少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2016.08.19(金) 言えることは

 生きるのを辛がって死ぬことばかり考えていて、それでも「死ぬ」ということに確信を持てない迷い人へ僕が言えることはもう「本を読め」くらいしかない。本を読むくらいしか糸口はない。漫画でも映画でも落語でも何でもいいけど、何か内容を含んだものに触れ続けるしかないと思う。
 辛さをなんとかする方法は本当にたった一つしかない。それは「強くなる」ことだ。強くなるしかないのだ。残酷だけど本当にそうなのだ。強くならない限りは何も解決などしない。強くなるためにできることは様々だが、とりあえず無難なのは本を読むことなのである。何でもいいから「内容」に触れ続けることなのである。それで自分の中に何かを蓄積させていくくらいしか、リスクの少ない方法はない。
 学校の先生だから、国語の先生だから、偉ぶってそういうことを言うのではない。本当にそれ以外に自分一人で自分を強くする方法はないのだ。あとは「考える」とか「書く」とか「つくる」とかそういったことくらいだ。でもそれはやれと言われても難しい。やり方を教えるのも大変だ。出来る人はやればいいが、そうでないなら本を読むくらいしかないのではないか。
「働く」でも「人と話す」でも何でもいいのだろうが、それらは一人ではできないし、リスクも高い。一人でできて、安全で、簡単なのは、たぶんやっぱり、本を読むことだと思う。図書館に行けば無料だし。ためしてみる価値はあるはずだ。
 確かに言えることは、「強くなる」以外に解決策はないということ。誰も助けてはくれない。そう思っておいたほうが、実に無難だと僕は思う。
2016.08.18(木) 壊れていても

 人間関係は一筋縄じゃないから、「壊れている」ことと「仲が良い」ことは矛盾しないし、「感謝」「尊敬」「信頼」と「憎悪」「侮蔑」「不信」も併存しうる。「ああか、こうか」の答え合わせでは割り出せない関係も世の中にはある。
「彼らは仲が良かったんだから、壊れてなんかいなかった」ってのは雑な考え方で、「仲が良かったけど壊れてもいた」ということだってある。「壊れていたけど仲が良かったからこれまでは維持されていた」というふうにだって考えられる。「壊れていた上に仲が良くなくなったからもう終わり」っていうのなら自然な話だ。
 尊敬してる相手を殺したいほど憎んだり、ってこともあり得ることだ。嫌いだけど凄いと思うし感謝もしている、みたいな。(マンガ読んでるといくらでも出てくる。)
 実際誰と誰がどうだっていうことは僕にはわからない。当事者以外にはわからないことだ。しかし人と人との関係は単純ではない、ということは確かに言える。特に、家族とかそれに準ずるような深い絆で結ばれた関係があればなおさら。
「あんなに仲良くしてたんだから、軋轢も確執もなかったはずだ」というのは本当に乱暴である。「軋轢も確執もあったけど、あんなに仲が良かった」。だからこそ奇跡的だった、という見方だってあるのだ。

2016.08.10(水) 死との距離/死に無頓着

 日本の人はアマゾンの奥地に歩く木がいると聞くと「あー、木も歩くかもね~」と思ったりする。夜の小学校には巨人がいると聞けば「そういうこともあるのかも」と思う。怪談というジャンルが外の国でどのくらい人気があるのかは知らないがあれはけっこう日本人の感性に向いたものだろう。『雨月物語』にせよ各種の昔話にせよ、神秘的なことが当たり前にありうる世界だ。
 キリスト教的な価値観だと神秘的なものはすべて神(あるいはそれに準ずるもの)によるとされるのだと思うが、日本では別に神とかなんだとか関係なく木が歩く。
 山奥に住んでいる友達がこんなことを言っていた。「うちに白人のクリスチャンが住んでたことがあったんだけど、おかしくなって出て行っちゃった」と。キリスト教の世界に生きていた人が、いきなり日本的な、「いくらでも木が歩く」ような世界にやってきて、わけがわからなくなっちゃったんじゃないかな、なんて話をした。
 また日本人はどこかで、別にいつ死んでもいいと思っている。天国も輪廻転生も本気で信じてなどおらず、ただなんとなく、「別にいつ死んでもいい」と思っている。

 都会に住んでいると常に死と隣り合わせである。山奥に住んでいれば即死の可能性はずいぶんと低いが、都会では即死が当たり前にある。死との距離が近い。だけど人はみな麻痺している。「それがどうした」と思いながら、走っている電車の脇を歩き、びゅんびゅんと通り過ぎていく車の間をかき分ける。通り魔のいるかもしれない繁華街を歩く。
 日本の人はたぶん、いつ死んでもいいと思っているし、誰か人が死んでも「ああ死んでしまった」というふうに割合軽く思う。何万人が死んでも「ああ死んでしまった」と思う。
 原発や放射能に対してでもさほど深刻にならない。「まあ、死んだら死んだで」と、軽く見ている。甘く見ているのではない。そもそものところ、死なんてものは軽く見ている。
 だから「命の大切さを」なんて言葉は日本では空虚だ。実のところ日本では、命はさほど大切でもない。切腹や神風を欧米人がおもしろがるのはその感覚の違いによるのではなかろうか。
 欧米人はたぶん、「自分たちとは違うもの」「人間ではないと見なすもの」「同じ神を信じていないもの」の命については非常に軽く扱うが、自分の命だとか、自分たちの仲間の命についてはとても重たく考える。ところが日本人は、自分の命をけっこう軽く扱う。肉親についてもそう。中絶や子捨て、姨捨てについてけっこう「まあそんなこともあるわね」くらいに思っていそうだ。

 命は何より大切なものだ、という考えに普遍性などなくたぶん一種のイデオロギー(思想)である。話がぜんぜん飛ぶようだけど僕が思うに手塚治虫は「死んではいけない」と主張した作家ではない。「生命の重大さ」を訴えた作家ではある。生命というものは重大であるが、個々の命ひとつひとつを何よりも大切にすべきかどうかは、また別の話だ。手塚は「個々の命ひとつひとつを何よりも大切にすべきで、人が死ぬことはよくないことだ」と訴えているわけではない、と思う。(そんなイメージも別にないと思うが。)大切なのは「死なない」ということではなくて、「生命をどう使うか」だろう。『火の鳥』未来編のラストには「生命を正しく使う」という表現が用いられている。

 日本の人はたぶん、生命の使い方の一つとして「死ぬ」ということをけっこう容易に選びがちなのではなかろうか。切腹や神風も生命の用途の一つである。殉死や後追いや、あらゆる自殺がそうである。須原一秀という哲学者が『自死という生き方』という本を著しているが、彼は自らの死を哲学のために使った。ソクラテスも、生き延びることができたにも関わらず毒杯をあおった。この感じ、実はキリスト教圏の人よりも日本の人のほうが理解しやすいんではなかろうか。

 日本の人が人の死について無頓着ではないかと思うのは、東京大空襲の扱いを見ても思う。たった一日で10万人くらい死んでいるわけだが、それにしてはさして話題にのぼらない。東日本大震災にしても、地震・津波による死者よりもその映像の生々しさや原発と放射能のほうに関心が向きがちだったように感じる。むろんとらえ方は「人それぞれやでぇ~」だけど、僕はなんとなく全体的にそんなようなふうだった気がしている。
 古事記でイザナミが「美しき我が汝夫の命、かく為ば、汝の國の人草、一日に千頭絞り殺さむ」なんて言うけど、「ああ、人の命ってこうやって千人ひとくくりにされるくらい軽いものだったのかな~」と初めて読んだとき思った。でもよく考えたら、今だってその程度のもんなんじゃないかって気もする。
 南京大虐殺の人数についても、日本の人が死に無頓着なせいで定説を見ない(相手の言い値を受け流す)のではないかなという気もする。中国の人の感覚は、どうなんだろう。あまり重たいイメージはないけど。

 平気で森の木が歩き、木を伐るように軽々しく人が死ぬ。そういう感覚が基礎にあって、「別にいつ死んでもいい」とみんな考えている。ある生徒の母親は毎日酒をがぶがぶ飲んで、家族から「そのうち死ぬよ」と諫められると「いつ死んでもいい」なんて答えるという。そういう感覚ってほんとに一般的にあるよな。
 このHPの副管理人である某氏(某になってない)は「奨学金を返したら死ぬ」と時折表明するのだが、これがたぶんけっこう冗談ではないのだ。奨学金さえ返せば、別にいつ死んでもいいと思っているのだ。そしてこの僕も、彼がそうしたいんならまあ仕方がない、とくらいに思ってしまう。もちろん死んでほしくなどないので、ある程度までは「死ぬな」というエゴを通したくはあるが、どういう通し方をすれば実効性があるのかはわからない。僕だって「いつ死んでもいい」という気持ちはわりあい強くあるので、気持ちはわかってしまうのだし。「死にたい」「死ぬな」のエゴのぶつけ合いになれば、ただのけんかである。「おまえだって死にたいくせに」と言われれば反論のしようもない。「それはそれとして」なんて言えば「勝手なやつ!」となる。そんな戦争やってられないんで、やっぱり結局傍観してるしかないのかもしれない。
 死ぬっていうことは最も重大なことでありながら、当たり前にそのへんにあって、さほどいやがるものでもない。即死すればちょっとビックリする、というくらいのものだ。せいぜい緩やかに死んでいこう。

2016.08.09(火) 店=人格

 東京で、名古屋で、あるいは様々な地方に行って、いろんな店に入ります。僕はバーとか喫茶店とかでしらない人と話すのが好きなので、そういう雰囲気の店を探します。特に旅先では時間の許す限り、深夜まで街を徘徊して、これだと思う店を見つけては入ります。
 それは自分にとって「当たり」だったりそうでもなかったりするのですが、それを分けるのは結局「店主(バーテン)の人格」のみであって、それだけです。
 いい店だ、また来たい、と思うのは、そこに立っていた人の人格を好きだということだけが理由です。味も価格もメニューも店の概観や内装もほかのお客さんも、何もかも、店主の人格から湧き出てくるものと思うので。
 しかし、店主の人格なんてものは実際に会って話すまではわからないため、味や価格やメニューや概観や内装などから逆算して、「どうやらここの店主の人格は素晴らしそうだ」と判断するしかありません。そういう能力を僕は、様々な店を観察しまくりググりまくり入りまくることによって磨こうと努めております。それほど上手でもないのですが、しかし成功する例はけっこう多いです。(同じくらいそうでもないことも多いですが。)
 このたび高知では、見るからにヤバイ店に勇気を出して入ってみたら、とても素晴らしい時間が過ごせました。店構えを見ただけで、「あ、これはきっと間違いないやつだ」とその店に関してはほぼ確信できました。また別の店では、看板や店主やバイトの風貌を外から見て「これは違うな」と思ったものの、ちょっとゆかりのある店だったので入って見たら、やっぱりあまり楽しめなかった(店主・店員の人格に対して魅力を感じなかった)ということがありました。こういうのも良い蓄積になります。
 それにしても本当に心から「ここは素晴らしい」と思える場所はあんまり多くありません。つまり僕にとって「素晴らしい人格!」と思えるような店主はあまり多くないということかもしれません。「楽しかったな」とか「入ってよかった」と思うことはあっても、「もう! ここは!」と興奮するような場所は一握りです。でも決してまったく巡り会えないわけではないので、続けています。これは一種のギャンブルですね。ギャンブルは外れることのほうが多いから楽しいのでしょう。

 そんなふうな態度で、「サブカルの聖地」とか「ゴールデン街っぽい」と言われるとある場所へ行ってきたのですが、そこもあんまり楽しくなかったです。なぜかと考えたのですが、たぶんそこには若い人たちしかいないからですね。若い人たちが、「サブカル」「ゴールデン街っぽい」みたいな旗印のもとに集まってきているわけらしいので、絶対に「サブカル」とか「ゴールデン街っぽい」というもの以上の(あるいは、以外の)ものにはなれないのではないかな、と思うのです。既にあるものを手本にする以上、そうでない状態にはなかなかなれない。いずれもどこかで見たことのあるような店ばかりだし、そこでそうとう長くやっているらしい店の店主とも少し話したのですが、どうも「サブカル」かなにかの概念の内側にこもっている感じで、思考の形跡がないのです。
 ゴールデン街は、若い人が増えたとはいっても、まだまだ入りやすい老舗もたくさんあるし、必ずしも「サブカル」が旗印というわけでもない。土地の伝統もしっかりあるから、やっぱり強いですね。外国人観光客の増加が今後どう影響するかはわかりませんが。
 人格、人格。目指しているものがある人は、その「目指しているもの」の劣化した何かしか作ることはできないし、自分の内から出てくるもの以外を志向すると、そのお店はその人の「人格」をある程度無視したものになってしまって、体温のあるお店にはならない。「店=人格」であるためには、何も目指さず、ただ「こうであるのが良いだろう」という自身の感覚のもとに作り上げていくことが肝要であろうと、僕の好みに照らして思います。

 篠原美也子さんに『誰の様でもなく』という名曲があります。「誰の様でもなく 誰のためでもなく 誰にも似ていない I'm nobody」というのがサビの歌詞。人それぞれ人格は違うのだから、「店=人格」となっているような店は、必ず「何にも似ていない」ものになっているはずで、そういうお店(つまり人)に巡り会うと実に嬉しい。そしてそういう場所には、たいてい善い人たちが集まっているものです。

2016.08.08(月) お気持ち(個人について)

 ↑この題で長い文章を書こうと思ったのですがこれに関してはまだ言語化せずなんとなく混沌としたままにしておいてこれから書くお話の中に溶かし込んでいけたらと思います。

 2016/08/18現在、シン・ゴジラは観ておりません。このまま観ないかもしれません。何かが話題になっているときはたいていそうなのですが、「この渦にのみ込まれたくない」と思ってしまいがち。でも、SMAPとかASKAとかに関しては異様な執着を燃やすので、単に「話題だから」避けているというわけではないようです。

2016.08.07(日) ネタバレについて/感動について

 空前の「ネタバレ」ブーム。「ネタバレ」という言葉があちらこちらで飛び交っている。日本人とはこんなに「ネタバレ」を嫌う民族だったろうか。なぜこんなことになっているのか?
 映画『シン・ゴジラ』について語ろうとする人間が、絶対に避けては通れない言葉、「ネタバレ」。どこへ行っても誰かが必ず『シン・ゴジラ』の話をしたがる。そして「この中で見てない人っています?」みたいなことを言って、「あー、じゃあネタバレになっちゃうな~」とかいった流れになる、ことが本当に多い。
 なんでそんなみんなネタバレが嫌なん? なんでそんなに気を遣うん? ネタバレして殴られたこととかあんの? うーん確かに、インターネット(特にSNS)に親しんでいる人は、いろんなところで「ネタバレ注意!」とか「ネタバレ禁止!」とか「ネタバレを防ぐために○○してます」みたいな言葉を見かけるので、「ネタバレ=悪」みたいなふうに思わざるを得ない、というのはわかる。
『シン・ゴジラ』の場合は、パンフレットに「ネタバレ注意」「映画をよりお楽しみいただくため、映画ご鑑賞後にお読みください」と書かれた封がしてあり、公式に「事前に内容を知らないほうが楽しめるよ」とアナウンスされていることになる。試写会を行わなかったことなんかもあって、「『シン・ゴジラ』はネタバレ禁止の映画だ!」「みんなネタバレには気をつけろよ!」といった雰囲気が醸成されている。
 僕はまだ映画を観ていないんだけど、『シン・ゴジラ』の凄さってまずはここにあるんじゃないか、と今の段階では思っている。「ネタバレはよくない」という雰囲気を、あっさりと全国に広めた。
 僕は、「ネタバレはよくない」という雰囲気が、あまり好きではない。

 一つには、「観ないと話に入れない→だから観なくては」という同調圧力・同調欲求が生まれやすいということ。まあこれは別にどうでもいいです。誰もが思うことだし今に始まったことでもない。
 僕が気になるのは、「事前に内容を知らないほうが楽しめる」という考え方のこと。
 まあ、実際、そうなんでしょう。一度にぜんぶビックリしたほうが、「映画を観ている時の楽しさ・面白さ」は増す。映画を観ている二時間前後の間に得られる快感の量(すなわち密度)は、ネタバレがないほうが大きくなる可能性が大きい。あるいは、事前に内容を知らないということは、二時間で処理すべき情報量が増えるので、一度では内容が把握できなくて、二度、三度足を運ぶことが必要になってくる。客としては二度も三度も楽しめるわけだし、興行的にもそっちのほうがおいしい。(「なんかよくわかんなかった~」で終わってしまうような作品ならば別だが、内容や話題性に優れているのなら。)
 めちゃくちゃ乱暴にまとめてしまうと、ネタバレをすべきでないことに理由があるとしたら、「二時間の快楽」の質を高めるためである。映画というものがエンターテインメントである以上、その「二時間」の質を高めることは至上命題である(たぶん)ので、まあまあ、なるほどな、とは思う。
 どうも僕は元来、短時間の快楽というものがそれほど好きではないようだ。いわゆる「おいしいもの」をさほど強くは求めないし、風俗にも行かないし、映画館やライブに足を運ぶのもけっこう億劫である。
 これは好き嫌いの問題であって善し悪しではない。そのように考える人間がこの世に何パーセントくらいいるのかも、知らない。だけどそういう考え方はある。
 僕は、数直線で表せるようなメーター的な快楽の量について、あまり興味がない。(快楽だけでなくたいていのことについてそうなのだが、今は脇に置く。)瞬間的な快楽量が多いから、快楽メーターが高く反応するからといって、良いとも思わないし、それをすべきとも、したいとも思わない。それを良しとした人の行き着く先はヘロインである。(相も変わらず乱暴な極論!)
 じわじわとのんびりとした快楽ができるだけ続いていくことのほうが、どちらかといえば良い、と僕は感じる。そのためにならちょっとした不快も受けて立つ。
《なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。》という、『銀河鉄道の夜』の灯台守のせりふをいつも胸にしている。重要なのは、その一瞬の快楽量ではなくて、その快楽が果たして「ただしいみちを進む中でのできごと」として位置づけられるものなのか、ということだ。もちろんどうであるかは誰にもわからないことなのだが、せめてそうであればと祈って、できれば信じて、納得しながら生きていきたい。
 ネタバレの話だった。「ネタバレはいやだ」と思っている人は、「ネタバレをされずに映画を観ること」の利点について、どう思っているのだろうか。「そのほうが二時間の快楽の質が上がる」とだけ思っているのだろうか。そうでなく、長い目で見て、自分の人生の質のようなものが、ネタバレの有無によって左右されるかどうかを検討した結果、そう思うのだろうか。

 ここまで、ネタバレをされたくない側のことを考えてきたが、ネタバレをしないように努めている側のことも考える。彼らは、ネタバレをしないために、作品の内容について具体的なことを言えない。しかし、言いたいことがあるのに黙っていればフラストレーションがたまるので、彼らはやっぱり何かを言う。何を言うかといえば、それは多くが、「感動の表明」である。それで「感想」は、「感動」に封じ込められる。
「感想」に対しては検討ができるが、「感動」を検討することは難しい。すると「他人の感想を参考にして、観るかどうかを決めよう」という態度がとれなくなる。「とにかくみんなが感動してるんだから、よほど凄いものなんだろう」という数直線的な評価をするほかなくなる。質的なことは何もわからなくて、量的なものだけが判断材料として目の前に出される。
「ネタバレが存在しない」ということは、「感想を封じる」ということで、それは「感動を野放しにする」ということである。ネタバレができないからということで、Twitterなどで、「ゴジラ……ああゴジラ……」だとか、「ゴジラのことしか考えられない」といった言葉が並ぶ。ネタバレをしないように配慮しながら感想めいたことを書こうとする人だっているが、そういうことがうまくできるのはごく一部の賢くて表現力にすぐれた人だけだろう。たいがいは歯にものの挟まったような言い方にしかならない。(もちろん、「ネタバレ注意」と冠してはっきりと感想を書く人も多い。)
 感動が野放しにされると、もののりくつは問われなくなり、秘教じみてくる。秘教に参加できるのは「『シン・ゴジラ』を観る」という儀式を済ませた者だけだ。そして同じ教えを共有する者たちはお互いについて安心感を持つ。「おれたちは『シン・ゴジラ』に感動した仲間だ」というふうに。端から見ている人は「自分もそこに入りたい」と思う。
 僕は『シン・ゴジラ』を観ていないので、まさにいま「仲間はずれ感」のまっただ中にいる。先達の多くは映画の内容について進んで話してはくれず、「観てから話しましょう」などと言う。「あなたと同じ教えを共有したい」というラブコールである。そう思ってもらえているのだから、応えたいとも思い、なんだか観ていないことが申し訳ないような気分にさえなる。
 感動が渦を巻き、その中心にあるものはちっとも見えない。そうなると、どうしても気になる。また疎外感を得る。その渦の中に僕も入りたい。そう思わせてしまう力が『シン・ゴジラ』にはあって、本当にすごい映画だと、観てもないうちから思っている。


「事前に内容を知らないほうが楽しめる」というときの「楽しめる」とは、どういう「楽しさ」のことなのか?
 その楽しさのために、別の「楽しさ」が失われてしまうことは絶対にあると思うし、「楽しさ」以外の「何か」だってなくなってしまう。前情報がないほうがいいのか、あったほうがいいのか、というのは、あらかじめ決められる話ではなく、あろうがなかろうが、何かを感じたり考えたりできればよいという考え方もあるんで、「ネタバレはよくない」という考え方は、「まあそう言う人もいるよね」くらいで扱っておくほうがいい。
「ネタバレをしたからこそ意味のあること」だってあるし、もしもネタバレをしないことの意義が「快楽が大きい」ということだけだったら、「だったらもっと別の意義をとったほうがいいのではないか?」という発想だって見直されていいはずだ。
 あるいは、「ネタバレをしないことの意義って、なにがあるかな?」と、考えてみることも大事なんではなかろうか。
 そして感動についても、怪しいもんだと思ってみるのは、決して無駄ではないと思う。感動はもののりくつを見えなくさせる。本質を覆い隠す。感動そのものに質はなく、感動の中から質を探り出すことが、たぶん大切なのであるから。


『シン・ゴジラ』に限らず、ネタバレをきらう人は、なぜ嫌うのか? 事前に内容を知らないことのメリットとは何か? そのことにどんな意味や意義があるのか?
 野放しにされた感動は、何をもたらすのか? あるいは、何をもたらさないのか?
 感想よりも先に感動を共有することによって、いったい何が起こりやすくなり、何が起こりにくくなるのか?

 野比のび太先生お誕生日おめでとうございます。

2016.08.06(土) 麺の島(まんが甲子園)

【日程メモ】
6 京都、関空、梅田、石橋、三ノ宮
7 高知 まんが甲子園、散策、宴会、ファンキータイム
8 高知 シュシュ、スプーン(今ここ)、未定だがどっかにこもって文章書く、その気になったら飲みに行く
9(予定) 神戸、ポートアイランドでポートピア歌う、ポエム、空いてればWindow of dream?
10 六甲山に登る。空いてればWindow of dream?
11 大阪 まだみぬ友人に会う
12 名古屋?
13 不明
14 名古屋
15 不明
16 不明
17 不明
18 出勤


 まんが甲子園には初めて行ったのだが素晴らしいイベントだった。全国のペン児が戦う本選も素晴らしかったが地元の高校の漫研(的な部活・同好会等)が集って廊下でプチコミケを開催していたのがとてもよかった。その中では土佐高校のくもはぜ先生とサラダバー先生を中心とした合作『麺の島』『続・麺の島 S沢博士の奇妙な愛情』が特に良かった。二作合わせて250ページという大作である。
『麺の島』は、高知県に突如出現した謎のカップラーメン生物「麺イカ」が四国全土を制圧しようとするのを自衛隊が抑えようと奮闘するパニックもののようなストーリー。今ちょうど『シン・ゴジラ』が話題だが、このような作品の醍醐味は「どうやって怪物をくいとめるか」。(初代『ゴジラ』におけるオキシジェン・デストロイヤーは有名である。)
 本作の場合、麺イカを食い止める方法は「四国と本州とを繋ぐ大橋を一つずつ破壊していく」であった。もちろん麺イカそのものの殲滅にも力を尽くすが、強すぎて勝てないのである。仕方なく瀬戸大橋をぶっ壊すラストシーンには迫力がある。四国民がどのような想いで、いかに多大な障害を乗り越えて大橋を建設したかを知る者にとって感慨はひとしおだろう(きっと)。
 この作品について「高校生が描いたとは思えない」という感想は言わない。アイデア・技術ともに高校生ならば十分に描けるクォリティのものだと思う。ただ、250(100+150)ページもの物語を破綻なく、しかも合作で描ききるというのは、小学生だろうが大学生だろうが簡単にできるものではない。
 自衛隊などの考証に手を抜いていなかったり、四国・中国地方の実在の地名や特色をうまく活用したりと、作品に厚みを持たせる術も心得ている。随所にちりばめられた過去作品へのオマージュ(『ナウシカ』『逆シャア』『あ~る』『ゴジラ』などなど……)も、かつての名作から多く学んできた証左である。
 部誌に掲載されたくもはぜ先生(長編のストーリーやネームは主に彼が担当したようだ)の短編二編も、個性があってなかなか読ませる。構図取りなどの実作上の技術や、キャラクター作り、アイデアの質などは、これからさらに磨いていく必要があると思う(偉そうですみません)が、何かを見て学び、描いて完成させるという最も重要な力が既にあるので、これからもどんどん死ぬほど描きまくってほしいものだ。次の作品があるなら本当に読みたい。

 会場で読み終わり、興奮してふたたび売り子さんのところへ行った。なんとか話を取り付けてくもはぜ先生に会うことができた。うまくすれば来春には大学入学のため上京するそうだ。『続・麺の島』以来まんがは描いていないらしいが、「受験が終わったらまたぜひとも。読みたいです」と伝えておいた。これだけでまんが甲子園に行ったかいがあったというものである。

 Moo.念平先生……いや、Moo.念兵衛師範による「大笑いまんが道場」は、実に面白かった。村岡恵先生、最高でした。また、CHAWAN MUSHIチームのヘッドフォンの子! とてもすばらしかった! 直接伝えられなかったのでここに笹舟を流しておきます。

2016.08.05(金) 大曽根の血

 大曽根はずいぶん変わった。これまで地下に潜っていた人たちがうようよと表に出てきている。三角ビル(サンシャイン大曽根)はかつて孤高を保っていた。様々ないかがわしいテナントをそろえた風俗ビルであったが、駅から隔離され、まさに「知る人ぞ知る」であった。何もなかったその道に今や新しい居酒屋やガールズバー等が建ち並び、駅と三角ビルとの「接続」の役を果たしている。キャッチの男性もそこここに立ち、また歩き回っていて、三角ビルの方面へと飲んべえたちを誘導する。驚いたことに三角ビルの向こう側、つまり駅からより遠いエリアにも若い水商売のお店が増えていて、いかがわしさはじわじわと勢力を広げているらしいのだった。大曽根はこれからまだまだ発展するのだろう。
 僕がこの町に住んでいたのは十八歳までだから、夜の世界はもちろん知らない。またうちの中学校の主なテリトリーは上飯田のほうで、大曽根駅のほうは複数の学区のちょうど分かれ目にあたる。いろんな勢力がひしめき合ってこみ入っており、また交通の要衝でもあるため、ものすごく小規模な話ではあるが文化のるつぼとして機能しているのだろう。川が近くて治安も悪く、それで昔から町の規模に比して風俗や水商売が割と多いようだったが、それが近年、どんどん表の方へ進出しているように見える。
 南口のほうだとか、メッツ大曽根の裏だとかに、ちょっとそんな雰囲気のあることは知っていた。しかし駅の北西側の大通りでキャッチが歩き回るなんてことがあるとは思わなかった。知らなかっただけなのだろうか。でも、ともかく確実にお店は増えている。(あんなところに鳥貴族ができるなんて!)
 発展していく町もあれば寂れていく町もあるのだろうが、大曽根はたぶん前者だ。ここにきてなぜだか景気がいい。いったいどういうことなのか?
 と思って何気なく検索してみたら、わけのわからないページにぶちあたった。「大曽根vs新宿」。名古屋の大曽根と東京の新宿との類似を指摘しているのだが、その妥当性は脇に置くとして、大曽根と並べられるのが新宿というのは面白い。ちょうど僕は今日、キャッチをかわしながら友達と大曽根を飲み歩きつつ、「歌舞伎町かよ!」という言葉を図らずも発していたのである。確かに、なんとなくそういう匂いを感じていたのだ。
 高校を出て東京に出てきてから、僕のテリトリーはずっと新宿である。新宿が最も心地よい。「たまたま」だと思ってきたのだが、実は大曽根を思わせる何かが新宿にはあるということなのかもしれない。大曽根には国道19号線が走っていて、北東になぞるとやがて20号線に切り替わる。甲州街道である。そのまままっすぐ東に走れば新宿なのだ。また、大曽根と新宿とはJRの中央線でも繋がっている。運命的なもんを感じないでもない。
 上記のページを読み進めていくと、「では、大阪ではどこに対応するのか?」という話題が出てくる。このサイトの管理者の考えでは、十三(じゅうそう)らしいのである。ちょっと待った、僕が大阪で最も親しんだ町といえば、十三だ。
 十三には友達が住んでいてよく遊びに行った。そこで「おかわり」という小料理屋に出会ったという話はここにも何度か書いている。初めて「おかわり」に行ったとき、ママから、「なんか初めてやのに、初めてっていう気がせえへんねえ」と言ってもらえた。ひょっとしたら僕の身体に流れる「大曽根」の血が、「十三」の血と呼応した、ということなのかもしれない。(ほんまかいな)

 人はときに、「しっくりくる」という感じによって、頭で考えるよりもずっと早く、膨大な理屈をわかってしまう。西武池袋線沿線に住んでおりながら、池袋をちっとも好きになれずに、いつも新宿で遊んでいた。渋谷はちょっと苦手。毎日通った高田馬場も、新宿ほどに好きな町とはならなかった。そのわけは、結局のところ大曽根の血なのかもしれない。

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