少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
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2016.10.26(水) お茶の淹れかた
お茶の香りがしてる
その中に立っていた茶柱が
マッチに見える
静岡茶とか鹿児島茶とか伊勢茶だとか言うけれど
そんな言葉に興味はないぜ ただ鉄の急須でお茶淹れて
揺らしてるだけ 自分の湯飲み 揺らしてるだけ
(BLANKEY JET CITEA/お茶の淹れかた)
現実的なこだわりとしては、大須の万松寺通り商店街にあるお茶屋さんか、掛川か清水あたりかで静岡茶買ってくる、ってのがあるけど、そういうことさえも本当はどうでもいいのだと悟った。
お茶に貴賤なし。改めてそう思う。
先日「お茶(緑茶)は上手に淹れられないからあまり飲まない」という言葉を聞いた。そういう人はけっこう多いと思う。
お茶をそれなりに美味しく淹れるのは実際のところ、全然難しくない。清水に住まう友達のお母さんに「おいしいお茶のいれかた」をたずねたところ、「温度よ温度。たくさんお茶っ葉を淹れて、ちょっと冷ましたお湯を注ぐだけよ」とのお返事があった。毎日何度も何度もお茶を淹れ続けている(静岡人は急須……いや土瓶のお茶を切らすことがないのである)人の言葉はじつに説得力があった。ずいぶん肩の荷が下りたというものである。
しかしこの「温度」というのがじつにくせ者で、忙しく面倒くさがりの現代人はつい「熱湯のまま注げる」手軽さに惹かれ、紅茶やインスタントコーヒー(特に粉末のやつ)を好む傾向にある。お茶を淹れるために、お湯をさます、あの一手間が手間なのだ。急須で淹れれば急須を洗う必要も生じ、これまた手間である。それら手間を引き受けて淹れた割りには、さほど美味しくもないのだとしたら、やはりお茶からは意識が遠のく。避けてしまう。
僕からしたらコーヒーというのがそういう存在である。手間がかかるわりに、おいしくできない。自分にはコーヒーをいれる才能がないのかもしれない。しかしいつかおいしいコーヒーが自分でいれられるようになりたいので、冬休みにでも馴染みのある名古屋の喫茶店で修行させてもらおうかと考えている。
ただ、お茶にせよコーヒーにせよ、おいしく淹れるための唯一最高の方法を最近悟った。愛するということである。
どのお茶も愛すること。愛し続けること。お茶に貴賤なし、と思うこと。うまいか、まずいかさえ考えず、ただその目の前の一杯のお茶を愛して飲み続けること。
きれいごとを言っているようであるが、どんなことでも結局はそうなのではあるまいか。
おいしい・おいしくないなんてのはどうでもいいのである。ただお茶を愛して、飲むのである。おいしければ「おいしい」と思い、おいしくなければ、特に味のことは思わない。そしてまた次の一杯、次の一杯と、淹れ続け、飲み続けるのだ。
徒然草の「初心の人、二つの矢を持つことなかれ」だとか、『モモ』のベッポじいさんの掃除のやり方なんかが似たものとして思い浮かぶ。ただ目の前のことだけに集中する。それが「一期一会」なるものなのだろう。……適当に考えていたら利休にたどり着いた! ので、たぶんそれなりに妥当なはず。
味がなんだろうがお茶はお茶。茶葉が古くなって香りが損なわれていようが、それがお茶である限り、お茶として愛する。それがあらゆることに対する心構えとして、一定の正しさを持つものと信じたい。
2016.10.25(火) 場の支配(2) 法の支配のように/未来に対して優しい態度
王様「グヘヘ~。国じゅうの柿をわしのものにするぞ~。柿をとりたて~い。柿じゃ柿じゃ」
側近「なりませぬ、陛下」
王様「ええいなぜじゃ」
側近「ほかの柿が食えなくなります、じゃなくて、そんな超法規的なことをしても、いいことはありません。現行法では、国税はすべて桃で納めることになっています」
王様「では法律を変えい! 桃3、柿7の割合で徴税するのだ!」
側近「ううーん、しかし……」
王様「なんじゃ、法律を変えれば文句なかろう」
側近「それはそうなんですけど、お治めが王様になっている、じゃない、王様がお治めになっているこの地方では、五億年前から、支配者や目上の者には桃を差し出すべし、柿は猿に投げるべし、という慣習があるんですよ。五億年間、民衆はただそれだけは絶対に守り続けています」
王様「しかしわしは絶対君主だ」
側近「確かにそうたい。ばってん、絶対君主でも侵せない法があるのですよ」
王様「それではどうすればいいのだ、柿が、柿が食いたい!」
側近「王様が猿になればいいんじゃないですか」
王様「カッキ的!」
ざっくり、ざっくり言うと、「法の支配」とは根本的にはこういうことかと、理解しております。絶対君主であっても侵せない法。それは必ずしも明文化された「法律」というものでなく、長い間、ないし多くの人々のうちで、共有されている自明な法。
それをもじって、「場の支配」。
場にはけっこう、場を取り仕切る人、というのが存在する。
場を取り仕切る人は、「場の支配」をわきまえていなければならない。場を取り仕切る人は、その人がどれだけ偉くて、権力があっても、その「場」のあり方を尊重しなければならない。絶対君主のように、「ここの法律は俺だ!」というような態度になってしまっては、そこはもう「場」とはいえない。(そのようなものとして僕は場なるものを想定している。)
僕がこれまでに経験した、「いやだな」と思う場には、たいてい「専制君主」と「愚民」がいた。
専制君主は、場を侵す。自分勝手に、場を塗り替えようとする。愚民は安易にそれに乗る。あるいは耐え忍ぼうとする。そうなれば衆愚政治である。
法とは、みんなでつくるもの。「みんな」とは、今その国に生きている人たちだけでなく、過去生きてきた人たちや、これから生まれてくる人たちも含めての、「みんな」。そう考えることが絶対に健全だと僕は信じる。今だけでなくて、過去と未来に目を向けること。それは大切。
そして場というものも、法と同じく、「みんな」でつくるものである。過去にそこにいた人や、これから来るかもしれない人も含めた、「みんな」のもの。その場にいる人たちだけで、勝手につくったり、塗り替えたりしていいものではないのだ。価値観の古い人間だから、どうしてもそう考えてしまう。
そうなっていて初めて、僕の考える「場」というのは成立するのだ。
『場の本』という冊子にも書いたが、僕がしつこく言い続けている「場」というものの原点は、小学生の頃に遊んでいたいくつかの公園である。たまたま通りがかって、「あ、入る?」とか「入れて」が発生すれば、よほど嫌われていない限り、一緒に遊ぶことになる。この柔軟性、流動性こそが、「場」というものの根源的な性質、だと僕は捉えている。
公園の遊びは、何代も上の人たちから受け継いだものがほとんどで、それに今の世代が味付けをしたり、新しいものを編み出したりして、時代に対応したり、豊かになったりしていく。過去からずっと、繋がっている。(それが明らかに途切れた、と感じたのは、ポケモンが出た時だったが、それも大きな意味では「時代に対応」だったのだろう。わからんでもなかったが、イヤな時代が来たもんだと、当時は思ったものだった。「あまりにも伝統とかけ離れすぎている!」と。まあこれについては異論もたくさんあるだろう、たんなる個人的な感想として受け取ってほしい。)
そして未来にも、繋がっていく。
たとえばサッカーをして遊んでいる時に、新しいメンバーがやってきた。そのメンバーは、何らかの事情があってサッカーができない。そこで「いまサッカーやってるんだからダメだよ」と言うこともできるが、それは「未来に対して優しくない態度」である。現在だけを大切にした考え方。場における、未来に対して優しい態度というのは、「新しい人が来ても受け入れる態勢でいること」だと思う。「この子はサッカーができないから、別の遊びにしよう」とか、「サッカーのルールをちょっと変えて、この子にも参加できるようなものにしてしまおう」とかいった柔軟性、流動性が、「未来に対して優しい態度」だろう、と。
むりやりこじつけてしまえば、最初の王様と側近の会話。あれだって、柿を食べたくても食べられないとしたら王様は可哀想だ。なんとか、王様が猿の格好をして領内を練り歩き、柿を投げられ、拾っては泣きながら食べる、みたいなことが実現したら善い。なんと柔軟性のあるすてきな国だろうか。それが、過去を尊重し、未来にも優しいということだと思うし、場とか国とか組織とかいうものは、すべてそのような柔らかさを持っていてほしい、と、切に願う。
2016.10.24(月) 非常勤講師の給料/環境を愛することから
今朝は六時に出勤した。今が旬の時間外労働である。
非常勤講師というものは通常、担当するコマ数に応じて給料が定まっているもので、残業という概念がそもそもない。まあだいたい、一コマ一万円前後と考えていいと思う。「高給取り!」と言いたくなるかもしれないが、さにあらず。ここでの「一コマ一万円」とは、「週に一コマを一ヶ月間担当した場合、月に一万円が支払われる」のideal……意である。なんの話かカン(環)の話か。要するに、一回の授業に支払われるのは二〇〇〇~二五〇〇円程度というのが、本当のところなのだ。
ということは、一コマにつき二時間も時間外労働をすれば、いともたやすく時給は千円を切ってしまう。今日は六時に出勤し、二コマの授業をこなし、退勤は夕方の六時くらい。そうなると、100分の授業に対し10時間の時間外労働が発生していたことになる。
あまり普段は(特にお金に関しては)「割り算」的な考え方をしないように努めている(学費を授業数で割るなど愚の骨頂で、視野狭窄を招くだけだと思う)のだが、今日はちょっと思うところがあって、書いてみる。
考えたくもない話だが、今日に限れば僕の時給は三〇〇円くらいなのである。もらえるお金を総勤務時間で割れば、2000×1.66÷12=276.7/2500×1.66÷12=345、となるのだ。
僕の時間外勤務の月計がどのくらいかはわからないが、ずいぶんなのは確かだ。「割り算」をして時給を出せばいわゆる「コンビニでバイトしたほうがマシ」という額になるだろう。
しかしこういう側面もある。非常勤講師というのは、春・夏・冬の長期休暇にも、(基本的には)出勤を強要されず、給与が支払われるのである。つまり、何もしなくてもお金が入る。すごい!
それでこれまで、「くっそー時間外労働に手当てが支給されればよいのに!」と思うたび、「いやいや夏休みにも給料もらってるんだから……」と納得しようとしてきたのだが、よく考えたら全然そうでもない気がしてきたので、これは明らかにしておきたいと思った次第である。
担当授業数が10コマ(このくらいしかもらえない人はけっこういる)であれば10万円、20コマ(相当多い例)であれば20万円、一般的な非常勤講師の月収はいいとこそんなもんだと思ってよい。そこから所得税やらなんとか費やらが引かれる。(もちろんなんとか年金とかなんとか保険とかは引かれず、別途払う。)ああ、なんというワープア! 他に収入源がない場合、かくじつに生活していけない。おそろしい話である。その辺の事情(ほかにいくらの収入があり、この職場ではどのくらいの収入を望むのか)を学校から尋ねられることはないのだが、そういう聞き取りとその可能な限りの反映をこそ、義務化すべきではないのかなあ。授業評価やストレスチェック(これらを行う時間にも手当てがあるべきだとさえ思う)とかよりずっと大事なことだと思うんだが、まあそのような流れにはしばらくはならんであろう。
さて、日祝日を除く長期休みを長く見積もって三ヶ月とする。僕の場合は出勤する日もかなり多いのだが、フルで休めば春15+夏40+冬15として二ヶ月半弱。これをまあ、敵に塩を送るつもりで三ヶ月としましょう。そうなると10コマしか持たされていない人は4週間ちょい×3ヶ月で、まあオマケして130コマとします。1コマ50分として、108.3時間。まあ110時間としましょうか!
するってえとですね、それを残り九ヶ月で割りますと(また割り算だ、割り算は邪悪)、12.2時間。月に12.2時間の時間外労働をすれば、長期休みぶんの休日は「チャラ」になるってことです。出勤が週四日なら月に17日として、割ると(割るはワルで悪!)約0.72と出る。43.2分。週三日なら13日出勤として、割ると0.94。56.3分。
仮に20コマ担当している講師を想定しても、3ヶ月で約250コマ程度、208.3時間、仮に210時間として九ヶ月で割ると、23.3時間。月に23時間20分程度の時間外労働をすると「チャラ」になる。22日の出勤日で割ると1時間と数分。
結論。非常勤講師の長期休み=「事実上の有給休暇」は、残りの九ヶ月間で毎日40~60分程度の時間外労働をすれば、「チャラ」になる程度のものである。途中途中の「多めの見積もり」をすべて省いて精密に計算すれば、30分くらいになる場合もありそうだ。
学校では8時15分に朝礼が行われる。授業が始まるのは8時40分。まじめに朝礼に出れば、この時点で25分の超過勤務である。これに加えて10分休みが何回かあれば1時間などすぐにオーバーしてしまう。
言うまでもないことだが、小テストの採点、提出物のチェック、テストの作成・採点、生徒の相手(志望理由書や小論文の指導をボランティーアで行っているため、時期によっては毎日3~4時間くらいを費やしている)、各種打ち合わせ、授業準備、公開授業のための指導案作成などなど、講師といえども授業以外の仕事はじつにたくさんある。これら以外にも当然、何かしらやるべきことは発生して、それらに手当がつくことは一切ない。すべて「コミコミ」であの値段、である。
僕は、自らの薄給を嘆いたり、学校への文句が言いたいだけでこれを書いているのではない(まあ多少はある)。ただ、このような待遇では、「学校のために働く」なんていう意識は発生しようがない。このことを雇用側はしっかりと頭に入れておくべきだと思うのだ。だから僕は基本的には、自分と、生徒のためにだけ働く。何をしても金銭的に決して報われることのない非常勤講師の給与体系では、そういうふうに考えられてしまっても仕方ないだろう。(予算がないのはわかりますが、結局組織は人が動かすのだ、ということは忘れるべきでないと思うのです。)
最近、勤務校の口コミサイトを見た。ひどい評価だった。しかし、概ねは僕の目から見ても真実だった。生徒たちはよく見ている。大人の欺瞞は、すぐにバレる。
学校の評判をよくするには、説明会で立派なことを言ったり、外面をよく見せたり、新しいことに取り組んだりするだけではだめで、根本的には「生徒たちが自分の学校を好きになること」からすべて始まる。そう僕は信じる。僕の大好きな『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』というアニメでも、大きなテーマになっていた。学校を好きであること、好きでいること。自分の今いる環境を、ちゃんと愛せること。それは自己肯定にも繋がっていく。とても大事なことだ。
そしてまた、「教員たちが自分の学校を好きになること」も同様に、同じくらい大切であろうと、僕は思う。だから、たとえば講師室の椅子をもうちょっと、いいのに変えてください。お尻も腰もすぐ痛くなって、仕事をするのがつらいです。こういうのがけっこう、勤労意欲の根幹に深く関わっていると思うんだよなあ……。
あと、共用パソコンのキーボードがダメになったからって、講師がお金を出し合って買うってのは、いったいどういうことなんだろうか? そこは経費なのでは……? そういうことが当たり前に行われてしまうっていうことが、「飼われてる」ってことを無意識に肯定しているような気がするんですけど……。まあ、われわれ非常勤講師は組合にも入れませんから、文句を言うすべもなし、ってことなのかもね……。
2016.10.23(日) 親指シフトに隠された音ノ木坂学院のひみつ
親指シフト練習中。
……ローマ字入力に戻した。上の九文字を打つだけで五分くらいかかった。初めてキーボードを触ったときのことを思いだして新鮮な気持ちになったが、実用への遠さを実感させられた。
親指シフト入力というのは、ひらがなを各キーに二つずつ割り当てて、シフトキーを押す・押さないで打ち分けるキーボード入力方式のことである。上達すればめちゃくちゃ早そうなのは確かだが、ローマ字入力に慣れきった身としてはかなり難しいし、専用のキーボードがないとどうやら辛い。(今はふつうのキーボード+専用ソフトウェアで試用してみたのだ)。
ところで、面白いことに気がついた。親指シフトでは「J」の位置に上から「お・と」、「K」の位置に「の・き」が割り当てられている。ご存じのようにJとKとは隣り合わせなので、親指シフトキーボードには「おとのき」という文字が並ぶことになる。おとのき……?
いま「おとのき」といえば当然『ラブライブ!』の舞台となっている女子校「音ノ木坂学院」だ。女子高生を表す「JK」に割り当てられたひらがなが「おとのき」というのは、偶然なんだろうか。『ラブライブ!』のスタッフの中に親指シフターがいて、キーボードを眺めながら思いついた名前だとか、そういう事情でもあるのだろうか。
試しに「音ノ木坂学院 ”親指シフト”」等でググってみたが、見つからない。たぶん偶然なのだろうが、さすが大ヒット作品というのは奇蹟のようなものを呼び寄せる、というところか。くだらないことだけど、面白いもんだ。
このことをうまくまとめてTwitterにでも上げれば、多少はバズッたりするのだろうか。そうでもないかな。時期もちょっと外した気がする。けど、誰も思いついてなさそうなのが嬉しいので、ここに記しておくとしよう。いつか誰かが「”親指シフト” ラブライブ!」とかで検索して、ここにたどり着いてくれますように。
2016/10/18
間があいてしまっているので更新。
とてもいそがしいです!
でも尊敬する人とお酒が飲めたり、新しい友達と仲良くなったり、仲良しの友達が頑張ってる姿を見たり「がんばったねー!」ってお酒を飲んだりできていて、充実しております。
そのあたりのことをじゅんじ、なんらかのかたちで書いていきたいとおもっています。
2016.10.14(金) 『しくじり先生』のみそぎ(謙虚さ)
いま好きなテレビ番組は『しくじり先生』と『ザ・ノンフィクション』。どちらも「人生」のむげん性(無限でも夢幻でもよい)を痛感させられるもので、とても参考になる。「生きてるって重大なことだなあ」という当たり前のことを考えさせられる。「生きてる 生きている その現だけがそこにある 生きることはサンサーラ」とは『ザ・ノ』のテーマ曲の歌詞だが、まさにこれ。生きている、ということはただひたすらに重大なことだ。重要とか必要とか大切とかいった価値判断は抜きにして、ともかく重く、大きい。それだけは言える。
サンサーラとは「輪廻」と訳されるようだが、サンスクリット語の原義は「流れる」なのだそうだ。日本的な仏教理解とは違った意味になりそうだが、面白そうなのでちょっくら勉強してからこの言葉については語ることにしよう。(いつになるやら。)
『しくじり先生』は、かつて「しくじった」芸能人が教壇に立ち、授業の形式で自分の「しくじり」を告白する番組である。芸能人の「しくじり」の中には当然、しゃれにならないものもあり、被害者だとか迷惑をかけた人たちへの「謝罪」も番組内でよく行われる。日本人は本当に謝罪が好きだなあ、と思いつつ、まあ謝罪くらいで「みそぎ」が済むのなら安いものだ。
僕は昔から、「人間は更生などしない」と考えている。「更生する人間もいる」なんてことはわかっているのだが、「更生しない」と考えるほうが謙虚だと思うのだ。「自分は更生した」と思っている人間がいるとしたら、そいつは「やなやつ」なんじゃないか? と疑ってしまう。反省がないのでは? と。悪いことをした人間は、永遠に自分でその十字架を背負い続けるべきだ。そうであってこそ、他人からは赦されうるのではなかろうか。
『しくじり先生』をみていると、その分かれ目をなんとなく感じる。先生たちはみんな、かつての過ちを猛省し、しくじっていた時期とは違う、生まれ変わったような清新な生き方をしている、あるいは、しようとしている。しかし中には、「自分は変わった」「更生した」と自分で思ってしまっていることが透けて見える先生もいる。それはどうも謙虚ではない。また別の「しくじり」を重ねてしまわないか、心配になる。
人間は変わらない。本来の姿に向かっていくだけだ。そう考えるような謙虚さがあってこそ、周囲から「変わった」と見なされうる、という逆説(国語の先生らしく、つかってみた)を、僕は信じている。「本来の姿」は誰しも捨てたものではないという、一種の性善説だ。(松永太みたいなのは、別かもしれないが。)
大和美達という「二件の殺人による無期懲役刑で服役中の文筆家」(そういう人がいるのです……久々に調べたら
ブログやってた)が、凶悪犯がいかに反省しないか、ということを獄中から告発した手記をいくつも出版している。僕はこの事実(たぶん)に注目したい。性犯罪者に再犯がめちゃくちゃ多い、というのもよく言われるし、昔からやなやつだったやつが今でもやなやつだったりとかってのも実際にある。彼らにとってはそれが「本来の姿」なのだろうか? そうかもしれないし、まだ途上なのかもしれないし、二度とそっちのルートには戻れないような呪いにかかってしまっているのかもしれない。謙虚さがあれば、きっと近づけると信じたい。
『しくじり先生』を見ていて、謙虚さがある先生だと嬉しい。もはや伝説となった辺見マリさんの回(拝み屋に洗脳されて五億円だまし取られた話)も、辺見マリさんの謙虚さがあってこその「神回」なのだ。僕はギター侍こと波田陽区の回がとても好きだが、番組の打ち合わせで初めて「謙虚さ」(という表現に、ここではしておく)を知り、本番中にも少しずつそれを獲得していく様が、実に美しかったのである。
謙虚さといえば、先日自殺により亡くなった方のHPに、「謙虚さというのは、自分が恵まれたことに気が付いて、その事に感謝出来るかどうかなんですよ。」(
参考URL)とあった。いくらしくじろうがなんだろうが、『しくじり先生』に出られて、そこで「みそぎ」をさせてもらえる、というのは、ものすごく「恵まれたこと」なのだから、そういう気持ちが感じられないと僕は、「今回はちょっと嫌な感じだな」と思ってしまう。
そう、僕は『しくじり先生』で行われていることは基本的に「みそぎ」だと思う。それまでの芸能活動をその時点でいったん清算するような。「反省しております、これからもよろしくお願いいたします」というのが基本構造で、だから「謝罪」は重要な儀式になる。だけど、それが形式のみに堕してしまうこともあって、そこを分けるのは「感謝」とか「謙虚さ」の有無だよなあ。
『しくじり先生』が教えてくれるのは、「しくじらないための方法」だけでなく、「しくじったあとに、どのように禊ぎを行えばよいか」ということでもある。教壇に立つ先生たちの態度をよく見ていると、優れた禊ぎと、そうでもないものがあることに気づく。神聖に、敬虔に、している人はじつに素晴らしい。
2016.10.13(木) 場の支配(1) バーテンの見えざる「手」
ある飲み屋に行ってきた。支配的な空気が流れていた。僕は飲み屋における支配的な空気があまり好きではない。ここではゴールデン街のバーのような、不特定の人間が肩を並べて座り、たまたま居合わせたメンバーで世間話などを行うような空間を想定しているのだが、そこにおいて「支配的」というのは、「ある特定の人間や話題がその場の中心になってしまう」という事態だ。同じ人(たち)だけがずっと喋っていて、ほかの人たちがじっとそれを聞いている状態だとか、ずっと同じ話題だけが続いて、ほかの話にうつることのない様子だとか。
とはいえ、長く飲んでいればそういう瞬間が心地よいときもあるし、「今日はそういう日か」という納得の仕方もある。「支配的」であることがそのまま「いやだ」となるわけではない。「ああ支配的だなあ、でもまあいいか」と思うことがほとんどだ。たまたま集まったメンバーで、いつでもよいセッションができるわけがない。
でもさすがに、それが一時間くらい続くと、「そろそろもういいよ」となる。声が大きくて、話がそれなりに面白い人たちが喋り続ければ、ほかの人はそれを聞かざるを得ない。聞いてる風にしておかないと、なんだか無視しているような感じにもなるし、声が大きくてそれなりに面白いから、なんとなく聞いてしまうのである。それで時間がびゅうっと過ぎていく。
せっかく人を求めて飲みに来てるのに、たまたまひねったラジオを聴き流しているような時間が長ければ、「楽しい」とはならない。僕はそうだ。延々聞き手でいることが好きだという人もいるかもしれないが、僕の経験上、バーに来るような人たちの中に、本当に心からそう思っているような人は極めて少ない。彼らは「場」を楽しみに来ていることがほとんどだ。「面白い話が聞きたい」というのであれば、読書なりテレビなり別の手段を使うだろう。「自分も機会があれば喋りたい」とか「いろんな人のいろんな話が聞きたい」と思っている場合がたぶん圧倒的で、だから「支配的」であることはやはり、さして歓迎はされないと思う。
だがそういう状況は必ず訪れる。その時に活躍するのが、バーテンである。
これは僕の考え方になってしまうが、「たまたま居合わせた複数の他人同士がお話をする」という状況が起こりやすいバーにおいては、バーテンの仕事の一つとして「ならす」というのがある。山をならして平たくする、という場合の「ならす」。極端にいえば、明石家さんまさんみたいなことをするわけである。
もちろん、さんまさんみたいにうるさくやる必要はないし、何でも笑いに繋げていくべきでもない。さんまさんのように出演者に「役割」を当てて、それを忠実に遂行させるように促すようなことは、むしろしてはいけない類のことだろう。でもさんまさんからバーテンが学ぶべきところはあるだろう、と思う。例えばその一つが「ならす」。
さんまさんは、ある意味の平等主義者である。盤上の駒(言い方は悪いが)がすべて活躍できるように采配する名監督。さんま御殿なんかはその極致だ。オンエア上では発言のごく少ない出演者もいるにはいるが、それでも全く喋らせない、ということは当然だがない。デビューしたばかりの深田恭子が何かの番組にゲスト出演した際、ちっともかんばしい反応を返してくれない彼女に対してさんまさんが言ったのが「あんた、打っても響かんな」というコメント。何度も連発し、大きな笑いをもぎ取っていた。どんな相手に対してでも、必ず見せ場を与えられる。めぼしい発言のほぼない相手に対してでさえ。さんまさんの凄みである。
あのようなことをさりげなくやれるのがよいバーテン(の一つのあり方)であろう、と僕は考える。
ここで大事なのは「さりげなく」だし、喋る必要を感じていない人に無理に喋らせるのもあまりよくない。もしもさんまさんの劣化版みたいなバーテンがいたら、僕は絶対にその店には行かないだろう。さんまさんのやり方はバラエティーショーのやり方であって、バーには別の作法がある。
「神の見えざる手」という言葉があるが、あれのようなものだ。「さんまさんのあからさまな手」ではなくて。すぐれたバーテンは本当にさりげない。
声のうるさい客「○○がよお、××でよお、△△なんだよお」
バーテン「○○って、□□ですよね。」
声のうるさい客「□□? なんだそれ」
□□に詳しい客「□□というのはですね、△△を◎◎したもので、……」
◎◎に興味がある客「えーっ。◎◎ってそんなことにも使えるんですか?」
□□に詳しい客「□□と一口に言っても、ペラペ~ラ、ペラ~」
◎◎に興味がある客「知らなかったです!」
いろいろと無知な客「そういえば、●●の事件、やばくないですか?」
声のうるさい客「あー! ●●!」
バーテン「(無知な客に)事件って?」
声のうるさい客「●●ってのはあ、アレコ~レ、コレコ~レ」
バーテン「へー、そうなんですね。みなさん知ってましたか?」
□□に詳しい客「□□で読みました」
◎◎に興味がある客「□□って、そんなことも載ってるんですね」
□□に詳しい客「それによると●●も◎◎やってたらしいです」
◎◎に興味がある客「えーっ! 意外! 帰りファミマで□□買います」
いろいろと無知な客「結局、●●って◇◇なんですか?」
□□に詳しい客「さすがにそれはないと思いますよ」
◎◎に興味がある客「私の先輩が言ってたんですけど、ウーンヌン、カーンヌン」
全員「え、ええーーーーーー!!」
うーんと、まあ、こういう感じか。さりげなさ、伝わったかしら。こういうのが「見えざる手」。今はわかりやすく、言葉を例に出したけど、所作とか目線とか、ちょっとした小さな行動で、同じようなことをやってしまうこともある。
上の例で、もしバーテンが「□□ですよね」という形で口を挟まなければ、□□という単語は場の上に存在せず、□□に詳しい客も出る幕がなかったかもしれない。声のうるさい客がそのままわめき続けていたかもしれない。状況をさりげなく操作して、場を活性化させるのも、この手のバーではバーテンの仕事。バーテンは、場を掻き回す見えないマドラーを常にその手に持っているのである!(ドヤ!)
ちなみに僕の場合。ゴールデン街のバー、おざ研、ランタンと、「手」の使い方はずいぶん変わってきている。特に今やっている「ランタンzone」は、場の自由度が極めて高く、形式上「バーテン」が存在しないため、本当にもう、これまでとはだいぶ違った感じ、だと自分では思っている。バーにいた頃はけっこう意識していたけど、今は本物の「見えざる手」に頼ってしまうことが増えている。こないだなんかすべてを放棄して将棋にふけってしまった。といって別のタイミングでは、まさにさりげなく、「何か」をしてみたりもする。そういうブレかたも、「ランタン」ならでは。とにかく、「こういう時はこうする」という法則なんてのはつくらずに、柔軟性は失わずにいたい。たまに実験的な手を指してみるのも重要だ。その時は負けても、長い目で見れば強くなれる。なんてことは羽生さんが言っていたな。
ぜんぜん関係のないようだけど、ほんの少しだけでも将棋をやっていたからこそ、こういう考え方になっているのだと思う。あるいは演劇。ダンスをやった人は、ダンスで喩えるのだろうな。
タイトルにある「場の支配」について書くのを忘れてしまった。「法の支配」という言葉をもじったのだが、これについてはまた長くなりそうなので、稿を改めるといたしましょう。
2016.10.12(水) 原因はいくつもある/繊細な柔軟性
「自分のせい」と思いがちな人は、「物事の原因は明確に一つに定まる」という根本的な誤謬を抱えている。どんなことにでも「せい」と言えるような原因がたった一つある、と。
実際は、物事の原因というのは無数の「事情」が複雑に絡み合ってできあがっていて、「これ」という明確な、たった一つの原因が存在するわけではない、はずである、と僕は思う。自分のせいでもあれば相手のせいでもあり、あるいはほかの無数の何かしらのせいでもある。
問題解決というのは、無数にある原因のうち、たった一つだけを選び、摘出し、改善を試みるものである。「ここさえ改善されれば、少なくともこのように是正されるであろう」という見通しを持って、「目的に照らして急所と思えるようなところ」のみを、ズブリと一点、刺し貫く。決して、「ただ一つの原因」を取り除くことではない。ただ一つの原因など、ないのである。
ゆえに、無数の原因のうち、一点だけを責め立てるのは愚かなること。かしこき人格者は物事を「人のせい」にしないし、また「自分のせい」にもしない。「何か特定のもののせい」にはしない。ただ、「この問題を是正するにはいくつもの方法があって、実現可能性とコストを勘案すると効果のありそうなのは例えばこうすることだ」とかいった提案をする。
客観性とか冷静さというのはそういったところに現れる。
最近生徒から、「先生たちはわけのわからないところでキレる、どうにかしてほしい」というような話をよく聞く。わけのわからないところでキレる先生もどうかしているが、それを「わけのわからない」と断定してしまう生徒にも、客観性と冷静さが欠けている。あるかしこき生徒は、「長い間にたまってきたものが爆発してるんだと思う、うちだけじゃなくてほかのクラスでたまったものも含めて。それを一気にここで爆発させてるんだろうな」なんてことを言っていた。冷静である。
僕は他人の行動に対して寛容なほうだと思うが、その代わり自分に対しても寛容である。他人に甘く自分にも甘い。甘いというよりも、「原因はいろいろあるんだから、何か一つだけを責めるのはお門違い。僕は僕で反省していくけど、改善すべきところはほかにもあるはずだから、落ちこまず視野を広く持って事に当たるほうがよかろう」といった、前向きな言い訳を常にしているのである。それでなんとか、教員とかいうストレスフルな職業をなんとかこなしているわけだ。そういうある種の強さがなければ、繊細さを保ったまま教壇に立ち続けることは難しいだろう。
僕は、図太くなったらこの職業は終わりだと思っている。開き直ったら絶対にだめ。「自分が正しい、生徒はそれを聞いていればよい」と思っても、もうだめ。いやね、もちろんね、組織の職務を正しく全うする身としてはそのほうが正しいし、そうでなければ心の平穏は保てないって人もきっとたくさんいる。でも、そういうのはわざわざ僕がやることではない。ほかの人でもできることだ。そうなるようなら、そうならざるをえないようなら、覚悟して職を辞そう。どうもそういう生き方しかできないし、そうであることが僕にできるせいぜい教育的な生き様なのだ……。
繊細な柔軟性が示せなくなってしまったら、頑固な職人になってしまう。そういう先生も必要であろうが、僕の適性はたぶん別にある。
2016.10.11(火) 手塚治虫 初めて好きになった人間として
二回目にして真打ち登場、といった風情。
「すべての物語は手塚治虫に流れ込み、再び手塚治虫から流れ出る。」
そう言って問題ないほどの偉人である。
記憶の限りでは、小学二年生の時には少なくとも愛読していた。
クラスメイトから「好きな人いる?」と問われれば、必ず「手塚治虫」と答え、ぽかんとされていたものだ。
当時は愛蔵版が盛んに出版されており、『ロストワールド』から『ルードウィヒ・B』まで、時期を問わず何でも読んだ。講談社の全集が近所の図書館に全巻所蔵されていたので、母親に連れていってもらって読みふけった。『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『火の鳥』『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』などの代表作はもちろん、『ザ・クレーター』だとか『七色いんこ』も好きだった。『どろろ』『海のトリトン』『ファウスト』あたりは文庫で読んだ。メジャー・マイナーを問わず読むべきものはこの頃にほとんど読んだ気がする。『ゴブリン公爵』とかまで読んでいたんだから。
特に好きだったのは絵のまるっこい初期作品で、『来るべき世界』や『ロック冒険記』は今でもいちばん好きかもしれない。
特筆すべきは、僕が手塚の作品だけでなく、手塚の「伝記」をも読みあさっていたこと。
死後数年が経過していて、手塚の伝記はすでに出ていた。せいぜい数点ではあろうが、複数の伝記にあたった覚えはある。少なくとも火の鳥伝記文庫の中尾明『手塚治虫―まんがとアニメで世界をむすぶ』は確実に読んだ。91年9月の出版なので、時期も合っている。あとは1989年の小野耕世『手塚治虫 マンガの宇宙へ旅立つ』を読んだのだろうか。マンガ『手塚治虫物語』も読んだ。また『紙の砦』などの自伝的な作品も好んで読んだ。僕は手塚治虫の作品だけでなく、手塚の人生そのもの、人格そのものを愛しそうとしていたのである。
これはまさしく僕の、何かを好きになる際の「愛しかたの原点」だ。作品を愛するのと同時に、それを作った「人」を愛する。そもそも初めて手塚を読んだ段階で、「この作者は面白いからほかのも読んでみよう」という発想になるのが、「人を愛する」に向いている。素晴らしい作品があれば、それを作った素晴らしい誰かがいる。こういう考え方が、その後の僕を育てて行った。
たとえばこの後、僕はマンガと並行して児童書をたくさん読むのだが、図書館に行っては「岡田淳」とか「さとうまきこ」といった人名を手がかりにして「次に読む本」を探していくようになる。当たり前のことのようだが、意外とこれが身に染みついている子供ってのは、そんなに多くはないと思う。
「人」を愛する癖が僕にはあって、その原点は手塚治虫である。しかし、ではなぜ僕は「手塚治虫」という人を好きになったのであろうか?
藤子不二雄先生の『まんが道』による刷り込みのせいかな、とも思うのだが、小学二年生段階で『まんが道』を読んでいたかどうかがはっきりしない。おそらく手塚にはまった後で読んでいるはずだ。
そうなると、思いつくのは、手塚があまりにも凄かった、ということか。
はじめに僕は、『ロストワールド』から『ルードウィヒ・B』まで、と書いた。これらの愛蔵版が、物心ついた時にはうちにあった。この二作品の執筆時期には四十年の開きがあって、当然作風も変わってくる。「ぜんぜん違う雰囲気だけど、同じ人が書いていて、どれもすぐれて面白い。ということは、この手塚治虫という人は、四十年間ずっと素晴らしい人なんだな」というふうに、幼心にも思ったのではないだろうか。手塚治虫の初期から晩年まで、四十年間の作品すべてを「好きだ」と思った僕は、「つまり僕は手塚治虫という人間が好きなのだな」という結論に至ったのだ、たぶん。
伝記を読めば幼少期の頃の面白いエピソードや、偉人らしい伝説じみた話がたくさん出てくる。人格の魅力も感じさせられる。そうしてどんどん好きになっていった。この人のことをもっと知りたい、と思った。
幼稚園でも小学校でも、「女の子を好きになる」ということがまったくなかった。「人を好きになる」ということの基本を、僕は手塚治虫によって学んだのかもしれない。
小二のとき同じクラスに、「私も手塚が好きだ。私のほうが彼のことをよく知っている」と主張する女子がいた。僕はそれに「いや僕のほうが好きなはずだ」と対抗した。思えばあれは本当に、恋に近かった。だからこそ「好きな人いる?」という問いへ自然に「手塚治虫」と答えていたのだろう。今は「手塚先生」と呼ぶことが多いが、この頃は基本的に呼び捨てだった。
僕にとって手塚治虫先生は「初恋の人」である。であれば生涯の伴侶は、恋をしながらも空気のように常にそばにいた、藤子不二雄先生だと思う。ジャンルが違えば岡田淳先生になる。次はこの方々について語らなければならないだろう。
2016.10.09(日) 『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』砂田弘/高橋透
『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』砂田弘 作 高橋透 絵
(偕成社、1983年5月改訂版)
僕の通っていた幼稚園には、図書の貸出制度があって、それで何度も何度も、飽きるほど借りていたのがこの本だった。
好きな絵本はほかにも、それはもう無数にあったはずなんだけど、「好きだ」と意識したのはこれが初めだったと思う。今ではもう、なぜそんなに好きだったのかわからない。読み返してみても、さほど面白いストーリーだというわけではない。
救急車の「ぴぽくん」は、町の人からうるさいと嫌われたり、怖がられたりしている。「いつまでも ねないでいると、きゅうきゅうに つれていかれますよ!」などと、子供を叱るときの脅し文句にさえされた。しかし幼稚園の男の子、特にマサシくんはぴぽくんが大好きで、「ぼく、おおきくなったら、きゅうきゅうの うんてんしゅに なるんだ!」とまで宣言していた。
ある日マサシくんが無免許運転のトラックに轢かれてしまう。それからはマサシくんの家も幼稚園もひっそりとして声ひとつ聞こえない。「マサシくんも、こどもたちも、あれから ぼくが きらいに なったんじゃ ないのかな」とぴぽくんは不自然なほどネガティブな発想におちいる。ぴぽくんはもちろん、何も悪いことはしていない。それどころか、事故現場に急いでかけつけて、マサシくんを病院まで運んであげたのだ。しかしぴぽくんはふさぎこむ。仕事にもつかれてしまう。一所懸命働いても、ねぎらってくれる人は誰もいない。
季節が巡り、秋が来て、夏の間に汚れたからだをぴぽくんは救急隊員に洗ってもらう。
「いっしょうけんめい はたらいたから こんなに なったんだ。それなのに ぼくは、ひとりぼっちだ。ああ、もう はたらくのが いやに なったな。」
ぴぽくんはこれほどまでに追い込まれていたのだ。
ところがそこへ、子供たちがだだだだだっと駆けてくる。
「いた いた いたぞ!」
こどもたちが おおぜい かけてきました。
てにてに えをかいた かみを もっています。
みんな ぴぽくんの えでした。
「ぴぽくんが ぼくを たすけてくれたの。
だから おともだちと いっしょに おれいに きたんだ。」
うわぎに きゅうきゅうしゃの ししゅうをした こが
いいました。そう マサシくんです。
「ぼく、なつの あいだ、いなかの おじさんの うちへ
あそびに いっていたの。
みて、こんなに くろく なっちゃった。」
それからぴぽくんは元気になりました、めでたしめでたし。
という、お話。
事故のあと、マサシくんのお家に誰もいなかったのは、一家で親戚の家に行っていたからで、幼稚園がひっそりとしていたのは、夏休みだったから。(幼稚園には小学校と同じくらいの長さの夏休みがある。)
ぴぽくんは勝手に気にして、勝手に落ちこんでいたわけだ。
いったい、僕はこの絵本のどこに惹かれていたのだろうか。
救急車が特別に好きになったわけではないと思う。むしろ『ぴぽくん』を読んでから好意を持ち始めたというほうが当たっているはずだ。
正直言って、本当によくわからない。
わからないなりに幼い自分の気分を当て推量してみると、僕はこの作品に描かれた「絶望と希望」というモチーフに惹かれたのかもしれない。
絶望と希望。さらに言うならば、絶望の中の希望。
あるいは、「悪いこともあればいいこともある」ということ。
ちょっとした運命論のようなもの。
『ドラえもん』の「サイオー馬」(てんコミ44巻)という話で、ドラえもんがこう言う。「いいかね、運命なんてものはこのナワのように……、いいこと悪いことがからみあっているんだ。気を落とさずまってれば、そのうちいいこともあるさ。」
44巻を読んだのは小学校三年生の時(当時新刊で買ったから間違いない)なのだが、とにかくこの話が心に残った。いいことと悪いことはちょうど同じくらいあるのだ、とうっすら信じるようになった。今でも多少、その名残がある。
ぴぽくんは落ちこむけれども、がんばって働いていたら、子供たちが似顔絵(?)を持って、やってきてくれる。なんという希望に満ちた話だろうか。
11年間AKB48グループを牽引し、今年4月に卒業した「総監督」(当時)の高橋みなみさんは、去年6月の、最後の総選挙で、このようにスピーチをした。
みんな悩むと思うんです。
でもね、未来は今なんです。今を頑張らないと、未来はないということ。
頑張り続けることが、難しいことだって、すごくわかってます。
でも、頑張らないと始まらないんだってことをみんなには忘れないで欲しいんです。
私は毎年、「努力は必ず報われると、私、高橋みなみは、人生をもって証明します」と言ってきました。
「努力は必ず報われるとは限らない」。そんなのわかってます。でもね私は思います。
頑張っている人が報われて欲しい。
だから、みんな目標があると思うし夢があると思うんだけど、その頑張りがいつ報われるとかいつ評価されるのかとかわからないんだよ。
わからない道を歩き続けなきゃいけないの。
きついけどさ、誰も見ていないとか思わないで欲しいんです。
絶対ね、ファンの人は見ててくれる。
これだけは、私はAKB人生で一番言い切れることです。
だから、あきらめないでね。
努力、という言葉は、あるいは概念は、個人的にあまり好きではないのだが、「この言葉を使わなくては表現できない素晴らしいこと」はやはりあって、高橋みなみさんのこのスピーチはそれだった。
努力が必ず報われるとは限らない。
しかし、「見ていてくれる人は必ずいる」。
ぴぽくんにとって、マサシくんやこどもたちがそうだった。
それは希望である。どんな絶望に深く沈んでも、必ず見ててくれる人はいる。
「報われることもある 優しさを手抜きしなけりゃ」(H Jungle with T『FRIENDSHIP』)である。
この曲に出会ったのは小学六年生の時だが、実はまったく同じメッセージを僕は、幼稚園のときすでに『ぴぽくん』から受け取っていたのかもしれない。
落ちこむこともある。しかもぴぽくんのように、ぜんぜん落ちこむ必要のないようなときに、どうしても元気が出なくなってしまって、悪いことばかり考えてしまうことが、ある。マサシくんがぴぽくんのことを嫌いになるなんて、あるわけがないのに、でも、そうかもしれない、と考えてしまう。それはしかたのないことだ。
でも、そこで腐りきらないで、「優しさを手抜き」しないこと。ぴぽくんの場合は、けがや病気の人を助けることを、やめないこと。誰にも褒められなくたって、黙々と続けていくこと。
そういうぴぽくんだったから、子供たちはやってきたのだし、だからこそこの物語は美しいのだ。
絶望に負けてはいけない、諦めてはいけない。
優しさを持ち続けていれば、いつかいいことを呼び寄せることができる。
そういうことを、本当にいちばん最初に「本」から学べた(らしい)ことは、とても幸福だったと思う。
それからずっと、本が好きである。
2016.10.08(土) 原点はいくつもある
題名はAIR(車谷浩司)の曲『運命はいくつもある』から。
8行しかない短い歌詞の中で、「運命はいくつもある」というフレーズが印象的。
AIRで最もよく口ずさむのは『Last Dance』という曲だが、最もよく思いだす彼の言葉はやはりこの「運命はいくつもある」だ。
運命はいくつもある。
どういう意味だかはうまく決定できないが、運命はいくつもある、のである。とにかく。
沈みこんだ歌詞世界の中の、確かな希望。
運命はいくつもある。
それをもじって、「原点はいくつもある」。
そう書いてみて字面を眺めてみる。運命がいくつもある、というのと、意味はあまり変わらないような気がする。
運命がいくつもあるなら、原点もいくつもある、のではないかと。
僕の運命はいくつもの原点から出発した線が絡み合って、織り上げられて、鮮やいでいる。(鮮やぐ、なんて言葉はないのだが、華やぐ、があるのなら、あったってよいだろう。)
原点が増えていけば、運命は様相を変える。また別の運命が生じたり、する。
こういう格好つけた感じも、いろんな原点から生じた一つの結果だし、別の文体で書くような時も、それはいくつもある結果のうちの一つなのだ。
文体はいくつもある。
そういうわけでずっとやりたかったことをこれからやっていきます。前回の記事「原点をめぐる」にあれこれ書いたような僕のいくつもの原点を、ゆっくりと書きのこしていきたい。
本やマンガ、音楽、映画などにとどまらず、友達のことも書きたいし、あらゆる思い出のことを一つ一つ、整理して書いていけたらな、と思う。
好きなものだけでなく、悲しかったことも含めて。
それがいくつもある原点のうちの一つであれば、臆することなく向き合っておきたいのである。
すべてを赤裸々に、正直に書こうというのではない。ただ僕という多少妙な人間ができあがった背景には、いくつもの原点があって、そういうふうに生きていくことも、人生の手段としては「ある」のだということを、とりわけ自分よりも若い人には知ってもらいたいな、という意図で。
原点がいくつもある、ということは、たくさんのものを大切にして生きてきた、ということだと思う。もちろんその裏には、おびただしい数の「大切にできなかったものたち」があるから、それが負い目や引け目になって、これまでそういう振り返り方をあまりしてこなかった。
もういい歳になってきたから、やってみようと思う。
何から始めよう、と思って、考えるまでもなく「やはり絵本かな」と決めた。
初めて好きになった……というか、自分で「これは好き」と意識した絵本は、『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』だ。
まずはそれについて書いてみたい。
ゆっくりと少しずつ、記事を分けながら更新していきます。
(ちなみに、この企画は本当は、学校でプリントとして配ろうと思って考えていたもの。なかなか書く時間がとれないので、いっそこっちで書いたものを転載してしまおうと目論んでいる。しかし何年かかるだろうか。)
2016.10.07(金) mixiからの転載でお茶を濁す(1)
原点ってのは一点ではない。たくさんの原点があって、それぞれの波紋は重なり合って共振する。
たとえばその一つは藤子不二雄先生である。先日の富山旅行はその原点を巡る旅だった。
あるいは小沢健二さん。5~6月のツアーはまた原点を巡る旅だった。
名古屋に帰って、矢田川を歩き、地元のお好み焼き屋に行けば、それもまた原点。
高校1年のあのクラスについて考えれば、それも原点。
両親と兄弟は原点。
日本の歴史だって僕の原点でもあると思うから『風雲児たち』をしっかりと読む。
麒麟さんのことを考える。15年前の彼との邂逅はまたそれも原点である。
ホームページも原点。ドラチャも原点。
幼き日にジプシーして遊んだ公園たちも原点。
原っぱなるものは原点。
『まなびストレート!』は大学四年生の終わりに観たアニメだが、
これだって原点に数えてもいいだろう。そこで一つ僕は生まれたのだ。
無数の原点が多発的に存在して波紋をつくる。
その模様が僕である。
2016年はそれを確認するための年になりそうである。
それゆえか、どうも生活はぱっとしない。
ずっと継続してきたものが一度、手から離れたという感触。
大切なマイミクさんたちとの新しい出会いはあった。
それはたぶん新しい原点になるだろう。
ちょっとまえHPのほうにも書いたけど2016年は「リセットの年」だ。
こじつければユダヤ教の「ジュビリー」にあたる。
「50年に一度、土地をもとの持ち主のもとへ返す」年だという。
昨日からどうも優れない。金縛りのように何も出来ないでいた。
そんなときは漫画を読むか、文章を書く。
それらはずいぶんと巨大な僕の「原点」である。
小学三年生の時だったか、「何かを書こう」と思って、原稿用紙に向かった。
でも、何も書けなかった。
当然だ。何も書きたいものなどなかったのだから。
そこにあったのは「何かを書こう」という意志だけだった。
そこで何も書けなかった僕は本当に誠実というか、真面目だと思う。
よかった。
おかげで、「書くべきもの」を探す旅を、始めることができたのだから。
あのとき、適当に「何か」を書いて、それで満足していたら、
たぶん、あれこれ考えがちな今の僕はなかっただろう。
「書くべきものがなければ、書けない」というのは、僕にとってそうとう重要な「原点」である。
小学三年生といえば、その頃好きだったのはとにかく漫画。
なぜそこで「漫画を書こう」ではなく「文章を書こう」になったのかは、
単純に「文章なら褒められたことがある」からだろう。
そういう成功体験というか、実績は大切だ。
漫画を読むことが好きで、文章を書くことがしたかった、
というのが小学三年生時点での原点の一つで、
それは今に至るまで大きな波紋を広げつづけて
現在の僕にまつわる様々な波紋をのみ込んでいる。
『9条ちゃん』だって、よく考えたら漫画を文章に翻訳した結果なのかもしれない。
2016年はじつに様々なものを振り返っている。
ちょっとくらい不調でも原点の波紋が広がり続けている限り、自分は大丈夫だと思う。
(2016年07月14日19:25「原点をめぐる」、一部改稿)
最近はちょっとだけ、ぱっとしてきている。
やはり大丈夫だった。(たぶん。)
すべての原点にありがとうと言いたい。
ここには書いていない原点はたくさんあるが、
その中の巨大な一人である結城恭介先生に大いなる感謝を。
2016.10.06(木) 限界芸術と文化祭(と茶番)
純粋芸術は、専門的芸術家によって作られ、それぞれの専門種目の作品の系列にたいして親しみをもつ専門的享受者をもつ。大衆芸術はこれまた専門的芸術家によってつくられはするが、制作過程はむしろ企業家と専門的芸術家の合作の形をとり、その享受者として大衆をもつ。限界芸術は、非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される。
(鶴見俊輔「芸術の発展」、講談社学術文庫『限界芸術』またはちくま学芸文庫『限界芸術論』より)
「非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される」ところの限界芸術に、ずっと興味がある。素人がつくって、素人がうけとるもの。学校の文化祭というのはまさにこれだ。
文化祭で中学生によるミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を観た。本当に素晴らしくて、涙が出た。何がそんなに良かったか、という話はひとまずおくが、僕の感動したそれは「限界芸術」と呼ぶべきものであった、と思う。
原作は有名な映画だから、正確には素人の創作ではない。肝となる名曲たちも当然、原作の歌をプロが訳したもののはずだ。しかし演じているのはずぶの素人である。であればこその、美しさ。映画に出てくる子役はあくまでもその道のプロ、しかしこちらは本当に、ただの中学生なのである。そのリアリティは、企業や芸術家にはなかなか演出できないものだ。
中学1年のあるクラスは、生徒が自作した脚本で演劇を上演していた。何もかもが拙かったが、限界芸術は質を問われない。彼女たちは表現をした。それは必ず、少なくとも一部の生徒にとっては、大切な経験になっただろう。客である僕にとっても。
演劇部も、軽音楽部も、吹奏楽部も、ダンス部も、書道部も漫画研究会も文芸研究会もその他も何もかも、「限界芸術」として一流のものであった。というより、限界芸術に一流も二流もないのである。二日間、心から楽しんだ。
ところで、文化祭には「教員による演し物」がつきものである。今回のそれはたぶん「限界芸術」と呼べるものではなく、ただ「祭り」にのみ属する種類のものだった。
先生というのは卑怯である。出てくるだけで面白いのだ。いかめしい校長先生がダンスを踊れば、そのギャップでワーッとなる。どんな先生でも、出てきて、ただおちゃらけていれば、それなりのウケをとれる。僕もさすがに、ふだん仏頂面か苦笑いしか見たことのないような壮齢の先生がステージに出てきた時にはちょっとニンマリしてしまった。
ふだんは厳しい先生も、年に一度だけおちゃらける日。それが文化祭なのである。
どこかのお祭りで、一日だけ王様がみすぼらしい格好をして、平民たちに追い立てられる、というものがあると聞いた。典型的な「ガス抜き」の祭りだ。
日本の宴会芸も、これに近いものがある。偉い人がおちゃらけたり、いじめられると、面白い。偉ければ偉いほど、面白い。ふだんとのギャップが、増せば増すほど。
子供たちは逆だ。ふだんおちゃらけていても、文化祭では真面目な顔になる。一所懸命に磨いた芸を、真剣に披露する。
ふだんの在り方が、祭りの在り方を規定しているような気もするし、逆に祭りの在り方が、ふだんの在り方を規定してしまっているような気も、する。
先生たちはどうして、まともな「芸」や「芸術」をやらないのだろうか? 理由はまあ、忙しいからだろう。五分で憶えられるような単純な振り付けのダンスや、即興でこなせるようなゲーム的なものを見せて、それでワーッと受けるのだし、わざわざ大変なことをすることもない。
ただ、もしも学校のお祭りを文化的なものとしたいのであれば、教員のほうが率先して原始的なカーニバルのほうへ持って行く必要も、ないんじゃないかとは思う。
中学生の時、文化祭である先生が長渕剛の『乾杯』か何かを弾き語りした。あまり好きな先生じゃなかったから、その時はどうでもいいな、と思ったが、何か印象に残っている。
高校では谷川俊太郎の『生きる』を教員が群読したり、なんてのがあった。
文化的で、とてもよいと思う。
べつにこのたびの先生たちの演し物がまったく文化的でなかった、などと言うつもりはない。ちょっとは文化的だったかもしれない。でも、本当にそれしかなかったのだろうか? とは思う。
そりゃあ、真面目なことをやっても場は沸かないだろう。ワーッと盛り上がるには、おちゃらけたり、ギャップで勝負したほうが早い。
ただ、祭りの在り方がふだんの在り方と相互に規定し合うのかもしれない、という発想は、持っていたっていいはずだ。
一芸に秀でた先生はいるはずで、どうせやるならその人たちにスポットを当ててみては? とか。そうしたら子供たちだって、未来に対して明るい展望が見えるかもしれない。
子供たちが先生のことをどう思っているのかって、そりゃ「勉強ができる人たち」で、そういう人が「文化祭」ではおちゃらけることしかできない、のだとすると、勉強なんてのは、やっぱつまんないものなんだな、って思ってしまう。逆に勉強の超できる先生たちが、自分たちよりもうまく歌い、自分たちよりもうまく踊るのだとしたら?
祭りというのはけっこう大切なものだ。
生徒たちの「限界芸術」を目の当たりにして僕が思うのは、「やっぱりこの子たちのことは尊敬しなければいけないのだ」ということである。
生徒たちがただおちゃらけているだけならば、そんなこと思いはしない。
2016.10.05(水) 倫理という罠 倫理ではなくて
9/22(木)、早稲田大学文学部キャンパスの向かいにある「あかね」というお店に初めて行ってきた。自らの政治的立場を「左」と自認する人々が主に集うお店、と言って間違いはないと思う。
収容人数10名程度の狭いお店で、チャージが200円、ソフトドリンク200円、缶チューハイが300円、瓶ビールが550円、ナッツ200円、缶詰250円、その他食べものは適当にその都度値段が設定される、という感じ。伝票は一応あるようだが慣れている人は自己申告でお金を払う。店員は曜日代わりでボランティア。店員と客の境目は曖昧。
この店の「価値観」はそんな感じである。形式としてはかなり、僕のやりたいことに近い。しかしそこにあった「言葉」は、僕の好きなものとはだいぶ違った。
この日は「イベント」があって、「安保法案」というテーマをもとに十名前後で話し合った。なぜ僕がこれに参加したのかというと、大学時代の恩師が参加するという情報を得てのことで、「安保法案」なるものに一家言あるわけではない。
だから、ときおり僕は困った。
その日「あかね」に集った人たちは、例外なくみんないい人であった。そのように僕には見えた。初めて来店した僕に気を遣ってか、何度か質問を投げかけてくれた。しかしその質問は、僕を困らせるものでしかなかった。
「安保法案をどうするべきだと思いますか?」
「自衛隊についてはどう思いますか? 軍隊にすべきですか? 現状維持派ですか?」
そんなこと、僕は考えていないのだ。
安保法案には賛成でもなければ、反対でもない。自衛隊にしても、何の積極的な意見も持っていない。だから、この質問には答えられない。
ただもし、「○○という目的のためには、安保法案をどうするべきだと思いますか?」とか、「○○という目的のためには、自衛隊をどうするべきだと思いますか?」と問われていたなら、僕は少ない知恵を必死に絞って、考えてみたと思う。
僕にはそういう方面の主張など一切ないので、安保法案やら、自衛隊やら、あるいは「誰に投票すべきか」といった政治的な内容について、意見を求められても困る。
ある程度の知識はないではないし、考えることだって嫌いではないから、目標さえ設定してもらえば、そこに向かっていくための道筋を話し合うことができると思う。
しかし彼らが聞いてくるのは、「あなたはどうすべきだと思うか」という「立場」なのだ。「あなたの理想とする目標と、その達成手段」を聞いているのである。
僕には、というか、ふつうの人には、安保法案や自衛隊の在り方が関わってくるような「目標」などない。どこかでは関わってくるのかも知れないが、それは無数にある関連要素のうちのたった一つで、さほど巨大なものではない。大げさにいえば、「あなたの目標のために、空気中の酸素の割合はどの程度になるべきだと思いますか?」とたずねられているようなものだ。個人の肌感覚からは遠すぎる。
ここでもし、「人間が少しでも長く生きるためには、空気中の酸素の割合はどの程度になるべきだと思いますか?」と質問されたなら、僕は胸を張って「わかりません」と答える。とりあえず人間と酸素との関係をネットや図書館とかで調べてみるしかないだろうな、というくらいのことをぼんやりと思うだろう。
目標がわかれば見当はつくが、目標がない場合、どうも答えようがない。
質問してくる彼らは、何か「前提」を隠し持っている。それは倫理観である。似た思想を持つ者同士で共有している理想、すなわち「目標」である。
結局のところ、彼らは「あなたは自分たちと同じ倫理観を持っていますか?」ということを問うているのではないだろうか。
そして倫理観が近しいことがわかれば、「その倫理観をお持ちならば、当然このように考えるのが妥当ではないですか?」というふうに、論を展開してくる。
倫理観がずれれば、「あなたの考え方はおかしい」と言われることになるわけだが、「考え方」というのは論理性ではなくて、もちろん「倫理観」のことである。
たとえば有名な倫理観として、「戦争は避けるべきだ」「人名は何よりも尊い」というのがあって、安保法案や自衛隊について質問してくる人の多くは、当然のようにこれを前提としている。そうなると、「軍隊は持つべきではない」というふうに、話が流れがちになる。
あるいは、「憲法は絶対にまもられなければならない」という倫理観が前提としてある場合、「自衛隊を軍隊にしよう」と言えば「憲法にはこう書いてあるんですよ」「あなたは改憲派なんですね?」ということになって、「憲法9条は世界に誇る云々~」という流れになったりする。(この日、そういう議論になっていたわけではない。)
こうした倫理観に乗っかってしまうと、「軍隊にすべきだ」派の人も、「戦争を避けるために抑止力としての軍隊を持つべきだ」という論理展開になりがちである。
あるいはもう一つ、超有名な倫理観は「日本は経済的に豊かであるほうがいい」で、これがやってくると、「軍需産業は日本にとって~」とか「防衛費が~」になる。
こうした倫理観を「共有」(賛成、反対を問わず)してしまうと、賛成と反対との数直線上でしか話し合いができない。貧しい会話である。
「戦争は避けるべきか、そうとも言えないか」とか「戦争を避けるために、自衛隊を軍隊にすべきか、すべきではないか」とかいった、二者択一的なわかりやすい話に、一度入り込んでしまうと、なかなかそこから出てくることができない。そうやって視野はどんどん、狭くなっていってしまう。
数直線の上に、あるいは「座標」の中に、閉じ込められてしまう。
世の中はそんなに平面的にはできていないというのに。
数直線や座標というのは、ごく狭い範囲のことを考える時には便利だが、広い世界のことを考えるのには向いていない。
一般的な学校の勉強というのは、その能力ばかりを膨らませるもので、もっと広い世界のことを考えるためには、ぜんぜん別の能力が必要である。
先日「爆笑問題カーボーイ」というラジオ番組(9月27日25時~放送)で太田光さんが話していた、
小林秀雄が紹介した
柳田国男のエピソードを思いだす。
ものを考えるのに大切なのは論理性ばかりではなく、あるいは単純な倫理観ばかりでもない、と思う。
2016.10.04(火) ブログと同期
どんなもんでしょうかね。(10月3日00:00以降にご覧下さい)
面倒くさかったらやめます、悪しからず……。
2016.10.03(月) 木戸銭システムと僕の好きなお店について。(芸術、生活、価値観、お金)
おざ研・ランタンにおける「木戸銭システム」は、「お金とは、何に、どう、どのくらい使うべきものなのか」という問いに対して、一つの解答となるような、価値観を提示するものである。
四谷三丁目、荒木町にある「私の隠れ家」というお店は、信じられないほど素敵なお店の中で(信じられる音楽を聴きながら)、信じられないほど素晴らしいごはん(おかずが十品くらいつく)を頂いて、食後にコーヒー(夜はほうじ茶)とかりんとうを楽しみ、何時間でもくつろいだ後に、千円だけ払って店を出られるという、信じられないお店である。
そんなお店をおそらく一人で作り上げ、ほとんど一人で切り盛りしている女の人を、僕は心より尊敬申し上げているし、彼女の作り続けている「芸術」を、本当に愛している。
「隠れ家」が表現しているものは、星の数ほどあるはずだけど、例えばその一つは「お金についての価値観」だと思う。
隠れ家では、ごはんを食べて、軽くお茶して、千円である。千八十円ではない。千円札を一枚出して、それで終わり。これが隠れ家の提出する価値観であり、思想なのだ。(と僕は思っているが、こんな言葉たちはたぶん、あのお店にはちっともふさわしくない)。
僕は隠れ家で「お釣り」をもらったことがほとんどない。ひょっとして一度もないのかもしれない。「お金のやり取りに要する時間と手順が極めてすくない」というのが、隠れ家における「お金の価値観」の一部であり、僕があの店を愛する理由の一つである。
僕のやっている「木戸銭システム」は、千円だか五百円だか好きな額を箱の中にポイ、と入れてもらって、それで終わり、というものなので、隠れ家の感じとよく似ている。ちなみにおざ研にもランタンにも、「お釣り」という概念はない。「お釣りをください」と言われたら、「そういうことはやっておりません」と答えた上で、「両替なら(誰かが)できるかも」と答えるようにしている。
おざ研時代は「目安は千円」としていた。隠れ家と同じなのは偶然の符合でもありつつ、価値観の類似による必然ともいえる(いいたい)。運命とさえ言いたくなる。隠れ家との出会いはおざ研を開いて後なので、影響を受けているわけではないのだ。
「お金についての価値観」。僕がおざ研やランタンによって表現していることは、幾つかはまあ、あると思うが、たぶんその一つにはこれがある。
というかお金を発生させるあらゆるものは、必ずこの価値観を表現しているはずである。それが松屋でもガストでも。
「私の隠れ家」を芸術というなら、松屋やガストはエンタメかもしれない。誤解は避けたいのだが、僕は松屋もガストも好きである。サイゼリヤならば、愛しているとさえ言っていい。ただしそれはエンタメとして。……サイゼリヤなんかは芸術の域に達していると言って差し支えなさそうだが、サイゼリヤはエンタメの枠の中でこっそりと芸術しているからカッコイイのである。小沢健二さんの『LIFE』のようなものである。(うん。)
エンタメと芸術の境界をつけるのは難しいし、今はどうだっていいのだが、どちらもすばらしいものではありつつも、はっきりと僕は芸術を愛している。
何故かといえば、エンタメはそうでもないのだが、芸術は必ず、一人の人間の人格に辿り着くからだ。ひょっとしたらこれが、「エンタメ性」なるものと「芸術性」なるものを峻別する境なのではあるまいか。
「隠れ家」の芸術性は、純子さんという一人の素敵な(素敵すぎる)お姉さんの人格に帰因する。AJITOならアミさんに、未来食堂ならせかいさん、SLIME BEならあんこさん。人と店が一体となったような、居心地の良い場所。芸術だなあ、と思いながら、その空間にひたることがとても好き。
これらのお店は、僕がいくくらいだから、どこも安い。「安い」「お手頃」「リーズナブル」、そんな言葉を貼られそうな価格帯。でも、大切なのは「安いか高いか」といった数直線上のどっち側にあるのか、なんて話ではなくって、その数字にいかなる価値観が練り込まれているのか、ということなのだ。
人は、「価値観」の存在しそうな所には、まず警戒して二の足を踏む。それから、自分に合いそうだとか、受け容れてくれるだろうと思えば、あるいはそれを願うなら、えいやっと足を踏み入れる。安いところになると、ねだん以外の「入りにくさ」が浮き彫りになる。高ければ「高いから」で済ませられるが、安い場合は「価値観」と正面衝突する。(新宿ゴールデン街の今の面白さはそういうところにあるのかも。)
僕の好きなお店は、「どうだ」とばかりに、半ば喧嘩腰に、どしんと価値観を据えている。「入ってこれるか?」とにらみをきかせる、門番のように。
あのお店たちが「安い」のは、できるだけ多くの人にその「価値観」と向き合ってみてほしい、ってことなんじゃないかな、と思う。
おざ研・ランタンで値段の下限を(上限もだけど)定めていないのは、できるだけ裸の状態で「価値観」と向き合ってもらいたいから、だったんだなあ。(こういうのは大抵あとからわかる。)それでも「目安」を提示している訳は、「その方が払いやすいから」と、「入る金額のざっくりとした目星をつけたいから」。目安の額は、家賃や経費をまかなうためには、何人がいくら払ってくれたらよいのか、という観点から決めている。
芸術、生活、価値観、お金。
それが「人格」にどう関わってくるか。
その実践で人生は終わりそうである。
そんな考え方を基盤として、ずっと考えている「限界芸術」について、「中高の文化祭」を題材として考えてみようと思う。(それはまたそのうちに。)
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