ひごろのおこない/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

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2026.10.1(木) 「快適さ」について
2026.10.2(金) 11/4水は帯広で僕と握手!
2026.10.3(土) 103の日
2026.10.4(日) 不器用な独善野郎
2026.10.5(月) ほぼ回復
2026.10.6(火) 日常
2026.10.7(水) 夜学バー 代官山蔦屋書店店
2026.10.8(木) 誤解だけはやめて
2026.10.9(金) 正解と正論
2026.10.10(土) ビューーン!計画
2026.10.11(日) 恋をしようよ
2026.10.12(月) 午前四時の死に損ない
2026.10.13(火) 生誕について
2026.10.14(水) 自慢と評判

2026.10.1(木) 「快適さ」について

「お散歩遠く」で語ったよ。
 プラットフォームによっては読みづらいかもしれないが、ちゃんと改行された要約を読んでいただければだいたい概要がつかめると思います。
 まあそういうこと(手抜き)。
 この日記にはここで語ってないことを書いておくかな。

 肝は「快適なヤツ」でいることだ。
 これまでの僕の言葉でいえば「いいやつ」ってこと。
 そこに接続するわけだ。

 あ、10月1日から5日までどんな感じで生きていたかっていうのは9月末(主として30日)の日記をご参照ください。
 1日は夕方まで倒れており、これまででも指折りのギリギリな帰宅を果たし、寝ようにも寝られないまま2日夕方まで寝転んでおりました。
 すでに書いたように2~5は4連勤予定だったがすべて休んだ。このまま動き続けたら「いいやつ」ではいられないと確信したからだ。それでは「快適さ」は提供できない。
 ただまあ、30日に僕が「悪かった」のは、カウンターの外側にいたことも大きい。内側にいたらたぶんもうちょっとだけよかっただろう。それは職業病というか、職業健康というか? それでも「快適さ」とか「いいやつ」まで行けたかどうかの自信はない。
 快適さを提供するためには快適なヤツじゃないといけないわけで、それができないと確信したなら、休んだほうがいい。そりゃそうだ。
 一応言っておきますが僕はプロのスターなんでこんなことはおそらく初めてですよ。普段ならいくらでも無理をして「快適なヤツ」をやってきた。失敗はあったとしても「いいやつでいるぞ!」という意気込みは常に持ち。が、まあー今回はちょっと、ネを上げさせていただきました。
 いや、実のところ定期的に近いようなことはあって、早めに手を打ってきたってだけで、このたびはちょっとそれさえできなかったというかね。青森に自転車持って行けなかった(自転車があればある程度リフレッシュできていた可能性がある)とかも含めて、いろいろうまくいかなかった。あくまで今回は「直前にネを上げた」ってのが特殊というか、珍しい。だいたいはかなり前に「ヤバそうだな」と感じ取り、ちょっとずつ休みを増やしたり山に行ったりしていた。
 まぁ今月のテーマは快適さ、ということにします。いつの間にか忘れると思うけど。

2026.10.2(金) 11/4水は帯広で僕と握手!

 これも9/30参照ですね。休むって決めてたけど打ち合わせあったから行って、そのままぐだぐだ21時過ぎくらいまではいたんだっけな。本当に気力がなかったので『常連くん』という漫画をノートに描くなどしていた。常連くんマジで面白いので書き継いでいきたい。
 なかなか帰れなかったのは気の置けない友達が二人(9/24にメリデいた子ら)いてくれていたのと、なんと帯広から来客があったから。拙著『常連のいない場所づくり』を読んで、夜学バーに来るため(だけかどうかは知らないが)に飛行機でやってきたそうな。あっっぶねえーー!! こういう人がいるから休みたくないんだよね。で、休めないんだよね。じっさい休まないで来たんだよ。それが休もうってんだからよっぽどのことなんで、労ってよ!(そういえばいたわれとかねぎらえとか褒めてとか今回は言ってないな。言えないくらいキツかったわけだ。つまり言えるうちはまだマシだから、みんなねぎらってくれないってことか。なるほど! 悲しすぎる! ねぎらってくれないからこうなるってのもあるんだもん。うえーん。限界くる前にねぎらいあおうな!)
 帯広の方、かなりの強火で、本にはたくさん付箋を挟んでくださっているし、「この本の読書会やるんで帯広まで来てください!」とまで。もちろん「いいですよ~」と即諾。11月4日(水)の夜だそうです。ぜひ来てね~~(ぉぃ。詳細はまた書きますが、少人数でやるみたいだから早めに申し込みましょう。
 中立さんから「一緒に会社をやりましょう!」と言われた時と同じくらいの速度(0.2秒)でYESしたが、いずれもべつに何も考えていないわけじゃなくて、日ごろから「そういうことがあったらやりたい」と思っていたからってだけ。突拍子もないことだったらさすがにもっと考える。帯広いいじゃないですか。一度行ったがいい町だった。
 本当に、帯広の外から一人でも誰か来たら面白いので、ぜひ。僕はすでに飛行機とってあります。宿は直前までキャンセルできるんで同衾したい人はチャンスだぞ!!!

2026.10.3(土) 103の日

 だというのに、まったく動けなくてスマホすら触れなくて4日になってからみんな(高1、103組の同級生たち)にLINEした。会いたいよ~~。早くしろー! 誰か死んでも知らんぞーーー!
 本当に友達のことが大好きだ。僕は自分のことをものすごくいいやつだと思っているのだが、ものすごく迷惑な人間だとも思っていて、そんなやつと長く付き合ってくれている人たちがとても愛おしい。そんなだから一回離れてまたくっついた友達も多くて、それって本当にありがたいことだなあ。だってだいたい僕が(あるいは僕も)悪いんだから。
 時間ってのはいい。水に流してくれる。僕はそれを期待しているから本当にセコい。でも実際そういうことは、ある時にはある。一方でもちろん、ないときにはない、かもしれない、ってことは肝に銘じておかねばならない。できるだけいいやつでいたいから、難しいけれどもやるべきことはちゃんとやらなければならない。全然できないでいることもあるんだけど、なんとか。

2026.10.4(日) 不器用な独善野郎

 落語会に行けて回復の兆しは見えたが、やはり人と会うのはまだしんどい。でもすごく好きな人たちだったから心は安らいだ。ありがとうございます、いつもお世話になっております。
 あーそうだ。なんつうかなあ、快適さっていうのは「邪魔しない」ってことだったりもするんですよね。

 実は僕、全国164箇所のさまざまな縁ある「場所」の住所を印字したポストカードを作ってあるんですよ。あとはメッセージ書いて差し出すだけなんですよ。なんのためって、会社設立と新刊のお知らせのためで、それはできれば10/7のイベント予約に間に合うように届けたかったんですよね。
 でも、ぜんぜんできなかった。デザイン、住所録作成、入稿、そして書いて差し出すこと。それらすべてが遅々として進まず、でもやりたいしやるべきだと思ったからゆっくりと進めて、2ヶ月近くかけてようやく届いたのが2日だったんですね。がんばって店に行って、ぐだぐだ『常連くん』なんぞ書いていたのは実は、それが店に届くのを待ってたのもあるんですよ。
 本当は8/31の発売日に間に合うように出したかったわけです。それが延びに延びてようやく10/2に到着。しかも一番早い特急便にして(つってクーポンとかあって総額2000円切ってます)。
 僕だったら、遠くに住んでいる「お客」(僕のこと)が、お知らせのハガキを送ってきてくれたらかなり嬉しい。しかし、必ずしもただ「嬉しい」という感情のみかというと、そうではないかもしれない。それが怖い。
 差出人や内容、デザイン、あるいはそのタイミングなどによっては、ひょっとしたら心の隅で少しくらい「邪魔」に思ってしまうかも知れないのだ。人間だからそういうことはある。「ノイズ」と言い換えてもいい。そういうものを、平穏な日々の中にわざわざ挟み入れるのは、テロリズムの一種ではないのか?とくらいまでつい考えてしまう。
 僕がしようしているのは「宣伝」である。ダイレクトメールである。いまどき古風で面白いじゃないの!って僕は思うけど、「うわ~必死だなジャッキーさん(笑)」とか言ってポイ捨てされる想像だって当然、しちゃうわけじゃないですか。
 そしてね、それはまさしく僕の苦手な「求心的」行為なのですよ。本を買ってもらうためにハガキを送るってのは。よく考えたら、できるわけがない。だから取りかかろうと思うと不快で不快で仕方がない。でも売れるためには(求心!)やったほうがいいし、「やりたい」という強い気持ちもある。ずっとそういうことがしたかったんですもの。でも筆無精だからできなくて、ヤッターついにみんなにおてがみできる口実ができたぞ~ってくらい思ってたんだけど、想像以上に「できなかった」。
 そうなのよ、僕はお世話になっている全国のいろんな人たちに、おてがみを送りたいのですよ。でもいきなり「元気?」とか送ったってそれこそ「ノイズ」すぎるから、「会社作りました、本も出しました」というのはかなり自然だし、いい口実になって、今後似たようなことをじゃんじゃかできるじゃないの~、とりあえずこれを嚆矢としよう!くらいに思っていたわけ! でもなんか、なぜだか、できないんだな~。できなかったんだもん。不思議だ。よっぽど求心アレルギーだし、よっぽどある種の自信がないのだ。
 それはノイズになるのではないか? その場所の「快適さ」を損なうのではないか? 理性で考えれば、その可能性はほぼない。あったとて無視できるレベルだし、絞りに絞った164軒なのだから、9割以上は「嬉しい」が一番に来るだろうと想像できる。でも、なのに、なんでかねえ。
 本当によくわかんない。これは事件だな。でも無理なもんは無理だった。
 理由の一つは、急いで書いたら一枚一枚がおざなりになるだろうなってところかも。ゆっくりやったほうがいいね。一日一通書いて、半年かけて送るとかさ。用事がある時とか、伝えたいことがある時にだけ送るとかね。そっちのほうがもっと自然だし、たぶん僕らしいんだ。というわけで300枚印刷したうちの164枚はとりあえず送信保留。136枚+予備はテキトーにばらまきます。
 あー本当に僕はいいやつだな。こんなんだから売れないんだ、というのがよくわかるし、こういうふうだから他人に大迷惑をかけるんだわ。不器用すぎるし、独り善がり。常に自分の「可能か不可能か」だけを問題にしてるんだよね。それが俺のいいとこ、なんて言えませんよ浅井さん(誰?)。

2026.10.5(月) ほぼ回復

 日記追いつかせたいのでテキトーに書く。
 やるべきことをやりたくなくて掃除とかした。そのうちに元気になってきて、夜までにはイベントの告知ページを整備できたし、真夜中には日記を12日ぶん書くことができた。回復には時間がかかるもんじゃのう。
 3時過ぎから散歩に出て、リハビリとして「麟」で何杯か飲んだ。実は4日も「麟」で夕飯食べてる。馴染みの逃げ場はありがたい。「常連」という概念はこういう段に活躍するのかもしれない。いずれもほかにお客はいなかったけど。
 そんで帰りに歩きながら「お散歩遠く」を録った、ってわけ。

2026.10.6(火) 日常

 6日はそれなりに細かなことができるようになった。珈琲豆(生豆からその場で焙煎してくれる)買いに行ったり、ラザニア食べたり。喫茶店で「オリジナル」と「ビッグ」読んだりもした。何号か空けちゃったからどの作品もけっこう話が進んでいた。しゅん。銀行も行ったけど工事中で入れなかった(何事!?)。図書館のカードの有効期限更新にも行けた。本も読んだ。
 あとはいろいろなものを更新したり編集してUPするとか、各所にメール送るなど細かいPC仕事をたくさんした。日記は追いついたが、まだ夜学バーの日報が追いついていない。押忍(どんな苦難や逆境にも耐え、自分に打ち勝って前進する)。

2026.10.7(水) 夜学バー 代官山蔦屋書店店

 荷が下りた~。フタを開けてみれば90名以上の申込があったそうな。会場は50人ちょっと。詳しい数字は忘れました。教えてください。新人の発刊イベントとしては大成功とのこと。みんな、ありがとう。おかげさまです本当に。

 たぶんもうちょっと真剣に集客すれば100人超えたのだろうけど、それをしないのもたぶん重要なんだろうな。うまくいえないけど。そう必死にならないところで生きているほうが僕らしいし、心地よい。
 誰が来てくれてたのか、っていうの整理したいんで覚えているうちにメモしておこう。

 してきた。会場のうち半数は知っている人だったけど、半数は初めての人だったと思われる。サインした人の名前を一所懸命思い出したり、SNS見たりしてリストっぽいのをなんとなく作ったよ。
 滝本竜彦先生がおいでくださったのは嬉しかったな。17年ぶり3度めのサインを『ネガハピ』にいただくことができた。ありがとう死に損ない。4年9ヶ月前、phaさんを夜学に連れてきてくれたのも死に損ないだった。守山区に足を向けて寝られない。あくん(ぼえぼえ/Unused Johnny)を紹介できなかったのが心残りだ。架神恭介さんは会場予約したけど行けなくなったからオンラインでとわざわざLINEくださった。りく(教え子)も同様。律儀である。そして嬉しい。生湯葉シホさん来てくれたのも本当に嬉しかったな。まさかこんな再会があるとは。たぶんphaさんのおかげでもある。
 夜学勢、芋煮勢、笑い飯(早稲田の団体)からも後輩が二人来てくれていた。このあたりには話の展開によってはマイク渡すこともありえたのだが、意外と黒川さんとphaさんと三人で完結してしまった。むろんイベントとしては理想であり、成功といえる。ただもうちょっとお客さんを巻き込みたい欲はあった。phaさんの初来店エピソードで死に損ないを使った(なんかひどい字面だ)のみ。一人だけだとバランスがよくない。少し申し訳ない。
 ほかにもさまざまなクラスタがそろい踏み。古い友達もいれば、某県立大学勢(!?)も。僕がずっと好きな「ごった混ぜ」状態、15歳のとき掲示板にEz mixed BBSと名づけた頃からのシュミだ。同業者では「古本と肴マーブル」の沙希さん。彼女とは早くなんかやりたい。雑談やりたい。麻倉くんともね。むろん初めての方たちが多かったのがめちゃくちゃ嬉しい。ぜひここから、よろしくお願いします。
 オンラインで観てくれた人はもうさっぱりわからない。40人くらいいるはずだけど6人くらいしか把握できていない。たぶんあの人は観てくれたんだろう、ヨヤクしてくれたんだろうという人は幾人か浮かぶけど確信はない。ぜひ感想聞かせてくださいね。

 ここからイベント記録。流れと要点のみ(でも長い)。お話の中身は、アーカイブもらったらAIに見せて要約してもらおうかね。(いいのか?)

 18時からテーブル等の撤収、客席の設置、舞台の設営。18時半に開場だからぜんぜん時間がない、ほぼギリギリだった。でもぼくはなれてるからあわてないのだ。いやほんとに。経験ですな~いろんなことやってきたから。
 舞台上に「夜学バー」を再現する、ということなのだが使えるのは丸いハイテーブル三つのみ。これをどうしたらカウンターに偽装できるのか……早々に僕は考えるのをやめた。下手に飾るよりお客さんに補完してもらったほうがたぶん良い。ハイテーブルはそのまま裸で使用して、低めの丸テーブルを二つ、僕のコックピットの一部として追加で置き、そこに白い布(甲斐小泉の「チューダー」で買ったやつ!)をかけるだけにした。まぁ詳しくはアーカイブを見てもらって(どうやって?)。夜学バーのカウンターになる要件というのは「すべての人からすべての人の顔が見える」ことであり、それ以外にはない。これでいいのだ。(コックピットの様子は株式会社夜学のTxitterポスートやヤガバインスタのハイライト「近影」「ぜひごらんを」にあります。)
 18時30分、いったん控え室的なところに引っ込み、phaさん、黒川隆介さん、中立(さん)、宮台さん(蔦屋書店の担当の方)と軽く打ち合わせをし、コーヒーと水飲んで、19時数分前に舞台に出る。ここでは客席を一切見ず(重要)、全員分のマイクのスイッチを入れたり氷をペールにうつすなど必要な作業を黙々とする。
 19時、宮台さんによる簡単なアナウンスがあり、初めて僕が客席を見る。「いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。今宵も、数あるお店の中から、Cafe Le 夜学バー代官山蔦屋書店店をお選びくださって、ありがとうございます。」これは1996年のツアーにおけるhideの口上まんまコピー。衣装はもちろんあの黄色いhideパーカーである。わたしにはそういうことしかできないのさ。誰にも伝わらないかも知れないが、伝わるかもしれないのだから。
 友達のkっsーがあとで、「ジャッキーさんがコソコソとfunnyをかます所がツボ」と言ってくれたのだが、小声でボソッと一回だけボケるみたいなことがもう性癖のようなもので。伝わるか伝わらないかではなく、言いたいのだし、意外と伝わったりする。「つたわれ~」。まさに。
 次に「僕がAre you readyと言ったら……」のくだり。我ながら天才的な発明だと思う。前説はぜんぶこれでいいんじゃないか。あえて詳細は伏せときます。ちなみに「Are you ready?」「イェーイ」の元ネタはフィンガー5の『学園天国』……ではなく、それを元ネタにした「尾崎雄飛の洋服天国」であります。次兄のYouTube。
 それから自分のドリンクをつくり、飲む。phaさん登壇のキッカケ(演劇用語?)はこれである。僕がグラスに口をつけたら「入店」してもらうことになっていたのだ。同様に黒川さん登壇のキッカケは、phaさんがグラスに口をつけること。芝居やってた人の発想ですね。基本的にすべて僕が演出いたしました。
 phaさんと黒川さんと僕が、自然に一つの「場」を共有するための仕掛けも用意していた。お二人とも僕の本を手に持って入店してもらう。そうすると「あれ、あなたもその本を?」「それ僕が書いたんですよ」というような形でどうしたって会話は『常連のいない場所づくり』に向かう。そうなったらあとは「ファイッ」である。そこから先の計画は一切なかった。
「序盤だけ茶番にお付き合いください」とお願いしてやっていただいたわけだが、そういえば「茶番ではなく酒番」っていうギャグも考えてあったのに言うの忘れた。事前に考えたことはたいてい使われないものだが、たくさん考えておくことで逆に本番は「事前に思いつかなかったこと」が出てくるのだと思うから、考えておいたほうが陳腐な言葉が出てくるのを避けられると思う。事前に考えたことなんてたいてい陳腐なのだ。事前に思いつくようなことなんだから。

 ちなみに夜学バーを再現、とうたっているからには、道具もちゃんと用意した。アイスペール、トング、ジガー、バースプーンなどなど。できるだけカッコいいデザインのやつを。念のためアイスピックも持ってきていた。使わなかったけど、神は細部に宿るんや。ウェットティッシュと清潔な手ぬぐいも。グラスは現地で借りました。
 おしぼりやコースターも使って、「ごっこ遊び」に近い。おままごとである。ハッキシ言って、めっちゃくちゃ大事な遊びなんだろうな、おままごと。
 作業する時にマイクを持てなくなるのを見越して、マイクスタンドも用意してもらっていた。天才じゃないですか? こういうところを見落とすとイベントはグダグダになるのでございます。
 僕はハイボール3~4杯くらい飲んで、phaさんはハイボール2杯、黒川さんは芋焼酎の水割り1杯(意外!)。1970年代「堂島浜通」表記の角瓶と、錫釜を用意いたしました。やっぱ好きな酒じゃないと。
 けっこう早めに酔いが回ってしまい、中盤で一度だけ脳が処理落ちしてしまった。どこでしょう? 全体にはちゃんと伏線回収(「やくにたつ」)も思い出せたし、悪くなかったと思う。みんな褒めてくれた。黒川さんとphaさんからも、僕が聞きたいことをちゃんと引き出せた。お二人がお話しするターンもちゃんと作れた。僕がドリンク作ってる時にphaさんが黒川さんに言葉を投げた、あそこがイベントの白眉だったと思います。

 黒川さんが「自分の刊行記念イベントで人の本をこんなに宣伝してくれる人は初めて見た」というようなことを確か仰った。phaさんの『パーティが終わって、中年が始まる』『蟹ブ店番日記』と黒川さんの『生まれ変わるのが死んでからでは遅すぎる』を持参し、折に触れて紹介したり引用したりしていたのだ。(その甲斐あってかお二人の本もけっこう売れたらしい。)僕の感覚ではそれが当たり前というか、そうじゃないとphaさんや黒川さんをよく知らない人(たぶん今回の参加者のかなり多く)には「届かない」と思う。お二人の言葉も、僕の言葉も、届きにくくなってしまう。
「そこにいる人がどんな人か」をさりげなくわかってもらうために、宣伝のようなことをしたにすぎない。たぶん『のいない』にも書いたと思うが、「情報の不均衡」はないほうがいい。客席とステージにも言える。ステージの人たちだけがわかりあっているのでは客席は退屈してしまう。今回、黒川さんとphaさんは初対面で、しかもお互いのことをほとんど知らない。phaさんは「あえて何も調べずに来ました」とさえ言ってくださった。だからこそ、「ステージと客席の情報の不均衡」を小さくできたのだ。僕だけがお二人のことを知っていて、お互いも、客席も、あんまりお二人のことを知らない。phaさんのことを、黒川さんと客席に紹介し、黒川さんのことを、phaさんと客席に紹介する。この構図が実現できたゆえ、本イベントはかなり「見やすく」なっていたはずだ。
 黒川さんがどういう人か。phaさんがどういう人か。それを僕以外あんまりよく知らず、その場にいるほとんど全員が「同時に」知ることになる。それで無意識の共感、共鳴が生まれる……のではないかな。おそらく。
 もちろんphaさんのことをよく知っている人や黒川さんのことをよく知っている人もいたと思うけど、登壇者三人ともを十分に知っている人はたぶんいない。その点で「情報的に平等」なのである。そして演者は当然「何も知らない人」に対して話すようにしなければならない。これも夜学バー的というか、『のいない』的な考え方。
 そういえば「複数の人に同時に話しかける」というフレーズを出すのを忘れていたな~。iPadをずっと開いていたんだけど時計を見る以外に一切使わなかった。いろいろメモしてはあったのだが。
「複数の人に同時に話しかける」には原則、「持っている情報量が最も少ない人に合わせて話す」必要がある。舞台上でさえ、登壇者二人は互いをそんなに知らないのだから、それに合わせて僕は話すわけなのだが、それが客席の「知らなさ」と大して差がないがゆえに、おそらく客席に疎外感はあまりなかったはずなのだ。適度な緊張感と、当事者感。ステージと客席とは「偉い人と偉くない人」になりがちだが、その情報量に大した差が認められない場合、その構図はかなり薄まる。勾配が緩くなる。
 実際、一瞬でも眠っているように見えたお客さんは僕の気づいた限り死に損ないだけで(ワロス)、90分のあいだみんなずっと起きていてくれた。死に損ないは「急に先生に当てられてキョドるギャル」(後述)なので居眠りくらいする。
 これをわりと自信持って言えるのは僕がつねに客席のほうをまんべんなく見ていたからだし、見ていたからこそみんなは眠らなかった。これは学校の先生をやっていたニンゲンの癖のようなものかも。目線とても大事。
 死に損ないといえば途中、彼女にマイクを渡したことはすでに触れた。それにまつわるポスートを引用しておこう。

昨日のトークショー(!)で途中、死に損ない(人の名前)を「当てた」のですが、あれをやると少なからずみんな「ヤバい、自分も当てられるのでは」と思って緊張感や当事者意識、参加感覚みたいなものがほんの僅か高まるように思う。冒頭の「アーユーレディ?」も同じ。学校の授業の考え方。#のいない

実際、本書にも登場する「芋煮」の主要人物や参加経験者が会場にいて、終演(演!)後に「こっちにも何か聞かれるかと思ってドキドキした〜」みたいなこと言ってた。もしそういう話題になってたらマイク渡してたと思います。そういう会場との往復はも少しやりたかったな〜。演劇と授業と店を同時に!

死に損ないから感想が届きました
「授業中当てられたギャルの気持ちだった」
実際明らかに会場で一番ギャルだったしギャルが当てられた時の反応してた(アーカイブで確認してみよう!)

 けっこういろいろな工夫がなされていたのです、それをここまで説明できる人もなかなかおるまい!……いや臆面もなく堂々と自画自讃するニンゲンが少ないってだけか。
 そういえば衣装は、途中でhideパーカーのファスナーを開いてしばらく、それから落語家の羽織のように脱ぎさって『のいない』著者近影の鹿シャツに変身。単行本ではモノクロだしバストアップなので読者サービスです。終演ちょうどくらいにそれ脱いで小沢健二さんの「魔法的」ラグラン(非売品)に。いつもどおりの正装って感じ。三パターン召し替えるのは橋本治さんの『ぼくたちの近代史』オマージュです。これまたいつもどおり。
 ただシュミでやってるだけでもなくて、視覚的にちょっとくらい変化があったほうが飽きないと思うからでもある。小さいホワイトボードに途中「遠心」って書いて飾ったのも、変化をつけるためだったりね。理論上、本当は何回か書き換えたほうがより飽きさせないものにできたんだけど、「遠心」だけで終わってしまった。でもそれはそれでいいかな。

 内容に触れるのは今度にして、終演(演!)後の話。サイン会ヤバかった~。酒飲んでるのもあったし「時間ないで」だったのでめちゃくちゃ駆け足でやってしまった。それでも僕はサインにイラストを添えることを義務づけている(岡田淳さんリスペクト)ので一定の時間はかかる。その間にちょっとずつ話すことができてよかった。
 慶應で教授をされている方が「この本に出てくるワークショップ、大学生向けにやってください」と。忘れませんよ! 絶対やりましょうね!
 hideパーカーに触れてくださった方もいた。う、うれしい! あとGUCCIのドラえもん靴(靴下はGUののび太)にも何人かから言及された。フ……。
 20冊くらい書いたか? もっとかな? 覚えておりません。みなさまありがとうございます。サインで話せなかった方々も、夜学バーか、あるいは個人的にでも話しましょう。メールとかも気軽にください。
 そのあとお片付けして、9時10分くらいには終わっていたような。
 演者三人と社長中立で打ち上げへ。宮台さんが「オンライン用のサインを忘れていた!」とのことで(僕もまったく意識していませんでした、すみません)わざわざ居酒屋まで本を持ってきてくださる。4冊ほどサイン。すべてに「45秒」という言葉を入れた。奇(く)しくも翌8日お誕生日の大原優乃さんが実施されていた「オンライン個別お話しサイン会(45秒)」という概念というかフレーズがなぜかあまりにもツボで、「オンラインサイン会だ!」と発奮してつい書いてしまいました。45秒、いつかどこかで個別お話ししましょう。
 打ち上げについてなんですが、本当は来られる人みんなと打ち上げっつうか二次会したいんですよ。しかしまあ、その四人による二次会ってのもかけがえのないものだし、実際商談みたいなこともあったりするし、まぁ本当に実のある時間にできたと僕は思うので、よかったです。ありがとうWi-Fiにパスワードを設定しない今時ずさんな地下の居酒屋(情報の不均衡)。

2026.10.8(木) 誤解だけはやめて

 夕方まで寝てカレーパン食べてバ~ミヤンに行った。
 昨夜中立(社長)が「二人で飲みましょうよお~」みたいな感じ(主観)で誘ってくださったので錦糸町で飲む。麟、なにや。ダービー通りの両雄ですな。さく氏が夜学を開けてくれていたので湯島に行って(なにやっとんじゃ)ぐだぐだと飲み、話す。今日はまあ飲みすぎても仕方ないな~と思っていたので飲みすぎた。我を失うほどではなかったのでちゃんと「文脈外の事情」みたいなのを感じたところでスッと帰った。よくわからない説明ですみません。
 そんで7時半とかに帰って寝て、夕方になっちゃって、ああ~♪ってところ。(参考文献:奥井亜紀『Bloomer』
 バ~ミヤン最高だったが胃もたれした。酔いは抜けていたが、酒をたくさん処理したせいで胃腸の働きが弱まっていたということだろうか。そこにカレーパンと中華ぶちこむのは自殺行為ってことね。じぇぃおぼえた。すぐパンシロン飲んだら夜中にはおさまった。よし。

『常連のいない場所づくり』特設ページを大幅に更新。その過程で書評を見つけたので読んだのだが、これがまあ著者が言うのもダサいかもしれんが「読めてない」もので、だのにめちゃくちゃ長い。暗澹たる気持ちになってしまった。
 島田紳助さんの引退に際して当時、「彼は批判に耐えられない人なので政治家には絶対にならない」と言っていた人がいた。僕もたぶん近い。ある種の批判にどうしても耐えられない。参考になるものは参考にしたいが、明らかに誤解、誤読されている文章に出合うと本当に辛くて吐きそうになる。
 幼少期から僕は「わかってもらえない」ことが一番嫌いだったのを思い出す。「本当にわかってもらいたいことは、本当に誰にもわかってもらえない。」これは児童書作家さとうまきこさんによる『わたしの秘密の花薗』という自伝的作品にある一節で、資料参照していないがたぶんこれでほぼ正しいと思う。丸暗記してしまうくらいに、「わかる~」と思ったものだった。読んだのは中学くらいかな。小六だったかもな。まさか後に、その舞台たる成城学園に勤めることになろうとはネ。
 誤読されてるってことは誤読されるような書き方をしているってことだと考えればそういう意味での参考にはなるのかもしれない。でもあらゆる誤読を避ける書き方なんてできるわけがないし、すでに僕は誤読をかなり恐れた書き方をしているつもりなので、「これ以上どうしろって言うんだよ?」という気持ちもある。また、誰にも誤解されない文章は「すでに常識として定着した内容」以外にはありえず、新しいこととかまだ誰も言ってないことを言おうとすれば、勝手に誤解する人は絶対に現れる。仕方ないことなのだ。でも、僕にはその耐性がないんだな~今んとこ。
 それこそ誤解してほしくないが僕は批判されたくないわけではない。受けて立つつもりはあり、お店とかではけっこうそれをやってる。ちゃんと話せばだいたいちょうどよい落とし所におさまって、「なるほどな~これからはこういうふうに務めよう」と前向きに反省もできる。しかしはなっから「そんなこと僕は言ってないんですが……」ってことを前提にして論を進め、そのうえで悪し様に書いてくるような文章からは、さすがに逃げとう存じます。「見くびらないでください、そんなこと当然わかってます、論理を追えばその点も文中でカバーされていることを読み取れますよね?」とか言いたくなるような浅~いツッコミなんかもね。はぁ。つらかった。えらいから途中で読むのをやめたよ。

2026.10.9(金) 正解と正論

 僕の関わった出来事のネガティブな成果はすべて疑いなく僕が悪い。(もちろん僕以外の者が誰も悪くないと言っているわけではない。)
 僕が関わって悪いことが生じたなら僕が悪いに決まっている。僕が関わっていないのならば僕は悪くないはずだが、僕が関わっているのならば僕が悪い。関わっているんだから。そういう平等性の病気。

 たとえば、AさんとJさんのあいだに諍いがあり、そのせいでBさんに迷惑が生じた場合を想定する。Bさんが関わっているのならばBさんも悪いし、Bさんは無関係ならばBさんは悪くない。
 Jさんはいずれにせよ関わっていると思われるので絶対に悪い。同様にAさんも悪いだろう。「悪さ」の質や大きさはここでは問題にしていない。

 こういう場合、実はどこかに「正解」というものが存在する。誰も悪くない状態に持っていける道筋を見つけたり、あるいは「みんな同じくらい悪いよね」とか「Jさんはこの点がこのくらい悪く、Aさんはこの点がこのくらい悪く、Bさんはこの点がこのくらい悪い」と全員が合意する地点を見つけたりするのが「正解」であろう。その過程で「ごめんなさい」とか「悪かったです」という謝罪や反省が通常は相互に発生しているはずである。
 僕はそれが良いと思っているのだが、できないこともある。「正解」に向かうための行動を取れないときがある。「どうしても」だったり「つい」だったり「なんとなく」だったり様子は様々だが、ともあれ僕という不完全で不器用な存在は常には「正解」に向かっていくことができない。
 その場合に代わりに立ち現れるのが「正論」である。これは僕の悪癖でもありつつ一種の美徳でもあるはずだ。みんなにとっての正解、すなわち平和で仲良しな落としどころに向かっていくことができないとき、せめて「自分にとっての正しさ=正論」というところだけは守ろうとする。必死に。
 たしか松本人志さんの事案の際に太田光さんが、「誰にでも自分を守る権利がある、自分に利益のある行動をとる権利がある」みたいなことをおっしゃっていた。「逃げたり隠れたりするのは卑怯だ」というのはまさに正論だが、槍玉に挙げられている本人にとっては逃げたり隠れたりすることが「正論」かもしれないのである。それは「みんなにとっての正解」ではないのだろうが、しかし人間は常にそこへ向かっていけるわけではない。松本さんがもし「みんなにとっての正解」を模索し、一所懸命そこへ向かっていこうとしたならば、別のやり方があったのかもしれない。中居正広さんもそうである。しかしおそらく彼らは「自分を守る」という、ここで僕が言っているところの「正論」を選んだ。僕はそれでいいと思う。いくらなんだって「おれたちの納得する正解を出せ!」と要求するのは無茶だ。

 AさんとJさんのあいだでいさかいがあったとき、おそらく「正解」は「ごめんね」以外にない。二者間は常にイーブンであるというのが僕の思想なのでそれを前提に語らせていただくが、二者間で揉めた場合は必ず双方が悪いのである。極端なことを言えば、AさんがJさんを殴ったというとき、Jさんが喜べば誰も悪くないのに、Jさんが「何すんだよ!」と怒るからAさんが悪くなる。Aさんを悪くしたのはJさんのせいであり、その点でJさんは悪い。べつに殴られたって喜べばいいではないか。「99%以上の人は殴られたら怒るよね」という常識的理解によって法律や世間は「殴ったら悪い」と決めているだけで、「殴られたら嬉しい」「殴ってほしい」と思う権利は誰にだってあるわけだ。
 良かれと思ってプレゼントをして、それをたまたま相手が不快に思ったから怒ったり泣いたりして、プレゼントした側が「悪い」ということになる。それってどっちも悪いんじゃないの?って僕は思うわけですね。
 で、このようにどっちも悪いって時に、「ごめんね」とかがちゃんとあって、「お互いにお互いのことがわかっていなかったね」と理解して、「これからはこうしていけばトラブルは減るよね」というほうへ向かっていくのがこの世の中の「正解」なのだと僕は信じている。
 そしてそれができないというときが人にはある。そのときにはやはり「自分を守る」というほうへ行くのが自然であって、そこ自体を責めるのはちょっと待ってほしい。仕方ないじゃあないか。
 僕の場合はここで「正論」にすがるというわけだ。「あなたの言っていることはこっちからしたらおかしいのです」とひたすら主張する。「わかってください」というわけだ。本当ならば「ごめんね」から始めて、小さな対話を積み重ねていくべきだとはわかっているのだが、「ちょっと待ってください、なぜこちらが一方的に悪いということになっているのですか?」という正論を出すのが精一杯なときはある。
 おきゃくさんきたからつづくね あとちょっとだけ

 ↑までは10日の昼営業時に書いていた。現在は11日の深夜、これから農愛(Podcast)録ったり死に損ないのライブ(午前4時~)に行くので出かけます。久々にロバ(ロードバイク)でね! うきうき。
 続くとは書いたが別にほとんど言い尽くしてはいるな。
 当然わかっていることとして、上記の考え方は「ストーカーされる側も悪い」「いじめられる側も悪い」という理屈につながる。僕は乱暴にもそういうことを言っている。ストーカーされることが好きな人やいじめられることが好きな人もいるかもしれない(どれだけ可能性が低かろうとも)以上、それをいやがるのは個人の見解。いやだったら回避や調整をする必要がある。ストーカーしたかったり、いじめたいニンゲンが実際いるのだから、逃げたり、相手との関係改善に努めたりせねばならない。すなわち、「社会はそのくらい厳しく、生きていくのは難しい」ということを僕は言っている。誰も助けてなどくれない。「常識」がいつでも救ってくれるわけではない。(がんばってくれてはいるけれども。)

2026.10.10(土) ビューーン!計画

 メポ~~~。今日はなぎさの誕生日メポ~~~。と思ってたらクリィミーマミの優もお誕生日なんですね、山猫スズメ先生のポスートで知りました。
 10月10日といえば体育の日ですから! 体育の日ってのは東京オリンピックの開会式の日で、統計的に雨が降りにくい日を選んだとかいう話。つまり!「しばらく雨は降りません」ってこと、のはず。
 ってことでそろそろサイクリングにでも行きたい。ゲンコーとかやることいっぱいあるんだけどもそれがいったん一段落つく(はずの)頃に「どこかにビューーン!」をついに申し込んだぞ!【さくらんぼ東根駅】【飯山駅】【雫石駅】【新青森駅】の中からガチャで、飯山駅が当選!……う~ん……飯山か……。

 飯山は一度だけ、真冬に北竜湖のほとりへ行ったことがあるだけなのでまた行きたいとは思っていた。高田まで30kmくらいしかないのでシティーライトまで自転車で走るか~と思ったら飯山に17時着の便。解散!!! んまあ高田か直江津に泊まって翌日シティーライト行っても良かったんだけどね。
 長野県の友達に連絡を取っていろいろ調整した結果、初日は小諸の「読書の森」に宿泊することにした。東信でいろいろ活動していらっしゃるさらみさん(彼は読書の森で夜学バーのショップカードに出会ったそうなのだ)もそこで夕飯をご一緒する予定。そしたらたまたま、夜学バーでもむかし演奏してくださったことのある岡林立哉さんもいらっしゃるとのこと。電話口でめぐみさんが「やっぱり尾崎くんが来る日はだれかしらいらっしゃるのよねえ~」と毎度おなじみのフレーズ。いつもなら「ねえ、ゆうさん、ねえ」と続くのだが、電話だからかそれはなかった。みなさんもぜひ、絶対、行ってみてくださいね。僕がここまで好きな場所は本当に珍しい。
 2日目は長和町に行こうと考えている。その周辺でいろいろ活動している某氏に対談を申し込み快諾いただけた。よーし「お散歩遠く」の収録だ~。「ゼペット」(ただの民家)にも顔を出したいが、お元気かなあ。
 そのあとはなんも考えていない。上田にでも泊まろうか。長野か高田でもよい。たぶん今回の目玉は小諸→長和町→上田の自転車移動で、ここである程度リフレッシュできたらあとはなんでもいいや。
 ちなみにどこかにビューーン!とはJR東日本のガチャ旅サービスで、僕の場合たった4000ポイントで新幹線往復チケットが当たる。新青森が当たった場合は36220円が4000ポイントだから、1ポイントが9円以上になるわけだ。飯山でもシテーセキは9000円くらいするので、往復18000円が4000ポイント。すごい話。
 今回は往路あえて軽井沢で降りて小諸に行き、かりに上田から帰るとして6130円+6900円→13030円が4000ポイントということになりますな。やや損する感じもするが、それでも1ポイント3円以上ですからな。行きたいところに行くのが一番。初めてのビューーン!だし、肩慣らしにもよかろう。
 もし仕事がたてこんでなかったら長和町~飯山は80km程度なので走ってもいい。5~6時間も見とけば着くじゃろ。飯山に適当な宿があればそこに泊まって翌日30km走ってシティーライトとかね。「臨時休業」「掲載保留」になってて心配だし……。(もう93歳くらいなのだ。)とりあえず電話してみます。
 あと岡谷と茅野にも行かなきゃならない。忙しい(?)。

2026.10.11(日) 恋をしようよ

 恋をしようよ。みんなもっと恋とかしたほうがいい。 「恋愛などない」が持論なのではないかって? そうですよ。恋愛などない。それは幻想であり妄想、本来は個々に「人と人との関係と相互への感情」があるだけであって、「恋愛」などという雑なパッケージを想定する必要はない。
 すなわち当然「誰かを好きで好きで仕方ない気持ちやその状態」の存在をも否定するわけではない。一方通行の感情として認められ、それが双方向になっているときに「(大)恋愛」とか言われる。
 ただし、それを「恋愛」と呼ぶ必要はない。愛しあっている人間たちがいるだけだ。その様は素晴らしく、美しい可能性が高い。そうでないパターンも(傍から見れば、ないし未来から見れば)あるだろうが、「あの関係は美しくない」と第三者が判断できるか、してよいかという問題があるので立ち入らない。
 それはそうとして、というか、それゆえに恋はしたほうがいい。ある感情に恋と名づけるのは僕からしたらナンセンスだが、便宜的にそう言っておこう。ここでは「互いに強く好ましく思い合う相手とものすごく特別な関係を築く」ということとする(このように定義がどうしても曖昧になってしまうのでやはり「恋愛などない」とするのが妥当だと思うわけだ)。その際に頭が狂っていようがバグっていようが仕方ない。そういうものなのだ。愚かではあるが、リターンもある。
 本当は存在しない「恋愛」などという幻想、妄想状態をともにでっち上げる共同作業。そこに価値があるというのである。その過程において人を知り己を知っていく。
 個人的には恋だの恋愛だのというのは必要悪でありないならないでいい、なんならないほうがいいと思っているのだが、降りかかってくるものなら利用したっていいと思うし、時に人は愚かになりたい時がある。あるいはそうすべき時期がある。行き詰まりを打開してくれるのは「狂気」と「そこに入り込む外部」なのだ。風穴があく。数年経てば不必要になって恋愛感情は狂気ごと消える。
「恋は思い出作り」って僕の教え子が言ってた。スゲーこと言うな。割り切って考えればそれでいい。保存された狂気は歴史的な良き資料になる。

2026.10.12(月) 午前四時の死に損ない

 午前四時から死に損ない(Re;Sleep!!!)のライブがあったから行ってきた。何かをやっている人はえらい。鶯谷で無銭、「寝転んでる人」「座り込んでパソコンいじってる人」「座り込んで何もしていない人」が合計20人くらいいて、素晴らしい光景だった。缶のお酒がそこら中に立ってた。こういう自由な、わけのわからない空間を作れるのはそれだけですごい。
 死に損ないは前に見にいったバンドの時もそうだったが、座り込んだり寝転んだりスマホ見たりしながら歌うのがとてもいい。今回は客席と同じフロアで、すなわち同じ高さで座り込んだり寝転んだりしてた。客席のほうとかほぼ見ない。客(僕)も目が合ったりしたら恥ずかしいカラそれでいいと思う。
 まぁ今日は酒飲まんだろうと思って久々にロバを駆った。やはり気持ちがいいもんだ。山行くにあたってビンディングペダル(シューズにカチッとくっついて一体化するやつ)に付け替えるか悩む。つけたほうがいいはいいだろうな、靴持ってかなかんけど、ホームセンターで買ったズックなら軽いからいいか。
 ところでRe;Sleep!!!は:じゃなくて;、!!じゃなくて!!!ですよね? みんな間違えてるぞ! 僕はそういうのに厳しいんだ(昴哉警察)。

2026.10.13(火) 生誕について

 庚申の日。すでに日報のほうに書いたので割愛。
 10/30と31の夜、それと11/1の夕方はお店で人生初の「生誕」やります。ノベルティ発注しました。42個限定予定。足りるかな。足りないといいな。
 生誕これまでやんなかったのは水商売っぽくしたくなかったからってのが一番で、あとは祝われるのにも「祝って!」って言うのにも慣れていないというか違和感があったから。それでも「おたんじょうびたいせつ塾」の塾長として「お誕生日だよ~」って毎年主張はしてるんだけど、それだとむしろあんまりお客さんって来ないので、一度ちゃんと告知してみたらどうなるんだろう?と思い立った。みんなジャッキーさんに日ごろの感謝を捧げよう! おてがみ、おみやげ、おこづかいなんでもありだぞ! 電報もお花もどしどしヨコセ~! ファンレターでもラブレターでも渡していい日。詩とか絵とかも大歓迎。曲も13分半くらいまでなら。
 システムは迷っている。いつもと同じにしようか、7.11周年の時みたいに木戸銭フリーにしようか。それほど人は来ないと思うのでまぁフツーでいいかねえ。椅子全部外出して立ち飲みにしてもいいが、それで誰も来なかったら死んでしまうし……。なんにしても早めに告知出さねば。うーん、苦手すぎる。

2026.10.14(水) 自慢と評判

 良い言葉だ。「自慢のおにぎり」「評判のチャーハン」そういった表現を大切にしていたい。

2026.10.15(木) 


2026.10.16(金) 


2026.10.17(土) 


2026.10.18(日) 


2026.10.19(月) 


2026.10.20(火) 


2026.10.21(水) 


2026.10.22(木) 


2026.10.23(金) 


2026.10.24(土) 


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