北海道と津軽。
高2の夏。北海道へと旅立ってみた。
行程表 2001.8.13~20
線 |
発 |
発時刻 |
着時刻 |
着 |
備考 |
中央線 |
大曽根 |
2332 |
2340 |
金山 |
|
東海道線 |
金山 |
2344 |
442 |
東京 |
快速ムーンライトながら号 |
山手線 |
東京 |
444 |
451 |
上野 |
|
東北線 |
上野 |
510 |
747 |
黒磯 |
|
東北線・阿武隈急行 |
黒磯 |
752 |
1043 |
梁川 |
|
阿武隈急行 |
梁川 |
1113 |
1156 |
槻木 |
|
東北線 |
槻木 |
1206 |
1235 |
仙台 |
|
東北線 |
仙台 |
1240 |
1423 |
一ノ関 |
|
東北線 |
一ノ関 |
1500 |
1631 |
盛岡 |
|
東北線 |
盛岡 |
1651 |
1836 |
八戸 |
|
東北線 |
八戸 |
1858 |
1929 |
野辺地 |
特急スーパーはつかり19号 |
東北線 |
野辺地 |
1944 |
2021 |
青森 |
快速しもきた |
津軽・海峡・江差線 |
青森 |
2024 |
2259 |
函館 |
快速海峡13号 |
函館・室蘭・千歳線 |
函館 |
2330 |
631 |
札幌 |
快速ミッドナイト |
札沼線 |
札幌 |
642 |
726 |
石狩当別 |
|
札沼線 |
石狩当別 |
751 |
929 |
新十津川 |
|
(KICK HOP) |
新十津川 |
【4km】+寄り道放題 |
滝川 |
ケリーホップの赤い彗星号 |
函館線 |
滝川 |
1609 |
1711 |
旭川 |
|
富良野線 |
旭川 |
1747 |
1812 |
千代ヶ岡 |
|
(KICK HOP) |
千代ヶ岡 |
【8km】 |
美瑛 |
ケリーホップの赤い彗星号 |
(自転車) |
~美瑛の丘巡り~ |
unoの貸しマウンテンバイク |
富良野線 |
美瑛 |
1409 |
1449 |
富良野 |
|
根室線 |
富良野 |
1500 |
1600 |
滝川 |
|
函館線 |
滝川 |
1708 |
1750 |
岩見沢 |
|
函館線 |
岩見沢 |
1808 |
1857 |
札幌 |
|
千歳・室蘭・函館線 |
札幌 |
2335 |
630 |
函館 |
|
江差・海峡線 |
函館 |
1059 |
1210 |
吉岡海底 |
快速海峡4号 |
海峡・津軽線 |
吉岡海底 |
1317 |
1434 |
青森 |
快速海峡6号 |
奥羽線 |
青森 |
1519 |
1553 |
川部 |
|
五能線 |
川部 |
1619 |
1641 |
五所川原 |
|
津軽鉄道 |
津軽五所川原 |
1646 |
1724 |
金木 |
|
(KICK HOP) |
金木 |
【35km】車力村経由 |
越水 |
ケリーホップの赤い彗星号 |
(徒歩・KICK HOP) |
越水 |
【4km】 |
陸奥森田 |
ケリーホップの赤い彗星号 |
五能・奥羽線 |
陸奥森田 |
748 |
911 |
青森 |
|
東北線 |
青森 |
939 |
1014 |
野辺地 |
快速しもきた |
東北線 |
野辺地 |
1042 |
1053 |
乙供 |
|
(KICK HOP) |
乙供 |
【14km】 |
七戸町文化村前(停) |
ケリーホップの赤い彗星号 |
十和田観光電鉄バス |
七戸町文化村前(停) |
1611 |
1718 |
青森駅前(停) |
|
東北線 |
青森 |
2013 |
2144 |
八戸 |
|
東北線 |
八戸 |
601 |
843 |
北上 |
|
東北線 |
北上 |
856 |
937 |
一ノ関 |
|
東北線 |
一ノ関 |
948 |
1035 |
小牛田 |
|
東北線 |
小牛田 |
1044 |
1134 |
仙台 |
|
東北線 |
仙台 |
1200 |
1330 |
福島 |
|
東北線 |
福島 |
1335 |
1425 |
郡山 |
|
東北線 |
郡山 |
1447 |
1548 |
黒磯 |
|
東北線 |
黒磯 |
1551 |
1641 |
宇都宮 |
|
東北線 |
宇都宮 |
1702 |
1840 |
上野 |
通勤快速 |
山手線 |
上野 |
不明 |
東京 |
|
東海道線 |
東京 |
1923 |
2056 |
小田原 |
|
東海道線 |
小田原 |
106 |
423 |
豊橋 |
快速ムーンライトながら号 |
東海道線 |
豊橋 |
431 |
519 |
名古屋 |
臨時快速 |
東海道線 |
名古屋 |
602 |
613 |
大曽根 |
|
2001.8.13(月) 出発
流離おう。北海道を。走り続けて歌います。色んな歌を。
演劇の県大会で僕は弾け、やり過ぎて、凹んでいて。最終日がこの日。その夜に出発。
気分が落ち込んだまま、北の大地へ揺られていく。だなんてなんて、なんてなんてなんて、なんて思って、落ち込んでた。
けどなんか、一般的に感じてみて「旅」っていうと、なんか「傷心」って言葉が似合う。気がする。
そんな風に考え直してみて、目を細め、少ない荷物で駅のホームに立つ。大曽根駅から二駅、金山駅で夜行列車を待つ。
要するに無銭旅行、お金なんてない。JR乗り放題の青春18切符を手に。現金は一万円程度。
一週間以上の旅になる予定だけど別に、使うといったら食費だけ。だと思って、あえてお金を置いていく。
高二。傷心の旅。笑止。ふざけるな。恰好つけ。何も陶酔のための旅行じゃない。じゃあ何のため?いや別に。
理由なんてなかったように思われる。たぶん、恰好つけ。してみたかった。それだけ。
生活に迫られた行動こそが不可欠!とかって思うと、こんなこと、ただの時間とお金の浪費。けど
まあ別に
理由のある殺人、理由のある旅行。
「理由のある」ということはどういうことなんだろうか?
列車が来た。乗り込んで眠る。リクライニングシートを倒す時、緊張をする。
色んなことを、根っから忘れる。
2001.8.14(火) 移動日~ゲルマン~
早朝、東京駅に着く。削れるだけ削ったリュックサック。
「交通手段」が入っているので、ほんの少し重い。
活躍はまだ、後。
山手線の始発に乗って上野。上野から東北線で一路、北へ。ひたすら北へ。
黒磯で乗り継ぎ、この列車は10:08に福島に停車する。僕はそこで下車し再び乗り換えねばならなかった、が
降り損なってしまったのだ。
本旅行初の大アクシデント!僕の乗っていた列車はJRから阿武隈急行という私鉄にそのまま接続してしまったのだ。こんな時には時刻表を開く。仮に次の駅で下車してすぐに引き返し、福島で仙台行きの列車を捕まえたとしても、予定を取り戻す事ができない。20:24までに青森駅に着かなければ、最終の「海峡」に乗車できない。すると北海道入りは明日の朝まで引き伸ばされ、全ての予定が完全に狂ってしまうことになる。通常ならば不可能であった「海峡13号」への乗車を特急「スーパーはつかり」に八戸-野辺地間のみを単発乗車することによって実現させ、函館から夜行「ミッドナイト」、そして早朝札幌へ到着、という殆ど芸術的とさえ言えるこの【美しい】行程を崩すわけには行かない。僕は当惑する。
すっかり混乱した僕の頭には、時刻表の情報を冷静に吸収することができない。気ばかりが焦る、こんな時には独りで悩むのは得策でない。折角、世の中には沢山の人間が居るのだ。車掌さんに訊ねる。「12:40までに仙台に着く方法はありますか?」不躾な質問の仕様である。そのくらい僕の気は動転していたと言える。完璧主義者である僕は、【美しさ】の崩壊をどうしても受け入れられなかったのだ。
しかし車掌さんは、藪から棒な少年の質問にも優しく応えてくれた。この列車の終点、梁川から乗り継ぎを重ねれば、何とか12:35に仙台に到着できるようなのである。ギリギリ。神様はいると思った。
車掌さんにお礼を言って、冷静さを取り戻した僕は初めて阿武隈急行の車窓を見やる。素敵な景色が広がっていた。
終点の梁川駅は素晴らしい。最高の駅舎、最高の景観!間に合うと分かれば、30分の停車時間が非常にゆったりと感じられる。青春18きっぷは下車自由なので、あたりを散策してから、構内に戻る。列車が到着した。阿武隈の車両は、恰好良かった。
槻木、仙台、一ノ関、盛岡、八戸と順調に乗り継ぐ。窓の外は様相を目まぐるしく変え、いつの間にやら青森県内に入っている。ここから野辺地までは本旅行唯一特急を利用する。「スーパーはつかり19号」、青春18きっぷは特急券との併用ができないので少々値は張るが、効果はそれ以上。これを利用することによって、本日中の道内到達を可能にするのだ。
鈍行を利用すると青森到着が20:27。「海峡13号」の発車が20:24。実にたったの3分差で半日の足止めを食ってしまうのである。それを打開するための苦肉の策がこの【30分間の特急乗車】なのだ。この《ワープ》ルートを見つけるのに、どれほど時刻表とにらめっこしたかわからない。野辺地で「スーパーはつかり」から青森行きの鈍行に乗り換え、終点着は20:21。そして3分後には「海峡13号」が出る…
鉄道旅行とは、まさに《分刻み》の闘いなのである。
あわただしく津軽海峡線に乗り込む。「海峡」は全てがいわゆる《ドラえもん列車》である。車両にドラえもんのイラストがペイントされているのだ。《ドラえもんカー》という特別車が連結されることもある。北海道と本州を結ぶ青函トンネルは、津軽海峡の「下」、つまり海底の更に地下を通り、その途中には二つの「海底駅」が設置されている。本州に近いのが竜飛海底駅で、北海道よりなのが吉岡海底駅。ともに観光地として機能しているのだが、後者の吉岡海底駅では毎年ドラえもんのイベントが催される。更に函館駅にはドラえもんファンなら見逃せないスポットや販売物が多数。しかしそれらを堪能するのは帰り道に、と決めているので、詳しいことは後に述べることにしよう。
函館で、待ち時間はさほどない。早めに「ミッドナイト」に乗り込み、席を取る。30分間を車内で過ごし、発車。朝には札幌に着く。
車窓を覗けば、暗黒の北海道を惜しみ、僕は少し眠る。
2001.8.15(水) 街の街、美瑛。
空が白みかかってきた、夜明け前に僕は目を覚ます。窓際の席を取って良かった。一面のみどり。北海道、というのが眼前に非常の説得力を持って広がっている。たまに牛が歩く。思わず心が動いて、何かしら、何か感じている。
もう、色んなことを忘れていた。そして新しいことを、幾つか僕は知る。
すっかり明るくなって、札幌に到着。しかし、浸る間もなく札沼線に乗り込む。10分間の札幌滞在。北海道に用があるわけではない、一応、目的地として定めているのは、稚内。日本最北端の駅。例えそこへ行っても何するでもない、滞在も数十分のみで、殆どUターンにも等しい。それでも僕は稚内に行こうとしていた。何故か。最北端だから。
理由はないんだ。
理由のない殺人、理由のない旅行。
何かを思い出しかけた。
ちなみに札沼線なんかに乗ったって遠回りになるだけ。それどころか終点の新十津川は他のどの線にも接続していない、孤立した駅なのである。電車も一日に、3本しか走らない。しかしそこから滝川という駅までは割に近く、徒歩でも行けるということを聞いたので、鞄の中に「交通手段」を有している僕は、《況や》と思って、ろくに地図も見ないで計画に組み込んだ。これは結局、その時には「凶」と出たのだが、僕に美瑛と出会わせてくれる大切なキッカケとなった、その点でこの計画は結果的に「吉」なのである。
石狩当別から一日に3本しかない列車に難なく乗り込み、新十津川までは順調に。ここで初めてKICK HOPを鞄から取り出し、またがる、というのか、まあ、「乗る」。要するにキックボード。鳥山明ふうに言えば「ケリンチョ」である。けどまあ僕が持っているのはキックホップ。ここはこだわり。赤いボディでなかなかおしゃれ。三倍の速さ。ハンドルがぐにっと曲がってマウンテンバイクみたいな様相を呈している。ここがキックボードとは違うところだ、意外とスピードが出る。しゃこしゃこ地面を蹴って走っていく。既にブームが過ぎ去った頃なのでちょうど良い。ブームの頃には絶対に乗れない。そういうひねくれた性格の僕はなるほど、「キックボード」を嫌い、「キックホップ」を好むのであった。さて、道に迷いました。
というか、間に合うわけない、と踏んだのだ。滝川から富良野行きの出るのが9:38。9分後。1kmくらいかな、と思っていたら4kmもあった。4kmを9分で走るのは自転車でも思いっきりこいでギリギリ。完全なる計算違い。道もよくわからなくなって、途中で諦め。大きな川が流れていたので堤防を駆け下り河川敷で一休み。なんだか、北海道はどこへ行っても素敵な気分になる。要するに僕の中で「北海道」という地が《ブランド化》しているわけだ。ベタな例えを引き合いに出せば、よくわからない落書きでもピカソが書いたといえばそれなりに素晴らしく見えるのと同じ。僕はすっかり北海道に心酔してしまっている。もっとも、こんな気持ちが続くのは美瑛に出会うまでの短い期間のみであった。美瑛を見てから後、僕は「北海道」にではなく、「美瑛」という街にブランドなど更に超えた、聖地見た様な信仰を寄せているのである。
川でたっぷりと休んだ後は、ゆっくりと走る。町並みを眺めて走る。コンビニに入ったりもした。レシートに北海道と書いてあるのがやけに嬉しかったりした。完璧な田舎者、いや、《都会者》である。今思うと少し恥ずかしい。
滝川駅に到着した。折角だからと、駅そばを食べて、少し街を歩いてみることにした。本当は、インターネットがしたくなったのだ。タウンページでネットカフェを探して、勘を頼りに向かう。何やかんやとページを覗いて、夕方まで滝川で過ごす。駅の近くのスーパーで、安売りの食パンと、カールを買って、食パンにカールを挟んで食べた。食事はだいたいそんなもんである。北海道に行こうがどこに行こうが、マクドナルドやロッテリアで平日半額のハンバーガーを買ったり、吉野家や松屋で並盛を注文したりする。スーパーで賞味期限寸前のパンやお寿司を買って食べることも多い。要するにエンゲル係数はべらぼうに低いのだ。本当に簡単な腹ごしらえをして、それからどうしようか、と悩む。稚内にはもう今日中には辿り付けないのだ。とりあえず電車に乗って、旭川まで。旭川なら都会だから、野宿できそうな場所もあるだろうし、次の朝一番に出れば稚内にも近い。だが実際に旭川に着いてみて、17:11。次の朝まで待つのは拷問だし、できるだけ稚内に近づこうとしても、本数が少ないので計画はかんばしく成立しない。結局Uターンせねばならないことに変わりはなくて、岬まで行っている時間がない。もう稚内にそれほど興味は湧かなくなっていた。帰り道、同じ線路を淡々、長長と揺られ…なんてのは、さほど楽しい想像でもないのだ。
折しも、夕張でドリーム・オン・ドラえもんというイベントがやっていた。行こうかな、とも思って、時刻表を凝視。ダメ、間に合わない。イベントを楽しむ時間が全く取れないことがわかる。それにドリーム・オン・ドラえもんは他所で催されているのを何度か訪れたことがあったし、それほど面白いイベントでもなかった。着ぐるみショーでもある日なら別だが、そういうわけでもなかった。夕張は却下。
そこでふと思い出したこと。旅の先輩である友人が、北海道でおすすめの地は、と訊ねたらば「美瑛はいいよ」と一言もらしたのを僕は覚えていたのだ。他に宛もないのだし、得体の知れないビエイという場所に行ってみることにした。まあ、そんな日もあろう。
旭川から富良野線に乗る。何を思ったか、ふた駅手前の千代ヶ岡で下車。余り早く目的地に着いては、また手持ち無沙汰になってしまう。時間つぶしも兼ねて、ビエイという得体の知れない場所を周辺から徐々に征服していこうと思ったのだ。例えその「得体の知れない地」が魅力の欠片もない地であったとしても、苦労して到達したらば少しくらいは素敵に見えるんじゃないかと踏んで。疲労は最高のスパイス!
千代ヶ岡から、キックホップで走り出す。距離は8kmほど。自転車なら遠くない。キックホップでは、未知だった。ずっと地面を蹴ってると、疲れる。同じ動作の繰り返し、片足に不可がかかりすぎる。たまに足を入れ替えたして誤魔化していても、やがて腰とか肩に来る。慣れないうちは悩まされたものだ。この時はまだ、慣れていなかったのである。時間は幾らでもあるのだから、徒歩で行こうと思った。夏の日はまだ高い。どうせだから線路を歩こう。今でも線路を歩くのは好きだが、当時『スタンド・バイ・ミー』やOVA版『究極超人あ~る』に感化されていた僕は線路の上を歩くということにある種ブランドを感じている節があり、何となく恰好良いと思っていたのである。ごたくは置いてもとにかく、普通に道を歩くよりは面白いかなと感じたのだ。しかし本当の理由は、線路沿いなら絶対に道を間違える事は無いだろう、と考えたのであった。だがこの前向きな観測は見事に、自らの手によって裏切られる。
僕は線路を歩き出した。
歩いているうちに、日が暮れてきた。暗くなると線路は、危険である。と思って、ちょうど小さな踏み切りのような通路があって、横道に入ることができたので線路から降りてみた。暗くなってから線路を外れて地図にもないような細道に乗り換えることは、線路を歩くよりもよっぽど危険であるという余りにも単純で明解な真理に僕は気がつかないで、鼻歌まじりに【森の中】へ入っていった。案の定、迷った。蛙が居た。
それでも何とか正しい道を見つけ出して、再びキックホップで走り出す。小さな小さな、北美瑛駅を過ぎたあたりで売店に立ち寄る。おばあさんが居た。自動販売機で甘酒を買って、中に入る。あんたどこから?名古屋から来ました、なんて会話を交わして心温まったところでお店のおばさんが一本の缶飲料をくださった。「飲む寒天 とうがらし」、いったい、謎な飲み物である。売れないからあげる、と言われた。怖くて飲めなかった。結局栓を開けたのは、名古屋に戻ってだいぶ経ってからだった気がする。味は、凄かった。甘辛。というわけで「飲む寒天 とうがらし」これ、結果的には単なるお荷物になったわけだし、おばさんにとっても単なる厄介払いだったのかもしれないが、でもただ純粋に、何だか嬉しいものだった。これこそが僕が北美瑛に居て、売店に入って、おばさんに出会った確実な証明、みたいな気がする。
写真よりもずっと確実なものは、人との出会いだとか、食べたもの、歩いた場所。疲弊、ため息。そんなものだと思う。
そうしてそれから、ひいこら言いながら山を越えて、下り坂。スウーッと、くだってくだって、街の灯り。これが美瑛!駅舎にたどり着く。その時は暗さと、疲れと達成感で、見たこともない街並みに目を向けすらしなかった。それでも駅舎は、美しいと思った。
ぐったりとしていた。綺麗な駅舎のベンチに座って、時刻表を繰る。待合室で身なりのよくないおじさんと、大学生くらいの髪の長い青年が話をしている。おじさんはお酒を飲んでいるみたいだった。絡まれているんだな、関わり合わないほうが良さそうだ、と思って僕は余り見ないようにしている。これからの予定、まだ午後8時くらいだった。電車はある。このまま札幌方面へ帰ったほうがいいか、それとも稚内へ向かうか。悩んでいた。やがて青年が姿を消す。先刻からしきりにおじさんが、風呂へ言って来い、と勧めていたので、銭湯へ言ったのかもしれなかった。青年は寝袋を持っていて、待合室に置かれたままだった。おじさんのことを信用していたのかもしれない。そしてそのおじさん、遂に僕に話し掛けてきた。
美瑛はともかく、このおじさんはとにかく得体の知れない人だった。第一声が、一緒に寝ようよ、だった。もちろん変な意味ではなかったのだが。旅は道連れ、せっかく出会ったんだからさ、一晩一緒に過ごそうよ。とおじさんは言う。身なりはさほど、よくはない。「男」らしい顔つきをしている。けれども、笑顔を絶やさず、明るい。浮浪者か、と思ったが違うようだ。藪から棒だが、不躾ではない。礼儀はかなり良い人らしい。単に、人懐っこいひと、という印象があった。それだから僕も、まあいいか、と思った。本当は美瑛に留まっている気など毛頭無かったのだが、このまま美瑛を出るか、このおじさんと夜を明かすか。天秤にかけたら迷うまでもない、どっちが《より》面白いか。もちろん僕は、美瑛に一泊。
物事を天秤にかける時、第一の基準となるのは「面白さ」です。それは後から話のネタになるか、ということだけではなく、どれほど心に訴えかけてくるものがあるか、ということ。わかりやすい、安い言葉を使うなら、それは「ロマン」と「未知なる魅力」。
おじさんは旅慣れているらしかった。職業は、「旅人」。旅をするために会社をやめたらしい。十代の早い時期から放浪を始めて、昔はバイクで世界中を回って、何十という国々を訪れたという。日本中、行っていない都道府県はないというし、どんな土地の話にもやけに詳しかった。僕の住んでいる近くのことも、色々知っていた。もちろん、嘘や誇張があったってわかりゃしないが、このおじさんの笑顔と、パワー。夢とロマンを根底に持つ者のオーラ。旅をすることが本当に好きだということが話していて直に伝わってくる。《疑う》という姿勢自体が、ナンセンスなものに思えた。僕は、これまでに口にしてきたすべての「旅」という言葉を恥じた。
やがて青年が帰ってきた。やはり銭湯に行っていたようだ。今度はおじさんが僕に、一緒に風呂に行こう、と告げた。断る理由はなにもない。行くか行かないか、どちらが面白いか?答えは「決まり」。
銭湯までの道中、お風呂の中、帰り道。おじさんは色々な話をしてくれた。美瑛はもう何度となく訪れていて、銭湯のおばちゃんとも顔なじみのようだった。人生と、その中における「旅」と、それから、…。様々なことを僕は学んだ。そして幾つかを忘れた。仕方のないこと。それを少しでも取り戻すために、死ぬまで学び続けねばならぬと思う。そして学ぶためには、《旅行》をしよう。いつか旅になるよう。
「美瑛」の街並み、通りは静かで、美しかった。緻密に建設された透明感のある家々。整然と舗装された道路と歩道。綺麗な街灯。何もかもが素晴らしかった。気になったことがある。それぞれの家の「おでこ」に大きく刻まれていた、年号のような数字。あれはなんですか、とおじさんに尋ねてみた。
「あの家の人が、この街にやってきた年が書いてあるんだよ」
心打たれた。決して、《その家が建てられた》年号ではない。この土地に《居を構えた》、その年が刻まれているのだ。僕は美瑛を、本当に美しい街なのだと思った。そしてでこぼこのない道を歩きながら、「理想郷」の定義を改めた。
駅舎に帰る。有意義な夜だった。青年は溝田という京都大学の学生で、サークル活動でここまでやってきたと言う。おじさんは、「ミスター」という通り名を持っていて、それからは僕もおじさんのことを、その名で呼んだ。「ミスター」は僕と溝田青年に、丘を巡ることをすすめた。美瑛の丘は、普通に見ていては三日でも足りない。いいコースを教えてあげる、と「ミスター」は僕らに三通りほど、見るべきツボを全て押さえたという最高のルートを紹介してくれた。やさしいコースと、普通のコース、そしてちょっぴり、体力の要るコース。一日で回るなら最高でもこのくらいだろうと言う。自転車を借りて登るといい、明日、レンタルできるとこに連れていってあげる。と、至れり尽せり。ほんの一時間、二時間前に偶然出会っただけなのに、「ミスター」は僕らを「自分と同じ、旅をする人」というカテゴリ内に見なして、一種の仲間意識のようなものすら感じてくれているようだった。年齢も出身もまるでバラバラなのに、ただ「旅をしている」というだけで、まるで十年来の友人のように分け隔てなく接する。こんな大人になりたいと思った。何度か意味もなく、涙落としそうにもなった気がする。
語ってもらいたいようなことは山ほどあったが、早めに就寝した。明日がある。僕は駅舎の横の公衆電話でモバイルを繋げてインターネットをしてから、また「ミスター」と溝田青年の待つ駅舎に戻る。真夏の北海道、その夜は、やはり寒かった。
2001.8.16(木) 丘の街、美瑛。
「ミスター」の斡旋により、駅前の雑貨屋でマウンテンバイクをレンタル。1500円。荷物はロッカーに置いていける。鞄から小型のリュックサックを取り出して、必要なものだけを詰める。「ミスター」はお店を取り仕切る夫婦と談笑する。本当に美瑛には知り合いの多いようだ。「ミスター」は早い汽車で青森に帰ってしまう。僕と溝田青年は「ミスター」を見送って、ともにマウンテンバイクにまたがる。溝田青年と二人で丘を巡った。素晴らしかった。素晴らしすぎた。一番平坦なコースを終えて、いったん駅前に戻る。溝田青年は疲れ果てている様子。大学生の足手まといになるのではと少し懸念していたが、全くの逆であった。僕は完全に元気なのだ。そこで次のコースからは別行動をとる。再び丘へ登るまでの道のりに、面白い建物を発見した。
村上ショージ。
僕は独りだとテンションが上がってどうしようもない。歌なんか大声で叫びながら長い長い坂を駆け登る。登りきった後に、心地良い疲労と達成感!一番長く大きな坂を登りきると、どこまでも続くかに思われる小さな長い道と、遠くに山脈が見えた。
森の中に入ると、大きなかかしみたいなものがあった。僕の身長の何倍かある。用途は不明だが、不思議に心が和む。
丘の中にも、観光地になっているところには、売店もあるし、美術館もあった。バスが入り込んでいて、ツアーが組まれていた。けれど、自分が自転車で走って見てきた景色のほうが、彼らの《観光》よりも何十倍も有意義なものであろうと感ぜられた。バスの入り込めないような小さな道にこそ、本当に素晴らしい景色と、空気がある。僕は何度も何度も喚声を上げた。わけのわからない言葉を叫ぶ。最高の時間を過ごすことができたように思う。「ミスター」が言っていた。「本当に良い景色は、どの観光案内にも載っていない」その通りだと思う。というか、観光案内に載った時点で、その景観は意味をなくす。最も、それでもパルテノン神殿やサグラダ・ファミリアが素晴らしいというのはまた違う話。それには歴史と、見る側の意識が関係してくるのだと思う
バイクよりも自転車、自転車よりも徒歩の旅がいい、と、バイクで世界をまたにかけた「ミスター」は言う。僕も確かにそう思う。しかし、僕の本当に好きなのはやっぱり自転車だ。徒歩で坂を登りきるのとではやっぱり違う。徒歩で坂を下るのとでは訳が違う!自転車、自転車、これはいい。これと心中する人生で、とりあえずは構わないと思った。
昼過ぎまで自転車をかっ飛ばして、最高の空気を吸って、堪能。ラベンダーラムネを飲んで、ふらの気分。「ミスター」に教えてもらったルートを完全に制覇して、そろそろ帰るかな、と思う。どうせまた来るのだろう。駅で溝田青年に出会う。いとま乞いをして、富良野、滝川、岩見沢、札幌。再び「ミッドナイト」で早朝、函館に到着するのだが、まだ時間がある。夜の札幌を歩いてみることにした。札幌といえば、からさわ薬局。
マイナーかもしれないが、唐澤商会、即ち作家の唐澤俊一氏と漫画家の唐澤なをき氏の実家が薬局で、札幌駅の近くにあるのだ。これは見に行かねばと思い、夜の街を彷徨い探す。見つけた。
当然の如く閉まってたけど、看板に「からさわ薬局」とあるのを見て、少し満足。
駅で時間を潰して、夜行列車に乗った。
2001.8.17(金) 函館のドラえもん、金木と太田光。
函館駅に着いた。
改札へ向かう通路で、早速ドラえもんのお出迎え。
外に出て、函館駅を振り返ると…
うーん。ちょっとこれは嬉しすぎるんじゃなかろうか。
吉岡海底駅に停車する「海峡4号」が出るまでは時間があったので、キックホップで五稜郭に行ってみる。青春18きっぷを使うこともできたが、一駅なので走ってみた。線路の奥の方にドラえもん列車がたくさん並んでいて、少し興奮。五稜郭までは、意外と遠い。土方歳三が最期を遂げた地であるが、よく知らないので別段感動はなかった。たくさんの人を見た。で、帰ってきた。無駄に疲れたが、無駄ではなかった。
みどりの窓口でドラえもんのイラストがついてる特別な入場券を二種類と、オレンジカード1000円分を4枚購入。4320円也。
「海峡4号」に乗り込み、「ドラえもんカー」を満喫。
車内はこんな感じ。
映画『ドラえもん のび太と銀河超特急』のビデオが垂れ流されていた。子どもたちがドラえもんの単行本を読みふけっている。なかなか良い。ドラえもんの景品ゲームにお金を入れたけど動かなかった。悲しかった。ジュースが細いくせに高い。不条理だと思った。
何か外でざわざわしているので見てみたら、ドラえもんがいた!そして妙にカラフルなドラえもんハウスが建てられていた。なんだこりゃ。
そうこうしているうちに「海峡4号」出発。子どもたちと戯れていると、やがて吉岡海底駅に停車。ゾーン539カードを提示して、地下を歩く。今回の旅行で、ここだけなんだかツアーじみていた。「ドラえもん広場」へ到着するまでの長い道の中にも様々な展示などがあって、楽しめた。
「ドラえもん広場」は結構面白かった。『翼の勇者たち』に出てくるバードキャップまがいのものがもらえたりして、またまた興奮する。
のび太の家に入ると、ドラえもんが寝ている。
はははは。完全に堪能しまくって、「海峡6号」で青森へ。
青森から川部を経由して五所川原、そこから津軽鉄道という私鉄に乗り換える。ちょっと料金がかかるので、終点の津軽中里までは行かず、金木で下車する。津軽鉄道はなかなか乙。小さい駅なんかホント小さい。なんか道端に墨で駅名書いてニス塗っただけみたいな看板がズドンって立っててそれで駅だと言い張ってるくらいの、そんな感じ。乗る人はやはり少ない。学校帰りみたいな人が乗ってたり、おばあさんが乗ってたり。
ちなみに津軽鉄道を走るのは、ワンマンカー「走れメロス号」。
なんと車両に小さく「走れメロス」と書いてあるだけのこの走れメロス号ではありますが、なんとも愛らしい車両ではございませんか。僕は一目見て惚れました。で、なんで走れメロスが出てくるのかというと、僕の下車した金木というところは太宰治の出身地なんでございますね、そこで僕は駅から歩いて、太宰の生家「斜陽館」へ向かう。
これまた意外と遠いのである。普段から自転車ばかり乗り回している僕は歩くのに余り明るくない。途中、スーパーで食料をざらざらと購入して歩く、歩く。キックホップを鞄から出すのが面倒なので歩く。ようやく斜陽館に辿り着いた。
太宰ファンの僕としてはこれだけでもう、ちょっと感動。けど入場は5時まで。ちょっと過ぎてる。入れない。ショック。
仕方ないので数分間眺めた後、キックホップを駆って次の目的地、車力村へ。実に35kmの大行程をキックホップで行くのは、いささか無理があった気がするが何とかやり遂げた。
とにかく田舎道、狭いし、日は落ちて暗い。たまに通る車はえいやと物凄い勢いだ。めちゃ怖い。ていうか疲れる。暗くて景色が見えないと、単調なキックホップ蹴りまくりは全く退屈。何度もくじけそうになった。疲れる。35kmて。自転車ならものの二時間なのだが、キックホップでは限界がある。随分早くこいだつもりだが、何時間かかったかわからない。死にそうになりながら、ひーこら、ひーこら。道がわからなくなってまた小さな売店に駆け込む。方言のきついおばちゃんはとても親切だった。ありがたい。名古屋から、金木から、と言ったらびっくりされた。その「びっくり」がなければとてもこんなきつい旅行はできないので、少し嬉しい。
頑張って頑張って、また道がわからない。タクシーのおっちゃんに道を訊ねる。「すいません、車力村役場は…」道はぶっきらぼうにも教えてくれたが、よくわからなかった。しかも最後に一言。「もう閉まってるよ」。当たり前だ。もう夜も遅い。
やっとの思いで灯りの消えた車力村役場に到着。ああ懐かしい、ここで爆笑問題の太田光が一日村長をやっていたなあ、などと少しだけ思うが、真っ暗なので微かな記憶を呼び覚ます事も困難である。辺りを散策すると役場の裏に温泉があった。車力村温泉。どう見てもスーパー銭湯の類だがまあ、名前は「温泉」なのでテンションは上がる。思わず身体を休めてきた。湯から出たあともしばらく座敷でドターッと。本当に疲れたのだ。だが道のりはまだまだ。気を取り直して出かけた頃はもう、22時か、23時か。
津軽最大の目的地である「おおたっぴ」まではさほど遠くなかった。ただ、バス停の正確な場所がわからなくて閉口した。真夜中なので、人っ子ひとり通らないし、ましてや民家に押し入って訊ねるなんてできない。まさかりで頭部を両断されてしまうかもしれない。ので自力で探すのに難儀した。それだけかのバス停を発見したときの興奮といったらなかった。
そう、遂に、「おおたっぴ」に到着!
「太田光」と書いて「おおたっぴ」と読むのですが奇しくも爆笑問題太田光と全く同じ字を書きます。
これだけのためにキックホップを走らせていた僕はもう感極まって叫びだしたかったけど我慢して写真を何枚もパチパチ。
もう日付は変わっていた。けれどテンションは最高潮!
ここからはもうがむしゃらにキックホップを走らせつづけて、たまにくじけそうになりながらも、ひたすら南下して、五能線は越水駅にこぎつける。
この越水駅で夜を明かそうと思い、無人駅なので勝手に構内に入って、ベンチに寝転がる。なにぶん小さな駅なので、屋根と壁だけはなくもないのだが待合室には扉がない。故に寒い。滅法寒い。べらぼうに凍える。そして虫が入り込み放題。怖い。ぶんぶん飛んでる。数十分ほど眠れずに輾転反側して、隣の駅まで行くしかないと決意。
またも線路の上を歩く。例によって道に迷うのが怖かった。この時間ならば客車は通らないし、五能線に貨物列車など走るものかと勝手に決めつけてのんびりと歩く。眠いけど。途中で線路から離脱して道もわからないまま彷徨ってなんとかでかい道に出る。珍しくでかい。トラックが通って怖い。道の駅を発見。道の駅もりた。自動販売機で「ちょっとスイマセン、森田村ってこのへんですか」という缶ジュースを買う。どんな味なのだろうとドキドキしていたら、飲む前に「りんご果汁100%」という文字を発見。とてもなるほどと思ってしまった。飲む前だったのは幸か不幸か。間もなく陸奥森田駅に到着。もう明け方近かった。やはり扉のない駅舎のベンチで軽く睡眠。寒さはともかく、虫がいないのはありがたかった。
2001.8.18(土) 藤子・F・不二雄の世界展
掃除のおばちゃんに起こされる。何もおばちゃんが積極的に起こしやがったわけではないのだが掃除のおばちゃんが職務を遂行したその結果として僕は目を覚ますことになった。おばちゃんは笑っていた。いい人なんだと思う。「ここのところ駅で寝泊りする人が多くて、警察の人が見回りに来るんだよ」。そうか最近はそうなのか。すると僕は警察の厄介にならなくて運がよかったなと寝ぼけ頭で考えるのだがよく考えてみたらここへ来たのは明け方でまだ二時間と経っていないのだからそれで警察のお世話になるようだったらよっぽど運が悪い。すると僕は凡人である。掃除のおばちゃんが完全に職務を遂行してお帰りになられてから始発までの間は退屈。そこらを散歩してみても店なんか開いていないし。7:48までなんとなく過ごした後、40kmに及ぶキックホップ+徒歩旅行に終止符を打ち久々に電車に乗る。地に足がついた感じ…基準が狂ってる。
青森まで乗って、乗り換え、野辺地。そこから乙供。キックホップで七戸へ向かう。八戸は有名だが七戸はとてもマイナーらしい。JRどころか私鉄すら通っていない。青森からバスが通っているのだが高い。無銭旅行には少しの出費も痛いのだ。というわけで最寄り駅、といっても14kmも離れた駅、乙供で下車し、例の如くキックホップで走る。辛い。まじで辛い。山道であった。
途中一度、完全にくじけた。本当に辛かったのだ。ヒッチハイクをしようと思った。歩き疲れるとよくやるのだ。思って、車を捕まえようと思ったがみんな素通り。くそうこいつらさては東京人だな。つれない輩はみんな東京の人なんだ、きっと。とかよくわからないことを思いながらそうだなんか風体がそれっぽくないから止まってくれないんだと考えて紙に「しちのへつれてって!」みたいなことをマジックで書いてるうちになんか醒めてきてやっぱり自力で行こうと思い直す。人間は独りで生きていくものなのである。と、そうでも思わないと本当にくじけるところだったのでたぶんそう思っていた。真剣に。
身体に限界を感じつつもようやく道の駅しちのへに到着。隣接する七戸町立鷹山宇一記念美術館というところで「藤子・F・不二雄の世界展」が開かれている。入る。堪能。最高。死んでもいい、と思った。原画がズラり。パーマンなどの上映もあってかなり満足。一通り楽しんでチラシ類もGETしまくったところで中学生くらいの《それっぽい》少年を発見。何か動物的な勘で「こいつはマニアだ」と決めつけ話し掛けてみる。少年はマニアだった。しかも太宰好きで、僕と同じ日に金木の斜陽館を訪れていたらしい、なんたる奇遇!その他諸々にも意気投合。色々話をして、一緒にバスに乗って青森駅へ。少年と話がしたかったのはもちろんだが、もうキックホップに乗って帰る元気も無かったし、何よりも時間がなかった。F展を堪能しすぎたのだ!今日中に盛岡に着かなければ家に帰ることができぬ。青春18きっぷはあと一日分しか残っていないのである。お金もバス代を出せばほぼ底をつく。明日の朝一番に盛岡を出れば、何とかその日の夜中にギリギリで名古屋まで帰れるのだが、盛岡から一駅でも手前ならアウト。歩いて帰る羽目になる。盛岡まで今日中に着くためには青森発17:18の列車に乗らねばならない、そして奇しくも青森に着いたのは、ジャストジュウシチジ・ジュウハップン。
絶望である。絶望の中、少年と別れて、取るべき道はひとつ。盛岡まで行く長距離トラックを捕まえて朝までに運んでもらうしかない。或いは東京か名古屋方面まで行ってくれればなお都合が良い。幸いにも青森駅付近には工場の類が多くあるので、虱潰しに探せばなんとかなるだろう。ということで歩き回ること2時間以上。しかしトラックの運転手どころかただの人間さえまばらにしか見ない。どういうことだと思っていたらそうか今日は土曜日だ。土曜の夜にバリバリ動いてる工場なんて18世紀、産業革命下のイギリスくらいだって?と完全に絶望。
青森駅に戻って、何とか策を考える。
無理だ。
とりあえず南下できるだけ南下してみよう、ということで八戸まで行ってみたが、[削除]
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だけども問題は、今日の宿。金が無い!
駅周辺を彷徨い歩いて、仮の家を探す。立体駐車場の階段が意外と暖かかったので、そこで眠ることにする。
2001.8.19(日) [削除]
と思ったら意外と寒かった。2、3時間眠って寒さのために目を覚ました。まだ夜明け前。耐え切れない程だったので外に出る。やばい。これが本当に8月の北半球か?と思うほど青森は寒い。北海道より寒い。割と着込んでても寒い。凍えそうだ。そこらを歩き回る。駅は閉められている。人の命がかかってるんだから開けてくれ、と思う。駅前で工事をやっているみたいで、プレハブ小屋が建っている。いかんともし難いので、プレハブ小屋のトイレの中でじっとしている。暖かくはない。けれども他に対処の仕様がないのだ。八戸のプレハブトイレで夜を明かす僕。[削除]、なんなんだ、もう。
ようやく朝が来て、駅が開いた。[削除]
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[削除]けどいちばん怖かったのは小田原駅のホームでムーンライトながらを待ちながらミスチルを大声で叫んでいたハゲて太った兄ちゃん。
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[削除]9月3日、ドラえもんの誕生日、
岐阜県多治見市へ学校サボってドラえもん原画展を観に行く[削除]
それはまた別の話。
[削除]函館駅で買ったオレンジカード(4000円分)[削除]
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ダイジェスト~日記版~
13日
夜中に出発。
14日
ムーンライトながら号に乗って東京を経由、そのまま電車を乗り継ぎ青森でドラえもん海底列車に乗って函館。
15日
夜行列車で函館から札幌へ。札沼線を乗り継ぎ終点・新十津川で下車。KICK HOPで滝川へ行く途中に川があったので、列車を無視して遊ぶ。その他にも寄り道をしまくって、ネット喫茶にも立ち寄ったりして、予定を大幅に変えて稚内を断念、関川氏に薦められていた美瑛へ行こうと思って列車に乗ったが、何を思ったか2つ前の駅で下車。KICK HOPで美瑛まで走る。
美瑛駅でこれからどうしようかと考えていると、旅慣れしたおっちゃん(ミスター)に声をかけられて、一緒に風呂に入り、一緒に様々なことを語らい、一緒に駅に泊まった。溝田さんという京大の青年も一緒に泊まった。
16日
ミスターの勧めとはからいで僕と溝田さんは自転車をレンタルさせてもらい、美瑛の丘を巡った。
7:00~14:00くらいまでぶっ通しで自転車を漕いで、素晴らしい景色を満喫。
富良野経由で滝川へ行き、札幌へ戻る。
唐澤俊一・なをきの実家である「からさわ薬局」へ行ったが、閉まっていた。
札幌駅周辺を歩き回り、待合室でインターネット@モバイルをして、夜行列車に飛び乗った。
17日
朝に函館。駅のあちこちに散りばめられたドラえもん達と戯れる。写真を撮りまくってお腹いっぱい。
その勢いで記念入場券とオレンジカードをフルコンプリートしてしまった。占めて4320円。
再びドラえもん海底列車に乗り込み、吉岡海底駅のドラえもん広場で遊ぶ。高校生は見たところ自分だけ。浮。
本州に戻って電車を乗り継ぎ、津軽鉄道の「走れメロス号」に乗って金木へ。
太宰治の生家、斜陽館へ行ったが、閉まっていた。
そのままKICK HOPで車力村へ向かう。車力村役場へ着いたが、閉まっていた。
隣の車力温泉に入ってリフレッシュ。再び出発して、日付が変わるころに太田光に着き、テンションも最高潮。
体力と筋肉が限界だったが、気力の続く限りKICK HOPを漕ぎ続け、35kmを走りきった。
越水駅で寝たが、寒い上に虫だらけだったので4km離れた陸奥森田駅に移動。着いた頃にはもう夜明けが近かった。
18日
陸奥森田から再び青森にターンし、乙供へ。
乙供から14kmの道のりをKICK HOP。本当は10kmで済むのだが、道を間違えたのである。
昨日の疲れが尾を引いて死にかけたが、なんとか「道の駅しちのへ」に到着。藤子・F・不二雄展を見学。
ちっちゃいお子様やお父さんお母さんばっかだと思ったら同世代(つっても2個下)が1人だけいたので仲良しになった。
驚くほど趣味が合って、同じバスで帰ってきたが、バスに乗り間違えて、列車に遅れた。
明日の朝までに盛岡に着かないと僕は帰れないので、盛岡行きの長距離トラックを求めて近くの工場等を回ったが、
土曜日だったため、どこも閉まっていた。
仕方が無くとりあえず八戸まで行って、[削除]
はじめは立体駐車場で寝ていたが寒くなったので駅の近くのトイレで寝た。
19日
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20日
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旅をしていると、孤独に心細くなる。
そんなとき思うのは、こんなことだ。
抱き締めたい。
抱き締められたい、じゃない。
それは優位性の確保か?
・・・厭らしい奴め。
こんな事を考えて、嫌な想い出が次から次へと浮かんできて、ぐちゃぐちゃになる。
自分がどれだけ小さな、レベルの低い人間であるか、考える、考える。
誰もこんな自分を好きじゃないんだろう、なんとなく面白いから付き合ってるか、或いはみんな、僕に騙されてるんだ。
そんなことすら思うようになるのであります。
本当に自分がどれだけ思い上がった馬鹿な人間であるかと、自分が故に知っている、吐き気がする。
泣きそうになる、そんな時にこそ、音楽はきこえてこない。サザンオールスターズは、確かに名曲ばかりを歌っていたが・・・
音楽がきこえてくると、自分は何ともなかったような気になる。それでも思いは昇華されたわけじゃなく、体内に溜まっていく。
消えない、消えない。見えなくなるだけ。それでも音楽は麻薬のようなモノで、欲しくて欲しくて溜まらなくなる。
聴きたくて聴きたくて苦しくて悶えても、自分にはどうすることもできない。音楽は気まぐれだ。あっちへふらふら、こっちへふらふら。
根本的な解決にはならなくても、それは僕にとってなくてはならないもので、故にむなしさを覚える。
・・・僕はなんて失礼な奴だ!
そう心の中で叫ぶ。まるで、まるでオルゴールみたいに、言うもんじゃない、言うもんじゃないそんなこと。
だけど音楽は麻薬のようなモノ。禁断症状は起こりうる。しかしそのうちに禁断症状すら気持ちよく感じるようになる。
それは、恋に恋い焦がれるという状態に似ている。
ありがちなミスだ。フェイクだ。だがそれも失礼にあたるのではないか。
禁断症状を克服した後には、音楽からは何の麻薬的感化も得られなくなるのではないか。
そうしたら僕は音楽を愛さなくなってしまうかも知れない。自分が何かを忘れてしまう、ということが、溜まらなく怖い。
忘れることは殺すことだ。僕は愛しているものを殺してしまうかもしれないのだ、何の感慨も含まず、けろりと殺す。
自分の中から消してしまえば、何の感情も抱かない、つまり、過去に愛した全てのモノは、ガラクタでしかなくなる、と。
怖くなって怖くなって震える。
独り。
助けを求めても誰も居ない。抱き合える相手も居ない。
そしてそんなとき、音楽はきこえてこない。
今回はそんな感じの旅だったかも知れない。しかし、充実していたことは確かだ。
僕にはたくさん、考える時間が与えられたわけだし。