少年Aの散歩/Entertainment Zone
⇒この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などとは、いっさい無関係です。

 過去ログ  2015年3月  2015年4月  2015年5月  TOP
2015/04/28火 チャンベビ

 25日にチャンベビというバンドのライブに行ってきました。千葉県船橋市で小学校2年生の時から同級生だった女性三人組。中学生の時に結成して今年で19年目を迎えるそうです。
 そのメンバーでジャンベボーカル(聞いたことのない肩書き)のお姉さんが、うちの近所でカレーBARを営んでおりまして、「この人のやる音楽はどんな感じなんだろう」という感じで、ふらっと行ってみたわけです。
 このバンドは非常にゆるゆるとした活動をしているようで、最新アルバムは5年前。ライブも2年くらいまともにはしていなかったそうな。久々ということですが実に素晴らしい演奏でした。
 仕事が終わってから急いで駆けつけたので40分くらい遅れてしまったのですが、ズーブン満足できたものです。

 最近、どうも自分は「作品」よりも「人間」に対する興味が圧倒的にまさっているらしく、「最近面白いと思った○○はなんですか」みたいな質問に、ちっとも答えられなくなっている。その代わり、「最近出会った人で、素敵な人はいましたか」と聞かれたら、何人でも挙げることができます。
 チャンベビのライブでも、曲や演奏がとても素敵だというのはもちろんなのですが、それを通して伝わってくるもの、というか、「その音楽の存在している空間そのもの」が、実に愛おしくて、本当に善い心持ちになれました。その空間の核にあるのがもちろん、チャンベビの曲や歌や演奏やMCやライブ構成や……に詰められた、彼女たちの「人格」です。なんというのでしょうか、やはり、人格が空間を作るのですね。
 音楽と、三人のメンバーと、そのお仲間さんやご家族、お客さんみんなの人格が、一つの素敵な空間を作っていたような。僕もその一部であったならばうれしいし、誇りにも思えるほどです。
 たとえば、メンバーの方のお子さん(一歳くらい?)が泣き出してしまったのを、その方のお姉さんがだっこしてステージ前まで連れてきて、お母さんであるメンバーさんはギターを弾きながら子供をあやしたりなど、していました。いやー、自由だなー、というか、これは当たり前のことなのかもしれないですね。そういうことのないライブのほうが不自然なんですね、たぶん。それはとても素敵なシーンでした。
 ライブが、完全に「ステージの上」だけで閉じて、固定されて行われるものならば、それは「作品」と呼ぶべきもののほうへどんどん寄っていくのですが、ステージはとりあえず便宜的にあるだけのもので、たとえばそこに子供が勝手に上がっていって、それに対してナチュラルに演者が反応を返す、なんてことが平気であるような感じだったらば、その空間はおそらく「人格」のほうへ寄っていく……のだと思います。
 そういった、人格なるものに充ち満ちたチャンベビのライブは実に素晴らしかったです。

 数ヶ月前、仕事で新潟に行った際に寄ったSLIME BEというバーの店長さんとかですね、本当に素敵な人格で、その人のつくり出しているそのお店もまた、とてもよい雰囲気でした。空間は人格がつくる。そしてそれは一つの「作品」と言ってしまって差し支えのないような、まとまりを持った何かなのです。
 ただし、それは形のないもの。ふっと消えてしまう。
 過ぎ去っていく儚いもの。

 だけどいつでも、人格は空間を作りつづける。
 次にできあがる空間が素敵なものであるように、僕たちは人格をみがきつづけるわけです。
 なぐさめてしまわずに。

2015/04/27月 ツラサノトロ

 いちど書き出すと長いから、二時間くらいかかるから、と、なかなか毎日書けないでいる。五分でいいから書けるだけ書きたいものだが。

 久々にを書きました。
 半年くらい更新しなかったりもしましたが、いちおうこれも13年ほど続いているんですね。我ながらすばらしいことです。


 PTSDフラッシュバック。辛くてギャー。でも本当に辛いのは君のほうだよね、というところでいつも、終わる。二時間書いたものが全て無駄になった。どうしたらよいのだろうか。毎日未だに繰り返す。

2015/04/20月 ノブ&復帰ー

 尊敬する後輩(僕くらいになるとこういう表現が平気で使える!)は、四年ほど前に「アスペルガー症候群であろう」という診断を受けた。そして後に僕から尊敬されるような人物となる彼は、「それはいったいどういうことなのか」を考えた。それを材料の一つとして、自らの生活の改善に尽くした。その結果、いよいよ本格的に僕に尊敬されるような人物となっていったのである。
 高校の二つ後輩だった彼と、初めて遊んだ時のことを覚えている。僕の卒業間際、ドラえもんの映画を観に行った。僕らはろくな会話をしなかった。僕は一所懸命話題を振ったつもりだったが、全然キャッチボールにならなかったように記憶している。すぐに僕は上京したが、その後も僕らはたびたび遊んだ。と言っても、ろくな会話にならないのはしばらくずっとそうで、だから僕たちはたいていカラオケに行った。それをもってコミュニケーションとしていた。僕らは本当に歌が好きだった。彼は当初「ど音痴」と言っていいくらい歌がだめだったが、どんどん上手になっていった。今ではなかなか心地が良い。そしてそのこととおそらく無関係ではなく、彼は話すことも上手になっていった。当然といえば当然のことだ。ドラえもんの映画に行ったのは彼の高一の終わりである。それから二年間高校に通い、四年間大学に行き、僕のしたことのないさまざまな経験をしている。
 大学を出て上京した彼はたまたま僕の家の近所に引っ越してきた。その時はまだ若干ぎこちなかったように思う。今のように話しやすくなったのはいつ頃だったろうか? よく覚えていないが、意外と最近なんだと思う。「男子三日会わざれば刮目して見よ」という言葉があるが、あるとき突然すごく完璧で「うおお!」って思ったような覚えはある。正直な言葉でいえば「待っててよかった!」と。最近僕らはあまりカラオケに行かない。行きたい、という気持ちはたぶんお互いに強くあるのだが、もはや行く「必要」はなくなったのである。僕は彼のことがとても好きで、会わなければいけない気がしていた。そして会うためにはまだ、カラオケのような装置が必要だったし、当時はカラオケこそが僕たちの最も意義深いコミュニケーションだったのだ。歌っていうものを、歌を歌うということの意味を共有しあって、それこそが本当に大切だったのである。おそらく。会話のろくに成立しない我々は、「わかりあう」ということをそれで相当原始的にやってのけていたのだ。カラオケが楽しかったから、僕たちは今でも仲良しなのである。カラオケが楽しいということは、実際めちゃくちゃ重要なことなのである。やーほんと。

 そういう相手は他にもいる。たとえば二年くらい会わなかったら刮目せざるを得ないような相手になっていたというのは。

 で、なんで今そんな想い出だとか友情スバラシばなしを持ち出してくるのかというと、もちろん前の記事(2015/04/14)に関連してのこと。僕が一生をかけて訴えたいテーマの一つに、「人は変わる」というのがある。良くも悪くも変わる。条件が揃えば、障碍を克服することさえできる。件の後輩はアスペルガーと診断されたそうだけれども、それは彼にとって「生活をさらに良くするためのヒントの一つ」にすぎなかった だろう。「なるほど……」と彼はその診断(ラベリングとしてだけではなく、検査結果の細かいところまで)を参考にした。参考にして、めきめきと変わっていった。その軌跡は当時の彼のWeb日記につぶさに書かれていて、僕は感嘆しつつそれを読んでいたものだ。
 このあたりのことは第三者である僕から見た彼の姿であり、真実とは違うのかもしれないが、たぶん彼は「根本的に変わった」わけではない。そんなことは人間、ほとんど不可能である。技術を上げていった、というようなことなんだと思う。それはでも強靱な精神力のたまものだ。凄いと素直に思う。
 僕は、ADHDのケがあって、忘れ物やなくし物が多い。昔から多くて、今でも多いのだが、一番ひどい時に比べればほんの少し減った。もう六、七年は財布をなくしていない。たぶん最長記録である。それは技術を上げたからだ。どうすればなくしにくいか、パターン化して生活に組み込んだ。例えば、お店や電車の座席を離れる際は、自分の座っていた場所を振り返って確認すべし、とか、普通の人なら当たり前にやっているであろうことを、わざわざ学習してそれに努め、習慣化させたのである。そういう単純で当たり前なことが、未だにいくつも僕にはできない。
 障碍。人間は多かれ少なかれ、それを持っている。あまりに派手だと、自分が困ったり、人に迷惑をかけたりしてしまう。でも、「なんとか困らないようにしよう」「なんとか迷惑をかけないようにしたい」と思って、動いていれば、ほんの少しずつでも改善していくものなのだ、と僕は信じたい。その歩みは、無限に遅くはなりうるが、決して止まることはない。だから諦めないこと。歩いてみること。そして何より、優しくあること……これさえあれば何だってなんとかなるものだ。それは本当に、30年かけてわかった僕の一つの結論です。

 なんでここに唐突に「優しさ」なんてものが出てくるのか?
 だって優しさというのは、意外と原動力なのだ。突き動かす、というほど瞬発力のあるものではないが、ゆるやかにじっくり、人を動かす。優しさは血液が流れるよりもずっと遅く体内を循環し、うながすように働きかけている。それは食事から、言葉から、声や音色から、目に入る美しいものや風景から、肌ざわりから、とりこんでいくものである。
 そのことを理屈以上の精度で理解してしまえれば、あとは早いのだと思う。どうやったらそこまでたどり着けるのかといえば、夜回り先生こと水谷修先生の発想を借りれば、「とにかく人のために何かをしてみること」かなと、ひとまずは思います。

2015/04/14(庚申) TVタックルや

 庚申の日です。仕事終わって昼寝して、家庭教師に行ってコーヒー飲んで、帰ってきました。深夜です。小沢健二さんお誕生日おめでとうございます。

 今日はまた「場」の話を書きます。おざ研のような場所をやっている限り、そんな話題ばかりになりますね。どうしても。


 おなじみ『ぼくたちの近代史』( 音声)の引用から。長いのでそんなに興味のない人は飛ばしてください。

 でも、その内どこの子だか分かんないけれども、こっちがギャアギャアやって遊んでいるのを立って見ている子がいるわけね。原っぱって、百五十坪くらいのもんだけど、子供にとってみれば、大海原っていう感じなんだけど、そこらへんの隅っこに子供が立ってるんだよね。近所の子がね。でね、ボーッと見てるからね、「入る?」とかって言うとね、「うん」って言う子もいるしね、「ううん」って言っていなくなっちゃう子もいるのね。「ううん」って言っていなくなっちゃう子はね、恥ずかしがり屋だからいなくなっちゃうんだけど、しばらくしてね、その子が恥ずかしがってただけだったとするとね、また来るんだよね。また来て立ってね、「入る?」とかっつってね、「うん」とかって。
 でね、今度そうするとね、全然ズブの素人には、こういうことをやるんだよっていう風に教えるのね。で、教えて、出来ないと、「違う、そうじゃない」っていう風にやって、あんまり幼い子だったりするともうメチャクチャやるから、「しょうがない、この子のメチャクチャを生かすようなパターンで話を組み替えようぜ」みたいな風になるわけ。
 入ってくる子だったらいいんだけど、入ってこない子もいるのね。「入る?」って言うと「ううん」って。そのくせ行かないのねジィーッと見てるわけ。見てるから「やっぱり恥ずかしがってんじゃない? 入れてあげようか? 入る?」「ううん」。
 それはもう、必ず女なんだよね。んでね、その子がね、すごく強情そうな顔をしてるのね。
 何故そういうところで強情そうな顔してるのかっていうと、そういうところで強情そうな顔するのはね、大体決まってんだよね。家でピアノなんか習ってたりね。つまり近代教育を受けてしまった女の子っていうのはさ、家の中に閉じ込められちゃってるわけね。それがあるから、原っぱで何かやってて、面白そうだなと思ってんだけど、全く異質の世界だから、見てるだけなんだよね。まさか「入る?」っていう声がかかるとも思わないからさ、そう言われた時、「…………」なのね。
 でも、やっぱりなんか去りがたくてそこにいるから、もう一遍「入る?」つうと、「…………」。「可愛くないやつ!」とか思って、三遍目に「入る?」つって入んないから、「行け、バカヤロー!」っていう風に変わるわけで。「行け、バカヤロー!」ってこっちが言うのに、「入らない。だって、お母さんがそんなことしちゃいけないって言うんだもん」とかっつってね、それで去っていくんだよね。それだとこっちも憎くなって、「うるせえ、バカヤロー! あっち行け!」とか、「お前の母さん、でーべーそ!」とか、そういう風になるのね。つまりさ、そこに何かがあって――それははっきり言って“社会参加に関する基本ルール”なんだけど――そこに自分が第三者としているんだったら、入りたいのか入りたくないのかっていう意志表示をするべきだし、入れるか入れないのか、入って一人前にやれるのかどうなのかっていう能力っていうこと、自分で見極めなくちゃいけないんだけれども、そういうこと分かんなくて、ただボサーッと立ってるだけなんだよ。ほんで俺、なんでその「入る?」とかって、「入らない? 入る?」って、そういうことをワリとしつこく言ってたのかっていうと、俺はそうやって見てた子だからなのね。
(橋本治『ぼくたちの近代史』主婦の友社1988.10→河出文庫1992.1 P158-160)

 そういうのってさ、自分で出てかなきゃダメなんだもん。自分から「入れて」っていう風に言わなければ、なんにも始まらないんだけど、その、男の世界(引用者注:講演では「大人の社会」)って、「入れて」って発想がないんだよね。
 民主主義のヒドイところは「ダメ」っていうことを禁止するんだよね。「あの子入れたくない」っていうことと、「あの子が入って来ると困るんじゃない?」っていうのと、「これ危険だから、入れてあげられないよね」。たとえば、危険な馬跳びとか馬乗りやってる時に、小さな男の子が「入れて」って来たら、「危ないからダメ」って形で、「ダメ」っていう風にしなくちゃいけない。ダメっていう排除の仕方だって色々あるんだけど、それもダメなんだよね。で、何があるのって、みんな理屈だけでじっとしてる。それが何が面白いんだろうとかってなって。で、「ああ結局、何を言ってもダメ」っていうのがあって。(※引用者注:この段落は講演の音声をもとにして意味の通じるように若干書き改めました。)
 僕達はなんでそれが可能だったんだろうっていったら、原っぱがあったからなのね。なんの意味もないただの空き地だったんだけど、僕達がそこにいることによって、そこが僕達の世界に変わってった。だからつまり、世の中がいくらぎゅっと縮まってっても、原っぱがありさえすれば、そこにいさえすれば、人間って、なんとかなるようなものっていうのは作れるかもしれないと思うのね。だからその、みんなで作ってく混沌を平面に存在させる場所っていう、そういう原っぱっていうのがなくなっちゃ駄目なんだよね。でそれは、原っぱじゃなくても、一つの概念でありさえすればいいと思うのね。
 だから、自分が譲歩するっていうことが何故可能かっていうと、自分が譲歩することによって自分と他人との距離を広げるっていうんじゃなくて、自分と他人との関係が一本線でしかなかったことを、もうちょっと譲歩すればこの道の幅が広がるから。ここが原っぱになりうる、ここで遊べるっていう。
 俺、ワリと他人に対して譲歩するの平気っていうのは、原っぱを作っておかなければ一緒に仲良く出来ない、お互いが仲良くなる為の場所っていうのが絶対に必要で、そこに入っていかなかったら、そのかわり他人の変な中に踏み込んでいっちゃうっていう風になっちゃうから。出てって――出ていって、その出ていったところで、「やっぱり君ってこういう人間だよね」っていう形で、それをどうしていくかっていう風に変えていかなくちゃいけないし、世の中っていうのはそういうもんである筈なんだけど、今の世の中っていうのはそういう風になってないんだよね。今の世の中、学校になってるだけで、原っぱには全然なってないと思う。
(同P191-192)


「民主主義のヒドイところは、『ダメ』っていうことを禁止するんだよね」
 凄まじい力のある言葉だと、いつ読み返しても、何度講演のテープ(古い)を聴いても、思う。
 ぼくたちの近代に、「ダメ」はあるだろうか?

 15歳の時にどっぷりとはまった「原っぱ」、あのドラえもんチャット(ドラチャ)には、「ダメ」はなかった、かもしれない。僕が初めて参加した頃は、「ダメ」なんて言葉が不要なくらい、平和だった。と、まだ若かった僕はそのように覚えている。しかし少しの時間が経って、当時「嵐」とか「荒らし」とか呼ばれた人たちが現れると、「ダメ」ということをみんな、言いたくなってきた。管理人の「とも」は、当時まだ大学院生だったけど、ずいぶん落ち着いたもので、「アク禁にはしないよ。変な書き込みがあれば俺がちまちま消すだけ」と言った。その姿勢には、なんだか格好いいな、と思いながらも、それでは僕らはどうしたらいいんだ? と感じていた。その後しばらく経って「検定試験を受ければ入室できるようになる」という会員制のような場が一瞬出来たりもしたが、活気が戻ることはなく、結局、ドラチャは終わった。
 20歳の頃から入り浸っていた無銘喫茶というお店にも、「ダメ」はなかった。僕が通っていた水・木曜日のマスター(つまり僕の先代)は、「お客さん同士の関係はトラブルを含めてすべて当事者間に委ねる。店や自分は干渉しない」という態度を貫いた。僕はその姿をやはり、格好いいなと思った。彼はどんなにひどいお客さんが来ても、出入り禁止にはしなかったし、特段警告もしなかった。「いじり方」を変えたりはしていたが。ひどいお客さんは、そのうちに馴染んできたり、来なくなったりして、最終的にはどこかで安定していた。僕が、いちお客さんの分際で、ほかのお客さんに対して「ダメ」を宣告したこともある。それは僕が若かったからだが、店は言わないのだから僕が言うしかない、と思っていた。
 その話はもう少しだけ詳しくしよう。僕よりほんのいくつか年上の、ある若い男性がいて、毎週のようにやってきては、場を著しく乱していた。少なくとも僕はそのように認識していた。周りの大人たちも、「彼には一度、きつく言わないと」と、彼のいないときに言っていた。僕はそれに期待した。しかしいつまで経ってもその気配はなかった。目上の人たちが何も言わないなら、目下であっても自分が言うしかない、と思った。そしてそうした。そのやり方があまりにも残酷だったためか、彼は二度と店に姿を現さなくなった。もうちょっと別のやり方があったかもしれないと今は反省しているが、現在のおざ研まで続く流れは、その出来事の上に成り立っているのかもしれない。彼がそのまま通っていれば、ひょっとしたら僕がその店に行かなくなっていたかもしれないのだし。

「ダメ」と言わない大人たちは、優しい。そして心の中で、場に自浄作用が働くことを祈り、願っている。強制的に力を加えなくても、事態は自然によくなっていくものだと、ゆるやかに期待している。
 それは非常に民主主義というものだと僕は思う。
 自由主義、平等主義、個人主義といったものの結晶した、民主主義。

 僕が作ったおざ研という場所には、「教育研究所」という名前がついている。
 教育とは民主主義を叩き込むためのものではない、と僕は思う。
 生きるとか生活とか人生とかいったものに対する、何かしらの前向きな気持ちや力を培うためのものだと思う。

 僕はたぶんもう8年くらい、毎週木曜日に場を開いている。休んだのは一度、3.11の直後だけだ。その中で「二度と来るな」を言ったのは、覚えている限り一度もない。15歳くらい年上の人に電話で思い切り説教を垂れて、それ以来二度と現れなくなった、というようなことはある。ただ、偉そうなことを言うとそれは前掲の引用文で言うところの、≪全然ズブの素人には、こういうことをやるんだよっていう風に教えるのね。で、教えて、出来ないと、「違う、そうじゃない」っていう風にやって≫っていうようなこと。そういうのはいくらでもあって、そうであっての教育研究所なのだ。
 たとえばこの数年よく来てくれている沖縄出身の若い彼は、最初本当にひどい(他人とまともにコミュニケーションできない)状態だったので、二度目に来た時かなんかに朝まで訓戒をたれた。「まず敬語の練習をしよう。それによって相手との距離をやや遠めに設定しておいて、そこから縮めていかないと、めちゃくちゃ怖い人に見えて怖い。その容貌だと特に」とかなんとかたぶんそんなこと。すぐに分かったのだが、彼には悪気はなく、ただ「どうすればいいのかを知らない」だけだったので、それ以後逐一、「こう考えたらいい」「こうするといいかもしれない」なんてことを数え切れないくらい繰り返し、少しずつ人間味を獲得していった。今や大学生になって彼女さえいる。驚くべき進歩である。
 この彼の場合は、僕がなんとかできたパターンというか、たまたま僕の考え方が彼にマッチしていたから、すんなりと受け入れてくれて、実践もしてくれたわけなんだけど、そうでない場合は、本当に僕の言うことなんてのはくだらないお説教にしかならないだろう。

 この一年ほど毎週のように通ってきてくれている若い男の子に、「もうあんまり来ないほうがいい」とこのたび告げた。「もう二度と来るな」と言っているわけではないし、言いたくもないのだが、これ以上来てもあんまり意味がないと思う。誰にとってもよくはない。そう判断した。「ダメ」の実際的な行使である。ほぼ初めてのことだ。
 残念ながらおざ研(というより木曜喫茶)という場は、彼を快方に向かわせることができなかった。一年弱のあいだ、僕は可能な限り「快方」を意識した言葉や気持ちを彼に向けた。ほかのお客さんたちも、基本的にはそうだったと思う。
 それで彼は少し変わったし、場にはそれなりに馴染んでいたように思う。ただそれは、≪「しょうがない、この子のメチャクチャを生かすようなパターンで話を組み替えようぜ」みたいな風≫でしかなかった。つまり彼は彼のまま、「場に馴染ませてもらっていた」ということにすぎないのだ。最初のうちはそれでいい。しかし、それはその場にいる人たちに少なからず負担を強いるので、どこかで逆の立場にならなければならない。いつまでも「馴染ませてもらう」側ではなくて、いつか「馴染ませる側」にいかなくてはならない。しかし彼はどうしても「受け取る」ということ以外を知らなすぎるように未だに見える。
 彼が本当に「快方に向かう」ためには、「受け取る」という以外のことを覚えなければならないだろう、と僕は感じている。それを促すことに僕は、あるいはあの場は、成功しなかった。そしてたぶん今後も、彼が木曜に通い続ける限り、難しいだろう。なぜかといえば、彼自身が今の状態にある程度の満足をしているし、周囲も既に、今の状態の彼のことを面白がっているからだ。つまり「もう笑うしかない」というところで、状況は膠着したのだ。
 その状態で膠着して何が悪いか? 別に悪くはないのかもしれない。しかし、そうなるともう原っぱではない。ちょっとした制度である。膠着したいなら別のところでやってくれ、ということだ。原っぱは自由な個人の楽園ではないのだから。
 おざ研にいれば、ある程度の満足が得られてしまう。たとえ「笑われる」「いじられる」という関係でしかなくても、とりあえず受け入れてもらえる。そうしたぬるま湯状態では、快方に向かおうという動機も、力も、育ちにくくなる。それを良しとする理由は、僕にはない。
「快方に向かう」という表現をあえて使っているが、つまり彼は病気なのだ。僕だって病気だ。だから常に少しでも快方に向かえるように意識して生きている。≪ほんで俺、なんでその『入る?』とかって、『入らない? 入る?』って、そういうことをワリとしつこく言ってたのかっていうと、俺はそうやって見てた子だからなのね。≫……お節介だが、僕は独断で、いつか「入れて」を言えるようになるための「ダメ」を言う。

「ダメ」と言って何が「ダメ」なのかというと、問題は「彼が毎週のようにやってきて、たいてい開店から終電までずっといる」ということなのである。彼がいると場はある程度膠着する。なぜならば彼に柔軟性がないからだ。彼は人の話に自分を合わせるということが一切できない。彼がいると「彼の空間」になりがちなのである。彼が参加する会話は、彼の存在を軸とした会話に大抵はなってしまう。そして、常にそこに彼がいる、ということは、常に彼によってある程度膠着させられた空間に彼はいる、ということなのである。これが実は、僕の言う「ぬるま湯」という状態の、最も本質的な問題だ。
 ちなみに「自分が軸となる」というのは、「彼についての話題になる」のではなく(それもあるけど)、「会話の中心が彼になる」という意味。彼は膠着していて動かないのだから、中心に据えないと会話にならないのだ。だから、他の人が話している時に彼が話し出すと、恐ろしいほどの違和感が場を覆う。その場その場に応じた話し方を彼はまったく知らないのだ。彼を会話に参加させようと思えば、中心に据えるほかはなくなり、彼を脇に置いてしまうと、しゃべり出した場合に一瞬、時が止まる。そういう状況に誰もが慣れきってしまえば、膠着としか言いようのない貧しい場になってしまう。
 自身によって膠着させてしまった空間に自分がいて、そこで自分が軸となるような話をして、そうでない場合は空気を壊して、突っ込まれて笑われる。彼にとってはこれを延々と繰り返してきた一年間だったように思う。もうこれ以上繰り返してもあまり意味はないだろう。これまでに言われた忠告やアドバイスをよく覚えておいて、別の場所で修練を積んだほうがきっといい。まず、学生だからと働いてないのがよくない。24歳になってこれまでに稼いだお金が20万円に満たないというのはやや珍妙に思う。たとえばいろんなバイトをして汗を流し、積極的に人と話し、経験を蓄えていくことをおすすめしたい……。
 僕の案としては、今後おざ研には月に一度くらい来て、二時間くらいいて、その都度感触を確かめながら、変化したいなら少しずつ変化していくように目指していくのがいいんじゃないかと思う。別に僕は君が嫌いなのではない。みんなもそうだ。ただ君が、他人から好かれる条件をほぼ備えていないというだけである。その条件とは多くは生来的なものではなく、獲得も可能なもの、だと思う。


 人間を人間として見る、扱う、というのは意識していないと存外難しいもので、人はともすればモノ(作品とか、コンテンツとか)になろうとするし、そう扱おうともする。僕はどんなに好きなミュージシャンも作家も、とにかく人間として見ていたいし、友人や知人ならなおさらそうだ。人間やめてもいいことないって逆転イッパツマンで学んだよ。

 過去ログ  2015年3月  2015年4月  2015年5月  TOP