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無題。ファイル名は「ラストプリント2015年度高2.jtd」

 どうも、紙です。おなじみの段組の紙です。
 これが最後の紙になる人もいるでしょう。
 僕は紙が好きなのでたまにこういう紙を配ります。読んでいる人もいれば読まない人もいると思いますが、川に笹舟を流すように、風船に手紙をつけて飛ばすように、次々と刷ります。
 と言っても今年度、二年生にはそれほど多くの紙を配りませんでした。三年生にはもうちょっと多めに紙を配りました。なぜかといえばいくつか理由はあります。ひとつには、このクラスはとてもいい人たちがそろっており、みんなかしこく、僕がわけのわからない話をしても、「まあとりあえずは聞いてやるか」くらいの温度で向き合ってくださったので、べつにそう頻繁に紙にしなくても、その場で言うことができていたのです。
 ほかにも理由はありますが省略します。
 三年生になったら僕の紙はたぶん少しだけ増えますが、この中にはもう僕の授業を受けないという人もいるでしょう。(今のところ現代文と国語表現を受け持つ予定ではあります。)そういう人で紙を読み続けたい人は僕のいる部屋の前にあるボックスにこっそりバックナンバーを仕込ませておりますのでさりげなく勝手に持って行ってください。
 このクラスは変な人がとても多い(と、ほかの先生にいわれます。僕はここしか見てないのでわかりませんが、みんな好きです)し、本当にみんなかしこいので、今思えばもっとたくさんわけのわからない紙を配ればよかったような気もします。しかしやはり照れくさいのでこのくらいでよかったとも思います。

 いちおう進路のことなどを少し書いておきましょう。幸か不幸か来年僕にあたる人は繰り返しになるかもしれませんが……。
 せいぜい簡潔にします。(無理)

 みなさまのうちのほとんどはお受験をなさり高等教育機関(大学、短大、専門学校等)に進まれるのだと思いますが、その道筋には現在、大きく分けてふたつのパターンがございますね。一般入試と、推薦・AO入試です。
 この期に及んで一般を受けようか迷っている人はまだいるでしょうし、「自分には無理」という人も多いでしょうし、「何も考えていない」という人もいるかもしれません。
 高校二年生だったことのある僕は、確かだいたいこの時期くらいに進路を考え始めたような気がします。
 最初から一般受験しか考えておりませんでした。周囲に推薦やAOを受けるという友達は数えるほどしかいませんでした。進学校だったこともありましたが、当時(二〇〇三年三月に高校を卒業しました)の日本では、どちらかといえば一般入試が普通だったのです。「一般」ってくらいだし。一説によると、二〇〇七年を境に一般入試よりも推薦・AO入試による入学者が上回ったそうです。今年度はついに東大でさえAO入試を採用しました。今後はますます、いわゆる教科の「勉強」よりも、志望理由書や小論文、面接、討論、プレゼンなどを重視する傾向が強まっていくと考えられます。
 かつては一般入試が当たり前で、勉強が苦手だったり極端に嫌いだったりする人でもそれを強いられ、つらい思いをした人が多かったと思いますが、最近はいわゆる教科のお勉強をしなくてもススッと大学に受かってしまうようになっています。これは楽だ、と、多くの人がそちらの道を選んでおります。
 今年度、僕は三年生をふた組担当していたこともあり、膨大な量の志望理由書・小論文等の指導をしました。非常に充実した経験でした。それである程度の「攻略法」を見つけました。それをちゃんとやれれば、倍率の高くないところならたいていは受かるだろう、と思っています。ただし、「攻略法」と言っても、早めに取り組めば取り組むほど高い効果が期待できるものであって、特効薬ではないし、裏技でもありません。夏から、とか秋から、というのでなく、できるだけ早く考え始めたほうが賢明です。相談があったらお越しください。
 推薦やAOの場合は、ものすごく簡単にいうと、「わたしはあなたの学校にふさわしい人物です!」とアピールして、その説得力によって合否が決まるものです。それさえアピールできれば、たいていは受かります。
 たとえば、「わたしにはこういう夢があります、その夢を実現するためにわたしはどうしても、この学校に入らなくてはいけないのです! なぜならば……」と熱く語って、その内容に説得力があるなら、ほとんどの場合は受かるだろう、と思います。
 逆に、そういうものがない場合は、受かりにくいです。

「わたし」がいて、「将来の目標」があって、その間に「目標を達成するために学びたい内容や身につけたい能力」があるわけです。「それを、この学校なら教えてくれる。ほかの学校じゃダメなんです」と言えば、まあ受かります。
 入試の合否を決めるのは学校(大学とか)の先生です。学校の先生というのはとても優しく、特に若者の夢や情熱に対してものすごく応援してくれます。その先生たちの心を動かせば、つまり感動させてしまえば、勝ちだというわけです。
 推薦・AO入試では、そういうことをするのだとなんとなく考えておいてください。

 では一般入試とは。
 簡単にいえば、勉強をして、試験を受け、その点数が高ければ合格になります。(誰でも知ってる。)
 しかし、ただ「勉強する」と言っても、進路によって何をすべきかはまちまちです。科目の違いはもちろんですが、大学によって出る問題が全然違うわけだから、それに合わせて勉強する必要があります。
 たとえばこういうことです。
 A大学の英語の試験には、英文和訳しか出ないとします。それなのにひたすら単語の暗記や長文の速読だけをしていても、受からないわけです。和訳の練習をしまくらないと。
 また、B大学では文法問題の配点が九割を占めるとします。そうしたらB大学を目指す人は文法の勉強を重点的にやらねばなりません。
 受験用語でいう「傾向と対策」というやつですが、これがけっこう大切なのです。
 一般入試はふつう、推薦・AOよりも多くの学校を受けます。A、B、C、Dの四つの大学を受けるとすると、A大学の問題とB大学の問題とC大学の問題とD大学の問題のすべてを見て、「傾向(どんな問題が出るか)」をチェックして、対策を立てなければならなくなります。そしてほとんどの人にはセンター試験対策も加わってきますので、なかなか大変なことです。
 だから基本的には一般入試でも、本命を定めたらそこの大学の対策を中心にやったほうが、本命に受かる可能性は上がります。四つ受けるからといって、「どの大学の問題にも対応できるような勉強を」と考えると、肝心の本命に受からなかったりします。本命のA大学に英文和訳があるのなら、早めに英文和訳をやりまくるほうがいい、と僕は思います。
(僕がセンター試験すら受けずに早稲田大学一本に絞って受験したのは、そういう理由もありました。お金をかけたくなかったのが一番だったけど。ただ、これを真似しなさい、とはさすがに言いません。たくさん受ければどっか受かる、というのも一方で真理ですので。しかしなんにしても、勉強するならやはり本命の対策に最も力を注ぐべきでしょう。基礎がいちばん大事なのは言うまでもありませんが。)

 何が言いたいのかといえば、「敵を知り己を知れば百戦(して)危うからず」です。一般でも推薦・AOでも同じです。
「志望校が何を求めているか」がこの場合、「敵」です。「自分が何を勉強するか」が、「己」です。敵を適切に把握し、己を適切に鍛えていけば、百回受験しても受かる、というわけです。一般と推薦・AOは、全然違うものだと思われがちで、実際そうでもあるのですが、共通する部分もあるのです。
 違うのは、鍛えるのが「学力」であるか、「自分自身の内面」であるか、というところに尽きます。もちろん、前者が一般、後者が推薦・AOです。
「自分と向き合うより、学力を鍛えるほうが楽そうだ」と思う人もいるでしょうし、「勉強するくらいなら、人生について本気で考えて、そっちの方面で努力してみたほうがマシだ」と思う人もいるでしょう。自分がどっちに向いているかを、よく考えて選ぶといいと思います。

 と、言っても、「勉強したい」か「勉強したくない」かだけで、どちらかを決める人が、実際はいちばん多いように思います。
 でも、そもそもこの二択自体が、間違ってるような気もします。「勉強したい」やつなんて、おらんのです。
 勉強とは「強いて勉める」と書きますから、そもそも「いやなことを我慢してやる」というニュアンスが含まれているのでは、と思うのですね。
 僕は、いやなことは絶対にやりたくない、という強固な信念の持ち主ですから、「いかに楽してべんきょうするか」「いかに楽しくべんきょうするか」ということばかりを考えて受験生しておりました。ちなみにべんきょうを始めたのは高三の五月からです。自分に関してだけいうと短期決戦だからなんとかなったところもあると思います。
 ちなみに、受験勉強をはじめるにあたって僕が「絶対にやらないぞ!」と誓った勉強法は以下です。

・単語帳の暗記
・問題集を解く
・塾に行く
・何かを犠牲にして(我慢して)勉強に時間を割く

 えー……これも、真似しないでください。あくまでも僕にはこれがたぶん合っていた、というだけの話です。
 とにかく、「暗記と問題集は、だるい!」と思っていました。思えば勉強が嫌いな理由って全部、それだなと。暗記と問題解くのがなければ、勉強ってもしかして楽しいのでは? と思ったのです。(私大文系の志望だったからです。理系科目はがんがん問題を解いたほうが楽しいかもしれません。)
 じつは直前期(一〜二月)には暗記もしましたが、その頃には単語帳を開いてもほとんどの単語は知っていたので、知らないものをつぶすだけでよく、非常に楽でした。
 また、友達に誘われたのに、「勉強したいから」と断るのは、ダセえなと思い(男子高校生っぽいでしょ?)、誘われたら絶対に行く、と決めておりました。まあこれも、たまたまうまくいっただけなので、参考にはしても真似はしないでくださいね。
 ただ一つ言えそうなのは、「あんまり我慢すると頭が働かない」ということです。遊べば遊ぶほど、頭がやわらかくなり、思考力も高まる、と僕は思っています。

 えーと、そういうわけでですね、こうみえて僕は、「勉強したくない」が服着て歩いてるような人間だったのです。必死で楽しもうとがんばって、いつの間にかほんとうに楽しくなって、いまや「ウヒー勉強たのし〜」とか言うようになったのです。(ちなみにどうやって楽しくなったのかというと、「頭を使って考える」っていうことだけをひたすらやりました。できるだけ丸暗記しようとせず、理屈をつけて憶えようと努めたのです。)
 自分で、自分のやりたい方法で、勉強することができそうな人には、ぜひとも一般受験をオススメしますが、多くの受験生が「強いて勉める」型の勉強をしてしまいます。そんな拷問みたいなやり方をするくらいなら、一般受験なんかしなくてもいいような気はします。楽しくやらないと、受験が終わった瞬間にすべてを忘れてしまいます。(いや、ほんとに。)
 僕は世間一般で言われるいわゆる「いい大学」に入ることができましたが、ほとんどの人が受験で燃え尽きていますので、大学に入るとストンと勉強ができなくなるようです。英語の授業(大学に入ってもあります)なんてひどいもので、英語どころか日本語すらおぼつかない学生も多く、「どうやってここに入ったの?」と強く思ったものです。慶應の人も同じことを言っていたので、どうやらそういうものらしいのです。

 勉強というのは何のためにするのか、というと、本来は「大学に入るため」ではないと思うのですね。たったそれだけのために高校生の大切な時間を費やして、それなのに学んだことはすべて忘れてしまって、「いや受験して良かったですよ。目標のためにいろんなものを我慢しながら努力する力がついたんで」なんて言うのは、あんまり面白くありません。そういう人はいっぱいいるし、気持ちもわかるのですが、学ぶっていうのはそんなくだんねーことじゃないんだよ、と、学ぶことを楽しいと思ってしまっている僕としては、思います。
 もうそんな時代でもないし。

 ただ、もしもあなたが、「教養を身につけたい」とか、「かしこくなりたい」とか、「頭のいい人にあこがれる」とか、「たくさんのことを知りたい」とか、そういう種類の精神的な向上心を持っているのだとしたら、ダメ元でも一般受験のために勉強してみてもいいとは思います。やり方に工夫しながら。
 高校までの勉強というのは、世の中をつくっているものの基礎の基礎ですので、知的好奇心のある人、つまり、何かをわかったり知ったりすることが気持ちいいと感じる人にとっては、ものすごく重要なものになります。あらゆる思考の土台になるようなものなので、あったほうがいいです。
「考える」ということをするためには、そのための材料と方法が必要になるわけですが、その両方を育ててくれるのが、学問です。高校までの勉強はその基礎になります。基礎は大事です。
 ちなみに、こんな文章をこんなところまで読んでしまっている人は、たぶん「考える」ということが好きなのです。僕の時たまする小難しい話を聞いて、「面白いな」と思ってしまうような人は、明らかにこちら側の人間です。学問に手を出してみるのも面白いのではないかと思います。
 英単語を覚えるにしても、disがつくと否定のニュアンスになるとか、alは形容詞をつくりlyは副詞を作るとか、しかしそれには例外もあるのだ、とか、そういうふうに考えていくのが「学問」というものです。丸暗記は効果的な側面ももちろんありますが、それ自体は学問ではありません。
 輸入はimport、輸出はexport、輸送はtransport、テレポートはteleportです。portは「運ぶ」という意味。imは「in」と同じで「内」。exは「外」。transは「向こう側へ越えていく」といった意味で、translate(変換・翻訳)やtransform(変身)という語も作ります。「tele」は「遠く」という意味で、テレビとかテレフォンとかは、遠く離れたところから電波が飛んでくるからteleがついてくるわけです。
 こういうふうに考えると、丸暗記しなくても相当の程度までは語彙を増やすことができます。データベースなんちゃらをぶつぶつ唱えるよりも効率がよいと僕は信じます。これ、何がいいって、いっぺん憶えると一生忘れないので。理屈をつけて憶えたことは、忘れません。
 こういった考え方をして、「それなら憶えられるかも」と思う人は、学問に向いています。そういうことを意外と学校の先生は教えてくれない(そんなことをやっている暇がないのか、そんなふうに考えたことがないのかは知りません)ので、自分で工夫するか、誰か教えてくれそうな人や参考書を探すしかないのですが、それも楽しいものです。
 さらに、こういう考え方をひたすら練習すると、思考力がめちゃくちゃ鍛えられるので、どんな問題が来てもその場で考える力がついてきますので、試験に強くなりますし、大学に行っても、何か仕事を始めても、趣味の分野でも、とても役に立ちます。もし頭を使う仕事をするのなら(頭を使わない仕事なんてないわけですが)、きっと意味があると保証しましょう。
 念を押しますが、僕は、知的好奇心が豊かであって、しかも理屈をつけてものを考えることに楽しみをおぼえる人だけに、一般受験をすすめます。「忍耐力がつくから、一般受験しなさい」といったようなすすめかたは、しません。人には向き不向きがあります。しかし、向くようであれば、考えてみてください。考えるのは、楽しいもんですよ。
 僕のことはいくらでも利用して構いません。たとえ来年、授業で会うことがなくても。もちろん。
 あ、「どうやってやる気をキープするか」ということについて、触れることができませんでした。もう紙幅がない。どうしよう。まあいいか。次の引用に全てを語らせることにいたします。

「本当に頭がいいというのは知識が多いことではない
 最低限の基礎知識でどれだけ応用がきくかということだよ
 それともう一つ 何でもいいから勉強する理由をつくれ」
  (日本橋ヨヲコ『プラスチック解体高校』より) 
 漫画好きな人は、日本橋ヨヲコ先生の『G戦場ヘヴンズドア』とか『少女ファイト』とか、おもしろいので是非どうぞ。

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