田切~松本
「さらば飯田線」



 田切には、本当に何もない。駅員もいなければ駅舎もない。駅のホームは細く、ただ小さな物置のような待合室があるだけだ。
 私は電車を降り、待合室の中に入った。そこで、おにぎりを一つ頬張って、一息つけた。プレハブの中には、部屋の面積の半分近くを占めるベンチと、その下に無造作に置かれた汚いゴミの入った袋が2つ、そして扉がひん曲がって閉じなくなってしまった縦長の掃除用具箱しかなかった。私はおにぎりをポカリスウェットで流し込むと、掃除用具箱の扉を開けようとした、が、簡単には開かない。曲がった扉がひっかかって、動かない。やっとのことで扉をねじ開けると、そこには汚いほうきと、バケツと、ぞうきんと、濡れた紙切れ・・・ 私はその紙切れから視線を上の方へ動かしてみた。すると、たわしやスポンジが置かれるような白いカゴの中に、一冊の白いノートが入っていた。
 「田切通信」と書かれたそのノートには、ホームページの掲示板のように、全国から集まった人々の田切駅への思い、そして、ゆうきまさみと『究極超人あ~る』への思いが書き連ねられていた。私はそれを読んで、いてもたってもいられなくなり、リュックから鉛筆を取り出し、書き込んだ。名古屋からジャッキーという高校生が、今日この時に、確かにここへ来たと、記録した。また、ここへ来ようと思った。次にここへ来たときには、すでに帳面はいっぱいになって、違うノートに変わっているだろう。もちろん、一冊どころではなく、二冊、三冊と消費されているだろう。そして自分も、それに参加しているのだ。そう思うと、田切駅に集まってくる人たちと自分が、すっかり仲間になってしまったような気がして、嬉しかった。いつまでも感慨に耽ってはいられない。さっきの列車から次の列車までには、わずかに50分しかないのだ。
 私は田切駅のスタンプを求めて、駅を降りた。降りた、というのは、この駅が普通の高さに位置していないことを示している。レールは地上から7,8メートルの高さを走っているのだ。そのため、田切駅から下の道路に降りるためには、長い階段を下りなければならない。長い、と言っても、たかが知れているのだが―――
「どうも、こんにちわ」
 私が階段をかたかたと音を立てて降りていくと、小柄な婆さんが下からのぼってきて、挨拶をしてくれた。こんにちわ、と挨拶を返すと、にっこりと微笑んでくれた。婆さんは特にこの階段をのぼるのにおっくうと言うわけでもなかったが、楽では無かったはずだ。地元の老人でも、階段が登り切れないために駅を使えないという方がいるのかもしれない。
 田切駅の周辺を散策して歩くと、すぐに比較的大きな通りに出たが、車の通りは少ない。人通りも無いに等しく、寂しい。それでもこの駅が有名で、毎年たくさんの旅人が訪れるというのは、ひとえに先の「田切通信」と、今、私が探し歩いているスタンプのためだろう。しばらくぶらぶらと歩いていると、小さな酒屋さんに行き着いた。「田切通信」によれば、現在はここに田切駅のスタンプが置いてあるという。私がこざっぱりとした店内に足を踏み入れると、店の主人らしきおじさんが出てきた。「田切駅のスタンプはありますか」と言うと、おじさんは全てを悟ったような表情を見せて、カウンターの下からスタンプ台を出してくれた。私がスタンプを押す間、おじさんは色々な話をしてくれた。毎年正月には田切通信を管理している団体が来て、駅を掃除していくそうだ。「この店も、ビデオの中に写っているんだよ」と、自慢げに話してくれた。おじさんは、とてもきさくで、明るくて、よく喋った。そのせいか、感じのいい、居心地のいい店に思えた。ここにももう一度、足を運んでみようと思った。
 スタンプを押し終えると、私は百円払ってメロンとミルクのカップアイスを買った。もう少しおじさんと話をしていたかったが、そうもいかない。間もなく、電車は到着するのだ。時計を見ると、ほんの数分しか残っていない。私は走った。走りながら、周辺の写真を撮った。何もないが、素敵なところだった。田切駅への階段へ到着したところで、電車が来た。列車行き違いでもない限り、停車時間はほとんどとらないことがわかっているので、私はとても焦った。焦って、急いで階段を駆け上がると、間一髪で間に合った。プレハブ小屋と「田切通信」に別れを告げたいと思ったが、ドアはすぐに閉まった。伊那福岡、小町屋、駒ヶ根、大田切、宮田、赤木、沢渡、下島、伊那市。
 伊那市は水車の町だ。といっても、駅に水車があるだけなのだが、伊那市というとそれ以外にあまり印象がない。駅でスタンプを押し、外に出ると、少し古めかしい町並みがある。しかし、周辺に特に目を引くものは無く、駅のそば屋でご飯を食べようかと思ったが、大金を払ってまでそうする気にはならなかった。母が持たせてくれたおにぎりが、まだまだ残っている。結局伊那市では散歩をしてご飯を食べただけだった。それでもずっと電車に乗っているよりはましである。伊那北、田畑、北殿、木の下、伊那松島、沢、羽場、伊那新町、宮木を過ぎれば終点、辰野。終点とはいえ、私の乗っていた列車はそのまま上諏訪まで直接行ってしまったのだが。とにかく私は、辰野で降りた。
 ともあれ、ここで飯田線ともお別れである。辰野に着いたときには早くも辺りは真っ暗で、外を歩く気にはならなかった。待合室でしばらく休んで、早めに来た列車にそのまま乗り込んだ。席に座ると、モバイルを取り出し旅行記を書こうとしたが、しばらくして列車が発車すると少し気分が悪くなったので、やめた。信濃川島、小野、みどり湖、塩尻、広丘、村井、南松本、松本。母方の実家のある、松本に着いた。


 
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