ひごろのおこない/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
過去ログ
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2026.5.1(金) 入院日記(失踪日記的な)
2026.5.2(土) ミサミサンドリー
2026.5.3(日) ミサミサミサンドリー
2026.5.4(月) エンドレスエイト
2026.5.5(火) 妄想創作小説
2026.5.6(水) 金がなかったことなどない
2026.5.7(木) 入院10日目
2026.5.8(金) シンメトリーがすべてではないか
2026.5.9(土) エナジーーーーーーーー!!!!
2026.5.10(日) 雑感(食事、お風呂、日本史)
2026.5.11(月) 退院くん(入院まとめ)
2026.5.12(火) 5/8京都
2026.5.13(水) 5/9名古屋
2026.5.14(木) 5/10名古屋
2026.5.15(金) 5/11浜松→三島
2026.5.16(土) 単純接触露出
2026.5.17(日) コンフォートゾーンをずらすぞ!
2026.5.1(金) 入院日記(失踪日記的な)
入院したまま5月に入りました。ウソです28日の朝9時でございます。未来日記してます何の意味もなく。
僕はそもそもお注射苦手なんだけどさすがにこの数日間針を入れられすぎて慣れた。
24 採血 造影剤(CT) 点滴
25 採血
26
27 採血 点滴
28 採血 点滴 点滴 点滴 (たぶんこのあと造影剤)
昨日書いたようにたぶん血が固まって点滴の管が使えなくなり挿し直してもらったんだけどそれがどうも血管が細いのか入れ方がよくなかったのか激痛が走るようになって。我慢できないタイプの、脳に来る感じ。たぶん通電とかこの種類のさらにスゴいやつなんだろうな。さすがに訴えて翌日(今日)また挿し直してもらったんだけど担当の看護師さんが失敗して「別の人に代わります」と達人みたいな若い人を呼んできてでもその人も失敗して仕方ないから利き手のほうでやり直したらやっぱ達人で点滴のぶっとい針挿すときもあんまり痛くないしかなり調子よい、うまくいけば退院までこのまま。それにしても一日に5回(おそらく)も針刺されるのキツすぎる。たぶんあと一回、CT撮る際に造影剤というのを入れるんだけどそれがなんか変な感じするしまれに副作用というかアナフィラキシーみたいなのもあるらしくて恐ろしい。医療なんか受けるもんじゃない、たぶん山奥に引きこもって薬草とか煎じて飲んでたほうがいい。しかし優れた仙人の知り合いもいないしだったら次善策で入院するのがいいのじゃな。
最初に挿してもらった点滴もかなり具合よかったんであのまま少なくとも28日(今日)までは保ったはずなんだけど「詰まってますね」って言われた。あれはたぶん点滴切れて血が逆流したままほっといたからじゃないかとにらんでいる。ナースコールまだ1回もしてないんだけど遠慮せずに呼んだほうがいいんだろうな。人間は完璧ではないし病院のシステムもたぶんまだ完璧ではない。いろいろと雑なところが多い。優れた病院は優れているのかもしれないが下町のそれなりの病院だとまぁこんなもんなんだろう。
ナースコールじゃないがさっき掃除の人に着替えとタオル交換頼んだ。向こうからは言ってくれない。いろんな看護師が入れ替わり立ち替わり担当するので申し送りが不十分なのだと思う。遠慮してはいけない。命がかかっている。向こうはべつに自分の命はかかっていない。
基本的にお医者さんも看護師さんも何も教えてくれない。自販機使っていいとは言われたが自販機のあるゾーンに行く自動ドアは僕には開けられない。どうやって出てどうやって戻ってくるのか聞かされていない。そんなもん自分で考えろってことなんだろうか。わからないことあったら聞けばいいじゃんってことなんだろうか。厳しいもんだなあ。社会って。これが社会か。出なくてよかった。
とにかく昨夜から液体入れると激痛で、一晩中腕の鈍痛と迫り来る液体注入に怯えて一応眠れはしたがかなり疲れた。早朝に泣きを入れて上述のように点滴交換してもらったがしばらく昨日点滴入れてた箇所がだいぶ痛んだ。寝っ転がってドキドキする以外何もできなかった。ようやく落ち着いてきたので日記書いてる次第。
5日で10回以上腕に針挿すってなんだよ。血管忙しすぎるじゃろ。何もなかった26日は幸せだった。フィー。そして今日のCTの結果次第で手術をするかどうか、またどのくらいの規模の手術になるかが決まるかもしれない。手術いやだなあ。いやだけどそれでよくなるならサッサと終わらせたいし手術を受けてみたいという気持ちもないではない。医療、苦手だから克服したい。えらすぎる……。
2026.5.2(土) ミサミサンドリー
Stay free my misandry 炸裂する痛みが 駆け抜けるだけの風ならば 緊急でホームページ回してます。尾崎豊の命日を乗り越え、hideの命日くらいには退院できるといいな。29日の朝6時半、あと2時間半で「駄菓子と喫茶 みずのみば」爆ープンですね。行けなくて申し訳ない。
病院にいると男が嫌いになる。なんですかあの生物は。病室は四人部屋でほぼ常に僕以外の男性が三人いるのだがまともな人物に会えた試しがない。他の病室の男性もなんか妙な目つきで見てきたりするし。これは僕の妄想や勘違いなのだろうか? 男湯で感じるあの恐怖とかなり似ている。
名Podcast「氷砂糖のおみやげ」で「男湯がこわい」という話をした。話し相手のぷにょさんは「女湯には男性が絶対にいないから安心する」とまったく正反対のことを仰った。男湯には男性しかいないのでマジで怖い。こっちは丸腰で、逃げ場もない。瞬殺されてもおかしくない。
自認として「弱い側の男性」で、「自分は弱いな?」と思って生きてきた。男性はただそれだけで脅威である。そのせいか「男友達数人でつるむ」ということがほとんどない。高校までの友達とならあったがいつの間にかそれも自然となくなった。彼らもたいがい「弱い側の男性」なので同じ事情で散っていったのかもしれない。男友達自体はたくさんいると思う。ただ集団になりたくないし、同様にそう思うような友達が多い気がする。
同室の患者はだいたい老人ないし僕よりずっと上のおじさん。自分の未来がこれかもしれないと思ったら絶望しかない。とにかくうるさいし横柄。看護師に対しての口のきき方もなってない。愚かな人間は「仕事なんだからこのくらい受け止めろ」と思うらしいが、何が悲しくて仕事なのに嫌な思いをしなければならないというのだ。仕事なんだから楽にやらせてくれと僕だったら思う。
お店に入ったときに良いお客であろうとするように僕はできる限りよい患者でいようと努める。お世話をしてくれる看護師さんたちには礼を尽くさねばならないし消灯と言われたらちゃんと寝る。同室の人にも迷惑をかけないよう夜になったら音の出やすい外付けキーボードはやめて比較的静かな本体キーボードにするし、マウスも静音クリックでトラックボール式のものを選んだ。何につけても偉いのだ、うむ、偉いぞよ。
いま背後で向かいの部屋の老人が看護師さんとずっと話している。「こないだ若い看護師が偉そうにああだこうだ言うからワーって怒ったら先生にいじめないでくださいって叱られた」という武勇伝じみたことを語っている。なんと愚かな。もう6日間も一緒にいてその現場も背中で聞いていたが100%あなたが悪い。偉そうにしているのはどっちだ。どう考えたって患者のほうが立場が下だろう。どうやら年金生活か生活保護、ほとんど税金で入院しているわけじゃないですか。ありがとうございますと卑屈になるならわかるが「若い女が偉そうに!」とブチ切れる立場ではない。
「昭和の男」というネットミームを最近よく見る(『+チック姉さん』というヤングガンガンの漫画のコマがよく貼られる)。もうすぐ死ぬから諦めましょう、せめてネタにしましょうという諦めなんだと思う。あれが流行るのは。
病院にいると本当にどの「昭和の男」も横柄だと感じる。奥さんらしき人と電話しててもずっと悪態ついてるように聞こえる。それが標準なんだろうけど。時代が違う、文化が違うということだ。あと、とにかくうるさい。同室に別の人間がいるということをまったく憚らず、うなり声、一人ごと、やたら大きなあくび、音をおさえるつもりなど毛頭ない終わらない咳。コロナ禍経験してないんか? 気管支系の病気ならわかるが骨折で入院しててもそうである。僕も咳にだけは気をつけたい。咳が出にくい暮らしをしたい。やはり喫煙習慣は悪。
ところが昭和の男ばかりではない。同室に中1の男子がいるが、やたらナースコールの回数が多い。辛いなら仕方ないのだがちょっと多すぎるような気がする。たぶんかなり甘えている。「ありがとうございます」とか「申し訳ないです」みたいな態度があれば多少はいいのだが、してもらって当たり前、当然の権利という顔(見えないけど)をしている。こういう男は母親(観測済み)に感謝したことがない。中1くらいだったら仕方ないのかな。僕だってその年頃はそうだったのかもしれないが、だとしたらその頃の自分も含めてやはり「男ってやあね」と思ってしまう。
この日記は僕のミサンドリー宣言である。入院という世間から隔絶されたストレスの多い環境で、俗世の知り合いが誰もいない空間で、人はその本性をむき出しにするらしい。サンプルはせいぜい5人くらいだがみな横柄でワガママ。象徴的なのはお手洗いの使い方が汚い。便座を下げたままおしっこをしている! どうやってわたしは用を足したらいいの? だいたいお前ら誰の金でここにいるんや。全額自己負担ならまだわかる、また金があるなら個室に行ってくれ。基本的に自己負担額は1~3割、長く入院する人はおおかた僕と同じく高額療養費制度の恩恵にあずかっていてその場合は自己負担額が1割を切ることもザラだと思う。そのお金は国民の支払う保険料や税金によってまかなわれている。「みんなありがとう!」だろうが、とりあえず。すべてに感謝し、その気持ちをまず看護師さんに向けなさい!
女の子にこの話をしたら「怖い思いをしたことがない」と言う。男性と高齢者のいない環境だったらしい。いろんな人に聞いてみたいものだ。同じフロアの別室には女性の高齢者も入院していてシャワーに行くときなどすれ違ったりするのだが看護師さんと延々しゃべっていたりする。「違う病院に転勤しても、またいつかここに戻ってきてね。わたしあと50年は入院してるからね」なんてエモい発言も聞こえた。武勇伝とは偉い違いである。もちろん面倒なおばあちゃんもたくさんいるのだろうが、僕の仕入れられるサンプルは男性ばかりなので自然とミサンドリーに傾いていく。本当にやあね! 男って! こうはならぬよう反面教師にしていこう。ああ、イヤホンも使わずスマホから直接音を出している! すごい!
ところでいちおう国語の専門家として面白いのは、男たちが例外なく看護師に対して初手からタメ口であること。なぜなのか。自分のほうが偉いと思ってるんだろうな、単に。看護師のほうも患者さんにタメ口ベースで話すことが多いが、相手が基本タメ口で来るんだからそうでもないとやりづらいのだろう。たぶん業界のTipsでもあるのだと思う。看護学校の接遇の授業とかで教えられてたりするんだろうか。適切なタメ口のきき方を。
僕は完全に敬語で接するので看護師さんのほうもおおむねは敬語だが、しかしかならずタメ口も混ぜてくる。初手から完全にタメ口100%で接してくる看護師さんもいる。それぞれにスタイルがあるのだろう。入れ替わり立ち替わり、昼夜交代でいろんな看護師さんが担当してくれるので観察がいあって面白い。これまでのところ看護師は全員女性である。
病院の関係者で唯一「ころす」と思ったのはお医者さんで、僕の最も痛む患部を「ちょっと触りますね~」とか言って遠くから腕伸ばして雑にめちゃくちゃ強く押してきて、「イテー!」って絶叫したのに「あ~痛いんですね~」で終わらせて一瞬で姿を消した。主治医の先生はその点かなりちゃんとしていて不満がない。どちらも男性であるが、前者はおじさん、後者は若い先生である。世の中はよくなっていると思う。
2026.5.3(日) ミサミサミサンドリー
読者様(ありがてえ)から感想が届いたので少し。返答というよりは僕の思ったことを書くので、元の文を正確に踏まえられていないところがあったら申し訳ない。
男性は「強さを示さなくてはならない」と、本能レベルで刷り込まれている。
これはそう思いますね。僕は女みてーなヤツだからそんなにあからさまではないけど、「カッコよくありたい」とはめっちゃ思うしプライドもそこそこ高い(だいぶ人為的に削ったり秘めたりしているが)。それは「強くあらねば」の変奏に過ぎず、僕も本能の部分ではしっかりと男子なのだ。表面的にはやや女みてーだというだけで。ってか単に「最弱の末っ子」なんですよね。面白いと思って「女みてー」を連発してしまいましたが、いわゆる男の「強さ」に対置される「弱さ」を持っているという点で女性と結託できるときがたまにある、というくらいだと思います。基本的には男です僕は。
男は強さを示す生物で、それは時として野蛮とか粗暴というふうに表出するんだけど、その代わり「おんなこどもを守る」という使命も基本的にはしっかり果たすようになっている。少なくともいわゆる「昭和の男」というのはそれを美徳として叩き込まれてきたらしい。
レーワの現代は男が「強さ」幻想から解放され、弱くても迫害されなあようになった(迫害と書いただけで友人がTxitterで
迫害されていた、言葉狩りすぎる! あまりに見かねて迫害でいいと思いますと長いDMを送ったらもっと長いDMで返していただいた。なんていい人なんだ……)。野蛮で粗暴な男性は減っていると思う。一方で、感想文をくれた読者様は「粗暴な女性が増えていくのではと予想してい」るそうだ。なるほど。確かにそれはそうかもしれない。「どくさいスイッチ」でジャイアンを消したらスネ夫がいじめっ子となり、スネ夫を消したらモブたちが徒党を組んでいじめ集団になる、というアレにもしかしたら近いのかも。「強さ」というのは便利だし必要なものでもあって、その副作用として「粗暴」みたいなことはどうしても生まれてきてしまう、のであろう。ガキ大将が必要悪として存在したようなもんで、粗暴じゃないとガキなんて束ねられませんよね。だから粗暴が消えるのはたぶんかなり難しい。減らしていきたいですけどね。強くてもいいけど粗暴はNO。みんなでかしこくなるしかない。
そう、感想文の主様も「常に客観性と謙虚さを意識しなくてはならないわけで中々大変だなあと日々思う次第です」と書いておられた。こう言えるだけでかなり偉いと思う。自分の中の粗暴さとどう折り合いを付けていくか?というのはかなり高級な思考で、福田康夫レベルの客観的な目がなければそもそも意識さえできない。
僕が病室で目撃している粗暴な男たちは当然福田康夫レベルの客観性を持ち合わせておらず、ただ「強さ」を看護師や家族(女性)に向けてしまう。「おれは入院して下のお世話までされて弱そうに見えるが男なんだ、強いんだぞ!」ってなもんか。「粗暴だからトイレだって汚しちゃうもんね!」ってことか。悲しい。極めて多義的に悲しい。
男の「強さ」というものは「おんなこどもを守る」という使命と一体になっているはずで、だから野蛮や粗暴も社会的に許されてきた。それが許されなくなってきたということはおそらく「強さ」が国家や企業や地域や女や子どもたちに移譲された(ないしされるべきと思われるようになった)ということで、もはや男は「おんなこども」を守る使命を負わなくても良い(むろん負っても良い、守る権利が振り分けられただけだから。ある時代までは男の独占だったわけだ)。そうなると男は男であるだけでは何も価値がない存在となり嫌われる。入院患者は少なくとも今この瞬間は強くもなければ何も守れていないはずなので大人しくしていればいいのに「違う! 自分は弱くない! 強いんだぞ!」をやり続けていて、誰もそれをたしなめはしない。暴れられても嫌だし、そこまで優しくもないし。
で、これは慧眼と僕が感想文様(いつの間にか敬意の先が文章になってしまっている)に思ったのは、「「強いんだからワガママ言ってもいいよな、尊重されるべきだよな」という発想に至る」という部分。マイッタネこりゃ。つまり甘えたいし尊ばれたいのだ。そのためには強くなくては理屈が通らないから、看護師さんや奥さんに強くあたったり、トイレを汚したりするわけだ。「おれは強い! トイレは弱いやつが掃除しろ!」である。おそらく深層にある本音は「トイレ掃除は面倒くさい」なんだろうな。
「トイレ掃除はしたくない→自分は強いので尊重されるべきだからトイレ掃除はしなくてもいい→すなわち弱いやつがトイレ掃除をすることになる→弱いやつであることを証明するために強くあたらねばならない」と。
別に彼らだって汚したくてトイレを汚しているわけではないだろう。汚れちゃうのだろう。っていうか、汚したほうが楽なのだろう。汚さないように気を遣うのは億劫だし、わざわざ(殺すぞ)便座を上げるのも無駄な動作だと考えている。だからトイレを汚してしまう可能性が極めて高い行動を取る。楽だからである。でも大丈夫、自分が強い存在であることを示し続けていればトイレは弱いやつが勝手に掃除してくれる。自分は強くておんなこどもを守ることが仕事なんだからその代わり面倒なことはすべて弱いやつがやるのが当たり前だよなガッハッハッハ……。
多義的に悲しい。世の中はよくなっている。それは希望だ。
消灯だから読み返さずに寝るね……。
2026.5.4(月) エンドレスエイト
「毎日同じようなことのくり返しでつまんねえって思わない?」と中学のとき谷本(元気かな会いたいな)に言われた。僕は当然「は? 毎日まったく違うだろ、何言ってんだ」と思ったし、今まで一度も「ハァ……毎日が同じ日々のくり返し」なんて思ったことはない。2008年初頭に謎のブラック広告制作会社に勤務していた時も心身とも辛かったが毎日が同じくり返しではなかった。むしろ新鮮で楽しい部分もあった。牧瀬里穂にも会えたし。
しかし入院して七日目、さすがにほとんど同じ生活のくり返しである。病院のルーティンはほぼ同じだし、食事すらないし、やることと言えば原稿を書くだけ。いろんなことの合間を縫って3000字前後のを一日平均2本くらい上げてたのだがそれもある意味脳の同じような部分を使い続ける作業なのでさすがに休みがほしくなり今日は狂ったように確定申告進めてた。去年分ではない、今年分である。これやっとかないと年末大変なことになる。今年分から青色なので。とはいえこんな時期に確定申告のことを考えるなんて頭がおかしくなったとしか言いようがない。入院はすごい。
持ってきた本も『魔の山』以外読み終わってしまった。読み始めようかと思ったが1200ページあって「毎日ひたすら脳の同じ所を使い続ける」ということが約束されているのでやめた。
そんなこんなしてたら消灯の時間。さすがにこれで少しはリフレッシュできたかに思えるが、目が疲れた。ウー。
向かいのO谷さん(粗暴な老人、顕正会信者)が退院なされた(30日)。代わりにめちゃくちゃいびきのうるさいYMMTさんがやってきた。隣のAKBさんは相変わらず誰に対しても常に偉そう。
食事はまだ出ない。5月突入が確定してしまった。高額療養費制度は月ごとの計算だから再びカウントが始まる。けっこうお金がかかってしまうな。とほほ。
2026.5.5(火) 妄想創作小説
新参が何か怒鳴った。反射的にイヤホンを外した。準新参が小さな声で断って電話を切った。黙ったまま準新参はゆっくり準備して静かに新参のもとへ向かった。殺し合うか? いや謝った。そのまま出ていった。電話の続きをしに行ったのだろう。
新参が曰く、「あれは詐欺だ、酒を飲んで転んだのを労災だと偽ろうとしている。そんな工作の電話を四六時中聞かされ、つい怒ってしまった。」と若い女性に半ば武勇伝のようにしかし正義感を燃やしながら語っていた。なるほど。僕も少しは聞いていたが話し方が荒く攻撃的すぎて不快ゆえイヤホンで塞いでいたのだ。昨夜も準新参は新参の無作法に耐えかね人づてにたしなめさせていた。蓄積もあったようだ。
それから新参は静かになった。男性は男性に怒られるとキレるか静まる。キレてから静まる人もいる。男性が暴力的で恐ろしいということを誰よりも男性が証明しているように思う。小説おわり。
つづき 新参は電話はしなくなったが独り言を言うようになって怖い。ところで僕が最も古参である。おそらく24、28、30の順か。年齢は新参も準新参も60前後だと思う。おわり。
今日は一日中確定申告を進めていた。確定申告というか、1月から4月までの帳簿をつくりながら5月からのルーティンを組み立てていたのだ。さっき今できることはおおむね終わらせたが丸二日かかったことになる。この機会にやっておかないとたぶん来年までやらないので良かった。明日からまた元のルーティンに戻ろう。それにしても目が疲れている。やっぱ散歩して本とか読まないとダメだわ。
現在5月1日の消灯オーバー17分。お昼から食事が出た。五分粥だがおかずも含めてけっこうな量が出て、昼夜とも平らげた。点滴も続いている。明朝また採血。それで退院の時期がだいたい決まると思う。
2026.5.6(水) 金がなかったことなどない
金があったこともない。18で一人暮らししてからこっちずっと貧乏で貧乏らしい暮らしをしていたけど貧乏でつらいと思ったことはないしお金がないからこれができないと困ったこともない。この説明としてよく「名古屋人は倹約家(吝嗇)だから」と冗談で言っていたが実のところそれだけではない。たぶんこれもまた末っ子だからなんだろうな。すべて末っ子に繋げる。定点。
今日はだいたい前にも書いたことのくり返し。復習です。大学の四年間はありがたいことに学費も家賃も出してもらっていた。あとは自分でなんとかしろと言われたのでなんとかした。バイトらしいバイトはバ~ミヤンで2ヶ月働いたくらいで、あとは家庭教師とか日雇いとかでまかなっていた。お金のほとんどは本と漫画とCDに使っていたが、なぜ「金がない」と一度も思ったことがなかったのだろうか。
電車も乗らず床屋も行かず自炊して節約していたから、というだけでは説明がつかない。たぶん欲がなかったし、必要だと思うこと以外にお金を使わず、必要だと思うことが少なかったのだ。末っ子ゆえの学習的無力感に由来する。モノは天から降ってくるもので自分から望むものではない。望んでも与えられず、望まなくても与えられる。「望む」ということがほとんどなかったので、お金を使わなかったんだろう。唯一望んだのが本、漫画、CDのみだが、新譜で買うことはまずなかった。
大学を出てからは家賃も自分で払うようになった。ケータイはしばらくファミリーパックだったけど! 教員やってた時期も月給、額面で12~14万くらいでしたよ。よく生きてたなと思うが驚いたことに困ったことは一度もない。不安は常にあったけど。
「今日はあと○万円あるから……」と計算したこともない。いま思い出したら通帳の残高がマイナスになってることがあったけど「マイナスになるんだー」と思うだけだった。なぜマイナスになるのかというと定期預金が入っていたからだ。つまり定期預金を食い潰して生きていたのだ。要するに、べつに稼げてもないし節約できてもなかったのだ。何も考えてなかったのである。それでも脳天気に暮らしていた。定期預金があるからな。満期になったらプラスになった(当たり前)。
というのは半分ウソである。あんまり覚えてないけどその頃はほとんどゆうちょ使ってなくて、ほかの銀行がメインだったからゆうちょにお金が増えようがない。ほったらかしにしといたらいつの間にかマイナスになっていただけで、銀行にはちゃんとお金が入っていた、と思う。つまりある程度稼いでいたし節約もしていたということだ。なんだこの文章。
思ったよりはギリギリだったのかもしれないけど何も考えていないし何も思わないから「お金がない!」と思ったことがないのである。通帳がマイナスになってても「お金がない!」と思わないのは異常である。もちろんプラスの通帳が同時にあるからだけども。
と、ここまで書いたのはだいたいテキトーである。記憶が怪しい。しかしお金に困った記憶だけがない。将来の不安のほうが今の金より大きかったのであろうか。
結局のところ「お金がない!」と思う感性だけがなぜか欠落していたというだけなのかもしれぬ。「将来お金がないかもしれなくてヤバい」と思う感性のほうはあった。「まぁでもお金がなくてもなんとかなるわね」と思うからそれもべつにすぐ消える。「能力はあるから病気とかケガとかしない限りはなんとかなるっしょ。でも老人になったらさすがにやばい! どうしよう! ま今考えたってしょうがないか。ゆっくり人生計画を練っていこう。とりあえずドラえもん読んで寝よ」こんな感じか。
それはそうと手元には常に幾ばくかの金があって、「明日これがしたいんだけど先立つものがない」という状況には出くわしたことがない。何に誘われてもお金がないから行けないと断ったこともない。お金が勿体ないからと行かなかったことはあると思う。財布盗まれて行けなかったとかもある(森田さんたちと映画行く予定だったんだよな~確か)。
ともあれ「お金のことをほとんど考えない」ということに尽きたのだろう。そのうえであんまり使わない。でもだいたい出て行っているお金の額くらいはわかるからそのくらいはまあ稼ごうかなと思って肉体労働入れたりする。それでまあなんとかなっていたのだから幸せだ。幸せだったな~。今も幸せだけど。
ちっとマジメな話をすると、というかたぶんここが本題だけど、当時の僕はたぶん金というものを、「入ってきた分だけ使う」ものとは考えていなかったのだ。「出ていく分だけ稼ぐ」ものだと思っていたのだ。ある月に15万使ったら15万稼ぐし、20万使ったら20万稼ぐ。10万使ったら10万稼ぐ、というふうにしていたら、バッファとして口座に数十万あれば問題なく持続する。
夜学バーを開いたとき、人件費を最小限におさえてまずバッファとして100万、夜学専用の通帳に貯めた。たぶん自分の生活スタイルというか、お金についての考え方を無意識にわかっていたのだろう。バッファがあれば、使ったぶんだけ稼ぐ、という順番でなんとかなる。思えば一人暮らしを始めてすぐは本当にお金を使わなかった。弁当箱に白米詰めて生協でうまい棒買って振りかけて食べてた。そういうことしてるから肌とか荒れて大変なことになったので完全に間違った行為だったけどたぶんこの時期に無意識にバッファをつくっていたのだ。あとは使ったぶんだけ稼げばいいだけだから喫茶店とか食堂にも行くようになったし鶏の胸肉くらいは買って食ってた。コーンフロスティも食べてた。そういえば99SHOPのマジックフレークスにもお世話になったなあ。あれなかったら死んでたかもな。ポケモンカードくらいの大きさのクラッカーにピーナツバターが挟まってる腹持ちのいいおやつが10枚で99円だった。神神しいやろ! フィリピン産。いまは輸入食材屋とかで似たようなの買えるけど500円くらいする。ロー100で安く輸入して売ってくれ~。みつけたらさしいれ たのむ。
2026.5.7(木) 入院10日目
昨日の補足 「出ていく分だけ稼ぐ」が基本だが、「稼ぎたくないので出ていかせない」が同時にある。
ガー! 絶食1週間ののち食事を再開したら持病たる「かゆみ」が身体のほうぼうに! お医者さんに相談したらオロパタジンを処方された。ワーイと思ってたら飲んでしばらくしてボーっとし始めた。おい副作用あるんか!(そりゃあるだろ)
花粉症にもよく服用されるらしいが、花粉症の人たちはいつもこんな状態で生きてるってコト? すげーな。ちなみに「コト」をカタカナにするのはちいかわの影響じゃないよ、ちいかわなんてほぼ何のことだかわかってないよ。偉大なる漫画家、夜麻みゆき先生がよく使う記法だよ。かわいいんだよね。
かゆい→絶食によってかゆみが消失→食べ始めたらまたかゆい、ということはこのかゆみ、少なくともダニやハウスダスト、金属といったもんじゃない。おおむね食事か、胃腸の働きによる影響だというところに絞られた。それだけでも意味があった。金属アレルギー検査はしなくていいわけだし、あと食品アレルギーだけ調べてそれがシロっぽかったら胃腸のせいってことになる(そういうことはあるらしい)。だとしたらどんだけ胃腸が悪いんだ。
んで、いよいよそうだとしたら酒とか香辛料が主たる要因って可能性がかなり高い。ンゲー、おいらからお酒とダルバートを奪わないでおくれよ~。どうやって生きていったらいいんだ。またも吾妻ひでお先生の「もう一生酒飲めないなら生きてる意味ないじゃん」を思い出すことであるよ。
もちろん病院で酒や香辛料を摂取したわけではない。1週間ぶりにものを食べたから胃腸の動きに反応してかゆみ物質が放出されたんではないかと。普段からそうなんだけど刺激物はそれをさらに増幅させるわけだからやめといたほうがいいよね、と。
でも酒とカレーだけはやめられないというか、やめるデメリットのほうが大きすぎるので適切な付き合いを続けていきたい。まぁよく噛むことと、おなかにやさしい摂取法を心がけることでしょうかね。ダルバートやカレーはラッシー必須。200円くらいの出費は惜しまないようにしよう……。
多少は摂生&節制するかもな。欲はないほうだし。わけのわからん店にはあんまり行かず、可能ならお湯割りとか飲むようにしたらいいんだと思う。さいわい今んとこ肝臓は強いから胃腸に全振りだ。もうそろそろ飛び込み店師は引退して、研ぎ澄まされた感性によって「ここだ」と思ったところにだけ行くようになるかもしれない。ってか最近だんだんそういうふうになってきていた。アルコール八分目。
これからたぶん外来で皮膚科にも通って、そこでアレルギー検査受ける流れになるだろう。でもべつに特定の食品のせいじゃないような気がしてるのですよね。そして薬は飲みたくないのだ。羊羹で食うしかない。洋館で。
ところでオロパタジン6日分も出たんですけど、まさかあと6日入院させるわけじゃないですよね?(現在5月3日です。)
病院……同室の人たちが全員まともなら、あるいはもちろん個室ならストレスはほぼゼロなんだけど、放屁の音が異様に大きくて長く頻繁なおじさんとかもうどうしようもないじゃないですか。けっこうなストレスがある。お手洗いに同室のおじさんの「尿溜めボックス」があって不快なのでできるだけ遠くのお手洗いを利用したりとか。なんか看護師さんとガールズバーみたいな話してるのを聞かなきゃいけなかったり、そういうの全部塞ぐためにイヤホンしてると看護師さんやお医者さんが来てくれてるのに気づけなかったり。アアー。さすがに家に帰りたくなってきた。これでオロパタジンの副作用で眠気と集中力低下が加わったら仕事も読書も捗らないし、死体のような生活になりそうだ。
2026.5.8(金) シンメトリーがすべてではないか
入院生活25年! じゃなくて11日目ですね。右目に異変! 僕のかわいいかわいい二重まぶたがちょっと厚くなった。
右目と左目のまぶたの形がアシンメトリーになることが、思春期から20代にかけてよくあった。ここ10年以上は安定していたのだが入院というまったく異な環境に長くいると、鏡も見ないし人とも会わないから気が抜けてきちまったのかね?
昔からそういう状態になったら鏡見ながら矯正してた。まぶた引っ張ってもとの形にして、でもまばたきするとすぐ戻るからしばらく我慢して目あけてんのね。それを何回も何回もくり返してアトつけて、戻してた。戻してたっていうか、思春期になって気づいたらアシンメトリーだったから努力でシンメトリーに寄せてたのだと思う。つまり僕の顔はそういう意味で人為的につくられてきたってことなのよ。泣き虫だし、まぶたなんかすごいたぶん影響受けて変わるから、調整しないと。
大きくなりますとね、そういう「シンメトリー」みたいな客観性はどうだってよくなってきて、つか「美しさ」みたいなことを考え過ぎちゃって、そういうことじゃねーんだよなって思ってんのかも。一所懸命戻したほうが美しいなら戻すのだが、必ずしもそうじゃない可能性もある。鏡を眺めて検討してみた。
左目より右目のほうが二重まぶたの二重の部分が大きくなってる。左目がこれまでの標準だから左目に合わせるのが順当なんだけど、右目と左目が違ったほうが美しさが2種類あってそれはそれでいいんではないか?と急に思った。単体で見た時に右目けっこうかっこいい。むろん左目もいいが、どちらもいいならどちらでもいい。しばらくこっちで生きてみようか。
長くその状態にしておくと戻らなくなる可能性もあるし、だんだんまぶたって厚ぼったくなっていくもんだろうから逆らったほうがいいのかもしれないが、気まぐれでちょっと行ってみる。また人と会うようになったら戻るのか、そうでないのか。退院したら僕の両目にちょっと注目してみてください。他人じゃ「何が?」って差異でしょうけども。ただ前髪伸びてきたからあんまわかんないかもな。30日に新潟で、初めてお金出して髪切る予定だったんだ実は。
2026.5.9(土) エナジーーーーーーーー!!!!
タイトルの元ネタは『タイプロ2』から。誰も見てないと思うけど!
楽しく生きるにはエネルギーが要る、とはよく言ったもんで、エネルギー、エネルギーね。死んだ西原くんはよく僕に「お前は持って生まれたエネルギーの総量がでかい(それに引き換えおれは小さいので死ぬしかない)」と言っていた。僕からしてみたら彼だって巨大なエネルギーの持ち主だったわけだがすべては無い物ねだりのアイウォンチュー。隣の芝生は青いわね。
夏くらいに出る(はずの!)本のゲンコーを入院時間を利用して進めているのだがマジで「エナジーーーーーーーー!!!!」なのだ。村上龍はかつて、「小説家の才能とは毎日何時間でもずっと小説を書き続けていられることだ」みたいなことを言っていた(うろ覚え)。これホントそうで、これまで僕が書いてきた長い物語たちは本当にエネルギーを喰った。単純に脳がカロリーとか糖とかまさに死ぬくらい消費してしまう。いったん狂わないと書けない。狂ってる間は狂ってるのでいいが狂い終わったら死ぬくらい疲弊していて倒れそうになる。それがわかっているから正気では書き進められないのだ。誰が好き好んで死にに行くか。
そういう意味で僕には小説家の才能がない。今書いているのは小説ではないのでのんびり進められているのだが、内容によっては脳のクリエイティブな部分を酷使せざるを得ないものがある。そういう時は頭の使い方が小説を書くときとだいたい一緒になって、「かなり疲れる」ということが事前にわかるし数時間は狂ったようにならなければならないことも予想されてしまう。それで二の足を踏む。今の状況がそれだ。んで日記を書きに来ている。
「あー次はこれについて書くのか。そうなるとだいぶ脳を使うな」みたいに思って、身構えてしまうわけだ。そして取りかかるのが遅くなる。
そして吝嗇の極みなる僕の頭は、「それだけ疲れて大した成果物ができあがらなかったら嫌だ」になってしまう。アー! こんなに脳を酷使したのにうまくできなかった! 損した!ってなるのが嫌なのだ。70%くらいの割でよいものができると思うのだが、30%くらいは自信がない。やだなあ、数時間の発狂と半日響く疲弊が水の泡になるのか、みたいな。そんなこと考えている間にやればいいのにね。わかっちゃいるんだが、なんだかね。
まあそういうところとうまく付き合っていく練習だこれは。ある意味では入院していてよかったし、身体を壊していてその点はよかった。ノイズのまるでない究極のワーキングスペース。精神と時の部屋。いや時は関係ないから精神の部屋。壁が真っ白だ。ここから出してくれ!!!
2026.5.10(日) 雑感(食事、お風呂、日本史)
服役中や入院中の人は「食事だけが楽しみ」と言う傾向にあるが、なるほどわけがわかった。食事の内容が毎回違うからなのだ。そして明確に当たり外れがあるからなのだ。しかもそれは事前の献立からはわからなかったりする。「おお、今回は当たりだ」とか「なんか外れっぽいなあ」という感覚になってしまうから、「今回は当たりかな、外れかな」というギャンブルみが加わって、ついつい食事を楽しみにしてしまうのだ。悔しいが僕もちょっとそうなってきている。そろそろ退院しないとまずい。
シャワーは二日に一回で、そのたびに看護師さんが点滴のクダを濡れないようにカバーしてくれる。その方法や素材が人によってまちまちで面白い。サランラップ的なのを使う人もいれば、謎のビニールの人もいる。ビニール袋に穴を開けて手を通させる人もいる。そして今回はゴム手袋に穴をあけたものを腕に通しテープで留めるものだったがこれはかなり具合がよい。名作。看護師さんお風呂時の腕カバー大賞、授与。
日本史がようやく面白くなってきた。ああ、土地制度とか貨幣経済に注目しましょうってのはそういうことなのね……。そこが分かった瞬間にすべてが理解できるようになった。楽しい。なるほど歴史をつながりで覚えるとか、理解するというのはこういうことか。ありがとう駿台の安藤達朗先生。若いときは正直暗記で全部覚えられちゃうから「考えて覚える」ってのをスルーしても私大ならなんとかなっちゃうんだよね。僕はどのみち世界史受験だったけど。入院中に享保の改革から初めていま桂園時代。わかんないところはGeminiに聞き、地図や資料はGoogleで確認する。いい時代になったものだ。
近現代がおしまいまで行ったら関ヶ原に戻って江戸時代半ばまでを学び、みなもと太郎先生の『風雲児たち』を読み返そう。そのために日本史やってるようなものかもしれないし、日本史やってるとみなもと太郎先生の絵でなんでも浮かぶんだよね。相互作用。マンガが何よりじゃ。
なんだかんだ入院中もいろいろ考えたり勉強したり、文章(日記だけではない)書いたりしてる。事務作業もちょっとは進めてる。店のもの買ったりもしてる。すべて偉い。
2026.5.11(月) 退院くん(入院まとめ)
5月7日木曜日、午後13時半ごろ、退院した! 4月24日金曜日の午前中に病院行って、ほぼそのまま入院したのでまるっと2週間、病院にいたことになる。病棟に入ってからは一度もフロアから出なかった。一応院内の売店に行くことは許されていたのだが、なんとなくやめておいた。大人しくしていたかったし、外界の気配に触れたくなかった。
外に出た時は「シャバい!」と感じましたね。これが本当の「シャバい」ですね。本物の日光だ!って心から思いました。踏みしめる大地も頼もしく、どこまでも歩いていける気がした。
時系列で整理する。
●4月
【6月】お昼に中華を食べ、そのあとコーヒー3杯(中華屋で1杯、喫茶店で2杯)飲んだところで明らかに胃もたれしていると感じる。それなのに夜ダルバートを食べてしまい、一晩中不調に悩まされる。以後、しばらくずっとお腹がいたい。詳しくは4月中旬ごろの「はらいた日記」参照。
【16木】歩く、立つという動作が不可能じみてきたのでかかりつけ医に行く。胃腸炎と診断され抗生剤をもらいマジメに飲むがさほど効かない。
【23木】抗生剤すでに切れ、一向によくならないので再度受診。大きい病院への紹介状書いてもらう。
【24金】外科にまわされ、CTを撮り、入院が決定。急いで荷物取りに戻り、17時過ぎに点滴が繋がれ、24時間流しっぱなし。この日は採血、CT(造影剤)、点滴で三回も針を刺された。ちゅらい。この日の朝にバナナを一本食べ、昼にカロリーメイトゼリーアップル味を流したあと、1週間食事なし。
【25土】採血 *
【26日】身体拭く ※
【27月】採血、点滴さしなおし ※
【28火】採血 点滴さしなおし、点滴さしなおし、点滴さしなおし。ここから二日に一度の入浴始まる
【29水】※
【30木】採血、CT(造影剤のため点滴クダ交換、やたら長くなる) @
5月
【1金】昼食から食事始まる。五分粥。
【2土】採血、昼ごろ常時点滴外され、朝夜のみになる。寝る前に点滴中止まっていた持病の再発に気づく ※
【3日】採血 ※
【4月】
【5火】採血、昼から全粥に。ここから検温、血圧、酸素、脈拍の回数が減る
【6水】※
【7木】採血、その結果も問題なく、3日以来に会う主治医に退院を直訴して許される ※
謎の記号は物資配給等のあった日を示す。採血と点滴等で、腕に針を刺された回数実に16回。慣れたけど忌避感はゼロにならない。実際点滴が死ぬほど痛くなってさしなおしてもらったこともあった。恐怖を感じ、できるだけ変えないでもらって最後から2番めの点滴は1週間さしっぱなしだった。血液が凝固して詰まるとさしなおしになるので、点滴が終わったらすみやかにナースコールを押す癖がついた。それ以外で看護師さんを呼んだことはない。(「呼んでください」と言われた時を除く。)
起床は6時、消灯は21時。
だいたい朝イチで看護師さんが検温とかしに来る。7時台までに採血も終わり7:50ごろ朝食。その結果が出た9~10時台くらいにお医者さんや薬剤師さんが往診に来る。検温等もなぜかこのくらいでもう一回される。12時15分ごろ昼食。そっから18時の夕食までは点滴を変えてもらうか検温等があるくらい。終盤は点滴も朝夜だけだし検温も減るのでほぼフリータイムとなったが二日に一回はシャワーに入れるので13~16時くらいのどっかに予約される。
自由時間はだいたい仕事してるか日記書いてるか本読んでるかラウンジみたいなところでボーッと外を眺めているか。入院患者さんとお話ししたのは2週間で1回のみ、べつの部屋の80歳くらいのおじいさんで、本を読んでたら「読み終わったら30分くらい外を眺めるんだよ」と言われ、その後ほんの少しだけ話した。その人は毎日何度か窓際に来て30分くらいじっと外を眺めていた。看護師さんもたまにプライベートなことを聞いてくるが軽く返すので深い話にはならない。同室の12歳や70くらいの老人とはなんか長話していたので業務的に許されるのだろうが、なんとなく看護師さんとねんごろになろうという気は起きなかった。
いろいろなことを考えたがすでに書いているので一つだけ。病院ってプライバシーがないな。何度も本名フルネームで呼ばれるし、なんなら言わされる。医療ミスを防ぐためには非常に大切なことではあるが、僕も同室の人のフルネームを完全に覚えてしまった。せめて漢字くらいわからないようにすればいいのに堂々と漢字で見えるところに表記してあったりする。職業とか聞いてくるし。それでいいんだろうけどね、機能的なのだろう。
ともあれ退院だ! しかし治ったわけではない。主治医はもうちょっと様子見したそうだったが希望して退院したのである。抗生剤が主たる治療だが点滴から飲み薬に変わった。ちゃんと効くだろうか。また病院食でない食事をして、ほぼ普段通りに活動してよいのだから悪化する可能性もあろう。しばらくは大人しくしておこう。次は19日に外来にかかる予定。
お酒については、まぁ飲まないほうがいいのだが、絶対に飲まないほうがいい期間というのがある。もらった抗生剤が5/7の昼から7日分なので、14日の朝に飲み終わる。そこから最低24時間は空けるべきで、15日(金)の夜くらいに少なくとも薬との併用による問題がなくなると言える。しかし外来が19日なんで、そこまで待ったほうがいいと考えるのが普通であろう。そして19日にまた7日分くらい抗生剤が出たとしたら、結局は月末になる。マァそのくらいは酒抜いたほうがいいだろうね。でももしタモリさんに「飲んでもいいんだぞ」と言われたら飲むと思う。草なぎ(なぎは弓ヘンに前の旧字の下に刀)剛くんみたいにネ。
2026.5.12(火) 5/8京都
小沢建設(株)とかいうゼネコンの新本社ビル竣工式に行ってきました。5月8日。前日主治医に退院を直訴、お許しが出たので即座に京都までの「ぷらっとこだまグリーン」を購入。12530円だったかな。金曜だとちょっとだけ高い。それでも自由席(13320円)より安いのである。グリーン車なのに。
病み上がりなんだからよしときゃいいのだが17000円ですよ? 竣工式のチケット代が。公式リセールとかはないし譲渡も面倒。マァ名古屋まで戻って実家で二日くらいゴロゴロすりゃいいか。
入院中の早寝早起きがまだ持続しているので早めに準備して10時半すぎに東京駅着。電車賃ケチって自転車で行った。ぷらっとこだまは「東京都区内」つかないので。静養とはなんだったのか。マァゆっくりね、軽い有酸素運動として、時間かけて行きましたよ。そこまで愚かではないのだ。無印ベルマートんところから入る。ビューゴールドラウンジへ。けっこう遠い。八重洲中央口まで自転車で行けばよかった。
ビューゴールドラウンジはビューゴールドカード(年会費11000円)を持った当日のグリーン車利用者が無料で入れるひみつの空間。発車の1時間半前から入れる。11時57分発なので10時27分。
飲みものとお菓子がいくらでも無料! 新聞とか雑誌、時刻表などが置いてある。コンセントもある。思った数倍快適だった。けっこう人いたけど誰も喋ってないし。お菓子食べてからカプチーノ。できるだけ胃に優しく。
グリーン車乗る。これも快適。ただ「特大荷物スペースつき座席」は枠が4席しかないので隣に人が乗ってくる可能性がかなり高い。とはいえ自転車あるからここしか選択肢がないようなもの。ここだけがネックかもな。全体は空いてるのに。ゲンコーを書くも揺れて酔うので1000字くらいしか進まなかった。進んだだけマシ。日記も書いたし。
京都駅で下車。ぷらっとこだまは最近「ドリンク1本引換券」と「ご当地なんちゃら」が選べるようになった。八条口前の西尾で八つ橋と引き換えたら648円のちゃんとしたのがもらえた。すごい! ドリンク1本とはなんだったのか。どう考えてもこれじゃん。おみやげ買う必要ないじゃん。
ぷらっとこだまは東京→名古屋9000円、グリーンでも9840円(月~木の場合)。だいぶ安い、とは思えど11000円の年会費出してるんだからえきねっとで買ってビューゴールドカードの8%還元もらったほうがいい気もする。のぞみ乗れるし。自由席なら10560円で理論値約844ポイントもらえるから実質ぷらっとこだまグリーンと同じ。ってなると「ビューゴールドラウンジ利用」と「ご当地なんちゃら」をどう見るかですな。
なんか僕って金の話ばっかしてますよね。違うんですよ。算数が、そしてゲームが好きなだけなのです。お金は現実をゲーミフィケーションするのに最も優れたツールですよね。ドラクエやマリオくらいしっかりしたゲームしか僕はしないので安心安全。
「ポコ」でオムライス+サラダ+味噌汁+食後のコーヒー。このお店は誰にも教えたくない京都駅至近の最高な喫茶店。駅出た瞬間なのにお客がいつも少ない。駅近すぎて観光って感じで入ってくる人がほぼいないからだろう。もうちょっとまちなかで入るよね。あと、京都来てまでフツーの喫茶店入んないんだろうね、フツーの人は。「ほろ酔の足もとかるし春の風 良寛」なんて書が貼ってあったりする。おくすり飲んだ。まだ抗生剤が出ているのだ。この旅で酒は飲めない。
1時間くらい読書して、自転車で北上。途中ローソンでチケット発券してから「アナーキックギャラリー京都」に寄る。四谷四丁目にある「あひる社」という会社の社長にしてオザケンきちがいの吉本さんが開いた場所で、ほとんど二拠点生活になっているようだ。うらやましい。息子のティーくんもいた。一緒に竣工式に出るそうな。もちろん、オザケンというのは小沢建設(株)とかやいふゼネコンのことである。
いったん別れ、そこから100メートルほど離れた今夜の宿にチェックイン。ベッドメイクして荷物減らしてすぐ出る。ふたたびアナーキックギャラリーへ。雑談してまた別れ、一路「京都ロームシアター」へ。自転車で。ほぼ一本道、5分ちょいで着いた。
早速知り合いに会う。恐ろしい。8列目の左から二番目に座る。竣工式「月と街のAidade」については考えることがいっぱいあるのでまだ書けない。
終わってすぐ、自転車を駆って「スペースネコ穴」へ。Googleマップでは「閉業」となって久しいが、おそらくやっている。ここの店主もオザケンのリスナーで何度か最近のライブにも行っているようなので、今回も参加していたかもしれない。金曜の夜、店が閉まっていればライブに行っていたということだし、開いていれば行っていないということだろうな。果たして開いていた。酒が飲めませんと言ったら何もないのでと水をいただいた。おつまみをちょっとだけつまみ、おくすりを飲む。1時間くらいオザケンについて語らう。ちょっとわかりあえたような気がした。彼女も「小沢さんのおかげで今の自分がある」という一人なのだ。また酒飲みに来ます。
尖った店のテクニックとして「Googleマップをわざと閉業にする」というのがある。そうすると地図から消える。ピン立ててあるかお店の名前で検索すると出てくる(たぶん)が「閉業」と表示される。なぜそんな状態にわざとするのか? 目立たないようにである。ほっといてもバズってしまう現代。このようにして「客の切り離し」を行うしかない。ここまでは一般論でありネコ穴の事情については何も聞いておりません。なんで閉業になってんだろ。
じつは僕のもとにも「ネコ穴閉まったらしいですよ!」という情報が入ってきていた。僕は「そんなわけない」と直観した。そしたら見事「閉業になってたけど開いてた~」とかSNSに書いてる愛すべき無邪気な人がいて、やっぱりなと思った。
自転車で、酒飲んでないので堂々とアナーキックギャラリーへ戻る。意外とここは距離がある。でも10分くらいかな。パーティーが行われている。見知った顔も多かったが、知らない人もいた。京都だから知ってる人が多いほうが異常なのだが、全通ないしそれに近いような人が片手の指くらいいた気がする。新しい友達も何人かできた。フリッパーズ時代から「東京で」ずっと追っかけてきたという女の人がいて、いろいろあって「師匠」と呼ぶことにした。意外と長年のファンでずっと東京にいたという人は少ない。しかも「番組観覧なんかほとんど行った」と豪語できるほどのレベルとなるとほとんど生き残っていないだろう。「生き字引みたいに扱われるけど~」いや、生き字引なんですよそれは、事実として。
20歳前後の若い人もいた。初めて小沢さんのツアーに参加したらしい。新しいリスナーがどんどん増えている。しかもやはり勘がいい。けっこう仲良くなった。
ある若い女の人がパスケースにカードかステッカーみたいなの入れてて、なんか見覚えがあるなと見ていたら思い出した! これ高知市にある「Bar 変質者」のシンボルマークじゃないか? でもよく似たべつのものかもしれないし、変質者がどっかからパクってきた絵なのかもしれないし。
「ごめんなさいこの絵はなんですか?」
「あ、わたし出身が四国で……」
「変質者!」
思い返すとすごいやり取りだ。女の子に「変質者!」と叫んだのは初めてであった。
かなりの店師で、変質者だけでなくmojo、クレアール、ベルズなども網羅していた。ベルズに初めて行ったのは16歳だったとか。そんなやついんのか! いちばんおかしいよあそこ。
VIVA!はご存じなかったので激推ししておいた。へびやも教えればよかったな。mojoのmotoki tanakaさんについても音楽を聴いたことはなかったようなので「これ名盤! サブスクで聴けるから!」とか言っといた。
奇跡ってのは起こってるんですよね。今回は僕が「変質者」の絵を覚えていて、かばんからぶら下がってるパスケースに気づけたから発覚しただけで、こんなことは実はいくらでもありふれている。ただ気づいていないだけの奇跡を絶対に見逃したくないものだ、観察したり考えたりすることはやめちゃいかんね、と改めてすっげー思った。素晴らしい時間をありがとうございます。
そっからは吉本さんや師匠とかなり長く話した。ティーくんともまともに話したのは、彼の人生の4分の3以上の付き合いがあるわりにほとんど初めてだったかもな。そういう点でもがんばって京都に行ってよかった。
若い女の子たち(計3人)はたぶん小沢さんの東京公演にも来るようで、「お店行きます!」と言ってくれた。でもたぶんその日はアナーキックギャラリー東京でも同じようなイベントがあるよ。僕はどっちにいればいいんだ? 待機しとくか赤坂見附くらいで。
唐突だが人生って足りないな。「もう一つ生きれたら」ってRaphaelの歌詞にあるけど。
宿に戻って寝たが早めに起きてしまった。11時のチェックアウトぎりぎりまで寝ようと思っていたのだが体内時計がまだ病院なのかもしれない。
おくすりは「できれば8時間空けて飲む」のが理想なようで、11時すぎに朝食だと組み方が難しい。結局朝うどん食べて8時半くらいにおくすりしたのだが、これなら15時、22時みたいな感じで組める。消化のこと考えると寝るのが24時くらいにはなっちゃうけど。
おなかのことを考えてうどんにしたのもあるし、朝3時間しか営業しないうどん屋ってのも興味あって行ったんだけどなんのことはなく間借りの店で、美味しかったけどやっぱ「ポコ」でモーニング食べたかったな。ここはちょっと失敗だったかも。
えきねっと発券はJR東海(すなわち新幹線)の券売機まで行かないとできないのでちょっとめんどくさかった。東京で発券するのすっかり忘れてたのだよ。おかげで時間調整ミスった。この朝はあんまりすぐれなかった。
9:00の新快速をスルーし9:07の普通列車米原行きに乗る。進行方向向きの窓際に座れた。やや寝不足なので30分遅くなってでもゆったり座れるほうをとったわけだ。米原から豊橋行きへ。ここがテクニックあるところなんでござんすよ。大垣での乗換をカットできるうえ、米原から新快速車両に乗り続けられるわけだ。一度もロングシート乗らずに済んだ。金山下車。
名古屋のことは明日にしようっと。
2026.5.13(水) 5/9名古屋
米原新快速作戦で京都から一回乗り換え、とても楽だった、でも2時間半もかかった。新幹線なら30分。しかし2530円のせつやく、指定席だと通常期でも3270円ですからね。乗車券は「京都市内→東京都区内」。金山で途中下車という扱い。
名鉄への乗り換え改札は紙のきっぷ入れてからICタッチで通過できるので便利。神宮前の東口に出て、名喫茶「チルチルミチル」へ。12時過ぎてるのにコーヒー頼んだらゆでたまごとバナナとビスケットついてきた。モーニングだとここにトーストとかつく。300円。1時間くらい安藤達朗先生の日本史のやつ読む。今回これしか持ってきてない。気になったことはGeminiに聞きながら読み進めるのだが年の功というかインテリの功で我ながら適切な疑問ばかり浮かびかなり歴史がリッタイ的に見えてきた。こういうことか~。でもこれを高校3年生に求めるのは酷だな。若いうちは暗記力あるから暗記でいいんだよね。とはいえ英語と国語に関しては僕は可能な限り理屈で覚えようと当時から努め、ある程度実現できていたはずなので(だから受かったわけで)歴史が得意な人は難なくできるんだろうな。ようやく大正に入った。
南下して「街と珈琲」へ。浩太郎さん(店主)と小沢さんのライブについて話す。今回も一家で名古屋会場に行けたそうな。U-23チケットにしなかったので17000円×4という恐ろしい額を支払ったと。ヒェー。でも数年に一度のお祭りですものね。温泉旅行のようなものだ。
それにしてもこのお店の内部建築(という言葉でいいのか?)はすばらしい。いつ来ても何度見ても感動する。いつか対談しましょうという話をずっと前からしているのだが、その際には物理的な空間づくりについて話したい。
しばらく世間話(=小沢さんの話)などして出る。呼続から山王まで10分名鉄に乗り、ミニベロ専門店へ。Carry Meのパーツ買おうと思ったのだが改造しすぎて僕のBJ号には取りつけ不可能と判明。よかったーネットで買わないで。大須まで走りSeriaで代替品(マジックテープ付き伸縮ベルト)買う。最初からこれでよかったんや。
「本棚探偵」行く。いいお店だった。軽食とっておくすり飲んだ。60分までは飲食代のみ、以降10分50円なのでだいたい1時間500円で滞在できるわけだ。二階の座敷で4時間仕事しても2000円か。そのあと降りてきて下のカウンターで酒飲んだりしてもいい。本の冊数はめちゃくちゃ多いが見たところ95%以上は小説、ミステリやエンタメ系が多い。フォア文庫の『少女探偵ナンシー』があって、もとは1930年代の作品と知る。できるだけ古い訳で読みたくなったのでネットで探して買う。『探偵少女ナンシー』というタイトルだった。ナンシーはね2002年に小沢健二さんが書いてたWeb日記にも言及があるのだよフフフ……。
それにしても名古屋の人は松本の人と同じでヨソモノに興味がない。それでバーなどの酒場ではいたたまれない気分になることもあるが喫茶店では逆に作用するような気がする。良くも悪くもヨソモノに興味がないので知らない人が入ってきても怪訝な顔もせず受け入れてくれる。閉鎖的すぎて警戒すらせず「知らない人=純粋なお客さん」として扱ってくれるわけだ。商売っ気がちゃんとあるからでもある。
良くも悪くも詮索とかしない。「旅行?」とか「この近く?」とかもあんまり聞かれない。そこが名古屋のいいところだし、喫茶文化が発達した裏の理由でもあるんじゃないだろうか。朝早くて昼の文化が元気で、昼は治安がいいから警戒の必要が低いってのも合わせて。大須もいつの間にか昼飲みの街になってきているようだ。正直言って名古屋の夜はあんまおもんないので昼に遊ぶよう心がけてみようかな。それでどうせ真夜中まで遊んじゃうわけだが。今回は酒飲めないので酒場はすべてスルー。ちょっとさみしい。
上前津、矢場町、栄を通り国道19号に出てひたすらまっすぐ。帰省すれば必ず寄る「つねかわ」で納豆お好みを食べる。具材がほぼ野菜と納豆なので比較的お腹にやさしいだろうと。しかしそのあとやっぱりもちチーズを頼んでしまった。よく噛んで食べたよ。土曜とあってお客さんはひっきりなし。本当に客層が幅広いし、現役の小学生もいれば「小学生の時に来ていた」という青年もおり、近所のおばちゃんやおっちゃんも来る。老人は今日見かけなかったがけっこういる。どんなに大量の注文が入っても断らないし大変そうなそぶりも一切見せずただ黙々と鉄板を埋め続ける。これがプロですよ。駄菓子もちゃんと売れる。
つねかわの主要メニューはいつかコピーできるようにずっと鉄板見てるんだけど、あえてメモとか取ってない。小学生の頃からずっと見てる記憶だけでつくりたい。そのうえでわかんなかったり忘れちゃったところは勝手に埋めてしまったほうが誠実な気さえする。カクテルをパクるときは完コピをめざすのに、なぜかつねかわだけはその情熱がわかない。継承するということは、いつかなくなってしまうことを認めることになるからだろうか。
帰宅。入院してたことを両親に話す(言ってなかった)。ゲンコー書いてごはん食べておくすり飲んで日記書いて寝る。
2026.5.14(木) 5/10名古屋
9日の夜はどこにも出かけずにカタカタしていた。10日は朝起きたら9時くらいで、お母さんは出かけお父さんはまだ寝ていたが起きたので散歩してくると告げて家を出た。散歩と言っても自転車である。天神橋の下のトンネルを抜け上飯田方面へ。大曽根中学校の前を通って26年間足を踏み入れていない喫茶店に向かう。いつも通り暖簾も看板も出ていないが回転灯が光りながら回っていて営業中らしいとわかる。前回は断られてしまったが今回はどうか。入店できた。豪奢なモーニングをいただく。先客のおばあさんが中日新聞を渡してくれる。
中学の同級生の実家で、何度か夜中に遊びに来たことがある。閉店後の喫茶店をたまり場にするなんて夢のような話だ。当時はそれほど有り難さを感じていなかったが新鮮でワクワクしたのは覚えている。
古い記憶のある場所に行くと「取り戻しに来た」感覚になる。生きるということは忘れ物の連続で、どこに何を置いてきたかは曖昧なことが多い。しかし物理的なモノと違って記憶や想い出はなくなることがなく、いつまでもそこにある。そこがある限りにおいて。いや、なくなってしまってもある。命のある限りにおいて。同級生ヨシテルくんの七五三かなんかの写真が壁に貼ってあって、取り戻しに来たなと思った。
帰り際にその旨を伝える。驚き、喜んでいただく。名前をたずねられたので答えておいた。さすがにオザキの名を忘れてはいないはずだが、まさか実家に来るとは思っていないだろう。僕がこの店に燃やす執着を彼が知るわけがない。どれだけたくさんの忘れ物をしてきたかを。
町内、いや隣の中学の学区に及んでぶらぶらと走りまわった。それにしても喫茶店が多い。日曜でも開いているお店はいくつかある。いつの間にか閉業していたのもあった。
ぐるっと一周してまたゾネ中付近に戻り「あづさ」に入る。二食目のモーニング。ふたたびいちごジャムに出会う。福岡のかわいいやつ。このへんで流行ってんのかな。本読んで1時間くらい過ごす。ゾネ中の脇から堤防を越えて矢田川河川敷を走り、家に戻る。この日は完全に力を抜いてだらだら過ごした。何からしいことは何もせずみんなで世界卓球を見ていた。あとはくだらない(いま思えば本当にくだらない)調べ物に終始。でもそういう時間が知見を育てる。
2026.5.15(金) 5/11浜松→三島
早朝に起きて大曽根→金山から新快速。予想通り刈谷で全人類が降りたのでゆったり座れた。豊橋からは373系の特急車両。これは覚えておいたほうがいいな。7:47豊橋発(メモ)。
浜松に到着。ねむたい。ちょっと初チャレンジなことをやってみる。あんまりうまくいかなかった。でも必要なことだったと思う。世の中ってやっぱつまんなくて、だからこそ面白さのほうへ向かっていかなければならない。しかし「つまんない」に深く潜って「面白い」の宝石を探すのではなくて、そもそも「つまんない」から離れていくほうが僕の性に合っている。
「たじま」という喫茶店が最高だった。離れていくとはこういうことだと思っている。流行りのカフェを100軒まわってその中から「当たり」を探すのも楽しいし大切な態度ではあるが、自分が絶対に好きである場所へじりじりと努力して近づいていくほうが僕は好きだ。腕を磨けば一発でたどり着けることも多い。浜松にはもちろん喫茶店やカフェなど無数にあるが、おそらくこのお店ほど僕好みの空間はほかにないだろう。あったらもっと嬉しくなってしまう。
メニューがとにかく多くて100種類くらいあるんじゃないかと思うのだが、モーニングもランチもできるというのでまだ10時なのにランチをお願いした。この柔軟性もすごい。浜松名物も入れといたよ、とのこと。タマネギや味噌のしそ巻き美味しかった。出身は愛知県で、台東区にお住まいだったこともあるとのこと、奇縁である。「終戦直後の名古屋駅に行ったことがあるよ、女学校の1年生だった」と言われれば賢明な読者はこのママが現在おいくつかだいたいわかるはずだ。94歳だそうである。ドシェー。94歳で100種類はあろうかというメニューを一人でまわしているの異常でしかない。出前が入れば自分で持っていくらしい。スタスタ歩いてたし、一切ボケの気配なくハッキリしていた。
食後には川根のお茶をいただく。「占ってしんぜよう」と仰るのでお願いした。ふだんはけっこう固辞するのだが94歳の喫茶店主に占ってもらう機会を損失させるわけにはいかない。画数と生年月日。もっと詳しいことはハガキに書いて送るとのことで住所をお渡しした。嬉しい。結果はまた別項で。
浜松の街を走りまわる。店師あるいは土地師としての能力が上がりすぎてGoogleマップを見るだけで「この路地が怪しい」というのがわかるようになってきて、目当ての店というよりは目当ての路地を事前に決めて目視する。インターネットで見るのと実際に店構えを見るのとではずいぶん違う。二刀流をうまく使い分けるのが現代店師の技術ですな。
街のつくりと特徴がだいたいインストールできた。あまり時間がないので気になっていて開いているお店の一つに入った。「茶房いちばん」ここも素晴らしいお店だった。スピッツかわいかった。
「ひかり」自由席で三島へ。わずか40分。浜松→静岡と静岡→三島の特急券を分割して買うことによって1980円に削れる。通しだと2530円。ハック!
本当は「LONG LOVE LETTER」というカフェ(夜は二階で「BAR HAPPY END」として営業)に行ってみたかったのだが大掃除のため急遽休業とのこと。また三島には「ジェミニ」と「あんりえっと」という、若い人が企業承継した古い喫茶店が二軒もある。いずれも内装や雰囲気ほぼそのままに引き継いだという触れ込みで、気になっていたのだが前者はお休み、後者は行こうと思っていたのだが時間が足りなかった。「ジンジャーブックカフェ」というまったくノーマークだったお店に入ってしまったのだ。かなり下調べはしたつもりなのに事前に見つけられていなかった。足を使えば見つかったりするのだ。
不思議なことに見つけた瞬間、自転車を停めて吸い込まれるように入ってしまった。三島の滞在時間は1時間半、事前に目星をつけておいた場所に行くだけで時間切れになってしまいそうなのに、ついつい。桑の葉茶を飲み、結局ここに40~50分ほどいてしまった。茶の湯の本を二冊ほど買った。それと外国人観光客向けの喫茶店パンフレットを、しげしげ見ていたら「どうぞ持っていってください」とのことで入手。
時間がないとわかっていたのでいつもよりちょっと多く喋ってしまった。こちらからのアプローチをちょっと強めにしなければ仲良くなれることはないと直観していた。9日の昼、大須で入ったお店とおんなじだ。どちらも女性店主のワンオペで、単独男性客への警戒度が高めに設定されている可能性が高い。またどちらも「本」を扱っているので「静かに本と向き合いたい人もいる」という感覚もたぶんある(この前提はコミュニケーションを拒絶する口実としても機能する)。ゆえに「自分はコミュニケーションを取りたいと思っています」とこちらから伝えねばならないのだが、「女のいる店にコミュニケーションを目的に来た単独男性客」というのは最も警戒度を高めるべき存在であることも確かなので、かなり慎重にしなければ危険。よって本来なら初っぱなにはあまり切りたくないカード、「自分もお店をやってまして~」みたいなのを使わざるをえない。
「お店をやっている」がなぜ警戒心を解くのかといえば、「見知らぬ人を受け入れる側」であるという印象を与えるからであろう。警戒するのは相手が「見知らぬ人」だからなわけだが、お店をやっている人、という話になれば「見知らぬ人を受け入れる側の人」、すなわちいまの自分と同じ立ち位置にいる存在だ、と反転する。ふだんから見知らぬ人を受け入れているのであれば、ある意味では常に見知らぬ人の彼岸にいる存在であり、概念として「見知らぬ人」にはなり得ない、みたいな話。
そしていきなり「お店をやってまして~」は不自然なんで、茶の湯というものを利用する。いや、本当にその本が欲しくて二冊買おうと決めたわけだし、僕としてはただ素直に「もしこの店主さんが茶の湯に詳しいのであれば聞いてみたいことがある」という動機でもあった。茶の湯について僕が気になるのは、「かつて茶の湯の場においてどのようなコミュニケーションや交流が行われていたか」。それは小さな飲食店という「場」をつくる職業として役に立つかもしれないし、なんなら日本における喫茶店や居酒屋、小料理屋、バー等の原点は茶の湯にあるのではないかと僕は見ていて、研究対象なのである。そのあたりについて話せる識者がいたら望外なのだ。
幸いその話題を皮切りにそれなりに雰囲気のよい(たぶん)交流が生まれ、インスタも相互になった。とてもよいお店なので嬉しい。
いよいよ時間がなくなってしまったが、もう一軒行きたかった書店があったのでがんばって自転車を漕ぐ。けっこう遠いのである。「YACHT BOOKS」というところ。扱っている書籍点数はかなり絞られているが、代わりにZINEがたくさん置かれていた。カウンターもあり、そこでコーヒーなどが飲める。だいぶ研ぎ澄まされいて好感が持てる。
メインコンテンツは「交流」であることが明白なのである。カウンターとZINEがどう見ても中心にあって、スケッチショウ(細野晴臣+高橋幸宏)とかが流れていて、よくセレクトされた新刊がいくらか。「そういうもので繋がりうる人たちの交流の場」としての機能がむき出しになっている。街の中で人と人とのハブになるべく、まず間違いなく意識的につくられている。
あまりにも時間がなかったのでZINE一冊だけ買って、名刺渡して急ぎ去った。15時31分の電車に遅れたらお店が開けられない。厳密にはもう一本あとの「こだま」で熱海まで行っても間に合うし、さらに言えば三島から東京まで新幹線に乗る手もあった。しかしそこは兼ね合いですな。今回は予定通りでよかろうと判断した。
熱海からグリーン車に乗る。快適である。JRE BANKの特典を使ったのでタダ! 寝不足なのでちょっと寝た。あんまり電車だと寝られないし、実際寝られなかったんだけど目をつぶってるだけで回復するって金八先生も言ってたからその通りにしていた。そのまま上野まで。
上野東京ライン便利で素晴らしい。ただ街の人から言わせると、上野での乗換の必要がなくなったせいで「せっかくだから上野で降りて飲んでくか」という人がガクンと減り、街は不景気に陥ってしまった、という見方もあるようだ。アッチを立てればこちらが立たぬ。しかしすべては運命で、うまく乗って生きていくしかない。
夜学バーは戦略として「わざわざ来てくれる」お客をメインターゲットに据えているのだが、この点においてたぶん正しい。「近いから」とか「せっかくだから」という層をメインにすると、上野東京ラインのような変数が入ると狂わされてしまう。静かに安定し続けていたい。
2026.5.16(土) 単純接触露出
5/12(火)に会食があった。敏腕編集者ナカダチ氏との打ち合わせのあと、彼の著者(出版業界では書籍等の書き手のことをこう呼ぶ、イントネーションは「飛車」と同じ)と三人で会うことになったのだった。とても素晴らしい方で、いろいろ刺激を受けた。似て非なるというか非て似なる部分がいくらか見受けられ、ナカダチさんがこの二人に特別惚れ込んで会社辞めた(実際そういうことだと理解している)というのがなるほど理解できた。キーワードは「誠実」であろうか。そのせいもあってなかなかバズりきれない。じれったい存在でありましょう。僕よりはその著者さんのほうが1000倍は売れているわけですが、もっと売れるべきというのはよくわかる。
会食のあとひとり夜学バーに寄ってその方の単著2冊と対談で参加している本1冊を持ち帰り、翌日までにぜんぶ読んだ。だいぶ前から持ってはいたのだが読むタイミングがなかった。医学関係の本ということもあって今の自分の関心事から遠く、開くキッカケが特になかったのだ。しかし会って話したらすぐにでも読みたくなるもので、わざわざ電車降りてまで回収したのである。すべて非常によい本であった。
そして「露出は大事だな」という結論が導き出された。やっぱり顔とか出すべきだし、単純接触の機会を増やさなければならない。しばらく積んどいた本でも会って話したら読んでもらえるんだったら、会って話しまくるのがいいに決まっている。知っている人の本なら買うし読むが、知らない人の本は読まないし買わない。そういうものであるから小規模なスターは単純接触マシーンとなって全国をドサ回りしたほうがいい。
教員のとき生徒に長文プリントを配りまくっていたが、その意図は明確だった。中高生は小説以外の本なんかまず読まないが、知ってる人が書いた文章なら読むだろう。物語ではない、評論に近い散文に気軽に触れる機会を与えたかったのである。もちろん「コミュニケーション」という目的が本音ではメインだったが、大義名分として「読書機会」と「読書量」のためでもあった。
ゆえにYouTubeでもPodcastでもなんでも、とにかく人目につく機会を増やすことですよね。Txitterのスペースとかでもいいけど。いきなり数字には出なくともじわじわ効いてくる。絶対数は伸びなくとも親近感の深まりは確保できるから、容易に離れていかないカタいファンが形成できる。理論上。
つうわけでちゃんとアー写とか撮ろう。
2026.5.17(日) コンフォートゾーンをずらすぞ!
実は定期的に考えていることなのですが、僕は不当にコンフォートゾーンを低く設定しているところがあります。もうちょっとコンフォートゾーンを高くしてもいいんじゃないだろうか。ってかコンフォートゾーンってなに? 怪しいやつ? ええ、怪しいやつです。しかし便利でかなり使えます。
マァソノー、単純に言うと「自分はこういう存在である」という自覚ですよね。事前に設定されたそのイメージに合致していると心地よい(コンフォート)のだが、そこから外れそうになると心地よくない。で、人間というのはその「心地よいゾーン」に永住しようとする生き物なのですよね。こういうのを恒常性保持機能(ホメオスタシス)とか言います。もともとは身体の状態を一定に保つ機能のことだが、それを脳や心に援用しているわけだ。
これらは苫米地英人さんの受け売りなのであるが、僕にとっては橋本治さんの下記の文章も同じことを表している。
どうせあなたはお分かりにならないだろうからお教えしますが、あなたが彼女と別れなければならない最大の理由は、“それが陳腐な女だから”です。
陳腐というのは凡庸ということです。凡庸ということは、ザラにあるということです。ザラにあるんだから、別にそれをいやがることもないんじゃないかというのが、現代の最大の退廃なのです。
陳腐であるということは、退廃しているということです。現代では、既に退廃もそこまで大衆化しました。平凡な顔をした退廃とくっつく必要はないということです。そして、平凡な顔をした退廃ほど、逃げるのに困難を極めるものはありません。何故ならば、平凡こそは、人類の行き着く最終の安息の地だからです。そこが退廃しています。そこに居着いたら、もう永遠に逃げ場はありません。だからすぐ逃げなさいと言っている訳です。
(橋本治『青空人生相談所』ちくま文庫P211−212)
何度読んでも鮮やかですね。何度引用したかわかりません。「平凡こそは、人類の行き着く最終の安息の地」すなわち人間はほっとけば現状のコンフォートゾーンに安住するものであって、「ま、それが普通ですわな」ってことなわけですよ。
お恥ずかしい話僕もどうしても「現状のコンフォートゾーン」に縛られがちである。そこから脱しそうになると、引っ張られて落ちてしまう。結局のところ「劇団夜学バー」で二日目に大失敗、大失態を犯したのも、一日目にうまくいきすぎて「このままではうまくいってしまう」という恐怖心からわざと転けたのだと分析できなくもない。マジで僕にはそういうところがある。それを最大の弱点だと思っている。
理想としては、一日目にうまくいったならその「うまくいった」状態を新たなコンフォートゾーンとして「上にズラす」ということをして、翌日はもっとうまくいかせてしまえばいいだけなのだ。しかし、できない。「こんなにうまくいってしまったらコンフォートゾーンから外れてしまう!」と焦り、「失敗しなくては!」と考えてしまう。
いつも60点くらいしか取れない人が80点を取ってしまうと、次のテストでは40点とってバランスを取ろうとする、みたいなことは実際にあるらしい。僕も肝心なところでそういうところが出てきてしまう。80点取れたらそれからはそれを当たり前にして次は100点取ればいいだけなのに、「おかしい、こんなのは自分ではない、自分らしくない」と思ってしまう心理がどうも人間にはあるようなのだ。
こういう考え方を知ってからたぶん10年以上は経つわけだが、ぜんぜん改善できない。さらさらその気がなかったのだと思われる。危機感も焦りもあったけれども現状の心地よさを捨てるには至らなかった。そろそろ限界だ。新しい扉を開き風通しをよくしていかないとカビが生えたり腐ったりする。
わかるのだ。ハッキリとわかる。コンフォートゾーンを上にずらそうとすると、頭や胸に不快感が襲ってくる。これがすべてのやる気を削いでしまう。ここに打ち勝たなくては未来はない!なんてスゲー「らしくない」書き方をしているが、「らしい」というところから脱却せねばならんのだ。もちろん自分は自分であり、胸を張ってこれまでの自分と綺麗に接続することは前提なのだが、ちょっとくらい変わること恐れずにGoogbyeしないといかんだろうね。リセットミーしなかんよ。「変わること恐れる」ってのがコンフォートゾーンを据え置いて、自らを平凡と退廃と陳腐の世界へと導いてしまうのだから。
この文章を書いていても不快である。これは現状のコンフォートを捨てようという声明なのだから、全身が拒絶している。「ダメだよ! 気持ちよくなくなっちゃうよ!」と警告する。鼻の奥がかき氷食ったみたいにズーンとするし、動悸も速くなって胃のあたりが重たくなる。明らかに身体は「お断りだね」だそうです。でもそういうわけにもいかんのよ、むりやりにでもここを脱しないとしょうがないのよね。時間かかりそうだが、まぁがんばりますわよ。
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