川崎・東京旅記


東海道線を走る、大垣発臨時夜行列車の乗り心地は最悪だった。
座席は固いし、背もたれは垂直。間隔も狭く、向かい合う客の足が当たる。
後ろでは数人の若者が大声で騒いでいて、うるさい。これではとても寝られやしない。
何度か寝たり起きたりを繰り返し、たまに『藤子・F・不二雄のまんが技法』という本を開いたりした。
今回の目的はずばり、神奈川県川崎市で行われている、【藤子・F・不二雄の世界展】である。
4:25、JR川崎駅着。
ところが、F展の会場は10時からしか開かない。
5時間半もの間待っているなんてのもよくないので、南武線に乗り換え、稲田堤駅へ向かった。
川崎市多摩区、F先生のご自宅のある街である。
電車を降りた。雨が降っていた。傘をさして、簡単な地図を頼りに歩き出す。
住所はわかっているのだ。その地名が表すとおり、高台だった。
雨の中荷物を背負い、長い坂道を上りきると、閑静な住宅街が広がっていて、コンビニもある。
少し中に入っていくと、広場のある公園。
F先生は、良くこの公園で娘さんらと一緒に遊んでいたらしい。
一歩、一歩、踏みしめながら歩く。この地面を、F先生が踏んでいたんだ。この景色を、見ていたんだ。などと。
F先生の愛した街。これが。本当に綺麗な住宅街だった。余分なものは何もない。
しばらく歩いていると、やがて、クリーム色の家が見えた。まさか。表札を見る。
“藤本弘”という名前の下にちょこんと、“藤子・F・不二雄”という文字が見られる。
ついに来たのだ。F先生のご自宅。まるでストーカー!
感動だった。早朝、雨も降っていた。辺りはまだ暗い。天気を恨めしく思った。
僕は足を早めて高台を降りた。
満足であった。これだけで今回の旅行は終わったような気がした。
南武線に乗り、川崎市へ戻る。それでもまだ、2,3時間の暇が残っていたが、一応会場まで足を運んでみることにした。
そこで僕は、信じられない事実を知る。
会場のアートガーデンかわさきは、月曜休館だったのだ。
その日、3月26日、月曜日。
途方に暮れた。
どうすればいいだろう。
日帰りのつもりだった。
ちょうどこの日、部活が休みだったから、来たのだ。
だが僕は決心した。今回の目的はあくまでF展。
明日の10時、またここに来ればいいのだ。
あと丸一日を、東京で買い物でもしていればいいのだ。
部活を一日休むことになってしまうかもしれないが、仕方なかろう。
僕は、F展を見に来たのだ。
そんなことを、川崎駅地下街のロッテリアで65円のハンバーガーを食べながら考えた。
ぱさぱさしていて、なま暖かくて、不味かった。
しばらく川崎駅周辺を歩いてから、再び電車に乗り込む。
アクアシティお台場というところで、ドラえもんのイベントをやっている。
フジテレビを見学がてら、そこへ行こうかと思った。
新橋からゆりかもめに乗り、台場駅へ。
ところが、アクアシティお台場は11時にならねば開かない。
まだ9:30にも達していない。
フジテレビは10時に開くので、そちらを見学する。
アニメ世界名作劇場の特集や、笑っていいとも、めちゃイケなどの展示物は面白かった。
「でたらめなうた」のVTRも絶えず流されており、魅入ってしまった。
しかし何より笑えたのは、ポンキッキーズのコーナーに、ピエール瀧の顔写真が張ってあったことである。
スタジオも少しだけ見た。でも、セットの仕込みしかしていなかったので、面白くなかった。
そんなこんなを見ていると、まもなく11時、ということになり、アクアシティお台場へ行ってみた。
すると、入り口付近に人だかりができている、並んでいるのだ。
11時、会場。
僕は誰よりも速く歩いて、真っ直ぐにドラえもんのイベント会場に向かった。
当然、僕が第一号である。
背中に付ける「はねドラセット」を受け取り、館内のキーワードを集める。
ビンゴのような形式になっているのだが、文字列を見て、すぐにわかった。
だから本当はキーワードなど集めなくてもわかるのである。簡単すぎた。
答えは【ばーどぴあ】だ。
貰った厚紙の「ば」と「ー」と「ど」と「ぴ」と「あ」に、指で穴をあける。
受付に行くと、「キーワードは?」と聞かれた。
どうやらビンゴだけではダメで、口頭で伝えなくてはいけないらしい。
「バードピア」
「はい、正解で~す。それじゃあこちら、一度だけお回し下さい」
福引きだ。赤い玉が出た。
アクアシティお台場のアトラクション割引券が貰えた。
こんなもんいらぬ。もうたぶん二度と来ないから。
受付の横に、【ドラえもんがいっぱい メモリアルフォトスポット】というコーナーがあった。
「歴代の映画コスチュームをまとったドラえもんが勢ぞろい!」だそうだ。
順不同で並んでいるので、どのぬいぐるみがどの映画であるのか、推理するのは楽しかった。
しかし、鉄人兵団が空気砲だけってのは100歩譲ってわからんでもないが、
竜の騎士がタケコプター付けてるだけってのは無理がないか?
どこがコスチュームなんだか。
さて、と。
目的地を回りきってしまった。
少し考えて、東京テレポート駅からりんかい線に乗って新木場で乗り換え、渋谷。
東京のまんだらけを制覇することに決めたのだ。まずは渋谷店から。
渋谷駅周辺は人が多い。そして、道が入り組んで迷路のようで、わかりにくい。
少し苦労して、まんだらけ渋谷店を探し出した。
実はここに来るのは2度目だ。一度だけ、兄に連れられて来たことがある。
その時は、僕は中に入らず、兄も数分で出てきた。だが今回は、じっくり見ようと思う。
とは言ったものの、特にめぼしいものはなかった。
数冊購入し、店を出た。
渋谷駅前のスクランブル交差点を渡る。さて、次は中野だ。
そう思って、ポケットから切符を取り出そうとする。が、無い。
青春18切符が無いのだ。どこを探っても無い。落としたのか。そう思った瞬間には、僕の足は地を蹴っていた。
自分の通った道を全て見た。まんだらけの中を見た。店員に聞いた。
果てに、交番で遺失届まで提出した、が、見つかろうよしも無かった。
帰ることができない。どうしたらいいのか。
とても名古屋までの切符を買えるほどのお金は、[僕の財布の中には]無いのだ。
渋谷駅に戻り、運賃を見る。中野までは、160円。安いじゃないか。
これならばと、切符を買って、中野へ。
中野駅前の松屋で、みそ汁付きの牛丼並盛を食べた。美味しかったことは美味しかった。
そして、中野まんだらけは、とあるビルの中にあった。
様々の店とともに、まんだらけの小売店舗がジャンル別に点在しているのだ。
これもまた迷路のようで、目的の店へは地図が無ければなかなか辿り着けない。
中野まんだらけは、流石であった。品揃えも値段も良く、たくさん買ってしまった。
おかげで僕の荷物はずっしりと重い。これが仇となった。少し考えれば予想もついたろうに。
全部で何冊あったろうか。最終的には、本だけで17冊入っていたはずである。
とりあえずマクドナルドに入って、チーズバーガーとハンバーガーを買った。
不味くはなかった。僕はマクドナルドで一息ついて、これからのことを考えてみた。
東京+古本=神保町。こんな方程式が僕の中に立った。
マクドナルドの横の本屋で、道を確認する。
神保町経由で、川崎まで行くことは可能である。
無論、歩いていくのだ。
おおまかな道を見て、適当に歩き出す。フィーリング任せである。
ところどころ、コンビニや本屋で地図を見る。
持ってきていれば良かった。僕は真っ直ぐに神保町への道を歩めず、遠回りをした。
なんにせよ荷物が重い。足が痛くなってくる。
背負い方を工夫したり、歩き方を変えたりしても、やはり疲れるのには変わりない。
歩く、歩く、歩く。
新宿に着いた頃には、すでに薄暗かった。
文明堂のドラえもんどらやきを買って、まだまだ、歩く。歩くとも。
神保町までは、どのくらいだろうか。
この時点で僕の足はダルダルだった。
精神的にもかなり辛い。おしっこがもれそうだ。
地下鉄の駅で言えば、新宿3丁目、市ヶ谷、九段下、そしてやっと神保町。
たったの一駅が、とても遠く感じる。
背中の枷があまりにも重く、ゆっくりとしか進めない。
何度か休憩も取った。しかし、我が身一向に楽にならざる。
まもなく九段下というところで、僕は考えた。
とっくの昔に日は沈んでいる。たとえ神保町に行ったって、店なんて開いているものか。
それはわかっていることだったが、とにかく行かねばならぬという使命感と、
男が一度口に出したことだという負い目から、ただひたすらに歩いていたのだが、ついに折れた。
もう無理だ。まっすぐに川崎へ行こう。
僕は方向を変えて、南へ歩き出した。
精神・体力ともに限界であった。
歩いていると、前方にトラックが停車していて、おじさんが荷物を載せている。
「このトラックはどこまで行きますか」
「どこまでったって、この辺をぐるぐるしてるだけさ」
「そうですか、ありがとうございました」
あわよくば乗せてもらいたかった。
この辺りから僕は、通る全ての車のナンバーに目を見張った。
練馬、品川、品川、品川、練馬、横浜、練馬、品川、川崎、品川、練馬、練馬、品川、横浜・・・
川崎ナンバーの車なら、きっと川崎へ行くものだと思った。
信号などで止まると、中の人をよく観察した。
良さそうだったら声をかけよう、と思ってはいても、なぜか実際に声をかけることができない。
あるいは、地下鉄を使えば楽かもしれない。
と、溜池山王あたりで地下に降りてみたこともあったが、やめた。
それでは歩く意味がない。
お金がもったいないから、歩くのだから。
とにかく歩く。歩きながら、車のナンバーを睨むように見る。
もう意識も半分飛んでいる。
やがて、大きな道に出た。
国道15号だったと思う。
川崎まであと、16kmくらいだったかな。
この、15号線を真っ直ぐ歩けば、川崎のはずだ。
歩いた。だが、無理だ。もう無理だ。疲れたのだ。足が痛いのだ。
その時、僕の目の前にでっかい大型トラックが止まった。
どこへ行くのかなんてしらないが、50過ぎくらいのおっちゃんが乗っていた。
「この、15線を真っ直ぐ行きますか」
「ああ」
「途中まででも、乗せていって下さい」
「いいよ。でも、途中で曲がるから」
「構わないです。ありがとうございます」
おっちゃんは、寡黙な人だった。
ほとんど何も話さなかったような気がする。
静かに、ハンドルを切って、カー・ステレオで落語のようなものを聞いていた。
僕はおっちゃんに好感を持った。僕もステレオに耳を傾ける。
トラックの助手席は色々なものがごちゃごちゃ転がっていて、汚い。
はっきり言って、座り心地の良いものではなかった。
でも、不思議と居心地は良かった。
トラックというのは、ものすごい速さで進むのだ。
あっという間に、残り8km地点まで走り、僕を降ろした。
トラックは、「平和島」と書かれた看板の方へ走り去っていった。
僕は再び、歩き始める。
単調な歩行だった。
たまに駐車場などに入り込んで、おしっこをするくらいで、ひたすら歩いた。
踏切を渡り、多摩川を横切る橋を渡り、線路沿いに歩くと、見覚えのある光景があった。
川崎。ついに来た。夜中の24:00。ついに帰ってきたのだった。
川崎駅前交番の前のベンチで、休む。
すると、あやしげな若者が近づいてきた。
「ねぇ、今仕事してる?」
「いえ」
「今日寝る場所はあるの?」
「え・・・、あ~」
「お金あるの?」
「いやあんまり」
「仕事する気ない?」
「いえ」
「ぼく、仕事してくれる人探してるんだけど、どう?」
「名古屋から来てるんですけど」
「ふうんそうなの。働く気はないかな?」
「高校生なんですけど」
そう言うと、いっぺんに顔色を変えて、
「いくつ?」
「16です」
「あ~っ、ごめんね、邪魔したね、じゃ」
あやしげな若者はどこかへ行ってしまった。
と思ったら数分後、同じ若者がもう一度戻ってきた。
「何度もごめんね、名古屋にはいつ帰るの?」
「明日です」
「あそう、ありがと、ごめんね、じゃね」
またもあやしげな若者はどこかへ行ってしまった。
一体なんなのだ。どっと疲れが出た感じ。
足も痛い。寒い。怖い。
そこら中に、野宿しているおっさん達の姿が見られる。
川崎。怖い街だっていつか聞いた。
僕は疲れていた。
自然と、足は川崎駅前交番に向いていた。
大きな交番で、中には7,8人の警官がいて、楽しそうであった。
僕は事情を話した。
「それで、君はどうやって帰るの」
「ヒッチハイクでもしようかと」
「川崎で君みたいなの拾ってくれる人いないよ、“うるさい”ってひき殺されるのがオチだ」
僕はむっとした。拾われるんじゃなくて、つかまえるのさ。
「それにね」中年太りの警官は少し間をおいて言った。
「外で寝ている連中を見ただろう。今の君の格好は、そう言う人たちと変わらないんだよ」
ショックを受けた。だから、あやしげな若者に話しかけられるのだ。
「そういえば君は何しに来たの」
一番若い警官が言った。
「藤子・F・不二雄の世界展です」
「行って来た?」
「いえ。今日はF展やってなかったもので」
「F展?ああ、略したの!? あははは」
若い警官は何故か僕が「F展」と略したことがツボだったらしい。
僕は若い警官に好感を持った。
「警察って、楽しそうですね」
「なる? 簡単だよ」
そりゃそうだ。あんたら神奈川県警だもんな。
全体的に見て、対応はかなりいい加減だったと思う。
「しかしねぇ」中年太りの嫌味な警官だ。「高校も3年生になったら、ドラえもんから卒業した方がいいよ」
「なぜです? 受験だから?」
「いやそういうことでなくて。ドラえもんなんていないんだよ」
当たり前だ。
「こっからタケコプターで名古屋まで飛んでいくってわけにはいかないんだからさ」
「じゃあ、どこでもドアで帰りますよ」
「そういう問題じゃないんだよ」
これでわかった。この警官はつまらない人間だと言うことが。
僕は家に電話させられた。
結局、家からJRにお金を振り込んでもらって、特別な切符を発行してもらうことになった。
だが、出発は明日だ。なぜなら僕はまだ、F展に行っていない。
とりあえず、川崎警察署で寝させてもらうことになった。
なかなかできる経験じゃない。神奈川県警の署に泊まるなんて。
僕は若い警官のパトカーに乗って、署に連れてきてもらった。
職務質問をいくつかされたあと、ソファーと毛布を用意して貰って、眠った。
なにしろ疲れている。どんなところでも寝られるさ。
あっという間に眠りこけてしまったが、眠る寸前に、警察署の入り口の看板に書いてある文字に、爆笑した。
【御用の方は、受付まで】
7:00、署の人に起こされた。
「もう朝だから、どこへ行ってもいいよ」
ずいぶんいい加減なもんである。さすがは神奈川県警。
なんとか道を見つけて、歩いて川崎駅まで戻った。
切符の手続きは駅長室でするらしい。
駅長室を見つけて、入っていくと、駅長がこれまた感じの悪い人だった。
「いま来られても困るんだよね」みたいなことをねちねちと言われて、泣いてしまいそうになった。
涙をこらえて、駅前の交番に戻った。
言っていることが違うじゃないか。あなたたちの言ったとおりにしたら、駅長に怒られたんだぞ。
さすがは神奈川県警。
警官達と話している内に、またもや泣きそうになったが、なんとか誤魔化した。
「朝ご飯食ったか」
サラダのはさまれたパンをくれた。神奈川県警も捨てたもんじゃない。
気を取り直してもう一度駅長室に行くと、今度はちゃんと取り持ってくれた。
切符代わりの書類を受け取り、F展へ。
まだ時間があったので、同じビル内の川崎市立図書館で『ブラック・ジャック』を読む。
ピノコの話を読み終えてから行くと、ちょうど開館するところだった。
素晴らしかった。F展は。
でっかいテレビでは古いドラえもんやパーマンが流されていて、ついつい見てしまう。
グッズも、限定品と言うことで、パーマン缶バッジとオバQストラップを買ってしまった。
もちろん図録も。
ポスターもタダで貰ってしまった。
展示物も素晴らしかった。
写真撮影禁止なのに、撮りまくっていると、注意された。
ああ、良かった。行って良かった。
非常にいい気持ちで、川崎を出る。
「心得たんぽの川崎・神奈川・保土ヶ谷・戸塚は走っていけば、やいとをすりむく、三里ばかりか藤沢・平塚・大磯がしや。小磯の宿を七つ起きして、早天早々早州小田原とうちんこう」
東海道線を下っている間中、この台詞を繰り返し繰り返し唱えていた。


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