少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。
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2015/12/31(木) 紅白見て蕎麦食って
っていう予定です。
不安に苛まれて一日中ねていました。
幾つになっても憂鬱はともにあります。
村上龍さんが、「不安は自由の代償」って言ってて、その通りだなと思う。自由に生きるということは、不安定だということだから。
この一年は自由と平等ということを、ひたすら生活レベルでのみ考えていました。平等主義に基づくドメスティックバイオレンスやハラスメントへの考察については、またそのうち書きます(そればっか)。
来年は何をテーマにしましょうか。
辛いこともありますけれども、共に行かねばなりません。
そういうものとの決着をつけるのが目標ということですかね。
まだまだ続きます。良いOTCO!
2015/12/30(水) ファミコンとウィー
↓の旅行記みたいなのが書き終わりませんでした、残念。続きは新年かな。てきとうに書きます。優しい人はあとで読みに来て下さい。
二九日は東京に帰ってきてそのまま高校の友達の家に行ってパーティしました。カタンを初めて、少しだけプレイ。Dixitというボードゲームが実に面白かった。それからファミコンの森田将棋3でスロット将棋をやって非常に盛り上がった。それから影の伝説をやったりソードオブソダンというメガドライブのクソゲーをやったりした。
僕は集まってみんなでゲーム、というのがそれほど好きなタチではないのですが、例外的に、もともとめちゃくちゃ仲のいい人(たち)とそれをやるのは、めちゃくちゃ好きなんですね……って、当たり前のことを言っているだけのような気がする。どんなことだってそうだもんな。それにしてもやはり楽しかった。
なんていうんですかね、コミュニケーションをゲームで代替する、とか、コミュニケーションの口実としてゲームを使う、とか、そういうのがあんまり好きじゃないのでしょう。だからリアル脱出ゲームとか人狼とかの集まりには興味を惹かれなくて、でも仲の良い人の家に集まったときに「やろうぜ」ってなったら「それ、どうやんの?」って楽しめる。
高校三年生の時に、クラスに男子が八人しかいなかったんだけど、お昼休みに僕を除いた七人で集まって、大富豪やってて、僕はどうしてもそこには入って行けなかった。なんかね、「八人しかいないから無理矢理にでも結束しなきゃ、でも話題を合わせるのは難しいから、そうだゲームしよう」っていう感じになってたように見えて、とても嫌だった。それだったら僕は、気の合う人間を探して遊ぶよ、って。今思えばね、世の中ってのはそういう「大富豪」みたいなものがあってなんとか成り立っているものだから、それに従えない人はどうしたって「空気の読めないはみ出しモノ」なんだけど、まあそれを引き受けて生きてやるよ、って、その時も、たぶん今も思っているのだ。
その時に目撃した「大富豪」に比べると、この日のカタンやDixitや、ファミコン、メガドラってのが、いかに楽しかったか。安心感のもとにできるゲームは最高だ。ファミコンがファミリーコンピュータで、ウィーがウィーなのは、“そういう前提”があるからだと、思う。義務感の漂うゲームなんてまっぴらです。言葉さえ要らないくらい仲の良い相手と、音楽に耳を傾けるようにゲームするのは、非常に心地の良いものでした。
三〇日は『解体屋ゲン』ってマンガを読んで一日が終わりました。これについては機会があればそのうち。
2015/12/23(水)~29(火) 名古屋、九州、愛媛、広島
●二三日
サンタパレードを横目に見ながら自転車を解体して名古屋へ。特に寄り道もせず実家に。夜中なのにご飯を作ってくれて、食後は真夜中なのに平気でコーヒーを出される。おうちほどいいところはない。でも「この血より濃いものを探しに行く」(Amikaさん『住宅』より)、この言葉はこういう気持ちに対しても使えるのだな……。
●二四日
昼から、高校で現社と世界史を教わった(図書室・司書室でもお世話になった)N教諭と会食。伏見の東鮓へ。もう七三歳くらいか。本人は七七まで生きればいいと言っているが、九〇くらいまでは生きていただきたいものだ……という願いを込めて、長寿にいいというお茶(ま、パッケージにそんなようなことが書いてあるだけだが)をプレゼント。
彼からは岩波ジュニア新書の原爆に関する本を二冊いただいた。事前にメールで「長崎に行くから、長崎に関する話が聞きたい」と言っておいたので、持ってきてくれたのだ。そしてコルベ神父のことを教えてくれた。僕は全然知らなかった。「長崎で伝導していたが、帰国してアウシュビッツに捕まり、そこで亡くなった人だ。おれは彼の肖像を御守りとして持ち歩いている」。そう言って彼は、財布の中から確かにコルベ神父の肖像が印刷されたパウチした栞のようなものを取り出して見せてくれた。アウシュビッツでは、妻子のある若い兵士の身代わりになって殺されたらしい。この人はこういうことを本当によく知っているし、よく感じている。自分もこのような年輪を重ねていきたいものだ。
僕は比較的若い人と接する機会が多いが、年上の人が誰もいないような老人になるまでは、できるだけ目上の方と交流していたい。やはり時間というものは素晴らしい。「僕は時間というものを愛しているのだ」なんてことを豪語する身であるからには、このようにカッコイイ老人というものを愛し続けていたいのである。だから気軽に会いに行けるこの人の存在は本当にありがたい。
昼食後、ヒルトンでコーヒーを飲む。すげー高い。コーヒー一杯で寿司と同じ値段した。なんということだ。それがホテルっちゅうもんなんじゃなあ。
そこで丸山真男がどうのとか、シールズがどうのとかって話もした。そこでどんな流れだったか、教諭から「なんで若者はデモに行くのを嫌うんだ?」と質問された。その時はうまく答えられなかった。なんて答えたかすら、忘れてしまった。
僕は大声で「九条を守ろう!」とか「あやまちをくり返してはいけない!」とか主張するタイプではない。僕はたぶん平和を愛し、保守主義を愛し、日本を愛し、地球を愛し、革命を愛している。そのうちどこか一つの方向に走っていくような性格ではない。これらのすべては矛盾しないし、それぞれに素晴らしいと思っている。ある方向に伸びていくタイプの人に対しては、深い尊敬の念を抱くこともあれば、多少冷ややかな目で見てしまうこともある(それはその人の人格による)。僕自身は球体でありたいと思っている。たぶん十代の頃から、「球体」ってことは言っている。それがずっと続いている。西原という夭逝した友人はよく「世界は一本の棒なんだよ!」と口癖のように叫んでいたが、僕は世界は球体だと思うし、自分自身も球体でありたいと思う。何処にも行かず、自転して、草を茂らし花を咲かせていたい。動くんだとしたらずっと円を描いていたい。その中心になにがあるのか? それは非常に難しい問題だが、「本当のこと」とか「神様」とか、そういうものに似たような何かなのかなとか思っている。
僕には強固な思想や主張が何もない。だから散歩をする。あるいは自転・公転をくり返す。「こうだ」という判断は、その都度に考える。決まった方針がないのだから、いつでも何でも自分で考えて答えを出さなくてはならない。楽しいが、しんどい。
思想、信条、信仰、主張……そういうものが基本的に僕にはない。指針がない。あらかじめ何も考えていないから、考えなければならない。だから、ある意味では弱い。「こうだ」と常に、自信を持って言えるような内容が何もないから、「指導する」ということができない。「うーん……」と考えているうちに、物事は過ぎ去っていく。それでなんか、こんなとこまで来てしまった。これは僕の弱点だと思う。
学校の先生は、いつでも「こうだ」と言えるものを持っている人が多い。というか、そうでなければ基本的には務まらない。自分の中にルールを設定して、それに従って働いたほうが楽だ、というのは、様々な仕事においてそうであろうが、人を「指導する」という立場だと、やはり「芯」というのは必要なんじゃないか……少なくとも、あったほうが楽なんだろうとは思う。なんかテレビのドキュメントで、日体大の「集団行動」という競技(?)の指導に密着してたんだけど、監督がもう、自信満々なんだよね。「そんなんじゃダメだ!」ってハッキリと言えちゃう。そういうの、僕には絶対ムリだなー、って。
もちろん僕に「芯」がないというわけじゃない。地球にだって地軸というものが設定されていて、そこを基準に回転している(回転の基準を地軸と呼んでいる、という順序なのだろうが)。また、地球の中心には「核」もある。そういったものは、あるのだと思うが、わかりにくいんですね。それは、他人には。わかってくれる人はわかってくれて、「おお、この人は……」ってなってくれると思うんだけど、一気にたくさんの人を、広く浅く「指導する」には、ちっとも向いていない。これは大きな悩みだ。
さて、だから、件の質問には、たぶん戸惑ったのだろう、僕は。僕自身が「デモに行きたがらない若者」だからだ。なぜ僕が行きたがらないのかといえば、僕は宇宙に浮かぶ球体だからなのである。ある一つの方向に伸びていくことができない。球体として、草を茂らせ花を咲かせることしか能がない。それは恥じるべきことだ、という価値観もあろうけど、残念ながら今のところはそれが性分なのだ。
自分はそうなんだけど、ほかの若者がどうなのかはわからない。むしろ「若者はデモに行きたがらない」というのが本当かどうかも、僕にはわからない。だからこの質問は保留にして、しばらく考えていたい。
いい宿題をもらった。やはり先生はいつまで経っても、先生である。だから老人とか、年上の人ってのはいいもんだ。
教諭と別れ夕方、とある
お店に行ってみた。ここは本当に素晴らしい「場所」だったので、おすすめします。本棚には曽我部恵一さん、中村一義さん、小西康陽さん、大瀧詠一さんなどの著書が置いてあったりして、その筋の音楽が好きな人は楽しめるかも。サニーデイ・サービスの『若者たち』のアナログ盤もさりげなく飾っていた。その他にも名古屋に関する面白い本がたくさんあったし、コーヒー関連の本も多数。その他何もかもが素晴らしかったよ。
マスターとは一時間か二時間くらい、小沢健二さんについての話なんかをした。奥から『ある光』のアナログ盤を出してきてくれたりして。コーヒーも美味しかったし、本当にいい時間を過ごせた。
もう十二年もやっているそうだが、長く続いた秘訣をマスターは「あんまり宣伝してないから、ですかね。自分のペースでやれて」と語ってくれた。なんとも好感の持てる、というか、僕にとっては共感できる話だ。確かに宣伝のようなことはほとんどしていなく、ネット上にも情報がぜんぜんない。でも、そういう店にこそ素敵なものがたくさん埋まっていることを僕は知っているし、たぶんマスターもわかっているのだ。
さて、しかし、そんなお店を僕がどうやって見つけたのかというと、前日に朝方まで、検索しまくったのです。似たような趣味や考え方、志を持った人がやっているお店はないか……と。出会いを求めていたわけです。「インターネットはそもそもが出会い系」と僕は常々思っていて、がんがん実践してます。僕のような人が来るとやはりマスターも嬉しい、はず。それは僕も長くお店をやっているからわかる……いや、似た志でやっているとすれば、だけども。
ちなみに決め手は、ある人がツイッターで「マスターから借りた!」って『痛快ウキウキ通り』のアナログ盤の写真を載せていたこと。これは行かなきゃ、と思った次第。そのツイートに出会えるまでに四、五時間かかったわけだけど。なんて貪欲な出会い厨なんでございましょうね。
その後は大須でスガキヤをたべた。
●二五日
始発の新幹線で博多へ。長崎に向かって走る。福岡-佐賀県境の山が意外と険しく、ほんの五十キロくらいで足を使い果たしてしまった。早すぎる。やはり一年半のロードブランクは長すぎたなあ。足の使い方を忘れているのと、膝の筋肉が落ちてきたのか関節に響くのが早くなった。やばいと思ってペースを落として、結局最終日まで保たせたのは偉かったと思う。
吉野ヶ里遺跡をスルーして(勿体ないが時間がなかったのだ)、昼食は佐賀県庁の上のレストラン。シシリアンライスというのを食べた。佐賀発症のソウルフードらしい。展望台からは佐賀市街が三六〇度見渡せて素晴らしかった。県庁おすすめです。佐賀県内はずっとはなわさんの『佐賀県』を歌いながら走った。この曲が流行っていた当時、旧友のたかゆきくんと一緒に神戸まで自転車で走って、彼がずっと「ウー佐賀~」と歌っていたのを思い出す。僕は知らなかったので、ポータブルプレーヤーで聴かせてもらった。懐かしい想い出だ。
佐賀-長崎県境の山もきつかった。一つ前の山でペースを間違えなければ余裕だったはずなのだが、もうこの頃には足の調子が最悪に近い状態になっていた。膝の関節がバキバキになるのが怖いので、おっかなびっくり走った。実は二十歳くらいの頃から、自転車に一五〇キロくらい連続で乗ると膝の関節がひどい炎症を起こすようになってたんですよね……。準備運動をしっかりして、サポーターをつけて走っても、避けられない。医者に相談したら「膝まわりの筋肉が足りないのでは」と言われてしまって、筋トレするか~とか思うんだけど、ロード用に膝の筋肉をつけるってどうしたらいいんだ? 家の中で三本ローラー使って走るくらいしか考えられないなあ。普通の筋トレは続かない自信があるし。
いちおう僕は、早稲田で自転車の授業を受けたときコーチに「一年生から自転車部に入ってたらいいとこまで行ってたかも」と言わしめた人間なのだ。タイムトライアルでは一位だったのだ。それでも「膝の筋肉が足りない」というのは、本当なのだろうか? 怖いなあ~。
でも今回は、おっかなびっくり走ってみたら以前のようなキリキリした痛みには至らずに済んだので、ごまかしごまかし、なんとかしていけそうな気はした。とりあえずトレーニングしたい……。
そんなわけでペースを落とし、予定していた時間に長崎へ着けそうもなかったので、柔軟な僕は輪行を決意。とは言ってもちゃんと山は越えましたよ! 大村市の竹松駅というところまで行きました。そこから浦上まで電車でワープ。
浦上では、三年前にもお世話になった、このサイトの読者であるtbくんと合流。「ネットは出会い系」って話だけど、まさにこの人はそれ。二〇一二年に福岡に行く予定(植芝理一先生のサイン会)があったので、「ついでに長崎に行ってtbくんに会おう! となったわけです。見ず知らずの僕なんかを家に泊めてくれて、本当にありがたかった。その後おざ研にも来てくれたので、これで三度目に。「一度会ったら友達で……」なんて歌もあったけど、三度会ったらけっこう、けっこうですな。
二本一という店へ。素晴らしかった。獺祭が二合で一一〇〇円。価格破壊。餃子はじめ食べものも美味しかったです。また行きたい。
お互いの専門(仕事や学問)の話などをしつつ、楽しい夜になった。こういうふうに「異業種交流」みたいなことが笑いながらできるのは、いい友達だなと思う。
実は長崎に来ようと思ったのは、彼が関東に引っ越すという話を聞いたからだ。関東で会えるようになるのにわざわざ行くこともないだろう、というふうにも思えるが、彼がいなくなると長崎に行く口実がなくなるし、宿もなくなってしまう(なんとも図々しいヤツか)ので、今のうちにもう一度……と思ったのである。
●二六日
起きて、周辺の丘に登り、一本足鳥居を見るなどしてから、前回行かなかった、大浦天主堂やグラバー園の周辺へ。天主堂、本当に素晴らしかった。一五〇年前に建てられた洋風の教会建築なのに、額のところにでかでかと「天主堂」って漢字で刻まれているのが、もう本当に格好良くて、これぞ和洋折衷! 隣にあった羅典神学校も和洋折衷の鑑みたいな建築だし、展示もよかった。教諭に教えてもらったコルベ神父の特集された部屋もあった。あーやっぱり会っておいて正解だったよ。
「信徒発見」という言葉も初めて知った。二五〇年間隠れて信仰を守ってきたキリシタンが発見されたとき、教義もかなり日本的に変わってたんだと。なんか聞いたことがあるなーと思ったら、これって諸星大二郎の『生命の木』やんね。あれは東北だったけど、浦上の話をモデルにしているんじゃないかな。「でうす」とか言ってるし。
小山ゆう先生の『あずみ』にもキリシタン村の話があったのを思い出したので、読みかえしてみた(そんなことをしているからこの文章が書き終わらないのだ)。やはり面白い。めちゃくちゃ面白い。文庫版だと九~十一巻。
ところで大浦天主堂のイエス像の右手が、仏様の「与願印」(一〇円ちょうだい、のときの手)にそっくりだったのが印象的で、あとでグーグル検索してみたら、そういう手をしているイエス像もあるにはあるんだけど、やはりたいがい長崎のものだった。これも神仏習合の一種か。
なんかこういうふうに、どこに行った時にでも思い出せる、連想できるものが何かしらあるっていうのは、非常に楽しいことだ。教養とは、ともあれ楽しいものである。『何を見ても何かを思い出す』というのはヘミングウェイの短編タイトルだが、旅行中はいつもずっと常にこれで、膨大になって破裂しそうになる。それが本当に楽しい。自転車で走っていても、「ここはあそこの風景に似ているな」とか。その蓄積はどこか行くたびにどんどん増えていく。
昼食は四海楼という、ちゃんぽん発祥のお店で。「ちゃんぽんで建ったちゃんぽんビル」と教えてもらった。なんか面白かった。こういう「○○御殿」みたいなのって、そこはかとないマヌケさがあっていい。つまようじ会社の社長の豪邸は「つまようじ御殿」と呼ばれるのであろうし、「つめきり御殿」とか「くつした御殿」とかいうのもあるかもしれない。
ちゃんぽんは美味しかった。ミルクのような優しいスープで、tbくんの言葉を借りれば「洗練された」味。アジノモト臭もしない。
その後はグラバー園に行ってみた。歴史ある丘と洋館を巡るツアー。しかし僕の江戸時代に関する知識は基本的に『風雲児たち』を軸とするものなので、ほとんど知らない人の邸宅ばかりであった。グラバーも、オルトやその他ゆかりのある人物たちは誰も、僕の記憶の限りではまだ『風雲児たち』に登場していないのである。
しかしそのぶん新鮮であり、これから『風雲児たち』に出てくるとしたら本当に楽しみである。くまなく見て回ったため、出る時にはもう夕方近かった。歩き回り、夕飯はベトナム人の中華屋で一口餃子を。こんなにおいしい餃子はない。狭い厨房に所狭しと並んだベトナム人たちが、それぞれの役目を黙々とこなしていき、誕生する精確な餃子。うまい。
んでラーメンを食べて……。
これ、書いてるのが一月一日なので、どうも記憶が薄くなってきている。
早めに帰って喋んだか喋んないんだかって感じで、ぼんやりと勝喜堂のカステラ食ってた。翌朝は早くに出立。
●二七日
島原から熊本に渡る計画。諫早まではJRだから18きっぷが効くのだが、その先の島原鉄道は私鉄で、しかも日本一運賃の高い路線(tbくん・談)らしく、貧乏旅行を是とする(というか単純にお金がない)僕としてはできるだけそういう区間は自転車で走り抜けたい……と思ってはいたのだが、この先の行程のため時間と体力を温存しておきたいという気持ちもあった。とりあえず始発で諫早まで行き、とりあえず島鉄に乗ってみた。どこかで下車して自転車に乗り換えよう……そうすれば多少なりとも節約できるぞ……と思っていたところ、車内ポスターで「島鉄乗り放題パス、第二・第四日曜のみ!」という非常にお得なきっぷが売り出されているのを知る。おお、ちょうど第四日曜ではないか! 車掌さんから購入し、結局終点の島原外港まで乗る。始発のフェリーに間に合った。
熊本港に着いたはいいが、思いのほか熊本市街までが遠かった。十一キロくらい自転車で走って、お腹がすいたので黒亭という熊本ラーメンを食べた。すごい味……これが熊本か。
それから市街を散策。大都会! これはすごい。びっくり。商店街の道が広い。大須の二倍くらいあった印象。そこにひしめく人、人、人。「熊本の若者のすべてが、ここに集まっています」という風情。ぐるぐると見て回り、最終的には南熊本駅まで走って電車に乗った。
一時間半ほど乗って、阿蘇駅で下車。ここで何に迷ったかというと、一週間分の着替えやら本やらを、コインロッカーに入れるか否か。本当に迷った。阿蘇山まで登るなら、絶対に荷物は邪魔である。荷物の重さで登山の辛さはぐんと変わる。たった五百円を払えばレジャーとしてらくらく(とまでは行かないとは思うが)阿蘇山に登れるわけだ。火口の標高は一二五〇メートルくらいだという。
結局、たった五百円をケチったというか、荷物をおろしてロッカーに入れ、また取り出すのが面倒くさいなってのと、なんというのか……それをしたらレジャーになるよな、というか……。格好つけてるわけではないのだが、荷物をロッカーに預けてしまったら、そこが「拠点」になってしまう。必ずそこへ、戻らねばならない。たとえば阿蘇山でトラックの運転手さんとかに出会って、「あ、このあとは大分いくの? だったら俺も別府行くから乗せてってやるよ」みたいなことがあったとしても、「スミマセン荷物が阿蘇駅にありますので……」ってなって「あー駅まで一旦戻るのはちょっとな……」つう展開になる、かもしれん。僕が自転車に乗るのは「移動」のためである。最大限自由に「移動」するためである。その自由を自ら縛ってしまうのが、「コインロッカーに荷物を入れる」という行為なのである。
そういうわけで、重たいのを引きずり、阿蘇を登った。とはいえ、頂上まで行くつもりはなかった。火口見学に制限がかかっていて、一キロ以内には近づけないという情報もあったし、電車を逃せば二~三時間は来ない。まあ、適当に走って適当に降りてこようと思っていた。
ところが、意外とというか、やっぱりというか、楽しくなってしまって、結局頂上にかなり近いところまで行ってしまった。阿蘇の登山道路は、森エリア→高原エリア→山奥エリア、という感じに変遷していって、それぞれに素晴らしい。特に高原エリア、やや酸素が薄くなってきたような感じ(錯覚?)がするあたり、道路のほか人工物は何もなく、牛がいっぱいいて、左手に常に阿蘇の山々がそびえている風情。右手に大きく開けた街を見下ろしつつ風を切るとまるで空を飛んでいるかのようであり、勾配を踏みあがる足のきしみに合わせてふつふつと笑いがこみあげる。
『弱虫ペダル』の主人公、小野田坂道くんはその名の通りクライマー(坂道を得意とする選手)だが、彼のクライマーとしての資質を象徴的に示す
のが「坂を登る時に笑っている」という特徴だ。僕も十代の頃から、坂道がきつければきついほど、長ければ長いほど笑いがこみあげてきて、ついには歌まで歌い出す性質がある。「ヒーメヒメヒメ」じゃないが、高校生のとき鈴鹿峠あたりでPENICILLINのロマンスを叫びながら登り続け友達をドン引きさせたのを思い出す。
山頂に続くロープウェーの手前くらいのところまで行って引き返し、帰り道に漱石の『二百十日』の記念碑を見て、阿蘇からふた駅の宮地駅まで走って、ちょうど電車に間に合った。(その中間にあるいこいの村駅の前にあったからあげのお店は最高だった。あそこにはまた行きたい。)
それにしても、漱石の碑。たまたま看板を見かけたので立ち寄って碑文を読んでみたのだが、付近で漱石が遭難し、その経験を書いたのが『二百十日』という小説だというのだ。知らなかった。現地を知ってから読むと作品もまた違ってみえる。これも醍醐味の一つ。
大分で下車。大分城跡をぐるりとまわり、海沿いの国道で別府へ。わずか十五キロ程度の道のりであったが、これが非常によかった。
海に接した真っ暗な太い国道の脇に、自転車が通れる広めの歩道があって、そこを走る。大分市街を離れ、すっかり文明が消え去ったころ、左へカーブを曲がると光る別府の夜景が広がった。キラキラと街が光る真冬の宵の口。歯車のようにカーブは回り、山肌に隠れていた街の灯が、幕を引くように少しずつ姿を現してくる。海を照らすのは灯りばかりでなく、二日前に満月を迎えたばかりの丸い月が、僕の右肩のあたりに貼り付いていた。
道路はビュンビュンと車が走る。左手には時おり、ゴウゴウと音を立てて日豊線の電車が走る。僕はペダルを漕ぐ。月が照らす。遠く前方には別府市街の、裾野を広くとった夜景があり、しかし近景には街灯さえない。自分と自転車とがいるのみである。人もない。
ごちゃごちゃと、八方から、さまざまな意味が同時に斬りかかる。うごめく無数のサーチライトだ。ふワァーと興奮しながら考えた。
僕は実際、自然と、人為が好きなのだな。同じくらいに。自然のほうが好きなのであれば、きっと僕は登山だとか、海に出るのを趣味にしているだろう。人為のみが好きなのであれば、工場とか、廃墟とか、あるいは史跡を巡るのにもっとはまり込んでいると思う。僕が「移動」そのものを旅の中心とし、その手段として最も自転車を好むというのは、自然と人為の両方をバランスよく味わいたいがゆえなのではなかろうか。
夜景も美しければ、月も美しい。自動車の連なる先には海がある。電車にも風情があるし、その背景の山や森はもっと素晴らしい。自転車は文明の結晶だが、そのエンジンは自分自身の肉体である。光も闇も、どちらも綺麗だ。僕は自転車に乗る以上、とりわけそれがロードバイクなら、ひたすら道路を走り続けることになる。それは完璧に人為を辿る旅である。山道を登りながら僕が泣きそうになるのは、道路とガードレールの外側にある、岩肌や、木々や花や、鳥や虫や、太陽と青空、月と星、あるいは内側の、風と温度、音と匂い、筋肉と汗、吐く息、研ぎ澄まされる自分、そういったものである。自然の中を貫いていく、一筋の人為である。人為の中心にある、確固たる肉体である。なぜだかしらん、そういうものに浪漫を感じているのだろう。
そびえる山の中心を通る、長く強いトンネルのようなことかもしれない。そこには人間の叡智があり、エゴもあり、きっとドラマがあり、感動も悲しみもあり、哀れさもあり、限界もバランスも、敬虔と畏怖も、取り返しの付かない後悔と、引き返すことの出来ない覚悟も、すべてある。人類の歴史の中途にあった、自然と人為に関するあらゆるものが、ないまぜになっている。その最も一般的な象徴が、ひょっとして「道路」なんじゃないのか? そこを走るのはだから、物凄く沢山のことを感じさせられる。時に恐ろしい密度をもって、足元から語りかけてくる。
別府ではまず、竹瓦温泉に入湯した。ここは別府出身の友達が二人とも口を揃えて、まっ先に教えてくれた温泉だった。入浴料は百円、浴室に入ってみると温泉のほかは、冷たい水の出る蛇口が二口だけあって、「節水」と書いてある。それだけである。なんとも男らしい温泉だ。「お湯の出る蛇口」はどこにもない。こんな市街地に、いわゆる「温泉らしい温泉」が残っているというのは、感動的なことだ。
それから、友達が教えてくれたアリランという焼肉屋で冷麺を。小鹿という焼酎をあわせていただく。フェリーの時間までちょっとあったので、「あ、そうだ。『雪が降る町』を歌わなくては」と思い立ち、カラオケのあるバーを探した。
最初に行ってみたところは「貸切です」と断られてしまったため、途方に暮れて北浜通り周辺を歩いていると、キャッチに声をかけられた。「ガールズバーです。女の子しかいませんよ」と言われ、ガールズバーなんかに用はねえな~と思っていたら、「カラオケあります」と看板に。「あ、カラオケできるんですか」「できますよ、百円です」「じゃあ行きます」というわけで、ガールズバーである。
が、どう見てもこれは「自称ガールズバー」なのである。いや、もしかしたらガールズバーってこんなもんなのかもしれんが、うーん……どう見てもただのバーである。店員さんがたいがい女性というだけである。確かに「チャージは二時間五百円」というふうに時間設定がされているのは確かにガールズバーのシステムっぽいが、あまりにも安い。ウィスキーを二杯(ジャックと角)飲んで、一曲歌って、一八〇〇円。ガールズバーというのは「カウンター越しに接客するキャバクラ」っていうイメージで、「お客さんひとりにつき、女の子がひとりつく」が原則だと思っていたのだが、みんなてんでに動き回って、喋りたい時に喋っているだけに見えた。まあ、ガールズバーというのは非常に広い概念であって、そういう看板で商売したほうがやりやすいことがいっぱいある、という話なんだろうな。
宮崎県出身で別府の大学に通うお姉さんとちょっと話した。なんかゴールデン街にいるような気分だった。帰り際、ほかにお客さんがいなくなったので(それはそれでさみしいが)「一曲だけ歌わせてください」と、『雪が降る町』をリクエスト。二七日の深夜に歌うのは、けっこうちょうどいい
。「あと何日かで今年も終わるけど 世の中はいろいろあるから どうか元気でお気をつけて」来年はまたチャンピオンでやりたい
。
九州と四国を結ぶフェリー。五時間、寝る。自転車積めて、眠れて、充電もできて三一〇〇円ってのは、なかなかいい。
●二八日
八幡浜で目を覚ます。駅まで走り、電車に。松山での乗り換えの際、ちょっとだけ外に出てみる。前に来たのはちょうど八年前になる。『おばさんたちが案内する未来の世界』の時。そういえばここも漱石ゆかりの地。駅前だけさっと眺めて、また電車に。波止浜で下車。
波止浜から「しまなみ海道」に乗り、尾道まで。瀬戸内海の島々を渡って、四国から本州までを自転車で走れる素晴らしいルートなのである。駅から駅まではだいたい八〇キロくらいか。アップダウンが激しくて、けっこう大変だった。
それにしても……素晴らしい。サイクリングロードというから、「景色がいいだけの味気ない道」が続くのかなとちょっと思っていたのだがそんなことはない、大橋を渡るときを除けばほぼずっと、島の人たちの生活圏を突っ切ることになるのである。考えてみれば当たり前の話だ、島の人だってしまなみ海道を使うのだから。ときどきおばあちゃんなんかが大橋の上をてくてく歩いていたりするのも非常にいい。
各島をつなぐ大橋はことごとく天空にあり、自転車もそこまで登っていかなくてはならない。これが毎回のことでけっこう大変なのだ。勾配をゆるくするためらせん状の坂道が作ってあるのが面白い。こんなにぐるぐる回らされると思わなかった。このせいで自動車ルートよりもずいぶん長く走らされるのである。普通の自転車でもなんとか登れるようになっているのはいい配慮。
いい天気に恵まれ、三百六十度すべてを満喫できた。自転車が好きな人にはやっぱりおすすめ。何よりも、「四国/本州への安上がりな近道」として使えるのが、「移動」好きの僕としては嬉しい。自転車は今のところ、通行無料です。コンディションがよければ四時間くらいで走れるんじゃないかな。
尾道からは電車で広島へ。岩国在住のtkhrさんという方と会う。駅前フクヤのフードコートは素晴らしい! デパートの最上階といえばちょっと高めのレストラン街だが、フクヤではこれに加えて、安価なフードコートを同フロアに配置しているのである。好きなもんを適当に買ってきて食べて、気兼ねなく好きなだけ喋り、喉が渇けば水をとってくればいい。しかもコーヒーが一杯百円で飲めた。これはいい。旅の話、「場」と金の話、少年ガンガンの話、共通の友人の話など、盛り上がった。別れ際に「来て良かった」と言って頂けたのが本当に嬉しい。平日に仕事を切り上げて岩国から来てくださったんだから、楽しんで帰ってもらえるのはありがたい。彼はついでに書店等に寄っていくようで、繁華街のほうへ路面電車に乗って行った。僕は駅前の書店で高橋みなみさんの『リーダー論』を買った。この本はどうも、品薄みたいで、道中けっこう探していたんだけど、フクヤの上の本屋でようやく見つけた。三冊だけ残っていたのが、ほかの本の裏に隠されていた。誰かが隠したとしか思えない配置だった。新書コーナーでなくタレント本コーナーに置いてあったりするのも、探しにくい原因だなあ……。いやほんとどうでもいい話題。
その後広島で友達と落ち合って、観光も兼ねて自転車で市内をまわりながら十二軒くらい?(覚えていられない)はしごして飲んだ。驚異的に安い店にばかり行ったのでお金はぜんぜん減らなかったが、朝方にはべろんべろんになってしまって、どこをどうやって帰ったのかあまりよく覚えていないが、いつの間にか東京にいた。(嘘です。普通に帰りました。覚えてます。)
というわけで長い長い旅行は終わった……。広島の夜は、「飲み過ぎはアカン!」というなじみの教訓を残して静かに終わった。おいしいお店、面白いお店をたくさん知ることができたので、案内してくださったSさんには心から感謝!
全体的には、やはり自転車に乗るための体力・筋力の向上が必要だなと。いやまあ、十分あるほうだとは思うし、気力と根性でたいがいはカバーできるんだけども、膝がね……。とりあえず膝の筋肉つけないと、同じ失敗のくり返しになってしまう(もう十年、くり返している)。それを解決させるにはやはり、三本ローラーを買って、部屋の中で走りながらアニメ観るみたいな生活を習慣づけたいところだ。えー、必要なのはお金と、それから、ローラーを置く場所の確保ですね。というわけで大掃除や! 良いお年を!(これを書いているのは一月一日です。)
2015/12/23(水)~29(火) 雪が降る町
事情により更新できないと思います。年末と言えばこの曲ですね。今年は歌えるかなあ……。どこかでは、必ず。
雪が降る町(PV)
ライブ
ライブ(ソロ初期
ライブ(ソロ最近)
ゆずVer.(これめっちゃ好き!)
全然関係ないけどゆずといえばこの曲がぽっと頭に浮かんだので(これ書いてるのは冬至だし)、置いておきます。岩沢先生(調子に乗ってないほう)は人生の師匠。
月曜日の週末(太鼓アレンジかっこいいな……)
「今さら遅いとか早いとか言わないほうがいいんだけどあえてあからさまに曖昧にどっちでもいいと言ってくれ 雨が強くてよく晴れてたっぽい月曜日の週末はあからさますぎて大事なことがわからない そんなことはよくある話だと君は笑うかもしれないけれど いつも僕は考え込むのさ ずっと」
2015/12/22(火) 自由への扉
自由への扉
自由というのを「自らに由る」と考えた時、……すなわち、西洋から輸入された「free(dom)」の訳語としてではなく、本来的な仏教用語としての由来に則って考えるとするなら。
昨日リンクを貼った大谷大学のHPによると、freedomとは「束縛や拘束からの自由」らしい。仏教用語としての自由は、「自らをよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」という教えがもとにある言葉だという。
26歳で夭折した尾崎豊は、19歳の時に『卒業』のB面として『Scrambling Rock'n' Roll』という曲を発表した。
『卒業』で尾崎はご存じの通り、「この支配からの卒業」と歌った。ここではまさに「freedom」すなわち「束縛や拘束からの自由」を歌っているように見える。しかし彼は、そのカップリング曲で「自由っていったいなんだい? どうすりゃ自由になるかい?」と大声で問いかけることを忘れなかった。それはもしかしたらバランス感覚なんじゃないかと思う。
19歳の尾崎には、たぶん率直に、「自由」というものがよくわからなかったのではないか、と勝手に推測する。だから『Scrambling Rock'n' Roll』は問いかけに終始している。
それが死の間際になって、――いつもする話で恐縮だが、――『自由への扉』という曲を最後のアルバム(死後に発表された)のために作った。この曲における「自由」については、何度も書いているのだが、何度でも更新していきたいと思う。僕は「自由」という言葉の持っているほとんどすべてのことが、この一曲に集約されているとさえ思っているのだ。
ここで尾崎は「誰もがみな自由に生きてゆくことを許し合えればいいのさ」と言う。それはもちろん「万人の万人に対する闘争」といったような、秩序のない奪い合いの状態をさして言うのではない。(そういえば『Scrambling Rock'n' Roll』では「奪い合い」という言葉がキーワードになっていた。自由というものは、きっと「奪い合い」と背中合わせなのだろう。)
ここで言う自由とは、たぶん、freedomのほうではなくて、「自らに由る」という意味での自由なのだ。だからこそ「ALL HARMONY WE MADE」(『自由への扉』の英語タイトル)なのだ。
全てが奏でるハーモニーに心委ねてみてもいいのさ
だって全ては触れ合いながらひとつひとつの心を生み出すよ
きっとそこに信じていた自分らしさがあるのだから
ハーモニーをつくり出す、ひとつひとつの音は、「自分らしさ」というものである。ひとりひとりが、他人ではなく自分をよりどころにして生きていくなかで、出会う人やすれ違う人との様々な摩擦のなかで、調和をはかる。そして美しい音楽を織りなしていく。
(もっと精確に言うならば、ハーモニーをつくり出していくなかで、いつの間にかそこにあるものが、「自分らしさ」なのであろうが。)
最近読んだ本で特に印象に残っているのが、『
大嫌いなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』(豊島ミホ、岩波ジュニア新書、2015)である。とんでもない名著だ。そこで言われていたことを、誤解を恐れずざっくりと言うならば、「『自分ルール』の中で生きよ」ということである。
この本では、「相手ルール」に合わせて半生を生きてきてしまったことによる「しくじり」が語られている。あくまでも「自分は自分」(『しくじり先生』という番組で、浅田舞さんが言っていましたね……)、そこをしっかりさせておかないと、悲劇が起きる、というのが、豊島さんの実体験からのアドバイスだった。
尾崎豊が言いたかったのは、誰もがみな「自分ルール」に則って生きて、互いにそれを許し合う(尊重し合う)ことが大切なんだ、ということではなかっただろうか。
許し合うといえば……『卒業』で彼は「許し合い いったい何 わかるというのか」と歌っていた。『自由への扉』はたぶん、この曲へのアンサーでもある。
ただし、難しいことは何かといえば、そもそもふつうの人は「自分ルール」というものを持っていない。いや、正しく言えば、それが「自分ルール」に過ぎないということを、自覚している人は少ない。かなり多くの人が、世の中には「一般的なルール」しかないと思って生きている。そして他人にそれを強要したり、自分をそのルールの中に埋没させてしまおうとする。しかしそれは、すべて誰かのルールなのだ。「自分ルール」かもしれないし、「相手ルール」かもしれないが、「一般的なルール」などというものは実は、存在しない。それはせいぜい「契約」のような、具体的な約束事の中でしか、存在しえない。(刑法とか。)
まずは誰もが、「自分ルール」について自覚することができなければ、幸福な社会にはならない。当然、尾崎豊もそんなことはわかっていて、だからあの歌詞には「永遠に思えるような僅かな悲しみと暮らしは続く」といったような、暗いムードが立ちこめている。(だからあんまり人気ないんだと思う)。でも、それでも、「全てが奏でるハーモニーに心委ねてみてもいいのさ」なのだ。辛いことは常にあるが、少しでも大切なものを見つけて、それを信じて生きていこう、ひたすら自然に、酸いも甘いも抱きしめて生きていこう、というような誓いが、この曲にはあるような気がする。残念なのは、それを言った彼がすぐに死んでしまったことだが……。残された僕のような人間は、「だからやっぱりそういう考え方はダメなんだ」というのではなくて、できればその遺志を継いでいきたいと思っている。「問題点は何か?」を探りながら。
とにかく、「自分ルール」と「他人ルール」を分ける。分けて考える。そこから初めて行くべきだ、と一方では思う。ただそれは難しく、誰にでもできることではない。希望は、尾崎豊の開き直りである。彼はたぶん、「なんでもいいから、とにかくそのままやってれば、いつかなんかいいことあるよ」というくらいの態度でいるのではないかと、あの曲を聴いていると思えてくる。けっきょくなにがあったって、訪れるのはせいぜい不幸くらいのものである。裏切られても信じることから、奪われても与えることから、寂しくても分け合うことから、悲しくても微笑むことから……。
SOPHIAの『
街』じゃないが、そこで尾崎豊が最後に提出するのが「君」だった。きっともう、それさえ確保しておけば、どうにかなる。恋人や配偶者に限らないし、それが人でなくてもいいし、概念であっても何でもいいのかもしれないが、「なくせないもの ひとつだけ この街で見つけたよ」と言えるような何かが、あったほうがいいのだろう。しかし、それが見つからない人は? 見つけるしかない、という残酷さは、残るような気がする。
ん、でも、岡田淳さんの『
二分間の冒険』の、「つかまえた」っていうラストシーンを思い出すと、本当に確かなものは、誰だって絶対、少なくとも一つは持っているんだよな。だからきっと、それでいいんだ。自らに由る。そういうことだ。その上で、「ほかの人の自分」にも、目を向けることさえできれば、だけど。
「やっぱり自分、てことだよな。」(小沢健二さん『ドゥーワチャライク』72「意外な結論!」より)
蛇足。『自由への扉』が収録されているのは『放熱への証』というアルバムだが、その英語タイトルは「Confession For Exist」。受験英語的に考えると「なんでFor(前置詞)のあとがExist(動詞)やねん」、とも思うけど、「存在のための告白」とでも訳しておこう。ブックレットを開くと、最初にこうある。
「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう。 尾崎 豊」
これを読んで、思わず笑ってしまった。僕がやってることはこれなのか、と。このConfessionというのはもちろん、教会でする「告解」のことでもある。存在を許されるために、神にすべてを告白するのだ。神様を待つこの場所で、僕はいったい、誰に告白しているのでしょう?
2015/12/21(月) 自転車とスマホ
一年半くらい放置していたロードレーサーを整備した。一年半! まさかこんなに乗らないとは思わなかった。今の家に引っ越してきてから、一度も乗ってないんじゃないかな(ずっとママチャリに乗ってた)。なぜかというに、壊れてしまったから。モノというのは一度壊れてしまうと、それを直すのはけっこう大変なのだ。「壊れかけた」という状態の時に処置しておかなくてはならない。そんな人生訓を改めて噛みしめた。
ずいぶん無残な状態になっていたので、ホイール、タイヤ、スプロケット(後輪の歯車)、チェーン、ブレーキシューを取り替えた。グリスも買った。それだけでもう、十年前(ちょうど十年前に中古で買ったのだ)のコンディションに戻った。すごい! もっとはやくケアしておけばよかったな~なんて今さら。
僕が自転車に乗るのは「そのほうがいいから」である。お金がかからない。健康に良い(排気ガス等の問題はあるが)。電車に乗るストレスを避けられる。移動を他人に委ねなくて済む。楽しい。
大事なのが「お金がかからない」ということで、だからあまり自転車のパーツや付属品にお金をかけたら、本末転倒なのである。僕にとって自転車はあくまで移動手段。ただ趣味であるだけではなく、実用品なのだ。というわけで、たとえばスピードメーター(サイクルコンピュータ)はつけていない。あったほうがペースを作りやすかったり、いろいろ利点はあると思うのだが、べつに大会に出るわけでもないので、そこは身体で覚えようとしている。速度なんか、数字で表さなくても、身体がわかっているはずだ。スピードメーターは高いし、そのぶんだけ(ほんの数十グラムであっても)重たくなってしまう。ロードは軽量化が大事なのだ。
「身体で覚える」ということが僕は大事だと思う。僕はこんなふうに文章を書いて、勉強もして、インテリ側の存在だと思われがちだが、実はそれなりに肉体派だし、感覚派なのである。詩を書き続けるのもそれだ。詩というのは、論理的意味から離れたところにある言葉だから。理屈に支配されたくない。
自転車に乗ることは詩を書くことと似ていて、文章では表すことのできないものを感じることができる。理屈から解放され、肉体とか、感覚といったものが、精神と一体化する。それが僕にとってたぶん、「近代的価値観から逃げる」ということなのだ。
知らない道を自転車で走ってると、時にものすごい高揚感が訪れる。あの感じを詳しく語ることはできなくて、たとえば
こんな詩にしてみたことはあるが、これは本当にそういう気分のうちのほんのわずかな一部。こういうのは何度か書いてみているが、死ぬまでに何千本の詩を書けばこの気持ちを言えるだろう?(格好つけている)
そういう気分は、スピードメーターに表示される数字とは一切関係のないところで醸成される。だからそういう意味でも、僕にメーターは必要ない。
走っている速さを身体で捉えて、もっと急ごうとか、もっとゆっくりとか、いちいち肉体と相談しながら、やっていくことが、生物としての自分を育てていくような、鍛えていくような気がする。スピードメーターという、自分の外部にあるものにその判断を(たとえ一部でも)委ねたくはない、というわけだ。
僕は最近、スマホのインターネット契約を解除した。電話もできるしWi-Fiも使えるが、携帯電話会社から通常提供されている回線(3G・4Gなど)は使えない。不便なのは、外出先で地図を見たり、天気予報を見たりすることができない。また、気になったことをすぐに検索することもできない。僕はそういう状況が恋しかったのだ。
くだらないと思われるかもしれないが、やはりここでも、僕は判断を外部に委ねるのが嫌だったのである。いや、というより、「いつの間にか判断を外部に委ねてしまっている自分」が、嫌だったのだ。便利なものがあれば、使う。僕はそこまで頑固ではないし、ストイックでもないので、ネットが使えるんなら、その方が早いんだから使う。でも、そればかりだと、生物としての能力が衰えていくのではないかと思うのだ。
スマホで見るグーグルマップは、ほとんど革命的に便利である。方向音痴の僕は、あれがなければまともに移動できない。しかし、あれに頼ってばかりいては、「方向音痴であるという欠点を補おうという努力」をまったくしなくなる。スマホがないと何もできない人になってしまう。
天気予報についても、空を見て、「降りそうだな……」と思う前に、「降るかどうかをYahoo!天気で調べよう」になってしまって、「天気読み」(!)の能力が養われない。電車でも、コンピュータにだけ従って機械的に乗り換えをしていると、自分がどういうルートで、どこを動いているのかがわからなくなってしまう。
何でもすぐに検索してしまうと、「それについて考えをめぐらす」をしなくなって、想像力が衰えていく。そしていつかはYahoo!知恵袋ばかりを信じるようになってしまう。
保守派のボヤキみたいになってしまったが、ともかくインターネットに繋がったスマホは、そのように僕の「生物としての能力」を衰えさせていっている……ような気がする。
もっと単純には、「ずっとスマホをいじってしまう問題」もある。そうすると中毒になる。依存症になる。ほかのことができなくなる。僕も恥ずかしながらやはり昔からそういう傾向があるのだが、ここ最近は読書量が増えたし、このように日記も頻繁に更新するようになった。
依存から脱するためには、「二四時間以上そのことから離れる」ことが肝要だと水谷(夜回り先生)が言っていたが、そう、物理的時間的に距離を置くことが、大事なのである。
自転車に乗って自分で移動をし、スマホに縛られすぎないで生きるのは、自律的に生きるだとか、主体的に生きるだとかいうことと、無関係ではないはずだ。「わたくしとして生きる」というかなんというか。移動くらい自由にしたい。どのルートを通るか、というのだって、グーグルマップで経路探索ができるようになる以前は、自分で頭ひねって考えていたではないか。時間はかかってもそっちのほうが楽しかったし、何らかの能力がそこで育まれたり鍛えられたり、維持されていたりしたはずなのだ。
僕がブログサービスや各種SNSを基本的に嫌って、いつまでもここで(アクセス数の伸びにくい形態で!)やろうとしているのは、やはり自由がほしいからなのである。「
自らに由る」という意味で。
2015/12/20(日) 恋愛論
橋本治『恋愛論』の読書会。参加者の方が、「橋本治の文章はセーターのようで、だんだん編み上がっていく」みたいなことを言っていて、その通りだなと思った。ほかの参加者の方で「読みにくい」「わかりにくい」と言っていた方が数人いたが、そういう人はセーターの「読み方」がわからない、ということなのかもしれない。『恋愛論』における橋本さんの論理は一本道ではない。それはセーターの模様が次第に完成されていくように、さまざまな方面から論理が継ぎ足されていって、最終的に一つの論理が完成する、というようなものだ。「こうなって、こうなって……」というふうにやっていく、将棋型の論理だけに慣れていると、そういうセーター型の論理がわからなくなってしまうのかもしれない。僕は将棋が本当に好きだが、セーターのこともわかるようにいたい。
2015/12/19(土) 恋愛→
すごく、自然な態度として、「満たされていないから人に頼る」ということがある。自分を愛することが「できない」から、その実行を他人に委ねようとする。「私には無理なんだから、あなたが愛して!」というふうに責任を押しつける。それが自由を伴う責任というのであればまだいいが、単に「負担」ということになると悲劇だ。恋愛と呼ばれるものの中にはそういったものがふつうにある。
恋心というものが燃え上がるのは、満たされていない時である。満たされていれば、穏やかにその人は、「愛という局面」を作るためのささやかな努力を、地道にする。そしてそのことに幸福感を得て、だから満たされているということになる。そういう循環が自然にできてしまっているということが、しあわせということなのかもしれない。
恋心というものが燃え上がるのは、満たされていない時である。だから恋愛とは別のところで満たされていれば、それが一時的なものであれ、とりあえずその瞬間に恋心は消える。その一時的な幸福感が薄れ、消え去った時に、心に風が吹き抜けるようなその瞬間に、「ああ」とふと思い出しでもしたかのように、恋心が再燃する。「好きだ!」
当然、満たされていない時に燃え上がる恋心が、「当然それを向けるべきとされていた相手」でないこともよくある。満たされないと感じた原因が「今の恋人」であったりした場合には、当然選択肢として立ち現れる。
……と、いうようなことは僕の中で既にもう一般論である。
ただし、というのは、これは理科で言うところの「摩擦と空気抵抗はないものと考える」とか、「標準状態で」とか、そういった状態の、まことに模式図的な話である。現実はもっと入り組んでいる。これは現実を構成する八百万の「法則」のうちたった一つでしかなく、実際はそういう「法則」が同時に千も万も働いていたりするので、一筋縄で「こう」と言うわけにはいかない。こうした「原則」は、問題という綿を紡ぎ上げるための一本の糸なわけである。
時に人は、たった一本の糸を見極めただけで得意になるのだが、それは随分と野蛮なことだ。もうちょっと「織り上げる」という観点が必要である。
僕も、たった一つの糸を見て、「ああ」と思ったりすることがよくある。なまじ考えることが好きだとそうなりがちだと思う。しかし立ち止まらねばならん。「それはあまりに単純だ」と。「単純ってのを行使するなら、もっといい使い途があるよ?」とか。
と言って、そう、複雑になるにも人間には限界がある。
だったらどうしたらいいのかね? っていうところで、やっぱり、「辛抱強く」とか「ゆっくりと」みたいなところに落ち着いてくる。まあお茶でも飲もうか、とか。とりあえず笑ってみようよ、とかね。
あんまり急いでも仕方ない。単純に振れようが複雑に振れようが、どうしたって話は遠い。だから僕はいつまでも散歩なんてことを言っているわけだ……。
2015/12/18(金) 『謎』
友達の仕事を邪魔しながら、いろいろ話した。話題は多岐にわたったけど、覚えておきたいことだけメモしておきます。
・ゲート空間……ホテルやデパート、寒い地方の建物などにある、扉と扉の間の空間。転じて、行きしな・帰りしなに立ち寄るファミレスや喫茶店のこと。直帰するよりもゲート空間を経由して帰ったほうが精神的健康に良いという学説がある(かもしれない)。
・読書をすると「揺らぎ」ができる。新しい知識や考え方などと出会えば、そのたびにそれと自分との距離を設定しなければならない。その設定が完了するまでの不安定な状態を「揺らぎ」というのだと、とりあえず僕は理解した。その「揺らぎ」は単なる刺激のみに終わらず、主体的に自分で自分を作っていくための作業である。
・できないことを言い訳にしてはいけない。やろうとしないとできないのである。こう書くとなんか古くさい説教じみてしまうな……。でもやはりこの「自分でやろうとする」ということが大事なのかもしれない。もしかしたらそれが、主体的に生きるということなのではないだろうか。やろうとしないと、ほかの人にやってもらうことになる。最近読んだ豊島ミホさんの『
大嫌いなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』にもたぶん関連する。主体的に生きる、「わたくしとして生きる」ことの難しさと肝要さ。
・自由には責任が伴う、のではなく、責任を背負えば背負うほど自由になるのだ、と考えたほうがよい(これは100%その友達が言っていたことなので僕の手柄ではないです)。だからもし、自由であることと主体的であるということが相当近いものなのだとしたら、責任を背負うということは主体的ということだと、本来はならなければおかしい、ということなのかもしれない。思うに、責任によって不自由になっている実感があるのだとしたら、その責任は本当は「あなたのもの」ではないのかもしれない。本当は責任なんか背負わされていなくて、何か別の負荷とか負担のようなものだけを押しつけられているのではないだろうか? 自由の伴わない責任を負わされるのは、生贄にされているのと同じである。
そういえば僕に座右の銘があるとしたらこういうものです。「自分でできることは自分でする できないことは友達に相談する それでもダメならお金を使う」自分で考えたものですが、なかなかいいなと思っています。友達のところには、もちろん家族や周囲の人みんな含みます。でもなんとなく、ここに言葉として置くのは「友達」であったほうがいいような気がする。
2015/12/17(木) 独り言考
人はなぜ独り言を言うのだろう。
オフィスがあって、数十人の人間が働いていれば、そのうちの五人から十人くらいは、ずっと独り言を言っている(僕調べ)。独り言を言うメリットとはなんなのだろうか。
とりあえず、まず独り言には大別して二種類あるということを考えている。一つは「誰にも何も伝える気のない独り言」(Aとする)であり、もう一方は「あわよくば誰かに何かが伝わればいいと思っている独り言」(B)である。ほとんどの独り言は、この両極を結ぶ数直線上に存在しているような気がする。
Aとはたとえば、計算をする時などに、「ごたすごはじゅうでななたすよんはじゅういちだからくりあがってひゃくにじゅうになって……」みたいな感じのものである。これは大抵の場合、誰にも何も伝えようとしていない。ただ自分にとって、口に出すほうが簡便だというだけである。しかしこうした言葉は誰にとっても役に立たない純粋な雑音となりかねない。だからその行為は、その場に決してよい影響を及ぼさないばかりか、周囲にストレスや不快感を与えることさえあるだろう。あるいは、ひょっとしてこれは「私はいまがんばって作業をしています」というアピールであって、それを聞いた周囲の人は「○○さんはがんばっている、僕もがんばらなくては!」とやる気を出したりするのだろうか。そうだったら面白いが、不快になる人だっているだろう(たとえば僕だ)から、黙っていたほうが得策であろうとは思う。
Bとは、「よーし、今日のランチはタイ料理にするぞ~」の類である。この独り言は、誰かに何かが伝わることを暗に期待している。「おっ、いいですねえ」とか「××に行くんですか? 私もご一緒したいです」とか、そういったリプライが帰ってくるのをどこかで願っているはずだ。リプライまでは行かなくとも、「そうか○○さんはタイ料理を食べるのか……」と思って欲しがっている。「ランチにエスニックを食べる私」というイメージを、オフィスに振りまこうとしている。Twitterにもそういう書き込みは多い。なぜ人は意味もなく何かを宣言するのかと言えば、たいていは自分のイメージを操作したいからである。
このAとBを両極端(すなわち、他人を気にしていないかいるか、自意識を働かせていないかいるかの両極である)とする数直線の上に、さてほかにどんな独り言が存在しているのか。それはたぶん一括りに言って、「自分の身を守るための独り言」(C)である。おそらくオフィスで最も多い独り言は、「しまった」である。人によってはこの後に、なぜ自分が今「しまった」と言ったのかとか、どのようにすれば解決に導けるのかといった内容を、独り言として続けたりする。「しまった……そうかでもいったん保存して……、よしできたこれでいい」みたいな感じ。これがBと明らかに違うというのは、その独り言が意味を持つものとして独立を果たしていない、ということである。すなわち、この独り言を聴いただけでは、いったい何があったのかわからないのである。この独り言に介入しようとすれば、「どうしたんですか?」「何かありましたか?」といった言葉しかありえない。Bに対してするような価値判断(「いいですねえ~」とか)をするための材料が、そこにはほとんどないのである。そしておそらく、こうした独り言を発する人は「どうしたんですか?」という問いかけを望んではいまい。望んでいるとしたら、とんだ構ってちゃんである。
もしも「しまった……。どうしたらいいんだろう。全然わかんない、もうだめだ……」と、明らかに困ったようなことを言えば、「何に困ってるんですか?」という価値判断を含む問いかけを呼び込むことになる。これは「誰かに何かを伝えようとしている」Bのタイプだと言うことができる。ところが「しまった……そうかでも」という即座の自己解決は、誰にも何も伝えない。伝えるとしたら「自分は失敗してもすぐに自己解決できる人なんです」というアピールということだ。そういう側面もあるのかもしれないが、メインの効果は「自分を守る」だと思う。
「しまった……」と口にすることは危機感を緩和させるのだろうし、「そうかでも」と言うことには「大丈夫だ、安心しろ」と自分に言い聞かせるような効果があるのだろう。口に出しながら動作をすることで、作業を確実にさせてミスを防ぐ(というか、防げそうな気になる)といった効用もある。この手の独り言は、「ミスによって動揺した自分の精神を安定させるため」に発されるのである。
「アッチャー、やっちまったなあ~。なんでこんなもんがこんなところにあるんだよ……しまった、もう片付けちまったよ……」という独り言もCである。「どうしたんですか?」「何があったんですか?」としか問いかけようがない。独り言のなかに情報が何もないので、具体的な問いかけができないのである。「あれーっ! なんで課長のバナナがここにあるの?」という独り言(?)であれば、「あ、そのバナナはさっき経理の方が……」とかなんとか、言うことができる。これは「誰かに何かを伝える」力を持つので、僕の独り言分類としてはBである。
Cについての理解を深めるために、ちょっと反対の考え方をしてみよう。「しまった……」と言いたくなるような状況で、独り言を言わなかった場合。その人はその場に無言で立ち尽くす。無言のまま、状況や解決策について考えを巡らせる。その時その人は、同時にこうも思うだろう。「今、無言で考え事をしている自分は、周りからどんなふうに見えるのだろうか」と。そして「失敗したことが見抜かれたら嫌だな」と思うかもしれない。「神妙な顔をしていて周囲にいらぬ不安を感じさせるのもよくない」と思ったり、「なんか黙って立ち尽くしてて気持ち悪いと思われやしないか」と思ったり……。そういう場合に、独り言が発動する。「見抜かれる前に、自分で言っておこう」「不安を感じさせないよう、失敗の事実を表明しておこう」「気持ち悪いと思われたくないから、何か口に出しておいたほうがいいな」等々。僕はそのように想像する。僕は独り言を滅多に言わないので、独り言を言う人の気持ちがわからないのだが、なんとなくそのように考えている。
そう、僕は独り言をほぼ言わないのであるが、それは誰かと一緒にいる時の話である。実は、自宅に自分一人だけの時には、それなりに独り言は言う。それもどうでもいいことを。自己分析すると、そういう独り言は「自分が気持ちよくなるために言う独り言」(D)である。もちろんそれが「あーどうしようどうしよう」という困ったような意味の言葉なら、Cになるのであろうが、基本的には鼻歌を歌うのと同じ感じで、「シャウエッセン~」とか「バルバロイ大爆発! バボーン!!」みたいな、意味のない言葉だ。これは誰に伝えるでもなく、作業にも関係がなく、ただただ自分が気持ちよくなるためのものである。自転車に乗りながら歌を歌うのも、同じようなことである。これはAにかなり近いところに位置するのだと思う。(数直線上かどうかはわからない)。
また、好きな人と二人きりで家にいるときなんかは、お互いに独り言を言うことがある。これは「相手がとりあえず耳には入れてくれて、気になったら反応してくれる。気にならなかったら反応してくれない」という前提のもとで行われる一種の儀式である。Bでもあるし、Dでもあるようなものだ。っていうかこれって独り言じゃなくて、ただの「無視される可能性のある『会話』」ではないか……。独り言の範疇には入れなくていいような気がする。
話を戻して。僕の自宅での独り言をヒントにDというのを考えたわけだけど、よく考えたらこれもオフィスにはあるかもしれない。いや、ある! 自分が気持ちよくなりたいがための独り言が。
……いや、待てよ。それどころか、AもBもCも、「自分にとって(のみ)メリットのある独り言」という意味では、すべてがDに統合されるのではないだろうか……?
そ、そうか! めちゃくちゃ当たり前のことを言えば、独り言というのは、自分のために発される言葉なんだ!
ここまで書いておいてようやく言いますが、僕はオフィスで放たれる独り言が好きではありません。それはなぜかと言うに、ようやくたどり着きましたが、それが基本的に、自分のために発される言葉だからです。
いやいや、もちろん、それが「職場の潤滑油」にもなり得る、そういう可能性がないではない、というのは、わかります。独り言が消え去れば、オフィスから声が消え、カタカタとキーボードの音だけが響く、ということになりかねません。僕はそれでいいと思うんですけどね。ちなみに僕が長い間お世話になっている会社ではたぶん誰も独り言なんて言いません。ずっと黙ってることのほうが多いと思います。仲が悪いというのではなくその逆で、ひとたび話し始めたら止まらなくなってしまうので、作業に集中するために黙っているのだと理解しています。話が始まれば一時間でも二時間でも深い話をしてしまって、「あー、仕事が!」ってことに、よくなります。そういう感じが会社内にあると、めちゃくちゃ仲が良いというわけでなかった相手とでも、いつの間にかつい深い話をするようになってしまったりするものです。だから、その会社には「当たり障りのない会話」というのがほとんどありません。忙しいのだし、せっかくだから何かしら意味のある会話をします。「潤滑油」などなくても、別に成り立って行く場合は、それでいいんじゃないかと思います。(もちろんこれはうまくいっている時期の話で、必ずしも常にそうとは限らないのでしょうが……)。
たぶん、独り言を言う人は、何かを怖がっている。声を出さなければ、という強迫観念のようなものが、あるのではないか。いったい何を怖がっているのか、というと、「殺伐」なんじゃないかと、思います。そんなに怖がることはないと思うんだけどなあ……。でも、たぶんそれが「社会」ってもんなんでしょうね……。僕はやっぱり、苦手です。
むしろ僕なんかは、殺伐と背中合わせのような研ぎ澄まされたところまでいったんリセットしないと、まともな話は始まらないんじゃないかと思うんですけども。ヘラヘラしてたら楽だけど、それでは中身が充実していかない。軽口ばかり叩いていると、重要な話の出る隙がなくなっていく、のではないかと、僕は実に直観的に、感じる。それが独り言のせいであるかは、知らない。しかし独り言がその空間と時間を一時的にでも占拠してしまうということが確かな事実だとは、思います。
また、独り言というのは、想念が内面からはみ出してしまう、ということでもあると思います。僕は明確に他人に何かを伝えようというとき以外は、特に公的の場では、極力内面だけで済ませようと努めています。ときおり、本当にビックリした時とか、焦った時には「あっ!」とか「しまっ……」とか言ってしまいます。僕の知性が内面の破裂を抑えきれなくなった瞬間です。
ただまあ……仲の良い人と一緒にいる、私的な空間においては、ときおりそういうのを垂れ流してしまって……何年か前には特にその傾向が強かったらしく、「その『あっ』っていうのヤメテ」と言われたことすらあります。そう言われて「そうか、今の『あっ』は、自分の気持ちよさのためだけに発した『あっ』だったな」と反省し、だんだん少なくなってったってのはあります。
私的な空間であればあるほど、「自分の気持ちよさのために発する言葉」が許される。そういう傾向ははあると思うし、そうでなければ人間に安息の地なんてないですよね。僕が一人になると独り言を言うってのも、極私的な空間に安心しているからだし、好きな人の前では独り言を言うってのも、安心感からですね。家族の前だとだらしなくゴロゴロしちゃっても平気、みたいなのと同じかな。
ってことになると独り言を言う人ってのは、常に私的な空間にいるような気になっているか、もしくは公私の区別があんまりないのか?
そんなことまで考え出したら、このままどこかへ行ってしまいそうなので、おしまいということにいたします。
2015/12/16(水) 捨てる神あれば拾う神あり
ドラえもん「いいかね、運命なんてものはこのナワのように……、いいこと悪いことがからみあっているんだ」(てんコミ42「サイオー馬」より)
人間の心というものは言葉でできております。ヘレンケラーの「ウォーター!」が語り継がれるのはそういうわけだと思います。(もちろん言葉だけでできているというわけではないし言葉がなくても人間だと考えることもできるはずですがそういうことのすべてに気を遣っていると何も言えなくなってしまうのでそうだということにして話を進めることにします。)
心の中にどれだけの言葉が貯め込んであるか、ということが、その人の内面の豊かさの一つの象徴だったりすると思うんですね。
僕にとって『ドラえもん』はじめ藤子不二雄先生の作品の中にある言葉はそのようなものとして心に棲み着き、僕の人格や生き方の重大な構成要素となっています。小沢健二さんの言葉にしてもそうだし、岡田淳さんでも橋本治さんでも同じことです。
というわけでことあるごとに冒頭に挙げたドラえもんの言葉を思い出します。今日は暗くなることがあるのと同時に、いいこともありました。
ま、仕事……に関してはここではあまり語りたくないのですが、すべてがうまくいくわけではないですね。あるいは私生活に属する範囲のことでも、ちょっと落ち込むようなことはありました。あと、体調も悪かったです。だけどどら焼きを食えば美味しいし、自転車を修理すれば楽しく、またネット上の知らない人から思いもかけない親切を(しかも二人の方から!)施していただいて、やっぱり七転び八起きだし塞翁が馬だし人生はナワのようであると思いました。
思いがけない親切というのは、おそらくその方々の「おたく心」から出たものだと思います。「同好の士がいて、その人の持っていない貴重なものを自分が持っていたら、見せてあげたいと思う」というのは、古き善きおたくに共通してある性質だと思います。それは「品(しな)」でもそうだし「知識」でもそうです。そうやって下の世代のおたくたちは育ってきたのだと思います。僕もいろんな方からずいぶん育ててもらいました。
もちろんそれは、「誰かの役に立つと気分がよくなる」という人間の性質の基本でもあるのですが、おたくは「誰かの役に立つ」に加えて「自分のおたく能力が役に立つ」とか「好きなものの魅力や奥深さをもっと知ってほしい」といった、また別の純粋な動機も持っています。(そこがこの人種の愛しいところです)。
以前に「TRPGで使うダイスが懐かしい」と言ったら、すぐにおざ研にやってきて(わりと遠くに住んでいる方です)ご自身の煌めくダイス・コレクションを見せてくれた方がいました。数十から百に及ぼうという無数のダイスは、数面のものから百面くらいのものまで様々でした。「やはりダイスは実際に振らないと」ということで、持ってきてくださったそうです。みんなで振りました。彼は最後に、六面のふつうのサイコロを二つ、僕にくれました。「土産にもらったサイコロ二つ」という、吉田拓郎の『落陽』をなぞったわけです。なんという粋なことでしょう! こういうカッコのつけかた(というか、ネタにしかた?)も、おたくの得意とするところです。
僕はこれまでにもう数え切れないくらいにそういう「おたくの先輩」方からの優しい「教育」を受けてきました。だから自分も、何かできることがあれば……と、自分の得意分野に関してはできるだけ出し惜しみしないようにしています。それが誰かへの「教育」になるならば。
すなわち僕にとっての教育とはそういうものです。西にTRPGのダイスを知らない若いおたくがいれば、持っていって実際に振らせてみたり、東に教養を求める知的好奇心の旺盛な若者がいれば、行って話し相手になってみたり。そんくらいのことなので、「教育」という言葉があんまりカタくなってしまっては嫌だなあと思っています。だから東京事変が最初のアルバムに『教育』とつけたような感じは、とても好きです。
なんかタイトルとはほど遠いところに来てしまいましたが、散歩とはそういうものですね……(と、それっぽい締め)。
2015/12/15(火) When do we go?
何をしよう? 今日は何を 何をしよう What shall I do?
この曲の日本語版がとても聴きたいのですが、インターネットでは見当たりません。
衛星アニメ劇場で98年度(中二ですね)にやっていたのです。テレビ愛知の「
マンガのくに」に次いで、僕の情操教育に多大なる影響を与えてくれた枠です。『ピッピ』のこの曲は、なぜだか頭に残っていて、未だによく口ずさみます。「What will YOU do?」と逆に問いかけられているようで、ドキッとしたのかもしれません。中二といえば、本当になーんにもしていなかった時期です。恋愛もしたことがなければ、部活もなく、勉強もせず、インターネットもしていなかったし、友達にしても、たかゆきくんと仲良くなったり、添え木さんと再び遊んだりするようになるのはこの年度の途中からなので、それまでは本当に、自分の人生の中でこれほど何にもない時期があったのかというくらい、何もなかったんじゃないかと思います。だからといって僕は単純に馬鹿でもなく、野望みたいなものもありましたので、そんな時の「What I shall I do?」は、印象に残ったのだと思います。思い入れのある曲なので、捜査力のある方、見つけたらご一報を。
そういえばずいぶん昔に新宿で飲んでいて、ピッピ役の笹本優子さんにお会いしたことがあります(まだM2Sが凪の隣にあった頃です)。あの歌がもし笹本さんの声だったなら、僕はもう人生の半分くらいは脳内にその声を響かせているということになるわけで、ものすごい奇縁だったなあと思います。熱く熱く97年版『ピッピ』について語った記憶が。その節はありがとうございました。
タイトルを「いつ行こう?」という意味の英語にしてみたところで、「What shall I do?」のことを思い出してしまいました。なぜ「いつ行こう?」なのかといえば……。それはさておき、What shall I do? 何をしましょう。うっすらといつも、心に唱えております。決して「What should I do?」ではなくて。
2015/12/14(月) 民主主義
僕が怖いというか、いやだなと思うのは、僕のことを気に入ってくれた若い人が、初めは「おおー」とか言っていろいろ慕ってくれるんだけど、そのうちに「でもあの人の言うことって偏ってるよね」「私には合わないみたい」なんてふうにシラーッていつの間にかぜんぜん仲良くなくなっちゃうようなの。そうならないうちに「友達」っていうところまでたどり着かないとな。「違う」を理由に離れていくのはすごく商売的。「違う」ってことを前提にして付き合うのが楽しさの源泉だと僕は思う。みんなで同じ言葉を叫ぶより、それぞれが違う言葉を交わし合うほうが楽しいっていうね。そうだといいなと考えるんだけど。
だからデモに行くより遊びたいし、選挙に行くより話したいんだな。
何か主張をするにしたって、同じ考えの人たちが声を合わせて「こうだ!」って叫ぶのは、あまり楽しくない。かといって議論しようというのも、違う。もっと根本的なところで、まぜこぜになって、なすにまかせて成り行きを確かめる余裕がないとならん。
過去ログ、2013年、2009年、2005年、2002年の、12月の日記を復旧しました。
2015/12/13(日) 春夏秋冬
今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる 今日ですべてが報われる 今日ですべてが始まるさ
愛とか自由とか、尊敬する人とか好きな人たちのことについて、文章にまとめようとか思ったりもするんだけど、なかなか難しい。そういうのを凝縮してやってしまえるのが実は文学や芸術というものなのではないかと思った。それもなかなかできないんだけども。どっちかといえばそっちのほうに綴じ込めてしまうほうが性に合っているのかもしれない。
たとえば愛する中には、疑念もあれば、秘密も裏切りもある。しかしそんなことは実は関係がない。仙人が杜子春に見せる幻のようなもので、いいところで「お母さん!」と言うことさえできれば、いいのである。
悟ったことには、邪な想いをかき消せるのは生活だけだということだ。決して、観念ではない。実質的な、物質的な世界の中で、きちきちきちんと、愛を大切に、祈りの灯火を絶やさないようにして……「優しさを手抜きしなけりゃ」……、結局、最後にはいいほうへ行くのだろう。その途中に、嘘もあるのかもしれない。悲しみや苦しみも、あるのだと思う。
しかし、ここで、『銀河鉄道の夜』を思い出す。こんな二つのせりふがある。
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
こんな悟りの境地に至ることはもちろん難しい。しかし、これまでの辛かったことを思い出すと、結局はこのように考えるしかないし、このように考えてきたのではないかという気がする。
僕は、「真実が知りたい」とずっと思ってきた。どんなに傷つくことでも、悲しいことでも、本当のことを知っていたい。年を取って、そろそろさすがに、「知らないほうがいいこともある」ということが、骨身にしみてわかってきたのだが、それでもやっぱり、本当のことを知らされていないようなのは、つらいのだ。これは単に性格だろう。
たぶん、悲しいことを知らされないでいると、それを乗り越えることができないからなんだと思う。傷は浅いうちに、じゃないけど、悲しいことを知らされずに、知らないうちに、育っていったものは、いつか取り返しのつかない巨大なものになる。それは、概ね不幸というものだ。
目を背けないほうが性に合っているというだけだろう。だから『うさぎ!』とか読むのは楽しいし、裏社会とか「闇」みたいなことの書いてある本も面白く読んでしまう。どんな本だって、この世の中の秘密を暴くためのものだから、僕にとって楽しいのだ。それは『ディスコミュニケーション』という漫画でいう、「謎」というものに似ている。すべての男の子や女の子には、「謎を解かなきゃいけない誰か」が存在するという。(このくだりは第一話にあります。)
謎を解く。解きあう。
それが幸福への一あしのような気はする。
邪念、邪念。どうしても存在する。本当は太い幹のような大いなる気持ちが存在する。しかし心というものは、どうしてもその枝葉に気を散らしてしまうものらしい。そんなことはどうだっていいのに。本当に大切なものはなんだったろう? ときおりそれを自問しながら、『銀河鉄道の夜』とか『ディスコミュニケーション』のことを思い出していくことが、うーん、僕の散歩の意味だというだけ。
これはセラピー、なのかもしれない。悪く(?)言えば『舞姫』みたいに。こうして書いているとまとまってくる。そんなもんを公開して何になるのか? っていうのもあるけど、それは森?外にも聞きたいところだ。
ということで今日はhideさんの誕生日でした。
「また春に会いましょう」
2015/12/06(日) 今日までそして明日から
私には私の生き方がある それは恐らく私というものを知るところから始まるものでしょう けれどそれにしたって どこでどう変わってしまうか そうですわからないまま生きていく 明日からのそんな私です(・o・)
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