少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2020.9.25(金) 麒麟すん
2020.9.22(火) セクシーゾーン
2020.9.20(日) 千ちゃんへ
2020.9.17(木) 神様は何も禁止なんかしてない
2020.9.1(火)〜3(木) 長野・上田・小諸・諏訪・甲府

2020.9.25(金) 麒麟すん

 りょう生きてるかな。
 すんたん元気かな。
 すんたんというのは19年くらい前からこの日記にたびたび出てくる友達で、とてもかっこいい。地元に帰るとよく遊ぶ。最近は関東出張のたびにお店に来てくれる。ここんとこしばらくご無沙汰だ。彼のことをたまに想う。今日なんかもそうだった。たぶん彼も僕のことをたまに考えるのだろうとさっきお風呂で唐突に感じた。このHPだってごくごくごーく稀には見に来ているんじゃないかな。実際どうだかは知らない。そうでなくとも彼らしいと思うだけ。それも含めてこれは信頼。それがどの程度のものであるか、果たしてちゃんと両想いであるか、それはメロスとセリヌンティウスのような疑いとともにあって、だから、たっとい。

2020.9.22(火) セクシーゾーン

 Twitterにたまに書いているこういう長文をどうにかまとめたい。個人のアカウントでもお店のでもけっこうあるはずなのよね。もったいない。
 そう僕はけっこう自分の書いたものとか作ったものを保存しておくたちで、むかし生徒たちに配ったプリントなんかも紙・データともに残しているし、メモとかも捨てない。アーカイブ人間なのである。その中にはかなり面白いものもある。そういうの集めて冊子にして売ったり「平成のジャッキーさん展」とかいって展覧会したりしたいよ。だれか手伝ってね。(なんていつも言って、「手伝います!」と言ってくれる人がいるにもかかわらずなかなか進まなかったりするのですが、僕の脳内ではすべて遅々としてですがほんの僅かずつ進めているつもりなので見捨てないでください……がんばります。とにかくここんとこはちょっとやることが多すぎる、わりにのんびりしている。)

 考えていることに書くことがおいつかない。話すほうが割に楽だから、そっちに重点を置きたい気もするけど、文字のほうも同時にないと絶対にだめ。特にこういう、いつでもどこからでもタダで読めるフリーなところになければいけない。
 ただ、さらに同時なことに、話さないと浮かんでこない発想もある。最近よく話し相手になってくれている人は同じものに目を向けて似たようなことを考えていてもどこか僕にない感覚の視点をくれたりしますので、そういう会話が僕の考えを豊かにして、ひいては文章を豊かにしてくれたりもするので、やっぱり話すことは大事。だから、たとえば「対談」というものを日常的にしたいなと思っている。その音声をここにアップ(YouTubeやツイキャスのリンクとかかもしれないけど)してみたりとか。そういうダイレクトな「声」のほうが伝わるものは絶対にあるし。やりたいことはいくらでもあるなあ。いまだに。
 こないだは「日記の朗読をしろ」と言われた。「作業用BGMにするから」とのことで。なるほど、それは最近のでも昔のでもいいわけだ。今の僕が15歳とか20歳とかの頃の文章を読み上げてるのってなんだかエモーショナルだ。チッとはやってみようかな。解説も入れたりなんかして。
 こういうあまり内容も詩情もない日記はここんとこ珍しい。どうしてもそのどちらかを入れたくなって、そのせいで更新頻度が下がってしまう。昔は「更新すること」が第一義だったので、とにかくパソコンの前に座ってなんでもいいから書き出していたな。それで生まれた名文もある。そういうのがちゃんとアーカイブされている。うれしい。ある程度は気楽にやろう。
 タイトルがセクシーゾーンなことに意味はありません。松島聡。

2020.9.20(日) 千ちゃんへ

 メールフォームからお便りありがとう。アドレスがなかったのでこちらで返信してしまう。古い友達だと、どうやって連絡したらいいかわからなくて困るな。連絡手段は変わっていく。Eメールもすっかり廃れたねえ。みんなLINEか、SNSのDMです。あとはiMessageとSMSかな。
 しかしこのホームページは(一度アドレスは変わってしまったが)ずっとここにあり、メールフォームやBBSもたぶんずっと稼働させていく。覚えていてさえもらえたらいつでもみんな連絡してくれる。その証明を君がまたしてくれて本当に嬉しい。覚えていて、思い出してくれてありがとう。
 せっかくだから書くと、20年前の3月に受験会場で初めて見かけた時のことは、席の位置や教室の空気感も含めて今なお鮮明に思い出せる。焼きついているとはこのことだろう。なぜそんなに印象深かったかといえば、変だったから。変というのは、「受験会場」という場に対して僕があらかじめ想定していた範囲内から少し外れた様子をしていたから。それはその時だけでなく、高校入って仲良くなるまでの期間も、仲良くなって慣れてきてからも、ずっとそうだ。少しずつ僕のすでに抱いている範囲からほんのちょっとずれ続けている。今回くれたメールもそうだった。安心(?)してください。
 そんな偉大な人物が「たまにとても〜〜〜です」というのは、大いに問題である。早急になんとかすべきである。たぶん僕にメールするような行為を(僕にメールすること以外に)たくさんやればいいんじゃないのかね、と無責任に思う。
 端的にいえば節々で僕は千ちゃんのことを「かっこいい」と思ってきたのだ。やりとりした言葉や過ごした時間は実はたいしたことないような気がする(高校の途中でいなくなっちゃったし)けど、印象ということでいえば僕にとってはけっこう巨大で、それが心の中にあるだけで僕もそのぶんちょっとかっこよくいられていると思う。
 なんかそういう胸の中の星みたいなものが常にキラキラしてたら寂しいなんてことはあんまりないと思うんだよね。そちらの人生も今の状況もよくわからないけど。互いにそのように思っている人がもしかしたら何人もいるかもしれないから、それを確かめてみたら健やかになるような気はする。
 僕の話をすればいろんな方をぐるぐる見ながら「すてき〜」とかいって散歩してみる、というような生き方をすることでなんとか辛くならずに生きている感じはあるな。胸の中に星ならいくらでもあるし。それをチカチカさせながら歩いてると良いあいさつだってしてもらえるし。リンゴもらえたりとか。
 僕はいまだに詩をとなえているよ。それをしている限りは問題ない気がしている。

2020.9.17(木) 神様は何も禁止なんかしてない

 神様は何も禁止なんかしてない。なにをしたって自由。本当はフリーなのだ。おじさんが女の子の体に触れることも、神様が禁止しているわけではない。ただ、その女の子の側がおじさんに「禁止」を申し渡すことはできて、大多数の女の子がそう言うであろうからと、今の世の中では原則として「禁止」ということになっている。(追記:こう書いたら、「おじさん」って「あの子は嫌がってなかった!」といった形で、自分は禁止されていないものだと思い込んでいるよね、といった意味の感想がきた。その通りですよね。こっちは禁止したいし、してるつもりでも、おじさんは構わず入り込んでくるよね。だからおじさんと呼ばれてばかにされるのですよね。「禁止」されているという事実がわからないから、距離感を間違えて、踏み込みすぎて、「存在自体がセクハラ」とみなされる。はっきり言って、すべては禁止されているのだという前提を持ったほうがいい。関係というものは、ゼロから少しずつ育まれていくものなのだ。そこをサボってはいけない。神様は何も禁止なんかしてないけれども、目の前のその人は、あらゆることを禁止しているのかもしれない。)
 たとえば仲良しの二人が体を触り合えるのは、双方ともに「禁止」をしていないからである。禁止されていないから、触り合うのである。禁止されていたら触り合えない。
 さて、ここに誰からもそれを許可してもらえていないおじさんがいるとする。四方八方、すべての人間から「禁止」を申し渡されている人間がいるとして、それを解くのはたとえばお金。お金を払って、「他人の体に触れる」ということを達成する。別の方法としては、痴漢やセクハラなどの犯罪がまず考えられる。
「触れる」だけではない。「話す」とか「好意的な態度をとってもらう」ことも、「禁止」されていたら達成できないので、お金を払うしかない。こればっかりは、犯罪の力をもってしてもなかなか達成できない。目の前で拳銃かナイフをちらつかせて、「おい、おれと話せ、おれに優しくしろ!」と脅迫するくらいしかない。
 性風俗はもちろん、キャバクラやガールズバーなどのいわゆる水商売、そしてメイド喫茶をはじめとするコンセプトカフェ、そして地下アイドルといった類はすべて、お金を受け取ってその禁止を解いてあげる、というビジネスである。
 そこには相場というものがある。べつに積極的にそれをしたいわけでもないのに相手に身体を任せたり、気を遣ったり、話したり顔を見たり近くにいたりすることに、だいたいいくら、という金額があらかじめ決まっている、ことが多い。そしてその相場というものは、基本的には買う側が、あるいは買う側と直接交渉をする経営者側が決定している。
 売る当事者が決めることももちろんあるが、それは需要と供給によって決まる。需要と供給ということは、個人同士で決められるわけではなくて、「たくさんの買い手とたくさんの売り手」という全体のバランスから決まっていく。その「産業」における常識が、その価格を決定するわけである。
 そこに搾取構造があることは言うまでもない。女の子たちは誰かが決めた相場の中で売り買いされる。現状さまざまな「禁止」を解くために必要な額は、「適正価格」ではない、というのが僕の見方である。

 男たちは、できるだけ「禁止」の解除を安くしたいのだ。もっといえば、女の子に回るお金を安くしたいのである。買う側は安ければ嬉しいし、売る側(女衒)はできるだけ高く売りたいが、できるだけ女の子にお金は回したくないと思っている。自分たちの取り分を多くするために。
 たとえばガールズバーやコンカフェで女の子と話すために必要な額が、一時間につきたとえば3000円で、そのうち女の子が受け取れるのが1000円や1500円くらいだとしたら、そりゃ安すぎる。女の子の仕事は「話す」だけではない。「相手を不快にさせない」とか「気を遣う」とか「笑顔でいる」とか「目を見て話す」とか「嫌そうな顔をしない」とか、場合によっていろいろあるのかもしれないがともかく「気持ちよくさせる」ということが必要になる。指名や「推し」という概念のある店ならば、「リピーターになってもらう」ために心血が注がれる。
 その時給が1000円や1500円というのは安い。それがたとえ3000円や5000円になったとて、適正とは思えない。キャバとかだとLINEなんかで営業もするわけだし、SNSもがんばるし、いろいろ気を遣って客の誕生日覚えたり好きなアニメ覚えたりするわけでしょう。そもそも女の子とLINEで言葉を交わすことさえ本来は「禁止」されているというのに、たった3000円や5000円で「人付き合い」を買えるなんて、おかしな話である。

「禁止」は「禁止」なんだから、それを解くための適正価格などない。お金でそれをどうにかしようなどというのは人権の蹂躙だし、女衒の発想。
 僕が「不当に安い」と訴えるのは、「適正価格などない」ということでもある。りりちゃん(何度か日記に書いています)という女の子がやっているように「夢も希望もないサラリーマンたちに色恋を仕掛けて何百万円もいただく」というのは、「適正価格などない」ということの証明であるように思う。ある種のおじさんというものは、若い女の子との色恋に目がくらめば、借金でもなんでもして限界までお金を出してしまうのだ。それをうまいこと、一度に数千円から数万円程度でそこそこの満足感を得られるように編み出されたのがキャバクラ、ガールズバー、コンカフェとか地下アイドルといった業態なんじゃなかろうか。
 もし世の中にそういう商売がなかったら、おじさんたちはどこへいくのか。「働いている女の人」ですよね。コンビニ店員でも銀行員でもなんでもいいけど、とにかく理由をつけて話しに行くのでしょうね。そういう営業妨害を防ぐために、水商売とかは存在しているのかもしれない。あるいはシンガーソングライターのライブに行ったり、美術やパフォーマンスをやっている女性のところに出没する。
 とにかく「自分より立場の低い相手ならば、自分のことを邪険には扱わない」というたった一つの法則に従って彼らは生きている。彼らは女性と話がしたくてたまらない。だからなんとか理由をつける。お金を払って「禁止」を解いてもらおうとする。「こちらはお金を払う立場なのだから、相手は自分に優しくしてくれる」という確信を持ってやってくる。
 女の人と話す、好意的に接してもらう、ということを、彼らは本当に、何よりも求めている。しかし忘れてはいけない。それは「禁止」されていることなのだ。お金を払うことによって、一時的にそれを解いてもらっているだけなのだ。そして、お金を払ったからその「禁止」が解いてもらえる、という構造は、女の人を「女の人である」という理由のみで搾取するという構造に他ならない。お金で買ってる、という意味ではメイド喫茶とソープランドはまったく同じだと思う。

 実は「お店」や「お金」から離れても似た構造がある。「優しくせざるをえない状況」を利用して、「話す」とか「近づく」といった親密な状況を達成しようとするのは、すべてこれ。パワハラに代表される「〜ハラ」というものの大部分が該当すると思う。
 これはもう、究極には力の問題にもなる。明らかに腕力や権力の大きそうに見える相手に対しては、弱い側は、なんとなく優しくせねばならないような気持ちになるものだ。それが癖になっている人もいる。だから飲み屋でクダ巻いてる、なんの利害関係もないはずのおじさん相手にも、うんうんと優しく話を聞いてくれる女の子が存在するのだ。(そしてその事実が、そういう人たちをつけ上がらせる。)
 もちろん、それを癖にすることには得もある。おじさんに気に入られると得があるのだ。直接的、間接的にお金を払ってくれるからだ。あるいは、「私は人から(おじさんから)好かれる」と、自分で思うこともできる。それが得だと思えば、得である。もっと善なる発想をすれば、「それでおじさんの気分がよくなるならいいことじゃない?」というのもある。この素直な気持ちは、けっこう多くの人が実際持っているとは思う。ただ、同時にこれまで書いてきたような搾取構造も存在する。一筋縄ではない。「おじさんの話もよく聞けば面白い」というのも、場合によっちゃ多少はあるかもしれない。

 いずれにせよ、その関係はアンバランスだと思う。「禁止」というものが解かれていく鍵が、お金であったり、損得勘定や忖度であったり、哀れみであったり、諦めであったり、暇つぶしや一方的な善心であったりするのは、楽しそうじゃない。
「禁止」されていることを、解いてもらおうなどという発想がそもそも間違っている。ゆっくりと仲良くなって、少しずつ距離が縮まっていって、いつのまにかコタツの中で足を乗っけてても大丈夫みたいな関係になる、っていう、そういうプロセスをフツーに経ないと絶対にだめ。そこをサボろうとする人たちが「おじさん」って呼ばれてバカにされるんだと思う。
 サボるってことはここでは「搾取する」と同義なわけだから、反省したほうがいい。
 ただ自分が魅力的でいて、かつ「仲良しの発想」を単純に持って人と接すればいいだけの話だと思うんだけど。それができないから、もうお金を使うしかないという事情は、非常によくわかる。だけど、そっから出ていかないと永遠に人と仲良しにはなれない。すなわち、モテない。

「神様は何も禁止なんかしてない」という、すばらしい美しい仲良しの状況を、自然に作りあげられるようでなくてはならないんです。

9.16

‪「ふつうのことば」がすきじゃないのですが‬
‪「ふつうのことば」てのはありふれてるから「ふつうのことば」なわけで‬
‪ふつうに生きてれば「ふつうのことば」は湧きいでてまいります。‬
 そこを自覚し、「ふつうのことば」を差別し、できる限り排除しております。僕は。
 オリジナルの言葉が、たまたま「ふつうのことば」と同じようなものになることはいくらでもありましょうが、
 いつだって「ふつうのことば」でない言葉を選びたいのです。そうなってしまうことを、全力で止めたい。
 将棋のすべてがもしAIによって明らかになっても
 言葉のすべてはまだまだかかる。
 違う手筋をいつだって研究していたい。
 生きるとか、考えるとか、時間とかだって、同じこと。
 ではありふれているような言葉や、生き方や、考え、時間というようなものは、存在すべきではないのか?
 そこを含めて言葉にし、生き、考えていくわけだ。そういう時間を愛していこう。
 7六歩や2六歩はすごいもんね。ありがとうとか、こんにちはみたいなもんで。
 それは僕だって嫌いじゃない。
 かといって誰もわからないようなオリジナリティ高すぎる言葉もどうなんや? ってのもあって
 結局はそのグラデーションの中でいかに芸術的に、かっこよく気持ち良くやってくかってこと。
 それがもうちょっと、オリジナル寄りのほうになるといいと思うのだ。
(びーじーえむ かにばりずむ クライベイビー)
2020.9.1(火)〜3(木) 長野・上田・小諸・諏訪・甲府

 長野市の西端から犀川と19号をまたいで川沿いに南下し、県道70号にぶつかったら東へ朝までまっすぐ。稲荷山駅のあたりを過ぎて栗佐橋で千曲川を渡る。思わず、橋の上から見える景色を風の中メモ帳にペンで写しとった。これがほんとの「千曲川のスケッチ」! なんてして。
 いま「朝までまっすぐ」と書いたけどこれは嘘で、あの有名な小説『ピーター・パンとウェンディ』から。ピーターの住む場所(すなわちネバー・ランド)へ行くには、"Second to the right," "and then straight on till morning." なのである。
 千曲市内で酒屋を転々とし、ウィルキンソンのビンのトニックを探す。見つからないので次点の辛口ジンジャーエールを購入。これを坂城町から上田市に入る境界のところで飲む。これらは友人のトルコロック氏が生前よく僕のお店で飲んでいたもので、なんとなく彼の象徴のような気がしている。彼は上田の出身で、とても故郷を愛していた。彼のTwitterを「上田」で検索してみたら、愛あふれる投稿が山のように出てくる。旅の参考にもなった。ありがとうございます。
 トルコロックさんはアルコールによって亡くなった。僕はお店の人間として、彼が飲んではいけない身体と知って以降は一度もお酒を提供していない。(初来店のときに10杯くらい飲ませたのを覚えているが、その時に彼がどういう時期だったのかは今も知らない。)直接的にアルコールを出したことはなくとも、間接的にアルコールを恋しくさせた可能性はある。だから少しは僕がトルコロックさんを殺したのかもしれない。ただ誰だって誰かをほんのわずかずつ殺しうるのだし、同様に誰かを生かしうるのだという意味でいえば、僕とトルコロックさんの間にはその両方があっただろうと思いたい。うちでおいしいトニックウォーターを飲んだおかげで救われていた面もあるはずで。
 上田にいる間といわず、この旅ではけっこうずっとトルコロックさんのことを考えていた。訃報が届いたのは2年前の8月29日。もうそんなに経つのか。死んだ友達のことは、好きであればあるほど忘れない。あたりまえだけど。僕は西原夢路くんのことをものすごく好きだったんだろうな。オイちゃんのことも。ほかにも何人か心に浮かぶけど、軽率に名前を出せるほど愛し合ってはいなかったのだと思う。

 千曲川と18号線と、しなの鉄道が並走する。その狭間のできるだけ小さな道を選んで走る。交通量の多い道は、事故も排気ガスもいっそう恐ろしく、しかもなんだかより暑いような気がする。曇りがちな天気で助かったけど、日が出れば灼熱だった。
 上田の中心部に着いたのは14時過ぎくらい。コーヒーの一杯でも飲みたい。しかしほとんどゴーストタウンである。このあたりは感染者数がとみに増えていて、多くのお店が休業したり、予約のみの営業となっている。街じゅう貼り紙だらけであった。行きたいと思っていた喫茶のうち「ニュービーナス」は「自粛休業」、「コロナ」は「感染予防のため休業」とのこと。どうやらどちらもカラオケを扱っているお店みたいだし仕方ない。
「木の実(このみ)」という喫茶店に入ってみる。実にすばらしい。こんなに良いお店が上田にはあるんだなあ、と感動。霊的な本が並んでいたり、カブトムシの標本が飾られていたり、鈴や絵馬とかが大量に天井からぶら下がっていたりするけど、総合的には渋い喫茶店で、近所のおばあさんたちが店主(こちらもおばあさん)とお話ししていたり、高校生くらいに見える若い人たちが二人でやってきたり。「いまは20時まで」というような声が聞こえてきたので、いつもはもっと遅くまでやっているということか。よく見れば赤星ことサッポロラガーが冷蔵庫に入るだけパンパンに入っていた。今度飲みにいこうね。そしてコーヒーは180円。耳を疑いましたよ。ちなみにサイフォン。
 次いで「故郷」というお店へ。扉は開いているがつっかえ棒でナナメに固定してあって、ひらいているのか閉ざされているのかわからない。「営業中」という札はかかっているが、中は真っ暗で物音ひとつしない。こりゃ大変だぞと思っていると、おじいさんの姿が見えた。無地の白い半袖の肌着に、かわいらしい柄のももひき、そこへ前掛けをつけていて、きっと店主だろう。声をかけてみた。「やってますか?」「やってますよ」というわけで自転車を停めて中に入った。
 おじいさんは電気をつけて、やや大きめの音で歌謡曲を流すと、長い長いお話を始めた。言っていることの何割かはわからなかったけど、どうやら最近、お店の中心人物(「ボス」と言っていた)であった奥さんが亡くなったらしい。人口問題をはじめとする世の中のさまざまなことをお話ししてくださった。そしてゆっくりと準備をしてくださるのだが、感動したのは、彼が店主としてまずしたのは「帽子をかぶる」ことだったのだ。
 白く薄い肌着にかわいいももひき、しかしそこへ前掛けと黒い帽子を身につければ、もう彼は「マスター」なのである。なんだか知らないがものすごく感動してしまった。少しよれよれだけど、中折れ帽の一種だろう。全体に小さなつばがあって、それをくいっと上にあげている。かっこいい。
 なぜ僕が感動してしまったのか、というと、たぶん彼が祖父に似ていたからだ。顔がというのではないし、話す内容も違うんだけど、格好とか、ずーっと喋ってるところとか。うん、喋り方かな。うちのじいちゃんは松本の人で、方言もだいたい同じなのだ。そして帽子が好きだった。こないだ棺桶に入れたくらい。奥さん、つまり僕の祖母が喫茶店をやっていて、そこに用もなく顔を出して、お客さんにちょっかいを出しては叱られていた、うちのじいちゃんの姿を、完全に重ねてしまった。勝手に。ああ、そうなのだ。あの喫茶「駒」にもカウンターがあって、その後ろにテーブル席があって、ちょうどそのあたりに僕はいま座っているのだから。
 コーヒーの載ったお盆がテーブルに届いた時には、入店してから25分は経っていた。なぜそんなに時間がかかったのかといえば、どうやらゆで卵を作ってくれていたのだ。お盆には、コーヒーと、昆布茶と、アツアツのゆで卵が二つ。そしてでっかい塩の筒とティッシュ箱が添えられた。こりゃすごい。ゆで卵をむいて食べる。当然、おいしい。コーヒーを飲む。ここで僕はものすごい驚いたのだが、どうやらそれは上田・小諸地方に特有のことらしいと後に判明(というか判断)する。コーヒーがまるで麦茶みたいなあっさりとした味なのである。あったかいので、ほうじ茶っぽい感じもする。また独特の香ばしさもある。しかし味の核は麦茶。そのことについて詳しくは後述するが、この時点では「大丈夫か? このコーヒー?」と思っていた。昆布茶はちょっと梅っぽくておいしかった。
 その間、マスターは何やら作業をしている。まだ何か来るのか、と思ったら来た。今度は甘い紅茶。サービスまんてん。こちらもおいしい。すばらしい。大満足してお会計するに、300円と。上田、価格崩壊。
「故郷」に小一時間いてしまったので、若い人たちがやっている本屋とか雑貨屋とかそういうのはチラ見するだけになってしまった。なにせ18時には小諸の山奥にある宿泊先に着いていなければならないのだ。夕食があるから。
 最短距離ならまた18号線沿いに走って小諸駅周辺から山に登っていくべしと思われたが、芸がない、つまらん、しかも怖い、というわけで、やや南寄りの旧北国街道からやがて千曲川の南側へ渡り、千曲ビューラインという道路を経由し北陸新幹線の真上(!)を二度も横切って、宿のある御牧原まで行ってしまおう、ということに。そしてこの道が最高だった。楽しかったー!
 上田から距離にすると20km程度だったけど、けっこうな山道な上にろくに整備されていないような道もあり、すでに炎天下で峠を越えてきた身としてはまあまあ大変だった。いまパンクしたら終わりだなー(いちおうチューブや空気入れなど修理道具は持ち歩いているが)と思いながら、ニヤニヤと登って行った。そう、僕は『弱虫ペダル』の主人公である小野田坂道くんと同じく、坂道を走るとニヤニヤしてしまうのである。(高校時代の友人たちも証言してくれよう。)
 それで18時ぴったりに宿に着いた。書いている僕もくたびれたのでつづく。


(執筆再開)
 つづきまして。宿は「茶房 読書の森」という山奥の喫茶店。御牧ヶ原という台地の上にある。見晴らしのいい景色から林の暗い小道をしばらく入ったところ。一度は通り過ぎてしまったが、少し戻って道路から急な砂利の坂を自転車押して登ったところに建っていた。
 玄関の前に自転車を倒し(スタンドがついていないのだ)、お店の中を覗くとご主人が顔を出す。時はまさに18時00分。ご挨拶をしたのち改めて自転車を軒先に立てかけさせていただいた。中に入って記帳し、簡単で事務的な案内を受ける。もうこの時点で、僕はこのご主人のことを好きになっていた。まことに事務的な、あとから考えればあまりにも極端に事務的だったその振る舞いは、なぜかそのために十分だったのである。数時間後、彼と話す中でその秘密が少しわかる。
 60歳前後のご夫婦がここの主。僕が泊まるのは母屋の横にある離れで、前情報によるとご主人が自身で作ったらしい。お手洗いも空調も何もない、ただの小さな四角い小屋で、網戸はあるものの虫は入り放題。外から鍵もかけられないが、特に問題はないのであろう。そのような手製の小屋が敷地内にいくつかあり、それなりの人数が一度に泊まれるようになっている。
 すでに夕食は用意されていたが、「先にシャワーをすませたらゆっくりできますよ」というすすめにより、まずはお風呂へ。確かに、汗は早めに流したい。さっぱりしてから喫茶店のほうに行くと、もう一人のご夫妻ともう一人のお客がすでに箸を持ちビールを手にしていた。(と書くと両手の埋まっている絵が浮かびますな。)
 事前のメールで「夕食は多少のお飲み物をお付けして2000円」とあった。山奥の喫茶店の食事が2000円とはそこそこの値段だなと思って、ははあ「多少のお飲み物」というのはたぶん、「たっぷりのお酒」が含意されているなと予想していたら、まさにその通り。缶ビール(正確には黒い発泡酒)がふた缶ばかり目の前に置かれていた。宝焼酎の麦茶割りも無限にごちそうになった。麦茶割りというのがポイントである。昼間に上田の喫茶「故郷」で飲んだコーヒーの件を思い出していただきたい。まるで麦茶のようであったあれ。どうも東信では麦茶に縁がある。
 山の幸を中心としたたらふくのご飯をいただき、お酒もよい感じにまわった。主夫妻と、もう一人のお客と四人で、四時間くらいは話した。そのうちの何をここに記したら良いかわからない。ともかく言えるのは、僕が主人に対して抱いた第一印象はまったく間違っていなかったらしいということだ。
 どこまで書いていいものかわからないが、これを読むであろうほんの三十人ほどの読者のために少しだけ詳細に試みる。彼はつい最近までこの山奥で塾を開いていた。こんな立地もあってマンツーマンの指導が多かったそうである。おそらく20年以上続けてきたその営みには、一貫して守り通した形式があった。それは、授業の始まりを毎回、同じ言葉で始めるということである。言葉だけでなく作法まである程度定まっていたらしい。向き合ってきっちりと座り、丁寧にお辞儀を交わして始め、終わるときも同様に襟を正し、屋外に出るところまで一通りの様式があったそうだ。誇らかに教えてくれた。毎回のその繰り返しこそが、その塾の真髄であったと僕は受け取った。それはもちろん、僕が初めてここに足を踏み入れた時の、あの態度と完全に重なる。おそらくは毎回ほぼ同じ、事務的に過ぎる案内の中に、「襟を正す」という姿勢がしっかりと宿っていたのだ。礼に始まって礼に終わる、武道の精神とたぶん近しい。
 そういう人であるから、饗宴の愉しからざるはずがない。ちびちびと、しかし確かにがぶがぶと酒飲みながら、柔軟に、そして可能な限り正確に言葉を受け取っては考え、発していた。しかも前を見ていた。まったく、そのように生きていなくてはならない。書くまでもないけど奥さんも本当に素晴らしい方だった。


(執筆再開)
 翌朝、朝食とコーヒーをいただいた。「信州一おいしい」と主人の豪語するその味は、もちろんおいしかった。同時に、やはり麦茶のようでもあった。昨日上田で飲んだ、あのコーヒーと同じ系統なのは間違いない。この時、「故郷」という古い喫茶店の(異様に薄いと感じた)あの味は、決して特殊なのではなく、東信地方のスタンダードだったのではないかという発想が初めて生まれた。そしてご夫妻も「故郷」のファンだと言う。昨晩の「焼酎の麦茶割り」も思い合わせ、「信州と麦茶」というテーマが胸の真ん中に座った。松本市出身の僕のお母さんもそういえば、家の冷蔵庫に常に麦茶を作り置いている。(こんなこと地域を問わないだろうことはもちろんわかっているが、それを結びつけたくなるくらいに僕は興奮していたのだ。)
 周辺を散歩などしたのち、ポストカードを買い、つけペンを借りて、神戸に宛ててお手紙を書いた。麓の郵便局で差し出す。小諸駅までは下りばかりだと思っていたが意外と登りもあって、暑さもあって結構疲れた。駅周辺を散策したあとは夜までに山を幾つか越えて諏訪まで走る予定である。もうお昼近くなっていてお腹がすいたので、食事のとれそうな喫茶店に入ってみた。小諸を代表する漫画家、故・小山田いく先生にゆかりのある「アモン」というお店。地下に続く階段の入り口にもう先生のイラストがたくさん掲示されていた。そのライトなノリと洋風の名前からして、もうちょっと気取った、洒落た店内を想像していたらやや違った。客席は低めのソファで、座面と背面に座布団が設置されている。いや、詳しい構造がわからないので確実ではないが、「座布団をうまく駆使してソファのように見せかけている」のかもしれない。卓によって違うような気もする。また行ってたしかめなければ。いずれにせよ、重要なのは座布団。僕が勝手に呼んで愛でている「座布団系喫茶」にあてはまりそうだ。クロスの張られたテーブルの上に扇風機が載せてあったりなど、いろいろと味わい深い。一瞬で大好きになってしまった。
 店内を埋め尽くすように小山田いく先生や、その弟であるたがみよしひさ先生のイラストや資料が飾られている。また小諸を舞台としたアニメのコーナーもあったと思う。ほかにお客はなく、お店の方がいろいろとお話をしてくださった。「小山田いく先生のファン?」とたずねられたので、読者ですと答えるとさらにさまざま教えてくださる。チラシを数枚と、先生の生写真をいただいた。来客者用のノート「すくらっぷブック」(やっぱこの名前ですよね)も記帳した。ナポリタンを食べ、コーヒーはここでは飲まなかった。
 階段を上がって地表まで見送っていただき、自転車に乗るふりをしてすぐそばの「花川堂」という喫茶店に入った。同じ名前の洋菓子屋さんと店内でつながっている。カウンターが4席にテーブルがふたつくらいのごく小さな空間。ここでもコーヒーではなくレモンスカッシュを注文した。内装も調度品もコースターもグラスも何もかもすばらしい。店主のおじ(い)さんもお客のおばあさん(なぜかこの二人、僕がお店に入ろうとした時にはお店の外に立って空を見ていた)もとても感じのいい人たちだった。レモンスカッシュのレモンにカビが生えていたのでそっと取り出し、飲み干したあとで戻した。できるだけカビを体内に入れたくはないが、僕は宮沢賢治の『雪渡り』というお話を愛して育ったので出されたものはまず食べるのである。昨夜の夕飯もお酒も、膨大な量だったけど一つ残らずたいらげた。
 おばあさんはカレーを注文して、おいしいおいしいと喜んでいた。そして食べ終わったころ僕に「お兄ちゃんケーキ食べる? ごちそうしてあげるよ」と言った。そして僕はこういった施しをできる限り受けると決めている。「いいんですか? ぜひとも」というようなふうに答えて、とてもすてきなおいしいケーキをいただいた。赤玉子のような色したまんまるいヨーグルトの載ったタルト。お皿もとりどりの色の交差するチェック柄でかわいかった。「マスターの作るケーキは本当においしいのよ」という通り、本当においしかった。さすが老舗の洋菓子屋さん。何度もお礼を申し上げる。僕は好青年である。
 そしてつい思うのだ。もしも僕がレモンスカッシュを飲まなかったり、ドリンクの取り替えを要求していたら、このケーキはいま目の前にはないのかもしれないと。そもそもそんな程度のことを問題にするような人間ならばこんな旅はしないしこのお店にも入らない。僕がこのような人物だから、いろいろと事情が総合されて目の前においしいケーキがやってきたのだ。つまりこのケーキは僕のこれまで生きてきた人生の一つの総決算であるし、現在の僕の肖像画でもある。鏡を見ているようなものなのだ。
 小諸の町をぐるぐると自転車で見てまわり、もう一つ小山田いく先生のイラストが置かれていると聞く喫茶店に行ってみた。それなりに新しいお店と見える。店員さんもお客もかなり若い。「自家焙煎」を売りにしていて、コーヒーの味にはかなり力を入れているらしい。このお店で最もスタンダードなものを飲んでみた。これが麦茶であったなら、僕の仮説はかなり強化されるわけだ。果たして、それは「かなり香りのいい麦茶」であった。大いなる満足を得てすぐにお店を出た。
 極め付けは「いけの」という、たばこ屋と一体化した古い古い喫茶店。ここはすごかった。アイスコーヒーを頼みましたらば、なんと氷抜きで出てきたのである。コップに冷たいコーヒーがそのまま注がれているだけ。飲んでみると、うむ、もちろんそれは、ほとんど麦茶なのである。おうちで麦茶飲むときって、氷とか入れずに冷蔵庫から出してそのまま注いでぐびぐび飲むと思うんだけど、まさにその味。もちろんコーヒーの香りはするけれども、麦茶だってそれなりには香ばしいのだから脳は半分くらい「これは麦茶だ」と認識していた。やはり東信のコーヒーは麦茶だ、と思う。ご意見、ご経験談をお待ちしております。
 宿で懐古園(小諸城址)の入園券をいただいていたので、ちらりと見る。おお、これが「小諸なる古城のほとり」というやつか。ちょっと感動。あまりゆっくりはできなかったので、今度また。

 準備運動して自転車にまたがって、ふたたび山を登り、宿に戻る。小諸から諏訪に至るにはどうせこの道を通るからと、実は荷物を預けていたのだ。午後3時40分くらい、炎天下。喉が渇いて仕方なかったので、お水と麦茶を1杯ずついただいた、かな。たしか。ついでに昨夜見せていただいた「高原」という雑誌(復刻)の、佐藤春夫のページだけパシャっと撮らせていただいた。必ずまたここに来るぞと誓って、軽い別れを告げてふたたび出立。
 この時点ですでに標高は800メートル前後。諏訪までの行程をGoogleマップで調べてみると、距離としては52kmほどだけれども、「(標高)1806メートル登って1820メートル下ります」と表示がされていた。もちろん標高2600メートル地点まで上がるという意味ではなくて、登ったり下ったりした累計。にしても、ほんまかいな。調べてみると諏訪湖の標高が759メートルとのことなので、意外と正確なのかもしれない。
 これから大きな峠を二つ越えるのだが、最初の笠取峠は標高900メートル、諏訪寄りの和田峠は標高1531メートル。峠と峠の間はもちろんへっこんでいるわけだし、その間にもアップダウンはけっこうあろうから、合わせて1800メートルもない話ではない。走ってみた感想としては、たぶんそのくらいあったと思う。目的地であるすわっこランド(温泉)に着いたのが21時前だったので、52キロを5時間近くかけて走ったことになる。下りはブレーキかけてても時速30kmくらいにはなるけど、勾配のきつい坂になると歩いたほうが早いくらいの速度でしか登れなかったりするし、止まれば時速0kmになるわけだから、総合して「1時間に10km進む」は順当。急げばもっと速いのかもしれないが、安全第一と体力温存を心がけたのと、後半は血迷ってずっとツイキャス配信をしながら走っていたので、ゆっくり走った。でもそれが本当によかったな。たぶん後述。ちなみに僕は平地でも「1時間に15km進む」を基準に計算している。実際は時速20〜30kmくらいで常に走っているわけだけど、信号もあればご飯食べたりコンビニ寄ったり、景色みたり地図みたりネットみたりもするので。

(執筆再開)
 結論から言って、まったく問題を感じない峠越えだった。ただ和田峠の旧道に街灯が一切なくて暗かったのと、路面状態が悪かったのと、たまに対向車がやってくるのがだいぶ怖かった。実はこの時、後輪のゴムがだいぶはげてきていて、スリップやパンクの可能性がやや高まっていたのだ。しかし体力と筋力に関しては、疲労や疲弊をほぼ感じず、ただ清々しさに満ちていた。前日それなりに走った割にはぜんぜん消耗しなかったし、次の日もピンピン歩いたり走ったりできた。なんだこんなもんかと拍子抜けした。一気に何百キロも走るんでなければ、まだまだ断然いけるのだなあ。
 僕は筋トレしない(しても続かない)し、自転車も近年1日に8km程度、たぶん年間で3000kmくらいしか乗っていない(かつては年間8000kmくらいは乗っていた)。運動量の減少と加齢によって、間違いなく体は衰えているはず。しかし自転車で峠を越えるという段になったら、10年前と特段変化を感じない。これはいったいどういうことかといえば、たぶん技術と心がまえ。
「安全第一と体力温存」と書いたけど、これは「無理をしない」ということで、「無茶をしない」ということ。すなわち「体力や筋力を無駄に消耗させない」ということである。そのためにあらゆる工夫を、全身で凝らしている。そのことが今回まさしく肌でわかった。
 身体が勝手に動いているのである。ロードレーサーというのはドロップハンドルという、前方でクルンと回る奇妙な形のハンドルがついているのだが、このハンドル、ざっくり分けても持つ場所が四箇所くらいあって、その持ち方を、ほぼ無意識に、終始変え続けながら走っているのだ。今のこの状況なら、ここを持って走るべきだ、というのを、およそ数秒単位で判断し直して、サッ、サッ、サッ、と持ち替える。変速器も適宜切り替えるし、漕ぎ方も変える。姿勢も常に変わる。細かいところでいえば、肘がずっと動き続けている。この動きはまるで不随意筋ではないかと思うくらい、まったく意図せずに勝手に、自然に動く。たぶん肘の位置によってごく微妙に重心の位置を調整したり、ショック吸収に努めたりしているのであろう。サドルとペダルとハンドルと、どこにどのくらい体重をかけるかというのもずっと考え続けている。頭と身体が、両方で。おお、まさに『ふたつのこころ』。
 羽生善治さんがどこかで、「若い頃よりも読める手数は減ったけれども、読まなくても良い手がわかるようになったので、棋力(将棋の強さ)は変わらない」というようなことを言っていた。エンジンとかCPUのパワーは衰えていても、動かし方の効率を上げてさえゆければ、得られる結果は悪くならない。熟練とか老練と言うのであろう。将棋でも自転車でも、たいていのことはなんだってきっとそうだ。歳をとれば必然的に弱まってしまう部分はあるが、そのぶんの時間をかけてほかの部分が良くなっていったらいい。若さに特有の美はやがて失われていくのだろうが、そのかわりに優しい表情を得られれば良い、みたいなことか。
 坂道を登っていく。日が暮れていく。半袖に短パンだったが、このあたりでヒザ・サポーターを装着する。標高が上がれば温度が下がり、膝が冷え、関節に負担がかかるので、温めたほうがいい。ただでさえ登り坂での踏み込みには膝を使うのだ。こういった知恵も経験の賜物。

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