●15周年特別企画

 7月11日で15周年を迎えます。
 これまで7月に書いた日記を14年分、振り返ってみます。

2000.7.11(火) HP開設!

午前0時、Entertainment Zone 営業開始!
そのせいもあって、昨日は4時寝だった。あ~眠い、3時間くらいしか寝てないよ~。
朝方までショウ(ドラ友)と長電話してたのが本当の理由。
でも、某ドラえもんサイトの掲示板に告知しただけなのに初日で60HIT突破とは、結構幸先良いんじゃないかな。
ちなみに一番乗りはりょう(ドラ友、僕の「心の友」と書いて心友)だった。
1時はどうなるかと思ったけど、今は少し安心してるよ!>りょう
日記にメッセージ入れるのってありかな(笑)。


それでねぼけまなこのまま、学校に行ったわけで。
火曜日は古典の小テストが1限、漢字テストが3限にあって、加えて数I、数A、英Gまである。
そう、火曜日は要予習日なのだ。
いつものことだけど当然 、なにもやってない。
しかも、「look after ドラえもん」(※1)と「池松屋本舗」(※2)の書類を今日中に出さねばならず、かつ昼休みにはワンダーフォーゲル部の集まりがあって、原稿書きの暇など無い。
そういうときは当然、授業を利用させてもらうことになる。
しかし、その日の授業「古典・数I・数A・英G」といえばいわゆる積み重ね教科

やばいっしょ。

その後は部活。
短縮授業のため、みっちり3時間部活。
つらっ!
きつっ!

帰ってきたら、PC!!
掲示板見て、チャット入って、HP更新して・・・
それで、もう夜。
ダメだようこんな生活じゃ~~~~!

わかっちゃいるけどやめられない♪


14歳のお誕生日おめでとう!
僕の家から天王寺までで4時間かかることが発覚。
5:35大曽根発~9:30天王寺着←1番早い時間でこれ。
天王寺に着いてからだけど、阪和線の普通列車は時刻表に載ってなかったからわかんなかった。
もしわかったら教えて。

↑補足 by7.12のジャッキー
関西本線よりも東海道本線の方が速いことが発覚しました。
名古屋5:04→大阪7:26(急行)です。
阪和線の時刻表は、電車が多すぎるので載ってないそうです。
かわりに走行間隔がきっちりと載っていました。
時刻表は奥が深い・・・

※1文化祭で僕が組むドラえもん講座のタイトル
※2文化祭クラス発表のタイトル


2001.7.6(金) ロックマンX(言わずもがな)

相変わらず指導部と抗争中。
子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの。
尾崎豊のファンには、嫌いなタイプがいる。
大人を大人だと言うだけで偽善者扱いだ。
或いは偽善者になった子どものことを“大人”と呼ぶのかもしれない。
子どもから見て嫌だと思われたとき、その人は大人になるのかもしれない。
植芝理一はこう表現した。
男の子と女の子がキスをした瞬間、天使が朝にやってきて、2人を撃ち殺す。
気が付いたときには何事も無かったようにまた抱き合っていて、2人は大人になっていた。
そんなものなのかもしれない。
大人になる瞬間というのは必ず存在する、しかし。
その、子どもが殺された瞬間というのを、大人は覚えていないのだ。
そして、その時に考えていたことなど全て忘れてしまう。
残ったものは、想い出、記憶、情報・・・
そしてそれを再び“考える”ということはない。
僕はもう既に天使に撃ち殺されてしまったのか。
それすらわかろうよしもないのだ。
自分が大人かどうか何て誰もわからない、
だからこそどんなに大人を嫌がっても、それをはねのけることなんて出来ないんだろうな。

2002.7.11(木) 久蔵

凡人と、天才と、「その中間である大人」について。
僕は3日ほど前に色々と考えるところがあって、
人を呼び出してまでその考察を語り尽くした。
その結果が三日前の日記であるが、
ある人にとってはあの文章がとてもかっこ悪いものに見えたらしい。
うん、確かに、とてもかっこ悪い。
何も伝えようという気がなく、
ただ僕のメモ帳としてこの真っ白な画面を利用させてもらったからだ。
それにしてもあの文章だけを見て、
「君のあの日の文章はこうこうで、かくかくのイメージがあった、
 しかじかでもなければこれこれとも感じられず、とてもかっこ悪い。」
と断言されたのでは、こちらとしてはちょっと体裁が悪い。でも、仕方がない、
伝わるはずはないのだ。


思うにおせっかいな人間というのは、おせっかいするのが好きなのだ。
ここでいう「おせっかい」というのは、「人の為になろうと日夜努力している人」のことで、
「小さな親切大きなお世話」だとか、「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言い換えることもできる。
そういった、俗に言う「オセッカイザー」というものは、
仕入れた事実に知ってる情報をフル回転させて、ぶつけて、その方向を捻じ曲げ、
都合の良いように、つまりおせっかいがしやすいように、ひいては快感を得るために、
もとの「事実」から自分勝手な解釈を創り上げてしまうのではないだろうか。
Aという客観的事実をBという主観的事実…つまりは文句のつけやすい状態につくり変えるというわけ。
それで「ちょっと君、それは○○なんじゃないかと、僕はそう解釈したのだけれど」…
「僕はそう解釈した」これである、解釈しすぎなのだ。
そうやって人に指摘するのが快感だから、どうしてもそのように話を持っていきたくなるのであろう。
だから僕のような抽象度の高い文章は格好の的かもしれない、どのようにでも解釈できる、
というよりは僕の脳味噌は元来がダークネスなので、叩けば幾らでも暗黒が滲み出てくる。
その暗黒をひとつまみ取り上げて、さあどうだと指摘すれば、それで終わりなのだ。


「本当にわかってもらいたい事は、本当にわかってもらえない。」
さとうまきこの『わたしの秘密の花園』だったかな。僕はこのフレーズが忘れられない。
子どもの頃から、僕の考えている事は、捻じ曲げられてきた。
特に兄達の誤解ぶりは凄まじいものがあり、僕の考えている事は、全て捻じ曲げられてきたのだ。
兄は幼い僕がそんな高尚な事を考えているわけが無いとはなから見くびり、
彼の想像に見合う思考しかさせてもらえなかった、もちろん、していたわけだが、
彼等の解釈の中では、僕はつまらないことばかりを考えていたらしい。
高校生3年生になった今でも、わかってもらえないことがある。
これは、はっきり言って誰もがそうであろう。誰もがわかってもらいたくて、わかってもらえない。
どうしてこんなにわかってもらえないのか?
それは、表現が乏しいからである。
例えば僕の拙い文章では、僕の思っていることなんて、10000000000000分の1も伝わらない。
壊れるほど愛して、3分の1でも伝われば良い方だ!なんて、いつも思う。
純情な感情は空回り、なんてよく言ったもので、そう確かに、
僕の純情であるはずの感情は、全てが誰かの手によって、そうでないものに変えられてしまう、
それは時には友人であったり、また、自分自身であったりもする。まさにそれが、ジレンマ。
だからもっと表現技能を得たいと思う、
そして、僕がわかってもらいたいと思う人、そして僕のことをわかりたいと思ってくれる人、
そんな人を、探さなければならない、誇張ではなく、おせっかいではなく、
真の僕の姿を共に探しだそうとしてくれる人、そんな人が、必要なのだと思われる。

だが喩え自分の本来の意志には食い違いがあろうとも、
駄目だしをくれる友達というのは、やはり貴重なものであって、
ひとつの意見として、とても参考になる。
しかし、やはり自分の心とは反していたとすれば、
それほどの友達であるがゆえ、悲しい気分でいっぱいになる、
それほどの友達であるがゆえ、なんだか、孤独な気分で胸を満たされる。
それほどの友達を、僕はどれほど持っているというのだろうか。
ひょっとしたらこれは、その友達に対する、ある種の社交辞令ではなからんことを、
僕は願うのであるが。

《注:2003年7月頃は、毎日書いた日記を月末に一挙公開する、という「月記」スタイルで書いていました。》

 昨日(14日)書いた入れ子型構造(「れ」を外に出すことにした)への説明がわかりにくかったのと、新しい発想を得て(箱が一つ開いて)多少ばかり思想を更新してしまったので、ここに再度記しておく。どうも哲学は更新されていくものらしい。『音楽と人』という雑誌で小沢健二と大槻ケンヂが対談をしたことがあり、その中で小沢と大槻は次のような内容で盛り上がっている。どういうことかというと、例えば森高千里なんかは客観ではなく主観で書いているから「これはなんでこうなの?」というものがなく「女の子パワー」に溢れる「もう理由なさそうでばっちりオッケー」な歌詞が作れるんだけど、小沢や大槻には非常に強力な「俯瞰の自分」というものが存在してしまっているために、そうはできない。彼らのように「意識的な男」は「経験と学習による構成」に向かってしまうというのだ。大槻はCHARAを引き合いに出す。CHARAは「好きな映画」を訊ねられて「ゴダール」と答えたそうだが、小沢や大槻は「俯瞰の自分」に邪魔をされるため、たとえどれだけゴダールが大好きだったとしても余りに恥ずかしくてそんなことは言えない。つまり僕らの世代で言えば「村上春樹が好きだ」と言うのがつい憚られてしまうのと似ている。それが堂々と言えてしまう人は、「俯瞰の自分」を持っていないか、あるいは「俯瞰の自分」の眼が「村上春樹」を許容、肯定しているか、そうでなければそういった枠組みをすでに越えてしまっているかのいずれかではないかと思われる。最後の場合に関しては少し難しいかも知れないけど暇な人は考えてみてください。さて、これの何が入れ子型構造に関わっていくのかというと、実はこういうこと。僕らは一つの「認識の箱」の中に入っているわけで、その箱は自分が新しい何かに気付くことによって開き、新しい外の世界に出ていくことができる。でも箱の中にいる自分の力ではその箱を開けることはできなくて、自然と開くのを待っているしかない。さて認識というのはそんなにも受動的なものなのかというと、実はその箱の外側にもまた別の自分がいて、その外側の自分が蓋を開けて箱の中の自分を「発見」し、真上から「俯瞰」することによって、新しい何かに気付く(自覚する)のだ。つまりその時に自分は自分を客観的に分析することができたということである。中に入っていた自分は箱の外に出て、外側にいる自分と融合をし、ほんの少しだけ大きな新しい自分になる。でもすぐに自分はまた違った、さっきよりも少しだけ大きな箱の中に入っているということに気付く。そうして再び、箱の中にいる自分は外側の自分がいつか蓋を開けて「発見」してくれるだろうと期待しながら待っている、というわけだ。これが無限に繰り返されていく。これが更新された僕の「認識の入れ子型構造論」の凡そである。まだ自分の中で整理がついていないので書かないが、この入れ子はいつも玉葱のように中心から外に向かって「部屋」が広がっていくのかというと、どうもそうではない気がする。もう少し複雑な形、例えば箱の中に小さな箱が二つ入っていてそのどちらか一方の中にはまた小さな箱が入っていて、というような、そんな感じではなかろうかと考えている。

2004.7.14(水) すかんち、セックスしよっ。

 まったく、たまったもんじゃないわ。今こんなに苦しんでいるのも、全てあの男のせい。はっきり言って、思い出すのもいやなんだけど、このままちっぽけなベッドの上で気持ちの整理もつかないで死んでいくのはもっといやだから、手記としてまとめようと思って。もしかしたら少しは気分も晴れるかもしれないし、少なくとも気晴らしにはなる。といいな。病院の人が来て灯りをみんな消していくには、まだまだたっぷり時間があるから。
 あたしはユダヤ人だから、まともな仕事なんてもらえないし、ユダヤ人っていうだけで、白人相手には売春さえできなかった。あるときシャウムベルヒという男が近づいてきて、あたしを踊り子にした。下心があることはわかっていたけど、気づかないふりをしておいた。パトロンってやつ。でも、さすがにあいつには身体を任せる気にならなくて、なんとか、逃げてた。あ、「さすがに」ってのは、深く追求しちゃだめね。だって、醜いのよ、あいつは。心も体も。
 彼が現れたのはちょうどそのあたり。お父さんが死んじゃって、急にまとまったお金が入り用になった。シャウムベルヒがそれを餌にしていよいよしつこく迫ってくるようになって、お母さんからもはやく身体を売ってこいどうせもとから売女のくせにと怒鳴られるわ、殴られるわ。けどシャウムベルヒだけはいやだった。だからいいカモでもいないかなあって教会の辺りをぶらぶら。白人じゃ相手にしてもらえないし、ユダヤ人が気前よく大金払ってくれるわけなんてないから、さしあたりお金のありそうな有色人種、できれば日本人を探して。そうしたら、いた。人の良さそうな黄色い顔。
 あたしはさっそく演技をはじめた。泣いた。うそ泣き。するとすぐに声をかけられた。あたしは簡潔に、それでいて遠まわしに、お金が必要なことを告げた。言うだけいってから、またうそ泣きをはじめると、あたしのうなじを見つめていた彼は、あたしを家まで送ると言ったから、しめたと思って、連れていった。案の定お母さんはあたしをひどく怒鳴りつけたけど、カモだと告げると、態度が変わった。
 彼との交際は、しばらくつづいた。好きだったかもしれない。抱かれたときも、とくに悪い気はしなかった。幸せだったと思う。でも、長くはなかった。あいつのせい。みんなあいつのせい。相沢という、あの男のせい。あの男が、彼に入れ知恵をして、あたしたちの仲を引き裂いた。彼は彼で、いとも簡単にあたしを捨てた。そしてあたしは病気になった。今もこうして伏している。あたしは身ごもっている。彼の子を身ごもっている。あたしは



 エリスは筆を置いた。もう書くことはない、と思った。少しだけ気分がよくなったように思えた。廊下から足音が響く。もう消灯なのかもしれない。エリスはそう思った。病室の戸が開く。相沢だった。
 相沢はエリスに言った。自分はあなたを愛している。豊太郎は邪魔だったから日本へ帰した。金ならいくらでもあるので、あなたを不自由させはしない。少しずつ療養をして、二人で静かに暮らしませんか。子どもは二人で育てましょう。相沢は、にこりと笑った。
 エリスは、それもいいな、と思った。(『舞姫』桃尻語訳)


《欠番のためmixi日記より》

2005年07月17日
10:01 ふたりはプリキュア

見るたびに神だなあと、いや奇蹟だなあと思うよ。

シスプリは12人
ネギま!は30人以上
(・∀・)モエッな女の子が出てます

そこへいくとプリキュアは
たったの二人で(・∀・)モエッを演出するわけです
なぎさとほのか。
たったの二人で(・∀・)モエッ度は充分。
そこでもう凄いっすよ。
だから『ぴたテン』もすごい(´∀`)
変身後の衣装とか、「ありえな~い」とかのせりふとか
あと携帯電話の使い方、神がかった主題歌群なんかも含めて
プリキュアは神です

今シーズンからは3人目が登場しました
おいおいそれじゃ『ふたりはプリキュア』じゃないだろうと。
非難囂々なわけで。
その一方で3人目の「ルミナス」に(*´Д`)ハァハァしてるヲタたちは
いっぱいいるわけなんですけどね。
僕はイラネ(・A・)と思います。

しかしその、よく見てるとですね
ルミナス完全に置いてけぼりなわけですよ
やっぱり『ふたりはプリキュア』なわけですから
あくまでもなぎさとほのかが軸になるんですね
ルミナスはちゃんとサブキャラとして抑えられてる
そこが偉いと思います。
なぎさ・ほのかをもり立てる(笑)スパイス的な役割としては
割と成功しているのかも?

『ふたりはプリキュア』は
タイトルに「ふたりは」を入れてるところがネ申。

とことんこの「ふたり」を強調します。
「手を繋ぐ」っていうのを取り入れたのが 凄いなと。
これは「ふたり」じゃないと表象されない意味とか出てきますよね
つまり、三人で手を繋ぐことと二人で手を繋ぐこととでは
潜んでいる意味が違う。
なぎさとほのかの「友情」、というか「関係」を描き出しているのが『ふたりはプリキュア』なわけですよ、ええ。
『○○戦士 プリキュア』でもいいわけですよね。
その、戦闘をメインに考えるならば。
『美少女戦士セーラームーン』と決定的に違うのはそこで。
セーラームーンはその名の通りやっぱり戦闘をメインにした作品で
しかも5人とか9人とかイパーイいるんですね。

闘うってこと考えたら確かに人数いたほうがいいしw
セーラームーンが最初5人だったのは
特撮とか男の子向けアニメの影響でしょう。
○○戦士 っていうネーミング自体そう。
男の子の世界を移植しただけっていうかね。
でも、そういう流れとは全く別なところに
プリキュアはあるんですね( ´ー`)

これまでに
女の子の「一対一の関係性(友情)」を描いたアニメって、
ありましたかね?その、特にプリキュアくらい流行ったものって
特に思い浮かびませんが。
ミラクル☆ガールズ?
あれは双子だし、そんなに売れなかったかwww微妙ですなぁ。


以前は女の子って孤独でしたね
サリーちゃんもメグちゃんもヤダモンもミンキー・モモも。
もちろん「友達」はいるんですよ。チャチャにしろ何にしろ。
でも魔女ッ子が群れを為すっていうのは『おじゃ魔女どれみ』を待たなきゃならなかったわけで。(違ったらゴメス
セーラームーンまではなかったと思うんですよ。群れるの。
だけど如何せんそれも男の子の世界からの「輸入品」であったと。

『ふたりはプリキュア』にきて初めて
女の子アニメは魔女ッ子登場以降初めて
オリジナルの地平を切り開けたというか。
言いすぎですかね?w
セーラームーンだって革命だったと思いますが<社会的にも
僕はプリキュアを推します。社会的影響は少ないですが…(´・ω・`)
まあ、僕はうさぎちゃんよりなぎさに萌えますから
そんだけの理由でこじつけてんですけどね。

プリキュアのすごいところは「ふたり」を強調したことと
「戦闘シーン」でしょうね。
これはすごいっす。少年アニメ顔負けのアクション。
みんな結構プリキュア見たことなくて、知らないんですが、
素手で闘うんですよ、素手で。
ステッキ振りかざしタルルルリンってしないんですよ。
これも革命的ですね。
ジェンダーを意識してるのか知りませんが
戦い方においては、
もはや少年アニメと少女アニメの境がなくなってきてます。
あとは登場人物の「関係性」の問題になるんじゃないですか?
男の子には男の子の、女の子には女の子の世界がある、っていうのは
戦い方とかそういうので区別されるのではなくて
関係の築き方・在り方にあるのではないかと。

だから
女の子ふたりの「関係」がテーマだと思いますねプリキュアは。
戦闘なんか二の次ですよ。
それこそ、赤ずきんチャチャのビューティーセレインアローみたいに
テーマに直接関係はないがおもちゃは売りたいし
女の子達の変身願望も満たしてあげるという。
(ついでにおっきな男の子たちも喜ばすwww)

なんかごちゃごちゃしましたが今日のプリキュアの感想っす(なに。
これから斉藤美奈子の『紅一点論』を読み直し
後期授業のプリキュア演習に備えまつ(`・ω・´)シャキーン

2006/07/31 B 21:44 菅原文太三四郎

 ダメだできない
 ここのところどうも無気力で、逃避癖がついて、何もできない
 友人で、「学校に行くのが嫌で、電車がきてもホームのベンチから立ち上がることができなくなった」
 という奴がいるんだが、ほぼそれ。
 学校のある日に布団からはい上がることのできなかった経験を持つ人は多くいることと思うが
 それの延長だと思っていただけたらと。
 
 たとえば現在などは、今日提出のレポートを書き出せずに困っている。
 書き始めさえすればほんの2,3時間で終わるし、構想もほぼまとまっていて、あとは小手先のテクニックで補える。そのくらいの力はある。ちなみに今日必着。自転車で先生の自宅までお届けする予定であったが、それも不可能らしい。最悪、明日の朝までに横浜市へ着けばという算段。
 
 これ、出さなかったら司書教諭の資格が取れないが
 何というか、死ぬの死なないのそんなことばかり考えてどうも重要事項ではないみたい
 今の僕にとったら。
 そういうわけでひたすら逃避であります
 今日の一日をご紹介いたします

 昨晩夜中、いや夜明けまで起きていて(マンガ読んでたな) 
 起床は11時頃でございました
 すこしうだうだして
 
 レポートを書かなくては!
 
 と、ワードパッドを開く
 タイトルと学籍番号、名前を書き
 本棚から資料になりそうなものを引き抜き
 Googleで関連情報を収集する
 頭の中でそれらの情報を転がしながら
 だいたいどのようなレポートにするか、まとめる
 
 ここまではすさまじい集中力。いつも自分が天才と酔う。
 ところで、このレポートを届ける先生の自宅はどこだろう
 自転車で行くので地図を見なくては。
 おや、地図ソフトがインストールされていない

 -インストール-
 
 横浜と聞いていたので、2~3時間はかかるなと思っていたら
 横浜市とは言っても北のほうで、計測してみたら25kmほどしかなかった
 これなら1時間半もかからないな
 気が抜けた
 ので、今度の旅行の道すじを確認しがてら距離を測定
 ぼんやりする
 いつの間にか時間が過ぎていく、妖怪「ときたべ」が
 僕の時間を、食い荒らす
 
 
 
 起きたら夜6時だった。仕事の時間だ。1時間ほど仕事して、おなかへったからなんか食べる。
 ラジオを聴きながら、何を思ったか『失踪日記』を読み返す
 と、8時半。ははははは
 ラジオ聴く。
 マンガが読みたくなる。
 いくらか読む。
 
 
 今日一日、
 ずっと、
 考えていたことは
 自分がどのように生きていくか。
 
 楽天的
 楽観的にぼんやり
 とぼとぼとこのまま
 生きていくならば、これでいい
 どうにかなった。
 「明日できることは今日するな」
 ものごとの「本当の期限」を要領よく見定めておけば
 プレッシャーや焦燥感は人生のスパイス
 などと思ったり
 
 このままではいけないのではないか
 と思ったり
 何より
 僕は素直ではない
 というか
 思ったことを誰にも言わない
 言うのが怖い、見栄もある
 すべて上辺だけ
 こうして日記を書いているのも半分はウソだ
 「本当で塗り固められたウソ」だ
 この言葉はすでに高校の時に使っているが、いつまでも使える。言葉持ちが良い。
 木を隠すなら森の中とでも言うのか
 ある程度真実くさいことを言っていれば
 誰もそのさらに奥にある本当のことに気づかないし
 追究しようなどという者もいない
 追究しようと思ったら、その人はすでに
 僕の罠にかかっている
 
 空白を残しておくのだ
 すぐれた文学とは読者に「空白」を委ねる文学だという
 簡単に、わかりやすく言ってしまえば、1から100まで説明されている文学よりも
 説明されていない部分を読者に想像して補わせるような
 そういう仕組みを持った文学がより高尚である、というわけだ
 
 人間は一冊の本だって誰かが言ったね
 そうなるとすぐれた人間とは「空白」のある人間なんだ
 わけがわからんということ
 しかし、ただわけがわからんのではなくて
 ある程度はわかる、そして、その部分はとても面白い
 だが見えないところもある
 そこが魅力だというわけ
 
 事実、むかし僕がすごくモテてたころは
 そういう自己演出をしていたのだよね、意図的にかわからんが
 だから、文学少女が食いついたんだね(こじつけだ
 「こじつけでもつじつまがあえばそれにこしたことはない」と
 
 「ワカラナイカラ好キニナル」なんて標語を掲げた漫画もありましたが
 (僕の大好きな『ディスコミュニケーション』植芝理一)
 ミステリアスな存在というのは時にそれだけで魅力的です
 「ミステリアスなところが好きです」なんて実際に言われたこともある
 さじ加減を間違えれば不気味なのだが
 僕は幸いにもその辺りはクリアできていたらしい。
 
 そういうふうに常に空白を作って
 わけがわからないふうに見せる
 ごく親しい友達にだって、僕は未だにわけがわからない人なんだと思う
 あるいはわかっているふりをしているのか
 もちろん、誰かを完全に理解することなんて無いのだけれども
 「意図的に」隠すか、そうでないかというのは
 相当に大きな違いであると思う。
 だって、“他人のことを完全に理解できていないことを意識する”なんてふつうないでしょう

 ところが「意図的に隠す」とどうしても不自然になって、逆に目立つ
 意図的な隠蔽工作が、隠そうとすることが、逆に「見せる」ことにつながる。
 からくり
 
 こういうふうに生きていることが孤独感を呼んでいるんだということも知っている
 どんなに友達が多くても
 “誰にも理解されていない”
 
 “誰にも理解されていない”なんて、ごく当たり前のことだが、この場合
 “誰にも理解させていない”のだから、少し違った様子になる
 あきらめがつかないからね。自分がもう少し素直になれば、
 誰かにわかってもらえるかもしれない、という可能性への期待。
 自らが自らを囲い込んでいく、これは自閉であるという言い訳。
 
 プライド及び見栄のために
 セックスがしたくても黙っているというか
 
 
 ま、そういうことを今日は考えていて、いつの間にかもう10時過ぎてて。
 どうしていこうかという将来への不安。
 身体のあちこちがボロボロになってきている自覚。
 醜く“育つ”より今死ぬかという幼き邪念。
 
 
 ここまで書いた文章が酷く独り善がりだ
 他人の脳味噌が覗けない以上は仕方ないのだが
 みんな僕と同じことを思っているんだろう
 僕が偉そうに書いていることは実は本当に当たり前すぎることで
 何年も前にみんなすでに通り抜けてきた思考なんじゃないか
 だとしたら粋がって、僕は恥ずかしすぎる
 
 ああそうか
 世界中のみんなが自分を笑っているんじゃないかという不安とはこういうことだったんだ
 やはり生きているのはつらい


■あらゆることへの答え / 平成19年7月15日(日)

 世田谷区から自転車で帰る途中、ずっと環八(環状八号線)というでっかい道路を通るわけなんだけど、うるさいし、こわいし、単調だし、空気も悪いし、心休まらないし、線路が道を遮っていたりして、困る。線路があると、自転車は迂回するか、むりやり自動車専用道路を通るか、階段を登ったり降りたりするかしなくてはならない。そういうわけで僕は特別急ぎではないとき、特に夜中、練馬への帰り道に関してはたいてい環八の傍らの、狭い、細い、暗い路地を走ることにしている。車どころか人っ子一人いない静かな道。10メートルごとに街灯が一つずつともっている簡素な道。特に杉並区から練馬区のあたりは、東京というイメージにそぐわない田舎道。
 ゆっくりと、ぼんやり走る。ふだんの3分の1くらいのスピードで。風景と、静けさを噛みしめながら。ふと空を見上げると、星があまりにきれいだった。
 
 今日は月が出ていなくて、台風一過とはこのことと、雲も見事に散っていた。少し暗いところで、片手で街灯を隠しながら、つーっと自転車走らせて、星がきれい。それだけ。
 たったそれだけのこと。

 僕にはそれが全てのように思える。今日あのふたりが言っていたことも、星がきれい。
 この日の帰り道、台風から一転、晴れ晴れと空が笑い、星がきれいで、僕がそれを見上げていたということは、偶然じゃない。

 どうして、星がきれいだというだけで、畑のそばを自転車で通るだけで、墓場にぞくぞくするだけで、こんな気分になるのだろう。どうして、野菜をかじったり、土に寝ころんだり、ねずみが死んでいるのを見ただけで、こんな気分になるのだろう。どうして、誰もいないのに人の気配がしたり、かかしが怖かったり、空に吸い込まれるような気がしたり、するのだろう。

 あまりにも星がきれいだった。ここは東京で、見られる星の数なんて限られている。そりゃあもっと田舎に行けば、もっと綺麗な星空は見られる。だけどそういうことじゃない。やっぱり星はきれいだから。
 僕らは(なんて言い方は勝手だけど)、星を諦めすぎているような気がする。いったいどうして、東京には空がないだとか、星が見えないとか思いこんでしまったんだろう。そうやって諦めていると、見えるものもみえないし、見上げようともしないだろう。「東京の空なんて」と僕らは、いや僕は、ついつい思ってしまう。だけど、それはきっと空をバカにしすぎている。星をあなどっちゃいけない。輝き、瞬き、踊っている。よく眼を凝らしてみると、一つ、二つ、星の数が増えてくる。少し暗くて静かなところを探して、耳を澄ましながら、空を見る。すると、想像していたのよりもずっと多くの星が見えて、聞こえるはずのない静寂が聞こえてくる。そして思う。星がきれい。

 まるで好きな人が近くにいるような感覚。
 草を使った治療みたいに、少しずつ癒されていく。
 難しい言葉は何も思いつかない。
 星がきれい。

 今日は、よいこともたくさんあったけど、いやなこともたくさんあった。どうしても、絶望せざるを得ない。そんな気分ですらあった。理屈で説明つかないこと、目には見えないけど大切なもの、愛する心。口にした瞬間に、あまりにも陳腐になってしまうんだけど、言いたい。僕は君たちを信じている。街の灯りを週に一度だけ全部消して、近所の人たちはみんな外に出て、星を眺めながら、ビールを飲んだり、笑いあったり。子どもたちが叫んだり、走ったりまわったり。少しでも見晴らしのいい場所を求めて、かけずり回り、数をかぞえているうちに、眠くなったり。そういう空想。ありえない夢。だけど信じていて、涙を流しながら望み続けている光景。

 死にたいとか絶望は、そんな時にしかやってこない。

 星がきれい。
 きれいな星。
 みんなが笑っていること。
 うれしそうなこと。
 すれ違ったら挨拶をすること。
 星がきれいなこと。
 好きな人がそばにいるような感覚を、大切にすること。
 それだけのこと。

2008/07/20(日) AGH(アーゲーハー)

 庭を埋め尽くしているヤブガラシが伸びに伸び、ついに網戸にからまりついてうすく開けておいた窓越しに素朴な花を覗かせている。その花の緑やオレンジのつぶつぶの周りを黄色いミツバチが飛び回っていて危なっかしい。茄子に水をやるにはこの網戸を開けて外に出なければならぬのだがミツバチが怖くてどうも億劫になり結局夜中や早朝にガラガラと水をやるのが常になる。
 今日も同じようにうすく開けておいた窓越しにヤブガラシの素朴な花を見つめているとフュッと飛んできたアゲハチョウがぴたりと止まり、ゆっくりと蜜を吸い、ゆらゆらと羽根を微動させている。
 網戸からわずかに数センチの距離、僕は近づいてそっと観察してみた。花の蜜を吸っているアゲハチョウをこんなに近くで観察したのは生まれて初めてかもしれない。捕まえて標本にしたりということは幼い頃にしていたけれども、こんなにも生活臭のあるチョウを間近で眺めるというのは。捕まえるという目的があると、じっと見つめて表情を読むなんてことまではとてもできない。
 少し前にはこの網戸にヤモリが這っていたのだった。箱庭のごとき小さな庭ではあるものの確かに生きている。伸びすぎたヤブガラシはまた例年の如く業者に刈り取られ、土のみの庭を再び眺めることになるのだろうが、そうしたら彼らはどこに行くのだろう。いや、待てよ。それよりも彼らは、いったいどこから来たのだろう。
 一時期は丸裸だったこの庭が、どういう経緯でこうなったのか。何種類もの雑草が咲き乱れ、ミツバチやアゲハやヤモリがやってくる。雨上がりにはカエルの跳ねていることすらある。どこから運ばれてきたのだ。
 網戸を開けてみた。ヤブガラシのツタがガラガラとスライドし、視界が開ける。茄子がてかてかと黒く、アゲハはすでにいない。ミツバチが飛んでいる。僕は水を撒いた。

 最近どうしてか、家の中によく虫がいる。網戸と窓の間から、うまいことすり抜けて入ってくるのであろうか、先日などは食事中の皿の上に図々しくも乗り込んできて仰天した。殺してしまうこともあるが、殺さなくても気にならないし、殺してもさほど気にならなくなった。
 昔、高校生くらいまでは、蚊を殺すことさえできなかった。マンションだったので虫は少なかったし、たまに入り込んできても家族の誰かが代わりに手を汚してくれた。潔癖とか、気持ち悪いとかよりも、例えば虫を潰すと、その手のひらに命がすり込まれて、暗闇で光るような、そんな感覚があったのである。
 しかし、網戸からわずか数センチのところにアゲハチョウが止まり、食事中の皿の上に虫が飛んでくるような生活を何年も続けていると、家と庭との境目がまったくぼやけてくる。
 あるいは僕の育てている茄子が、ヤブガラシと絡まり合って、溶け込むように庭に同化している。鉢植えという人工のものが、自然の庭と一体化して、境界線を失っているわけだ。僕はそれを見ていると、なんだかもうわけのわからない気分になってくる。
 僕の生活と、庭の生活に、確たる分かれ目のなくなってしまうような感覚があって、いわば、植物や虫の生き死になるものが、ひどく身近に感じられてくるのである。まるで自分が、庭の生態系の一部に取り込まれたかのように錯覚して、庭の生命が食い合いをする如くに、僕のことを食わんとする蚊を、防衛のために殺すということが、自然のうちに行われるようになった。そのうち畳のどこかから、何か緑の生物がニョキニョキと生えてくるんでないか。キノコくらいならば、家の中にも生えるとは聞いたことがあるが。

 夏は暑い。エアコンのないこの部屋は、窓を開けて、換気扇をぶんぶん回すことによって熱の拡散を行っている。そうすると空気は常に、窓から入ってきて、台所の換気扇から出て行くことになる。すべての空気は庭からやってきて、僕を通過して外へ出て行くのである。
 なるほど。

2009/07/11 革命的半ズボン主義宣言、ジャッキー版

 今日でこのサイト9周年です。祝ってください。
 9年前の自分は半ズボンを穿いていませんでした。
 一本だけ、兄からもらった膝までのジーンズを持っていて、夏にはそれを穿くこともあったのですが、僕の中ではそれは「ハーフパンツ」と呼ばれるものであり(この線引きには個人差あるのかな)、半ズボンとは違っていた。

 街を歩くと、「ハーフパンツ」を穿いている男性はいくらでもいるのに、「半ズボン」を穿いている男性はまずいない。
 ここで言う「半ズボン」とは、丈が膝上10~20センチ程度のものを言います。(膝上30~40センチともなると似合うのはジョギング中のおじいちゃんか釣りに出かけるおっちゃんくらいのもんになって、若い人がやっていると相当に奇異になります。が、いつかはここにたどり着きたいものだ。)

 どういうわけだか僕は今年の夏、半ズボンを穿こうとしております。「ハーフパンツ」には潔さを感じないので、ここは「えいやっ」と気合いを入れて、半ズボンを穿きます。膝上15センチくらいの。
「ハーフパンツ」は既に街では市民権を得てきております。もちろん、まだまだビジネスの場では認められていないので、さらなる布教活動は必要なわけですが、「半ズボン」に関しては、街での市民権さえ得ていないというか、存在すら抹消されている感があります。「ホットパンツ」を穿いている女子はそれこそ穿いて捨てるほどいるのに、「半ズボン」を穿いている男子はいない。僕はそのすき間に斬り込んでいきたい!
 これは何も「他人と違うことがしたい」という中二病的発想ではなく(自分はそう信じている)、社会への意思表示であります。「どうして男子が半ズボンを穿いてはいけないのか?」という反抗であります。男子の皆さん、一度半ズボンを穿いて外に出てみてくださいよ、涼しいですよ。涼しくて動きやすくて、走り出したくなりますよ。

 このことは、既に半ズボンを穿いて街を闊歩している僕が言うのだから間違いがありません。半ズボンを穿くと、走り出したくなります。どうして大人が夏に虫取りに行かなくなるのかといえば、長ズボンを穿いているからです。それ以上の理由はありません。
 そういえば僕は夏になると地元の友達と山へ虫取りに行くのですが、去年行った時は先述した膝までのハーフパンツを無意識に穿いていました。山に行くのだから本当は長ズボンでないとキケンなのですが、なんだか走り回りたいような気分だったので、半ズボンを選んだのでしょう。
 それにしても、小学生の頃から穿いているものを未だに穿いているというのは、我ながら物持ちのいいことです。逆に言えば、そんなに頻繁には穿いていないということかもしれませんが。でもさすがにそろそろ穿けないくらいぼろぼろになってきました。
 小学生の頃から着ているジージャンは、今でも着ます。ぼろぼろですが、自転車旅行に出かける時には、真夏でなければ連れていくことが多いです。正月は、Tシャツの上からこれを羽織って「暑い、暑い」と言いながら地元の友達(同じくTシャツの上からジャンパー)とはしゃぐのが、恒例行事となっています。僕のジージャンは、そういう友達です。余談でした。

 長ズボンが大人の象徴であり、中学生、いや小学校高学年くらいになるとみんなが半ズボンを脱ぎ出すというのは、彼らがもう「走り回るような歳ではない」ということを意味しています。子供の側から言うと「僕たちはもう子供ではない」ですが、大人の側から言えば「お前たちはもう、走り回られては迷惑になるくらいの歳なんだ」です。「大人になりたいと思うなら、走り回るのはやめろ。その意思表示として、長ズボンを穿け」です。

 長ズボンは、男性に対して「動くこと」「走り回ること」を禁止します。女性にとってのスカートもまた、同じです。僕は自転車に乗るのですが、多くの人々がまだまだ自転車を主要な移動手段にしたがらないというのは、彼らが決してスカートや長ズボンを脱ごうとしないからではないかと思っています。だからといって半ズボンを穿くべきだということでもないのですが、「暑いのならば、半ズボンを穿いてもいい」という選択肢が、特に男性には発想としてないのです。
 女子の穿いている「ホットパンツ」と呼ばれる半ズボンは、機能的に完璧です。涼しくて、動きやすい。それでいて色っぽくさえあるのです。男性が思春期の手前で失ってしまった機能性を持つことが、女子には許されています。これは「女子は大人しいから、動き回られても困らない」という発想がどこかにあるのではないかと睨んでいます。つまり、女子は見くびられているのです。「こいつらに涼しさと動きやすさを与えたところで、その優れた機動性を十分に利用はできまい」と。実際、女子はホットパンツを穿いたからといって、その機動性を利用することはほとんどありません。「今日はホットパンツを穿いているのだから、走りやすいや」などと言って、街中を走り回っている女子など、見たことがありません。(僕など、半ズボンを穿いては「こりゃあぐあいがいいや」などと言って新宿のビルの中を走り回っている非常に迷惑な大人なのですが。)
 大人が半ズボンを穿いて動き回ったところで、誰かが困るのかといえば、誰も困らないのかもしれません。だから僕の言う「男性は走り回ることを禁止されている」というのは、完全に的外れなのかもしれないし、たとえそう言うことができたとしても、「だからなんだ?」ということにしかなりません。それは現代が「走る必要のない社会」だからということと関係があります。

 僕の生活において、移動とは「自転車に乗る」ことと「走る」ことによって成り立っています。ほかの移動手段は、ほぼありません。「自転車に乗る」の比率が常人の何十倍も高いので、「走る」ということもあまり多くはしませんが、それでも普通の人よりは走っているのではないかと思います。僕はせっかちなときはせっかちなので、やたら走ります。楽しい風景はゆったり歩きたいと思いますが、見たくもない風景のときは、ひたすら走ります。
 だから僕は夏に長ズボンを穿いていると、非常に不便なのです。暑い上に、動きづらい。自転車だって、長ズボンが汗で肌にひっつくととても漕ぎづらいし、長ズボンを穿いたままロードレーサーに乗ると、すそが汚れたり、前ギアに引っかかって破れたりします。
 去年までの僕には「半ズボンを穿く」という選択肢が発想としてなかったので、その不便を「不便」としてやり過ごしてきました(そこで「自転車に乗らない」「走らない」を選ばなかったのは偉いと思う)が、今年から「半ズボンを穿く」ということを発想として認めてしまったら、「不便」はついに「手つかずの不便」ではなくなって、「不便だけれども、工夫によって最小限の不便さに抑えられている状態」になりました。一度「工夫」を覚えたら、もう「手つかずの不便=工夫しない状態」に戻る必要もありません。

 自分の中の論理はそこで完結していて、「僕は夏中半ズボンを穿いていればいい」ということになるのですが、自分の外側へ一歩出れば、そこには「男子は半ズボンを穿いてはいけない」という決まり事のようなものがあります。もちろんハーフパンツを穿いている男性はいっぱいいるのですが、そういう人は「ラフな格好」などと呼ばれて、言葉に説得力を認めてもらえません。フォーマルな、長袖、長ズボンという格好をしていないと、男性は「まともな社会人」として扱われないのが現状です。極端なことを言えば、「半ズボンの男性の言葉に説得力なんかない、半ズボンの男性が主張することに権利を認める必要はない」が、あるところにはあります。これはこれで仕方のないことなのですが、しかし僕が斬り込んでいきたいのは最終的にはそこです。

 茶髪の人や金髪の人が社会的に発言力を削がれているのと同様に、半ズボンの人も若干発言力を削がれている感があります。これは僕の実感です。しかし、茶髪や金髪と違って半ズボンには、「涼しいし、動きやすい」という、どうしようもなく合理的で具体的な「機能」があるのです。
 僕の理想は、「夏に男性が職場で半ズボンを穿いたっていい」という状況が生まれることです。半ズボンがファッションではなく、機能として認められることです。「ファッション」の要らないフォーマルなオフィスでも半ズボンを穿く人がいて、そのことが奇異なものとされないことです。僕は冷房が嫌いなのですが、座り仕事が中心のオフィスでも冷房がガンガンに効いているというのは、これはひとえに「我慢強さがない」のと、「男性が長ズボンを穿き続けている」ことに原因があります。
 そのためには、とりあえず自分が半ズボンを穿いてしまうことです。そこからしか、何事も始まりません。幸いにも現在の僕の職場には、二名ほど半ズボンを穿いて仕事をする男性がいます。「先例があれば、それに追随することは簡単だ」というのは日本人の特性なので、これに続いて僕まで半ズボンを穿いてみたら、もしかしたら何かが変わっていくのかも知れません。ただ、いちばん暑い七月半ば~九月初頭までの間、僕には仕事がありませんので、それを実践する機会というのも実はないのですが。

 僕が嫌なのは、「暑いのに頑なに半ズボンを穿こうとしないこと」ではありません。「男性とはフォーマルな場では長ズボンを穿くものである」という決まりが、なんとなく存在していることです。この「フォーマル」というのが、「冠婚葬祭」などの非日常で儀礼的な「ハレ」の場のことを意味しているのならば、いいのです。そのことが場に対する礼儀として慣習的に定められているのなら、それは「機能」ということを凌駕して尊重されるべきことだと思います。が、たとえばビジネスという日常的で実際的な「ケ」の場において、「機能」を陵駕せねばならぬほどの礼儀として「長ズボンを穿くこと」がなんとなく定められているというのが、僕には納得できないのです。
「社会とはそういうものだ」という考え方は、下らないので、しません。日常とは何よりも機能を優先すべき場です。僕はそう思います。宗教的な所作を別にすれば、必ずそうであるべきです。僕が女性の「日常の化粧」を嫌うのは、ここが所以です。化粧に、具体的で実際的な機能はありません。あれは「ファッション」です。茶髪や金髪と同じように、抽象的な意味しか持っていません。「日焼けを防ぐ」という具体的な機能もあるにはありますが、それならば「日焼け止めを塗る」でいいのです。「きれいに見せたいから」「みんなしているから」「そのほうが男性が喜ぶから」といった理由は、すべて抽象的なものです。「暑いので半ズボンを穿く」「動きやすいので半ズボンを穿く」「日焼けすると肌に悪いから日焼け止めを塗る」といった実際的な行為に比べたら、ぜんぜん意味のないものです。偏屈な僕はいつもそのように言って女性を怒らせています。
 僕の論理でいけば、「化粧は肌に悪いから、必要な時以外はしない」というのが自然なのです。冠婚葬祭のような非日常の場においてこそ化粧は必要なのです。女性が、なぜ自ら「毎日が非日常である」ような生き方を選んでいるのか、そしてなぜ社会が、女性にそのような在り方を望んでいる(ように見える)のか、僕にはちっともわけがわかりません。
《2015年注:化粧は「おしゃれ」の一環である限り、素敵な営みだと今は思いますが、この頃は本当に偏屈だったんですね……。》

 僕の母親はふだん、まったく化粧をしません。少なくとも僕の物心がついたときからそうです。結婚式や葬式に出かけるときには、珍しく化粧をすることもありました。我が家に女性は母親しかいなかったので、「化粧とはそういうものだ」と僕は思って生きてきました。素晴らしいことに僕は母親を、世の女性の中で最も愛している(そう思えないような家庭に育った人は可哀想である)ので、そういう在り方こそが正しいと、今でも思っています。母親が「化粧というのは~」という持論を口にしたことは、覚えている限り一度もありませんが、僕が勝手に理論化したところによれば、「化粧は非日常である」なのです。
 母親が若かったころにどうしていたかというのは、知りません。ここ数年は信じられないくらい母親と仲がよいので(べつに悪かったことなんて一度もないけど)一度聞いてみようと思います。彼女は「岡林信康はな、風呂に入ってもセッケンで身体を洗わないんだぞ! というのも人間の身体には自浄作用というのがあって……」なんてことを子供に教えるくらいだから、進んで日常的に化粧をしていたとは思えません。
 ちなみにうちのかーちゃんは、年の割に見た目も気も若いです。かわいいです。肌もきれいです。なんでかというと、保育園に勤務して日常的に子供と戯れているからというのと、未だに南こうせつがミーハー的に好きだからというのと、勉強家であり行動家であるからというのと、化粧をしないからだと思います。

 うちのとーちゃんも、そういえば散歩とか釣りとか虫取りに行くときは半ズボンを穿いていました。

「半ズボンを穿く」は、あらかじめ定められているかのように見える「社会の価値観」への反抗であって、それは「化粧が嫌い」ということにも繋がっています。「なんとなく決められているらしいことに、なんとなく従っている必要はない」です。僕は「化粧をするな」という意味のことを言ったことはたぶん一度もありません。「しなきゃいいじゃん」くらいのことを言うかもしれませんが、それはあくまでも「なんでするの?」という「問いかけ」です。
 僕が「なんでするの?」を問いかけると、女性はたいがい、複雑な表情をします。「だって化粧するの好きだもん!」と即答できる幸せな女性に出会ったことは、まだありません。たいていは、女性というものは、「本当はしないでいいものならしないほうがいい」ということをどこかで思ってはいるのですが、「でも、しないわけにはいかない」ということをも同時に思っているのです。
 男性だって、「暑いんだから半ズボンを穿きたい」を、思っている人はどこかで思っているはずなのですが、「明日から会社に半ズボンを穿いていこう」ということには、まずなりません。ビジネスマンとしてのマナーとやらがそうさせています。会社の外で人と会うような職種の人ならわかるのですが、一日中会社のデスクでちまちま働いているような人も、なぜか半ズボンは穿かないようです。会社の人以外とは誰にも会わないなら、女子はすっぴん、男子は半ズボンで良いようなものなのです。だけどそうはなりません。僕はそういう状況が嫌なのです。なんとなく決まっているらしいことに、なんとなく従うことはないのです。別に「化粧をするな」「半ズボンを穿け」ではありません。「化粧をしない」「半ズボンを穿く」という選択肢が、なぜ発想として存在しないのか、そのことが僕は不思議だし、嫌だということです。
 実際、一昨年くらいまでの僕には「半ズボンを穿く」という発想がなかったと思います。去年も、「半ズボンでも穿くかなあ」とか思いながら、結局ほとんど穿きませんでした。それが自分として、とても嫌だったのです。「なんとなく決まっているらしいことに、なんとなく従っている自分」というのが、許せなかった。だから今年こそは、半ズボンを穿こうというのです。可能ならば職場でも穿きたいのです。来年、もしも現職であったら、やってみようと思います。もう夏休みなので――。

 女子は化粧について、男子は半ズボンについて、それぞれ考えてみると面白いのではないかと思います。

 いったい僕は「ファッション」よりも「機能」というものが好きであるらしく、都会で自転車に乗るときは「排気ガス対策の黒いマスク」を必ず付けますし、夏には「陽射しよけのおばサンバイザー」が欠かせません。ひどいときはその上にサングラスをしたり、頭に手ぬぐいを巻いたりします。Tシャツに半ズボンにサンダルといった格好でそれをするものですから、周囲には不審人物としか見えません。農作業するおっちゃんおばちゃんみたいに、純粋に「機能」ということしか考えていないのです。ので、自転車に乗っているとよく注目されます。笑われたり、驚かれることもしばしばです。しかし僕は「これは機能的だ」と信じてそれをやっているものだから、気になりません。まったく気にならないわけではないのですが、旅の恥はかき捨てといったふうに、気にしていません。
 だって、「排気ガスは吸いこみたくない」「眩しいのは嫌だし、日焼けするのも嫌だ」「暑いのは嫌だ」「電車には乗りたくない」ということを強欲にすべて実現させれば、こういう格好にしかならないはずなのです。こういう格好にならない人のほうが、僕には不思議だとさえ言えます。
 この文章で僕が言いたいのはそういったことです。


「毛ずね」の問題に関しては、本家の『革命的半ズボン主義宣言』を参照のこと。

2010/07/06 時間を知るために

 昔のことを思い出すときりがないので書かないが、つくづく僕は過去というものが好きな人間だ。それは自分の過去というだけではなくて、あらゆる過去というものに愛着がある。と言っても、過去の中にも好きなものと嫌いなものとがあったりするんだけど、しかし過去は過去であるというだけで敬うべきものではある。年寄りを敬うことと同じだ。だから未来に対しては、子供たちに向かうように優しく、そして厳しくあらなければならない。

 生きれば生きるほど、時間というものがわかる。「十年」ということは、十歳では実感できないし、二十歳でもちょっと難しい。「十歳からギターを弾いている」とか、「十歳から漫画を描いている」とかいうのがあったら、二十歳のころには「十年」ということを具体的に把握することもできるんだろうが、そういうのの ないと、なかなか「十年」ということが掴めない。僕は「十五歳からサイトをやっている」というのがあってようやく、「ああ、十年とはそういうことなのか」というのが具体的に実感できた。あるいは、十五歳の時から友達であるような人たちのことを思って、「十年ってのは……」と思ったりもする。そうだ、例えば幼なじみがいて、四歳から仲良しだったとしたら、十四歳の時には「十年」がわかるかもしれない。これは人それぞれに何かがあるかもしれないし、何もない人だっているかもしれない。
 余計な話だけど、家族だとそういうのはあんまり感じないかも。「十年間も兄弟やってんのかあ……」なんて思わないもの。生まれて数年間はほとんど記憶なんて残ってないんだから、当たり前といえば当たり前か。

 二十五歳の僕は、まだ「十五年」ということがどういうことかわからない。あと十年も生きたら、「二十年」がわかるだろう。「五十年」がわかるためには、あとどれくらい生きるべきなのか。では、「百年」を知るためには?
 そのために過去がある。そのために歴史がある。過去を敬い、歴史を愛する心なくしては、「百年」も「千年」もわからない。「百億年」ということになったら、これはもう宇宙を知る以外にない。天文学とか宇宙のことをやっている人は、「歴史」なんていうもんじゃ満足できないくらい、途方もないほど「時間」というものに興味があるんだろうと思う。
 百年や千年という時を知るために、夏目漱石や源氏物語が伝えられているのだ。年を取って古典に傾倒する文化人が多いのは、「普通に暮らしていたら実感できるのはせいぜい数十年程度でしかない」ということに気づいて、「もっと時間というものを知りたい」という欲求が大きくなるからなんじゃないかな。

2011/07/09-2 岡田淳さん(児童書を書く人)

 クレヨンハウスにて講演を聴いてきた。三年ぶり。
 初めて講演を聴いてからはまる十五年。
 劇団うりんこが『びりっかすの神様』を舞台化した時だ。
 奇しくも僕の初舞台(学芸会除く)の日と同じ七月二十六日だった。
 その時にいただいたサインに日付が記されている。
 彼の作品を読み始めてからだと、二十年くらいになる。

 三年前といえば『9条ちゃん』を書く前のことだ。
 僕は『9条ちゃん』を書くことによって、というよりは「物語」を書くことによって「自分」というもののあらましをようやく確認できたようなところがあるので、三年前には僕はまだ「自分」がわかってなかったと思う。
 もちろん、当時の講演の内容と今日聴いてきたものは違うから、そのせいもあるのだが、おそらく今日とまったく同じ話を三年前に聴いていたとしても、「用意」はまだ完全ではなかっただろう。
 僕は「物語」を書くことによって、自分がすべきことが何なのかをわかったし、そのために自分がどのようなことをしてきたかもわかった。わかったというか「決めた」というほうが近いかもしれないが、とにかく三年前、「物語」を書く前の僕はきっと「用意」ができていなかったのだ。

 初めてまともな「物語」を書いて二年が経って、四つの愛すべき作品が生まれた。その中でたくさんの人と関わってもきた。そのことが、僕に今日の岡田淳さんの話が「伝わる」ための「用意」をさせてくれた。

 講演を聴きながら、僕はあと何十年生きようと、ここ以外のところに帰ってくることはないのだろうと思った。僕はここだけを目指して二十六年間を生きてきたのにちがいない。「物語」を書くのに決めたのだって、岡田淳さんの『扉のむこうの物語』を読んだからだ。実際に書けるようになるまでには十数年かかったけど、あの時確かに僕は「物語を書こう」と思ったのだった。
 今日、岡田淳さんの語ったことはすべて、僕の知っていることだった。いや、本当は知らなかったんだけど、用意はぜんぶできていた。「あ、そうだよ。こういうことを言うような人だから、僕はこの人のことがずっと好きだったんだ」と、まんべんなく感じていた。

 なんていうか、僕にはこの人からはるか昔に受け取ってしまったものがあって、それを誰かに伝えないといけない、そういう使命があるような気がする。そのために生きている。
 この確信は今日気づいたんじゃなくって、ずっと思ってた。わかってた。用意はずっとできていた。ただ言葉になっていなかっただけ。
 いや……言葉にもなってたような気がする。今日はただ、そのことを確認しただけなのか。きっとそうだ。確信じゃなくって、確認だった。
 んで、自覚と責任と義務ってもんが、今日からはさらに強くなるっていう、そんだけのことだ。

 岡田淳さんっていう人は、児童書を書いている人で、図書館に行けばどこでもたいていは置いています。はじめは『ムンジャクンジュは毛虫じゃない』『扉のむこうの物語』『びりっかすの神様』『ようこそ、おまけの時間に』『二分間の冒険』あたりを、おすすめします。そのあとは、何を読んだって大丈夫です。『雨やどりはすべり台の下で』とか『竜退治の騎士になる方法』なんか、とってもいいと思います。『ふしぎな木の実の調理法』とか。いやその、本当に、全部。

 僕は孤独でした。ずーっと孤独でした。
 今でもかなり孤独です。
 だけど諦めるわけにはいかないから、伝える側に回るしかないよなって思ってるんです。僕が五万人いたらいいのにって、本気で思う。
 クレヨンハウスの講演会には、たぶん100人弱くらいの人が来ていたけど、若い男の人や、若い女の人や、男の子や、女の子が、ほとんどいなかった。おじさんも少なかった。
 僕はどうしてこんな孤独な世界で生きていかなければならないんだろうって、絶望しちゃうんだけど、僕は僕みたいな正しい子供が孤独になってしまうような世界なんて絶対にいやだから、がんばってみようって思ってるんです。
 本当に、涙が出るくらい、孤独で仕方がない。
 僕の残りの人生は、この孤独感を絶滅させるためにある。
 僕みたいなのだって五万人もいれば、力になれるし、それに、五万人もいたら、もうちょっとくらい孤独じゃなくなると思うんだ。

2012/07/06 金 戊辰 成長と感情について(信じたいために疑い続ける)

 石川啄木の詩を思うたび、この人がもう数十年生きていたらどんな詩を書いていたのだろうかと考える。考えたところで何もないが。


 人がより素敵に変化することを「成長する」と言う。
 僕はそれを見ていることが好きだ。
 こんな世の中で、未来への希望というのはそういうところにしか見いだせない。
 僕は希望を見たいから、できる限り誰かの成長に加担したくなる。
 それで先生をやったり、もう先生でもないくせに子供たちにあれこれと関わりたがったりする。
 別に子供たちばかりでもない。誰だってずっと成長しうる。
 ただ、やはり自分より年上の人間に希望を持つことは難しいとは感じている。
 Don't trast over thirty.とはよく言ったもので、本当にだいたいそのくらいの時期に、人は固まってしまう。
 なんでか。

 大人には実績がある。
 三十歳くらいになって、結婚したり子供ができたりすると、特に男性は、「自分は一人前だ」と思ってしまうようだ。
「一人前だ」まではいかなくても、「今の自分は今の自分でいいんだ、このままで十分なんだ」と、自己肯定する。
「自分を疑いなさい 多角的に見なさい そんなチャチな物差しじゃ 絶対にサバ読んじゃうもん」って、cali≠gariってバンドが歌ってた。
 三十歳くらいになると、自分を疑うってことをしなくなる。それは「自分は素晴らしい」と信じ込むことでもあるし、「自分はダメなやつだ」と信じ込むことでもある。すなわち「自分はこういうヤツなんだ」という思い込みが強くなって、そこでそのまま膠着する。それはすなわち「社会とはこういうもんだ」という思い込みを固定化させることでもある。
 わかったように世の中を語る人間は、自分のこともすっかりわかっているかのように錯覚している。そして「かもしれない運転」や「だったかもしれない運転(運転?)」を怠るようになって、「頭が固い」と若者から煙たがられる。
 三十年の実績が、「自分は三十年間無事に生き抜いてきたんだから、これでいいんだ」という錯覚を招くのだと僕は思う。凡人が、三十年ごとき生きたくらいで、何をわかるというのか。せいぜいぼんやりと、向かうべき方角が見えるか見えないか、という程度が関の山なのではないだろうか。二十七歳の僕は少なくともまだ、そのあたりにしかいない。
 三十歳くらいになると、人は一切の成長を放棄し始める。もしくは「成長とはこういうことだ」と決めつけて、その定義に則った成長をしか望まなくなる。裏付けは彼らの「実績」である。

 高校生の女の子が先日、憤って僕に訴えかけてきた。「学校で、男の先生が、とても感情的に怒っていて、とてもみっともなかった。でもそれを礼讃する風潮が一部にあって、それが解せない」というような内容だったと思う。その先生は三十代で、最近子供が生まれたばかりだという。「子どもが生まれたあとの男性は妙な正義感にとりつかれる」というような表現をその子がしていて、なるほどそういう傾向はあるなと思った。以下、その子との会話の中で考えたりしたこと。(だから、何割かは彼女の意見も含まれているかもしれません。)

 僕は最近、冗談で自分の肩書きを「自意識研究家」とか「自意識評論家」とかって言うことがある。その立場からこの問題について考えると、「子供が生まれて初めて生命の尊さについて目覚めた」ってことなんじゃないかなと思う。生命が本当に尊いのかどうかは知らないが、まともに生命について考えたことがないような人ほど、子供の誕生で舞い上がって「生命は! 尊い!」とか言い出しそうな気がしませんか? 僕は自意識研究家としてそう断定したいですね!
 その先生がなんで怒っていたのかというと、避難訓練の時に生徒たちが不真面目だったからなんだってさ。あーあーそういうことか。「キミタチは3.11をワスレタノカ!」的なことなんでしょうかね。震災に直面して初めて「生命の尊さ」とか「社会の歪み」みたいなことについて考えるようになったって類の人なのかもしれないな。自意識研究家の邪推ですけどー。
 って、ここまでだとまだ「自意識」の研究にはなってない。「その先生が自分自身についてどういう意識を持っているか」が自意識研究である。その人をよく知っているわけでもなければ、その場に居合わせたわけでもないので何もかも邪推でしかないわけだが、彼は酔ってますよ。
「俺はお前たちに死んでほしくないんだよ!」って、狂ったように叫んでたらしい。完全に陶酔。それで生徒たちはけっこう感動したんだそうだ。でもさ、その感動って「あー、私たちってこの先生に愛されてるんだ!」っていう感動でしかないわけね。伝わったのは「俺はお前らが好きだ」っていう内容だけで、するとそれって「俺のために避難訓練はちゃんとやれ」ってことになるじゃん。変だよね、それは。「俺はお前らに死んでほしくない→だから俺を悲しませないためにお前らは避難訓練をちゃんとやらなければならない」ってことだもん。
 感動した生徒たちは「愛されている」ことに喜ぶだけで、「次からはちゃんと避難訓練しよう!」って思った子は少ないだろうし、いたとしても次回までには忘れているよ。ほぼ無意味。それが証拠に、「先生すみませんでした、もう一度避難訓練をやらせてください!」って頼みに行った生徒はいないわけでしょう?(いたらごめんなさいねー。)
 教育なんだから。必ずしも「俺はお前らが好きだ」を伝えることが教育ではない。避難訓練をちゃんとやらないなら、ちゃんとやるように指導するのが教育。その指導の方法として、彼のやり方が正しかったとは僕には思えない。
 彼は彼の自意識をみんなの前で発現させただけ。「俺は生徒たちを愛している(そんな自分は素敵よね)」って。「俺は大震災についていろいろなことを感じ、また考えていて、ゆえに避難訓練は大切だと思っている(そんな自分は立派よね)」って。
 まー……本人からしたら「そんなこと思ってない! 勝手な分析はやめてもらおうか!」ってことになるんだろう。そう、自意識研究には根拠なんかなくって、当人にとっては滅法失礼な行為だということは承知。他人からの伝聞だから事実誤認もあるだろうことも承知。でも、まあダシにさせてくださいよ。これも教育の一環なんだから。
 少なくとも、「僕が聞いた話だけから判断すれば、あなたの行為はそういうふうに見えるのですよ」ということは言えるんじゃないかと思う。怒るのはいいけどね、自意識が見えるとみっともないよ。本当に。
 たぶんその先生が言った内容はもっとたくさんあって、まっとうなことも含まれていたんだろうとは思うんだけど、でも僕に訴えて来た子の印象に最も残った言葉は「俺はお前たちに死んでほしくないんだよ!」だった。ツイッターとかで「感動したー」とか言ってる子も、そこが一番印象的だったみたいだし。だとしたら、やっぱ間違えているよね。見せ方を。順序を。だから自意識が過剰にはみ出す。

 さて、成長。
 その先生、かなり膠着しているような気がします。膠着していると、もちろん柔軟性がなくなる。柔軟性がないというのは、他人の意見を参考にしないってことで、要するに独りよがりなんですよ。いい大人が平気で感情的にギャーギャーわめくのって、「そこに他人がいて、それぞれにいろんなとらえ方をしうる」んだってことを忘れているからだよ。それを前提にしていたら、喋るとき慎重になるはずだもん。「どういうふうに話せばここにいるみんなにできるだけ伝わるのかな」って。
 それをしないっていうのは、「自分はこれでいいんだ」って思ってるからね。「他人に合わせて変える必要はない、ありのままの自分をぶつければわかってもらえる」って信じ込んでるんじゃないかねー。なんだろうね、その自信は。これが僕の言う「一切の成長を放棄した状態」ね。
 むやみに自分を肯定すると、人は感情的になりますよ。感情的になるっていうのは、自分が正しいと思ってるってことなんだよ。「……待てよ」がないからね。「……待てよ」があれば、感情的にならない。怒りの感情よりも、「自分が悪いのかもしれないよなー」って思いが先に来れば、怒らないんだ、人は。疑うことを忘れると、人は感情的になります。
 たとえば僕が漫画読んで号泣するとき、「自分が正しい」って、やっぱ思ってるね。そこには「……待てよ」はありません。「……待てよ。このシーン、本当に感動的なのか?」が先に来たら、泣かないもん。「うん、このシーンは感動的だ、自分のとらえ方に間違いはない!」って自信がないと、泣けない。感情っていうのはそういうもんだと思う。

 感情って言うのは臨界点なんで、そこへ行ってしまえばもうそれ以上の成長はない。だから時々「本当か?」と抜き打ち検査をしてやるといい。それで「うん、本当だ」となったら、そこで泣けばいい、笑えばいい。怒ったっていいかもしれない。「信じたいために疑い続ける」っていうのは、そういうことだろう。

《2015年注:すごいこと言ってる。言い過ぎなところもあるかもしれないが、内容は面白いと思う。》

2013/07/31 水 心が広くなってきた、やっぱり一休さんだよ

「そうしていつかすべては優しさの中へ消えて行くんだね」
「いつの日か長い時間の記憶は消えて優しさを僕らはただ抱きしめるのか?と」

 最後に残るのは優しさで、それは希望です。

 湘南乃風について書いてから、自分の優しさが急激にUPしたような気がしています。なんか、憎いものなどなにもなくなるほど、「分けて考える」力が急速に強まってきています。
 湘南乃風のことは名前以外何一つ知らなかったのですが、聴いてみたらそれほど悪いものでもないだろうと思いました。ただ、ちょっと前の自分だったらもしかしたら批判していたかもしれないですね。わからないですけど。

 昔は野球が支配的で、Jリーグ以降はサッカーが同じくらいになって、スラムダンク以降はバスケがその次点にあがって、って感じですよね。
 僕はそういう感じ、とても嫌いだったんですよ。音楽でいえば僕の世代だとミスチルの支配感はけっこう嫌でした。
 そういうの(特にスポーツによる支配)って、小中学校や高校あたりに行けば今でもありますよね。でも、だんだん少なくなってると思うんです。代わりに別の問題が起きているということなんでしょうけど、価値観が多様化したおかげで、支配的なものというのがだんだんなくなってきているはずです。
 球技大会や体育大会から逃れるっていうのも、以前よりは楽にやれるようになってんじゃないかなって、なんとなく思うんですよ。
 支配的なものがなくなれば、各人が自由にやれるようになります。それをそれぞれが認め合えば、自由度があがっていきます。割と僕はそれを喜ばしく思います。

 湘南乃風がクラスで支配権を握るってことは、基本的にはないですよね。あったとしても、それは一過性のものであったり、たまたまそのクラスはそうだけどクラス分けしたらなくなったり、っていう程度のものでしょう。
 AKB48やジャニーズは支配力がけっこう強いので予断を許さないところがありますが、湘南乃風くらいなら、むしろ悪くないんじゃないかという気がします。2006年のベスト盤をざっと聴いてみましたが、だいたいいいこと(≠すばらしいこと)言ってます。湘南乃風の健康的なところは、リストカットに結びつかなさそうなところですね。メンヘラっぽくないです。問題があるとしたら例の「広島LINEで盛り上がって殺人」の精神性と無関係ではないところですが、この件に関してはまた改めて書きます。

 僕はあまりにも巨大な希望を抱えすぎていたんです。それがあまりにもアンバランスだから、絶望を重ねることによってバランスをとろうとしてきたんです。それがようやく安定してきたのかなという感じです。シーソーの端っこからじりじり真ん中のほうに寄っていって、ようやく現在まんなかあたりだと。

 僕は昔、「みんなも自分と同じくらいか、それ以上に頭がいいし、たくさんものを考えている」というふうに思っていたんですよ。「人間に対する際限のない希望」があったんです。小学生くらいの時にはそういうふうに考えていました。末っ子で、家の中には自分よりも成熟した人間しかいないわけですから、「みんな賢いはずだ」は育ちやすかったと思うんです。
 でも、それは大きな誤解でした。思考力とか思考量みたいな意味でいえば、僕はとても「頭がいい」のです。そういう意味での頭の良さは、ほとんどの人は持っていません。それが現実です。
 僕はその現実を受け入れるのが「いや」でした。「みんなもちゃんと考えろよ!」って思ってました。それが理想なのではないかなとは今も思いますし、できるだけそうなるような働きかけは続けていきます。しかし、ようやく現実を見る気持ちが出てきました。
 湘南乃風や、エヴァンゲリオンや、最近のプリキュアを好きな人を、ちょっと前の僕なら侮蔑していたかもしれません。侮蔑とはちょっと違う、絶望のほうが近いですね。「なんで?」ってのが真っ先です。「えー、だって、もっといいものたくさんあるじゃん!」って。
 でも50メートルを走るのに15秒かかる人に、いきなり10秒で走れとは言えないものです。その人が編み物得意だったら、編み物と並行してウォーキングとかするくらいが健康的なんだと思います。
 エヴァンゲリオン好きな人はエヴァンゲリオン好きな人です。事情があるんです。百回エヴァンゲリオン見るうちに、ドラえもんを一冊読むくらいでいいのかもしれません。
 急いては事を仕損じるというやつです。「急ぎすぎていた」というのは愛洸学園の理事長も言っていました。(まなびストレート!というアニメの話です。)
「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない!」とアムロって人が、『逆襲のシャア』っていう映画の中で言います。

 湘南乃風を好んで聴いている人は平均的には「頭がいい」人たちではないのかもしれません。しかし彼らから湘南乃風を取り上げて何かいいことがあるのでしょうか。彼らの中には、放っておけば殺人を犯していたような人もいて、湘南乃風のおかげで愛とか感謝とか成長とかに目覚めたのかもしれないのです。
 湘南乃風は、決して「パチンコはまって破産して最高」とか「好きでもない女に金もらって抱いて幸せ」とか「生まれたばかりの赤子を殺せ」とか言いません。
 だからいいのです。
 聞く耳持たれない100点の言葉より、聞いてもらえる60点の言葉という考え方もあるわけです。
 勉強を無理矢理押しつけても、あんまりいいことはありません。
 先生に「お母さんを大切に」と言われるより、湘南乃風に「お母さんを大切に」と言われたほうが響く、人間というのは悲しいけれどそういうものらしいのです。
 ふつうの人は「分けて考える」ことができません。「分ける」ことしかできません。だから「誰が言ったか」で区別するのです。

 僕は、湘南乃風が売れていることよりも、『一休さん』が再放送されないことのほうが気がかりです。なぜ一休さんは再放送されないのでしょうか。あれはわかりやすいし、嫌いな人もあんまりいません。一休さんを再放送すれば、少しだけでも世の中は上向きになると思います。「あわてないあわてない、ひとやすみひとやすみ」というフレーズが体にしみこんでいる人と、しみこんでいない人とでは、生き方が違ってくるはずです。
 一休さんが教えてくれるのは、「あわてずじっくり考える」ことです。また、「金持ちや権力者が偉いわけではない」ということです。「年齢差別はすべきでない」ということです。「坊主と侍にも友情は芽生える」ということです。「歌を歌えば楽しい」ということです。「お母さんは尊い」ということです。「知恵によって困難は切り開ける」ということです。しかし「知恵ばかりではどうにもならない」(一休さんがとんちに失敗したり、思いつかない回もあったりする)ということも同時に教えてくれます。一休さんはすばらしいアニメです。「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」の世界です。一休さんは子供だけど一目おかれていますし、大人の侍と親友です。
 湘南乃風は湘南乃風で、とりあえずはいいのです。ただ、一休さんとか、一休さん級のものによって幼い頃からちゃんと言い聞かせておけば、一休さんみたいなバンドも売れるようになるはずです。そうすれば世の中の一休さん率が上がって、未来は明るくなるでしょう。

 すべきことは、もっと一休さんを信じることです。それが大事です。「一休さんじゃダメなんじゃないか……」という恐れを乗り越えることです。どうしてもダメなら、新しい一休さんを作ることです。しかし一休さんよりすばらしい一休さんが作れないのならば、一休さんを放送すればいいのです。そういうことも怖がるべきではありません。
 一休さんを信じないから、湘南乃風という、一休さんよりもわかりにくいものに頼らざるを得ないのです。
 ドラえもんだってそうです。制作者がドラえもんを信じていないから、ああいうドラえもんになるのです。
 目先の視聴率よりも一休さんやドラえもんを信じることが大切です。お金の問題ならば、国が一休さんに助成金を出すべきです。国が一休さんを信じればいいだけの話です。
 一休さんも、今や支配的になる力を失っているでしょう。でもそれは野球だってサッカーだって同じことです。持続的な支配力を持てないのはそれこそ「時代」です。だから怖がることはないのです。一休さんを信じればいいのです。一時しのぎで刺激的なものを提供し続けるよりも、どっしり構えて一休さんを放映すればいいじゃないですか。
 急ぐのではなく、腰を据えて一休さんをみんなで見るのです。速い時代だからこそ、落ち着いて一休さんを見るべきだろうと僕は思います。

「時代」というのは常に現在のことです。未来はこれから作れます。「こういう時代だから」ではなく、「どういう時代にしようかね」でしょう。理想の未来を作るには時間がかかります。だから一休さんを信じようと言うのです。腰を据えて何年でも一休さんを放送し続けるべきです。ある時期はそうだったんじゃないですか? 少なくとも僕の小さい頃、名古屋ではずーっと一休さんを再放送し続けていたじゃないですか。あれでいいんですよ。
「効果がなかったからやめたんだ」という考え方もあるのでしょう。それもそうかもしれませんが、「効果がなかった」が「視聴率がとれなくなってきた」でしかないのなら、それほど残念なことはありません。一休さんを好んで見る人が減るのは当たり前です。少子化なんだから。見るべき人は見ているかもしれないのです。
 支配的なものは、生まれにくい時代です。だからこそ静かに一休さんなのです。一休さんだけではどうにもならないことはわかっています。でも、一休さんがなければ新しい一休さんは作れません。新しい一休さんが作れなければ、世の中の一休さん率が下がっていくだけです。
 湘南乃風は新しい一休さんなのでしょうか。(クイズ)
2014/07/01 火 「A=B」はおかしい?

 ある友達(仮に「2テラバイト」くんとする)が以前、「『A=B』はおかしい。AはAなんだからBじゃないだろ」と言っていた。僕は大爆笑しながら、「確かに……!」と感嘆したものだ。AはAだし、BはBであるにもかかわらず、一般的な教育を受けてきた人たちは、「A=B」といわれれば、なるほどAはBなのかと思ってしまう。そしてそれ以後は、そのことは「あきらかな前提」として、話が進められる。こんなインチキはない。
 いちど「A=B」となると、AにはBが代入できるし、BにはAが代入できる、とされている。それで矛盾が生じた場合のみ、「AとBとは違うものなのではないか?」という疑問が提出されるわけだが、よっぽどつじつまのあわないことがなければ、「A=B」が疑われることはない。「代入」の儀式が済んだ後では、「それはもともとはBであった」ということは忘れられ、「それはAである」という認識を前提として、話が積み上げられていく。そうなると、「代入」より前に戻るのは困難である。ペテン師たちはそれを良いことに「A=B」論法を多用する。(「論破」という言葉を使いたがる人は、こういうインチキを使いがちだと思う。)

「一回は一回」という言葉がある。たとえば殴り合いで用いられる。AくんがBくんを殴る。Bくんが殴り返す。そこでAくんが抗議する。「おれはそんなに強く殴ってない。」Bくんは涼しい顔で言うだろう。「一回は一回。」
 本当に、一回は一回なんだろうか? 「強さ」が違うではないか。「痛み」も違うではないか。など、Aくんはいろいろに思えども、ここでふたたびBくんを殴れば、Bくんからさらに強い「一回」が返ってきて、それが無限にくり返されていく地獄へと発展しかねなくなる。それを避けるため、Aくんはあきらめる。Bくんはペテン師である。
 すぐに数値で考える人は、ペテン師が多い。「私はあの人から、合計で500くらいのひどいことをされたから、500くらいはひどいことを返してもいい」という平等主義者はけっこう多いのである。500とはいったい、なんなのだろうか。もちろん、べつにかれらは具体的な数字を想像したりはしないだろう(そう思うほどは僕も無茶ではない)、しかし、なんとなく頭の中で、「わたしはこれくらい傷ついたんだから、同じくらい傷つけてもいい!(それは数値でいえば500くらいだ)」みたいなことを考えている。と思う。カッコ内のようなことも、言葉や数字にはなっていなくとも、たとえばグラフとか図形みたいなイメージで、思っている。と思う。
 かく言う僕も、放っておけばそういうふうに思っているのだ。それはあんまり善ではなかろうと思うので、たよりない理性の力で、そうなりすぎないようにはしている。しかしまあ……何か「自分に言い訳」をする際には、実に役に立つので、ときおり僕はペテン師になったりもする……。

 一回殴られて、痛かった。それで即「報復」のほうへ行ってしまうと、その「一回」の中身や、その周辺の事情がわからなくなってしまう。報復の虚しさを我々は、『のび太の海底鬼岩城』で学んだではないか……。
 さすがにいきなり「報復」のほうへ行く人は多くはないんだろうけど、「禍根」としてエネルギーを貯め込んでいく人が、たぶん多数派だと思う。禍根は、ものすごく密度の濃いかたまりとして、心の中に棲み着いてしまう。この禍根をどのように処理するかはその人次第なんだろうけど、個人的には、体内に貯め込み続けることだけは避けたほうがいいと思う。食べものとして消化してしまうのが、いいんじゃないかな。栄養は吸収して、要らない部分は出してしまえばいい。(愚痴とかってのはこの流れの一環なのかも?)
 なんだか教訓めいた話になってしまった。

 話を戻す。AはAである。Bではない。これが実は「分けて考える」ということだったりする。遠山啓先生の本に、「代数―ずるい数学」とあった。その意味がやっと僕にもわかりかけた気がする(本意からは外れているんだろうけど)。
 代数、つまりエックスとかエーとかを使って、計算をやりやすくしようというやつ。これは数学の世界でやっているうちは、非常に素晴らしいものなんだけど、言葉とか、生活の中に採り入れてしまうと、ヤバい。
 ものすごく厳密にいえば、現実のものはどんなものでも(具体物でも抽象概念でもなんでも)イコールで結ぶことはできないと思うし、代入なんてもってのほかだ。それをするとしたら常に「便宜的にこうする」という但し書きがつく。冷静な人は無意識にでもそういう留保をしていると思うんだけど、それでもイコールや代入をくり返せば、頭はごちゃついてくる。「何をどう便宜的に置き換えたんだったっけ? そもそもこの『J』というのは、いちばん最初はなんなんだっけ?」みたいな感じに、混乱してくる。
「よそはよそ、うちはうち」ってのは、「分けて考える」の代表選手なわけだが、これは「AはA、BはB」と言っていて、「A=B」と規定する展開を華麗に避けているのである。たとえ便宜的にでも、「よそ=うち」とされてはこわい、事情があるのだ。そういうお母さんに限って「お隣の佐々木さん、課長になったんですって」みたいなことを言って、旦那さんが「ブホッ」となる、……みたいなんは、昭和のマンガですな。この場合旦那さんには、便宜的であれ「佐々木さん=自分」とされては困るのである。一度それを許せば、際限がない。ただ、旦那さん側にはふつう、「よそはよそ、うちはうち」に相当する語彙は備わっていないので、まあ……困る。

 たとえば他人の意見を否定するときに、「それって、××が○○するってのと同じじゃないですかあー(だからよくないっすよおー)」と言う人がいる。(僕もときおり使う。たいていはギャグだけど。)これはペテン師。
 同じではないし、同じだからよくない、というのも引っかかる。
「えー! 課長、眠ってる奥さんのおしり触ったんすかああ? それって電車で寝てる人のおしり触るようなもんじゃないっすかあああああ。最悪っすよおおおお」
 とか言ってる人がいたら相当アホだと思うんだけど、このレベルのことを真顔で言う人はけっこういる。
 まあ……。「電車で寝てる人」が「奥さん」だったりとか、「奥さん」ってのが課長の奥さんじゃなくって別の人の奥さんだったりとかするんなら、多少は「同じ」に近づく。けれども、だからといって「もんじゃないっすかあ」にするのは乱暴だと思うし、だからよくないってのも、釈然としない。
 この部下は、課長に対して、「眠ってる奥さんのお尻をさわったのは、こういう理由でよくない」と言えばいいのである。なにも「A=B」論法を持ち出す必要はない。それなのになぜ「A=B」を出すのかといえば、この部下がペテン師だからである。

 思うに、「A=B」論法というのは、僕の嫌いな「説得力」なるものを高めるために存在するのである。ちゃんとした根拠がなかったり、あったとしてもそれをもって相手を説得する自信がなかった時に、「A=B」論法は活躍する。「イチローは……」みたいなのも、「おまえ=イチロー」と仮に規定するもので、「A=B」論法の亜種である。これはペテンである。
 親や学校の先生などの教育者は、時にこのペテンを用いて、子供たちを操っていく。「嘘つきは泥棒の始まり」とか。ペテンを用いずに子供を「説得」するのは至難の業である。そのために数学を教え、「A=B」を刷り込んでいる、という側面も、ないではないのではないか……と、無茶苦茶なことをあえて思ってみたりする。そして学校の先生が言う「数学的な考え方」というのは、こういうことでもあるんじゃないか……とか。(一応言っておくと、もっと高級な意味で「数学的な考え方」という言葉を使う先生も、いらっしゃる、と思います。)

 ペテン、という言葉を多用したので、「わたしのことを、ペテン師と言っている?」みたいに思う方もいるかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。「○○くんちファミコンあるよ、うちにも買ってよ」という論法は、ペテンではないですか! この論法は「A=B」論法だから、つまり「A=B」論法は、ペテンですよ!!!
 という論法も「A=B」論法なんで、ペテンです。これまでの文章の中にも、たくさんペテンが含まれてるかもしれません。言葉を使えばすぐにペテンになります。だからペテンをあんまり気にすることはないのです。植物食べてるから自然破壊とか、動物食べてるから残酷とか、人間の罪をいちいち言い出したらキリがないのと同じです。ああ、また「A=B」論法を使ってしまった。これではペテン師と同じだ。

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