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12月7日
2004(火) アッガイ・スイートピー
認識は入れ子のようだと思ってきた。
気持ち良いと思っている自分を認識している自分を認識している自分を認識している自分を認識している自分を認識している自分を…
そのように。
過去にそれを「レベル」という言葉であらわした。
気持ちよいと思っている自分がいて、それが基礎になる。
それを認識している自分。これがレベル1。
レベル1の自分を認識している自分がレベル2で、レベル2の自分を認識している自分がレベル3というわけ。
「認識」という意味不明な言葉を使うから混乱する。
しかしそうせざるを得ないのは、そういう言葉でひと括りにでもしない限り表現できないくらい面倒臭い考え方だから。
複雑ということと思う。
更新というものとも似る。
恋愛している自分。それを恥ずかしいと思う自分。しかし恋愛の価値に気付きその恥を払拭する自分。恋愛の儚さや脆さや相対性を知り嫌悪する自分。もう恋なんてしないと思う自分。それでも恋をしてしまいもう恋なんてしないなんて言わないと絶対と思う自分。そういうふうに二極のあいだをフラフラしている自分を嫌悪する自分。開き直る自分。
こんな経験は誰にでもあるんじゃ。
つまり自分を俯瞰的に観る視点のこと。自覚と言い換えてもいい。
やがて現在自分のことを俯瞰的に観ている自分を否定する自分が現れる。
するとそいつが頂点となり、新しい支配者となる。
演劇が気持ち良いと思う。
その自己陶酔に気付く。
陶酔していることが格好悪く思えてくる。
陶酔している他人を嫌悪する。
自分は陶酔していないと主張する。
やがてそういう主張をすることが格好悪く思えてくる。
そういう主張をしている他人を嫌悪する。
さて、その先は。
行き場がない、限界が来た、入れ子だの更新だのっていう考え方では賄いきれなくなってしまうほど超スピードで加速する脳細胞。
で、ぼくは「正直」っていうところに辿り着いた。
がそれすらも揺らぎ始めている。
遅れてきた思春期?
はやく
なにか、新しいツールを!
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