけない。それでずるずると、悪いことがずっと続いていく。
習慣とか普通というのはそういうものだ。
だから僕はそれを憎もうとしている。
(2011年12月11日の日記)
このあと、橋本治さんの言葉が引用される。これもわかりやすいのでもう一度引こう。
陳腐というのは凡庸ということです。凡庸ということは、ザラにあるということです。ザラにあるんだから、別にそれをいやがることもないんじゃないかというのが、現代の最大の退廃なのです。
陳腐であるということは、退廃しているということです。現代では、既に退廃もそこまで大衆化しました。平凡な顔をした退廃とくっつく必要はないということです。そして、平凡な顔をした退廃ほど、逃げるのに困難を極めるものはありません。何故ならば、平凡こそは人類の行き着く最終の安息の地だからです。そこが退廃しています。そこに居着いたら、もう永遠に逃げ場はありません。だからすぐ逃げなさいと言っている訳です。(橋本治『青空人生相談所』)
この「凡庸=陳腐=退廃」というものを僕はずっと嫌ってきた。なぜかといえばそれは「内輪」を生み「排除」を生むからだ。このことはずっと変わっていない。高1の時通っていたチャットルームでは、内輪話ばかりする人やその行為を「団扇」と呼んで嫌う気運があった。さまざまな人間が参加し、かつ誰がいつ入ってくるかわからないチャットルームでは、一部の人しかわからないような内輪ネタは控えましょうと。僕も大いに賛同していた。夜学バーの原点はここにある。
「凡庸=陳腐=退廃」がなぜ「内輪」を生むのか? 凡庸とはすなわち「既知への安住」だからである。未知なるものを求める人間やその態度を凡庸とは言わない。陳腐も退廃も「既知」と非常に仲が良い。「もう既知だけで良い、未知なんて要らない」という姿勢が「凡庸=陳腐=退廃」であるわけだ。
2011年の僕は「普通」ということを「周囲の意見を無批判に受け入れること」だと言っている。荒削りな表現だが言いたいことはわかる、「周囲」というのがミソで、それは「自分の属する既知のコミュニティ」を指す。既知のコミュニティにおいて定められていることは無条件で正しく、疑う必要がない。こういう態度が既知への安住であり、「平凡=陳腐=退廃」。
こういう人は「自分がいま思っていること」が常に正しいと信じている。「自分の思っていることは正しくないのかもしれない」とは考えない。既知は既知で動かず、「間違っているかもしれない」という未知のほうへは踏み出さない。「わからない」と思うことはあるが、そういう時は「周囲」にお伺いを立て、それを無批判に受け入れるのである。「常識=既知の集積」は、コミュニティの成員がすべて知っているはずだから。
僕がいま「普通の人間とは関わりたくない」と言っているのはすなわち、「未知に対して開いていこうとしない人とは関わりたくない」という意味なのだ。だって自分が誤っているという可能性を考えてもくれないんだもの。そこな既知とあんじょうやってくだされや、拙者は失礼つかまつる。
未知とだけ仲良くしたいんだ、というか、未知と仲良くしようと思う人とだけ僕は仲良くしたい。
凡庸はウチとソトを生む。なぜならば凡庸とは、普通とは「既知」だからである。「すでに知っているもののみで生きていきたい、これ以上未知なものを入れたくない」と専心するものたちが集まってコミュニティというものが生まれる。そこで共有される「常識」は、その外側にいる者を排除する。
次号、「失敗」の話につづく。
2025.12.8(月) 本題(2) 失敗と失格
僕がいま「普通の人間」を憎んでいるのは彼らが失敗を許さないからである。正確にいえばそれが「彼らに理解できるタイプの失敗」であった場合に限り「定められた手続き」によって復活できるが、「彼らに理解できない(未知なる、常識外の)失敗」に関しては一発で「あなたは失格!」と烙印を押され追放される。
「あなたは未知なることをするような人間なので、既知の楽園たるこの場にはいてほしくありません」という話だ。わかりやすい。未知は「ウチ」の安定を脅かすので「ソト」の暗闇に放り出して安心したいわけだ。また、当然ながらもともと「ソト」にいるような相手に対しては容赦なくぶん殴ることができる。「ウチ」は傷つきませんし、むしろ防衛になるわけですんでね。「こっち来んな」ですわね。
こないだもっつ(6日の記事に書いた103のクラスメイト)と話していて、「学校で習ってきた道徳はどこに行ったんだ? 大人になればなるほどそれを無視して襲いかかってくるやつが出てくるじゃないか」みたいな話になった。二言目には「法的措置を取ります」みたいなさ。ちゃうちゃう、みんな仲良くしましょう、人には優しくしましょう、話し合いで解決しましょう、みたいなことを小さいころから我々は教わってきたんじゃなかったのか? それは方便であり、タテマエだったのか?
「ウチ」の問題に関しては道徳が通用するけど、「ソト」の人にまで適用してやる義理はないってこったろうね。そこまでは誰も教えてくれなかったよね。でも僕は「優しさ」みたいなものをちゃんとみんなに対して向けたほうがいいと思うから、そういう「ウチとソト」しか考えないような「普通の人間」たちと関係を持ちたくないって思うわけですよ。優しくないからね、ソトの人に。
分け隔てなくていいじゃん? フツーに。そのうえで相手がなんか悪いことしたらまずは優しく言えばいいだけでさ。たとえば「失敗」をしたとしても、それは「失敗」なんだから「失格」にまでしなくていいじゃん。
「あなたは失敗しました、つきましては法的措置を取りますのでイヤだったらお金をたくさん払ってください」みたいなことが現実にあるわけだ。「あなたは失敗しました。謝罪してください。ちなみにすべて録音しています」みたいなこともね。結局、「ウチ」の人たちはいつでも一方的だ。ルールを握っているから。そしてそれを疑うことはないから。
仲良くできませんかね~。できないんですよね。もう僕は諦めました。ご迷惑になるので関わりません。腹立つ言い方だとは思うけど、これは僕なりに本音で、誰かに迷惑かけたくないし、嫌われたくもないんです。
多大なる影響を受けた島本和彦『逆境ナイン』で、主人公の不屈闘志が少年時代、25メートルを泳ぎ切る直前で足をつき、父親から「お前は失敗した!! 失敗したんだよっ!!」と責められるシーンがある。24メートル(実際には24メートル80センチとかだと思う)は泳いだのだからただ褒めてあげるだけでいいものを、完遂できなかったので「失敗」と言い渡す。なんと厳しい、と思いつつ、これは正しい教育だな~とも思うのだ。父親は「失敗はあっても良い」と言っているわけではない。失敗はないほうがいいのだが、失敗を失敗と認めなければ、いつの間にか手を抜いて失敗しちゃうよってことなのだ。24メートルは失敗なのだから、気を抜かずにがんばれば25メートル泳げたかもしれないのに、「まぁこのくらいできたからいいか」という甘えが24メートルという失敗を生んでしまった。24メートルを失敗だと思っていなかったから、結果として失敗してしまったわけだ。
ハァ、僕の最近の失敗はことごとく少年不屈闘志と似ている。『逆境ナイン』100回くらい読んでても「甘え」は忍び込んでくる。どんな甘えがあったのかっていうと、「普通の人間はソトの人間に優しくなんてないし、ウチの人間であっても未知なることに対しては一発アウトを宣告するものだ」ってことをちゃんとわかってなかったんですよね。もっと優しいと見積もっていた。これは明確に甘えである。そんなわけない。自分なんかべつに甘やかしてもらえるような人間ではないのだ、普通の人間にとっては。ちょっと増長していたのかもしれない。猛省!
本来、道徳は再チャレンジを許す。一度の失敗で追放するのではなく、改善によって世の中がよくなることを望む。そうでなく「あいつはダメだ、失格だ」と排除するのはあまりにも冷たすぎる。教育はなんのためにあるんだ!
多くの人間はもちろん「世の中をよくする」ことを考えるわけだが、普通の人間が考える「世の中」というのは「ウチ」という範囲にとどまる。なぜか遠い外国の問題に想いをはせたりはしても、袖振り合わす他人に優しさを持つことができない人も多い。「みんながみんなのために」ってkannivalismも歌っておりましたが、その「みんな」ってのがいったいなんなのか、どこまでを指すのか、ってことを考えたことのない人が圧倒的に多いはずだ。
僕は偉そうですね、ビートたけしさんふうに言えば『だから私は嫌われる』。次号、嫌われるということについて!
2025.12.9(火) 本題(3) 嫌われる元気
もう嫌われる元気がない。Moo.念平『あまいぞ!男吾』の巴男吾くんはクラスの好き嫌いアンケートで「好き嫌い両方とも断然トップ」になるような人物で、そういう存在に憧れもあるんだけどやっぱり嫌われたくはないし、嫌わせるのも申し訳ない。自分を嫌うような人とは関わるべきでない。
なんか、最近ちょっと嫌われることが増えている気がする。これはもう終わりですね。引き際です。引き払い時。歳を取って大きくなって攻撃力や存在感が増したせいでもあるでしょうね。6日に書いた「裁量権」にも関係する。
あとは防御力なのか? 高校のころは明確に僕を嫌っていた生徒や先生がたくさんいたし、無銘喫茶でもかつて(客時代)年上の人たちから「生意気」とか言われてたみたいだし(根に持ってる)、いろんなところで嫌われてきた実績はあるんだけれども、これまではあんまり気にしてこなかったんですよね。たぶん僕は弱くなってるんですね。
あと優しくなってるんですかね。誰かが誰かを嫌うってことは、世の中に憎しみと悲しみが同時に増えるってことだから。撃ち落とさないと。ラブハートで。
僕はアンバランスな人間で、だからバランスを重視するわけなんですけど、がんばってもダメな時はダメだしそもそも性格が特殊だから無理な人は無理なんだろう。カドが立つようなことばかり言うしする。自分の名誉のために言っておきますがジャッキーさんとかいうカリスマ・スターのことを好きな人とか友達はめっちゃくちゃ多いのですが、嫌いな人もそれなりにいるんだと思うわけです。
こんなにかわいくていい子なのに、って思うんだけど、それを自分で思って言っちゃうような人間が誰からも好かれるわけはありませんよね。「メタ」みたいなことが自然にわかるような人はわかってくれると信じてるんだけどさ。そうじゃなかったら「は?」で終わりなのかもしれない。
それとそのー、まあ、第一印象ですよね。それでだいたい人は決めますから。「第一印象は最悪だった」って昔はよく言われたもんだ。今じゃ大親友だったりするけども。最近はそれなりにカバーしてるつもりだけどまだまだたぶんあると思う。変な人だし、調子にも乗るから。わけのわからないことをしたり言ったりしちゃうから。またそもそも本当に、あんまり良い人間ではないのです。ちょっと賢くて魅力的なだけで……。基本的には悪人です。それを見抜ける人はパッと嫌うのかもしれませんね。
でも悪気があって悪人だって言うよりは、常識がないし従えないし、よく失敗もするので、結果として「悪い」ってことになるのだと思う。思いたい。それは自己嫌悪を呼ぶコンプレックスでもあるが、根本的に改善しようとしない(できない)っていう点を見ればやっぱ根本的には悪人なんだろう。やめりゃいいんだからさ。常識、持てばいいんだから。フツーに。それをしないってことはヤなやつなんだよやっぱ。でっち上げの常識よりも自分のほうが正しい!って思うようなやつなんだから。僕を嫌う人には大いに正当性があるのです。だからこそ関わりを減らして「嫌う・嫌われる」っていうことを避けたいし、すでに生じているものに関しても観測したくない。
とくに若い人にはちゃんと伝えときたいのだが、これはジャッキーさんとかいう人間だから言うのであって、みなさんはみなさんの生き方がありますのでそれをしてください。また、引き払うだの普通の人間とは関わりたくないだのってのは僕が歳を取ってから言い出している話で、若い時は実際死ぬ気で誰とでも関わっておりました。これは決して「アドバイス」なんかではなくて、「これはアドバイスではありません」という念押し。勘違いしないでよね!
2025.12.10(水) 本題(4) 同時の世界
未来篇です。これまでも似たようなこと書いてきたんで簡潔に済ませます。
普通の人間は常識に従って「こうである」という既知から動かない。普通の人間でない人間は、「こうである」と同時に「そうではないかもしれない」を併せ持ち、既知と未知とを共存させる。「今のところはこうだと思っているのだが、ひょっとしたらそうではないのかもしれない」である。
「許せない」と「許すかもしれない」が同時にあり、「嫌い」と「嫌いじゃないかもしれない」が同時にある。判断が必要なときにはどちらかが選ばれるが、その瞬間以外は常に並行して進む。量子論ってのはそういう感じじゃなかったでしょうか? これからはそういう世界になっていきます。既知のみで生きようというのは時代遅れです。
それを僕は「優しさ」って表現するんですよ。あるいは「知性」と。
普通の人間じゃない人間は、「許さない」ということがあんまりない。「許せない」は現状の心情だが、「許さない」は未来にわたる強い意志である。なぜ未来のことがわかるのか? 一瞬先には許しているかもしれないのに。そう思うと、知性ある優しい人は「許せない」としか言わない。菊池風磨くんの古い名言(?)も「許せない!」でしたよね。だってどう考えても数秒後には許してるんだもん。あれは「許さない!」だったら流行ってなかったと思います。優しくないし、賢くないから。
量子論的人間(??)には意志なんてないんですね。「許す」と「許さない」が同時にあって、どちらの可能性も常にあるんだから。そこには「現状の判断」しかない。「それは悪い!」という断罪も、「悪くないかもしれない」を同時に抱えながらの「現状の判断」にすぎない。撤回や修正の可能性は永遠に残り、並行してそのまま進んでいく。
そういう人がこれからは増えていくはずで、その早すぎる先駆け(たぶん)たる僕は古い世界にはいないほうがいい。トラブルのもと。今後もいっそうひっそりとやっていくつもりである。おわり。
2025.12.11(木) 本題(5) 既知の欲望
本当は(4)で終わる予定だったのだが読者からのフィードバックと対話によってさらに考えが進んだので記す。ありがとう
。
「凡庸」が「既知への安住」の結果だとしたら、凡庸な人々は「既知の快楽」をのみ求める性質を帯びる。過去に経験したことのある、すでに知っている快楽を欲しがり続ける。
パチンコでもキャバクラでも、ライブでも「推し」でも、過去に快楽をくれた刺激を何度でもリピートしたがる。それ以外に快楽は存在しない。金を儲けることが快楽になれば、ただそれだけを続ける。際限のない「既知の欲望」、その炎は絶えることがない。
若い、あるいは幼いうちは、未知というだけですべてが新鮮で、気持ちがよい。少なくともそう語られることは多い。
君はある時何を見ても何をやっても
何事にも感激しなくなった自分に気がつくだろう
そうさ君はムダに年を取りすぎたのさ
できることなら一生赤ん坊でいたかったと思うだろう
そうさ全てのものが珍しく
何を見ても何をやっても嬉しいのさ
そんなふうな赤ん坊を
君は羨ましく思うだろう
(かまやつひろし『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』)
とよ田みのる先生による超絶名作『友達100人できるかな』の新二郎のエピソード(2巻)を思い出そう。子供の目には何もかもが新鮮で、等しく世界は輝いて見えている。
僕は新二郎(シンジロー)に何を教えたかったのだろう
僕の価値観を押しつけていただけでなかったか
そんな僕を彼は無条件に愛してくれていたというのに
(略)
新二郎の目を追うと彼はあらゆるものに興味を持っていた
虫達にも 花にも落ちた葉にも そよぐ風にもセミの声にも 差し込む陽の光にも
新二郎の目には皆 等しく映っているようだった
(略)
残酷さも優しさも 目に入る全てのものも等しい価値を持つ
僕もかつては このくくりの無い世界の住人だったのだ
(略)
花を楽しむのは大人だけである
子供達(かれら)の目には世界が等しく輝いているのだ
(とよ田みのる『友達100人できるかな』第10話「モンスター」)
この日記の引用はたいてい僕が好きだから紹介したいだけであって、権威付けとか説得力のためではない。あしからずご了承ください。
僕が引用によって訴えたいことがあるとしたら、「何を見ても何かを思い出す」という態度のみである。このフレーズもヘミングウェイの短編の邦題からとっている。
さて引用した『友100』の10話だが、これを雑誌(アフタヌーン)でリアルタイムに読んだ僕はたいそう仰天した。なんだこの名作はと。2009年12月号だから10月末くらいでしょう。成城学園中学校の教員だった頃。こんなことをハッキリ言ってくれる漫画家が現代にいたなんて! しかもラストシーンは明らかに藤子不二雄『流血鬼』のオマージュじゃないか!(オタク) あ、全巻夜学バーにありますから読んでね。
ここに描かれている新二郎=子供達の目線は、ほとんど釈迦の悟りに近い。苫米地英人という人(この一見インチキな偉人についてはずっと前からたびたび言及しているので気になる人は探してみて)は悟りについてよく「自分のお母さんとペットボトルとが等価値であるような状態」みたいなたとえをする。それはまだ切り分けられていない赤ん坊の世界に似ているかもしれない。尤も、たぶん赤ん坊はまず「自分のお母さんにのみ絶大なる価値がある」ような状態になるのだろうから、そこが最大の違いだと思うけど。
『友100』がほぼ言い尽くしてくれているが、「既知」というものは価値観を形成し、時に人はそれを他者に押しつける。僕がコミュニティとか常識というものを根本的に警戒するのは、そのような暴力性を常に孕むからである。
既知の快楽、既知の欲望は、特定の価値観に基づいたパターンをつくりだし、それをひたすらくり返す。実のところ小さな子供こそすぐにそれをし始める。ずーっと同じ遊びをくり返したり、一つのものに固執したりする。アイドルやバンドのライブに皆勤する人と変わらない。その始まりは「のりものだいすき」「ぬいぐるみだいすき」だったりするわけである。
新二郎はまだ「すべてのものが珍しく」の段階であるらしいが、それはすなわち「既知」を増やす過程でもあるし、描かれてはいないがおそらく何らか特定のものへの固執(既知の快楽のくり返し)も同時にあるだろう。人の成長とはそういうものだから問題はない。ただし、そのうちに「既知」だけが膨張し「未知」を追いやり、「もうおなかいっぱい」という状況になることを僕は恐れる、というか憎むわけだ。「もう未知なんか要らない」という態度は、「仲良しの発想」と対極にある。
「花を楽しむのは大人だけである」と引用部にある。「花は美しい」という既知の感覚(快楽、欲望)をなぞるわけだ。大人(≒普通の人間)というのは、既知のなかで生きる人のことである。そしてなぜだか、人間の「既知の欲望」は極まると「金」と「性」に向かう。たぶんわかりやすいから。最も何も考えないでいられるから。金と性にばかり目が向いている人間が醜悪で邪悪に思える(個人の感想です)のは、その人があまりにも単純な「既知」をしか見ていないからなのだ。そこには「未知」という発想がなく、「友達100人できるかな」という気持ちも一切ない。
新しいことを求めたり、新鮮さを愛するということは、「誰かとまた仲良くなる」という可能性を開き続けるということでもある。そうでない人はそれを閉じている。僕はとにかく「仲良しの発想」というものを大切にするから(これは「誰とでも仲良くすべきだ」という意味ではない、誤解無く!)、既知に安住する普通の人間と付き合っている余裕はない。優しい人たちと出会いたい。
2025.12.12(金) とり、
マウスがないため更新が滞っております。すべてはマウスがないためです。しかし現在15日になりまして、「5のつく日」はJRE MALLのポイントが5倍(ビューカード決済で7.5倍)になるうえ冬のボーナスキャンペーンで30000円以上買うと2000ポイントつくということで、ここに合わせてマウス二つとキーボード一枚等々色々買った! ここで一気に4250ポイント超稼ぎ、たぶんもうほとんど何もしなくても10000ポイント達成できて次期はプレミアムステージですね。本当にありがとうございました。
ところでいま友達から腕を切って大量の血があふれ出してる写真と緊急連絡先っぽい電話番号(母親?)が送られてきた。添えられた文面は支離滅裂だがたぶん「今回こそ死ぬ可能性が高いのでここ(母親?)に電話して~~と伝えてほしい」ということだと理解した。
頼まれたことはもちろん遂行したいが、相手が誰で何を伝えたらいいのかが不明瞭なのでいったん保留、起きているために日記を書き始めたというわけだ。似たようなことは何度かあったので「ぼくはなれてるから、あわてないのだ」状態(byドラえもん様)ではあるが、親友ですので当然心配だし不安。
これまでの時間、約5年間の想い出がすべて瞬間に浮かぶ。ウッウッ。どうか生きていて。しかしなんというのでしょうか、とりあえず自分には何もできません。これまでの彼女との関係の延長のなかにいるしかないのです。死にかけているからといって急に別人のようにはなれない。もし死んでしまったあとでも、生前と同じ関係の中に生き続けるためなのかもしれない。
少しだけ具体的に言うと、「死にかけているらしい」という事実は僕らの関係を何も変えないということで、いつもと同じテンションで返信したうえで、頼まれたことはしたいと思うしすべきと思ったことは即座にする。永遠に僕は彼女に優しくある。生きていようが死んでしまおうが。ただし死なれたら寂しい。けれども「死なせないための積極的な行動」というものについては、今のところこれが最大限である。静かに僕は彼女を生かし続けているはずで、それ以上のことはできそうにない。伝わるんだろうか、これ。
人と人にはいろいろな関係のあり方があって、そこには互いに対して負う役割がある。僕らの場合そこに恋愛はないし、依存もない。ただ「好きだ」という気持ちや「頼る」という現象がある。ここのバランスこそが我々を「親友」ないし「父子」として成立させている、と僕は思っている。ゆえに絶対、「依存」のほうに進んではいけないのである。賢い彼女はよくそのことをわかっていて「頼る」という域から決して出ない。僕も当然そちらのほうに進みかねない応対はしない。ふだん遠くにいて、ときおり会いに行ったり、頼ったりする。そしていつでも互いを想いあっているという確信だけを持ち続ける。それが「静かに人を生かす」ことになる。
僕の彼女に対する役目はそれであって、その領域の外側では祈ることしかできない。
と、書いてるあいだに返信あり、出血と薬と酒にまみれ、言葉は未だおぼつかないが支離滅裂というほどではなくなった。ってか僕は勘違いして原因たる男の電話番号を母親だと思って「どうも尾崎です~」みたいなメールを送ってしまっていたようだ。なんだよ恥ずかしいな。まぁ結果的にはそれでいい。「腕を切ったようなので行ってあげてください!」とかオトコに言うのはもっと恥ずかしいからな。
意思疎通はできるようになったし即死ぬことはないと思う(ギャンブル)。ここで救急車を僕が呼んじゃったらまた措置入院とかになる可能性もあり、あんまり良い結果を生まない気がする。死は避けられるだろうがオーディションどころじゃなくなるし。本人が呼ばなくていいと言うのだから呼ばない。
「ダメだ拒否された そのうち自分で帰ると言っている」って、さて何の誰の台詞でしょうか?
本題はそうじゃない、「とり、」なんてタイトルにしたのはなぜだって、とり(鳥)を自認する友達が昨日までのシリーズ記事「本題」をすごく褒めてくれて、めっちゃくちゃ嬉しかったからそのことを書きたかったのだ。でもちゃんと↑の話にも繋がりますから。
とりのことを僕は本当に、こんなに面白く素晴らしい人間はいないと心から思っている。まさに「ユーモアmoremore」(とりとの合言葉)である。
で、僕ととりとの距離感とか関係ってのも実に絶妙で、いまやり取りしている友達との間柄と実は似ているのではないかと思う。会う頻度ややり取りは多くなくとも、互いに想いあって「静かに生かしあう」をしている。この記事のタイトルは「静かに生かしあう」にすべきだったか。まぁいいや。そのうちそういう記事も書くかもしれない、改めて。
とりに褒められたことがなぜ嬉しいのかというと、僕は正直なところあの「本題」にあんまり自信がなかったのだ。言っていることは一面、正しいはずだとはもちろん思うが、その「一面」を重視する人ばかりではない。別の見方をすれば「そうとばかりはいえない」と思う人も多いだろう。ゆえに僕はあのような名文を書き上げたあとでも、「また独善的なことを言っちゃったなあ」とちょっとだけ、うっすら、自己嫌悪になってしまうのである。そのくらいにはちゃんとした人間なのだ、僕は。(褒めて~)
そこで僕の最高に信頼するとりが、あの記事群について「ジャッキーさんはめちゃくちゃ優しい人」と言ってくれたのだ。フツーの人がフツーに読んだら「偏屈な男が自分の価値観に合わない人間を排除しようとしている」文章でしかないだろうに。
わかってくれる人はわかってくれる。『君が僕を知ってる』。それは「あなたは正しい」と思ってもらえるってんじゃなくて、「あなたはいいやつだ」と思ってもらえるってこと。「認める」というのは「正しいと認める」のではなく、「あなたのそのあり方を認める」ということであったほうが絶対に良い。それをとりはしてくれたわけで、そりゃ嬉しい。内容の正しさとか妥当性ではなくて、「いいやつだ」と彼鳥は言ってくれたわけだから。
実際、自分の言っていることが正しいかどうかはけっこうどうでもいい、ただ自分はこういうふうにしかものを思うことができない、という表明がこの日記なのだ。
やり取りはまだ続いている。とりあえず心配はなさそうだからいったんこの文章にもキリを付けよう。関係はこうしてまた強まり、深まっていく。
2025.12.13(土) 傷の癒し方
hideの誕生日だったので例の黄色いパーカ(ウィンドブレイカー)着てった。天気悪かったからお客がほとんど来なかった。ドヨーなのにな。ま、そんな日もある。5月2日と12月13日はたぶん百パーこれを着るのだが逆に他の日はあんまり着ないのでレア、見逃さないでください。←TikTokの固定文言ね(未来人向け解説)
金曜かなりお客がありクタクタだったのでちょうどよかったといえばよかった。反省するところもあり、静かに過ごせたのは幸いでもあった。うむ。
そういえば1週間くらい前はすごく気持ちが落ち込んでたんだが時間が経ったのと名文書いたのとでだいぶ回復したな。
僕は昔から、「引きずる」ということがあんまりない。女の子にフラれたり浮気されるなどしても長くて一晩、早ければ一瞬で正気になる。思えばあれは「早送り」みたいなものだった。「どうせいつかはどうでもよくなるんだからグダグダ傷ついているのは非効率、とっとと時間を進めよう」だ。一晩ないし一瞬のあいだに数年くらいの時間を「経ったことにする」ような感覚。ほいでほんとにケロッとできる。いつか記憶は薄まるし、感情も消えていく。執着して長く引きずる人もいるが、あれほど損なこともない。とっとと終わらせたほうがいいに決まってる。そんで時間を早送りする。心の中で。
また「書く」ということも僕にとっては重要だ。防衛機制(適応機制)でいうところの「合理化」のようなもので、この日記の役割はけっこうそれだと思う。書くことによって「あれはこういうことでした、ハイこの話はこれで終わり」とケリをつけることができる。傷は文章のなかに封じ込めてしまう。
「君の小さな身体包んでる夢は痛みを飲み込み鮮やかになる」とhideは歌った(『MISERY』)。「痛み」っちゅうもんは「夢」でくるんだら「鮮やか」になるもんじゃ。ええこと言うのう。僕は意外にも「夢」って言葉が好きである。僕の書く文章はすべて夢である。夢でできている。すごく曖昧でわけのわからない言葉だけど、でも絶対に前向きなので好きなのだ。
痛みとか傷というものは、夢と交わって鮮やかになる。良きものに変わっていく。辛いことも苦しいことも鮮やかになる。夢があれば。夢ってなんやねん。まーさっきの話でいうと時間とかこの日記とかが僕にとってはそうなのだ。「僕は時間を愛している」ってのはそういう意味でもあるわけですね。
2025.12.14(日) 脱マージナル野郎ども
僕はもちろん「マージナル」な存在でごわす。マージナルとは「限界」「境界」「周縁」などを表す語ですね。ここでは「中心」と対比される「周縁」というニュアンスで話します。
ちなみにmarginalには「取るに足らない」という意味もあって、いわゆる「教室の隅っこのほうで暗い顔してるモブ」みたいな存在が、学校における「マージナル」だというわけです。周縁。絶対に中心ではなくて。
元来僕はそのようなマージナルなところにいた人間だし、生きていてそうでなかった時期はないし、もちろん今でもそうである。「中心」になりたくないし、なれない。1年くらい前に意を決してちょっとだけそうしてみようと思ったのだが、すぐに心が折れてやめた。向いていない。苦しいだけだ。
飲食店、とりわけ「個性的な個人店」というものは、けっこうな割合でこの「マージナル」な人間が始める。社会や組織に馴染めないから、独立して「自分だけの国」をつくる。ところがたとえば小さなバーや居酒屋、カフェなんかを想像してほしいが、そこに人が集まって、「マスタ-」だの「大将」だのと呼ばれているうちに、彼は孤独ではなくなる。いつの間にか小さな社会の「中心」になっている。マージナルな人間がセントラルに据えられる。大出世である。それをまんざらでもなく受け入れる「脱マージナル野郎ども」が僕には実に羨ましい。
どうしても僕は中心になれない。中心のないものはスケールしない。ゆえに僕のやることは一切バズらない。シンプルにはそういうことなんだと思う。
小さな個人の飲食店において「中心がある」というのは「店主を中心とした常連のかたまり」が存在することである。夜学バーの標榜する「常連などない」は「強い意思を持って中心の生成を拒絶する」という意味を持つ。
むろん僕のお店の中心人物は僕なのであるが、「周縁を備えた中心」ではない。お店の真ん中に僕がいることは否定できない事実だが、その周りをどこまで追っても「縁(フチ)」というものが存在しないのだ。「中心から周縁にかけての閉じたコミュニティ」というものが僕のお店にはない、と思う。少なくとも普通に、あの規模の夜の飲食店としては異常といえるほどない。ガールズバーくらいない。お客だけでなく従業員どうしでさえ「一つのまとまり」を形成していない。さっきも書いたことだが一度それをやろうとして一瞬でやめた。無理なので。向いてないことはやらないに限る。
「中心」がトップとしていて、その周りに「周縁によって閉じられた圏」が存在する場合、「中心からの距離」によって序列ができる。もちろん最もマージナルな者が最下位となる。周縁にいた人間はそれがいかに地獄であるかをよく知っている。しかし「脱マージナル野郎ども」は過去の苦い経験を忘れ、自らが中心となって周縁を作り出している。いじめられっ子がいじめっ子になるようなものだ。
「今後もいっそうひっそりとやっていくつもりである」と今月、「本題(4)」の末尾に記した。自分が周縁、在野に居続ける覚悟の表明である。ただし逃げているわけではないし、諦めているのでもない。周縁にいたまま誰にもできない魅力的なことをやり続けてやるという決意で、「何かをなすためには中心にいかなきゃ」という発想にはならない。そんなシャバいことやったって何の意味も無い。もっと上手い人(詐欺師)が無数にいるんだから。僕として僕は行く。革命を静かに夢見る洞窟の隠者。周縁こそレジスタンスの永遠の拠点である。
2025.12.15(月) みんなの新名祭(1)
茶久間ふく(当時亀川ふみか)さんが主催した「新名祭」というイベントに友達が複数人参加し、そのうち二人の男子は「所感を文書にまとめます」と宣言している。うち片方はすでに原稿を上げているので、もう一人にプレッシャーを与えるためにも先行して「所感への感想」を書いておく。(2)早く書きたいのでよろしくお願いしますね。
所感は三部作になっている。
言葉を大事にしない人たち(具体編)
言葉を大事にしない人たち(仮説編)
言葉を大事にしない人たち(別視点編)
僕はもちろん「言葉」というものを非常に大切にしているので、現在の夜学バーのエース(誇張ナシ)であるさく氏が入念入魂の記事群にこのタイトルをつけてくれたことが本当に喜ばしい。そう、言葉について考えてないやつは何やってもダメ(と、いきなり雑な言葉)。
たとえば「具体編」にあるように、単独で参加してるのにメールに「@ヘナタトゥーの皆様…」って書かれちゃうとかね。「皆様」とは? 一人しかいないのに? そういうところから不信感は募っていく。もちろん一回の失敗で「失格」にするのはもっといけないが、積み重なると「アー」ってなりますからね、当然。
あとは「自分にわかることは相手にもわかる」という思い込みが、言葉について考えていない人たちには無意識に宿っている。本文では「レールライト」という言葉が出てきてるけど、自分の知っている言葉を相手も知っていると当たり前に思ってしまうのは、「コミュニティ(既知)」に安住する者たちの悪い癖なんです。コミュニティの中でしか生きてないから、すべての言葉が共通理解の中にあると思い込んでいる。それはもちろん「仲良しの発想」ではない。相手に合わせて、相手にわかるような言葉を常に選ばなければならない。そういう生活はもちろん疲れる。疲れるから普通の人間は「コミュニティ」という「言葉選びが最小で済む空間」に常に身を置いていたいと思うわけですよね。でも僕等のような強く賢い人間は、そこから逃げちゃいけないんですよ。
ここであえて自分の田んぼに水を引きますと、「魔物(モンスター)が滅んだ世界が平和なのではない 人間と魔物が共存する世界が本当の平和……」ってザード(誰?)が言ってたじゃないですか! 面倒だから正確な文字は確認しないけどほぼ一字一句合ってるはず。過去記事のどっかで何度も引用しているのでヒマなとき照らし合わせますね。
知らない人と仲良くできない限り、平和というものは絶対に実現しない。
いま彼の文章を読みながら書いていて、具体編を読み終わったところなのだが、その末尾にはこうある。
彼ら彼女らのコミュニティの中では、恐らく言葉というものがそこまで大切にはされてこなかった。
少なくともそのコミュニティの中では言葉は大事にされてこなかった。
これは概ね同意するが、すでに書いた文脈のうえではちょっと言い足したいことがある。コミュニティというのはそもそもそういう性質を持ってしまいがちなのだ。もちろんコミュニティによっては言葉を大事にするのがデフォルトのようなものもあるだろうが、多くはそうでない。
ところで、さく氏は怒っている。穏やかな心を持ちながら怒りによって目覚めたスーパーさく人になっている。そう普段彼は実に穏やかで、ここまで怒っていたり憤っているのは初めて見た。高2の終わりくらいで知り合って今は20歳。血気盛んな時期でもあるが、何より「ここ数年で飛躍的に考えることが増え、考える能力が爆上がりした」という事情もあろう。「自我が芽生えたばかり」と言ってしまうと言い過ぎだが、「覚醒間もない」というのは当たると思う。男子は本当に短期間で伸びるが、だからこそ成長痛のようなものも大きい。
彼の怒りを普通の大人ならなだめるだろう。「まあまあ」と。僕はなだめないぞ。もっとやれ!だ。なぜか? 僕は20歳くらいのころ、まさにゴールデン街と出会った頃だが、同じように大人たちのシャバさに怒り、牙を剥きまくっていたのだ。そしてそれを見た別の大人たちはみな一様に「まあまあ」と言ってきた。まあまあじゃねんじゃ! だったらお前がなんとかしろよ! 問題を認識しつつなんもしないくせに若者が変えようと動いたら止めるってなんだよ! この怒りは未だに忘れていないし、真っ当な言い分だと思っている。んまあ、もちろん僕も当時は拙かったですが、拙いなら「まあまあ」ではなく「ここは拙い」と指摘するのが大人としての教育義務(!)ではないか!
つうわけで全面的にさく氏に共感し、内容にも同意しつつ、しっかりと教育義務を果たすためにこの文章を書き始めたわけである。ゆえにやや余計なことも書くかもしれない。
さっきのは「こういう視点から見るとこうも言える」という話。「彼らのコミュニティが持つ固有の問題」があるのと同時に、「コミュニティなるものにまつわる普遍的な問題」というのもあるよね、という視点の広がりをちょっと持たせたかったのであった。
さて仮説編を読もう。読んだ。ら、↑に書いたようなことはちゃんと埋め込まれていた。すばらしい。
彼ら彼女らは実はあんまり人と関わりたくなくて、だからといって人と関わらないのは時に寂しいし、世間からも寂しいことであるとされているから、コミュニティというものを形成し、その中で人との関係性を作ろうとする「友達ごっこ」をしているのではないか。
これは僕の主張する「
根本的に人は人と関わりたいとは思っていない」という話に通じますね。「友達ごっこ」というシンプルなルールの中では面倒なことを考えなくてもいい。「コミュニティ」というのは「思考停止したまま寂しさをまぎらわすことができる」ツールでもあるのだ。さく氏鋭い。その通りだと思います。
なぜそう思うのか、というところで「人を肩書きで呼ぶ」ことに注目したのは素晴らしいし、その伏線がすでに「具体編」に張ってあるのも鮮やかだ。ここにまつわる内容はまこと「その通り」以外の感想がない。
《別のところで自分と同じように孤独に戦っている仲間を見ることで勇気づけられる》というのは、僕が一昨日書いた親友やとりの話に近いですね。孤独だからこそ人と仲良くできるのであって、群れている時は同一化しているにすぎない。ルールに則ってゲームをしているのに等しい。ボードゲームやって仲良くなった気になっているようなものだ。(むろんゲームにも呼吸があり、それを調節しあうことで互いを理解し仲を深めていくこともあるが、それだけではさすがに難しかろう。)
同一化は依存を生みますしね。「おまえが痛いとおれも痛い」をやりすぎると「おれも一緒に死ぬ」とかになって、共依存の谷底へ真っ逆さま。そうでなく、互いの孤独を冷静にわかり合うことによって、適切な距離感と関係をともに創り上げていけるわけなのである。
《世界を限定し、その中で運動しようとしているコミュニティ》という表現も良い。コミュニティは「世界を限定」するのだ。その小さな系(圏)のなかでだけ通用するシンプルなルールのみに則って交流するから、その内部ではうまくいくのだが、外部から人が来ると今回のように軋轢が生じてしまう。
そして「別視点編」へ。
ここではさく氏の友人で、ともに新名祭に参加した女の子の文章が登場する。僕も何度か会っている。一読、彼女も相当な賢人だ、「一般常識」と「彼らの常識」というものを明確に分け、これまで語ってきたコミュニティの孕みがちな問題をしっかりと照射している。深夜1時に電話しても許されると思っているのは、「ウチらの常識」を「つい最近外部から来た人」に勝手に適用しただけで、本当にたぶん悪気はないのだろう。「そういうものだ」ということに疑いを持たない。「ソト」の人と誠実に関わったことがないのだ。
さく氏の返信にある《あのイベントの背後にあるコミュニティ》というフレーズ、なんか怖いな。どんな恐ろしい秘密結社がバックにあったんだ。おそらくは「凡庸」という名の……。この世界に深く広く蔓延る……。
実のところこの「別視点編」がいちばん共感できるかもな。シャバくてダラダラした、年下を無条件に舐めてくるような現場を引き締めるには「自分が引っ張る」しかない。そしてそれほど孤独で寂しく、辛く悲しい、無益なことはない。《対等な関係だったらもっと良いイベントにできるような努力する方向にエネルギーを使っていくことをみんなで出来たはずで…》というさく氏の言葉がすべてだ。
ただ肝に銘じなければならないのは、たぶんさく氏たち二人は、その場を「荒らした」のである。悲しいが。向こうが思うのはただ一つ、「なんでウチらの常識に染まれないの?」なのだから。「なんか二人、雰囲気違うやついない?」「誰アイツら呼んだの」と、被害妄想による謎の声が聞こえてきませんか。僕なら絶対聞こえちゃって、針のむしろで、まあ死にたくなるよね。かわいそうに。よくがんばりました。仕事を遂行して偉い。
でもでも本当の本当の「別視点」ってのは、「何アイツら」と思う、あちら側の常識なのだ。悲しいことに君たち(あるいは我々)はそこでは少数派なのだ。外部の人間がキビキビ仕切るより、内部の人間だけでなあなあに、ダラダラと、多くの失敗を生み出し、時間も遅れに遅れ、退館時間も守れないで怒られたり追加料金を請求されたり出禁になったりして、それでも「仲間内でやった」ことだけが価値となり、イベントのクオリティなんかどうでもいい、「とにかく新しい名前おめでとう!」と主役が全員からチヤホヤされる空間のほうが望まれていたかもしれない。「勝ったのは我々ではない」だよほんと。アイヤー。
空気読めない傭兵が何言ったって意味ない。それでもこういうことを書きたくなったり、語りたくなったりするのは、「考えて語り合うことに意義がある」と信じるからだし、まわりまわって誰かを、あるいはひょっとしたら直接的に当事者を「教育」することにもなるかもしれない。この「教育」とはもちろん上から目線の、トップダウン型の「教えてやる」ではない。「なるほどそういう考え方もあるのか」と思ってもらえるだけで何かがその人のなかで育つかもしれない。そこに祈りを込める。僕のこの文章もそうである。茶久間ふくさんはそのイベントのなかではたぶん無謬だったし、何も間違ったことはしていないのだろうが、外部から来た人はこのように思うのだ。それをわかることにはきっと大きな意味があると、僕はさすがに信じたいのである。
2025.12.16(火) バウンダリー
のことはそんなに調べたりしてないんだが、かつて「パーソナルスペース」と言われていたものの仲間だと思う。「他を侵す」ということの罪深さ。
人には輪郭ってものがあって、それはけっこう大事なんですよね。僕は漫画が好きなのですが手塚治虫、藤子不二雄、ちばてつや全先生方の線はまったく「輪郭」が命。顔だけペン入れする巨匠がたくさんいるってのはそれを物語っております。
あたしの世界とあなたの世界が隣り合い微笑みあえるのなら
それがずっと続く決まりならあたしは溝に水を流し込んで
あなたの世界につながる川をどんなに手間でも作るでしょう
魚が二人の世界の間を自由に泳ぐのを見ながら
言葉じゃ足りない時には頬を寄せて抱きしめたい
あたしの世界とあなたの世界をつなげてしまいたいと思うくらい
どうしようもなくひかれたならあたしは川に橋を渡らせて
あなたの世界につながる道を時間がかかっても作るでしょう
(Amika/世界)
読み飛ばした人、戻ってもっかい引用部を読んでください。それでも頭に入らなかった場合は「Amika 世界」と検索して歌を聴いてください。そのくらい大事なことです、これは。98年の曲ですよ。
各人の「世界」というのは各人にそれぞれあって、「同じ世界に生きる」ということは原則、ないわけです。それをAmikaさんは歌った。世界を共有することはできない、その絶望や寂しさは前提で、だからこそ「隣り合い微笑みあえる」「それがずっと続く」ということが最大の幸福だし、「川」や「橋」をつくることはなんとかできる。そこには大きな希望がある。なんていい曲なんでしょうね?
最近「バウンダリー」ってのがよく言われてるみたいで、ようやくAmikaさんのこの感覚に世間が追いついたってことなんだ、と熱狂的ファンとして思うものであります。自他の境界線を指して、そこを踏み越えるのは「侵害」として忌避される。そういう考え方が当たり前になってきた。もともと当たり前だったのにね。それは27年前なら「絶望」として語られたのだが、今はただ「前提」になっている。世の中は良くなっているな〜と、思う。もちろん『世界』を聴けば明らかであるが、それは単なる絶望ではなくってその先に希望を見出すための足掛かりなわけだからやっぱり前提ではあるんだけど、そんなことをちゃんと言ってくれてたのってAmikaさんくらいだったわけですよ。
それを教えてくれた友達は思えばもう17年目という付き合いになって、いろいろありながらさっぱりと仲良くしてくれていて実にありがたい。それもこれも前提として「あたしの世界とあなたの世界」というバウンダリー感覚があるからなんだと思う。それがないとごっちゃになって、かつて仲良くしていた人間と仲良くできなかったりするものだ。「それはそれ、これはこれ」というドライさ。誰の人生とも重なりはしないという絶望、しかしそれが前提であるならば「隣り合い微笑みあう」という幸福も見出せる。その前向きさ。希望!
この文章は土浦から上野に戻る特急ひたちの中で書いている。あと数分で降りるのでそろそろ終えます。小林じんこ先生が86年に書いた色紙の飾られたお店に行ってきた。全部が同時に行われてるんだよな〜ほんと。ここです、まったく。言葉足らずになってしまった、なんとかどこかにいつか続く。
2025.12.17(水) バウンダリー2
これは実際には18日から20日にかけての話になるのであるが、順序的にここに入れておく。
なーるほどな。僕もまったく同じ問題に直面していたのだよ、そのことに気付くのが遅すぎた。
僕は人間にはそれぞれに「世界」があると思っていて、それは互いに侵されざるべきものと認識している。「ざるべき」とは「侵してはいけない」ではなく「侵すことが不可能である」というニュアンスが近い。侵せるとしたら「支配」や「依存」や「執着」などの暴力的な仕方で世界の境界線を曖昧にさせるしかない。
「自分の世界」と「他人の世界」は異なると考えていて、交流において決してその境界を越えない。愛という局面でも「別々」であることを前提としてすべての事を運ぶ。自律的とはそういうことであると思ってきた。ところが一方で「同じ」ということが愛そのものだという考え方は当然あって、その二人(ないしその人たち)が愛しあう時には時に軋轢が生まれる。
自分はそれをはっきりと認識できていなかった。「別々」を当たり前とする僕は「冷たい人間」であって、あまりにもクール。実のところかつては「同じ」派だったのだが色々あって「別々」の立場を取るようになった。「同じ」から逃げたと言ってもいい。自分は「別々」でしか生きられないのだという諦めからそうしているのだが、その姿勢が「同じ」を求める人をさみしくさせてしまうこともある。
大事なのは「わかりあえやしないってことだけをわかりあうのさ」ってやつであって(何周も回ってフリッパーズ・ギターのこのフレーズが一番正しいような気がしてきた)、「自分は別々派だが相手は同じ派だ」「自分は同じ派だが相手は別々派だ」とわかりあい、「わかりあえないね」とわかりあうこと、なのだろうと今のところは思っている。そのうえで「それじゃ何をわかちあおうか?」(『聖なる海とサンシャイン』)という態度で、ともに生活を創り上げていくのが現代的な人間の健康的な関係なのだと。
基本方針は「別々」と「同じ」とで派閥が違っても、「同じだね!」と言い合って笑うことは無限にできる。その中で時々生じる違和感について「そこは違うんだな」とほんのりさみしがりながらも目を背けず、お互いに「違うんだね」とわかりあってまたそれについてさえ冗談にしてしまうような力業の技術を育てていくしかないし、ひょっとしたら長い年月のなかではもっと全然別の次元で「溶け合う」ということが可能なのかもしれないと信じるのは幸福であろう。
「違うからこそ、境界があるからこそ手を繋いだら光り出すんじゃないですか!」とこないだ久々にサシで話した友達が言った。「手を繋ぐと光る」は僕が高校時代から大切にしている感覚なのであるが、それを覚えていて見事に活用してくれた。まったくその通りだ。境界があるからふれあえるのだ。手を繋げるのだ。
恐ろしく個人的な話で、僕は「別々」と思いすぎていて、「同じ」と思う人の気持ちを尊重できていなかった。それがわかったところで過去の失敗は消えるわけもないが、これからのことはほんの少しだけ上向くような気がする。
2025.12.18(木) 大蜘蛛ちゃんと練馬高野台
時間がないだけである。書くことはある。たいそう無数に。
植芝理一先生の『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』を改めて読み通した。主人公の最寄り駅は明らかに練馬高野台駅である。両隣の富士見台や石神井公園を思わせる風景や台詞なども頻繁に登場する。
2003年の春に上京し、2014年の夏まで練馬高野台と富士見台のあいだ、富士見台3丁目に住んだ。スネ夫の住所に最も近い物件を探したのである。7畳弱の部屋に2畳ほどのキッチンと庭、お風呂とお手洗いが別々について45000円+管理費2000円。当時でもあれ以上にいい物件はなかろう。受験が終わった翌日に練馬駅前の「トータスホーム」という不動産屋に駆け込み、「富士見台の物件をください」と言って内見もせずその場で申し込んだ。部屋探しのためにふたたび上京するのがあほらしかったからだ。思えばその速度が功を奏したのだろう、国公立はもちろん私大組の結果すら出ていなかった頃だ。だって受験の翌日(確か)だもんね。
11年半という長い年月を過ごしたあの部屋には並々ならぬ思い入れがあるが、残念ながら建て替えられて現存しない。47000円の家賃を払っていくのはほぼ無職でもヨユーだったな。中野坂上に引っ越したら貯金がじわじわ減って焦ったのを覚えている。そこで初めて東京の厳しさを実感した。
あの町。かつて手塚治虫先生が住み、今でもちばてつや先生がお住まいのあの土地。今でもときおり訪れる。石神井に友達が住んでいるおかげだ。持つべきは友(これ昔せかいさんに言われてめっちゃ嬉しかった)。
それが時を経て崇敬する植芝理一先生の作品の舞台にまでなるのだから、自分は予言者か何かか。「運命ってきっとあるんだと思うの」って堀江由衣さんの『笑顔の連鎖』って曲(岡崎律子さん作)にある。ひょっとしたらあのあたりに植芝先生もお住まいなのかもしれない。ジョナサンとかでネーム描いてるかもしれない。ちなみにあだち充先生はよく富士見台のジョナサンにいらっしゃるとの噂があった。芝浦慶一の名作『お母さん』に登場するあのジョナサンである。芝浦慶一というのは僕のペンネームだが、むろん植芝理一先生にあやかっている。
2025.12.19(金) 土浦行 序
2003年に統一教会に拉致されて連れて行かれた先が茨城県土浦市であった(
参照)。足を踏み入れるのはそれ以来、22年ぶり。
JRE MALLのキャンペーンにより課せられたミッションで、今月中に「Suicaグリーン券をJREポイントで買う」「在来線特急にチケレスで乗る」の2点を満たす必要があった。行きは普通列車のグリーン車、帰りは特急「ときわ」にした。デュオリンゴとかのスマホゲームと一緒で、「これを満たせ」と言われたことを淡々とやる。ついでに楽しく旅行する。旅行の口実をJREに作ってもらっているようなところがある。楽しい。
今のところ「Suicaグリーン券をJREポイントで交換」「えきねっとで新幹線に乗る」「えきねっとで在来線特急に乗る」「NewDaysで合計3000円以上を有人レジでSuica決済」を満たし、あとは「ベックスコーヒーで計3000円以上Suica決済」をこなすと、来月のJRE MALLショッピングのポイントがデフォルトで6倍になる。ってことは5のつく日は30倍になるのか? たぶん11倍になるのだろう。ビューカード決済にすると13.5倍かな。素晴らしい。もうプレミアムステージ確定してるのであんま意味ないんだけど、これは趣味。ゲームなのだよ……。
さて土浦なのだが上野から普通列車で1時間10分、特急で41分ほど。ちょうどいいのだ。行きはのんびりグリーン車、帰りは夜学バーの交代があったので22時24分発→23時07分着の「ときわ」。飲んでから十分帰れる。
そんな計画を立てていたら某(ボウ)さんから「同伴できませんか?」とのお申し出が。「土浦でいいなら……」と返したら「行きます」と。このフットワーク! ちなみに僕と「同伴」してくれるのはこのボウさんか横暴(as known as 醜悪)くらいである。ボウボウ。あとは引き払った人だけど引き払ってるからな。どなたでもまず断りませんのでお気軽に。タクシー金出せばどこまでも行くぞ!
同伴というのはキャバクラとかの用語で、「デートしてから一緒にお店に入る」こと。デート代は客持ちであり、さらにお店に「同伴料」を支払う。夜学バーは優良店なので同伴料は無料。とはいえ土浦までおいでいただくと往復でそれなりの額になるので心苦しくもありつつ、しかし僕は「いっさいの返報性を歯を食いしばってかなぐり捨てる」というスタンスでおりますので、甘えられるだけ甘えます。それが夜に生きる子供の生き抜く努力だし、それに対する純粋な声援を踏みにじってはならぬのである! なんの報酬も考えていない、それゆえに美しいのであるから。参考文献、太宰治『富嶽百景』。
もちろんこちらはしっかりちゃんと面白く生きて、それをお返しとしたいと思います。参考文献、島本和彦『炎の転校生』(どのシーンかわかるかしら)。
話が前に進まないな。土浦のこと。えーい、続いちゃえ。
2025.12.20(土) 土浦行2 城藤茶店とほんとこ
この日はいろいろあって心身が弱っていたので夜学バーは縮小営業にした。夕方くらいまで薄暗い部屋で布団にくるまっていたがなんとか這いつくばって時間通りお店に到着。とはいえ不特定多数の人と話すのは若干しんどいので入口の看板はあまり目立たないようにして、SNSの投稿も控えた。つまり「営業はするのだが宣伝はしない」というスタイル。その成果あってお客はほとんど来なかったのだが、心配してくれたお客を含め何名か来た。ふふ。まんまと。ありがたいことです。
こんなこと書くと「縮小の日は行かないほうがいいんだろうな」と思うかもしれませんが、むしろ逆なのです。「なんかいつもと違うな?」というときほど、特別な体験ができるはずなのです。ジャッキーさんが元気ない、とか。なんといっても僕という人間は、人が来ると嬉しいのだ。なんだかんだ言ったってそのために「這いつくばって」まで来てるわけなんだから。よろしくお願いします、おちめの時こそ応援を!
頂き女子のりりちゃんが、おぢを心配させるためにLINEのアイコン真っ暗にして名前も変えるべしみたいなことをマニュアルに書いていた。いつもと違うとそれだけで「なんだろう?」と思ってくれる人は思ってくれるし、思わない人は何も思わない。たまにそういう実験をしてみることがある。
というわけでそれ以上に書くべきことはこの日にはないので、土浦の話を続ける。17時ごろ到着して、まず木村屋パン店。名店! そして「がばんクリエイティブルーム」に行ってみるも無人。その近くの「城藤茶店」に駆け込む。18時閉店なのだ。
長くなるので端折るが、店主の方とさまざまなお話をさせていただいた。なんというか「知らない土地に行って、そこでがんばってる人たちと仲良くなる」ってのは僕のライフワークですし、たぶんかなり得意でもある。詳しいことはまたいつか書きたいが、ともあれ「勇気を出して一歩踏み出す」というゆず的な感覚に尽きます。
城藤茶店は先ほどの「がばん」や「ほんとこ(本と珈琲と土浦)」と密接に結びついた場所。かの「小林じんこ展」の会場も「がばん」だった。僕が土浦に興味を持ったのは、統一教会云々やつくばとの距離の近さもあるが、小林じんこ先生と「ほんとこ」の存在が大きい。
じんこ先生は言わずと知れた名作『風呂上がりの夜空に』の作者で、漫画好きなら「土浦といえば小林じんこ」とオートマチックに思うはずである(偏った認識)。「ほんとこ」は同名のフリーペーパーを作ったり雑談会(実質としては読書会的なもの?)を主催している人たちで、僕の持論である「城下町では文化が死なない」を完璧に体現した存在と見込み、ぜひ近づいてみたかったのだ。
ところで土浦といえば花火で、花火といえば長岡でもあるのだが、どちらも「理系の国立大学がある」のですよね(土浦に関してはつくば市だけど)。また城下町でもある。かなりのこじつけだが、「技術者が多くて文化的にプライドが高い」という条件が大規模な花火大会を支えているのではないだろうか? 長岡は造形大という美術系の大学もあるんでさらに条件が良い。
つくばが近いから土浦は理系の街、と思っていたのだが「ほんとこ」のような活動が生まれ、続いているということは文系の土壌もしっかりあるということだろう。それこそ城下町の強みではないかと思う。本とか読むのだ、城のある街の人は。偏った認識!
城藤の店主さん(たぶん)からは土浦がどういう街かも教わった。予習してきた内容もあったが、知らないこともたくさんあった。水運と軍の街というのは知っていたが、その意味で広島県の呉市と感覚的に通づるものがあるらしく、映画『この世界の片隅に』は土浦で異例の大ロングランヒットとなったらしいのである。あのような文学的な(雑な表現)作品が売れるということは、市民の文化的リテラシーがかなり高いということの証明でもある。ちなみに僕は原作厨であり映画版には大きな嫌悪感があります。
いろいろなお話の中で、夜学バーの紹介も済ませ(重要)、「実は小林じんこ先生の読者で」と告げてみたら、「そうだったのですか」とまったく、それまでと違った表情をお見せになった。じんこ先生は今年の6月に亡くなっている。店内には86年3月31日の日付が入った色紙が飾られていた。『風呂上がりの夜空に』も全巻あった。
「それなら」と小林じんこ展のパンフレットもいただいた。それを見ながらまたいろいろとお話をする。「この、全てのことが同時に行われているっていうところ、本当にすごいですよね。長く生きていてだんだんそういう感覚がわかるようになってきました。」「さすが、そこですよねやっぱり。じんこ先生もそこ(が大事)だと思っていらっしゃったようです。」
18時になり、お暇をいただく。「ほんとこ」のバックナンバーすべてと、2日後に出る予定の第6号もフライングしていただく。夜学バーの名刺も置かせていただいた。土浦に拠点ができた! パパーン。やっぱ僕は人生をゲームだとしか思っていないのか。いや素敵な出会いでした。
どこかの土地に行くとたいていその土地が好きになり、また訪れるための口実を山ほど持って帰ることになる。
まだ続く。
2025.12.21(日) 土浦行3 停車時間は5時間25分
見知らぬ土地を遊ぶ際は予習と下見が肝要である。土浦に行くと決めてからずっとインターネットとにらみ合い、「たぶんここだろう」というお店の目星はつけておいた。また「このあたりが古い歓楽街らしい」「この通りには小さな飲食店がたくさんあるようだ」といったかんたんな土地勘もあらかじめインストールしておく。土浦での滞在時間は5時間25分。『銀河鉄道999』気分である。
説明しよう!『999』はいわゆる「星めぐりの物語」。鉄郎少年とメーテルを乗せたスリーナイン号は地球からアンドロメダに向かう途中でさまざまな星々に立ち寄る。停車時間は「その星の一日(自転周期)」と決まっていて、数時間のこともあれば二週間以上のこともある。駅が近づくと車掌がわざわざ客室にやってきて告げる。「次の停車駅は惑星○○。停車時間は○○時間○○分○○秒。」と。
小学生の時に『999』にどハマりしていた僕は、大人になって「999ごっこ」に興じているわけである。電車に乗って知らない土地(惑星!)に行く。「次の停車駅は土浦。停車時間は5時間20分」と! 999は待ってくれない。乗り遅れたら永遠にその星に置き去りになってしまうのだ。
たった5時間で何ができるのか? その「たった5時間」を有意義にするためには、どうしたらいいのか?「予習」と「下見」が火を噴くだ!
しかし「予習」はあくまでも予習でしかない。何事もスケジュール通りにはいかないものだし、いくべきでもない。「こことこことここに行こう」と決めてあっても、その通りにこなすだけではあまりに芸が無いというものだ。
そこで「下見」である。18時から1時間ほど土浦市街を自転車で走り回り、だいたいの雰囲気が掴めた。
土浦の歓楽街「桜町」の絢爛さは想像以上だった。まったく「予習」ではわからない。「北関東最大の」という枕詞を聞いてはいたが、こんなにソープランドやらキャバレーやらが乱立しているとは。乱立と書いて「密集」と言わないのは道が広いからである。ひっそりと暗く追いやられたような雰囲気は微塵もなく、開放的でとにかく明るい。パチンコ屋みたいなエロ物件がボン、ボン、ボンと地面にぶっ刺さっていて爽快であった。
ソープ街とバーというものはさほど相性が良くないのだろうか。そういえば吉原や福原の近辺にバーが多いということは特段ない。新潟でもソープは五番町のあたりにあって、バーの多いエリアは昔から八番とか九番。名古屋の中村遊廓跡あたりにもバーなんかたぶんほとんどない。棲み分けがあるのだろうか。土浦もバーは弱い。
桜町を下見中に、変な家を見つけた。直観的に「これは店かもしれない」と思った。中を覗くとと店のようであったが、なんの店かよくわからない。カウンターがあって椅子があるのだが、バーのようではない。喫茶店のようでもない。床屋のようでも雑貨店のようでもない。Googleマップをどれだけ拡大してもその建物には何も登録されていないらしい。
外観や窓の中に目を凝らし、感覚を研ぎ澄ませて「店名」のようなものを探した。ある文字列が目に入った。それが店名であるかはわからないが、藁をも掴む思いで「土浦 〇〇〇〇」などと検索してみた。数分でInstagramのアカウントが見つかった。店だったのである。さらになんと、奇跡的にと言おうか、新潟の「ぺがさす荘」と浅からぬつながりがあるようだった。友達の友達。すぐさま「本日は営業されませんか?」といったDMを送り、ややあって返事が来た。お昼のお店らしく、今日はもう終わってしまったらしい。また今度。
やはり「下見」といいますか、「足で稼ぐ」ことは大切だ。Googleマップをどれだけ睨みつけても、登録されていなければ見つけられない。こういう隠れたお店、インターネットでは捕捉できない場所はまだまだあるのだ。
おおむね下見がすんだので喫茶「ポロン」に入って少し一息。19時すぎにボウさんと合流。まず「おもちゃ箱」というお店に行ってみた。マップのレビューによると飲食店っぽかったのだが、ドアを開けて話を聞くと「ソープ専用の宅配弁当屋」とのこと。そんなお店が成立するとは、さすが土浦。
ともかく食事をとりつつ一杯、ということで「しば」というお店を選んだ。ネット上の情報はほとんどないが僕のアンテナは完全にビビッと立った。これがもう完璧にいいお店で、おばんざいを五品くらいいただいてお酒も飲んで一人2000円だったか。価格破壊!
その後、桜町に唯一残るという古いバー「LOFT」へ。ここは予習段階から目をつけていたのだが、情報が少なすぎて現存するかどうかわからなかった。「しば」のママが「まだやっているはず」と言うので行ってみたら、ちょうどお店が開くところだった。渋い良いお店。オールドクロウ飲む。その後は祖母・母・娘の三代にわたってママを務める「志乃」へ。ロイヤル飲む。母がメインで、娘は週末のみ。大ママはもうほとんどお店には出ないそうだ。ここも名店。また安い。土浦の物価最高。また行きたい。
残り時間はあとわずか。「文明開化」というお店に行ってみた。ここも情報が全然なかったのだが店名に惹かれたのであった。入ってみたらだいぶシャバい感じで、ボウさんも「すぐ出てもう一軒」と即座に損切りを決めたのでサッと飲んで最近できたらしい「Larunda」というバーへ。もともと骨董屋かなんかだったそうで、古いブリキのカンバンやレコードなどが内装に使われていてけっこう良い。それらの雑貨類は購入もできるらしく、星製薬の看板がほしかったのだが値段を決めている人と連絡が取れず買えなかった。個人的には! カウンターが三席しかないのがさみしい。21歳の女性が二人でやっているとのことだったが、男性のスタッフも入っていた。儲かってるのかな。まあシャバいといえばシャバいが、近所にあったらちょっと嬉しいお店かもしれない。
土浦行はここでおしまい。22時24分の特急に乗って上野へ。23時からだとこういう遊び方ができるからいいな。ちょっと遅刻してしまったけど。
2025.12.22(月) 終わりの季節
この冬は歴史的な終わりの季節。いろんなお店が閉じていくし、近しい人も何人か仕事を辞める。ある小さな命も潰えた。僕もだいぶ大きく変わりそうだ。
去年の12月25日に僕はこう書いている。
年末なので総決算を始めたい。とにかく「自分はふつうに人と関われるような人間ではない」という自覚を新たにした一年だった。一人でしたことはわりあい成功し、誰かとしたことはたいてい失敗した。
2023年12月27日には「これから世の中は個人と個人が一時的にユニットを組んでは解消するようになっていく」「個人と個人が一時的に関係を結び、それがまた離れたりくっついたりすることが当たり前になる」「あらゆる可能性は開かれたまま温存されるのだ」などと書いている。
僕は年末が好きだ。すべてが極まって凝縮し、一つの小さな穴の中へ収斂していく。新年にはその穴からすべてが同時に放出される。「今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる 今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるさ」と歌う曲のタイトルは『春夏秋冬』だが、僕には年末の歌のように聞こえてならない。年末年始にはすべてが終わって始まる、そこにはもちろん四季も内包されている。
すべてが終わる大晦日と、すべてが始まるお正月。そこに向かっていく10日間くらいはワクワクしてならないが、今年はなんだか本当にすべてが終わっていってしまいそうだ。
2025.12.23(火) 初老の狐はどう生きるか
あけましておめでとうございます。いまは1月2日の夜です。テレビでは懐かしのレッドカーペットが流れております。
12月18日から22日にかけていろいろありまして、そのためばかりでもないですが日記が止まってしまいました。その間に電化製品が四つ壊れ、うち三つは直りましたがテレビの録画機能が壊れたままです。大量の録画もすべて消えました。Tverがなかったら年末年始の特番が一切見られず死んでいたかもしれません。その程度にはテレビっ子であります。
これから1週間分の日記を書いていくわけですが、日付上はまだあけていないので「あけましておめでとうございます」の代わりに「あけそうでおめでとうございます」という新しい年末の挨拶を思いつきましたので使って行きたく存じます。
改めまして、あけそうでおめでとうございます。
初速には自信があり、昨日の今日で行動に移した。しかし「出鼻をくじかれる」というのはあるもので、最速の仕事が報われるとは限らない。
とりわけ不動産に関しては、大学受験のために上京したその足で決めてしまったり、11月1日にゴールデン街を追い出されて12月1日には西新宿の新しい物件の鍵を握っていたりした。前者は親が後ろ盾となり、後者は「あひる社」に協力してもらった。この速度は我ながら凄すぎるのだが、完全なる「独力」ではない。
月日は流れ独力でなんとかするのが当たり前って年齢になってくると、「お前は誰だ」が重要になってくる。このあたりで自由人は心を病んで鬱っぽくなる。吉本さん(あひる社社長であり元祖無銘喫茶オーナー)が会社を作ったのもだいたい40歳くらいだし、ひとり出版社をやっている友人もだいたいそのくらいの年齢に起業している気がする。僕も潮時ということだろう。
それから「適度にうそをつく」ことも大事だとわかってきた。あえて言えば世間は愚かで、偏見も根強い。そこに逆らうことは必ずしも得策ではない、若い頃はそのオルタナティブがないから反抗するというだけで、本当は「逆手に取る」ほうがいいに決まっている。合気道。それを前提として日本社会はできている。少しのうそが適度につけるということは、「世間のしくみを理解していて、そこに合わせる気持ちがある」という証でもあるので、その点は評価してもらえる。たぶん嘘だろうとわかっていても、何も言わないで受け入れてくれる。その柔軟さがこの国の長所でもある。
「実はおれ、狐だったんだ、人間じゃないんだ」と涙ながらに告白する村人に、「そんなことははじめからわかっていた。でもお前は、この村になじもうとがんばってくれていたじゃないか。もう何も言うな、お前はこの村の者だ。誰も文句は言いはしないよ」と返す美徳がこの国にはある。それだけが希望だ。
はぐれ者が世間とうまくやっていこうとする方法はいくつかあるが、その一つはこの狐のように、すべてを隠して世間に合わせること。気付いても黙っていてくれる人たちに感謝しながら。そしてさらにうまく生きようと思うなら、「狐ではありませんが、身のこなしが軽くてしゃべるのが得意です」みたいな形で虚実入り混じった鵺的な生き方を磨いていくのがいいのだろう。悲しいが、『破戒』の瀬川丑松が土下座しないで済むような物語をいかなる形であれ紡いでいくことが近代以降の文化人に課せられた使命であると僕は極めて個人的に考えるのである。
2025.12.24(水) きつね三吉
昨日の記事の後半部は、佐藤さとるの『きつね三吉』という短編を意識して書いていた。三吉というきつねが人間の村に完全に居着くまでの話。
むかしのきつねのなかには、人間に化けたまま、りっぱな一生を送るものがあったそうです。人間のお嫁さんをもらい、子どもを育て、人間よりも<まとも/傍点>に暮らした暮らしたきつねが、ときどきいたそうです。
(講談社文庫『そこなし森の話』P113)
昨日僕が書きたかったのはこういうことである。自分で言うのもヘンだけど、僕はこの世の中で「きつね」のようなものだ。人間ではない。きつねが人間の社会で生きるには「りっぱ」で「まとも」でなければ許されない。逆に言えば、そうでさえあれば人間は受け入れてくれる、そういう優しさやテキトーさがこの国にはある。
この『きつね三吉』には実は重要な想い出がある。たぶん大学2年生の時だったと思う(3年生だったかもしれない)。猫先生こと浅羽通明先生の講義では、考査前の最後の授業では短編小説などの朗読をすると決まっていた。それで『きつね三吉』の回があったのである。
僕はその頃、生涯にわたって私淑することになる猫先生のことをまだ深く理解しておらず、「いろんなことをたくさん教えてくれる厳しくておっかない先生」とくらいに思っていた。しかしこの『きつね三吉』の朗読を聞いたあたりからちょっとずつその印象は変わってきた。何千何万という短編を知っている(星新一だけで千あるわけだから!)はずの猫先生が、年に二作しか選ばない作品の一つにこれを持ってきたわけだ。そして絶賛するのだ。また力を入れて、心を込めて読んでくれるのだ。「この人、めちゃくちゃいい人なんじゃないか?」とたぶんここでしっかりと思った。その予感は完璧に正しく、今や僕は全人格的に彼猫のことを愛し尊敬している。
猫先生はまさに「きつね三吉」そのものかもしれない。人間社会に猫として生まれてきてしまった。「発達が障害されていますから……」と自らも語るように、この世の中で「人間らしい人間」としては認められにくい存在であったと思われる。彼猫は旧司法試験に合格しているのだが、曰く「日本で一番難しい試験に合格しておけばなんとかなるだろうと思った」とのこと。裏を返せば、そうでなければなんともならない可能性を感じていたということだ。就職は一度もしたことがなく、知を鬻ぐ仕事だけでこれまでやってきている。(以上は僕の理解。)
『きつね三吉』に登場する茂平親方も、器用な人間ではない。しかし彼のような人格は「職人気質」とか「頑固親父」といった言葉によって存在を認められている。ただしやはり「人間らしい人間」とはちょっと違うので、「鍛冶屋としての技術」とか「優しい人格」といった揺るぎない長所があってこその話。ふつうの人間よりも「りっぱ」で「まとも」な部分を備えていなければ、きつねや猫が人間として生きていくのは難しい。
僕も少しはそのようなところがあって、要するに発達が障害されていますから、ただ生きているだけでは人間として認めてもらえないという恐怖を常に抱えていた。それでなんとか少しでも「りっぱ」で「まとも」に近づけるように自分なりの努力を重ねてきたわけだ。「自分なりの」ってのがポイントで、人並みの努力はできませんので、マンガを読むとか文章を書くとか、あんまり人が考えないようなことを考えるといった、普通の人があまり積み上げないタイプの技術を高めていく方向に振っていく、きつねや猫にはそういうことしかできない。『きつね三吉』のきつねたちが職人として生きているのもそういうことではなかろうか。
また、途中で出てくる坊さんもたぶんきつねである。ウメが坊さんの叫び声を「犬がほえたのかと思った」と回想しているし、三吉が「この……人と」と、「人」の前に言いよどんでいるからだ。ではなぜ、坊さんは三吉を連れていってしまったのか? おそらく茂平親方が言っているように、「覚悟が決まっていなかった」ことを見抜いたからだ。坊さんが声をかけたとき、三吉が少しも焦らずうまく人間として応対していたなら、そのまま見逃されたのではなかったか。すなわち、人間として「適度なうそ」をつくことができたなら、その世界で生きる資格があると見なされたのではなかろうかと。
昨日の記事の一部は、僕が人間として「適度なうそ」を堂々とついていく宣言だったのかもしれない。具体的には、「バーをやっています」ではなくて「ライターです」とか「経営者です」とか「年収は○○円あります」とか言えるようになるってこと。ハー。当たり前のことなんだろうけど、人間って大変だなあ。
2025.12.25(木) 老眼とメタ認知
22日、浅草公会堂に大衆演劇を観に行った。湯島のスナック「マリーゴールド」のママ、まりこさんが誘ってくださったのだ。もともとは浅草で「稲」というバーを経営していて、僕はそこに7、8年前から通っていた。3年ほど前にそこを閉じたあと、しばらくしてなんと湯島にスナックとして移転してきたのである。
んで、たまたま僕が大衆演劇にハマり始めたと話したところ、「えーわたしは20年通ってるよ~、今度わたしの推しの公演に誘うね~」と言ってくれて、本当にお声がけしてくださったのである。
公演(すばらしかった!)が終わったあと、みんなで飲みに行った。稲の近くのお店が15時から開いていたのだ。僕より10歳ほど年下の方が一人と、10歳ほど年上の方が三人。みな女性。心地よい時間であった。なんというか僕もふくめて皆様、いろんな場を知っている方だから、いわゆる「シャバい」感じはまったくない。つまんない社交辞令とかどうでもいい質問みたいなのはなく、ほどよく距離を取りあって「みんなで幸せな時間をつくろう」という気持ちが自然と共有できていたように思う。
僕より10歳くらい上のお姉さま方はほぼ年齢が一緒で、老眼トークで盛り上がっていた。なるほどこの年代のわかりやすい共通の話題は「老眼」なのかもしれない。もうちょっと年を取ってくると「病気トーク」「病院トーク」がメインになるのだろうが、このあたりだとまだ「老眼」くらいにとどまるのかもしれない。
確かに老眼というのは、結婚や出産、子育て、あるいは離婚、親きょうだいの生き死にや相続といったライフステージに関係なくやってくる。趣味嗜好とも関係ない。同年代の共通の話題としてかなり優秀なのである。
僕は目が良いので老眼の自覚が早いと言われ、もう秒読みであろう。正直言って怯えている。しかしかりに老眼が来ても基本的には、「同年代の共通の話題」というステージ以外ではあまり話さないようにしたい。老眼はあまりに脅威だから誰彼無く話したくなるのは想像に難くないが、老眼と関係ない世代からしたらあまりにシャバく聞こえるだろう。他人事だから。「なんでそんなどうでもいい話してるんだろ」と思われるはずだ。当事者からしたらまったく「どうでもいい話」ではなく、シンプルに「怖い話」のつもりなのだが、若い人にはまったくそのようには伝わらないだろう。
僕が老眼の話をするとしたら、できるだけ「そこ」を含めた語り方にしたい。「老眼の話への関心は聞き手の年代によって変わる」というメタ的視点である。「明日は我が身」と思えば人は気にするが、「来週は我が身」くらいだとほとんど気にしない。明日や明後日にもっと気にすべきことがあるからだ。若いというのはそういうことでもある。しかし先を見て悪いこともないから、「老眼っていうものへの臨場感を持てるということは、想像力が豊かだということだ」みたいな視点からのみ、この件については語っていきたいと今のところは考えている。
2025.12.26(金) みんなの新名祭(2)
1月1日(大晦日の深夜)にアップされました、ギン氏による「
新名祭に関する諸批判」への感想。ちなみに本記事は15日の
みんなの新名祭(1)に続く第二弾です。
このイベントについての詳細は前記事とさく氏による所感、そして今回のギン氏の論考を参照してくださいませ。僕は現地には行っておりません。一瞬だけ顔を出そうと思っていたのだが無理だった。でも参加費が2700円と知っていればはじめから諦めていたと思う。6時間という長いイベントなので最初から最後までずっといるなら妥当でもあろうが、「ちょっとだけ寄る」とか「演劇だけ観る」ということになるとさすがにちょっと高く感じる。僕だったら27円、270円、1027円のいずれかにしといて課金要素を追加するかな。
ただ茶久間ふく氏は演劇畑の人で、お芝居ってアマチュアでも平気で4000円くらいしたりするから、その線で考えると安いと思えなくもない。ある業界の常識は時にその外の価値観と乖離するので、「高い」と思う人がいるのは自然なこと。
「演劇の世界ではこのくらいの価格が標準」という価値観は演劇の世界だけのもので、演劇の世界の外側にいる人は同じようには感じない。ひょっとしたらメイン広報に入場料(参加費)についての説明がなかったのは、そのギャップをどこか自覚していたからなのかもしれないと邪推さえする。ちなみに「予約が必須」とも書いていなかったので、僕は入場無料と信じて疑わなかった。だから「一瞬だけ寄ろう」という発想にもなったのである。
参加費は「参列者記入フォーム」に明記されており、Txitterでも3日前に一度だけ掲載されている。よく見ていればわかったのだろうが、僕には妙な思い込みがあった。ふく氏が演劇の人だと知っているからこそ、「有料ならチラシに値段を書くものだろう」と信じ込んでいたのである。勝手に。祭りってだいたい無料だしね。
余談だがお金ということでいえば夜学バーはかなり誠実なつもりで、名刺にもSNSのプロフィールにもホームページにも、また店内のメニューにも、できるだけわかりやすいところに木戸銭について明記してある。お金のことなんてできるだけ考えたくないし考えさせたくないからこそ、最初にしっかりと伝えておくわけである。「いくらくらいかかるんだろう」とモヤモヤさせる時間は僕にとってかなりムダ。可能な限り省きたい。
ギン氏の論考については単純に感心した。特に、イベントのコンセプトやコンテンツよりも「茶久間氏とのコミュニケーション」が「本質的な商品」と化していたという説明はよく整理されている。そういうことってよくあるよね。声優がアートだと思ってライブしてても、声豚どもはアイドル(性的な女)としてしか消費しない、みたいなズレ。「これはアートです」として売り出される商品も「集金」としか捉えられない、みたいなズレ。そこには悲しみしかない。僕もよく誤解されている気がするので、よくわかる。サブカル隠れ家バー。
基本的にはギン氏の言うことはギン氏の言うことで、あまり関与はしたくない。それでもあえて僕の立場から彼の主張に一言差し挟むとしたら、やはり「夜学バー」と絡めて語るところである。
まず理解しておいて欲しいのは、ふく氏はいま夜学バーの直接的な関係者ではない、ということだ。夜学バーとは関係のないところで夜学バーとは関係のないことをやっているのに夜学バーと関係がある者として語られてしまうのは、可哀想な話だ。いつまでもフリッパーズ・ギターの話をされてコーネリアスと比較され続ける小沢健二さんみたいなものだ。今やっていることはフリッパーズではないのに。
ギン氏の言っていることを僕なりに要約してみる。「ふく氏は夜学バーの理念に賛同して働いていたのにそれが身についていないのは不思議である。おそらく理論(スタンス)はある程度深めたが実践(スタイル)が追いついていないのであろう。すでに夜学バーから退いているのでそれを学ぶ絶好の機会を失っているのは残念だ。」
そうも言えるのだろうが、こうも言える。「ふく氏は夜学バーの理念に賛同して働いていたように見えたが、理論(スタンス)も実践(スタイル)も会得したわけではなかった可能性が高い。そして事実としていまふく氏は夜学バーの従業員ではない。」
目の前にある事実は、「ふく氏はもう夜学バーで働いていないし、ジャッキーさんとは1年以上顔を合わせていない」である。「夜学バーで働いていたのに」から思考を始めるのではなくて、「現在は夜学バーで働いていない」から考えたほうが話が早いのではないか。
ここからは僕の個人的な回想であり感想である。ふく氏の「夜学バーが好き」という熱量は半端なものではなかった。狂ったように夜学バー夜学バーと言ってくれていてものすごく嬉しかった。しかしふく氏が好きなのは「夜学バー」であって、「夜学バーの複雑さ」とかではないのだ。ふく氏はたぶんかなり夜学バーというものを自分のために単純化していた。単純化した結果が「夜学バー」という単語だったのだと今は思う。
つまり、「夜学バーのこういうところが好き」と言うことを避けるために、「夜学バーが好き」と言っていたということである。ふく氏の中にあったのは「夜学バーが好き」ということであって、「自分」と「夜学バー」を繋げる線はたったそれだけであった。僕にはそう思えてしまう。極端にいえば「夜学バーは自分にとって素晴らしいものとして存在してくれている、だから夜学バーが好き」というだけなのである。「夜学バーがどういうものか」なんてどうだっていいのである。言葉が強くなってしまい申し訳ないが、それが僕の素直に思うところだ。
もちろん、「夜学バーでこういうことがあった」とか「夜学バーではこういう経験ができた」といった個人的な想いはたくさん持っていてくれているだろう。ただ、「夜学バーはこういうものだから素晴らしい」という客観的な説明を聞いたことは記憶の限りない。いつでもふく氏の主体は「私」のみにあるように見えて、「私をふくむ夜学バー」という感覚があったかどうか僕には疑問なのだ。
新名祭について、その発想自体はとても面白いと思うし、ダジャレ的な側面からもうまいことたくさん言えてて、褒めるところはいくらでもある。27歳という年齢にこだわる偏執狂的な熱量も凄まじく、おそらくかなり優れた、また狂った限界芸術でもあったろうと推察する。意外と現場にいたら僕は絶賛していたかもしれない。
(後日の補足:ここから先、「なぜ27歳が好きなのか」ということが不明瞭である点について書いたが、noteにおいて説明されていたことがわかったので削除した。大幅に誤った認識であった。申し訳ありません。ギン氏は前半参加していないそうなので、当日も説明があった可能性が高い。個人的には!明確な理由があるならもっとその「なぜ」を強調しても良かったのではと思うが、もしかしたらそれが個人的すぎるゆえ新名祭という祭の普遍化にはノイズになると思ったのかもしれない。わからないが、ここではたぶんわかる必要もない。)
(再び後日の補足:ここから下の「独り歩きしている」という点は確かだと思うので、やや補筆しつつ残す。ただ、あえて独り歩きさせているのかとも思う。2026/01/05)
「27歳」という概念、いや言葉が、いつの間にか独り歩きしている。27歳がどういうものか、というのはどうでもよくなる。盲目な恋のように。「27歳」なるものへの執着だけで「新名祭」というオリジナルなイベントを開催してしまうのは素直に凄いと思う。下手っぴだったとして、それはある範囲までは愛嬌だ。実際さく氏たちが悲しい想いをしたのは単に「失敗」であろうが、失敗は誰にでもある。僕も似たような、しかしもっとずっと重大な失敗を一昨年している。
あくまで私見だが、ふく氏の「27歳」への執着は、「夜学バー」への執着と似ている。執着は常に自分が主役になる。ふく氏には「自分」しかない。わりとそれだけのことだと僕は思う。それを「悪い」と断じる気は無論ない。むしろこのような、ほとんどいじめに等しい行いをしていることを詫びなければならない。申し訳ないがこの文章は「自分がものを考えるため」に書き、「それを知ってもらう」ために書いている。「自分」しかないのは僕のほうで、それをどうにかする方法が今のところ「書いて知らせる」以外に見つかっていないのは貧しさかもしれない。
新名祭も、「どうしてもこれをやらなければならない」というふく氏の切羽詰まった想いからおそらく敢行されたもので、それは生きるため必要なことだったから、拙い部分もできてしまったのだろう。それは「人間の生き抜く努力」というもので、「純粋な声援」を本当は送るべきであった。それが単純にできなかったのは僕の幼さである。ごめんなさい。
ここまで「ふく氏」と一貫して書いているのは「マサル氏」的なよそよそしさではない。かつて本人から、自分のことを書くときは性別を示すような代名詞等を使わないでくれと言われたのを思い出したのである。
2025.12.27(土) 日常は未知の旅
朝まで営業し、帰って寝て12時40分に自転車で丸の内に。ここまで都会になると逆に自転車撤去とかされなさそう。「東京創業ステーション」なる場所で無料相談。東京都はすごい、だいたいのことが無料でできるし、なんなら助成金までもらえる。税金最高~。払ってくれてる人ありがとう。
それからYATOという墨田区の本屋に行って世間話やビジネスの相談。新御徒町まで歩いて鐘江大輔さんの『素物』という映像作品の上映を見て、そこに登場するコーガ石という新島でしか採れない岩石を割ったり話を聞いたり。最後は佐竹商店街にある怪しい飲み屋へ行ってから、夜学バーを開店。
一連は一人ではなく、ずっとある方と一緒だった。今後ビジネスパートナーになる予定の人である。その方から「今日は未知でしたね、ジャッキーさんと一緒にいると未知に飛び込むってのはこういうことか、楽しいなと思いますね」(意訳)というようなお言葉をいただいた。とても嬉しいし、芯を食っている。
僕はいつからか、日常こそが最も面白いRPGだと思うようになった。植芝理一先生の『ディスコミュニケーション』で松笛くんがよく「世の中面白ければそれでいいのさあ~」と←歌ってるが、ってことは世の中は面白くすることができるのだ。自分の意志で。それを教えてくれたのは『ディスコミ』なんだよな~本当にありがたい。
『ディスコミ』といえば有名なキャッチコピーが「ワカラナイカラ好キニナル」でしたな。わからない=未知。夜学バーの中心概念の一つにも「わからせない」がある。フリッパーズ・ギターの世界。←わからないっしょ?
創業相談はもちろん未知だし、YATOも本屋をやりながらカフェとイベントスペースをつくるために「自力クラウドファンディング」(キャンプファイヤーなどのプラットフォームを通さず自前のサイトで実施するもの)をやるような外れ者で今後は出版もするらしい。新島の鐘江さんは以前いちどだけ夜学においでくださったことがあって、お互いに忘れずにいてこうして再会が叶った。「新島」も「コーガ石」も未知そのものだし、会場も解体寸前の廃墟のようなビルを自由に使っていてとても良かった。佐竹の飲み屋もわけわからんくて最高である。こういう体験を日常的にし続けることがすごく大事だと僕は思っていて、そのためには「飛び込む」という勇気、度胸、覚悟が肝要。僕は本当はかなり小心者なのだが、勇気度胸覚悟勇気度胸覚悟と唱えながらがんばって、無理して、えいやままよと飛び込んでいる。いいことあるから。
昨日の話に無理矢理繋げれば、単純化とは既知化のことでもある。未知なる要素を捨象して既知のものだけで成り立たせようとするのが単純化なのだ。そればかりが癖になると「未知」というものがわからなくなり、無意識のうちに「身内ノリのシャバい空間」が創り上げられてしまう。
2025.12.28(日) 吉祥寺プチ
吉祥寺の喫茶店「プチ」が年内で閉店と聞いてやって来た。インターネット上では特段騒がれておらず、その近所に住んでいる友達づてに知った。都内で好きな喫茶店と言えば筆頭三番手までに挙がる名店なのだが、いかんせん吉祥寺ということでそう頻繁には行けなかった。終わる直前にもう一度行くことができて本当によかった。
プチの魅力を一言でまとめると「同時」ということである。いつでもすべての季節が店内にあり、和洋いずれの文化も詰め込まれ、水とお茶とコーヒーが一緒に並ぶ。晩年はおせんべいのみとなったようだが、かつてはざるいっぱいのお菓子がドンと目の前に置かれて食べ放題だったし、かつ磯辺焼きまでサービスで出されていた。ちなみにお酒を飲むこともできる。すべてがまさに同時にあった。居るだけで僕は酔うことができた。
年末の日曜の昼下がり。お客はほかに2名のみで、たぶんこのまま静かに終わっていくのだろう。阿佐ヶ谷時代から数えて70年、その終わりとしてはあまりにも目立たずあっけない最後のように思える。僕の大好きな「すべてが同時にある=ごった煮感」というのが思った以上に世間からウケないんだなという確認にもなった。みんな「たった一つのわかりやすさ=単純化」というところに安心を得るのだ。「昭和レトロのイデア」みたいな、すでに知っているもの(既知)にしか飛びつかない。それでいい。そうでなくては、僕のような人間が腰を落ち着かせられる場所がなくなってしまう。ただしそれが永遠にどこかに存在し続けるためには、僕のような感性もある一定以上の数、確保されていなくてはならないのである。このまま静かに続いていこう。
2025.12.29(月) 物語性の暴力と「くさみ」
みんなの新名祭(2)で取り上げたギン氏の論考のなかに、「物語性の暴力」というキーワードが出てくる。
「物語性は閉じたコミュニティ構造と非常に相性が良い」とギン氏は書く。物語というものは実は「単純化」にすぎない。「物語の中に拳銃が登場したら、それは発射されなければならない」とチェーホフは言ったそうだが、調べると村上春樹の『1Q84』でも引用されてるんですね。気が合うなオォ?(名古屋弁)
すなわち物語というものは、その要素にすべて必然性を与える。複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、その「物語」にとって必要な要素のみを取り出し、それ以外を切除する。そして標準的な売れる物語というものは、消費者にとって理解しやすいものだけを強調して単純化したものだ。わけわからんのに売れるのは宮崎駿や庵野秀明レベルである。対して映画『この世界の片隅に』は日常と生活と人間を活写したはずの原作漫画の妙味をことごとく捨て去って単純化した「物語」に成り下がっていて、僕はたいそう苛立ったものだ。
「物語」というものは、その外側にいる人間を疎外する、いやそもそも存在すべからぬものとして扱う。「身内ノリ」の空間に「部外者」が入り込むと、「俺たちの物語を損なうな」という怒りが飛んでくる。そんな感じだ。
「新名祭」という物語のなかに迷い込んださく氏やギン氏は、「招かれざる客」だったのかもしれない。それが「開かれた場」という物語だったから混乱を生んでいるが、つまるところ「私たちは開かれた場をやっているよね!」という閉じた物語、というふうに解釈できるわけだ。むろん夜学バーにもこれとまったく同じ危険性が常につきまとう。いつでも冷静でいなければならなくて、それがまったくもって大変で、疲れる。でもやらなければならない。クィー。がんばろうね。
しかしいくらがんばっても、「夜学バーという開かれた場、という閉じた物語」として見る人は見るだろう。徹底的に気をつけなければならないし、一方で時には「そのようにしか見る気のない人」とは手を切ることも必要になる。
かつて「おざ研」という場を運営していた頃、あるお客さんがとあるコミュニティに対する愚痴をこぼしていて、その末尾に、「まあ、僕はこっちのコミュニティ(おざ研のこと)に所属していればいいんですけどね」というようなことを言った。まったく危険なことだと思ったし、反省もした。こちらは「コミュニティ」というつもりがまったくなくても、そう見る人は見る。そしてあろうことか「所属している」と思われることさえあるのだ。もちろんその人はそんなに深い意味を持って言ったのではなく、「こちらに通えばいい(通っていたい)」というくらいの意味だったのだろうが、さすがにショックでもう10年以上経つのにまだ鮮明に覚えている。
その後に開いた夜学バーは思えばかなり慎重に物語化を避けていて、たとえば「周年イベント」というのをずっとしなかった(これまで実施したのは7.11周年のみ)のも、「周年」という些細な物語性さえも拒絶していた証である。
「周年」は存分に物語で、ウチとソトを明確に分ける。「あれからもう○年かあ~」と実感を持てる人と、「そうなんですね」と知識として受け取る人と、その温度差はかなり大きい。
唯一実施した周年イベントが「7.11(ななてんいちいち)周年」だというのも、照れ隠しや韜晦、また日程調整だけでなく、物語性の「くさみ」を取るためであった。「あれからもう7年かあ~」と思う人はいても、「あれからもう7.11年かあ~」と思う人はいない。それまで通っていた人も通っていない人も、とりあえず「7.11ってなんだ?」というところから始まってくれる。注目ポイントを「年数」から「表記」へとズラすことで、視線を同一に揃えたわけである。アー、天才。ジャッキーさんって。
いろいろ考えた結果、10周年は盛大にやるつもりだが、そこでも「全国ツアー」とか、意味のわからない企画をくっつけて、「10年」という数値を霞ませようと思っている。んまあそもそも「10年」という区切りは、「あれから10年かあ~」よりも「10年ってすごいですね」「キリがいいですね」といったふうに自然に視線が揃うので、比較的「くさみ」は少ないのであるが。
同じように「生誕イベント」もしてこなかった。やるにはやっても、ひとり芝居をしたりライブをやったり、「お誕生日」とか「○○歳」という物語的なくさみをできるだけ霞ませようと努めた。実のところ「新名祭」もそういうものをめざしていたのではないか。「自分という物語」から「27歳という概念」に焦点をズラすことによってある種の「くさみ」を取ろうとしたのかもしれない。
物語は閉じていってしまう。そしてその物語を享受したものと、していないものとを分ける。何かをやる者は、そのことをとにかく自覚しておくことが大事である。もちろん優れた物語は優れた宗教的熱狂を呼び、「売れる」という道筋を切り拓くわけだから、うまく使うにこしたことはない。ただ、そのときには常に「ウチとソト」を切り分ける暴力が行われていて、そこには決まって痛みが伴うのだということを忘れないようにしていきたい。これが私の優しさです。
2025.12.30(火) 今日ですべてが報われる
泉谷しげるさんの『春夏秋冬』という曲は年末の歌にしか聞こえない、と
22日の記事で書いた。「今日ですべてがむくわれる」と信じる気持ち。僕の中で「報われる」というのが「終わり」と直結しているのだろう。細野晴臣さんの『終わりの季節』にも「それで救われる気持」とある。似たようなものだ。
一年の計は元旦にあり、という言葉は好きではない。最初ですべてが決まってしまうなんて悲しいを通り越して愚かしい。終わりよければすべてよし、こっちのほうがいい。年始よりずっと年末のほうが好きなのは無理矢理にでも「これでよし」と最後に思ってしまいさえすれば「すべては良かった」ことになると思うからなのだ。これは単に性分だろう。
基本的に、人生は悲しみに満ちている。通底している。
どうでもいいけど悲しみといえば海援隊の『風景詩』という曲が好きで、悲しみという言葉が七回(たぶん)出てくる。ボーカルは武田鉄矢さんではなく中牟田俊男さんなので、金八のイメージしかない人にこそ聴いてみてほしい。
12月30日の営業は混み合うことなく静かに過ぎ、0時過ぎには誰もいなかった。ゆっくりと片付けを済ませ念のため1時までは客を待とうと本を読むなどしていたら0時40分、黒電話がジリリリと鳴った。帰る気満々だったので無視してもよかったのだがほぼ自動的に身体は受話器を取ってしまう。「今から30分後くらいに5名入れますか」と女性の声で告げられる。30分後といえば1時10分で、営業は1時までとしているのだから断ることもできたのだが、この年末はあんまり儲かってもいないし、「行きたい」という願いを拒むのは性分として不可能に近い。お店は開いているべきだし、開いているなら受け入れるべきなのだ。呪いのような思い込み。それでも僕はここで一拍、置いてしまった。一拍おいてから「お待ちしています」と言った。それが悪かったのかもしれない。たった一拍置いてしまったせいで、僕の中では「僕のせい」になってしまった。本当に損な性格だ。いい奴過ぎる。
来るか来ないか、賭けのような気分で待っていたちょうど1時10分、扉が開いた。ところが来客は1名で、見知った顔。電話の主とは別のようだった。結論から言えばそれから3時間弱待ったがその5名は姿を現さなかった。名前も連絡先も告げられなかったので感情のやり場がない。こういうのを「憤る」と言うのだろう。まぁそんな悲しみも令和7年に置いていってしまえばいい。
それよりも怪我の功名と言うのか、僕は1時になったら即帰ろうと思っていたので、もしあの電話がなければ1時10分にやってきたお客を受け入れることができなかった。久々にサシでゆっくりと飲み、話した。
出会ったのは8年くらい前だろうか。それなりに色々なことがあって、何年も顔を合わせない時期があった。それは僕が半ば一方的に怒った、というか、あまりにも嫌になったからなのだが、大人げないとか気が短いと言えばそうでもある。何にしても二者間のことだから詳細はどうでもいい。色々あったと言ったら色々あったでしかないのが大人の世界である。(先方は僕よりも年上であり、若い人とのトラブルではない。)
僕は僕でその人に申し訳ない気持ちを持っていた。悪いことをしたとは思っていた。一方で向こうも同様にそう思っていて、むしろ感謝していると話してくれた。これは僕にとって意外の事実というか、望外の幸いであった。
簡潔に語ると、夜学バーが初めて通ったバーで、おそらくはそれをきっかけに「そのような場」に行く機会が増え、いつの間にか自身がお店に立つ身となり、今では間借りとはいえ自分の責任で営業しているそうな。そして立場が変わった今「ジャッキーさんに言われたことがすべてわかった」(大意)そうなのである。
星の光! 待つものだ。何年も経って光は反転しまた新しくすべてを照らす。お酒が入っていたとはいえ誠実に「感謝」を伝えてくれた事実は僕にとってまことにありがたいもので、「間違っていなかった」とまでは言わないが「無駄ではなかった」と思える。当時は当時なりに僕も誠意を尽くしていたつもりなのだ。それが上手ではなかったのは間違いないが、下手なりの真心が不器用にでも伝わり、相手の中で何かを育んでいったらしいというのは救いでしかない。
営業するなかで、「ジャッキーさんが言っていたのはこういうことか」と身に沁みて感じてくれているという。上から目線で言いたいのではなく、教育ってのはいつもそういうものだ。「あの時あの先生が言っていたのはこういうことか」と、何年も経ってから芽吹くのが当たり前の世界。教室なり学校という現場では無意味のように思えても、将来の爆発を待つ時限爆弾として埋め込んでしまうのが優れた教育なのである。生徒としての僕にもそういう経験は無数にあり、直接感謝を告げたくても告げられない相手が何人もいる(可能な相手にはわざわざ探し出してまで会いに行っている)。学校の先生の辛いところはここだと思う。僕の短い教壇経験のなかでもたぶん無数の時限爆弾を埋め込めているはずなのだが、それが爆発したかどうかを知る術はほとんどない。だからこそ、こうしてわざわざ「ありがとう」と言ってくれることが嬉しくて仕方ない。もちろん僕も「ごめんなさい」と告げた。そうしたら「何がですか? こちらこそですよ」というような返りがあった。何もかも、お互い様である。
教育を例にすると上下関係の話みたいに聞こえてしまうかもしれないが、どんな関係の内にもそれは必ずある。友達でも恋人でも、仕事仲間でもなんでも。夜学バーが教育機関であるというのは、そのような「時間」を前提にしているからだと僕は考えている。熟成するための時間を。爆発を待つ「別の時間」を。
ありがたい、残りは年を越すだけになった。
2025.12.31(水) つまり、未知とは他人である
年末ですからここしばらくのテーマであった「未知と既知」について語っておこう。表題に尽きている。つまり、未知とは他人である。おわり。
他人というのには何層かあって、「自分以外のすべての人間」を指すこともあれば、「仲良くない人間」「利害関係のない人間」を指すこともある。また「知らない人間」「人間として扱っていない人間」というニュアンスのこともある。しかしここではたぶんそれほど細かく考えなくていい。
なぜなら、僕は「未知とは他人である」と言っているだけで、「他人とは未知である」と言っているわけではないからだ。同じようなもんだが、どっちにまず主眼を置くかに差があって、それがけっこう重大だ。
わかりやすく言えば、自分のなかに未知なる部分があったとして、それは他人だということを僕は言っているのだ。
自分のなかに未知を一切感じていない状態の人もたぶんけっこういる。思春期のあなたには信じられないだろうが、そのような状態にある人間はかなり多く存在しているはずなのである。そうでなければ説明のつかないことがあまりに世の中には多すぎる。
自分のなかに未知を一切感じていない状態の人は、未知とは外部にしかないものだと思い込み、そのせいでさまざまな問題を抱える(これについて詳しく語ると長くなるので割愛)。
思春期というのは自分のなかにある未知に戸惑う時期を言う、ようなもんだと僕は思うし、ミッドライフクライシスは中年になって新たに湧いてきた未知に戸惑う時期、と説明ができる。
それに対抗するためには、常に未知と接しているのがよいのではないか。未知というのは他人のことで、それと仲良くしたりうまくやりすごしたりする能力を育んでいくことによって、やがて自分のなかに新たに生まれてくるであろう未知=他人(むずかしくいえば他者、ないし他者性)にも適切に応対できるようになる、のではなかろうか。
もう一つの解決策としてメジャーなのが、「既知で固める」ことであろう。未知を見かけたら即座に既知に変換したり、そもそも見なかったことにして、自分の知覚できるものをあらかた「既知」のみにする。それで死ぬまでやり過ごす。実のところこれが最も効率的で簡単で、最大公約数的なみんなが高確率で幸せになれる素晴らしい方策なのだ。おそらく。
結局は、そのバランスである。すべてが未知であるという状態もなければ、すべてが既知である状態もない。ただそのサジ加減は自分で調整がきく。どっちを多めにするかとか、これについては未知、これについては既知といったふうにうまく振り分けていくといった工夫で、その人なりの生き方をつくっていくのが正統なやり口だと僕は思う。ただ、そんなことを個々人が考えようとしても得手不得手があるので、難しいと感じる人は「すべてを既知」に振ったほうが安全である。世の中の趨勢はだいたいこっちのグループの人たちが決めていくように見えるが、本当は少数の「未知派」みたいな人たちもかなりがんばっている。既知派と未知派も、社会のなかでうまくバランスを取り合っている。実は。あんまり知られていないのですが!
「よいお年を」と言って別れることがあまり好きではない。「年内はもう会いません」という宣言にしか聞こえず、さみしいからだ。もちろん「これから飛行機に乗って実家に帰る」とか「あと数時間で年を越す」といった、明らかにもう年内は会わないことがわかっていて、それを惜しみたい場合は別なのだが、12月26日くらいに「よいお年を」と言われてしまうと、ちょっとやだ。特に、年末まで休みなくお店をやっている相手にそれを言うのは、「何があってももう来ません」という宣言になりますので。あるいは「プライベートで会うことはないですもんね」という消極的な突き放しにも聞こえる。
今回の話に引きつけて説明するなら、12月26日に「よいお年を」と言ってしまうということは、「12月27日から31日までの5日間」を「既知化」してしまうことになる。まだ会うかもしれない、という未知の状態を確保していたって別にいいのに、「もう会いませんよね」と終わらせてしまう。
それが悪いとは正直に言ってさすがに思いはしない。「終わり」を決める美徳はあるし、それを分かち合う嬉しさもあるだろう。「今年もありがとう」という気持ちを込めて「よいお年を」と特別な挨拶をするのは美しくさえあるし、何より楽しい。ただ、僕の大好きな年末が既知化されていくのはちょっとさみしいな、というきわめて個人的な好みなのであろう。「まだ終わんないじゃん、年末まだあんじゃん!」って。
そういうわけで僕はあまり「よいお年を」と言わない。その代わりに年が明けてから誰かと別れるときに、「よい今年を」と言っている。たいていみんな笑って、「よい今年を」と返してくれる。新しい挨拶を勝手につくるのも、未知と既知をむすぶ素敵な遊びだと思っている。
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