少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2016.03.31(木) 書き散らしたたくさんのYesも

 年末ソングには『雪が降る町』があるが、年度末ソングというのはない気がする。あればいいのに。
 僕は何にしても、「終わる」という時期が好きだ。
 だからたぶん死に際も楽しむのだろう。楽しめるような死に方をしたいものだ。

 終わる瞬間には、途轍もないエネルギーが籠もっている。
 一年間の重みをすべて抱え、解き放たれるのを待つ年末。
 ゆらゆらと墜落していく飛行機が地面に着いて爆発するときの瞬発力。
 終わりとは、蓄積の瞬間的な破壊である。
 終わるとは、そこへ向かっていくことである。

だんだん小さくなる世界で 僕は無限にゼロをめざそう
止まるくらいスピードを上げて ずっと ずっと
(Flipper's Guitar/Going Zero)

 破滅ではなくて。
 交響曲の終わりに盛り上がるオーケストラのように。
 有終の美。終わりが有るということは、それだけで美しい。
 ものごとは終わらねばならない。終わることによって完成する。
 終わらないまま死んでいったものたちは、永遠に語られることになる。
 涙とともに。あるいは、苛立ちとともに。

 生きているものたちに完成を押しつけてはならない。
 そういう友人たちを僕は永遠に許すことができない。
 だから忘れられない。
 呪いをかけていったようなものだ。

 2015年度はもうすぐ終わる。
 そのとき、2015年度は「止まる」のだ。
 時は終わって剥製になる。
 そこへ向かって僕たちは全速力で走る。
 未来の世界へ駆けてく。
 止まるくらいスピードを上げて。


 ああ、3月31日と4月1日との間には厚い壁があって
 猛スピードで新幹線はその壁に向かい
 大破する。
 第一車両から最終車両までがすべて、
 蛇のように、鞭のようにしなり
 洗いざらい壁にぶつかり、そこで止まる。死ぬ。
 壁のこちら側には2015年度がそのように横たわる。
 向こう側には何があるのか。僕たちには見えない。
 僕たち2015年度の人間には、その壁の向こうを永遠に見ることができない。

2016.03.30(水) 生きていると

 何を見ても何かを思い出す。尊敬する人からもらった酒の銘柄を憶えていて、バーのカウンターに見つければ、頼んでしまう。ショットでちびちびと飲む。そしてすべてを思い出す。思い出すのが終わったら、次には何を思い出そうかと、周囲を眺めたり、誰かと話してみたりする。それをまた憶える。
 そしていつか思い出す。

 文章を読むとき、「書き手はこのような意図を持って書いているのだろう」と予想しながら読むことは、普通だと思います。
 ただこの29日の文章については、できるだけそのような気分を廃して読んでいただきたく存じます。
 たぶん、何を言っているのかまったく意味がわからないとは思いますが、詩のようなものとして、読み流していただければ幸いに存じます。

2016.03.29(火) 生きることはサンサーラ

 はしもとみつお先生の『がんばれ!ドンベ』という漫画が好きで、その続編のような位置づけのものとして『ハナタレ学園』というのがあると知り、読んでみた。超絶入手難なので、ネットで読んだのだが、どんな形であれ読めてよかった。Amazonで一点だけ出ていて、4000円弱かかるけど、買う価値は存分にある。
 読んでいて、江川達也先生の『BE FREE!』を思い出した。
 頭がよわくて明るくて性的にゆるい(ように見えるが実際はたぶん処女である)女の子が、若くして病気で死んでしまう、という点で、『ハナタレ学園』の桜モモミと『BE FREE!』の長谷川まみが、重なったのである。
『BE FREE!』は僕を教育の世界に引きずり込んだ原因の一つでもあり、必読の名作。江川達也というと、それだけで拒否反応を示す人もいるのだが、勿体ない。少なくとも『BE FREE!』は本当に、素晴らしい。「江川達也って天才なんだなあ、じゃあしょうがないなあ……」という謎の感慨すら呼び起こされるすさまじい作品である。ぜひ。

『がんばれ!ドンベ』も『ハナタレ学園』も、あるいは『BE FREE!』も、言ってしまえば『あまいぞ!男吾』だってそうだが、これらは決してエリートの物語ではない。落ちこぼれである。落ちこぼれが成り上がる物語かといえば、そうでもない。彼らは彼らの生活をそのまま生きる。
 特にはしもとみつお先生の両作品について言えば、金持ちのキャラクターは一人たりとも出てこない。全員が貧乏である。僕の大好きな『ど根性ガエル』の世界だってそれに近い。現代の豊かさが、ちっとも香ってこない。『ドラえもん』は逆だ。あそこに描かれている世界はとても豊かである。だから高度成長以後の日本で、こんなにも売れ続けているのではないだろうか。『ど根性ガエル』は、もう流行らない。
 僕は性根が貧乏人なので、貧乏な世界で、落ちこぼれた人たちが、成り上がりもせず、貧乏のまま、明るく貧しく苦しく、幸せだったり不幸せだったりしながら、暮らしていくような作品に触れると、何とも言えず、酔ったような気分になる。「これでいい」というよりは、「こういうのが自然なのではないか」と感じる。しかし現実には、そう考える人はほとんどいない。「清貧」を愛する人は多いが、豊かに花咲くベランダから眼を細めて下界のそういう生活を眺めていたい、というのがみんなの本音だ。だからみんな、金ばかりを欲しがる。その金で、清貧な物語を消費する。何かのバランスをとるように。
 金による豊かさは手軽である。金によらない豊かさは、手に入れることがきわめて難しい。現代においては、ほとんど夢物語のようなことのように、たぶん思われ、語られる。
 若い男は金がなくたって魅力がありゃモテるが、年をとればそうはいかない。僕もそういう齢になってしまった。なぜ年をとると金のない男はモテなくなるのかといえば、「金があれば簡単に豊かになれる」からである。「金がないと豊かになるのは難しい」のである。それを女たちはわかっている。「将来」ということを考えたとき、豊かになれる可能性の高いほうへbetするのは当たり前のことだ。ましてや女性は、子を産み、育てる、という可能性を少なからず意識する、その限りにおいて、男のように無責任には生きていられないのだ。

 僕はフジテレビの『ザ・ノンフィクション』という番組が好きだが、ここには基本的に、金持ちなど登場しない。経済的な余裕を前提として、明日への希望を語る者など、ほとんど出てこない。『ザ・ノンフィクション』は、貧乏人の番組である。そして視聴者のほとんどはたぶんあのベランダから、それを見る。
「生きてる 生きている その現(うつつ)だけがここにある 生きることはサンサーラ」……現在の番組のテーマ曲『サンサーラ』のサビの歌詞である。毎週毎週、幾度かずつ、この歌詞を聴くことになる。サンサーラとは、ざっくり訳せば「輪廻」という意味らしい。愛すべき生まれて育ってくサークル。君や僕をつないでる緩やかな止まらない法則(ルール)。

『ザ・ノンフィクション』において描かれる「現」とは、貧乏人の業(ごう)である。それに人は胸打たれるのだろうが、多くの視聴者はたぶん、「自分はその業を背負わなくてよかった」と思いながら見る。「自分とは関係のない業である」とか。だからこそ、安心して感動できる。「背負いたくない」と思えば、気を引き締める。
 では、その貧乏人の業なるものに心当たりのある、それを他人事と思えないような人は、あの番組をどう見るのだろう。
 僕は『がんばれ!ドンベ』や『ハナタレ学園』を読む時のように、見る。あるいは森下裕美先生の『大阪ハムレット』でもいい。絶え間なく続く輪廻の中で、悠久の時の中で、一つの命がほかの命と交わりながら、淡々と燃えて、消えていく。その炎のゆらめいた一瞬を切り取って、作品としたのが、はしもとみつお先生の両作品であったり、『ザ・ノンフィクション』なのだ。どんな炎であれ、炎は炎。美しかったり、醜かったり、苦しかったり、幸福だったりする。彼ら制作者はその緩急に注目して、切り取るべき一瞬を決める。居合いの達人が一閃の刃でろうそくを吹き消すように。波を斬るように。
 そしてなぜだか、彼らが切り取りたくなるような緩急の瞬間は、貧乏人の業のうちにあることが多いようだ。貧乏人の業は、優れて物語的である。実に、安易に。

 貧乏人の物語は安易に面白い。それは「人の不幸」だからかもしれない。そうなのだ。貧乏人の物語を安易に「不幸」と思える人にとって、貧乏人の物語は「面白い」のである。そこにはもちろん切実さなどない。「不幸」というマイナスから、少しでも希望が生まれれば、それは感動になるし、「不幸」が「不幸」のまま据え置かれれば、それは悲劇となる。エンターテインメントである。この面白さは実に安易なものだが、それゆえそこら中にはびこっている。
 対して、貧乏人の物語を「不幸」とは思えず、それが単に「生きている」ということとしか受け容れられない人にとって、貧乏人の物語は、「感動」でも「悲劇」でもない、全然ちがうものとして胸に届く。
「生きてる 生きている その現(うつつ)だけがここにある」……ただ、太陽があるように、ただ、そこにある現。貧乏人だろうが金持ちだろうが、自らを中流と信じようとする人々であろうが、等しくあるのは「生きている」という現。悟りのように、座禅のように、ただ静かに生が生きている。その炎は静謐にゆらめく。等しくゆらめく。

 成功者の物語はわかりやすい。起承転結がハッキリとしている。それが成功者の物語である以上、「転」には成功が書き込まれ、「結」には成功している状態が書き込まれる。「起」「承」には伏線が配備されているはずだ。失敗者の物語も同様にわかりやすい。しかし、成功だの失敗だのといったゴールのハッキリしない人生は、物語としてわかりにくい。『ザ・ノンフィクション』はそういう人生にスポットを当てる。だから、それは貧乏人の物語でなくてはならないのだろう。貧乏という安易さを加味しなければ、そのような「ゴールのない物語」はなかなかエンターテインメントとしては受け容れられない。
 金持ちにも中間層にも、もちろん同様の「ゴールのない物語」はあるのかもしれないが、しかし「金による豊かさ」が担保された状態というのは、常にゴールが約束された状態なのである。だから基本的に貧乏人にしか、「ゴールのない物語」は訪れない。
『ハナタレ学園』はたぶんそのような、「ゴールのない物語」である。
 そんなものをフィクションでやっても、高度すぎて受け容れられはしない。だから『ハナタレ学園』の単行本(特に2巻)は今ではほとんど入手が不可能なほど、売れなかったようだ。『ザ・ノンフィクション』はノンフィクションであるがゆえの迫力によって長く人気番組としてあり続けているが、同じようなことを漫画でやってのけた『ハナタレ学園』だって相当に凄まじいものである。もっと絶賛されていい……と個人的には思う。

 僕は、『ハナタレ学園』の登場人物たちの人生の炎のゆらめきに、心打たれた。誰もが、どんな人だって、同じように炎を胸のなかに灯している。だから、何の心配もいらないんだ。どんな炎も、炎は炎。燃え続けているのだ。それが灯りつづけている限り、「生きている」といえるのだ。生きることはサンサーラ。長い長い時間のなかでたまたま生じた小さな炎。
 そのなかでいつだって誰もが誰か、愛し愛されて生きる。こんなささやかな人生、みんな誰かを愛してる。愛するがゆえに、炎は炎。いろいろ書いてみたが、結局はそれだけのことなんだな。

 この命は、人生は、確かに燃えている。そう実感できるなら、何も捨てたものではない。そこに愛があるゆえに。僕は生きる。
「僕は死ぬように生きていたくはない。」

2016.03.28(月) 待つっていうことについて

「待つこと」トゥラルパンが話し始めました。
 この十五才の少女には、南の大陸をゆくバスに乗って銅山の国にやってくる途中、ずっと考えていたことがありました。
 それは、「エスペラール」「エスペランサ」ということでした。

 南の大陸で広く話されている言語で、「待つ」は「エスペラール」、「希望」は「エスペランサ」といいました。そして、考えてみれば「待つ」と「希望」は、深く関わっているようでした。
 人は、希望があるから待つのだし、待っている時には、心の中に希望が宿っているはずでした。
 けれど、灰色のつくり出す世界では、「待つこと」はだめなことなのです。人びとはいつもイライラしていて、「早く早く」「速く速く」と急いでいます。
 新しい品物を、他人よりも「早く」手に入れて、「速く」配達してもらって、急いで消費しなければならないのです。他人よりも早く、「ああ、あれ、もう古いよ」と高らかに宣言するのが、「かっこいい」のです。

 乗りものは、速くて、早く到着する乗りものほど、値段が高いのです。特急列車は、普通列車よりもずっと値段が高くて、飛行機なんか、ただでさえ速いのに、兆億長者たちは何億円も払って、「プライベートジェット」という、自分専用の飛行機を買います。飛行場で他の人を待つ時間さえ惜しくて、自分が乗りこんだら、すぐに飛び立たないと、イライラしてくるのです。
「早く!」「速く!」「時は金なり!」。けれど、時は時なのです。時は、生きている時間のことなのです。生きている時間は、どう考えても「金」ではありません。

 子どもたちは、学校で急がされます。「早く早く」「速く速く」。じっくりと答えを考えていてはだめで、早く、速く、答えを思いつくと、先生に褒められるのです。
 けれどもしかしたら大事なのは、じっくり考えることなのかも知れないのです。

「要するに何? 結論は? ポイントは何なの? はやく!」灰色のつくり出す世界では、日常会話でも、相手を待たせてはだめらしいのです。しかしもしかしたら、考えがあっちへ行ったり、こっちへ寄り道したり、なかなか結論に行かない、その過程のすべてが、その人の「考え」なのかも知れないのです。

 そんな「速く」「早く」の世界では、人は待つことができなくなって、いつもイライラしています。待つこと(エスペラール)が消えてゆく世界では、もちろん希望(エスペランサ)も消えてゆきます。人が何かを「心待ちにする」能力は衰えていって、眼の前にないものは、ただ「ない」ものになります。
 けれど本当は、眼の前にないものは、「待つ」ことのできるものだ、とトゥラルパンは思うのです。眼の前にないものを待つことによって、希望がふわりとその姿をあらわすのだと、思うのです。
「待つこと。ただ待つのではなくて、待ち、望むこと。」
(小沢健二『うさぎ!』第6話 2007年1月発表)

 ある学校の先生が、「遅刻するのは人を殺すのと同じだ」と発言した。「それは相手の時間を奪っていることだから。俺はそう生徒に教えてる」と。それについて別の先生は「それ、わかります」と同意していた。酒の席での話。
 この先生(たち)によれば「時間を奪う=殺す」ということらしい。
 確かに、人の生きている時間を奪ってしまうということは、人を殺すことに等しい。逆から考えてみると、人を殺すということは、その人がその後生きるすべての時間を奪ってしまうことだから、「殺す=時間を奪う」というのは、成り立つ気がする。なるほど。
 この二人の先生はどちらも数学の先生で、そのことと関係があるのかは知らないが、彼らは「遅刻=時間を奪う=人を殺す」というふうなイコールの関係を頭に描いているようだった。
「時間を奪う=人を殺す」については、先に見たとおり、そうともいえるかもしれない、とは思う。しかし、「遅刻=時間を奪う」というのはどうだろう。本当にそういえるのだろうか。

 こんな無茶苦茶なことを言う人がいるかもしれない。「俺が遅刻することによってさ、“待つ”時間を提供してあげてんだよ、待つことは希望なんだからさ、希望をあげてんの。ね?」とか。僕はさすがに、こういう言い分をまで肯定しようとは思わない。これは開き直りだからだ。「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」なんて太宰治の言葉もあったけど、待たせている分際で、そういうのはちょっと失礼である。
 でも、待つ側が自分から、“待つ”という時間を大切に抱きしめるのなら、それはたぶんすてきなことだろう。

 先日軽井沢に行ったとき、十六年の付き合いになる友達と、その奥さんと、娘さんと、四人で行動を共にした。娘さんはまだ二歳にならないで、歩き回ることはできるけど言葉はまだ喋れない、というぐらいの発達だった。そうなると、けっこう大変である。急に泣き出したり、眠ったり、あさっての方向へ歩き始めたり、何かに執着してその場を動かなくなったり、大人の思い通りには動いてくれない。
 それに対する親の対応にはいろんなものがあるだろうが、やはり「待つ」ということが大切になる局面もある。今回は僕という他人がいたので夫婦も気を遣って、「待つ」ということは最小限にしていたのであろうが、それでも優しい彼らは娘に対して存分に「待つ」をしてあげていた、と思う。
 僕は、仲の良い友達の子供を「待つ」ことに対していっさいストレスを感じない。付き合いの長い彼はたぶんそれをわかっていて、だからそれなりに気楽に「待つ」をしていただろう。奥さんもそれを何となく感じてくれていたかもしれない。こっちも気楽に「待つ」をしていた。僕は直接娘さんの世話をするわけではないので、夫婦が娘にかまっている時には完全に手持ちぶさたである。そんなときどうするかといえば、幸いにもそこは軽井沢、息を吸って、あたりを見回し、空を見上げれば時間などいくらだって爽快に過ぎていくのだ。
 その時に見た木々のようすや、感じた風の冷たさは、数日過ぎた今でも眼の奥に、身体に、まだしみついている。「待つ」のおかげで、ほんの数時間しか滞在しなかった軽井沢の景色を目に焼き付け、空気を肌にぴったりと貼り付けることができたわけだ。だから僕は待たせてくれた娘さんに感謝を捧げなくてはならない。

 約束の時間に遅れれば悪いことだが、それは果たして「時間を奪う」ということなのだろうか。「約束を破った」という意味で批難はされるべきかもしれない。状況によっては「進行を滞らせた(その結果損失が生じた)」ということになって、謝罪や賠償が必要になることもあるだろう。しかしそれらは「時間を奪う」とはちょっと違った“悪さ”なのではなかろうか?
「人を殺す」と言えるほどの邪悪であるとは、到底思えない。少なくとも僕は、遅刻した人を待つことが嫌いではない。
 試しに僕と待ち合わせをして、一時間くらい遅れてきてみるといい。僕は待ち合わせ場所で、本でも読んで、一時間突っ立っていることだろう。その時僕が思うのはもしかしたら、「一時間も集中して読書ができた」かもしれない。もちろん、それが美術館に行く約束ならば、「あー、美術館を回る時間が一時間減ったな」と思ったりするだろう。でも「それはそれで」とすぐに思える。ただし、もしもそれが僕のめちゃくちゃ見たい展示で、一分でも一秒でも長い時間見ていたい、と思うのであれば、僕は平気で「ごめん先に行ってる」と連絡するか、それができなければひとりで勝手に向かっているだろう。「遅刻するほうが悪いんだ」と正当化をして。そのくらいに僕は優先順位というものをわきまえている。
 何時間待たされようが、その「待つ」時間をどう使うかは、待たされている側の自由だ。待っているあいだの時間は「自分のもの」であって、待っているからといって待たせている側に「時間を奪われている」ということは断じて、ない。行く人波を眺めていたら、タモリさんがいて、声をかけたらニッコリしてくれるかもしれない。だったら結果的には「遅刻してくれてありがとう」になるわけだ。そういう可能性だってあるんだったら、「待つ」という時間もその他のすべての時間と等しくかけがえのないものだ。
 ドラえもんの「時間貯金箱」の回でも読んでほしい。16巻。この話から明確な教訓やメッセージを読み取ることはたぶんできない。だからこそ、読んでどう感じるか、というのが、「時間」というものについての考え方をはかる指標になるんじゃないかな。
 あるいは『モモ』でも。

2016.03.20(日)-23(水) 新潟、中之条、軽井沢

 新幹線に自転車を乗せて新潟駅で下車した。僕の関わっている会社が協賛(?)している「ファンシーショップあひる展」というイベントに、日ごろ仲良くさせていただいているあわたプロの人がたまたま出展するというので、奇縁を感じて行ってみた。
 僕はこうした奇縁が大好きである。奇縁とはもちろん偶然にやってくるものではあるが、ひごろのおこないの積み重ねが呼び寄せるものでもある。
 今回のことで言ったら、ファンシーショップあひる展の主催者は、僕の会社の社長と、あわたプロとに、たまたま「共感」みたいな感じで繋がっていた。そしてたまたま僕がその両者と、また「共感」みたいなもので繋がっている。だから一本の線……というか、輪っかみたいなもんで繋がる。そこには、僕が今たまたま「共感」という言葉であらわした何らかの気分や縁みたいなものが存在しているわけで、もし僕が“そういったもの”を持っていなかったら、この奇縁は生まれなかったのである。その輪の中に入れなかった、いや、輪をつくることができなかった、はずなのだ。うーん、なんだかよくわかんないですかね? まあ、今回はそんな感じのテーマで、旅行記を書いていきます。
 縁というのはたぶん、それまで自分が生きてきた時間の、結晶としてできるもの。そんでそれを結晶させることは、本当に偶然、っていうよりは、どっかでそういうふうに判断したり行動することで、できあがるものなんだと思うわけです。世の中に本当の偶然なんてものは、あんまりない。
 僕はそういう偶然をつくり出すために日々を生きているのかもしれない。だから本を読んだり、人と話したりするのを愛するのだろう。すべては縁のために。

 ファンシーショップあひる展には、社長からの言づてにより、我が社からの花を持っていった。古町の花屋に飛び込みで頼んだ。「○○円くらいで、あひるっぽい感じで」という無茶ぶりにも、嫌な顔ひとつせずに応えてくれたツボイフローリスト古町店のお姉さん、ありがとうございました。
 会場のBlue Cafeに着いて、あわたさんとあれこれ喋りつつ、イベントの空気を吸い込みながら、いろいろなことを考えた。その99%まではここでは割愛するが、ともあれ、あわたプロはもっと評価されてもいい、と思いつつ、まあでもそれは僕の作品(おざ研とかも含めて)がいまいち「評価」なるものから遠いことと無関係ではないなと、妙な共感をしてしまったものである。彼女はセンスが良すぎるし、また美意識が鋭敏すぎる。それは時に足かせにもなるよなあ、とか。(続きはガストで!)
 ミスドでスマホをちょっと充電して、適当に歩き回って、「宇宙真理学会」という看板を掲げた観音像のあるラブホテル近くのお店で担々麺を食べた。このホテルすっごい気になるからいつか泊まりたいものである。そいから去年取材で訪れた時に寄った古町のメイドバーSLIME BEに行ってみたのだが、メイド長のあんこさんが申し訳なさそうに「満席です」と言うので諦めた。あんこさんを一目見られたのはよかったが、今晩いる場所がない。
 それでまた放浪である。しばらくは前回歩いた場所をぶらぶらしてみたのだが、もうSLIME BE以上の発見はこのエリアになかろうと、繁華街から外れたほうへ歩いてみることにした。
 なんとなく、思っていたのである。本当に面白いものは、中心地から少し離れているのだと。新宿でいえばゴールデン街だってそうである。駅からも、歌舞伎町の中心からも外れたところに、ひっそりとある。遠いから地代も安くて、面白いことがやりやすいのだ。そういうスポットを探そうと思った。稼ごうと思えば、なかなか面白いことはできない。

 そうして歩いていると、ギョッとする風景に出くわした。ソープ街であった。きらびやかさはない。岐阜の金津園とか、神戸の福原とかの、あの古くさくって陰気な感じを、ぎゅっとコンパクトに収めた感じ。閑静な暗闇に、控えめなネオンがひっそりと輝く。細い、車一台がやっと通れるかどうかの小路の両脇に、淡々と聳える夜の城。店名は「不夜城」だの「徳川」だので、煽り文句は「ヤング多数!」とか。まるで時間が止まっている。
 タイムトンネルのようなその道を抜けると、街道に出る。二車線の道路の両側に、一メートルくらいの幅の歩道があって、必ず屋根がついていて、商店が並んでいる。地方都市によくある、あれだ。その店のなかに、やたらお洒落なカフェバーを見つけた。一度通り過ぎて、店内をちらっと見た。コンビニくらいの広さがあって、客が一人もいない。店員のお姉さんが暇そうに煙草を吸っていた。
 かわいくて、お洒落な店構え。でも夜の九時になっても営業している。看板を見ると深夜一時くらいまでやっているらしい。これは怪しいな、と直観した。その時は特に意識もしなかったが、ひょっとしたらDJブースや置かれているチラシの多さを目の端で捉えていたのかもしれない。それでも決め手に欠けて、数分うろうろして、「やっぱり今日はここだろう」と、店に入った。
 テーブル席ががら空きの中、カウンターに座り、バスペールエールを頼む。一通り店内を観察してみたら、ターンテーブルの脇に貼っているポスターに目がとまった。「これはどこかで見たことがあるぞ」と思った0.2秒後に、「あ、これはコーネリアスのスターフルーツ・サーフライダーの8cmシングルのジャケットのパロディじゃないか!」と合点した。
「すみません、このポスターは、このお店に関係のあるものですか?」
「ええ、よくいらっしゃいます。ここで定期的にやっているDJパーティの告知ポスターですね。CDもありますよ」
 手渡されたCDのジャケットはポスターと同じデザインで、文字のフォントや配置も元ネタのシングルを意識したものだった。二人組のユニットらしいが、クレジットには「W.K.M CORPORATION」と書いてある。明らかにフリッパーズ・ギターのクレジット「DOUBLE K.O(Knock Out) CORPORATION」のもじり。どう見ても、いわゆる「渋谷系」の音楽で育った人たちである。つまり僕と、趣味が合う。
 もしこの人たちが今この場にいたら、きっと仲良くなれるんだろうな、と嬉しくなった。あとで調べてメールでも送ろうかな、と思いつつ、店員のお姉さんと話していたら、来た。その二人組が揃って。凄まじいタイミング。
 彼らは背後のテーブル席に座り、仲間うちで盛り上がっていたので、帰り際に声をかけることにした。カウンターのほうにもお客さんが増えていたので、あれこれ話した。大阪から来たお兄さんとか、東京からバックナンバーのライブの遠征で来たお姉さんとか。店員さんのうちの一人もカウンターに座って、おすすめのお店など、教えてもらった。
 二杯目に頼んだ山崎を飲みきって、会計を済ませ、例の二人組に話しかけてみた。すると、「おお!」という、反応。ワインをごぷごぷと注がれて、歓待された。予想をはるかにこえて、喜んでいただけたようだ。しばらく音楽の話などをして、「今夜も朝までイベントやってるから来てよ。この道をしばらく歩いたとこ」と言うので、後で必ず寄りますと店を出た。吉野家でお腹を満たした。

 新潟に来たからにはSLIME BEに寄らねばならぬ。席は空いていた。あんこさんは一年前に一度来ただけの僕をちゃんと覚えていてくれていた。「ジャックさん」と言われたけど。それにしてもやはり彼女の立ち居振る舞いや、客への気配りとあしらい、あらゆる挙動はことごとく美しく、惚れ惚れとするものであった。いちおう断っておくがここはメイドバーと銘打たれてはいるものの、実際はショットバーに近いような業態である。ただ店員さんがメイド服を着ているだけのような趣で、お客さんは常連が多くて、初対面でも気さくに話してくれる人がほとんど。とても居やすい空間で、落ち着く。95年前後のファンロード(アニメ雑誌です)とかが並んでるのも、すばらしい。
 僕は本当にここのあんこさんに惚れ込んでしまっている。それは女性としてというのではなくて、一つの店を運営している「お店の人」としての尊敬の念。隙のない店作りだと思う。芸術作品のような飲み屋。僕はそう感じさせてくれるお店が大好きだし、自分がやるとしたらそういうのがやりたいし、おざ研ももちろんそういうものを目指していた。
 このSLIME BEは近々、移転するらしい。前来た時もカウンターの席数が少ない(四席)のを残念に思ったものだが、次の場所ではもっと増えるという。とても楽しみだ。さらによいお店になることを期待する。
 ところで、二度しか訪れていないが、このお店は深夜になると、小さなホワイトボードを使った大喜利だとかクイズだとかが行われる傾向にあるらしい。しかもそれは店の企画ではなくて客のほうが唐突にやり始めるのだ。なかなか珍しく、楽しい。

 誘われたクラブへ。朝方近かったので、もうそういう感じだった。あの感じ。えー、すっごい手抜きっぽいんだけど、朝方の、クラブの、あの感じ。クラブなるものに、行ったことがあっても、なくても、なんとなく想像してみてください。そういう感じでたぶん、合っています。合っていなくても、合ってると思う。
 ラスト近くに大瀧詠一の『恋するふたり』がアナログでかけられたのが、なんかサービスを受けているような気分がして、とてもよかった。
 音楽が終わったら、挨拶をして、早々に立ち去った。
 ネットカフェに行って、溜めていた作業をしたり、『新黒沢』の最新刊を読んだり、寝たりで、十二時間も滞在してしまった。

 日中は街をぶらついていた。人情横町は面白い。東中通りや鍛冶小路は中心部から外れているが、すぐれた「文化」が集まっているように感じた。丸大のポッポで海老ラーメンと大判焼きみたいなのを食べたり、手作りサンドイッチを買って食べたりした。夕方、クラブで知り合った方のやっているカフェに行ってみた。コーヒーやアルコール10%のビール(タカシインペリアルスタウト)を飲み、二時間くらい話した。95年のロッキンオンジャパンがずらりと並んだ、よい空間だった。
 ちなみにこの界隈の方々の間でも、ファンシーショップあひる展の主催者は知られているようだった。人と人とは本当によく繋がる。
 パスタ古町というお店のらんちき騒ぎを横目にして、カフェの店主に勧められたジャズバーに行ってみた。例のソープ街のど真ん中にあった。コーヒーとエヴァンウィリアムズを飲んだ。ジャズのことは詳しくないけど、お父さんがジャズとオーディオのマニアで、小さい頃からそういうものばかり聴いていたせいか、その店の音響が極上に良いことだけは笑えるほどよくわかった。永遠に聴いていたくなるほど、素晴らしい音だった。行けばわかると思うので、おすすめします。カウンターに座って、マスターとけっこう話した。スタン・ゲッツの死ぬ間際のライブを聴かせてもらった。スタン・ゲッツすら知らないくらい僕はジャズの固有名詞に疎いのだが、しかし聞き覚えがあった。タモリさんの『久美ちゃんMy Love』の原曲がスタン・ゲッツだったのである。あとで思い出した。演奏も音もサイコーだった。

 もうなんだか、新潟の繁華街にはちょっと疲れてしまったので、駅の南側に行って、どこかバーでも探そうと思い立った。いくら南側が寂れているとはいっても、駅が近いんだから、始発までを過ごすために朝まで営業しているお店は必ずあるだろう。そう思って自転車でしらみつぶしに走ってみたのだが、成果はゼロだった。確かにやっているお店はけっこうあるのだが、「これだ」と思えるような、入ってみたくなるようなお店はまったくない。もちろん、入ってみればまた面白いことがあったのかもしれないが、どうもそういう気分にならなかった。不思議なものだ。これはそういうことなんだと思って、結局マクドナルドに入って始発を待った。

 新潟を五時十七分に出る列車で、長岡、越後湯沢、水上と乗り継ぎ、沼田で下車。地図で見ると沼田城というのが駅からすぐだ。行ってみよう。そう思ったのがいけなかった。僕は沼田の地形を知らなかった。
 あとで知ることになるのだが、ちょっと前に『ブラタモリ』で沼田の回があったそうなのである。帰ってから録画を見たが、これを見ていたらもうちょっと用心していただろう。失敗した。それにしても妙なところでタモリさんにも縁のある旅である。
 僕の降り立った沼田駅というのは、簡単に言うと谷のような場所にあって、沼田城や沼田の市街は、駅から見たら切り立った崖の上にあるようなものなのである。それを知らずに歌なんか歌いながら登って行ったら、ものすごく体力を削られた。自転車に乗るときは、最初が肝心である。はじめに足を使いすぎると、あとでつらくなる。軽く流して体力を温存しておくことを「足をためる」とか言うのだが、沼田の坂を甘く見ていた僕はまったくそれができなくて、足を完全に消費しきってしまったのだ。このあとの行程は、ずいぶん困った。どうせ三十キロくらいしか走らないんだから、とたかをくくっていたのも敗因だ。油断した。沼田と中之条を結ぶロマンチック街道は、そうとう勾配が急だった。特に最初の、権現峠まで。中途にあったロックハート城は荘厳だった。

 中之条に着いたら、泊まる予定の旅館を過ぎて、まずは喫茶店へ。去年も訪れた、夜回り先生こと水谷修先生が行きつけている店である。ママはもちろん僕を覚えていてくれて、再訪をとても喜んでくれた。そして面白かったのが、隣にすわったご老体である。
 詳しくは省くが、彼の友達の所有している山奥のプライベートな温泉に、電話一本でいつでも泊めてもらえるという話になった。嘘や社交辞令の気配は感じられなかった。面白い。本当にいろんなことがあるものだ。
 また、僕が「四万温泉に行きたいが、ちょっと遠いので迷っている」という旨を告げると、「通は沢渡に行くんだよ」と彼は教えてくれた。沢渡温泉は、四万温泉よりも距離が近く、しかも温泉の質も良いらしい。せっかく教えていただいたからと、走ってみることにした。
 十キロほど走って(と一口に言うが、もちろん山道である)沢渡に着く。共同浴場へ。ほかに入浴客はおらず貸し切りだった。源泉掛け流しのお湯が、とても熱い。測ったら55℃くらいあった。がんばって入った。気持ちよかった。お湯は飲めると聞いていたが、本当にさあ飲めと言わんばかりにコップが置いてあったので、飲んでみた。おいしいものではなかったが、妙な気分がして、ちょっと昂揚した。
 山を下りて、ちょっと早いが宿に、と思ったが、気になるところがあったので寄り道してみた。「つむじ」という公共の施設である。前回感銘を受けた「ミュゼ」という歴史民俗博物館(この日は休業だった、残念)の隣にあって、カフェとか足湯とか民芸品の販売とか休憩所とか、とにかくなんかいろいろ兼ねている複合施設。ものすごくりっぱで、そうとう税収があるんだろうとか考えてしまう。そこを一通り見ていたら、併設のこじんまりとしたカフェに目がとまった。「ピンときた」というやつである。それはどうやら、ブックカフェだったのだ。
 こんな田舎に、「文化」なるものを主張している空間があるとは、と、ちょっと失礼ながら思って、でも嬉しくなって、入ってみた。コーヒーについては本格を呈していて、カウンターの背中には本がずらりと並んでいる。冊子などの委託販売もしているようだ。
 店主から「コーヒーでいいですか」と聞かれる。つまりメニューはないということだ。そうとうコーヒーにこだわっていることはうかがわれる。実際、おいしかった。店主はこちらから声をかけなくてもあれこれ質問してくれる方で、楽しい時間が過ごせた。そのうちお客さんが増えてきたのだが、驚くべきことに、店主を含めその方々は全員が全員、「中之条ビエンナーレ」のスタッフ、しかも相当中心的な人物たちだったのだ。実行委員長とか、次の実行委員長とか、ディレクターさんとか。そんなことって、あんのか? 我ながら本当に、引きが強い。強すぎる。こういう嗅覚みたいなものを鍛えるだけの、人生だった。
 それでまた色々と話して、「いついつにこういうイベントがあるから~」なんて教えてもらったりして。また中之条に来なければ、という思いが強くなる。これで、次会った時に覚えてもらえていたら、もう友達だ。そういう図々しさは、たぶんたくましい。

 旅館のおばあちゃんは相変わらずだった。おじいちゃんも元気そうだった。僕はもうそれだけですべて満足だ。ご飯はもちろん美味しかった。山木屋というところです。是非泊まりに行ってみてください。中之条に来たのは、この旅館に泊まるのが第一の目的だったんだけど、思わぬ交流や出会いがあった。すてきな町だなあ、本当に。
 たくさん寝て、朝ご飯をよっく食べた。

 中之条から羽根尾まで電車に乗り、そこから自転車で軽井沢へ。やっぱりロマンチック街道は勾配がきつい。山道ばかりでよっぽど疲れたが、しょせんは三十キロちょいの道のりなので、さほど苦しむこともなく、到着した。高校の同級生と待ち合わせ。
 同級生Pと、奥さんと、娘さんと、四人で、おそばを食べて、鬼押し出しへ行った。鬼が押し出されていた。とても素晴らしかったし、とても大きな感情を沸き立たせられた。こんなところにわざわざお寺を作ったのは、たくさんの人が亡くなったからなんだ、というような意味のことを、奥さんが何気なく言って、あ、その通りだなと思った。そうするとこの観光地もぜんぜん違うものに見えてきて、ああ、すごいな、って思った。あえて曖昧に書いてみているが、本当にあいまいにはっきりとそう思ったのである。
 好奇心か何かに任せてずんずんと歩いて行く奥さんの姿を見て、いい人と出会えてよかったねえと、古い親友に対して思ったものだ。(彼はこれをたぶん読んでくれるだろうので、よいことを書いておこう。いや、本当に心から、そう思ったのですが。)
 子連れの夫婦の動き方を見ていて、いろいろ思うことがあったんだけど、それは明日の記事にゆずるとして、この旅はそろそろ終わり。
 軽井沢からは自転車で山を下りて横川で電車に乗ろう、と思っていたのだが、雨の降りそうな感じがあったのと、少しくらい知己と二人きりで話したいなというのとで、車でふもとまで送ってもらった。息を吸って吐くように鳥山明の話をする。すばらしい友達である。
 電車に乗って帰宅。とりあえずこれですべて。総括は最初に書いた通りです。

The way Mr. Darling won her was this: the many gentlemen who had been boys when she was a girl discovered simultaneously that they loved her, and they all ran to her house to propose to her except Mr. Darling, who took a cab and nipped in first, and so he got her.(『Peter and Wendy』)

2016.03.19(土) CASCAドーパミン

 CASCADE好きは隠れている。しかし確実にいる。しかも相当ハイセンスなところにいる。ハイセンスなところにいながら、あたかも「CASCADEなんて知りません」みたいな顔をして生きている。そういう人を見つけるとニヤッとする。そしてめちゃくちゃ、うれしい気分になる。CASCADEって、バンドがあるんですけど、とてもかっこいいのです。

 夜中にドーパミンについて話した。ちょうどドーパミンに関わる本を読んでいたところだった。以下、人から聞いた話と、読んだ本とを総合して書いてみる。間違っていたら教えてください。正しい認識を持ちたいので。

 依存を引き起こす刺激についての話。
 刺激→ドーパミン大量放出→ドーパミン受容体が麻痺、減少→受容体が減ったのでさらに多くのドーパミンを欲する→刺激→ドーパミン大量放出……という流れをくり返していくと、ドーパミン受容体がほとんどなくなってしまって、常に刺激を与え続けなければ満足できなくなってしまう、らしい。これが依存形成のしくみだという。
 ドーパミン受容体がたくさんあるうちは、たまにドーパミンがもらえれば満足できるのだが、ドーパミン受容体が少なくなっていくと、常にドーパミンをもらっていないと満足できない。えー、空から大量のアメ玉が降ってくるとして、それを受け取る人がいっぱいいれば、百個降ってきたアメ玉を百個ぜんぶ受け取れるかもしれないのですが、受け取る人が一人しかいないと、一度にせいぜい二個くらいしか受け取れないんで、五十回くらいアメ玉を降らせなければならなくなる、と。なんかそういうイメージだと思う。
 依存・中毒が進んでいくと、一度に受け取れるドーパミン(アメ玉)が少なくなってしまうので、回数が増えていく、という感じ。そしていよいよ受容体(受け取る人)がほとんどなくなってしまったら、もう延々と刺激を与え続けるしかない、みたいな。受容体がほとんどないんだから刺激を与えてもさして気持ちよくもないんだけど、でもそれをしないと正気が保てない。それが依存症の悲しさ、だそうなのだ。マイナスをゼロに戻すことしかできなくなる。
 覚醒剤はじめ多くのケミカル系のドラッグが極悪なのは、この流れが「不可逆」だからだという。すなわち、覚醒剤の場合、いちど減少した受容体が、ふたたび再生することがない、ということらしい。性行為とかアルコールとかナチュラルドラッグだったら、時間が経てば回復するため、深刻な依存に陥りづらいそうで。煙草が厄介なのは、ドーパミンが短期間で消えてしまい、すぐまた欲しくなってしまうことだとか。
 伝聞形が続きますが、本当に伝聞しただけの内容(いちおう本とかネットである程度答え合わせはしているものの、答え合わせ先の信憑性はわからない)なのでご了承を。

 こういう仕組みを知ると、「なるほどー」と思う。水谷(夜回り先生)も言ってた。「パチンコは非常に依存症になりやすいが、競馬はなりにくい。なぜなら、レースが休みの日があるから。」なんという明快な論理。つまり、↑の話でいうと、ドーパミン受容体を回復させる期間があるため、深刻な依存が形成されにくいということか。すると「休肝日」というのは肝臓を休ませるだけでなく、ドーパミン受容体を回復させる意味でもいいのかもしれない。
 スマホとかネトゲというのは、基本的に毎日できてしまうため、依存形成しやすいのだろう。スマホを触らない日って、なかなか作れない。水谷によると「二十四時間、刺激から遠ざける」ことが大切らしいので、週に一日くらいはそういう日を作るのが、本当はいいのだろう。iPhoneなら「メッセージ」機能をできるだけ使わず、「メール」機能かLINEだけを使って連絡を取るようにすれば、PCからでも確認ができるため、少なくともスマホの刺激からは逃れることができる。LINEはめっちゃ脳に悪そうだけど。

 LINEで激しくやり取りをしたあとで、本を読んでみたら、頭の中がざわ、って動いた。なんかこう、モードを切り替えるような感じがあった。LINE脳から読書脳へと移行させる感覚を、なんとなく感じたのだった。「ああ、これはやべーな」と思った。「使うところが全然違うんだな」と。そういえば、スマホを長い時間つかって、すぐに読書しようという気になることは、僕はほとんどない。スマホ脳から読書脳に切り替えるのは、けっこう脳にとって負担なのではなかろうか。無理矢理やってみると、ちょっと疲れる感じがある。最近読書量が減ってるのはこれかー、と妙に納得した。
 で、しばらく読書をしてから、LINEのやり取りを再開してみると、これまた、脳がざわざわ、っと動く。極悪だと思うのは、どうも上り(LINE脳→読書脳)よりも下り(読書脳→LINE脳)のほうが、楽なのである。「動く」感覚はあるが、のぼっているのか、くだっているのか、というような違いがあって、読書からLINEに切り替える時のほうが、不快感や疲労感が少ない。少なくとも僕はそうである。これは本当に極悪極まりなく悪である。
 気のせいだと言われてしまうかもしれないが、ドーパミンうんぬん、のことを意識しながらやってみたら、なんとなくそう感じたのである。
 同じスマホでも「メッセージ」のほうだとまだマシな気がする。LINEの送信表示の速さとか、既読機能とかが、原因なんじゃないかと思う。連絡手段としては便利で良いが、コミュニケーション手段としては使わないほうがいいな。PCでチャットのように使うならアリなんだけど。
 今は電話かけ放題プランにしているというのもあって、やっぱ電話だなー、と思っている。情報の量と質が違うし、イヤホンマイク使えば両手空くから掃除とかできるし。まあ、長電話で夜更かししちゃうことも多いんで、また別の気をつけ方が必要だけど。

 ドーパミン、ドーパミン。これまであんまり脳内物質みたいなもんに興味なかったんだけど、避けて通れなくなってきたのを感じて、考えてみている。ドーパミン受容体の麻痺やら減少は、基本的には「可逆」らしいので、少しずつ刺激を減らして、回復させていきたい。そして「不可逆」のものには決して手を出さないこと。
 これってエピクロスが言ってたことなんかな?
 と思って岩波文庫の『エピクロス』を適当に開いたら、「あたかもわれわれが長いあいだわれわれに大きな害を与えてきた邪しまな人を追い払うように、われわれは、悪い習慣を、徹底的に追い払おうではないか」(断片(その一)、四六)と書いてあった。
 エピクロスという人が依存ということに言及しているかどうかは知らないんだけど、彼が求めるのは「心の平静」みたいなもののようで、それはたぶんドーパミンドーパミンしてない状態、ってことなんだろうな、とは思う。
 ちゃんと回復させて、わずかなドーパミンで生きていけるように、なれたら僕もエピクロスの思想に近づけるのかもしれない。
 禅宗だとそのために座禅とかするんでしょうね。

 あとあんまり関係ないけど
「全生涯の祝福を得るために知恵が手に入れるものどものうち、友情の所有こそが、わけても最大のものである」(主要教説、二七)
「過ぎた日の善いものごとを忘れ去れば、その人は、まさにその日に、老いぼれる。」(断片(その一)、一九)
 いいこと言うね。ありふれたような言葉なんだけど、これが二三〇〇年くらい前の言葉だって思うと、なんだか勇気づけられる。

「隠れて、生きよ。」(断片(その二)、86)
 意外とこれが一番共感したかもしれない。
 これは解説によると、「現存の国家社会を変革しようとするのではなく、その反対に、そこから身をしりぞけ、共にいわゆる『庭園学校』を営んで、素面の研究にいそしみ、《静かな快》の生活を送った。」(《》→原文傍点)という事実に関連する言葉のようだ。
 カスケーダーは隠れていて、静かにCASCADEを愛している。そういう人を見かけるとおもしろい。(むりやりつなげたけどあんまりつながってない)
 たまにCASCADEを聴いてテンション上がる、くらいのドーパミンでいいってことよ……。

2016.03.18(金) リスペクトをさがして

 目上の方に褒められて嬉しい。「尊敬している」とまで言ってくださって、そのお気持ちに応えられるような人間であり続けねばならぬと引き締まった。僕もこういうふうに、自分より若い人に対して素直に「尊敬している」と言える人でありたい。(実際けっこう言っている。)
 年をとるにつれて、本当に年齢ってのは関係がないなと思う気持ちが強くなっていく。井上さんという、たぶん五十代くらいの作詞家の方が、十代の女の子たちに対して「尊敬している」という言葉を使っていて、やっぱそういうことになるんだよなあーと、妙に納得してしまった。

 久しぶりに英文解釈を人に教えたのだが、楽しい。ただ、僕が教えられるようなレベルのことを、難関私大の文系学部を目指す高校生が三年間かけて身につけないまま卒業してしまうという現実には、悲しみを覚える。これは教えられる側の問題ではなくて、たぶん教える側の問題である。
 僕は英語の先生ではないので、業界の事情というのはよくわからないが、「英語の理屈」というものをちゃんと教えられる先生というのはかなり少ないのではないだろうか。僕自身の経験からしても、高校三年間でそれをちゃんと教えてくれた先生は、たった一人だけであった。
 英語というのは、言語として実用的なものだから、「話す」「書く」「意味を理解する」といった作業自体をある程度まで身につけることは、さほど困難ではないと思う。しかし、その仕組みを、理屈を、理解するには、また別の学びが必要であるはずだ。そして現状、その「別の学び」によって得られる能力こそが、受験英語には要求される。
 その仕組みとか理屈とかを学ぶことが、学問としての英語だと思うので、英会話や英文日記、あるいは単語帳の丸暗記といったようなことは、学問としては決して本流ではなかろう。実用の英語は大切であるが、それだけを学んでも学問としての英語の力、すなわち受験英語に対応する力は、あまり伸びていかない。どちらもちゃんとやらなくてはならない。ところが現実には、どちらも充分には教えられていない、のではないかと思う。それにはいろいろと事情があるのだろうが、勿体ないことだ。
 英語の先生になるような人は、「英語ができる」ことは間違いがなかろうが、どこまで仕組みや理屈(あるいは歴史など)を知っていて、どれだけそれを生徒にわかりやすく教えられるか、という能力に関しては、非常に個人差がありそうだ。そこに優れた先生がたくさんいてくれたらいいなあ。

2016.03.17(木) フットワークネットワーク

 すぐに行動ができる、というのは大事なことだ。それはよく「フットワークが軽い」なんて言われる。ひゅっとそこに行けること。その力。
 好きなお店を見つけたら「ここではたらかせてください!」ってすぐに言える、とか。興味のある相手にぐいぐい話しかけていける、とか。そういう積み重ねが強い網の目を作っていく。

2016.03.16(水) リットル

「弟子」の昔の文章を最近読み返しているのだが、やはり凄まじい。彼女が今、そういう文字の連ね方をするのかは知らないが、こういう文字の連ね方をできる人は、やはり時間もそのように最高に連ねていくことができる。もうしばらく会っておらず、そろそろどこかで会うつもりだが、相変わらずで、立派なのだろう。

2016.03.15(火) Kannivalism/age.

「素直」っていうと某作品の「Chain Saw」さんを思い出します。(何のことだ? と思う人はメールをください。)
 彼女は、素直なのかそうじゃないのか、よくわからない。なんだかんだいろいろ、ごちゃごちゃしている。自分でもまったく、わかっていない。だからこそ彼女は「自分の気持ち」を大切にする。わからないから、ずっとぎゅっと抱きしめている。
 どれだけ悩んでも、結局は、「自分の気持ち」なのだ。彼女の気持ちはこれから、まだいくらでも、揺れ動く。ラノベのヒロインが心変わりをするなんて、御法度なのかもしれないが、たぶん彼女はその禁を犯す。それを見ることは僕には本当につらい。だけどそうしなければ、彼女の人生は他人のものにしかならない。彼女が彼女の人生を生きるためには、「自分の気持ち」だけを抱きしめている時間が必要なのだ。
 僕は本当に、彼女をすべての女の子の結晶としてあらしめたい。理想としてではない。だから最も輝いた瞬間と、最も色あせる瞬間の、両方を描いて、その中間のところで本当に幸せになってもらいたいのだ。

 昨夜からつづいた明け方に、少しだけ扉を開けた彼女は、ちゃんと最初から素直だった。Chain Sawも一貫してずっと、素直だった。ただそれが「自分の気持ち」とうまく連動していないように、本人が感じていただけなのではないだろうか。でも本当はずっと連動していた。だって「自分の気持ち」なんだから。それに気づいていくのがあの物語だと、僕は勝手に思うのである。

2016.03.14(月) 二人で過ごしたもう過去の歌

 本当の天使は裸に白い羽根、なんてかっこうしてないでしょうね。
 それに人から「ああ、天使」なんてふうに、有り難がられもしないんじゃないかな。(そういう天使もいるんだろうけど。)
 天使はたぶん普通に生きてる。
 そして何か素敵なものを日々磨いているんだろう。
 それは努力という名のものだけでなく。
 丁寧に生きてるんです。
 全方向にではなくとも。
 ふっとこう、人と話していたり、所作を見ているときに、風が吹くように、「あ、天使」って思うことは、あります。裸でなければ羽根もなく、笑顔ですらなくても、確かに天使であるような瞬間。それは芸術という言葉で置き換えてもいいと思う。
 あるいは「技術」かもしれない。
 それの洗練されている瞬間に、天使は宿るのではないかなあ。

2016.03.13(日) SLN18

 昨日の日記に書いた「数字で計れない教育」を担保するのは現状、学校の中にいる人ではないのかもしれません。学校の中でも、「図工の先生」とか「非常勤講師」となると違うのかもしれませんが、組織と同化せざるを得ないような正規職員は、なかなか数字を離れることが難しいものです。
 未来食堂で催された「サロン18禁」(2016.03.09参照)は、たぶん、そこんところを保証するものです。そしてそれは「教え育む」ではなくて「教わり育まれる」の教育です。子供たちは勝手に誰かから(あるいは何かから)何かを教わって、勝手に育まれていくのでしょう。たとえばその「場」そのものが先生になって教えてくれますし、ビンでもお皿でも、ごはんでも、ありとあるものが先生です。もちろん参加者も先生になりえます。
 今は「アクティブラーニング」といって、子供が主体的に学んでいくという視点が流行してはいますが、これはとても難しいことです。集団を相手にするとどうしても「指導」というものが必要になってきます。そうすると「教え育む」ということから離れづらいのです。僕は理想としては「楽しく話をする」ということだけで勝手に教わり育まれてくれればいいと思うのですが、そうすると教員の数が今の数十倍は必要だということになってしまいます。
 釈迦の「対機説法」というものをやるのが本来だと思いますが、近代というのは「工場」から始まったようなものなので、それが基本になってしまうのでしょう。

 さてSLN18で何が行われていたのかを僕は知りません。たまたま知ってる子が何人か行ったようなので、来月は副会員証をゲットしに行きたいと思います(そして然るべきタイミングで帰る)。今回は『雪渡り』ではないですが、その場が素敵であるようにと祈り続けておりましたよ。

2016.03.12(土) 先つ頃

 数字にならないものは必要じゃない世の中、何にも感じなくなって、涙が凍えて落ちてこない。

 男性は「数字」が好きで、だから女性もその数字で男性を計ろうとする、っていうことなんでしょうかね。
 だとしたらものすごく男性本位な考え方なんじゃないでしょうか。
 ある意味では優しいとも言えますが。そんなに合わせてあげなくったっていいんじゃないかな、とは思ったり。
 学校にいて「数字」というものを意識せざるを得ないと、ふいにそんなことを考えるのです。
 企業とかでも同じでしょう。

 数字から快楽を弾きだすのは逆算で
 快楽から数字を算出するほうが正順なのではないかと
 僕は思います。

 教育を数字で計ろうとするのは結構なのですが、数字で計れない部分の教育が犠牲になるとしたらどうももったいない話ですね。

2016.03.11(金) 3.11

 最近すぐれないので近所のお寺で座禅してきました。
 初めてだったので、心得とか作法とかを教わるので時が過ぎ、実際に座っているのはせいぜい十分くらいだったかと思いますが、それでも「あ、こういうことなのかな」となんとなくわかったつもりになってます。
 自分の生き方とか在り方とか考え方について、「少なくとも仏教的にはこれでいい」ととりあえず、思えたような。
 ちなみに曹洞宗のお寺です。
 名古屋では愛知高校が曹洞宗、演劇部が強い学校で何度か芝居を見たことがあります。大会の幕間で役者さんたちが合掌していたのをよく覚えています。なんだかそれを思い出しました。
 作法って大事。
 ちなみに向陽・瑞陵に落ちてたら愛知のII類に行ってました。それもアリだったかもしれませんなあ。
 って、懐かしくなって調べてみたらもうII類はないし共学になってた。隔世。


 なんで急に座禅? ついにくるったか? と思われるかもしれませんが、おしえごにすすめられたのです。自転車で五分くらいのところだし、最初は無料だしということで行ってみました。本格的、というより、本格です。これは修行なんだ、ということを強調されました。お茶とお菓子をいただいたりお経を学ぶ時間もあります。担当の和尚さんによっては写経もするようです。

 そもそも仏教、というか御釈迦様の考え方は好きだし、最近G・ぷんだりーかという坊さんバンド(浄土真宗大谷派)を応援していたりするので、お寺にはもうちょっと接近したいと思ってはいたんですよね。いい機会でした。
 やっぱりこう、そういうね、たとえば「もったいない」とかね、「生かされている」みたいながいねんを、たいせつにしていきていきたいなって、思うですよ。
 なんか『逆襲のシャア』のアムロのせりふを思い出しました。

「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標をもってやるからいつも過激なことしかやらない。しかし革命の後では、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って、世間からも政治からも身を引いて世捨て人になる。だったら!」

 インテリが世捨て人になる過程がものすごく平易に語られていますね。僕もそういうタイプの頭でっかちなのかもしれません。
 しかし僕にはどこかで、世間や政治とほどよい距離のまま生きていきたい、というのがあるので、まだまだがんばるべきところはあるはずだと思います。
 23歳くらいの時は、それこそ世捨て人でいい、と思っていましたが、今はもう少し、違うのかも。

 座禅帰りにAJTカレー。

2016.03.10(木) alea iacta est

 未来食堂、mb2、15-17、lib、CDEQ、cool。


 未来について考えがちかどうか、というのは一つ、大事な分かれ目としてある。過去ばかりを見つめていると「前例」をのみ参考にして現在を作るということになりかねない。
「前例」という過去の一点から、現在地点に向かって線を引く。その延長が未来だとする。「この前例から線を引くと、現在地を通って、この場所にたどり着く」というのを考えながら、何本も何本も線を引きまくっていくと、「では、この方角に線を引いたらどうなるだろうか?」とか「このあたりにはこういうものがあるのではないか」とか、思えるようになる、と思う。
 なんてことはもう何回か書いているのだが今回改めて思った。
 同様に、理想的な未来の地点から、現在に向かって線を引くと、現在地を通った延長が過去になる。その過去に伸びている線をじっと見つめてみることも、大切なことなのだろう。
 もしもその線の行く先に何もなければ、最初に設定した理想だって見直さなくてはならないのかもしれない。あるいは大急ぎで、現在地を変える。どこへ? そのヒントとなるのも、また過去なのだろう。未来から過去へ線を引けば、現在地が定まる。そこへ行けばいい。

「こうなりたい」という地点から現在に線を引いたとき、その延長である過去には何があるだろうか?
「こうなりたい」という地点から「こうだった」という過去に線を引いたとき、その中間にあるべき点は、いったいどこにあるのだろう?

 二人の若い人から「未来」の話を聞きながら、そんなことをずっと考えていた。

 そして、自分と同じか、それ以上に未来のことを考えがち(だと思う)な友達に、大いなる元気と勇気をもらいつつ、「持つべきものは友」と胸の中でつぶやいている。

2016.03.09(水) サロン雪渡り

 雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来ているらしいのです。
(宮沢賢治『雪渡り』)

 デビュー作には作家のすべてが詰まっている、なんてことをよく言いますが、宮沢賢治も例外ではないと僕は思います。彼が初めて発表した作品は、この『雪渡り』でした。
 これが僕は宮沢賢治の作品の中で一番好きで、いちばん思い入れがあります。小学校の時に授業でやったんだと思います。どの先生だったかは憶えていませんが、つしま先生だったかもしれません。(知らんわって感じ?)
 調べてみたら、どうやら『雪渡り』は五年生の教科書に載っていたようなので、やっぱりきっと、つしま先生です。
 つしま先生は、……あえて苗字を明かしながら書いてしまいますが、この人は、僕の小中学校時代を通じて最も、いや、もしかしたら唯一、好きだった先生です。
 つしま先生は、わけもわからず下品な言葉を連発していた男子たちを見かねて、授業の中で時間を割いて、本当にちゃんとした性教育をしてくれました。まったく効果が見られなくて悲しそうにしていたけど、僕の心には残ったし、たぶんほとんどの子には強く影響を与えられたと思います。妊娠がわかった時には授業中にエコー写真まで見せてくれて、子供ができる、という現象に具体的なイメージを与えてくれました。教科書に載っていた『おかあさんの木』という作品を朗読しながら、涙を流し、嗚咽して、それでも最後まで読んでくれた姿を忘れません。「年齢はいくつなの?」と聞くと、「ひみつ。でもアポロ13が月面着陸した年に生まれたよ」と教えてくれて、いちいち子供の知的好奇心を刺激しようとしてくれていたように思います。それで僕も生徒から年齢を問われると、「福沢諭吉の一万円札が発行された日に生まれた」と言うことがあります。めがねをかけていたので、「視力をなおす方法があるって広告で見たよ」と教えてあげたら、「ありがとう。でもそういうのはけっこう、まゆつばかもしれないから」と答えてくれて、僕はそれで「まゆつば」という言葉を知りました。
 つしま先生は産休に入って、六年生になって別の先生が担任になりました。新しい先生も最初はとても好きだったのですが、だんだんいぶかしく思えるようになりました。体罰もあったし。「ああ、六年生もつしま先生だったらなあ」と、今でも思います。可能なら連絡を取って、感謝の言葉を言いたいんだけど、どうしたらいいんだろう、といつも考えています。亡くなってしまう前に、会いに行くことはもう決めています。でも、早くしないと……。どこからアプローチすべきか、もしアドバイスがあればぜひください。名古屋市立です。

 そんなつしま先生だから、『雪渡り』もきっと、素敵な教え方をしてくれたのでしょう、僕の心にはそれ以来、ずっとこの作品がすみついています。
「雪がすっかり凍って……」という出だしの一文は、日本文学史の中でもひときわ輝く名文だと思います。高校のとき、後輩の女の子と「この一文はすごいよね!」と、暗誦しあったのをよく憶えています。二人とも暗記していたわけです。
 つしま先生がそういう教え方をしたのかは今やわかりませんが(もしお会いしたらそういう話をしたいものですが)、僕が『雪渡り』で最も好きなのは、「兄さんたち」の描かれ方です。
 主人公は四郎と、その妹のかん子です。四郎というからには、上に兄さんが三人います。その中で四郎とかん子だけが、狐の幻燈会に呼ばれるのです。兄さんは「僕も行きたいな」と言うのですが、幻燈会には十一歳以下の子供しか、行くことがゆるされないのです。いちばん小さい兄さんでも、十二歳でした。
 それで兄さんはどう反応するか。ここが本当にすばらしいのです。

「大兄さん。だって、狐の幻燈会は十一歳までですよ、入場券に書いてあるんだもの。」
 二郎が云いました。
「どれ、ちょっとお見せ、ははあ、学校生徒の父兄にあらずして十二歳以上の来賓は入場をお断わり申し候、狐なんて仲々うまくやってるね。僕はいけないんだね。仕方ないや。お前たち行くんならお餅を持って行っておやりよ。そら、この鏡餅がいいだろう。」

 なんという美しいシーンでしょう。「僕も行きたいな。」と望んだ兄さんが、自分が行けないとわかると、「仕方ないや。」とすぐに諦め、同時に狐のためのお土産を考える。
 この兄さんは、自分の欲求のことなど二の次で、それが叶わないのならば、できるだけ弟や妹、そして狐のためになるようなことをしたいと願うのです。
 こういう「人のために」といった精神は、同じく教科書に載っている『永訣の朝』でも強調されていて、宮沢賢治の作品の特徴とされています。『銀河鉄道の夜』にもそういったテーマが底流しています。(ただし、「さいはひ」とはいったいなんであるか、ということに関しては、よくわからないような作品に、いずれもなっていると思います。)


 ここから本題なのですが、2月27日の日記に書いた、せかいさんが、こんなことを始めるようです。
 その名も「サロン18禁」。18歳未満しか入れないサロンです。ここの読者の9割9分までは18歳以上でしょうから、行けません。
 この計画については、先月来店した時に聞いたのですが、コンセプトを知ってすぐに『雪渡り』のことが浮かびました。ああ、ついに僕も鏡餅を渡すほうの立場になったのだ。
 もちろん僕は、その楽しそうなサロンに、行きたい。それは狐の幻燈会のように本当に魅力的です。でも僕はとうの昔に18歳を過ぎているのであり、「行きたい」とだけは思っても、革靴で幻燈会を踏み荒らすような真似だけは絶対にしたくないと強く考えます。
 とにかく僕にできることは、こういう場を求めている子供たちに、こっそり耳打ちしてあげることだけです。(すでに何人かに声をかけました。)

 サロン18禁は、17歳以下の正会員の紹介があれば副会員となることができ、サロンにも入れるそうです。だから僕もそのうちに、顔を出すことがあるかもしれません。しかし必要があって呼ばれるのでもなければ、基本的には遠慮していたいと思います。それは以前書いた「欠席する力」という考えと似ています。僕のような変な大人がいれば、子供たちはある種の楽しさを得ることができるのだとは思います。しかし、その楽しさは、別に「サロン18禁」の外でも得られるのです。そのせいで子供たちだけの楽しさが損なわれてしまうのであれば、じつにじつに最悪なのです。
 もしも『雪渡り』の兄さんたちが、「おれたちも行きたい」と無理矢理に幻燈会についてきていたら、どうなっていたでしょう。四郎とかん子は、幻燈を見ることができたのでしょうか。黍団子をおいしく食べることが、できたのでしょうか。

 僕はあの兄さんたちのようになりたい、とたぶん、小学校五年生の時から想い続けてきたのでしょう。それがようやく、現実になります。大げさに言えば、大人になるための儀式なのかもしれません。(三十過ぎて何言ってんだか、って感じでもありますが。)
 最後に、『雪渡り』のラストシーンを引用しておきます。この物語は、ここで終わります。こんなに美しい物語の終わりを、僕はほかに知りません。


 二人は森を出て野原を行きました。
 その青白い雪の野原のまん中で三人の黒い影が向うから来るのを見ました。それは迎いに来た兄さん達でした。

2016.03.08(火) ハジマル

地下鉄に乗っていて 時々さびしくなる
けれどもカミソリがあらわれて切り裂く
そうだ 僕らのロリポップは何か純粋なものだった
だから今は 大好きなシャツを脱ぎ捨てて

はずせ、僕らのバッジをアノラックからはずせ
引き出しの中にしまっておこう
そして僕らは誓う、あの気持ちを決して忘れないと
だから、さようなら さようなら
(フリッパーズ・ギター/さようならパステルズ・バッヂ

 ポストカードに手紙を書いたら、「a postcard from Scotland says it's still raining hard in the highland」という歌詞が浮かんできた。『さようならパステルズ・バッヂ』だ。
 僕の長く関わっている会社が、この曲のPVの最後に映る場所の、真向かいにある。窓からはそのロケ地が見下ろせる。偶然ではなく、狙ってそこにしたのだという。僕のデスクは窓際だったから、いつでもそれが見えた。そのビルは定期借款で、あともう少ししたら立ち退かねばならない。そうしたらあの風景も見納めになる。

 高校生活の最後を飾るのは卒業式で、今日はその当日だったのだが、思ったことなどはとてもこんなところには書けない。興味がある人はどうぞマイミクに

 一部だけ引用しよう。3500字ほど書いたうちの、最後の550字ほどである。(一カ所だけ書き改めたので、気づいた人は笑ってください。)

 学校の先生というのは、「反応がダイレクトに返ってくる仕事」と言われる。それは確かにそうなのだが、「反応」というのはその場その場で消えてしまうものではなくて、どんどん蓄積されて、溜まっていくものでもある。その場その場、一瞬一瞬における「反応」と、一年間、ないし数年間にわたって蓄積されていくものとでは、性質がぜんぜん違ってくる。「この先生の話は面白い」という「反応」が積もり積もると、それは涙にさえ結晶するようなのだ。僕だってもう、泣きそうにうれしいのである。

 卒業式というものは、生徒たちの思いが「結晶」する日なのだ。退場のとき、何割かの生徒は泣いていた。たとえ式自体は退屈に感じられていたとしても、蓄積されたものたちが結晶して、泣いてしまうのだ。
 だから今日、自分がみんなと交わした言葉というのは、すべて一年間の「結晶」なのだと理解したい。そこには時に涙があり、笑いがあり、冗談があり、感謝があり、祝福があり、あらゆる結晶がきらきらときらめいていた。僕との間だけではなく、そこにいるすべての人同士の関係が結晶して、キラキラしている。それが卒業式と、その後のなんともいえず時の止まったような時間なのだ。
 そうした結晶のいずれかにいつか友情のような名前がつくのだとしたら、それほどうれしいことはない。

 具体的なことは一つも書くつもりがないが、せいぜい抽象的に言おう。先生と生徒というものは、具体的なやりとりが何もなくても、常にお互いを見つめているものなのである。あるいは、見つめて「いない」ものなのである。
 生徒は授業中にずっと先生を見つめている(あるいは、見つめていない)し、先生だって授業中にずっと生徒たちを見つめている(あるいは、見つめていない)。その「目線の交わり(あるいは、交わらないこと)」が、蓄積されて、溜まっていったその計算結果が、弾きだされる……そのひとつの機会として、卒業式はある。
 ほとんど言葉を交わしたことのないような生徒とでも、一年間の「目線」の蓄積が、妙に絆をつくったりする。学校の先生というのはふしぎなものだ。卒業式という機会を得て、実感した。

 今はたまたま僕が先生という立場だから「先生と生徒」という側面から書くのだが、「生徒と生徒」、という関係の「蓄積」たるや、当然その比ではない。あらゆる関係のきらめきで、学校中がキラキラとしていた。

 その水晶のように美しい涙や笑顔は、特別な時の魔法による一回きりのものなのか、ずっと心の中できらめき続けるものなのか、いつでも「懐かしいね」って微笑みあえるようなものなのか。どんなものになるのかは、今はわからない。ただ、そのいっときの美しさだけは絶対に本物と、大切に思い続けていたいとおもう。


 以下は自分用、またはそういう人用のまとめです。

パーティは終わる
季節は流れて いつか 違う空の下だけど
足がすくんだら 名前呼んでよね そして
桜舞うこの場所でまた会おう
  桜舞うこの約束の地で

あとでわかるよ全ての意味が 今はわからなくても
苦しみも幸せも秘密も だから
なげないで抱きしめていよう ずっと
It's my life だから
  A Happy Life(

今のLucky 大切にして Happy 続けて行こう
さあ 勢いにのって Bang! Bang! Bang!
そうよLucky 今がその時 Happy チャンスはつかんだ
けんめいに生きよう
  Lucky & Happy(

輝くとき 仲間と ともにある
  聖桜学園校歌(学園祭ver.

2016.03.07(月) 怯え餓鬼

「ブログやってますよね?」とたびたび言われる。何度でも言うがこれはブログではない。ホームページである。あ~るくんが「ロボットじゃないよ。アンドロイドだよ」と言うのと似ている。ウェブにログを残してるんだからブログだろと言われてしまえばぐうの音も出ないがそういう問題ではない。
 今日も「ブログやってます?」と聞かれたのだが僕はそれでムッとしたわけではない。むしろ「おお!」と思った。それは明らかに「私はあなたがインターネット上に書き散らしている文章を発見しました」という意味だったのである。「よくぞ見つけた」という気分であった。渋谷区松濤3-2-5である。わからない人は『七人のおたく』という映画を観るように。

 ある紙に僕はさりげなく(?)『少年Aの散歩』の一節を織り込んでおいたのだ。縁があって勘のいい人には見つけられるように。実際それでググってたどり着いたらしい。こういうのを僕は「笹舟」と呼んでいる。あるいは手紙をつけて飛ばす風船でもいい。それが誰かのもとに届くのは本当に気持ちがいい。
 彼女のアルバムに僕はろくなことが書けなかったので改めてここに書いておきます。「良薬は口に苦し」。
 そしてちゃんと「ブログじゃなくてホームページ」と、「ハマザキじゃなくてハマサキ! にごらないんス!」みたいなノリで言っておきました。


 七時前まで勉強や世間話をして、下北に行って少年王者館の芝居を見た。最高に面白かった。これがエンターテインメントだしこれが詩だと思った。
 新宿で、久々にたつ屋。ムンバク。151617。NB3。そしてあの二階の24時間のコーヒーショップ。初対面の男の子と逢い引き。IBK。


 笹舟のような黒船のような便りも届き無双。

2016.03.06(日) 五十六億七千万年

 夏ノ花のはかなさに賭けましょう
 (福娘。/夏ノ花


 光る汗 にじむ涙は 君だけの勲章
 ここからさ がんばれがんばれ僕らの青春は 終わらない 絶対(絶対!)
 走り出せ 前だけ見て まだ見ぬ明日をつかむんだ
 この青空に響け 君と僕の337ビョーシ
 (ばんざいわーるど/337ビョーシ!!


 森博嗣氏は「やれば」と言うし、たまたまネットで見かけたアニメーション監督の言葉には「一秒、一頁からの実作を試みることをお勧めします」とあった。
 チャンネルを換えてもしつこく似たようなものばかり映り続けるテレビのように、最近の僕の目を向ける先には「とにかくやれよ」がある。
 やらねばならぬことが目の前にあって、しかしアレルギーのように身体が、あるいは脳が心が、拒否反応を起こす。
 そんな拒否反応など無視して、「とにかくやれよ」は本当に正しい。その通りでしかない。
 でもなかなか思い通りにはいかないものなので、試みにひとまず、「やらない」をやってみることにした。
 それが「やる」ということに何か影響するのか、しないのか、わからないのだが、意識的になってみることはいい。
(これは観念上の遊びではなく、具体的の話。)
 長い人生の中ではいろんな気分になったりいろんな時期を迎えたりする。それはともかく楽しまなくてはと思うのである。


 60秒以内に期待できるインセンティブ(誘因)がないと人間はなかなか動かないという。ところが人間は時に「遠回り」という高等なことをするし、それが「急がば回れ」という金言になって人口に膾炙したりもする。
 弥勒菩薩を待つように駆け抜けたい。


 人生は短い 行くしかない
 明日のことはわからないけれど
 胸をはりましょう
 簡単じゃない光が見たい

 極めつけの一線を描いて
 禁断の花になりましょう
 暗い空を照らすのはその笑顔
 今日も明日も熱いがいいな
 (福娘。/夏ノ花)

2016.03.05(土) (にっ)ぽんたん(じょう)

『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』を観てきました。
 ドラ映画は初日に行くことに意義があるのです。初日の、できれば早い時間には、「本気」の子供たちが来ます。彼ら彼女らをみているだけで何割か増しで満足感が味わえます。ユナイテッドシネマとしまえんとか、T・ジョイ大泉みたいな、確実に子供たちであふれかえっていておたくの人たちがほとんど来ないようなところに行くのがいいです。
 かつて初日のドラ映画といえば「本気」の子供たちが『ドラえもんのうた』を大合唱する、という自然発生的な恒例行事があったのですが、TVの主題歌がころころ変わるようになってその光景はほぼ見られなくなりました。今は『夢をかなえてドラえもん』で固定されているようなので、多少は歌声が聞こえてきてました。
 さて肝心の内容ですが、一言で言って面白かったです。『ねじまき都市』以来、いや『銀河超特急』以来の満足感かもしれません。大山ドラ最後の『ワンニャン時空伝』なんかもよかったのですが、やはりF先生の作ったストーリーやセリフ回しは別格です。原作をとことん尊重し忠実に再現しつつ、当世風の技術や演出が駆使され、シナリオは随所にさりげなくアレンジが加わりさらに良質に仕上がっておりました。名作だと思います。
 よかったところを挙げればキリがないのですが、タイムパトロールの扱いは特に良かったです。ぼんやユミ子そっくり(たぶん本人)な二人や、ちょっとリームっぽい隊員が出てきたのも含めて。
 自慢じゃないですが僕は、映画が始まって、ククルが魚を捕っているシーンを何秒か見て、「あ、今年は違うわ」と直観しました。それは芝居を観るとき最初の数秒でその芝居の善し悪しがわかってしまうのと似ております。ククルのキャラデザにせよ動きにせよ演出にせよ、とても良かったのです。それで三十分くらい経ったところでハッと予想してしまいました。「たぶん今回は、タイムパトロールは活躍しないぞ」と。
 活躍しない、というのは出てこない、ということではなく、あのマンモスは登場しないんじゃないか、ということです。実際やはりそうでした。なぜそれをわかってしまったのかというと、僕はずーっとあのシーンが疑問だったからです。「それ、ありなの?」と、僕だけでなくけっこう多くの人が思ったんじゃないでしょうか。タイムパトロールの力を借りていいなら、もう何でもアリじゃないの! って。
 ところが『新』では、どうやら「自分(たち)の力だけで何かをやる」ということがテーマとして強調されているようだと序盤でわかったので、「だったらタイムパトロールが手助けをするシーンはないだろう」と予想したわけです。そしてのび太は、外部からの助けを借りずにちゃんと生き延びたのでした。ずっと抱えていたモヤモヤを晴らしてもらえたようで、本当に嬉しかった。
 そのシーンでキーとなった犬笛が、『宇宙開拓史』の「雪の花」のような余情をラストシーンに添えるのも、すばらしかったです。
 原作(ここでは大長編=漫画版のこと)から削られたシーン、追加されたシーン、変更された点など、いろいろありましたが、いずれもちゃんと考えられていて、無意味な異同はなかったと思います。心を感じました。F先生が遺された素晴らしい作品を、さらに完璧なものにしてやろうという強い意気込みを感じました。それは成功していたと思います。
 けっこう久々に観たドラ映画に対して、このような前向きな感想が抱けたのは本当に幸いなことです。2016年はやはり、いろんなことが変わっていく年なんですね。僕は『緑の巨人伝』があまりにも酷かったので劇場に行くのをやめた……というか怖くて行けなくなってしまったのですが、今回は勇気を出して行ってみてよかった。付き合ってくれた友達に感謝です。
 ウタベファンなのでウタベが出てきてくれたらもっとよかったのですが、全体の尺とか、ストーリーの流れとかの事情で、切らざるを得なかったのでしょう。仕方ない、仕方ない……。
 あとペガばっかりかわいがるのはどうかなって思ったし、最後のび太はグリだけ名前を呼んでいないのでは……? もう一度見てちゃんと確かめたい。
 ウタベはヒカリ族の宴で「ハァ~ドラゾンビさまにみちびかれ東の果てへと来てみればそこは日の国ヤンレめでたやな~」みたいな歌を歌う人です。(資料ナシ)
 めでたやめでたやな~

2016.03.04(金) あん(ごとヒロ)ポン

 坂口安吾とヒロポンの話をした。テキストは以下。いずれも面白いので是非。

 反スタイルの記
 安吾巷談 麻薬・自殺・宗教

 覚せい剤というモノは奥が深い。ここからどんな方向にでも伸びていける。
『安吾巷談』の中で安吾は、麻薬と宗教と当時流行の野球観戦とを同一線上に並べ、すべて同じようなものだと喝破した。これ僕ずいぶん昔に書いたなあ、と思ったのだが、安吾はもう66年も前に書いているのだ。やはり古いものを読むのは楽しいし大事。

2016.03.03(木) おかわりOK こちらへライ・ライ・ライ

 おかわりのできるコーヒー屋が好きである。モスバーガーがこのたび「当日中なら二杯目以降100円」というキャンペーンを始めるそうですばらしい。「当日中なら」ということは、一度退店して戻ってきてもOKということ。いい制度だ。さらにコーヒーチケットも採り入れているらしい。モスバーガーは「国産」だから、日本人のかゆいところに手が届くつくりをめざしているのかもしれない。
 コーヒーチケットといえばコメダ珈琲店だが、おかわりの制度はない。
 このたび630円のストレートコーヒーを300円でおかわりできて、しかもべつの豆に変えられるというすばらしい店を教えてもらって法悦。
 新大久保駅前のシュベールという喫茶店もおかわり100円制度があって素敵である。
 コーヒーのおかわりというのは「お得感」に加えて「『ここにいて、いいんだよ』と言われている感」があって、とてもいい。追加は定価のコメダ式だと「ここに居たいんならもう一杯頼みな!」という勢いがあるのだが、シュベール式は「いつまでいたっていいですよ、ただコーヒーもタダじゃないので……」というさざ波である。
 おかわりといえば大阪の十三におかわりというお店があって大好きでシーズンごとに通っていたのだがある日更地になっていた。全焼したとのこと。

 70話の作画監督が武内啓さんで、なんかもう笑ってしまった。

2016.03.02(水) そうか、僕はシビップだったんだ。

シビップ「みんなばらばらになる。どうしてお金があると友達でなくなるの?」
ラナ「アホ! 友情とか愛だとか言うとるのは貧乏人だけや! もうそないなもんに頼らんかて、十分やっていけるんや」
シビップ「そんな……。みんなお金でつながっていたペポ?」
トッピー・ラナ・ジラフ「当たり前だ!!!」
シビップ「ペポ……」
(『宇宙船サジタリウス』第70話「心をまどわす秘宝の恐しい輝き」)

 涙が出なくなっていた。それは適応機制の一種であろう。僕は昔から、客観的に見てつらい状況や、困難な状況に出くわしたときには、いったんあらゆる感情に蓋をして、「理屈モード」のみを稼働させるようにする。初めて女の子に別れを告げられたときにそれを無意識に実践して、その成功体験を今に至るまで引きずってきた。どんなことがあっても、感情をやすませ、理屈のほうに解決を委ねれば、だいたいうまくいったのだ。
 その方法論は高校生のときに確立させた。部活で何かを話し合っていて、僕が思わず泣いてしまったとき、同輩から「お前が泣いても俺は困らない(し、何の進展も解決もしない)」という意味のことを平淡に告げられ、「確かにその通りだな」と思った。それからはいっそう涙の使い方が「うまく」なった。
 物語の中では、大いに泣いた。『宇宙船サジタリウス』は、とりわけ重大な涙を僕にいくつも流させた。

 この2016年もそのような感じで進んでいて、感情をやすませているから、悲しいことは何もなかった。ちょっと心の調子が悪いな、とくらいに思っていた。でもそれは時がくれば安らいでいくものだろうと思って、放っておいた。
 そんななか、二週間ほど前、ある方から僕の人生の中でも指折り数えるほど大切なメールを頂いて、僕はそれで本格的に「ああ、生きていこう」と思ったものだ。ただ、理屈の中ではこれ以上ないほど感動していて、感情のところで今ひとつ動ききれていないのを感じていた。
 異状である。
 もっと、嗚咽するほど泣いてもいいのではないか? と理屈の僕が思うのに、涙のひとつも流れない。
 そのメールは、とにかく僕を前向きにさせてくれた。生きていこうと思った。あるいはせかいさんとの再会だってそうだ。ほかにもいろんな出来事が、僕の背中を押してくれて、歩き出すための力学はもう完成していたのだ。でも肉体に関することは、自分の力でなんとかしなくてはならない。

 涙が出ない。このことは最近の僕の状態を象徴する。
 まず、そうと決めた。だって身体のことなんだから。

 本当は、自分で何かを達成したりして、それで感動して泣くのがいいんじゃないか、と思う。でもたぶんそれはこれからの人生における最大のテーマだ。ちょっと遠い。とにかくまず歩き出してからそれに取り組むほうが賢明だろう。今は、この不調、具体的にいえば、仕事が捗らないということへの対策として、身体を少しでも健全な状態に戻したかった。
 それで何をすべきか、というのはだいたいわかっていた。泣けばいい、というのなら、『まなびストレート!』とか『宇宙船サジタリウス』を観ればいいだけのことだ。
 しかしそんな安易な方法を選ぶのは、ちょっとなあ、とも思うし、そんな処方薬みたいな使い方をしたい作品でもない。大切すぎて。それにアニメを観るには時間がかかる。何話と何話だけ観るとか、そういう切り取り方も好みではない。観るなら一話から一気に全部観たい。いつもそんなふうに(つまりこの場合は「おたく的なこだわりを優先して」)考えてるからダメなんだよな、というのはわかっていつつ、どうもふんぎりがつかないでいた。
 さらに正直な想いを吐露すれば、こんな考え方は嫌いなのだが、しかし実際にしてしまうから書くのだが、もし『まなび』や『サジタリウス』を観て、全然泣けなかったらどうしよう? というのである。僕は「泣くために映画を観る」とかそういう発想が本当に心から嫌いだし、「むかしは泣いた作品なのに泣けなかった→だから自分は変わってしまった→さみしい」というふうな流れでものを考えるのは心底くだらないと思う。泣ける泣けないなんてのは、どうでもいいじゃねーかよ、そんな表に出る現象だけがすべてじゃないだろ? って、普段は思うのだが、今回は例外的にその「表に出る現象」を問題としているわけなので、事情が違ったのである。
 僕の心を支配していたのは、「とにかく涙を流してしまわなければダメだ」ということである。無理矢理にでも泣きたい、泣かねば、という無茶苦茶な強迫観念である。そうしなければもう、何も手につかず、時間だけが過ぎていってしまう。そう本気で、考えた。

 きっかけとなったのはある人の言葉である。自分の今の状況を、うまい表現で言い当てられてしまって、しかも「わたしにもおぼえはある」ということで、その経験を具体的に教えてくだすったんである。
 ああ、ありがたいなあ、と単純に思った。そっか、蓋をしているんだ、僕は。涙腺にも、心にも。その表現、いただきだ。だったらやることは、その蓋をとるだけなんだ。べつに大げさなことじゃない。
 その蓋をとらないかぎり、よくない連鎖が続くだけだ、ね。
 あーサジタリウス観よう。って、するっと思った。アニメに頼ったってええやん、おたくなんだから。こんなときになんとかしてもらうため、そのために好きになったんかもしんないよ。もともと。

 そういうわけで、初めて観たとき(小学校二年生のとき)に、最も印象に残った回を、観ることにした。69話から70話にかけての二話である。「アンドロメダのしずく」を手に入れた直後から、それを失うまでの話。

 観ながら、「自分は泣くんだろうか」って、最初のうちは思った。だんだんのめりこんでいくと、薄れていった。そんかわり「あ、今日は明けて三月二日だから、サジ(3・2)タリウスの日だ、ちょうどいい」なんてことを考えた。
 で、泣いた。嗚咽こそせんかったが、久々に涙が流れた。
 正直言って、観る前と今とで、何かが違うのかといえば、わからん、知らん。が、泣いた、涙が出た、っていうのだけが、事実で、もちろんそれに意味があるのかはしらんけど、ともあれ、僕はやっぱり『宇宙船サジタリウス』が好きなんだ、ということを強烈にわかった。

シビップ「ラナ! みんなともだち! 死んだら二度と会えなくなるペポ!」
ラナ「せやけど……!」
トッピー「ピート! リブ! 僕が間違っていたよ。こんなことになるなら、僕はアンドロメダのしずくなんていらないよ……!」
ジラフ「アン教授……。生きているだけでいい……もういちど会いたい……アン教授……」
トッピー「もうだめだよジラフ……!」
ジラフ「たすけてラナさーん!」
ラナ「くっそー、また貧乏に、逆戻りや!!」

 はは、って笑ってしまうほど、僕がここんとこ、言ってることそのまんまなんだ。ほんの一時間前くらいに、絶交されたまま死んだ友達についての文章を、書いたところだった。引用しよう。

もし僕がもっと別のアプローチを彼にたいしてできたなら、
死ななかったのかもしれない。いや、どのみち死んでいたのかな。あるいは、どのみちいずれか、絶交してたのかもしれない。

人と人とは、どこかで袂を分かつときがある。
でも生きてればいつか、また出逢うんだよな。
それが永遠になくなるのが、死ぬということだ。

若かったあの頃。何も怖くなかった。
それはみんなが生きていたからだ。
友人の死というものを幾つも経験すると、ようやく「怖い」とはどういうことかがわかる。
それは死んで再会の目がなくなるという、ことでもある。あるいは、それにちかいこと。

 mixiには最近、こういう文章を書いてるというわけ。はずかしいね。

「生きていればいい」というフレーズに弱い、ってのは、23日の日記に書いた。
 その原点は、小学校二年生の時にみた、このアニメにあったのかもしれない、って思うと、もうそんだけで、面白いじゃんね、人生。

 その死んだ西原という男は、絶交を申し渡してきた(?)その日に、こんなことを言った。「悪いけど、やっぱり俺には貧乏人の考えることはよくわからない。たぶん、お金がもたらす豊かさを全然知らないんだね。その境遇には同情する。」原文ママ。あいつは何度も、うちを「貧乏」という言葉で表現し、それを僕への罵りの材料とした。言いたいことは今では、わからんでもないが、しかし僕の考え方とは本当にそこは、相容れないな。でも彼は僕から見たら、可哀想なんだ。「億ション」(彼曰く)に生まれて、大学教授の父親へのコンプレックスを生涯乗り越えられず、死んだのだ。
 生きている、その一点のみにおいて、僕は西原よりも「豊か」なんだと思うよ。あいつは全方向にクズだが、人なつっこいところや、かわいいところもあって、うん、今なら言えるが大切な友人だ。はぁ。再会したかったね、彼とも。それが永遠に叶わない、というのが、本当に不幸だよ。そんなの全然、豊かじゃない。
 なんかそういう想いもあって自分は生きているような気がする。

 ラナは言った。愛とか友情だとか言うのは、貧乏人だけだって。そうなのかもしれない。お金がもたらす豊かさを知らないから、愛だの友情だのという、まやかしのようなものにすがる。それが貧乏人なのだ。で、「だったら貧乏人のほうがいいじゃない?」と言うのが『宇宙船サジタリウス』というアニメで、そのことを唯一、一貫して主張し続けるのが、シビップというキャラクターなのだ。
 トッピーもラナもジラフも、お金に目がくらみ、豹変してしまう。このあたりの描き方は、すっごい笑えて、怖くて、泣ける。本当に、この三要素がすべて詰まっているのが、このアニメのすごいところなんだ。そんななかシビップだけが、それに巻き込まれないで、「みんなともだち!」って言い続ける。なーんだつまり、僕はシビップだったんじゃないか。
 ラナは40代、トッピーは30代、ジラフは20代、っていう設定だと思うけど、さらにその下がシビップなんだとしたら、四人きょうだいの末っ子みたいな感じで、つまりは僕と同じなんだ! ああ、そんな考え方をしたのは初めてだな。
 トッピーにもラナにもジラフにも奥さんがいて、家庭があって、シビップだけは独身、というか、まあ子供みたいなもんだ。「結婚したい」って素振りはたまに見せるけど。そういうところもなんか、自分に重なる。笑っちゃうなあ。だからシビップは脳天気に、お金よりも友達でしょ、ってことが言えちゃう。でもそのシビップのおかげで、三人はイヤなやつになんなくて済んだ。イヤなやつのままだったらたぶん、三組の夫婦はすべて離婚してたんじゃないかな。だから結果的にシビップは、いいことをしたんだよ。
 ま、三十年も前のアニメの話なんだけどさ。それで育ってきちゃったんだから、もうしょうがない。
 末っ子、ってもんの特権だよ。こないだ友達に、そういうようなことを言われた。「ジャッキーさんがいるとうちの場の雰囲気がよくなる、やっぱり末っ子が必要なんじゃないかな」って。そのときは単純に嬉しかったけど、あー、ここにきてそういうつながりかたをするかね。

 なんか多少、開き直りっていうか、そういう気分がまた、強くなってきた。どうにでもなれ、こちとらシビップだ、って。
 シビップにはシビップなりの役割があんだよね。普段なんにもしないけど。穀潰し同然だけど。でもそう見えて、新宇宙便利舎の掃除とかしてんのはたぶん、シビップなんでしょーね。縁の下の力持ち。いないとだめなんだ。
 実際、お父さんの還暦祝いをしたとき、兄たちを呼び集めたのは僕だった。ある兄から、「お前が集めろ」と指名された。彼はよくわかってる、それが末っ子の役割だってことを。シビップが声をかければ、みんなやってくるんだ。たとえラナとトッピーとジラフが、けんかしてる最中だったとしても。

 誰かひとりくらい、綺麗事を言うやつは必要なのかもしんない。

 そういうわけで、とにかくみなさんありがとう。特にサジタリウスを観る気分にさせてくれた友達に、大いなる感謝を。

流れる雲のような人生だけど
みんな誰かを愛してる

ああ春 まどにふくそよかぜに
ああ夏 みつめるきみのえがお
教えてくれる 生きてるあかし
教えてくれる 生きる喜び

こんなささやかな人生
みんな誰かを愛してる
出会い 許し合う人々
みんな誰かを愛してる

(シビップ〔堀江美都子〕/愛が心にこだまする

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