少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2009年a(夏ごろ)

2009/08/28 君と僕とそよ風

いつも僕のこと こっそり見ていたね
気づいていたのさ ふりむくと目をそらす
隣においでよ もじもじしていないで
みんなの後ろに かくれたりしないで
さあ はやく 出ておいでよ

 そよ風吹いて 僕らをさそう さあ行こう!
 緑の野原で 息が切れるまで 遊ぼう
 キラキラ光る 君の瞳が かわいいね
 思わず ドキドキ
 僕だけ 見つめてよね

女同士なら 騒いでいるくせに
二人になったら うつむいてばかりだね
心配しないで 笑顔見せてごらんよ
行きたいところに 今日はつきあうから
さあ 僕と 出かけようよ

 そよ風吹いて 僕らを誘う 楽しいね
 緑の野原で 君のおべんとう 食べよう
 キラキラ光る君の瞳は ステキだね
 思わず ウットリ
 いつでも 見ていてよね

 そよ風吹いて 僕らをさそう 楽しいね
 緑の野原で 二人ねころんでみたいね
 キラキラ光る 君の髪の毛 きれいだね
 思わず ドキドキ
 君にも 聞こえたかな

(作詞・松宮恭子/作曲・田中公平 歌:月城飛鳥=岩坪理江)


 そろそろ長文も書きたいところだけども、とりあえず歌でも。
 飛鳥くんのこの歌は、何度聞いてもドキドキする。
 これ『絶対無敵ライジンオー』というアニメのキャラソンなんですけど。

 モテる男の子と、そのモテる男の子に憧れる引っ込み思案の女の子。
 でもそういう男の子って、そういう女の子のことを好きになってしまったりするんですよ。どういうわけだかね。
 女の子のほうはいつも「あたしなんて……」って、まるで身分違いの恋に悩むように遠くから見てるだけなんだけど、男の子は「かわいいよ、おいでよ」って手招きする。遠くから見てる女の子の心情を描いたものならいくらもありそうだけど、「おいでよ」と言う男の子の心情を歌ったものは、あんまりないんじゃないかな? 消極的な女の子をリードしながら、それでいて男子ならではの妄想パワーが炸裂しているこの曲は本当に秀逸。男の子のほうの葛藤としては、「僕はこんなに君のことが好きなのに、どうして遠慮してしまうんだい?」というのがある。女の子のほうはもちろん、「でも、あたしなんて……」ってずっと思ってる。ことによると、付き合ってからでもそうやって思い続けてしまう。「あたしなんかで、本当にいいのかな?」って。
 ところで思い出すのは島本和彦先生のとある短編。憧れの先輩に片想いしていた女の子が、その先輩から告白された途端に、手のひらを返したように「あたしは、“あたしなんかに振り向かない先輩”が好きだったんです!」とか言って先輩を振る、という凄まじいものなんだが、これは洒落にならないよなあ。 若い女の子の「恋心=憧れ」ってのは、「手の届かない存在」であるからこそ燃え上がるもんで、相手がまんざらでもない様子になって、「手の届く存在」になってしまった途端に燃え尽きてしまうようなこともある。島本先生のこの作品(タイトル忘れた)は、そういう恐ろしさをギャグ調でさらっと描いている。ずいぶん昔に読んだのだが、今思い出すだに怖くなる。あー、女ってなーぁ、めんどくせーな!

2009/08/21 軽井沢~新潟

頭をよぎるのは 好きな女のことさ
汗をかいて 峠の道 また聞こえる
風の中に高鳴る胸に 大いなるサイクリング・ブルース

土煙りあげた季節 やがて去っていった
国道で雨に打たれ また 聞こえる
風の中に震える胸に 大いなるサイクリング・ブルース

愛しているよ 愛が必要だ
ベッドの中に溢れてるはずだ
今夜も愛が溢れているはずだ

風の中に震える胸に 大いなるサイクリング・ブルース

急な下り坂 横風にあおられ
ぬかるみに 事無きを得て
ほら また 聞こえる
風の中に祈りを捧ぐ 大いなるサイクリング・ブルース
風の中に高鳴る胸に 大いなるサイクリング・ブルース

(忌野清志郎/サイクリング・ブルース)


 この歌詞は本当に、自転車に乗っている人にしか書けない。
 自転車で遠出をしている時は好きな女のことを思うし
 サイクリング・ブルースは
 汗をかいて峠の道を走ったり
 国道で雨に打たれたり
 急な下り坂や
 横風にあおられた時や
 ぬかるみに事無きを得ると
 僕にも聞こえる


 そういうわけで東京~軽井沢~新潟行ってきます。
 大した距離じゃないが楽しみ。

2009/08/20 

 相変わらず日曜日の午後について思う。
 年上の友達が、「思春期の恋愛について考えている」という意味のことを言っていたから、僕も影響を受けてそのようなことを考える。
 と言っても僕はいまだに思春期みたいなものだから、考えるまでもない。いくらでも、思春期みたいに胸がときめく。たぶん四〇になっても八〇になっても、思春期みたいな胸のときめきを持って恋愛をしている人たちは、たくさんいるんだろうと思う。していない人もいっぱいいるんだろうけど。

『日曜日の午後』がすばらしいのは、お金のかかることが何一つ出てこないこと。思春期の、たとえば中学~高校くらいの恋愛ってのは、公園に行って水筒のお茶を飲むくらいで立派にデート然としてしまうもんで、「何すりゃいいかなんてそんなことわからなくていい」と言えてしまうくらいに、何もしないでもデートとして成立する。思春期ラブコメの金字塔(になるはず)である植芝理一の『謎の彼女X』では、「毎日一緒に下校する」ことだけが卜部と椿がする「デート」のほぼ全てである。それでいいのである。
 別にそのような関係を至上とするわけではない。そりゃ「手を握る」のその先にまで行けたらそれにこしたことはないんだけども、「真っ白な子ども時代から少しずつ青春の青に染まっていく、ほんのちょっとの水色のとき」(やぶうち優『水色時代』)が、かけがえのない、二度と戻らない美しい日であることは間違いない。水色時代は永遠にみずみずしく、想い出を彩っていく。

 青春を過ぎると、お互いろくに確認もせず、まっすぐに「性」のほうへと向かっていくようになりがちだ。戸惑いもなく、ドキドキもなく。「付き合う」行為の中に「お金」の比重が増え始めるのもこの頃からだ。大人は「心」ではなく、「性」や「お金」で恋愛の真似事をするのである。そしてもしも大人(になりきってしまった人)が「心」を、すなわち「戸惑い」や「ドキドキ」を求めるのならば、どうしても「禁忌」という方向へ向かって行かざるを得ない。一歩間違えば「犯罪」になりかねないようなほうへ。
 不倫もロリコンも根は同じくして、ここである。誰もがドキドキを求めているのだ。しかしそのドキドキは、単純に「禁忌」であるがゆえのドキドキであって、恋愛のトキメキとは違う。そこのところの峻別さえあやふやになってしまうのが、大人の悪いところだと思う。

 不倫はよくわからないのでロリコンについて考えると、ロリコンが「犯罪者」になってしまうというケースが、なぜ起こるか。それはロリコンが「大人」として少女と付き合ってしまうからだ。少女に大人の価値観を突きつけて、少女を一方的に戸惑わせてしまうからだ。少女はいつでも背伸びをしたがるものだから、一所懸命それについていこうとする。悲劇は起こるとしたらそこで起こる。ロリコンが少女の「背伸び」につけ込んで起こる。ロリコンが要求する「背伸び」に無理があれば、それは決して恋愛にはならないで、「勘違い」や「犯罪」になる。それだけのことであるような気がする。あえて具体例は挙げないけれども、これに当てはまるようなケースはいくつもあろう。
 だからといってロリコンが少女と同じ目線で戸惑ったりドキドキしていたりしたら許されるのかといえばそういうわけでもないのだろうが、無理な「背伸び」を強要されないでいる限りは、少女にとってはそのほうが幸福であろう。ちゃんと少女は「恋愛」することができる。

 ロリコンは「おじさん/おにいさんがイイコト教えてあげるよ」などという上から目線の態度ではなく、『ラブロマ』の星野くんのように、「根岸さんにソーニューしたいなんて、毎日考えてますよ!」という形で愛を伝えていくべきなのである。性欲にあらず、肉体に裏打ちされた愛情をである。といって別に、「コト」を急げという意味ではない。『ラブロマ』では、星野くんは連載開始後まもなくして「根岸さんとセックスしたい」という意志を表明していたが、それが実現したのは連載も終了間際になってからである。それは高校生の星野くんと根岸さんが一所懸命「二人の意志のバランス」を取ろうと努力していたからである。そのバランスがついに均衡して、交わったのが「あの」みかん(彼らはSEXのことを便宜的に「みかん」と呼んでいた)シーンである。あれほど美しい場面はない。
「お金を使わないで幸せになれる方法を教えてあげようか?」(岡村靖幸『家庭教師』)というのは、邪道なのである。たとえ二人の間に年齢差が存在していたとしても、上から目線だったり、「価値観や意志の押しつけ」をしてはいけない。大切なのは二人の想いを合わせることである。「お金を使わないで幸せになれる方法」なんかいくらでもあるから、それを二人で考えていけばいいのである。公園や森の中を無作為に歩いたり、ベンチで冗談を言い合ったりすることだって立派に「お金を使わないで幸せになれる方法」である。それをせず、ロリコン=大人が一方的に「教えてあげようか?」というふうに押しつけるのは、不自然である。それは決して「恋愛」などではない。

 ロリコンと少女の関係が「犯罪」となり得るのは、その年齢差が原因ではない。「精神的にも肉体的にも社会的にも優位に立つ者が、少女に自らの価値観を押しつけてしまう」ことに問題があるのだ。ゴージャス宝田先生の『キャノン先生トばしすぎ!』が名作であるというのは、ひとえに、主人公ルンペン貧太とキャノン先生との間に「精神的なギャップ」が存在しないからというところにある。それがゆえに『キャノン先生』はロリコンという題材を用いながら「美しい純愛」を描ききることができたのである。

 ロリコンが「大人になりたくないとつぶやいている大人 子供に戻りたいとつぶやいている子供」(SOPHIA『せめて未来だけは・・・』)であるうちは、不幸な少女はこれからも生まれ続けるだろう。少女とともに笑い、泣き、戸惑ってドキドキして、大人としての自覚を持ちながら大人の価値観を押しつけたりしないで、「恋愛」という現世唯一の完全な平等の中で対話していけるような人間だけが、少女を幸せにすることができるのである。おしまい。何を言っているんだかね僕は。

2009/08/17 Evergreen

 気づけば失う感性 握りしめたまま
 僕はこのまま輝く大人になっていく
 逆らえない時の中で僕ができること
 心の中は変わらぬ素敵な大人になること
 (Raphael/Evergreen)


 19歳で死んだ人間がこんな良い曲を遺すなんていったいどうなってるの?
 華月は「大人になりたくない」をすでに超えていて、「時に逆らうことはできない」と半ば諦めている。だからこそ「素晴らしい感性だけは忘れないようにして、素敵な大人になってやる」という決意になる。正しすぎる。「輝く大人」「素敵な大人」という表現に希望が満ちあふれていて、数ヶ月後に死んでしまうなんて信じられない。受け入れたくない。
 曲の最後のフレーズ「もう一つ生きれたら…」を聴くたびに泣きそうになってしまうのは僕だけではないだろう。というか、Raphaelのファンだったら全員泣くだろう。

2009/08/15 日曜日の午後

 

 男声版
 歌詞


 思春期のデートというのはこんなもんだしこんなもんでいいのだ。
 だからこそ、この歌は印象的なのである。


 何すりゃいいかなんてそんな事解らなくていい
 いたずらに日が沈む 無意味に晴れた日曜日の午後

 (作詞:岩沢先生)

2009/07/26 世の中に自分ほど信じられんもんがほかにあるかーっ!

 自らの若さを棚に上げて考えなければならないときがあるのである。なぜならば、自分よりも若くない人間のいなくなるときを待っていたら、きっと死んでしまうからである。


●自分よりも何らかの形で若い人たちへ

 誰よりも何よりも、自分だけが正しいと思って生きろ。常にそのことを疑って、いつか胸を張って「自分は正しい」と言い切れるようになるために生きろ。そのために理論と実績を重ね上げ、「正しい」の根拠を築くためだけに生きろ。もしも自分がその「正しい」の在り方から外れていたことに気づいたら、バレないように軌道を直せ。
 根拠のない自信を掲げながらその根拠を捜し続け、いつか確固たる自信を獲得しろ。そのために考え続けろ。動き続けろ。疲れたら寝ろ。惰眠を貪って、明日に繋がる夢を見ろ。無駄そうに見えるものを無駄にするな。

 横島忠夫先生は「自分を信じろ」という言葉に対し、「世の中に自分ほど信じられないものがほかにあるか」と叫んだ。「自分ほど信じられないものはない」という自明の真理を、最終的に覆すために存在するのが人生である。信じられるはずのないようなものを信じようとする、そのための永遠の努力こそが人生である。

 青春というのは最も危険な時期だ。「自分は正しい」ということを妄信し、疑うことを忘れてしまいがちになる。だから多くの人間は青春によって人生を終わらせてしまう。青春によって人生を終わらせてしまった人間の脳みそは固くなってそのまま動かなくなる。肉体も同じだ。
 青春を頂点として描かれた放物線の後半、すなわち青春によって人生を終わらせてしまった人間の後世は、単純な前半生の裏返しにしかならない。放物線のような人生を送ってしまった人の敗因は、放物線の前半のような半生をしか生きていなかったことにある。
 自分より何らかの形で若いような人たちのことを思うときである。

2009/07/20 

 いろいろ長文も書きたいのですけれどもね。
 とりあえずノンポリ天皇HPを形だけでも作りました。


●浦沢義雄と「感動」について、そして情操教育のこと

 浦沢義雄はアニメや特撮などを中心に活動する脚本家です。
 参加作品はキリがないのでWikipediaを参照。

 彼の作品の中でも特に僕が好きなのは『はれときどきぶた』『激走戦隊カーレンジャー』『練馬大根ブラザーズ』の三作です。これらは脚本だけでなくおそらく物語の原案の段階から浦沢義雄が参加していると思います。
 前者二つは僕の人生にかなりの影響を及ぼしました。すなわち「バカバカしいことのすばらしさ」を学んだのです。いや本当に、浦沢先生の作品は例外なくすべて、バカバカしい。
 彼がメインで携わった作品で一番有名なのは『忍たま乱太郎』だと思うのですが、あれ、バカバカしいですよね。たぶん浦沢義雄のバカバカしさが最もポップな形で出てきているのが『忍たま』です。ほかの作品は、『忍たま』をさらにシュールにした感じだと思っていただければ間違いないと思います。

 浦沢義雄は本当に「バカバカしい」脚本ばっかり書きます。
 なんで浦沢先生がそういう脚本を書くのかというのは、ずばり「感動は目の濁った大人がするもの」だと浦沢先生が考えているからでしょう。
 浦沢先生は決して「感動もの」は書きません。
 だからこそ、「真に子供たちのための作品」が書けるのだと思います。

『練馬大根ブラザーズ』をやっていたころのWebコラムから、
 特に秀逸な記事を抜き出してみましょう。


 爽やかなスポーツマンの笑顔ほど、信用できないものはありません。
 無責任に断言します。
 爽やかなスポーツマンはすぐに成功したがります。
 発作的に感動したがります。
 感動は目の濁った人間のするものです。
 大切な事は成功しないことです。
 思い出してください。
 少年少女時代。感動したことはありますか? ないはずです。
 目の澄んだ少年少女は感動などしません。そんな下品なことは目が濁ってからです。
 もし感動してしまったら、近くの神社に行ってお祓いしてもらってください。
 神社といえば中学生の頃、賽銭泥棒をしたことがあります。
 「今度は賽銭盗もうよ」
 同級生が言いました。
 「嫌だよ」
 私が断りました。
 「どうして?」
 「だって罰があたりそうだもん」
 私は本当にそう思いました。
 「大丈夫だよ」
 同級生が笑顔で言いました。
 その同級生は野球部のキャプテンでした。
 その笑顔は本当に爽やかでした。

 http://www.style.fm/as/05_column/urasawa02.shtml


 どうでしょうか、この「スポーツマン」へのストレートな嫌悪と、「感動」や「成功」を徹底的に嫌う姿勢。
 浦沢先生は「感動」を「下品」と言い切り、「大事なのは成功しないこと」とさえ言います。これは悲観主義でも虚無主義でもありません。ただ「目の澄んだ」ということに絶対の価値を置いているだけのことです。
 子供の目というのは、大人のように濁っていないから「感動」なんかしない。大人が押しつけるのはいつだって「感動」でしかないが、子供が心から純粋に楽しめるものというのは、少なくとも大人が思っているような「感動」ではない。
『はだしのゲン』が、子供の目で読んだらギャグマンガでしかないのと同じである、たぶん。

 それで浦沢先生は常に「楽しいだけの」「バカバカしい」脚本を書くのです。アニメ『はれときどきぶた』を見てください。ここに感動なんかありません。ひたすらドタバタでバカバカしい「ありえない日常」が常識外れにムチャクチャな演出で描かれているのみです。
 あのアニメはよく「原作をぶっ壊した」と言われますが、原作(絵本)のシュールさや「決して感動なんかさせない姿勢」を思いっきり踏襲していて、もしかしたらある意味で「忠実」なアニメ化だったのではないかとさえ思えてきます。そんなわけないんだけど。

 浦沢先生は同じようなことをWebのインタビューでも語っていますので、興味の湧いた方はこちらもぜひどうぞ。
 また、『たまご和尚』という小説(名著!)にも「感動なんて、心が汚れているやつや、目のにごったやつがするものだ。」とあります。
 いろいろと考えさせられる言葉です。

 ちなみに、「感動」と「バカバカしさ」のバランスが最ッ高にとれている名作がかの『ドラえもん』であって、だから僕は藤子F先生が大好きなのです。『ドラえもん』って感動的な話が取りざたされることが多いけど、実際は「バカバカしいだけの話」が一番多いのですよ。『ドラえもん』で感動できる話なんて20か30話に1話、ひょっとしたら50話につき1話くらいの割合です。でも、そのくらいのバランスで良いのです。子供は「感動」なんか、求めていないどころか、「しない」のです。

 しかし、だからといって「大人が感動するような話」を子供に与えることに意味がないのかといえば、そういう話でもないでしょう。子供は「大人が感動するような話」を、感動もせずに素直に受け入れて、「当たり前のもの」として吸収します。そしてそれが子供の価値観を作っていきます。感動するかしないかなんてどうでもいいのです。「大人が感動してしまうようなすてきな価値観」を、「当たり前のもの」として育っていくことが肝要なのです。それが情操教育というものの、唯一正しい在り方です。
 だから「こんないい話にどうして感動しないんだ!」などといったようなことをぬかす大人は、最低です。そんなのは、せっかく澄み切った目をむざむざ濁らせてしまうだけのことです。

 浦沢作品は、バカバカしいだけで、子供の「ためになる」ような価値観は含まれていないように、一見は見えます。しかし、浦沢義雄が子供向け作品で「不道徳」な話を書いたことは僕が知る限り一度もありません。そりゃPTA的な人たちが眉をしかめるようなセリフやなんかはあったかもしれませんが、しかし彼の作品の根底には確かに一種の「正しさ」や「美学」が横たわっているので、こういうものをゲラゲラ笑いながら見ていて、悪影響があるとは僕は思いません。バカバカしさというのはそもそも、ある種の「平和」です。ほのぼのとした平和です。『激走戦隊カーレンジャー』では、「スーパー戦隊もの」という「正義が悪を討つ勧善懲悪」の枠を逸脱して、「バカバカしさ」という隠し球一つで「正義と悪との“平和”な戦い」を描ききってしまいました。これは本当に凄まじいことです。

 僕が浦沢義雄を好きなのは、「ヘンなものが好き」とか「シュールなものに惹かれる」とか、そういった理由だけではありません。浦沢義雄が本当に優れた「子供向けの作品」を書いているからです。それは彼が子供を「目の澄んだ存在」として絶対の価値を認めているからであり、そんな目の澄んだ子どもたちに向けてよい作品を届けたいという真摯な思いを常に持ち続けているからです。……たぶん、そうだと思います。インタビューやトークイベントなんかではそんなこと一言も言いませんが、僕にはそうとしか思えないのです。

2009/07/11 革命的半ズボン主義宣言、ジャッキー版

 今日でこのサイト9周年です。祝ってください。
 9年前の自分は半ズボンを穿いていませんでした。
 一本だけ、兄からもらった膝までのジーンズを持っていて、夏にはそれを穿くこともあったのですが、僕の中ではそれは「ハーフパンツ」と呼ばれるものであり(この線引きには個人差あるのかな)、半ズボンとは違っていた。

 街を歩くと、「ハーフパンツ」を穿いている男性はいくらでもいるのに、「半ズボン」を穿いている男性はまずいない。
 ここで言う「半ズボン」とは、丈が膝上10~20センチ程度のものを言います。(膝上30~40センチともなると似合うのはジョギング中のおじいちゃんか釣りに出かけるおっちゃんくらいのもんになって、若い人がやっていると相当に奇異になります。が、いつかはここにたどり着きたいものだ。)

 どういうわけだか僕は今年の夏、半ズボンを穿こうとしております。「ハーフパンツ」には潔さを感じないので、ここは「えいやっ」と気合いを入れて、半ズボンを穿きます。膝上15センチくらいの。
「ハーフパンツ」は既に街では市民権を得てきております。もちろん、まだまだビジネスの場では認められていないので、さらなる布教活動は必要なわけですが、「半ズボン」に関しては、街での市民権さえ得ていないというか、存在すら抹消されている感があります。「ホットパンツ」を穿いている女子はそれこそ穿いて捨てるほどいるのに、「半ズボン」を穿いている男子はいない。僕はそのすき間に斬り込んでいきたい!
 これは何も「他人と違うことがしたい」という中二病的発想ではなく(自分はそう信じている)、社会への意思表示であります。「どうして男子が半ズボンを穿いてはいけないのか?」という反抗であります。男子の皆さん、一度半ズボンを穿いて外に出てみてくださいよ、涼しいですよ。涼しくて動きやすくて、走り出したくなりますよ。

 このことは、既に半ズボンを穿いて街を闊歩している僕が言うのだから間違いがありません。半ズボンを穿くと、走り出したくなります。どうして大人が夏に虫取りに行かなくなるのかといえば、長ズボンを穿いているからです。それ以上の理由はありません。
 そういえば僕は夏になると地元の友達と山へ虫取りに行くのですが、去年行った時は先述した膝までのハーフパンツを無意識に穿いていました。山に行くのだから本当は長ズボンでないとキケンなのですが、なんだか走り回りたいような気分だったので、半ズボンを選んだのでしょう。
 それにしても、小学生の頃から穿いているものを未だに穿いているというのは、我ながら物持ちのいいことです。逆に言えば、そんなに頻繁には穿いていないということかもしれませんが。でもさすがにそろそろ穿けないくらいぼろぼろになってきました。
 小学生の頃から着ているジージャンは、今でも着ます。ぼろぼろですが、自転車旅行に出かける時には、真夏でなければ連れていくことが多いです。正月は、Tシャツの上からこれを羽織って「暑い、暑い」と言いながら地元の友達(同じくTシャツの上からジャンパー)とはしゃぐのが、恒例行事となっています。僕のジージャンは、そういう友達です。余談でした。

 長ズボンが大人の象徴であり、中学生、いや小学校高学年くらいになるとみんなが半ズボンを脱ぎ出すというのは、彼らがもう「走り回るような歳ではない」ということを意味しています。子供の側から言うと「僕たちはもう子供ではない」ですが、大人の側から言えば「お前たちはもう、走り回られては迷惑になるくらいの歳なんだ」です。「大人になりたいと思うなら、走り回るのはやめろ。その意思表示として、長ズボンを穿け」です。

 長ズボンは、男性に対して「動くこと」「走り回ること」を禁止します。女性にとってのスカートもまた、同じです。僕は自転車に乗るのですが、多くの人々がまだまだ自転車を主要な移動手段にしたがらないというのは、彼らが決してスカートや長ズボンを脱ごうとしないからではないかと思っています。だからといって半ズボンを穿くべきだということでもないのですが、「暑いのならば、半ズボンを穿いてもいい」という選択肢が、特に男性には発想としてないのです。
 女子の穿いている「ホットパンツ」と呼ばれる半ズボンは、機能的に完璧です。涼しくて、動きやすい。それでいて色っぽくさえあるのです。男性が思春期の手前で失ってしまった機能性を持つことが、女子には許されています。これは「女子は大人しいから、動き回られても困らない」という発想がどこかにあるのではないかと睨んでいます。つまり、女子は見くびられているのです。「こいつらに涼しさと動きやすさを与えたところで、その優れた機動性を十分に利用はできまい」と。実際、女子はホットパンツを穿いたからといって、その機動性を利用することはほとんどありません。「今日はホットパンツを穿いているのだから、走りやすいや」などと言って、街中を走り回っている女子など、見たことがありません。(僕など、半ズボンを穿いては「こりゃあぐあいがいいや」などと言って新宿のビルの中を走り回っている非常に迷惑な大人なのですが。)
 大人が半ズボンを穿いて動き回ったところで、誰かが困るのかといえば、誰も困らないのかもしれません。だから僕の言う「男性は走り回ることを禁止されている」というのは、完全に的外れなのかもしれないし、たとえそう言うことができたとしても、「だからなんだ?」ということにしかなりません。それは現代が「走る必要のない社会」だからということと関係があります。

 僕の生活において、移動とは「自転車に乗る」ことと「走る」ことによって成り立っています。ほかの移動手段は、ほぼありません。「自転車に乗る」の比率が常人の何十倍も高いので、「走る」ということもあまり多くはしませんが、それでも普通の人よりは走っているのではないかと思います。僕はせっかちなときはせっかちなので、やたら走ります。楽しい風景はゆったり歩きたいと思いますが、見たくもない風景のときは、ひたすら走ります。
 だから僕は夏に長ズボンを穿いていると、非常に不便なのです。暑い上に、動きづらい。自転車だって、長ズボンが汗で肌にひっつくととても漕ぎづらいし、長ズボンを穿いたままロードレーサーに乗ると、すそが汚れたり、前ギアに引っかかって破れたりします。
 去年までの僕には「半ズボンを穿く」という選択肢が発想としてなかったので、その不便を「不便」としてやり過ごしてきました(そこで「自転車に乗らない」「走らない」を選ばなかったのは偉いと思う)が、今年から「半ズボンを穿く」ということを発想として認めてしまったら、「不便」はついに「手つかずの不便」ではなくなって、「不便だけれども、工夫によって最小限の不便さに抑えられている状態」になりました。一度「工夫」を覚えたら、もう「手つかずの不便=工夫しない状態」に戻る必要もありません。

 自分の中の論理はそこで完結していて、「僕は夏中半ズボンを穿いていればいい」ということになるのですが、自分の外側へ一歩出れば、そこには「男子は半ズボンを穿いてはいけない」という決まり事のようなものがあります。もちろんハーフパンツを穿いている男性はいっぱいいるのですが、そういう人は「ラフな格好」などと呼ばれて、言葉に説得力を認めてもらえません。フォーマルな、長袖、長ズボンという格好をしていないと、男性は「まともな社会人」として扱われないのが現状です。極端なことを言えば、「半ズボンの男性の言葉に説得力なんかない、半ズボンの男性が主張することに権利を認める必要はない」が、あるところにはあります。これはこれで仕方のないことなのですが、しかし僕が斬り込んでいきたいのは最終的にはそこです。

 茶髪の人や金髪の人が社会的に発言力を削がれているのと同様に、半ズボンの人も若干発言力を削がれている感があります。これは僕の実感です。しかし、茶髪や金髪と違って半ズボンには、「涼しいし、動きやすい」という、どうしようもなく合理的で具体的な「機能」があるのです。
 僕の理想は、「夏に男性が職場で半ズボンを穿いたっていい」という状況が生まれることです。半ズボンがファッションではなく、機能として認められることです。「ファッション」の要らないフォーマルなオフィスでも半ズボンを穿く人がいて、そのことが奇異なものとされないことです。僕は冷房が嫌いなのですが、座り仕事が中心のオフィスでも冷房がガンガンに効いているというのは、これはひとえに「我慢強さがない」のと、「男性が長ズボンを穿き続けている」ことに原因があります。
 そのためには、とりあえず自分が半ズボンを穿いてしまうことです。そこからしか、何事も始まりません。幸いにも現在の僕の職場には、二名ほど半ズボンを穿いて仕事をする男性がいます。「先例があれば、それに追随することは簡単だ」というのは日本人の特性なので、これに続いて僕まで半ズボンを穿いてみたら、もしかしたら何かが変わっていくのかも知れません。ただ、いちばん暑い七月半ば~九月初頭までの間、僕には仕事がありませんので、それを実践する機会というのも実はないのですが。

 僕が嫌なのは、「暑いのに頑なに半ズボンを穿こうとしないこと」ではありません。「男性とはフォーマルな場では長ズボンを穿くものである」という決まりが、なんとなく存在していることです。この「フォーマル」というのが、「冠婚葬祭」などの非日常で儀礼的な「ハレ」の場のことを意味しているのならば、いいのです。そのことが場に対する礼儀として慣習的に定められているのなら、それは「機能」ということを凌駕して尊重されるべきことだと思います。が、たとえばビジネスという日常的で実際的な「ケ」の場において、「機能」を陵駕せねばならぬほどの礼儀として「長ズボンを穿くこと」がなんとなく定められているというのが、僕には納得できないのです。
「社会とはそういうものだ」という考え方は、下らないので、しません。日常とは何よりも機能を優先すべき場です。僕はそう思います。宗教的な所作を別にすれば、必ずそうであるべきです。僕が女性の「日常の化粧」を嫌うのは、ここが所以です。化粧に、具体的で実際的な機能はありません。あれは「ファッション」です。茶髪や金髪と同じように、抽象的な意味しか持っていません。「日焼けを防ぐ」という具体的な機能もあるにはありますが、それならば「日焼け止めを塗る」でいいのです。「きれいに見せたいから」「みんなしているから」「そのほうが男性が喜ぶから」といった理由は、すべて抽象的なものです。「暑いので半ズボンを穿く」「動きやすいので半ズボンを穿く」「日焼けすると肌に悪いから日焼け止めを塗る」といった実際的な行為に比べたら、ぜんぜん意味のないものです。偏屈な僕はいつもそのように言って女性を怒らせています。
 僕の論理でいけば、「化粧は肌に悪いから、必要な時以外はしない」というのが自然なのです。冠婚葬祭のような非日常の場においてこそ化粧は必要なのです。女性が、なぜ自ら「毎日が非日常である」ような生き方を選んでいるのか、そしてなぜ社会が、女性にそのような在り方を望んでいる(ように見える)のか、僕にはちっともわけがわかりません。

 僕の母親はふだん、まったく化粧をしません。少なくとも僕の物心がついたときからそうです。結婚式や葬式に出かけるときには、珍しく化粧をすることもありました。我が家に女性は母親しかいなかったので、「化粧とはそういうものだ」と僕は思って生きてきました。素晴らしいことに僕は母親を、世の女性の中で最も愛している(そう思えないような家庭に育った人は可哀想である)ので、そういう在り方こそが正しいと、今でも思っています。母親が「化粧というのは~」という持論を口にしたことは、覚えている限り一度もありませんが、僕が勝手に理論化したところによれば、「化粧は非日常である」なのです。
 母親が若かったころにどうしていたかというのは、知りません。ここ数年は信じられないくらい母親と仲がよいので(べつに悪かったことなんて一度もないけど)一度聞いてみようと思います。彼女は「岡林信康はな、風呂に入ってもセッケンで身体を洗わないんだぞ! というのも人間の身体には自浄作用というのがあって……」なんてことを子供に教えるくらいだから、進んで日常的に化粧をしていたとは思えません。
 ちなみにうちのかーちゃんは、年の割に見た目も気も若いです。かわいいです。肌もきれいです。なんでかというと、保育園に勤務して日常的に子供と戯れているからというのと、未だに南こうせつがミーハー的に好きだからというのと、勉強家であり行動家であるからというのと、化粧をしないからだと思います。

 うちのとーちゃんも、そういえば散歩とか釣りとか虫取りに行くときは半ズボンを穿いていました。

「半ズボンを穿く」は、あらかじめ定められているかのように見える「社会の価値観」への反抗であって、それは「化粧が嫌い」ということにも繋がっています。「なんとなく決められているらしいことに、なんとなく従っている必要はない」です。僕は「化粧をするな」という意味のことを言ったことはたぶん一度もありません。「しなきゃいいじゃん」くらいのことを言うかもしれませんが、それはあくまでも「なんでするの?」という「問いかけ」です。
 僕が「なんでするの?」を問いかけると、女性はたいがい、複雑な表情をします。「だって化粧するの好きだもん!」と即答できる幸せな女性に出会ったことは、まだありません。たいていは、女性というものは、「本当はしないでいいものならしないほうがいい」ということをどこかで思ってはいるのですが、「でも、しないわけにはいかない」ということをも同時に思っているのです。
 男性だって、「暑いんだから半ズボンを穿きたい」を、思っている人はどこかで思っているはずなのですが、「明日から会社に半ズボンを穿いていこう」ということには、まずなりません。ビジネスマンとしてのマナーとやらがそうさせています。会社の外で人と会うような職種の人ならわかるのですが、一日中会社のデスクでちまちま働いているような人も、なぜか半ズボンは穿かないようです。会社の人以外とは誰にも会わないなら、女子はすっぴん、男子は半ズボンで良いようなものなのです。だけどそうはなりません。僕はそういう状況が嫌なのです。なんとなく決まっているらしいことに、なんとなく従うことはないのです。別に「化粧をするな」「半ズボンを穿け」ではありません。「化粧をしない」「半ズボンを穿く」という選択肢が、なぜ発想として存在しないのか、そのことが僕は不思議だし、嫌だということです。
 実際、一昨年くらいまでの僕には「半ズボンを穿く」という発想がなかったと思います。去年も、「半ズボンでも穿くかなあ」とか思いながら、結局ほとんど穿きませんでした。それが自分として、とても嫌だったのです。「なんとなく決まっているらしいことに、なんとなく従っている自分」というのが、許せなかった。だから今年こそは、半ズボンを穿こうというのです。可能ならば職場でも穿きたいのです。来年、もしも現職であったら、やってみようと思います。もう夏休みなので――。

 女子は化粧について、男子は半ズボンについて、それぞれ考えてみると面白いのではないかと思います。

 いったい僕は「ファッション」よりも「機能」というものが好きであるらしく、都会で自転車に乗るときは「排気ガス対策の黒いマスク」を必ず付けますし、夏には「陽射しよけのおばサンバイザー」が欠かせません。ひどいときはその上にサングラスをしたり、頭に手ぬぐいを巻いたりします。Tシャツに半ズボンにサンダルといった格好でそれをするものですから、周囲には不審人物としか見えません。農作業するおっちゃんおばちゃんみたいに、純粋に「機能」ということしか考えていないのです。ので、自転車に乗っているとよく注目されます。笑われたり、驚かれることもしばしばです。しかし僕は「これは機能的だ」と信じてそれをやっているものだから、気になりません。まったく気にならないわけではないのですが、旅の恥はかき捨てといったふうに、気にしていません。
 だって、「排気ガスは吸いこみたくない」「眩しいのは嫌だし、日焼けするのも嫌だ」「暑いのは嫌だ」「電車には乗りたくない」ということを強欲にすべて実現させれば、こういう格好にしかならないはずなのです。こういう格好にならない人のほうが、僕には不思議だとさえ言えます。
 この文章で僕が言いたいのはそういったことです。


「毛ずね」の問題に関しては、本家の『革命的半ズボン主義宣言』を参照のこと。

2009/06/26 幸福とは

 毎月この時期になると同じことを言いますが月刊アフタヌーンで『謎の彼女X』(植芝理一)と『友達100人できるかな』(とよ田みのる)が読めるだけで僕は幸せなのです。
 本当にそれだけでも身に余る幸福なのに明日は奥井亜紀さんの歌を聴きに行くのであります。
 10月には楠美津香さんのひとりシェイクスピア『超訳 薔薇戦争』が見られそうです。なんという幸。

2009/06/24 詩について書いた。

 わが詩学――佐藤春夫『新体詩小史』を参考に、詩と意味について 


 書いた、と言っても再録なんだけど。いくらか手は加えました。
 ジャッキーさんが高校1,2年のころに書いた詩も三編ほど読めます。それ以降の詩はpoemで。

 今でも僕は月に何本かというスローペースではありながら詩を書いているですよ。「意味」から開放されるというのはけっこう大切で、人によっては「スポーツで汗を流す」になるのかもしれないけど、僕にとっては詩がそれにあたる。

2009/06/23 殺人者よりも性犯罪者を憎む

 人を殺す気持ちは理解できないが性犯罪者の気持ちは理解できる。
 おそらく全ての男性がそれを理解できる。
 本気で人を殺そうと思ったことは小学校三年生を最後にして一度もないが、目の前に可愛い女の子のスカートと生足があって「さわりてえなあ」と思ったことのない男が果たしてどれだけいるか? おそらく女性にリビドーを向けるすべての男性に心当たりがあるはずだ。

 人を殺す気持ちは理解できないが性犯罪者の気持ちはわかってしまう。だってそれは「さわりたい」とか「やりたい」という、人間の生命活動の根源たる「性欲」というものから由来する衝動だからである。性欲がなければ人間は絶滅してしまうが、殺人を犯さないことが人類の亡びる直接的な原因となることはない。

 性欲は。「痴漢したい」「強姦したい」という欲求を男性は否定できない。
 だからこそ性犯罪者は許せないのである。
 なぜならば、世の男性のほとんどは必死にそれを我慢しているからだ。
「俺たちがこんなに我慢しているのに、許せん!」なのだ。

 痴漢よりは殺人のほうが重たい罪であることは明白である。
 強姦についてもそうである。少なくとも現代日本ではそういうことになっている。殺人が何よりも重罪である。それとこれとは別の話として、

「チクショー! 俺は我慢してるのに痴漢とか強姦とかするヤツがいるなんて許せない!」

 これは男の心理である。真理である。カッコつけずにお認めになるがよろしい。
 被害者の女性が受けた肉体的・精神的苦痛にかかわる痛み、怒り、憤り、労り、そういったものが何よりも大きいことは自明の理である。しかしそれ以外にも「チクショー」があるのである。「俺は我慢してるんだぞ!」があるのである。男にはそういう感情があるのである。そうに決まってる!(決めつけの美学!)
 そうじゃない人は聖人君子というべきか、朴念仁というべきか、そういう特殊な存在なのである。

 殺人者だって憎むべきであるし、理性的には憎んでいる。しかし自分には「あいつを殺したい」という心情や衝動がぜんぜん理解できないので、感情的には「わからない」のだ。殺されたのが自分とかかわりのない第三者である限りは憎しみも怒りも湧いてこず、「どうしてそんなことするの?」になる。ところが性犯罪ということになれば、被害者が誰だろうと「わかるけどさあ! そこは我慢すべきところだろ!」なのだ。

 男性が女性の身体に触るためには、条件が必要なのである。たとえばそれは時に「金」であり、時に「魅力」や「絆」であるのだが、ともあれ「なんらかの要因によって築かれた信頼関係」という条件が絶対に必要なのである。
「お金を払ってくれたから、触ってもいいよ」とか、「わたしはあなたのことが好きだから、触ってもいいよ」というような、なんらかの関係、固い言葉で言えば「契約」である。それが必要なのである。少なくとも他人同士のあいだでは、暗黙にでも二者間に「契約」が成立していなければ男性は女性の身体に触れてはいけないのである。
 その条件、すなわち「契約」を成立させるために、男は努力するのである。自分を磨くのである。金を貯めるのである。ところが性犯罪者、たとえば「電車内で女性の身体をさわる痴漢」というやつらは、このプロセスを完全にすっ飛ばす。すっ飛ばして、「身体に触る」という結果だけを努力も代償もなしにかっさらっていくのである。これは男性として完全なルール違反である。
「女の子の身体に触れる」ということは、特別なことなのである。なんらかの形で女の子から「いいよ」をもらわなければ、それをしてはいけないのである。その「いいよ」をもらうために、男はなんだってするのである。僕が本を読み文字を書くのだって、正直に言ってしまえば女の子から「いいよ」をもらうためでしかないのかもしれないのである。いやきっとそうなのだ。「モテたくて本を読む」である。「モテたくて賢くなる」である。「モテたくて賢そうな自分を演出する」である。そのように男は、「いいよ」のために生きているのである!

 僕は「いいよ」をもらわずに、あるいはその他の必然性(チークダンスとかハイタッチとか)もなしに女の子の身体に触れる人間を一切信用しない。軽はずみに頭を撫でたり、手を取ったりする人間でさえ信用しない。それはアンフェアであるし何より、男の子にとって女の子の身体がいかに神聖かということをわかっていないのである。男の子の手と女の子の手が触れあった瞬間、それは光り出すのである。繋がれた手は輝き出すのである。そして身体はふっと宙に浮く。男の子の身体と女の子の身体にはそういう神秘性が隠されているのである。それを知らない男は「情緒」というものを一切理解しない唐変木である。そんなやつに恋をする資格などない。「風俗」というものは、そういう人たちのためにあるのである。

 なんてことを書くと、「スキンシップを否定するのか」と思われるかもしれないが、ああ、そう思ってもらって結構さ! 「いいよ」のない男女間にスキンシップなど存在してはいけないのだ! 「欧米人は挨拶でハグとかキスとかするよ」とか言う人にはこの言葉を捧げる。「よそはよそ、うちはうち」
 やつらは異常だ!
 あいつらの恋愛に情緒なんか、ねえんだよ!

 僕は痴漢を憎む。性犯罪者を憎む。強姦なんか言わずもがなだ。何も語る必要などない。貞操は女性の宝であり、同時にすべての男性にとっての宝でもある。それを強引に奪い去るような行為は、全日本人の名の下に裁かれるべきである。世の中に一件だって存在させてはならない事例である。強姦っつうものは!
「人を殺す」には、何かのっぴきならない事情が背後にあるのではと思わせるのだが、「女性を犯す」には、事情なんかない。性欲があるのみだ。同情の余地なんか欠片もない。痴漢も同じ。自殺しろ。

 性犯罪は殺人や傷害と違って「罪の立証」というものがいろいろな面でやりにくい。そこがさらに、理性のないエロキチガイどもを増長させる。調子に乗らせる。痴漢や強姦へ走らせる。あああ、もし神がいるのなら。もし神さまがいるのなら!


 自分にとって大切な人(恋人に限らず)が性犯罪の被害に遭うと、僕の怒りと憤りは頂点に達し沸騰する。世の中が許せばその犯人を殺してやりたいと思う!(あ、ついに人を殺す人の気持ちがわかってしまった!)

 そう、小学三年生の頃から十数年ぶりに僕は本気で人を殺したいと思ったのである。無抵抗のいたいけな少女を狙って襲う極悪非道のあの男子高校生に、地獄の裁きがあらんことを。
 本当に、許せん。俺のサンシャインに何をする!

2009/06/21 田川ミ『ドッヂ』についてまとめた

 だいぶ加筆しました。もともと二つの記事を一つにまとめたから骨折れたー。
 これは批評というよりは僕の思想の表明なので、時間のある方はぜひ読んでみてください。あらすじ詳しく書きましたよってに。

001 田川ミ『ドッヂ』に見る「正しさ」と前近代性

2009/06/17 

 休日。
 近所のカレー屋「アイキッチン」でサグチキンカレーのAセット(650円、サラダ付、ナン食べ放題)を食べて、喫茶店でコーヒー飲みながら読書。後、古本屋を三軒回って、いろいろ買い物。今夜中の二時だけど、今夜は田代まさしの本を読むまで寝ない。

 喫茶店では、ちばてつや『島っ子』と『矢口高雄自薦傑作集』を読み、橋本治『シンデレラボーイ・シンデレラガール』をざっと再読し、ずっと読みかけで放っておいた同氏の『オイディプス燕返し!蓮と刀 青年篇』を読み終えた。

 橋本治の『シンデレラボーイ・シンデレラガール』というたった200ページの薄い本は、「一続きの論理」によってなり立っている「一本の長い文章」で、最後まで読まないとわけがわからないし、最後まで読んだってわけがわからない。でも、けっこうすごいことを言っている。1981年初版で、橋本治がデビューしてまだ数年しか経っていない頃。橋本治はデビューが遅かったせいか、初めからずっと「橋本治」していて、ほとんどぶれがない。

「女というものは、けっこう現実的なくせに、でも現実ということを考えるということになると、平気で現実を無視して、なんでも一般化して考えてしまう。」という一文なんか、真理すぎて怖くなる。さて。

 橋本治の文章の解説ってのは難しいなあ。もう全部ここに書いてあるんだから、読めばいいとしか言えない。ただ、読んでもわかんない人にはまったくわかんない。でも橋本治の文章には補足すべきことなんて僕にはないように思えるので、これをわかりやすくするためには「もっとわかりやすい言葉で言い換える」をしなければいけない。そんなことできねえよ!
 わかりやすく、簡単に言おうとすると、何かが抜け落ちるもん。簡単に言うってことは「単純化する」とか「抽象化する」になってしまいがちだから、その際に抜け落ちるもの、捨象されるものというのが必ず出てきて、原文の意図を正しく伝えることができなくなる。厄介なもんだ。

 で、まあ、引用とかしたいんだけど、ちょっと長すぎるので、やめとく。
 この本の序盤で、「現実を生きるということと現実を知るということ」について割としつこく書かれているので、まぁ、読んでみてください。図書館か、古本屋で。


「現実を生きる」ってのは、「生活する」ってことでしょ。
「現実を知る」ってのは、「自分が生活している世の中(=現実)のことを知る」ってことでしょ。

 例えば。例えばですけども、「現実を生きる」が、ある人にとって「エアコンを売る」ということだとする。
「エアコンを売る」をしていると、「エアコンを買う人」が「自分に直接関わってくる現実」になる。「エアコンを買う人」は、たいていの場合、「これで家が、会社が、これまでよりも快適になるぞ」と思って買うわけだから、それなりに嬉しそうな顔をしているはず。
 そうすると、「あー自分はいいことをしている」って、売るその人は思う。
 その時に、環境がどうとかエネルギーがどうとか、資源がどうとか外国の労働力がどうとか、冷房病がどうとか本当に効率の良い経済とはどういうものかとか、「人間本来の在り方とは」とかっていうことは、考えない。
 いや、別に考えてもいいんだけど、考えたところでどうにもならない。
 そういうジレンマがある、ってわけ。

 ほとんどの人はこのジレンマから抜け出せないから、たとえば小沢健二さんみたいな人に出会うと、戸惑う。小沢健二さんの考えについては、『うさぎ!』というお話を是非読んでください。
 小沢さんはおそらく、「冷暖房をガンガン使いましょう」ということは言わない。むしろ、「それとは正反対のように思えるようなこと」を言うだろう。たとえば「そのエアコンは本当に必要なのか」というようなことを、言うかもしれない。(あくまでも「かもしれない」という、僕による仮定で、実際のところそんなことを言っていたわけではない。)
 そう考えたとき、世の中にあるほとんどのエアコンは不要かもしれない。図書館にあるエアコンは必要かもしれない(汗で本が汚れたりするし)が、たぶん東京の住宅にエアコンは要らない。それをつけなければ死んでしまうような身体の人がいる家を除いては。現に僕は6年間以上ずっとエアコンのない暮らしをしているが、いろいろと工夫して乗り切っている。
 ただ東京の場合は、「空気が汚すぎる」ってのがあるから、そういう意味でエアコンをご所望の方もいるのかな。
 それに、「快適だ」ということに価値を置くならば、その人にとっては「必要」ということになるから、難しい。「現実に生きる」を考えたら、「快適だ」のほうがいいもんだから、そういう観点では「必要」ということになる。

 でも「現実を知る」をすると、エアコンの良い面も悪い面もわかってしまう(このことはむしろ僕が詳しく説明しないほうがいいかな、良い面と悪い面っていうのが、あるよね?)から、「要らないエアコンは要らないよな」ということがわかる。「なくてもどうにかなるようならば、ないほうがいいよな」とも思えてくる。しかし「エアコンを売る」という現実を生きている人にとって、そんな現実は知りたくもないし、知ったところで「だからどうした?」ということにしかならない。「自宅にエアコンがあって、快適だ」と日ごろ思っている人も、同じ。だから人は、「現実を生きる」と「現実を知る」の間で足踏みをする。
 そんな時に「現実を知る」を目の前につきつけてくるのが小沢健二さんで、ずっと足踏みを続けていたいような人は反発する。「そんなこと言われたって、どうしようもないだろ。そんなこと言うなら、じゃあ何か具体的な解決策をお前が考えろ」とまで言う。でも、小沢さんは「現実を知る」をつきつけているだけで、何も「“現実を知る”と“現実を生きる”との折り合いをつけろ」と言っているわけではないし、まさか「“現実を生きる”を犠牲にしてでも“現実を知る”をして、それを生活に反映させろ」と言っているわけでもない。「現実を知る」をつきつけられた人は、その先は「自分で考える」をすればいいのに、多くの人はなぜかそれをしない。それをしないで、「そんなことは無理だ」と言う。小沢さんは一言も「こうしろ」を言っていないのに、「それは無理だ」と言う。これはまったく、“話になってない”。
 ここに「考える」の放棄がある。
 橋本治が『青空人生相談所』で「現代の最大の退廃」と言い切った、アレです。「ザラにあるんだから、何もそれをいやがることもないんじゃないか」という、アレです。こういう考えが支配的(大衆化した)だから、現代という時代は、退廃している。興味ある人は『青空人生相談所』の、彼女に結婚を迫られて困ってる二十代男性の質問を参考にしてね。

 思うに、「現実を知る」と「現実を生きる」の間で足踏みしている人は、「考える」ということをしようとしていない。
「考えた結果、考えないようにしているのだ」という、わけのわからない答えを用意している人もいるだろうし、「“考える”はしているが、“行動にうつす”はしていないだけだ」という人もいるだろう。開き直って「別に考えることもないんじゃないの」と言う達観した人もいると思う。
 それが良いとか悪いとかはわからんが、橋本治はたぶんそういうことを指摘している。何十年も言い続けている。
「それでいいの?」ってことを言おうとしている。
 それは小沢健二さんも、たぶん同じ。
 僕にはそこまでしかわからない。


 そしてきみは、そんな現実とテキトウに手を打ち、テキトウに突っ放して、そんな現実の中でそんな現実の空気を吸いこんで、そんな現実を生きて行く。現実的なきみにとって、現実を生きて行くということは、そういうことだから。
(『シンデレラボーイ・シンデレラガール』)


 結局、ほとんどの人はこれをしている。
 だからどうだということは今は何も言わないし、言えないが、
 僕はそれじゃあ、単純につまらんと思う。

2009/06/14 

 ちばてつや『テレビ天使』を十年ぶり……いや、それ以上ぶりに再読した。こんなこと言いたくはないのだが、めっちゃめちゃに泣いた。最近、マンガ等を読んで泣くことが以前よりも多く激しくなったような気がする。もともと涙腺が緩かったのは間違いないが、しかし歳を取ったということも関係あるのだろうな。
 僕はなんだか、歳を取る毎に、素直になっている気がする。が、同時に頑固になってもいるような気もする。よくわからない。

 矢口高雄『蛍雪時代』は、図書館で借りてようやっと全て読んだ。これもぼろぼろとよく泣いた。


『最終兵器彼女』を読んで流す涙。
『恋空』を読んで流す涙。
 くるりを聴いて流す涙。
 阿修羅像を見て流す涙。


「涙」ということだけで考えるならば、『テレビ天使』を読んでも『恋空』を読んでも同じだということになる。
 そこにあるのはただの「個人差」であるということになってしまう。
 だから涙というやつは危険だ。
 藤子F先生の『征地球論』を持ち出すまでもなく、
 あの不思議な水はいろいろなことをウヤムヤにしてしまう。


 泣くことがあんなに気持ちよくなかったらと思う。

2009/06/10 

 さとうまきこ『SOS! 時計よとまれ』を十年ぶりに再読。
 小学生向けの児童書。
 小学五年生のタツヤが拾った不思議な時計のせいなのか、タツヤのお父さんとお母さんがだんだん若返って、ついにはお父さんが五歳、お母さんが四歳くらいに戻ってしまう。同じマンションに住む幼なじみのリコのお母さんも、三歳くらいまで戻ってしまった。リコにはお父さんがいないので、タツヤとリコは三人の子どもたちを自分たちだけの手で面倒を見なくてはいけなくなってしまった。
 そんなストーリー。子どもたちはそのうちにもっともっと小さくなっていって、ついにはおむつをかえてあげなくてはいけないような状態になってしまう。リコの「あたしがお母さんのおむつをかえるなんて……」というせりふには、「介護」という問題さえ想起させられる。1986年の作品としては、先見的なものがあったのではなかろうか。
 小学生のタツヤとリコが「疑似夫婦」を演じながら、自分たちの「親」の育児にあたる、という何ともへんてこりんで、SFで、しかし萌える設定の上で、「家事や子育ての大変さ」が描かれる。これを読んだ子どもたちは「うひゃー、お父さんやお母さんって大変な思いをして僕のことを育ててくれたんだなあ」なんて思うことうけあい。タツヤとリコの「本格的すぎるおままごと」に、どの世代の人間も萌え萌えになることうけあい、だと僕は思うであります。何より萌えるのは、タツヤが「将来リコを自分のおよめさんにする」と心に決めているところだ。キュンキュン。
 ここには書かないが、オチがまた凄まじい。どう凄まじいかというのは、ぜひ本編を読んで確かめてほしい。と言いつつ、おそらく20年以上版を重ねていないであろう(僕が小~中学生の頃にはすでに入手難であった)この作品は、今では図書館に行かないと読めない。図書館に行っても、置いていない図書館のほうがずっと多いので、取り寄せになるだろう。もしかしたら、取り寄せすらできないかもしれない。世田谷区立図書館に問い合わせたら、「保存庫」というところに一冊だけあった。
 なんでこんな名作が重版されないの?

 矢口高雄先生の『蛍雪時代』を二巻まで読んだ。詳しくは書かないが死ぬかと思ったくらいの名作。子供にゼッタイ読ませたい。すべての中学生どもに読ませたい。いや、全国民が読むべき。そのくらいの作品。まだ二巻までしか読んでないけど。
『蛍雪時代』は全五巻で、ネットで調べてみたらプレミア品。後半の巻は一冊数千円出さないと手に入らないようだ。世田谷区立図書館には一冊もなし、練馬区立図書館には一冊ずつあったので、予約した。

 なんで僕の好きな作品は軒並み絶版なんですか。僕はたまに「ジャッキーさんの薦める作品は、品切ればっかりでちっとも手に入らないよ! 死ね!」的なことを言われるのであるが、誠に申し訳ない。でも、僕のせいじゃないぞ。品切れにする出版社と、買わない消費者が悪いんだぞ。あーあ。
 これは、僕が思うに、陰謀なのですよ。日本人から「善き心」を奪おうという、巨悪による陰謀なのです。そうとしか思えない。そうじゃなかったら、どうして僕の愛する「善き作品」ばかりが絶版になるわけ? 意味がわからんです。具体的には『ワッハマン』がどうして今、読めないの? 『砂漠の野球部』とか、『あまいぞ!男吾』とか、『Z MAN』とかもそう。これらの作品が『スラムダンク』なんかよりもずっとずっと素晴らしい作品であると信じている僕は、おかしいのでしょうか。

 おかしいんだろうな。
 人々よ、情緒を取り戻せ!

 つっても、もともと大衆に情緒なんかないのかもわからんね。

2009/06/07 阿修羅展~これも生き物のSaGaか~

 上野の、東京国立博物館で「国宝 阿修羅展」を見た。
 正直言って阿修羅さんマジパねえっす。
 八部衆さん、十大弟子さん、四天王さん、釈迦如来さんみなさんパねえっす。お疲れス。
 実際その、阿修羅さんの完璧さといったらなかったっす。
 とりわけ腕の角度と細さの美。幾何学的美。ゾクゾク美。どの角度から見ても腕の様相に無駄がない。マジパねえ。凄まじいエネルギーを持った歴史的「芸術作品」であったとさ。


 なんて、どうしてもそういう風に見てしまうんでやっぱ僕は、「国宝 阿修羅展」なんつうもんは、嫌いだなあ。やっぱり、こういうものを、「場」や「建物」や「土地」から切り離してはいけないんじゃないか。奈良から動かしてまで東京の人に見せる必要なんてないんじゃないかしらねえ。いや、そら、東京にいながらにして全国ひいては全世界の美術品等を鑑賞できる「美術館」や「博物館」という存在が素晴らしいものであるというのは確かなんですけども、中央集権的に「東京」にばっかり固まってしまうってのも良し悪しかわからん。だいたい絵画や彫刻ならともかく、でっかい仏像みたいに「不動」なもんが、本来あるべき土地を離れて見世物として「消費」されてしまうというのは、どう考えるべきかねえ。
 だってさ、阿修羅像をはじめ、八部衆に十大弟子、四天王像やら、仏像やらっつって、霊験あらたかで有り難いモノがあんなにたくさん並んでて、会場には何百人とか何千人とかの人がひしめいているようなわけなのに、誰一人として「拝んでない」わけですよ! これってよく考えたら妙じゃない? 仏像って、僕の感覚だと、やっぱ「拝むもの」なんですよ。信仰の対象なんですよ。それがほれ、博物館というところに来ると、いちどに「芸術品」だの「美術品」だのって扱いになって、みんな珍しいものを見るような目で、あるいは評論家みたいな顔をして、「へぇー」とか「フーム」とか言ってるわけなんですけども。これって恐ろしいことだと思いますよ。「信仰」が完全に切り離されてしまうのですもの。宗教的な力をすっかり奪われてしまって、その「造形」をのみ問題にされてしまうという状況が、果たして国宝たる阿修羅像にとってベストな環境であったかどうか。僕はなんか、すっごい失礼なことしてるような気がしてしまったな。それこそ冗談でも「阿修羅さんマジパねえっす」だとか言えてしまうくらい、どうしても「神秘性」は削がれてしまう。像そのものはもちろん、本当に凄まじく素晴らしかったけれども。
 そうやって思いつつですな、一応ながら、いっぺん拝んでみたのですよ、たしか、釈迦如来像の前で。そしたらもう、浮いた浮いた。浮いたなんてもんじゃない、まるでキチガイ扱い。可哀想な子を見るような目を向けられてしまった。もう完全に、宗教とか信仰とかというものが、「博物館」という近代性の中に取り込まれて消えてしまっているのを肌でひしひしと感じた。あー、いやだいやだ。

 なんてことを思いながら阿修羅展の隣の「日本の考古」という企画展示を見てみたら、これがもう、素晴らしかった。縄文時代から安土桃山時代までの考古学的資料が展示してあるわけなんですけれども、ちょっとした迷路くらいの広さがあって、展示品は質・量ともに充実し、歩き回るだけで日本の歴史のあらましが把握できてしまう。正直、阿修羅展よりこっちのほうが感動した。目当てより常設展のほうが面白かったりするのはよくある話である。
「日本の考古」には、でっかい仏像のように「土地や信仰と切り離すべきではなかろうと思われるもの」は、なかったと思う。(その「べき」というのは僕が勝手に判断したので、異論はあるかもしれないけど。)それに、ああいうふうに「歴史を一望する」というコンセプトのもとで並べられると、単純に「勉強になる」のだ。ああいう空間は、日本のために必要だと思った。本当に、あの展示をぐるっと見ただけで「日本史」についての理解はグンと深まるだろうと思う。僕は深まった。
 それに比して阿修羅展は、「すごい像」が何体かやってきて、ピンポイント的に「すごいでしょう」と見せられるだけのようなもんだから、「勉強」もクソもない。「すごいなあ」と言うことが義務みたいになって、「ありがたさ」も「古都の味わい」も感じることもできない。歴史からすらも切り離されている。「この像は1300年間、この町に立っているのです」だったら歴史を感じることもできるんだが、「これは734年ごろできました」というだけのことでは、それこそ「そうなのか、すごいなあ」で終わってしまう。

 平成館、本館、東洋館の展示を一通り見たけど、いずれも素晴らしかった。東京ってすごいなあ、悔しいなあチッキショウー。エジプトのミイラが無造作に置いてあったのにはビックリした。インドの古い仏像って当たり前だけどアーリア系のイケメン顔なんだなあ、とかいろいろ発見もあったし楽しかったでござる。

 結論としては、「夏はまた奈良に行こう!」といったところでありました。去年は東大寺に行って大仏を見たんだけど、良かった。もしあれを東大寺じゃなくって、東京国立博物館で見たとしたら、ああいう感動は味わえなかろう。土地も土も町も建物もすべて含めて味わいたいものだ。それに大仏を目の前にして、「拝んではいけないような空気」になるのは、僕は嫌だなあ。


(追記)
 などと書いていたら、「真の仏教徒は仏像を拝まないよ」ということを教えてもらいました。「釈迦は崇拝対象じゃないから」だそうで。そりゃそうっすね。でも、日本人はやっぱ、ありがたいものがあったらとりあえず拝みますよね。拝むっていうか、手を合わせるとまではいかなくとも、やっぱどっかしら敬虔な気持ちになるでありますよ。そういう気分すらはぎ取られてしまうのがやはりなんだか、居心地の悪い感じがしますよ、博物館。阿修羅像なんかは、元々はインドの神さまなわけだし、僕はすっごく拝みたい気になります。仏教徒でもなければ古代インド人でもなんでもないんで筋違いかもしらんですが、日本人はなんだって拝むのです。それが八百万の神なのです……ってこれはこじつけなのだろうか。ちなみに僕はありがたいものに対しては会釈程度の礼をするのが常かなあ。手を合わせるのは仰々しいし。


2009/06/06 まなびに頼らない

 田川ミ先生の『ドッヂ』とか、『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』とか、マイナーだけど素晴らしいものを僕は自分のできる全力を挙げてみんなに紹介しているつもりだ。それで長い長いブログも書くし、『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!徹底解析』なんていう、原稿用紙100枚以上にも及ぶコピー本も作った。そういう思いが誰かに届いて、「面白かった」「良かった」「正しい」「号泣した」などの感想が頂けたりすると、これ以上もなく僕は幸せな気分になるのである。
 僕はオタクだから、何らかの素晴らしい作品を通じてしか言いたいことを言えないのだ。でもいつかは、他人の作品に頼らずとも大切なことをちゃんと言えるような人間になりたいものだ。夢のほとんどをすでに叶えてしまった僕にとって望みといえばもうそのくらいのものである。がんばろう。
 その第一歩が『たたかえっ! 憲法9条ちゃん』であるというのも、なかなかに面白いような気もする。

2009/06/05 地元に金を落とし680円の定食屋を守ろう。

 最近の趣味はといえばもう、「地元にお金を落とす」これです。単純に毎日料理をするのが億劫だというのもあるのだが、近所の飲食店がうますぎるからいけない。しかも安い。多い。主に行くのはうどんの「吉見うどん」、そばの「新富士」、カレーの「アイキッチン」、中華定食の、えーと、店名知らない。他にもいろいろあるんだけど、まぁとにかくですな、うちの近所は素晴らしいお店がたくさんある。
 吉見うどんは520円で具だくさんの手打ちうどんが食べられる。死ぬほどうまい。
 新富士は680~700円くらいで丼もの+そばのセットが。満腹。
 アイキッチンは昼行くと650円でカレー+サラダ+ナン・ライス食べ放題。今日も行ってきたのだが、通いすぎてもう何も言わなくてもナンのおかわりが自動的にやってくるようになった。店員は全員ネパール人で、帰り際に「アリットゴザッマース」と言ってくれる。心があったかくなる。
 中華定食のお店は640~670円の日替わり定食がオススメ。うまい。夜十一時までやっているので、九時すぎたらここに行く。

 このような、600円台で十分な量のうまいご飯が食べられるようなお店を潰さないためにはどうするかというと、どうしようもないので、とにかく食べに行くしかない。一緒に食べに行ってくれる人大募集。練馬区富士見台で僕と握手。ご飯を食べたら、喫茶店「HIRO」で世界のコーヒーを飲みながら談笑しましょう。お土産には「うさぎ屋」のどら焼き(ちゃんと富士見台銘菓と焼きが入っている)か、アイキッチンの隣で売ってる十円まんじゅうがオススメです。夜は「春乃屋」か「ゴジゴジ」あたりで飲みましょう。

 吉見うどんなぞ、原料高の折にも値上げをせずに、「箸ぶくろとサービスゴマをなくす」という苦渋の選択をして「お値段据え置き」を実現させている素晴らしいお店なのである。箸ぶくろとゴマを復活させるために、食って食って食いまくらなければならない。ちなみに帰りに隣の八百屋「タマキ」で買い物して帰るのが常。おじさんが声張り上げて売ってるので、ついついふらりと寄ってしまう。東京の田舎にはまだそういう商店街が生き残っているのだ。
 僕はもう、「近所のコンビニではアフタヌーンとアクション以外買わない」と決めて生活しており、できる限り百均にも行かない。地元のお店にお金を落とさなければ、その土地に住んでいる実感というものが湧いてこないのだもの。富士見台に住んで六年になるが、ここ二年くらいは特にそういうことを意識して生活している。スーパーのほうが安かろうがなんだろうが、商店街に行って買い物をするというのが、その土地に少しでも溶け込むための、余所者としての礼儀なのである。ずっとコンビニだの大手スーパーだので買い物をしていたら、いつまで経ってもその土地に馴染み、溶け込むことはできないんである。
 二年前というと大学を出て明確な「所属」というものを失ってぶらぶらしていた時期で、とても宙ぶらりんだった。そこで「そいじゃあ僕はどこに所属しているんだろうか」と考えたら、「そりゃあ今住んでいる富士見台というこの土地以外にないではないか」と思い立って、それまで以上に意識して富士見台でお金を使うようになった。勇気を出して近所の飲み屋に入ってみたら、八四歳のママがやっているとても安くて雰囲気のあるお店で、常連さんたちも余所者の僕を暖かく迎え入れてくれたりなんかして、楽しい富士見台ライフを送っているのことよ。

 番外編として、世田谷区粕谷の「木村屋」というパン屋と、歌舞伎町の「シディーク」というカレー屋も、最低でも週に一回は行っている。木村屋のおばちゃんとはもうすっかり顔なじみで、朝寄って天気の話なんかしてお昼ご飯を買う。パンの耳がただでもらえたり、夕方には二〇%オフになって、しかも余ったパンがタダでもらたりするので、仕事の帰り道なんかにもよく行く。絶対につぶれてほしくないんである。今の仕事をやめてしまったら、木村屋にもそうそういけなくなるので、寂しいんである。引っ越すならこのへんがいいなあと思うほどである。
 シディークは木曜の無銘喫茶がはねた後に毎週必ず行く。もう何年も通い詰めているお店だ。チェーン展開しているお店だけど、歌舞伎町店の独特な雰囲気はほかの店舗にはない。シディークが好きというよりはシディーク歌舞伎町店が好きなのである。チラシのデザインがずさんなところも愛らしい。本当に愛らしい。
 もし殴られてそうな子供がいたらすぐ俺に言え。

2009/06/04 ライジンオーと僕

 僕は「世の中で最も尊敬する人」と、「友達」になった経験があるような人間だから、そういうことはちゃんと知っているのである。
 小学生の高学年の時に『絶対無敵ライジンオー』というアニメを好きになって、中学一年の冬休みには、貯金とお年玉との合わせ技でLD全巻セットを、LD本体と合わせて買った。Amazonもヤフオクもない時代で、新品もすでに在庫切れだったため、浄心(名古屋市西区)の中古屋で偶然見つけた時は狂喜したものだ。値段は確か、46400円であった。LD本体は34000円で、これは当時としては破格である。もちろん、『ライジンオー』を見るためだけに買った。キチガイである。しかもOVAは別で集めたので、相当のお金がかかっている。一応言っておくが我が家は完全なる中流家庭である。少なくとも裕福ではないし、「買って」と言えば何でも買ってもらえるような方針でも当然なかった。小学六年生の時のお小遣いはもちろん、月に600円である。中一になって1000円に上がったが、これは当時の中流家庭のごくごく平均的なお小遣いだったのではないかと、思う。なので、『ドラえもん』でいうところの「コーラものまずクリームもなめず」といったような涙ぐましい努力をして、ようやっと購入に至ったんである……というと美談のようだが、実をいえば僕は『ライジンオー』に出会うまでは本当にお金を使わない子で、古本屋で漫画を買うくらいのものだったので、毎年のお年玉が積み重なってそれなりの大金になっていたのだ。僕にとって、初めてした万単位の買い物というのがこれだった。『ライジンオー』に関しては、CDを二枚(ボーカルコレクションの2と3)、たまたま父と一緒に行った大須のレコード屋で買ってもらったくらいで、ほとんど自分のお小遣いやお年玉や貯金から捻出していたのである。恐ろしいことに、どのCDをどこで買ったか、というようなこともほとんど覚えている。我ながらこわい。
 ところで読者の中には「LDを知らない」という人もいるだろうが、レーザーディスクである。DVDのでっかいやつである。昔そういうのがあったのである。以上。
 CDやムック本などもほとんど集め、愛し、覚え、中学二年生くらいの頃には「日本で何番目かにライジンオーに情熱を注いでいた中学生」だったのではないかと推測する。ライジンオーの放映が91年で、僕が中二というと98年のことだから、そのころにはみんな『エヴァンゲリオン』のほうへと動き出していて、『ライジンオー』のようないかにも子供向けといったアニメはあまり顧みられなくなっていたのである。
 話が前後するが確か小学校五年生から六年生にかけて、地元のテレビで『ライジンオー』の再放送がやっていた。つまり95年から96年にかけてのことで、奇しくも『エヴァ』の本放送と同時期であった。僕は91年の本放送も見ていたけれども、幼かったが故にまだその魅力を完全に理解するには至らなかったのだが、再放送を見て「こんなに魅力的なものがあったのか」と感動したものだ。もちろんビデオ録画をしたのだが、6話くらいから見はじめたので「どうしても映像全巻セットが欲しい、OVAも見たい」とずっと思っていたのだ。
 しかしそう簡単には手に入らず、仕方なく守山区の古本屋(これも完璧に覚えている)で『絶対無敵ライジンオー』の小説版全三巻を買って、それを読んで、完全に打ちのめされてしまった。面白かったのである。それが小学六年生のころ。
 ハッキリ言って、この小説版『絶対無敵ライジンオー』について語ったら何時間かかるかわからないので詳細は省くが、これは本当にすごい作品であった。著者はテレビシリーズのシリーズ構成と脚本を担当した園田英樹さんで、原作の味をうまく生かしながら、原作にはないSFな味付けをして、原作では姿を潜ませていたメッセージ性を協調し、まだ幼かった僕にドカーンと衝撃を与えたのである。特に、「大人とはどういうものであるか」という巨大なテーマは、その後の僕に本当に多大なる影響を及ぼしたのであった。
 それで僕は、この園田英樹さんという人を崇拝しだしたのである。この頃の僕の頭の中には、園田英樹さんと、小学四年生の時に生まれて初めて読んだ文庫本『魔動王グランゾート』の著者である広井王子さんのことしかなかったような気がする。今思えば、本当に気持ち悪く、しかし果てしなく正しい子供であった。
 崇拝の結果、どうなったのかといえば、なんと小学校の卒業文集に『ぼくにとっての園田英樹』という作文を書いてしまうほどになったのである。内容については、恥ずかしすぎるのでここでは書かないが、今思い出しても感動的で、素晴らしい内容だった。しかし、当時の担任の先生というのが、「あのさあ、卒業文集なんだから学校に関することを書きなさい」というようなことを言って、この名エッセイを没にしたのである。僕は泣きながらどうでもいいような文章を書いて、それが卒業文集に載せられた。この恨みは今でも忘れていない。なぜあの文章を抹殺しようと思ったのか、僕には理解できない。アニメの話を書いたからであろうか? それで外聞を気にしたのだろうか? 当時の僕には一切理解できなかったし、今だって理解できない。なぜ子供が、自分の生徒が全身全霊を、熱い魂を込めて書いた文章を、あっさりと没になどできるのだろうか。しかも一言も褒めることもなく。わからない。ぜーんぜん、わからん。
 今でも、「自分に最も影響を与えた小説」といえば、岡田淳先生の諸作(児童書)と、『魔動王グランゾート』と、『絶対無敵ライジンオー』と答えるしかないのである。非常にガキっぽくて、オタクくさい話ではあるが、残念ながら、そして誇らしいことに、僕はそのような人間なのである。
 で、昨日僕は、園田さんに縁のあるという人と偶然、知り合った。人生というのはそういうものなのだ。

2009/06/03 起きて華倫変『忘れる』を思い出す

 やっばい無気力症候群。2日で30時間くらい寝てしまった。僕はだいたい嫌なことがあると「寝る」という行為でしか発散できないのである。もう寝られない、もうこれ以上は眠れない、というところから一歩進んで頑張って寝ると、ようやくいろいろなことを、忘れられる。
 華倫変の漫画で、「よく眠る人は厭世的である」というようなことが書いてあった。僕はハッキリと厭世的ですね。「現実から逃げる」方法というのは、ほとんど「眠る」ということ以外には実は不可能なもんで。
「うわー寝過ごした」ってことさえなければ、「眠る」は完全に現実から切れるためのほぼ唯一の方法だと思う。つっても僕にとってそれが理想というわけではなくて、やっぱり「現実から切れて二人だけの世界に逃げ込む」がいちばん楽しいわけなんだけど、そういう相手のいないときはやっぱり眠るしかないですな。
 寝過ぎてやるべきことを何にもやっていない上に、まだ完璧に忘れられたわけではないらしいのが、きつい。あと50時間くらい寝たい。
2009/06/02 

 ブック・レビューを依頼されて、橋本治の『青空人生相談所』についての書評を書いたのだが、そこにあった(本書中にも出てくる)とある単語が「不適切」として原稿が没になった。また「著作権法の関係から、引用はなしで」とも言われた。仕方ないので『青空~』はやめて『日本の行く道』という本についての書評を一から書いた。
 一昨日ここに書いたことに関連するが、「本質は必ずしも優先されない」ということがよくわかる。「事なかれ主義」ということでもあるんだけど。べつに僕は文句を言いたいわけではさらさらなく、むしろそういう気を遣えなかった自分を反省している。(実のところ、「きっと没になるだろう」って思いながら書いてたんだけど。)
 眠いので、うー。また余力あったら。

2009/06/01 『ど根性ガエル』に見る中二の恋愛/植芝理一先生の恋愛観

 僕が『ど根性ガエル』で最も素敵だと思うのはひろしと京子ちゃんの関係だ。昨日書いたように京子ちゃんはゴリライモが自転車を手に入れたらそちらへホイホイついて行ってしまうような女だし、ひろしは女好きである。
 この二人は、べつに付き合っているわけではないのだが、しかしお互いに好意を持っていることは明らかで、よくお互いに嫉妬し合っている。京子ちゃんがゴリライモにホイホイついて行ってしまうのも、ひろしを嫉妬させたいからだったのかもしれない。
 植芝理一先生が『謎の彼女X』について、「男女が一つの部屋に泊まった場合、大学生ならやっちゃうだろうし、中学生ならたぶん、今は知らないけど自分の価値観ではやらないと思う。でも高校生だと“わからない”。だからその辺の時期を描きたかった」というようなこと(ソースが見つかったらまた正確に引用します)を言っていた。『ど根性ガエル』っていうのは、その「やらない」であろう時期の恋愛のみずみずしさ、若々しさ、初々しさを描いたものなのである。中学二年生のひろしと京子ちゃんは、あんなに惹かれ合っているにもかかわらず、絶対に「やらない」し、それどころか「付き合ってすらない」のである。
 植芝先生の言葉を参考にして言えば、「男女がお互いに好意を持った場合、高校生なら付き合っちゃうだろうし、小学生ならたぶん、付き合わない。でも、中学生だと“わからない”」なのである。この、“わからない”という微妙さが、たまらないのである。やきもきするのである。かわいらしいのである。僕はそのような「微妙な感じ」が好きだ。「やっちゃうだろう」とか「付き合っちゃうだろう」なんていう身も蓋もない年代を迎えてしまう前の、甘酸っぱい段階が本当に好きだ。だから僕は『ディスコミュニケーション』や『謎の彼女X』や、『ど根性ガエル』を愛しているのである。
 このことをもっと完璧に語るには“昭和三十年代あたりの中学生の恋愛がどのようなものであったか”ということも関係してくるだろうと思うので、ちゃんと調べてみようと思うが、今日はちょっと時間がないのでこのあたりで……。

2009/05/31 『ど根性ガエル』に見る教師と生徒

 このサイトが始まったのは2000年の7月11日。きみは何歳だっただろう?
「きみ」というのは、幸か不幸かこのページを発見してしまったあなただ。(ネットのこういう使い方を意図的にするようになるとは、僕も色々と変わったのだなあ。)
 さっきmixiを覗いたら、早速「きみ」から足跡がついていた。きみのマイミクはたった一人。mixiはまだ招待制のはずなので、この人に招待してもらったのであろうが、これがまた「まったくその子との繋がりが見えてこない人物」だった。まるで「ジャッキーさんのページを見るためにあんまりよく知らない人からmixiに招待してもらいましたよ」と言わんばかりである。どんだけジャッキーさんのこと好きなんだよ! 実際はネット友達か従兄弟かなんかなのかもしらんけどもね。それにしても、きみはmixiをやってはいけないはずなんだけどなー。

 僕は『ど根性ガエル』が好きである。
 唐突なように見えて実は唐突ではない話なので、まぁまぁ聞いてくださいよ。
 僕が好きな『ど根性ガエル』は、1972年に始まった「旧テレビアニメ版」である。原作も好きだが、旧アニメ版はとにかく大好きだ。心の底から愛している。だから僕のことを愛しているもしくは愛そうと努力している人は、『ど根性ガエル』のことを知らなくてはいけない。じゃあそうじゃない人にとっては別にどうだっていいようなものなのかといえば、そうでもない。すべての日本人が今ふり返るべき作品である。
 確か中学一年だか二年だかのころに毎朝八時から再放送がやっていて、全部見ていると遅刻してしまうので、ギリギリまで見て家を出ていた。学校から帰ったら、録画しておいた『ど根性ガエル』を見るのが楽しみだった。

 カエルのピョン吉が公園(東京都練馬区の石神井公園がモデル)にほど近い原っぱにいたところに、地元の中学生ひろしが小石につまずき倒れこんで来て潰されてしまうが、なぜかピョン吉はひろしのシャツに張り付き、「平面ガエル」として生きていくことになる。しかも、人間の言葉を理解し、ひろしに意見したりもする。東京の下町を舞台に、ひろしのガールフレンド京子ちゃん、教師生活25年の町田先生、美人教師のヨシ子先生、寿司屋の板前・梅さんらがドタバタ劇を繰り広げるほのぼのした生活ギャグ漫画である。

 とりあえずWikipediaのあらすじを貼ってみた。昨日の日記で僕が「石神井公園」と書いたのは、これに深~く関連する。そもそも僕が練馬区の、石神井公園のほど近くに住んでいる理由の一つでもある。(富士見台を選んだのはドラえもんの舞台「月見台」のモデルであろうと思ったから、というのと、あの「虫プロ」があるからである。)
 上のあらすじは、とりあえず引用をしてみたものの、「旧テレビアニメ版」を語るにはちょっと不完全である。なぜならば、ここに旧版での最重要人物の一人「南先生」の名前がないからである。
 Wikipediaによれば南先生は、

 ヨシコ先生に惚れていて、梅さんとは恋敵。人がよく柔道も強く頼りになるが(自称「空手4段・柔道5段」)、若さ故かひろし達と一緒に騒ぎを起こす。お化けが大の苦手で、学校に宿直する度にひろし達のいたずらの餌食となる。男前だがガニマタ。ボロ車「ブロラン号」で通勤する。アパートは「ごりっぱ荘」。自室はかなり汚い。

 だそうである。まぁ、だいたいこのようにイメージしていただけたらいいと思う。ここにあるように南先生は「ひろし達と一緒に騒動を起こす」ような先生で、特によし子先生のこととなると目の色が変わる。すると決まって梅さんも加わって、それでハチャメチャな展開になっていくというわけだ。

 また話が変わるようで実は変わらないようなことを書くのだが、僕が『ど根性ガエル』を好きな理由は「ここに人間社会の正しい在り方がある」と思うからである。このことを詳しく言うとあと五時間ぐらいかかるので、どのくらい書こうか悩むのであるが……。

 えーと。このアニメの舞台っていうのは、明らかに「昭和三十年代前後」で、おそらく1972年(昭和47年)の視聴者が見てさえ、「ああ、懐かしいなあ」って思うような時代設定だったと思う。都会に住む人だったら特に。つまり、『ど根性ガエル』は、放映時からすでにレトロだったのだ。(ゆえに、ヒットしたのだと思う。)
 僕は自転車が好きなのでその話をすると、『ど根性ガエル』には「ゴリライモが懸賞で自転車を当てる」という回がある(第89話 クイズで自転車を当てようの巻)。すると京子ちゃんは「じゃあねひろしくーん」とかなんとか言ってゴリライモの自転車の後ろに乗ってデートにでかけてしまうし、ひろしたちはそれを見て羨ましがり、悔しがるのである。『ど根性ガエル』の時代には、まだ自転車は「中学生にとっての憧れ」だったわけだ。
 で、自転車好きとして妄想を膨らませてみるとこのときにゴリライモが乗ってる自転車ってのは、これじゃないかと思うのだ。「昭和30年代初期 昭和30年創業の東叡社が製作した日本における本格的なサイクリング車の先駆けともいわれている名車」だそうで。
 ほかにも、「原っぱ(空き地)」がまだ存在していたり、道路がろくに舗装されていないようなところを見ても、これが昭和47年前後だとは思えない。それにね、未亡人であるひろしのお母ちゃんがどんな仕事してるかっていうと、やっぱり「着物の仕立て」なんだなーこれが。(詳しくは橋本治『貞女への道』「十五 貞女の針仕事」を読むべし!)そういう時代。
 そういう時代で、おそらく「建築基準法」がまだ今ほどの悪法ではなくて、そして人々はまだ「人間関係」の中に生きていたのだ。

『ど根性ガエル』の登場人物たちは、全員が全員、「人間関係」という絆で結ばれている。すべての人物同士の間に、愛情があり、友情があり、人情がある。詳しい説明は省くが、とにかくもー、そうなのである。ひろしたちと先生たち(町田、南、よし子)の間にも、「教師と生徒」という「制度」とは別の次元で、それぞれに「関係」が結ばれている。だから南先生は「ひろし達と一緒に騒動を起こす」にもなるし、「ひろしたちが南先生のアパートを訪ねる」(そういう回があるのだ)にもなる。で、このことが僕をして「『ど根性ガエル』を愛している」と言わしめるわけね。

 だってさぁ、「先生の家を訪ねる」なんてこと、今の子たちはしないわけでしょ? 僕の場合は、高校のときに部活の顧問だった先生(僕は先生なんて呼ばずに「さん」付けしてるんだけど)だけは例外で、在学中も、卒業後も何度かお宅にお邪魔したことがあるのだが、その人だけだったね。あとは高校の英語の先生と一緒に落語を聞きに行ったくらいかなぁ。家には行ってない。この異常な僕でさえそうなのだから、普通の人って、「学校の先生の家になんて一度も行ったことがない」って人が多いんじゃないか?
 金八先生なんか見てるとたまにそういう場面があったりするんだけど、あれってやっぱり例外でしょう? 金八っつぁんが既婚者だからまだいいけど、もしも独身者だったらきっと今なら問題になる(しようと思えばできてしまう)わけじゃない。
 なんかね、暗黙のうちに「教師と生徒が仲よくしてはいけない」っていう空気が、できてるような気がするんだよね。僕だって、基本的に生徒にメアドは教えない。大学でも「そうしろ」と教わったし、教育実習でも「そうしろ」と言われた。だから僕は、たぶん必要以上に怯えている。「サイトがバレたらまずいんじゃないだろうか」という発想をして、一年近くもここを放ったらかしにしておいたのも、それが故である。でもねぇ、『ど根性ガエル』のことを思うと、あるいは高校の顧問の先生のことを思うと、「おかしいな」って思うんだよ。教師と生徒の間に、「制度」以外の関係があったって、別にいいじゃないかってねえ。
「教師の淫行」みたいなニュースが連日報道されるから「教師と生徒が仲よくするのは、なんだかあやしい」っていう話になってしまって、僕の思考もそのように動いてしまいがちなんだけど、冷静に考えるとそれは、小沢健二さんが『うさぎ!』で言っているような、「人と人とを切り離そうとする」何者かの透明な意図であるようにしか思えないんだな。
 教師が特定の生徒と仲よくすると、「えこひいき」と言われたり、異性だったら「淫行の匂いが」なんて思われてしまう。(いやホントに、そういう考え方をする人がけっこういるんだって!)でもそれって、「教師と生徒とはビジネスライクな関係を演じ続けなければいけない」ということでしかなくって、そうなると教師の、または生徒の「人間的な感情」を否定することになってしまう。そんなんやだ、って、僕は思ってしまう。

 僕のように年が若いと、んでまた人なつっこいと、そしてどうしようもなく魅力的であると(!)、「友情が成立してしまう」相手が、どうしても何人かできてしまうのよ。んでも、どっかでそのことにブレーキをかけてしまうんだな。「生徒と仲よくしてはいけない」という考え方が、やっぱり教育学部の授業とか、教育実習とか、あるいは「世間の声や目」によって、すり込まれている部分がある。

 この一年は、そういうふうにある程度ブレーキをかけながら、おっかなびっくり、やってきたんですよ。でもねえ、去年の三年生が高校に上がって、「はい、もう私は中学という制度から離れました。だから中学という制度の中にしかいないあなたとの関係は、もう切れています」と言わんばかりに、彼ら彼女らとの関係が一切なくなっていくというのは、やっぱり寂しいもんだ。世の中の教員っていうのは、長く勤めれば勤めるほど、「そういうもんだ」と思って、半ば機械的に生徒を送り出していくようになると思うんだけど、でも、僕はなんだか、「そういうもんか?」って思っちゃう。

 これはひょっとしたら「プロ意識の欠如」とか「威厳の放棄」とか言われて、「だから教育は退廃してるんだ」にまで発展してしまうことなのかもしれないんだけど、「そういう教育の在り方ってもんを考え直してもいいんじゃないの?」という考え方に、僕はなってしまうんである。「現実的じゃない」なんて批判は、いらんよ。僕は「どうしたら理想を実現できるのか」は考えるけれども、「この理想は現実的でない」なんてバカげたことは、考えない。

 先日、中間テストの時期に、高校に上がった去年の教え子が「国語を教えて」と僕のところを訪ねてきた。これほど嬉しいことって、ないね。高校の先生よりも僕のことを信頼してくれたんだもんね。その時にたぶん、思った。「こういう在り方ってすっごい正しいんじゃないか」と。
 僕自身、中学の先生と卒業後に会ったことはほとんどない。高校一年生の時に一度だけ、中学を訪ねたことがあるのだが、その時に「おや、こいつはもう中学という制度の中にはいないはずなのに、どうしてここにいるんだ?」というような目で見られ、非常に雑な対応をされたため、それから二度と、中学には行っていない。そういうふうに、凝り固まった「制度」という関係しか存在しないような世界って、やだ。

 上にも書いたとおり、『ど根性ガエル』の世界には「制度」以外の関係がちゃんと存在しているのである。ひろしが中学を卒業して、南先生やよし子先生と仲よくしているかどうかはわからない。でも、梅さんがよし子先生を好きである以上は、どこかで関係は続いていくだろうし、南先生もよし子先生もなんだかいっつも町中をウロウロしているような感じだから、やっぱりどっかで顔を合わせたりするだろう。まぁそのことはどうだっていい。とにかく中学二年生のひろしと、「先生たち」の間に存在するのは、「教師と生徒」という制度上の関係だけではないのである。重要なのはそこだ。僕はそのような在り方こそ、「正しい」と思う。
 夫婦とは「セックスのある友情関係(であるべき)だ」という意味のことを確か誰かが言っていたが、夫婦が「セックスしかないような関係」だったら、それは「制度上の関係でしかない」ことになる。それは恋愛でも同じだ。僕はセックスだけの恋愛なんてしたくはない。
「制度上の関係しかない教師と生徒」というのは、「セックスしかしない夫婦や恋人同士」と同じように、味気ない。(僕はまたひどいことを言っている。)

 そういうことを考えるから、僕は「友達」と、石神井公園でバードウォッチングがしたいというんである。
 その時には僕はきっと、『ど根性ガエル』がいかに名作か、なんてことを熱弁するのであろうなあ。

2009/05/30 ジャッキーさんが帰ってきたよ

 全国50人のジャッキーさんファンのみなさんお久しぶりです。また何か書きます。

 インターネット上に、「ジャッキー」としてものを書くことがしんどくなって久しいです。矢崎隆雄くんはじめ、幾人かの僕の分身たちは元気にやっているのですが、肝心のジャッキーさんはもうなんか、ダメっすね。

 初めて明かしてしまいますと僕は現在中学校の先生をやっておりますので、あんまり滅多なこと書けない、ってのもあるんですよね。正直言って、矢崎隆雄くんが書いているようなことを学校の先生が書いてたら、ちょっとヤバイわけですよ。いくら僕の勤務先がリベラルな私立中学だからって、さすがに心証よくないっすよね。

 まぁ、学校名を出しているわけでもなければ、本名でやっているわけでもなく、さらに矢崎隆雄くんが書いているのは「詩」という、特に言論の自由が認められやすい「文学」という畑に(曲がりなりにも)属すジャンルのものでありますんで、あれで怒られるような筋合いはないんですけども、世の中にはそういう理屈が通じない人たちもいらっしゃいますから、念には念をって感じで。本名で検索して2,3回ジャンプしたらここにたどり着けてしまうっていう状況もちゃんとあるわけだし。

 しかし僕はね、それでも開き直ることにしましたよ。もうなんだって構わんよ。逃げたり隠れたりすんの、もうイヤだ。ジャッキーさんが「守り」に入ってたら、全国50人の(いやー実際は何人くらいいんだろうね?)ジャッキーさんファンががっかりすんもん。
 最近、小説を書きましてね、ええ。処女作ですよ。それを同人誌として出しました。サークル名は「ノンポリ天皇」。タイトルはずばり、『たたかえっ!憲法9条ちゃん』。文庫本で200ページ弱。それまでに書いた最も長い小説が原稿用紙20枚だから、頑張ったと思うっすよ。「まさかジャッキーさんに本一冊書き上げるだけの根気があるとは思わなかった」って、友達にまで言われたもの。
 僕はべつに左翼でもなければ右翼でもないし、「護憲派」でも「改憲派」でもなくって、「憲法9条を変える必要ってのはなんなの?」なんて、とぼけているような状態を信条としている人です。それがゆえの「ノンポリ」と「天皇」と「憲法9条」の同居なわけです。
 僕は、わからないことは「わからない」と言いたいんです。「わからない」以上は、慎重でいたいのです。だから『たたかえっ!憲法9条ちゃん』は、あのような小説になりました。(これは読めばわかるんですけど、残念ながら増刷するまでは品切れでお売りできません、すいません)

 正直に申しまして『9条ちゃん』という小説は、下ネタ満載で放送自粛用語も連発の、サイテーな作品です。でも、僕はこんなサイテーな作品を心から愛しているし、僕が「正しい」と信じている価値観が、時に直截に、時に逆説的に、時に韜晦しながら詰め込まれています。僕は作者ではなくって、あくまでも書いたのは「芝浦慶一」という人ということになっているので、「ジャッキーさん」という第三者の立場からちょっと「謙虚でない」こともあえて言ってしまいますが、『9条ちゃん』は、ちゃんとその本質を読みとっていただければ、「サイテーな作品」ではなくなるようになっています。作者はそのように努めました。「使われている単語」は確かに、時に卑猥であったり、時に差別的であったりしますが、それは単に面白半分でやっている「だけ」ではなくって、そのことを通じて訴えたいことというのも、その奥にちゃんとあるのです。それは、「バカにはわかんねーだろーけどさ」です。
「きちがい」という言葉が出てきただけで「差別語です!」なんてキーキー言うような単細胞な人は、どうぞ『9条ちゃん』を糾弾してくださいよ。(もちろん、糾弾されるほど有名な作品にはならないと思いますけどもね。あー、糾弾されたい。)もしもその糾弾が「文脈」を無視してただ「言葉」だけを問題にしているのだとしたら、僕はちゃんと、何らかの形で「バーカ」と言います。

 あー、もう、スッキリした。「僕は僕だ!」と言えることって、やっぱり気持ちいいなあ。正確に言うと僕の場合は「これら、全部、僕だ!」なんだけどね。「どんな僕だって僕なんだよ!」って言えるような状況は、本当に開放的だ。学校の先生になってから一年間、ズーッと僕はそれが言えないでいて、けっこうでっかいストレスになっていたんだけども、それがようやく解消した。来年の三月までは同じ職場にいるはずなのだが、これが何らかの原因となってクビになったりとか、来年の契約がご破算になったりとかしたら、困るけど、面白い。「ああ、やはり本質というものは優先されないのだな」ということがわかって、勉強になるだろう。
 一年。そうだねえ、6月1日で一周年なんですよ。
 おい、そこの、本名で検索して来やがったやつ。そうそうお前だよお前。一年間ありがとう。学校で会ったら、ニヤニヤしながら「ジャッキーさん」とでも呼んでやってください。んで、一緒に石神井公園でバードウォッチングしようぜ。

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