少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

 過去ログ  2016年4月  2016年5月  2016年6月  TOP
2016.05.30(月)~06.01(水) 子供の匂いのする場所へ

 たまたま火曜が休みになったので、月の夜から水の夜まで、三日間名古屋に帰省した。春に帰れなかったのでちょうどよかった。
 今回のテーマは、最初から最後まで「子供」だったな、と思う。

●30日
 まずは小学校の二つ下の後輩に会った。隣の団地に住んでいた子で、今は児童劇団で役者として働いている。演劇だけで食っていけるというのは本当にすごいことで先輩としては誇らしいばかりだ。しかも僕が小学校の時から好きだった劇団で、岡田淳先生の作品もたびたびやっているところ。もちろん最初はお母さんに連れて行ってもらった。うちのお母さんは、昔から常に子供の匂いを身にまとっている人であった。
 その後輩とは中学まで一緒で、高校は離れ、三年生の時に演劇部の大会(3月の「合発」)で再会した。まさか芝居をやっているなんてお互い思ってもいなかった。その時にたぶんアドレスを交換したんだと思う。それからたびたび連絡があったけど、たぶん会ったのは練馬文化センターに彼女の出る『モモ』(脚本・演出が佃典彦さん!)を観に行ったときで、2012年9月らしい。それからは何度となく通っている。正直に言って彼女の演技に惚れ込んだのだ。大女優である。
 小学校の時から知っている同士だけど、思い出よりも現在や未来のことを語るほうが多い。かたや教員で、かたや児童劇団。子供の匂いのする仕事。未来のことを考えがちな人たち。だからある程度、見つめているものが近いんだと思う。理想とすること、というか。
 もちろん昔の話もする。今回とくに盛り上がったのは、僕が五年生で彼女が三年生だったときの、学芸会の話。その時に四年生がやった『オズの魔法使い』が、二人ともとても好きだったということがわかった。その中に出てくる歌のほとんどを、声を合わせて歌うことができた。リハーサルを含めても二回くらいしか観ていないはずなのに、歌詞もメロディも完全に一致していたのだ! ビデオなんか存在しないし脚本も持っていないのに。それくらい子供の記憶力ってのはすごいものだし、それくらい児童向けの劇の曲は歌いやすく覚えやすく作り込まれているのだろうし、それくらい僕らはその『オズ』が好きだったのだろう。将来「演劇」というものに関わっていく素地が、既にあったと言ってもいい。(ちなみに僕はその年『ピーターパン』で主役をやっていた。)
 そういえば六年生は『走れメロス』で、なんだか僕の好きなものが揃い踏みだ。いや、「学芸会で演じられたから好きになった」という事情もあるのかもしれない。オズもピーターもメロスも本当に大好きなんだけど、すべて小学校五年生の時に「演劇」として観たものである、というのはなんだか特別に意味があるような気がする。

「おうちに帰りたい」「かしこい知恵がほしい」「優しい心があれば」「強い勇気をください」と、ドロシー、かかし、ブリキ、ライオンが順に歌っていき、その後に「いこうよ、オズに会いにいこうよ、きっと望みをかなえてくっれっるっ」と全員で踊りながら歌う、というふうなシーンがあったと思うのだが、ミュージカルのすばらしさはこの簡潔さにある。人物の気持ちが一瞬で把握できるし、ストーリーの流れとかみんなの目的とかもわかりやすい。すぐれてる。
 こういうすぐれているものを、二十年という時のあとで共有して、現在につながっていることを確認し、そのまま未来へもつながっていくと確信できる、というのは本当にうれしい。
 憶えていることを、思い出す。それを共有して、お互いの現在と混ぜ合わす。輝くならば、未来は照らされる。そこで笑顔は最も栄える。

 車で家まで送ってもらった。家までってことは、彼女の実家の隣まで、ということでもある。二十年くらい前には二人ともここにいたのだ。猫の毛をなでるように、何度も、僕らは時間をなぞっていく。


●31日
 小沢健二さんのライブのため遠方より友来たり。名古屋観光に連れて行く。と言っても、僕の地元を案内することに終始した。『オズの魔法使い』の世界をモチーフにした地元の商店街、初詣に行く天満宮、マンションからの眺望、そして矢田川。
 実家の玄関を開けるともう河川敷が視界に開ける。堤防と芝生と川。橋。線路。ガスタンク。アピタ。家々。さらに遠景に山の稜線。これがすべての僕の原点である。
 川を渡る中央線は中津川を通り松本を脇に見て遠く新宿までつながっている。青い橋は19号線でこれも松本へ向かい、20号に乗り換えれば甲府をこえてまた新宿へ着く。僕が新宿を根城にしたがるのにはそういう理由もあるのだろう。川の向こうには新宿がある。隠す山々を抜ければ、道は往くべき場所へ繋がっている。
 つねかわという鉄板の前に客が三人くらいだけ座れるお店で、お好み焼きともちチーズとこんじょうやきを食べた。いつもこの組み合わせ。大人になったのでビールを頼んだらのどごし生が500ml缶でデーンと出てきた。駄菓子も買った。いつ行ってもここのおばちゃんは僕のことを憶えている。学区のことは何でも知っている。
 呼続の喫茶店に行ってコーヒーを飲んだ。マスターは小沢健二さんのことをしっかりとずっと愛し続けていて、そういう方の作る空間はやっぱり素敵だ。空間を作るのは人格だと思う。このお店には決まって親子連れがいる。幼い子たちが走り回る。子供の匂いのする場所。ポスターからも何もかもからも、そういう香りがたちこめている。そこへまた別の友達もやってきてくれた。マスター含め、みんな今日明日の小沢さんのライブに行くのである。
 観光らしく、大須を歩いた。お茶とういろを買って、みたらしをかじり、スガキヤで休んだ。そして気づいてしまった。スガキヤも、子供の匂いがする。内装がかわいい。考えてみればこんなカラーリングのラーメン屋はない。味もやさしい。甘味も豊富。そもそも「スーちゃん」は子供そのものではないか。値段も安いから子供でも何とか食べられる。夜はどこも早く閉まる。
 小沢さんの新曲の中で「ベーコンといちごジャムが一緒にある世界へ」というフレーズが出てくるのだが、スガキヤは「ラーメンとソフトクリームが一緒にある世界」だ。同時に頼んで、同時に食べて、ものすごくおいしい。相性がいい。本当に一度ためしてみてほしい。孤高と協働、とはまさにこのこと。自由とはそういうことなのだ。それは「子供の匂いがする」ということなのかもしれない。走り回る子供たち。
 大須は混沌とした街だ。古着屋もエスニック料理店もメイドカフェも老舗のうなぎ屋も平気で共存している。大須ういろ本店の隣にはおもちゃ屋さんがあって、コロ助と日本人形が同時に売られている。この区画は古着、この区画はオタクカルチャー、といった棲み分けが一切ない。日本茶の隣で黒人が巨大なシャツを売っている。包丁屋の向かいではパフェが食べられる。しかし通りには万松寺通りとか東仁王門通りとかって名前がついていて、整然としたマップがあって、「大須」という価値観の中でなんとなく調和している。混沌と秩序が一緒にある世界。好きだ。
 そしてZepp名古屋へ。けっこう前のほうで聴いた。サイゼリヤで感想を話し合った。ワインを飲んで酔っ払ってしまった、終電で帰った。

●1日
 早起きして名駅でモーニング(ハセ)。ゆでたまごと小倉トーストが一緒にある世界。遠方へと見送った。僕はその一緒にライブを聴いた子から、「ジャッキーさんがいなかったら、今回の新曲もすぐにはピンとこなかったかもしれません」というようなことを言ってもらえて、それで涙があふれた。五月の涙を僕らは誇りに思おう。「ライブで新曲の歌詞を聴いていて、ジャッキーさんじゃん、ってずっと思ってました」と言ってくれた。こんなに嬉しいことはない。小沢さんに僕はそういうふうに育ててもらったのだ。他にもたくさんの善い人たちの力を借りながら。
 僕は人と話したり、こうやってここに文章を書くことによって、誰かの生活や一生がほんの少しでも良くなったらいいなと願っている。それが「宇宙の中で良いこと」であるように祈っている。彼女は小沢さんの新曲を自分なりに受け止め、糧にしていこうとしているのだが、それについて僕がもし本当に、何らかの助けになれていたら、僕と出会ったことによってそのことが多少でもやりやすくなっていたとしたなら。それはきっと「宇宙の中で良いこと」だと信じる。そういうことを僕はたぶんここで十年くらいずっと言っているのではないかな。それをこのサイトの熱心な読者でもある(ありがたい)彼女は、感じてくれたということなのだろう。
 例の後輩の出るお芝居を観るために鳴海に向かう途中、名鉄が呼続に停まった。まだ時間があったので、一瞬の判断で飛び降りた。彼の店に向かった。コーヒーを飲んで、マスターと話して、詩のようなものを書いた。子供たちがたくさんいた。
 劇団の公演には二百人くらいの子供たちがいた。くだらないギャグで笑い転げる彼らに、僕は普遍性を感じた。子供たちは常に普遍的にそういうもので、大人たちこそが特殊な存在である。自己中心的な大人たちはそれを反対にとらえがちだが、事態はぜんぜん逆なのだ。
 子供が面白い、と思うことは何万年来不変なのではないかと思わされた。だから本当に大切なことも何万年来不変。子供たちは子供たちとしてずっとそこにいて、それとは関係がなく独立して大人というものはポンポンと誕生していく。子供は子供としてだけそこにいて、生まれることもなければ、大人に「なる」ということもない。そういうことなのかもしれない。
 バラシ(撤去)を手伝って、終わって駅まで見送ってもらった。見送る、という行為は本当に素敵だ。
 名駅までとって返し、またもゼップ(本当は帰る予定だったのだがたまたま行けることになった)へ。終演後、例のマスターといいビールを飲みながら感想を話し合う。遠く離れて、関係がなく育ってきた人たちが、小沢健二さんという人の作品などを通じて「互いに仲の良い志」をそれぞれ育んで育ち、生き続け、今になって出会って共感し合えるっていうのは、ものすごい話だ。そういうことばかりをしあわせに思う。
 彼は小さい子供が二人いるそうで、そういう方ならではの感想も少しだけ伺うことができた。子供の匂いのする人だった。
 喜びを他の誰かとわかりあう、それだけがこの世の中を熱くする。
 バスに乗った。

「一回きりじゃ絶対ない一生」とは、何度もなぞっていく一つの一生なのかもしれない。たくさんの一生があるわけじゃなくって、ひとつの一生を何回でもくり返していく。
 三日間名古屋に帰って、昔の友達に会って、新しい友達とも話して、地元を歩き回り、(つねかわとか行って、)小沢さんのライブも見て、なんか何回もくり返してきたことをまだ何度でもくり返しているような気がする。数十年を、何回も。
 現在地点の僕には、うれしい言葉がたくさん投げかけられる。名古屋でも、東京からも。本当に幸福なことだ。
「誰かが用意してくれた道の上」に、無理して乗っかんなくってよかった。
 そんな感慨も何回めだろう。
「一回きりじゃ絶対ない一生で、僕はこんなやつになれたんだ。」
(中村一義/そこへゆけ)

2016.05.29(日) 「一対一対応」→「答え合わせ社会」

 メモ帳に、
「答えなんてない! このままで
 急がない、いそいだらそれが結論になってしまう」
 とだけ書いてあった。
 何を意図して、なぜ書いたのかうまく思い出せないのだが、しかし僕の考え方のエッセンスが詰まった一節であるような気がする。

 僕はたぶん、結論というものがきらいだ。
 地球が回り続けている限り、終わりということは絶対になく、だったら結論というものも存在しえない、便宜的なものでしかない。
「とりあえず一旦」という形で、結論という言葉を使うことはあるし、それは整理のためにとても役立つ。それが嫌いなわけではない。しかし、「結論=正しい」ということになると、僕はいやなのだ。
 正しさとは過程の中にしかないのでは? というのは、プラトンの作品(たとえば『リュシス』)を読んで強く思ったことだ。結論は、絶対に正しくない。そう考えておくべきだ。正しいということになってしまうと、そこで停まってしまう。地球は回り続けているというのに。

 僕の常々いやがっている、現代に支配的な在り方とは、「一対一対応」の原則から発生した「答え合わせ社会」である。
 一つの問いには必ず、一つの答えがある。それは学校のテストに慣らされた我々が知らず知らず刷り込まれている感覚である。多くの人は、日々の中でひたすら、答え合わせをしている。
 こうかな? と思ったら、それが正解かどうかをたずねる。正解! と言われたら、安堵する。そういうことばかりを、僕たちはやっている。
 おいしいかな? おいしい!
 気持ちいいかな? 気持ちいい!
 好きかな? 好き!
 雨が降るかな? 降った!
 ライブで『ラブリー』を歌うかな? 歌った!
 四つのうち、どの洋服がいちばん似合うかな? これかな?
「それ、似合うね。」
 そう? うれしい!
 こうした答え合わせが発展していった先に、「承認欲求」という言葉も生まれたのだろう。

 この世の中には問いがあり、それには必ず答えがある。一つか、もしくは二つ以上ある。
 そんなの当たり前じゃないかって? いや、そうでもないんじゃないかな、っていうのが、僕の考え方だ。
 そもそもこの世の中には、「問い」なんてのはないかもしれないのだ。
 問いがなければ答えもない。
 みんな実は、答えがほしい。だから問いを立てたがる。
 答えなんかない、って思えば、問いを立てる必要もない。
 空を見上げて、それが美しいとき、そこには問いも答えもない。
 美しいかな? と思って見上げれば、それは答えを要求してしまう。
 でもそれは、空の美しさとはまったく関係のないやり取りなのだ。

「そしてそっとクイズを出す 悪魔が現れるのを待つ」
(フリッパーズ・ギター『奈落のクイズマスター』)

 急がないでいい。答えも結論も、問いもいらない。
 ゆっくりと星を見ていればいい。(星の彼方では猫が眠るだろう。)
 あせらず流星を待てばいい。
 すぐに答えを要求する、答え合わせ社会には、のみこまれないで。
 一対一ですべてが対応するという、幻想なんて捨ててしまおう。

 大好きな人を名前で呼んだり、苗字で呼んだり、二人だけの特別な呼び方で呼んだりする。それは本当に楽しくて、なかよくて、最高のやり取りだ。
 おにいちゃんでもないのに「おにいちゃん」と呼んだりしたって、誰も怒ったりしない。それが幸福な世の中のありかたなのだ。太郎が次郎でもあるような世界。
 少年がスーパーヒーローになれる世界。

 振り付けのない永遠のダンスを踊り続けるのだ。
 誰が決めたのでもない。僕たちは踊りながら抱きあって眠る。

2016.05.28(土) お金がない!(孤高のドラマ)

 今井雅之さんのご命日ということで、ドラマ『お金がない!』を見た。
 織田裕二演じる萩原健太郎は、最終回で、石橋凌演じるユニバーサル・インシュアランスの社長、氷室浩介に言う。
「社長は以前、成功するためには、何かを捨てなければならない。そうおっしゃいましたよね。捨てなければならないものって、何ですか。家族や異性に対する、愛ですか。人間としての優しさですか。それとも、正直に生きるということですか。だったら嫌です。僕は捨てたくない。」

 愛や優しさ、これはわかる。捨てたくない。しかし、「正直に生きるということ」これはわからない。なぜ彼は「正直に生きる」ということを捨てたくなかったのだろうか。
 萩原は、誠実であろうとした。
 恩人である社長の不正を暴き、世間に公表し、訴えようとした。
 また、幼なじみの美智子(財前直見)と、親友ともいえる大沢一郎(東幹久)との結婚を、止めてしまった。結婚式の最中に「待った!」と叫んで、帳消しにさせた。
 それが萩原のいう「正直に生きる」ということなのだろうか。あるいは「家族や異性に対する愛」であり、「人間としての優しさ」というものなのだろうか。
 愛や優しさは正直さは、自らの主観的な理想や欲求、つまりエゴ、ということなのか。
 彼のいう「正直に生きる」というのは、「自分のやりたいようにやる」ということ、だったのだろうか。

 僕は、正直に生きることなんて、いくらでも捨てていい。もうすでに、大量に捨ててきた。そうでなければ、僕はこんなやつになれてはいない。
 自分らしく生きるということは、とても素晴らしいことだと思うが、しかし人は、単独で自分らしくあることなどできない。自分らしいというのは、周りの環境とか、他人とか、そういうのを全部ひっくるめて判断されるべきものだ。
 自分らしさが独立してあるとすれば、それは自分本位の欲求でしかない。
 萩原はたぶん、「正直に生きる」ということを根本的な欲求としているのだ。
 僕の根本的な欲求は、「なかよく生きる」である。

『お金がない!』は超がつくほどの名作だと僕は思うが、しかしどこまでも、個人主義的にすぎる。そこはどうしても好みに合わない。孤高と協働のうち、孤高だけがクローズアップされすぎている。しかしそこに当然つきまとうはずの「さみしさ」は強調されない。それが怖い。
 ラストシーン、萩原は「株式会社ハギワラ」を設立し、たった一人の事務所で、たった一人で電話をかけ、たった一人で自転車に乗って出かけていく。
 出勤前には、美智子に指輪を渡して。
 そこには萩原しかいないのである。

2016.05.27(金) 「最終回予告なんて、僕等はとうに知ってる。」

 さみしがりやは、とてもやさしい。さみしいのは、人が好きだということだから。
 僕はいつでも人を求めている。きみに会いたい! と願い続けている。

 最終回はいつか訪れる。君は奪い去られて星となる。
 月の使者が、かぐや姫の心を消して、月へ連れ帰ってしまうように。
 正しいさみしさの源はこれだ。
 永遠への不信。でもそれは、一瞬へのあつい信頼。
 瞬間への愛。

 最終回の到来をすでに知る者だけが、一回一回の人生を大切にできる。
 何度も終わり、何度も始まる。そのたびに誰かを愛せるのは、最終回を知っているから。

 最終回を知るものだけが、最終回ではない回を知ることができる。
 これは終わりじゃない、と、終わりを知る者だけが自覚できる。
 だからその一回を、一瞬を、輝いていられる。
 本当に最終回を知っているひとは、「いま」に不安なんか持たないのだ。
 だってこれは、まだ最終回なんかじゃないから!

 そう思ったって思わなくたって、最終回が訪れることを、知っている。
 だから特段、悲しむこともない。
 最終回予告なんて、僕らはとうに知ってる。
 だからいつでも優しさをもっていられるのだ。
 だからいつでも、きみに会いたいと思うのだ。
 大いなるさみしさのもとに。

2016.05.26(木) ラーメンとソフトクリームが一緒にある世界へ

 名古屋にはスガキヤというラーメン屋がある。誰もが認めるソウルフードである。大きいスーパーのフードコートなどに必ず入っている。ラーメンが320円。310円上乗せすると五目ごはんとデザート(主にアイスクリーム的なやつ)のセットがつく。スガキヤはラーメンだけでなく甘味も売りなのだ。
 僕がよく頼むのは「ラーメンとソフトクリームミニ」、410円。スガキヤのデザートは原則として後出しではない。おなじ盆に同時に置かれる。それでラーメンとソフトクリームとを一緒に食べる。名古屋駅や栄など観光客の多い店舗では「ソフトクリームはいつお出ししますか?」と聞かれることもあるのだが、地元密着型の店舗では何も言わずに同時に出してくる印象がある。マニュアルではどうなっているのだろうか。とにかく名古屋の人間はスガキヤに行くと当たり前のようにラーメンとソフトクリームを同時に食べるのである。
 ラーメンのスープをすすって、ソフトクリームをなめる。そしてまたラーメンを一口。この往復がたまらないのだ。スガキヤのラーメンとソフトクリームとの相性は本当に抜群で、こんな味を知らぬ人は地獄に落ちるでしょ、ってくらいのもの。
 名古屋の人たちはそういう食べ方を好むのかもしれない。小倉トーストという、焼いたパンの上につぶあんやゆであずきをのせた食べものが有名だが、これはデザートではないので、朝食として食べるなら当然同時にハムエッグやなんかも出てくる。ベーコンとイチゴジャムならぬ、ハムエッグと小倉トーストが一緒にある世界、というのが、名古屋の朝の食卓である。考えてみればみそカツやおでんのタレも、ひつまぶしも甘い。手羽先も甘辛が大人気だ。
 しょっぱいものと甘いもの、という一見相反するようなものたちが奏でるハーモニー。手塚治虫先生は藤子不二雄両先生に対して「君たちはアボットとコステロの凸凹コンビみたいだね」と言ったとか言わないとか。世の中の二人組は凸凹であるほうがうまくいく、という説がある。夫婦でもそうだしプリキュアでもそうだ。「真逆のキャラでも相通じてる」(『DANZEN!ふたりはプリキュア』)というフレーズが過不足なくそれを歌い上げている。
 それは矛盾ではない。両立する。

「デカダンもね、ポップもね、もう同じとこにあるんだ。
“死にそう”もね、“希望”もね、もう同じとこにあるっていう意味で・・・。」
(中村一義『いっせーのせっ!』)

 本当の世界は二者択一ではない。一方を選んだら一方を捨てなければならない、という「一対一対応」の世界ではない。ありのままの世界はもっと自由だ。だからあらゆるものは両立する。共存する。
「魔物が滅んだ世界が平和なのではない。人間と魔物が共存する世界が本当の平和…」と、ザードだって言ったではないか。(夜麻みゆき『幻想大陸』最終回より)
『レヴァリアース』にしたって、魔法使い(ウィザード)と僧侶(クレリック)の対立が描かれるが、本当はみんな共存すればいいだけの話なのだ。

「すべてが奏でるハーモニーに心委ねてみればいいのさ」と晩年の尾崎豊は歌っていた。そう、ラーメンとソフトクリームが奏でるハーモニーにも耳を傾けてみるのだ。

 さあ。本当と虚構。混沌と秩序。直観と推論。絶望と希望。残酷さと慈悲。孤高と協働。
 ベーコンとイチゴジャム。
 ハムエッグと小倉トースト。
 ラーメンとソフトクリーム。
 みんなが一緒にある世界へ。
 その光の中へ。
 おれたちの せかいへ!

 個人が個人として光り輝き、かけがえのないものでありながら、そんな人たちが集まって一緒に暮らす。支え合って、愛しあう。それだけがこの世の中を熱くする。
「二人で泣きわめいたり、二人で笑いあう日々」。
「あたしの世界とあなたの世界が、隣り合い微笑みあえるのなら」。

 それが美しく、愛おしい、慈しみ深き、孤高と協働。

 傷ついたり傷つけたり、愛したり愛されたり、そんなものもすべて当たり前に同時に存在している。それを嫌うことはない。残酷さと慈悲。

 ラーメンとソフトクリームに、食べる順番なんて本当はない。甘いものは食後に、なんて決まりはどこにもない。先に生まれた人たちが、かってに作ったルールにすぎない。
 順番を守ることは誠実だが、順番を意識した途端、そこに「対等」はなくなる。
 すべてを等しく愛するためには、順番や秩序というものを省くことも必要になる。
 第一子だけを愛したり、末っ子だけを愛してしまうのは、順番と秩序の悲劇である。
「お姉ちゃんだから」「女の子だから」そんなものはいつでも取っ払ってしまえたほうがいい。ただ、お姉ちゃんは確かにお姉ちゃんだし、女の子は確かに女の子なのだ。そうである限りは、そうなのだ。
 お姉ちゃんであって、でも、いつでもお姉ちゃんじゃなくなることができる。
 少年であって、スーパーヒーローでもあるような感覚。
 それが魔法的ってことでもあるのかも?
 こんな自由を獲得したとき、人は空だって飛べるのだ。
 女の子であって、でも、いつでも女の子じゃなくなることができる。
 太郎であって次郎でもあるような世界。
 そこで遊ぶことはきっと心から楽しいのだろうな。

 五年前だか十年前だか、自分の文章が理屈っぽすぎて嫌になった時期がある。高校生の頃はもっと感覚でなんでも書けたのに! と嘆きつつ、「でも、昔の感覚と今の理屈とが一緒に出せたら最強じゃない?」って思い直して、そういう混淆的な書き方をしよう、と考えたことがある。魔法も使える武闘家、みたいな。そのとき目指していて、いまどうにか少しは実践できているような気がするのが、「直観と推論が一緒にある文章」といえるもの。それは結局、詩と散文の間にあるもの。
 文学と科学をどっちも身につけたら、本当の意味で空を飛べる。
 身体だけ浮かんでもそれは飛行ではない。
 心がちゃんとついていかなければ。それが文学の力。
 それを繋ぐのが魔法的ということなんじゃないだろうか。

2016.05.25(水) 人生の先生について

 小沢健二さんのライブツアー「魔法的」の初日公演に行ってきました。
 それで得たものはおそらくこのホームページが続いていく限りずっと、うすく塗ったバタークリームのようにほんのりと、僕の書く言葉のうえに存在し続けることでしょう。
 バタークリームのようなものは無数に積み上げられて層を成し、虹のように輝いて自在に入れ替わり続けている。それが僕の言葉にとくべつな意味と彩りを与えている。
 これまでもそうだったし今回も確実にそう。

 今回のそれは明らかに僕の好みのバタークリームで、他の何かではない。味も製法も違うようだけど絶対にバタークリームで、矛盾なく僕の言葉に馴染んでいる。改めて思う。人生には先生がいる。
 僕には先生がいて、先生に教わってきたものはすべて血や肉になっていて、だから新しく教わるものもすべてすぐ肌になじむ。やがて吸収して心臓や脳や胃の腑に入る。もう、それはもうすんなりと入る。それは信頼でもあるし、相性でもあるし、たぶん愛でさえあるのだろう。
 もしも今、藤子・F・不二雄先生が生き返って、何か短編を一本、描いたとして、僕はそこからたくさんのことを学ぶだろう。F先生が永遠に僕の先生であるということを改めて知るだろう。本当にしあわせなことだ、ずっとそうなんだから。それほどまでに僕はF先生の作品を栄養としてきたのだ。それで身体を作ってきたのだ。

 昨日と今日がくっついていく世界で。
 孤高と協働が一緒にある世界へ。
 光よ、一緒に行こう。

 そのように僕はさまざまなものと融け合って生きてきたのだ。
 実に幸福に思えてならない。

2016.05.24(火) 《順番待ち》と《一対一対応》(近代について)

 近代は「順番待ち」と「一対一対応」の時代なのです。
 21日に書いた「誠実=秩序」という話にも重なってくるんだけど、今っていう時代は、ちゃんと順番を守ることが「よし」とされてる。順番を守る、秩序を保つ。だから、一番乗りが一番トクする。いちばん偉い。それでみんな「一位」や「優勝」が好きなんだろうな。
 当たり前の話なんだけど、たとえば僕がすでに彼氏のいる女の子を好きになってしまった場合、原則として僕はその子とつきあうことができない。手続きとしては、まずその子が彼氏と何らかの理由で別れてから、はじめて僕がアプローチをかけて、それでお互いがそういう気になったところで、おつきあいが始まる。それが順序、順番というものだ。
 なぜそうでなければいけないのかというと、近代というのは「一対一対応」というルールを重んじるからだ。一夫一妻というものだ。太郎は誰がなんといっても太郎であり、絶対に次郎ではないという確固たる(ように今は考えられている)掟なのだ。
 近代とはそういう時代なんだと僕は思っている。

 ながい人類の歴史のなかでは太郎が次郎でもあったような瞬間はいくらでもあっただろう。近代という時代区分のなかにおいてさえあるはずだ。しかし理念としての近代はそれを隠蔽する。太郎は太郎であり次郎は次郎であるという姿勢を崩さない。それを前提として科学や論理というものは成り立つのであるから、ここを否定してしまったら近代という約束事の城はみごと瓦解してしまう。
 一対一対応が原則の世界においては、太郎の枠は一つしかなく、誰かが太郎になりたいと思ったら、太郎という存在が消え失せるのを待つしかない。太郎になりたい人たちは、「太郎」という札の前に行列を作って順番を待つのである。
 ある女の子がいて、その子がめちゃくちゃモテるのだとすると、当然すでに彼氏がいて、「彼氏になりたい」と願う男性たちは、その子の前に行列を作るのである。ずっと並んでいる人もいれば、場所取りだけして別の列にも同時に並んでいるようなちゃっかりさんもいる。彼氏の枠が空いたとき、基本的には最初に並んでいる人がその権利を得るわけだが、断られることのほうがだんぜん多い。並んだからといって彼氏になれるわけではないのである。ただやはり「自分の番がくるまえに別の人が当選する」ということが最大の悲劇なのだから、できるだけ前のほうに並んでおきたいものである。そして自分の腕を、あるいは運を試すのだ。散るなら散って、咲くなら咲いて。

 僕たちはそのような順番待ちを無数にそして同時にしている。誠実な人間はその順番を守ろうと努める。では不誠実な者は? 前に並んでいる人を刺し殺したり、「火事だ!」と叫んで散らしたり、素知らぬ顔で割り込んだり、ひどいのになると力づくで連れ去ったりする。「彼氏」という枠の隣にもう一つ「彼氏」という枠を作るような場合だってあるはずだ。近代とは、順番を守る人たちと破る人たちとのせめぎ合いである。
 そのことを僕たちはどう思えば良いのだろう。誠実な人を応援するか? 不誠実な人の肩を持つか? あるいは……「清濁あわせ呑む」という言葉のように、誠実も不誠実も認めてしまうか。どうしよう。

 エックスの解が常に一つであるような状態が近代的な状態である。きわめて限られた条件のもとでだけそうなるような状態。近代とかいう世界は本当に狭い。秩序という壁に囲まれた風のない箱庭だ。誠実な世界。それを引っかき回すのが悪人と呼ばれる人たち。
 どうしよう、っていうと、もうそれは、自由にやるのが一番なんだろう。エックスの解を二つ以上見つけられるように式を組み替えたり、ワイとかゼットとかって次元を設定したり、それ以外にもやりようはたぶん無限にある。ただ、単純に「エックス」とかそのたった一つの解を蔑ろにしたり、捨ててしまったりすることは、ちょっとまだ待ったほうがいいのかなって思ってはいる。なんでかってたぶん、そこにはまだたくさんの人が住んでいるから。

2016.05.23(月) 価値観とは理想のこと

 タイトルでほぼ言い尽くしているんだけど、価値観とは理想のこと。価値観を持つ、というのは「何が理想であるか」を考えておくこと、考えられる状態にしておくこと、ということなのではないか。
 反対意見もあるかもしれないが、僕は受験小論文を書くのに大切なのは「価値観」だと思っている。むろん自分の価値観をそのまま小論文に書けというのではない。自分の価値観を軸として、さまざまな価値観を理解していったり、書けるようにしていくべきだろうと思うのだ。
 小論文の基本は「意見」すなわち「提案」であるが、社会の在り方に対して提案をするためには「社会とは本来どうあるべきか」という理想を前提としなければならない。価値観とは「何を理想とするか」ということだから、それを持っていたほうが書きやすいはずだ、という話。
 社会とは本来どうあるべきか、という価値観をきちんと持っている人は、どんなテーマに対してでも「こうすればいい」「こうすべきだ」と言える。ほとんど関数のように自動的に算出できる。受験ではそのくらいスピーディにやれたほうがいい。もちろん、反社会的な価値観を持っている人は、ウソの価値観を捏造することが必要になるけど。
 ただ、価値観=理想の固まっている人間は面白くない。僕はそう思う。常に移ろっているくらいのほうが柔軟で良いのだ。


 自分の価値観を守るために、他人の価値観を蔑ろにしてはいけない。理想と理想がぶつかったときに、他人の理想を貶めることは下品である。
 価値観が柔軟であるということと価値観が変わるということは違って、前者はやわらかく、後者はかたい。かたい価値観は衝撃をもろに受ける。あるいは攻撃的である。
 価値観が変わってしまった人は、「もとの価値観」に近い人と衝突してしまいがちだ。それは悲しいことでしかない。かつてその人が「もとの価値観」を愛していたとしたら、なおさらに。一度好きになったものを悪く言ったり、憎んだりすることはみじめ。新しい価値観を愛するがあまり、もとの価値観を軽んじたり疎ましく思うことは、とてもいやです。

 一度愛したものは、ずっと愛し続けていたい。それは嫌いなものを好きになる練習にもなる。きらいになってしまったものに、もう一度目を向ける練習でもある。祈ることは。そうやって愛情を増やしていかないことには、よのなかは殺伐とするばかりだとおもう。

 価値観とは理想のこと。そうだとしたら、理想が理想的である限り、すべての人のそれを受け入れて愛することができればまったくいい。ただ、「ちっとも理想的でない理想らしきもの」だってきっとたくさんあるのだから、どうしても「けっ」って思ったりはするんだよね。それはでも「ほんとう」に至るためのちょっとした水たまり。(ってりくつでは考えてる。)

2016.05.22(日) 判断とは人格のこと

 午前中からお昼過ぎにかけて、とても重要な用事があって、自転車で17キロくらい走って行った。僕はできればそこに永遠にいたかったんだけど、先においとまをして、次の用事のためまた23キロくらい走った。そこで友達に会って、遊んだ。本当に楽しかった。
 最初の用事は本当に重大なものだったから、夕方からの用事を断ってもべつによかった。事情を言えばたぶん「仕方ないね」って言ってくれたと思う。だけど僕はどうしても切り上げて友達のところに行かなければならなかった。理由はいくつもある。(ここでBGMをAIRの『運命はいくつもある』に切り替えよう。)
 まず何よりも、友達とした約束のほうが先だった。先に約束をしておいて、あとから入った用事を優先するのは、できるだけしたくない。年齢一桁のときに読んだ『あまいぞ!男吾』の「おかえりとおめでとう」というエピソード(てんコミ8巻に収録!)に魂を縛られているのだ。男にとって「一度約束したことを破る」ほど罪なことはない。……ってこともないのだが、少なくとも「約束を守る男はカッコイイ」ということを僕は男吾に教えられたのである。
 男吾は、離れて暮らすヒロイン(お姫)に会う機会を捨ててまで、男同士の約束を頑なに守ろうとする。何を優先するか、というところで、男吾はそっちを取る。そう判断する。それをカッコイイと僕は思った。だからできるだけそういうふうに生きていきたい。
 だけど、単純に「先である」ということだけで、判断するわけではない。また、「どっちに行きたいか」という希望のみで考えることも、ない。僕がけっこう大事にしているのは、「自分はどっちにいるべきか」だ。どっちにいたほうが、自分は、この世界をよくできるだろうか? ものすごーく大げさにいえばそういうことなのだ。
 自分はそこにいたほうがいい、と僕は思った。だからそっちへ行った。自分のためだけではなくて、友達のためだけでもなくて、もっと、もうちょっと曖昧で広がりのあるもののために。

 めちゃくちゃな言い方をするけど、男吾がお姫に会わなかったことによって、たぶん僕は少しだけ「いいやつ」に近づくことができた。
 まずは男吾がいいやつになったし、きっと男吾とお姫との関係だって、会わないことによってむしろよきものになったんだと思う。それだけじゃなくって、いろんなところにその波は及んで、僕やたくさんの読者たちの心に働きかけて、少しだけいいやつになるように促してくれた。それが「世界をよくする」っていうこと。
 自分はそのとき、どこにいれば世界を少しだけよくできるのだろうか? ということで判断をする、っていうと、あまりに綺麗事すぎる気もするけど、自分だってやっぱりいいやつのたくさんいる世界に住みたいわけだから、長い目で見れば絶対そっちがいいんだよ。
 だからこれは自分本位の話でもある。

 人は生きていく中で無数の判断をしている。あらゆる瞬間に。だから、どうやって判断をするか、ということが、その人の人生をつくっていく。みちびいていく。
 たぶん判断の仕方とは人格のことだ。

2016.05.21(土) 誠実とは

 かかわっている会社の友達(登場頻度たかい)が、「誠実ってのは順当ってことじゃないですか?」と言っていた。この人は五歳くらい年下なのだが、すぱりと直観でものを言ってくれて、それが意外と妥当であるようなことがけっこう多い。思考の補助線として(あるいは踏み切り板として)とても助かっている。

 誠実とは順当ということ。彼によれば順当というのは「順番を守っている」ということらしい。なるほどそれは、たしかに誠実そうだ。
「順番を守る」というのは男女交際について語る際にもよく用いられる。「付き合う」という約束をするより前に「付き合っている人どうしでしか通常しないようなこと」をしてしまうことを「順番がおかしい」と言う。ずるい気持ちで意図的に順番を入れ替えようとする(というか「付き合う」をすっ飛ばし、ナシにしようとする)ような人を、「不誠実」と見なすことは多い。
 あるいは単純に電車などの列に「横はいり」するとか、そういう順番抜かしも誠実ではない。どうやら、誠実とは順当である、という意見はたぶんまちがっていない。

 順番をあらわすorderには他に「命令」「注文」「秩序」といった意味がある。秩序というのは順序だった状態、整理された状態のこと。
 これをそのまま援用すれば、誠実というのは順当ということで、順当というのは秩序があるということなのではないか? と考えが進む。
 誠実であるということは、順番を守り、秩序を維持しようとする、ということなのかもしれない。

 そういうわけだからなのか、僕は意外と「誠実であろう」とは思わない。「正しくありたい」「善くありたい」「美しくありたい」とは思うのだが、「誠実でありたい」とはあまり思わないのだ。
 なぜかというと、「誠実」という状態の在り方が、あらかじめ定められているからだと思う。すなわち、順番を守り、秩序を維持する、ということだ。
 つねづね僕は「いいやつ」でいたいと思っているが、それは必ずしも「順番を守り、秩序を維持する」ということではない。
 そんなことは、不可能だから。
 すべてのものごとについて、あらゆる人に対して、誠実であろうとすることはたぶん、できない。順番や秩序は、それらが一度に複数存在した場合、互いに矛盾しやすい性質がある。誠実というものは、矛盾と仲が悪い。
 だから、誠実であろうと努める人は、たいてい矛盾に目をつぶるのだ。
(カタ~い、厳しい、冗談の通じない、くそまじめな学校の先生でも想像してください。)
 誠実であるためには、矛盾を無視して、ある一定の秩序のなかで、壁に青空の描かれた牢獄のようなところで、生きていかなければならないのではないかという気がする。
 つまんないじゃない?
 それで僕は、いくらだって矛盾して平気である。
 ぜんぜん誠実ではないし、それをとくに恥じもしない。

 矛盾は、混沌と秩序との合間にある。
 矛盾は、一方からみれば「論理の破綻」だけど、別の角度からみたら「論理の超越」かもしれない。あるいは「論理からの解放」。もっと根本的にいえば「論理とは無関係」。
 論理というのは秩序の極みだから、秩序から離れたところに矛盾はある。
 だけど完全に混沌ではない。
 人生の楽しさとか世界の面白さというものは、きっとこの「矛盾」のなかのどこかにあるはずだ、となんとなく思う。直観的に。

 誠実というのはたぶん、「答え」を抱え続けることだ。
 僕の好きな、正しさとか、善さとか、美しさというのは、きっと、「答えのほうへ無限に近づき続ける」ということ。極限へ。
「本当のことへと動き続けては」って歌詞もある(小沢健二『カウボーイ疾走』)ように。
 その途中には矛盾もあれば、不誠実もある。順番が狂うことなんていくらでもある。傷つくことも、傷つけることもある。だけどその中で、ほんの少しずつ、二次曲線が垂直へと近づき続けるように、じりじりと、「本当のこと」へ向かっていく。
 その姿勢が結局は、「優しさ」ということになるんじゃないのかな。(またこれだ。)

28日 午前
 書く話題はメモ帳にたくさんストックしてあるのですが時間がありません、今夜は一週間分書きまくりたいです。
 とりあえず『笑顔の連鎖』でも。いま心境にふっと浮かんだ。

 運命ってきっとあるんだと思うの
 それぞれの道 素敵な夢 用意されてる
 でも その時どのカードを選ぶかが大事
 曇らぬ笑顔で さあ幸運を呼ぶの 引き寄せて
(堀江由衣/笑顔の連鎖 作詞・作曲:岡崎律子)

2016.05.20(金) 僕には「自分のペース」がない

 自分のペース、というのが僕にはたぶんない。会う人によってペースは変わってくるし、たぶん人格も変わる。人が自分をどんな人と認識するのかが全然わからない。そういうところをもって「変な人」と呼ばれたりもするのかもしれない。
「二人きりでいる時のあなたはとても好きだけど……」とは複数の人から言われたことがある。恋人からである。何人かで一緒にいると、なんだか嫌なのだそうだ。僕には一定のペースというものがなくて、相手とか場に合わせて変わっていくから、「知らない人」みたいで嫌だったのだろう。よく調子に乗ったりするし。
 僕には「一人」っていう感覚がたぶんない。一人でいるとひたすら寝てしまうというのは、そのせいなのかもしれない。人がいないと、自分がなんなのかわかんなくて、何をしていいかもわからなくなるんじゃないだろうか。
 このホームページはだから希少な「自分と対話する場」だ。飼ってる亀とひたすら喋る人みたい。
 いつも誰かがいてくれたらいいな。実家みたいな雰囲気で。

2016.05.19(木) AO・推薦入試に思うよ

 数学の二次関数の問題を聞かれて答えられたぞ! うれしい。でも数学はホントちょっとやってないとわかんなくなってしまうので日々の精進を欠かしてはならない。
 AO・推薦指導のための授業で一人ひとりと面談のようなことをしてみたのだが、まっすぐな目標を持っている人から何も考えていない人まで様々で、まるで『3年B組金八先生』の進路指導の回みたいだった。一時間で終わらせるつもりが二時間ぶち抜きでかかってしまった。(テスト前なのでその間は試験勉強させていた。)
「何も考えていない、どうしよう」と言ってくる子の中には僕なんかに興味を持って、しかもとても賢いような子もいて、だったらとりあえず勉強して一般受験で「学んで苦のなさそうな分野」を学んでみるのもいいだろうと思うんだが、そういう子の考えることはまず「一般はヤダ」ということで、すべてがそこからスタートしているものだから他の選択肢はハナからない。AOや推薦というのは「○○という具体的な将来のためにこの学校・学部で××を学びたい」といった強い気持ちを持っている人が受かるわけなので、「何も考えていない」系の人は非常に不利である。基本的にそういう人が多かったから受験というシステムは「内面を問わない」側面があったわけだと思うが、昨今のAO・推薦の盛り上がりを見ていると、「できるだけ早く人生を決定させたい」という大人たちの思惑を感じないではない。しかもそのマクラには、「一般受験に適性のないような子たちには」というフレーズが隠れている。
 古くからよく聞く意見で、「偏差値55以下の大学はすべて職業訓練校にしたら良い」というのがある。実際それはAO・推薦入試の流行でほんの少しだけ実現に向かっているような気もする。モラトリアムが長いほうが良いとは言わないが、「決めろと言われたってそう簡単には決められやしないもの」を性急に決めさせようとするのは乱暴だとは思う。
 AO・推薦で大学に入った人たちでも普通に就活して一般企業に進む場合は多かろうが、その場合結局のところ「たくさん受けてみて受かったところで働く」ということになる。高三の時点で「私はこうしたい」と言わせることにどれほどの意味があるのだろうな。
 このように言うと僕がAO・推薦入試をよく思っていないのかと思われそうだが、決してそうではない。そっちのほうが圧倒的に向いている子は非常に多い。だから志望理由書の作成指導には力を注いでいるし、それが好きだし得意だとも思う。ただ、「何もしたくないし考えたくもないけど四大には行きたい(行けと言われている)」という人が、無理矢理作成するのはちょっとおかしいと思うだけだ。そういう人は教科の勉強をしてとりあえず一般受験で入れるところに入るのが無難。ちゃんとした勉強をちゃんと(やり方をまちがえてはいけない)しておけば賢くなって、その賢さは「何にでも応用のできるもの」なのだから、若いうちに身につけておいて損はない。
 そういうふうに僕は思うのだが「AO・推薦入試が当たり前に存在する環境」に身を置いて育ってしまった人にとっては「一般入試」というのは反吐が出るほど嫌なものだ。だってみんな勉強が嫌いだもの。僕だって別に受験勉強を始める前は勉強なんてさして好きではなかった。やるより他に大学に行く方法がなかったからやったようなところはある。
 AO・推薦入試で大学に入れる人というのは僕にとっては「特殊な人」だった。自分のことを世間は決して「そういうふうに特殊である」なんて思ってくれないだろうと僕は思っていたし、「自分は非常に良い意味で特殊である」とアピールする術も知らなかった。ここでいう「特殊」というのは、「もう特定の何かになっている」あるいは「もう特定の何かになろうとしている」という意味だ。
 そういう意味では自分は決して特殊なんかじゃないと思っていたので、「特定の何かがないのだから勉強するしかない」というふうにしか考えられなかったのである。
 さて、あなたは(って誰のことだ?)、「特定の何かがないのだから勉強する」ほうを選ぶか? 「がんばって(急いで)特定の何かになろうとする」ほうを選ぶか?
 あるいは「四大に行く」以外の選択肢にも目を向けてみますか?

 というわけで近いうちに、「特殊な人に憧れる普通の人」と「普通の人になれない特殊な人」の話をしたいと思います。(予告。これはいつもと違ってたぶん本当に書きます。って言っても、これ実は形は違えど何度もずっと語ってきたことだなあ……)
2016.05.18(水) タテとヨコとニューロン

 現在は実は21日なんですがこれからここに書く内容は17日の夜に友達と話した内容。彼と別れた時には日付変わってたんでまあ、問題ないでしょう。
 17日はけっこう盛りだくさんだったのです。学校に行って授業をして、神殿(放送大学文京学習センター)で受験指導みたいなことをして、帰り道に会社寄って友達と喋って、電車に乗るのもダルかったので五キロくらい歩いて帰ったんだけど、その間も友達と電話してた。なんかもう最近、人と話すことしかしてない。もうちょっと本読んだり文章書いたりできるといいんだけど。まんが描いたりとかも。

「会社」というのは、以前仕事をしていた(今も開店休業のつもり)ところで、よく遊びに行く。そこに仲のいい友達がいるので、たまにコーヒーなんか飲みながらあれこれ話すのですが、彼ならわかるだろうと思って「タテとヨコ」の話をしてみた。仕事の邪魔とわかりつつしばし話したなかで、何度もこの概念に戻ってはああだこうだ言っておりました。
 このHPの中では「タテとヨコ」とはいったいなんだ、ということは明確にはまだ書けていないし、僕もまだよくわかってはいないのですが、彼と話した中でとりあえず言語化できたのは、「タテは自分の中に積み重なっていくもの。ヨコは既存のもので、自分の中にはないもの」といったところ。人はタテに立っているもので、他人は常にヨコにいる。だからヨコというのは「自分」とは違うものなのである。タテの人は、ヨコにあるものをタテに積み上げていく。自分の上に。あるいは自分の中に。
 面白かったのは、彼が急に「タテって脳細胞のことですよね」と言い出したこと。僕がピンとこない顔をしていたらすぐに脳細胞の模式図を検索して見せてくれた。
 脳の神経細胞(ニューロン)というのは生まれた時から同じ数だけあって、それは決して増えることはなく、繋がっていくことによって発達していくそうだ。タテというのはニューロンがどんどん繋がっていく現象と同じなのでは? と彼は言う。繋がらなければ、その細胞は死んだままだというわけだ。
 細胞は存在するけれども、それがほかの細胞と有機的な繋がりを持っていない状態。それがヨコであって、繋がることによってはじめてタテとして立ち上がってくる……というような。なるほどそうなのかもしれない。情報(知識)だけたくさん持っていても、それが活用できなければ意味がないのと同じだ。丸暗記ばかりではなく、流れや理屈がわかっていなければ勉強したことにならない、とかいった話にも似ている。
 こういうふうに(半ば強引に)脳細胞の話と繋げていくというのも、彼のイメージする「タテ」そのもの。

 なんて話をしたよ、と、歩きながら電話で、タテヨコ概念の発案者に話した。いろんな人の考えが絡まって繋がって、どんどん発達していく。これこそがタテであって、本当に楽しいことであるなあ。

2016.05.17(火) もぐらたたきはタテ潰し

 受験の面倒をみている高三の腐女子にプラトンの話をしたら発狂しかけてた。「腐女子はみんなプラトンを読むべき!」とまで言わせたので洗脳は成功である。
 それはそうとその子は「こないだ書いてたタテとヨコについて詳しくおしえてください」とわざわざたずねてくれた。僕にとってもまだ説明できるほど口になじんではいない概念なのだが、こう思うということを伝えたら、すぐに呑み込んでくれて、自分なりの考えとか具体例とかを示してくれた。
 知り合ったのは彼女が中三の頃で、たびたび会って話すのだが、めきめきと育っている。賢くなっているしセンス(判断力)も磨かれている。何かに興味を持って、積極的にそれについてたずね、言われたことを理解し、自分なりに咀嚼して考え、その結果を伝える……こういう流れを自然にやってくれるので、もう僕らの間に「差」らしい差はないのだなと思った。嬉しい。これで本当に友達になれる。
 プラトンの話にしたって、すぐに理解してくれるし、そのうえで自分の考えたことを言ってくれて、僕も「なるほどなあ~」と思い、こっちの考えも変化していく。なんと有意義な時間であったことよ。英文和訳もあっという間にうまくなって、もう僕の教えることなどないなって感じ。これだけ優秀ならさぼらずがんばれば絶対受かるのでがんばってほしいがさぼりがちなんだよなたぶん。そういう人のほうが信頼できたりはするし、ある瞬間にびゅーっ!って伸びたりもするから、悪くはないんだけど。

 タテとヨコに関しては、たとえばこんなことを言ってくれた。
「タテっていうのはとうらぶ(刀剣乱舞)好きになった女子が刀剣博物館に行くような感じですよね。でも、そういう新規ファンに対して元から刀剣好きな人はいい顔しないんですよ、確かにマナーが悪いとか軽薄な感じするとかっていうのはあると思うんですけど、でもせっかく興味を持ったのに叩くっていうのは『タテ潰し』じゃないでしょうか」(意訳)
 タテ潰し! いい言葉が出てくるもんだと感心した。そう、たいてい最初はヨコであって、そこから少しずつタテに伸びていこうとするものなのだ。タテを辿っているうちにわかってくることも増えて、だんだんタテらしくなっていく。だから古参ファンは、新規に対してある意味の「教育」を施すのが本当なんだと思う。「叩く」というのもその一環なのかもしれないが、やり口がまずくって対立を生む。ちょうど厳しい先生に反発して生徒がグレちゃうみたいに。それじゃああんまりなんだ。
 タテの人が「元ヨコだった人」を悪く思い続ける限り、世の中にタテは増えていかない。ヨコの人がタテになろうとするとき、その手助けをしてあげるのがタテの先輩たちがすべきことなのだろう。忘れてはいけないなあ。

2016.05.16(月) 手段としての運動と労働

 基本的には自転車に乗って移動するんですが最近はちょっと日和ってきて雨が強かったり電車やバスを使ったほうが圧倒的に早かったりする場合はあっさりと公共交通機関を使います。根性がなくなってきたのかなーと思いつつ、大人になったってことでもあるとも思いつつ、せめてその時間を有効に使おうと、電車の中で本を読んだりなどしております。乗るのは主に東京メトロ。放送大学の学割回数券が使えるから。
 通勤は往復10キロくらいなのでよっぽどの雨でも合羽着て自転車乗ります。たったの10キロ! 長いときは往復25キロ以上を通勤で走っていたので、運動不足が懸念されます。どうしたもんか。
 大人になると人はすぐジムとか通うんですけど、僕は本当にこれがダメで。運動が自己目的化することに耐えられない。なんか小さい頃でも、そういう友達がほとんどいなかったんで、あんまりボール使って遊んだりとかすらしなかったんですよ。体育の授業も好きじゃなかったし。唯一好きな運動が自転車だったというのは、それが完璧に「手段」でしかなかったからだと思います。お金がなかったので、どこに行くにも自転車。それが手段として本当に都合がよかった。
 だから筋トレやジョギングも絶対続かないというか、やれない。「筋肉や体力をつけるための手段」と言うこともできるけど、どうもそれでは納得できない。何かをやりながら自然とそうなっていくのならばわかるけれども、筋トレはどうも不自然な気がして。
 これは実は仕事に関してもそうで、「お金を稼ぐ手段」として仕事をするのは、どうも納得できないのである。何かをしているうちに自然にお金が稼げている形が理想だ、とついつい考えてしまう。そんなんだからお金がちっとも入ってこない。もうこれは病気に近い生き様なのだ。

2016.05.15(日) 風をおこそう

 サロン18禁(@未来食堂)行ってきた。前にも書いたけどここは子どもたちの場所であり時間なのであまり多く長く顔を出したくない。今回も行かないでおこうかと思っていたが呼んでもらえたので行った。前回会った子などすでに知った顔が多かった。初対面の子もいたが、知っている子の友達だった。
 僕もとても楽しかったし、たぶん今日きていたみんなにとっても楽しい場所になっていたとは思うのだが、もうちょっと新しい風が吹いてもいい。そのために僕にできることはなんだろうか、と考えた。
 ホームページで、子供向けの何かを書いていこうかなあ、とぼんやり思っている。学校であれこれ文章を書いて配っているのだが、そういうものをちょっとアレンジして掲載したら、何かのきっかけで若い人がやってきて、そこからサロンに流れていく、なんてことがあるかもしれない。
 風は、気圧の高いほうから低いほうへと吹いていく。いつでも風を起こすのはエネルギーの多い側なのだ。気圧の低いほうにいる人は、その風に乗って、旅をして、次第に高気圧へと変化していく。僕も三十を過ぎたわけだから、風に乗るのではなくて、風を起こす方に回らなければならない。
 ぽりてんとかおざ研とか、あるいは今の職業だって一種の「風」であろうと僕は思うので、二十代からやってはいたわけだけど、十代からやってきたこのサイトも、ひょっとしたら「風」になったっていいのかもしれない。

 サロンで知り合った12歳の男の子が岡田淳さんの読者であったことがわかって、やはり世の中はそういうふうになっているんだから、あまり黙ってもいられない。

2016.05.14(土) 偕成社に育てられた

 偕成社の創立80周年展に行ってきた。
 児童書の出版社で、素晴らしい本を無数につくってきた会社だ。
 僕は偕成社に育てられた。初めて好きになった絵本は『きゅうきゅうしゃのぴぽくん』だし、最も敬愛する作家である岡田淳さんは著作の大部分を偕成社から出版している。さとうまきこさんも大好きな『ミステリー・シリーズ』をはじめたくさんある。世界の名作はほとんど偕成社文庫で読んだ。とりわけ『ピーター・パンとウェンディ』や『二年間の休暇』は人生に多大なる影響を与えられたものだ。(こういう話を繰り出せばキリがない。)

 展示のメインは、壁一面にずらーっと並べられた大量の書籍だった。数百冊はあったろう。最初期の出版物はさすがにガラスケースの中だったが、50~60年分くらいは手にとって読むことができた。圧巻だった。時系列順にすべて目を通していく。好きなものや気になった本を手にとりながら。ゆっくりと、数十年を踏みしめるように歩いて、岡田淳さんの『二分間の冒険』を手にとって、奥付を見たときに、ついに涙がこぼれた。
「1985年○月 初版第1刷
 2014年○月 第56刷」
 とあったのだ。
 30年間、版を重ね続け、56刷。1991年に文庫版が出ているのにもかかわらず、この決して安価ではない大きな単行本が、2014年までに55回も増刷されているのだ。
 時間の中で、僕は一人じゃない。
 やっとそう実感できた。
 岡田淳さんがデビュー作『ムンジャクンジュは毛虫じゃない』を出したのは1978年。それから実に38年、どれだけの読者が彼の本を手に取っただろう。

 はっきり言ってしまうが、これだけ版を重ねているのは、岡田淳さんが純粋に「人気がある」からだけではない。確かに彼の本は売れているだろうが、それは間違いなく「偕成社が売ろうとしている」からでもあるのだ。本というのは、放っておけば売れるというわけではない。『二分間の冒険』ならばあるいは黙っていても売れるかもしれないが、他の作品はどうだろう。『ポアンアンのにおい』や『手にえがかれた物語』は、黙っていても売れていくのだろうか。僕が勝手に思うに、それらの作品がちゃんとある程度売れ続けているのは、偕成社が「岡田淳という作家」を、推し続けているからだ。そしてまた美しいことに、偕成社だけにとどまらず児童書業界全体が、彼の作品を推挙し続けているからなのだ。岡田淳のこの作品を、というのではなく、「岡田淳という作家を」である。
 信じられないことだが、岡田淳さんが偕成社から出した本はおそらくすべてが品切れを免れている。しかもそのほとんどのタイトルが偕成社文庫“にも”入っているのだ。文庫も単行本も、どちらもずっと売り続けている。「岡田淳の作品なら、なんだって売る。売り続ける」という強い気持ちを、たぶん偕成社は持っている。「売れ筋だけ残してあとは絶版に……」という選択は、たぶんしない。よっぽどのことがない限り。

 なぜこんなに熱を入れて話すかといえば、岡田淳さんの本のほとんどは『ズッコケ三人組』や『かいけつゾロリ』のようなメガヒットでは決してないのだ。変な言い方をすれば、読む人を選ぶ。誰もが手をのばすわけではない。でも、児童書を読む子どもたちの何割か、いや何パーセントかは、“絶対に”岡田淳さんの本を必要とするのだ。絶対に。僕のように。
 そう、岡田淳さんというのは、僕のような人間が心から愛し、永遠の座右の書とするような作家なのである。たぶん万人受けはしない。でも、いるのだ。クラスにきっと一人か二人、熱烈な読者が! そういう存在なのである。
 こんな売れ方をする本を、ちゃんと永劫、推し続ける、営業に手を抜かず、売り続けるというのは、意志がないとできない。理念と言ってもいい。思想と言ってもいい。強固たる“それ”が確固たり……偕成社の凄さはそこなのだ。
 僕はたまたま岡田淳さんのファンだから彼を取り上げるわけだが、偕成社の本はいずれも、そのような魂に裏打ちされているのだろう。少なくともそう思わされてしまう気魄が、本展にはあった。

 80年という時間の中で、僕は一人ではなかった。少なくとも岡田淳さんがデビューしてからの38年間は、本当に多くの友達に恵まれていたはずだ。そんな豊かな時間の流れが、今この空間にすべて詰まっている。そう思うと時間軸は曲がり、あらゆる時空が四次元のように同じ場所に集まっているような感覚になる。未来も過去も現在が飲み込んで姿を変える。それを永遠と言うのだろう。
 そこに心地よく僕は立ち尽くした。
 年齢なんていうのは関係がない。いろんな人たちの莫大な時間がこの本たちの中に封じ込められている。どんな人たちとでも仲良くなれる。

 ノスタルジーじゃない。未来のことを思う。背中を駆けるのは子ども達の靴と騒ぎ声。たくさんのちびっこが来場していた。みんなノンタンが好きみたいだ。僕だってノンタンが好きだった。これからも誰かがノンタンを好きになるし、たとえノンタンがいなくなったとしてもきっと、みんな何かを好きになるのだ。だからいつまでも孤独じゃない。
 ずっと続いていくんだ、これは、僕の幸せな時間は。みんなと。そういうふうに思ってまた泣けてきてしまった。(今も泣いている。)

2016.05.13(金) 病院の匂い

 病院はすごい。大きな病院に行くと命というものが目に見えてしまう。そこに死があるから、というばかりではない。むしろ生がある。死に近いものたちの生臭さをかき消してしまう病院のあの独特の匂いは、たぶん生なるものの匂い。

 手術のためにすっぴんで、うすい服着てやってきた、あの子は生命そのものなのだ。自然の匂いをただよわせている。自然であるということは死に向かっていくということで、それに対するあの匂いはやはり、生というもの。

 死に反しようということはひょっとして、恐ろしく不自然なことなのではないか? 病院のあの匂いを嗅ぐとそう思う。

 生命力とは、死に近づくということなのか。
 衰えることも、朽ち果てていくことも、生命力の発散なのだ。それを押しとどめようというあの匂いは、だからあんなにも無機質なのだろう。

「獣の香りを残していた人」……小沢健二さんの『麝香』という曲の歌詞だ。自然のような人。それはきっと本能がむき出しになるくらい、削られて細くなってしまっている状態。衰えている人は生命力を放出し尽くして、瀕死でいる。

 聖なる教会の静謐な空気は病院に似ている。あの光。あの香り。
 祈りとは自然に逆らう意志だ。
 それで僕はあの病院の匂いのなかでひたすらに祈った。
 こんなに人間らしいことはないんだろう。

2016.05.12(木) タテとヨコ

「タテとヨコ」っていうことを友達が言い出してる。この発想に著作権があるのかどうか知らないけど、忘れてしまうと嫌なので自分なりの書き方でまとめてみる。

 明確な定義があるわけじゃなくって(またひょっとしたらそうすべきでもなくって)、なんとなくのイメージとして、タテとヨコ、ってのがある。
 僕は典型的なタテの人だと思う。物事をタテにたどる人。ヨコ糸よりも先にタテ糸を通す。
 関係あるのか知らないが、空を見上げるのが好きだ。大地に立つことが好きだ。日本という国にタテの柱を打ち立てて、海外に行きたいとあまり思わない。十年以上住んだ名古屋や練馬を愛している。母校はすべて好き。慣れ親しんだ新宿も好き。今は中野(坂上)を好きになりつつある。
 一冊読んで、面白かったら、それを書いた人の本を片っ端から読む。音楽でも何もかもそう。「ジャンル」というヨコの広がりをさほど好まない。タテにたどる。歴史をたどる。「現在」というヨコよりも、「歴史」というタテを知りたいと思う。そしてその先にある未来を考える。
 未来というのはタテなのだろうか、ヨコなのだろうか。僕はタテだと思う。なぜならば、タテというのは原則として二方向(上と下)にしかベクトルが向かないけど、ヨコは三六〇度の方向を持つからだ。過去と未来、という二方向の発想は、タテのものなんじゃないだろうか。
 藤子不二雄を好きになれば、手塚治虫も読むようなこと。Moo.念平先生や植芝理一先生やとよ田みのる先生を愛するということ。いつの間にかそうなってしまっていること。タテというのはそういうことだ。
 タテとは本質を求める旅である。

 しかし、話は考えようによって変わる。「海外に行く」ことがすなわちヨコなのかといえば、むろんそうではないのだ。「ニューヨークにタテ糸を通す」ということだってできるし、「世界を知る」というタテだってある。「ジャンルを掘る」という言い方があるように、あるジャンル(と呼ばれがちな集合)をタテに探検していくのはじつに素敵でよくあることだ。
 問題はそれが「本質を求める」ということであるかどうか、なのではないか、と思う。

 ヨコは全方向に広がり、ある方向に定まることはない。定まったらそれはタテだ。ヨコの進む方向に必然はない。ヨコの力学はすべて偶然である。偶然というのは「くじ引き」のことである。あるいは「順番待ち」のことである。
 この考えでいくと、「恋した~い」「恋人がほし~い」「やりた~い」等々は、けっこうな確率で、ヨコである。全方向に広がった欲求が、たまたまヒットした位置で固着するだけのことなのだ。

 タテたる僕は、または僕らは、「本当のこと」を探し求める。闇雲にでなく一歩一歩、確実に。掘り進む。積み重ねていく。
 本質の泉源を希求するものは時系列に敏感である。時間を愛するとはそういうことだ。タテというのはずばり、時間を愛するということでもある。
 あるいはそれは論理というものでもあるのかもしれない。
 論理は時間と何が違うのだろうか?

 また全然むちゃくちゃなことを言ってしまうと、僕はタテに貫かれているすべての時間をヨコに並べてしまいたいのかもしれない。
 そのとき初めて時間を超越することができて、本当の普遍性というものに辿り着くのではないか。人間が論理を捨てるのはそういう時なのだ。
 必然と偶然がくっついたところに真理はある。たぶん。

 ん、よく考えたら、すべてははじめヨコにあったのだ。それを僕は一つずつタテに連ねて行ったのだ。選んで。
 だからやっぱり、タテとヨコってのは本当は同じもので、きっとそれだけは絶対に忘れてはならないことなんだろうな。
 ハッキリ言って最初からそんなことはわかっているのだろうが、証拠がほしいのだ。証明するために僕たちは自分なりのタテの時間を生きていく。タテとヨコとかわからなくなるまで。世界がひとつの織物となるまで。
 そのためにはみんながタテになんなきゃいけないんじゃないの? そんで手をつないでみたら? なんて壮大なことを、つい考えてしまう。
 最近はこういうわけのわかんないことを書いてみるのが趣味だ。

2016.05.11(水) マジック・カーペット・ライド

きみとぼくは 不思議だけど
むかしから 友達だよね
2000光年を愛しあってる そんなふうに 感じたりしない?
そしてふたり いつの間にか 年をとってしまうけど
いつまでもふたり遊んで暮らせるならね
(Pizzicato Five/マジック・カーペット・ライド

 僕たちはまるで魔法の絨毯で飛んでいるようだ。
 その上でごろんごろんしてるから服が汚れることもない。

 ドラえもんが地面から数ミリ浮いてる、みたいな話とか、あるいは「悟り開いた修行僧が、普通に生活してんだけど、2cmくらい浮いてる」って感じとか、そういうの。

 酔ったような揺らめいた風景がいつも僕らの世界。
 目に映る色はどんなものもこの魔法の絨毯の色になる。
 あるいはこの絨毯の色しか僕らには見えない。
 絨毯の毛は僕たちにまとわりついてくすぐったい。ひっついて頬の上でキラキラとしている。

 同じ光を見ているというのはそういうことだと思う。
 ずっとこの魔法の絨毯の上で、ごろんごろんしているということなんだ。

 空や星のもとで七色がうつりゆく。
 その様子を僕らはずっと見ている。
 頬についた毛は風がとばしていく。
 その流れがたぶん虹になるので、涙も汗もあるいは血でさえもその材料なのだろう。

 薄暗いけど光に満ちたダンスフロアで、酒と煙に揺らめきながら肉体を音にゆだねていく、その感じ。草むらに寝っ転がっていても、夜の神社を散歩してても、デパートの屋上でパフェを食べても、すべては同じことなのだ。
 それは魔法の絨毯の上にいて、変わりゆく色を眺めているということ。
 あるいは同時に、その下の街並みを。(涙が流れるとしたらこのときだ。)

2016.05.10(火) 悲しい気分の時も私のことすぐに

 呼び出されればホイホイ出て行く。その癖は高校時代についた。
 自分の人生が音を立てて変わった瞬間、というのを僕はいくつか憶えているのだが、いずれも「その後の判断の仕方」を決定づけた瞬間である。
 高校三年生の夏だか秋だか。夜中に受験勉強をしていたら携帯が鳴った。別の高校の友人からであった。「尾崎さんでしょうか。今わたくしの家で、ちょっとその、話し合いをしているのですが、いらっしゃいませんか」というような妙な言い方をされた。その先には誰かの、押し殺したような小さな息づかいが聞こえる。彼の家は自転車で10分程度の近所だったので、物理的には楽に行ける。しかしこちらは勉強中である。週のあたまに設定したノルマは終わっていない。だから深夜に及んでいたわけだ。断ろうとも思ったが、明らかにおかしい電話の口調が気になった。何かあるはずだ。面白そう、行こうと即決し、一分後には家を出ていた。
 彼の家(初めて行った)に着くと、無言のまま二階の部屋に通された。よく知っている友人が床に正座し、うつむいて地面を見詰めている。その脇のベッドの上には僕のまったく知らない男子が座っていて、ギョロリと烈しい目をしてこちらを見詰めてくる。僕を呼んだ友人は無言のまま正座している友人の横にちょこんと座った。もちろん正座で。それで僕もその隣に正座した。
「だからねえ、顧客が納得しないんだよ、それじゃあ」と、僕の知らないやつがしゃべり始めた。「どうしてくれるんだねこの損失を。顧客にどう説明する気なんだね!」真剣な表情のまま彼は僕たちをなじった。「それは……はい……こちらから説明いたしますので……」と僕の横にいる友達はやっと答えた。「それじゃ今から電話してもらおうか! 電話貸して!」奪うように電話を取ると、アドレス帳を適当に眺めて、適当な番号にかけ、戻した。真夜中である。誰にかかったのかはわからなかったが、電話を戻された友人は「あの、先日の契約の件なんですけれども、誠に申し訳ございませんでした……」としゃべりはじめ、ベッドの上の彼は「そんな言い方じゃ伝わらないよ! もっと誠意をこめて!」と怒鳴る。なんか、そんな状況だったのだ。
 わけがわからないかもしれないが、なんということはない、彼らは遊んでいたのである。ごっこ遊びである。寸劇である。呼び出された僕は、「責任を負うべきプロジェクトメンバーの一人」というくらいの設定だったらしい。「キミじゃ話にならないよ! この契約書を作成した本人を呼んでくれたまえ!」みたいなことを言われて、のこのこやってきそうな僕のところに電話してきたのだと思われる。この後わりとすぐに「プロジェクトが失敗して顧客に損失を被らせてしまったチームとその上司」ごっこは終わり、たしか「ラジオDJごっこ」に突入した。適当に架空のはがきを即興で考えて読み上げ、それについてコメントをつける、といったような感じだった。「ごっこ」を引っ張っていた彼とは初対面だったが、僕もこういうセッションは嫌いでもないしそう苦手なほうでもないので、とても面白い一夜となった。それからしばらくそのメンバーではよく遊んだ。
 この経験があって、僕は決めたのである。「急に呼び出されても、面白そうだったらとりあえず行こう」と。勉強しなきゃとかそういう現実的な事情は、あとで帳尻を合わせることができる。あのようなセッションは「今、そこ」でなければ二度と行われないことで、そちらを優先しようというのはある意味当たり前なのだ、と正当化した。
 最近とつぜん呼び出されることがたびたびある。さすがにもう大人なので「面白そう」だけでは動かないが、「そこに自分がいたほうがいいかどうか」を考えて、「いたほうがいい」と判断した場合、行くことにしている。それでその場がよくなりそうならば行こう、と。もちろん他の事情や約束には響かないように。(まれに響かせてしまうこともあって反省している。)
 このたびは、「行かない」と宣言していた集まりに、のこのこ行ってしまった。電話で呼び出され、「いや今日は……」と断ろうとしたら間髪入れず「なにいってんのジャッキーさんがこないと始まらないよ!」と言われたのである。これには困った。行ってしまうではないか。で行った。こんな安いノリは明らかに短所である。でもたぶん長い目で見たら長所でもある。実際その集まりはじつに楽しかった。欠席していてもまた別の「楽しい」がそこにはあったのだろうが、それはそれの話だというくらいにはみんな良い時間が過ごせたと思う。

2016.05.09(月) 手一杯の味噌汁

 14日に書いてます。溜めこんでました。切羽詰まってるのですねえ。
 書きたい、と思うことがまとまるまでには、熟成のための時間が要る。あまりにも忙しい、心のせわしない時には、断片だけが蓄積されていくような感じで、なかなかカタマリになってくれない。それだと「いま書かなきゃ」とまではなりづらいから、書くタイミングを逸してしまう。
「そろそろ書こう」とPCに向かってみてはいるのだが、実はまだ「断片」の状態である。時によってはあれも書きたいこれも書きたいと、「誰も光速では書けないのだろうか」という気分になるのだが、今はそうでもない。書きたいものがまだ明確になっていない。
 今日は比較的時間があるので、ゆっくりひねり出していこう。断片をこねて、ピースとし、くっつけて形をつくるのだ。

2016.05.08(日) 場を作る愛

 夏のように楽しさは過ぎていく。ドカンと集まった人たちは、いつか爆裂して散り散りになる。そんなことは何度もくり返してきた。でもこの楽しさは本当のことで、永遠に続くべきだと思わされてしまう。
 十年近く前、毎週のように四人のグループで遊んでいた。その中の一人、最も年長の方が、突然こう言った。「賭けてもいいけど、半年後には絶対このメンバーで遊んでないよ」急に何を言い出すのかと思ったけど、冷静に考えるとそうだろうと納得した。実際、半年ともたずにそのグループは霧消したし、その三人とはまったく連絡も取っていない。かろうじてその年長の方とは今後も機会がありそうなのだが、あとの二人は難しそうだ。
 複数の人がギュッと集まるとき、そこには謎の引力が働いている。「幸せな時は不思議な力に守られてるとも気づかずに」(小沢健二/恋しくて)ではないが、その仲を担保するのはそういった「力」であって、人と人との関係では実はなかったりする。
 ただ、だからこそ奇跡的で美しい、のかもしれない。本来は「関係」を持つはずもなかった人たちが、たまたま不思議な引力で惹きつけられて、ある一時期を仲良く過ごす。教室にできるグループにも、そういうところがある。あり得そうもない組み合わせだから、いっそう楽しい。
 いま一緒に遊んでいる人たちの中に、ものすごく人なつっこくて、魅力的で、だけど極度に人見知りで、さみしがりやの人がいる。この人がいま「引力」の中心となって、みんなを惹きつけている。謎の引力はこの人を中心に発生している。奇跡を起こしているってことだ。
 僕のやっていた木曜喫茶(またはおざ研)っていうものも、それに近い。僕はむりやりに「引力発生装置」を作り出したのだった。でも、そこに集っていた人たちには、もう会う場所がない。別の場所で会うか、あるいは、会わないかだ。後者のほうが断然多いだろう。
 で、僕は、こういうことについて、「それがいいんだ」と思うようなクールさは持っていない。僕の生きがいは「出会い」と「再会」だから、会いたいと思う人がもしもいるなら、その機会をどうにかふたたび作りたい。あの場について悪く言う人たちもいるんだろうけど、そんなこととは関係なく、再会は尊い。生きている限り、その目はあるのだ。再会の可能性を少しでも増やすような生き方を、していきたい。それが大げさに言ったら僕の生きざまである。
 いま引力の中心にいるあの人が、いまのような状況を愛し続ける限り、この状況は終わらないと思うし、終わったに見えたとしても、それを愛し続ける人が幾人かでもいれば、それは水面下、続いていて、いつか再びまた会えるはずだ。そんなことくらい、わかっているので、僕は永遠に今の状況を愛し続けるのだと思う。この気持ちが永遠に変わりそうもないってことくらい、もうとっくにあきらめているのだ。そのくらい僕の時間は生き生きと停滞している。

2016.05.07(土) 光るゴミ(祝福について)

 お祝いとして僕にできることは金のかかることではない。金なら無いからだ。あるいは、金に換算されるようなものをもって祝福とするのは、僕の「祝福観」にかなわない。僕の思う祝福とは、祈りのようなものである。ほとんど宗教的な、あるいは精神的にきわめて純度の高い、心の仕事である。愛は心の仕事です(byラ・ムー)。
 ゆえに、他人にプレゼントをあげるのは大の苦手。何が喜ばれるのかわからない。金額によって値踏み(まさに)されるのも耐えられない。もらう側からすれば、何をもらったって嬉しいわけだから、何でもいいとは思えども、もらったけど使いどころがなく、捨てるわけにもいかずに、部屋でさび付いていくものたちのことを思うと、なかなか何もあげられない。「プレゼントを買って、渡す」という文化は、本当にだめだ。これは、個人的な話。自分がもらうときは、素直に何でもうれしいのに。
 僕にとって祝福とは精神的なものだから、精神的なものをしか渡すことができない。詩を書いたり、絵を描いたり、写真を贈ったり、歌を歌ったり、スタンプを彫ったり、そんな具合のことであれば、心をこめてする。時計や靴だとか、光る真珠の首飾りも、そういうものをもってして祝福となすことは、僕には難しいのである。金なら無いしな。
 祝福は祈りだ。捧げるものだ。それは神秘的でなくてはならない。物質的すぎてはならないのだ。理想的なのは、「その人にとっては何よりも尊いが、他人にとってはゴミ同然」のようなもの。それが祝福にふさわしい。鰯の頭も信心から、というが、宗教とはそういうものである。祝福とは多かれ少なかれ、宗教的なもののはずだ。あの白い雨の日の石ころを僕は何よりも尊ぶ。

2016.05.06(金) 誕ジュビリー

 中村一義さんの『ジュビリー』というシングルは1999年9月22日が発売日となっている。ジュビリーというのはユダヤ教で「聖年」と定められる年、またはそのお祝いのことらしい。
 旧約聖書で「ヨベルの年」と記され、彼らがカナーンに入った年から50年の周期で巡り来るとされた。その後キリスト教のローマ教会が33年周期とし、さらに1475年以降は25年周期となった。最新のジュビリーは2000年とのことで、『ジュビリー』はそれを目前として発表されたことになる。
 50年、ないし25年の周期で訪れるジュビリー。祝い。次のジュビリーは2025年だが、これはローマ教会(カトリック)が設定したものであって、ユダヤ教的にはまた話が違うようだ。
 ユダヤ暦でジュビリー=ヨベルの年にあたる5776年は、2015年9月14日~2016年9月19日までだという(このサイトで計算)。まさに今が、ユダヤ教的なジュビリーの真っ最中のようだ。しかも、このサイトが終わる(移転する)のが9月29日で、たったの十日しか差がない。なんたる偶然の一致。
 こんなこと言ってると「ムーとか読んでるやべーやつ」の一種に数えられそうだけど、こういう偶然の一致を好むのは『観光』(ディスコミにも影響を与えたヤバイ本)における細野晴臣さんのせい。

 ヨベルの年(レビ記の第25章はほぼこれに関する記述)というのは、「すべてのものを元に戻す」年なんだそうだ。より正確にいえば、土地や奴隷を、もとの所有者に戻す。みんな、もといた土地、五十年前に住んでいたところにそれぞれ帰っていく。すなわち五十年ごとにリセットされるわけだ。(リセットされない条件もちゃんと書いてあって面白い。)「いろんなことがあったけど みんな元に戻っていく」(スピッツ/ヒバリのこころ)なんて歌詞を思い出す。
 いつものように「何を見ても何かを思い出す」で、どうも最近は歌詞を引用しすぎな気もするんだけど、まあ思い浮かんでしまうので仕方ない。リセットといえばやっぱりこの曲。

Reset me ゼロに戻したら
また次のイチをさがそう
つぶった瞳で 見えるもの
忘れずにずっととっておこう
(Hysteric Blue/Reset me

 むかしヒスブル好きの友達が「リセットミーしなかんよ」という名言(名古屋弁の言葉)を吐いたのもあわせて思い出される。
 2016年という年はやべーなとずっと思ってたんだけど、「すべてがリセットされる年」と言われたら、なんかそういうことでもあるのかなと思う。僕のプライベートもリセットされたし、ASKAさんはブログを書くし(しつこい)。
 今年は「すべてが終わる年」だと思ってたけど、違って、それは終わりではなくてリセットなのかもしれない。
 ゼロに戻したらまた次のイチを探す、ってのは、「これは終わりじゃない、始まりなんだ」(『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』最終話より)ということ。2016年はすべての終わりでもあり、また始まりでもあるのかもしれない。

 あらゆることの終わりは、何かの始まりとつながっている。例外があるとしたら、人の誕生と死くらいだろう。
 産む側からすれば、懐胎の終わりは子育ての始まりだ。でも、生まれてくる側からすれば、誕生は始まりであって、何の終わりでもない。死にしても、残された側からすればそれは「さみしさの始まり」なのかもしれないが、死んだ側からしたらそれは単なる「終わり」でしかない、と思う。そのことが辛いから、死後の世界や輪廻転生というものが考え出されたのかもしれない。
 誕生だけが唯一の「純然たる始まり」で、死だけが唯一の「純然たる終わり」なのではないか、と思う。これに匹敵するのは宇宙の生と死くらいだろう、とか。

 そんなふうに考えるから、僕にとって誕生というものは死と同じくらいに大きなものだ。誕生日というものは、命日と同じくらいの重さを持つ。そのくらい僕は誕生日というものを強く意識する。自分のも、他人のも。
 といって僕が「誕生日祝い魔」みたいなもんかというと、全然そうではない。覚えていない場合のほうがずっと多いし、「あ、今日○○の誕生日だ」と思い浮かんでも、たいていはメールするでもなくそこで終わってしまう。それがなぜだかはわからないが、照れくさいのと、面倒だということだろう。でもひょっとしたら、人一倍「意識」だけはしているのかもしれない。なにせ時間というものが好きだから。


 そういえば昔、「生きる」の反対語は何か? ということを考えたな。「死ぬ」の反対語は「生まれる」だと思う。だって「死ぬ」というのは、人生を数直線で表したときの、いちばん端っこの点だ。もちろんその逆は「生まれる」になるだろう。となるとその二点の間の線分を形成する、「生きる」という「状態」(または「動作」?)の反対語とは?
 
生まれる――――――(生きる)――――――死ぬ

 たとえば「生きない」だ、ということになると、いったいどういうことなんだ? 「死んでいる」というのと、何か違うのか?
 わからない。「生きる」ということに、反対語なんてないんじゃないか、と思う。それくらい、「生きる」ということは当たり前すぎることなんだ。その逆ということは、考えることができない。
 あるいは、この数直線上の点を除く、あらゆる点が、「生きる」の反対を指し示しているのかもしれない。そんなことを考え出したら、暗い哲学(または宗教)の森へ足を踏み入れてしまうことになりかねない。
 生きるということ、または生きているということは、誕生から死へと至る線上を点Pとして移動することなのかもしれない。そのように定義される点Pである以上、その線上から外れることはできない。だからこそ、線分の端っこの二点「生まれる」と「死ぬ」が、尊く感じられるのだ。
 われわれはみな、生まれて死ぬのである。その間は「生きる」という状態の中に閉じ込められる。誕生と死を意識する、ということは、自分のイチを確認する作業でもあるのかもしれない。「生きる」ということについて考えがちな僕は、誕生と死についても考えがちなのである。それで、命日と誕生日には敏感なのかもしれない。

 昨日は岡崎律子さんのご命日でした。
 今日も誰かの命日であって、そして、誕生日。
 冥福と祝福を贈ります。心から。

2016.05.05(木) 第六話 どうして好きなのに別れちゃったの?

 フタコイオルタナティブっていうアニメの第六話のタイトルが「どうして好きなのに別れちゃったの?」なんですが、うん、そういうことってあるよね。
 好きなのに別れちゃうことってけっこうあるし、好きだけど付き合えないことってのもけっこうある。
 好きじゃないのに続けていたり、好きじゃないのに付き合ってしまったりすることも、あると思う。
「好き=付き合う」という話である以上は、そういったことはすべて悲劇になる。

The way Mr. Darling won her was this: the many gentlemen who had been boys when she was a girl discovered simultaneously that they loved her, and they all ran to her house to propose to her except Mr. Darling, who took a cab and nipped in first, and so he got her.(『Peter and Wendy』)
 ダーリング氏が彼女を勝ち取ったわけはこう。彼女が少女だった頃に少年だったたくさんの紳士たちは彼女を好きだということにいっせいに気づきました、そしてみんな彼女の家へプロポーズに走ったのですが、たったひとりダーリング氏だけは、辻馬車をとめて一番に急いだのです、それで彼は彼女を手に入れました。

「付き合う」というのは結局こういうことでもあって、「好き」とかっていうことはまた別の変数。
 そのことによっていろんな騒動があるんだな。

「友達の晴れやかな笑顔は まるで自分の世界じゃなくて 順番待ちの列に並ぶのは違う気がしていた」(奥井亜紀さん『魔法の呪文』)

 近代というのは順番待ちの社会である。そういう価値観の世界。
 一番乗りが何より尊い。その中で立ち尽くす。
 そんな気分で書いたのがこの詩でした。

2016.05.04(水) 自分内大義名分

 夢庵→バ~ミヤン→デニーズ→ジョナサン→歌広→サイゼ
 むっちゃくちゃやないか!!
 誰と会ってもファミレスばっかりだ、歌広もドリンクバーあるし一曲も歌わずにポテトとか食べてたからファミレス同然!
「少年ガンガン」読者の集いに参加したのでした。たまに『CHOKOビースト!!』とか『刻の大地』とかの話題になると、なんか泣きそうになる。僕は1991~2001年くらいまで熱心なガンガン読者だったんで、同じものを読んでいた人たちと話せるのは本当に幸い。
 あの頃は本当に、ガンガンを読むことが生きがいだった。

 参加者の一人に小説を書いている方がいたので作戦会議のようなことをした。「創作」なるものについて語り合うと、自分の持っている「物語観」が浮き彫りになって、面白い。アドバイスをしているんだか、自分の考えを整理しているんだかわからなくなる。

 ほかの人から「創作相談」みたいなのを受けたときにも言ったんだけど、やっぱり「自分内大義名分」ってのは、あったっていいと思う。すなわち、「それを書いて読者(あるいは社会)にとってどんな好影響があるのか」である。そんなことを考えなくても面白い作品がつくれてしまう人はそれでいいのだが、もしも今つくっている作品が(他人から見て)面白くない、という場合は、ひょっとしたら突破口になるかもな、と。
「客観的に見て面白くない作品」を書いてしまう人は、「読者」の想定――もっといえば読者とのコミュニケーション――につまづいている場合が多い気がする。要するに、独りよがりな作品になってしまっているのだ。書きたいものを書きたいままに書いて世間も認めてくれるならそれでいいが、そうでないから「面白くない」と言われるのである。だから調整が必要。その際に役立つ(と僕が思う)のが、「自分内大義名分」という概念なわけだ。

 作品を世に出す以上、「それによって世の中がちょっとハッピーになる」というようなものであったほうがいい、と僕は思う。教育家だから。それはもちろん僕の好みなんで、みんながそう思うべき、ってことでもなかろうけれども、かつての少年ガンガンを愛するような人だったら、たぶんそこを目指すのはアリなんじゃない、って。
 やっぱ、いいやつってのは、他人がちょっとうれしくなったり、たのしくなったり、生きやすくなったりするようなことを目指すわけだ。「人の役に立つ」ってやつ。僕はいいやつの書いたものが読みたいよ。それは「道徳的に正しいものを書け」ってことじゃない。たとえば華倫変先生は、あんなにも道徳的に正しくなさそうなことをモチーフとして描きながら、絶対に「いいやつ」なんだよ。それは読者に伝わる。だから僕は、華倫変先生が大好きなのだ。
 ただ、世の中には「別にいいやつでもないような人が書いたもの」があふれているかもしれないし、そういうものがとても売れたりもするのかもしれないから、ちょっと、おすすめしづらいんだけどね。でも僕は思想として、主張として、意見として、そうであるべきでは? って言いたくなっちゃう。自分内大義名分を持って、世の中をすてきにすばらしくするような作品をつくること。もちろん、説教くさすぎたり、押しつけがましくなったりしないよう、それを設定する。
 ちなみに僕は、読者に、自分の作品のなかで、どのように泳いでもらいたいのか……ということを、書くとしたら考える。うーん、透き通った海の中で魚の群れを眺めながらサザエとか取って、とか。そういう海だったらいいよなあ、みたいな。サザエに手足が生えてて海底走って逃げてったらそれもびっくりして面白いんじゃない? とかね。それで楽しんでもらうってのが自分内大義名分で、そのサザエはがんばって取って食べたらめっちゃ栄養あります、とかまあ、そういうことも考えたりして。サザエの取り方が上手になるよ、とかも。教育家だから。
 最近はこういうよくわかんないことを言うのにはまっております。詩になってきた。

↓5/3は意味不明だと思いますのでディスコミ未読の方はお読み流しください……。

2016.05.03(火) 暗闇と幸福

『蜘蛛と蝙蝠』みたいな並びだなと思ったけどそうでもないかな。SOPHIAというバンドのこの曲には「何かにぶつかって道を知るのです 目の見えない蝙蝠の勇気」なんて歌詞がある。僕らはそんな暗闇から涙を拾って、生きていく。

 瞼の裏はいつも暗闇で、だからこそそこに浮かぶのは、暗闇の中で笑っていた好きな人の姿だったりする。僕らが暗闇で愛しあうのは、一人きりの時にでも目を閉じれば思い出せるように、ってためかもしれない。などと“きざの決定版”(参考文献:岡田淳『ようこそ、おまけの時間に』)みてーなことを言っておりますが、まあ、これも詩ですな。
 たいまつが灯るように、瞼の裏に像が浮かぶ。
 それが幸福であったなら。


  松笛  なんだ? このたくさんの石像は……
  冥界の主  あなたたちの他に ここにやって来た者がいると言いましたよね でも本当は 誰でも一度はここにやって来たことがあるのです あなたも子供の頃に思ったことがあるでしょう? どうして人は死ぬのか? どうして人は誰かを好きになるのか? どうしてこの世にはうれしいことや悲しいことがあるのか? ここに捨てられている石像は その時の……子供の頃の心です どうして捨てられたかって? だって「どうして人は誰かを好きになるのか」なんて わかるわけないじゃありませんか? あなたも今の夢の中で見たでしょう 人は誰でもいつか死ぬんですよ あなたがどんなに愛していても 戸川安里香もいつかは死ぬのです だったら「どうして人は誰かを好きになるか」の謎を解くなんて そんな夢はお捨てなさい わたしたちは 結局閉じられた輪の外へは出ることができないのです ならば その輪の中で楽しく おもしろく暮らせばいいじゃないですか さあこの人を背負って山を下りなさい そしてもとの世界に戻って そこで2人で幸せに暮らすのです それが 大人になるということですよ
(中略、目を覚ました戸川が冥界の主と対峙する)
  冥界の主  今の夢で見たとおり わたしたちはどうせいずれは死ぬのです どうせ閉じられた輪の中からぬけ出ることはできないのです もう つらくて危険な旅なんかやめて 輪の中の楽しい世界へ戻ろうじゃないですか
  戸川  ……あなたはいったい…… 今までどれだけたくさんの人の心や夢を壊してきたんだろう あなたはそうやって人の心の奥に忍びこんで 本当の心を探してやって来たたくさんの人の心や夢を今まで壊して来たんだ…… でもわたしはやめない…… どうして松笛くんを好きになったか……この謎を解くまで旅をやめるつもりはないわ
  冥界の主  お……おまえ!! そんなばかげた謎を解こうとしていったいなんになるんだ! 「どうして人が誰かを好きになるか」なんてことが解けるわけがない! この無数の星々を見ろ! おまえはこの何十億もの星の中の一つにしか すぎない この永遠の流れから見れば一人の人間は ゴミや塵に等しいのだぞ!
  戸川  違うわ 永遠の流れはわたしたちの外にあるだけじゃないわ…… 永遠の流れはわたしたちの中にも―― わたしたち一人一人の心の中にも隠されているわ わたしたちがなにかに夢を抱くのは 自分の中の永遠の流れに触れたいからなんだ
  冥界の主  だがおまえたちは決して“永遠”に触れることはできない なぜならおまえたちには“死”が待っているからな どんなに手を伸ばしても求める答えは手に入らない……
  戸川  それでもわたしたちは あきらめることはできないわ そしてわたしたちが死んでも…… 人間が生きている限りこの場所を超えるために誰かが必ずやって来る だってわたしたちは生きているから! 生きているとどんなに目をそむけても見てしまうから! どうして人が生まれて……そして死ぬのか どうしてこの世界には嬉しいことや悲しいこと――美しいものや醜いものがあるのか わたしたちはどこへ行くのか そして……どうしてわたしたちが誰かを好きになるか――を 見てしまうから……
  松笛  ……そうかわかって来たぞ! どうしてもう一人のおれや戸川さんが存在するのかが…… ここに捨てられている 石像と同じなんだ! あの2人はおれたちのもう一つの心なんだ
(植芝理一『ディスコミュニケーション』新装版3巻[冥界編III]P255-277)

 久しぶりに『ディスコミ』の冥界編を読み返したら、わかること……というか、感じることがまた多くなっていた。この箇所を読んで「ああ、そうか」と、すべてわかったような気がして涙が溢れでた。
 めちゃくちゃわかりにくいのだが、ここに出てくる松笛と戸川は、『ディスコミ』本編の主人公である「高校生の松笛と戸川」ではない。パラレルワールド的な世界に生きている、また別の松笛と戸川である。この別世界の松笛と戸川は、早背田大学で出会い、交際し、将来的には子を産み育てて行くことになっている。ものすごく単純な、あるいは乱暴な説明をしてしまえば、「普通の二人」である。ごく平凡な人生を送っていく二人である。いわゆる世間並みの就職、結婚、出産を経て、何十年という時間をともに過ごしていくカップルである。
 対して「高校生の松笛と戸川」には、そのような未来は用意されていない。高校生の二人は、「わたしはどうして松笛くんを好きになったんだろう?」と問い続ける、上記の引用でいうところの「石像=子供の頃の心=もう一つの心」そのものなのだ。おそらく。
 現実に生きている僕たちは、「もう一組の松笛と戸川」のように、ごく平凡な人生を送る。しかし、そうでありながら同時に、「高校生の松笛と戸川」のような、「もう一つの心」を持っている。
 ただし、その「もう一つの心」は、どうやらたいていの場合、どこかで壊れてしまうらしい。作中では「ばらばらになった石像=子供の頃の心」が、そのことをストレートに示している。(旧版11巻(新装版5巻)の『天使が朝来る』と概ね同じモチーフだと思う。)
 僕がこの場面を読んで泣いてしまうのは、「別世界の松笛と戸川」が、「もう一つの心」を壊さないように決意するからだ。決意してくれるからだ。ほとんどの人間たちは、この冥界の主の巧みな説得に負け、「もう一つの心」は捨ててしまう。そして「どうして人は誰かを好きになるのか」といった、きっと答えの出ない問いは忘れてしまう。でも、この二人は、現実世界での地に足の着いた幸せを危険にさらしてまでも、「もう一つの心」を守ろうとする。つまり、「高校生の松笛と戸川」を救おうとするのだ。冥界編の美しさは、ここに極まる。

 僕たちはいろんなふうにこの現実を生きていく。その中で「もう一つの心」は芽生える。それはいつか壊れてしまうこともあれば、松笛と戸川のように、強い心で保ち続けるような場合もある。
 戸川は言う。

「永遠の流れはわたしたちの中にも―― わたしたち一人一人の心の中にも隠されているわ わたしたちがなにかに夢を抱くのは 自分の中の永遠の流れに触れたいからなんだ」
「それでもわたしたちは あきらめることはできないわ そしてわたしたちが死んでも…… 人間が生きている限りこの場所を超えるために誰かが必ずやって来る だってわたしたちは生きているから! 生きているとどんなに目をそむけても見てしまうから! どうして人が生まれて……そして死ぬのか どうしてこの世界には嬉しいことや悲しいこと――美しいものや醜いものがあるのか わたしたちはどこへ行くのか そして……どうしてわたしたちが誰かを好きになるか――を 見てしまうから……」

 またも小沢健二さんふうに言うならば、これは「心の中にある光」というやつだ、と思う。そしてこれは、個人の内面にのみとどまるものではない。
 あるいはこれは4/30に紹介したプラトンの考え方とまったく矛盾しないのではないか、とも思う。
「もう一つの心」をもち続けること。
 それを哲学と言うのではないだろうか……。

  戸川  なんだかこの夜景の一つ一つが 星みたいだなと思って…… 地上の星空!
  松笛  星……?(松笛の回想・戸川の影「星の一つ一つがわたしたち一人一人の心よ……」)
  戸川  この光の向こう側に誰かがいて…… わたしたちと同じように喜んだり悲しんだり 誰かを好きになったりするんだなと思って…… だからね……わたしたちあの夢の中で もう一人の自分に会ったけど…… でも本当はそうじゃないの 本当はね…… このたくさんの光の一つ一つがもう一人のわたしたちなの…………
  松笛  5年前…… もう一人の松笛(ぼく)が…… ぼくに言ったよ ぼくたちの人生は夢みたいなものかもしれないって でも夢だからこそ…… おまえたちの思う通りに生きろって…… おれむずかしいことはわからないけど…… もし ぼくの人生が夢だとしても…… このたくさんの光の中から戸川さんに会えたというだけで…… なんてラッキーな夢だろうと思うよ……

「誰だって君だ」(中村一義/いつか)じゃないけど、これまで引用してきた戸川の言葉をみていると、なんだかこんな文章が思いだされる。

さて、それでは今度の「ある光」。「ある光」とは「心の中にある光」。

光は全ての色を含んで未分化。無色の混沌。それはそれのみとして、分けられずにあるもの。切り分けられていない、混然とした、美しく大きな力。それが人の心の中にある。

僕らの体はかつて星の一部だったと言う。それが結合して、体が在って、その心が通じあったりするのは、あまりにも驚異的で、奇跡で、美しい。

 ここまで行くと大げさだし、「何言ってんだ?」と思われそうでもあるけど、でもやっぱり僕はここにつなげたい。
 ここでいう「美しく大きな力」ってのは、まさに「高校生の松笛と戸川」が表象するような、「もう一つの心」なんじゃないかと。
 あるいはそれって『走れメロス』で言うところの、「もっと恐ろしく大きいもの」「わけのわからぬ大きな力」とかにも関わってくるのか? なんてところまでいくと本当に収拾が付かない。

 それを一言で「イデア」って言っちゃえれば楽なのかもしんない。
 小沢さんふうにいえば「本当のこと」とか。
 現実を生きていく別世界の松笛と戸川は、「高校生の松笛と戸川」という「イデア=本当のこと」を、守りたいと思った。だからこそ二人の絆は現実においても美しい。あの二人が「いる」からこそ、自分たちもこのように「いる」。そう思えることが、彼らの強さなのかもしれない。そして、とんでもないことに、それは何も「もう一人の自分」たちでなくたってよくって、ひとりひとりのみんながそうなんだ、と……。だから全然これはフィクションなんじゃなくって、当たり前に現実の中に「ある」ことなのだ。「遠く遠く繋がれてる君や僕の生活」「君や僕を繋いでる緩やかな止まらない法則(ルール)」「光よ、一緒に行こう」。そういった言葉も思い浮かぶ。
 そうは思ってみても、やっぱりどこか単純で、どうしてもどこか複雑だ。

 そういうことといえばそうなんだろうし、そうでもないことでもありうる気がするから、やっぱり本当にとても大切なことと僕は思う。だから、松笛と戸川が「それ」を、自分たちの生活上の幸福を賭してまで守ろうとしたのは、本当にすばらしいことなんだ。きっとメロスが走ったのと同じくらいに。ソクラテスが毒杯をあおったように?


 愛というシーンに立ち会って、とりわけその当事者が自分であるとき、まあ要するに、誰かと愛しあっているようなときに、そこにある光が、また夢であり、永遠の要素であり、そして「力」であるならば。すなわち瞼の裏に浮かぶ美しい像が、そういったものであるならば。
 そういう祈りを捧げるように、暗闇の中で我々は愛しあうのだ。(もう意味ワカラナイと思いますが、きっと意味なんてのはあとからついてくるのです……。わたしは、今日、このことを言うべきなのです。)


 そういえば奇しくも、「本当の心を探して」というフレーズを戸川が言っています。
「暗闇の中挑戦は続く 勝つと信じたいだから 何度も君の名前を呼ぶ 本当の心探して呼ぶ」(小沢健二『戦場のボーイズ・ライフ』)

2016.05.02(月) 命日と訃報

 この日に没した三名の音楽家を思って歌をうたった。
 そしてまた新たな訃報がこの日にいくつか届けられた。

 怖れることなく 悲しみを越え
 そっとその目を閉じ 耳を澄ませる
 誰かを悼む火の 煙る炎 高く高くと
 燃え立つ僕はまだ 慈しみの中

 船は海をゆく とても遠くへ
 過去と未来より 飛ぶ風を蹴って
(小沢健二/旅人たち)

 死んでしまった人のことを時に思いだすことは、時間を知るためにとても大切なことだと思う。時間というものはいったいなんであるか、ということの大きなヒントが、そこにはあるような気がする。


 ちなみに『MISERY』『天気読み』『JUMP』『HURRY GO ROUND』をチャンピオンというバーでうたいました。DNAおじさんにめっちゃ祝福されて最高だった。いつも永ちゃん歌うおじさんも久々に会えてよかった。DNAおじさんのFirst Loveは途中から桑田さんになっていた。

2016.05.01(日) 原バ~

・スーツ! スーツ!→帰ります
・三重が見える!(pq)
・ゴミ袋ーリング
・ちゃんとバイバイできないよ~

 過去ログ  2016年4月  2016年5月  2016年6月  TOP