何度も何度も『稲武』へ行った。得体の知れない魅力があって。
3回目、初めて自転車でそこへ行ったときのことを、書きます。








「今日、稲武へ行くよ」
名古屋市立向陽高校1年3組の教室で、唐突に言った。
みんな、驚いた顔をしていた。
愛知県稲武町には、名古屋市の施設(野外教育センターと野外学習センター)があり、名古屋市内の中学2年生と、名古屋市立に通う高校1年生は、だいたい春から夏にかけて、この地方に赴く。
我が向陽高校も例外ではなく、僕たちは5月にそこへ行って来たばかりだ。
驚くのも、無理はない。稲武町というのは、愛知県の北東、長野県との県境に位置する山奥の町である。
対して、名古屋市というのは愛知県全体から見ればずっと西だ。
貸し切りのバスでも数時間かかり、そのうえ、上り下りの激しい山道である。
その日、9月20日水曜日は平日であり、勿論その翌日、木曜日も平日。
僕の突拍子もない発言に、みんなは開いた口が塞がらない様子であった。
実はこの発言、唐突に思いついた、と言うわけではなく、ずっと前から計画していたことであった。
いつかは、自転車で、稲武へ行くんだ、と心に決めていた。
明確な理由は、多分なかった。
その日、9月20日が、たまたまとある事情で部活がお休みであり、そして、我が母校である大曽根中学校の2年生の生徒達が、ちょうど稲武野外教育センターに行っているということ以外には。

友達は、初め冗談だと思っていたようだが、僕があまり真剣に言うので、彼らも真剣に考えてくれた。持つべきものは良い友だ。
特に、旅行好きで地理に詳しいSというやつは、頼りがいがあった。
「本当に行くの? 知らないよ、夜は真っ暗で、前も見えないと思うよ」
Sはこんなことを言って、僕を怖がらせたが、それは僕の意志を試しているようにも見えた。というより、勝手にそう思ってみた。
しかし、Sの言うことはいちいち説得力がある。
「国道を走っているうちはいいけどね、県道に入っちゃうと、もう何も見えないよ。分かれ道があっても、見えないかも知れない」
地理に詳しいSに僕は、色々なことを聞いた。
「猿投グリーンロードを使おうと思うんだけど、自転車は通れたかな」
Sは、しばらく考えて、「うん、通れるよ。覚えてる、確かに歩道があったよ」
Sの言うことは、いちいち説得力がある。僕は彼を信じて、地図を見ながらルートを決定した。
Sはこの夏に北海道に1週間の旅行をした。
その際に、自宅との連絡のため持たされたプリペイド式携帯電話の残高がまだかなり残っているというので、貸してくれた。
もう数日で期限が切れるのだそうだ。いくらでも遠慮なく使って、とSは言った。

授業が終わったのは、15:05。だが、すぐに出発というわけにはいかない。STといういわば「帰りの会」のようなものがあって、先生のお話を聞かなければならない。僕の体はうずいた。何がなんでも明日の8:30には同じように、ここにこうして座っていなければならないのだから。
STが終わり、走って自転車置き場へ行く。荷台に荷物をくくりつけるゴム、などという代物は持ち合わせていないので、マウンテンバイク特有の、前輪の上についている小さな台の上に鞄を載せ、リュックサックのかつぐ部分や、ひも状になっている部分、果ては番号式のチェーンキーまで駆使して、何とかくくりつけようとした。だが、どうもうまくいかない。そうこうしていると、友達が見送りに来てくれたような気がするが、良く覚えていない。とにかく僕は焦っていた。1秒でも速く出発しなければ、と思っていた。この焦りが、後の疲労の原因に繋がるのだ。
15:20、僕は出発した。
とにかくめいっぱい漕いだ。もちろん制服のままである。ただし、荷物はほとんど、教室に置いてきた。鞄に入っているのは、デジカメと、小さな懐中電灯と・・・それくらいである。この時点では、僕の稲武に対する認識は、かなり甘かったと言える。
全力で走った。名古屋市昭和区から北東へ進み千種区へ入る。大通りに出たら、東に向かってひたすら走る。有名な東山公園の辺りからは、なかなか傾斜のきつい上り坂が続く。ここで体力を使いすぎたのが、今回の敗因なのだ。
名東区に入り、目印である高速道路の所で、道を間違えた。一本道だからと甘く見ていたら、いりくんだ交差点になっているところがあって、高速に沿って進んではいけないところを、間違えて進んでしまった。こんな所からも、僕の焦りが見えるし、ここから先の焦りを更に強くさせることにもなったのだ。
ここら辺りで、相談に乗ってくれた人や、噂を聞きつけたりした人から、メールや電話をもらった。みんな、心配してくれているようだが、共通しているのは好奇だ。誰もがこの旅行を楽しんでいるように見える。ある意味、僕は本望だった。
気を取り直して名東区を抜け、長久手町を猛スピードで走り、そろそろ看板にも猿投グリーンロードの匂いが漂ってきた頃、コンビニに入って、DAKARAを買ったのを覚えている。これが猿投に入る前の最後のコンビニかも知れないと懸念してのことだが、そうでもなかった。
やけに道が田舎じみてきた。夏、歩道を自転車で通るには、ぼうぼうと茂った草が気になった。くっつき虫でもいやしないか。時には藪を抜けるような感じで、それくらい草が好き勝手生えていた。そんな場所を通るときは、わざわざ足を上げた。
しばらく田舎道を走ると、ついに猿投グリーンロードだった。初めは入ったのか入っていないのかわからなかった。他の道路と大きな違いが無かったからである。だがすぐに料金所が見え、安心すると同時に一抹の不安がよぎったが、自転車はお金を払わないで良いらしい。
猿投グリーンロードを理解して貰うためには、『ドラゴンボール』という漫画に出てくる【蛇の道】を創造してもらうと良いかも知れない。歩道は狭く、いささか曲がりくねっていて、上り下りの緩急が凄まじい。僕は、このグリーンロードに街灯というものがかなり少ないのを見て、小さな恐怖を覚えた。こんな道を帰り道、恐らく夜であろう時に通ると考えると、不安にならざるを得ない。前が全く見えないかも知れないのだ。そうなれば速度も落ちるだろう、朝までに、帰れないかも知れない。
それにしても、猿投グリーンロードの上下の激しさには閉口した。僕はこの時点で既に体力が限界に近づいていた。長い下り坂の後には、必ずもっと長い上り坂がある。幾つ目かのそれで、僕は耐えきれなくなった。なんとか峠まで登り切ってから、休憩を取る。
自転車を横に倒して、その場に座り込んだ。飲み物を飲んで、喉を潤し、デジカメで、我が愛車、轟天号と、周辺の風景を撮った。
13km程の、長い長い猿投グリーンロード。途中に、公衆電話があったので、入った。今思えば、Sから借りた電話を使えば良かったのだが、そんなことすら思いつかないほど疲労していた。
家に電話した。母が出た。心配をかけたくなかったので、「友達の家に泊まる」と嘘をついた。友達にも了解は取ってある。なんだか後ろめたい気持ちで公衆電話を出ると、すぐに僕の携帯電話に父の携帯から電話がかかってきた。
「どうしたんだ」「友達の家に泊まる」「稲武へ行くんじゃなかったのか」「・・・・・・」
父は全て知っていた。ホームページの日記を読んだらしい。
「今、どこにいるんだ」「猿投だよ」「道はわかるのか」「うん」「そうか・・・」
僕は父が何を考えているのかわからなかった。今すぐ帰ってこいと言われるかもしれない、もしそう言われたら、僕は拒否するつもりだった。それにしても、親にあの日記を読まれているというのが、今考えても恥ずかしくてならない。
「今回は特別だけど、次はないぞ。がんばれ。気を付けてな」
お父さんは甘い。今はこんなことを言っても、「次」だって同じことを言うに決まってる。僕は父に感謝した。
もしこの行為が不良だというなら、僕は、不良であることに人生をかけても、いいと思っている。
更に走る。走っていると、ランニングおじさんなどと何度か出会った。往復25km。ハーフマラソンに毛が生えた程度の距離だが、傾斜を考えると、平地のフルマラソンよりもきついかもしれない。更に走ると、標識があった。「この先3km下り坂」僕はげんなりした。帰り道にこの道を通るとすると、3km、上り坂になるわけである。
その長い坂を下ることは楽しかったが、心境は複雑であった。山あり谷あり、という言葉が思い出された。苦あれば楽あり、行きは天国帰りは地獄・・・嫌な言葉だ、とは、どうしても思うことができなかった。僕はこの時、歌を歌っていただろうか、覚えていない。
猿投グリーンロードにはいくつかの料金所が設けられており、インターチェンジも数カ所ある。普通は間違えて降りてしまうことはまず無いが、その代わり、右側を走っているか左側を走っているかによって、正しい道に行けず、ガードレールに阻まれて逆の正しい道へ出ることも出来ないことがある。そんなときは、自転車を持ち上げてガードレールを越える。これもまた僕の体力を消耗させた。
そのインターチェンジのひとつに、西広瀬インターチェンジというのがあって、そこの休憩所を通ったとき、妙なデ・ジャヴの様な感覚に見舞われた。何故であろうか。とりあえず、僕は疲労を回復させるため、そこで休むことにした。トイレに入ると、妙な感覚は解消された。デ・ジャヴなどではない、僕は以前に、もしかしたら何度か、ここに来たことがあるではないか。稲武へ行く貸し切りバスが休憩を取るのは、この休憩所に間違いない。僕は懐かしい気分でいっぱいになって、自販機で飲み物を買って、飲み終わると、ベンチの上に寝ころんだ。足は既にぱんぱんにむくれている。だるい。しかし、ここで引き返すわけにはいかないのだ。まだ、まだ・・・とにかく全然、稲武はまだ遠い。
僕はSから借りた携帯電話を出してみた。Sと話がしたくなったのだ。そのために、自転車で走っているときに友人PからメールでSの自宅の番号を聞き出しておいた。
長い休憩だった。30分近く取ってしまったのかもしれない。それを取り戻すべく、また自転車を漕ぎ始めた、幸い、ここより先は地獄のような坂はほとんど無く、比較的楽に最後の料金所を抜けることができた。
猿投グリーンロードを終えて、最初のコンビニは、個人営業のこぢんまりとした店だ。サンドイッチと清涼飲料水を買う。ここから先はのどかな田舎だ。豊田とはいえ、栄えているのは都心部だけである。特にこの辺りは、車の工場があるわけでもなし、ただ、古き良き、といった畑や田圃のある田舎風景が広がっているだけである。ちなみにここで国道153号線に乗り、稲武町まではこれに沿って真っ直ぐ行けばいいのである。
美しい田舎の風景も、ずっと同じであれば見飽きてしまう。猿投を抜けて、豊田を走り、足助に入ってからもしばらく同じ様な風景なのである。はっきり言って、面白くない。
西中金という名古屋鉄道の駅がある。最後の駅だ。これより先に、鉄道は走っていない。ここを過ぎると、もう引き返せない、という気持ちが強くなる。バス停はここから先も良く見かけるのだが、時間が時間なせいもあるのだろうが、僕は、足助及び稲武の町営バスというのを見たことがない。機会があれば、是非乗りたいと思うのだが。
足助町の中心部に近づくと、少しずつ風景が変わってくる。都会になってくるのだ。とは言っても、ビルやマンションが建ち並んでいるなんていうことは全くない。つまり、こんな田舎において「都会になってくる」ということは、単純に民家や店舗が増えてくるということだけなのである。
僕は足助町のスーパーのような店に入って、懐中電灯用の電池を買った。いよいよ辺りも暗くなってきて、これから山に入ることを考えると、非常に心細くなったのである。帰り道に猿投なんかで電池が切れたらおしまいである。その場で夜を明かさざるを得なくなる可能性も否めない。
足助町の中心部を過ぎると、もう山だ。ここから先、平地はほとんどないと考えて良いだろう。
この山というのがくせ者だ。なんせ、坂道なのだ。延々たる上り坂が続く。既に体力を使い切ってしまっている僕は、この山に完全にやられてしまった。
途中、何度も何度も休憩を取り、時に坂道は自転車を押して上がった。足が痛い。筋肉が自分のものではないみたいだ。
気力のみで進んでいる感じだった。幸い、街灯は多く、明るかったので、心細さが少しは和らいだ。
足助町はとにかく長い。中心街が西の方に位置しているため、山道が長いのだ。気力を振り絞って、坂を登る。すると峠を越えたところに、大きなトンネルがあった。伊勢神トンネルである。
中はなかなか広い。車が2台並んで走れるほどだが、大型トラックがすれ違ったときには、どうなるか保証できたものではない。実際、153号線は普通の車よりも大型トラックの往来の方が多いくらいだ。僕はこのトンネルを通ることに恐怖を感じた。
だが、通らねばなるまい、それでなければ辿り着けないのだから。
トンネルの中は、外よりも明るかった。
走る、走る。トンネルをすり抜けて、遠くへ向かう。
1kmほどの伊勢神トンネルを抜けると、景色は一転…したような気がして、すぐに稲武町に入る。
真っ暗な道、少し肌寒い。自転車でぐんぐんとスピードを出していると、急に怖くなる。
何が怖いって、何がだろう。わからないけど。
稲武町に入ってしばらく走ると、市街地は割と遠くなかった。
中心街に入って、道が2つに分かれたが、小さいほうの道を通った。
稲武中学校を通る道で、商店街のような雰囲気があるが、人っ子一人居ない。
この辺りに住む人は、寝るのが早いのだろうが、やはり怖かった。
しかし田舎と言う割には、街灯が明るく、心細さを減少させたが、
それ故に誰ひとり道を歩いていないという事実を引き立たせ、恐怖感が募った。
僕は全速力で市街地を駈け抜けた。
稲武町役場を越えると、家がまばら。道に迷った。